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第三章 プロレタリア独裁か人民民主主義権力か?

一、「連合独裁」と「プロレタリア独裁」

 来るべき日本社会主義革命が打ち樹てるべき権力は、いうまでもなくプロレタリア独裁でなければならぬ。
 しかるに草案のあいまいな二段革命的規定は必然的にここでもまた極めてあいまいな規定へと導かれる。
 草案はいう。
 「労働者階級の歴史的使命である社会主義革命への道はこの道をとざしているアメリカ帝国主義と、日本の独占資本を中心とする勢力の反民族的な反人民的な支配体制を打倒し、平和と民族の完全独立、民主主義の擁護と徹底、人民の生活向上のための人民の民主主義的国家体制を確立する革命を通じてこそ、確実にたたかいとることができる。すなわち、この革命を通じてのみ社会主義を建設する道を確実にきりひらくことができる」と。
 これは前の章にのべた通り明らかに二段革命である。一体人民の民主主義的国家体制とはどんなものか? ブルジョア民主主義でもプロレタリア民主主義でもない人民民主主義とかいうものが存在するかのようである。だが階級性のない民主主義などというものはおよそ欺瞞である。人民、すなわち諸階級の共存を前提とする民主主義とは要するにブルジョア民主主義の欺購的表現以外の何ものであり得ようか? これは一体、日々ブルジョアジーによってとなえられている民主主義とどんな違いがあるのだろうか?
 党章草案はいう。
 「党は、このように民主的変革を徹底し、名実ともに国の最高権力機関を国会とする日本人民共和国を樹立するために闘う……」つまりそれだけだ。
 これは全くブルジョア民主主義の要求である。一体これは今日の日本憲法を守り、今日の国会を守ることなのか? それとどう違うのか? これが今日の日本で革命政党のいうことか? 「名実ともに」などという言葉はなんの役に立つ? こんなことは全く無内容である。一体党中央は革命へと進む気があるのか、それとも現体制を維持するために努力するのかさえ疑わしい。
 「民主的変革を徹底」させること、にはもちろん異議はない。だがわれわれはそれにとどまることは出来ない。またプロレタリア独裁へ社会主義革命へと進まない限り、今日民主的変革を徹底させることは不可能なことは明らかである。
 一方また、国会=議会は決して真の国の最高権力機関とはなり得ない。国会はただブルジョア国家機構の一部をなすに過ぎないのであって、それはせいぜい代議機構であり、実際には人民を欺瞞するブルジョア独裁の蔽いの役割を務めるにすぎない。実際の権力は執行機関、軍隊、警察等の暴力装置を通じて執行される。もし代議機関が同時に執行機関の役割も演じ得て、全権力を集中し得るとすれば、それは最早本質上国会=議会ではあり得ない。それはいかなる名称をつけようと本質上コンミューン型国家、すなわちソビエト型の国家でなければならぬ。だが議会の問題は後へ譲ろう。
 日本における資本主義体制そのものを打倒し、権力を握り得る階級は誰か? それはただプロレタリアートのみである。ブルジョアジーを打倒し社会主義へと向かう体制をうちたてるのはただプロレタリア独裁のみである。
 プロレタリアートは貧農と同盟し、農民を含む広範な小ブルジョアの支持をかちとることによって日本の革命権力を打ちたてることが出来るであろう。一にも二にもただプロレタリアートのみがそれをなし得るのである。
 しかるにこのマルクス・レーニン主義の古典的原則にたいして、現在幾多の修正が現われている。一方からは民族解放の任務を云々することによって、他方からは人民戦線以来の新しい戦術を云々することによってである。党章草案のいわゆる人民民主主義国家体制とか「人民の革命権力」とかいうものもこの一種である。これらの見地は今日「連合独裁」なるスローガンで表明されている。党章草案がやたらに「人民」という言葉をもち出すのもそこに根拠がある。また草案はこの見地に立って民族民主統一戦線の結成と発展を訴える。
 草案はいう。
 日本共産党は、こうして平和と独立、民主主義、生活向上のために闘うなかで、労働組合、農民組合をはじめとする人民各層の大衆的組織を確立し、ひろげ強めるとともにこの方向でたたかう民主党派、民主人士の共同と団結をかため、民族民主統一戦線をつくりあげる。
 この民族民主統一戦線は、労働者階級を中軸とし、労働者農民の同盟を基礎とし、そのまわりに勤労市民、知識人、婦人、青年、学生、中小の企業家、すべての平和愛好者、愛国者、民主主義者を結集するものである。」
 すべての平和愛好者、愛国者、民主主義者までだ。一切合切なんでも来いだ。これはすばらしい力がありそうだ。これだけ集めればあとは一握りの反動だけ、そんなものを打倒するのはなんでもない。しかし独占資本を打ち倒すためにはあとの権力を保つ能力と一致した方針が必要だ。それは一体誰がどの階級がやるのか? これら一切合切がどういう方針で一致できるのかが問題だ。
 これらの論理は極めて簡単である。悪い奴は一握りの帝国主義者と独占資本だけだ。これの被害をうけているものが全部集まればこんなものは打ち倒せる。つまりそれだけだ。これが一体科学というものなら、科学とはいとも単純なものである。
 だが、たとえば、中小企業者は大資本に圧迫されていると同時に、彼らはプロレタリアを搾取することによって利益を得ている。現在は少なくともその多くがブルジョアジーの側についている。これがどうしてプロレタリアートとともに独占資本とたたかう戦線へやって来るか、彼らが独占資本によって被害をうけるというだけでそうなるという根拠はない。実際には、だからこそ彼らは今日むしろブルジョアに追随しており、たえず中間的な立場にあるのである。彼らがプロレタリアートを支持するのは、ただプロレタリアートが彼らを苦しめているブルジョアジーを打倒しうる力を持っていること、プロレタリアートの権力のもとで生きる方がブルジョア独裁の下にあるより自己にとって有利であることを見出す時にのみプロレタリアートを支持し、一緒に闘うのである。恐らく彼らの一部は革命においてプロレタリアートを支持して闘うであろうが、なお、一部はプロレタリアートが権力をとって実際の力を示したあとになって漸く納得してこれを支持するであろう。ロシア革命の事実もこれを示したのである。
 ブルジョアジーを打倒して生産を自己の手におさめることのできるのは、ただプロレタリアートのみである。いかにもプロレタリアートは権力を保持するためには農民その他の支持をかちとらねばならない。だが今日日本の経済を支配する大企業、金融機関、交通運輸機関等を、ブルジョアジーの手から奪い自己の手中に収めうる階級は誰か? 農民か? 小ブルジョアか? 否、彼らにはそんな能力がないことは自明である。それをなし得る階級はただ一つ、現在すでに実際にはその生産を動かしている組織されたプロレタリアートのみであることは明らかである。たしかに、現在農民また一般に小ブルジョアは独占資本の収奪によって大きな苦しみにあえいでいる。時には彼らはプロレタリア以下の生活水準にさえおかれる。ここから彼らの大資本にたいする憎しみは増大し、反抗は激化する。危機の時には彼らは過激な手段へと進むことをも辞さない。このことは各国の多くの歴史でも知られており、また特にファシズムの歴史において示されている。だが、それにもかかわらず小ブルジョアはその生産において占める地位とその分散性から、今日絶対に独自の解決の道を提出し得ない。彼らはプロレタリアートによって指導されるか、しからずんぱブルジョアジーに追随する。このこともまた同じ歴史が十分に立証していることである。
 一九三〇年代のドイツではプロレタリアートの指導部の誤りによって、行動に立ち上った小ブルジョアはファシズムの道へと進んだ。小ブルジョアはファシズムにおいて自己の要求の遂行者を見たつもりであったが実際には、ファシズムは大ブルジョアジーの一翼にすぎず、結局において小ブルジョアは独占資本に追随し利用されたのであった。
 小ブルジョア、中間層は一般に決して自己の独自の道を最後まで提出することは出来ない。それゆえに彼らの政治的代表は危機の情勢にあっては常に破産し、ブルジョアジーへの追随に終るのである。ロシア農民の政治的代表、膨大な社会革命党がそうであった。社会民主主義者の歴史もまた常にそれを立証して来た。
 それゆえに「連合独裁」の権力は今日一般に本質において不可能なのである。ただ農民や小ブルジョアに支持されるプロレタリア独裁のみが可能である。
 もちろん、プロレタリアートは革命に勝利するためには農民や小ブルジョアの側から一定の支持をかちとらねばならない。そしてこの支持をかちとるためにはプロレタリアートは常にその綱領を彼らに向かって話しかけ必要に応じて協定を結ばねばならない。だが、そのためにはプロレタリアートはまずその明白な方針をもつことが必要であり、それをもって当面の行動において実践的な協定を提議しうるのである。そして実際の行動によってプロレタリアートの綱領の正しさを彼らに納得させねばならぬ。結局においてプロレタリアートの方針、綱領がブルジョアジーを打倒し小ブルジョアの現在の抜け道のない窮境を打開し得るものであるということ、プロレタリアートがその能力を備えているということを彼らに示すことによってのみ、彼らはプロレタリアートを支持する方角へと向かうであろう。すなわちそのためにはまず何よりもプロレタリアートは自己の力に確信をもたねばならない。
 プロレタリアートは決して小ブルジョアジーの力に依存してはならない。自己の力を確信し、革命への方角を明確に示すことによって小ブルジョアの支持をかちとり、これを指導せねばならぬ。そして一定の条件の下で断乎としてブルジョアジーの打倒へ、プロレタリア独裁の樹立へと向かわねばならぬ。この実力によってのみ小ブルジョアをその周囲へと引きつけることが出来る。その力を示しつつ労働者は小ブルジョアに話しかけることによって統一へと進み得るのである。そして権力を握ることによってプロレタリアートは一層広汎な小ブルジョア大衆の支持を確保することが出来るであろう。
 まず全人民の結集を確保してから革命へと考えることはプロレタリアートにとって破滅的である。ブルジョア支配の下にあっては、プロレタリアートは決して全人民、小ブルジョアや中間層の全体を引きつけることはできないであろう。それどころか、プロレタリアートの内部においてさえ一部のおくれた部分は権力獲得の時まで闘争への参加を拒むことは不可避である。われわれの政策は決してそんなことを、全人民の統一を待つことであってはならぬ。プロレタリアートの前衛は革命的情勢の下で労働者階級の多数の統一した力を確保し、農民や中間層がブルジョア支配から離れて行動へと動き始める時、断乎たる方針をもって大衆に呼びかけつつ権力奪取へと向かうことによって革命を成功に導くことができる。これが歴史によって実証されたボリシェヴィキの戦術であった。
 しかるに「連合独裁」を主張することは最後まで小ブルジョア路線との統一を追求することを意味する。だが独自の小ブルジョアの道はあり得ない。それがプロレタリアートの路線から独立のものである限り、それは結局ブルジョアジーへの追随の路線である。すなわち「連合独裁」は、ブルジョアジーに追随する小ブルジョアの政策にたいし最後まで妥協を追い求めることを意味する。これは実際にはそれ自身小ブルジョアの路線へとなり下ることを意味する立派なメンシェヴィズムである。実践的にはこれは明らかにケレンスキー政権、また一九二七年の王精衛政権への参加を求めるスローガンにほかならない。そしてまたそれは実際人民戦線の名において、フランスやスペインにおいてある程度行なわれ破産した政策である。
 ところが今日わが国ではフランスの人民戦線は全く輝かしい勝利の記録として教えられている。それはドイツにおける極左的誤りの自己批判の上に立った正しい方針としてうけとられている。だがこれには全く誤解がある。私はここで人民戦線戦術の問題に詳細に立ち入る余裕はない。しかし少なくとも歴史の事実はそんなことを実証してはいない。事実フランスの人民戦線は瓦壊した。その責任を社会民主主義者に被せることは、共産党そのものが社会民主主義の裏切りの事実から生じ、われわれにとって社会民主主義の本質がすでに全く明らかであった以上、全く破廉恥な評価である。しかも戦後のフランス人の人民戦線政府はもう一度それを実証しているにもかかわらず、なおこれを正しい模範と考えることは、事実からなんの教訓も引き出さないやり方である。
 今日スペイン革命の敗北の歴史とその教訓がわれわれの間でなんら知られず、眼を閉じてふれられない理由もまたここにある、と私は思う。
 中国における毛沢東のいわゆる「連合独裁」は八全大会においてプロレタリア独裁と規定し直された。一部の人々はただ革命闘争に農民や小ブルジョアも参加し、権力機構にこれらの代表も一部参加する可能性があるというだけで連合独裁を云々し人民民主主義を云々する。だがこれは本質を見ない現象論にすぎない。それならば一体ロシアの十月革命がうち立てた権力はなぜプロレタリア独裁と呼ぶのか? 農民も兵士もこれに参加したではないか?
 今日ブルジョアジーの支配は、決して単純にブルジョアジーのみの力によっているわけではない。彼らは小ブルジョアジーの多数を引きつけ、農民の多くの支持をかちとり、プロレタリアートの上層部をさえ、その味方としている。彼らは中小企業におけるプロレタリアートの闘争においては中小ブルジョアジーを支持し、小ブルジョア農民とプロレタリアとの対立においては農民を支持して、これを味方に引きつける。ブルジョア権力の政府は決して単純に大ブルジョアの代表によって占められてはいない。時には小ブルジョアを参加させ、場合によっては労働者階級の上層部さえの参加を許している。彼らは必要とあらば社会党単独内閣を許すであろうし、さらに人民戦線政府さえ許すかもしれない。にもかかわらず、その本質は依然大ブルジョアの独裁である。
 諸君は一体これらのブルジョア支配の形態を独占資本、中小ブルジョア、富農、労働貴族等の連合独裁とよぶか? それはとんでもない話だ。もしわれわれが「ブルジョア独裁」ということを抽象的に考え、大ブルジョアの孤立した支配と考えるならばこれは大きな間違いである。だからといってこれを「大ブルジョア、小ブルジョア、地主、富農等の連合独裁」とよぶならばそれは本質を見失うものである。小ブルジョア農民等の支持を引きつけていようとも、その本質は明らかにブルジョア独裁、就中金融資本の独裁である。
 「プロレタリア独裁」のスローガンに関しても同様である。もしこれを抽象的に理解し孤立したプロレタリアートの独裁を考えるならばそれは非常に危険である。だが、私は抽象的な言葉としての「プロレタリア独裁」や「連合独裁」についてのべているのではない。そのスローガンの現実に意味する内容、それが果す役割を問題としているのだ。だがまた、どんな形態であろうと、どんな小ブルジョアとの連合のコースであろうと、要するにプロレタリア独裁だといったような考えは、いかさまである。プロレタリア独裁の権力は具体的形態が必要である。国会を通じてのプロレタリア独裁などというのは歪められたものである。これについてはあとにのべよう。
 ドイツにおけるスターリン=テールマンの方針が極左的誤りの典型であったとすれば、フランス、スペインの人民戦線の方針は逆に右翼日和見主義、メンシェヴィキ的誤りの典型であった。
 しかるに日本共産党は今日その政策をくり返しつつある。党章草案は「民族民主統一戦線」→「統一戦線政府」→「人民の権力」というコースを要求することによってこの方角を完成している。

二、「統一戦線政府」のスローガンについて

 党章草案はいう。
 「党の指導的任務が充分に発揮されて労働者階級を中軸とする強大な統一戦線が結成されるならば、わが国からアメリカ帝国主義を駆逐し、わが国の売国的反動政府を打倒し、人民の政府をつくり、人民の手に権力をにぎる基礎がきずかれる。この基礎の上につくられる人民の革命権力は、世界の平和、民主主義、社会主義のためにたたかう人民の勢力との連帯のもとに、独立と平和、民主主義の任務を遂行し、独占資本の支配を排除しつつ反動的国家機構の根本的変革の上に人民民主主義国家体制を確立する。」
 すなわちわれわれはこう教えられる。
 革命権力を打ち立てるためには、まず人民の政府を作らねばならぬ。そして人民の政府をつくるためには統一戦線を結成せねばならぬというのである。しかしこの統一戦線は平和、独立、民主主義、生活向上のためのものであるという。
 ところで一体この統一戦線はなぜ、平和とか、民主主義とかの統一戦線であるにとどまらねばならないのか? それはなぜ権力奪取の統一戦線へと発展させられないのか? 草案によればまずそのためには人民の政府、統一戦線の政府をつくらねばならないという。だがこの人民の政府とは何か? 草案ではそれは権力奪取へと大衆を結集するためのスローガンではなくて国会を通じてブルジョア権力の一部の政府をつくるためのスローガンとされる。だが国会を通じての統一戦線政府ということは、必然的に他党派(たとえば社会党)との連立政府ということを意味する。また草案や政治報告を貫く見地は明らかにそれをかくしてはいないようだ。しかし、では一体プロレタリア党でない他党派がこれを拒否すればどうなるか? われわれは他の党派の出方まで自分で決定するわけにはいかない。それとも他党派、考えられるものとして当然社会党の如きものだが、この人民の政府なるものに参加するという客観的根拠が存在するのであろうか。もしプロレタリアート以外の階級の代表がなんら独自の解決の道をもたず、ブルジョアジーに追随するとすれば、彼らが革命を指向する政府に参加しうると予め規定することは出来ない。彼らとの連立政府を予め規定された必要な道と考えることは、結局要するにわれわれが彼らに譲歩し、すなわち小ブルジョア路線、ブルジョアへの追随の道に従うということを意味する。そのような政府は決して革命へと指向し得ないであろう。それは本質的にも実際的にも小ブルジョア代表の政府にすぎず、結局においてブルジョア支配の危機の情勢においてブルジョアジーの独裁を維持するための仮面をかぶったブルジョア政府にすぎないであろう。それは本質上ケレンスキー政権にまたブリューニング政府に代表された一種のボナパルチズムにすぎないであろう。結局においてそれは片山内閣とも大同小異のものになり終るであろう。
 草案の示す方角によれば、統一戦線は直接権力奪取の方向へと向けられず、国会において政府をつくる方向へと向けられる。草案の見地では統一戦線を基盤として政府をつくるということは、統一戦線(そのの具体的な形態は?)そのものが権力を握ることではなくしてこれを国会における多数獲得の足場に利用するということを意味している。これでは明らかに大衆の闘争をブルジョア独裁のいちじくの葉である国会のおしゃべりの中へ解消しようということになり、ブルジョアの思うツボにはまることである。すなわち党自身がブルジョア支配の一翼の役割を果し、大衆の権力獲得への道をそらし、彼らの眼をくらませる役割を果すことである。これはロシア革命でメンシェヴィズムが演じ、またある程度十月において、ジノヴィエフ、カーメネフが誤りに陥った立場であり、さらにスペインでコミンターンがおかした日和見的戦術であった。
 ボリシェヴィキの戦術はこれと反対である。農民、小ブルジョア大衆を周囲に結集したプロレタリアートの統一戦線(それは民族民主統一戦線ではない)は、権力獲得のための統一戦線にまで発展させられねばならない。この統一戦線の最高の形態がソビエトにほかならない。この闘争機関はブルジョア権力を打倒して自ら権力を握らねばならない。
 もちろん、前衛党が自分の力だけで革命を遂行し得るものではなく、権力を握るためには大衆の参加が必要である限り、権力奪取の瞬間においても統一戦線は必要である。そしてそうである以上、この闘争への他党派の参加の可能性を予め否定することは出来ないし、もちろん常に拒否することは出来ない。むしろこれはある程度必然的でもある。
 革命的情勢が来り二つの勢力が明確に衝突するとき多くの色合いの中間政党は必然的に破産し、分解するであろう。もしプロレタリアートの多数を引きつけるならば、この中間層の政治的潮流の分化を大いに促進し、多くの中間政党を破産させて、その背後の大衆を獲得し得るであろう。だが、この過程が権力奪取への時までに完成し得ると考える根拠はない。むしろそんなことはあり得ない。それゆえにプロレタリア独裁の権力(ソビエト)の内部には当然ある程度他党派のメンバーも参加するであろうということは可能であるし、時にはまたその頂点の政府内にさえ彼らの代表が参加する可能性を予め否定することはできない。こういう時には確かにプロレタリアートの権力の一部としての連立政府が成立し得る。だがまた事態の論理がプロレタリア党をして単独の政府を組織する必要に立たせるという場合も十分に可能であるし、大いにありそうなことである。こういう場合にはわれわれは単独で政権を引きうけねばならないし、またその責任がある。一九一七年十月にボリシェヴィキはまさしく単独でこの政権を引き受けたのである。
 したがってわれわれは権力奪取を日程にのせる時、必要に応じては、連立政府を他党に向かって提議するであろう。だが、またわれわれは決して他の中間諸党派が事を中途にやめ革命を挫折させようとすることを許さないし、彼らが協力を拒否するならば単独で政権を握る断乎たる態度をもって進まねばならない。党章草案の如く予め連立政府(しかも国会を通じて)を必要な道と考えることは、草案が革命を最後まで導くプロレタリアートの立場を堅持していないこと、他の諸党派(他階級の代表)に依存し、これと妥協するメンシェヴィズムの道へと堕落していることを示しているのである。
 そうして草案は、人民の政府をつくり、それを基礎として人民の革命的権力をつくるという。だがそれは一体いかにしてか? この権力の具体的形態はいかなるものか? それについてはわれわれは何も知らされないのである。だがわれわれは革命のための綱領を必要としているのであって、ブルジョア支配下の政府に参加するための綱領を求めているのではない。「人民民主主義国家体制」などという名称をつけてもらったところでわれわれはなんら救われはしないのである。
 「綱領問題について」における「よりましな政府」や「統一戦線政府」についての一切のオシャベリは、ただますます党章草案のメンシェヴィキ的性格を明らかにするだけである。より反動的な政府から、よりましな政府、労働者階級の指導権のない統一戦線政府、労働者階級が指導権を確保した統一戦線政府→革命の政府まで、いろいろの政府が分けられる。それらは要するに右から左へと順次よりよい政府というわけである。だが一体グチコフ、ミリューコフの政府はツアーの支配よりましではなかったか? ブリューニングの政府はヒットラーよりましではなかったか? 片山内閣は吉田内閣よりましではなかったか? しかもケレンスキーの政府はメンシェヴィキ・ソビエトの支持を得ていなかったか? これは統一戦線政府ではないのか?
 一切が改良主義的に立てられている。これはブルジョア国家のプロレタリア国家への平和的成長の理論である。だが、国会を通じての平和的革命の立場、すなわち議会主義の立場に立つ限りこれはさけられないことである。

三、議会主義反対! ソビエト権力へ

 パリ・コンミューンの経験にもとづいてマルクスとエンゲルスは
 「コンミューンは『労働者階級が、たんに既成の国家機構を掌握して、それを自己独自の目的のために運用させ得ない』ことを証明した」と。
 プロレタリア革命の第一の任務は、ブルジョア国家機関、官僚的軍事的国家機関を粉砕してプロレタリアートの国家をうちたてることである。ブルジョア議会はブルジョア国家機構の一部をしめオシャベリをもって人民を欺瞞する役割を果すにすぎない。プロレタリアートはこれをブルジョア国家全体とともに廃棄し、自らの代議制度、しかも同時に行動の機関たるコンミューン型の国家を樹立せねばならね。社会民主主義の議会主義を廃棄して、議会にたいしてはこれを宣伝、煽動の舞台とする革命的議会主義の立場に立たねばならぬ。
 これは誰もが知っており、レーニンが「国家と革命」その他でもって余すところなく繰返し繰返し主張したマルクス・レーニン主義の国家論の中心的思想である。
 マルクスはすでに一八五二年の「ブリュメール十八日」においてプロレタリアートは官僚的、軍事的国家機構を粉砕せねばならぬという基本的命題を明らかにし、パリ・コンミューンはこれを実証した。しかもその体験にもとづいてマルクスはプロレタリア国家の基本的特徴を明確につかみとり、「フランスの内乱」において定義づけた。しかるに第二インターナショナルの自称マルクス主義者は議会主義のとりこになってこれを裏切り、マルクス主義を“議会主義的平和主義へ、国家の超階級的性格という理論へとねじまげた。まさしくこのマルクス主義の歪曲、変節にたいする憤激からマルクスの国家論を復活させ、プロレタリア独裁、コンミューン型国家のための闘争を勝利に導くためにこそ、レーニン主義とコミンターンは生まれた。レーニンは第二インターナショナルの名士達の歪曲から、マルクス主義の中心思想を擁護するために、全生涯をかけて闘い、マルクスの国家論のあらゆる重要点を再び完全に復活させ、ロシア革命において実践したのであった。
 それにもかかわらず、そしてまたその後のすべての国の革命闘争が繰返しそれを実証しているにもかかわらず(スペイン、東欧、中国)今日平和的情勢に眼のくらんだ日和見主義は再び三たびこのレーニン主義をも歪曲しようと頭をもたげている。すなわち議会主義と平和革命論は今や日本ばかりでなく、多くの国の共産党の公式指導部によって声明されつつある。
 ソ同盟共産党二十回大会のフルシチョフ演説と歩調をそろえて、わが党中央も、国家を通じての平和革命の可能性を認めると声明した。党章草案は明らかにその線を確認している。
 一寸考えるとほとんど事実とは思われないが、遺憾ながら事実である。しかもその可能な理由は第二次大戦後の世界情勢の変化という簡単な理由である。そして今日この右翼的見解はかなりの歓迎をうけているのだ。だが一体レーニンの「国家と革命」一つでも読めば、こんなことを簡単に信じられようか? 一世紀にわたるあらゆる革命の歴史をふりかえるだけでもこんなことが容易に納得できるだろうか? しかもこの日和見的理論が直ちに一蹴されず、少なくとも真面目に考えられるのは、それがただプロレタリア国家の頂点モスクワの最高権威の口を通じて語られているからである。
 だがそれにしてもこの「国会を通じての平和革命」理論(?)がかなりの共感をうけ、党内の一部からはさらにその点を強調せよと迫られる理由はどこにあるか? それは今日の客観情勢、政治経済情勢にある。それは第二次大戦後の情勢の変化といったものではなくして、それよりもはるかに一時的なここ二、三年来の平和的情勢にある。この情勢について私は第一章において若干ふれた。だがこれについての詳細な論究は当面の政治情勢を論ずべきほかの機会に譲ろうと思う。
 われわれはマルクス・レーニン主義を学ぶに際してレーニンの国家論をもって社会民主主義と共産主義の区別を明確に理解したと考えた。しかるに今日議会主義、平和革命の理論が復活することによって、本質上この区別は全く不明確となった。そしてまた今日党中央の見解によれば「わが党と社会党とのあいだには、原則上の立場(どんな? 実際的なものでなくて名称だけなら無意味だ)でちがいはあっても、当面の具体的な政策と闘争目標のうえで、ますます、多くの一致点が生まれてきた」という(政治報告要旨)。そして政治報告においても今日の情勢下における社会民主主義の果しつつある役割、その具体的現れ、そして来るべき段階で彼らはどう現れるか? という問題については一言もふれていない。総じて彼らへの批判は何もない。要するに党中央の見解によれば社会党とわが党はますます近づいているのである。全くこれも当然である。実際には彼らがわれわれに近づいているのではなくて、党中央の見解が彼らに近づいているのだ。
 だが余裕がないので社会党および社会民主主義についての評価もまたほかの機会に譲ろう。
 私はすでに本章の始め(第一節)において、国会の性格について若干ふれた。そして国会を「名実ともに国の最高権力機関」とするということは不可能であり、これはブルジョアジーの国会を通じての欺瞞を助けてやるものだということを述べた。ここでは私はこのブルジョア国家に対抗するプロレタリアートの国家、ソヴェトについて若干のべよう。
 今日ソヴェト権力についての思想は全然無視されおよそ真面目に考えられておらないのでわれわれの間にはそれについての基本的知識すら不十分であるかのように見える。
 現在ではソヴェト形態をとらないで革命が出来るという理由でソヴェト革命は始めから否定される。だがこの理由はおよそ論理的にも全く奇妙である。こういう理由がなり立つためには、そもそもソヴェトは極めて組織し難いものだとか、あるいはまたもともとソヴェトというものはあまり好ましくないが、必要上今までやむを得ず主張してきたのだとでもいった前提がなければならないはずである。だがそんなことは誰もいまだかつて主張したこともないし、また事実でもない。一方また長い間ソヴェトは最も民主的な国家形態だといわれてきた。そしてこれは事実である。だがこれだけでも事実ならば、なぜ他の形態があるとしてもわれわれは最も民主的(プロレタリアートの)なソヴェトの形態をとるために努力しないのか? それが不都合だという理由はどこにあるのか? それもまたなんら語られていないのである。
 ただ一つ理由があるとすれば、それはソヴェトは全く大衆の直接の権力であり、ブルジョア官僚国家に真向から対立するものであって、国会を通じて作ることは全然出来ないし、したがってまた平和革命ではできないということであろう。だがそれにしても今日世界中でどこでも平和革命が可能だと誰も主張していない。それにもかかわらずどこの共産党もソビエト権力(名前の問題ではない)を主張しないのはなぜか? 全く疑問ではないか? 現在、各国の社会主義への道の多様性について語られているが、それは全くソビエト形態をとらない理由のためにのみ語られている。多様性といいながら、実際にはソビエト形態はロシアだけで、ほかはみな人民民主主義(?)形態をいい、多くが国会を通じてというのである。かくしてソビエトはロシア特有のものとされてしまった。だが実際には一九一八年のドイツ革命においてソビエト(レーテ)は組織され、一九一九年にはハンガリアでもソビエト権力がつくられた。そしてこの経験にもとづいてレーニンはソビエトは国際的承認をうけたといい、コミンターンはソビエト革命の旗を世界に掲げた。今日これは全く改められ、ソビエトは組織されようともしない。ソ同盟においてはソビエトは名ばかりで、実際には本来のソビエトの形態すら失なっている。現にユーゴの労働者評議会にたいしてソビエト同盟の側から反対むきの批判が行なわれるという事態さえが存在する。そしてハンガリアではほう起せる労働者によって組織された評議会(ソビエト)が赤軍と共産党(カダル一派)によって弾圧された。
 明らかにソビエト権力は今日労働者国家の一形態、しかも最も民主的な形態と認められるどころか、官僚主義によって敵視されているということを示している。
 では一体ソビエトとは何か? それは全プロレタリアートを包括して直接プロレタリアートが参加して最も民主的に組織される闘争機関であり、権力を握ることによってプロレタリアートの国家機関となる。それは権力を握るためのプロレタリアートの統一戦線の最高の形態である。
 現在、一知半解からソビエト形態に反対して統一戦線を持ち出す論者があるが、これは誤りもはなはだしい。まさしくソビエトこそプロレタリアートの統一戦線の最高の形態である。実際考えてみよ。プロレタリアートの統一戦線の最も民主的な形態は、それは名称はどうであろうと、本質においてソビエトにほかならないであろう。実際にはこれら論者はただよく考えていないか、そうでなければソビエトにたいし統一戦線の未熟な形態を対立させているか、それとも人民戦線の連立政府を対立させるのである。すなわち、結局議会主義をもち出しているのである。党章草案はどうか?
 「日本共産党は、こうして平和と独立、民主主義、生活向上のためにたたかうなかで労働組合、農民組合をはじめとする人民各層の大衆的組織を確立し、ひろげ強めるとともに、この方向でたたかう民主党派、民主人士の共同の団結をかため、民族民主統一戦線をつくりあげる。」
 どうも不明確ではあるが、労働組合や農民組合その他の初歩的大衆組織の代表や、各政党、無党派の代表をそのまま集めて統一戦線をつくることらしい(ここではその参加する階級の問題にはふれない。したがって人民戦線の考えにも全面的にふれないでおく)。だが、本来労働組合は主として経済闘争における労働者の統一戦線の初歩的形態である。一方ソビエトはプロレタリアートが権力闘争の時期に入る条件の下での、統一戦線の最高形態である。労働組合その他の現存の初歩的大衆組織をそのまま組織した統一戦線で権力獲得まで進もうと考えることは、すなわちこの統一戦線の初歩的形態でもってソビエトに代行させようということであるが、このことは労働組合その他の基本的性格を逸脱しこれに過重な政治的任務を負わすことによって、その必要な基本的性格を失わしめる危険がある。また実際にはそういう任務を果させるには労働組合はあまりにルーズな組織であり、危険である。だが、もし指導部が革命的情勢の下では時を失せずソビエトを、すなわち権力闘争のための階級的組織をつくることに成功せず立ちおくれるならば、労働組合や工場委員会の如きより未熟な組織がこれを代行することを余儀なくされることはあり得る。特に現在の日本の如く労働組合が非常に広汎な労働者階級を組織している場合、労働組合がこういう役をかってでる可能性は十分に考えられる。しかしそれは決して闘争を勝利に導くのに都合のよいことではなく、むしろ多くの困難を予想させるものである。われわれはそういう立ちおくれをすることなく、情勢をとらえて、プロレタリア大衆に向かって権力奪取のための闘争組織の樹立をうったえソビエト組織をもって決定的闘争へと向かうべく努力すべきであろう。
 そしてこのソビエトの組織は決して簡単なものではないとしても、もし前衛がそのための方針を十分準備しており、革命的情勢へと向かう時に機を逸せずこれにとりかかるならば、決してさほど困難な問題ではなかろう。そのことは昨年のハンガリーの革命がいかに鍛えられた指導部(党)の欠除せる状態においてさえ労働者自らの闘争組織、評議会をつくり上げたかという事実に見ることができる。もっともハンガリーではソビエトは決して真のブルジョア支配の国家にたいして向けられたものではなく、歪められてはいても労働者国家の下でプロレタリアートは立ち上ったのだということと、また彼らは一九一九年に一度ソビエトを経験しているという二つの事情があり、わが国ではそれ程には簡単ではなかろう(だが一方わが国はハンガリー以上に生産が発達し、資本主義的集中が進んでいるという有利な事情もある)。
 ソビエト形態に反対する一部の論者は、今日では革命に参加する階層が拡がったからという論拠をもち出す。だがこの議論も一向に納得し得るものではない。というのは、これらの階層、小ブルジョア等がもし革命闘争に参加するとすれば彼らは自ら闘争機関を組織せずにどうして参加するのであろうか? そして自ら直接に闘争に参加する組織としてはソビエト以上の有利なものを考えつくだろうか? ロシア革命においてもソビエトは労働者、農民、兵士代表のソビエトとして組織された。いかにも農民ソビエトは労働者に比して、はるかに組織し難くまたおくれてつくられるであろう。だが可能である。都市小ブルジョアにあってはその分散性からしてもソビエトの組織は一層困難であろうし、実際上権力奪取の時までにどれ程期待できるかは今から想像し難い。だがそれは要するに権力闘争へと小ブルジョアを組織することが一般に困難だということを意味しているのであってそれ以上でも以下でもない。それは現存の既成の初歩的組織をもって代行しようとしたところで同じである。もし小ブルジョアの初歩的な組織、たとえば商工団体や種々の市民組織等をかりて、それを通じて大衆を権力闘争へ向かわせようとするならば、しかも大衆がまだ自らそのために直接行動に入り込もうとしない時に(もし入り込めば、そのための組織は作れるはずだ)初歩的要求のための組織の頂点が権力のために動こうとするならば、それは頂点のみが浮上がり、初歩的組織そのものをさえ破壊するだろう。これは大体大衆を引きまわそうというやり方である。これらの大衆団体は今日それぞれの要求をもって組織されているそれぞれの性格をもった団体であり、それ自体一つの統一戦線であるとともに、今日それら団体間の協定、行動の統一(一定の目標で)をはかることは大衆の闘争を発展させる上に重要な意義をもっている。だが闘争の発展とともにわれわれは大衆闘争の組織も発展させねばならぬ。既成のものにのみとどまることはできない。労働組合、農民組合、商工団体その他の大衆団体を集め、そしてそれに政党代表を別に加えた連合体のままで権力へと進むことは、代表は二重、三重にもなり得るし決して形態上からも民主的ではなく好ましいとはいえない。そして今日の行動の統一に役立つものでも権力獲得という最高の行動においては全く不十分なものであろう。
 われわれが権力獲得のための統一戦線としてソヴェトを労働者評議会(したがってまた農民その他の評議会)を組織せねばならぬということを銘記せねばならぬ。ソビエトの思想を今からわれわれのものにし大衆のものにすべく努力せねばならない。
 しかるに党章草案はソビエトの思想を無視し、何もかも一緒にした統一戦線を訴え、しかもこれを国会を通じて政府参加のためへと向かわせる。この間には一つの一貫性がある。すなわちそれは国会における代表獲得、すなわち選挙のために各大衆団体を統一して向かわせるということである。だが選挙においては労働者も小ブルジョアもすべてが一票に還元される。その組織の力、生産における重要な力は依然無視される。普通選挙はたとえいかにブルジョア民主主義の徹底した形において行なわれようと(現在の日本がそうだ)プロレタリアートの力を正しく反映するものではなく、しかもずっと遅れてしか反映されない。普通選挙はプロレタリアートの成長のバロメーターであるが、それ以上でも以下でもない。十月革命によって権力がボリシェヴィキの手に握られた後でさえ、憲法制定会議においてはボリシェヴィキはなお左翼社会革命党と合わせてさえ四〇%に足らなかった。だがもしボリシェヴィキがこの多数を獲得するまで権力のための闘争を延期したとしたらどうなったろうか? おそらく多数を握って平和的に権力を握れただろうか? 否たとえボリシェヴィキでもいかにすぐれた前衛党であろうと、革命的大衆闘争のテンポを勝手に動かし得るものではない。結集した大衆の力を行動に立たせずしていつまでも増大させ続け得るものではない。時期を失するならば革命勢力、権力奪取へと結集せる力は分解し、弱化する。さればこそレーニンは情勢を分折し九月以来中央委員会に向かってほう起への行動をよびかけた。レーニンはほう起をよびかけつついう「今やこの点で早すぎるということはあり得ない」と、さらに時期が切迫するや「今や週が、さらには日がすべてを決定する」といい、遅延はすべてを失うと主張したのである。もしボリシェヴィキが議会(憲法会議)をあてにし、そこで多数をとるために逡巡したならば事実一切は失われたであろう。ボリシェヴィキの右翼、ジノヴィエフやカーメネフは結局においてこの道を主張したのである。
 もしわれわれが国会における多数の獲得というようなことをあてにするならば第二次大戦後の今日といえども全く破滅的である。そしてまた国会を通じて政府をつくるために小ブルジョア路線との妥協を求めるならば、これはわれわれ自身がブルジョア独裁へと追随することになる。階級闘争は決して国会の舞台で決定されるものでなく、大衆闘争の舞台において決定される。だが権力を握るためには決して国会を通ずる必要はない。そういうことにこだわることは予め敗北を余儀なくすることである。それは議会主義の道であり、社会民主主義の道である。国会闘争を認めるか否か、また大衆闘争を認めるか否かに社会民主主義と共産主義の分れ道があるのではない。どちらが主で、どちらが従か? 大衆闘争を議会へ結集し、多数をとるのか(これが社会民主主義だ)それとも議会闘争を大衆の革命闘争を発展させるための道具として、議会をそのための暴露宣伝の舞台として用いるか、ここに分れ道がある。プロレタリア大衆の革命闘争は自らの組織をもって闘い、その手中に権力を握るまで発展させられねばならないのである。
 この基本的原則は第二次大戦後といえども変えることはできぬ。今日第二次大戦後の情勢はこのプロレタリアートの基本的立場を勝利せしめるのにますます有利となっているのである。


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