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第三章 一二回大会路線の本質

a 権力の強化をめざす規約改正

 七三年一一月にひらかれた第一二回大会は、いくつかの意味で画期的である。
 大会は、「民主連合政府綱領」を決定した。字句上の修正ということで、綱領、規約の数個所の改定をおこなった。大会はさらに、「人民的議会主義」という新しい用語と戦略をうち出した。
 これらの諸決定は、従来の路線の延長上にあるものではあるが、それだけにとどまらず、一歩進んで「一二回大会路線」とでもいうべき新しい軌道が敷設されたことを意味している。
 「民主連合政府」については、すでに前章でのべてあるので、ここではくりかえさない。そこでまず、綱領・規約の修正について見てみよう。
 規約改正の主要な点は二つある。
 前文の(二)、党の任務の規定のなかで、革命と党と大衆の関係は、次のように改められた。
 <改正前>「革命は、労働者階級をはじめとする幾百千万の人民大衆がおこなうものである。党の任務は、歴史の創造者であるこの人民大衆の真の利益を擁護して、人民大衆がみずからを解放する革命の事業を達成するよう援助し指導することにある。」
 <改正後>「きたるべきわが国の革命は、党と労働者階級をはじめとする幾百千万人民大衆の歴史的事業である。党の任務は、人民大衆の真の利益を擁護し、人民解放のこの事業達成のために先進的役割をはたすことにある。」
 一見してあきらかなように、この規約改正は、単なる字句上のものではなく、革命の性格規定についての本質問題に関係している。改正は、階級と大衆の上に党を置くスターリニストの組織論にもとづいている。革命が労働者階級と人民の自己解放の事業であり、自ら歴史を創造する事業であるという根本的概念が否定された。もともと改正前の規約は、共産党の組織論としてふさわしいものではなかった。革命的マルクス主義者にとっては自明である階級と党の本質的な関係についての理論は、スターリニストによって、“自然発生性への屈服”としてつねに非難されてきた。党は階級の最高の組織であり、階級と大衆は、党のもとで指導、管理されるべきだというのである。それにもかかわらず、改正前の規約が採用されたのは、五〇年分裂とその後の極端な孤立のなまなましい経験から、大衆と党の結合をできるかぎり広汎なものにしたいという願望が党の共通の感情になっていたという事情にもとづいている。いわばそれは、党の大衆にむけた妥協であった。三〇万を超える党員を持ち、五〇名の国会議員を有するに到った今日では、こうした妥協はもはや不必要であるというのが、宮本指導部の判断である。
 二つめの修正は、第一条についてである。
 <改正前>「党の綱領と規約をみとめ、党の一定の組織にくわわって活動し、党の決定を積極的に実行し、規約の党費をおさめるものは党員となることができる。」
 <改正後>「党の綱領と規約をみとめ、党の一定の組織にくわわって活動し、規定の党費をおさめるものは党員となることができる。」
 提案者によるとこの改正は、党員の資格をゆるめるためのものではなく、前提であるからあえて表現する必要のない文章を取り除く措置であるという。だが、前提であってあえて表現する必要のないことを、なぜ規約の第一条というもっとも重要な個所でのべてあったのだろうか。この改正もまた単なる字句上の問題ではない。より大量の、よりおくれた層を党にむかえ入れるという、組織方針上の措置なのである。
 提案者は「党員が党の決定を実行する活動のあり方などは、入党後、情勢と党の必要、および各党員の条件と能力に応じて具体的にさだめられるものであり……」「入党にさきだって党の決定をよく知ってその積極的実行をもとめることは、厳密にいえば、綱領への精進を入党前にもとめるのに類することになる。」などとのべている。入党に先立って活動家である必要はなく、入党してのちに活動家になれば良いのであって、求められるのは綱領を承認することだけだ――これが改正の趣旨である。
 前文中の改正は、党の「権威」を強化するねらいであり、第一条の改正は、党員の「質」をうすめる措置である。一見相反するように見られる、この二つの改正は、党の官僚主義化の促進という点で分ちがたく結びついている。党員の質と水準を低下させることによるて官僚に盲目的に従う多数派をつくり出し、反対派を孤立させ党の官僚主義化を促進する措置は、スターリンが発見した方法であった。党を「大衆化」することと、党を「大衆の上に置く」こととは、革命党の弁証法では両立しない論理であっても、官僚主義の党組織では、合目的的に一体なのである。
 民主連合政府と人民的議会主義にむけて、全党の突撃を命令した一二回大会が、同時に、党の官僚主義化を決定的に推進する規約改正をおこなったことは、偶然の一致ではない。宮本指導部は、今日の情勢が危機と激動をはらむものであることを知っている。危機の深化と大衆の自然発生的な流動が、党の人民的議会主義、平和革命のコースを動揺させ、党内の分化をつくり出す可能性は予見できるものである。だが、宮本の判断では、暴力革命の路線と権力への早すぎる革命的挑戦は、「国際共産主義運動の不団結」に支えられた「ニクソンの各個撃破政策」のエジキにされるだけである。冒険主義は何としても避けなければならない。きわめて長期にわたる人民的議会主義の堅持以外に、勝利する道はないという展望に立つ宮本は、予想される危機と激動の数々の試錬に耐えて、その平和革命のコースを守りぬく組織的保証を求めているのである。
 党を大衆の自然発生的戦闘化から防衛する従順な多数派を構成しようという目的意識によって、今回の規約改正はおこなわれている。スターリンは、ボルシェヴィキ党の前衛的部分に強大な影響力を持っているトロツキーとの対抗の必要から、入党運動を推進した。日本共産党は、いくつかの反対派をすでに排除し、今日の党内に有力な反対派はない。それらの反対派は、日本の大衆自身に基盤を持つものではなく、ソ連・中国の思想的影響と組織的つながりに依拠するものであった。すでに日本の大衆運動のなかに深い根をはっている宮本指導部にとって、ソ連派的、中国派的反対派は恐れるに足りない。
 宮本が規約改正によってあらかじめ自己を防衛する保証を取りつけようとしているのは日本の大衆運動の自然発生的な戦闘化、急進化にたいしてである。一二回大会の規約改正は、このような点で、革命的共産主義者が注目しなければならない重大な意味をもっている。それは、危機の時代の大衆の広汎な戦闘化、急進化を抑止し、鎮圧する能力を持つ官僚の党としての、日本共産党の組織路線を確定したのである。

b 人民的議会主義の綱領への貫徹

 綱領の改定は三点である。第一点は、「ソ連を先頭とする社会主義陣営」という表現から、「ソ連を先頭とする」を削除したものであるが、この点については、すでに第一章でのべてあるので説明を要しない。
 第二の改定は「国会を反動支配の道具から人民に奉仕する道具」という表現の「道具」のかわりに、「機関」という用語を使用するようにしたことであり、第三の改定は、プロレタリアートの「独裁」を「執権」に置きかえた点である。
 改定の理由は、「道具」とか「独裁」とかいう言葉の語感から説明されている。「道具」という言葉は、国会にたいする人民の尊重心を呼び起さず、「機関」という言葉であれば国会を重視する党の立場にふさわしい語感を人民に与えることができるというのである。また「独裁」のもつ語感は、「独断で決裁する」とか、特定の個人や集団への権力集中という印象を与えるから使用すべきでないという。
 賢明な読者諸氏は、この用語上の改定が、戦略上の関心から発しているものであることに、すぐお気づきのことと思う。問題は語感にあるという。用語の科学的な概念のうえで、誤まりを正すという場合には、多かれ少なかれ理論上の検討を要する。語感にもとづく言葉の問題として提出されているためにかえって、改定の政治的意図があからさまになる。つまりこれらの用語変更の意味を把握するためには、日本共産党の政治戦略の検討を直接におこなうことが要求されるのである。
 だが、そのまえに、語感の問題として処理された用語の置きかえそれ自身が、重大な概念の変更をおこなっていることを指摘する必要がある。この指摘によって、われわれがおこなうべき政治戦略の検討の結論も、予備的に浮び上ってくるだろう。
 「道具」という用語と「機関」という用語のあいだには、語感のちがい以上のものがある。「道具」という用語は、その道具をつかう主体のイメージと強く結びついて表象される。「道具」は、目的と主体を媒介するものであって、主体(目的)→道具→対象(目的)という運動構造のなかに位置づけられている。だから、国会が「道具」であるという場合には、国会を「道具」とする主体=階級が前提されているのである。
 むろん「機関」という用語も、「道具」と同じような論理にはめこむことはできる。だが同時に、「機関」を全然別の方法で使うこともできる。「機関」を主体と切りはなして構想することもできるのである。
 「機関」という用語は、客観的に独立した存在をあらわすことができる。「機関」と主体の結合は直接的ではない。「機関」を主体と結合するためには、認識は一段階突き進むことを要求される。
 「道具」という用語で国会を規定する場合、それを使用する階級の目的に従って改造するイメージを抱くことも可能である。共産党はそんなふうには言わないが、ソビエトが国会を占拠して、これがわれわれの国会だと強弁することでもイメージできなくはない用語なのである。だが、「機関」という用語の場合には、現にある国会そのものと別のものを構想することは許されない。国の「最高機関」としての現国会を、そのものとして受けとり、それを根本的に破壊してはならない。現行の国会のなかで多数派になるというイメージ以外のものを受けつけない用語なのである。
 「道具」を「機関」にかえることは、したがって次のような政治的意味をつけ加えることになる。第一には、国会それ自身は階級性を持たないものであって、階級から独立しており、たまたま国会内の多数派が自民党であるからブルジョアに役立つのであり、共産党が多数派になればちがった役割を果すのだということ、第二には、労働者・人民の権力は既存の権力を破壊するのではなく、引きつぐのであるということである。
 次に「独裁」と「執権」のちがいにうつろう。「独裁」が「執権」に置きかえられることによって、権力の概念から「排他性」が矢なわれる。「独裁」は、他を排除することが前提となっている。プロレタリアートの独裁という場合には、プロレタリアートだけが掌握し、他の階級によって本質的に左右されない権力、他の階級にたいしては多かれ少なかれ「強制」として行使される権力が表現される。だが、「執権」という用語は、権力それ自身は客観性を持ったもの、その権力を行使する主体から独立したものであって、その客観的な権力をある主体が行使するということを意味している。また、その権力を他の主体と連合して行使することも想定できる。
 このように、「独裁」と「執権」はことなった概念なのである。「独裁」は権力の本質を規定している。だが「執権」は権力の本質を規定しているのではなく、権力の行使を意味するにすぎない。
 次のように考えれば良くわかる。「権力とは何か」という問が発せられたとしよう。「それは、ある階級の他の階級にたいする独裁である」という答えには意味がある。だが、「それはある階級の執権である」というのでは同義反復であり意味がない。
 「独裁」を「執権」に置きかえることによって、共産党の綱領は、権力の規定を変更したのである。権力を階級から独立したものととらえる概念をもちこんだわけである。こうして、国会をそのまま労働者・人民の権力機関に転換することが可能だと主張する根拠が与えられるのである。労働者階級が他の階級と連合して権力を構成する道をひらいたのである。
 「道具」を「機関」に、「独裁」を「執権」に置きかえた綱領の改定は、したがって、一二回大会における議会主義路線の「発展」――人民的議会主義の戦略が、一時的便宜的な路線ではなく、革命にむけた基本的な戦略を確定したものであったことを意味している。
 人民的議会主義という言葉自身は、一一回大会から使用された。
 「国会を名実ともに国の最高の機関にするという、真に民主的で進歩的な代議制度の重視――ことばをかえていえば、人民的な議会主義……」(中央委員会報告)
 まだこの言葉は、一一回大会では、大会決議のなかには現われて来ない。
 一二回大会にいたって、人民的議会主義は報告においても決議においても、一項目を占めるようになる。それは当面の戦略であるだけではなく、革命にいたる基本的な戦略であることが主張されている。
 「人民的議会主義の立場は、その現在とともに、その将来をもっています。
 第一一回党大会の決定がすでに的確にしているように、第一に、国会の審議をつうじて、政治の実態を国民のまえにあきらかにすること、第二に、国会活動と議会外の国民の運動を積極的に結合しつつ、国会を、国民のための改良の実現をはじめ、国民の要求を国政に反映させる闘争の舞台とすること、そして第二には、国会の多数の獲得を基礎にして、民主連合政府を樹立する可能性を追求すること、これが、わが国の今日の条件のもとでの、人民的議会主義の活動の主要な内容をなすものであります。」
 「では、その将来はどうか。わが党は、民主連合政府の段階はもちろん、反帝反独占の民主主義革命をへた独立・民主日本の段階でも、さらにすすんで社会主義日本の段階でも、すべての段階をつうじて、国会を名実ともに国の最高機関とする民主的な政治制度の確立、発展をめざすものであります。」
 「このようにわが党の人民的議会主義は、当面の一時的な戦術ではなく、現在から将来にわたる一貫性をもった立場であります。そして、その根底には、社会進歩をめざす人民の意思と運動を歴史と社会発展の原動力とみなし、真に民主的で進歩的な議会制度を一貫して重視する科学的社会主義の根本的見地があるのであります。」(中央委員会報告)
 語感を口実とした綱領の用語改定が何故おこなわれなければならなかったか、いまやまったくあきらかである。人民的議会主義は、革命にいたる基本的戦略であり、さらにおどろくべきことには、社会主義社会においてさえ「国の最高機関」なのである。
 社会主義社会において、人間がどのような組織をもつべきであるかということについて、われわれは宮本顕治と論争する意欲を持たない。人間が社会主義社会に入るということは、資本主義社会が終ったということを意味するのである。資本主義社会が終るということは、階級が消滅することであり、したがって、国家も死滅するのである。社会主義社会は、国家を持たない社会である。国家を持たない社会で、なぜ、「国の最高機関」や、「真に民主的な代議制度」が必要なのかということについて、宮本顕治と論争してもはじまらない。彼の言う「社会主義日本」というのは、せいぜい「過渡期へ資本主義から社会主義への)の日本社会」という意味でしかないのである。そのような言葉使いをする宮本顕治の、マルクス主義にたいする無知をあげつらってみてもあまり生産的ではない。
 しかし、絶対に問題にしなければならないのは、ブルジョア国家の権力機関が、そのままプロレタリア革命の権力にすりかわっていくという発想である。これは社会民主主義者のもっとも基本的な理論である。パリ・コミューンのマルクスによる総括を通じて原理的に確立され、レーニンが第二インターナショナルとの闘争と、ロシア革命自身の経験によって発展させた権力に関する基本的論理を、真正面から否定する立場である。プロレタリアートは、でき合いの権力をゆずり受けて革命をやるわけにはいかない、敵の権力を打倒して自分自身の権力をつくらなければならないという立場こそ、マルクス・レーニン主義の核心である。
 人民的議会主義を持ち上げ、ほめそやした宮本顕治の一二回大会報告は、日本共産党のマルクス・レーニン主義からの最終的離脱、社会民主主義の陣営への加入の宣言として、記憶されるべきである。
 宮本顕治は、かつて、平和革命の可能性については、つぎのようにのべた。
 「五一年綱領が、『日本の解放の民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである』という断定をおこなって、そのような変革の歴史的・理論的可能性のいっさいを思想としても否定して、いわば暴力革命不可避論でみずからの手を一方的にしばりつけているのは、あきらかに、今日の事態に適合しないものとなっている。したがって、七中総の決議は、どういう手段で革命が達成できるかは、最後的には敵の出方によってきめることであるから、一方的にみずからの手をしぱるべきではないという基本的な見地にたっておこなわれた必要な問題提起であった。」
 「また、平和的な手段による革命の可能性の問題をいわば無条件的な必然性として定式化する『平和革命必然論』は、今日の反動勢力の武力装置を過少評価して、反動勢力の出方がこの問題でしめる重要性について原則的な評価を怠っている一種の修正主義的な誤りにおちいるものである。」(第七回大会、「綱領問題についての報告」)
 七回大会から今日までのあいだに一五年の時間がたしかに過ぎた。だが、当時の国際情勢は、彼らの目では「ますます有利な情勢」であった。今日、彼らは、「情勢の一定の困難な側面」を強調している。人民的議会主義の立場は、うたがいなく、「平和革命必然論」である。あるいはむしろそれよりももっと悪い、「国会革命論」とでも呼ぶべきものである。
 七回大会で「敵の出方論」を主張した官本顕治が、一二回大会では、「敵の出方」にかかわりなく、その予測を立てることもせず、まさに「一方的にみずからの手をしばる」やり方で、議会主義――平和革命のコースを主張するのは、どうしてなのか。すくなくともこの変化は、「情勢の有利な発展」にもとづくものではない。彼らの情勢分析は、そのような論拠を提出していないからである。それならばなぜ、「一種の修正主義的な誤り」とかつて主張した「平和革命必然論」を、宮本は今日提起するのか。
 われわれは、この問題にこたえることが、「日本共産党はどこへ行く」という、最初の問題提起に回答を与えるものとなると考える。そこでこの点については、次の項――最後の項で検討することにしよう。ここでは、ひとまず、一二回大会は、人民的議会主義が党の根本的戦略として採用され、綱領にまで貫徹した大会であったということ、この意味できわめて重大な、画期的な大会であったということを、確認しておこう。

c 日本共産党はどこへ行く

 宮本顕治による人民的議会主義の説明には重大な欠落がある。人民的議会主義、すなわち国会を通じる革命のコースが、なぜ、有効なのか、なぜ勝利し得るのかという根拠が、なにひとつ提出されてはいない。強調されているのは、党が真剣に、まじめに、一貫してこの議会主義を実践するつもりなのだということだけであり、なぜそうしなければならないのかという理由は、一言もふれられてはいないのである。
 人民的議会主義の戦略が科学的に妥当であるためには、その勝利の展望についての最小限度の必然性が理論的に解明されなければならない。政治的戦略の成否が、主体的実践のなかで決定されていくものであることはいうまでもないが、それでもそこに勝利の必然性があらかじめ解明されていない場合には、単純な賭けとかわるところがない。
 人民的議会主義の戦略は科学的な裏づけを欠いている。いいかえれば、倫理的な要請以上のものではないのである。倫理的要請に過ぎないようなこの戦略が、なぜ党の基本的立場として確立されなければならないのだろうか。ここまで読み進んで来られた読者の諸君には、すでに十分におわかりであろう。
 人民的議会主義の採用は、広汎な小ブルジョアジーの支持を獲得し、大ブルジョアジーの警戒心を解こうとする政治的意図にもとづいている。こうした意図にかんするかぎり、科学的妥当性は問われない。小ブルジョアジーを政治的に解体せずに、支持を得ようとすれば、科学的妥当性の追求はかえってじゃまである。問題の科学的な解明は、小ブルジョアには未来がないということを暴露するだろうからである。
 人民的議会主義は、小ブルジョアジーの平和主義的・民主主義的願望にたいする、共産党の戦略的屈服を表明している。それは、プロレタリアートの政治的な団結を、小ブルジョアジーの政治性の枠内に封じ込め、ひざまづかせようとするのである。
 だが、なぜ共産党は小ブルジョアジーに依拠しようとするのか。このことについては、すでに第一章で基本的に解明されている。共産党は、国際的同盟者を失った。「国際共産主義運動の不団結」が、共産党の革命展望をいっそう一国主義化させ、小ブルジョアジーにむけて押しやった。彼らは、プロレタリア独裁を放棄し、民主主義の忠実な保護者となることを誓って、孤立を回避しようとする。
 このようにして“自主独立”――“人民的議会主義”――“民主連合政府”は、ひとつながりの鎖のように連結している。この鎖の一方の極には共産党が立ち、他方の滋は小ブルジョアジーの階級が握っている。鎖はプロレタリアートを包囲している。以上が今日の共産党の位置と役割を示す図式である。
 さて、それでは日本共産党はどこへ行くのであろうか。 ここから先は予測の問題である。
 宮本顕治は、「人民的議会主義には将来がある」と主張する。だがわれわれは、正反対の予測を立てなければならない。人民的議会主義には将来がない。議会内多数派をめざす共産党の「躍進」は、ごく近い将来に壁にぶつかるであろう。そこから、日本共産党の新しい局面が始まるのである。
 日本共産党は、ひきさかれていく。
 第一に、その綱領の二つの要素、「反帝・独占」と「反独占・民主」とのあいだの「対立」が深まるであろう。一方における日本帝国主義のアジア進出、他方で共産党の一国主義の純化と小ブルジョアへの屈服が「反独占・民主」の傾向をますます前面に押し出しており、党の伝統的側面である「反帝・独立」の傾向は後景に退いていっている。このことは、党内の政治的分化の大きな背景をつくり出している。
 第二に、広汎なる労働者・人民の戦闘化と党の「民主主義」路線、人民的議会主義の路線との間の衝突が不可避である。人民的議会主義――人民戦線のコースは、すでに「革新自治体」において現実的な試練にさらされている。労働者・人民の直接的な利害と、人民戦線の理念との具体的な衝突がはじまっている。
 第三に、アジア革命の発展と“自主独立”とのあいだに亀裂が深まる。アジア人民の反帝闘争は、日本労働者・人民の意識に働きかけるだけでなく、日本帝国主義そのものに重大な打撃を与えることを通じて、“自主独立”の一国主義路線を左からつきくずす圧力になるのである。
 第四に、こうした政治的圧力は、党内のプロレタリア的基盤と小ブルジョア的基盤との不可避的な対立を呼び起すであろう。三〇万を超える党に成長する道程で、共産党は、党内に小ブルジョアジーの一定のカードルをすでにかかえ込んでおり、一二回大会路線のもとで、この政治傾向の比重が増大していくことは確実である。
 日本共産党は、これらの異なった、対立する力によってひきさかれていくのである。この対立を調停し、和解させる能力は、宮本指導部にしかない。だが宮本指導部の統卒力と権威は、イデオロギー的な力によっているのではなく、彼らがこの一五年間につみ上げて来た実績にもとづいている。宮本指導部の特色は、プラグマティズムにある。人民的議会主義に「将来」がある間は、この指導部は説得力をもっている。だが、事実が人民的議会主義の展望に打撃を与えはじめると、この指導部の権威と統卒力も崩壊をはじめるのである。
 社会的・経済的な危機の連続的な深化が、人民的議会主義のコースを左右から阻むであろう。「野党」をふくめたブルジョア中道派の団結が一方で進み、労働者・人民の戦闘化した大衆闘争は権力との直接的対決を他方で要求するであろう。ブルジョアジーが人民戦線を受け入れることによって、人民的議会主義の道を開く可能性は、きわめてわずかなものである。
 一二回大会の規約改正によって準備されている党の官僚主義的な統制力が、党内の政治分化と党内闘争の発展をどこまで抑止し、政治情勢の危機をのり切って階級闘争の平和期につないでいくか、宮本指導部がただそのことにだけたよらざるを得ないような激動期に投げ込まれることは必至である。そしてまさにこの期間こそ、革命派がこの党に介入する絶好の機会を提供するであろう。われわれは、この機会をのがさないために、今日から、準備を怠ってはならない。
          (一九七四・五)


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