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ベトナムの現局面とわれわれの任務

●いまベトナムの情勢はどうなっているか

動揺しながらますます凶暴化するニクソン

 ニクソンは、一度合意した九項目協定に、根本的な修正をくわだて、この修正をいまだかつていかなる国民も経験したことのない大量で無差別の爆撃によってかちとろうとしている。クリスマスをおそい、新年を血で汚した“絶滅的北爆”は、ベトナム革命人民が明らかにしたように、“南北分割”の固定化を、つまり、根元からくさりきっているチュー政権を南ベトナムの唯一つの国家として認めるように要求しておこなわれている。
 だが、このような馬鹿げた要求があるだろうか。ジュネーブ協定(五四年)が約束し、アメリカ帝国主義が一方的に破棄してベトナム人民に押しつけようとしたもの、そしてその裏切りに憤激したベトナム人民が、すでに一七年間にわたり、その粉砕と打倒を求めてたたかいつづけてきた目標こそ、まさにこの“南北分断”であり、南ベトナムのかいらい政府であった。
 アメリカの歴代大統領が、その泥沼に首までつかり、結局のところ敗北させられ、退場をやむなくされてきたのは、南・北ベトナム人民のかかげる、“祖国統一”の旗によってなのである。
 一七年間の軍事介入がどうしても手に入れることのできなかったものを、脅迫をまじえた交渉によって手に入れることなどできるはずがないではないか。大量の北爆・南爆、機雷封鎖、平定化計画、ベトナム化政策、ラオス侵攻作戦、カンボジアへの反革命介入など、あらゆる悪魔的所業の数々が、ことごとく失敗に帰しているというのに、忍者キッシンジャーの舌先三寸と、ニクソンの残忍な爆弾の雨が、三〇年間をこえてたたかいつづけてきたベトナム人民の戦意をくじくことなど、できるはずがないではないか。
 ニクソンがいま、ベトナム革命勢力につきつけている九項目協定の根本的な修正とは、ベトナム人民がそのもとであらゆる困苦に耐え、あらゆる野蛮な攻撃をも撃退して前進してきた目標そのものを放棄せよということなのである。九項目にもとづく停戦協定もまた、ただその最終的実現に近づく前進であるからこそ、革命勢力が提起したものだったのである。
 だから、いまニクソンの要求している“修正”とは、実は“修正”でもなんでもなく、交渉の一切の意味を失わせ、アメリカ帝国主義の一方的な強制の前に、ベトナム人民が膝まづくことにすぎないのである。一月八日の秘密会談の再開に際し、キッシンジャー一行にたいして、北ベトナム、南ベトナム臨時革命政府が出迎えを拒否し、レ・ドク・ト顧問が、キッシンジャーとの“慣例”の握手をすら拒否しているというのは、ベトナム人民が、このニクソンの要求をどのように受けとっているのかを如実に示している。一月六日、パリに帰任したレ・ドク・ト顧問は、“北爆は米の敗北、北ベトナムは交渉で原則を守り抜く”と高らかに宣言した。
 だが、それにしてもなぜ、ニクソンはこのように馬鹿げた“転換”を行なったのであろうか。

前進するベトナム革命勢力

 ニクソンが一度合意した九項目協定の根本的修正を企んでいるのは、南ベトナムチュー政権の崩壊が、彼らの予想以上に深刻である事実に気がつかされたからにほかならない。
 ベトナム軍・民の春季大攻勢は南ベトナム政府軍の根幹をうちくだいた。
 三月から六月にかけての軍事作戦によって、政府軍の少なくとも三つの師団が完全に撃滅された。連隊ごとの投降が相ついだ。完全に撃滅されなかった各師団にたいしても、革命勢力の政治的影響が大きくひろがった。
 第一軍管区(一七度線の南)では、第三師団が一五日間で壊滅し、第二師団は、恐怖のあまり、全然動くことができなかった。このためチューは、虎の子の第一師団をユエ防衛に投入したが、この師団は、銃殺の脅迫のもとではじめて作戦に従事したのであった。
 山岳地帯を守る第二軍管区では第二二師団が壊滅し、第二三師団では、一連隊をのぞいてすべて戦線から逃亡した。
 第三軍管区では、第五師団が壊滅し、チューは、デルタを守る第九師団、第二五師団を投入したが、彼らは、家族とはなれて戦闘をやろうとはしなかった。
 このようにして、南ベトナム政府軍の背骨が、六月までにたたき折られるとともに、七月から八月にかけて、革命勢力の農村部へのゲリラと政治的浸透が全国的に組織された。政治機構と役人は、小規模で無数のゲリラ戦によって解体された。ことに役人の多くはサイゴンその他の都市へ逃げかえってしまった。
 戦線のたてなおしをはかるチューは、この農村部でのゲリラ戦にたいしては、どのような方策ももつことができなかった。チューに残された支配地域は、ごくわずかの都市だけであったが、そこへも解放戦線の組織がねばり強くきずかれていった。地図の上でチューの支配下にあるとされているすべての農村部では、役人は夜になれば都市に逃げかえり、解放戦線の政治集会が開かれるのである。
 このようにして、九月以降、革命勢力は、停戦後の情勢にむけた準備を開始し、この準備は、一〇月三一日に完了した。すなわち、九項目の発効後直ちに、都市の大衆運動を中心にする政治闘争が、革命軍の完全な優位のもとでチューの膝元からくりひろげられる手はずがととのえられていたのである。この時期にはチューもまた、必死の逆準備にはいり三〇〇〇名の宣伝隊を農村部に送りこんだがその多くはそのまま帰ってこなかった。
 もはや明らかになっていたことは、もし九項目の協定が締結されるとすれば、南ベトナムの全土がまもなく熟柿のように革命の側に落ちるであろうということであった。まさにこのことが、チューにたいする必死の尻たたきにもかかわらず、ニクソンが思い知らされねばならなかった真実だったのである。
 革命勢力の軍事的攻勢を食いとめ、チュー政権の延命をはかるための“停戦交渉”の思惑は、このようにして粉砕された。それゆえニクソンは、以前にもまして非道な北爆の攻撃に出たのであり、その脅迫のもとで、革命勢力にチューを認めさせようという馬鹿げた冒険主義路線を再び採用しているのである。
 だが、北ベトナムと南ベトナムの臨時革命政府は、“われわれはふたたびたたかいつづける”と力強く宣言し、ハノイ・ハイフォンの上空で四〇機にのぼるB52を撃墜し、二〇〇名のパイロットを殺しかつ捕えたのであった。
 ベトナム革命勢力は、ふたたびたたかい抜いている。彼らは微動だにしていない。彼らはニクソンの脅迫に屈しようとはしない。
 まさにこのような革命勢力の前進が、さらに広汎な全世界人民のベトナム支援の渦を、大きくつくり出しているのである。

ふたたびベトナム革命にひきよせられる全世界人民の闘い

 選挙を前にして“和平”を公約しながら、当選のその日から停戦交渉の一切の成果をふみにじりはじめ、さらに北ベトナム全土への絶滅的爆撃をくり広げてきたニクソンにたいし、全世界の人民は、怒りをこめて糾弾のたたかいに立ち上がった。
 このたたかいは、資本主義諸国の政府をもつき上げ、彼らが公然とニクソンを非難するようにさせた。スウェーデン、デンマーク、オランダ、ベルギー、フランス、オーストラリアなどの諸国の政府が、昨年末に北爆非難の声明を発表し、さらに一月三日、四〇ヵ国の非同盟国が、会議をひらいて、アメリカの北爆を非難する声明を発表した。サルトルらを中心とする「ラッセル法廷」は、八日夜、全世界の「進歩的指導者」は、「ハノイへ行って爆弾をあびよう」との呼びかけを行こない、世界キリスト教評議会もまた、指導的なキリスト教関係者が、北ベトナムに行って爆撃の苦しみを北の人民と分かち合うことを決議した。国際自由労連は八日、ニクソンにたいして即時停戦を要求した。
 中国では、近年はじめてベトナム支援の大衆集会がひらかれ、ソ連もまた北ベトナム政府代表と会談をこのようにして全世界でベトナム支援の新しい動きが始まっている。
 だが、これらの新しい動きがほんとうに一つの巨大な力となってニクソンを孤立させ、その軍事冒険主義に致命的な打撃を与えることができるのかどうかについては楽観することができない。単に、それらが国際的な「世論」の水準にとどまっているかぎりはニクソンは、多少の居心地の悪さを我慢するだけで、少なくともあと四年間にわたって暴虐をつくすことができる。全世界人民のベトナム支援の叫びが、実際にニクソンの大量無差別の爆撃をやめさせ、無条件撤退を余儀なくさせるものになるためには、次のような力を持たなければならない。
 第一に、中・ソの軍事援助が、現在のような中途半端なものではなく、アメリカ空海軍が北ベトナムと南ベトナム解放区にむけて獲得している制空・制海権をとりもどすことができるような強力なものになること、さらに、今日予想されはじめている米軍と南ベトナム政府軍の北ベトナム侵攻に際しては、直接に兵力を動員して革命勢力を支援することをはっきりと断言し、その準備をおこなうこと、
 第二に、全世界の革命的人民がアメリカ帝国主義の各地における軍事基地にたいして強力な攻撃をおこない、これを麻痺させ、つきくずすこと、さらに、アメリカ独占資本の経済活動と権益、アメリカ政府の諸外国における政治活動とその機関にたいする攻撃を組織し、強力な打撃を加えること、
 第三に、北ベトナムと南ベトナム臨時革命政府が、この期間支払いつづけてきた犠牲を償い、ベトナム人民の戦闘生活を保障できる巾広く豊かな物資と資金の援助をただちに行ない、しかもそれを、単にたたかう人民の自主的な支援活動としてだけではなく、資本主義諸国の政府もふくめて、自国の政府自身の高額な無償でヒモのつかない援助としてかちとること、
 これらのことが達成されなければならない。そして今日のベトナム支援活動は、ことにいまだに傍観の立場から根本的に抜け出ようとせず、それによってニクソンの冒険主義を事実上助けている中・ソの指導部を典型として、このような実効性のあるたたかいへと高まってはいないのである。
 しかし、ベトナム革命勢力の断固たるたたかいの堅持が、全世界に新しいベトナム支援の波を呼び寄せはじめていることも事実である。第四インターナショナルは、全世界でその先頭に立っている。ことにヨーロッパとアメリカで、第四インターナショナルにいま広く結集しつつある青年達が、年末から新年にかけて、すべてのたたかいの最優先課題として“ベトナム革命勝利”の旗をかかげて、もっとも戦闘的な大衆運動をくりひろげている。
 われわれは、全世界の第四インターナショナルの同志達とともに明らかにきわめて重大な局面にはいっているベトナム人民支援、ベトナム革命勝利のたたかいを、ニクソンのすべての企らみを水泡に帰せしめべトナム革命の完全な勝利をかちとるものへと発展させるために、いまふたたびベトナムに引き寄せられはじめた世界人民の心と闘争を、勝利する方針と組織へむけて結集しなければならない。

●全世界のベトナム革命勝利・ベトナム人民支援のたたかいは
 どのような課題にむかって前進しなければならないか

ニクソンを屈服させなければならない

 すでにのべたように、ニクソンは九項目協定の実施がチュー政権の崩壊にみちびくことをおそれ、南・北分断の固定化を強要している。このことは逆に言えば、革命勢力が提起し、一度はニクソンが承認のポーズを見せた「九項目協定」が、ベトナム人民の最終的で完全な勝利にむかって大きな前進をもたらすことのできるものであることを示しているのである。むろんこの「九項目協定」は、それがすぐさま最後の勝利を意味するものではないことは明らかである。そのなかには、中・ソのアメリカとの平和共存政策にもとづいた裏切りのために、強制された「妥協」の要素が存在していることも事実である。
 だが肝心なことは、アメリカ軍の撤退であり、革命勢力が軍事力と経済力の補給をおこないながらチュー政権の足もとで大衆的な政治闘争をくりひろげる余地を獲得することである。このことを保障するかぎりで、「九項目協定」は革命勢力にとっての武器になりうるのである。
 したがって全世界人民の第一の任務は、ニクソンが「九項目停戦協定」を即時に受けいれるように追いつめ、屈服させることである。そのために、全世界であらゆる攻撃が、人民の実力闘争によって、アメリ力帝国主義に加えられなければならない。
 アメリカ帝国主義の軍隊は、全世界に目と手足をもっている。この膨大な体系に支えられながら、彼らはベトナム反革命介入をはじめてなし得ている。全世界人民の共通の任務は、まずはじめに、自国に存在するアメリカ軍事基地、軍事機関を攻撃して、彼らの目をふさぎ、手足をもぎとることである。
 つぎに彼らの巨額の軍事費をまかなう財源が、アメリカ独占資本が全世界から吸い上げるドルのパイプによって供給されていることに注目しなければならない。アメリカ商品をボイコットし、アメリカ系企業を攻撃してその権益を傷つけるたたかいは、彼らのベトナム介入の経済的基礎をゆるがすのである。
 このように、アメリカ帝国主義のベトナム軍事介入を実際に動揺させ、断念させるうえでの具体的効果を発揮するたたかいが、全世界人民の共通の実力闘争の目標にならなければならない。それらの具体的な大衆闘争の成果を示威し、いっそう広汎な人民のたたかいへの結集を呼びかけるために組織されるときにはじめて、種々の政治的デモンストレーションに意義が与えられる。これらの政治的デモンストレーションは、その目標―アメリ力軍事介入の阻止、アメリカ軍(南ベトナム政府軍)の全面敗北―にふさわしい形態と広がりと行動目標をもたねばならない。全世界のアメリカ大使館、CIAを中心とする軍事、諜報機関等々を攻撃し、解放戦線旗をうちたてよ!
 われわれは全世界で、このような大衆闘争に決起し、「九項目協定」の即時受け入れにむけてニクソンを屈服させなければならないが、それだけでは十分でない。同時にたたかいとらねばならないのは、チュー政権にとらえられている全政治犯の即時釈放である。
 現在南ベトナムには、公式に確認されている約五万人の軍事捕虜と、(このうち約四分の一が北ベトナム軍兵士であるとされている)約三十万人とされる政治犯―その多くは、全く無差別に闇から闇へ連れ去られた人々であり、南ベトナムの知的、指導的な世代の大部分と、勤勉な労働者・農民の多数をふくんでいる―がとらえられているといわれる。この人々はこれまでも勇敢に第一線でたたかいを担ってきたが、今後のたたかいの発展と、さらに解放後の経済建設においてもなくてはならない人々である。だがチュー政権は、これらの人々に、想像するだけでも背筋が寒くなるような拷問と虐待を加え、系統的に殺害しつつある。しかもさし迫った危険は、チューが絶望的状況のなかで、この人々の皆殺しの挙に出ることである。すでにゴ・ジン・ジェムが、その先例を作っている。われわれはニクソンの屈服のためにたたかうとともに、南ベトナム全土に分散して閉じこめられている三〇万人以上の全政治犯を即時釈放するように要求して、世界的な大衆行動をつくり出さなければならない。

長期抗戦に備えること

 だがわれわれは、ニクソンが、決してやすやすと「九項目協定」にもとづく即時停戦を受け入れないであろうことを知っている。彼には少なくともあと四年間のフリーハンドが保障されたと考えている様子が見える。この四年間のうちに、彼はどれだけの英雄的ベトナム人民を殺害し、その財産を破壊するであろうか。
 彼が今日の勝ち目のない介入をさらに長期に引き延ばす危険を軽視することはできない。
 ベトナム革命勢力は、長期戦を恐れてはおらず、それにそなえている。全世界の人民もまた、革命勢力の長期抗戦にそなえ、自らの支援組織と支援運動を、ねばりづよくつくり上げていかなければならない。このような戦線をきずき上げることができるならば、もちろん革命勢力の支払う犠牲が増大するではあろうが、しかしそれにともなってニクソンとアメリカ帝国主義の使い果たす軍事的経済予備力もまた底をつき、彼らの敗北はそれだけ完全な、根本的なものになるであろう。たたかいが長びけば長びくほど、アメリカのかかえこむ矛盾は雪ダルマ式に増えてゆく。そしてそれゆえにまた彼らの軍事的冒険主義は、いっそう絶滅的で野蛮なものになっていかざるをえない。北ベトナムへの侵攻や、さらには核兵器の使用さえもありうるのだ。
 このような局面に際しては、北ベトナム政府と革命軍の要求のもとに、中・ソの軍事力の全面的動員、ベトナムへのアメリカの核兵器の使用にたいしてはアメリカ本土にたいする対抗的な核攻撃をもふくめた断固たる国際的支援活動を展開する権利が主張されるべきである。そしてそのようなさし迫った時期には、アメリカ国内を中心として、全世界人民がすべてのアメリカ帝国主義軍事力にたいする武力による叛乱に決起しなければならないのである。
 このような毅然たる態度のもとでのみ、ニクソンのエスカレートする冒険主義をはばむことができる。ベトナム人民の生命に、全世界の重みを加えねばならない。

停戦後の情勢に捕えること

 ベトナム革命勢力と全世界人民のたたかいが、ニクソンを屈服させて停戦を実現した場合、ベトナム人民の最後の勝利をめざすたたかいが、そこで中断されるのではないこと、革命勢力のいっそう攻勢的な進撃がそこから開始され、反革命のいっそう陰険で凶暴な延命のたくらみがはじまるのであることを知らなければならない。
 アメリカはすでに、一万人以上の私服を、すなわち、諜報部員、テロリスト、いわゆる軍事顧問、経済顧問等々を新しく送りこんだといわれている。同時に彼らは、膨大な量の近代兵器をチューに貸し与えた。この結果、南ベトナムかいらい軍は、世界第四位の軍事力をもつにいたったとされている。
 停戦が実現したとしても、ベトナム戦争がアメリカの戦争でなくなるわけでは決してない。アメリカの大量兵器で武装したかいらい軍隊が、アメリカの司令下で、私服のアメリカ軍工作員の直接指揮のもとで、必死に生きのびようとして悪あがきをつづけるのである。
 停戦協定は、ベトナム革命の進撃を停止させるものではない。革命勢力は、都市における大衆行動を発展させるとともに、農村部、山岳部における革命権力をしっかりとかため、チューの最終的打倒の好機をつくり出すであろう。一切のかいらい政権にトドメをさし、この戦争の全てが革命の完全な勝利として終る日にいたるには、まだ長いたたかいの日々が残されている。
 全世界人民は、ニクソンがとりかわす「協定」にはなんら束縛されるものではない。全世界人民がアメリカ軍事力に公然と挑戦して仕かける「世界人民戦争」には、一日たりとも停戦はない。いやまさにこのような戦闘を、全戦線でつくり出すことが、停戦後のベトナム革命の前進を真に支援することができる。
 しかしまたわれわれは、ジュネーブ協定の運命を想起しなければならない。それは反革命の一方的じゅうりんのもとで絞め殺された。中・ソの平和共存政策は、これに見て見ぬふりをした。
 われわれは「九項目協定」が実現したとしても、ニクソンとチューがそれを一方的に破棄して、再び公然たる軍事攻撃に転換する危険をあらかじめ見ておかなければならない。「停戦」の期間はそれゆえ、革命勢力が再度の全面的な軍事行動にそなえるために補給と経済建設をたたかいとる期間でもある。北ベトナムと南ベトナム臨時革命政府にたいする全世界の物資と資金援助は、停戦実現とともにいっそうの重要性をもつのである。大衆的な支援とともに、国家的支援をもかちとるように、「ベトナム支援」のカンパ活動と政治行動を、全世界人民と全世界の国家にたいしてくりひろげようではないか。

われわれにとってベトナムとは何か

 「アメリカ侵略者とたたかいこれを敗北させること、これはベトナム革命と世界革命かわれわれの現在の生活と今後のすべての世代の将来のために、さし迫って必要とすることである。ここに、わが党と人民の栄誉と誇りがあり、祖国と世界の革命的人民にたいする義務がある。どのような犠牲と困苦に直面せねばならないとしても、また戦争がどんなに長くきびしくあろうとも、われわれは歴史によってわれわれに課せられたこの光栄ある使命をはたす決意である。」(レ・ジュアン『ベトナム革命』新日本出版社刊・七三ページ)
 北ベトナム労働党の第一書記レ・ジュアン氏は、このようにのべている。氏は、この革命が、ベトナム人民の四半世紀をこえる解放革命の一つながりのすべてをどの一つも断ち切ることのできない連続として、自国人民の完全な解放をかちとるまでたたかい抜かれるものであるとともに、それが、世界の人民にとってさし迫った敵であるアメリカ帝国主義の打倒をめざすことによって、世界革命の重要な環であることを主張している。
 氏はこのベトナム革命が、植民地従属国たるベトナムへの民族的抑圧をはねのけることから出発して、社会主義ベトナムの建設にいたるまでとどまることのできないたたかいであることを主張する。
 「過去十余年にわたって進行してきた社会主義革命は、まだ最初の成果を刈り取ったにすぎない。にもかかわらずこの成果は極度に重要である。それは政治、社会、文化、経済とすべての分野で北ベトナムの姿を根本的に変えたし、またかえつつある。それは北ベトナムを、国全体に民族民主革命を完成するための根拠地、ますます強大になる根拠地に変えている。わが人民は、社会主義を建設し、アメリカ帝国主義者がしかけた破壊戦争を完全に挫折させ、アメリカの侵略に反対し救国をめざす抵抗の偉大な前線にたいする大後方地としての任務を完遂することによって、われわれの時代の最大の真理、すなわちこの時代には民族独立と民主主義と社会主義とは切りはなせないものだという真理をいきいきとえがき出している。」(同、二二ページ)

 それゆえにこの革命は、プロレタリアートをその権力の担い手につけ、広汎な農民・小ブルジョアジーをその支持者として獲得するプロレタリア革命なのである。
 「労働者階級こそ勤労人民をその運命の主人に引き上げることができるただ一つの階級である。ベトナムのプロレタリアートは年は若く少ないが、まぎれもなく革命的な階級である。」(同、二四ページ)
 「農民層それ自体では、土地革命を遂行することさえできぬ。古い型のブルジョア民主主義革命では、土地問題はブルジョアジーの路線と利益に一致する限りにおいてしか解決できなかった。あたらしい民主主義革命では、土地革命はプロレタリアートの指導のもとにプロレタリアートの観点と路線にもとづいて遂行されねばならない。」(同、二八ページ)
 「したがって、民族民主革命が勝利のうちに完成すれば、これは同時に社会主義革命の開始を意味する。労働者階級に指導される労農革命権力は、ただちにプロレタリア独裁の歴史的任務、すなわち社会主義革命の遂行と社会主義の建設にとりかかる。」(同、七七ページ)
 このようなプロレタリアベトナム革命は、当然のこととして合法的になしとげるわけにはいかない。
 「一九四五年八月革命のなかでわが党は、権力を獲得するために、暴力革命と反乱の法則を創造的に適用した。」(同、五三ページ)
 「革命情勢がゆきわたっているとは、権力獲得の問題が直接さし迫っていることを意味する。どのようにして権力を獲得するかは、各国の特殊な条件に依存する。しかし、どのような状況のもとでも、権力へのただ一つの道は、革命であって改良にはない。
 革命は、階級闘争の頂点として出現し、被抑圧階級は、政治権力の問題を解決するために、暴力をもって支配階級に対決するのをつねとする。暴力はさまざまの形態であらわれ、さまざまの形態で行使されるであろうが、要は、革命的暴力はかならず二種類の勢力、すなわち武装勢力と政治勢力に依拠し、かならず二つの闘争形態、つまり軍事闘争と政治闘争の形態および両者の組み合せを含むといってよい。」(同、五一〜五二ページ)
 ベトナム革命はそして、世界革命の環である。全世界の革命的人民は、この環を自らの革命闘争の課題としてとらえるべきである。すでに権力を樹立して、プロレタリア国家を形成し、経済建設の局面に入りこんでいる諸国が、自分自身のせまい一国的利益の観点から帝国主義との平和共存に転落して、世界革命の環にたいする共同の任務を忘れ去るとすれば、それは世界革命にたいする重大な裏切りである。
 「現在の国際情勢は、第一次世界大戦前後のそれとは根本的にちがっている。いまや社会主義世界体制と、社会の社会主義的変革をめざし帝国主義にたいしてたたかっている勢力とが、人類社会の歴史的発展の本質的な内容、方向、特徴を形づくりつつあるとき、帝国主義のくさりの中の残った部分で弱い環を破る可能性は、いままでになく高まり同時に世界戦争を防ぐ現実的な可能性があらわれている。世界のプロレタリアートと人民の基本的な利益は、各国で革命を前進させつつ、世界平和をまもることにある。これら二つの目的はそれぞれ互いに前提条件となり、有機的に結びついている。世界革命の戦略攻勢の姿勢を十分意識している共産主義者が、世界革命のすべての潮流、平和・民族独立・民主主義・社会主義をめざしてたたかうすべての勢力を一つに合わせた統一戦線の樹立に成功さえすれば、そして、帝国主義者がおこすすべての侵略戦争を打ちやぶり、帝国主義者の好戦的な動きやたくらみを一つ一つ失敗させ、帝国主義を一歩一歩後退させ一つ一つたたき伏せ、最後に帝国主義を全体として打倒することを決意さえすれば、上記の二つの目的は、二つとも完全に実現できる。」(同、五〇ページ)
 レ・ジュアン氏はこのようにのべている。
 われわれ、すなわち、自らの解放を全世界の解放と同じ課題として達成しようとする全世界の革命とは何であるかを、レ・ジュアン氏の語る言葉のなかから、するどくつかみとることができる。
 ベトナム革命は、第二次世界大戦とともにはじまった、革命の第二の高揚(それはロシア革命とともにヨーロッパにあれ狂った第一の世界革命の波を引きつぐものであった)の時代の成果を、その後のソ連・中国のスターリニスト官僚によるアメリカ帝国主義との平和共存の拘束に抗して守りぬき、第三の世界的な革命の時代へと引きつぎ発展させるものである。
 ベトナム革命は、レ・ジュアン氏のいまだ十分に明瞭とは言い難い表現を通してさえも、自らを永久革命であると告白する。それは、北と南の分断を拒否し、北を全土の解放と社会主義へ向けた根拠地であるとして強化しようとする。ここに、革命の基本的な法則たる永久革命の真理がある。だからそれは、中・ソ等の「社会主義国」による平和共存政策にあくまでも抗して、真に世界平和をかちとろうとするならば同時に各国の革命を勝利させ、アメリカ帝国主義を打倒するまで追撃をやめてはならないと主張する。
 このようにしてベトナム革命は世界帝国主義の最大の盟主たるアメリカ帝国主義に、いまだかつて誰からも受けたことのない軍事的政治的敗北を与えつづけている。レ・ジュアン氏もいうように、アメリカ帝国主義こそは、全世界人民共通の、さし迫った敵である。
 だからベトナム革命は、自らの解放をたたかいながら、同時に全世界の解放を、その先頭でたたかっているのである。
 ベトナム人民は、現代世界の前衛である。ベトナム革命は、同時に世界革命なのである。
 「わが人民は、世界諸国人民が人類のもっとも危険な敵、アメリカ帝国主義に反対してたたかっている革命闘争の前衛に立っていることを限りなく誇りにしている。われわれは誓う、アメリカ帝国主義とその手下の侵略をうち破り、わが愛国の抗戦を勝利の結末までみちびくために全力をあげることを。それによって、われわれの神聖な民族的義務と崇高な国際主義的責任を果たし、世界中のわが兄弟、わが友人の信頼にあたいすることを。」(同、一七五ページ)

●ベトナム革命――われわれはなぜ、そしていかに闘うか

ベトナム革命の前進は何をつくり出したか

 自国の解放を、世界の解放の最前線でたたかいぬいているベトナム革命は、それゆえに、全世界の帝国主義と革命的人民の力関係を大きく変えつつある。
 アメリカが伝統的にとりつづけてきた中国封じ込めの政策を転換し、平和共存の路線に転じなければならなかったのも、ベトナム革命の進撃によって強制された事態であった。そして、そのことが、アジアの他のかいらい政権、反共諸国の危機を引き起した。韓国とフィリピン、この二国はこのような変化がもっともするどい形であらわれた国である。
 ベトナム革命は、このようにして新しい危機―革命的好機の情勢を、とくにアジアにつくり出している。それは、タイ、マレーシア、台湾、そして日本へと波及している。インド、パキスタン、セイロンもまた、新しい情勢を成熟させている。アジア全体の規模にまたがる激動が、確実に訪れようとしている。
 ベトナム・インドシナ革命―それは真実に現代アジア革命の震源地なのである。
 「だが、それだけではない。ベトナム革命がつくり出したものは、全世界の、ソ連・東ヨーロッパをふくむ全世界の、戦闘的青年の世代である。フランスの五月で、チェコで、そして日本でも登場した青年の新しい急進化にとって、ベトナム人民の非妥協的な戦闘のねばりづよい持続こそが、最良の教科書であり、最高の模範であった。この世代は、その多くが、スターリニストによってゆがめられて伝えられている公認のひからびた“マルクス主義”のかわりに、生々とした人民的英知の宝庫たるベトナム革命から学ぼうとしている。そして、それに助けられて、マルクス・レーニン主義の真髄に、すなわち具体的な歴史の過程で生きた武器としてきたえ抜かれたマルクス・レーニン主義の諸原理に到達しようとしていて、そのもっともすぐれた部分は、いまや第四インターナショナルとトロツキズムの旗のもとに結集しつつある。
 第四インターナショナルは、長い期間の孤立を脱して、真に大衆的な世界党建設の道をふみ出している。そしてその根拠には、第一番目にあげなければならないものとしてベトナム人民の勝利的なたたかいがある。
 ベトナム革命は、自らの解放のためにたたかい抜くことを通じて全アジア的な革命情勢をきずきあげ、そして同時に新しい世界革命前衛の巨大な可能性をもつくり出している。
 だから、全世界の革命的人民が「ベトナム革命の勝利」をめざしてたたかうことは、第一に、直接にベトナム人民を助けることによってアメリカ帝国主義打倒の戦線に加わり、そのようにして世界革命の前進をかちとることであり、第二に、そのたたかいがつくり出す情勢の有利な進展を活用して自国支配階級打倒をたたかい、それによって世界革命の新しい環をつくり出し、第三に、真に革命的な思想と組織に到達して、世界革命の基本的な武器である世界党建設に参加することである。これら三つのたたかいは、どの一つをきりはなすこともできない。なぜなら、これら三つのたたかいこそ全世界のプロレタリアート、被抑圧人民の解放にいたる永久革命の現在における基本的な道筋なのであるから、そしてこれこそが、ベトナム革命から学ぶことであり、ベトナム革命を完全に勝利させる方法であるのだからである。

日本人民のたたかいはベトナム革命と一つである

 『世界革命』二九五号でわれわれは、いま日本人民が突入しつつある新しい激動の情勢、革命の時代の到来をはっきりと提起した。そしていまここでそれを補足して次のようにいわなければならない。
 日本人民のたたかいは、ベトナム革命と一つである、と。
 日本帝国主義の危機は、田中政権の根本的な危機として政治的にあらわれ、加速的なインフレとして経済的に現象している。だがその真実の背景は、アメリカ帝国主義の衰退にもっとも本質的に存在している。ベトナム革命が作り出したアメリカ帝国主義の危機が日本ブルジョアジーの対中国平和共存路線への転換、それにもとづく日本人民の反安保・反四次防闘争の高揚、そして国際経済における日本の孤立、日本経済の構造的危機の深まり、これを救済しようとする国家財政の急激な膨張とインフレ政策をもたらしたのである。
 田中政権は、このようななかにあってもなお、ベトナム革命にたいする敵対、アメリカ帝国主義への反革命的支援をやめようとはしない。逆にアメリカ帝国主義の後退が深まれば深まるほど、ベトナム反革命戦争への日本ブルジョアジーの役割は、強まっているのが事実である。
 それゆえ日本人民が、ベトナム革命勝利のためにたたかうことは、国際主義的責任であるばかりではなく、自らにますます強められてきている抑圧をはね返し、自らの解放をたたかいとることなのである。反革命が国際同盟を結んでいる以上、たたかう人民が国境をこえて団結することは、革命の現実的必要であり、必然である。

ベトナム革命完全勝利  ――いかに闘うべきか――

 われわれはすでに、ベトナムをめぐる情勢の今日の特徴と、全世界の革命的人民が、どのような任務にむけてたたかわなければならないかをのべた。日本におけるわれわれのたたかいも、例外ではない。
 だが、われわれがいまここで確認すべきこと、とくに強調しなければならないことは、日本の人民がはげしく急進化しつつあるとはいえ、ベトナム革命勝利の課題に十分に組織されるまでにはまだ二つの障害をのこしているという点であり、それをいかにして突破していくべきなのかという点である。
 その第一点は、日本人民のいまだ多くの部分が、ベトナム革命を「平和主義」の立場から、すなわち、「戦争にまき込まれたくない」という立場から眺めているということである。このため、自国の土地が、ベトナムにたいする反革命の基地として使われていることに反撥はするけれども、直接にベトナム人民を勝たせようという意識に高められることがすくないのである。第二点は、このような「平和主義」に支えられ、かつ逆にそれを促している共産党、社会党が、日本人民のいまだ多くの部分を統制しているという事実である。
 したがってわれわれのたたかいは、ベトナム支援にむけて人民のいっそう広汎な部分を、ベトナム革命と日本人民の運命が基本的に同じ利益を有しているということの自覚にいたるようにすることでなければならないし、しかも共産党、社会党の思想的・組織的(官僚的)統制をうち破るような大衆運動をもって組織するのでなければならない。
 いま日本の人民は、一方でますます広がりつつある住民闘争をたたかいながら、全体として春闘に立ちむかおうとしている。この春闘は、耐え難さを増しているインフレとのたたかいであり、田中政府との最初の対決であるがゆえに、全人民的な広がりのなかでたたかいぬかれなければならないものである。そしてこの時期にベトナムは、決定的な日々をむかえるのである。
 春闘を強力な政治ストライキへ高めて、田中政府のベトナム反革命加担を全面的にやめさせるようにたたかわなければならない。政治的統一行動をつみ重ねて、アメリカ軍事基地と軍事行動の撤去と阻止のために、全人民的な包囲をつくり出さなければならない。
 交通労働者はアメリカ軍事物資の輸送をはばみ、通信労働者はアメリカ軍事基地における労働の提供を拒否しなければならない。すべてのサービス業に従事する労働者は、ベトナムからの無条件の撤退の日まで、アメリカ軍事要員にたいする一切のサービスの提供をこばまなければならない。日本人民の全体が、アメリカ軍事力にたいする敵として立ちあらわれなければならない。
 もちろんこのようなたたかいは、全国的な統一戦線のもとでのみ効果的に展開されるであろう。今日、共産党、社会党が、こうした戦闘的な統一戦線をつくり上げようとはせず、春闘における賃上げ額のつり上げにだけ狂奔するであろうことは、いまから明らかである。しかも、われわれが共産党、社会党を強制してこのようなたたかいに引き寄せることができる力をもってはいないことも事実である。
 だが、たとえどのような規模においてであろうとも、もっとも核心的な任務を果すことからでなければ、たたかいの真の発展はない。われわれの力の小ささを理由として、世界革命の最も重要な課題を引き受けようとしないとすれば、われわれは大衆から公認された前衛の位置に、いつまでもつくことができないであろう。
 同志諸君! 読者諸君!
 職場でわれわれは、ただちに次の任務に着手しなければならない。ベトナム支援のための討論集会を組織せよ。そこでは、本紙を中心とする第四インターナショナルの一貫したベトナム革命勝利の立場を確認し発展させ、同時に共産党、社会党の「支援運動」の日和見主義の立場と比較し、その理論的克服と実践的克服の方針を見出さねばならない。さらにそこでは、この春闘の期間に、職場の労働者大衆の大多数を、ベトナム支援にむけて獲得する目標と方法が決定されなければならない。
 諸君、しかしそこでとどまってはならない。諸君はその目を地区の労働者全体、産別の全体にむけなければならない。そうしなければ、実際に有効な打撃をアメリカ軍と日本政府に与える目標を見出せないし、その部隊をつくり出すこともできないからである。職場のわれわれのグループは、地区の他の職場を工作し、産別の他の分会の労働者に工作し、地区・産別のベトナム―インドシナ連帯委員会をつくり上げなければならない。この課程で、われわれは自らの宣伝・煽動・組織の能力を試し、きたえ、かつ自らの思想的確信を不動のものへ高めなければならない。
 このような組織的なたたかいのなかで、すべての連帯委員会が、自己の明確な攻撃目標を定め、系統的持続的な戦闘をつくり出すべきである。そしてそれが具体的な打撃を敵に与え、具体的な成果を味方にもたらす程度に応じて、われわれの大衆的説得力は増大するであろうし、組織的前進をなしうるであろう。
 このような各地区・産別拠点における成果にふまえて、われわれは中央における統一闘争と統一戦線をつくり出すことができる。そのたたかいは、敵にたいしてはできるだけするどく具体的な打撃を与えうるものでなければならず、大衆にたいしては可能なかぎり多様な方法で、さまざまの段階にある意識を一歩づつ高めていくことができるような呼びかけと目標を具体的に提起する、組織的な活動でなければならない。
 われわれは絶対に次のような誤りをおかしてはならない。すなわち共産党、社会党との対決を避け、彼らのもとにある大衆を獲得しようとはせずに、あらかじめ革命的な感性と立場で武装されているような活動家だけを対象とする運動に限定してしまう、セクト主義の誤りをおかしてはならない。共産党―社会党、彼らといえどもベトナム人民に公然と背をむけることはできない。彼らを論争に引き込み、彼らに具体的な課題をつきつけ、大衆の公然たる注視の前でその仮面をあばかなければならない。
 われわれは、このようにして、日本人民のもつ二つの弱さ――彼ら自身の「平和主義」とその指導部の日和見主義――を、のりこえていかなければならない。そのことを通じてわれわれは、わが日本人民が、ベトナム人民の信頼にこたえることができるような人民へ急成長するたたかいの第一歩を、そしてわれわれ自身が、この任務をにないうる「前衛」の名にあたいする前衛に成長していくたたかいの第一歩を、踏み出さなければならない。
 ベトナム人民の前途は長く険しい。
 今日勝利できなくても、明日は、そして明後日にはかならず、わが日本人民とベトナム革命の現実的な合流を、たたかいとろうではないか。
          (一九七三年一月一一日)


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