まえがき
早大生川口大三郎君が「内部ゲバルト主義」を醜悪な党派性としている革マル派に虐殺されて一年を経ようとする今日、本書をすべての戦闘的な人々に提供する。
日本新左翼運動が、それぞれの「党派性」を区別するために「ゲバルト」を交換しあうようになってから長い期間が続いている。その間、実に多くの活動家が傷つき、政治活動から闘病生活を強いられ、そして命を絶たれた。更にこの一年、「内ゲバ」は、「暗黙のルール」を破って、個人襲撃を目的として手段を選ばずに「エスカレート」をくりかえしている。こうした「内ゲバ」は、どれほどブルジョアジーとその国家権力を喜こばせ、どれほど多くの戦闘的人民を革命運動から離れさせたろうか。
それだけではない。自民党支配体制が根本的に動揺を開始し、労働者人民の闘いが未曽有の規模で高揚している今日、この闘いに背を向けて「内ゲバ」を横行させているのだ。「内ゲバ」は敵権力と右翼私兵の武装に手を貸している。そして人民戦線派の急進派排除を有利にさせている。広範な労働者人民が勝利の一歩を踏み出そうとするこの時に! 「内ゲバ」によって、戦闘的階級闘争そのものが困難な局面を強いられているのだ。
「内ゲバ」によって反対派の主張のみならず肉体までも抹殺した最初の張本人はスターリンである。ゲー・ペー・ウーを設け、のみならず暗殺者・テロ集団を全世界に派遣したスターリニストの凶弾に倒れた戦士たちは、数十万にものぼる。その多くは、ロシア革命を永久革命と世界革命の観点から防衛し、スターリンを告発しつづけたトロツキストである。そして第四インターナショナルの創始者であり、ロシア革命の最大の指導者の一人であったトロツキーは一九四〇年、メキシコの地でスターリンが派遣した暗殺者の手で生命を奪われた。
第四インターナショナルは結成から今日に至るまで、否、一九二〇年代から「内ゲバ」の被害を最も集中的に被ってきた。だがまたスターリニストの暗殺・テロを撃退しつつ、一貫して「内ゲバ」の幣害を説いてきた。その武器は、レーニン・トロツキーが指し示す大衆的権力闘争の思想である。
本書は、スターリニズムに起源をもち、日本新左翼党派のなかに異常な発達を遂げた「内部ゲバルト」の歴史的・階級的基礎の解明と限界を明らかにした諸論文を収録したものである。そして日本新左翼党派が、大衆闘争の急進的高揚と自らの一国主義綱領の矛盾を「内部ゲバルト主義」への転落という形で自壊していく戸口に発刊される。この自壊して行く歴史を「完成」させるのは、戦闘的なすべての戦士たちである。
一九七三年一〇月一〇日
《国際革命文庫》編集委員会
目 次
まえがき
革命的暴力か内ゲバ主義か……矢沢和彦
早大生川口大三郎君虐殺に抗議し、戦闘的・民主的学生運動の再建を訴える
内ゲバを追放せよ
「内部ゲバルト」反対
暴力一般とその行使について
日本「新」左翼「内部ゲバルト主義」は、「官僚の政治学」への堕落である
連合赤軍とわれわれの立場
相模原における中核・革マルの内ゲバは利敵行為である
あとがきにかえて
革命的暴力か内ゲバ主義か
矢沢和彦
第一章 革命的前衛の緊急の任務
――「新」左翼の腐敗を突破せよ――
連合赤軍の悲劇に加えて、川口大三郎君虐殺の記憶が、まだ生々しく人々の脳裏をとらえているというのに、ふたたびいま「新」左翼セクト相互の襲撃、リンチ、計画的な傷害、そして殺人があいついでいる。早稲田大学構内に居直ろうとする革マル派のテロ支配のために、すでに百人をこえる活動家諸君が重軽傷を負い、また革マル派の活動家自身も二名を殺された。革マル派、中核派、解放派などが相互に「ウジムシ」「青ムシ」「反革命カクマル」「宗派」などと呼び合い、殲滅を宣言し、スパイを放ち謀略をはりめぐらし、機関紙上でその「戦果」を大々的に宣伝し、おのおのもはや「全滅寸前の敵」を「最後の一匹まで掃討する」決意を恥しげもなく披瀝しあっている。
もはやまったく正気の沙汰とは思われない。いくらかでも、社会党・共産党の堕落と腐敗に憤りを覚え、街頭や職場で戦闘的なたたかいをくりひろげて来た「新」左翼に心情的共感をいだいて期待をつないで来た労働者・人民諸君も、度重なるこの醜態にすっかり落胆している。この醜態はすでに「若気の誤ち」を通りこしている。いかに善良で気の長い人々であっても、この殺し合いの論理と現実のなかからなにか力強く革命的なものが育って来るだろうと待ち望むことは、まるで虚しいことであると覚り切ってしまった。殺され、両手両足の骨を砕かれ、失明させられ、そして通学の権利を放棄させられた数百の活動家諸君には、それぞれ親もいれば恋人もあり、多くの友人達もいる。権力の弾圧が生んだ悲劇においては、人々の悲しみは新たな革命的決起の土壌を肥やす豊かな涙となって降り注ぐ。だが、これらの内ゲバの犠牲者たちが呼び起す悲しみのなかでは、葬列を立ち去る人々のあとには不毛の砂漠だけがとりのこされ、その砂漠の片隅で、以前にも増して憎悪をつのらせた諸セクトだけが、一滴でも多くの血を相手に流させることが自分が生きのびるための最後の手段であると、ますますきびしく吹きつける寒風のなかで牙を噛む。
ところが、この事態のなかで予期せぬ収益で大喜びをしている政治勢力がちゃんと存在している。その筆頭所得者は帝国主義支配階級とその政治部であり、とりわけ政治警察にとっては、こんなうれしい贈り物はないのである。人件費、行動費、宣伝費、反革命諸設備の減価償却が一切不要で、活動家は減り、闘争は減り、孤立が深まっておまけに豊富な情報が手に入る。なによりもかんじんのことは、この度重なる内ゲバが、政治警察のあらゆる弾圧をあらかじめ効果的に正当化してくれることである。おたがいに殺し合っているほどだから、彼らが死ぬこともやむをえなかろう。それにリンチのひどさを見れば、少々の拷問もまあ仕方なかろう。ようするに彼らは人ゴロシなのだから、世の中から隔離しなければなるまいなあ……と人々に思いこませてくれるわけである。各派それぞれの言い分に耳をかたむけ、その説明を納得してくれるならば、われわれがけっして人ゴロシではないのだとわかってくれるだろうなどと期待するのは、あまりにもムシが良すぎるというものだ。人民の圧倒的多数は、革マル派の「解放」や中核派の「前進」、解放派の「解放」の読者ではないのだ。これらの諸セクトがそれぞれがんばって機関紙の拡大につとめたとしても、警察と右翼が諸君をそれこそふみつぶしてしまうほうが百倍も早いし、そのとき抵抗できるとするなら、いままだ読者にもなっていないそれらの人民が、諸君の味方になってくれる場合だけなのだということに、これらのセクトの諸君はまるで気がつこうともしない。
喜んでいる勢力はまだある。おこぼれにあずかる人民戦線派、なかでも日本共産党である。
この宮本顕治の党は、チリの反革命軍事クー・デ・ターで大きな打撃を受けるところであった。「社会主義へのアジェンデの道」と「社会主義への宮顕の道」がどんなに似ているかを力説して、彼らは日本民主連合政府の説得力を高めようとして来た。もしチリ人民の革命的総武装への道をいそいで採用しないとすれば、つぎに待っているのはクーデターと戦闘的人民の虐殺であることを、われわれ第四インターナショナルがいかにくりかえし警告しても、彼らの幻想をさますことはできなかった。そこに、彼らにとっては降って湧いたようにクーデターが起った。こんどは彼らは、「アジェンデの道」と「宮顕の道」がどんなに違っているかを強調しなければならなくなった。苦しい立場に追い込まれたのである。
ところが、チリ反革命とちょうど同じ時に草マル派による連続的テロ、解放派のリンチ・殺人等々が起った。
宮本頭治の党にとって、こんなにうれしい同時性は、めったにあるものではない。「アジェンデの敗北は、極左のせいだ!」と叫びたてることが、一挙に容易になったのである。チリクーデターの真因はMIRである、これがいま共産党が日本国内でもっぱらわめきたてている説明である。むろん厚顔無恥でならした宮顕の党とはいえ、こんな説明がもっと事情に明るい人々のあいだでも通用する理屈であるとは思っていない。十月のはじめに開かれたチリ人民連帯の国際集会の席上でわが日本共産党の代表は、MIRの悪口を一言も口にしなかった。だからこの説明は、とくに国内向けにしつらえられたものなのであるが、内ゲバにたいする人民の嫌悪をたくみにとらえた「政治的」技術と言えるのである。
こうして官本顕治は、すくなくとも当面、人民戦線の苦境を救ったと思い込んでいる。人民戦線の苦境がほんとうに救われたのかどうかはまだ先に行ってわかることであろう。だがいずれにせよ、内ゲバから予想外のおこぼれにあづかったものが、反帝反スタの革マル派や中核派が深く憎悪し敵対しているはずの、他ならぬ日本スターリニスト党であったというこの事実を忘れるべきでない。
内ゲバというものが、必ずこういった効果を生み出すのだということを、われわれはもう何回主張して来たであろうか。だがわれわれの主張だけでは、現に内ゲバはなくならないし、その生み出す階級闘争における損失が軽減しているわけでもないことを、われわれは直視しなければならない。そして、さらにわれわれは、量が質に転化する決定的な転機が、刻々と近づいて来ているといういっそう恐るべき事実について警戒しなければならない。
度重なる内ゲバが何を生むのか。そのつみ重ねられた損失は、ある限度をこえるときなにをつくり出すのか。
それは戦闘的左翼の決定的な孤立であり、それをとらえた支配階級が人民戦線派に助けられながら行なう集中的な弾圧である。
支配階級の危機は深まっている。日本社会の分裂と対立は広がっている。人民の革命的高揚と、それにもとづく社会的・政治的激動は必至である。だが、革命は一回性のものではない。革命的暴力は、したがって反革命的暴力もまた、革マル派の燈灯もちの「評論家」たる高知聡などという俗物がクラウゼヴィッツを間違って詠んで主観的に願望しているような「一回性」などというものとはまるで違って、いくつも小衝突や大衝突、小危機や大危機をくぐり抜けながら、最終の決戦(これ自体が一回的なものではなく、最後の最強の敵を完全に粉砕するまでつづく長期戦なのであるが)にむけて自己を準備するものである。だから、内ゲバ消耗戦などという愚を量的に積み重ねているあいだに、支配階級の予防反革命弾圧の最初の本格化で共倒れにしてもらうための自分の墓を、底深く堀り進んでいっているのだということ、この危険をさし迫ったものとしてわれわれは痛切に感じないわけにはいかないのである。
さらにこの危険は、人民戦線派と戦闘的左翼との力関係の問題においても言える。内ゲバは自ら人民戦線派の攻勢を準備している。たとえば革マル派は、内ゲバの目的意識性と系統性において群を抜く集団であるが、彼らの当面の目標である早稲田大学の防衛という観点から事態を見てみよう。革マル派のテロ支配のなかで、早稲田学生運動の全面的覇権を着々と準備しているのは、他ならぬ民青である。革マル派と急進的学生大衆の対決を通じて、急進的活動家のなかに多大の犠牲者が生まれ、消耗感が広がっており、革マル派自身にも脱落者があいつぎ全国の革マル派動員でやっとテロ支配を継続しているのだが、この事態のつぎの局面は民青の全学支配なのである。民青はいま、革マル派と急進的活動家層を噛み合わせ、漁夫の利を得る立場から、ほくそ笑んでいる。だがこのことについて、他ならぬ革マル派は、ちっとも気がついていないのである。
こうして、各派の内ゲバ消耗戦は、もっとも深刻な破壊の道をまっすぐに突き進んでいる。それがもはやどの程度まで来てしまったのかを、われわれは、冷静に現実的に把握しておかなければならない。
第一に、「新」左翼各派間では、党派闘争の主要な手段が内ゲバの暴力行使になってしまっている。これは一つの新しい事態である。公開の討論、もしくは紙上の論争は後景に遠き、紙上における各派批判は、ただ内ゲバによる打撃を相手に加えるための口実を提起し、自派の活動家の意志を統一し戦意を高揚させるための宣伝手段にすぎなくなった。このため、敵である他のセクトの理論なり運動をそのあるがままの現実においてとらえるよりも、「ウジムシ」「青ムシ」というように、人間以下的な存在として人々に印象づけるファシストの常套語法が系統的に使用される(国士館総長が共産党を「赤毛虫」と呼んで学生を教育して来たこと、ヒットラーその他の歴史の実例を想起せよ)。そこまでいかない場合でも、「反革命」とか「宗派」とかいうように、階級の敵としてえがき出す性格づけが採用されている。したがって批判は、つぎには、「戦果」の報告に席を譲る。「ウジムシ○匹せんめつ」とか「はいつくばって助けを求めるカクマル」とか言った、嫌悪を催させる表現で、敵の無力さを印象づける記事が、理論闘争や運動上の諸批判を通じた闘争の報告に代る。
このようにして批判は、デマゴギーと大本営発表にとってかわられるのである。ここではすでに戦争の論理が支配している。しかもその戦争は、ブルジョア的国民戦争の論理でつらぬかれている。プロレタリアートの解放戦争、革命戦争は、大衆の戦争であって、レーニンやトロツキーが範を示しているように一切の真実をつねに明らかにし、敵の弱さと強さを不断に分析し、人間の群衆心理的ヒステリー症状にではなくて英雄的革命的団結心に訴えて遂行される。そこでは、デマのかわりにリアルな真実が力の源泉となる。それにたいしてブルジョア的国民戦争においては、戦争は大衆の利益にもとづくのではないから、本質的に「党派」の戦争の論理が支配する。今日の「新」左翼内ゲバ戦争の論理は、完全に後者・ブルジョア戦争の論理である。それは大衆の戦争ではない。
第二に確認されるべきことは、つぎのことである。党派闘争がブルジョア国民戦争の論理に支配されてしまったために、その方法もまた、戦争の原理――「敵戦闘力の撃滅」にもとづくようになっているということである。他の党派の活動家を、「敵戦闘員」としてとらえ、したがって、その「破壊」が目的になっているのである。他の党派の活動家を、まず階級闘争の活動家としてとらえ、それを自らの思想で獲得しようとするのではないのだ。相手を破壊すること――これがその相手に接したときの目的になるのだ。たとえば革マル派は、早稲田大学の急進的活動家層にテロをかけるときに、「今後一切自治会活動から手を退け」と要求している。また他の党派にテロ、リンチを加えるときに、その手足を骨折させ、失明させるというように、以後人間として再起不能にさせ、すくなくとも、きわめて長期にわたって活動が不能となるような状況に追い込もうとして来た。これらが一時の衝動から出た行為ではなくて、綿密に計画された意識的な行為であるということはブルジョア国民戦争の論理の支配を如実に示しているのである。
こうした内ゲバが、大量の殺害という論理的な帰結にまで到らないのは、ブルジョア法の規制を各派が受容しているためである。各派とも、ブルジョア国家との平和共存を大前提において、他の派との戦争を遂行しているわけだから「殺すのはまずい」としているのである。こういう意味で、一一・八事件で行なわれた「意図せぬ事態」という革マル派の「自己批判」が存在しているのである。
だが戦争の論理が各派間でそれ自体でのぼりつめ、社会的孤立が極度に進行した場合、このような外的な規制がもはや効力を失なってしまう可能性がないとはいえない。連合赤軍の悲劇がその最初の例である。党派間戦争をいわば連合赤軍の「水準」にのぼりつめさせることに、支配階級がもっとも利益を感じるであろうことは疑い得ない。
第三に問題にしなければならないことは、これらの内ゲバが、大衆運動の決定的抑圧要因として働いているという事実である。川口君虐殺は、党派が大衆を「せん滅」したきわだった実例であり、内ゲバと大衆の関係の新たな「高み」を示したものであった。以後革マル派は、早稲田の大衆にたいする恐怖支配を意図し実現している。大衆は革マル派に従うか、もしくは沈黙を強いられるのである。
事態がここまでいっていない場合でも、うちつづく内ゲバは、大衆の「新」左翼にたいする一般的な恐怖心と嫌悪をつくり出し、大衆運動の全般的不活発をもたらしている。労働運動でも農漁民・住民闘争でも、たたかいは本格的な急進的高揚をむかえている。日本学生運動の伝統とエネルギーにてらしてみれば、今日、もっともっと巨大で、戦闘的な学生運動の高揚が存在して然るべきである。なぜそうならないのか。まさに内ゲバこそが、運動の発展をさまたげているのである。そしてまた逆に、大衆運動の停滞が、各派の内ゲバをエスカレートさせるという、悪循環の構造がつくり出されているのである。
そこで最後に、もっともかんじんな点をのべなければならない。それは、内ゲバが「新」左翼弾圧の警察行動の効果にとってかわりつつあるということである。このような事態は表面的には、警察当局の「予想外」のことであるように見えるが、実際には、公安当局がもっとも望ましい事態として最初から計算されていることがらである。言いかえれば、戦闘的諸党派を強権的に弾圧して孤立に追い込む第一段階、つぎは諸党派間の対立をあおって相互にたたかわせる第二段階、そして最後に一挙に全体を一掃する第三段階として、「新」左翼取締りの戦略が構想されているのである。日本の公安当局は、いま、この第二段階を効果的に遂行しつつある。警察当局の革マルとのきわめて「密接な関係」は客観的に確認できることである。たとえば、川口君虐殺において、革マル派はきわめてあたたかく扱われている。共産党の言う「およがせ」戦術は、まるで根拠がないデマだとは言いがたい。だがこうした革マル派の警察的効果は、革マル派が反革命だとしたら、けっして成立しないのである。革マル派が、まさに「新」左翼の一党派であるがゆえに、ここを軸として第二段階作戦を構想することができるのである。ところが中核派は、「反革命カクマル」を呼号することによって問題の本質をぼかし、現実の敵を免罪してしまうのである。
以上四つの点にわたって、われわれは、内ゲバの現在の段階の特殊な性格を確認することができる。このわれわれによる分析がしめすものは、内ゲバが、一つの客観的な、重大な、戦闘的大衆運動の桎梏として存在していることを示している。その影響は、むろん、わが第四インターナショナルの運動にも及んでいる。
われわれは内ゲバ主義に反対して来た。われわれは、このような愚かしい行為をくりかえさないように訴えて来た。だが現実には、内ゲバの腐敗はますますエスカレートしているのであり、そのことが、全人民的なたたかいの発展と急進化のなかで、逆に「新」左翼総体が孤立するという状況を確実に生んでいるのである。それは、内ゲバを行使し合っている当事者たちにとってだけではなく、人民戦線派をのりこえてたたかおうとする全ての戦闘的左翼にとって共通の、重大な阻害要因にすでになってしまっているのである。
革命的前衛は、今日、大きなチャンスにめぐまれている。だが、このチャンスをかりとるためには、自らの戦線におけるこのような腐敗を確実に克服していかなければならない。内ゲバを非難し、それと自らが無縁であることを力説したところで、大衆からの絶対的孤立を実際に突破することはできないのである。
したがってわれわれは、内ゲバの現実を直視し、その一切の理論的根拠を摘出して批判し、われわれ自身ならびにこうした腐敗をのりこえていこうとする全ての党派を結集して、大衆を組織したたかいを構築し、戦闘的左翼の戦線から内ゲバ主義の根絶をはかっていかなければならない。そのように断固としてたたかわないで、自分の手を白いままに保つことで勝利をかくとくできるなどと期待してはならない。
内ゲバ主義の根絶のためのたたかいは、しかしながら、まず明確にその一切の理論的根拠を切開し、粉砕することからはじめなければならない。ところでこの場合、内ゲバ――党派闘争における暴力行使を「理論的」に提起しているのは革マル派だけである。そこですくなくとも、彼らに日本「新」左翼内ゲバ主義の理論的な「生みの親」――スターリンの「正当」な後継者――の「尊称」を奉納しても礼を失することにはならないであろう。他のセクトの場合には、理論よりも現実が先行している次第であって、われわれの批判の刃をくわえようとしても、どこにアタマがあるのかすこしもわからないほどなのである。
こういうわけで次章は、革マル派の「チミツ」な内ゲバ理論を検討してみよう。
第二章 革マル派の「内ゲバ理論」批判
「ひとたび血で手をけがしたものは、泥沼に転落していく。」
とは、革マル派の中央学生組織委員会が、「解放」第一七四・一七六号に掲載した、海老原俊夫君の虐殺にあたって発表した論文の一節である。われわれはこのようなブルジョアヒューマニズムの表現には、ただ胸の悪くなるような不愉快さをおぼえるのであるが、革マル派自身の運命をものがたる言葉としてのかぎりでは、けだし名言といわざるを得まい。
それからわずか二年、革マル派自身が川口君を虐殺したときに、彼らは、「意図せぬ事態」について「自己批判」を発表したが、自分が泥沼に転落していくだろうとは心配しなかったようだ。海老原君の死では血が流れたが、川口君の場合には一滴の血も革マル派の諸君の手を汚さなかったわけではあるまいに……。「理論の革マル」もずい分と無責任なことを言うものである。
ところで革マル派の諸君は、自らの内ゲバが、絶対に他の派の「自己目的的」暴力とはちがって、あくまでも目的意識的な行為であるから、彼らの暴力には荒廃がはいりこまないと主張している。
「いかなる組織(あるいは組織成員)が、いかなるもの(対象)にたいして、なんのために(目的)、どのように(手段および形態)、いかなる条件のもとで、暴力を行使するか、というように問題をたて、かつ実現すること――これが問題の核心なのである。」(「革命的暴力とは何か」二六二ページ)
川口君の場合には、問題の「核心」はしたがって次のようになる。
「革マル派が、川口君という大衆的活動家にたいして、以後活動をやらせないために、リンチならびに殺人という方法で、殺すつもりではないのに死んでしまったという条件のもとで、殺した」ということになるわけだ。
上の文節で主語は革マル派であり、述語は川口君を殺した、である。実際これは、「核心」である。ところが革マル派の自己批判は、この「核心」とはずれたところでなされる。
「だが、この追求過程でわれわれの意図せぬ事態が現出した。川口君はショック的症状を突然おこし、死亡したのである」
という形で提起されている。革マル派が川口君を殺したのではなく、川口君がひとりでかってに死んだのである。
こんなふうにしてこの「核心」は、どこかに置き捨てにされたわけである。つまり、このような「核心」の出し方というのは、結果次第で、どうにでも好きなように言いくるめられるのであって、人間のあらゆる行為を、形式的論理の枠組みで整理するにすぎないのである。「誰が、どこで、何を、なんのために、」などというのは、動物的知能の場合を除けば、人間誰しも、朝起きてから寝るまでやっていることなのである。問題は、この全体の正当性をなにによって判断するのか、ということにある。
「目的と手段とは、『誰が、どこで、何を』の問題から切りはなすことは決してできない。いいかえれば、一般に、われわれもまたその一実態であるところの法則性の、われわれ自身による認識に媒介されて、『目的―手段』の体系が、われわれの内部に構成され、かつこれに規定されながらわれわれの実践は展開されるのであるからして、われわれの実践の前提・過程・結果のすべてに、われわれの意識性と組織性が貫徹されるのである。だからそこには、暴力行使の荒廃の入りこむ余地などはまったくないのである。」(同右)
革マル派の諸君は、実に形式論理がお好きなようである。この長々とした文章の全体から、どうして、暴力行使の荒廃が入りこむ余地がないという結論が出て来るのか、誰かわかる人がいるだろうか。要するにちぢめて言ってしまえば、「われわれは意識的・組織的にやっているのだから、荒廃はしないのだ」ということなのだ。意識的.組織的にやっていれば荒廃しないで済むというのなら、スターリンやヒットラーは、もっともっと大規模に革マル派の先例をつくったことにならないだろうか。
この、中学生のヘリクツに似た文章は、「俺は間違っていない、だから俺のやることも間違っているはずがない」とさけんでいるわけである。だが、間違っていないと断言しさえすれば実際に間違わないですむというほど世の中簡単ではないだろう。
革マル派の「内ゲバ理論」の「チミツさ」というのは、実際この程度のものなのである。ほんとうは、ここでもう終りにしても良いのだが、なにしろ革マル派というのは、「理論の高さ」を誇りにしている党派である。彼らに礼を失しないためにも、もうすこし詳細につき合ってみることにしよう。その場合、彼らの方法にならって、われわれもまた彼らの、「普遍本質論」「特殊実体論」「個別現実論」の三段論法を採用することが、彼らに最大限の敬意をはらうためには、当を得たものであると思われる。
@ 「普遍本質論」――政治の非合理
「しかしながら現実政治は、そのように簡単に、一筋ナワにいくものではない。そこでは理論をこえでた、理論では割り切れない、非合理的な力関係――政治のダイナミックス――が強力に働くのだからである。
現実政治が合理的に動くのであったならば、なんら問題はない。合理的になしとげられてゆくべきであるにもかかわらず、合理的には割り切れず、つねに非合理的なものがつきまとい、それがからみあってゆく。この現実政治のパラドックス、階級闘争における非合理的なモメント、敵対するもののあいだの非合理的な力関係――これが、政治のダイナミックスをなすのであって、これを本当に理解することなく、ただ文学青年的に割り切ったところに、革命家たらんとしたトロツキーがたんなる理論家となり、真の(レーニン的意味における)政治家たりえなかった根本的な理由があるのだ。」(「革命的マルクス主義とは何か」黒田寛一 四五ページ)
「われわれは、革命的共産主義運動の現実的展開を、ただたんに理論の“純粋性”の名において、おくらせたり阻止したりしてはならない。われわれは、現実政治のダイナミックス――理論的正当性にもかかわらず、政治的実践においては敗北をよぎなくさせられる場合がしばしばありうるというこの政治運動のメカニズムの非合理的側面を決して忘れてはならない。……われわれの革命を実現するための組織戦術、統一戦線戦術が、右のような現実政治の弁証法にもとづいて展開されなければならないとするのが、われわれ革命的共産主義者の立場にほかならない。」(同右 五三ページ)
革命的マルクス主義の名のもとに、黒田寛一がこの論文を書いたときに、彼の脳裏に浮んでいたものが「トロツキーの敗北」であっただろうことは疑う余地がない。理論的に正当なトロツキーがスターリンに敗北した真の理由はなにか、それはトロツキ−が「文学青年的」にものごとを割り切ろうとして「政治家」になれなかったのにくらべて、スターリンは、政治の「非合理的側面」に立脚して、あらゆる種類のマヌーバーや暴力を駆使してトロツキーを打ち破ってしまった、と彼はとらえたのである。そこで革命的共産主義者が本当に勝つためには、「何が正しいか」ということとは相対的に独自な「どうすれば勝てるか」という、多少とも「非合理な力」を身につけなければならないと考えたわけである。そしてこのような合理性と「非合理的側面」の統一としての「組織戦術」が構想されたわけなのである。
スターリンの「非合理的側面」における勝利の秘密とは、むろん、その最大のものがゲー・ペー・ウーにあることは言うまでもない。トロツキーはゲーペーウーをもたなかった。そして敗北した。正しいだけでは駄目なのだ、ゲーベーウーをもたなければ……と彼は考えたのであろう。以後たしかに革マル派はゲーべーウーをつくりはじめた。
黒田寛一のこの論文が出てから、五年の今日、革マル派のゲーペーウーは「勇名」を馳せている。だが、ゲーペーウーの「非合理性」もまた正当化されなければならない。そうでないとこの「非合理性」が大衆を革マル派から遠ざけてしまうことになる。そこで革マル派の理論構築の作業は、合理性と非合理性の統一としての彼らの組織戦術をいかにして正当化するかという軸において、「チミツ化」されていくことになる。
だが、「非合理性」はいつまでたっても非合理であり、それ自体はなんとしても正当化され得ない。そこで正当化の作業は、この非合理な力それ自体を解明することにではなく、この非合理な力がなんのために奉仕するのかという場面での正当化へと問題は向うわけである。しかし、この点における作業を解明し、批判することは次節以降の課題である。ここではとりあえず、彼らの非合理的な出発点がどのようにきづかれたのかを明らかにし、批判することがわれわれの課題である。
問題は二つの点にある。第一の点は、現実政治のダイナミックスにおける非合理的側面という規定についてである。黒田においては、政治においてはかならずしも理論においてとらえきれないものがあり、この「割り切れないもの」が非合理的側面として置かれる。
理論でとらえきれないことが、即非合理であるという認識の仕方は、裏返して言えば、合理的なものは全て理論でとらえられるという認識から出発しているのであり、つまり、政治的観念論の特徴を典型的に示しているといえるのである。現実を理論がとらえうるか否かということと、現実が合理的であるか否かということは、明確に区別されなければならない。現実は合理的であるという主張は一つの条件づきではあるがマルクス主義の基本的立場である。その条件とは、「合理」=「理念」の実現としてとらえるということである。ところでこの「理念」=人間の社会的活動の無限の発展は、あらゆる限定=矛盾を通し、その格闘を通過し、外からの圧力=非合理的な力と見えるものを内にとりこみ、内化しつつ、人間の意識にとらえられ、実践の場に創出されていくのである。「非合理的」と見えるものと対決し、解明し、自らの生産的実践の場で自らのものへと獲得し、創造の内部に位置づける行為が「合理」なのである。理論は、この「とり込み」と「創造」の場で人間の意識的活動としてあらわれる。理論が現実をとらえきれないというのは、人間が外からの力として見えるものにたいしてまだ苦闘している段階にあることを表現しているのであって、その本質がどこまでも合理的なものであることを直感でとらえながら、自らの理論をうちきたえていかなければならないのである。
ところが、本質的に完結した理論を保有している(そもそもそのようなこと自体があり得ないのだが)と錯覚している「理論家」は、自らの体系としての「理論」が現実の「理念」をすべてとらえうると思い込んでいるから、それと異なった現実に直面すると、現実の方を否定したくなるわけで、現実の「非合理的側面」などと主張する。つまり彼においては、彼の所有する「理論」と現実の「合理性」とが等置されているのである。彼においては「合理性」とは、「合理念性」ではなく「合理論性」なのである。非合理性を認める立場は一見すると「理論」の現実にたいする「気弱さ」のように見えるのだが、その実は、徹底的な「傲慢」であると言わなければならないのである。そしてこれこそ、黒田「理論」のもっともいちじるしい特色であり、その「宗教的性格」を示しているのである。
第二の誤りというべきものは、トロツキーの「敗北」という認識の仕方である。トロツキーの「敗北」を主張する黒田は、スターリンの「勝利」を主張しているのである。われわれはこのように認識すること自身が近視眼なのだと主張して来た。トロツキーとスターリンの闘争は継続されているのであり、しかも今日、黒田が早まって思い込んでしまっているようにトロツキーとトロツキズムのたたかいははるか後方で解体してしまっているどころか、第四インターナショナルの再生と発展に受けつがれ、逆にスターリンの支配は、明日なき転落の道をたどっているのである。この意味では、二〇年代〜三〇年代のスターリン・テルミドールによるロシア革命の纂奪と、そこでの英雄的な反対派の闘争自身も、今日と今後のたたかいのなかでその真の役割が与えられていくべき性質のものである。テルミドール反動の根拠に関しては、ヨーロッパ革命とロシア革命の歴史的展開のなかで十分に解明されうるものであり、それをトロツキーの「文学青年」的な純粋性にもとめるなどという愚かなことをする必要は全然ない。スターリンの駆使した「非合理的」政治技術と考えられているものも、すこしも「非合理的」ではなく、その行使する主体の歴史的位置と階級的性格にもとづく、必然のものである。そして、そうした必然的強権支配に抗するに、どこまでも理論と大衆闘争の力をもってきたトロツキーのたたかいは、レーニンが、ツァーリ専制支配に抗してテロリズムに訴えるのではなく、亡命指導部のもとに組織された大衆的・党的組織の「合理的」な闘争を展開していったのと同一なのである。そこになんの「非合理性」もない。
このように、「非合理」なものに誘惑されてしまった黒田の誤りは二重に明らかなのであるが、まさに黒田こそ、裏切られた文学青年であったと言うべきであろう。世の中知らずの文学青年が、その「純粋な」ハートを傷つけられて逆うらみし、大人顔まけの悪質な「現実主義者」になるということは良くあることだが、その場合に明らかなのは、この文学青年が抱いていた「理想主義」の、なんと弱く、なんともろいものであったのかということである。こうした裏切られた文学青年の居直り的「非合理主義」が、「革命的共産主義者の立場」とされて、以後系統的に「発展」させられていくことになったのであり、まさにここに、革マル派のスターリンから輸入した「内ゲバ」の論理が、彼らの全ての「現実政治」をつらぬく「普遍本質論」として確立されているのである。
A 「特殊実体論」――「のりこえ」の論理
さて、黒田の組織戦術論の「普遍本質論」としての「現実政治の非合理的側面」が、その実体的担い手としての組織戦術にどのように特殊化されていったのかを、われわれは次に見ていかねばならない。
「すなわちまず、既成指導部、とくに社共両党によって歪曲されている今日の労働運動、ソコ存在する既成の大衆運動(P1)を左翼的あるいは革命的にのりこえていく(P1→P2)という実践的=場所的立場(=「のりこえの立場」)において、それ(1<運動上ののりこえ>)を実現していくためには、まずもって既成の運動(P1)をささえ規定している理論(他党派の戦術やイデオロギーとしてのEo)をわれわれがとらえ(E1――これはEoと媒介的に合致する)かつそれへの批判を通じてわれわれの独特な(あるいは独自な)闘争=組織戦術(E2)を提起し(P1……E1→E2)、そしてこれ(2<理論上ののりこえ>)を物質化する(E2……P2)ために組織的にたたかう(E2……O―・―・→P2)とともに、これらの闘いを通じて既成の大衆運動を実体的にささえている諸組織、直接的には社共両党(Oo)を革命的に解体する(Oo〜〜→O)ための党派闘争(3<組織上ののりこえ>)をかちぬく。」(「日本の反スターリン主義運動」2二八三〜四ページ)
「ところで、他党派の戦術やイデオロギーを批判し(2<理論上ののりこえ> )、他党派を革命的に解体するための組織活動を展開する(3<組織上ののりこえ>)ことを通じて、<運動上ののりこえ>(1)を実現するということは、他面からすれば、われわれの組織戦術を、たえず大衆運動の場面へ(O―・―・→Um)、また直接に他党派にたいして(O―・―・→Oo)貫徹する闘いが成功裡になされていることを意味する。この<組織上ののりこえ>をめぐってたたかっているわが同盟組織(O)が、他派の組織(Oo)にたいして、またそれが展開している大衆運動(P1)やその戦術およびイデオロギー(EoあるいはE1)にたいして決定的に対決している(O⇒P1・E)がゆえに<理論上ののりこえ>(E1→E2)を媒介として<運動上ののりこえ>(P1→P2)が現実的に可能となるのである。」(同右二八八四ページ)
ここでは単純なことが実に七面倒くさくのべられていて、気の短い読者は怒ってページを破きたくなってくる。気の長い読者はそれでも読み通すわけだが、そのためには、P1とはなんだっけ、Ooとはなんだっけかと数行前を読みかえし読みかえししなければならない。そこでわれわれは、彼らがここで言っていることを要約してみることにする。
はじめの引用文で言っているのは次のことである。
「既成の大衆運動をのりこえていくためには、まず、理論的にのりこえた戦術を提起してその実現のためにたたかうとともに、他党派を解体するためにたたかわなければならない。」
あとの方の引用文で言っていることは次のことである。
「既成の大衆運動をのりこえることができるのは、他党派を直接に解体する組織戦術を貫徹しているからである」
たったこれだけのことを言うために、なんで二つも三つも図を描いて、またこれだけの長々とした文章を書かなければならないのだろうか。しかしものごとは好きずきだから、彼らの密教的趣味について口をさしはさむのはやめにしよう。
ある意味ではここに書かれていることは、ごくあたりまえであるという一面がある。われわれは大衆運動を発展させるために、それが既成の指導部のもとでおこなわれているときには、その方針をまず批判しなければならないし、その指導部が属している組織を解体するために、批判を大衆運動と組織活動の双方でくりひろげなければならない。こういったことは、まったくあたりまえのことである。さらにそれを言いかえれば、既成の指導部のもとでおこなわれている大衆運動をのりこえることができるためには、他党派と対決し、解体するための活動を意識的に遂行しているのでなければならない。それもまたあたりまえのことである。
こういったことのかぎりでは、これらはあたりまえのことであって、なんらここに、革マル派の独自性が示されているわけではない。革マル派の独自性というのは、このようなあたりまえのところにあるのではなくて、あたりまえでないところ、すなわち、こうした活動を、<運動上ののりこえ><理論上ののりこえ><組織上ののりこえ>などと分離した<のりこえ>を固定化し、それらを<組織上ののりこえ>に強調点をすえてくみたてるやり方である。
前の引用文では、運動上ののりこえが一応目的に立てられたうえ、理論上ののりこえと組織上ののりこえが手段として並列される。後の方の引用文では、組織上ののりこえが目的におかれていて、運動上ののりこえと理論上ののりこえがそれに従属させられている。すなわち、おのおのの<のりこえ>がそれぞれ独立したものとして分離・固定されたうえで、<組織上ののりこえ>が軸となってくみたてられてくるのである。しかもこの<組織上ののりこえ>では、他党派にたいする直接の解体、対決という側面が強調される。
さてわれわれは、このような<のりこえの理論>をどのように理解すべきであろうか。
まず第一に、この論理が現実的で物質的な行為ならびにその結果と、それをもたらそうとする主体的立場との明確な区別をあいまいにしているということである。<のりこえ>ということがなりたつためには、<のりこえようとする>意志が、さまざまな障害を実際に<のりこえる>行為のなかで、<のりこえた>という結果に到着するのでなければならない。こうした過程の全体を<のりこえ>という一つの言葉でくくってしまったからといって、<のりこえ>が成立する条件を明らかにしなければならない義務から解放されるわけではない。主観的な<のりこえ>と客観的な<のりこえ>とのちがいと関連を把握しなければならないという義務を免除されるわけではない。
第二に、以上の観点からするとき、<理論上ののりこえ>を主観的な<のりこえ>とし、<運動上ののりこえ>を客観的な<のりこえ>と置いて、<組織上ののりこえ>をその過渡の場にすえなければならないということが明らかになってくる。したがって、この三つの<のりこえ>なるものは、各々独立に存在しているものではなくて、ひとつの<のりこえ>の三つの契機としてのみ実存するのであって、それらがばらばらに切りはなされて遂行されていくとした場合には、それらの<のりこえ>が、必然性=客観性を欠いたものとして構想されてとりくまれることになってしまうのである。その場合にはこれらの<のりこえ>の各々が、それぞれ主観的な行為としてだけうちたてられ、対象との本質的な関係に支えられないものになってしまうであろう。
第三は、こうした分離され、固定された<のりこえ>のなかで、<組織上ののりこえ>が強調されている問題である。この場合、<組織上ののりこえ>は、運動とその場との有機的な関係をもって構想されていないから、他党派への「直接の対決、解体」という側面が、それ自体として浮び上ってくることになる。すなわち、党派が存在し、その方針と力を試す主体であり、場である大衆運動のなかから切り離された独特の場での「党派闘争」が追求され、その成否が逆に運動の場に還元されていくという形で、問題が逆立ちさせられるのである。
第四に、<理論上ののりこえ>について言えば、他党派のイデオロギーと戦術という側面が、それを支えている大衆運動自身の段階や性質から切りはなされてとらえられざるを得なくなり、大衆運動のなかでの党派の方針をとりあげ批判するというよりも、党派のイデオロギーをまずとりあげそこからその結論を大衆運動のなかでの党派の方針の批判へと下降させて来るというやり方がとられることになる。これもまた逆立ちである。
第五に、<運動上ののりこえ>に関してはつぎのような問題が出て来る。すなわち、大衆運動が党派によって規定されたものとしてとらえられ、その逆の面が見落される。大衆運動はそれを規定する党派によって本質的な限界を与えられているのだとされ、大衆運動の前進のためにはまずもって前提的に党派を組織上でのりこえることが先決であるとされるのである。大衆運動自身に内在する前進の可能性、契機が、自ら発展して力となって既成指導部をのりこえていくのだ、ということがとらえられず、大衆運動の発展はその指導部の「権力移動」という「実体論」でとらえられていくのである。
つまり、結論的に言うと、この<のりこえの論理>には、大衆が登場せず、階級が登場しないのである。<のりこえる>主体は、彼らの革命的共産主義者なのであって、それが<のりこえる>ための場としてのみ、大衆と階級が存在する。だから彼らは、<運動上ののりこえ>という。運動自身がのりこえていくのではないのだ。
われわれの組織建設においては、問題はこのような形では設定されない。われわれは、大衆の発展、階級闘争の発展の契機としてのみ党を実存させようとする。官僚と大衆との関係においては、ある特定の官僚が他の官僚を<のりこえ>るための場として大衆運動を利用するということが起りうる。だがわれわれと大衆との関係はそれとはちがう。大衆が官僚を<のりこえ>ていくその先頭にわれわれは位置しようとするのである。レーニンの党建設の現実もまたそうであった。ボルシェビキはソヴィエトの、つまり大衆自身の組織的自治の契機であり、媒体としての党だったのであり、その実質を喪失して、ソヴィエトが、そして党が大衆を対象として支配する機関へと変質していったときに、スターリニズムが成立していったのである。
かくて<のりこえ>の論理は、官僚の組織建設の論理であることが明白である。こうした<のりこえ>の論理は、日本共産党がもっとも得意としている組織的実践と、始めから終りまで寸分違っていない。こんなところにはいささかの革命性も見ることができない。
それゆえわれわれは、「普遍本質論」たる「政治の非合理」が、まさにこの<のりこえの論理>において駆使されざるを得ない「特殊実体論」的=組織戦術的根拠を理解することができる。大衆の必然的発展を媒介するという位置づけを欠落した<のりこえ>は、それぞれまったく主観的行為としてくみ立てられざるを得ないために、合理的に実現していく根拠を失なっており、その強行的突破のためには、非合理の力――すなわち大衆運動の必然的発展に依拠しない、外からの力が動員されざるを得なくなる。すなわち、<のりこえ>の論理は自らの内に「非合理」の論理を予定するのである。他党派への直接の対決・解体という主張は、このことの卒直な告白に他ならない。
かくて「内ゲバ」の論理は、革マル派の組織戦術のなかで特殊実体論的に適用されたわけである。
B 「個別現実論」――向自的な党派闘争
さてそれではわれわれは、革マル派の「非合理」の「個別現実論」の段階、つまり彼らが今現に何をやっているのか、ということに「上向」して来ることにしよう。ここでもまず彼らの主張を聞いてみよう。
「党派闘争の即自的形態(運動上ののりこえに従属した組織的のりこえを追求する場合)と向自的形態(組織的のりこえとしての組織的のりこえを追求する場合)との関係を、一面的にもっぱら前者を『本来的』なもの、後者を『特殊的』なものとしたり、また暴力的形態を伴うか否かということで両者を感覚的にふりわけることはできない。両者の関係はこうである。一般的な党派関係のもとでは、即自的な党派闘争が普遍的であり、向自的党派闘争は従属的・特殊的である。しかしいったん党派関係が異常なものへと変動した場合には逆に、向自的な党派闘争が普遍的となり、即自的な党派闘争は従属的・特殊的なものとなるのである。」
(「共産主義者」二九号 一〇二ページ)
「われわれは一定の党派に対決しそれを解体するという党派闘争論的立場(O1←O)にたって、その党派を組織的に解体するために、党派的なイデオロギー的・組織的なたたかいを主要な手段としかつ適格な暴力の行使を補助的な手段とする。これがわれわれの党派闘争の主体的推進の本質規定である。かかるものとしてわれわれの党派闘争の指針は<目的―手段>の体系をなしているといえる。このようにわれわれは、主要な手段としてのイデオロギー的、組織的なたたかいとともに、このたたかいを促進していくものとしての暴力の行使をも補助的な手段として本質的に位置づけていることを看過してはならない。」(同右 一〇三ページ)
かくてウジムシ・中核派や青ムシ・解放派などとは、向自的な党派闘争である。つまり組織的な解体を直接に追求するたたかいであるというわけである。
向自的な党派闘争が普遍的である段階とはどういう段階なのか。見つけ次第に襲え、という段階であり、下宿とか、事務所とか、街頭などで襲え、という段階である。
即時的な党派闘争における場合はどうなるか、学生大会でなぐるとか、学校に出て来たら襲うなどということである。
いずれにしても「適格な暴力の行使」は、「本質的に位置づけ」られているのである。
ところでこれらの「チミツ」な「個別現実論」を、われわれは果してこれ以上批判する必要があるだろうか。たとえばわれわれは、「適格な暴力の行使」なるものがなぜ適格なのか、それは階級闘争のどのような利益、どのような原則的立場のもとで適格であるのかを質問しようとしても、その解答は、彼らのいかなる論文、いかなる説明のなかにも見出されないのである。それを本当に得ようとすれば、ずっと十五年もさかのぼって、黒田寛一の「非合理」の政治学にたどりついて来てやっと、なぜ彼らがいく度もいく度も「目的意識的・組織的」とか「適格な」とか「本質的な」とかのべても、これらの形式的説明以外に内容的な説明をなし得ないのかという理由がまずわかるのである。「非合理」なのであるから、内容上の説明を下し得るはずがないのである。次にわかるのはその動機である。正しいがゆえに勝利するのではなくて、正しくてかつ勝利しなければならないと考えるがゆえに、彼らは「非合理」の補助手段にたよるのである。
だがわが読者諸氏は、すでに十五年前の黒田哲学から今日までつきあって来られたのだから、こうしたことは良く了解されているのであろう。そこでここではもはや、これ以上立ち入ることはやめにして、ひとつのむかし話をしておこう。
昔あるところに、貪欲な小商人がいた。この男はすこしづつ小銭をためこんで資産をなし、いまではもうすこし手広くあきないをはじめたらどうだろうと考えた。
そこでこの商人は、買占めに手を出した。
ところが世の中はそうあまくない。せっかく買占めた品物が腐敗して、わがガッチリ屋は破産寸前に追い込まれた。そこへどうだろう、あちこちの商売がたきがのりこんで来て彼の市場を荒そうとしたのである。
商人は眼尻をつりあげて異常なる決意をかため、街中のゴロツキやナラズモノをやといあつめて集団をつくり、商売がたきの店や倉庫に放火、略奪、あげくのはてには家人の生命を奪うという行為に出た。
人々は驚きあきれ、なじった。
「お前は強盗、殺人犯だ。」
ところでこの男、肩をいからせて答えた。
「馬鹿言え、これはな、向自的な商売なのだ!」
第三章 革命的暴力か「内ゲバ主義」か
われわれはすでに「内ゲバ」の現実的な役割と、そのさし迫った危険について見、いままた、そのかろうじて一つだけある「理論」について、つまりその「理論」がまったくの形式論理にささえられた、官僚の組織論に他ならないことを見て来た。だがわれわれのなすべきことはこれで終らない。われわれはどのようにしてこの腐敗した現実を突破できるのかを明らかにしなければならないし、その任務を引き受けるわれわれの決意と方針を全ての労働者、人民の前に提起しなければならない。そのように問題を主体的に立てることによってはじめて、「新」左翼総体に失望して分散化し、あるいは人民戦線派への傾斜を深めつつある労働者、人民を、一定程度イデオロギー的につなぎとめ、人民戦線派をのりこえ国家権力との正面対決にむかって前進するための足がかりと拠点をつくりあげることができるのである。
第一にわれわれは、武装と暴力の問題に関して原則的な立場をうち出さなければならない。今日までの破滅的な一揆主義と姑息な党派セクトの暴力によって、革命的暴力の概念があまりにもゆがんで伝えられてしまっている。
われわれが革命的暴力という場合に、その日本における最も近い実例を見出そうとするならば、一九五九年〜六〇年の三池労働者の武装である。この実例は、過去の日本労働運動が到達し得たもっとも組織され、もっとも大衆的で、しかももっとも徹底した武装自衛である。だが同時に忘れてならないことは、このとき三池労働者は、第一組合の徹底した民主主義的組織化に成功していたのだということである。すべての労働者が分ちがたく団結して自由に発言し、徹底的な職場討論によってひとつひとつの課題を大衆的に実現していった。そこでは、組合員の間のいかなる不平等や差別も自発的に解消し、さらに主婦や子供達までもふくめた団結がつくり出され、この第一組合の闘争共同体の周囲に、関連産業労働者や農漁民・商人などが結集して、ひとつの地域権力の様相をすら呈したのであった。三池争議は戦闘においてではなく裏切りによって敗北せられた。そのことについての解明は、しかし、ここでの課題ではない。ここでの課題は、この三池争議のなかに、われわれがつくり出そうとする革命的暴力の原型、萌芽を発見することである。
革命的暴力とはプロレタリア階級が階級として行使する暴力である。それはまっすぐにブルジョア支配階級に向けられている。そこにはなんの疑いもあり得ない。
だが、プロレタリア階級は、均質ではない。そのなかには遅れた部分も先進的な部分もいる。したがって戦闘はしばしば先進的なプロレタリアートと支配階級との間でよりきびしく戦端を開くことがある。その場合には、プロレタリアートの武装がもっとも先進的な少部分の武装から開始されることは、多かれ少なかれ避けられない。
だがこの場合でも、この先進的なプロレタリアートによる先行的な武装闘争は、広汎な大衆にむけて国家の暴力的本質をあばき、いっそう多数の、いっそう強力な階級的武装へと道をきり開くためにのみあることを忘れてはならない。
先進的な少部分による武装においても、またいっそう広汎な大衆の武装闘争が組織される場合においても、これらは、自らの権力、プロレタリア民主主義の自治組織の目的貫徹のための手段であることがつねに求められる。大衆のプロレタリア民主主義的権力組織不在のままで、単独の武装闘争が先行する場合には、まれな例外をのぞいて、圧倒的に優勢な敵の包囲によって殲滅されざるを得ない。キューバの特殊な一時期を普遍化してひとつの「革命論」に仕立て上げたドブレ主義が、その後のラテンアメリカ革命のなかで例外なくみじめな敗北に終ったことを想起しなければならない。
革命的暴力はプロレタリアートの諸闘争のなかから武装自衛としてうまれる。はじめは個別的一時的経験として開始される武装自衛は、危機の普遍化のなかで恒常的な武装組織をつくり出し、蜂起を準備する。だが、武装自衛から生れた武装組織が蜂起を組織するためには、もうひとつの決定的な峠をこえなければならない。それは軍隊の解体であり、もっとも先進的な兵士集団の獲得である。このことに成功したときにはじめて、武装蜂起が日程に上るのである。
このようにして革命的暴力は、蜂起にむけて自らを組織する。それははじめから終りまでプロレタリアート自身の政治闘争である。それは先進的少部分から圧倒的多数のプロレタリアートに波及する階級的権力闘争なのである。そして党は、まさにこの過程を、たたかいそのもののなかにあり、その担い手となって指導するのである。
これが革命的暴力である。階級の外側に独自に党が武装するなどというのは、魚が陸で餌にありつこうとすることと同じなのである。それは一見強力なように見えても、権力の本格的な弾圧にさらされれば一夜にして崩壊してしまう。革命的暴力を、党の単独の問題として立ててはならない。そのような実例は、反革命の党派に見出すことはできても、プロレタリア革命の党派に見出すことは絶対にないのである。
第二の問題は、党派闘争における暴力行使の横行という現実のなかで、われわれがどのようにしてこの革命的暴力を組織し、準備していくのか、ということである。
われわれは大衆の自衛武装を組織するという形で、党派のプロレタリア民主主義を圧殺しようとする非道な暴力を撃退するだろう。この点において、いかなる逡巡もあってはならない。プロレタリア民主主義にもとづく大衆闘争の組織にたいして、その外部から、暴力的に敵対しようとする党派は、その言葉と見せかけがどれほど社会主義を語ろうとも、その瞬間において支配階級の手先となるのである。かかる企図にたいしては、われわれは大衆の自衛武装の組織者となって、ためらうことなく撃破し、粉砕しなければならない。
だが、直接党派としてのわれわれに向けられた暴力的敵対の場合に、それが小ブル的あせりと理論的誤謬にみちたプロレタリア運動内部の党派からしかけられた場合には、われわれは自らの存在を守るための最低限の防衛以外には報復を試みてはならない。われわれは彼らの土俵にはまらない。われわれに暴力的攻撃を企図しようとする党派は、われわれの忍耐強さをあてにすることができよう。だがわれわれはこの問題を、大衆闘争の場にもち込むだろう。そのとき彼らは、誰の支持もあてにすることができないのである。
だが、いずれにせよわれわれは、自らの大衆運動の拠点において、革命的暴力の問題を不断に提起し、情勢がその核心にむかって煮つまっている現実を、大衆の意識に獲得させようとしてたたかわなければならない。日常の権力、ブルジョアジーとのたたかいのひとつひとつにおいて、われわれは武装自衛を大衆の常識とするための契機をつかみとり、組織しなければならない。ここにわれわれの武装にむけたたたかいの基本が置かれなければならない。このようにしてわれわれは、「新」左翼諸セクトが例外なく落ち込んでいる党派軍団主義を、大衆的にのりこえていかなければならない。
最後にわれわれは、いまや腐敗の極をさまよい歩いている「新」左翼セクト抗争のなかで、われわれがどのような役割を果していかなければならないのかを明らかにすべきである。
われわれはこれらの腐敗を、回避したり傍観したりするのではなくて、確実に、誠実に突破して、自らの原則的な立場が、全てのたたかう人民の視野にくっきりと浮び上るまで、われわれ自身の運動と組織を一歩一歩と押し上げていかなければならない。この過程は長くかかるかも知れない。少なくない犠牲を生むかもしれない。なぜなら、われわれは、腐敗した内ゲバ主義者を一掃するという名目で自らを新たな内ゲバ主義に転落させようとはしないからだ。かといってこれらの「殺人」集団の「死闘」の場から逃亡しようともせず、そこにたたかいのエネルギーをもった大衆があり、そしてわれわれの一人一人が他ならぬその大衆のなかから前衛への道をたった一足だけ早く歩みはじめた存在であるにすぎぬかぎり、まさにその異常な「死闘」の世界のただなかで原則の旗をかかげつづけ、大衆の決起を、大衆自身の手によってこうした腐敗した情称者どもを一掃するようによびかけつづけるだろうからだ。
このようなたたかいは、すでにわが幾方の同志達が、歴史のなかで担いぬいて来たたたかいであり、その貫徹のために、ヒットラーの収容所からシベリアの荒野にいたるまでを熱い血で染めて来たたたかいなのである。しかも彼らが対決した当の相手達は、言い訳をしながら大衆にかくれて姑息な「戦争」をくりかえしている日本の小スターリニスト達とはまるで異なる大規模で破壊的なテロリストの集団であったのだ。
われわれは第四インターナショナルの旗を恥ずかしめないだろう。
われわれは自らの手で、醜悪きわまる日本「新」左翼の最後の時代の幕を閉じ、全ての労働者・人民とともに、帝国主義権力とのたたかいがいのある決戦場へ赴むくであろう。
同志諸君。
第四インターナショナルの勝利を確信せよ!
一九七三年十月
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