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国際革命文庫  8

日本革命的共産主義者同盟
(JRCL)中央政治局編
国際革命文庫編集委員会訳

9

電子化:TAMO2

「来たるべき対決」
ミシェル・パブロ

「革命党の建設」
   国際執行委員会第10回総会(1952年)へ同志M・パブロにより提出された報告抜粋


C スターリニスト労働者とその組織のなかでの活動

 この報告ですでにのべた一切の考察、とりわけ改良主義労働者とその組織のなかでの活動に関する考察は、第三回世界大会が主張したスターリニスト労働者とその組織のなかでの活動を理解することを明晰に容易にするにちがいない。
 その国際情勢についての決議と諸テーゼのなかで、「労働者階級の多数がまだ共産党に従っている諸国では」われわれの組織は「これらの党の基礎ならびにこれらの党が影響をあたえている大衆のなかで、より体系的な活動を志向しなければならない」(『カトリエム・アンテルナショナル』誌二六ページの「テーゼ」)ということが明瞭に指示され――これらの文書の意味と方向のなかになおよりよく包含されているのである。
 「大衆と大衆の革命運動がスターリニスト的あるいはスターリニスト化した組織によっておもに指導されているその他一切の国では、われわれの本質的関心はこれら大衆からわれわれを切断しないこと、われわれをかれらのあいだにまぎれこませ、資本主義と帝国主義にたいする共通の闘争を利用し、この闘争を通して官僚とスターリニズムにたいしてかれらをたちあがらせることでなければならない。」(『カトリエーム・アンテルナショナル』 誌三六ページ「国際情勢に関する決議」傍点は筆者による)
 大衆運動がすでに「反乱のアジア諸国」のように共産党の指導によって公然と革命的性格をとっている諸国については、世界大会はこの方針をより明確にし、これらの諸国では「われわれの運動の方針はわれわれが大衆運動から切断されないように、戦争をもっと利用するように共産党およびそれが影響を与えている組織の内部での活動にむかわなければならない。」( 『カトリエーム・アンテルナショナル』誌二六ページ「テーゼ」)
 このように大衆的共産党とそれが影響をあたえている組織の内部での加入戦術活動の問題は、第三回世界大会によって提出されたが、またわれわれの活動の「本質的」性格を強調した。
 しかし一体なぜ大会は同時にこれらの組織の「必然的に独立的」性格を特記したのであろうか? なぜなら、それはスターリニスト運動、とりわけ共産党の官僚制的性格からして、われわれが改良主義組織のなかで実行しうるし実行しているような全面的加入戦術がゆるされないからである。共産党が労働者階級の多数に影響をあたえ、あるいはすでに革命運動を指導している諸国でのわれわれの組織の本質的活動はこれらの党の内部でおこなわれなければならないが、組織的見地からは必然的に独立的でなければならない。すなわち外部に組織された独立組織を保持することをよぎなくされる。
 それで共産党については――すくなくとも一時期は――全面的加入戦術は実行できないが、変則的加入戦術――フランスの国際主義共産党(PCI)の一九五二年一月中央委員会にあたえた国際書記局IS)の手紙でわれわれが指示した特殊な加入戦術――を実行することになるわけである。スターリニスト労働者とその組織のなかで当面われわれがしなければならない活動の性格そのものから、このような配慮、実行についての独自の方法を強制されるのである。このような戦術方針の土台にある政治的考察は、世界大会の文書やその後のインターナショナルの文書(フランスにおける労働組合問題における決議、PCIの一月中央委員会へのISの手紙)やこの報告のなかに充分あたえられている。
 そこでわたくしは問題の補足的諸面をくわしくのべてみよう。
 当面の時期における改良主義的大衆組織への加入戦術の論理と必然性を理解するものは、拡大され深化された同様な考察によって「冷戦」と第三次世界大戦の展望というあたらしい客観的条件にいまおかれているスターリニスト運動に同様な戦術が必要とされることを普通なら容易に理解できるはずである。
 つまり、もしその土台の革命的展開(革命的情勢、革命的爆発、終局的危機へすすむ不可避な客観的展開によって決定される過程)の圧力のもとに、改良主義的大衆組織が中間主義的傾向を不可避的に発展させることができるとすれば、大衆的基礎をもつスターリニスト運動もより拡大した、より重要な中間主義的傾向を不可避的に発展させるだろう。それにこれはすでに部分的にはじまっている事実である。
 右翼日和見主義的傾向に反対し、中間主義への転換へむかうすべての大衆的労働者組織にたいして、いま客観的情勢ははたらき(そしてこの過程は戦争への発展と戦争そのものとともに拡大してゆくだろう)、この過程は――直線的でも均等的でもないが――一般的に不可避的でありこの一般的方向へむかうのである。
 これらのすべての現象をひきおこすものは、資本主義体制の危機、袋小路の不可避的危機の異常な深さである。くりかえし、これは理解されなければならない。
 スターリニズムはソ連官僚をもふくめて「冷戦」いらいこれまでの情勢と一切ことなったあたらしい情勢をむかえた。その固有の右翼日和見主義的傾向は、情勢の発展、資本主義の状況、ならびに大衆の反応によって不断にさまたげられ失敗させられている。一九三四年から戦争終結までその賭をゆるした条件はもはや絶対にくりかえされないだろう。この時期には帝国主義国家間の対立は、二つの強大国ブロック間の実際的決裂とかれらのあいだの死闘を挑発するほど強力であった。ソ連にたいする帝国主義連合の闘争は帝国主義ブロック間の闘争に従属していた。そしてこの対立とブルジョアジーの一方の陣営との同盟にたよったソ連官僚の政策はそれなりに意味をもっていた。今日ではソ連の側に立つ中国・ヨーロッパ「人民民主主義」・植民地革命運動・帝国主義本国の大衆運動の出現により資本主義世界にひきおこされた分裂によって、一切の安定した、未来ある妥協が不可能になり、帝国主義連合とさまざまなかたちの革命勢力とのあいだの不可避の闘争が焦点と化した。
 ソ連官僚は終局的決定的闘争においつめられている。スターリニスト運動はいたるところでこの現実と資本主義の深刻化した不断の危機をまえにした大衆の反応とのあいだにはさまれている。
 ソ連官僚がみずから生みだしたものではなく、やむをえずそれにしたがっているこのあたらしい情勢のなかでは、スターリニズムは右翼日和見主義に優越する中間主義的傾向を再発させる。
 どこまでこの傾向はすすむだろうか? それはスターリニズムの性質をかえて、共産党をほんとうの革命政党にすることができるだろうか?
 それはこれらの党がソ連官僚によって統制されるかぎり絶対ありえない。あたらしい情勢のなかではソ連官僚はその政策を左傾させ、大衆にアッピールし、その支持をもとめることをよぎなくされるにしても、大衆の一切の行動を大衆にたいする官僚的統制のタガに従属させるかぎりでのみそうするのである。かれらは危険をおかすはずがないのである。
 ソ連官僚のジグザグは、ソ連における専制的特権カーストとしての社会的地位から決定されるところの反動的性格をかえるものではない。しかしその政策にはつねにジグザグが存在し、帝国主義と大衆から受ける圧力によって決定される。
 しかし戦時中ならびに戦後のユーゴスラヴィアと特に中国の経験から、われわれは、ソ連官僚と大衆的共産党とを区別すること、かれらの党が例外的条件において大衆の強力な大衆運動にひきずられるならば、これらの党の可能性を考慮することをまなんだ。
 このような情勢におかれた共産党はだんだんと顕著な中間主義的傾向を不可避的に発展させ、革命的方針を作製しはじめる。われわれがすでに経験したこのような経験は、「冷戦」と戦争への接近によって生まれたあたらしい情勢――そして戦争そのもの――のなかでは、なおより大きな確率でおこる運命にある。そしてこのような中間主義的発展のうえにわれわれはわれわれの戦術をかけているのである。このことはつぎのことを意味する。すなわち、改良主義の場合とおなじく、問題の国の革命と革命党の将来はきたるべき数年において中間主義的傾向の運命に依存するであろう。
 いまからその基礎を構成する勢力と混合し、それを追求しその力学的発展のなかでそれを援助しその指導を討論すること。これが革命党の建設のためにわれわれの組織する現実主義的具体的方法である。
 この中間主義的傾向は大衆的共産党全体を征服し転換させるであろうか?
 それはわからない。それを知ることは不可能だ。これはきまったことではない。われわれがしていること、知らなければならないこと、それは明日の革命党の本質はこの傾向から生まれ出て、ソ連官僚との決裂をとおしてあらゆる方法で生ずることである。
 いかなる形式で生ずるかは、正確にそれを予想することはできない。しかし以上の考察からすでにスターリニスト労働者とその組織のなかでわれわれがしなければならない活動と展望と目的が決まってくる。
 ここでわたくしはフランスのPCI中央委員会にあてたISの文書にふくまれた一連の問題点をとりあげてみよう。これはわたくしの意見では一国での――ここではフランスの――この活動の概念を具体化している。
 「この国ではスターリニストの影響下にある組織と労働者について一種の特殊な加入戦術を実行するのがだんだん問題となる。これは、われわれが戦争にちかづけばちかづくほど、われわれの勢力のますます重要な部分がスターリニストの指導あるいは影響のもとにある――共産党をふくめて――各種の政治組織と労働組合に合流し、そこにとどまって、これら組織の性格に適応し、長期的活動の原則に従属した戦術にしたがって活動しなければならないということである。われわれの組織の独立的部分はスターリニスト労働者によるわれわれの革命路線の理解とかれらの運動内部でのわれわれの活動を容易にすることを主要な任務とするだろう。
 このようにトロツキスト組織の内部的外部的活動の全体は、スターリニスト労働者を通して、きたるべき闘争の経験とこの闘争がスターリニスト・ミリタント大衆に課する任務を通して、かれらの運動内部に根本的にうまれる革命的指導部の発展を促進することを目的とするのである。
 この主題を不毛と主張することなく、いまやこの方針のさまざまな特殊的側面を検討しようではないか?
 インターナショナルがこの領域で手をつけた経験はその歴史上これまでに類のないものであり、その修正には一定の時間とこの活動に関した諸支部の指導部の理解ある忠実な協力を必要とするだろう。」
 現実の大衆運動に参加し、活動し、たとえば大衆的労働組合にとどまるためには、「術策」と「妥協」はゆるされるのみならず必要である。われわれはこれをすでにレーニンの「左翼小児病」時代に学んだし、加入活動であれ、労働活動であれ、大衆活動におけるインターナショナルの全経験はわれわれにその方向をより発展させることをゆるした。
 CGTを除名されてもふたたびCGT加盟組合に加入しうるためには、いずれかの全国的労働組合組織に加入するためには、もし必要ならばたとえ『リュマニテ』紙や『ラ・ヴェリテ』紙の購読さえ犠牲にすることを遠慮しないし、もし官僚的指導部が要求するならば、あるいはもしわれわれがわれわれの加入を容易にする条件であるという結論に達するなら――トロツキストとしての能力をまったく表面に出さないことにも躊躇しないだろう。
 これらすべての問題は、われわれの運動の全党員にとって以前からまったく明白なことであるとわれわれはかんがえる。
 遂行しようではないか。われわれインターナショナルがフランスで遂行をのぞんでいる政策を一種の特殊な加入戦術政策と定義するのは、くりかえせば、それはおなじ重要性をもつ改良主義運動内部とまったくおなじ具合にわれわれが活動するのを、極端に官僚的な指導部がさまたげているというスターリニスト運動の特殊的性格によるものである。そうでなかったらわれわれは――ずっとまえから――全面的加入戦術をとっているだろう。スターリニスト運動の性質こそ現実においてわれわれにつぎの特殊性をもった独立活動と「加入戦術」活動の結合を強制するのである。
 ――独立活動は「加入戦術」活動を援助することを主要目的とすると理解しなければならない。そしてそれはまた主にスターリニスト労働者にむけられるものである。――加入戦術は戦争がちかずくにしたがって拡大されるだろう。
 独立活動は加入戦術活動を、それに要員を提供し、それを外部から指導し、われわれの政策の主題とスターリニスト政策等の具体的批判などを――スターリニスト・ミリタントのあいだで影響を拡大するために適当な用語と形式を研究しなければならないが、それ以外のいかなる制約もない。ただ明瞭で豊富な方法でやればよい――発展させることによって援助する。
 独立活動の分野は工場、労働組合、青年のなかで積極的なすべての本質的活動をつづけ、加入戦術をおこなっているわれわれのミリタントがスターリニスト運動内部で発見した最良の分子をもふくめて党員を募集しつづける。
 スターリニスト運動の内部でわれわれの注意をひいた分子についていえば、かれを独立活動に参加させることによってかれらのトロツキストとしての形式を完成させることがのぞましいことは、われわれの不断の方向が(長期的に)スターリニスト運動内部にわれわれの努力を維持し増大することにあるとはいえ、実際にはありうることである。
 独立活動は、活動全体を指導するために絶対に必要なすべての分子、なにかの理由でどうしてもスターリニスト運動に参加できないもの、そしてトロツキストとしての形式を独立組織で完成するのがのぞましくかつ必要であると判断される人によって構成されるだろう。われわれの独立活動ミリタントは工場と労働組合において統一行動、統一闘争の戦略等に関するわれわれの思想にしたがっていかなる活動も放棄しないだろう。条件がゆるすところでは、組織と闘争を推進し指導することを放棄しないだろう。しかしわれわれがフランスで行っている活動全体と、なによりもスターリニスト・ミリタントが実行し理解した経験に対してわれわれがつねに関心を払ってこの独立活動をするよう注意するだろう。
 もしわれわれのフランスの組織が――われわれがフランスの同志に語ったように――その主要路線において、さきにわれわれが簡単に粗描したような政策に身を入れるならば、やがて多数のわれわれのミリタントが現実の大衆運動へ、スターリニスト運動内部にさえ実際に参加できるだろう。
 われわれはそれを国際情勢の展開によって決定される一切の力学的過程のなかで追求するだろう。そしてわれわれがそれを利用する最善の条件がやってくるだろう。
 この政策はただちにわれわれのミリタントの多数に活動分野をあたえるだろう。すこしずつスターリニスト・ミリタントの環境にわれわれの基本的政治的立場と、スターリニスト政策の基本的矛盾と誤謬に対するわれわれの批判を理解させる雰囲気をつくりだすだろう。スターリニスト分子の転向によって数的にも全体としてわれわれの組織は強化するだろう。
 われわれはスターリニスト労働者とその組織のなかでの活動によって提出された特殊的諸問題を検討することによってつぎの事項を完成するだろう。
 われわれの独立的出版物についてはまずその内容と形式。われわれがすでにのべていることだが、われわれの出版物はなによりも加入戦術を援助するために、内部で活動しているわれわれの勢力に政治指導をあたえるために、スターリニスト労働者とそのミリタントのあいだに最大限の反響をみいだすために、かれらの政治的進歩を容易にするために書かなければならない。公然たるトロツキスト機関紙が問題にされているのである以上、そして改良主義労働者ではなくわれわれと同様な関心と目的をもっている共産主義的革命的労働者にたいしてアッピールすることが問題なのである以上、われわれの機関紙は「スターリニスト労働者とそのミリタントのあいだに影響を拡大するために適当な用語と形式を研究しなければならないが、それ以外のいかなる制約」もなしにわれわれの政策、問題を一切ゆたかに発展させる。そしてスターリニスト政策などに対する明瞭かつ厳正な具体的批判を展開する義務がある。
 当面の段階ではわれわれはスターリニスト政策の二つの問題――平和的共存と民族の統一と独立――のユートピア的反動的で、階級の有効な動員と戦争反対の現実的闘争と両立しない性格について、われわれの正確かつ教育的で、しかもまぎらわしくなく明瞭な議論を集中するだろう。
 この討論によって、もっともすすんだスターリニスト労働者とそのミリタントのあいだにこの二つの問題についてすでに存在する疑念を高め、かれらにとって理解しやすい柔軟な方法でスターリニスト政策(とくにクレムリンの政策)が国際的にも国内的にも袋小路に入りこんでいること、戦争反対のために現実に闘争することができる唯一のものたる確実で有効な階級的動員に対してスターリニスト政策が足かせとなっていることを実証しなければならない。
 この問題に関する慎重かつ適切な討論は、われわれの加入分子によってスターリニスト組織の内部においておこなわれなければならない。しかしこの際周囲から孤立しないように、除名を挑発しないように注意することはいうまでもない。
 われわれの出版物は実際にスターリニスト労働者とそのミリタントに理解される方法で帝国主義の戦争準備や戦争そのものと有効に直面するため、階級的方針の必要性をひきださせる任務をもっている。そしてこの不合理、現実をまえにしてつぎつぎと示された失敗、袋小路によってだんだんと感じられてきている。スターリニスト指導部自身この情勢と理論の圧力をうけて、自己の政策がおちいった袋小路から脱しようともがいている。しかしいうまでもなく、かれらはその過去の政治、クレムリンの圧力、自己の官僚的性格にとらわれた囚人であるから、かれらは部分的に、混乱的に、官僚的に発作的かつ矛盾にみちた方法でしかできない。
 組合問題と政治問題について、改良主義者と自己の勢力との統一行動と統一戦線の問題を解決しようとするスターリニストの方法がそのいい例である。
 たとえばフランスでは、かれらはこの二つの問題では上から下までの統一戦線という正しい政策と下からの統一戦線という「第三期」的政策との中間にある。
 かつてなかったことだが、トロツキストはスターリニスト労働者とそのミリタントにいますぐ語りかけ、かれらの理解と発展を容易にする機会をもっているのである。
     ………………………………………………………………
 すでに長くなったこの報告も結論に到達したが、わたくしはその主題を検討しつくしたとは全然思っていないことをくりかえし言いたい。しかしわれわれの戦術の精神は明瞭であり、一般路線とより適格な指導はすでに出来ている。
 残余については、われわれの運動の集団的完成、つまりわれわれの各国支部の指導者とカードルの創造性と柔軟性に信頼しようではないか。
 わたくしはこう考える。第三回世界大会はわれわれの運動の他のいかなる国際的集会や討論より以上にセクト主義的足かせの最後の最後をきりすてたこと、そしてその「現実の大衆運動へのわれわれの参加」を完成する指導はあざむかれないであろうこと、それをここにいるわれわれ全員は確信している。
 われわれの運動は階級との全体的融合の途上にあり、やがて現実に融合するだろう。階級の自然の歩みに従うだろう。その経験に耐えぬくだろう。その歴史的目的、いまやすばらしく接近した目的を実現するために最善をつくして援助するだろう。
 いうまでもなくわれわれがいまわが運動全体に要求している方針は、過去の惰性や習慣ならびに戦中戦後におこった基本的変化とこの時代の革命的客観的過程の急テンポで騒然とした性格にたいする無理解とという抵抗にぶつかることなしにはおこなわれない。
 この種のひとびとは不意をうたれびっくりし、いたずらにじたばたするだけで、その狭くるしい時代おくれの精神の枠内にあたらしくゆたかな爆発的現実をとりこむことができない。それでかれらは、この枠にではなく、かれらが偶像破壊者とか修正主義者とかよぶ人々に反抗するのである。かれらは抗い、不貞くされ、怒りわめき、自分の枠にしがみつき、もはや理解しようとはしない。
 いうまでもなくインターナショナルはおくれた人々に我慢し、自己の路線を説明し、くりかえし説明する義務をもつ。
 これをインターナショナルはしたし今もしているし、これからもするだろう。しかしそれにも一定の限度がある。つまりその路線の正当性をあらゆる人々に説明するために、その活動をぐずぐず遅らせることはできない。運動のなかにはいつも敵の圧力と勢力に消耗して疲れきった――もはやなにごとも理解しようとしない――分子からなる残りかすが一定比率で存在するものである。われわれの運動のように長いあいだ大衆から孤立していた運動のなかではとくに、泡のようにうかぶ、討論では再教育できないセクト主義者がいつも存在するものである。
 行動に移らなければならない。行動によって遅れた人々を説得しなければならない。
 第三回世界大会はわれわれの運動のなかのセクト主義の最後の障壁をうちたおした。いまや前進ならびに最後の戦闘のためにわれわれの陣地をいたるところで早急に獲得することが問題である。われわれがこの任務をなしとげるためにあまりながい時間はない。事態は急速に発展しつつある。
 決定的戦闘までになお二年か三年――いやもう少し――残されているとしても、われわれが準備するのに充分ではない。それどころかいたるところでわれわれが現実の大衆運動へ参加するためにすみやかに行動し、われわれの勢力を配置し、今から行動にうつらなければならない。これが第三回世界大会の戦術適用についての討論を長々とひきのばしてはならない理由である。
 すでに一年まえからわれわれは若干の国々できわめて重要かつ貴重な時間を失ってしまった。われわれはこれら諸国の現実の情勢にたいするたちおくれを深めている。
 労働運動全体についていえることだが、われわれの運動もまたかつてなく異常な情勢の要請と主体の側の不充分さのあいだの矛盾に苦しんでいる。しかし労働運動内部で大衆の支持を享受している他の潮流とちがって、われわれ自身は当面の段階ではまだわれわれの思想の明瞭と豊富、われわれの行動の敏速性と柔軟性の他にはいかなる支持も力ももっていない。
 この段階はかってなく有能で完全な革命党、革命的指導者、ミリタントを要求している。
 それは実際にカードルの党を、つまり大きく深い展望をもつカードルをだんだん数的に増大させる党を要求している。
 われわれの運動はこの時代に直面してその任務を完遂するために、全体的にその多数がすでにこの水準に到達していなければならないはずである。そうでないとしたら、この前例のない情勢をまだ理解できず、任務をまだ完遂していないという巨大な圧力に押しひしがれて、われわれは自爆してしまうおそれがある。
(『カトリェーム・アンテルナショナル』誌1952年2〜4月号)


あとがき

 M・パブロは、今日の第四インターナショナルの戦線(統一書記局)には所属していない。独自の組織をつくってアルジェリア革命の支援活動に挺身した後、現在はフランスで活動している。
 M・パブロはギリシャでトロツキズムの洗礼を受け、トロツキー死後のもっとも有能な指導者として、六〇年代のはじめまでの第四インターナショナルを指導した。そのきわめて現実的で柔軟な思考と、情勢の環に集中する鋭い方針の提起によって、パブロの革命家としての偉大さは特徴づけられている。
 統一書記局との分裂の理由についてはきわめて広汎で多岐な問題点にふれなければならないが、紙面の都合上割合せざるを得ない。本文庫bU「第四インターナショナル小史」を参照されたい。だが、M・パブロの果した歴史的な役割の重要さの点だけでなく、この現代においてもなお、もっとも手ごわい論争者の一人として、第四インターナショナルの全ての活動家によってその名は記憶されているということをつけ加えておきたい。彼のすばらしさは、本書目身が有弁に語っている。
 戦後のインターナショナルが、長い抑圧がもたらした停滞を大胆にはねのけ、どこから出発し、どこへ行こうとしたのか、一九五二年第三回世界大会の基調を示す本書を通じて、諸者諸君が、行間を埋める灼けるような革命的ロマンチシズムをもふくめて、するどくつかむことをのぞむものである。
  1974年2月  《国際革命文庫》編集委員会


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