第四章 資本主義諸国におけるスターリニズムの衰退と没落
20 各国共産党の危機は党内の闘士の革命的情熱と、官僚主義が彼らに強制しようと欲するソ連外交政策の道具としての機能との間の矛盾に基づいているが、この危機は過去数年間に次の二つの要因によって促進されている。一方では世界中の革命的高揚の発展によっていくつかの党が革命前的(あるいは革命的)情勢に直面しそして党内の戦闘的分子は指導者の日和見主義的政策について不満を表明している。アルジェリアのような場合には、労働者の圧力ないし大衆の革命運動は、それによってスターリニストの指導部がもともと反革命の立場から左翼への重要な転換をよぎなくされるまでに強くなっている。
他方において、ソ連と「人民民主主義諸国」における官僚主義の危機の勃発は、すべての資本主義国の共産党において危機が発展する強力な刺激となって作用している。この危機はスターリン死後ただちに爆発した。それはチトーのはなばなしい復活によって大いに促進された。それはソ連共産党二〇回大会で最初の爆発点に達したが、すぐに非常に急速にポーランドとハンガリーの革命をともなう第二の爆発点と発作に達した。今日各国共産党が二つの傾向に分かれているといっても決して誇張ではない。それらのうちのいくつか(ポーランド、ユーゴスラヴィア、ノルウェイ、アメリカ、イタリアの一部、ベルギー、スゥエーデンの各共産党、さらにイギリス、オーストリア、ブラジルの強力な反対派)は、最初のソ連のハンガリーへの干渉を非難し、二度目の干渉には、非難しないばあいにも、遺憾の意を表しており、ポーランドの革命に共鳴している。他方の党(ソ連、チェコ、東ドイツ、ルーマニア、ブルガリア、アルバニアおよびフランスの共産党)はクレムリンの政策に完全に同調している。中国共産党とこれに追随するアジアの共産党の大多数は、この二つの傾向の中間的立場に立っているようである。中国共産党は次第に国際共産主義運動における調停者の立場になりつつあり、同時に「非スターリン化」の国際スターリニズム運動におよぼす影響を限られたものにするためにクレムリンと協力している。
このめざましい発展の源は明らかである。すなわち、ポーランドとハンガリーの革命において、今日スターリン主義者の危機を育んでいる二つの潮流、客観的に革命的な潮流と主体的な「非スターリン化」の潮流とに収斂したのである。さらに、ハンガリーにおいては、ソ連官僚はスペイン内戦以来はじめて公然たる反革命的役割(すなわち大衆の大規模な革命的蜂起を自ら弾圧すること)を演ずることを強制された。(一九五三年のドイツの経験ははるかに限られたものであった)。たしかに世界のある部分では、ハンガリー事件がおこった時期は大衆の革命的蜂起に有利でない客観的情勢と一致してしまった。けれども、植民地・半植民地のばあい、事情が逆だった。そこではハンガリー事件は闘争に直接の教訓あるいは刺激として作用した。このようにして、「正統派」スターリニストの立場は植民地・半植民地の国においては一層ひ弱いものとなった。
21 各国共産党の危機の一般的な特徴は、さまざまな程度であれ、すべての資本主義国の共産党にあてはまるものであるが、それは次のように要約できる。
(a) スターリンの死後、とくにフルシチョフの暴露以後、ソ連政府とソ連共産党の指導者の無謬性を信ずるスターリン主義的思想の基礎そのものが、致命的打撃を受けた。共産主義のすべての基本的問題が再び検討されている。ここから、重要な問題について、ソ連政府の行為が世界のプロレタリアートの一部ないし全体の利益と衝突すると思われるとき、そのような行動の有効性がますます多くの共産党闘士諸君から公然と疑問視されるであろう。
(b) 服従の基礎であった信頼がこのように喪失すると、官僚主義的な共産党指導部の硬直的な組織や討論の自由の欠除、機関の横暴や共産党の頂点にたって統制を維持している反民主的な方法にたいして、真実の反抗をひきおこしている。形式的でない真実の民主的中央集権主義(大会に先立って党の公けの機関での真実の討論、大会の定期的開催、秘密投票による指導者の選挙、党内に分派をつくる権利ないし――少なくとも中国共産党の新しい規約においてすでに確立されたような――少数者が大会で敗北した後にも彼らの意見を維持できる権利、など)の適用を要求する声がますます多くの人々からあげられている。
(c) わずかのばあいを除いて、スターリニストの指導者は下級機関の民主的な圧力に屈していないが、もしくは部分的にだけ(党内での自己の指導権を維持するために)屈服しているにすぎない。だから、公然ないし非公然の討論が党内で発展するにつれて、多くの側面からねり上げられ比較検討された一定の綱領にもとづいて民主化と政治活動の修正にたいする道をひらくために、下部の前衛は彼ら自身の党の官僚主義的雰囲気の大小に応じて、大なり小なり公然ないし非公然の分派を形成している。
(d) 不可避的に、これらの分派と反対派は、フルシチョフ報告であばかれた経験に基づいて、彼らのソ連との関係を修正し、そしてソ連社会とソ連国家(ユーゴスラヴィアとポーランドの共産党の場合のように、より一般的に、資本主義から社会主義への過渡期の問題)を分析しなければならない。「ロシア問題」(国際トロツキスト運動において全期間にわたって論議されたような)はいまや共産党の全翼にわたって発生している。
(e) 官僚主義的機関の自己満足的な保守主義と無知とに対立しつつあるこれらの反対派は、彼らの綱領を、単にソ連の問題にたいしてだけではなくて、共産主義の原則のすべての問題、すなわち、社会民主主義との関係、現代資本主義の分析、植民地革命にたいする立場、労働者評議会、社会主義への道、インターナショナル等々にまで拡大しなければならないことをまもなく発見する。
22 経験が明らかにしたように、直接に関心がある問題や原理上の問題にたいしてとっている立場に応じて、共産党内に結成されている反対派は、右派と左派の二つの範疇に分類される。
右翼反対派は、主要な共産党の長期にわたる(そして、ソ連第二〇回大会後の今日においても)の右翼日和見主義の論理的帰結ではあるが、この日和見主義はその資本主義世界との関係において、その主要な歯止め(スターリニストの党のソ連官僚への無条件的従属によって準備された)を失っているものなのである。そのような分派(フランスのエルヴェ、イタリアのジォリッテイ、アメリカ共産党のゲーツ派等)は、社会主義への新しい道、すなわち、資本主義諸国において(きわめて大にして強力な資本主義国においてさえ)、社会民主主義者と緊密に提携しつつ、平和的で議会主義的な手段で権力を奪取できる、というフルシチョフの言葉を本ものと受け取っている。彼らは「平和」ないし(いっそう卑俗な方法で)その国の「民族」(すなわち帝国主義的ブルジョアジーの民族)の観点から植民地革命を疑問視するに至るところまで、「社会民主主義化」にむかって急速に進んでいる。
他方において、左翼反対派は、スターリン主義的現象にかんするフルシチョフの解釈の矛盾と各自の共産党の政策の根本的な日和見主義的性格(子どもじみたセクト主義と定期的に結びついた)に反対している。左翼反対派が共産党の指導部を非難する点は、有利な機会を利用して大衆運動を勝利に導くこともできず、現実にその国の土着の労働運動に根ざすこともできなかった無能力ということである。左翼反対派は各国の帝国主義的ブルジョアジーとの平和共存ではなくて、そのブルジョアにたいするより強力で効果的な闘争を望んでいる。フランス共産党の「マルティ」派、オーストリアおよびブラジル共産党の反対派、イタリア共産党の種々の反対派はすべてこの傾向の典型的なものである。
これらの分派が共産党内で自己を主張するかあるいは自己を主張する権利のために公然と闘うかぎり、共産党内に特殊加入戦術をとっている第四インターナショナルの支部や第四インターの指導下にあるかもしくは共同して働くシンパは、共産党内のすべての潮流が指導権をもつすべての機関において発言し民主的代表をおくる権利を擁護するであろう。数十年の官僚主義的窒息の後に、下部の共産党員闘士の批判的な現在の精神状態では、政治生活に自己の方針を見出すことができる能力を見出すまでは、長期の反省と討論と種々の意見に直面することとを必要とする。左翼反対派は異なった傾向の自由な対決を何らおそれない。この対決によってこれらの国々に真に革命的な前衛の結成が助長されるであろう。さらに、主要な要求として分派を組織する権利を主張しながら、他の政治的見解の異なる他の流派にこの権利を拒否することは不可能である。これらの理由から、トロツキストは共産党内の民主主義のための闘争においては例外なくすべての党員の先頭にたち、同時に最も進んだ分子に左翼反対派の形成を呼びかけるであろう。
23 西欧諸国の大衆的共産党(フランス、イタリア)においては、「非スターリン化」の論議は、これらの党の官僚主義的指導者が党の発展にとって幸運な多くの革命前的または革命的情勢を利用する能力を明らかに欠いていることによって激化されている。しかしながら同時に、これらの諸国に存在する一般的な危機の中にあって、社会民主主義のより大きな破産(フランスのアルジェリア戦争とスエズへの冒険、イタリアのキリスト教民主主義との協調)によって、これらの国の共産党はプロレタリアートの大多数(とりわけその最も戦闘的な部分)を引き込むことができたのである。イタリアにおいては、しかしながら、ネンニの党のより左翼的な路線が共産党にたいして激しい競争をいどんでいる。この理由から、最も健全な左派は共産党内にとどまる傾向があり、追放されたグループは「右派共産主義」、さらに中道右派ないし左派社会民主主義の形成にむかって急速に堕落する傾向がある。ハンガリーとポーランドの革命の進展と、ポーランドとユーゴスラヴィアの共産党が他の共産党に思想的な影響を与えようとした試みは同様な効果をもっている。だからといって、われわれの支部がこれらの組織内で活動することを(とくに彼らが労働者階級の部分に数的に相当な重要性と影響をもっている場合には)、原則として軽視しなければならないというのではない。しかしこの活動は、一般的な特殊加入戦術に従属しなければならない。特殊加入戦術はこれらの国に革命政党を建設するためには唯一の効果的な戦術であることが前よりいっそう明らかになりつつある。
西ヨーロッパのスターリニストの小セクト(ドイツ、イギリス、ベルギー、オランダ、スイス、オーストリア、スカンジナヴィア共産党など)については話は同じではない。そこでは、スターリニズムの危機がおこったのは、単に「非スターリン化」とかハンガリーおよびポーランドの革命の一般的な反響のせいだけではない。共産党の大衆への影響が破滅的に衰退したことや、それが組織的労働運動からほとんど完全に孤立していること、(セクト主義的戦術と右翼的日和見主義戦術の周期的な交代にもかかわらず)社会民主主義者の下部との「親善」をむすぶ能力のなさによっても育まれている。とくにこれらの党の右翼共産主義派は屈従に傾き、たいてい共産党の完全な解党そのものを提案するところにまでいたっている。左翼共産主義分派は、大衆運動にたいする完全なセクト主義によって麻痺していないかぎり、まもなくわれわれの運動の戦術に近い戦術を展開する。これらの分子がレーニン主義的路線の勝利のために共産党内で闘いを継続することを呼びかけながら、われわれは彼らに、右翼的政策に代るものとして、社会民主主義的組織と労働組合の内部で革命的綱領に基づいて、第四インターナショナルの支部の枠内において活動する展望を与えなければならない。この活動の目的は、彼らが改良主義的な指導者の日和見主義に順応することではなくて、できるだけ短い期間に改良主義的指導者の、勤労階級のもっとも戦闘的な層におよぼす影響力を減殺し、のちに新たな大衆的革命政党を創立することを助けることにある。(この活動から各支部によってすでにかちとられた積極的な成果を重視する)そのような綱領から、共産主義の反対派はわれわれの運動によって獲得されうるのである。
半植民地・植民地諸国の共産党においてスターリニズムの危機が生じているわけは、とくに、ソ連共産党第二〇回大会がこれらの党の指導者に強制した右翼日和見主義的政策(すなわちソ連官僚と連合しているか、それによって「中立化された」植民地ブルジョアジーの利益に直接かつ卑屈に従属すること)にある。「非スターリン化」の一般的な雰囲気のなかで、そのような政策は、これらの党内の強力な左派の発展に至る。しかしながら大衆の革命運動の圧力に押されて、実際にこれらの党の指導部あるいはその一部は、革命的方向に転換し、自主的な左派が党内で発展するのを事前におさえる。
資本主義諸国の各国共産党内でスターリニズムの危機が次の段階にどんな形をとろうとも、「人民民主主義諸国」とソ連に発展している革命運動はすでにその最終結末を予示している。すなわち、国際共産主義運動の思想的潮流としてのスターリニズムの消滅、今日の共産党の指導者と活動家の一部分の社会民主主義(ないし類似した中間主義ないし右翼組織)への復帰、そして、自覚した共産主義闘士の最も健全な大多数の人たちの新しい革命党への再結集。以上がこの危機から生まれ出るであろう。
第五章 世界社会主義革命の一局面としての
ソ連および「人民民主主義諸国」における政治革命
24 ソ連といわゆる「人民民主主義諸国」における政治革命は、それ自身、永久革命の一過程である。勤労大衆が官僚主義にたいして抱く不満の蓄積から発して、政治革命は、それ自身のロジックに従って、国家のすべての層が参加する人民革命から、ただプロレタリアートの最も自覚的な潮流の勝利に終りうるますます急速な社会的分化へと発展する。そしてこの勝利は、すべての権力を民主的に選ばれた労働者農民評議会に集中することを支持しかつ実現することによって、社会主義的民主主義をもたらすものなのである。革命の永久的性格は、労働者評議会による権力の奪取にとどまるのではない。反対に、権力奪取は例外的に実り多い革命の時期を開始するのである。この期間に(革命に押されてその最高の表現にまで進められた大胆な精神と創造的な自発性のおかげで)すべての側面の社会生活が、容赦なく批判と修正をうけねばならない。それは社会の物質的枠組と両立しうる最高の形態=直接民主主義、平等、連帯をいたるところに実現するためである。生産力の巨大な発展(それは最後に官僚主義的保護監督から解放されるだろうが)と革命の国際的拡大によってもたらされる社会の物質的枠組の拡大、それはそれ自身永久革命の目的となるであろう。そしてまさにこの段階が次の壮大な目的をますます意識的に追求するであろう。すなわち、人類の三分の一と地球の四分の一以上を占める全労働者国家にわたってソヴィエト民主主義が勝利することである。
25 しかし官僚主義的に堕落させられ、歪曲をうけた労働者国家における政治革命は、それ自身力学(ダイナミックス)をもった永久革命の一過程にすぎないのではない。それはまた、永久革命の世界的力学(ダイナミックス)、世界社会主義革命の必要不可欠な部分でもある。既存の労働者国家のいくつかにおける政治革命の勝利によって、プロレタリア国際主義の根本的形態に帰ることがないということは実際には考えられない。それは、それらの国が国際労働運動を保護的統制のもとに確保せしめるような特別な利益を擁護するのではなくて、資本主義国における労働者と植民地・半植民地人民の解放運動をできるかぎり援助し促進するであろう。
また、客観的に言っても主体的に言っても、ソ連においてソヴィエト民主主義が再建されたならば、そこから国際労働者階級運動は十月社会主義革命の結果にのみ対比しうる刺激を受けるであろう。ただ官僚主義の罪悪のみを非難の対象とした反共的ブルジョア宣伝と、その社会民主主義者の召使どもの影響は消滅するであろう。ソ連と「人民民主主義国」における生活水準の上昇が急速に可能となれば、これらの国は資本主義世界の人民にとっての魅力を増すであろう。最後の資本家列強の帝国主義ブルジョアジーはまもなく世界的に孤立するようになり、世界はそれに根本的に敵対するに至り、そして世界中の労働者の大多数は、まもなく労働者国家と植民地革命の側に合流するであろう。これらの国の多くの国において労働者階級運動が内的な強化をとげれば、疑いもなく、短期間に権力奪取を日程にのぼせるであろう。
第二次大戦後、世界革命の具体的な進行は、中国と植民地の革命を世界革命の主要な原動力とした。革命の波は、ソ連とソ連官僚に支配されている国々に手をのばし、この官僚にたいする政治革命を世界革命の第二の強力な原動力とするであろう。これらの国々においては、革命は数百万の高度の教育を受けた専門的労働者を見出すであろう。これらの労働者は、今日、人類の社会主義的再組織によって提起された問題を、第一次大戦の翌日のドイツおよびフランスの労働者と同じ高い意識性をもって解決する能力をもっている。ソ連における政治革命の勝利の具体的な展望は、世界第二の最も強力な工業国のプロレタリアートによる直接的な権力行使の展望である。それはまさしく世界社会主義革命の最終的勝利の序曲となるであろう。
〔『フォース・インターナショナル』一九五八年冬季号〕
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