つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる

第二章 平和共存=平和革命=社会党寄生
   ――社会民主主義集団・向坂派の骨格――

 労農派の日和見主義的伝統を十二分に受けついでいる協会向坂派とは、「マルクス・レーニン主義を、日本の歴史に具体的に適用し、日本における社会主義革命を達成することをその使命と」(註1)する集団だそうである。具体的には「創立以来、つねに極左翼と闘い、社会党の右傾化、改良主義化に抵抗して、成果をおさめてきた。総評の健全なる発達に貢献するところも少なくない」(註2)と自賛する活動をやってきた集団である。
 さらに、彼らの路線は、平和共存=平和革命=社会党強化に、集約することができる。
 このような協会向坂派は、世界中どこにでもころがっている修正主義、日和見主義の集団と本質的には変るところはない。ただひとつ、向坂派の世界に誇っていい独自性は、社会民主主義党に寄生し、それを養分として生き永らえ、自らの党を建設しようとしないということだけである。この点でも、先述したように労農派の伝統が脈々と生き続けている。
 この向坂派は、いまだ社会党の潮流下にある労働者人民が革命の大道に流れこむことを阻止する防波堤としての役割を果し、総評民同路線を突破して闘おうとする労働者大衆を民同の下につなぎとめる役割を果している。この意味で、向坂派は社会党・民同への小官僚補給源の役割を果し、日本階級闘争を中間主義の水準に固定化させるためにのみ存在している集団だと規定してさしつかえない。

 「日本共産主義」を夢想

 協会派向坂派は、自らを「マルクス・レーニン主義を日本に適用し、日本における社会主義革命を達成する」集団だと規定している。
 この「日本に適用し、日本の革命を達成する」という規定は、いったいマルクス・レーニン主義の路線なのであろうか?スターリニストの党も含めて、いまや「……における革命路線」なるものが粗製乱造されてとどまるところがないが、世界百ヵ国でそれぞれ百通りにマルクス・レーニン主義を歪曲し、修正することを意味しはしないだろうか?世界革命を百通りに切りきざみ固定化することを意味しはしないだろうか。
 この点からまず検討してみなければなるまい。
 協会向坂派の諸君には、大変気の毒なことだが、マルクスも、エンゲルスも、レーニンも、トロツキーも、総じて全ての共産主義者は、「日本に共産主義を適用し、日本の革命を達成する」などとは、一度も問題を立てたことがない。シミのように、マルクスやレーニンの文献に巣くって生存している向坂氏をはじめ、協会の諸君がこのことをよもや知らないことはあるまい。
 かつてマルクスは、ドイツの日和見主義的指導部の「ゴータ綱領」に対して、鋭い批判を加えたことがあるが、その批判点の一つに民族主義的偏向がとりあげられた。
 日和見主義者は、「まずもって今日の民族国家の枠内で活動」し、その個々の民族内の努力が、「諸国民の国際的な親睦となる」とする綱領を準備した。これとても、国際主義的観点を欠落させ、「日本における社会主義」としか言わないわが協会向坂派に比してはるかにマシであるが、この「ゴータ綱領」に対して、マルクスは、ラッサールの民族主義的偏向をまねるものだと次のように批判している。「『今日の民族国家のわく』たとえばドイツ帝国のわくは、それ自体また、経済的には世界市場の『わく内に』あり、政治的には諸国家体系の『わく内に』ある。……ドイツ労働党はその国際主義をなにに帰着させるのか?彼らの努力の結果が『諸国民の国際的な親睦となる』という自覚である。ドイツ労働者階級の国際的な職分については、一言もいっていないのだ!」(註3)
 「ゴータ綱領」以下の協会向坂派「日本におけるマルクス・レーニン主義の適用、日本における社会主義革命の達成」路線は、その出発点ですでに民族主義・一国主義の誤りに陥ってしまっている。マルクスが批判した当時の一八七○年代の世界市場・諸国家体系のわく内での民族国家の特徴は、帝国主義段階に入り、とりわけ、ロシア十月革命を起点とした革命か反革命かの世界的二重権力時代への突入によって、ますます鮮明になり、世界ブルジョア体系の「わく内に」ある日本帝国主義の「国際的職分」はますます大きくなっている。
 にもかかわらず、わが協会向坂派は、出発点から世界の中の日本帝国主義の国際性を捨て去り、全世界を世界プロレタリアートが全的に獲得するという世界革命を捨て去り、民族主義に転落してしまっている。前述したように、第三インターは、「国民的利害を国際的革命の利害に従属させる」ことをすべての共産主義者に要求した。残念ながら、わが協会向坂派は、この要求を拒否し、逃亡してしまっている。諸君たちの国際的職分は何か? この間に答えるすべを持ち合せていない。
 「共産党宣言」は、「共産主義者は、……プロレタリアの種々の民族的な闘争において、全世界プロレタリアートの共通の、国籍に左右されない利益を強調し、おしつらぬく」と鮮明にその国際主義的立場を謳い上げたが、マルクス・レーニン主義者を僭称する協会向坂派は、この共産主義者がまず立脚しなければならない原則的立場に立つことにためらいを示し、「日本における社会主義」を対置し、自らの闘争の展望を一国の枠内に限定し、社会民主主義者の実態をあらわにしている。
 「マルクス・レーニン主義の日本への適用」(その実態は、革命的共産主義の日本流の歪曲と修正)を主張する協会向坂派は、「日本における社会主義の達成」をするという。
 ところで、日本一国における社会主義は、論理的にも現実的にも可能であろうか? 夢想ではなかろうか? 大衆をたぶらかすペテンではないのか?
 社会主義協会テーゼはいう。「日本労働者階級の当面する歴史的使命は、日本における社会主義社会を実現することである。社会主義革命の第一段階は、革命的社会主義政権の樹立である」(註4)。(彼らのいうプロレタリア独裁のもとで)「社会発展を規定する物質的生産力は、その基本的な桎梏をとりのぞかれ、新しい社会秩序のなかで生じうる矛盾を、意識的に解決しつつ、革命を必要としない社会発展を必然的にする。このような社会秩序を土台にしてのみ、意識的計画的に、人間の経済生活と文化は、無限なる発展の展望をうる。……国家権力はじょじよに死滅し、マルクスが『各人は能力におうじて働き、必要におうじて与えられる』といった、『よりたかい共産主義』の段階にちかづく」(註5)
 筆者の名誉のために断っておくが、この引用の後半分から、故意に「世界」の文字を削り落したのではない。世界と切り離して、日本一国で「『より高い共産主義』の段階にちかづく」と正真正銘、彼らは言っているのだ!
 これは、マルクス、レーニン、トロツキーの立場とは全く無関係であり、マルクス・レーニン主義の歪曲であり、一九二〇年以降のスターリン、ブハーリンの立場への転落ではないのか。マルクスも、レーニンも、トロツキーも、アプリオリに社会主義社会とは「世界社会主義社会」であり、共産主義社会とは「世界共産主義社会」であると主張したのは、自明のことである。
 たしかに、ロシア十月革命、中国革命、キューバ革命、そして最近ではベトナム革命が実証したように、一国においてブルジョアジーの権力を顛覆し、プロレタリアートの権力を樹立する「革命的社会主義政権の樹立」はあり得ることである(それとて、日米両帝国主義を軸とした国際帝国主義勢力との激烈な闘争の結果であり、協会のいうように日本ブルジョアジーを日本プロレタリアートが打倒するという、国際性ぬきの単純な図式ではますます考えられなくなっているが)。驚いたことに協会向坂派は革命的社会主義政権を基礎に日本において社会主義社会はもとより、共産主義の段階にちかづくというのである。なぜ、「ちかづく」などとあいまいな規定をする必要があるのか。彼らの論理的必然としては、「共産主義社会が日本において達成される」と規定されてしかるべきであろうに。
 一八四七年、「プロレタリアは、この革命において鉄鎖のほかにうしなうものはなにもない。彼らの得るものは全世界である。万国の労働者よ団結せよ!」(註6)と喝破したマルクスは、「プロレタリアートの支配は、それ(諸国民の分離と対立……筆者)をますます消滅させるであろう。すくなくとも文明諸国が一致して行動することが、プロレタリアートの解放の第一条件の一つである。一個人が他の個人を搾取することがなくなるにつれて、一民族が他民族を搾取することもなくなる」(註7)と「労働者は祖国をもたない」ことを公然と主張し、個人的搾取はもとより、民族間の搾取もない社会、つまり世界社会主義共和国――世界共産主義社会として、階級の消滅を展望した。マルクスは、その論拠として「諸国民の民族的な分離と対立とは、ブルジョアジーが発展するにつれて貿易の自由や世界市場が確立し、工業生産とそれに照応する生活関係が一様になるにつれて、すでにしだいに死滅しつつある」(註8)と述べた。
 マルクスの一八四七年の時代でさえ、生産力がブルジョア国家の壁とぶつかり始めていたこと、それを止揚するのはプロレタリアートの歴史的使命であることが鮮明にされたこと、の二点が明らかになっていた。最後の資本主義、死に瀕する資本主義段階としての帝国主義では、このマルクスの指通を変更する必要がないばかりか、その正当性がますます強調されるだけである。帝国主義段階では、世界経済の生産力は、一国的壁とますます非和解的にぶつかり両立しえなくなっている。ところが生産力が高度に発展した、「金融資本のヘゲモニーの下にある世界経済と世界政治の時代」(トロツキー)の帝国主義段階で、協会向坂派は、極度に拡大した生産力を国家の壁に封じこめた日本共産主義を夢想する。これはちょうど、あぶなっかしいゴム風船に際限なく空気を送りこんで、なおかつ風船は破れる筈はないと強弁するという反動的ユートピアであり、ペテンである。彼らは帝国主義を止揚する社会主義――共産主義を、資本が世界をいまだ征服しなかった一国単位の原始的蓄積段階の共産主義として描き出すのだ。
 アメリカを先頭とした帝国主義勢力と協力・共同し、対立して、世界帝国主義として存在している日本帝国主義、とりわけ、アジア反革命帝国主義として存在している日本帝国主義。“石袖ショック”が一挙に危機にまでのぼりつめる一因となったことに端的に示されるように外国貿易、人と資本の輸出、植民地政策とのつながりでかろうじて存立している日本帝国主義。この世界的にのみ成立している日本帝国主義を止揚するものとして、自足的社会主義社会=日本社会主義など、誰がいったい展望できるであろうか。
 各国の公認共産党指導部であるスターリニストたちは、世界革命―世界社会主義共和国の路線をくぐりぬけ、これを歪曲して、一国社会主義路線を固定化した。わが協会向坂派は、そもそも第一歩から国際主義と無縁なところから出発し、スターリニストの歪曲に論理と力を借りて、一国社会主義路線を公然と叫んでいるにすぎない。もともと彼らには、国際プロレタリアートの共通の利益、全世界の獲得、などの国際主義とは無縁のところにいたのだ。

 スターリニストから盗用した平和共存論

 協会向坂派が、自らをマルクス・レーニン主義者と自称し一国社会民主主義の本質を隠ぺいするためには、世界を語り、世界戦略を語らなければならない。彼らは、本質の隠ぺいに成功しているか。
 彼らは、一応形式的に世界情勢を語り、世界戦略を語りはする。だがその内容たるやソ連共産党第二十回大会(一九五六年)、八一ヵ国共産党・労働者党代表者会議声明(一八五七年)にあらわれたフルシチョフ路線の寸分たがわぬ引きうつしであり、独創性は何もない。本質的に「日本における……」の一国主義者である彼らは、日本国内情勢の分析だけで手いっぱいであり、世界は何も見えなかったこと、さらに、フルシチョフらスターリニストが、共産主義から革命性を捨て去りマルクス主義を修正したので彼らも安心できたこと、の二つの要因からであろうか、彼らは恥らいもなくフルシチョフ路線を剽窃した。
 「社会主義協会テーゼ」に仰々しく述べられている国際情勢は、われわれにはすでにおなじみのように、@第二次大戦後社会主義世界体制は着実な前進を示し、世界史の発展の積極的担い手となりつつある、A資本主義の危機の深化を反映して、階級闘争が資本主義全体にわたり、すべての大陸で激化してきている。帝国主義支配弱体化がだれの目にも明らかになっている、B被抑圧民族は、社会主義世界体制と資本主義諸国の労働者階級、進歩的諸勢力に支持されて、反植民地と民族独立の旗をかかげて、独立をかちとってきた、ということになる。この世界情勢から導き出される世界戦略も、おなじみの「平和共存政策」である。
 「テーゼ」はいう。「帝国主義勢力の戦争政策に対して、社会主義諸国は、社会制度の異なる諸国家との外交政策の基本原則として、平和共存政策をとっている」(註9)、「平和共存のたたかいが、前進することは、帝国主義社会における社会主義革命と被抑圧民族の民族独立革命を、帝国主義の武力による圧殺からまもる条件をつくりあげる。……。平和共存のたたかいが前進するなかで、諸国人民は世界戦争をさけながら、みずからが当面する革命を達成することができる」(註10)。
 各ページに盛り込まれた固有名詞こそ一九七一年風に変えられてはいるが、内客たるやソ連共産党二十回大会路線そのままである。しかも破廉恥にも、彼らは「ソ連のばあいは基本的には、テーゼと同じ立場にたって世界情勢をとらえている」(註11)などとうそぶいているが、歴史の偽造もはなはだしい。事実は、協会向坂派がソ連の路線をそっくりそのまま盗んだにすぎない。
 すでにわれわれは同志沢村義雄の論文「レーニン主義の綱領のために」(国際革命文庫3)で、平和共存のもつ反動的ユートピアとしての本質を展開しているので、これ以上付け加える必要はない。同志沢村は、以下のように述べた。
 「老いたる帝国主義は今や労働者国家を締め殺す力をもっていない。だが一方世界のプロレタリアートもまたなお先進帝国主義権力を打倒することができずに現在にいたっている。まさしくこの力の一定の均衡が現在世界に両体制の共存を可能にし不可避にしているのである。すなわちこのいわゆる両体制『共存』の現実は、同時に国際ブルジョアジーと国際プロレタリアート、資本主義と社会主義との絶対相容れない二つの勢力の必死の闘争の舞台である」
 「現在の一定の均衡『共存』は遅かれ早かれいずれかへと解決を迫られる。これをくいとめることはできない。これがいかに解決されるか? それはただひとつの陣営ブルジョアジーとプロレタリアート、資本主義と社会主義との闘争のみが決定する。われわれが彼らに打ち克って世界革命を成功へと導くか、それとも彼らに打ち負かされて人類の破局へと導かれもう一度やり直さねばならないか? 二つに一つ中間の道はあり得ない。」」
 「ブルジョアジーは歴史を逆転させようとして、彼らの秤皿へ必死になってぶら下っている。われわれのなすべきことは唯一つ、前の秤皿へ全力をかけて、この一点の均衡を前方へと覆えすこと。彼らを根本的に一掃することにある。しかるにこの均衡を保とうとするのが『平和共存』の理論(?)ではなかろうか」(註12)
 これに付け加える必要は何もない。ここではいくつかの質問をなげかけるにとどめよう。
 第一に、両体制の共存を可能にしているこの均衡が、ベトナム・インドシナ革命の勝利的前進によって崩れ、世界は前の秤皿へ大きく傾いたのは周知の事実だが、諸君たちはこれを「平和共存政策の勝利」と強弁するのか? 一九一七年のロシア十月革命以来、現出した国際ブルジョアジーと国際ブロレダリアートとの世界的な二重権力状態は、ベトナム革命を機に、世界プロレタリアートの最終的勝利の展望を切り開くまでにいたった。だが、この新しい情勢を迎えてもなお諸君たちは、現状の固定、革命の延期を図る「平和共存政策」に固執するのか?
 第二に、この世界史を大きく変えようとするベトナム・インドシナ人民の英雄的な闘争に、「平和共存」論に立つ諸君たちはいかなる連帯闘争をしたのか? われわれは、社青同内一分派であった諸君たちが、六〇年代後半から七〇年代にかけて、ベトナム人民の闘争への連帯のために一指だに動かさなかったことを知っている。諸君たちと今や基本的には同一路線の一国主義に立つ日本共産党すらがたまりかねて諸君たちを「アメリカ帝国主義の最大、最長のベトナム侵略戦争にあたって向坂派は、ベトナム支援のためにいったい、どういうことをしたでしょうか。かれらは、……結局、ベトナム支援という反帝勢力の第一義的な国際的責務を後景にしりぞけてしまいました」「いったいこれが、『プロレタリア国際主義者』なのでしょうか」(註13)と批判している。これは「平和共存路線」なるものの世界階級闘争に対する犯罪的性格を明らかにしたものといえないだろうか?
 第三に、平和共存論を生み出す論拠として一国社会主義論がある。一九五六年フルシチョフらが平和共存論を打ち出した前提には、「平和共存さえ守られるなら、われわれは平和的競争で資本主義にうちかつだろう」という思惑があり、「二十年後には、ソ連は共産主義になるだろう」と大ボラを吹いたものだ。諸君たちは、この論理を借りうけて「平和共存のたたかいが前進するなかで、諸国人民は世界戦争をさけながら、みずからが当面する革命を達成することができる」(註14)、と日本における社会主義革命を達成する作業にいそしむ路線を明らかにし、ベトナム人民に対しても、「南北統一問題をふくむベトナム問題をベトナム人民の手によって解決させる」(註15)、つまり、「俺たちは日本の社会主義、お前たちは勝手にしな」の路線を提起した。国際階級闘争と切りはなしたソ連の共産主義化、日本の社会主義化、ベトナム問題の解決、等々のツギハギ路線の革命路線は有効なのだらつか? 諸君たちは一応「(社会主義)権力を樹立することと社会主義を建設していくことはちがう」(註16)と権力奪取と社会主義社会の確立を区別している。その上で「ソ連一国で社会主義はできた」(註17)、「ドイツ民主共和国ではすでに社会主義になっている」(註18)等々とバラバラ一国社会主義達成の評価を加えている。いったい、ソ連やドイツ民主共和国が革命権力を樹立してから社会主義になったのはいつか? その指標(=メルクマール)は何か? さらに諸君たちに質したい。一国社会主義論の最もマンガ的な行きつく先として、ソ連の一国内純粋培養の共産主義達成論がある。諸君たちが路線を盗みとった当のフルシチョフの一九五六年のご託宣によれば、「二十年後にソ連は共産主義になる」ことになっている。つまり、今なお一方に帝国主義体制を残したまま、ソ連は来年共産主義になり、ことしは共産主義の前夜ということになる。これは本当か? マルクスやレーニンによれば、共産主義社会では、階級がなくなり、国家がなくなり、真に人類が創造と生の喜びを満喫できるということになっている。官僚がわが者顔にのしあるき、労働者人民の政治的自由が極度に抑圧され、帝国主義反革命からの防衛のため今なお核を含む軍事力をもち、国家の壁はなくなるどころか、中ソ間の国家の壁はますます高く、厚くなっている段階での共産主義社会、これはいったい共産主義なのか? 諸君たちは答えてくれなければならない。
 結局のところ、平和共存論を借りてきて世界性を粉飾してみても、また「協会テーゼ」に木に竹をつないだように唐突にプロレタリアートの国際主義の確立を強調してみても一国主義の隠ぺいの役にすら立っていない。世界プロレタリアートの共同の事業としての世界帝国主義体制打倒の地平とは全く別のところに協会向坂派が立っており、「日本の革命は、われわれ自身が考え、指導するという立場をつらぬくと同時に、国際的なプロレタリアートの連携、協力が、各国の社会主義運動にとっていかに重要なことであるか、これは矛盾しない」(註19)というマルクスが徹底的に批判した「ゴータ綱領」そのものの立場が彼らの本質であり、その本質に一国主義的に結びついたのが、彼らのいう平和共存論なのである。

 平和革命論のデマゴギー

 一国主義者として生まれおち、長ずるにつれて一国主義のカラをますます厚くする協会向坂派は、平和共存論によって世界を「日本に社会主義を達成する」ための周囲の環境ととらえて、受験勉強生よろしく「われわれは日本革命のためにいそしむから、どうか外界は静かに、あくまで静かにしてくれ」と乞い願ってきた。
 この一国主義者がすばらしい革命理論を創造したそうである。ただ難をいえば、それが日本にだけ通用して、世界には通用しないのだそうだが。
 向坂先生は自らの理論的性格を次のようにいう。「日本の客観的な情勢にしたがって、日本では国家権力の平和移行ということをうちだしているわけですから。日本にはそういう法則性があると私は考えているのです。だから、これをドイツとか、フランスとか、どこへでももっていこうとは、私は考えない。……われわれは日本では平和革命の条件があるのだから、平和革命ということを主張するけれども、ソ連のことについては、ソ連の人にまかせるほかはない」(註20)。
 これは謙遜というものだ。先生方が創造した平和革命という素晴しい理論は、世界中のどこの修正主義者、社会民主主義者、スターリニスト指導部の間でも充分通用する。先生方が何の連帯行動もしなかったベトナム・インドシナ革命では、いささか無理かも知れないが。
 向坂大先生が仰々しく日本における法則性と銘うった平和革命とは何か? 協会向坂派は次のようにいう。
 「われわれが、労働者階級の経済的、政治的な日常の利益のために献身し、憲法改悪反対闘争を中心とする原水禁その他平和と民主主義と自由のためのいっさいの運動に全力をあげるならば、独占資本を孤立させ、社会主義のための『政治的軍隊』をつくりあげることができる。国会における社会主義革命を遂行しようとする政党が、国会外の『政治的軍隊』と有機的にむすびつき、広範な国民大衆の支援をえているばあいには、社会主義革命、いいかえると、労働者階級への国家権力の移行は、国会をつうじて武装蜂起なしに、平和的に遂行される」(註21)。
 つまり、「国会を通じての国家権力の移行」が彼らのいう平和革命ということになる。
 なぜ、それは可能か。国際的に有利な一般条件があり、さらに、決定的条件として、国内の歴史的条件として民主主義が制度化されているからだと、次のように説明してくれる。
 「社会主義の世界体制の強化・発展、帝国主義諸国における労働者階級のインターナショナリズム(オヤ、オヤ? 向坂派が言うとは)の成長、アメリカの経済的、政治的威力の退潮、世界における平和運動の拡大強化、このような国際関係の発展は、各国における社会主義の実現を容易にし、わが国における国家権力の平和的な移行の一般的な条件となる」(註22)。
 彼らがいう「わが国の歴史的運命を究極的に決定する国内の歴史的条件」としては、
 「民主主義は、現憲法によって制度化され、国家権力は、国民を代表する国会に集中している。民主主義の精神は、いくたの障害をのりこえて、国民の間に浸透している。……こんにち国会はたんなる『おしゃべり』の場所ではなく、国民が欲しさえすれば、そしてその意思を組織された力に転化することに成功しさえすれば、行政官僚や自衛隊・警察や、裁判所にたいして、国民主権の存在として、その実力をしめすことができる」(註23)。
 彼らは、国会を通じて権力の平和的移行ができる根拠として、現行憲法のもとでは「国民はきたるべき革命の性質やその具体的な形態について、自由に語り、社会主義社会の実現を使命とする政党を合法的に組織できる」(註24)、そんな有難いご時世なんだとわれわれを説得してくれる。
 国会で革命が自由に語れるなんてちっとも珍しくない。アメリカはすでに十七世紀後半に革命の権利を認めた独立宣言をもっているではないか? ところで卒直に聞きたいが、「有難いご時勢なら、なぜ革命は平和革命になるのだ」と尋ねたとしよう。協会向坂派は、マルクスも、エンゲルスも、レーニンも、みんな偉い人は平和革命の必然性を述べている、と次のように教えてくれる。
 「『国民がいっさいの権力をその手に集中しているような、また、人びとが、その背後に国民の多数を有する場合には、いつでも、憲法にもとづいて思うままのことができるような諸国において、旧社会が平和裡に新社会に成長していくものと考えることができる.とエンゲルスが述べている」(註25)。
 彼らはエンゲルスの「エルフルト綱領批判」から自分の好みにあった文章を抜き出し、しかも、自己流に改ざんして「平和革命必然論」の教典をつくり出そうとしている。だがエンゲルスはこんなことを述べたことはない。次のように述べているにすぎない。
 「人民代表機関が、全権力をその一身に集中していて、人民の大多数の支持を獲得しきえすれば、憲法上はなんでも思うようにやれる国でなら、古い社会が平和的に新しい社会に成長移行してゆける場合も考えられる」(註26)。
 協会向坂派がエンゲルスの文章から「場合も考えられる」を故意に削りとってしまったことは、両者の文章を対比してみれば歴然としている。しかも、エンゲルスも協会向坂派の願望に反して、平和的移行を必然とは見ないで、殆んど可能性のないものと考えていたことも明らかである。「資本論」の「英語版への序文」で彼は、ヨーロッパでは、イギリスだけが唯一平和的、合法的に革命が遂行されるかも知れない国だが、それとて支配階級が「奴隷制支持のための反乱」なしに屈伏することはほとんど期待していない、とマルクスが述べたと明言し、そのマルクス本人も、イギリスの平和革命の可能性について「私はその点についてあなたほど楽観的ではありません」(註27)と「ザ・ワールド」紙通信員にこたえている。協会向坂派の平和革命必然論の唯一の論拠は、こういったこじつけでやっとデッチ上げたものにすぎないが、逆に、平和革命論の日和見性、犯罪性を論難した文章は山ほどある。元来、マルクスも、エンゲルスも、レーニンも、トロツキーも、およそ革命的マルクス主義者と目される人たちはことごとく協会向坂派が恐怖をいだいている暴力革命主義者だったのだから。すべからく「共産主義者は、彼らの目的はいっさいの既存の社会制度を暴力的に転覆することによってしか達成できないことを、公然と言明する」(註28)を誇りにしてきたのである。
 マルクス、レーニン等全ての共産主義者を平和革命論者に仕立て上げ、自らと同列に引き下げようとする協会向坂派の醜悪な試みも失敗してしまっては、なおさら、「有難いご時世だったらなぜ革命は平和的になるのか」と尋ねたくなる。
 マルクス、レーニンに頼れなくなった彼らは、ここからは自力で答えなくてはならない。彼らは、「現憲法下では、国家権力は国会に集中しているから」とおよそ珍奇な理論を提出する。
 悪い冗談はやめてもらいたい。いつから国家の本質は変ったのか、唯一片の紙切れにすぎない憲法が「国家は、特殊な権力組織であり、ある階級を抑圧するための暴力組織である」(註29)という本質を変えてしまったとでもいうのか。諸君たちには、都合の良い時にはレーニンを引用し、都合の悪い時には素知らぬ顔をするという嫌らしい性癖があるが、少なくとも次のレーニンの正しい指摘と諸君たちの路線とは全く正反対であるという明白な事実だけは承認してもらいたい。
 「国家の支配形態はさまざまでありうる。……だが、本質上権力はつねに資本の手にある。……制限選挙権があろうが、それとも違った選挙権があろうがなかろうが、そのとおりてある。……そして、民主的な共和国であればあるほど、資本主義の支配はそれだけ粗暴で、鉄面皮でさえある。世界でもっとも民主的な共和国の一つは北アメリカ合衆国である。しかも、資本の権力、全社会にたいするひとにぎりの億万長者の権力が、この国におけるほど……粗暴な仕方で、アメリカにおける公然たる買収を手段として発揮されているところは、ほかにどこにもない。いったん資本が存在するなら、それは全社会を支配する。そして、どんな民主的共和国も、どんな選挙権も、事の本質を変えはしない」(註29)。
 この本質は、「民主主義が国民に浸透している」と諸君がいう日本でも変りはない。協会向坂派佐藤保事務局長は「平和と民主主義の新憲法は、独占ブルジョアジーの手足をしばりつけて、その反動的政治支配の復活強化を妨げる機能を果した」(註31)というが、お目出たいにもほどがある。平和的で民主的だといわれる憲法の外被をまとったブルジョア独裁の日本では、侵略と反革命を専門とする軍隊(=自衛隊)、警察、監獄、裁判制度は異常に強化され、官僚体制も前代未聞の成長をとげ、その上にイデオロギー支配まで日に日に強化されてきたことは、明らかなことである。ブルジョア独裁下の国家権力とは、これら軍隊、警察、監獄、裁判所、官僚体制など本質的には労働者人民支配のための暴力装置である。このマルクス主義のイロハともいうべき本質を完全に捨て去り、協会向坂派は、「支配階級のどの成員が、議会で人民を抑圧し、ふみにじるかを数年に一度きめること――もっとも民主的な支配制のばあいにもブルジョア議会制度の真の本質はここにある」(註32)というレーニンの指摘をも放擲し、「おしゃべり」の機関にすぎない国会に「権力が集中している」と荒唐無稽な論理を展開するのである。
 だから、国民を通じて暴力装置に「実力をしめすことができる」(何とあいまいな非科学的な主張であろうか)、よって平和革命達成という図式をえがく、これは、マルクス・レーニン主義ではない。ブルジョア協調の思想か、さもなくばブルジョアへの武装解除の思想である。
 かつて、協会向坂派の偉大なる先達、山川均は、「ブルジョアジーへの信頼を基礎に平和革命路線を立てる」と次のように言った。
 「そこで我々が、平和革命の綱領を立てたということには、暗黙のうちに、日本ブルジョアジーの賢明な指導者諸君は、政権を手放さないために民主主義を政治的自由の破壊をこころみたり、社会主義政権を転覆するために暴力を使うような……愚かなことはしないだろうという『信頼』が含まれているわけである」(註33)
 協会向坂派の平和革命論は、この山川発言と本質的に大差はない。ところが、山川均の信頼や、協会向坂派の確信とは逆に、歴史上どんな支配体制も闘わずして歴史の舞台から退去したことは一度としてない。もしも、山川のようにブルジョアは暴力の行使はしないだろうという「信頼」や、協会向坂派のように国会を通じて、ブルジョアの暴力装置の手を縛ることができるという確信の上に革命路線を立てるということは、度しがたいお人好しというほかはない。
 「プロレタリアートに、資本主義との究極的な生死の闘争に際して、彼らが従順な仔羊のごとくブルジョア民主主義の要請に従うことを求めるのは、殺人犯と命がけで闘っている人間に、彼の敵によって書かれはしたが守られていないフランス式レスリングの、人工的で制限的な規則を守れというようなものだ」(註34)。
 この痛烈な皮肉は、山川均や協会向坂派に献上されてしかるべきだろう。この協会向坂派の路線は、必然的に革命の流産をもたらし、プロレタリアートに甚大な被害を及ぼすことは火を見るより明らかである。できもしない平和革命が、あたかも可能かのように宣伝、煽動するのは階級への犯罪である。
 ところで協会向坂派はマルクスとエンゲルスがパリコンミューンの総括の中から導き出した偉大なる命題、「労働者階級は、できあいの国家機構をそのままわが手に握って、自分自身の目的のためにつかうことはできない」を承認し、プロレタリア独裁も承認しはする。その上でなお平和革命、彼らの図式によれば武装蜂起ではなく議会を通じての平和的移行によってプロレタリア独裁を樹立するという。
 これは問題を歪曲して提出している。問題は武装蜂起か、平和革命かの選択ではない。それは現象論であって、本質的には、ソヴィエト政権という形態と密接不可分なものとしてプロレタリア独裁を承認するかどうかだ。パリコンミューン、ロシアのソヴィエト政権、ドイツのレーテは、労働者、兵士、農民の代表者による、ブルジョア権力と対立した「組織されたプロレタリアートの権力」なのである。それは、当然にも、暴力的にブルジョア国家機構を解体し、ブルジョアジーの生産手段を奪取するであろう。
 協会向坂派のような武装蜂起か平和的移行かという問題の提出は現象的で主観的である。暴力革命といわれる武装蜂起をともなったロシア革命は、世界革命史上類のないほど流血の少なかった「平和革命」であったし、諸君たちが「平和革命」の典型ともてはやしたチリのアジェンデの実験は、目をおおうばかりの犠性者を出した「暴力(反)革命」であった。
 再度言おう。問題は流血の多寡による相違ではなく、労働者が自己を権力としてうち固めるソヴィエト革命こそが最も確実に、容易に到達しうる唯一の解決方法であることを承認するかどうかである。協会向坂派の主張するような議会を通じてのプロレタリア独裁の道などありえないデマゴギーなのである。
 「プロレタリア独裁の形態は如何。われわれは答える、ソヴィエトと。これはロシアで証明された、普遍的意味をもつ。ソヴィエト政権は議会主義と調和しうるか。否、断じて否。それは現存の議会とは絶対に調和しない」(註35)。
 結局のところ、ブルジョア議会とプロレタリア独裁とが調和しうるかのように夢想する協会向坂派は、口先だけで承認した既存の国家機構の解体、プロレタリア独裁をも実質的に踏みにじってしまうのである。事実、「行政官僚や自衛隊・警察や、裁判所に対して、(国会を通して、国民は)実力をしめす」というあいまいな言いまわし、「革命的社会主義政権は、ただちに、既存の行政、司法、教育および軍事などの諸機関を掌握し、あるいは廃棄しなければならない。これら機関の官僚主義は破壊され」(註36)にホされるように、「実力を示し」たり、「既存の国家機関を掌握」したり、「できあいの国家機関を利用する」立場に転落する。また、ブルジョア国家と対立して実力で権力を樹立する道を否定する協会向坂派は、労働者人民の武装による反革命の封殺ではなく、没階級的な「民主主義的な警察」をもっと主張したり、「民主主義的軍隊が必要かどうかは、こんにちこれを決定するのは、尚早である」などと言い、実質的にはプロレタリア独裁否定の立場に転落する。

 “合法的共産党”をめざす組織論の日和見主義

 これまで述べた協会向坂派の一国主義・平和共存・平和革命の路線は、各国の共産党がますますブルジョア秩序守護のための有力なパートナーに堕落するにつれて、スターリニストの路線との殆んど本質的差異を矢ないつつある。特にこの点での協会向坂派と日本共産党との基本的路線の違いは殆んどなくなってしまったと断言してさしつかえなかろう。相互が反発し合いながら、同じ人民戦線路線の純化のために切瑳琢磨しあっているとみてよい。唯一つ、革命の基本路線をめぐって日本共産党と違った協会向坂派のきわだった特徴は、独自の党をもとうとしないこと、つまり党建設への徹底した日和見主義である。この解党主義は前述したように労農派の伝統をそっくりそのまま受けつぐものである。
 彼らは、独自の革命党を建設するかわりに「日本社会党の階級的強化」を叫ぶ。
 「科学的社会主義、マルクス・レーニン主義を土台とする政党として、われわれは質的にも量的にもなお不十分であるが日本社会党をもっている。社会主義協会は、この日本社会党の階級的強化をつうじて日本に社会主義社会をうちたてることを、その最大の基本的性務とする組織である」(註37)。
 彼らが、独自の向坂流「マルクス・レーニン主義者」の党を作らないで、社会党に寄生する根拠として社会党に対する彼らの次のような評価がある。
 「日本社会党は、日本におけるきたるべき革命を社会主義革命と規定し、それは国家権力の平和的移行によって達成されるという根本的に正しい革命の戦略を定めている」(註38)。「日本の勤労階級の圧倒的多数が、日本社会党の将来につよい期待と希望をいだいている」(註39)。「われわれは、これ(日本社会党)を理論的にも組織的にも、そのあらゆる面で真の革命政党に強化することは可能であると考える。いな、それ以外に日本における革命の主体的条件をきずきあげる道はないと考える」(註40)。
 と、まあ大した惚れこみようというものだ。
 ここで二つの疑問にぶつかる。その第一はおよそマルクス・レーニン主義を自称するグループが何故に独自の党建設への努力をしようとしないのか、はたして党建設への日和見主義者がマルクス・レーニン主義者と席を同じくすることができるのか。第二に、なぜ、社会党を革命政党に強化することは可能なのか。もしも、いささかでも社会党が革命党へ発展する可能性を有している党であるならば、協会向坂派のような、いかがわしい、エセ「マルクス・レーニン主義集団」が一瞬といえども党内に存在するとは思えない。社会党内に協会向坂派が存在すること自体に、社会党は永久に革命政党になれない反証をわれわれは見るのだが。
 第一の点から検討しよう。革命党はそれ自体アプリオリに世界党でなければならない。「プロレタリアートの独裁のための闘いは、この政縄を採用する全共産主義分子の統一にあり、断乎たる国際的綱領を必要とする」(註41)のだがすでに述べたのでここでは一国の党に限定してみよう。
 なぜ協会向坂派は、一国規模でも革命党を建設しようとはしないのか。それに答えるものは「社会主義協会テーゼ」、「平和革命と労働者階級」(協会向坂派事務局長・佐藤保)など彼らの綱領的文書のどこにも提出されてはいない。唯一つそれらしいものとして「テーゼ」の討論の「労農派と講座派」の項で、福本イズムを批判して、「何をなすべきか」を機械的に適用してはならないと向坂先生が「日本の条件のもとで、いつ、どういうかたちで前衛党をつくるかということは日本の経済、社会、政治の状態を正確に分析する必要がある」(註42)と労農派の立場を説明した箇所があるだけである。
 周知のように、一九二〇年当時の共産主義者たちは、「もしパリ・コンミューン当時に、労働者階級がいかに小さくとも規律厳正な共産党を有していたならば、フランス・プロレタリアートの最初の勇敢な蜂起は、はるかに大きな重さをもち、そして多くの誤謬や弱点は避けられたであろう」(註43)と、革命の勝利のために不可欠な条件として革命党の建設を提起した。革命党なしに革命で勝利できないことはもとより、革命を準備することすらできないとレーニンは「@確固たる、継承性をもった指導者の組織がないなら、どんな革命運動も永続的なものとはなりえない。A自然発生的に闘争に引きいれられて、運動の土台となり、運動に参加してくる大衆が広範になればなるほど、こういう組織の必要はいよいよ緊急となり、またこの綱領はいよいよ永続的でなければならない」(註44)など五項目を主張し、党の必要性を訴えた。
 革命を準備し、革命に勝利するためには、「規律厳正なる共産党」=革命党が必要だという普遍的で、自明の論理を労農派―協会向坂派は拒否し、「日本の条件を検討しなければならない」などと日和見主義をあらわにした。この日和見主義の行先は、レーニンがあれほど強く批判した「大衆の自然発生性への拝脆」の道である。労農派の「合法共産党」=連合共同戦線党の構想は、党を個々のグループや職業の利害の寄せ集めにしてしまった。「日本の条件を検討して」云々は口実にすぎない。本音は、戦前の日本帝国主義の暴圧と真正面から闘うことを何としても避けたいということであった。これが独自の革命党を建設しようとしなかった日和見主義者の真の理由である。この日和見主義の伝統を充分に受けついだ協会向坂派が党建設の事業を放素し、共同戦線党の戦後版であり、個々のグループや、職業的利害の寄せ集めである日本社会党にのみこまれたのもけだし当然であろう。マルクス・レーニン主義者から言わせれば、協会向坂派のこの路線は、革命の準備と勝利を予め放棄した敗北主義、日和見主義者ということになり、マルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもない集団だということになる。
 第二に、社会党はなぜ革命党になりうるかという点である。
 協会向坂派は、社会党が将来革命党になりうる論拠として、この党が「社会主義革命」の綱領をもち、戦後「勤労国民の多数を引きつけてきた」ことを挙げる。そして、この党に協会向坂派がイデオロギー注入を行ない、思想的に統一すれば、革命党になる、とわれわれに教えてくれる。これは、我が田に水を引く議論である。
 革命に勝利するに不可欠な党とは、「最善の、最も階級意識に富み、最も献身的で達見の労働者でつくられ」(註45)ており、「労働者階級全体の利害より他の利害をもたない」(註46)党でなければならないこと、つまりブルジョアジーとブルジョアジーの国家から完全に独立し、対立する党でなければならない。しかも、党は最低、世界革命とソヴィエト革命の二点を承認する綱領をもっていなければならないのは自明のことである。すでに先の西山論文でわれわれが明らかにしたように社会党は生成そのものが社会民主主義の党であり、その登場も一国主義の党として歩みを続けてきた。日本の大衆闘争が一国主義、平和主義の水準を越えない限りにおいて、「社会民主主義のワクをふみ出した社会民主主義の党」(清水慎三)でもありえた。だが情報の深化に呼応して、大衆闘争それ自身が一国主義、平和主義と衝突し始めるや否や、党の危機と分解が加速されたことは周知のことである。大衆闘争それ自体が、社会党を離れて発展し、この党を越えようとする今、以下のような社民的体質を何一つとりのぞくことに成功していない。
 @日本社会党は、革命の綱領を持ち合せていない。現に形式的にある社会党綱領は、全く革命に役立たないことは明らかであるばかりか、社会党自身がこれを綱領と認めていないことも明白である。元来、この党は綱領に結集する党ではなく、綱領は党を名乗るための体裁にすぎず、飾り物にすぎない。極端にいえば、綱領に何か書かれていようとも、党員はこれと離れて全く自由である。
 A日本社会党は、「最善の、最も階級意識に富み、最も献身的で達見の労働者」でその骨格がつくられていないで、議員と議員候補プラス民同幹部中心につくられた連合戦線党である。党は、個々のグループや職業の利害の寄せ集めとして存在しており、その中でも特に議員は、「党の統制と指令に完全に従属」していないことは誰の目にも明らかであり、議員は直接自己の出身団体とプチブル大衆に媚を売るのみで、党を自由分散化することにのみ役立っている。大会毎にくりひろけられる「階級政党か国民政党か」、「マルクス主義と一線を画した党か、マルクス主義をも認める党か」の不毛な論争は、党の実態を暴露して余りある。
 B日本社会党はブルジョアジーとブルジョア権力から独立していないばかりか、逆に依存することによって成立っている党である。常にこの党が議会主議の路線によってブルジョアジーと補完し合っているという消極的理由だけでなく、「滋賀金脈=成田金脈」がはしなくも暴露したように、積極的にブルジョアジーに依存しているのである。
 これらの諸点を克服して、革命党に変身させるという協会向坂派の願望は、社会党が社会党でなくなることを期待することであり、それ自体、「党は合法的で共同戦線的党でなければならない」とする協会向坂派の度しがたい路線と非和解的に対立し、矛盾するものである。
 問題は、社会党が革命党たりうるかどうかではない。この点では、誰の目にも明らかなように結論は出ている。指弾されなければならないのは、絶対に革命党たりえない党を、あたかも革命党になりうるかのように触れ廻る協会向坂派のデマゴギーである。「社会党を革命党に」という彼らの公言は、つまるところ「われわれは党を建設しようとは思わない」という自己告白でしかない。さらに「党なくして革命に勝利できるかのように考えているのがわが集団だ」「卒直に言えば、われわれは革命など毛頭考えてはいないのだ」の自己告白として「社会党強化論」をわれわれは聞かなくてはならない。

 以上概観したように、協会向坂派はマルクスやレーニンの言葉でさまざまな迷彩をほどこしてはいるが、存在それ自体が一国主義、民族主義であり、世界戦略としてスターリニストの平和共存論を借り、ありもしない平和革命論を吹聴し、あらかじめ、革命党の建設を放棄した集団であり、本質的にはマルクス・レーニン主義と無縁な社会民主主義の集団にすぎない。

 註1 「社会主義協会テーゼ」P一二。
 註2 同上P一一。
 註3 マルクス「ゴータ綱領批判」大月書店選集第六冊P二四。
 註4 「協会テーゼ」P七五。
 註5 同上P七七。
 註6 マルクス「共産党宣言」―大月書店選集第一冊P七九。
 註7 同上P五六。
 註8 同上P五五。
 註9 「協会テーゼ」P三五。
 註10 同上P三六。
 註11 「社会主義協会テーゼ」学習のために―「協会テーゼ」P一五六。
 註12 沢村義雄「レーニン主義の綱領のために」―国際革命文庫3P三八〜九。
 註13 〈シンポジウム〉社会主義協会向坂派批判〜「前衛」七四年十一月号P二八。
 註14 「協会テーゼ」P三六。
 註15 同上P三七。
 註16 「協会テーゼ」学習のために―「協会テーゼ」P二〇五。
 註17 同上P一六三。
 註18 同上P二一三。
 註19 「協会テーゼ」学習のために―「協会テーゼ」P一七九。
 註20 同上P一五一〜二。
 註21 「協会テーゼ」P八一〜二。
 註22 同上P七九〜八〇。
 註23 同上P八〇。
 註24 同上P八〇。
 註25 同上P八一。
 註26 マルクス・エンゲルス「ゴータ綱領批判、エルフルト綱領批判」―国民文庫P九六。
 註27 マルクス・エンゲルス全集第十七巻P六一三。
 註28 マルクス「共産党宣言」―大月書店選集第一冊P七九。
 註29 レーニン「国家と革命」―国民文庫P三六。
 註30 レーニン「国家について」―同上P一七五。
 註31 佐藤保「平和革命と労働者階級」P一三七。
 註32 レーニン「国家と革命」―国民文庫P六一。
 註33 山川均「社会主義への道」―労大新書2P一〇八。
 註34 「全世界のプロレタリアートに対する共産主義インターナショナルの宣言」
     ―「コミンテルンドキュメント」TP四五〜六。
 註35 「議会とソヴィエトに関する共産主義インターナショナル執行委員会の回章」―同上P六五。
 註36 「協会テーゼ」P七六。
 註37 「協会テーゼ」P九五〜六。
 註38 同上P九五。
 註39 同上P九六。
 註40 同上P九七〜八。
 註41 「第一回大会が可決した共産主義インターナショナル設立の決議」―「コミンテルン・ドキュメント」TP二五。
 註42 「協会テーゼ」学習のために―「協会テーゼ」P一二五。
 註43 「コミンテルン第二回大会で採択されたプロレタリア革命における共産党の役割に関するテーゼ」
     ―「コミンテルン・ドキュメント」TP一一五。
 註44 レーニン「何をなすべきか」―国民文庫P一八三〜四。
 註45 「コミンテルン第二回大会で採択されたプロレタリア革命における共産党の役割に関するテーゼ」
     ―「コミンテルン・ドキュメント」TP一一五。
 註46 同上P一一五。


つぎの章へすすむ「国際革命文庫」総目次にもどる