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国際革命文庫 13

国際革命文庫編集委員会 訳

1a

電子化:TAMO2

「マルクス経済学入門」
エルネスト・マンデル 著


第一章 価値・剰余価値理論

   はじめに

 結局、文明の歴史におけるあらゆる進歩は、労働生産性の上昇によってもたらされてきたのである。人間のあらゆる集団が、かれら自身の生存を維持するのに必要なだけをかろうじて生産していたかぎりにおいては、あるいは、この必要生産物以上の剰余が存在しなかったかぎりにおいては、分業が行われ、職人や芸術家および学者が生れてくるのは不可能なことであった。こういった条件下では、職業が専門化されるための技術的必要条件を満たすことは不可能であったのである。

   (1) 社会的剰余生産物

 労働生産性が、ひとりの人間が自己自身の生存に必要なものだけしか生産できないという水準にとどまっているかぎり、社会的分業は行われないし、社会内ではいかなる社会的分化も発生する可能性はない。このような条件の下では、すべての人間が生産者であり、すべての人間が同一の経済水準である。
 この低い水準を労働生産性が少しでも越えると、少量の剰余生産物が可能となり、いったん、生産物の剰余が生れ、人間の二本の手が自己の生存に必要なもの以上に生産できるようになれば、この剰余をいかに分配するのかをめぐる闘争の条件がつくられるのである。
 この時点から以降は、ひとつの社会集団のつくりだす総生産物が、もはや生産者の生存に必要な労働によってのみつくりだされるといった事態は、なくなってしまう。この労働生産物の一部は、いまや、社会のある部分を、自身の生存のために働かなければならないという事態から解放するために使用されるのである。
 この状況が発生すると必ず、社会のある部分が、支配階級となることが可能となる。支配階級をはっきりと特徴づけているものは、自己の生存のために働く必要からの解放である。
 したがって、生産者の労働はふたつの部分に分けることができる。この労働の一部は、生産者自身の生存のために使用され続けるが、われわれはこの部分を必要労働と呼ぶことができる。労働のもういっぽうの部分は、支配階級を維持するために使用されているが、われわれはこれを剰余労働と呼んでいる。
 これを、プランテーション奴隷制についてのまったくはっきりした例を取り上げて説明してみよう。このプランテーション奴隷制は、ローマ帝国時代のある時期、一部の地域で存在したし、また、西インド諸島や、十七世紀から開始され、大プランテーションが作られたポルトガル領のアフリカ諸島でも、われわれはそれを見い出すことができる。これらの熱帯地域では、一般に、奴隷の食糧さえも主人からあたえられなかった。奴隷は、この自己の食糧を生産するために、日曜日にちっぽけな土地を耕やさなければならなかったのであり、この労働から生み出された生産物が彼の食糧のたくわえとなるのであった。奴隷は週六日間プランテーションで働き、かれらの労働によって生み出された生産物をその見返りとして全く受け取らなかったのであった。これこそが社会的剰余生産物を生み出す労働であり、生産されるやいなやそれは奴隷の手を離れ、奴隷の主人のものとなるのである。
 週労働は、この場合七日間であるが、これは二つの部分に分けられる。一日の、つまり、日曜日の労働は、必要労働を構成し、この労働は、奴隷とかれの家族の生存のための生産物を生み出す。残りの六日間の労働は、剰余労働であり、その生産物のすべては主人のものとなり、かれの生存となおそのうえにかれの富裕化のために使用される。
 中世初期の大荘園は、われわれに、また別の例を提供してくれている。これらの荘園の土地は三つの部分にわけられていた。森、牧草地、沼地などからなる共有地。農奴自身とかれの家族の生存を維持するために、農奴によって耕やされている土地。そして最後に、封建領主を維持するために、農奴によって耕やされている土地。この時代の週労働は、通常六日間であり、七日間ではない。この労働は、相等しいふたつの部分にわかれていた。農奴は、その土地で働けば、その生産物が自己のものになる土地で三日間働き、残りの三日間は、かれは報酬なしで、無料労働を支配階級に提供するというかたちで、封建領主の土地で働いた。
 これらのふたつのまったく異なった労働によってうみだされる生産物のそれぞれは、異なった用語で定義することができる。生産者が必要労働を行なっている時には、かれは必要生産物を生産しているのである。かれが剰余労働を行なっている時には、かれは社会的剰余生産物を生産しているのである。
 こうして、社会的剰余生産物は、それが、天然の生産物であるか、販売用の商品であるか、それとも貨幣であるかという社会的生産物が姿をとるその形態にかかわりなく、労働する階級によって生産されるが、それが支配階級によって私有される社会的生産のこの部分なのである。
 剰余価値は、社会的剰余生産物の単なる貨幣形態にすぎない。従来「剰余生産物」として定義されてきた社会的生産のこの部分を、支配階級がもっぱら貨幣形態で私有するとき、われわれは「剰余生産物」のかわりに「剰余価値」という用語を使用するのである。
 しかしながら、われわれが後で見るように、いま述べたことは、剰余価値についての定義のほんの初歩的アプローチにすぎないのである。
 社会的剰余生産物は、どのようにして発生するのか? それは無償の私有、すなわち、生産する階級のつくりだした生産物の一部を支配階級が無償で私有する結果として発生するのである。奴隷が一週間にプランテーションで六日間働き、このかれの労働生産物の全部かかれに対する代償なしにかれの主人に取られるとき、ここでの社会的剰余生産物の源泉は、奴隷によって主人に対して提供される無料の労働、無償労働にある。農奴が領主の土地で一週間につき三日間働くとき、この所得、つまりこの社会的剰余生産物の源泉は、おなじく農奴によってあたえられる無償労働、無料の労働のなかに見い出すことができるのである。
 われわれはもっと先で、資本主義的剰余価値、すなわら資本主義社会におけるブルジョア階級の所得、の源泉がまったく同じである、ということを明らかにするであろう。それは、やはり、無償労働であり、無料の労働であり、プロレタリアート、つまり賃金労働者がそれを資本家に、それの代償にまったく何の価値をもうけとらずに、あたえるのである。

   (2) 商品・使用価値・交換価値

 われわれはいまや、以上の解明によって今後使用されるであろういくつかの基本的定義をあきらかにした。この点にさらに多くの定義がつけ加えられなければならない。
 人間労働によってつくりだされたすべての生産物は、通常、効用をもっている。それは人間の必要を満足させることができなければならない。したがって、人間労働によるすべての生産物は、ひとつの使用価値をもっているといってもよいであろう。しかし、この「使用価値」という用語は、今後ふたつの異なった意味として使用されていくことになろう。われわれは商品の使用価値について述べるだろう。同時にまた、われわれは、たとえば、使用価値のみが生産される社会、つまり、生産物が生産者自身もしくはそれを私有する支配階級の直接の消費のために生産されているような社会に言及するとき、使用価値という用語を使用するであろう。
 この使用価値とともに、人間労働による生産物は、同時にもうひとつの価値、交換価値をもちうるのである。それは、生産者かあるいは富裕階級による直接消費のためというよりもむしろ、売ることを目的として生産される場合が考えられるのである。売ることを目的として生産された生産物の集積は、もはや単に使用価値の生産と見なすことはできない。それは今や商品の生産なのである。
 商品は、したがって、直接消費のために生産されたものとは対照的に、市場で交換されるために生産された生産物である。すべての商品は、使用価値と交換価値とを同時にもっているはずである。それは当然使用価値をもっているはずである。さもないと誰もそれを買わないだろう。というのは、購買者はそれを買うことによってかれの一定の必要を満足させるという最終消費に関心があるだろうからである。どんな人にも使用価値のないような商品は、したがって、売れないだろうし、無用な生産である。それは、まさしく使用価値をもたないために、交換価値をももたないであろう。
 他方、使用価値をもつすべての生産物が、必ずしも交換価値をもっとはかぎらないのである。商品が生産されている社会自身が、交換に基礎をおき、交換が日常的な習慣になっている社会になっている程度に応じて、それは交換価値をもつのである。
 生産物が交換価値をもたない社会は存在するだろうか? 交換価値、ましてや商業や市場の基礎は、分業の一定程度の発展によってつくりだされる。生産物が生産者によって直接に消費されないためには、すべての人が同じ物を生産するのに従事してはいないということが不可欠となる。もしある特定の社会が分業をもたないか、もしくは、もっとも原始的な分業形態をもっているにすぎない場合、そのときは、交換の存在理由はまったくないことはあきらかである。通常、小麦を栽培している農夫は、おなじく小麦を栽培しているべつの農夫と交換すべきものを持っていないのである。しかし、分業が生れるやいなや、そして、それぞれあい異なる使用価値を生産する社会グループ間の接触が開始されるやいなや、交換がまず最初は偶発的に、ついでより永続的に行なわれることが可能となっていく。このようにして、交換のためにつくられた生産物・商品は、生産者の直接的消費のためにだけつくられた生産物と併行して、徐々にうまれてくるであのである。
 資本主義社会においては、商品生産、つまり、交換価値の生産は、最高度の発展段階に到達する。それは、人類史において生産物の主要部分が商品からなる最初の社会である。資本主義の下でのすべての生産が商品生産であるということは正しくない。生産物のうちの二つの部分は、依然として単なる使用価値にとどまっている。
 第一の部分は、農民によって自己の消費のために生産されるすべての生産物、つまり農場で栽培され直接消費されるすべての生産物、である。農民の自己消費のためのこのような生産は、全体の農業生産の中ではほんのわずかな部分を占めているにすぎないけれども、合衆国のような先進資本主義国にさえ存在している。一般に、ある国の農業がより後進的であればあるほど、農業生産の中の自己消費にまわされるその比率はより大きくなる。 この要因は、このような諸国の国民所得の厳密な計算を極度に困難にする。
 商品ではなく単なる使用価値にとどまっている資本主義社会の生産物の第二の部分は、家庭で生産されるすべての生産物である。かなりの人間労働が、この種の家事労働に取られているという事実にもかかわらず、それはいまだ使用価値の生産にとどまっており、商品生産ではない。スープが作られ、ボタンが衣服に縫いつけられる度に、これは生産を構成しているが、市場のための生産ではないのである。
 商品生産がうまれ、それ以降この商品生産が規則的になり、全般的に拡大するにつれて、人間労働の方法と社会の組織方法とが急速に変革されていった。

   (3) 疎外についてのマルクスの理論

 読者諸君は、すでにマルクス主義の疎外論について当然聞いたことがあるだろう。商品生産の発生、それの規則的な展開、その全般化と直接に結びついて、この疎外現象も本質的に拡大していく。
 われわれは、ここでは問題のこの側面についてながながと述べることはできないが、商業の歴史が資本主義の時代よりもはるかに広範な時代にわたっているがゆえに、この問題に注目しておくことは非常に重要である。このなかには、われわれが後に論ずるであろう小商品生産もまた、ふくまれている。さらに、商品を基礎にした社会には、資本主義後の社会、つまり、こんにちのソビエト社会のような資本主義から社会主義への過渡期にある社会が存在する。というのは、この過渡期社会は、交換価値生産の基盤に立つ非常に広範な分野を、依然として残存させているからである。いったんわれわれが、商品を基礎とする社会のいくつかの根本的特徴を把握するならば、たとえばソビエト社会のような資本主義から社会主義への過渡期社会において、ある一定の疎外現象を克服するのがなぜ不可能なのかを、容易に理解することができるのである。
 商品生産かいまだ知られていない社会、そしてまた、個々人の活動と個々人の社会活動とがもっとも初歩的な方法で結合されている社会では、この疎外現象は――少くとも同じ形態としては――存在しないことは明白である。ひとは労働しているが、一般にそれは自分ひとりで労働しているのではない。ほとんどの場合、かれは多かれ少なかれ、有機的機構をもつ集団的グループの一部なのである。かれの労働は物質を直接に変化させる。これらすべてのことは、労働行為、生産行為、消費行為、個人と社会の関係が、相対的な安定性と永続性を有する一定の条件によって支配されていることを意味している。
 もちろん、われわれは原始社会の姿を美化すべきではない。この社会は、極度の貧困のために、種々の圧力と周期的破局にさらされていた。欠乏、飢餓、自然災害などか絶えずこの社会の均衡をおびやかしていた。しかし、破局と破局の間の時期には、とりわけ、農業が一定の発展段階に達し、気候条件が良好であれば、この種の社会は、すべての人間活動に、大きな統一と調和と安定をあたえていたのであった。
 いっさいの美術活動、美的インスピレーション、創造的活動を生産活動から取り去り、それを純然たる機械的で、くりかえしの仕事に置きかえてしまった分業の生み出す悲惨な結末という事態は、原始社会には存在しなかった。逆に、工芸、音楽、彫刻、絵画、舞踏は、最初、生産と労働に結びついたものであった。個人や家族ならびにより大きな血縁集団によって使用されることになっていた生産物にたいして、魅力的でひとの心に訴えるような形態を付与したいという欲求は、この時代の労働の枠組内で正常で、調和のとれた有機的表現をとっていたのである。
 労働はなによりもまず第一に、今日の資本主義のもとでのような、激しく疲労させるようなものではなかったので、外部から強制される義務とは見なされてはいなかった。それは、自然のリズムのみならず、人間器官のリズムにより緊密に従っていた。毎年の労働日数は一五〇日から二〇〇日を越えることはほとんどなかった。他方、資本主義のもとでは、この数字は危険なまでに高められ、三〇〇日近くか、ときにはそれを越える場合もあるのである。さらに、生産者や生産物と消費との間には、この時代には統一が存在していた。というのは、生産者はかれ自身のために、あるいはかれと緊密なひとびとのために、普通は生産を行なっていたために、有機的側面をもっていたからである。近代の疎外は基本的に、分業と商品生産によって生み出された生産者と生産物とのあいだの分裂によってつくりだされたものである。いいかえれば、それは、生産者自身の消費のための労働にかわって、市場のための未知の消費者のための労働が登場したことの結果なのである。
 別の側面からいえば、使用価値のみを生産する社会、つまり生産者に直接に消費される財のみを生産する社会は、過去においてつねに貧困社会であったということである。それは、自然の偶発性に依存していたばかりでなく、人間の欲望にもせまい限界をあたえざるをえなかった。というのは、これらはまさに貧困と生産物の限定された種類の度合に従わねばならなかったからである。すべての人間の欲望は、生れつきのものではない。生産と欲望のあいだには、そして、生産力の発展とあらたな欲望の発生とのあいだには、いっかんした相互作用が存在する。労働生産性が最高度に到達し、生産物の無制限の豊富さが可能となった社会においてのみ、人間は自己の欲望の不断の拡大や自身の潜在的能力の無限の発展および自己の人間性の全面的発展を、経験することができるのである。


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