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国際革命文庫 13

国際革命文庫編集委員会 訳

1b

電子化:TAMO2

「マルクス経済学入門」
エルネスト・マンデル 著


第一章 価値・剰余価値理論

   (4) 価値法則

 商品生産が登場し、それが次第に普及していけば、その結果、労働自身が規則的で測定できるような諸特徴をおびるようになる。つまり、それは、自然のリズムに結びついた、そしてまた、人間自身の生理的リズムにしたがった活動であることをやめるのである。十九世紀までは、そしておそらく二十世紀に入ってからでも、西ヨーロッパの種々の地域の農民は、規則的なやりかたでは労働していなかった。つまり、かれらは毎月同一の労働強度では労働していなかったのである。一年のうちで、必死になって働く時期がいっほうであったと同時に、とくに冬のあいだのように、すべての活動が事実上停止してしまう時期があったのである。資本主義社会がその発展途上でもっとも魅力的な余剰の人間の力を見い出したのは、大部分の資本主義諸国において、もっとも後進的であった農村地帯においてであった。というのは、ここには、その生計手段の一部を農業からえているために、はるかに低い賃金で年四ヵ月から六ヵ月間利用できる労働力が存在していたからである。
 大都市に隣接しているような、基本的に工業化されつつある、より高度で豊かな農場をみれば、労働休止の季節が徐々になくなり、労働がより規則的になり、投下労働量がより多くなり、一年を通じてより規則的に配分されるようになっているのがわかるだろう。このことは現代にかぎらず、少なくとも十二世紀以降の中世においてもいえることである。都市すなわち市場に近づけば近づくほど、農民の労働は市場のための労働、つまり、商品生産になっていき、まさにあたかもかれが工場内で労働しているかのように、その労働が規則的で、多かれ少なかれ安定的になるのである。
 別の表現をすれば、商品生産が普及すればするほど、労働の規則性はより大きくなり、社会は、労働にもとづく計算の体制を基礎にしてよりいっそう組織されるようになるのである。
 中世の商業や手工業の発展が開始されたときの共同体、あるいは、ビザンチン、アラブ、ヒンズー、中国、日本のような諸文明社会の内部のすでに相当すすんだ分業を検討すれば、いくつかの共通の要素がうかびあがってくる。そこに非常にすすんだ、農業と手工業の統合が存在しており、労働の規則性が都市だけでなく、田園でも現実になっており、その結果、労働の持続時間、つまり労働時間に換算して計算する制度がすべての活動や社会の機構さえをも支配する力となっている、という事実にわれわれは驚かされるのである。わたくし自身の著書「マルクス経済学概論」の労働価値説の章で、わたくしはこの労働時間による計算制度の一連の例をあげた。あるインドの村では、あるひとつのカーストが鍛冶屋の仕事を独占しているが、同時にこのカーストに属するひとびとは自身の生活のために土地を耕やしている。そして、つぎのようなルールが確立されている。鍛冶屋が農業用具をつくるために仕事をするとき、顧客はそのための原料を提供すると同時に、鍛冶屋が道具作りに従事している期間中、鍛冶屋の土地を耕やすのである。これは、交換が労働時間の等量によって支配されていることを物語る非常にわかりやすいひとつの方法なのである。
 中世の日本の農村では、その言葉の文字通りの意味における、労働時間による計算制度が村落共同体内部に存在していた。農業がなお主要に協同労働を基礎にして行なわれ、取り入れ作業とともに、農地の開墾や牧蓄が共同で行なわれていたために、村落の会計係は村人によってなされた相互の農地での労働時間数を記入する一種の大きな帳簿を保管していた。ひとつの家族の構成員が他の家族にたいして提供した労働時間数は非常に綿密に記録された。年末に、この交換が決算されなければならなかった。Aという家族の構成員が一年のあいだにBという家族に提供した労働時間数とまったく同等のものを、B家族の構成員はA家族にあたえることが要求された。日本人は――ほぼ一千年前に――子供は成人よりも少ない労働量しか提供しないから、子供の一時間労働は、成人の半時間労働に「値する」ということを考慮するほどにまで精密にしていたのである。計算の全体系は、このような線に沿ってつくりあげられていた。
 労働時間を基礎とする計算制度を直接に洞察できるもうひとつの例かある。それは、封建地代のある形態から別の形態への転化である。封建社会では農業生産物の剰余部分は三つの異なった形態を取りうるのである。それは、労働地代(賦役)、生産物地代、貨幣地代である。
 賦役から生産物地代への転換がおこなわれれば、それはあきらかに、ひとつの転化過程が進行したのである。領主に週三日間の労働をあたえるかわりに、農民は一シーズンごとに、小麦、家畜などを領主に与えるようになる。第二の転化は、生産物地代から貨幣地代への変化によって行なわれる。
 両者のうちのいっぽうがこの過程で損失をうけないことをのそむならば、これらふたつの転化は、労働時間による公平で合理的な計算を基礎にしておこなわなければならない。たとえば、第二の転化がおこなわれると同時に、農民が領主に七十五日を費してえられる量の小麦をあたえたが、以前には百五十労働日を領主に提供していたとすれば、この労働地代から生産物地代への転化は、領主の突然の貧困化と農奴の急速な富裕化という結果におわることになるであろう。
 転化がおこなわれるとき、領主は――必ず――あい異なる地代形態が正確に等価であるかどうかを注意深くたしかめたのである。もちろん、この転化はときには、これに関係しているいっぽうの階級にとって不利な結果をもたらす場合もある。たとえば、もし生産物地代から貨幣地代への転化がなされたあとで、急激な農産物価格の上昇が発生すれば、領主にとっては損失となる。しかしこのような結果は歴史的な性格のものであって、転化それ自身に直接に帰因するわけではない。
 労働時間の計算を基礎としたこの経済の起源はまた、農業と手工業とのあいだの分業が村落内に存在しているような場所には、あきらかにこのような分業から生れるのである。長いあいだ、分業はまったく原始的な状態のままであった。長い歴史的時期を通じて、西ヨーロッパでは千年にもわたって、すなわち中世都市のはじまりから十九世紀まで、農民の一部は自己の衣類を自分で製造しつづけた。衣類を作る技術は、たしかに、土壌を耕作するものにとってなんら神秘的なものではなかったのである。
 農民と織物職人とのあいだの交換の規則的な制度が確立されるやいなや、標準的等価量もまた確立されることになった。たとえば、綿布一ヤール(二十七インチから四十八インチまで所によってこの長さの単位は異なるが)は十ポンドのバターと交換されるが、百ポンドのバターとは交換されないのである。あきらかに、農民は自身の経験をもとにして、一定量の綿布の生産に必要なおおよその労働時間を知っていたのである。布を生産するのに必要な時間とバターを生産するのに必要な時間(これをもとにして交換がおこなわれる)とのあいだに多少なりとも厳密な等しさが存在しなかったなら、ただちに分業に変化が生じた。もし綿布製造がバター製造よりも利益があるならば、バター製造者は、綿布製造者に転換するだろう。この社会は窮極にまで達した分業のいまだほんの端緒の、つまり、あい異なる技術相互間の障壁はいまだ明確になっていない段階にすぎなかった。そのために、一分野の経済活動から他の分野の経済活動への移行は、なお可能性が残されていたのであった。とくに、驚異的な物質的利益が、そのような転換によってもたらされる可能性が存在しているときにはそうであった。
 中世都市においてもまた、非常に巧妙な計算にもとづく均衡が、あい異なる職種間に存在していた。種々の品目の生産に必要な労働時間がほとんど分単位にまで記入されている特許状が存在していた。靴屋や鍛冶屋が、織工や他の職人ならば別のもうひとつの製品を生産するのに費やす労働時間の半分しかかからない製品を、別の製品とおなじ値段で売ることは、このような条件下ではありえないことになる。
 ここにおいて、再びわれわれは、はっきりと、労働時間の計算制度のメカニズム、労働時間の経済を基礎にして機能する社会、つまり、われわれが小商品生産と呼んでいる、一般に長い時期にわたってつづいた社会を、見い出すのである。それは、使用価値のみが生産される純粋な自然経済と、商品生産が無限に拡大していく資本主義経済とのあいだに存在するのである。

   (5) 商品の交換価値の決定

 商品の生産と交換が労働時間の経済つまり、労働時間計算制度に基礎をおく社会の中で規則的、一般的になる、という結論をえた以上、われわれは、商品の交換が、その起源と固有の性質という点において、労働時間計算制度に基礎をおき、商品の交換価値がその商品を生産するのに必要な労働の量によって決定される、という一般法則にしたがっていることが容易に理解することができるであろう。労働の量は、商品を生産するのに要する時間の長さによって測定される。
 この労働価値説の一般的規定は、十七世紀から十九世紀はじめにいたる、ウィリアム・ペティからリカードにいたる古典派のブルジョア経済学と、この労働価値説をとりいれそれを完成したマルクス経済学との両方を基礎にしている。しかし、この一般的規定には、いくつかの点で条件をつけなければならない。
 まず第一に、すべてのひとが、おなじ労働能力、その仕事においておなじ熟練の強度と度合をもっているわけではない。もし商品の交換価値が個人的に支出された労働量、つまりある商品の生産において各人によって支出される労働量に依存しているということになるならば、つぎのような不合理に行き着いてしまうのである。生産者がより怠惰で、労働における能力が劣っていればいるほど、つまり、かれが一足の靴を作るのにより多くの時間をかければかけるほど、靴の価値がより大きくなるということになってしまうであろう。交換価値が労働における意欲にたいする単なる道徳的代償ではなく、分業と労働時間の経済に基礎を置く社会において種々の職を均等化するための独立した生産者間にうちたてられている客観的きづなである以上、こういったことは明らかにありえないのである。このような社会では、浪費された労働はなんの代償も受けないし、反対に、それは自動的に不利なものとして作用する。一足の靴を生産するのに、平均的必要労働時間――平均的労働年産件によって決定され、たとえばギルド憲章に記述されるが――以上に時間かかかった名はすべて、人間分働を浪費しているのであり、ある一定時間数になんの利益も生み出さない労働を行なったのである。
 別のいいかたをすれば、商品の交換価値は、この商品の生産に従事する各個人の生産者によって支出される労働量によって決定されるのではなく、それを生産するのに必要な社会的に必要な労働量によって決定されるのである。この「社会的に必要な」という表現は、ある一定の時期に、ある国で現存する平均的労働生産性の条件下での、必要な労働量を意味しているのである。
 上述の条件は、われわれが資本主義社会の機能をより詳しく検討する場合に、非常に重要な問題として適用されるのである。
 もうひとつの条件をここでつけくわえておかなければならない。「労働量」ということでわれわれは何を意味しようとするのか? 労働者はその資格がそれぞれ異なっている。このような熟練の相違を無視して、ひとりの人間の労働とその他のすべての人の労働とのあいだに完全な同一性が存在するということができるであろうか? 再度、問題は道徳的なものではなく、熟練間の同質性、市場における等価に基礎をおく、これらがもし崩壊すればただちに社会的均衡をも破壊するであろうような、社会の内的論理と関連させて述べられなければならない。
 たとえば、もし未熟練労働者の一時間労働が、自己の熟練を獲得するのに四年から六年ついやした熟練職人の一時間労働と同じに値するとすれば、どのようなことが起るであろうか? あきらかに誰も熟練労働者になりたがらなくなるであろう。職種を学ぶのについやされた労働時間は、職人がその資格をえたのちにもそれにかわる代償をえられないのであるから浪費された時間になってしまう。
 労働時間計算制度に基礎をおく経済では、青年は自らの訓練期間のあいだについやされた時間がのちに支払われる場合にのみ、熟練労働者になることをのそむであろう。したがって、商品の交換価値の定義は、つぎのように述べることによって完全なものとなる。「熟練労働者による一時間労働は、複雑労働、倍化された不熟練労働者の一時間労働と見なさなければならないし、倍化される率はあきらかに任意のものではなく、ひとつの熟練を獲得するのに必要な費用を基礎にしなければならない。」ついでながら、スターリンのもとのソ連において支配的であった複雑労働に関する説明における曖昧さ(これは今日にいたるまでつづいている)について指摘しておかなければならない。労働にたいする代償は、労働の量と質に基礎をおかなければならないと主張されているが、質についての概念は、もはや文字通りのマルクス主義的意味、つまり、固有の増加係数によって量的に測定しうる量としては理解されてはいないのである。反対に、この質の考えはブルジョアイデオロギー的意味で使用されており、それによると労働の質は、その社会的有用性によって決定されるべきであると考えられているのである。これは、元帥、バレリーナ、企業の支配人の所得を正当化するために利用されている。これらの所得は不熟練労働者の所得よりも十倍も高いのである。このような理論は、スターリン統治下で存在し、若干規模が縮少されたけれどもこんにちのソ連にも存在しつづけている所得の巨大な格差を正当化するために広く利用されたのである。このような議論は、むしろ護教論(アポロジェティックス)の分野に属する正当性をまったく欠いたものにすぎない。
 したがって、商品の交換価値は、その商品の生産に必要な社会的必要労働量によって決定されるのであり、そこでは、熟練労働は単純労働の倍化されたものと見なされ、この倍化係数は合理的に測定されうる量と見なされるのである。
 これがマルクス主義価値論の核心であり、全体としてのマルクス経済理論の基礎である。同時に、この書物のはじめにのべた社会的剰余生産、社会的剰余労働の理論は、すべてのマルクス主義社会学の基礎をなすものであり、マルクスの社会学的、歴史的分析、階級と社会全般の発展に関する理論と、マルクス主義経済理論、より正確に言えば、前資本主義、資本主義、資本主義後を貫くすべての商品生産社会についてのマルクス主義的分析とを結合するかけはしなのである。

   (6) 社会的必要労働とは何か?

 少しまえのところで、わたくしは、商品を生産する社会的必要労働量の具体的定義は、資本主義社会を分析する際の、非常に具体的で極度に重要な問題として適用されると述べた。論理的にはこの入門の後半部分に属する問題であるが、いまこの点を検討する方がより有用であるとわたくしは考えている。
 ある時代のあるひとつの国で生産されたすべての商品の総体は、この社会の構成員総体の必要を満たすために生産されているのである。だれの必要をも満たさない、つまり、だれにとっても使用価値をもたない品物は、無条件に販売不可能なものであり、まったく交換価値をもたず、商品とはならない。それは、ある生産者の単なる気まぐれ、もしくは無益な冗談にすぎないのである。別の観点からいえば、もし経済的均衡が存在するならば、ある時代のひとつの社会において、そこに存在し、貯蓄されなくて、市場で消費されるべき購売力の総額は、生産された商品の総量を購売するために使用されねばならない。社会的生産の総量、あるいは、この社会で利用しうる生産諸力の総量あるいはまた、利用しうる労働時間の総量、これらの総量は、消費者が種々の欲求を満たすうえにおいて、購売力を配分する比率と同じ比率で、種々の産業部門間に配分されているということを、この均衡はそれゆえ意味しているのである。生産諸力のこの配分がもはや欲求の配分に照応しなくなるとき、経済の均衡は破壊され、過剰生産と過少生産とが交互にあらわれるのである。
 かなり一般的な例をあげてみよう。十九世紀末から二十世紀初めの頃、パリのような都市では、馬車製造工業が存在しており、それに関連した馬具業とあわせると、数千あるいは数万の労働者が雇用されていた。
 これとおなじ時期に、自動車産業が勃興しつつあって、いまだきわめて大きくはなかったが、数千の労働者を雇用する数十のマニュファクチュアがすでに存在していた。
 さて、この時期を通じて進行した過程は何であったのか? いっぽうでは馬車の数が減少しはじめ、他方で自動車の数が増大しはじめる。したがって、馬車とその部品の生産は、パリ住民が購売力を配分するやり方を反映している社会的必要を超過する傾向を示した。別の観点からいえば、自動車の生産は社会的必要量以下なのである。というのは、このとき以降から工業における大量生産が確立するまで、稀少の状況がこの産業で存在しつづけたからである。市場への自動車の供給は、それにたいする需要には決して照応していなかったのである。
 労働価値説の問題として、これらの現象をどのように説明するのか? 馬車製造業においては社会的必要労働量よりも多くの労働量が投下されたのであり、この産業の全企業によって投下された労働のうちの一部分は社会的に浪費された労働となったのであり、この部分はもはや市場で等価を見い出さず、したがって売れない財貨を生産している、ということができるのである。資本主義社会においては、財貨が売れないとき、社会的に不必要な労働になってしまうような特殊な産業部門に人間労働が投下されたということ、つまり、この投下された労働量が、市場で購売力としてそれに見あうものを見い出せないことを意味しているのである。社会的に必要でない労働は、浪費された労働であり、それは何らの価値をも生産しないのである。このことから、われわれは社会的必要労働の概念が一連の現象総体を包含するものであることをみてとることができるのである。
 馬車製造業の生産物にとって、供給が需要を上回れば、その価格が低下し、商品が売れないまま残ることになる。需要が供給を上回り、価格を騰貴させ、過少生産を生じさせる自動車産業では反対になる。だが、需要と供給についてこのような常識で満足するとすれば、それは問題の感覚的な側面、個別的な側面を見るだけにとどまってしまうことを意味するであろう。他方、もしわれわれがこの問題のより深い、社会的、集合的側面の探求にまで突き進むならば、労働時間の経済を基礎にして組織された社会の表面の下に横たわっているものを理解しはじめることになるのである。
 供給が需要を上回るということの意味は、無政府的で無計画的な、そして組織されていない資本主義的生産が、ある産業部門において、社会的に必要とされる以上に多くの労働時間を無政府的に投下もしくはついやした、ということである。その結果、社会的に代償をえなかった浪費された人間労働のその部分全体が、純粋な損失になるのである。逆に、需要が供給を上回りつづけている産業部門は、社会的必要という意味からいえば、低開発部門とみなしうるのである。したがって、それは、社会的に必要な労働時間よりも少ない労働をついやしている部門であり、生産増大の刺激をあたえ、社会的必要との均衡をつくり出すために、社会から特別報償金(ボーナス)を受け取っているのである。
 これが資本主義体制における社会的必要労働の問題のひとつの側面である。もういっぽうの側面は、労働生産性の変化とより直接に関連している。それは、社会的必要から生産の「使用価値」的側面を捨象することと同じことにほかならない。
 資本主義社会では労働の生産性は絶えず変化している。一般に、企業(あるいは産業部門)には常に三つのタイプがある。技術上、ちょうど社会的平均に位置しているもの。後進的で時代おくれで、没落しかかっていて社会的平均以下のもの。技術上、先進的で社会的平均以上のもの。
 ある産業部門もしくはある企業が技術的に後進的であり、平均以下の労働生産性であるというとき、それはなにを意味しているのだろうか? このような産業部門や企業は、すでに述べた怠惰な靴職人に類似している。いいかえれば、それは、一定量の商品を生産するのに、社会の平均的生産性であれば三時間ですむのに、五時間かかる産業部門なのである。ついやされた労働のこの追加の二時間分は、すべて損失であり、社会的労働の浪費である。社会にとって利用できる労働量の全体のうちのこの一部分が、このようにしてある企業(産業部門)によって浪費されてしまったために、この一部分は、それに見あうべきものを社会からまったく受け取らないのである。具体的には、この産業もしくはこの企業では、販売価格は生産コストにほぼ等しくなるか、あるいはそれ以下にさえ低下することを意味するのである。つまり、この企業は、非常に低い利潤率かあるいは赤字で操業しているのである。
 他方、労働生産性が平均水準以上の企業や産業部門(社会的平均が三時間につき一足の靴を製造しているときに、三時間で二足を生産できる靴職人のような場合)は、社会的労働の支出を節約しているのであり、そのために超過利潤をうろことができるのである。つまり、販売価格とコストの差が平均利潤よりも大きくなるのである。
 この超過利潤の追求こそ、当然にも、全資本主義経済活動をその背後から駆り立てている原動力なのである。すべての資本主義企業は、より多くの利潤をえようとする競争に駆り立てられている。というのも、これが、技術と労働生産性を改善しうる唯一の道であるからである。したがって、すべての企業は、このようなおなじ方向をとることを強制されるのである。もちろん、かつては平均以下の生産性であったものが、新たな平均的生産性として一度定着してしまうと、その結果として、この超過利潤は消滅してしまう。資本主義の産業の全戦略は、全国平均よりも高い利潤率を達成し、これによって超過利潤を獲得せんとする全企業の欲求から生み出されているのである。今度は逆にこのことが、絶えず平均的労働生産性が上昇するという趨勢によって、超過利潤を消滅させる運動をひきおこすのである。これが、利潤率均等化のメカニズムなのである。


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