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国際革命文庫 13

国際革命文庫編集委員会 訳

5

電子化:TAMO2

「マルクス経済学入門」
エルネスト・マンデル 著


あとがき

 コミンテルンの堕落以降、マルクス経済学は長きにわたって、闘う労働者人民の武器とは無縁な存在となってきた。自称「マルクス経済学者」は、一方は現実との緊張関係を欠いたマルクス「解釈学」または、「訓古学」に専念し、他方は自らの誤った政治路線の前提を「立証」 するためのこじつけの手段として、マルクス経済学を歪曲して利用してきた。こうして、マルクス経済学は、資本主義の矛盾は絶えず直線的に激化していくという「一九二九年型恐慌」必然論や、ブルジョア体制の枠内での改良プランの実施をブルジョアジーにせまる政策を正当化する地位へと堕落させられてきたのである。これらはすべて、初期の第三インターナショナルの保有していた革命的伝統と方法論からの断絶の結果、生れてきたものである。マンデルは、今日の「新資本主義」を分析するにあたって、このような初期の第三インターナショナルの革命的遺産を復活させている。その一つは、資本主義経済の景気循環における長期波動と短期波動との関係である。コミンテルン第三回大会において、トロツキーは、この問題を次のように提起している。「資本主義の発展―石炭生産・織物・銑鉄・鋼鉄・外国貿易・等々の成長―をとりあげ、その発展をえがく曲線をひいてみよう。もしわたしたちがこの曲線のたわみで経済発展のほんとうの過程をあらわすとすれば、わたしたちは、この曲線が完全な弧をえがいて上向きにすすんではおらず、ジグザグに、上下に―それぞれの好景気と恐慌に対応して上下に―輪をえがいていることをみいたすだろう。こうして、経済発展の曲線は二つの運動の合成物だ。つまり、第一の運動は資本主義の一般的な上昇をあらわしており、第二の運動はいろいろの産業循環に対応する一定の周期的な変動からなっている。」 (「世界経済恐慌と共産主義インターナショナルの新しい任務」 トロツキー選集第一巻 二六二頁 現代思潮社)ついで、トロツキーは過去の資本主義の長期的波動を、統計にもとづいて次のように五つの時期に区分している。
 1、一七八一年から一八五一年 発展はきわめてゆるやか
 2、一八五一年から一八七三年 発展の曲線が急上昇
 3、一八七三年から一八九四年 低滞期
 4、一八九四年から一九一三年 発展期
 5、一九一四年以降 資本主義経済の破壊期
トロツキーは、このような長期波動の中に約一〇年を周期とする短期的景気循環が繰り返しておこること
を指摘し、この両者の関係を次のように述べている。「この循環的な変動は、資本主義発展の曲線の第一の運動とどのようにまじりあっているのだろうか? きわめて簡単だ。資本主義の急速な発展期には、恐慌はみじかくあさいのが特徴だが、好景気は長期で広範囲だ。資本主義の下降期には、恐慌はながびく性格をもち、いっぽう好景気は一時的で、あさく、投機的だ。停滞期には、変動はおなじ水準でおこる。」(同書 二六四頁)。さてそれでは、第二次大戦後の先進資本主義諸国を中心とした急速な経済拡大については、以上の観点からする時、どのようなものとなるのだろうか? マンデルは、コミンテルン初期の以上の方法論を復活させて、資本主義は、一九一四年から一九四〇年前半までの長期的停滞期から再び第二次大戦以降長期波動における上昇局面に向った、と提起しているのである。多くの「マルクス経済学者」はこの資本主義経済の長期波動と短期波動を混同することによって、しばしば短期波動における不況局面の到来を「深劾な恐慌」の前兆として把えたり、その裏返しとして、資本主義はもはや景気変動を調整する手段を発見し、あたかも戦後の経済成長が永遠に続くかのような幻想を抱いてしまったのである。以上の前提にたって、マンデルの方法論に依拠して今日の事態をわれわれが分析するとすれば、次のように言うことができるであろう。戦後約二十五年間にわたって続いた長期的な発展の波は、今日基本的に終焉し、再び長期にわたる停滞期がはじまった、と。そして、今後の景気後退は、戦後のこれまでの比較的軽い短期なものとは異なって、より深刻なものとなるであろう。このような第二次大戦以降の長期的な経済発展の波の終焉は、同時に世界革命の新たな高揚の時代への突入を意味している。トロツキーが指摘した資本の発展の長期的時期区分はまさに、世界革命の上昇と停滞の長期の波と照応していると言わねばならない。第一の時期は、マルクスとエンゲルスがその勝利のために全力を傾注した一八四八年のヨーロッパ革命を頂点とする革命と反革命の時代なのである。一八五一年から一八七三年の第二の時期は、マルクスが当面革命の直接的な展望が遠のいたとして、資本主義経済のメカニズムの根本的解明に向けて「資本論」の執筆に専念する時期に相当する。第三の一八七三年から一八九四年の時代は、この革命運動の相対的停滞が打ち破られ、第二インターナショナルとしてヨーロッパ各国に社会民主党が、労働運動の新たな高揚を基礎として大衆的に成立する時期とみなすことができよう。一八九四年から一九一四年までの第四の時期は、ヨーロッパ資本主義の帝国主義的な発展、拡大の時期であり、この中で第二インターナショナルとしてのヨーロッパ各国の社会民主党はその堕落の過程を進行させる。第五の時期は、第一次大戦とロシア革命を通じて、世界資本主義が深刻な危機におちいった時期であり、第三インターナショナルの創設に代表される世界革命の高揚として位置づけることができる。この一九一四年から第二次大戦に到る資本主義の長期の危機からの脱出の原動力となったのは、腐朽したヨーロッパ資本主義にかわって登場した若い活力に満ちたアメリカ資本主義であった。だが今日、戦後の世界資本主義の急速な発展を支えてきた主導力たるアメリカ帝国主義は、ベトナム・インドシナ革命によって致命的な打撃をこうむり、その力を急速に枯渇させてしまった。さらに、資本主義にとってより一層深刻なことは、アメリカに代わる世界資本主義の危機の新たな救済者が今日どこにも存在しないということである。植民地世界は、そのような救済者となりうるであろうか? 戦後の事態の発展が示していることは、長期にわたる経済拡大は基本的に先進資本主義諸国を中心にして展開されたのであり、植民地世界はこの枠外に置かれ、一貫して慢性的な危機にみまわれてきたことを示している。この世界が新たな世界資本主義の発展の原動力となるためには、その経済の発展を阻害している帝国主義によって作られている植民地的構造を根本的に一掃し、先進資本主義国からの膨大な無償の援助を必要とする。だがこれは帝国主義諸国に帝国主義であることをやめよという要求に等しいものであり、全く非現実的なものである。今日進行している事態の示すものは、逆に植民地革命の発展の急速なテンポが、このような余地をまったく与えないであろうということである。次に労働者国家圏についてはどうであろうか? 労働者国家圏との貿易の拡大は、ここにおいて生産手段の社会化、貿易の国家独占、計画経済が実施されている以上、およそ資本主義の危機にとって根本的脱出口となるものではない。ただここにおいて、この生産手段の社会化と計画経済の体制を転覆して資本主義的反革命が勝利した場合はどうか? だが、このような展望は、今日の世界的二重権力関係下における革命の側の優位という情勢の中では、最も反動的な帝国主義者でさえもはやあらかじめ排除せざるをえないような非現実的なものである。
 こうして、最後の切り札としてのアメリカ帝国主義を主導力とした世界帝国主義の安定の終焉は、したがって、世界革命の新たな高揚の局面のみならず、その最終的勝利の局面の到来を意味するものである。もちろん、このことは資本主義の自然崩壊や革命の側の自動的勝利を意味するものではないことはとうぜんである。過去の世界革命の歴史が示していることは、このような資本主義の危機をプロレタリアートの側が主体的に革命の勝利へと導くことができないならば、資本主義はプロレタリアートに多大な犠牲を転化して生き延びるであろうということである。
 レーニン・トロツキーの時代以降の「マルクス経済学者」が基本的に忘却してしまったもののもう一つは、トロツキーが「複合発展の法則」と呼んだものである。これについて、トロツキーはロシア革命史の中で次のように述べている。「歴史的後進諸民族の発展は、必然的に歴史的過程の諸段階の特殊な結合へとみちびく。それらの発展は、全体としては無計画的な、錯雑した、複合的性格をおびる。……歴史的法則は、衒学的な図式主義とは完全に違っている。歴史的過程の最も普遍的な法則である不等質性は、後進国の運命の中に最も尖鋭に、かつ最も複雑な形態となって現われる。後進諸国の未開文化は、外部的必要の靴の下に、飛躍することをよぎなくされる。こうして、不等質性という普遍的法則からいま一つの法則が生れるのである。われわれは他に適切な各称がないゆえ、それを複合的発展の法則とよんでよかろう。つまり発展の諸段階の集合、個々の段階の結合、古い形態とより現代的な形態とのアマルガムのことである。この法則、もちろんその全体的内容から考えた―がなかったら、ロシアのそればかりでなく、第二流、三流、ないし十派の文化のどんな国の歴史も理解することはできない。」(ロシア革命史(一)角川文庫十七頁)トロツキーは、この法則によって、後進国ロシアがなぜ古い農奴性を残存させる一方で、当時のヨーロッパの先進国の工業水準に匹敵する近代工業を導入することができたのか、又、その結果としてなぜ都市に若い戦闘的な労働者を集中してもっていたのかを明らかにし、国際帝国主義のもっとも弱い環としてのロシアにおいてなぜ最初にプロレタリア革命が成功したのかを明らかにしたのであった。この複合発展の法則は、戦前の日本で展開された旧日本帝国主義の規定をめぐる講座派と労農派の論争を真に止揚する鍵を提供するものである。
 周知のようにこの二派の論争は、既に堕落を開始していたコミンテルンのそのイデオロギー水準を土台として基本的に展開されることになっなのである。明治維新とそれ以降の日本資本主義の発展に対して、それぞれの両陣営内においても色々な見解の相違は存在するが、講座派が、明治維新のブルジョア革命としての不徹底性と農村における広範な地主―小作関係の存在を強調することによって、日本が基本的に絶対主義国家権力の支配下にあると主張するのに対して、労農派は、明治維新以降の日本資本主義の急速な発展を強調することによって.日本はすでに基本的にブルジョア国家権力支配下にあると主張した。われわれは、この論争において、労農派が旧日本帝国主義下の革命における重要な環たる反帝国主義的課題、とりわけ天皇制に対する闘いの課題を決定的に過少評価し、事実上それに屈服していった過程を見る時、講座派の相対的進歩性を認めるものであるが(講座派の野呂栄太郎による「日本資本主義発達史」は非常な労作である)、この両派がその根本において間違っていたと言わねばならない。この両派が共に前提としたことは、マルクスが「資本論」で描いたような、あるいは、十九世紀のイギリス産業資本の時代のような純粋の資本主義が現実に存在する、又は存在しうる、ということであった。講座派は、この前提に立って、戦前の日本になお広範に存続していた多くの前資本主義的諸関係を指摘することによって、日本は基本的に絶対主義権力下にあるとし、他方、労農派はそのような前資本主義的諸関係はむしろ例外的なものであり、日本はそのようなものを基本的に消滅させつつ、純粋の資本主義に向っている、としたのであった。したがってこの両派にあっては、純粋の資本主義というものがそもそも現実に存在せず、とりわけ日本のようなヨーロッパよりも遅れて資本主義の本格的導入を開始した後進国においては、一方で資本主義的発展の以前の段階を飛び越えてもっとも先進的な工業力を導入する一方、他方では前資本主義的諸関係が残存させ、逆にそれを包摂させながら一つの複合的構造として把握しなければならないという複合的発展の法則が完全にその念頭には存在しないのである。もちろん戦前の旧日本帝国主義を分析する場合、明治維新が一八六八年であり、世界資本資主義がその帝国主義段階にまさに入ろうとしていた時期であったこと、その当時の資本主義列強の国際的関係、それらと中国、朝鮮との関係という当時の国際情勢下での国際的な不均等発展、複合的発展の問題を前提にしなければならないことは言うまでもないことである。
 最後にわれわれは、今日における政治と経済の関係について若干ふれておかなければならない。本書の中で注目すべきことは、マンデルが「新資本主義」と呼ぶ第二次大戦以降、世界資本主義の体制を根本的に規定している要因を純経済的なメカニズムのみによって説明してはいないことである。このことに関するマンデルの設明は本書の中ですでに輪郭が与えられているが、彼が一九六八年に書いた「新資本主義下における労働者」という論文ではより明確に述べられている。つまり、「(新資本主義が)より脆弱であるというのは……そして最後に、しかしこれは小さいことでは決してないが、全世界での非資本主義勢力の増大する挑戦(いわゆる社会主義諸国、植民地革命、そして少なくとも潜在的ではあるが都市の労働者階級)は小さな変動や不況の中でさえ危機の爆発と全体的崩壊の種を植え付けるのである。」(「第四インターナショナル」誌bV 二四〜二五頁)。これをより鮮明にすれば、「新資本主義」は、客観的に同盟関係にある労働者国家圏、植民地革命、帝国主義本国の学生・労働者の闘争の三者に包囲された脆弱な体制である、と規定することができるのである。このことは、今日、われわれが国際情勢を分析するに際して経済情勢を、情勢を規定する第一義的、直接的要因としてみなすことは今日もはやできないことを意味しているのである。かつて急進派の中で、「世界帝国主義の市場分割戦の激化を……とせよ」といった形の経済情勢の分析から出発して、それが直接的に政治情勢を決定していくかのような方法が大いに流行したが、今日においてもこれは依然としてすべての左翼を支配している思考方法なのである。だが、今日の世界情勢を基本的に決定しているのは、帝国主義列強間の競争と対立ではなく、全世界的な規模での革命と反革命の力関係なのである。世界革命の上昇が、もはやかってのように帝国主義列強間の自由自在な競争と対立を展開する余裕を与えず、彼らはむしろ世界革命に対して基本的に同盟関係を結ぶことを重視せざるをえないのである。われわれが、革命と反革命の世界的二重権力の力関係の分析から出発するのは、こうした理由によるのである。
 第一次大戦は、資本主義経済の発展によって作り出された帝国主義列強の市場分割戦として性格を有している。第一次大戦は労働者国家ソ連邦を成立させ世界的二重権力の状態を史上はじめて作り出したが、この二重権力関係においては、世界帝国主義が、世界革命の最初の砦たるソ連を圧倒的に包囲していた。したがって第二次大戦は、ソ連邦の参戦という新たな要素が加わっているとは言え、基本的に帝国主義戦争としての性格をもっていたということができるのである。だが、第二次大戦とその後の数年間を通じて事態は根本的に変わったのである。東欧における労働者国家群の成立、ユーゴ革命、中国革命の勝利とこれらの国の労働者国家への移行、北部ベトナムと朝鮮半島北部における労働者国家の成立は、この革命と反革命の世界的二重権力の力関係を均衡状態にする所にまで押し上げたのである。そしてマンデルが「新資本主義」とよぶ第二次大戦後の世界資本主義とは、まさにこの均衡が、アメリカ帝国主義を主導力とする世界帝国主義体制によって何とか維持されていた相対的安定期を基盤にして成立したのである。今日この均衡は、ベトナム、インドシナ革命の勝利によって突破され、世界的二重権力関係は、革命の側に基本的に有利に展開されはじめているのである。これは「新資本主義」を支えてきた基盤の崩壊を意味し、それゆえ、戦後の長期的経済拡大の時代の終焉を意味しているのである。もちろん、以上のことは、経済情勢の分析の必要性と重要性を低下させることを意味するものでは決してなく、以上のような枠内の中において経済情勢の分析が位置づけられねばならないことを意味するのである。
 われわれは本書によって、マルクス経済学の道に入門することができると同時に、今日の世界資本主義のメカニズムを解明する上での多くの貴重な示唆を得ることができるであろう。
          (山岡 啓)


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