ドイッチャー氏に話を戻そう。国有制の計画経済を基礎にしたソビエト経済の躍進にたいするソ連国民の確信と、この確信の上にたつモスクワ指導者たちの「平和的共存と平和的競争」外交への強い信念と執念の話であった。この外交政策をどのような眼で見るにせよ、先にあげた、ソ連のひとたちが達成したソビエト大工業と大集団農業、壮大無比な教育制度、そしてその国土は、ソ連国民だけの共同財産であるばかりでなく、世界の社会主義運動の偉大な共同の財産であり、人類全体の財産でもあるのではないか、ということだった。そして、これこそはレーニンやオールド・ボリシェヴィキが、遠い将来の展望として、いっさいを賭けていたものではなかったか、ということだった。マルクスやレーニン、トロツキーやスターリン、そうだ、スターリンもだ、オールド・ボリシェヴィキのアトランティスにとって、遥かな展望でしかなかったものが、いまわたくしたちの眼の前に巨大な現実として出現しているのだ。そしてこの社会は、「絶えず拡大しつづける社会、ブルジョア社会ではファシスト的なマス・ノイローゼを産み出しがちな、極度の経済的、モラル的不安定にたいして免疫にする計画経済を基礎にして、成長拡大する社会であるという事実、その基本的特徴のひとつであるこの事実を、もし無視するなら、絶対に理解することのできない社会であって、このことはどんなに強調しても足りない」。そしてこの経済の力強い発展は、ソビエト社会の、そしてまた支配的官僚の、物の見方や態度に強く影響せずにはいないと、氏は力をこめて断言した。亡命生活中のトロツキーとおなじように、ドィッチャー氏がソ連の経済的発展の情況を絶えず見守り、その偉大な成果を正しく評価し、解説しつづけたのは、スターリニズムへの反発と敵意の障壁を越えて、この成果を、資本主義社会のひとたちにも、人類共同の財産として認識させたいためであったと思われる。
これはまた、トロツキーが主張しつづけた二つの政策にも関係する。一つは、ソ連邦、したがってまた社会主義国全体の、「無条件防衛」の問題であり、いまひとつは、ソ連の計画経済とドイツ(つまり先進資本主義諸国の)工業との、広範な協力計画に、両国の労働組合がイニシァティヴを取れという主張である。
第一の社会主義国の「無条件防衛」は、トロツキーの綱領の基本的要素の一つであって、かれはこれを一九三三年の論文にもあるように、主として戦争の危機との関連で提起しており、一般にもそうしたものとして受けとられている(『追放された予言者』二二六ページ参照)。だが、それは平時における経済建設をとおして真実の連帯感がきずかれている場合にだけ有効であって、この前提条件なしに、開戦の厳戒体制下になって、急にそれを持ちだしても、効果的な大衆動員は望まれず、勇ましい空念仏に終るだけだろう。いま社会主義国のひとたちにとって焦眉の急は、何度もいうように、最新鋭の巨大プラント、発電所、鉄道、有線無線の通信網等をひとつでも多く、いますぐ手に入れることであり、そのための積極的な協力態勢である。このひとつだけでも計画経済を直接助けるばかりでなく、社会主義国の国民の士気を熱狂的に高揚させる。それはわたくしが四十何年か昔、あのシベリア横断の旅で、狂喜するロシア人たちといっしょにシベリア鉄道の深夜の車窓から、この眼で見、非常に感動させられたことである。(「『ロシア革命史』を邦訳するまで」〔上巻所収〕)。したがってこれは第二の問題と結びつくとき、はじめて力をもつだろう。
第二の問題は、一九三〇年代の初め、世界恐慌の中の資本主義社会を襲った恐るべき失業問題と、ソ連の計画経済を、労働組合のイニシャティヴで結びつけるという、すばらしい構想であった。これについては『追放された予言者』や、特に『ロシア革命史』などの解説でくりかえし触れてきた。このすばらしい天才的な閃きを思わせる雄大な構想が、各国共産党の「ソ連邦のプロレタリアートの一国社会主義建設の力を信じえない日和見主義」等々の罵声に消されて、反応を見いだしえなかったのは、実行不能な幻想だったからではなくて、ドイツ共産党をはじめ、西欧共産党が何一つ積極的なことをしようという意欲を完全に失っていたからである。わたくしは、中国革命が勝利し、北京政権が樹立されてからは、絶えずこれを提唱したし、ベトナム戦争が激化し、中国に文化革命が始まったときにも、社会、共産両党と総評の、鈴木茂三郎、野坂、堀の三氏に向って、ベトナム戦争へのジョンソンの軍事介入を絶対に中止させねばならないという、日本労働者階級の深い決意を代表し、共同の名で、ドイツの悲劇の教訓の権威にもとづいて中ソ両国に、あらゆる対立を越えて、対米共同戦線を結ぶことを訴える、国際運動を起すように要請するといっしょに、社共両党と総評の三大組織共同で、関西の資本家は自民党を割ってでも中国との貿易をするといっている今日、中国経済建設の計画と日本の工業を見合わせ、商業ベースで、長期クレジットによる長期提携計画をすすめるためのイニシャティヴをとっていただきたい、という要請をくりかえしたが、空しかった。だが、昨年、ニクソン・ショックで冷戦と封じ込めがその戦略の首魁によって破られた途端日本の巨大資本の中国貿易への、なりふりかまわぬパニック的殺到は、あのトロツキーの要請がどんなに正しく、両国間の経済関係確立への歴史的に必然的な要求が日本の保守政治家や独占資本の逡巡よりも、どんなに大きく根深いものであったかを、悲喜劇的に実証した。それよりもっと感動的だったのは、七世紀末といわれる高松塚古墳の壁画の発掘が国中を沸かせて間もなく、中国の長沙郊外の馬王堆で、利倉侯夫人の漠墓が発掘され、死後間もないような、二千百余年前の夫人の、腐乱してもいない亡骸と、豪華で典雅な無数の副葬品が発見されたとき、日本の老若男女をとらえた中国への驚嘆と染み入るような熱い親近感であった。この大きな潮のような熱狂的な親近感は、ついで田中首相訪中で、日中友好協定の締結の情況が衛星中継で放送された瞬間、爆発して、都内の交通公社の窓口や電話は、訪中旅行問い合せのひとびとの大殺到で、事務は完全にストップし、悲鳴をあげる、「それは何か異様な、恐怖を感じさせるほどの熱気だった」と、NHKテレビの山室英男解説委員は、感にたえないような面持ちで、その日の巷の、熱狂的興奮に包まれた模様を報道した。それはまた今年六月、上野の博物館で催された中国古墳出土品展を訪れる庶民たちを捉えた感動でもあった。あの文化大革命の錯乱的な激動のさなかに、中国各地の、今日では辺境となっている地方で発掘された、優麗典雅な美術品の数々、女人の衣裳の繊細優美な模様など典雅なモダンの感覚にも新鮮に合致する美しさと魅力でもって、日本の庶民の心を深く、細かくとらえたのだった。それは遥かな心の故里か、それとも遠い昔の母のふところへ帰ったような、染み入るような、揺さぶられるような、切ないまでの繊細美妙な、深い深い、素朴で純粋な親近感だった。これらの経験に共通な深い印象は、たとえどのような政治家が日本と中国を支配し、両者の政策がときにどう矛盾対立しようとも、両国の庶民と庶民、伝統の文化と文化とのあいだには、大地そのもののように大きな、地殼そのもののように堅固で、血のように温かいつながりがあって、二千余年の遥かな歳月を距てても直接触れ合いさえしたら、何の予備的知識のないわたくしたち庶民にも、小中学の児童生徒にも、純粋素朴に中国と日本は一つだという本能的な直観が瞬間に心の底から感じとられる。それは両国の個々の政治家や理論家の政策や理論よりも、はるかに深い親近感であり、直感的な信念であった。わたくしは日本と中国の両民族の――それはまた他のアジア諸国とのでもあるが――理論を越えた――無視したのではないが――血のつながりを理解させるために、アメリカの哲学者で理論家の友人ノヴァク氏を中国古墳出土品展に案内して、それを見る日本の庶民たちの反応の様子を見せた。そして、古代日本の芸術文化と中国のそれとの血のつながりについても語った。毛沢東や周恩来、その他の政治家たちの政策を論じ、文化革命を論ずることももちろん必要であるが、しかし両国の庶民たちがもっと素朴に感じとっている深い親近感の方がはるかに深く、聡明なものがあるかもしれないこの純粋素朴な親近感――わたくしが日中復交の衛星中継の日のあの都内の熱狂的な興奮の模様と、両国間の貿易再開のパニック的なラッシュの様子を、タマラ夫人に伝えたとき、感動にみちた返事がすぐにはねかえってきた――は、そのままの素朴でおかず、中国の困難な社会主義的計画経済の建設への、純粋素朴な連帯感に大きく目覚ますことができるはずだし、また目覚ますことによって、日本の一般庶民の閉ざされた視野を大きく開かせ、より高い次元へ、ゲリラ的やセクト的な狭苦しい政治でなく、大河の流れのような歴史の本流の要求、宇宙物理の法則のように正確で、しかも本質的には単純明白な歴史的要求としての政治の次元へ、大きく高めることこそ、今日の日本の社会主義に課された任務であるかもしれないこと、トロツキーがドイツの危機の最中に提唱したあの労働者のイニシャティヴによる独ソ両国の経済提携の問題は、今日このような視点から再びとらえなおす必要と可能性がありはしないかということを語った。わたくしはまた文化大革命の激動をよそに、中国のあらゆる辺境地域から組織的に発掘され、完全な形で保存展示されているこれらの古代文化の、無尽蔵とも思われるほどのすぐれた遺品は、現代中国人の意識と文化の形成に、非常に豊かな、深い、決定的な影響をあたえはしないだろうか、二十世紀テクノロジーの破壊力を、暴走から融合へと馴致し、中国独特の、偉大な新しい文化を創造することになりはしないだろうか、最高の東洋文化と、最高の西欧文化とは、たがいに対立反発しないで、創造的に統合される基本的要因をもってはいないだろうかを、語り合おうとしたのだった。この点からでも、現在のソ連や中国その他の社会主義国の経済建設への関心の稀薄さは、納得できなかったからである。
いま中国の訪日使節団と日本の大企業のあいだにつぎつぎに成立する膨大な契約によって、両国のあいだに巨大なパイプが敷かれ、日本の工業は中国の計画経済と直結され、日本の労働者は労働者階級独自のイニシャティヴを何一つとることなしに、生産を通して、げんにいま中国の社会主義建設の仕事と直接に結ばれている。日本の革新陣営は、この既成事実を大きくとらえ、それが第一に日中両国民にとってもつ物的、モラル的意義を、日本の労働者大衆にはっきりつたえ、意識化させることが急がれるだろう。
国防相ジューコフ元帥の罷免事件は、ロシア革命史上特記すべき事件である。
ハンガリア革命後、モロトフとカガノヴィッチの頑迷派はマレンコフと組んで攻勢に出、翌五七年七月の幹部会でフルシチョフの追い落しを策した。フルシチョフは二十回大会最後の秘密演説さえ、ほんの一、二名というきわどい差で幹部会の許可を得たのだった。だからかれは、この幹部会の頭越しに、平均年齢がもっと若く、反スターリニズム的傾向が強い中央委員会にうったえて、そこで反対派と対決、人柄もあって前から両派の調停役をつとめていたジューコフ元帥の全面的支持を得て反対派を破り、右の三名を中央委員会と幹部会から除名して、政権を獲得した。だが、早くもその年の十二月二十六日にはユーゴースラヴィアとアルバニアを訪問中のジューコフ国防相をいきなり解任し、中央委員会と幹部会から除名してしまった。元帥は軍を党の統制からの解放、第二次大戦での勝利の功績と栄光の独占、自分の個人崇拝の助長を策し、ロシアを西側との武力衝突に巻き込もうとした、というのがその罪状とされた。
ロシア革命は偉大な近代革命の中でまだ軍部独裁にならない唯一の革命であったが、軍部独裁とボナパーティズムの亡霊にはたえずつきまとわれていた。ジューコフ元帥の罷免は真実はどうであれ、党は十月革命以来はじめていま、党の実権が著名な将軍のボナパーティスト的野望によって脅かされたことを、公然と認めたのだった。中国の林彪事件もまた、中国のボナパーティズムの現実の脅威から党の実権を防衛するための争いであったか、それともそれを口実にして先制的にまずその亡霊を除いたのだといえよう。ドイッチャー氏は、ソ連でのボナパーティズムの危険は、アメリカによる戦争の重大危機に迫られ、党首脳が国論の統一力を失ったときであると、くりかえしていった。これは中国にもそのまま当てはまる。ソ連における言論統制の強化は、スターリンの死の直後とフルシチョフ政権前半のあの目覚ましい知的イデオロギー的発酵があったことを疑わせるほど暗いものがあるが、それは危機にあるアメリカの公然隠然の脅威にたいするクレムリン官僚の反作用であり、その歴史的責任の一半は、資本主義世界の革新陣営の立ち遅れにあるといえよう。権力維持のためにはどんな錯乱的手段もあえて辞さず、全地球上の米軍基地に核兵器をふくむ陸海空三軍の緊急警戒態勢を発令して、地球に息を呑ませるという、恫喝手段を行使してはばからぬ狂気を秘めたニクソン大統領に、ボタンを押す権限を握らせたまま動きがとれぬアメリカ社会は、世界は、そしてこの地球は、いっその軌道をはずれて大爆発を起すかわからぬ不安におかれている。
だが、アポロ11号の月着陸は世紀が世紀を飛び越えた人類の偉業であった。わたくしたちはみな宇宙飛行士たちの眼をとおして、遥かな宇宙空間から暗黒の虚空にただ一つ青く光って息している地球を遠望した。あの感動とイメージは、すでに人類共通の経験となっている。その地球は得もいえず美しく可憐で脆く有限な一生体に見えた。だが、この地球こそ人類共通のかけがえのない住家であり、資源も、海も山も野も河も、すべて共通の財産である。狂気がこの地球を軌道からはずして、爆破させるのをゆるしてはならない。ポスト・アポロ11号の今日、国際主義とか国際的連帯といった用語さえ、すでに古めかしい響きをもつ。みんなのうちにある、あのたった一つ、青く光って息している地球のイメージこそ、今日のわたくしたちの新しいヴィジョンであり、モラルであり、そして尺度である。
革命は悲憤糠慨からは生れないで、あまりの馬鹿らしさに呵々大笑して、足で蹴とばしてしまうときに成されると、カトリック派の作家チェスタトンが『ディケンズ論』の序論でいっているのを、昔読んだときの印象を、いまもはっきり覚えている。いまの日本がちょうどそれだ。政治と行政が完全に欠落したこの日本の混乱は、悲憤を越えて、「馬鹿らしさ」の一語につきる。こんな馬鹿らしさをいつまでつづけているのだ、との問いを真剣に発せずにはいられない。一般庶民には神聖な殿堂のようにも思え、畏敬と信頼の対象だった銀行も、柔面鬼心の双面相《ドブルシュニク》の本性が、純真素朴な主婦たちにも見すかされて、いまは不信と憤りの的となっている。が、その銀行も、大商社も、大コンビナートも、みんな私企業の利潤、つまり金儲けを、絶対至上の命令としている。それが、それだけが資本主義の本質であり、全構造のロジックである。資本家であれ、重役であれ、社員であれ、現場の労働者であれ、この巨大な組織に組み込まれたものは、どんな純情な人間でも、人格高潔なジギル博士でも、博士の薬なしに、非情なハイド氏にされてしまう。私企業の金儲けのための弱肉強食の構造であり、組織であるこの資本主義を、このままにしておいて、それが生みだす個々の悪をどれほど数えあげてみても、問題は解決しない。資本主義をやめることである。私企業の利潤という多角的な死闘を日夜つづけ合っている個々の大企業を、全部国のものに、
#国民のもの# にしてしまうのである。それぞれ何十兆もの庶民の預金を抱えこんで、国際的な荒らかせぎをやりまくっている巨大銀行もみんな収用して、
#国民の# 国立銀行にまとめ、その膨大な資金を国民のための、計画経済建設のために活用するのである。巨大企業も、この計画経済の中に統合して、ついに国民のための生産に活動されるのである。社会主義革命とは、このことである。それがどんなに合理的で、歴史的必然となっているかは、トロツキーの「アメリカが共産主義になったら」という、一九三五年に書いたエッセイ(河出版トロツキー著『永久革命の時代』二二三〜二三二ページ)に、心にくいほど明快に解説してある。社会主義革命というと、ひどく厳めしくきこえるが、実は、反動的な宣伝の恐ろしげなイメージとは違って、むずかしいマルクスやレーニンの言葉を借りるまでもなく、主婦たちがこうもあってくれたらといつも内心感じていたことを百倍にも千倍にも実現することであり、こんなに簡単明瞭でわかり切ったことを、なぜもっと早くはっきりわからなかったのかと、自分で驚くほど至極当然のことであることに、びっくりし、あきれるだろう。一読していただきたい。
また、みんなの社会主義の政治とはどんなに心の籠ったものでありうるかをしめす証左として、ソ連がまだ恐ろしい窮乏のどん底にあった一九二五年十二月七日、最高指導者のひとりとして激務で多忙のトロツキーが「母性と乳児の保護に関する第三回連邦会議」でおこなった演説から引用する。
「同志諸君、母性と乳児の保護に関するあなた方の会は貴重であります。それはわれわれが新しい社会主義的文化の創造活動を、いろんな端から、同時に、平行しておこなっていることを、その活動の内容でしめしているからです。わたくしはこのために必要な時間を見つけることも、充分注意して検討することもついにできなくて、昨日になってやっとあなた方がパンフレットにして会議に提出されたテーゼを知ったありさまです。このテーゼで、多少とも局外者の立場にあるものの眼にいちばんはっきり映るのは、あなた方の活動が極めて具体的で深さをもったものであるということです……。同志諸君、いちばん注意をひかれたのは、乳児の死亡率に関する同志レーべジェヴァのテーゼの中の表です。それはわたくしには衝撃でした……。ここに一九一三年から二三年までの間の乳児と成人の死亡率を対比した表があります。いったいこの表は正確だろうか――これが第一の問題であって、わたくしはこの問いを自分にも他の人たちにも提起します。それはほんとに正確なのか? いずれにせよ、これは社会的検討をする必要があります。わたくしはあなた方専門家婦人労働者にしか理解できないテーゼからこの表を抜き出して、わが国の一般向け刊行物の戦闘的資産とし、あらゆる面から系統的な解明と検討にかけなければならないと考えます。そしてそれが正確だとわかったら、非常に貴重な業績として、わが国の社会主義文化の目録に書きこまなければならないでしょう。この表だと、ロシアがいまよりはるかに豊かだった……一九一三年の一年間の乳児の死亡率は、ウラジミール県では二九%だったのに、現在は一七・五%、モスクワ県では約二八%だったのに、現在は約一四%だということです。いったいこれは正しいだろうか、それとも正しくないだろうか? (正しい! という叫び声)私にはこの正否について論ずる力がないが、あなた方はそれを知っておられるだろうし、全国の人たちが、それを知る必要があるということはいえます。このデータをあらゆる違った眼をもった人たちが慎重に検討する必要があります。国の生産力と蓄積がいっそう低いのに、死亡率が低下するということは、驚くべきことです。もしもこれが事実だとしたら、これはわれわれの新しい日常生活の、そして何よりも第一にあなた方の組織の努力の、争う余地ない業績であります。もしもこれが真実だとしたら、わが国だけでなく、世界に向っても声を大にしてこのことを叫ぶ必要がありましょう。そして、もしもこの事実が、点検の結果全世論にとって議論の余地ないものとなったら、あなた方は、われわれはいまから一般に戦前の水準と比較するのは止める、と声高く声明しなければなりません…戦前の水準がわれわれの今後の基準ではない。われわれは別の基準を……文明の基準を……ドイツ、フランス、イギリス、アメリカの文明資本主義世界に見出さなければなりません……」
後書とか解説の常識も枠もふみ越えて、こんなに長く書きつらねてきた。ドイッチャー氏が自ら編集された最後の著者である本書に盛られた氏の現代へのメッセージを、日本の若い世代のひとたちに、少しでもよく読みとってもらいたいと思ったからである。「最後の三年」を書いたのは春の終りであった。常識の枠をはなれた解説は、これで最後となるだろう。
本書第一部の「スターリン対フルシチョフ」と「変貌するソビエト」の二縞は、みすず書房刊、町野武・渡辺敏両氏訳『変貌するソヴェト』から再録させていただいた。みすず書房と訳者に感謝の意を表したい。
一九七三年十月三十一日
<編集者注>
文中の「本書」は、I・ドイッチャー著『現代の共産主義』をさす。
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