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七〇年代における進出ラッシュと植民地支配の強化

   ##七〇年代に入って急増する直接投資##

 東南アジア諸国のこのような工業化政策の転換に、あたかも首尾よく呼応するかのように、日本の大企業は、貿易収支の黒字による外貨の蓄積を背景に資本の海外進出に積極的に乗り出して行っている。この傾向はドルショックと「石油危機」によってさらに強められ、資本の海外進出は今日明らかに、量的にも質的にも一段飛躍したレベルで展開されてきている。たしかに、国内における反公害闘争の拡がりと地価の高騰からくる立地上の問題に加えて、資源問題とインフレによる高コスト時代を迎え、高度成長を支えてきた重化学工業部門の花形産業にのって輸出市場の確保とともに海外進出の先行きは死活の問題にさえなってきている。
 資本の海外進出が七〇年代に入って、明らかに新たな段階を画することについての指標はいくつかあげることができる。まず、七〇年以降資本投下の量が急速に脹れあがっているとともに、直接投資の比重が大巾に伸びてきている。
 「日本の対外投資総額は、七一年五月で総額三〇億ドルと評価されているが、そのうち一二億ドルが六九年末からのわずか二年間のもの。」(注P)これが七二年には、年間投資額は二三億ドルと、前年度を一挙に二・五倍も上回った。七三年にはこれがさらに五割増の三五億ドルに達した。(注Q)「この結果年度末の海外投資残高は、ほぼ一〇〇億ドルに達して、米・英両国についで西独と肩を並べる規模」になった。(注R)これとともに後進国向けの援助総額も七二年の二七億ドル強から。七三年には一挙に二倍以上の五八億四、四〇〇万ドルに増えている。しかもそのうち直接投資が、八億四、四〇〇万ドルから三〇億七、〇〇〇万ドルへ四倍以上にも脹らんでいる。(注S)七三年の海外投資総額が三五億ドルであるとすれば、その八六%が後進国にむけられていることになる。
 六九年において、日本はアジア地域にむけて二国間援助の八三%を提供し、民間対外投資の八〇%を供与している。これらの指標からここ数年間の日本の東南アジアにむけた資本投下の急増ぶりをうかがい知ることができる。
 ところで「六九年の段階までは、東南アジアは帝国主義にとってそれほど魅力的な投資地域ではなかった」といわれている。たしかに一九六九年末までのアメリカの東南アジア向け投資も、直接海外投資総額のわずか三%にすぎなかったし、日本の投資も六八年までは、ラテンアメリカ向けの半分にすぎなかった。
 ところが七〇年代に入ると製造業を中心にアジアに対する投資がラッシュを迎える。とくに外貨導入政策によって工業化を進めて来たタイ、韓国、インドネシアに極端に集中しはじめている。
 政府も資本進出のための様々な優遇策を七〇年代に入って、相ついでとってきている。ちょうど六〇年代前半に輸出促進のための税制上、金融上の優遇策がとられたのと同様である。海外直接投資については、六九年十月、一件二〇万ドル以下の案件について自動許可とされ、つづいて七〇年にはその限度額が百万トルまでひきあげられ、七一年七月にはこの限度額は撤廃された。さらに七一年一月には、輸出保護法が改正されて海外投資保険制度が拡大された。(注21)
 こうした状況とともに、企業の進出動機や目的も大きく変ってきた。日本輸出入銀行の第四回海外投資アンケート調査の結果によると、海外投資の目的要因が、市場防衛や現地職場での販売拡大を目ざすものから、第三国市場への輸出や日本への逆輸出を目的とする傾向に変ってきている。

表−5
海外投資の目的要因(製造業)
1965年以降 70〜71年

相手国の輸入障
壁をくぐって市
場を防衛するた
めの現地進出

現地市場での販
売拡大を目ざす
もの

第三国市場への
輸出

日本への逆輸出



24%



39%


11%

4%



19%



28%


16%

17%

日本輸出入銀行第四回:海外アンケート調査の結果
統計月報 74・3月号

   ##日・韓一体化=植民地支配の強化へ##

 すでにみたように、このような七〇年代に入っての日本帝国主義の海外進出ラッシュは、東南アジア諸国の輸出強化を第一の目標に掲げた工業政策への転換によって、その充分な受入れ態勢にも恵まれていた。これらの国々は、それに必要な外資導入のために、「保税加工貿易地域」(自由貿易地域)と呼ばれるものを設置し、外資導入のための好条件を提示している。この「保税加工貿易地域」というのは、国内の市場とは切離して特別の地域をつくり、そのなかで輸出商品を生産し組み立てるというもので、今後重化学工業化を軸としたプランを外資の導入によって推しすすめようとしている。従ってその圧倒的部分は外国系企業によって占められた、帝国主義本国の出島的性格を強めることになるのである。ここをとおして、帝国主義本国の大企業は、タダ同然の安い土地を手に入れ、恐るべき低賃金で現地労働者を雇用し、その製品を特恵関税の網を利用しつつ、本国あるいは第三国市場へ逆輸出することを狙っているのである。
 「保税加工貿易地域」の最初のものは、はやくも六六年に台湾の高雄に設けられた。ついでカンボジア、フィリッピン、シンガポール、インド、インドネシアに次々と設けられた。高雄加工区が発足してから日本企業の進出がめざましく、一九七〇年末で同区に進出した企業一六四社のうち、日本は六八社でトップ。「うち一〇〇%出資が四二社、合弁が二六社で総投資額は、一、三〇〇万ドルにも達している」(注22)という。その背景には資本の飛びつく好条件が列挙されていた。@国外から輸入する機械、設備、原材料、半製品は輸入税を免除、A生産された製品についても物品税を免除、B設立後五年間は所得税を免除、営業税も免除。C利益金の本国送金許可等々。(注23)ここに、日立製作所をはじめ大企業が相ついで進出を開始している。そして本格的な重化学工業化をすすめようというのである。いま大規模な工業港と製鉄所、クラ地狭を横断するパイプラインの走る東南アジア最大のコンビナート建設の計画が進すめられている。それに必要な資金一億二、〇〇〇万ドルは、三菱商事、三菱油化、三井石油化学、三井東圧化学、帝人の共同出資が予定されているという。(注24)
 韓国でも、ソウル――プサン間の国道沿いに輸出専門の九老洞 (クロドン)工業団地が造成され、いま第一工業団地、第二工業団地が完成し、第三工業団地の造成に向っている。七二――七六年の第三次五ヵ年計画では、@農漁村開発(セマウル=新しい村活動)、A輸出振興、B重化学工業育成を重点目標にし、従来の繊維、合板などの軽工業品に加えて、造船、機械、金属、化学製品など、輸出品目を重化学工業化することを展望している。
 さらに、七三年に韓国経済企画院が発表した『韓国の重化学工業計画』によると、「一九八〇年初頭に、一人当りGNP一、〇〇〇ドル、輸出一〇〇億ドルを実現させる」ことを目標に、七三〜八一年の総投資四〇〇億ドル(外資依存一〇〇億ドルを予定)、そのうち、工業投資が九〇億ドルで、その中から六〇億ドルが重化学工業化にふりむけられる。(外資依存五〇億ドル)――という膨大な内容である。
 この重化学工業は、鉄鋼、化学、非鉄金属、機械、造船、電子の六部門が主導するものでこれら主要産業は「業種別に最適地を選定して、同類業種および関連産業を集団的に誘致開発する」という。その具体的プランは――
○すでに建設中の浦項総合鉄鋼基地と別の、第二鉄鋼基地(粗鋼生産五〇〇万トン。投資一〇億四、〇〇〇万ドル)――洛東江河口
○総合化学基地(エチレン年産三〇万トン規模を二系列で建設、計六〇万トン。投資一三億四、〇〇〇万ドル)――麗水、光陽
○非鉄金属基地(年産鋼一〇万トン、アルミ一〇万トン、亜鉛八万トン、鉛五万トン。投資二億一、〇〇〇万ドル)――温山
○総合機械工業基地(一般輸送機械。投資二二億ドル)――昌原
○造船基地(年間一四〇万トン能力。投資八億ドル)――巨済島(注25)
 七○年の貿易収支赤字(四〇%近い輸出の伸びにもかかわらず!)一一億ドル、外資保有高六億ドル。借款の元利償還予定が、すでにみたように、七三年四億八、〇〇〇万ドル、七五年六億五、〇〇〇万ドルという厳しい条件のもとで、第三次五ヵ年計画(七六年終了予定)に必要な外資は総額四六億ドルとされているのに、すでに七三年八月末現在で、借款や民間投資を含めた外資導入総額は五五億ドルにのぼっている。
 さきの膨大な計画も、この脆弱な現実的基礎の上に置いてみるとき、その計画のずさんさがたちまち曝け出されてしまう。
 つまりこれは、韓国経済の現実的基礎のうえに建てられたプランなのではなく、国内の過剰生産圧力、資源問題の深刻化、インフレによる生産コストの上昇、公害にともなう工場立地難などから海外投資を大大的にすすめていかなければならない日本ブルジョアジーの計画だといったほうがよい。
 実際、日本の財界から韓国にむけて調査団が派遣され、七三年六月に、『機械工業等韓国産業長期開発計画調査団報告書』なるものが出されている。そこで強調されているのは「日・韓両国の一体的経済運営」「経済圏を一つにして共存共栄を企る」といったことである。まさに、「日韓経済関係は、ソウル支店が商売のタネをさがし、東京本社をひきこむ段階から、……東京本社が世界的規模の企業戦略の視野に立ち、決定し、指揮する局面に移行しつつある」(毎日、七三・十一・五)のである。「韓国側は、重化学工業化計画」(第二第三の浦項製鉄所建設)に十年間に六〇億ドルを投入する予定。この計画自身日本の企業がつくっており、その系列の財閥が動き出している」(注26)という。
 浦項――ウルサン――プサン――馬山――麗水を結ぶ、臨海工業地帯の開発が、日本の大資本の立場からする巨大開発であり、「日本列島改造計画」と一体のものであることは明白である。日本帝国主義の東南アジアに向けた経済侵略は、明らかに新たな水準で展開されはじめている。

   ##アジアの労働者人民に対する搾取と収奪の実態##

 日本の海外投資が七〇年以来急テンポで増加し、七三年には投資残額がほぼ一〇〇億ドルにまで達している点についてはすでにふれた。とくに直接投資が急速に増えてきたし、その圧倒的部分が東南アジアを中心とする後進国に向けられてきたのであるが、その投資誘因の最も大きなものが、日本国内における地価の高騰、賃金の上昇、資源不足に比べての驚くべき低賃金の豊富な労働力、信じられないほど安く相手国の政府が保障してくれる土地、そして外資導入のための様々な優遇措置である。韓国の場合でも、六九年まで直接投資を抑えてきた政策を転換して、外資導入を促進するために、次の様な優遇措置を打ち出した。
○外国企業に対して一〇〇%の投資許可
○利益配当金の本国送金保証
○税法の優遇措置
○外国人の投資企業体の労使関係円滑化のための立法措置
○働争議に対する企業側の救済措置
等々である。(注27)
 現地労働者の賃金水準は、どこの国も驚くほど低い。韓国の場合、製造業の平均賃金で表6のようになっている。インフレの高進が激しいなかで、腐敗とごまかしに満ちた韓国当局の統計においてすら、勤労者家計の赤字のすさまじさを示している。五月二十七日の朝日新聞の投書欄に、「日本の大企業Y社の現地会社に勤めているG君(20)の給与」が、そのあまりの低さに対する驚きと怒りとともに紹介されていた。それによると、「月に二八日働いて、一日四三〇ウォン(一ウォン=約七一銭)をもらう。職務手当としては、一、二〇〇ウォン。このみじめな月給から、三〇分の遅刻のため二七ウォン、慶弔金として二六ウォン、作業服に四五五ウォン(洗たく代も自己負担)、昼食代の二、〇七五ウォンを引かれ、手どりで一〇、六五七ウォンである」と。しかも労働時間は九五%の労働者が一日一三〜一六時間で、ホコリがひどく、照明も暗く、通風も悪いうえに、天井の高さが一・六メートルしかないような作業場で酷使されている。そのため大半が肺結核、眼病、神経性胃炎を災っているという。このような劣悪な労働環境のもとで、労働災害は、六七年についてみると発生件数二万六千件、死亡者四百名となっている。ただしこの数字は、「産業災害保険制度」が適用される、従業員一〇〇名以上の事業所のものであり、実際の数はこれをはるかに上回るだろう。(注28)
 さらに、この「工業化」にもかかわらず、失業率も高く、七〇年の韓国政府の統計によっても、四五万人の完全失業者のほかに、一四〇万人にのぼる潜在失業者がいるという。(注29)

表−6
勤労者家計の支出と平均給与
(単位:ウォン)

支出 製造業
平均給与

1969年

1970年

1971年

27,020

30,300

34,970

11,270

14,150

16,980

(1ウォン=約1.2円)

(1ウォン=約0.7円)

(1ウォン=約0.7円)

資料:経済企画院「韓国統計年鑑」
   韓国銀行「経済統計年表」
《月刊:「韓国研究」131 P6「韓国における外国資本と労働問題」桜井浩》より

 台湾の例でも、或る日本の進出企業の女子初任給は六〜七千円、三年後にやっと一万二千円〜一万五千円、工業学校卒の男子初任給が一万八千円〜二万円だという。(六九年の水準)(注30)またタイでは、日本企業に働くタイ人の労働者の例で、日給一二パーツ(約百五〇円)、月収三〇〇パーツ(約三、七五〇円)これにくらべて日本人経営者は、月給二万〜五万パーツ(五〇万〜一二五万円)(注31)
 「超過手当も払わない企業が多く、厚生施設もなく、日本人とのケタ違いの賃金差別」。(朝日・七三年九月二九日)また労基法は全く無視され、「ある毛布工場では、寮の一室に二〇人もの少女が固くて眠れないベットに詰め込まれ、悪臭を放っていた」(同上)という。
 そしてこのような劣悪な労働条件に対して、労働者の怒りと不満が噴出しないはずがない。闘いの火はそれが炎となって燃え拡がる前に、巧妙に組織された情報部の耳でキャッチされ、軍隊によって土足で踏みにじるようにしてもみ消されてきた。このようにして、韓国、台湾、タイ、インドネシア等の政府は、いずれも自己の軍事独裁によって保障する低賃金に売りこんで、外資の導入をはかってきたのであった。
 外資導入を呼びかける官制のパンフレットに「労働力は豊富で最低六年の教育を受けており、訓練し易く、勤勉である。平均賃金は日本の三分の一にすぎない」(注32)と書いてあるという。そして外国系企業ではすべて「労働争議が法律で固く禁じられている」(注33)のである。
 そのうえさらに、今日の日本ではとうてい信じられないような価格で、土地がほとんど自由に手に入るのである。「日本の帝人が進出してつくった合弁会社、鮮京合繊が、ソウルの南水原にある工場を拡張するため、工場南側の水田を買収、二、四〇〇円/三・三平方メートル」(注34)「同じ帝人が中心になって、海外で初の合繊原料を生産する工場をつくろうとウルサンにのぞむ土地を買収、約四〇〇円/三・三平方メートル」(注35)このような土地の強奪が、農村を破壊し、農業生産の停滞をもたらしていることはいうまでもない。
 しかもこのようにして、現地労働者から悪どく搾取し、農漁民を収奪して得た利益を、本国に送金する自由もまた完全に保障されているのである。これを利用して「企業の内部留保はおろか、減価償却費さえ利益にかえて持ち帰る」企業があるという。(注36)
 進出企業に対してこのような過剰な恩典を与えて、朴や蒋介石は、その無謀とも思えるような遠大な工業化プランを実現できると考えているのであろうか?これまでに検討してきたすべての資料は、たとえこの工業化プランが実現できたとしても、それは東南アジア諸国の経済建設に全く寄与しないこと、むしろ逆にそれを破壊して、日本やアメリカ帝国主義の出島的な工業立地がすすめられ、拡大されていく結果にしかならないことを明らかにしたのである。かくして、朴やチューやスハルト等の「工業化プラン」は、軍事独裁体制によって、特権的支配層の寄生的な位置と利益を維持するために必要な、帝国主義諸国の援助獲得のための「外資導入プラン」にほかならないのである。だからすでにみたようにこの「援助」供与は、それらの反共政権の上層部における汚職と腐敗に結びついているし、むしろそれによって得る利益こそが最初からの目的なのであった。
 韓国の浦項一貫製鉄所の建設のために、六九年の日韓定期閣僚会議で、日本側の援助供与について最終的な合意に達した。政府援助として七、三〇〇万ドル、輸入銀行からの延払い輸出信用として五、〇〇〇万ドルが供与されることになった。だが総工費一億三、八六〇万ドルにのぼる浦項一貫製鉄所の建設については、「イギリス、西ドイツ、フランス、イタリア四ヵ国による合同融資団が、このプロジェクトを実現不能の計画だとして、借款供与をことわった」(注37)いきさつがあるという。そのあとで決定された日本の援助供与がちょうど朴三選を認める「憲法改正」に対する国民投票が行われる直前であった。これは明らかに政治的援助以外のなにものでもない。
 しかも「このプロジェクトにもとづく第一号の注文が三、五〇〇万ドルの熱延鋼板工場建設で、三菱重工から買いつけられた」(注38)――つまり援助資金はその半分が三菱グループの懐に流れたのである。七〇年七月の第四回日韓定期閣僚会議では、浦項一貫製鉄所プロジェクトとセマウル運動に関して一億五、九〇〇万ドルの円借款が決った。だが「この五、九〇〇万ドルは軍事関連産業にたいするものであり、一億ドルは翌七一年の大統領選挙、国会議員選挙の運動資金になる公算が大きい」(注39)といわれていた。
 以上みてきたように、日本の東南アジア諸国に対する援助は、そのほとんどが韓国、台湾、タイ、インドネシアをはじめとする反共諸国家に集中し、その軍事独裁体制を「援助」、てこ入れするためにつけられているのである。そしてその軍事支配のもとで保障された搾取と収奪のための好条件を狙って、大資本が企業進出を大規模に展開しようとしているのである。とくに、資源多消費型の産業構造を土台にした水膨れ経済を維持するために、日本資本主義はますます強く、石油をはじめとする資源の確保に向わざるをえない。だが帝国主義支配の全体としての衰退と、「資源ナショナリズム」の高揚の中で、日本帝国主義は、その資源の安定的確保のために、投資を分散化したり、他の帝国主義的競争国との共同出資を余儀なくされたりする形で、新たな矛盾を抱えこまなければならない。

   ##「石油危機」以後の日本経済と帝国主義的アジア侵略の強化##

 昨年の「石油危機」以来、日本経済の「省資源型産業構造」への転換が叫ばれ、瀰漫する公害と「狂乱物価」に対する労働者人民の不満の高まりのなかで、政府・ブルジョアジーは、こぞって「総需要抑制」を謳い、「公共事業費」の削減を余儀なくされた。社会党、共産党をはじめとするすべての野党が《総需要抑制――公共事業費の削減――列島改造計画の撤廃――省資源型産業構造への転換》という図式で、「狂乱物価」の鎮静と「福祉経済」への処方箋を書いた。それは、その時点で奇しくも政府・ブルジョアジーの政策とも一致した。社、共は、ただ次のようにいうことによって彼らの正当性を主張した。「自民党政府もようやく、行き過ぎた高度成長政策の破産を認めざるをえなくなった。総需要抑制と省資源型産業への転換は、われわれがずっと以前から主張しつづけてきたものだった」と。
 だがブルジョアジーもまた、はやくから、七〇年代の産業政策の方向を「省資源型産業構造への転換」として展望していた。すでに七一年の産業構造審議会の答申「七〇年代の通商産業政策」において、「省資源型・知識集約型」産業構造への転換を打ち出していた。
 また新全総や列島改造路線のうちにも、それはすでに織りこまれていたのであって、けっして相互に対立させてとらえられるようなものではないのである。つまりブルジョアジーは一方では苫小牧や志布志などの巨大開発をすすめつつ、同時に内陸型、都市型産業への転換にむけた工業化プランを打ち出していた。
 省資源型・知識集約型産業は、精密機械工業に典型的にみられるように、一面では、それまで都市周辺部の吹き溜り的中小企業における、低賃金の労働集約的構造をも再編し、テコにして、高度な生産性と低賃金を結びつけたところで競争力を獲得しようという狙いをもっているのである。そこから田中列島改造計画の中に盛り込まれていた「工場分散化」と「中核都市構想」が、内陸型・都市型産業を中心とする工業団地の創設と結びつけてプラン化されていたのである。それに加えて、都市周辺部の安い労働力と工業用地を確保し、効率的に活用するための、全国高速ネットワークの建設をとうした(本四国架橋や新幹線網による)輸送網の確立を準備してきたのである。
 その点で、この「省資源型・知識集約型」産業構造への転換は、従来の重化学工業部門の基礎の上に展開されるものであり、それによって支えられなければならないのである。
 ただ、鉄鋼、石油、石油化学等は六〇年代後半から、明らかに過剰生産局面に入っており、そのうえ、高進するインフレと「資源不足」からくるコストの高騰は、戦後の高度成長を牽引し担ってきた。これらの基幹産業の国際競争力を急速に低下させてきている。そのためにブルジョアジーは、鉄鋼や石油化学を含む基幹産業部門の海外進出をはかり、後進国におけるおそるべき低賃金をテコにした、低廉な基礎資材を逆輸入しつつ、産業構造のより一層の高度化をはかろうとしているのである。そしていま、資本の海外進出がひとつのラッシュを迎え、極めて大胆に展開されていることは、すでにみたとおりである。
 かくして、「省資源型・知識集約型」産業構造への転換というのは、重化学工業化を基軸にした高度経済成長を、東南アジア規模で展開しようとする局面にきた、日本資本主義の新たなキャッチフレーズ以外のなにものでもない。従って、社会党、共産党のように、高度成長=日本列島改造に対立させた形で、「省資源型=福祉」ととらえる対応の仕方は、まんまとブルジョアの土俵にはまりこんで、東南アジアに対する公害企業の進出と帝国主義的侵略に手を貸すことになるだけである。
 日本資本主義は、資源不足の条件を産業構造のうちにビルトインすることによって、資源多消費型産業構造をつくりあげ、そのもとで高度成長を達成した。そしていま国内市場との関係で飽和状態に達し、肥大化した経済を維持するために、しゃにむに帝国主義的海外進出にむかうことを余儀なくされているのである。前の章でみたように、七一年以降の海外投資は飛躍的に膨脹し、巨大な規模に脹れあがっている。
 とくに、七〇年代に入って露呈した資本主義の根本的矛盾がもたらす、インフレの高進と、帝国主義支配の破綻の表現でもある原油価格の高騰によって、日本資本主義の国際競争力は急速に低下してきている。
 これまで高成長――生産性の向上――卸売物価の安定を背景に、輸出競争力で圧倒的な強みを発揮していた。ところが七二年末以降の卸売物価の高騰は、表6のように、アメリカや西ドイツにくらべて二倍以上の上昇を示している。これが輸出価格に転化され、価格面での優位を急速に失っている。(注40)
 ところが実際にこの点はまだ、表面化してはいない。むしろこの間、この輸出価格の高騰にもかかわらず、重化学工業品を先頭に、輸出はべらぼうに伸びている。輸出信用状受取高の、前年と比べた伸び率は、一月四一%、二月三八%、三月四二%とハイピッチで「金額、伸び率とも史上最高を記録している」(朝日・四九・四・二八)
 ことに、昨年末からの「総需要抑制策」によって内需が落ちこみ、自動車などは国内市場における売れ行きが昨年に比べて、三〇〜五〇%近い落ちこみを示している。その分だけ輸出ドライブがかかり、トヨタなど輸出が五〇%を超えたという。自動車は前年同月比で六四%、鉄鋼は四九%の増加だといわれている。(朝日・三・三)しかも、この間の輸出増の著しい特徴は、輸出価格が国内価格の二倍という輸出額の水脹れとしてあらわれていることと、アジア向けの輸出が急激に伸びているということである。(ということは、インフレによる収奪がアジア的規模で展開されているということである!)
 今年の初め以来、たしかに、鉄鋼、自動車、家電、化学製品を中心に、輸出はその価格の高騰にもかかわらず急激に伸びている。合繊なども、東南アジア向け輸出は昨年に比べて八〇%も伸びている。そのため、総需要抑制による不況の深化は、構造的不均衡をもって拡がりつつも、この内需の停滞を補う輸出の増大によって緩和されている。最近の、経済企画庁や日銀の見通しによると、景気は秋以降、再び上向く気配をみせているとさえいわれている。この急伸する輸出増を背景に、再び設備投資が活発化しはじめているという。
 そしてなによりも重要な点は、この世界的な需要のひっ迫と、重化学工業の輸出の好調――とくにアジアむけのそれ――が、この二、三年激増した直接投資、借款の人中な伸びによって支えられている力ラクリてある。
 だが、「輸出好調といっても価格要因か、額面増の大方を占め、輸出数量指数の推移をみると、化学品をはじめ前年と比べて減っている商品が多い」(朝日・四・二八)という。
 くわえて、通産省の見通しでも、「鉄鋼、化学品などの世界的な需要のひっ迫は、今年の後半までか、せいぜい今年一杯」とみられている。輸出の伸びもすぐ頭打ちになり、単にぶつかる。

   ##アジアの反日・反帝闘争の激化と日帝のジレンマ##

 六〇年代から顕在化してきた日本における過剰生産の矛盾が、昨年以来の恐慌状態をひきおこしたように、やがて東南アジア規模での、さらに一層激烈なパニックをひきおこすことになるだろう。
 重化学工業部門を中心にした資本の海外進出は、東南アジア経済の不均衡をますます拡大し、その土着産業を破壊し、インフレの高進をうながし、大量の失業者群をつくり出している。工業資本の進出は、六○年代における日本をはるかに上回る規模で、東南アジア諸国に全く無計画な都市化と恐るべき過密、スラム化を促進している。そして、現に進行しているインフレは、タイ、インドネシア、フィリッピン、ビルマ、韓国における労働者人民の、反日・反政府闘争を激化させている。しかも、日本の帝国主義的経済侵略そのものがつくり出した予盾として、その反乱そのものに、ますます強くプロレタリア革命の性格を刻印することになるだろう。いまやベトナム人民を先頭にして切り開かれた、アジアにおける反帝・社会主義革命の波は、極東全域に拡大し、日本帝国主義を包囲しつつある。
 今日、日本帝国主義が生きのびるためにはそこにむけて侵略の牙をむき出していくしかないアジアは、一九三〇年代、かつての日本帝国主義がむかったアジアとはまるでちかっている。それは、革命中国を背後に持ち、ベトナム人民の武装闘争を先頭にして、激しく荒々しい反帝闘争の嵐におそわれている。
 いまはまだ、中国の毛派官僚の誤った指導によって、アジアにおける力関係のバランスは隠ぺいされている。だが、いまやその中国の内部、奥深いところから、最も革命的な人民の新たな政治的流動が、明らかに開始されている。アジアのすべての国々で反日闘争が巨大な火を噴きはじめている。
 これに呼応する帝国主義本国における内部からの反乱、日本労働者階級の、真に国際主義に目覚めた革命の隊伍が早急に築きあげられなければならない。

注※この点については、エコノミスト四九・一・一〜八日合併号、経済評論四九年二月号、近藤完一氏の論文参照。
注@通商白書(一九七二年)
注A同上
注B通商白書(一九七〇年)
注C表3の資料と同じ
注D「南進する日本資本主義」長州一二著、毎日新聞 七七頁
注E産構審国際経済部会編「日本の対外経済政策」四〇頁、表1〜2
注F同上
注GJ・ハリディ、G・マコーマソク著「日本の衝撃」実業の日本社、六五頁(Japanese Imperialism Today.の翻訳)
注H同上二三二頁
注IJKL同上二三三頁
注M「南進する日本資本主義」前掲書 二八二頁 注N
注O今川★一・松尾大著「日貨排斥」日本経済新聞社刊 六五頁
注P「日本の衝撃」前掲書 七〇頁
注QRS外務省発表「四八年中の開発途上国に対する経済援助実費」
(読売四・六・七、日経四九・五・二三)より
注21「通商白書」(一九七二年)九九頁
注22「南進する日本資本主義」前掲書二三九頁
注23同上二四一頁
注24「日本の衝撃」前掲書七四頁
注25エコノミスト七三・一二・二五日号
注26猪狩章著「ソウル特派員報告」拓殖書房刊三五〜三六頁
注27「南進する日本資本主義」前掲書二八一頁
注28資料、表6に同じ 七頁
注29同上 五頁
注30「南進する日本資本主義」前掲書二四二頁
注31「朝日」七三・九△二九
注32「南進する日本資本主義」前掲書二四一頁
注33「日本の衝撃」前掲書二三九頁
「外貨による産業は『公共の利益にそう企業』(すなわちスト禁止)と規定されている」
注34 35「ソウル特派員報告」前掲書 五八〜五九頁
注36「日貨排斥」前掲書 三二五頁
注37「日本の衝撃」前掲書二三五頁
注38同上
注39『世界』(七〇・一一月号)中川信夫論文
注40二月の化学品や鋼材の輸出価格指数は、対前年比二倍〜三倍〔朝日七四・四・二八)

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