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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital
Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。 http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/DVProject/DVProjectJ.html http://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html |
☆ 第六章 日和見主義によるマルクス主義の卑俗化
社会革命にたいする国家の関係と国家にたいする社会革命の関係という問題は、一般に革命の問題と同じように、第二インタナショナル(一八八九―一九一四年)のもっとも著名な理論家や政論家たちの興味をひくことがきわめて少なかった。しかし、日和見主義が徐々に成長して、ついに一九一四年の第二インタナショナルの崩壊をもたらした過程で、もっとも特徴的なことは、彼らがこの問題にまぢかに接近したときでさえ、それをつとめて避けようとしたか、あるいはそれに気がつかなかったということである。
一般的には次のように言える。国家にたいするプロレタリア革命の関係の問題にたいする逃げ腰の態度、日和見主義に有利で日和見主義をはぐくんだこの態度から、マルクス主義の歪曲とその完全な卑俗化とが生じたのである。
この悲しむべき過程を、簡単にではあるが、特徴づけるために、マルクス主義のもっとも著名な理論家であるプレハーノフとカウツキーとをとってみよう。
★ 一 プレハーノフと無政府主義者との論戦
プレハーノフは、一八九四年にドイツ語で出版された単行の小冊子『無政府主義と社会主義』を、無政府主義と社会主義の関係の問題にあてている。
プレハーノフは、無政府主義にたいするたたかいで、もっとも緊切で、切実な、そして政治的にもっとも本質的なもの、すなわち国家にたいする革命の関係と国家問題一般とを完全に避けながら、この主題を論じようと工夫をこらした! 彼の小冊子では二つの部分がめだっている。その一つは、歴史的=文献的な部分であって、シュティルナー、プルードンその他の人々の思想の歴史についての貴重な材料をふくんでいる。もう一つの部分は俗物的な部分であって、無政府主義者は悪漢と区別がつかないといった、おそまつな議論をふくんでいる。
主題の組合せは、はなはだ愉快で、ロシア革命の前夜と革命中のプレハーノフの全活動にとってきわめて特徴的である。すなわち、プレハーノフは、一九〇五年から一九一七年までのあいだに、政治上ブルジョアジーに追随する半空論家、半俗物としての正体をあらわしたのである。
すでに見たように、マルクスとエンゲルスは、無政府主義者と論戦したさいに、国家にたいする革命の関係についての自分たちの見解を、もっとも綿密に説明した。エンゲルスは、一八九一年にマルクスの『ゴータ綱領批判』を出版するにあたって、つぎのように書いている。「当時は(第一)インタナショナルのハーグ大会〔*〕から二年たつかたたないころで、われわれ」(すなわちエンゲルスとマルクス)「は、バクーニンや彼の一味の無政府主義者たちときわめて激しい闘争をやっていた」〔選集、第一二巻、五三四ページ〕。
無政府主義者は、ほかならぬパリ・コンミューンを、彼らの学説を立証する、いわば「自分のもの」と宣言しようと企てた。ところが、彼らは、コンミューンの教訓とマルクスによるこの教訓の分析とをまったく理解しなかった。無政府主義は、旧国家機構を粉砕すべきかどうか、またそれをなにととりかえるべきか、という具体的・政治的問題について、やや真実に近いほどのものすらなにひとつ示さなかった。
しかし、国家問題をすべて回避し、コンミューン前とコンミューン後のマルクス主義の発展全体に注意することなしに「無政府主義と社会主義」を論じることは、不可避的に日和見主義へ転落することを意味した。なぜなら、日和見主義にとっては、われわれがいまあげた二つの問題がまったく提起されないことが、まさになによりも必要だからである。それだけでも、すでに日和見主義の勝利なのである。
★ 二 カウツキーと日和見主義者との論戦
ロシア語の文献には、疑いもなく、他のどの国よりも格段に大量にカウツキーの著作が翻訳されている。カウツキーは、ドイツよりもむしろロシアで多く読まれている、とドイツの社会民主主義者がよく冗談に言うのも、理由のないことではない(ついでに言っておくが、この冗談のなかには、それを口にした人々が思っているよりもはるかに深い歴史的内容がふくまれている。すなわち、ロシアの労働者は、一九〇五年に、世界最良の社会民主主義文献のうちの最良の著作にたいして、異常に強い、未曾有の需要を示し、これらの著作の翻訳と刊行物とを、他の国ではきいたこともないほど大量に手に入れたが、彼らは、それによって、いわば、わが国のプロレタリア運動の若い土壌に、より先進的な隣国の巨大な経験を加速度的に移植したのである)。
わが国では、カウツキーは、彼のおこなったマルクス主義の通俗的解説で知られている以外に、日和見主義者やその先頭に立ったベルンシュタインとの論戦によって、とくによく知られている。ところが、一九一四―一九一五年に生じた最大の危機の時期に、カウツキーが信じられないほど不面目な茫然自失の状態に陥り、社会排外主義の擁護に転落した事情を調べあげることを自分の課題とするなら、どうしても看過できない一つの事実が、ほとんど知られていない。それは、フランスとドイツにおける日和見主義のもっとも著名な代表者(フランスはミルランとジョレース、ドイツではベルンシュタイン)に反対するまえにカウツキーが非常に大きな動揺を示した、という事実である。一九〇一―一九〇二年に、シュトゥットガルトで発行され、革命的・プロレタリア的見解を固守していたマルクス主義的な『ザリャー〔*〕』は、カウツキーと論戦して、一九〇〇年のパリ国際社会主義者大会〔**〕での彼の中途はんぱで、あやふやな、そして日和見主義者にたいして妥協的な決議を「伸縮自在な(カウチューコヴイー)」決議とよばざるをえなかった。ドイツ語の文献では、ベルンシュタイン征伐にのりだすまえにも、彼がこれにおとらず動揺したことを示す、カウツキーのいろいろな手紙が発表された。
しかし、つぎの事情は、はるかに大きな重要性をもっている。それは、いまわれわれがマルクス主義にたいするカウツキーの最近の裏切りの歴史を研究してみると、カウツキーと日和見主義者との論戦そのもののうちに、彼の問題提起と問題の取扱い方のうちに、ほかならぬ国家問題について日和見主義者への系統的な偏向があることに気がつくということである。
日和見主義に反対するカウツキーの最初の大作である彼の著書『ベルンシュタインと社会民主党の綱領』をとってみよう。カウツキーはベルンシュタインを詳しく論駁している。しかし、特徴的なのはつぎの点である。
ベルンシュタインは、ヘロストラトス的に有名な著書『社会主義の前提』で、マルクス主義を「ブランキ主義」的であると非難している(これは、それ以来何千回となく、ロシアの日和見主義者や、自由主義的ブルジョアによって、革命的マルクス主義の代表者ボリシェヴィキにむかってくりかえされた非難である)。そのさい、ベルンシュタインは、マルクスの『フランスにおける内乱』をとくに詳しく取り扱い、コンミューンの教訓についてのマルクスの見地とプルードンの見地とを同一視しようと企てている。――もっとも、われわれが見たように、まったく不成功に終わっているが。ベルンシュタインの注意をとくにひいたのは、『共産党宣言』の一八七二年の序文のなかでマルクスが強調した彼の結論、「労働者階級は、できあいの国家機構をそのまま奪い取って、自分自身の目的のために動かすことはできない」という結論である。
ベルンシュタインには、この言葉がひどく「気にいった」ので、彼はその著書のなかで、それを、もっとも歪曲された日和見主義的な意味で説明しながら、三度もくりかえしているほどである。
マルクスが言いたいのは、われわれがすでに見たように、労働者階級は全国家機構を粉砕し、打ち砕き、爆破(Sprengung――エンゲルスがつかった言葉)しなければならない、ということである。ところが、ベルンシュタインによると、マルクスはこれらの言葉で、権力を奪取するさい過度の革命的手段にはしらないように労働者階級に注意を与えたというふうになっている。
マルクスの思想をこれ以上乱暴に、醜く歪曲することは、想像もできない。
ではカウツキーは、ベルンシュタイン主義をきわめて詳細に論駁するにあたって、どんなふうにふるまったか?
彼は、日和見主義がこの点でマルクス主義をはなはだしく歪曲しているのを分析することを避けた。彼は、マルクスの『内乱』へのエンゲルスの序文から、前掲の断片を引用して、マルクスによれば、労働者階級はできあいの国家機構をそのまま奪い取ることはできないが、しかし一般的には、それを奪い取ることはできる、と言っている。ただそれだけである。ベルンシュタインが、マルクスの真意とは正反対のことをマルクスのものだとしていること、マルクスが、一八五二年以来、国家機構を「粉砕する」というプロレタリア革命の任務をかかげていること――このことを、カウツキーは一言も述べていない。
こうして、カウツキーはプロレタリア革命の諸任務の問題についてのマルクス主義と日和見主義とのもっとも本質的な区別をごまかしてしまった!
「われわれはプロレタリア独裁の問題の解決を、安んじて将来にゆだねることができる」と、カウツキーはベルンシュタインに「反対して」書いている(ドイツ語版、一七二ページ)。
これは、ベルンシュタインに反対する論戦ではなくて、実質的には、彼にたいする譲歩であり、日和見主義者への陣地の明け渡しである。なぜなら、日和見主義者には、プロレタリア革命の諸任務についての根本問題をすべて「安んじて将来にゆだねる」以上のことは、さしあたりなにも必要でないからである。
マルクスとエンゲルスは、一八五二年から一八九一年にいたる四〇年間、プロレタリアートにむかって国家機構を粉砕しなければならないと教えてきた。ところが、カウツキーは、一八九九年に日和見主義者がマルクス主義をこの点で完全に裏切ったのに直面して、この機構を粉砕すべきかどうかという問題を、粉砕の具体的な諸形態の問題にすりかえ、具体的な形態をまえもって知ることはできないという「議論の余地のない」(そして無益な)俗物的真理に隠れ家をもとめているのである!!
マルクスとカウツキーのあいだには、労働者階級に革命の準備をさせるというプロレタリア党の任務にたいする態度において、非常なへだたりがある。
同じく大部分が日和見主義の誤謬の論駁にあてられた、カウツキーの後期のもっと円熟した著作をとってみよう。それは、彼の『社会革命』という小冊子である。著者はここでは、「プロレタリア革命」と「プロレタリア政体」の問題を特別の主題としてとりあげた。著者は、きわめて貴重なものを非常に多く提供してはいるが、ほかならぬ国家の問題を避けている。この小冊子のなかでは、いたるところで、国家権力をたたかいとることが論じられているが、ただそれだけである。すなわち、国家機構の破壊なしの権力獲得を容認する点で、日和見主義者に譲歩するような定式が選ばれている。マルクスが、『共産党宣言』の綱領のなかで「時代おくれになっているもの」と一八七二年に声明した、まさにそのことが、一九〇二年にカウツキーによって復活されているのだ。
この小冊子では、「社会革命の諸形態と武器」に特別の一節があてられている。そこには、大衆的・政治的ストライキのことも、内乱のことも、「現代の大国家の権力手段、その官僚と軍隊」のことも述べてあるが、コンミューンがすでに労働者に教えこんだことについては、一言も述べていない。明らかに、エンゲルスが、とくにドイツの社会主義者に、国家にたいして「迷信的崇拝」をもたないように警告したのは、理由のないことではなかった。
カウツキーは、勝利したプロレタリアートは「民主主義的綱領を実現するであろう」というふうに事態を説明し、この綱領の諸項目を述べている。一八七一年が、ブルジョア民主主義をプロレタリア民主主義ととりかえる問題にかんして新しいものを提供したことは一言も述べていない。カウツキーは、つぎのような「しっかりした」響きをもったきまり文句で、お茶をにごしている。
「今日の事情のもとでわれわれが支配権を獲得できないのは自明である。革命そのものは、もはやわれわれの今日の政治組織と社会組織を変革するような、長期の、深刻な闘争を前提としている」。
たしかに、これは、馬は燕麦を食い、ヴォルガはカスピ海にそそぐという真理と同じように「自明である」。ただ残念なことに、「深刻な」闘争といった空虚な大げさな文句をつかって、革命的プロレタリアートの緊切な問題――すなわち、これまでの非プロレタリア的諸革命とは違って、国家や民主主義にたいするプロレタリアートの革命の「深刻さ」はどういう点に現われるか、という問題――が回避されている。
カウツキーは、この問題を避けることによって、実際には、このもっとも本質的な点で、日和見主義に譲歩しているのである。――口先だけのおそるべき戦いを日和見主義に宣告し、「革命の思想」の意義を強調し(革命の具体的教訓を労働者に宣伝することをおそれるなら、この「思想」に多くの価値があるだろうか?)、「なによりもまず革命的理想主義を」と言ったり、イギリスの労働者は「いまでは小ブルジョアと大差ない」と公言したりしてはいるが。
カウツキーはこう書いている。「社会主義社会では、多種多様な企業形態、すなわち官僚(??)企業、労働組合企業、協同組合企業、個人企業が・・・・並存することができる。」・・・・「たとえば、鉄道のように官僚(??)組織なしにはやっていけない企業がある。ここでは民主主義的組織は、つぎのようなかたちをとることができる。すなわち、労働者が代表を選出し、この代表が一種の議会を構成する。そしてこの議会は、仕事の規則を決め、官僚機構の運営を監督する。他の企業は、労働組合の管理にゆだねることができるし、さらに他の企業は協同組合的に経営することができる」(ロシア語訳、一四八、一一五ページ。一九〇三年ジュネーヴ版)。
この議論はまちがっていて、マルクスとエンゲルスがコンミューンの教訓の実例によって一八七〇年代に解明したものとくらべて、一歩後退である。
「官僚」組織とかいうものの必要という見地からすれば、鉄道は、大規模な機械制工業のすべての企業一般、工場や大商店や資本主義的大農業企業のどれとも、なんら違った点はない。すべてこうした企業では、そうしなければ全業務が停止したり、機械装置や製品がそこなわれるおそれがあるので、各人が割り当てられた仕事を遂行するさいに、きわめて厳重な規律と最大の正確さが、技術上無条件に要求されている。すべてこうした企業では、もちろん、労働者が「代表を選出し、この代表が一種の議会を構成する」であろう。
だが要点は、この「一種の議会」が、ブルジョア議会制度という意味での議会ではない、という点である。要点は、この「一種の議会」が、ブルジョア議会制度のわく外に出ない思想の持ち主であるカウツキーが想像しているように、「規則を決め、官僚機構の運営を監督する」だけではない、という点である。社会主義社会では、労働者代表からなる「一種の議会」は、もちろん、「規則を決め」、「機構の」「運営を監督する」であろうが、しかし、この機構は、「官僚」機構ではないであろう。労働者は、政権をたたかいとったのち、旧官僚機構を粉砕し、それを徹底的に打ち砕いて、一物ものこさないようにし、これを同じ労働者と勤務員からなる新しい機構ととりかえる。そして彼らが官僚へ転化するのを防ぐために、マルクスとエンゲルスの詳しく考究した方策が即座にとられるであろう。すなわち、(一)選挙制だけでなく、随時の解任制、(二)労働者なみの賃金をこえない俸給、(三)すべての者が統制と監督の職務を遂行し、すべての者がある期間「官僚」になり、したがって、だれも「官僚」になれない状態へただちに移行すること。
カウツキーは、「コンミューンは、議会ふうの団体ではなくて、執行府であると同時に立法府でもある行動的団体であった」というマルクスの言葉を、全然考えてみなかった。
カウツキーには、民主主義(人民のためのものでない)と官僚主義(反人民的な)とを結合しているブルジョア議会制度とプロレタリア民主主義との差異がまったくわからなかった。このプロレタリア民主主義は、官僚主義を根絶する方策をただちにとり、官僚主義を完全に廃止して人民のための民主主義を完全に樹立するまで、徹底してこれらの方策を遂行することができるであろう。
カウツキーは、ここで、国家にたいするあの「迷信的崇拝」、官僚主義にたいするあの「迷信的信仰」を完全にさらけだしている。
日和見主義者に反対するカウツキーの最後で最良の著作である小冊子『権力への道』に移ろう(この本は、わが国で反動がたけなわであった一九〇九年に出たので、ロシア語では出版されなかったようである)。この小冊子は一大前進である。なぜなら、この本に述べられているのは、ベルンシュタインに反対した一八九九年の小冊子でのように、革命的綱領一般についてではなく、また、一九〇二年の小冊子『社会革命』でのように、社会革命のやってくる時期とは無関係にとりあげられたこの革命の諸任務についてでもなく、「革命の時代」がやってこようとしていることをわれわれに承認させる具体的な諸条件についてだからである。
著者は、階級対立一般の激化と、この点でとくに大きな役割を演じる帝国主義とを、はっきり指摘している。西ヨーロッパの「一七八九―一八七一年の革命期」ののち、一九〇五年から、東方に同様な時期が始まっている。世界戦争は、おそるべき速度で近づきつつある。「プロレタリアートは、もはや時期尚早の革命をうんぬんすることはできない」。「われわれは革命期にはいった」。「革命の時代が始まろうとしている」。
この言明は、まったくはっきりしている。カウツキーのこの小冊子は、帝国主義戦争前にドイツ社会民主党がきっとそうなると思わせたものと、戦争が勃発したさい、同党が(カウツキー自身をふくめて)どれほど堕落したかとを比較する尺度となるにちがいない。カウツキーは、この小冊子のなかで、「現在の情勢は、われわれ」(すなわちドイツ社会民主党)「が、ともすれば実際以上に穏健であるように思われる危険をともなっている」と書いている。ところが、実際には、ドイツ社会民主党は、同党がそう思われていたよりも、比較にならないほど穏健で、日和見主義的であることがわかったのである!
それだけにますます特徴的なのは、革命の時代はすでに始まったというカウツキーの言明がこのようにはっきりしているにもかかわらず、彼自身の言葉によると、ほかならぬ「政治革命」の問題の検討にあてられていたというこの小冊子でも、彼がまたもや国家の問題をまったく避けているということである。
問題をこのように回避したり、黙過したり、あやふやな態度をとったりしたことが積みかさなって、つぎに述べなければならない日和見主義への完全な移行が、不可避的に生じたのである。
ドイツ社会民主党は、カウツキーをつうじて、つぎのように声明したようなものである。私は、革命的見解を固執している(一八九九年)。私は、とくにプロレタリアートの社会革命の避けられないことを承認する(一九〇二年)。私は、新しい革命の時代がやってくるのを認める(一九〇九年)。しかし、それにもかかわらず私は、国家にかんするプロレタリア革命の諸任務について問題が提起されるやいなや、マルクスが一八五二年にすでに述べたことに反対して、引き退る(一九一二年)、と。
カウツキーとパンネクックとの論戦では、問題はまさにこのように率直に提起されたのである。
★ 三 カウツキーとパンネクックとの論戦
パンネクックは「左翼急進」的潮流の代表者の一人として、カウツキーに反対した。この潮流は、ローザ・ルクセンブルグやカール・ラデック等をその隊列にかぞえ、革命的戦術を堅持するとともに、カウツキーがマルクス主義と日和見主義とのあいだを無原則的に動揺する「中央派」の立場に移ろうとしている、という確信のもとに結束していた。この見解の正しさは戦争によって完全に立証され、「中央派」(誤ってマルクス主義的とよばれているが)または「カウツキー主義」の潮流は、みじめな醜態を完全に暴露した。
国家問題にふれた論文『大衆行動と革命』(『ノイエ・ツァイト』、一九一二年、第三〇年、第二巻)のなかで、パンネクックは、カウツキーの立場を「消極的急進主義」、「無活動的待望理論」と特徴づけた。「カウツキーは、革命の過程を見のがしている。」(六一六ページ)パンネクックは、問題をこう提起して、国家にかんするプロレタリア革命の諸任務という、われわれの関心をもつ主題に近づいた。
彼はこう書いている。「プロレタリアートの闘争は、たんに国家権力のためにブルジョアジーにたいしておこなう闘争であるだけではなく、国家権力にたいする闘争である。・・・・この革命の内容は、プロレタリアートの実力手段による、国家の実力手段の廃棄と排除(文字どおりには、解消、Auflosung)である。・・・・闘争は、この闘争の最終の結果として、国家組織の完全な破壊がおこなわれたときに、はじめて停止する。そのときには、多数者の組織は、少数支配者の組織を廃棄してい、自分の優越性をしょうめいする」(五四八ページ)。
パンネクックが自分の思想をあらわすのにもちいた定式には非常に大きな欠陥がある。だが、思想はそれでもはっきりしている。そして、カウツキーがそれをどう反駁したかということは、興味がある。
彼はこう書いている。「これまで、社会民主主義者と無政府主義者との対立は、前者が国家権力をたたかいとろうと欲し、後者がそれを破壊しようと欲したところにあった。パンネクックは、その両者を欲している」(七二四ページ)。
パンネクックの説明が不明瞭で、具体性にかけているとしても(ここでは、彼の論文にある、いま検討している主題とは関係のない他の諸欠点にはふれないが)、カウツキーは、パンネクックの指摘した、ほかならぬ原則的な要点をとりあげながら、しかもこの根本的な原則問題について、マルクス主義の立場をまったく放棄し、完全に日和見主義に移った。彼が規定した社会民主主義者と無政府主義者との創意はまったく誤っていて、マルクス主義は徹底的に歪曲され、卑俗化されている。
マルクス主義者と無政府主義者との相違はつぎの点にある。(一)国家の完全な廃絶を目標とする前者は、社会主義革命によって階級が廃絶されたのちに、国家の死滅にみちびく社会主義建設の結果として、はじめてこの目標が実現可能となるものと認める。後者は、この廃絶を実現できる条件を理解していないので、きょうあすにも、国家を完全に廃絶することを欲する。(二)前者は、プロレタリアートが、政権をたたかいとったのち、旧国家機構を完全に破壊し、コンミューンの型にならって、それを、武装した労働者の組織からなる新しい国家機構ととりかえることが必要だと認める。後者は、国家機構の破壊を主張しながらも、プロレタリアートがそれをににととりかえるか、彼らが革命権力をどう利用するかについては、まったく不明瞭な考えしかもたない。無政府主義者は、革命的プロレタリアートが国家権力を利用することや、プロレタリアートの革命的独裁を、否定しさえする。(三)前者は今日の国家を利用してプロレタリアートに革命の準備をさせることを要求するが、無政府主義者はそれを否定する。
この論争では、マルクス主義を代表するものは、カウツキーではなく、ほかならぬパンネクックである。なぜなら、プロレタリアートは、旧国家機関を新しい手へ移すという意味で、そのまま国家権力をたたかいとることはできず、この機関を粉砕し、打ち砕き、それを新しいものととりかえなければならないということを教えたのは、マルクスにほかならないからである。
カウツキーは、マルクス主義をすてて日和見主義者のもとにはしっている。なぜなら、彼の説では、日和見主義者には全然うけいれられない、この国家機構の破壊ということが、完全に姿を消してしまい、「たたかいとる」ということをたんに多数者の獲得と解釈する点で、日和見主義者のために逃げ道がのこされているからである。
カウツキーは自分がマルクス主義を歪曲しているのを隠すために、聖書通さながらにふるまって、マルクス自身からの「引用」をもちだしている。一八五〇年には、マルクスは「権力を国家権力の手中にもっとも徹底的に集中する」必要があると書いた〔選集、第四巻、三一八ページ〕。そこで、カウツキーは、パンネクックは「中央集権制」を破壊したいのではあるまいか? と、勝ちほこって質問する。
これは、ベルンシュタインが、中央集権制でなくて連邦制に賛成する意見をもっている点で、マルクス主義とプルードン主義は同じだと言ったのに類する、まったくの手品である。
カウツキーの「引用」は、全然場違いである。中央集権制は、旧国家機構についても新しい国家機構についても、可能である。もし労働者が自分の武力を自発的に統合するならば、これは中央集権制であろう。しかしこの中央集権制は、中央集権的国家機関、常備軍、警察、官僚の「完全な破壊」を基礎とするのであろう。カウツキーが、コンミューンについてのマルクスとエンゲルスの周知の所論を避け、問題に関係のない引用をひっぱりだしているのは、まったくペテン師的なふるまいである。
カウツキーはこうつづけている。・・・・「パンネクックはひょっとすると、官吏の国家的諸機能を廃止したいのであろうか? しかしわれわれは、国家行政についてはさておき、党でも、労働組合でも、役人なしにはやってゆけない。われわれの綱領もまた、国家官吏の廃止ではなく、人民による官庁の選挙を要求している」。・・・・「われわれの現在の討論で問題となっているのは、『将来の国家』では行政機関がどんな形態をとるかということではなく、われわれの政治闘争は、われわれが国家権力をたたかいとるまえに」(傍点はカウツキー)「それを廃止する(文字どおりには、解消する
auflost)かどうか、ということである。どの省を所属の官吏とともに廃止できるであろうか?」文部省、司法省、大蔵省、陸海軍省が列挙されている。「いや、いまある省のどれひとつとして、政府にたいするわれわれの政治闘争によって排除されはしないであろう。・・・・誤解を避けるためにくりかえしておくが、ここでは、勝利した社会民主党が『将来の国家』にどんな形態を与えるかが論じられているのではなく、われわれ反政府派が、今日の国家にどんな形態を与えるかが論じられているのである」(七二五ページ)。
これは見えすいたごまかしである。パンネクックは、ほかならぬ革命の問題を提起したのである。それは、彼の論文の表題にも、前掲の引用個所にも、はっきり述べられている。「反政府派」の問題へとび移ることによって、カウツキーは、まさに革命的見地を日和主義的見地とすりかえる。そこで、彼によると、いまは反政府派だが、権力をたたかいとったのちには、話はまた別だ、ということになる。革命は消えてなくなる! これこそまさに日和見主義者が要求したことである。
論じられているのは、反政府派でも、政治闘争一般でもなく、まさに革命についてである。革命はプロレタリアートが「行政機関」と全国家機関とを破壊して、それを武装した労働者からなる新しい機関ととりかえることにある。カウツキーは「省」にたいする「迷信的崇拝」を見せている。しかしなぜ、これらの省を、たとえば全一の権力をもつ全能の労働者・兵士代表ソヴェトに所属する専門家委員会に代えることができないのか?
問題の核心は、けっして「省」がのこるか、「専門家委員会」または他のなんらかの機関ができるか、という点にあるのではない。これはまったく些細なことである。問題の核心は、旧国家機構(何千という糸でブルジョアジーと結びつき、徹頭徹尾旧習と惰性のしみこんだ)が保存されるか、それとも、それが破壊されて、新しいものととりかえられるか、という点にある。革命とは、新しい階級が旧国家機構の助けをかりて、命令し統治することではなく、新しい階級が、この国家機構を粉砕し、新しい国家機構の助けをかりて、命令し統治することでなければならない。――カウツキーは、マルクス主義のこの根本思想をごまかしているか、あるいはこのことをまったく理解しなかったのである。
彼が官吏の問題をもちだしたことは、彼がコンミューンの教訓とマルクス学説とを理解していなかったことを、明瞭に示している。「われわれは、党でも、労働組合でも、役人なしにはやってゆけない。」・・・・
われわれは、資本主義のもと、ブルジョアジーの支配のもとでは、役人なしにはやっていけない。プロレタリアートは抑圧されており、勤労大衆は資本主義に奴隷化されている。資本主義のもとでは、民主主義は、賃金奴隷制や大衆の窮乏と貧困という環境全体によってせばめられ、圧縮され、切りちぢめられ、片輪にされている。このために、しかもただこのために、われわれの政治組織や労働組合諸組織では、役員が、資本主義の環境のために堕落して(いっそう正確に言えば、堕落する傾向をもっていて)、官僚すなわち大衆から遊離して大衆のうえに立つ特権的な人間に転化する傾向を、あらわすのである。
ここに官僚主義の本質があるのであって、資本主義が収奪されずブルジョアジーが打倒されないかぎり、プロレタリア的な役員さえ、ある程度「官僚化」することが避けられない。
カウツキーによると、選出された役員がのこっている以上、社会主義のもとでも、役人がのこり、官僚制度がのこっていることになる! これこそ、誤りである。マルクスが、まさにコンミューンの実例によって明示したように、社会主義のもとでは、選挙制のほかに、さらに随時の解任制を実施し、さらにまた給与を平均的な労働者の水準へ引き下げ、さらにまた議会ふうの機関を「執行府であると同時に立法府でもある行動的団体」ととりかえるにつれて、役員は「官僚」や「役人」ではなくなる。
パンネクックに反対するカウツキーの論証全体、とくに、労働組合組織でも、党組織でも、役人なしにはやってゆけない、というとくにおみごとな論拠は、本質的には、マルクス主義一般に反対したベルンシュタインの古くさい「論拠」のくりかえしであることを示している。ベルンシュタインは、その背教の書『社会主義の前提』で、「原始的」民主主義の思想に反対し、彼のいわゆる「空論的民主主義」、すなわち拘束的委任、無報酬の公務員、無力な中央代議機関等を攻撃している。ベルンシュタインは、この「原始的」民主主義の破産を証明するものとして、ウェッブ夫妻の解説になるイギリス労働組合の経験を引用する。「完全な自由」(ドイツ語版、一三七ページ)のもとで発展していった労働組合は、七〇年の発展のあいだにまさに原始的民主主義が役にたたないことを確信して、それを、普通の民主主義、すなわち官僚主義と結合された議会主義ととりかえたのだという。
実際には、労働組合は、「完全な自由」のもとで発展していったのではなく、完全な資本主義的奴隷制のもとで発展していったのである。この奴隷制のもとでは、ひろくおこなわれている害悪や暴力や虚偽や「高級」行政事務からの貧乏人の排除にたいして一連の譲歩をせずには、「やってゆけない」ことは、言うまでもない。社会主義のもとでは、「原始的」民主主義のうちの多くのものが、必ずふたたび活気づくであろう。なぜなら、文明社会の歴史上はじめて、住民大衆が立ち上がって、投票や選挙だけでなく、日常の行政にも、自主的に参加するからである。社会主義のもとでは、すべての者が順番に統治するであろう。そして、すぐにだれも統治しない習慣ができるであろう。
天才的な批判的・分析的頭脳をもったマルクスは、コンミューンの実践的方策のうちに転換を見た。だが日和見主義者は、臆病で、ブルジョアジーと決定的に手を切ることを望まないために、この転換をおそれ、それを認めようとしない。また無政府主義者は、あるいは性急さから、あるいは大量の社会的変化一般の諸条件を理解しないために、この転換を見ようとしない。「旧国家機構の破壊など考えてもいけない、いったい省や役人なしにどうしてやっていけるか?」――骨の髄まで俗物根性がしみこんでいて、本質上、革命や革命の創造力を信じないだけでなく、革命を死ぬほどおそれている(わがメンシェヴィキやエス・エルのように)日和見主義者は、そう論じる。
「旧国家機構を破壊することだけを考えればよい。これまでのプロレタリア革命の具体的な教訓を探究したり、破壊されるものを、なにと、どういうふうにとりかえるかを分析したりするにはおよばない」――無政府主義者はそう論じる(もちろん、無政府主義者のなかの優秀なもののことで、クロポトキン氏一派にならって、ブルジョアジーのあとを追っているような無政府主義者のことではない)。だから、無政府主義者の戦術は、絶望の戦術となるのであって、具体的任務を解決しようとする、容赦なく大胆であると同時に、大衆の運動の実践的諸条件を考慮にいれた革命的な活動とはならないのである。
マルクスは、両方の誤謬をどちらも避けるようにわれわれに教えており、旧国家機構全体を破壊する限りない大胆さを教えると同時に、問題を具体的に提起することを教えている。すなわち、コンミューンは、民主主義を拡大し官僚主義を根絶する前記の措置を実施することによって、数週間のうちに、新しいプロレタリア的国家機構の建設をこういうふうに始めることができた。われわれは、コンミューン戦士から、その革命的大胆さを学び、彼らの実践的措置のうちに、実践的に緊切で、即時可能な措置の概要を見いだそう。そうすれば、この道をすすむことによって、われわれは官僚主義の完全な破壊をなしとげるであろう、と。
このような破壊の可能性は、社会主義が労働日を短縮し、大衆を新しい生活へ引き上げ、例外なくすべての者が「国家的機能」を遂行できるような諸条件のもとに住民の大多数をおくことによって保障されるが、このことは、あらゆる国家一般の完全な死滅へとみちびいてゆく。
カウツキーはこうつづけている。・・・・「大衆的ストライキの任務は国家権力を破壊することではけっしてなく、ある特定の問題で政府に譲歩させるか、あるいはプロレタリアートに敵意をもつ政府を、プロレタリアートに歩みよる(entgegenkommende)政府ととりかえることである。・・・・しかし、こうしたことは、」(すなわち敵意をもつ政府にたいするプロレタリアートの勝利は)「けっして、どんなばあいにも、国家権力の破壊をもたらすものではなく、つねにただ国家権力内部の力関係のある変動(Verschiebung)をもたらすにすぎない。・・・・そしてそのさい、われわれの政治闘争の目標は、これまでと同じものである。すなわち、議会内で多数者を獲得することによって国家権力をたたかいとることであり、議会を政府の主人に高めることである」(七二六、七二七、七三二ページ)。
これはもう、純然たる、卑俗きわまる日和見主義であり、口先では革命を承認しながら実際にはそれを否認することである。カウツキーの思想は、「プロレタリアートに歩みよる政府」を一歩も出ていない。――これは、『共産党宣言』が「支配階級としてプロレタリアートを組織すること」を宣言した一八四七年にくらべて、俗物根性への一歩後退である。
カウツキーは、シャイデマン、プレハーノフ、ヴァンデルヴェルデの一派と、彼のお好みの「統一」を実現しなければなるまい。なぜなら、この連中はみな「プロレタリアートに歩みよる」政府のためにたたかうことに意見が一致しているからである。
しかしわれわれは、これら社会主義の裏切者と決裂して、武装したプロレタリアート自身が政府となるように、旧国家機構の完全な破壊をめざしてたたかうであろう。これは「二つの非常に違った事柄である」。
カウツキーは、レギーン、ダヴィッド、プレハーノフ、ポトレソフ、ツェレテリ、チェルノフらの愉快な仲間にくわわらなければなるまい。なぜなら、この連中はいずれも、「国家権力内部の力関係の変動」のため、「議会内で多数者を獲得するため、政府にたいする議会の全能のために」たたかうことに完全に意見が一致しているからである。――これはきわめて崇高な目的であって、それなら万事日和見主義者のお気にめし、万事ブルジョア議会主義的共和制のわく内にとどまっているのである。
だが、われわれは日和見主義者と決裂するであろう。そして自覚した全プロレタリアートは、「力関係の変動」のための闘争ではなく、ブルジョアジー打倒のため、ブルジョア議会制度の破壊のため、コンミューン型の民主的共和制あるいは労働者・兵士代表ソヴェトの共和制のため、プロレタリアートの革命的独裁のためのたたかいにおいて、われわれとともにあるであろう。
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国家社会主義のうちでカウツキーよりも右翼にあるのは、ドイツの『社会主義月刊〔*〕』一派(レギーン、ダヴィッド、コルプ、およびスカンディナヴィア人のスタウニングとブランティングをふくむその他大ぜい)、フランスとベルギーのジョレース派とヴァンデルヴェルデ、トゥラティ、トレーヴェスその他イタリア社会党の右翼の代表者、イギリスのフェビアン派と「独立派」(実際にはつねに自由主義者に従属していた「独立労働党〔**〕」)のような潮流、およびこれに類する潮流である。議会活動と党文献とで、巨大な役割を、非常にしばしば指導的な役割を演じているこれらの諸君はみな、プロレタリアートの独裁をまっこうから否定し、露骨な日和見主義を実行している。これらの諸君にとっては、プロレタリアートの「独裁」は民主主義に「矛盾する」!! 本質的に言って、彼らとブルジョア民主主義者との厳密な区別はなにもない。
こうした事情を考慮すれば、われわれは、第二インタナショナルの正式の代表者の圧倒的多数は完全に日和見主義へ転落した、という結論をくだしてもよかろう、コンミューンの経験は、忘れさられたばかりでなく、歪曲されている。労働者大衆が行動をおこし、旧国家機構を粉砕し、それを新しい機構ととりかえ、こうして自分の政治的支配を社会主義的社会改造の土台としなければならない時が近づきつつあるということを、労働者大衆に教えこもうとしなかったばかりではない。――大衆にはその反対のことが教えられ、「権力をたたかいとる」ということが、日和見主義に何千という逃げ道が残されるように、説かれたのである。
国家にたいするプロレタリア革命の関係の問題を歪曲し黙殺したことは、帝国主義的競争の結果強化された軍事機関をもつ諸国家が軍事的怪物に転化して、世界を支配するのはイギリスかドイツか、イギリスの金融資本かドイツの金融資本か、という争いを解決するために、この怪物が幾百千万の人間を撲滅しつつあるときには、巨大な役割を果たさずにはおかなかった〔*〕。
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