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☆ 三 社会主義的および共産主義的文献〔25〕

★  1 反動的社会主義

○   a 封建的社会主義
 フランスとイギリスの貴族は、彼らの歴史的な地位からして、近代ブルジョア社会に反対するパンフレットを書く使命をになった。一八三〇年のフランス七月革命〔26〕において、イギリスの選挙法改正運動〔27〕において、彼らはまたしてもこの憎むべき成上り者にうちまかされた。本気の政治闘争は、もはや問題になりえなかった。ただ文書戦だけが彼らにのこされていた。だが、文筆の分野でも、王政復古時代(*)の古いきまり文句は、もうとおらなくなっていた。そこで貴族たちは、世の同情をひくために、自分たちの利益などは眼中にないように見せかけ、ひたすら搾取されている労働者階級を代表して、ブルジョアジーを糾弾する告訴状をつくらなければならなかった。こうして彼らは、自分らの新しい支配者をそしる歌をうたったり、多かれすくなかれ不吉な予言をその耳にささやいたりできるという、うっぷん晴らしをすくんだのである。
(*) これはイギリスの王政復古(一六六〇―八九年)のことではなく、フランスの王政復古(一八一四―三〇年)のことである。〔一八八八年英語版へのエンゲルスの注〕
 このようにして、封建的社会主義がうまれたのである。それは、なかばは挽歌であり、なかばは誹謗文であり、なかば過去の余韻であり、なかば未来の脅迫であって、ときには、辛辣な、機知にとんだ、刺すような批判で、ブルジョアジーの肝をひやすこともあるが、近代史の歩みを理解する能力がまったくないために、いつもこっけいな印象をあたえるのであった。
 民衆を自分たちのうしろにあつめるため、彼らはプロレタリアのこじき袋を旗がわりにうちふった。だが、民衆は、彼らのうしろについていっても、そのつど彼らの尻に古い封建時代の紋章を見つけて、無礼な高笑いをしながら見すててゆくのであった。
 フランスの政党王朝派〔28〕の一部と、青年イングランド派〔29〕とが、この芝居をやってみせた。
 封建貴族が、彼らの搾取様式はブルジョアの搾取とはちがっていたと証明するとき、彼らはただ、彼らが、今日ではもう時代おくれな、まったく別の環境と条件とのもとで搾取していたことをわすれているのである。また、彼らの支配していたころには近代プロレタリアートはいなかったというとき、彼らは、ただまさにその近代ブルジョアジーが、彼らの社会制度の必然の生みの子であったことをわすれているのである。
 いずれにせよ、彼らは自分たちの批判の反動的性格をほとんどかくそうともしないことは、ブルジョアジーにたいする彼らのおもな非難が、ブルジョアの支配下では、旧社会秩序の全体をふきとばすような一つの階級が発展しつつある、という点におかれるくらいである。
 彼らは、ブルジョアジーが一般にプロレタリアートをつくりだすということよりも、むしろ革命的プロレタリアートをつくりだすという点で、ブルジョアジーを攻撃している。
 だから彼らは、政治上の実践では、労働者階級にたいするあらゆる強圧手段に協力し、また日常生活のうえでは、その大仰な常套語にもかかわらず、黄金のりんごをひろいあつめ、信義や愛や名誉を、羊毛や砂糖大根やブランデーの営利商業ととりかえることを、あえてこばまないのである(*)。
(*) このことは、主としてドイツにあてはまる。ドイツでは、土地貴族や地主階級は、その領地の大部分を直接の経営として、管理人をおいて耕作させており、そのうえ甜菜糖の大製造業者であり、また馬鈴薯火酒の醸造業者である。彼らよりも富裕なイギリスの貴族は、いまのところまだこういうことをやるのをいくらか恥じている。しかし、彼らもまた、多かれすくなかれいかがわしい株式会社の発起人として名義をかすことにより、減少する地代のうめあわせをつけることは知っている。〔一八八八年英語版へのエンゲルスの注〕
 坊主がいつも封建貴族と手をたずさえていたように、坊主社会主義がまたいつも封建的社会主義と手をたずさえている。
 キリスト教の禁欲主義に社会主義的な色あげをほどこすほど、たやすいことはない。キリスト教も、私的所有にたいして、結婚にたいして、国家にたいして、やっきになって反対したではないか? そして、それらのかわりに、慈善と托鉢を、独身と禁欲を、僧房生活と教会主義を、説教したではないか? 教会社会主義は、貴族の怒りに神の祝福をあたえるために、坊主のそそぐ聖水にすぎない。

○   b 小ブルジョア社会主義

 ブルジョアジーのためにうちたおされ、その生活条件が近代ブルジョア社会のなかで萎縮衰滅した階級は、ひとり封建貴族ばかりではない。中世の特許市民と小農民身分とは近代ブルジョアジーの先駆者であったが、商工業の発展のおくれた国々では、この階級は、新興のブルジョアジーとならんでいまだにどうやら生きながらえている。
 近代文明の発達した国々では、一つの新しい小ブルジョア層が形成されている。それは、プロレタリアートとブルジョアジーとのあいだを浮動していて、ブルジョア社会の補足的部分としてたえず新しく形成されるが、その成員は、たえず競争のためにプロレタリアートのなかになげおとされている。それどころか、大工業の発展につれて、彼らは、近代社会の独立した部分としての自分たちがまったく消滅してしまい、商業でも、工業でも、農業でも、監督や使用人とおきかえられてしまう時期が近づきつつあることを自分でもみとめている。
 フランスのように、農民階級が人口のはるかなかば以上をしめている国々では、プロレタリアートに味方しブルジョアジーに反対して立った文筆家たちが、ブルジョア支配を批判するにあたって、小ブルジョア的・小農民的な尺度をあてがい、小ブルジョアジーの立場から労働者のがわについたのは、当然であった。こうして、小ブルジョア社会主義が形成された。シスモンディは、フランスばかりでなくイギリスでも、このような学派の首領である。
 この社会主義は、近代の生産関係に内在する矛盾をきわめてするどく分析した。経済学者たちの偽善的な修飾をばくろした。機械や分業の破壊的作用、資本と土地所有との集積、過剰生産、恐慌、小ブルジョアと農民との必然的な没落、プロレタリアートの窮迫、生産の無政府状態、富の分配のはなはだしい不平等、諸国間の産業上の破壊戦争、古い風習、古い家族関係、古い民族性の解体を、反駁の余地がないまでに論証した。
 しかしながら、その積極的な内容の点では、この社会主義は、古い生産および交通手段を、そしてそれとともに古い所有関係と古い社会を再興しようとするか、それとも、近代的な生産および交通手段を、それによってすでに爆破され、また爆破されなければならなかった古い所有関係のわくのなかに、ふたたびむりやりにとじこめようとする。いずれのばあいにも、それは反動的であり、また同時に空想的である。
 工業ではギルド制度、農村では家父長制的経営、これが、この社会主義の最後のことばである。この流派は、その後の発展において、いくじのない意気消沈におちこんでしまった。

○   c ドイツ社会主義または真正社会主義

 フランスの社会主義的および共産主義的文献は、支配権をにぎったブルジョアジーの圧迫のもとにうまれたものであって、この支配にたいする闘争の文筆的な表現であるが、これがドイツに輸入されたのは、ちょうどドイツのブルジョアジーが封建的絶対主義にたいして闘争をはじめたばかりのときであった。
 ドイツの哲学者や半哲学者や文士たちは、この文献をむさぼるようにとりいれた。ただ彼らは、これらの文書がフランスからはいってきたとき、同時にフランスの生活関係がドイツにうつされたわけではないことをわすれた。このフランスの文献は、ドイツの現状にたいしては直接の実践的な意味をすっかりうしなってしまい、純然たる著作の外観を呈したのである。そこでそれは、真の社会や人間的本質の実現についての、無用な思弁となってあらわれるよりほかはなかった。こうして、一八世紀のドイツの哲学者たちにとってはフランス第一革命の諸要求は、「実践理性」一般の要求としての意味しかもたなかったし、また革命的なフランス・ブルジョアジーの意思表示は、彼らの目には、純粋意志の、かくあるべき意志の、真の人間意志の法則を意味したのである。
 ドイツの著述家たちの仕事は、もっぱら新しいフランス思想を彼らの古い哲学的良心と調和させるか、あるいはむしろ、彼らの哲学的立場からフランスの思想をとりいれることにあった。
 このとりいれかたは、一般に外国語を習得するのと同じやりかたで、すなわち翻訳によっておこなわれた。
 修道僧たちが古い異教時代の古典がしるされてあった写本のうえに愚劣なカトリック聖徒伝を書いたことは、人の知るところであるが、ドイツの著述家たちは、俗界のフランス文献を、それと反対にとりあつかった。彼らは、フランスの原文のうらに彼らの哲学的なたわごとを書いたのである。たとえば、貨幣関係のフランスの批判のうらに「人間的本質の外化」と書き、ブルジョア国家のフランスの批判のうらに「抽象的普遍の支配の揚棄」と書く、などというぐあいである。
 このような自分たちの哲学上のきまり文句をフランスの叙述とすりかえることを、彼らは、「行為の哲学」、「真正社会主義」、「ドイツの社会主義科学」、「社会主義の哲学的基礎づけ」などと名づけた。
 フランスの社会主義的および共産主義的文献は、こうしてきれいに去勢された。そして、それがドイツ人の手にかかって一つの階級の他の階級にたいする闘争を表現しなくなったので、そこでドイツ人は、フランス的一面性を克服したと自認し、また真の要求ではなくて、真理の要求を、プロレタリアートの利益ではなくて、人間的本質の、人間一般の利益を代表したと自認した。それはどの階級にも属しておらず、一般に現実のものではなく、ただ哲学的空想のおぼろげな天界にしかいない人間なのである。
 このドイツ社会主義は、その不器用な課業をまじめにもったいぶってやり、大道商人のようにふいちょうしたのであったが、やがてしだいにその学者ぶった無邪気さをうしなっていった。
 封建貴族と絶対君主制とにたいする、ドイツの、とくにプロシアのブルジョアジーの闘争、一言でいえば自由主義運動は、ますます深刻になってきた。
 こうして、真正社会主義は、政治運動にたいして社会主義的諸要求を対置する待望の機会をあたえられた。
 それは、自由主義にたいし、代議国家にたいし、ブルジョア的競争にたいし、ブルジョア的な出版の自由、ブルジョア的な法にたいし、ブルジョア的な自由と平等にたいして、その慣例の呪いをなげつけ、そして民衆にむかって、このブルジョア的運動からは、民衆はなに一つ得られないばかりか、むしろいっさいをうしなってしまう、と説教してきかせた。フランスの批判の気のぬけた反響であったドイツ社会主義は、このフランスの批判が、近代ブルジョア社会と、これに対応する物質的生活条件ならびにそれに適当した政治制度とを前提としていることを、つごうよくもわすれたのである。ところが、まさにこれらの前提をたたかいとることが、ドイツではやっと当面の問題になったところであったのだ。
 そこでドイツ社会主義は、坊主や、学校教師や、田舎貴族や、官僚どもをしたがえたドイツの絶対主義諸政府にとって、威圧的にのしあがろうとしていたブルジョアジーに対抗するためのあるらえむきの案山子(カカシ)として役だった。
 ドイツ社会主義は、この同じ絶対主義諸政府がドイツ労働者の暴動をうちのめすのにもちいた《こたえた》にがい鞭うちや銃弾にたいする、あまったるい口なおしであった。
 真正社会主義はこういう形で、諸政府の手中でドイツ・ブルジョアジーとたたかう武器となったが、それはまた直接的にも、反動派の利益を、すなわちドイツ特許市民層の利益を代表していた。ドイツでは、一六世紀からうけつがれ、それ以来この国にさまざまな形でたえずあらたに出現してきた小市民層〔30〕が、現状の本来の社会的基礎をなしている。
 この小市民層を維持することは、ドイツの現状を維持することである。彼らは、ブルジョアジーが産業上および政治上の支配権をにぎるときには、一方では資本の集積の結果として、他方では革命的プロレタリアの抬頭によって、自分たちの没落が避けがたくなることをおそれている。真正社会主義は、彼らには、一石で二鳥をおとすもののように思われた。そこで、この社会主義は疫病のようにひろがった。
 思弁の蜘蛛(クモ)の糸で織られ、文飾の花でししゅうされ、愛におののく情感の露にひたされた衣裳、ドイツ社会主義者たちが彼らの二、三の骨ばかりの「永遠の真理」をつつんだこのけばけばしい衣裳は、この公衆のあいだでは、彼らの商品の売れゆきをますばかりであった。
 ドイツ社会主義それ自身も、この特許市民層の大げさな代弁者としての自分の使命を、しだいに自覚してきた。
 それは、ドイツ民族を標準的な民族だと宣言し、ドイツの素町人を標準的な人間だと宣言した。そして、この素町人たちのあらゆる卑劣さに、いちいち、かくれた、高尚な、社会主義的な意味をあたえたが、これによると、その卑劣さはその反対の意味になるのであった。ついにはそれは、共産主義の粗野な破壊的な傾向に直接反対し、いっさいの階級闘争にたいする不偏不党の超越を宣言することによって、最後のゆきつくところまで到達した。ごくわずかな例外をのぞいては、今日ドイツに流布されている自称社会主義的および共産主義的著作はすべて、このきたならしい、人を無気力にする文献の部類に属している(*)。
(*) 一八四八年の革命の嵐は、このいやしむべき流派を完全に一掃し、その主唱者たちから、ひきつづき社会主義をふりまわそうという欲望をとりさった。この流派のおもな代表者、その古典的な典型は、カール・グリューン氏である。〔一八九〇年ドイツ語版へのエンゲルスの注〕

★  2 保守的社会主義またはブルジョア社会主義

 ブルジョアジーの一部は、ブルジョア社会の存続をはかるために社会の欠陥をとりのぞきたいとのぞんでいる。
 経済学者、博愛家、人道主義者、労働者階級の状態の改良家、慈善事業家、動物虐待防止論者、禁酒協会の発起者、そのほか種々雑多な三文改良家たちが、これにはいる。そして、このブルジョア社会主義は、まとまった体系にさえ仕上げられている。
 その一例として、プルードンの『貧困の哲学』をあげよう。
 社会主義的ブルジョアたちは、近代社会の生活条件をのぞみながら、しかも、そこから必然に発生する闘争と危険とはのぞきたいのだ。彼らは、現存の社会をそのままにして、ただそれから、それを変革し解体させる諸要素をひきさりたいのだ。彼らは、プロレタリアートなしのブルジョアジーをのぞんでいる。ブルジョアジーは、自分たちの支配している世界を、いうまでもなく最良の世界だと思っている。ブルジョア社会主義は、こうしたこころよい考えを、はんぱな、あるいはまとまった体系につくりあげる。それは、プロレタリアートにむかって、自分の体系を実行して新エルサレム〔31〕にきたれ、と呼びかけるが、そのじつ、これはプロレタリアートに、今日の社会にとどまっているように、しかし今日の社会にたいする悪意ある考えかたはすてるように、と要求しているにすぎないのだ。
 この社会主義の、これほど体系的ではないが、もっと実践的な第二の型は、労働者階級のためになるのは、あれこれの政治上の改革ではなくて、ただ物質的生活関係すなわち経済関係の改革だけだということを証明してみせることによって、労働者階級にあらゆる革命運動をきらわせようとこころみた。だが、この社会主義のいう物質的生活関係の改革とは、革命的な方法によってはじめておこないうるブルジョア的生産関係の廃止ではけっしてなく、この生産関係の土台のうえでおこなわれる行政上の改良である。したがって、資本と賃労働との関係にはなんの変化もくわえずに、たかだかブルジョアジーにその支配の費用をへらしてやり、その国家財政を簡単にしてやるにすぎない。
 ブルジョア社会主義は、たんなる演説文句の修辞になるときにはじめてそれにふさわしい表現を得る。
 労働者階級の利益のための自由貿易! 労働者階級の利益のための保護関税! 労働者階級の利益のための独房監獄! これが、ブルジョア社会主義の、最後の、そしてただ一つの、本気にかたられたことばである。
 彼らの社会主義とは、まさに、ブルジョアがブルジョアであるのは――労働者の階級の利益を思ってである、という主張に帰着するのだ。

★  3 批判的=空想的社会主義および共産主義

 ここでは、あらゆる近代の大革命においてプロレタリアートの要求を表明した文献(バブーフの著作など)についてはのべない。
 全般的な激動の時代、封建社会の転覆の時代に、直接に自分自身の階級利益を貫徹しようとしたプロレタリアートの初期の試みは、プロレタリアート自身が未発達の状態にあり、またプロレタリアートの解放の物質的条件――それはまさにブルジョア時代によってはじめてうみだされたのである――が欠けていたために、必然的に失敗した。プロレタリアートのこの最初の運動にともなった革命的文献は、その内容からすれば必然に反動的である。それは全般的な禁欲主義と粗野な平等主義とをおしえている。
 本来の社会主義および共産主義の体系、すなわちサン・シモン、フーリエ、オーウェンなどの体系は、われわれがまえにのべた、プロレタリアートとブルジョアジーとの闘争の最初の未発達の時期にあらわれた。(「ブルジョアジーとプロレタリアート」の章を見よ。)
 なるほど、彼らは、その計画において、もっとも苦しんでいる階級としての労働者階級の利益を主として代表する、と自認している。彼らにとっては、プロレタリアートは、このもっとも苦しんでいる階級という立場で存在するだけなのである。
 しかしながら、階級闘争の形態の未発達と、彼ら自身の生活状態との結果として、彼らは、自分はこの階級対立をはるかに超越しているものと信じるのである。彼らは、社会のあらゆる成員の生活状態を、したがってそのもっともよい境遇にあるものの生活状態までも、改善しようとのぞむ。そこで彼らは、たえず、だれかれの区別なく、社会全体に呼びかける。それどころか、ことにこのんで支配階級に呼びかけるのである。彼らの体系を理解しさえすれば、それがありうべき最善の社会のありうべき最良の計画であることを、だれでもいやおうなしにみとめるはずである。
 だから彼らは、すべての政治行動、とくにすべての革命的行動を非難する。彼らは平和的な方法でその目的をたっしようとのぞみ、そして、小さな、もちろん失敗するにきまっている実験によって、実例の力で、新しい社会的福音のために道をひらこうとつとめる。
 未来社会の空想的な描写は、プロレタリアートがまだきわめて未発達で、したがって彼ら自身まだ自分たちの地位を空想的にしか理解していなかった時代にあって、社会の全面的な改造にたいするプロレタリアートの最初の予感にみちた渇望に対応するものである。
 しかし、これらの社会主義的・共産主義的著作は、また批判的な要素をももっている。それは、現存社会のいっさいの基礎を攻撃する。だからそれは、労働者の啓蒙のためにきわめて貴重な材料を提供した。未来社会にかんするその積極的な主張、たとえば、都市と農村の対立の廃止、家族、私的営利事業、賃労働の廃止、社会的調和の宣言、国家をたんなる生産管理の機関にかえること、――彼らのこれらのいっさいの主張は、階級対立の消滅をいいあらわすものにほかならない。だが、この階級対立は、やっと発展しはじめたばかりなので、これらの著作は、まだわずかにその初期のぼんやりした不明確な形でしかそれを知らないのである。したがって、これらの主張そのものもまだ純然たる空想的な意味しかもっていない。
 批判的=空想的社会主義および共産主義の意義は、歴史の発展に反比例する。階級闘争が発展し、形をなしてくるにつれて、このような空想における階級闘争の超越、このような空想における階級闘争の克服は、いっさいの実践的な価値と理論的な正当さとをうしなう。だから、これらの体系の創始者たちが多くの点で革命的であったのに、その弟子たちはいつも反動的な宗派(セクト)をつくっている。彼らは、プロレタリアートの歴史的発展をまえにしながら、その師匠たちの古い見解をかたくまもっている。したがって、彼らは一貫して、階級闘争をふたたびにぶらせようとし、対立を調停しようとする。彼らは、いまなお自分たちの社会的ユートピア〔32〕の実験、すなわち、個々のファランステールの建設、ホーム・コロニーの設置、小イカリアの創設(*)――新エルサレムの小型版――を夢みており、そして、これらすべての空中楼閣をきずくために、ブルジョアの博愛的な心情と財布とにうったえざるをえないのである。彼らはしだいに、まえにのべた反動的または保守的社会主義の部類におちこんでゆく。いまでは、それらとちがうところは、いっそう体系的な学者ぶりと、自分たちの社会科学の奇蹟的なききめにたいする熱狂的な迷信とだけになっている。
(*) ファランステールとはシャルル・フーリエの計画にのっとった社会主義的移住地であった。イカリアとは、カベーが自分のユートピアに、のちにはまた彼のアメリカの共産主義的移住地につけた名前であった。〔一八八八年英語版へのエンゲルスの注〕
 オーウェンは、彼の共産主義的模範社会をホーム・コロニー〔国内移住地〕と名づけている。ファランステールとは、フーリエの計画した社会的殿堂の名である。イカリアというのは、カベーがその共産主義的諸制度をえがいているユートピア的な空想国家の名であった。〔一八九〇年ドイツ語版へのエンゲルスの注〕
 だから彼らは、労働者のあらゆる政治運動に、はげしく反対する。なぜなら、これは新しい福音にたいする盲目的不信によってのみうまれえたのであるから。
 イギリスのオーウェン主義者、フランスのフーリエ主義者は、前者はチャーティスト〔33〕に、後者は「レフォルム」派〔34〕に、それぞれ反対している。


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