四トロ同窓会二次会 1999年12月9日〜11日

REDMOLEPARTY/THEFOURTHINTERNATIONALFANCLUB

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NHK「どのようにホロコーストと向き合うか?」 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月11日(土)23時14分46秒

NHK「どのようにホロコーストと向き合うか?」ドイツ「ヴァルザーVSブービス論争」途中から見たが以下のような感じでした。
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2000年(統一10周年)に向けドイツでは首都ベルリンにホロコースト博物館が建設されている。そんな最中、作家ヴァルザーは出版協会「平和賞」の記念講演で「アウシュツビッツの手段化」と語った。これに端を発し、この論争がおこった。 当然に、左翼やユダヤ人は「ユダヤ人はアウシュビッツをネタに物質的要求をしている」ということを指していると思った。しかし、ヴァルザーは「アウシュビッツの手段化とは、ユダヤ人などが言う意味でも、ホロコースト博物館建設でもなく、他国の『東西分裂はホロコーストの罰だ』というような発言を指している。」「きまった言葉で、きまった形で過去と向き合うのではなく、統一国家ドイツが他のヨーロッパと同じような国だと言うことからホロコーストと向き合うべき」と主張。 しかし、彼の主張には一種のナショナリズムの香りがしているため、保守層に受け入れられることに。そして、ユダヤ人・左翼には批判されることになった。しかし皮肉なことに、ドイツはユーゴ内戦時、「アウシュビッツの手段化」を行うことに。つまり、大統領いわく「我々ドイツはホロコーストから学んだ。そして、今ユーゴでホロコーストが行われている」と、戦後初めて国外に兵を送ることになった。
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こんな感じの話。途中からなので、ブービスの主張はわからないが、きっとユダヤ人と同じものだったのだろう。

「相手(ユダヤ人)を傷つけまいと、きまりきった言葉・切り口ばかりではまずい。思考停止だ。わたしも他のヨーロッパと同じ国になりたい。しかしながら、ヴァルザーは『良心の問題』と、社会からホロコーストのことを切り離す発言がある。これには反対。」(ユダヤ中央協議会 談)  しかし、実際にドイツではホロコーストについてはテレビ等で特集組まれたりするが、紋切り型で、戦後世代には関わりにくい言論思想状況らしい。また、物言えば唇寒しでもあるようで、用意に語れないみたい。そのためまた紋切り型になるらしい。思考の悪循環。

「公開の場で、議論されることに意義がある」と、新聞社の人が言っていたので、いままでそれさえなかったようだ。 日本のように大臣とかの「馬鹿げた発言のおかげ(?)」で公開の場で議論されることはいかにも寂しい言論思想状況だが、ドイツのように注意深すぎて、国民が内向的になって語らず、ネオナチのような形でしか「ナショナリズムの本音」を言えないのも問題だね。 いまだにヨーロッパで「危険国」扱いされりゃア、これだけ国際化した今、不都合も多いし、国外でいやな経験をする個人も多いだろう。 国民国家の形態を取る現代で、ナショナリズムがあるのは当たり前。それはそれで語らせないと国民が自己中毒を起こす。ナショナリズムの風潮も困るが、語らせず偏狭なものになることも怖い。

 フランクフルト学派のハーバーマスもユーゴ爆撃を支持していることからも、過去と向き合うことと、今を語ること、そして未来を語ることの難しさを感じた。 その一方で旧態依然でいられる人をうらやましくも思ったりするが・・・。

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初めて「洗脳」の言葉をきいた時 投稿者:まっぺん 投稿日:12月11日(土)21時51分59秒

ザーカイさんがはじめてこの言葉をきいたのは「オカルト」集団がらみだったそうですが、私は違います。「中国共産党」と関連して、でした。

まだ無邪気なこども時代、まっぺんは短波放送を聞くのが好きで夜になると、ラジオのチャンネルをゆっくり回しながら、世界中から聞こえてくる声に耳をそばだてていました。モスクワ放送、北京放送、ピョンヤン放送などは比較的よく聞こえて面白い。タモリが「北京放送」のパロディーをやるより前のことです。

東方紅のメロディーにのって「日本の同志のみなさん、友人のみなさん。こちらは北京放送局です」とはじまる日本語放送。面白いのでよく聞いていた。ひやかし半分にハガキで投書をした事もある。

「中華人民共和国北京放送局」・・・・それだけで届く。

何日か過ぎたあと。とつぜん父親に呼ばれ、どなりつけられた・・・「おまえ、“中共”と何の連絡をとっているんだ?!“洗脳”されるぞ!」父は真剣に怒っていた。何のことやら?・・・・???(+_+)

実は、投書のお礼に「毛沢東語録」が届いていたのだ。これを見て父も母も腰をぬかすほど驚いたらしい。文化大革命の記憶もまだ生々しく放送でもさかんに「ソ連修正主義」とか「劉少奇」などを批判していた頃だから無理もない。「今回は本だが、次には機関銃が送られてきたらどうするんだ!?」真顔で怒っているわりに、こういうトンチンカンなことをいう。そんなの、税関でわかるだろうに、と思うが「大丈夫。そんな事はないよ」一応安心させて語録は受け取りました。赤い表紙のきれいな本を学校にも持っていって先生にも見せびらかし、得意顔のまっぺんでした。

“ブレイン・ウォッシュ”・・・「マインドコントロール」よりもショッキングな言葉です。少なくとも労働者の側に立とうとする人には使ってほしくないなー。

入谷さん。わたしもそんなに知識があるわけではないです。サイトを開いてみて、それを思い知らされる毎日です。いっしょに勉強しましょう。・・・・(^_^)m(_"_)mペコリ(^_^)

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Re:終戦直後の中国 投稿者:入谷 投稿日:12月11日(土)16時39分09秒

>終戦直後には、多くの日本人が中国人に(個人的テロで)ころされました。そうだったのか!全然知りませんでした。てっきり食糧不足だけかと思ってました。そんなもので、60万人の軍人の分、食料が浮いたじゃないか。って勘違いしてました。そんな状況では、男手が居なくなって、在留婦人は大変だった訳ですね。まっぺんさん。いつもフォローしてくれて、本当にありがとうございます。出来る限り、良く調べてから書きこむように努力しますが、変なこと書いてたら、また、助けて下さいね〜。(ペコリ)

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「全体の利益」について 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月11日(土)13時31分21秒

>社会主義が労働者の自主管理社会だとするなら、当然、労働者は、>どの地位にいたとしても、全体の利益を考慮して考えることができ>なければならないはず。そのような思考ができないのなら、必然的>に、全体の利益を考慮する超越的存在が社会の頂点に立つことに>なるでしょう。

どう理解してイイのかわかりませんが、「一人は万人のために万人は一人のために」ってこと?

「全体の利益」という言葉に対して思うことは

人間が「オギャー」と生まれた時から既にある社会環境や、歴史の蓄積の支配下にあるけど、その瞬間どう感じたか、そしてその後どう生きたいかなんてことは「全体の利益の前」に来て当然だと思うけどなあ。

 そこで自分にとって不利益なことがあれば、他に多くの恩恵を受けている人、階層がいようとも闘いを挑むもんじゃないの?社会主義社会でも。 きっと、万人(多く人)は自分の受けている恩恵を投げ打ってまで、支援してくれるとは思えませんけどね。社会主義原理が支配していても。

 「全体の利益」とは聞こえのイイ言葉です(そのために闘っているんだけど)その利益がきちんと自分の利益になるのか?その利益を得る過程自身が、疎外にはならないか、キチンと楽しめてるか?

 このことをチェックせずに「全体の利益」という言葉を使うと、大変危険だなアとは思ってるんです。

 もちろんぼくが引用の言葉をよくわかっていないわけですから、トロスキーさんがどういう「全体の利益」をイメ―ジしているかは、わかりません。

 今、資本主義下にあって、資本主義に満足できない(抑圧を許せない)人間の「いつくるか、わからない」未来社会=全体の利益を一人一人が浴せる社会へ向けての闘いは、闘い自体が未来社会の極一部でも先取りして幸福感を「今、ここで」感じれなければ偽物であり、違和感を抑え込んで実現したら、それこそ「全体主義」の導入者に成りかねません。もちろん、その前に実現しないでしょうけど。

注:もちろん「今ここで」幸福感を感じても偽物があることは多いです。  それだけ本物は少ないということですね。運動以外の思想もそう。

>この「苦々しい気持ち」はいったい、日本が中国でやった侵略に対>して中国人が抱いている「苦々しい気持ち」に、ほんのかけらでも>匹敵するものでしょうか? その1000万分の1でも相殺するもの>でしょうか? もし本当に日本の侵略に対する心からの怒りがある>ならそのような「苦々しい気持ち」よりもずっと先に、来るべき感情が>あるのはありませんか?

無茶な理屈に思えるんですよ、こういう論理には。中国共産党の人権弾圧被害者と、日本の侵略の被害者との、共通点が「中国人」ということ以外は別なことでしょ?どうして比較するわけ?どうして「苦々しい気持ち」よりもずっと先に、来るべきなの??

ぼくは日本が戦争で(被侵略側に、自国民に)した事は絶対許せないことだと思います。それと平行して中国共産党を含め世界中で行われている/起こっていた人権侵害はゆるせません。比較するものでも、帝国主義国民だからといって、その批判の鞭を緩める気は全然ありません。被害者個人は違うんだから。加害者も。

ぼくの「洗脳」発言の問題はむしろ位相の違うことなのに、中国共産党憎しで、その感情を人権的・人間的捕虜への措置にまで、横流しにした点だと思ってますよ。もちろん無意識的に。

ですから、先に日本の侵略への怒りが来るはずというのは、トロスキーさんがそうすればいいことで、わたしは平行しておきます。「左翼」で、ここの「常連」ぐらいの共通点で、怒りの持ち方までも合意しても仕方ないでしょ?

よくある結論ですが、実践で検証していきましょう、ともに。

注:「実践」というとまた前のような話になると思うので、注釈すると、ぼくの「実践」とは「生活」といってもいいです。デモ行くとかとか労組とかに矮小化する気はないと言う事を付け加えておきます。近所のオバちゃんと会話することも「実践」です。ただ、内実が問われるのはなんでも同じです。

アー活字のやり取りは疲れる。消耗した←死語(笑)。

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終戦直後の中国 投稿者:まっぺん 投稿日:12月11日(土)09時42分36秒

入谷さんの発言に不正確な部分があると思われるのでちょっとだけ修正させて下さい。終戦直後には、多くの日本人が中国人に(個人的テロで)ころされました。しかし、これはまさにそれまでの日本人の行為に対する“報復”です。多くの悲惨な体験を強いられた中国人の個人的な怒りによるものです。しかし、その中でも「残留孤児」に見られるように親をうしなった“憎い東洋鬼”の子供を我が子として育てた中国人も数多くいたことを忘れないでください。

それと、中国共産党が全土を掌握したのは1949年です。終戦直後に報復にあって死んだ日本人にたいして中国共産党は何の責任もありません。

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トロスキーさん、ありがとう 投稿者:入谷 投稿日:12月11日(土)03時14分04秒

「社会主義が労働者の自主管理社会だとするなら、当然、労働者は、どの地位にいたとしても、全体の利益を考慮して考えることができなければならないはず。」、か・・・・。そうですね。なんだか、悲しいかな、会社組織なんかだと、どんなにマトモだった人も、現場を離れると急速に感覚が狂ってしまう様な気がして、全然信用出来ないんです。だから、中国の話も、現場の看守に不平があったのに、為されたってだけで、変に警戒って言うか、強烈な拒否反応が出てしまう・・・・。こうゆう、人間不信?は克服しないといけないんですね。まだまだ、難しいけど。

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それともう一つ 投稿者:トロスキー 投稿日:12月11日(土)01時57分16秒

 この間の、私に対する反論の書き込みに、ある共通点があるのに気がつきます。最初に言い出したのはザーカイさんですが、その後、その批判スタイルは、ちゅんたさん、入谷さんにも受け継がれているようです。つまり、私が常に、支配者、指導者の立場から物事を見ているが、自分たちは末端の、あるいは現場の労働者、活動家の立場から見ていると、という図式です。つまり私は鼻持ちならないエリート主義者というわけです。 なぜそのような図式が成り立つのか、まったくわかりません。それは、まったく証明されておらず、雰囲気として、あるいは印象として断言されるだけです。私の書き込みは基本的に自分が主体的な参加者だったらどうしたか、という視点で書かれています。その主体的参加者の地位はまったく問題になっていません。社会主義が労働者の自主管理社会だとするなら、当然、労働者は、どの地位にいたとしても、全体の利益を考慮して考えることができなければならないはず。そのような思考ができないのなら、必然的に、全体の利益を考慮する超越的存在が社会の頂点に立つことになるでしょう。

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なぜ私が怒りを覚えたか 投稿者:トロスキー 投稿日:12月11日(土)01時44分11秒

 ザーカイさん、入谷さんへ

 なぜ私がザーカイさんの書き込みにあれほど怒りを感じたかを書いておきます。現在、自由主義史観がはびこり、小林よしのりという扇動家が露骨なまでの侵略戦争美化をやり、中国人、朝鮮人への差別意識を助長させています。日本という帝国主義国に住む左翼にとって、とりわけ、ほんの50年前に中国、韓国を、最も残酷なかたちで侵略した国に住む左翼として、この、現在における中国人差別、朝鮮人差別にこそ、何よりも最大の反撃をする必要があります。これはもちろん、現在の中国スターリニストや北朝鮮スターリニストや韓国ブルジョア政府を美化するということではありません。しかしながら、いかなる場合であれ、右派の中国人差別、朝鮮人差別に同調しているかのような書き込みは絶対にしてはならないことです。 当時の革命中国のとった手段をそのまま真に受けるべきではない、というのは抽象的にはそうでしょう。しかし、侵略した側の国にいるわれわれが、それだけを言ってすますとしたら、それは、本人の主観がどうであれ、現在の中国人差別、中国敵視の風潮を強めることになります。 これがまず私の基本認識です。

 そのうえで、この間の書き込みにさらに反論します。ザーカイさんは、現在の中国に対する苦々しい気持ちがあるから、ああいう書き方になったと書いています。しかし、この「苦々しい気持ち」はいったい、日本が中国でやった侵略に対して中国人が抱いている「苦々しい気持ち」に、ほんのかけらでも匹敵するものでしょうか? その1000万分の1でも相殺するものでしょうか? もし本当に日本の侵略に対する心からの怒りがあるなら、そのような「苦々しい気持ち」よりもずっと先に、来るべき感情があるのはありませんか?

 次に入谷さんへ 革命中国が後世への宣伝的意図を込めて、ああいう寛大な措置をとったというのはその通りでしょう。だから何です? それが、いささかでもあの措置の価値を低める理由になるんですか? べトナム軍も、米兵を寛大に扱いました。それに対して、アメリカ人が、しかもその左翼が、あれは宣伝的効果を狙ったものにすぎず、美談にするのはどうかと思うよ、などと言っている光景を思い浮かべてください。その醜悪さがわかりませんか? あれほどひどい侵略を受けた国が、侵略してきた国の兵士に対してどういう処置を取ろうとも、私は非難する気になれません。もし革命中国が、あのような寛大な措置を取らず、捕虜全員を軍法会議にかけて銃殺していたとしても、私はそれを擁護したでしょう。しかし、革命中国は、日本軍の一般兵士は加害者ではなく、日本軍国主義の被害者であるという、愚直なまでの階級図式にもとづいて、ああいう措置を取りました。そのことの意義は強調しても強調しすぎることはないでしょう。

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フォーディズムを利用するとは 投稿者:トロスキー 投稿日:12月11日(土)01時15分27秒

  ちゅんたさんへ

 フォーディズムを利用するとは、まさに、その中の諸要素を分離して、その中で取捨選択すること以外の何ものでもありません。それが、どうしてダメなのか、私にはさっぱり分かりません。資本主義的工場も資本主義的技術も資本主義的公共施設も、すべてがすべて、まるごと拒否するか、まるごと受け入れるかのどちらかしかないとでもお考えですか? とんでもない機械論です。そのような発想は、ポルポト主義になるか、ずぶずぶの改良主義になるかのどちらかでしょう。 複数の課業をやる、人間の判断余地を残す、歩行の要素を取り入れる、等々はまったくユートピアではないし、非効率でもありません。実際に、トヨタはそれを取り入れて、初歩的フォーディズムの数十倍の効率性を達成しました。もちろん、トヨタの場合は、労働強化と長時間労働をも遂行したので(資本ですから当然です)、当然にも労働疎外を強めましたが、その点を差し引いても、やはり初歩的なフォーディズムよりもはるかに効率的であったでしょう。要するに相違工夫です。何事も。フォーディズムはコンベアー原理に還元できませんが、しかし、その決定的な点はコンベアー原理です。それは、資本主義的に利用されれば、労働の強制ですが、しかし、それは他面では、多数の労働者が同調的に労働を行なうという性格を有しており、これは、完全に生産の進歩的方向と合致しています。 ちゅんたさんは、貧困の克服ということがあたかもどうでもいいように扱っていますがちょっと信じられない発言ですね。ソ連の工業化なしには、ファシズムに対する勝利も無かったと思いますが、それも否定されるのでしょうか? ちゅんたさんが、そうまでしてフォーディズムを絶対的に否定するのは、理解不能です。豊かな日本社会の豊かな消費生活を享受しているからこそ出てくる発言としか思えません。フォーディズムにすれば、労働者の自主管理があたかも自動的に否定されるかのような考えもナンセンスです。コンベアーのスピード、労働の編制、課業の時間設定、労働時間、等々を集団的労働者が決定しているなら、それは十分に自主管理です。もしフォーディズム=自主管理否定なら、労働者は永遠に、19世紀的職人労働を維持しなければならないということになります。これは、『資本論』の展望にも反しますね。そのような職人労働では、当然、大規模な生産手段は使用できませんから、当然、生産手段の集中と集積、労働の社会化、協同労働でしか使用できない生産手段の発達、労働者の集中とその団結の増大、云々というマルクスが「資本主義的蓄積の一般的傾向」で述べたすべての現象も否定しなければならないでしょうね。 何が何でもフォーディズムを否定しなければならないという確定命題に縛られているために、ますます矛盾に満ちた発言を繰り返し、ますます支離滅裂になっていくのは他ならぬ、ちゅんたさんのようですね。

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「洗脳」 学生時代 ゼミなど  投稿者:ザーカイ 投稿日:12月10日(金)23時39分54秒

まっぺんさんへ>確かに「オカルト集団の基礎知識」にも必要ですね。>そうすると右翼の目から見ると「オカルト集団」も>「共産主義者」も同じ様なものにうつってるという事か。

わははは・・・。でもはじめて社会主義や、当時流行りのニューアカなんかの話は、宗教の秘密教義のように映りましたよ。カタカナ語と、難しい漢字語。「難しすぎてなんのことだかわからない話をするなんて凄いなあ」と思いました。紹介された本も、チンプンカンプン。当時はわが大学の教授丸山圭三郎に浅田彰、吉本隆明なんかを買って眼を通しましたねえ。「共同幻想論」なんかは本当に秘密教義かと思いましたよ(爆)

二ーチェもそうそう、流行ってたなあ。当時から非マルクス系が流行りでしたよ。ま、こんな読んでる本人もわからず、後輩にゼミしていたことは、まず「洗脳」と言われても仕方ないことしてましたね。

それで思い出した。サークル活動について。

ぼくのサークルは先輩が卒業してサークル員ゼロに(当時ぼくは準会員)。ゼロからはじめたゼミだから、ぼくが勧誘してぼくがチューターしていた。 学内で出店出して、インチキな中身のパンフ置いて、時間になったら誰もいないサークル室へ戻ってゼミの準備。パンフ見た人が来るのをネコのチビンケとで待つ。くる日もくる日も。 チビンケが招き猫だったらしく、5人ゲットしたんだっけ、一年で。サークル員を得た後、政治学やったり経済学をやったり色々と。

彼ら後輩が左系サークル数ある中で、ぼくの卒業後3年間は中大闘争を牽引していく中核部隊になったんだよなあ。

 しかし笑えるのはそんなサークルゼミ生が今、東北大学のドクター課程にいたり、読売新聞記者してるんだもんなア。

かれらに付け焼刃で覚えたことあれこれ教えていたことが懐かしい(はずかしい?)です。 この経験が活動家の育成の自信になったんだと思う。

原理研が、「学園祭とかサークルのゼミなんかを通して学生に共産主義を植え付けてる」とかかれ「それは一部あたってる」と苦笑してました。しかし共産主義ならぬ、「でたらめ」を教えていたとは原理研も気づかなかったようだ、はははは。

 この秘密が守れただけで、わたしは原理に勝利したのだ!!!

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塩見孝也元赤軍議長 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月10日(金)22時40分12秒

そうそう、12・9にいきなり京大でお会いした塩見孝也元赤軍議長からрェあった。朝早くで、まだうつらうつらしてたので、留守番電話&FAXにしちゃたんだけど、聞いてみてビックリ。御本人から、学習会のお誘い。行ってもよかったんだけど、組合の大会でへとへとになったんで、パス。

光栄なことだけど、これ以上公安のリストに載るようなことは避けたいなあ。まぁ、京大そして白樺での義理もあるので、毎週PM7:00〜たしか高田馬場でやってるようなんで、一度行ってみるべか?

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トロスキーさんへ 投稿者:入谷 投稿日:12月10日(金)22時30分56秒

ザーカイさん、いつも、ありがとうございます。「1000人だから厚遇できた、などと言うのは、きわめて不謹慎な言い方」というのはもっともです。敢えて、そのような表現を避けなかった愚を、何卒お許し下さい。しかし、「1000人しかいなかったのならそれこそ全員虐殺して闇に葬ることだってできたはずです。」というのは成り立ちません。この1000人は、満州未引揚者ではなくて、公式にソ連邦から引き渡された捕虜だからです。「もしソ連の日本兵捕虜が1000人だったら、全員ゲペウに殺されていたかもしれません。」というのも成立しません。もともとソ連邦領内で捕虜になった訳ではないので、邪魔なら、中国への満州引渡し時に一緒に引渡してしまえばよかった訳です。こちらの方が処刑の手間がありません。「60万人もいたから、労働力として用いた。」というのは、全くその通りで、その為にわざわざシベリアまで連れて行った訳です。但し、不謹慎の愚を再度犯すことを覚悟で申し上げれば、ソ連邦は、大戦で、1000万人を失ってますので60万人は所詮焼け石に水です。むしろ、日本人・ドイツ人捕虜が直接建設したシベリア鉄道より、ロシア人に伝えた、日本やドイツでは当たり前の技術・知識の方が、その後のソ連邦の復興には役立ったのでないでしょうか?労働はその場限りですが、技術や知識は永遠に役に立ちます。ここで、全体の「政策」としてのソ連邦の捕虜政策が如何に非人間的ものであったかについては異議はありません。但し、極端な一般化を恐れずに申し上げれば、巨大組織の頂点でなされる決定というものは大概卑劣なものです。要は、それに対して現場がどう対応したかが、私にとっては極めて重要なのです。ソ連や中国の指導部の立場に立って、過去の歴史に想いを巡らす事は、私には出来ません。実際我々が参考にすべきは、卑劣な体制下の現場でどう筋を通したか、という事例なのではないでしょうか? 過去の事例を知り、自分ならどうするであろうかと想像し、将来に生かそうとする事は、無駄では無いでしょう。さて、革命中国の捕虜政策でありますが、私には、大いに疑問です。自国民にはコーリャンしか食べられない食料事情の中、1000人の捕虜に白米を食べさせるといった政策は、やはり歪んでるとしか思えません。不平をもらした中国人看守の気持ちの方が遥かに共感できます。戦後の対外的な、宣伝政策としては冷静に支持出来ますが、率直に感動できる美談として受取ることが出来る程、私は素直になれません。私の申し上げた1000人と、60万人の対比は、この点にあります。もし、ソ連邦政府が、この60万人をシベリアに抑留せず、革命中国に委ねたとすれば、中国はその60万人の捕虜に白米はおろか、人によっては日本に居たら絶対に食べない黒パンで、人によっては栄養豊かな黒パンを食べてたからこそ生き長らえ、日本に帰ってきたら余りの食料事情の悪さに栄養失調になったという、不思議な黒パンと薄いボルシチすら、いや、コーリャンすら与えることは出来なかったのでは無かろうかと想像してしまいます。実際、166万2千人の満州開拓者のうち、終戦直後に24万5千人が、うち、日ソ戦闘時は6万人で、終戦後に18万5千人が放置されて死亡しています。この様に、後に語り継がれ易いのは、よりエライ軍人の体験で、二等兵や民間人の悲惨な体験は、なかなか伝わる事がありません。民間人を放置しておいたのは当時の状況から、致し方無い事で、革命中国に非はありません。しかし、その一方で、自国民看守の不平をよそに、後に語り継がれ易い(と、私は思う。)元軍人の捕虜1000人には、世界に胸を張れる対応と、再教育を施したという逸話を、その捕虜政策立案者が後世の人間に期待した通りに素直に受取る事は、残念ながら、私には出来ません。どうか、私の事実認識の誤り、世界観の誤りを正し、まっとうな道に御導き下さい。どうか、何卒・・・・。

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うん、そうだね(^^)それは認める 投稿者:まっぺん 投稿日:12月10日(金)22時10分13秒

確かに「オカルト集団の基礎知識」にも必要ですね。そうすると右翼の目から見ると「オカルト集団」も「共産主義者」も同じ様なものにうつってるという事か。

話がそれてしまったけど、今回の場合は「中国共産党」との関連で使用されている。それはやっぱりまずいっすよ。

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反共主義者用語というより… 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月10日(金)21時34分36秒

>「洗脳」は反共主義者が共産主義批判専用に使う>「反共用語の基礎知識」にしか掲載されないことばですから>使うべきではないと思います。

ぼくは学生の時、「洗脳」という言葉を知りましたが、これは勝共連合=統一教会=原理研をはじめとするカルト集団に使うコトバでしたよ。 ちなみにぼくは学生運動をしていることを当時両親にも言っていました。「おまえは左翼に洗脳されているんだ!」みたいなこと言われず、「戦争や政治腐敗に反対することはええこっちゃ」ですんだし、同級生も「学生服(2年生ぐらいまで)着た左翼」と面白がっていたんで、あまり思想というか活動にどうこう(「洗脳」)は言われませんでした。

 左翼・共産主義者が「洗脳」するみたいな文脈は卒業後ですね、知ったのは。たとえば北朝鮮の「拉致事件」のような。

#「洗脳」への反応は自分の置かれた場所や環境、時代による違いがありそうですね。ぼくはオウムなんかを「洗脳集団」といいますけどね。

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友納武人 投稿者:まっぺん 投稿日:12月10日(金)21時29分04秒

また、つまらん小ネタですが・・・・(^^)マル共連BBSにザーカイさんが掲載した情報に関連して。

父の死後、私は過去の父の足跡を調べ始めました。学徒動員により父は幹部候補生隊となったようです。“幹部候補生隊”とは軍曹〜少尉くらいの現場指揮官として養成されるものの事です。戦争末期になると、日本軍の兵力は不足してきます。歩兵はどんどん死んでゆくけれどもどんどん促成で訓練し補充してゆく。高級将校は比較的安全な所にいるから簡単には死なない。一番不足したのは現場の指揮官です。

当時の日本軍の“伝統”で、突撃の時には指揮官は軍刀を抜いて最先頭で敵に突っ込んでゆくので、非常に消耗がはげしい。又、指揮官である以上“促成訓練”というわけにはいかない。そこで動員学徒をこの養成に充てたわけです。

父は習志野騎兵学校(現陸上自衛隊習志野空挺師団)で訓練をします。習志野駐屯地を訪問して中を見てきました。「騎兵の碑」というのがいまでもあった。そこで遭遇したご老人の団体・・・・それは第何期かの卒業生・戦友会の人達でした。当時のお話をうかがい、いろいろ資料もいただきました。

資料をみると、なんと!その第一期生のなかに友納武人がいた。父は第十一期生。10年先輩だったんだなー。

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ソ連の生産力についての質問 投稿者:まっぺん 投稿日:12月10日(金)19時23分13秒

トロスキーさんが説明してくれた内容は非常にすっきりしていて「資本主義国と労働者国家の生産性の比較」が無意味であることはよくわかりました。ひとつだけ、この間のソ連抑留者問題で思いついたことがあります。

スターリン体制下でもソ連は生産性を向上してきましたが、ここには負の側面を考慮するべきなのではないでしょうか?つまり、スターリンは非常に数多くの政治犯をシベリアに送り、強制労働を強いました。日本軍将兵の強制労働もこの方針の延長線の上にあると思います。この強制労働がソ連の経済力を裏から支えたと考えるべきではないでしょうか?

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その2 投稿者:ちゅんた 投稿日:12月10日(金)14時37分26秒

フォードシステムにあっては単純労働の強制をベルトコンベアによって行なっていたわけです。ベルトコンベアの役割は単に荷物を運ぶことではありません。フォードシステムにおけるベルトコンベアの役割は,単にあなたの言うコンベアー原理だけで済まされるようなものではないのです。あなたはベルトコンベアと言うものをフォードシステムから切り離して論じていますが全体の文脈からすれば意味がないでしょう。そして,再び「労働者がひたすらネジを締めることに専念する必要はありません。複数の課業をこなしてもいいわけです。」と主張されますが前述した通り,システム全体の前提を崩すような主張をして,それでいて生産性を向上できるという考えておられるとしたら,それこそ「ユートピア」以上のものではありません。総じてあなたの主張は「フォードシステムの利用」と言う前提下にあっては,論理矛盾であると思われます。論点をそれぞれ分断してしまったからこそ成しうる議論ですが,それでは生産性の向上を達成できるかどうかはまったくの疑問です。また,あなたの「創意と工夫で可能」だ,などという主張ですが本当でしょうか?これまでの検討により,少なくともあなたがあげているような点では不「可能」だと言えます。せいぜい,失敗してもそれは現場での「創意と工夫」が足りなかったのだ,と言うような主張へと行き着くだけにしかならないように思えますが。ところで,それは労働者へ負担を強いるのでしょうか?それとも「創意と工夫」は労働者が主体的に行なうものではなく,別のところで誰かが考えるものなのでしょうか?それこそ労働過程を労働者が自主管理するという原則無視になってしまいまたぞろソビエトの悲劇を繰り返すだけの結果になり兼ねません。結局のところ,トロツキーの「フォードシステムの利用」と言う発想自体に問題があったにも関わらず,それを無理矢理弁護しようとしたためにこのような結果となったと結論することができるでしょう。生産性の向上が急務であったのは当然のこととしてもそのための方法の選択に失敗してしまったことを問題にできないのでは「躓きの石」であり,それでは認識の前進はありえません。

最後にあなたは「ソ連の現実」を持ち出してきていますがそれならば現実のソ連における労働過程について,あなたはどう思っているのでしょうか?「恐るべき窮乏と貧困」を「克服」するために労働者に犠牲を強いることはやむをえないことなのですか?農作業を軽減するためには労働者の犠牲もやむをえないといえるのですか?そしてその結果はすでに,ソビエトにおける労働過程が結局労働者の手に戻らなかったと言う事実が明らかにしていると言えるでしょう。

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何を問題とするのか? 投稿者:ちゅんた 投稿日:12月10日(金)14時34分33秒

これまでみてきた限りでは,トロスキーさんの視点というものはボルシェビキ指導者の視点ーレーニン,トロツキーの視点と言うものに限定されています。その視点を取ること自体をを否定しようとは思いません。確かに全体的な,広い視野で判断しようとする時にはそれなりに有効でしょう。しかしそれで十分なのか?と言えばそうでもない。個々の論点においては見落とされてしまうものも多いのです。そのような意味で,一つの視点のみからに限定されている見解には限界を感じざるを得ません。現実の労働過程をうまく捉えられないのはある意味トロスキーさんの当然であろう限界と言えましょう。彼(ら)にあっては労働者は受動的な存在であり「駒」のような存在としてしか捉えられていない,と言う点にもこの視点の限界性が読み取れることと思います。単に命令を受動的に受け止めるだけのものであろうはずはないのですから。

さて,百も承知,と言いますが内容を理解できていないから問題なのです。フォードシステムの捉え方ですが,はっきりと言ってしまえばあなたの主張はかなり独断的です。その時その時の主張によってフォードシステムの特質を恣意的に判断しているからです。繰り返しますが,なぜ生産性を向上できたか,と言うとそれは労働の単純労働への還元とベルトコンベアによるその強制,そして労働を単純労働に還元することによって労働過程における労働者の関与を極小化し,それによって労働過程における資本の支配を確立させる,と言うことをあげることができます。これらの点が重なり合ってシステムを構成しているわけです。言い換えるならばこれらの特質を兼ね備えていなければ,システムとしての意味を成さないということが言えるだろうと思います。あなたの場合はこれらが分離して考えられているからこそ問題なのです。あなたは「流れ作業」といいますが,フォードシステムにおける流れ作業とはどのようなものだったのでしょうか?それはベルトコンベアにおいて強制される流れ作業でした。すなわち労働者の意志とは関係なく強制される流れ作業です。その点を問題としているのであって,一体誰が流れ作業を否定したのでしょうか?その中身について考えることが必要なのであって,いきなり概念そのものを否定しようなどという意図を僕は持ってはいないのですが。「単一の課業ではなく、複数の課業をやる、過度に自動化せず、人間の判断余地を残す、1ヶ所にずっと立っているのではなく、一定の歩行をの余地を取り入れる、等々の工夫は十分可能です。」単一の作業をひたすらやることで,生産性の高さを確立していた訳なのにそれを複数の作業をやるようにして意味があるのでしょうか?生産性の向上を度外視するならばともかく,システムが持つ,生産性の高さというメリット自体を壊しかねないような発想でしかないでしょう。あるいは,せいぜい労働者に余計な負担を強いるという結果になるのがせいぜいなところだといえます。大体,システムにおいて想定されている労働が単純労働なわけですから,配置転換などしてもやる内容が少々変わったというだけであまり意味のある改善だといえようはずもありません。それは「一定の歩行の余地を取り入れる」と言う点にも言えます。こんな事をしたところで行なっている労働そのものに対する問題点が解消されるわけではありません。あなたの発想は生産性と人間性の両立という点をを無視しているからこそ出てくるものだといわざるを得ません。最もフォードシステム下においては,その両立など土台無理な話なのですからー元々人間性を無視することが原点に存在していたーある意味当然の帰結と言えましょうが。ですから「人の背中に重い荷物を載せて運ぶのではなく、コンベアーで工場内を移動させ労働者の労働を軽減させつつ、効率を達成することが、コンベアー原理です。」とあなたは言いますが,それではフォードシステムの利用,と言う点はどうなったのか?と聞き返したい。単にベルトコンベアを荷物を運ぶために使いました,と言うだけのことならば,労働過程の機械化ではあってもフォードシステムの利用等とは言えないでしょう。

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ベトナム・カンボジア問題 投稿者:まっぺん 投稿日:12月10日(金)13時39分30秒

話がいろんな方面に飛び交い、複雑ですが、楽しいぞー(^^)さらに「ベトナム・カンボジア問題」の議論もはじまるとちと大変になるな〜。私としては、いずれ話したいです。ザーカイさん。

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ソ連抑留者の友人 投稿者:まっぺん 投稿日:12月10日(金)13時35分15秒

ほとんど根拠のない想像ですが。収容所時代の父の友人の中に「安彦某」という人がいました。東北出身。まさか、その人に息子がいて「虹色のトロツキー」を書いた、なんて。(^^)

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クメールルージュ 投稿者:まっぺん 投稿日:12月10日(金)13時19分14秒

「クメールルージュ」は「敵」のことばでしたか。それは失礼しました。ところどころ無知な事がばれてしまう。あとでなおしておきます。

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「洗脳」論議 投稿者:まっぺん 投稿日:12月10日(金)13時16分21秒

最初に引き金をひいたのが私ですから、私も発言せねばなるまい。

トロスキーさんの言葉は論理的で明快です。ザーカイさんに対する批判、非常にもっともだと思います。反論の余地なく。

中国共産党指導部への不信感を春秋戦国時代や三国志の時代の侵略と謀略の歴史と混同して批判するのは間違いだと思う。「洗脳」の言葉を不用意に使ったのは確かに批判されると思います。

やっぱり経緯はどうあれ、現在では「洗脳」は反共主義者が共産主義批判専用に使う「反共用語の基礎知識」にしか掲載されないことばですから使うべきではないと思います。

ただ、論議をはなれて、ザーカイさんが自分の職場で仲間のために仲間の立場に立って、試行錯誤を繰り返しながらでも活動をしている様子、それから釜ヶ崎報告などを読んでみると、労働者の息子として生まれ、自らも労働者の心をもっている人である事を非常につよく感じています。そういうところからも判断すると「心から軽蔑します」というのは、ちょっとキツすぎると思いますよ。

なんだろ?私はどっちの味方をしてるんだ。

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追加 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月10日(金)12時25分07秒

トロスキーさんへ まず、ぼくの稚文が皆さんに不快な感じを与えたことは率直にお詫びさせていただきます。自分のコトバの伝わらなさは以前から自分自身で感じていることですので、全員の誤解が解けたり、または誤解されない文が書けるとも思っていませんので、そのままの私への評価で結構です。 ただ、他の人とは別の視点からの追求がありましたので、また稚文を重ねさせてもらいます。

> 誤解だとは私は思いません。(略)>何のために、「洗脳」という言葉を持ち出し、それが現在の洗脳の>語源だなどと注釈を加えたのでしょう。まったく理解不能です。

まぁ、トロスキーさんはみんなが同じだけの「知性」を持っていることを前提にして書いているんだろうとは思いますが、私はそういう前提には「立てない」と言う事だけは、「違い」として言っておきます。(だから労組でも末端オルガナイザーとして、手足にはなっても”頭”にはなれないということ。)

また、この場を論文発表のように精緻を極めて文章を書いているわけでもないということです。それはネットの性格上仕方ないと思うんですが、個人の見解ですので、共鳴いただかなくとも結構です。

 で、本題。 自分自身で自分を分析するしかないので、客観的ではないのですがなぜアソコで、「洗脳」というコトバを書いたのか?

1つには、私特有の、情報の羅列作文の結果。2つには、やはり、中国共産党へ持っているある種の苦々しい印象。なんじゃないかと思う。中国人への差別意識というより、共産党への。 2がポイントだと思うのだけど、人権無視、核保有国、また私の信条に関わる人を軟禁状態にしていることなどなどを苦々しく感じています。

 そういう感情が滲みでているのかもしれません。つまりは、私には中国共産党への卑下の気持ちがあるってことですね。過去の栄光・プラスポイントとは関係なく。#これでも自分としてはできるだけ客観性を保とうとはしてるんですがね。

以上です。

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とびとびレス(2) 投稿者:トロスキー 投稿日:12月10日(金)02時09分10秒

  次にザーカイさんへ 誤解だとは私は思いません。「洗脳」という言葉は自分が使ったのではなく中国の側が使ったというのは単なる言い訳です。あの文脈において、とくに説明もなく、あのような使い方をすれば、当然、現在使われている意味の「洗脳」があそこで行なわれたということを示唆しているものと受け止めるのは自然です。もしそのような受け止めを予想していなかったとしたら、何のために、「洗脳」という言葉を持ち出し、それが現在の洗脳の語源だなどと注釈を加えたのでしょう。まったく理解不能です。

 それと、入谷さんの1000人と60万人の対比についてもまったく理解不能です。日本軍は、1000人の中国兵だって虐殺しました。10人の捕虜だって虐殺しました。1000人だから厚遇できた、などと言うのは、きわめて不謹慎な言い方です。1000人しかいなかったのならそれこそ全員虐殺して闇に葬ることだってできたはずです。ソ連軍は、いわゆるカチンの森事件で大量の捕虜を虐殺しました。もしソ連の日本兵捕虜が1000人だったら、全員ゲペウに殺されていたかもしれません。60万人もいたから、労働力として用いたのでしょう。 もちろん、収容所によっては、人間的な赤軍指揮官もいました。ソ連が単なる独裁国家ではなく、堕落しているとはいえ労働者国家だったからこそ、です。しかし、全体としてのスターリンの捕虜政策は革命中国の捕虜政策とは比べものにならないほど非人間的でした。この本質的な相違を見過ごすことはできません。

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とびとびレス(1) 投稿者:トロスキー 投稿日:12月10日(金)02時05分35秒

 まずはちゅんたさんへ

 ちゅんたさんの指摘したフォーディズムの内容についてはトロツキーが『ヨーロッパとアメリカ』(柘植書房)ですでに詳細に述べています。そんなことは百も承知の上での話です。熟練労働といいますが、実際には、ソ連が当面していた工業化の時代はほんの一握りの熟練労働者に頼って経済建設できるような時代ではなかったことを理解するべきです。農村人口が、人口の9割以上を占めていた時代から、労働者が多数となる時代へと移行する時期にあったのです。大量の未熟練労働者がどっと都市に流れこむ時代であったことを忘れてはなりません。いかなる流れ作業もなしに、現在の生産を維持できるというユートピアをお持ちなら話は別ですが、流れ作業は歴史的必然です。活動家だって流れ作業をして、ビラを折ったり、新聞を封筒に詰め込んだりしています。単調な流れ作業は、創意と工夫しだいで変化をつけることも十分可能です。単一の課業ではなく、複数の課業をやる、過度に自動化せず、人間の判断余地を残す、1ヶ所にずっと立っているのではなく、一定の歩行をの余地を取り入れる、等々の工夫は十分可能です。実際、日本資本主義をそれをやって(トヨティズム)、本家アメリカのフォーディズムに生産性で勝利しました。ただし、しょせんは資本の論理で課業設定と時間設定がなされますから、とてつもない労働強化をともないましたが。 出発点は、労働を節約し、大量に都市に流入する未熟練労働者を生産に定着させ、工業化を達成することです。それが資本の論理にもとづいてではなく、社会主義の論理にもとづいて行なわれることです。人の背中に重い荷物を載せて運ぶのではなく、コンベアーで工場内を移動させ労働者の労働を軽減させつつ、効率を達成することが、コンベアー原理です。労働者がひたすらネジを締めることに専念する必要はありません。複数の課業をこなしてもいいわけです。それは要するに創意と工夫の問題です。コンベアー原理=労働疎外、というのはナンセンスです。 もちろん、一定の生産規模が達成され、生活の一定水準がすでにかなりの高さになったのなら、労働そのものを芸術と結合させることのできるより高次な段階へと移行することも可能でしょう。そのときには、フォーディズムの廃絶を展望することもできるでしょう。しかし、当時のソ連は、恐るべき窮乏と貧困が国中を支配していたのです。そのことの克服が何よりも決定的だったのです。豊かな日本社会の豊かな消費生活を前提に語ってはなりません。当時にあっては、農民は腰を曲げて田畑を耕し、膨大な労働と膨大な時間が無駄に消費されていたのです。農村に大量のトラクターを供給すること、これはフォーディズムの導入なしには絶対に不可能でした。それとも、ちゅんたさんは、一部の熟練労働者のために、人口の9割を占める農民はこれまで通り、体をいため手をぼろぼろにして農作業に従事しつづけよとでも言うのでしょうか。

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AFL-CIOの限界 投稿者:H.H 投稿日:12月09日(木)22時55分46秒

確かに流れは変わり始めようとしているのかもしれません。AFL-CIOのジョン・スイニーが積極的な活動家の実績でこれまでの官僚的体質を突破する形で会長に選ばれたこともその表れの一つかもしれません。しかし、同時にそのスイニーがこのたびクリントンが出した声明に署名をしたと言うことも事実。それに対して各支部から批判が続出しているそうです。非常に矛盾を抱えた形になっています。もし、アソシエ21がAFL-CIOの積極的な面しか見ていないあるいは会員に知らせていないのでしたら非常に問題です。今回、AFL-CIOは中国のWTO加盟に反対したそうです。理由は人権侵害をしている国の加盟は認めない、というクリントンの人権外交にそった形での反対です。WTO加盟によって中国の労働者民衆の生活が一層困難になると言うきわめて原則的かつ階級的な反対ではありません。もちろん、中国の人権侵害や政治的迫害を軽視して良いわけはありません。

ということで、ちょっと冷水でした。

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シベリアで・・・ 投稿者:THX1138 投稿日:12月09日(木)22時30分53秒

 シベリア抑留に着いての話が出ていましたので、すこし・・・。

 シベリア鉄道に乗って旅をしたわけですが、あの建設にどれだけの日本人が犠牲となったことか・・・と考えたり、車窓から見える、どう見ても“ラーゲリ”としか見えない廃屋群を見るにつけ、胸につまされるものがありました。

 イルクーツクの、あるところで、シベリアにおける“日本人抑留者”についての資料を購入したのですが、現在の彼等は、あの事を“罪深き出来事(事件)”として捉えているようにも受け取れました。

 とは言いましても、抑留中に帰らぬ人達となった人達が帰ってくるわけではない・・・・・。

 悲しい過去と言うには、余りにも酷すぎる話。

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流れは変わり始めている!? 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月09日(木)22時12分28秒

エー、毎度ばかばかしいことばかり書いておりやすが、今回は皆さんに勇気凛々スンゴイ朗報を一つばかし報告しヤス。

季刊アソシエ創刊号99.12.1発行 (アソシエ21の本)編集後記より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(前略)新自由主義、グローバリゼーションのもとでの資本主義が何をもたらしつつあるか、多くの民衆が、これを問題視し、21世紀にむけてこれに批判を加える傾向を強めている。流れは変わり始めている。アメリカの労働運動の主流AFL―CIO(米国労働そう同盟産業別会議)すら、おそらく史上初めて、反資本主義の態度表明をした。イギリスのBBCが10月1日に発表したニュース・オンラインでの世論調査では、この一千年紀(ミレニアム)でもっとも偉大な思想家としてアルバート・アインシュタインをおさえ、カール・マルクスが首位をえている。(後略)

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ベトナム訪問団 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月09日(木)19時53分04秒

 ベトナム訪問団を見ました。ポルポトをクメールルージュと呼んでいてビックリ。たしか「ベトコン」と同様、権力側のつけた呼び名では。  カンボジアの王様がおフランスに留学した学生が、社会主義に「かぶれ」てきたことに不快感を示し、「クメールのアカ(仏語ルージュ)」と呼んだと記憶。

 トウショウヘイも、ポルポトもフランス経由の社会主義者。その上ポルポトはフランス共産党ではなく、フランス新左翼系の影響を受けている。若者の文化を旗印にすると、大人や知識人は旧体制の記憶があるからと殲滅することになるようですね。全共闘世代とも一部つながる発想。

 しかし、いくらポルポトが収容所を作っていたからといって、ベトナムが「解放」したという言い方はどうかなあ。ユーゴがまだ社会主義国で「民族浄化」をしていたとしたら、ソ連が侵攻しても「解放」と言う事になりそう。

レーニンの民族自決の難しさを知るようなエピソードですね。

ぼくがその時代に左翼していたらどういう判断をしただろう。やはり、「あらゆる戦争に反対」といっていた程度でしょうね。ソ連の核に対しても同じ文脈で反対。

「じゃ、どうするんだ?」といわれたら、ユーゴ爆撃と同じくオタオタするだけ。

 マンデル派シンパの皆さんは今どう思っていますか?旧ソ連の核・ベトナムインドシナ戦争について。チョットおもすぎかな、テーマが??いつも質問ばかりで御免。

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Re:ソ連の捕虜政策 投稿者:入谷 投稿日:12月09日(木)19時28分15秒

まっぺんさん。お父様が抑留されていたというデリケートな話なのに、本当に、ありがとうございます。(ペコリ)そう、「政策」としての捕虜の扱いは、確かに卑劣ですね。実際にその政策がストレートに実行されなかった収容所もあったという事に過ぎないのでした。(すんません)あのお爺さんの収容所でもチェカと赤軍の監督官の対立は深刻だったようです。チェカにおもねった監督官なら、捕虜の待遇は、酷いものに成ることは想像に難くありません。むしろ、チェカに立てついても捕虜の待遇を維持しようと努めた部隊の例の方が稀なのかも知れません。お爺さんは「チェカを共通の抑圧者として、赤軍の将兵と捕虜の間に奇妙な一体感があった。」という表現をしてました。チェカの指導、つまり当局の、ようするにスターリンの政策に、トロツキーの創設した赤軍の精神をもって反発した部隊も、稀に?残っていたのでしょう。きっと、そうゆう古参の愛すべき現場の赤軍指揮官ってゆうのは、この時代を境に完全に粛清されちゃったんでしょうね。トロツキーの残り香が、赤軍に僅かに漂ってた最後の時代なのでしょう。あと、その収容所が特別だったのかも知れませんが、思想教育という面は希薄で、むしろ日本人やドイツ人が普通に持っていた、機械や電気に関する知識を吸収しようとする姿勢が強く感じられたそうです。圧倒的な実務教育程度の格差をロシア人将兵たちは素直に受け入れていたのだそうです。この時に、社会主義を学ぼうと言うよりは、知識伝達の道具としてのロシア語を学ぼうとする者は、好ましく思われたそうです。こうゆう捕虜は、なにかの機械や設備が故障した際に重労働の現場から呼ばれて、修理の仕方を教える先生となったそうです。ここで、ロシア語を学ぼうとしないで、無言で自分で直してしまう捕虜より、直し方を教えてくれる捕虜が好まれたという事実に、注目せずにおれません。赤軍兵たちは、外国人捕虜は何れ帰ってしまう異邦人として捉えられていたのであります。

ロシアの黒パン(笑)私は大好きです。ロシア料理店の黒パンは軟弱!日本人には大いに好みが分かれるトコですが・・・・。コメと違ってパンは栄養素が不足しています。栄養学的に言いますと、当時の黒パンは、キャペツ、ジャガイモ、ニンジン等の野菜を地面に穴を掘って塩漬けにしたものをかなり練り込んでますので、栄養のバランスが良い。とにかく普通のパンで無い事は確か。どっちかってゆうと、カロリーメイトの方が近いんじゃなかろうか?(マズさでいうと・・・・。)まあ、配給量が少なければダメですけど。

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同感!! 投稿者:ノムラ 投稿日:12月09日(木)19時01分40秒

紺碧の艦隊私も娯楽作品としては好きですけどね。

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紺碧の艦隊 投稿者:まっぺん 投稿日:12月09日(木)18時15分37秒

黎さんのおっしゃってるのは「紺碧の艦隊」でしょう?文庫版で出版され、次に漫画になり、アニメでも出てますね。2年ほどまえ「軍事オタク」の連中と論争をした時この話題もでました。右翼的思想の某氏がほめちぎるこの本をわたしは「まけおしみ文学」と表現し、だいぶ反感を買いました。右翼から反感を買うのは勲章ですけどね。(^^)

あの本はめちゃくちゃですね、ハッキリ言って。後世から見た戦術的修正が各所にみられますが、戦略的には完全に破綻しています。帝国主義世界が二分していた当時、戦略的にはどちらかの陣営に所属するしか展望はなかったはずです。すなわち英仏の陣営かファシストの陣営。あとは参戦しない限りでの中立政策(戦争前のアメリカはややそれに近い)。

「紺碧の艦隊」ではアメリカに戦争を仕掛け、さらにドイツにも爆撃をおこなう。好戦的孤立政策です。当時の日本の経済力から考えてもそんな事は不可能です。また、戦略的に見てもアメリカの方が日本にまさっていたのは敵国重要拠点(=首都)の占領をちゃんと戦略目標に上げていた事です。日本はついに「アメリカ本土占領」を一度も目標にしなかった。「紺碧の艦隊」でもそこが全然分かっていない。

戦争が政治の延長であること、第一次大戦以来、時代は経済力を基礎とした「総力戦」の時代にすでに入っていたことをまるで分かっていない荒唐無稽な右翼文学ですね。ああいうものが流行るようでは深刻だ。

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ソ連の捕虜政策 投稿者:まっぺん 投稿日:12月09日(木)17時36分11秒

入谷さんの疑問は、そのとおりですね。戦争に負けたのだからみんな平等であると思うのは当然です。私のソ連の収容所についての説明は、多くの資料とともに軍人的観点からの父の友人の証言、それに父の感想も入っています。

しかし、収容所によって待遇の違いがあったのかも知れませんが多くの日本軍将兵が飢餓線上にあったのは事実です。ソ連抑留者の連絡会があって、そこに多くの情報が集中しています。その証言には悲惨なものが数多くあります。新聞にも紹介されました。父の証言もそのほんのひとつにすぎません。

父の証言によれば黒パンは「石のように硬い」「まずい」「すっぱい」ということでした。日本にいたら、あんなパン、見向きもしないとも言っていた。近代的パン工場で焼かれる「おいしくて栄養満点の黒パン」ではありません。雑穀のくずをかためて焼いた“本物の”ロシアの黒パンです。しかし、そんなパンでも「腹一杯たべたい」と思うほど量が不足していたのです。「ズシッ」と重くても量が少なくては同じことです。また食料配給は平等です。みんな平等に飢えていたのです。だから食料を盗む者がでた。また、それが自殺に値いするほどの恥ずかしい行為でもあった。

「軍規が崩壊、下級兵士が上官を糾弾」というのも、父の感情からは許しがたい現象だったんでしょうね、きっと。ああいう風に表現しましたが、帝国主義軍隊の上下の秩序が崩壊する事は私自身としてはなんとも感じません。ただ、言っておきたいのは、社会主義を学び、ソ連について理解を示した者には待遇をよくするという事があった、という事です。

ソ連抑留から帰国した人達の中には日本共産党に入党した者もいたことでしょう。その人達の思想的改心については疑うべきではない事はもちろんです。しかし、待遇を餌として社会主義の理解を強要するのはあまりにも人間をばかにしている。スターリンの大衆工作の原点を見る思いがします。

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明治維新をどうまなぶか? 投稿者:まっぺん 投稿日:12月09日(木)16時14分28秒

そういえば、すっかり忘れていたけど、昨日はピーターフランクルの講演の日でしたね。行きたかったなぁ(^^) これもテレビからの情報ですが、かれは相当優秀な数学者だったそうですね。ただ、政府につながる官僚主義者のグループにつかなかったので冷遇されたとか・・・

明治維新後の日本の躍進については、周辺諸国の収奪の上にある事と今後、日本のような「維新の奇跡」を起こして成長する国家は登場しないだろう、という風にわたしは思っています。

我が党サイト「とも子とお父さんのよくわかる社会主義」にも簡単に書いておきましたけど。・・・・

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「誤解を解く」の誤解を解く 投稿者:まっぺん 投稿日:12月09日(木)15時45分45秒

ザーカイさん。「洗脳」のことばについての誤解は解けました。「んだからぁ〜」の部分、了解です。失礼しました。

しかし、もうひとつ、解いておかなくてはならない誤解があります。中国の捕虜達は当時、別に「優遇された」とは思っておりません。お米のご飯については中国人看守たちが不満を言っていただけです。

自分たちが中国人に対してどんなひどい事を行なってきたか、当時の捕虜たちには充分にわかっています。自分がした事だから。だから、ソ連から中国に引き渡された時、彼らがどんなきもちだったか、想像がつくでしょう。どんな拷問・虐待をされるかと思ったでしょうね。

ところが、そうではなかった。当然あると思っていた「報復」はされなかった。そこへ、紙とえんぴつを渡されて「何でもいいから書け」という。へんな事をかいたら、やっぱりそれを口実に報復されるのではないかと、疑う。……普通の感覚で日本兵捕虜の心理を追っていけば以上のようになるでしょう。しかし、ここから本当の「教育」が始まったのです。トロスキーさんが的確に表現しています。「洗脳を解く作業」です。

自分たちがやったことをただ書いていく。そこには何の感慨もないでしょう。しかし、通訳は「中国人の立場にたって書いて下さい」…何度も言ったそうです。捕虜達はもう一度、視点を変えて書き直してみる。いろいろ思い出してみる。自分達がおこなった事。敵兵を拷問した事、婦人を殺し、こどもも殺したこと、家に火を付けて中の家族を焼き殺したこと、村人を殺しまくったこと………

これらを中国人の立場にたって書いていったのです。いくら侵略の尖兵として教育されてきたとはいえ、もとは普通の人間です。だんだんと自分達の行為のもつ卑劣な意味について自覚していきました。そしてそのあとで裁判がおこなわれた。今度は、実際に被害に遭った本人が証言者として登場します。

拷問され、あるいは家族を殺されながらも生き残った証人たちの証言をきき、自分の行為がもたらした結果について更に深くつきつけられるわけです。被告席に立った人が土下座をしたのもうなづけるでしょう。その被告席に立った本人が40数年後の今、その時のビデオを見て「中国に感謝する」といったのは、それが強要によるものではなく自発的な気持ちだったからである証拠ですね。「感謝」の意味は「待遇が良かった」からではないこともわかると思います。

多くの中国人が自分達日本人を殺してやりたいほど憎んでいただろうになんの虐待もせず、逆に人間としてのこころを取り戻すように導いてくれた事への感謝です。つまり物質的なものではなく、精神的な意味で感謝しているのです。

ついでに申し添えますが、こうした中国共産党の人々の気高い行為についてわたしは心から敬服します。それは毛沢東の思想についてどう思うか、という事とはまた別な問題だと思っています。革命の指導部として誤った指導をした例はいろいろあるでしょう。また明らかにスターリン主義に起因するあやまりもあります。しかし、そのあやまりについて指摘し議論や闘争をする時にも「革命の同志」への批判として行うべきであると思います。

しかし、戦後の占領政策をとったアメリカについてはどうでしょうか?旧帝国主義日本が敵対勢力であったのを自らの傘下に従属させ、あくまでもアメリカを盟主とする世界帝国主義の一員として再生させた意図については「敵」として批判し反対してゆくべきではないでしょうか?しかし、それは物質援助に反対せよということではありません。アメリカ政府当局の“隠された意図”にもかかわらず戦後のアメリカ人たちは日本への善意に基づく復興援助について積極的でした。私がまだちいさかったころ持っていた「うさちゃん」のぬいぐるみ人形はアメリカから送られた救援物資のリサイクル品であることを、だいぶ大きくなってから知りました。現場のアメリカ兵が日本人に対してとった親切な態度については普通の人間的な気持ちとして感謝するべきだろうと思っています。

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>ザーカイさん私の誤解は解けました 投稿者:黎 投稿日:12月09日(木)00時03分24秒

ただ、あの文章は中国の教化担当の言葉を借りたザーカイさんの考えと受け止められてもしょうがない構成になっていたと思います。そして、誤解を解く文章の中にもう一つコメントをつけたくなる問題が・・・(^^;)

ザーカイさんの日本帝国主義の中国(アジア)侵略や、中国(アジア)人民の虐殺に対する考え方は、今の日本人の多くが考えることですね。極端な話(ザーカイさんは言ってませんが)、○○の艦隊のような、こうすればあの戦争は勝っていたというように、戦術や戦略、あるいは指導部の馬鹿さ加減のせいにする・・・。これは、誤りだと思います。帝国主義国家として侵略は必然であったし、皇国史観による民族排外主義によって、虐殺は必然であり、まして虐殺は、三光作戦として中国全土で組織的に繰り返されていたのです。「命令を守れない馬鹿隊長」とは、まさに、当時の帝国主義日本の本質だったのではないでしょうか?

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