四トロ同窓会二次会 2000年1月4日〜11日

RED MOLE PARTY/THE FOURTH INTERNATIONAL FAN CLUB

------------------------------------------------------------------------
左翼が大衆に見放されたのは・・ 投稿者:まっぺん  投稿日:02月11日(金)21時54分15秒

ザーカイさん、いらっしゃい。(^^)

>つまり、大衆から「見放され」何をしてよいかわからない子供組織が、
>仮想敵を別党派または同じ党派に設けたのだと言えないか?

これはチト乱暴な意見に聞こえますねー、まっぺんには。
「暴力」というものの意味を左翼はもっと厳密にとらえるべきでした。
残念ながらそうではない組織が安易に“内ゲバ”に
走っていったんではないでしょうか。

内ゲバは「組織のおごり」です。
革命は大衆がおこなうもの。組織がやらせるものではない。
「大衆から見放される」事と「内ゲバ」とは相互に増幅しあうものです。
「見放されたから内ゲバを始めた」というのは一方的だと思います。
大衆は「変化」するものです。活動的にも保守的にもなる。
左翼諸派が当時の大衆に依拠して運動を続けていれば、これほど大衆が
保守化することはなかったんじゃないか、とまっぺんは思っています。
大衆は内ゲバや爆弾ゲリラを見て、左翼に失望したんじゃないでしょうか?

左翼はどんな「大衆」に依拠するべきなんでしょう?
都知事選挙では「大衆」は石原を選びました。また、世論調査では
無党派層の多くが民主党に期待しているそうです。
さらに言えば「大衆」はヒットラーを選び、「日米開戦」を支持しました。
現状の「大衆」をそのまま見て「見放された」というのは
表面的・短絡的な見方じゃないでしょうか。

>もう、新左翼党派全ては産業廃棄物です。こわがらず、自ら解体できた
>ところから、新しい事が始まるとぼくは信じている。総括なんてやっても、
>どうせ、ろくすっぽなにもできなかった輩にまともな総括なんて期待してい
>ない。ただ、消えてゆけばよいと思うのは私のようなものだけなんでしょう
>か?

ふむふむ。(^^) とてもザーカイさんらしい表現だと思います。
また、この表現はSENKI派の「パラダイム・チェンジ」路線にも通じるものが
あるように思いますが、そうなのですか?

第四インター派のばあい、彼らはかれらで懸命に総括をしています。
私は私で、その組織にかかわった自分を総括してきました。
(総括しきれているわけではないが)
マルクス主義は100年以上前に創出された理論でありながら、
その方法論は現代でも有効である、と私は思っている。

自己の運動を総括しきれずにまとめて投げだしてしまい、それに
「パラ・チェン」などと名付けて まるでそれが意味があるかのように
語るのは、その組織でまじめに運動をつづけてきた人たちを欺く事に思える。
だから、どんな内容であっても組織なら「総括」というものをきちんと
提起するべきじゃないでしょうか? たとえ「期待されて」いなくとも。
それが、かつて運動にかかわったメンバーや大衆にたいする組織の責任
だと思います。
ところで、ザーカイさん自身にとって過去の活動の総括は無意味なんですか?
もちろん意味があると思うかどうかは各人の自由ですが・・・・(^^)

------------------------------------------------------------------------
内ゲバかア・・・・ 投稿者:ザーカイ  投稿日:02月11日(金)17時55分11秒

解放派のことはよくは知らないが、内ゲバは純粋に趣味者としてしかおもし
ろがれない。私は内ゲバ問題には主義者になってしまうのだ。
>左翼運動の波は恐らく“内ゲバ”がなくても退潮していっただろう
>とは思う。
>しかし各派が大衆に依拠し大衆運動として自己の運動を継続していたら、
>今よりはもう少し「左翼諸党派」が生き残っていただろうに、と思う。
>もっと面白い運動もいろいろできたとも思う
で、まっぺんさんが殆ど言い尽くした感があるのだが今もって「豊かさ」へ
の評価が低い左翼が、大衆に依拠できるのか?ということが先にあると思う。
内ゲバは大衆が「豊かさ」を享受して、左翼をすでに過去のものとしていた
からではないか?(全貧連が左翼スタイルと取っているのはそのパロディ?)
つまり、大衆から「見放され」何をしてよいかわからない子供組織が、仮想
敵を別党派または同じ党派に設けたのだと言えないか?
 このような言い方は昔からあるが、左翼はことごとく無視してきた。
そしていまも。
 どこかで、左翼運動の総決算をしないといけないような気がする。

(社会主義に限らない)左翼性とは何か? その中で、もういらないものは
なにか?残すべきものは?

 一度、社会主義とか、左翼という概念を保留して、「何が今課題なのか?」
を問うべきではないか?
 もう、新左翼党派全ては産業廃棄物です。こわがらず、自ら解体できた
ところから、新しい事が始まるとぼくは信じている。総括なんてやっても、
どうせ、ろくすっぽなにもできなかった輩にまともな総括なんて期待してい
ない。ただ、消えてゆけばよいと思うのは私のようなものだけなんでしょう
か?

------------------------------------------------------------------------
青い鳥さん、いらっしゃいませ(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日:02月11日(金)17時37分41秒

ここはどんな話題でもオッケーです。政治ネタでなくとも構いません。
ですから心配せずに何でも書き込んで下さいね。

かつて自分が所属した党派、またはその一部が堕落してゆく姿を
見るのは耐えられない苦痛ですね。
同じ思いを多くの元・現第四インター派の者たちも共有しています。

革労協はレーニン主義に対しては
ローザ・ルクセンブルグを掲げていた党派です。
ロシア10月革命そのものは非常に平和的に遂行されましたが
その後ボリシェビキによってとられた多くの残酷な処置にたいして
ローザが批判していたのは有名です。

だからスターリン主義に対して本当に反対の立場を主張できたのは
日本ではトロツキストと「ローザ主義」の革労協だけではないでしょうか。
(ブント主義・反スタ主義ではスターリン主義の亜流にすぎないと思う)

私は詳しくはありませんが、当時の記憶ではその革労協の
主に学生部分が革マルの内ゲバによって変質していったのだと思います。
そして労働者と学生とが分裂し、学生組織は
「ファシスト革マルせん滅」などというスローガンをかかげはじめた。

これも昔のあいまいな思い出ですが
自衛隊を沖縄に派遣する政府方針に反対して
北熊本で「自衛隊派兵阻止」の集会が全国反戦青年委員会によって
開かれたことがありました。
この時結集した各地の反戦のなかに青ヘルメットの大集団がありました。
たしか・・・国労(高崎?)とか水道労組などだったと思います。
(わがツチカマ部隊は少人数でしたが・・・;_;)

あの青年たちはその後どうしているだろうか、今どんな気持ちで
“狭間派”というものを見ているのか、とふと思いました。

------------------------------------------------------------------------
お邪魔しても、よろしいでしょうか… 投稿者:青い鳥  投稿日:02月10日(木)20時58分34秒

まっぺんさん。このサイトはいつも拝見しております。
また、この場も含めた各所でのご活躍に、心より敬意を表します。
はじめて「書き込み」しますが、この場にそぐわないようでしたら、遠慮なくお願いします。

 「内ゲバ刺殺事件に思う」を拝見しました。
 「結果としての死」ではなく、直接的な「殺害」! もはや「詭弁」は通用しません。
 言葉の少なからず厳密な意味で、いまブルーな気持ちになっています。

 以下に、長い引用を行います。御無礼をお許しください

●「ローザ・ルクセンブルク その思想と生涯」
  (パウル・フレーリヒ著/伊藤成彦訳  /御茶ノ水書房/1987年11月25日第1版/374頁)
 ローザ・ルクセンブルクは燃えるような情熱と、彼女自身がかつて述べた言葉によれば「大草原も焼きつくす」ような気質をもって、このような社会主義と、そのような人間性をめざして力を尽くした。彼女は喜びをもって思想的闘争に参加し、また指導者の任務を十分に自覚して革命闘争に身を投じた。彼女は多くの政治家たちが思い及ばなかったこと、つまり、政治において重要なのはいつでも人間の生だ、ということを知っていた。そして彼女は、つねに自分の生命をそのために献げる覚悟をしていた。彼女は闘士としての男性的美徳をすべてもっていた。と同時に、彼女は女性のもつあらゆる感じ易いやさしさをももっていた。社会に対する彼女のもっとも重い告発は、人間の背負う苦しみへの痛みから起こったものであった。そして、たとえ、傷をあたえることが不可避の場合でも、人間の苦しみについてのこの自覚を、彼女はけっして喪わなかった。ロシアの革命家たちが一九一八年に、テロルに答えるテロルをもってしたとき、彼女は夜も眠ることができなかった。そして一九一八年一二月に、革命の嵐の真っただ中で、彼女は次のように書いた。
 「脇目もふらぬ革命的な行動力とゆたかな人間性、これだけが社会主義の真の息吹である。一つの世界が転覆されなければならない。しかし、そこで流されるあらゆる涙は、拭われるものであるにしても、やはり一つの訴えであって、重要な行為を急ぐ人間が、不注意から一匹の虫を踏みつぶしたとすれば、やはり犯罪を犯しているのである。」

 趣味者の方々の中には「笑う」方もいるかもしれませんが、いい年をした私は…
 …少しだけ…涙を流してしまいました…。
------------------------------------------------------------------------
内ゲバ刺殺事件に思う 投稿者:まっぺん  投稿日:02月10日(木)10時49分23秒

狭間派の男女が襲撃され“刺殺”されたニュースについて。
マル共連BBSでもちょっと前に革マル派の「謀略説」記事が
(葉寺覚明同志により)紹介されていたが
いまだに“この手の”内ゲバが続くのはどういうことなんだろうか?
もうアホらしくてコメントする気にもならないが、一応・・・・

左翼運動の波は恐らく“内ゲバ”がなくても退潮していっただろう
とは思う。
しかし各派が大衆に依拠し大衆運動として自己の運動を継続していたら、
今よりはもう少し「左翼諸党派」が生き残っていただろうに、と思う。
もっと面白い運動もいろいろできたとも思う。

狭間派の源流をたどると「山川イズム」に基づき
ローザ・ルクセンブルグを高く評価する「社青同解放派」に行き着く。
解放派はもとはもっと大衆的で、理論的にはともかく
活動家の性格は非常に大衆的で人間くさい連中であったと
四トロの先輩たちは語る。
新時代社発行「三多摩社青同闘争史」にも東京地本での
エピソード“ゲンコツ100人トンネル”内ゲバ事件
(これは1月某“電波祭”でも語られた有名事件らしい)
がとりあげられていたが、こういう内ゲバももちろん許せないが、
それでもまさかその時には「殺人」を意図してはいなかった。

解放派が革マル派に襲撃され学生組織が“変質”しはじめた。
「組織防衛」のためのテロ組織化は組織を大衆運動から引き離す。
もはや何の“大衆運動”にも依拠できない形ばかりの“組織”が
おこなう「内ゲバ」の“根拠”は何か?

自己セクト内部の「意見の相違」・・行き着くところはそれしかない。
つまり「意見の違いは暴力で解決する。
肉体の抹殺によって主義・主張そのものを抹殺する」(=.=;)
・・・・これがいったい“左翼”か?

「内ゲバは左翼の行動なのだ」という主張の最後の根拠のために
彼らは今まで「スタイル」にこだわった。
鉄パイプによって集団的に襲う、というスタイルである。
「形式の美学」を日本人はとくに大切にするものらしいが、
内ゲバの“正当性”をこれまで彼らは「スタイル」で表現してきた訳だ。
やがて「効率重視」の観点から鉄パイプはバールなどにおきかわった。
狙いも「手足」から「頭部」にかわり“殺人”が目的となった。
今回はさらに「効率よく」刺殺という手段に変わった。これなら
不意を襲えば少人数でも目的を達成できる。

もはや堕ちるところまで堕ちた。やくざの所業と何等変わりがない。
どこがやくざとちがうのか?
ローザ・ルクセンブルグを今一度読み返して見よ。
むかし東水労青年部などで快活な笑顔を見せていた
諸君の先輩達のために、この事態を悲しく思う。

------------------------------------------------------------------------
> 「話せばわかる」ヤツばっかりじゃない 投稿者:葉寺覚明  投稿日:02月08日(火)21時48分10秒

迅速なレス、ありがとうございます。

> (誰のことかは・・(^^)言わずとも)

うん、言わずとも。

> でも、こちらの方は逆に「一般論」ではなくて“特殊に”
> そういう人もいるんだなぁ、という事でいいでしょ。

それはそうです。でも、「特殊例」って、目立つんですわ(笑)。

おっと。このくらいに・・。ふふ

------------------------------------------------------------------------
事務れんらく(^O^) 投稿者:まっぺん  投稿日:02月07日(月)16時20分35秒

「書記局声明」を更新、“ためになる情報”をのせました。
今年2月はなぜ29日まであるのか!・・・・
「そんなのあたりまえじゃん。うるう年なんだもん」・・・じゃないんだよね。
そう簡単な話ではない。100年後の2100年はうるう年じゃないんだから。

で、ロシア革命暦とうるう年の関係って知ってた?

------------------------------------------------------------------------
右派でも「議論を軽視」しない人々はいる 投稿者:まっぺん  投稿日:02月07日(月)10時04分21秒

葉寺さん、こんにちは〜(^^)
そうでした。おっしゃること、まったくその通り。
ついつい「左翼びいき」の極論を言ってしまいました。
これでは「レッテル貼り」ですね。
こういうところでまっぺんの“言論”は厳密さに欠けてるんですね。
いかんいかん、反省ー! 訂正します。

「右翼だから言論を軽視する」というのは偏見です。
意見や思想のちがいにかかわらず言論を尊重する人と軽視する人はいます。
だから“一般論”として言うのはよしましょう。
戦前の右翼の傾向として、限定しておきます。

また「話せばわかる」ヤツばっかりじゃない事は
つい最近も某掲示板で身にしみて経験したばかりでした、そういえば。
(誰のことかは・・(^^)言わずとも)
でも、こちらの方は逆に「一般論」ではなくて“特殊に”
そういう人もいるんだなぁ、という事でいいでしょ。

思わぬところから“いたいパンチ”を喰らっちまったい。

------------------------------------------------------------------------
>言論の重要さ 投稿者:葉寺覚明  投稿日:02月06日(日)22時57分18秒

御無沙汰です。

まっぺん同志の「言論の重要さ」の*以下の部分に対し*!!、ちと異論があります。

> 一般に左翼および民主主義者は言論によってその違いを明らかにし最も正しい意見を
> 選択することが出来る、と信じています(左翼の中でも内ゲバ主義者は例外ですが)。
> 一方右翼は「自分の意見は絶対正しい。したがって反対者は無視・抹殺しても最終的には
> 正しいのだ」とする方法をとります。議論を軽視するわけです。

まず!
> 一方右翼は・・
のところ!右翼、という用語に、かぎかっこを付けて頂きたい!
「ドグマチズム」は何も、「右翼」「内ゲバ主義者」の占有物ではない!
また、右派でも、「議論を軽視」しない人々はいます。

つぎに!
「議論」についてですが、必ずしも万能ではないと思います。
「言っても分からないヤツがいる」という命題が真であることは、
すでにBBSでの経験が証明しているじゃないですか(^^)。

もちろん、
> 「話せばわかる」道
はあらかじめ検証してから、ですケドね:-p。

#これは、「言葉尻」をとらえた書き込みですが、悪意、議論破壊の意図はありません。

ではまた(^-^)。

------------------------------------------------------------------------
お!「失敗の本質」 投稿者:まっぺん  投稿日:02月06日(日)11時47分31秒

あれはなかなか読み応えのある本でした。
あれは思想的立場を鮮明にする本ではありませんが
ペトリ同志ご指摘のとおり、研究姿勢そのものが右寄りの立場
にある、といってもいい本です。しかし
左翼にとっても貴重な本だと思いますね。
えーっと本棚をさがしてみたけどちょっと見あたらない。
たしか「戦史研究会」名での共同著作だったと思います。

日本軍が太平洋戦争でおこなった6つの作戦を詳細に研究し、
戦術的失敗について明らかにしていますね。
「紺碧の艦隊」はこれを参考にした形跡があります。
この作戦のどこかに、盧溝橋事件でも登場した一木清直少佐
のことが出ていたんではなかったかな?

他にも「海軍・失敗の研究」というのも読んだ事があります。

「話せばわかる」は5・15事件のほうでしたか。
訂正どうもありがとうございま〜す。

------------------------------------------------------------------------
うちにある本 投稿者:墨田ペトリ堂  投稿日:02月06日(日)01時50分35秒

私が参考にした本はどちらかというと右寄りのものです(笑)
とりあへず並べてみますと

「回顧七十年」斎藤隆夫
「岡田啓介回顧録」岡田啓介
「古風庵回顧録」若槻禮次郎
「湛山回想」石橋湛山
「戦う石橋湛山」半藤一利
「失敗の本質」戸部・寺本ら
「復興亜細亜の諸問題」大川周明
「回教概論」大川周明

特に重要なのは「失敗の本質」です。
この本は防大の教授らによるノモンハンから沖縄までの日本軍の作戦立案や実行の実際から
敗戦の原因を考えている本で、そもそも軍隊が存在することを「是」として書かれていますから
少なくとも左寄り自虐史観の本ではありません。

ニーチェでしたかね?「歴史に事実は存在しない、あるのは解釈だけだ。」とかなんとか言ったのは。
何が起こったのか、何がなされたのかについての共通認識さえ持ち得ないのかもしれませんが
私は学生時代、皇国史観の押し付けにも日教組左派の事実を歪曲した歴史教育にも抵抗し、
その為に左右問わずいろいろな本を読んで来ました。自分ではどちらかに偏った歴史認識は無いと思っています。

>まっぺんさん
「話せばわかる」は5.15事件の時の犬養毅ですよ。
鈴木貫太郎があそこで殺されていたら戦争は終わりません(笑)

------------------------------------------------------------------------
言論の重要さ 投稿者:まっぺん  投稿日:02月05日(土)18時43分43秒

ついでに、これは補足ですが。イッシーさんは勘違いしていますね。

私は別に「左翼系」の資料を読んで書いたわけではありません。廬溝橋事件につ
いては小学館発行の「昭和の歴史」全10巻(とくに第5巻「日中全面戦争」)
その他若干の資料を使っているだけです。ここには当時の近衛首相や一木少佐自
身の回想など当事者の証言が引用されています。
ゾルゲ事件についてはいくつか資料を持っていますが、イッシーさんが言われた
NHKのドキュメントは私も見ましたし、その取材班の下斗米伸夫による「国際
スパイゾルゲの真実」が角川書店から出版されていますが、それも見ています。

「左翼系」か「右翼系」かによって資料となる事実が違うわけではありません。
ただ「解釈」がちがうのであって、論争や新資料に基づく多角的な検討によって
その違いは理論的に解消されてゆくものです。一般に左翼および民主主義者は言
論によってその違いを明らかにし最も正しい意見を選択することが出来る、と信
じています(左翼の中でも内ゲバ主義者は例外ですが)。一方右翼は「自分の意
見は絶対正しい。したがって反対者は無視・抹殺しても最終的には正しいのだ」
とする方法をとります。議論を軽視するわけです。

この右翼の本質を皮肉にも劇的に証明した事件があるのをご存じですか?2.26
事件です。安藤隊に襲撃された鈴木貫太郎侍従長は「話せばわかる」と語ったの
に対し、反乱部隊は即座に「問答無用」と応えて射殺したのは有名な事実です。
私は「お互いに分かり合えないのは当たり前」であるかのような主張をするイッ
シーさんに同じ危険を感じます。言論の軽視からは何も生まれません。私はひと
りの“左翼民主主義者”として「話せばわかる」道を貫きたいと思います。

------------------------------------------------------------------------
Re:提言・・・ということは? 投稿者:まっぺん  投稿日:02月05日(土)17時31分16秒

議論を中止しようという事ですか?

インターネットというものは、パスワードでも設定しないかぎりだれでも自由に
出入りできます。それが最大の長所ですね。
私はこのサイトを出来るだけだれでも自由に来て自由に読み書きできるところに
したいと思っているのです。当然にも、今回のように意見が違う者同士で激しい
議論がおこなわれる事は想定しておかなければなりません。
意見が違うからといって、それを排除して同意見の者たちだけの“サロン”とし
ていくのは(勿論そのような行き方もあるでしょうが)私としては「視野を狭め
ていくもの」と考えています。色々ユニークな“異論”に出会えるから面白いん
ですよ。

イッシーさん、本当はまだまだ納得せず、言いたい事が山ほどあるものと思いま
すが、「お互いに参考資料が違うから意見もちがうね」という事でかたずけてし
まっていいものでしょうか? ここではそれで済むかもしれません。しかしこれ
から先どこで誰と討論になったとしても、恐らく同じテーマについて同じ主張が
交わされるものと思います。自分が同じ主張をするかぎり、それは逃れられない
と思う。まだ討論ははじまったばかりです。この程度で逃げていては本当の自分
の思想を鍛えることはできないんじゃないでしょうか?

これからも論争は「議論をする→負ける→勉強をし直す→再度議論をする→勝つ
→今度は相手が勉強しなおす→さらに論争する」
といった繰り返しになると思います。どこまでいってもあるいはきりがないかも
知れません。しかし、議論のたびにわれわれは勉強し、何が正しいのかを考え、
さらに高次の段階へと理解を広げていけるではありませんか?

ここは「結論を出す」ところではありません。だから「どっちが正しいか」を判
定するつもりは毛頭ありません。「勝ち負け」を争うつもりもありません。
しかし議論の結果は「過去ログファイル」として保存します。
あとから何度でも読み返して考える材料となるために。それは思想の違いを超え
て多くの読者に役立つものとなると私は信じています。

私はイッシーさんの主張について10項目に分けて反論しました。
日本の近現代史については恐らくそれ以上たくさんのテーマを設定することがで
きるでしょう。できるだけ冷静に“議論”としてやりとりをするなら意義のある
事だと私は思っています。実際に私はむかし別なサイトでおよそ3ヶ月にわたっ
て様々なテーマについて議論した事があります。ただ、ここは「左翼系」サイト
ですから、イッシーさんひとりでは“多勢に無勢”。だれか同意見の方を連れて
くるか、それともゆっくり議論する事をおすすめします。

しかし、議論をする気がなくなったということであれば、それもかまいません。
また気が向いた時に「果たし状」をもって“なぐり込み”をかけてください。
いつでも歓迎します。

------------------------------------------------------------------------
提言 投稿者:イッシー  投稿日:02月05日(土)15時14分12秒

 私は思ったのですが、皆様は私からすれば、左翼系の(共産主義的な)書物により近代史など
を勉学なされ、私は皆様から見れば、右翼系の(大東亜共栄圏肯定派)の書物を
読んで勉強しております。
 
 両書物は歴史的認識において、互いに違った見解を示しており、我々がそれらの書物を用いて、
引用し発言しても、今後,何ら歩み寄りも妥協もないまま終わるのは,当然の事と思います。
 それが討論の面白いところと言えば、そうなりますが、今回のこの討論は他の討論とは
異質であるような気がします。
 
 私の負け惜しみみたいな事を言いましたが、皆様どうでしょう?
 ご検討下さい。
------------------------------------------------------------------------
近代史 投稿者:ザーカイ  投稿日:02月05日(土)11時45分26秒

しかし、歴史が社会科学の王道とはいえ、みなさん(イッシーさん含め)
詳しいねェ、少しイヤ無茶苦茶ビックリ。特に近代史は。
 私も少しは勉強しようかなあ、民衆史は(まばらに)勉強してたのに、大
情況はウト過ぎですね。

#これも文部省管轄に巣食う共産主義者、日教組の陰謀か?
なわけねーよ☆←〜〜〜●'"

というわけで、被害者意識じゃ駄目って例です(苦笑)

------------------------------------------------------------------------
イッシーさんへ提案(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日:02月04日(金)20時25分52秒

ここは「さよく」系の論客が多いのでイッシーさんひとりに対してたくさんの反論が
返って来ますから「議論内容」より以前に「疲労度」においてイッシーさんが不利だ
と思います。かつてまっぺんもちょうど逆の立場から10対1で論争した時には非常
につかれた経験があります。

そこでたとえば味方を引き連れて来て「集団論戦」にするとか、或いはゆっくり時間
をかけて少しずつの反論にするとか、いずれにしても無理しないで気楽にいきましょ
うね。議論はゴリゴリやるぜぃ!(^^)

墨田ペトリ堂さん。字を間違えて失礼しました〜(^^;;;)

------------------------------------------------------------------------
おお、隅田ペトリ堂さん(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日:02月04日(金)10時31分42秒

こにゃにゃちは〜。横れすどもです。

そう、イッシーさん。隅田ペトリ氏のいわんとする事、まさに
私が「爆弾を持ち込んだ者」についての説明と同じなのです。
一般に日中戦争擁護の立場に立つ者は「相手の方が悪いのだ」という
根拠として「相手が先に攻撃してきた」としかいいません。

しかし、考えて見て下さい。
なぜ中国は日本ばかり目のかたきにするんでしょう?
なぜ日本軍ばかり攻撃されるんでしょう?
なぜアメリカ軍やイギリス軍は攻撃されないんでしょう?

答えは簡単です。当時、華北・華中には日本軍以外に
外国の軍隊がいなかったからですよ。
上海租界のわずかな警備兵をのぞけば
日本軍以外に外国軍は中国にいなかったのです。
もしも日本軍がそこにいなければ攻撃されなかったはずだし
中国人から「東洋鬼」「蝗軍」などと憎まれなかったでしょう。
(そういえば、昨日は節分 ^^;;)
日本人が憎まれ「抗日闘争」が盛んにおこなわれたのは
右翼によれば「共産党の扇動による」という事になるのでしょうが
日本人が中国で乱暴を働いた事実がなかったとしたらだれも
「共産党の宣伝」には乗らなかったでしょうね。

1931年9月18日・・・満州事変勃発の日ですね。
尾崎秀美が近衛内閣の嘱託になる7年も前のことです。
石原莞爾率いる関東軍によって謀略がおこされました。
それ以来、日本は陸軍の要請によって次々と軍隊を中国に投入し続け
太平洋戦争のあいだもずっと中国侵略にこだわりつづけ
最後には150個師団もの兵力にふくれあがっていたのです。

それでも「中国の方が悪いのだ。日本側に侵略の意図はなかった。
共産主義者の謀略によって日本は戦争にまきこまれたのだ」
といいきれますか?

------------------------------------------------------------------------
補足 投稿者:墨田ペトリ堂  投稿日:02月04日(金)00時44分33秒

その後さらに日本軍は南進し、万里の長城を越えて中国領域へ進攻すると
国民党政府は敗北を重ねる張学良を罷免し、何応欽を総指揮官とする中央軍を派遣します。
そして、満州事変は長城線を国境線とすることで一先ず終結しますが
これが盧溝橋事件へと発展していくわけです。
纏まらぬままクドクドと駄文を並べてしまって申し訳ありませんが
何が言いたいのかといえば、盧溝橋付近に日本軍が居たと言う事自体が政府の不拡大方針の破綻の結果であり
それを招いたのは陸軍であり政府の弱腰である、と言うことです。
不拡大方針は貫かれなかったのです。

・・・うーむ、纏まりがありませんね。
すいません。この辺にしておきます。

------------------------------------------------------------------------
不拡大方針の頓挫とその責任 投稿者:墨田ペトリ堂  投稿日:02月04日(金)00時19分30秒

横レス失礼。

イッシーさん曰く

>さらに、不拡大方針を貫く日本政府に対し,中国側は不法で執拗でゲリラ的な
>戦法に対し、日本は武器を取ったのである。

とのことですが何に基づいての発言でしょうか?
政府の不拡大方針を無視して南進し戦線を拡大したのは陸軍です
盧溝橋事件の前段階として満州事変がありますが
この時も陸軍は若槻内閣の不拡大方針を無視しています
以下若槻の回顧録より引用

内閣が事件不拡大方針を定め陸軍大臣をしてこれを満州軍に通達せしめたのに、
満州軍はなおその前進を止めない。
陸軍大臣にそれを責めると、そのままにしておくと、居留民が危害を被る恐れがあるから、
やむを得ず進撃するのだと弁解する。
満州軍が吉林に進んだので、政府の方針に反するじゃないかというと、
南(陸軍大臣)はき煕洽が大軍を擁して吉林にいて、満州軍に不安を与えるから、
進撃はやむを得ないと答える。
満州軍が鉄道線路の西側に進出したのは、嫩江の鉄橋を守らなければならないからだという。
それならば嫩江に止まるかと思えば、敵が近くに在って安心できんといって、更に進出する。
それならば東支鉄道を越えてはならんぞというと、陸軍大臣は、その通り越えさせませんというが、
満州軍はチチハルに行き、さらに黒河まで行ってしまった。
このように、日本の軍隊が日本の政府の命令に従わないという、奇怪な事態となった。

こうして日本政府は不拡大方針を貫けなかったわけですが
これは若槻内閣の意向を無視して陸軍が戦線を拡大しつづけた結果です。
事実は事実として認識した上で議論をしていただきたい。
------------------------------------------------------------------------