四トロ同窓会二次会 2000年12月21日〜25日

まじめな議論・主張・あそび・ぐち・何でも!自由に投稿してください。
投稿内容は「赤色土竜新聞」に掲載される事もあります。

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「鉄砲玉」は気に障りましたか? 投稿者:まっぺん  投稿日:12月25日(月)15時34分10秒

すいません。では陳謝し「コマンドー」に訂正します。
しかし、表現上の訂正しかできません。何故なら日本赤軍が中東に向かった本来の理由は単に「パレスチナ闘争への連帯」ではなかったはずだからです。「世界同時革命論」に基づいて、現地解放勢力との連携による国際根拠地の建設と世界赤軍の建設が意図されていたはずだからです。しかし、PFLPは日本赤軍の「国際根拠地建設」に同意したでしょうか? 同じく北朝鮮政府はよど号でやって来た青年達を「世界革命の同志」としてあつかったでしょうか? その形跡はまったくありません。それは各国の事情についての分析をまったく捨象した上で「世界同時革命」を遂行しようとしたところに相当な無理があったからだと思うのです。

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このバイクヘルメットって.... 投稿者:某氏  投稿日:12月25日(月)13時51分29秒

この写真って

http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~g041120/Xmasagipri.gif

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「鉄砲玉」? 投稿者:源清田  投稿日:12月25日(月)13時28分26秒

いくらなんでも、かなりいやな表現です。  まっぺんさんらしくないと思います。

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四トロと赤軍派2 投稿者:まっぺん  投稿日:12月25日(月)13時01分02秒

●トロツキストは組織内部の対立を隠しません。そもそもインターナショナル結成の当初から「一枚岩の団結」を否定しており、複数主義にもとずく公開の多数決主義によって組織を建設してきたのではないでしょうか?もしもその理念に日本支部が反していたというなら、それはインターナショナルの問題というよりも「日本支部の問題」というべきでしょう。少数派を排除・抹殺する思想から内ゲバ主義は育まれます。だから「もともとそうだった」という認識をまっぺんは持っていません。「全くそのような傾向が無かった」とも思いませんが。

●話が第四インター内部の問題に集中してしまいましたが、話題を「赤軍派」にもどします。赤軍派の敗北の責任を第四インター派も含めた左翼総体に求めるのは、「ある意味では」賛成です。言い方をかえれば、「急進主義の敗北」であると考えられるからです。第四インター派は急進主義をブントから学びました。キャノン的関西派に対してパブロ的酒井派により60年代〜70年代の日本支部は形成されてきたと言えると思います。その意味では「急進主義左翼」の一翼を担ってきた日本支部にも、それを主体的に総括する責任はあると思います。

●しかし、その急進主義闘争が権力の壁の前で戦術的限界に達した時、道はふたつに別れていたのではないでしょうか。あくまでも街頭闘争としてこれを推進しつづけてきたブント、その後継勢力たる中核派には「政府権力」の問題は提起されてこなかった。まっぺんが活動していた時、急進主義闘争は世論を動かし、それは「社共への投票行動」として表現されていきました。我々の闘争の成果は社共勢力の伸張という形で表現されていたのだと思います。あのころ「世界革命」紙は「社共政府」をスローガンとし、我々は労農政府についての議論をおこなっていました。今日の状況から見てそれがどうであったかは又別に議論すべきだと思いますが、少なくともそのような方向に向かうべき時だったのではないでしょうか? しかし、残念ながら多くの新左翼党派は「反代々木」と言われるだけでなく、それを積極的に実践し、共産党とは敵対的な方向に向かい、何ら「政府問題」としては提起できなかったといえるのじゃないでしょうか。

●急進主義諸派は結局、その戦術急進主義をさらにエスカレートさせるところに展望を求めようとしました。党派によって猟銃、爆弾、ロケット弾、時限発火装置、火焔放射器と“エモノ”に差はありますが、総じて「武器の向上」の中に現状の打開を求めていったのはないでしょうか? 『かけはし』論文が批判しているのはそこだと思います。何も「自分たちだけが正しかった」といって総括の必要を否定しているのではないでしょう。ただ、重信さんの逮捕に際して、次にどこへ向かうべきかを考える時、その方針を賛美するあまり再び戦術左翼主義へと回帰する事の危険性への警告ととらえるべきであろうと考えています。

●くりかえしになりますが「世界的二重権力論」はパブロ主義的視点によるマクロな見方であり、「3セクター論」はそれを各国ごとに分類した古典的トロツキズム理論です。そしてその先にはさらに各国・各地域の分析が必要です。ブントは「トロツキズム」を足がかりとして共産党スターリニズムと決別しようとしました。しかし、その時「トロツキズムの不徹底さによる敗北」を強調するあまり、大雑把で乱暴な革命理論が生み出されてしまったのではないでしょうか? 羅列すれば以下のようになります。

スターリニズム=一国社会主義・二段階革命
トロツキズム =世界革命・永久革命(不均等発展法則)
赤軍派    =世界一国同時革命・国際根拠地・前段階武装蜂起

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四トロと赤軍派1 投稿者:まっぺん  投稿日:12月25日(月)12時59分58秒

土日のトロツキストさんはかつてJRメンバーだった人なんですね?
まっぺんは青年同盟までの人だったので第四インターの内部的事情についてはそこまで詳しくは知らないですが「国際革命文庫」の「第四インター小史」「三多摩社青同闘争史」「革共同小史」と先輩から聞いていた範囲でレスしたいと思います。それに先だって、読者諸君のために少し解説したほうがいいと思います。

●世界革命がたどるべき道について、マルクスやトロツキーは植民地諸国の民族独立・ブルジョア民主主義革命と先進資本主義国の社会主義革命とを想定していました。スターリニストはこれを各国ごとに固定化し「二段階革命」ととらえるわけですが、トロツキーはもっと流動的に「永久革命」として展開していた。しかし、それでも先進国の社会主義革命が近い将来起こるであろうと考えていた。

●しかし、第二次大戦後は先進国における革命闘争は全て敗北し、植民地諸国における民族独立革命が社会主義革命へ直結していった。中国や朝鮮の勝利とラテンアメリカ、アジアなどでのゲリラ闘争の継続は当時のトロツキストの予想を裏切るものだったわけです。そこで、この傾向をどう分析するかによってトロツキスト内部にはおおきく2つの傾向が生まれた。

(イ)植民地革命を現代の新しい革命の方向として積極的に肯定し、その上で戦略を立てようとする傾向=パブロ派とかポサダス派など
(ロ)植民地革命は「例外的な道」として、あくまでも先進国プロレタリア階級に依拠しようとする傾向=キャノン派など

●植民地諸国の方に革命闘争が集中した原因は明らかです。先進諸国ブルジョアジーが政治・軍事両面で労働者階級を押さえ込む実力を持っていたこと、それと戦前に比べて遙かに労働者の政治的自由と生活水準とを向上させる事によって労組指導部(社民官僚)を買収することに成功した事によるものでしょう。しかし、先進国労働者を買収する財源は植民地諸国からの収奪によるものです。収奪のひどさゆえに植民地諸国人民は起ち上がらざるをえなかったわけです。

●植民地革命をめぐる傾向を大雑把に4つに分ける事が可能だと思います。つまり(1)超植民地革命派(2)やや植民地革命派(3)やや先進国革命派(4)超先進国革命派。
第3回世界大会で採択されたパブロの方針(革命中国とアメリカとを引き金とした第三次世界大戦の予測と加入戦術)は(1)の「超植民地革命」に依拠したものと言えるかもしれません。そして、この方針の中に「世界的二重権力」的認識をうかがうことが出来ます。しかし、パブロの方針が外れたとき、インターナショナルはほぼまっぷたつに割れました。すなわち(1)+(2)派と(3)+(4)派に。

●(1)+(2)派第7回大会において両者は再統一します。しかし、この時(1)の一部と(4)の一部とがインターナショナルから離脱してゆきます。(1)は主にポサダス派(ラテンアメリカ・ゲリラ闘争派)、(4)はフランス支部主流派のランベール派など、超「先進国労働者」派。したがって、合同した「統一書記局」は初めから意見の相違をふくむ統一であったという事です。

●当時の日本支部(酒井与七・太田竜・織田進)がパブロ的傾向を強く持っていた事から、ヨーロッパを中心とする統一書記局中央との間に路線対立があっただろうという想像はつきます。しかし、土日トロツキストさんが例示した黒田スパイ事件、太田陰謀説、使途不明金はいずれも、この路線対立に関係するとは思われません。黒田はそもそもトロツキズムとは大きくかけ離れた反スタ思想によって共産党を警察に売ろうとしたものです。また太田も個人的な権威主義意識による組織の私物化が原因というべきでしょう。そうでなければ自分に忠実な路線を提起した者を告発するわけがありません(いずれも「三多摩社青同闘争史」より)。また使途不明金はそれよりずっと後の、女性差別問題前後の組織が崩壊してゆく過程で起こったものであり、これも多分に私的犯罪といえるものだと思います。

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こんばんわ。メリー・クリスマスです。 投稿者:「思想戦士」  投稿日:12月24日(日)23時18分11秒

 まっぺんさん、お心遣いありがとうございます。
「もぐら新聞」への掲載、晴れがましいような・・・
照れくさいような・・・
 「思想戦士」創刊号表紙のナチスばりの「軍服」、
あの「シブさ」を評価(趣味的に!!)してくださって、
ありがとうございます。

http://www01.vaio.ne.jp/siso/

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『かけはし』論文の傲慢な姿勢 投稿者:土日のトロツキスト  投稿日:12月23日(土)23時56分02秒

まっぺんさん誠実なレスありがとうございます。

1.私は、ブントとJRCLを比べてどちらが正しく、どちらが誤りだったかという議論はあまり意味を持つとは思いません。両者は基本的に同根で、同様な世界観を持ちながら異なる道を選び、異なる敗北を喫したと思います。今日重要なのは、その敗北の原因を切開し後世に伝えていくことだと思います。こうした総括作業は、主にその当事者によってなされなければならないと考えます。それに対して適切な批判を加え、その作業を援助発展させるという責任を新左翼運動に携わった人は負っていると思います。

2.赤軍諸グループ諸個人は、それぞれの立場からこの総括作業を行おうとしていると思えます。『かけはし』論文はこの総括に建設的批判を加えるのではなく、70年代の歴史的役割を終えた論議をくりかえすばかりか、自らの総括責任を放棄し、新左翼運動の後退の責任を日本赤軍に一方的になすりつけるという許すことのできない傲慢な立場にたっています。

3.私自身も、JRCLが新左翼運動の後退に果たした負の役割の一端を担ったという意味で自己批判が必要だと思っています。そのキーワードは『日本型社会民主主義』と『世界的二重権力論』にあると考えています。

4.『かけはし』論文の傲慢な姿勢は、いったいどこから来るのでしょうか?傲慢=没主体ともいえます。第四インター各支部とJRCLは明らかに異なる主体であるにもかかわらず(パレスチナ闘争に関して各同盟機関で正式に論議された記憶はない)自らの路線であるかのようにいう姿勢はとうてい理解できません。またこの没主体の背景には寄らば大樹とでもいうべき『正統』意識があるように思います(良い『模倣』があるとしたらされる側は『正統』、あるいはお手本ということでしょう)。日本型社会でこれは、会社や家族への帰属、学閥、組織の役職への物神崇拝という形をとって普遍的に出現してきました。左翼もこれとは無縁ではないと思います。

5.JRCL内部の思想闘争は、『第四インターナショナル』の正統性や、組織そのものといった遺物(物神)にしがみつき、これを防衛する範囲内でしかなされてきませんでした。労働者国家間戦争をめぐって、JRCL内でも統一書記局との間でも、全面論争になったにもかかわらず、『世界的二重権力論』と『3セクター論』は同一であるなどどうしていえるのでしょうか。隠蔽された路線対立の結末が、黒田スパイ事件、太田陰謀説、XX使途不明金問題などとして表現されるのは実に不快です。それは、自民党の党内対立や民同間の抗争が、スキャンダルの暴露や敵失を叩く手法でなされてきたのと同様で、その左翼までの貫徹ではないでしょうか。

6.こうした空虚な『正統性』物神を奪い取るために、女性たちは世界大会にあえて出席をして男の分派に対して最後の闘いを展開したと想像しています。心身ともに傷つきながらなお『私たちがJRCLを、最後まで自らの手で解体する責任がある』と言った女性メンバーの声は今も忘れられません。

7.どうしてこんなになってしまったのだろうと考える同窓生も多いかもしれません。私は『もともとそうだったのだ』と思いますし、残念ながら『かけはし』論文の傲慢な姿勢を見ると『今もそうなのだ』と思わざるをえません。

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一般参賀 投稿者:アラブ復興社会党  投稿日:12月23日(土)22時10分45秒

 今日、平成天皇が67歳ということで一般参賀が行われた。
この報道について、goo(社会・毎日新聞提供)では当初11,070人と報道した。
ところが、後のバナーで15,000人としている。 理由は宮内庁発表が14,890人であったので、それに従って数字を訂正したと思われる。

http://channel.goo.ne.jp/news/shakai/index.html

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もぐら新聞第2号の修正文 投稿者:まっぺん  投稿日:12月23日(土)18時49分32秒

文章を直してみました。読者諸君の感想をお願いします。(^^)

「革命的警戒心」を!

 ひとくちに「趣味者」といっても「活動歴」を基準にすると、みっつに分ける事ができるでしょう。つまり
(1)今も活動している現役の活動家
(2)かつて活動家だったが今は引退している人
(3)まったく活動経験の無い人・・・という風に。
 また思想的に分類すれば
(A)特定の思想・運動の宣伝や活動のよびかけ
(B)共産主義思想に好意的であり、話題を楽しむ
(C)思想や運動の欠点や奇妙さ・おかしさを楽しむ
・・・となるでしょう。
 つまり、現役の活動家も一部「趣味者世界」にいるのです。
 「共産趣味」世界では他の趣味世界とちがって注意しなくてはならないことがあります。それは私たちが趣味の対象としている「共産主義」の思想・運動は決して「過ぎ去ったむかし」のことばかりではなく、現在も進行中であり、数のうえではかつてのように多くはないけれど、現役のさまざまな党派の活動家が今も存在し活動している内容を対象にしている、という事です。そればかりでなく、現役またはそれに近い立場の人々も「趣味者」のサイトに出入りし、お互いに交流しています。したがって、それらの運動に敵意を抱いている「国家権力」=警察・公安はわれわれ「共産趣味者」に対しても「共産主義者のように危険なもの」と考えています。だから、党派や団体を話題にする時にも、その党派や団体を何らかの危険に陥れるような書き込みを不用意におこなうことはやめてください。
 たとえば党派の人でないと分からないような「特殊な情報」をたまたま知っても、それをネット上で公開するような行為は絶対にやめてください。それには二重の危険があります。第一には警察によってマークされる事です。盗聴などによって身辺を探られ、場合によってはつまらない理由で逮捕され協力を強要されることになるかもしれません。第二には、情報を流された党派があなたを探しだして脅迫する場合です。党派に不利になる行為が「党派への敵対」とみなされた場合、党派によっては大変な危険が予想されますので「特殊情報」の扱いには気をつけてください。
 また、インターネットはだれでも匿名のまま自由に書き込みができる利点がありますが、それだけにネット上の交流ではマナーが大切です。ネット上でのマナーの多くは現実世界でも通用しているものですから常識的に判断できるでしょう。また掲示板やホームページの管理者が決めたルールは絶対です。かならず守りましょう。
 ルールを守って、安全で楽しく快適な「共産しゅみライフ」を満喫しましょう。

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トロツキストがブントから学んだもの 投稿者:まっぺん  投稿日:12月23日(土)13時30分43秒

なお、「ブント内外の人々が行った理論的探求の独自性」については否定するものではありません。おそらく「急進主義」という点ではトロツキストのほうがブントに学んだと言えるでしょう。ご指摘のとおり関西派は(たぶん、あれが「正統派トロツキスト」なのでしょう)反急進主義的立場からブントの方針には反対しました。その結果というべきでしょうか全学連での影響力を大幅に後退させ、やがて三派系全学連のころにはほとんど影響力をうしなっていたわけです。かわって登場した酒井与七のウルトラ・パブロ主義(?)によって日本支部は勢力を拡大したといえます。まっぺん自身も急進主義によって獲得されたクチです\(^o^)/。

なお、足立正生の映画は観てないのでぜんぜんわかりません。m(__)m「襤褸のはた」・・・・芸術的な意味なんて考えませんでした。当時あれは我々にとって「戸村一作・参議院選挙」のための宣伝材料としてとらえられていただけなので。

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模倣はちっともかまわない(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日:12月23日(土)13時28分24秒

>土日のトロツキストさん\(^o^)

>これは、70年代のJRCLの最大公約的主張でもありますが、そ
>の主張が正しかったか否かは基本的にその後のJRCLの破産とい
>う現実が語っていると考えます。私は、なぜ破産したかという
>理由を考えていただきたいと思います。路線は正しかったが、
>実践が誤っていたのでしょうか?

なかなか「いたい」ところをついてきます。どう総括するべきなのか、組織崩壊の直前に辞めてしまった身でもあり、どう総括したらいいのかはわかりません。現組織の人もそうなのでしょう。日本支部が復活していないのがその証拠といえます。
しかし、『正統』と『模倣』にこだわっているわけではありません。何をもって『正統』意識にもたれ合っているというのでしょうか?模倣はちっとも否定されるべきものではありません。「模倣はとてもいい事」であるとまっぺんは言っているのです。しかし所詮本質をつかみ得ず、表面的にしか理解できなかった結果として『世界同時革命論』が生み出されてきたのではないでしょうか?模倣はちっとも悪いことではない。中途半端な模倣があやまった戦術を導いたのだと思います。

「ドミノ理論の裏返し」・・・うまい表現ですねぇ!とっても気に入ったです(^^)。しかぁし!これが「待機主義」だというのでしょうか? それならばベトナム戦争を「帝国主義の弱点を破る」として「革命闘争」と位置づけ支援していった全ての党派は「待機主義」になるのではないでしょうか? 「第二第三のベトナム」などというのは、それこそ「待機主義」の大安売りになっちゃいます。そうすると日本ではベトナムを「反戦闘争」としてしか位置づけなかった「革マル派だけが主体的」という事になります。

まっぺんはむしろ「待機主義」という言葉の中に、世界革命を「日本人だけでやろう」という一国主義的傾向を感じます。トロツキストは何のためにインターナショナルを建設しようとしてきたのでしょうか? それは各国のプロレタリアートの共同事業として、同一の任務として革命をおこなおうという意識に基づくものです。そのための統一した革命理論のため、また各国の闘争の経験の共有化と相互の協力のためにインターナショナルが必要とされるのではありませんか? 第四インター派を「待機主義」とか「他力本願」と批判するのはむしろ「一国主義」「主体性論」的な立場なのではないでしょうか?

前回説明したように『世界的二重権力論』と『3セクター理論』とは統一されて把握されるものです。現代世界の把握の仕方として全体をマクロにとらえるのが『世界的二重権力論』。各国の事情にもとづいて分類したものが『3セクター理論』。さらに各国ごとに実際の事情はちがっています。そこに各国・各地域ごとの分析と方針とが必要となってきます。しかし、結局赤軍派は、各国の事情をすっ飛ばして『世界的二重権力論』にのみ依拠し、そこから「国際根拠地」とか「前段階武装蜂起」などを提起していったのではないでしょうか?

その「国際根拠地」は植民地国家の解放勢力と労働者国家とに依拠して建設することが述べられています。そしてその通りに、北朝鮮やパレスチナへと向かうことにより、その方針を実践していきました。これが彼らの「国際主義」「世界革命」の方針の全てです。北朝鮮では単に「亡命してきた青年たち」以上の待遇ではありませんでした。パレスチナではPFLPの「鉄砲玉」の役割以上ではなく、日本赤軍を「パレスチナ連帯」の観点から防衛する勢力はいても、中東を革命の国際根拠地として建設しようと同盟する勢力は全くありませんでした。第四インターを「待機主義」というなら赤軍派は「他力本願」と言ってもいいんではないでしょうか?

「第四インターの破産」をもって「日本赤軍の破産と同じ」と主張しますが、もう少し正確に表現するべきです。「日本支部の破産」というべきです。左翼勢力の相対的に困難な戦いの中、とりわけヨーロッパ・南北アメリカで 第四インター派が一定の成果を上げてきているのは、それぞれの地域的な条件にもよりますが、その状況に沿って方針がそれなりに適切であったといえるのではないでしょうか?

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正統?模倣? 投稿者:土日のトロツキスト  投稿日:12月23日(土)04時08分46秒

まっぺんさんの主張をまとめると
1.第四インターはトロツキズムの正統派であり、ブントはその(トロツキーの?第四インターの?)模倣にすぎない。
2.第四インター統一書記局と日本支部の間に路線対立はなかった。両者はともに正統である。
3.正統と動機が不純な模倣者(新左翼中間主義)あるいは極左極右の脱落派(パブロ・SWP・太田竜)を同一視することはできない。
4.したがって『正統』JRCLと模倣者から生まれたテロリスト日本赤軍を同一視するのはもってのほかだ。
ということでしょうか。

 これは、70年代のJRCLの最大公約的主張でもありますが、その主張が正しかったか否かは基本的にその後のJRCLの破産という現実が語っていると考えます。私は、なぜ破産したかという理由を考えていただきたいと思います。路線は正しかったが、実践が誤っていたのでしょうか?
 女不在の分派闘争の結果JRCLは、結局東北派、織田・三多摩社青同派、酒井・主流派(傍目には最も正統トロツキストと思われる関西派はこれ以前に、新左翼運動との合流を拒否『脱落』していたのでもはやいなかったが)に三分解してしまいました。この三分解のベクトルが基本的には60年代のJRCL再建前の潮流に属人的に逆戻りしていた事実は、JRCLの統一や思想闘争が『正統』意識にもたれ合った不十分なものでしかなかったことの傍証ではありませんか?

 私はブントについて多くを知るわけではありません。また『栄光のブント』の再来を期待しているものでもありません。しかしあえて言えば、『世界同時革命論』は、ドミノ理論の裏返しの玉突き革命の待機主義よりましだと思います。『国際根拠地論』は、労働者国家を、真に世界革命の根拠地にするためのスターリニスト党との党派闘争の実践化、『前段階武装蜂起』は、武装と軍事の問題に本格的に取り組む姿勢として(内容的にはいまだ理解できないが)、心情的には大賛成でした。ただこれらは、姿勢・決意・主観に過ぎず『人民と共に歩む』『生活を基盤とした力を組織する』路線(これも主観的かな?)ではなかったと思いますが。
 ブントをトロツキストの模倣者・中間主義(あるいは有害無益なテロリスト)として切って捨てる前に、ブント内外の人々が行った理論的探求の独自性について忘れるべきではないと思います。共同体論の深化、前衛-大衆関係の見直し、農業理論の探求、物象化論、世界危機の根源的解明等々枚挙にいとまがないと思います。こうした理論が(構造改革派系の人々のそれと合わせて)その後、社会変革運動の日本型社民から独立した新しい価値基準の形成の基盤ともなったと評価すべきではないでしょうか。他方、『正統』トロツキストの営為としては、藤原のローザ蓄積論の再評価、トロ著(英訳の邦訳)刊行ぐらいしか記憶にありません。文化的にもゴダールの後継者としての足立正生の映画と生き様は、社会主義リアリズムの亜流にすぎない『襤褸の旗』や『反戦サマーキャンプ』よりも歴史に残るものではないでしょうか。

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『国際的二重権力論』とは 投稿者:まっぺん  投稿日:12月22日(金)19時03分10秒

>土日のトロツキストさんへ
60年代の日本支部(JRCL)はまだ統一されたとはいえず、パブロ派的傾向、キャノン派的傾向などが混在していたようです。東北・関東・関西で傾向が違っていた。関東でも太田竜派で統一されていたとはいえません。また「思想的に同傾向であるから同じ主張」とも言えません。太田竜の「権力志向」を見ておくべきです。織田は『三多摩社青同闘争史』を書いていることでも明らかなように、太田竜のもとで活動をおこなってきた人です。そして太田竜はパブロ・ポサダス折衷のような傾向にあったらしい。織田が「第四インターの破産」を提起したのはこの「パブロ主義的傾向」からの帰結ですが、それは実は太田竜による党内権力闘争のための“仕掛けられたワナ”であったことが『三多摩社青同闘争史』に暴露されています。織田の行動に対して太田が「解党主義だ!」と非難したことを見れば明らかです。結局、東北や関西の同志たちにより、この太田の陰謀は粉砕されました。したがって、こうした太田竜や全国の第四インター・メンバーの動きも含めて読むのでないと、単純に「日本支部はマンデルとは違う」と言えないでしょう。

70年代に活動を開始した当時のまっぺんの理解では『世界的二重権力論』と『3セクター階級闘争論』とは対立するものではなく、矛盾なく両立するものです。世界的二重権力状況であるからこそ「労働者国家防衛」論なのであり、したがって「ソ連打倒」ではなく「反官僚革命」だったのです。もちろん、傾向として、前者に重点をおくパブロ的傾向と後者を重視するキャノン的傾向とがあったでしょう。その両派とも統一書記局から去っていきました。なお、ブントの「3ブロック階級闘争論」は、似ているのではなく「トロツキズムの模倣」です。模倣するのはとてもいいことです。しかし、共産党と自己を区別するためにとりあえずトロツキズムから借りてきた段階で止まってしまったがゆえに、ブントは国際主義についての理解をあやまり、「世界同時革命」などという無謀な戦略をたててしまったのではないでしょうか?「国際根拠地」「前段階武装蜂起」はこの「世界同時革命論」と無縁ではないと思います。

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早速どうもm(_ _)m 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日:12月22日(金)00時45分22秒

 レス、速いですね(^^;;)。

 中国の農業は実は気になっていたので、いずれちゃんと読み込んでみたいと
思います。ただ、59〜79年という間のデータはワケ判らないものもあるし、
研究者でも毛派−反毛とで同じ事象が全く違うように書かれていたりで、難渋
します(「社会主義」国の経済関係はみんなそうですけど)。

 もし何か判れば、おつなぎしますです。

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そうですね。久我山さん。 投稿者:アラブ復興社会党  投稿日:12月22日(金)00時24分48秒

 確かに59年から79年でトラクターの大量生産が進み価格を押し下げた可能性はあります。
 ただし、低い穀物供出でトラクターが買えるようになったのであれば、農業生産に有利な条件ではあるでしょう。
 ちなみに、P.227で80年以降の農業投資の減少を扱っています。
 国の基本施設(何を指すか確かに不明だが)への直接投資は78年の11.5%から(前ページで11.4とあるがそのまま引用)80〜85の平均で6.3%。85〜87で4%と下がった。
 それと同時に資本建設への農民自身の労働投下は70年代末の80億日労働日数という高さから四分の一に減少した。(この間国の工業への投資も四分の一になったことも併記されている。) 

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横から失礼(中国農村) 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日:12月21日(木)23時52分35秒

 アラブ復興社会党さん、どうも。横から口を挟んで恐縮です。

>>1959年、農民は75馬力のトラクターを買うのに、116,500キロ
>>の小麦を提出しなければならなかったが、79年には、これは53,500
>>キロに下がった。(以下略)

 孫引きの資料のことを聞いて何ですが、このような比較って正確なデータといえるのでしょうか。というか、経済学的に妥当な表現なのでしょうか。
 物価その他の基本データや、そもそも1959年のトラクターと1979年のトラクターの比較が前提にないわけですよね。それとも別項に前提の説明があるのでしょうか。
 経済学の素養がない小生がいうのも何ですが、購買力平価(でしたよね)の視点がないこういう単純な比較って、経済基盤が異なる国同士をある品目の物価で単純に論じてしまうのと同じ危険性を感じますが(たとえが悪いですが、アメリカの米は日本の米の何分の1の価格だ、だから日本の農業は生産性が低くケシカランというのと同じような気が..)。

>>農業部門は搾取されはしたが、枯渇させられはしなかった。 それどころか、
>>相互援助関係を通して、それはたえず近代的製品で補給され、それらの製品
>>は田舎の総体的枯渇をおさえ、典型的な“はさみ”現象(農産物価格と工業製
>>品価格の相違)から生じる影響をやわらげた。
>>そのうえ、政府は、農業の基本施設に直接投資することで、農村地区を援助し
>>ている。(以下略)

 上のデータもそうなんですが、この人は、この時期中国が如何に農業と農村に手厚かったかを論証しようとしてると思うんですけど、この調子だと、日本が世界一農業に手厚い国になるような気がします。土地改良(農用地基盤整備)などの予算はすさまじいものがありますし。でも日本の場合、これは農業ではなく、地方の土建屋さんに行くものです。ここでいう中国の「基本施設」の内容がわかりませんが、土地改良も相当含まれているとすると、似たような問題が発生するような気がします。

 ということで、議論の腰を折るようで恐縮ですけど、資料としては興味深いものと思われるので、できれば、これらのデータの前提が文献中にあれば、もう少し紹介いただけると助かります。
(私個人は、既に述べたように、中国が1959〜1979年期において「農村に手厚かった」とは思えないでいます)

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やや、しつこいが。 投稿者:アラブ復興社会党  投稿日:12月21日(木)23時27分04秒

 H.Hさんへ
 レーニンに先行すること1年前に、トロツキーが戦時共産主義の緩和に言及していた件ですね。
(現代書館のイラスト入り本で初めて見ました。今、トロツキー研究所でその論文のみ見ました。)それは評価したいと思います。 ただ、ネップは「生産力をつけるための一歩後退戦術だからほどほどのところでやめてよかったのか」という問題です。
 「西欧革命からの援助」がすぐ来る情勢ならともかく、そうでなければ労農同盟を維持するために相当長期にわたって継続されるべきものではなかったのでしょうか? 左翼反対派がまず唱え、それを弾圧し終えたあとブハーリン派を切ったスターリン派が唱えた「富農の脅威・反動」なるものは社会主義的原蓄を行おうとする勢力が自分に都合よく事態を拡大解釈したものではないでしょうか?(「市場に穀物を出すのが止められていたのは、もっぱらクラークのせいである。」という主張に対し、S.ベトレームの「26〜27年でも市場用余剰作物への富農の寄与度はなお、11.7%に留まり、中農及び貧農の一部でさえもソビエト政権の政策に反感を強めていたためである。」、「この時期に農業生産が頭打ちになったのは都市部での近代的大工業建設路線のため、伝統的な農村工業で製作されていた鍬、ハンマー、シャベル等の簡単な生産用具の生産が停止したため」という意見も一応は検討すべきでは。「ソ連における階級闘争2巻」に有るそうですが、孫引きです。)
 まあ、結果的には(イデオロギー整合性のようなものはともかく)この
点ではブハーリン派が、比較的まっとうだったのではないでしょうか。無論彼の全体を賛美するつもりはなく、一時代あとですが、国外のことではアメリカのフォード主義的生産関係に先駆的関心を寄せたトロツキーが無論優れているとは思います。まあ、絶対的真理を体現できる個人・党派というものはなく、ある人はAという部分真理には強いが、Bの部分には弱い。別の人はその逆ということを示す例と思います。(よって、「独裁」というのはいかんのですなあ。)

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問題が初めて提起されえた 投稿者:アラブ復興社会党  投稿日:12月21日(木)19時42分24秒

 多くの犠牲者のことを顧慮しない「大躍進・文革賛美論」がもはや通らない時代なのはおっしゃるとおりです。
 毛沢東主義者のW.ヒントンの著作(しかも具体的な数字は「金宝喩 中国の農村改革と食糧 1988.11」から引用なのでここで書くと孫引き)なので「資料批判」は当然必要ですが、やや長い引用を若干。
「大逆転」(田口佐紀子訳 亜紀書房1991年刊)P.226「1953年から1957年までの間で、工業における全投資の4.27%が農業投入に向けられ、そしてこれら投入は非常な廉価で−時間の経過とともに低くなった−農業協同体に売り戻されたのである。1959年、農民は75馬力のトラクターを買うのに、116,500キロの小麦を提出しなければならなかったが、79年には、これは53,500キロに下がった。50年には1キロの肥料を買うのに1.6キロの小麦を必要としたが、79年には0.5キロの小麦で1キロの肥料が買えた。60年に、1キロの殺虫剤を買うのに、35キロの小麦を要したが、79年には、5キロに減った。
 農業部門は搾取されはしたが、枯渇させられはしなかった。それどころか、相互援助関係を通して、それはたえず近代的製品で補給され、それらの製品は田舎の総体的枯渇をおさえ、典型的な“はさみ”現象(農産物価格と工業製品価格の相違)から生じる影響をやわらげた。
 そのうえ、政府は、農業の基本施設に直接投資することで、農村地区を援助している。これは第一次5ヵ年計画における総投資額の7.3%から、1978年(第5次5ヶ年計画期)の11.4%に増えており、政府の農業投資が農業からの直接収入に対する比率は、第1次5ヶ年計画期のの49%から第2次期の56%、そして、第4期、五期の164%へと伸びている。」
 (P.227はそれが80年以降急減していることを述べています。)
 あと、少々挑発をすれば一時代前までのトロツキストの「農村論」は電波だという先入観が私にはあります。(道徳的にどうこう言うつもりはないが。例えば御開祖の「中国の農民戦争」、及び「ホウ・述之」(ホウ・徳懐のほうですが出し切りません。)の国共内戦における共産党の力量に対する蔑視など)

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「革命的警戒心」、全くもっともです。 投稿者:まっぺん  投稿日:12月21日(木)16時29分24秒

まだ第2号を実際に目にしていない諸君のために資料として3ページの途中までここに掲載します。
「革命的警戒心」については確かに具体的に書きにくいので下のような文章にしてしまいましたが、初心者には分かりにくいですね。もういちど考えてみます。いっしょに考えてください。
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「共産主義」であそぼう

 「共産趣味世界」へようこそ。
 ここは電脳「左翼空間」であり仮想「革命空間」です。ここには「共産趣味」を持つ多くの人々が出没します。「共産趣味ってなんだろう?」「共産主義とは違うの?」との疑問を持つ方も多いと思います。まずおことわりしておかなければならないのは、ここはあくまでも「趣味」の空間だということです。ですからここに参加される方は必ずしも共産主義を信じている人ばかりとは限らないことをご承知おきください。
 「共産趣味」を理解していただくには「ミリタリー趣味」を想像していただくと分かりやすいかもしれません。「戦艦大和」「零戦」「F15」などのプラモデルやナチス・ドイツの戦闘服などのファッションを趣味とする人はたくさんいます。でもそれらの人々は必ずしもナチス思想や軍国主義思想の持ち主とはかぎりません。ただそれらのおもちゃで遊んでいるだけという人も多いことでしょう。
 同じように「共産趣味」も「共産主義」に関わる思想や運動、ファッションを趣味とする人たちの世界なのです。ひとくちに「共産主義」といっても、その思想・実践はひとつではなくいろいろあります。マルクスからはじまってエンゲルス、カウツキー、レーニン、トロツキー、ローザ・ルクセンブルグ、スターリン、ジョルジュ・ルカーチ、グラムシ、毛沢東、金日成、ゲバラ、カストロ、ホーチミンその他たくさんの思想家、革命家によってそれぞれの国で実践された様々な共産主義があります。また今日では主流派となったマルクス以外の「共産主義」思想もあります。たとえばプルードンやバクーニンなどの「無政府主義思想」(アナーキズム又は「絶対自由共産主義」とも呼ばれる)も広義には「共産主義」といってもいいでしょう。ここに来る人々は、まじめな人も「ふぁにい」な人も「共産主義」で遊んでいます。さあ、いっしょに「共産主義」であそびましょう。

共産趣味は混沌世界

 「共産趣味」の世界は非常に広く、混沌としています。この世界には多くの趣味者が参加し、思い思いのホームページをひらき、あるいはそこに参加し、お互いに交流しています。でも「これは共産趣味でこれは共産趣味じゃない」というような、はっきり区別できる基準はありません。各趣味者によっても基準は違っているのです。だから「共産趣味世界」へのかかわり方も、人によってたいへんちがいます。それぞれのホームページでの交流基準もたいへんちがっています。この事は充分に注意しないといけません。
 あるサイトでは、「共産主義思想」や「活動・運動」について「議論」を禁止し、お互いに「情報の交換」だけに限定しています。また、別のサイトでは特定の「思想的基準」を設定し、それに反するような書き込みはできません。またあるサイトはどんな思想・立場の人も受け入れ、議論を奨励します。「共産趣味者世界」とは、それぞれのサイト管理者が思い思いの基準でサイトを作り、そこにいろいろな人が参加し情報交換や議論などをおこなっている世界なのです。

革命的警戒心を

 ひとくちに「趣味者」といっても「活動歴」を基準にすると、みっつに分ける事ができるでしょう。つまり
(1)今も活動している現役の活動家
(2)かつて活動家だったが今は引退している人
(3)まったく活動経験の無い人・・・という風に。
 また思想的に分類すれば
(A)特定の思想・運動の宣伝や活動のよびかけ
(B)共産主義思想に好意的であり、話題を楽しむ
(C)思想や運動の欠点や奇妙さ・おかしさを楽しむ
・・・となるでしょう。
 現役の活動家も一部「趣味者世界」にいるのです。
 「共産趣味」世界では他の趣味世界とちがって注意しなくてはならないことがあります。それは私たちが趣味の対象としている「共産主義」の思想・運動は決して「過ぎ去ったむかし」のことばかりではなく、現在も進行中であり、数のうえではかつてのように多くはないけれど現役のさまざまな党派の活動家が今も存在し活動している事がらを対象にしている、という事です。したがって、それらの運動に敵意を抱いている「国家権力」=警察・公安はわれわれ「共産趣味者」に対しても「共産主義者のように危険なもの」と考えています。だから、党派や団体を話題にする時にも、その党派や団体を何らかの危険に陥れるような書き込みを不用意におこなうことはやめてください。また、それらの事情を踏まえて充分に警戒してください。

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もぐら新聞改訂版について 投稿者:西 学  投稿日:12月21日(木)15時37分54秒

 まっぺんさん、御迷惑をおかけしております。
 もぐら新聞2号を改訂されるとのことですが、その際出来るならば「革命的警戒心」云々の注意書き部分を、具体例をあげるなどしてもう少し詳しくやっていただきたく思います。
 現役、退役(?)を問わず、ある程度運動にかかわったことのある人間なら、権力なり、党派なりの恐さ(?)を分かっているから、どの程度なら大丈夫でこれ以上は危ないということはある程度分かると思うのですが、運動にかかわったことがない人間にとっては、いくら「革命的警戒心を持て」と言ったところで、あの程度の説明ではそのへんの感覚が分からないと思います。
 先日「申核派」さんが、「はしゃぎすぎ」て大暴走してしまいましたが、その際多くの趣味者同志がなんとかしようとした訳ですが、残念ながらネットでの教導がうまくいかず最終的に解散の道を歩んでしまいました。あそこまで暴走する人は滅多に現れないと思うものの、そういったものの芽はある程度摘み取っておかなければいけないと思います。
 趣味者界に迷い込んでくる方々のほとんどは、ネットをしていて偶然趣味者界を知るというパターンで、もぐら新聞から入る人はごくごく少数でしょうが、某党派からは「趣味者=権力のスパイ」論や「敵対党派の手先」論が出ているという話ですし、12月の「救援」紙上ではセンターのスタッフの方から「情報をめぐる利便さがあっても弾圧に対する原則は踏まえられ、また不必要な情報も出さないという姿勢が求められていることをいくつかのウェブサイトを見ていて感じた。」との指摘がなされていることを考えるならば、ただ単に「趣味者世界」を紹介することだけではなく、それと同じくらいのスペースを割いてでも「革命的警戒心」について教示する必要があるのではないかと思う訳です。 
 

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>「もぐら新聞」掲載のお願い。 投稿者:大日本共産党員  投稿日:12月21日(木)14時13分39秒

こんにちは。メールは読みました。
本題については、大歓迎です。
どんどん宣伝して下さい。>まっぺん様

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世界的二重権力論 投稿者:土日のトロツキスト  投稿日:12月21日(木)10時31分39秒

 まっぺんさんが指摘されたように、たしかに『過渡期世界論』は塩見氏が提起した理論であるというより第2次ブント創生時の共通世界観だった記憶があります。ごめんなさい。

 まっぺんさんがむしろ当時の路線の検証が重要だと思われているようなので、この点について述べます。

 さて、私が、赤軍派(ブント)とJRCLが大枠で共通の世界観を有していたのではないかと考えるのは以下の理由です。
 70年前後の新左翼内部の世界情勢ー革命戦略をめぐる分岐は以下の2つを機軸をめぐってなされていたと考えます。第一にソ連邦とその指導部の階級的性格について。第二に第二次世界大戦後の植民地革命・民族解放闘争の意義をめぐって。

 ブント『過渡期世界論』、およびJRCL『世界的二重権力論』は、この分岐では基本的には黒田『反スタ論』、『反米愛国』中国派、構造改革派、レーニン帝国主義論延長の中核派などとは異なり同一グループに属しています。すなわち、ロシア革命成立後からの世界情勢を、人類史的に、世界革命、世界共産主義への『過渡期』(『二重権力』)ととらえる点、植民地・民族解放闘争を(その指導部の性格にかかわらず)この枠組みでの国際革命と国際反革命の攻防(革命の側の攻勢)と積極的に評価した点で、同一であると考えます。
 国際第四インター派内部では、パブロ・ボサダス派がこの傾向に属します。ヨーロッパを中心とする統一書記局派は、こうした理論は、『体制選択をあらかじめ迫るもの』で『東ヨーロッパにおける反官僚闘争を展開できない』(マンデル)と批判し、帝国主義国、労働者国家、(新)植民地諸国の三つのセクターにおける、当面異なる闘いの有機的結合として世界戦略を提起したと記憶しています(なんだかブント内の3ブロック階級闘争論と似てるな)。JRCLは、酒井、織田らが、植民地革命に対応できない国際トロツキストの潮流に対して60年代から『第四インターの死産・早産』論を唱え、(統一書記局に結集したとはいえ)パブロ・ボサダス主義的傾向にあったと考えます。他方グラムシ・トリアッティ主義に接近し、帝国主義の危機を『中心ー周辺関係』におかず、古典的な『循環恐慌』に求めるマンデル主義は日本的色分けに従えばむしろ評議会共産主義・構造改革派的傾向により近いのではないでしょうか。この立場から、JRCLのベトナム指導部賛美や、極東解放革命を掲げて(新宿騒乱・渋谷暴動を含む)街頭武装闘争への参加、三里塚3.26闘争などが批判されたのは当然の成り行きではないでしょうか。JRCLの『世界的二重権力論』は、国際トロツキズムの共通の戦略ではなかったと思います。

 なお、まっぺんさんがおっしゃるとおり赤軍派の『前段階武装蜂起』論−建軍路線は、街頭闘争の後退を、本格的武装闘争の発展で突破しようという戦術主義的な傾向であり、路線的誤りであることは明白だと思います。日本赤軍自身『革命を理念的にとらえ、生活を基盤とした力を組織しきれて来ませんでした。』と自己批判しています。

他方、街頭闘争の後退に対して、社共共闘・総評労働運動・住民闘争の国内的高揚に目を奪われ、これに新たな主戦場を求めたJRCLも、日本型社民主義への屈服の道を歩んだと思います。JRCL旧レーニン主義分派(現『かけはし』派)は、この誤りを主体的にとらえず、『日本労働者階級の敗北』と階級のせいにしてしまいました。

このような意味で『(新)植民地革命派』その後を考えると、両者はメダルの裏表だったかなと思います。

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