四トロ同窓会(現役も歓迎) 2000年1月21日〜22日

四トロOBのための革命的掲示板(笑)

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結論を二次会の方に書き直しました。 投稿者:まっぺん  投稿日:01月22日(土)10時21分05秒

文章中になにかタグを巻き込んでしまったようです。
「ぽ」さん、「二次会掲示板」↓の方に結論をまとめましたので
ご足労ですがおいで下さい。

朝倉さん、掲示板よごしてしまってすみません。「一党独裁について(4)」以降は
全部削除してくれてかまいません。

http://www63.tcup.com/6305/mappen.html

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あとでね(^^;;;) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)19時16分59秒

「当該個所の検討」が途中できれてしまうのであとで入れ直します。
「一党独裁」について(4)および「一党独裁」について(4)再
は無視してください。

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「一党独裁」について(4)再 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)19時14分45秒

結論だけはいらないハ・・・・(;_;)

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「党内民主主義や複数政党制にもとづいているトロツキズムはスターリンの一党独裁
と『一枚岩』の党組織とにも対立しているのです。

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「一党独裁」について(4) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)19時12分43秒

長すぎて最後の結論のところがきれてしまいましたので最後の部分だけ再掲(^^)

当該個所の検討

では具体的に「一党独裁」の表記がある箇所を検討してみましょう。以下は「社会主
義のおはなし」に「一党独裁」の語句が使用されているところ(3ヵ所)です。
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「党内民主主義や複数政党制にもとづいているトロツキズムはスターリンの一党独裁
と『一枚岩』の党組織とにも対立しているのです。
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「一党独裁」について(3) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)19時07分37秒

「一党独裁」のもうひとつの側面

ぽ同志の批判点は整理すればふたつにわけられる、と思います。
(1)「一党独裁」はマルクスの定義による「独裁」つまり「階級独裁」とはちがう
    から使用するべきではない
(2)「一党独裁」は反共主義者を利する表現であるのでやめるべきである

すでに(1)についてはこれまでの議論で明らかになったと思います。しかしまっぺ
んはこれまで主として(1)に対する反論として書いてきましたが、むしろ実践とし
ては(2)の方がはるかに重要です。マルクス主義理論は実践理論であることからも
これは当然です。フォイエルバッハに関する第11テーゼにも「哲学者はただ世界を
解釈するだけだった。重要なのは世界を変革することである」とあります(「トロツ
キー研究」No.30)。共産主義の宣伝において、それが大衆に向けて使用される時、
はたして宣伝者の企図がそのとおりに大衆に伝わるかどうかは、客観的に冷静に判断
しなくてはなりません。宣伝者の企図どおりではなく逆に敵の宣伝に利用されるのだ
としたらたいへんです。そこで次に「一党独裁」のことばが反共主義者を利するかど
うか、について検討していきましょう。

スターリニストと反共主義者の狭間で

10月革命の栄光と対ナチス戦の勝利、そして戦後の多くの植民地解放闘争をとおして
世界中に広まった「社会主義」に対する希望は同時にスターリン主義指導部の権威を
高めることにもなりました。同時にソ連を支配してきたスターリン主義は一般に「共
産主義の本家」と認識されてしまったのです。こうした事情のために、スターリンへ
の批判は容易に共産主義への批判と混同されます。反共主義者たちはこれを利用して
「スターリン批判=共産主義批判」として巧妙にすり替えて反共宣伝をおこなってき
ました。最近話題になっている「共産主義黒書」などはその典型的な例です。すでに
一部日本語に訳され、その反共ぶりのすさまじさは驚くばかりです。
トロツキストはスターリン主義に対して最も断固として闘った勢力ですが、スターリ
ン主義への批判は非妥協的に行なうべきであっても、それが反共主義者を勇気づける
結果となる事は絶対に阻止しなければなりません。本質的にスターリン主義への批判
と反共主義への批判とは同一のものではないし、スターリン主義を批判するあまりに
「ほんとうの敵」が誰であるかを見失ってはいけないと思うからです。トロツキーが
スターリンやスターリニストに対しては「独裁」のことばを消極的にしか使わなかっ
たのもこれが理由でしょう。

「一党独裁」は「取り扱い注意」なことば

まっぺんが「レッドモール党」サイトを開設した理由はふたつあります。わが青春を
懐かしみ「懐古にひたる」という、まったく自己満足的趣味的目的と、もうひとつは
現代の青年が希望を失っていることへの左翼的立場からのひとつの回答としての「世
界観」の提示です。
したがって“我が党 (^0^)”の「社会主義のおはなし」では、社会主義について無知
な人にも分かるように、できるだけ平明な表現で説明したつもりです。もしも、この
説明がスターリン主義を正しく理解するかわりに「共産主義は恐ろしいものだ」など
という誤解をあたえてしまったら、まったくこちらの意図に反するものとなってしま
います。そして、そういう恐れを指摘する批判がぽ同志・ワタナベ同志からあったの
ですから、これは真面目に検討しなくてはなりません。そして「取り扱い上、気を付
けるべき」なのですから実際の使用箇所を検討し前後の文脈との関係で検討するべき
ではないでしょうか。

当該個所の検討

では具体的に「一党独裁」の表記がある箇所を検討してみましょう。以下は「社会主
義のおはなし」に「一党独裁」の語句が使用されているところ(3ヵ所)です。
……………………………………………………………………………………………………
「党内民主主義や複数政党制にもとづいているトロツキズムはスターリンの一党独裁
と『一枚岩』の党組織とにも対立しているのです。

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「一党独裁」について(2) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)19時04分12秒

トロツキーは「一党独裁」と表現しなかったか?

ぽ同志は「トロツキーは一党独裁と表現しなかった」といいます。本当にそうなのだ
ろうか? まっぺんは不勉強のため、そのへんについての確信はありません。しかし
トロスキーさんの引用では「官僚独裁、個人の独裁」を云々できよう、という風にト
ロツキーは表現している。また、私がすでに引用した別の文献には「独裁者」という
表現が使われています。これらに使われている「独裁者・個人独裁・官僚独裁」など
のことばは、マルクスの定義による「独裁」ではないのは明らかです。「一党独裁」
はないが、意味するところはこれらと全く同等です。まさか「一党独裁はだめだけど
官僚独裁・個人独裁ならいい」ということではないでしょう? ただトロツキーはこ
れらのことばを積極的に使用してはいないようです。つまり「個人独裁・官僚独裁」
などについては「云々できよう」=「そういう言い方もあるだろう」というようにど
ちらかといえば「許容範囲」として消極的に表現しています(ぽ同志は「禁止」する
ように主張しているという違いはありますが)。トロツキーが「独裁」のことばをス
ターリンに対して使う時には慎重であった、ということでしょうか。それはなぜか?
その分析はあとから行ないます。

トロツキーが「党の独裁」を口にした時期はある

1903年〜1906年ころ、トロツキーは党による代行主義を強く批判する姿勢をもってい
たようです。前回まっぺんが紹介した「われわれの政治的任務」に「最後には『独裁
者』が中央委員会を代行する」というように「独裁者」という語句を用いて党の代行
主義を厳しく批判しています。ところが、このトロツキーの考えは貫徹できませんで
した。実際に10月革命が成功しプロ独政権が樹立された時「党の代行主義」が遂行さ
れました。樹立したばかりの若い革命政権は予想をはるかに超える困難に見舞われた
ため、やむをえざる措置としての事なのだと考えられます。1921年のクロンシュタッ
ト反乱の鎮圧などもふくめ、内戦の時期における他党派との抗争の中では共産党の一
党制支配が遂行されました。そして続く1922〜1923年の第12回党大会前後の時期には
トロツキーも含めた党指導部は「党の独裁」を承認しました。「党の独裁」を肯定的
に受け入れているのです。
わたしが参考にしたのは「トロツキー研究」No.29の61〜65ページですが、そこには
西山克典氏による以下のような記述があります(ところどころの抜き書きですが)。
「革命権力=ソヴェト権力の『独裁』は…内戦期の白軍将軍らによる軍事独裁の樹立
に対抗して形成され、共産党の『独裁』という形態をとった…」「第12回大会へむけ
て…ジノヴィエフの政治報告は、プロレタリアートの独裁は共産党の独裁以外にあり
えないと述べた。トロツキー自身…『党の独裁』という問題は『再検討という考えそ
のものが許しがたい』と訴え、党分裂の危機への対応として、中央委員会の拡大では
なく『党会議』の設置を構想していたのである。結局、党によるプロレタリアートの
「代行」を述べた政治報告は誰からも反論されず採択され、『党の独裁』はトロツ
キーを含め全党で確認されたのである。」

「一党独裁」を最初に実施したのはボリシェビキであった

もちろん、以上の記述は「スターリンによる独裁」を直接述べたものではありません
ので、スターリン主義と同列に語るべきものではありません。また少なくともスター
リン時代の「独裁」については批判すべきであるとしても、それ以前については当時
の事情も充分に勘案しなければ、この時期の「党の独裁」を肯定するべきかどうかは
わかりません。まっぺんには当時の彼らの「党の独裁」の選択についての是非を判断
するちからはありません。だが、これはスターリンが権力への道をひらく上で有利に
作用した事は否定しえない事実ではないかと思います。ともかく、語句の問題に限っ
ていうならば「党の独裁(=一党独裁)」は「マルクスの定義」によるものではない
けれども、当時のボリシェビキによってすでに過去に言葉が使用されたばかりでなく
実行もされていたということです。
しかし、われわれの議論が単にこのような「語句の使用」の問題だけで語られるとし
たら、つまらない議論です。「ことばのあそび」にすぎません。まっぺんは、ぽ同志
から受けた批判、さらにはワタナベ同志の批評から「一党独裁」の語句のもうひとつ
の側面についても検討しなくてはなりません。
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「一党独裁」について(1) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)10時06分17秒

たいへんお待たせしました。(^^)/とりあえず書いてみましたが、まっぺんはただい
まとっても忙しいので、とりあえず書いたところまで。続きは今夜かあした書きます
のでまっててね(^^)

ワタナベさん、こんにちは(^^)
貴重なご教示をありがとうございました。また、こども赤軍同志からの指摘も含め、
だいぶ議論がにつまってきた結果、ぽ同志とまっぺんとの一致点・相違点が、かなり
はっきりしてきたように思います。わたしの感触としては「二人のあいだにはそう大
きな相違があるようには思えない」という事です。双方とも「独裁」についてのマル
クス主義的理解において違いがあるようには思えないからです。しかし、スターリン
が遂行した「独裁」つまりマルクス主義の定義によらないところの「独裁」について
は「理解の違い」ではなく、「ことばの取り扱い方の違い」であるに過ぎないのでは
ないでしょうか? そのあたりをちょっと整理してみたいと思います。

一致点について(前提として)

マルクスは「独裁」を社会主義にむかう過渡期において労働者階級が権力を維持する
状態として規定しました。つまり「プロレタリア独裁」のことですね。共産主義者に
とって一般的にこれは自明のことと思われます(注:私は共産主義者じゃありません
ので、念のため^^;;)。また10月革命によって権力を奪取し、その後の内戦にもナチ
スドイツの侵略にも持ちこたえたロシア労働者階級によってその後もソヴィエト連邦
は維持されてきました。またトロツキストを含め海外の共産主義者や社会主義者・良
心的自由主義者たちも、ソ連邦の防衛を重要なものと考えてきました。それはソヴィ
エト連邦がこの「プロ独」権力を維持し続けてきた国家だからです。つまりマルクス
の「独裁」の定義が実現されてきた国家だからです。この認識についても、ぽ同志と
まっぺんとの間には何の相違もないでしょう?

相違点は何か

しかし同時に「独裁」のことばについては「マルクスの定義」とは別の意味において
広く使用されていることも事実です。この事実を否定することはできません。
たとえば「近・現代史上の独裁者を三人あげなさい」といわれたら誰をあげますか?
多くの人がヒットラー、ムッソリーニとともにスターリンをあげるのではないでしょ
うか。もちろん、われわれにとっては前二者とスターリンとは、よって立つ基盤が全
く正反対であることは自明のことです。ファシズムが資本主義の別働隊であるのにく
らべ、スターリンはプロ独権力の簒奪者であったという事です。この点についてもお
そらくわれわれのあいだに意見の相違はないでしょう。にもかかわらずスターリンが
「独裁者」と認識されているのは事実です。これは単に反共主義者からの宣伝にすぎ
ないのでしょうか? それもあるでしょう。しかしそれだけではありません。スター
リン個人によって、そしてスターリン主義的に変形した党組織によって、又そこに寄
生する官僚組織によって実行されてきた独裁的権力によるものではないでしょうか。
つまりこの二つを総合すれば「プロ独」権力がスターリンによって簒奪されてきた、
ということです。そこでこの実態についてどう表現するべきか、この点に違いがある
ように思います。つまり「理解のちがい」ではなく「表現のちがい」という事です。

スターリン主義をどう表現するか

我々が「独裁」のことばを階級的観点から使用する時には肯定的な意味で使うでしょ
う。一方、没階級的な観点から使用する場合には否定的な使い方をします。そして
「独裁」のことばが持つ意味においては「両方とも有効」です。スターリンに対して
この言葉を使うべきではないのだろうか? スターリンは没階級的な意味で「独裁」
を行わなかったのだろうか? いや、スターリンがおこなってきた残虐な行為、そし
てソ連を危機におとしいれ世界革命を裏切ってきた様々な行為について、とりわけト
ロツキスト勢力は被害者としても身にしみてよく知っているのではないでしょうか。
また、国際的共産主義運動のこれまでの歴史の中でソ連邦についてどう把握しどのよ
うな立場をとるべきか、についてもトロツキストは最も正しい選択をしてきた、と
思っています。つまり「プロ独権力」が維持されているソ連邦を防衛、しかし、それ
を簒奪するスターリン主義官僚打倒、という方針。この時にスターリン主義を没階級
的な意味で「独裁」と表現するのは間違いなんだろうか?

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