四トロ同窓会二次会 2001年7月28日〜29日

まじめな議論・主張・あそび・ぐち・何でも!自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」に掲載される場合もあります。
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民族から派生して・・・ 投稿者:だんとん  投稿日: 7月29日(日)20時25分19秒

 まっぺんさんのおっしゃる通りだと思います。
 歴史的に多くの「日本部族」「日本人集団」がいた。という方が、過去の日本史を読む上では合点が行きやすいですね。時代、時代によって分かりにくいというか、理解しずらい人や流れというものがあって、一くくりの日本民族という視点で見れるのはせいぜい明治以降に限られてしまいます。

 ちなみに朝廷のチャイナライズは幕末までしっかりと行われていました(苦笑)。それを「今の時代は復古なんだからそれに相応しく”国風”(!?)にしなければ!」と慌てて各種の儀式をでっち挙げ、なんとか明治天皇の即位式を挙行したそうです。おかげで、過去の雅やかな伝統儀式の多くが失われ、一部の宗教儀式のみにその痕跡を残すのみ、という個人的には嘆かわしい事態になってしまってます。。

 最近、「米100俵の精神」(旧長岡藩士・小林翁)が取り上げられていますが、下級藩士の窮状を思い河井継之助が藩政改革を断行したときに実行した「藩士俸禄の均衡化」(上級門閥の俸禄を減らし、下級藩士の俸禄を上乗せ)という当時としては斬新な改革がどうして取り上げられないのか? というのを一人疑問に思っていたところです
 確かに河井という人は「武士」という階級内にしか視点がいってなかったのかも知れませんが、その中で独自の発想をもって精一杯の努力をしたと思ってます。こういった部分の話が出てこないのはちょっと寂しい限り。

 とことで旅館の話ってもしや・・・・ 備前の山田幽谷の所へ遊学した際のお話なんでしょうか? 実は私、司馬遼太郎という人の本は読んだことがないもので・・・ 普段はどうしても系図やら組織図、家紋などというどうでもいいもんにしか目がいかないもんで(苦笑)

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実はいろんな問題がつながってるつもりです 投稿者:葦原骸吉  投稿日: 7月29日(日)14時58分04秒

これまで王や宗教や伝統を敢えて擁護する意見を述べてきましたが(民族に関しては近代以降の人工的概念、というのはその通りだと思います。もっとも、フィクションであってもそれが必要とされる時代状況、またそれに自ら乗った大衆も多くいたのではないか? と感じますし、わたしも海外に行って外国人に囲まれたら民族を意識させられるのかも知れませんが)、ミもフタもなく云いますと、わたしは現在の実在する王にも宗教にも伝統にも敬意なんか持っていません、というかぴんと来ません
しかしだからこそ、ああいうものを崇め中心に据えすたがった先人ってのは、よくわからないけど、そんだけで安易に馬鹿にしては悪いような気がする……という理由でそう考えてきたつもりです

昨今の若い自称右翼・自称保守の人に反発を覚える点は、彼らにはぜんぜん自己懐疑がない者が少なくない――つまり、自分は無条件に悪いことなんか何もない正しい存在で、で、その延長上に自分の国も何も悪くない正しい存在だと思っているように感じられる――という点で、ここに関しては全共闘の学生の一番真面目だった人達には、自分らが親や教師の云うことを聞いてリスクを負わずに立派な大学を出て国家や資本の走狗になる途に甘んじることを恥じるような自己懐疑・自己否定の精神があったことを見習えよ、ぐらいは云いたいです。

先人の意志の集積(それは天皇制軍国主義の犠牲になった側の人達も、逆に家族を守るために特攻隊に行った人達も、だと思っています)だとか、そういう自分以外の何かに対する畏怖・畏敬の念がない、世界観の中心に自分自身しかない、利己主義的な自己肯定・自己正当化しかない思想はその中身の上下左右を問わずに、なんか信用できないとわたしは思っています

先にも書きましたが、わたしの見る限り、一部趣味者の間には、どうにも、そういう本気で革命のために生きた先人とか、今でもいる本物の元活動家への敬意が感じられない点には、そういう「自己懐疑ゼロのはじめからの保守青年」と同様のいやな感じを覚えます。
そういう趣味者というのは、例えば北朝鮮グッズのコレクションをしたり、要は左翼の記号・意匠を収集しているだけで、ナチスコスプレのマニアとも全然変わらないのに、そのくせ軽々しく「革命」とか「解放」とかいう言葉をぽんぽん使いたがる……例えギャグで云ってるにしても、そういう態度こそ「革命」とか「解放」への冒涜じゃないのか? と思うんですが、こういうわたしみたいな発想は、どうもそれ自体がマッチョで右翼くさいと思われるためか嫌われています。

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クズとナショナリズム私見 投稿者:葦原骸吉  投稿日: 7月29日(日)14時54分42秒

大和 士魂/鐡扇會 氏いわく

>暴走族と、学歴社会云々とは、関係ないと思う。
>彼らは、ありあまる若いエネルギーを、何かの形にして、群れて、
>それでいて情に喘いで、青春を過ごす、
>それは、彼らにとって「外見」であって、「かっこいいから」(中略)
>共闘も、理解も難しい話になる。

そういう発想こそが差別的なんじゃないんですか?
暴走族みたいなクズだって、いやクズこそ民族同胞でしょう
ええ、確かにあれはファッションに過ぎないでしょう(不良が右翼
やナチスなんかのファッションを好むのは、偽悪と強がりのポーズと、
特攻隊とかのヒロイズムへの憧れだと思います)しかし、戦前戦中
一部のお偉い右翼思想家はさておき、最外延部で日本の侵略を支えて
いた、無数の無名の右翼青年や大陸浪人やもっとも活発な兵卒とかには、
実際これと大して変わらない心性だった者もきっと多くいたと思います

「俺らはクズのアウトローだが、天皇陛下だけは俺らの味方だ。難しい
 ことはわかんねえけど、こうやって身を張ってる俺らの方こそ、安穏
 とした庶民より、直にあの神聖な天皇陛下につながってるんだ」とか、
恐らくはそういう心性でテロに走った右翼(特に若い奴、山口二矢とか)
は少なくなかったでしょう。ナショナリズムは悪党の最後の拠り所、という
話です。また、一部の資本家や政治家が、そういう心性の貧乏右翼の純情
と捨て鉢につけ込んで、彼らに金をやってそそのかしてスト破り(アウト
ローが労働者と敵対する皮肉)や暗殺をやらせた構図も多々あるでしょう。

それはハッキリ云って、はた迷惑な困った人達で、野蛮で暴力的で無学で
ひどい連中だったと思います。しかし、わたしは、そういう落ちこぼれた
アウトローこそが民族や王とかにすがった面もあったことを安易に馬鹿に
して澄ますことはしたくないわけです(民俗学の網野善彦も、後醍醐天皇
とアウトロー武士との共犯関係を指摘してます。その良い悪いは別として)

逆に、右翼や保守を標榜していても、そういうドキュン連中とは自分は違う、
自分らはエリート様だ、と思っているような人間(最近ではそっちの方が
多いようですが)には、少なくともわたしは何ら共感の念はありません

わたしが進歩派とか革新とか云われる側の知識人の言説に違和感を持つ
ようになったきっかけは、10数年前に少年鑑別所に放り込まれた時の
経験からです。能天気な進歩派系知識人は、自分は地位や学歴にあぐら
をかいて大学教授なんかやりながら、自分の理想と願望で無邪気に
「学歴社会からはみ出した落ちこぼれにこそ可能性がある」とか云います
ところが、実際、わたしが少年鑑別所に放り込まれて見た不良たちは
自分らは落ちこぼれだからいくら人生頑張っても先が無いと見えてる、
だから女とか車とか目先の快楽に走り、さらに犯罪へと進むわけです
そういう彼らの価値観はある意味非常に保守的で、弱者を平気で踏み
にじるし、一方でやたらと家族の絆とかは大事にしたりもする。
良いとか悪いとかじゃない、とにかくそういうものとして「ある」わけ
です。わたしはそういうものを見て「ああ俺は所詮、苦労知らずの
中産階級やったんやな」と痛感させられました
今では裕福な良家の子供が不良に、ってのも多いでしょう。しかし上記
のようなものも決してなくならないと思います

>そして、戦後の右翼はだらしなく、経済路線に走ってしまったがタメ、
>問題趣旨としておいしいところを左翼に、たっぷり持っていかれた。
>そうしただらしのない腐りきった戦後の右翼の先人達を
>先輩として、後輩の若い不良が、崇めているのも、悲しい話だ。

これはごもっともな意見だとも思います
戦後の右翼的心性の持ち主の中にも尊敬すべき人物もいたと思いたい
ですが、それは正面から右翼として看板を掲げているような人の中に
ではなく、例えば田舎で地味に戦没者慰霊運動を続けている老人など
の中にいたのではないかと思います。
右翼団体のやる企業恐喝や土建屋とつるんでの利権活動(無我利道場
の襲撃とか)には一切共感しません。しかし、暴力団や右翼が(時と
して同和地区出身者や在日韓国人なども含めた)地域社会からはみ出して
しまった者や不良の受け皿になってきた役割は、安易に前面否定は
できないと思うのです。当然、右翼や暴力団の暴力が許し難いのも
事実ですが

――わたしが敢えて右翼も擁護してきたのはこういう理由で、恐らくは
今の鐡扇會や日本ちゃちゃちゃ倶楽部の最外延部を占めているであろう
しょせんは冷戦体制崩壊後、共産主義は間違いだったというのが常識
になってから保守・右翼を名乗り出した苦労知らずの若い学生さんたち
(大和 士魂氏がそうだとは決めつけませんが)とは全然違うという
自負があります

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日本民族について・補足 投稿者:まっぺん  投稿日: 7月29日(日)13時10分25秒

れすありがとうございま〜す\(^o^)/

●だんとんさん
「日本民族」「日本人」という時、じつは、時代的にたくさんの「日本民族」があったのではないでしょうか。上古には上古の大和政権による日本人があり、奈良時代には中国から多くの知識・文化を輸入してかなり「チャイナライズ」された日本人(と言っても、支配階級だけのことで、民衆にはどれだけその文化が浸透していたかは疑問です)、平安時代には、「やまとだましい」などという言葉がおよそ不似合いな日本人が、「源氏物語」の中に見られます。

司馬遼太郎『峠』は幕末の越後長岡藩士・河合継之助の物語ですが、友人にすすめられて読んだ時、感動したシーンがありました。ある旅籠の大部屋に泊まって他の旅人に「何処から来たか」尋ねられたとき越後・長岡と答えると。そこに居た人たちは驚いて、ある人は涙ぐみ、「生きててよかった!」と言う。この感覚、新鮮でした。日本という国がまだひとつの「国家」として意識されていない、よその藩の人は「外国人」に見える感覚だったという事でしょうね。

「国民」としてのアイデンティティは何らかの「外国との交流」(侵略なども含む)があって初めて成立する。おそらく「蒙古襲来」の頃にはそれなりの「日本人」という意識は生まれたのでしょうが、日本がみずからを「国民国家」として組織するのは明治時代からです。そして、その精神的支柱として利用されたのが「天皇」という宗教的権威ももつ貴族の親玉であった、という事なのでしょう。

「大和魂」「武士道」という、硬派な精神主義は実は明治も中期以後になって生まれたものです。少なくとも江戸庶民もそんな感覚は無かったし、江戸時代の武士さえもサラリーマンでしかない。硬派な「日本精神」の歴史はたった100年程度なのでしょう。だんとんさんのおっしゃるとおりだと思います。

●伊賀蔵さん
すいません。下の私のカキコはかなり省略しました。あなたのおっしゃるとおりです。江戸時代の「琉球国」は表向き「独立国」の体裁のままで中国に貢物などをおこなっており「清朝の臣下」のように振る舞っています。そして、これは薩摩藩が命じたものでした。表向きの「独立」と裏での軍事支配、というのは昭和に入って「満州国」やビルマにたいしても行っていますが、これは薩摩藩のやり方を意識して模倣したものか、偶然に一致したのか、わかりません。なお「民族とは何か?」を一般論で語ることはできない。これもおっしゃるとおりだと思います。日本の場合「神話で統一する」事は明らかに反動的であると思います。

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異見と民族が必要なわけ 投稿者:伊賀蔵  投稿日: 7月28日(土)23時19分00秒

まっぺんさんの日本民族とは?にほぼ同調するものですが、いくつかの点で異見を述べさせてください、400年前薩摩によって侵略され日本人になった、というのは間違いだと思います。薩摩は琉球を属国として、半独立状態にすることで密貿易や人頭税によって巨万の富を蓄えそれによって維新時の軍事力を養ったわけで、決して琉球人を日本人にしなかったし、薩摩人にもしていません。属国としての立場はほぼ、廃藩置県後も続き、戦前においてさえも、当時「日本人」にされていた、朝鮮半島の人同様の差別を本土で受けていました。
民族が言語や宗教に根ざしているかの理解は誤解の元です。確かに同じ言語・同じ宗教、似通った神話を持ちことは幻想を持ちやすいですが、近代におけるイスラエルの建国はただ宗教にだけ依拠し、神話も言語もまちまちのまま、強烈なナショナリズムと民族性を作り上げて見せました。現代社会でも、ユーゴスラビアが分解し、その過程で起こった「民族」紛争は2世代遡れば同じ家系であっても、別々の「民族」に分かれて戦っています。
民族とは宗教や神話を利用した、国民国家を統合・統治するための便利な概念なのではないでしょうか、世界水泳を見ていて、つい「日本」を応援したくなるような心理を利用した・・・。

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日本の暴走族少年達 投稿者:大和 士魂/鐡扇會  投稿日: 7月28日(土)23時00分40秒

葦原骸吉さん>  

>学歴社会の落ちこぼれのはずの暴走族がなぜ
>ポーズとしてであれ日の丸や特攻服を好み
>(大人への反抗の意匠なら赤旗や人民服の方が相応しいはずなのに)、
>本当はある意味でああいう人達とこそ共闘できなければならないのに、
>彼らに自分の思想を説いても到底伝わりそうにない、

暴走族と、学歴社会云々とは、関係ないと思う。
彼らは、ありあまる若いエネルギーを、何かの形にして、群れて、
それでいて情に喘いで、青春を過ごす、
それは、彼らにとって「外見」であって、「かっこいいから」
暴走族になっているにすぎない。
反社会行為が、楽しいからに過ぎない。
そして、暴走族にも歴史があり、愚連隊があり、任侠があり、右翼がいる。
暴走族で、本気で、「尊皇敬愛」とか思っているヤツは、ごく少ない。
そこには、思想はないのである。
仮に、暴走族の歴史が、シドービシャスであり、
特攻服に「Sex Pistols 」の文字が踊っていれば、
パンキッシュな狂ったバイク乗りが暴走族の王道となるまでだ・・・
共闘も、理解も難しい話になる。
そして、戦後の右翼はだらしなく、経済路線に走ってしまったがタメ、
問題趣旨としておいしいところを左翼に、たっぷり持っていかれた。
そうしただらしのない腐りきった戦後の右翼の先人達を
先輩として、後輩の若い不良が、崇めているのも、悲しい話だ。

http://www.tetsusenkai.net/official/yasukuni

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Re.日本民族とは? 投稿者:だんとん  投稿日: 7月28日(土)20時30分28秒

 日本民族という枠組みについて、思うことがありますので書かせて貰います。

 私は「日本民族」というものの形成は実は極めて遅く、明治以降の中央集権化の過程で作られたのではないか?と考えてます。
 
 例えば、江戸時代末の政治体制の「藩」というものに絞って考えても「外交」(独自の内部交渉権)「行政」「軍事」といった主だった力をもっており、方言に代表されるように細分化が極めて進んでいる内情を考えると、思うに日本人という意識より、「薩摩人」とか「長州人」「大坂人」などといった意識の方が強かったような気がしてならない訳です。 そもそも日本語というものも明治以降に本格的に整備された訳ですし。

 もっと言えば、日本に残る古い世界絵地図などには欧州方面の人の姿が「目が3つ、足4本」という怪物として描かれており、せいぜい幕藩体制下の中にいる人間が「人」である。と言った程度の認識しかなかったのではないだろうか? とも思ってしまうんです。

 いかがでしょうか?

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奇妙な一致? 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月28日(土)15時45分33秒

>また、自分は神とか王とか信奉する気にならんがそれらは必要では
>ないか、と書きましたが、これは例えば、若い頃の近代理性主義に
>食傷しすぎて、最晩年はただひたすら敬虔なロシア正教徒になって
>しまったドストエフスキーみたいな人を安易に嘲笑いたくもない、
>という意識があるからです

 ごみレスすいません。小生、若い頃からドストイエフスキーが好きでして(江川卓さんの
ご冥福をお祈りします)、今さっき妻にドストイエフスキーのことを話していました。

 ドストイエフスキーというと、「悪霊」でナロードニキの革命を批判したことで有名です
が、それは同時に「無神論」の殆《あやう》さを論じた小説であると思います。以前ここで
書いた、マルクスの人間観の究極――「人間にとっての根元は、しかし人間自身である。」
(『ヘーゲル法哲学批判序論』)ではその人間自身は多くは宗教によって認識されて来た
のではないのか? その宗教を「蛇皮」(『ヘーゲル法哲学批判序論』)というならば、そ
の血肉の一部である皮は干からびるとはいえ、やはり皮――血肉の一部ではないのか?――
が与える皮相的な宗教観の殆さを指摘したものであり、マルクス主義者は常に意識しなけれ
ばならない、と思います。

 宗教的問題から離れますと、ソ連は国是的にドストイエフスキーを批判しました――
『ゴーリキー、ゴーゴリーおよびドストエフスキー』(大月書店国民文庫=702参照)
――が、国家としてこんなものを出版するのは非常におぞましいことだ、という話もし
ました。

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こないだの 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 7月28日(土)14時43分20秒

 高校生の環境イベントに敵対した土建屋と,

 >>週刊誌の女性記者

 を公開した方,座布団2枚進呈!(糞尿撒きものだよね,こいつら)

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報道被害から救済を 投稿者:アイランダー  投稿日: 7月28日(土)13時12分22秒

    暴行事件被害者 弁護士会に申し立て

 北谷町美浜で起きた米兵暴行事件の被害者が、一部週刊誌の報道や取材攻勢によってプライバシーを侵害されているなどとして26日、沖縄弁護士会の人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行った。
 同委員会は同日夕、緊急の会合を開き、近日中に被害者本人と会って事情を聴いた上で調査に取り組むことを決めた。
 被害者は23日、知り合いを通して、強姦救援センター沖縄(REICO)に報道被害を訴える手紙を送っている。手紙によると、週刊誌の女性記者が偽名を使って職場に電話をかけ、「お金が目当てでしょう」「職場と思われる所に片っ端から電話をしてあなたを捜し当てた」などと発言したという。

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思想観 投稿者:右翼推進會  投稿日: 7月28日(土)13時01分24秒

今朝の文で感情的になり失礼な文面がありました。少し訂正させてください。「自称で威張らないで下さい」なんですが、思想は個々の自由であり、それを名乗るのも自由ですよね。申し訳有りませんでした。お返事を頂いた方(学がない私なので名前を書けませんでした。たいへん申し訳有りません。御勘弁ください。)あす、改めて返事を出させて下さい。

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まっぺんさん 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 7月28日(土)11時53分43秒

 そうそう。大体,「日本語」だって正調津軽弁と正調薩摩弁とじゃ,
会話になんないし(こないだ体験)。

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日本民族とは? 投稿者:まっぺん  投稿日: 7月28日(土)11時37分23秒

のんきちさんが他の掲示板で引用していたと思いますが、日本人を規定するものは「日本語」だけだという事だそうです。われわれ「日本人」の共通性って他にありますか?「民族として続いてきた歴史」というのもあるかもしれませんね。でも、その歴史は「統一されたもの」とは言えません。古代史には謎の部分がいっぱいあって、さまざまな部族の連合体であったともいわれるし、その政権の外にも独自の生活を営んでいた民族の存在が想定されています。「古事記・日本書紀」に文献的根拠が求められる皇国史観も、結局それらの部族の中で覇権を獲得した天皇一族を「正統」とするために8世紀に作られたものであるにすぎない。日本「民族」の歴史は実は他民族侵略・統合の歴史でもあったことを忘れるべきではないと思います。

したがって「日本民族」というとき、「血族」などはまったく論外といえるでしょう。原日本人は「北方系」と「南方系」とに分類できそうだというのが、血液型その他の身体的特徴でいわれますが、それは「日本民族」形成以前の事です。また、民族的交流は歴史上何度もあり、とくに古代〜中世の大陸先進国であった中国・朝鮮方面から、すすんだ文明とともに“外人”が多数流入し多くの文化・技術を日本に伝えています。その中には秀吉の朝鮮出兵によって連行されてきた陶工たちのような例もあります。北海道ではアイヌ人が自分たちの意志を無視して「旧土人法」により「日本民族」として統合されたのは100年ほど前のことです。

太平洋戦争末期について日本人と沖縄人との間の意識のズレをわれわれ日本人はもっと深く認識しておくべきではないかと思います。われわれの意識は沖縄人の意識とかなりずれているのではないでしょうか? 沖縄人は本土人が思っているほどわれわれ本土人と沖縄人を「お互いに同等な日本人」と思っていないのではないでしょうか? われわれ本土人がつい忘れがちなのは、沖縄人は古代史〜戦国時代までの歴史を共有していない事です。戦国末期・江戸初期、薩摩藩の侵略によってはじめて「琉球国」は日本に統合され、琉球人が「日本人」になってから、まだ400年くらいしかたっていない。太平洋戦争末期、米軍は沖縄に上陸し、「日本で唯一の本土戦」が戦われた。しかし、これは本土人の見方です。沖縄人からいわせれば、沖縄人の多くを犠牲にして、日本本土だけは米軍の地上戦にあわなくて済んだ、という事なのではないでしょうか? 「本土人(大和人)は沖縄人を犠牲にして自分たちはたすかったのだ」という見方をする沖縄人のことばをきいた事があります。

さて、それで結論です。「日本民族」という時、特にその言葉を好んで使う右翼の人たちは大抵それを「皇国史観」に基づいて語ろうとする。しかしそれは「日本民族」の一部をしか語っていないのだ、という事です。天皇一族の「征服の歴史」として民族を語るのは、征服された諸民族、また大陸から多くの文物とともにやってきた他民族の姿が視野にはいっていないと言えるのではないでしょうか? およそ2000年におよぶ長い日本人の歴史の中で大和朝廷が(おそらく連合政権として)権力を獲得したのは3〜4世紀。そして8世紀にはすでに天皇家は宗教上の「お飾り」として祭り上げられ、実権は貴族、そして武家政権へと移っていきました。天皇政権が事実上機能したのは明治〜昭和初期の王政復古をあわせても4〜500年程度のことです。

>趣味と主義
葦原骸吉さん、お悩みのようですね。(^◇^)しかたないですよ、それは。「共産趣味」というのは厳密な規定があるわけではなく、ひとによって解釈が違うんだもん。以前マルキョーBBSで「ここは純粋趣味者だけの場にするべきで、主義者とか主義者OBがきてはいけない」というような提起があって、賛否こもごも、結局それは却下されたようですね。

>goroさん。
あえて申しますが、過去のそれぞれの方の投稿を読めば、黒目さんが「おめえだよ!」というのには根拠があります。goroさんと尊皇さんの投稿は「内容のない罵倒」ばかりじゃありませんか。「内容付き」なら罵倒してもいいですが、「おめえも」のようなカキコはやめてくださいね。無意味です。

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↓あ、訂正です 投稿者:葦原骸吉  投稿日: 7月28日(土)11時30分09秒

× 自民大衆
○ 人民大衆

「自民党を支持してしまう大衆も多い」
という意味ではある意味で本質突いてるかも?

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ちょっと、良いですか? 投稿者:アイランダー  投稿日: 7月28日(土)11時28分04秒

葦原骸吉さん、こんにちは。
多くの方々と丁寧に気持ち、考え方を交換し合う姿勢にまずは敬意を表し
たいと思います。
そのような姿勢、態度は考え方の違いが必ずしも意見表明・交換に支障を
きたすものではない、という証明であり、好感を覚えます。

>天皇や一部軍国主義者が一切いなければ、ただそれだけで集団自決の強要や朝鮮人の虐殺がいっさい起きなかった、とは、ちょっと思えないのです。

この部分を見て、考える事がありますので書いてみます。(文章の一部切り取りについて、申し訳ないと思いますが、)
天皇が存在するという事で様様な主要因となっている(なってきた)事はあるんじゃないだろうか? 天皇制イデオロギーの下での差別・排外主義は、この国においては確たる意図を持ったものとして存在、貫徹してきたものと考えています。
その「内意識」の中には、天皇を抱く優位な民族としての日本・日本人がアジアに君臨していくという思想性が貫かれていたのだと思います。
その「民族」は、まつろわぬ存在を徹底的に殲滅し、アジアの「劣位」たる民族を虐殺する。それを痛苦に感じることなく、実践していく。そのようなものとして、あったんだろうと思うのです。
また、沖縄における「集団死」に関して、死から生還した方々の証言などに、「中国戦線」へ従軍していた看護婦などによってその模様が語られ、「皇軍でさえあのような非道を行う、まして鬼畜米英たる米兵に囚われたら、、」という思いが多くの者の中にあったという事です。
勿論、「生きて俘虜の辱めを受けず」というような戦陣訓に基づく意識が根底にあってのことでしょうが、、。
また、全く「犠牲者」が出なかった壕(ガマ)もあります。
戦前にハワイへの移民労働者として体験してきた方が居た壕では、「戦争とは兵士と兵士の闘いだ、一般住民を殺すことはしない」という言葉に従い、全員が投降して無事だった、という事もあります。
天皇制下における戦争観とそうでない戦争観によって、これだけの違いが出てくるのです。

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転向の契機 投稿者:葦原骸吉  投稿日: 7月28日(土)11時27分01秒

右翼推進會/大日本皇政會どの、残念ながらわたしは、どこの団体にも
所属してませんし、右翼として活動を行なったこともありません
敢えて云えばただの市井の一介の保守反動小僧です
わたしが唯一参加したことのある運動は、右翼・左翼・任侠者が一時的
に共闘した暴力団対策法反対運動だけです(デモと集会に出ただけですが)

ここでわたしが挙げたかった論点は
・自民大衆が無条件に正義で弱者とは思えない点もある
・天皇制にしてもほかの保守的なものにしても、存続していたのには
 支配階級による上からの押し付けだけでなく。理由があるはずだろう
 それは何なのか
といったことで、過去それらの犠牲になった人々を不当に貶める気は
毛頭ありません。

わたしもむかしは理念で、昔の天皇制とか軍国主義とかは無条件に
一律悪しか思ってませんでした。

なんで右翼に同情的な考えを持つようになったかは、これも以前に
AINに書きましたが、学歴社会の落ちこぼれのはずの暴走族が
なぜポーズとしてであれ日の丸や特攻服を好み(大人への反抗の
意匠なら赤旗や人民服の方が相応しいはずなのに)、本当はある意味
でああいう人達とこそ共闘できなければならないのに、彼らに自分の
思想を説いても到底伝わりそうにない、むしろこちらの方が苦労知らず
の理屈小僧にしかならない、という忸怩たる思いとか、また昔から
貧乏で無学な人間がなぜか左翼でなく右翼に身を投じてきた例も
あることを知るようになり,それは何故なのか? を考えるうちに
事の是非はさておき、劣位にある弱者こそが神とか王とかを求めて
しまう一面もまたあるのではないか、とか、また、これまで下に
書いてきたようなことを思い至るようになったわけです

また、自分は神とか王とか信奉する気にならんがそれらは必要では
ないか、と書きましたが、これは例えば、若い頃の近代理性主義に
食傷しすぎて、最晩年はただひたすら敬虔なロシア正教徒になって
しまったドストエフスキーみたいな人を安易に嘲笑いたくもない、
という意識があるからです

無論同意は希望いたしません
ただ、こういう視点、立場もあった、ということです。

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失礼しました 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 7月28日(土)11時11分36秒

 
 葦原骸吉さん,私の書き込み,内容はともかく言い方で手が完全に滑っております。
昨晩はちょっとトンデおりまして。

 本当に失礼しました。

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むむ 投稿者:noiz  投稿日: 7月28日(土)10時52分16秒

ぼくだって自分が強いとも思わないし欠陥だらけだと思うけど,だからこそ逆にそれを利用し尽くそうとする権力にはある線では抵抗したいなって思うだけなんだけど.

もちろんだから排除の論理に従う個々の人間の心性は批判されてしかるべきものだろうし,それは受け入れなければ何もはじまらない.と思ってます,自分も批判を受けるべき人間として.

天皇制でも王権でも権力でも何でもいいけど,構成的な権力の集合体というものは結局個々の弱さを搾取することで成り立っているのでは? だから久我山さんがどいつもこいつも一緒だよというのは,ぼくはには当たり前のように(というのが怖い部分もあるけど)響いてくる.

ちなみに北海道を本格的に植民するための前段階の「開拓」やったのは明治政変で敗者となった政治犯たちです.維新派-天皇主義派に負けた人たちが集治監にぶちこまれ,強制労働でバタバタ死んでった.屯田兵制なんてのはその累々たる屍の上に成立したもの.そのあとに資本が来た.

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おめえも 投稿者:goro  投稿日: 7月28日(土)06時34分05秒

おめえだよ! 投稿者:黒目  投稿日: 7月27日(金)07時35分27秒

議論が出来ない人は(藁

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同じ土俵にお立ちあそばされたことをうれしく存じます(w)。

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民族派 投稿者:右翼推進會/大日本皇政會  投稿日: 7月28日(土)05時56分04秒

様々な右翼が来てますが、どの投稿文を読んでも「本当に右翼なのか」と考えてしまいます。人道を語るなら礼儀を持ち、罵倒はやめていただきたい。真剣に議論し国を考える右翼に失礼ですし、ここに居られる左翼、趣味者の方々に失礼じゃないですか?私達の団体は、この場での意見を聞き、様々な議論をしたいと来ているのです。少数の罵倒で何もかもぶち壊しです。真剣に右翼を語るなら、それなりの議論をしましょうよ。自称で威張らないで下さい、看板上げて活動する団体に所属してみれば、ふざけるなの一言ですよ。

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盛りあがってますな!まっぺんさん! 投稿者:大和 士魂/鐡扇會  投稿日: 7月28日(土)02時52分57秒

すっかりレスのタイミングを逃した・・・

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たぶん俺みたいな奴が何百万人もいた。そこが日本人のダメさだ 投稿者:葦原骸吉 投稿日: 7月28日(土)02時13分06秒

そもそもわたしも全然四トロと関係なく、ただここに書き込んでいる自称右派の方々の態度がちょっとあまりに失礼かつ腰砕けじゃないか、と思って書き込み気になりだしたのですが、前々からの雑感を書いてるうちに明らかにここの趣旨と異なるであろうことばかりに行っててすみません。いい加減にしておかねばと思っております。

AIT久我山支部(準)の書いてらしたことは事実だと思います。
ただ、無論その点で彼らを弁護する気は毛頭ないのですが、天皇や一部軍国主義者が一切いなければ、ただそれだけで集団自決の強要や朝鮮人の虐殺がいっさい起きなかった、とは、ちょっと思えないのです。
わたし自身、別段そういうやたら高みにある人間から命令されなくても、その場の同調圧力に逆らえず、やってしまう、ということはあり得るのではないか、(自分が虐殺の被害者側になるのも当然嫌だが)、それも凄く恐い、それはわたしだけではないのではないか(「私は貝になりたい」の中で、上官の命令に逆らえず捕虜を殺害したフランキー堺とか、ああいう感じです。本土から何万Kmも離れてんだから、本当にいやなら脱走でもすりゃいいのに、なんでそれをやる気になれなかったのか。それはその個々の兵士の中に宿ってしまった天皇制とかの問題だと思うのです)、わたしや、恐らく戦中にも多くいたであろう普通の人達が、なぜそういう行動を取ってしまうのか、そういうことを考えているわけです。

――もっとも、そういうふうにわたしが支配階級・権力者自体よりを批判するより、下々の民草の方にも責任がないか、ということを考えてしまうのは、わたしが日常において、支配階級を批判している自分は絶対に正しい、と胸張っては言えない、親にも職場の上司にも世間体にもそうそう果敢であれない、という情けない存在であることを反映してるとも思っていますが。

るいさんの
>ただそれは私の感情、考えであって「皆でそう思おう」という圧力があったらやっぱり反対します。
これは同感です。世の9割が天皇万歳になれば天皇は嫌だし、世の9割がスターリン万歳になったらスターリンは嫌いになります。
ちなみにわたしが太宰の件の言葉を知ったのは新潮文庫の『斜陽』の解説(確か柄谷行人だったと思う)ですが、同時に太宰はいろいろ言ってて、アナキズムの復権も述べてたらしい。
つまり、神も王もなくてもやってゆく法を持て、ということと、何か見上げるもの愛情の対象を失うな、という、矛盾したことを同時に言ってるわけです。で、わたしは両面ともあるのが正しいと思って、この太宰の発言はちょっと好きなわけです。

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これは 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 7月28日(土)01時46分02秒

 『民族派』を自称する全ての人(強烈な卑怯者も含めて)
お薦めしたいですね。

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無念なトンネル 投稿者:AIT久我ー山支部(準)  投稿日: 7月28日(土)01時43分14秒

>>これはわたしも詳しく知らんですが、あったと思います

 クドイようだけどさ。北海道だったら,日高。朝鮮人や『和人』も含めた
『人間』の扱われ方を知りたければ,道内の古めのトンネルだとか峠越え道路
のほぼ全てに,怨念が満ちあふれているぜ。

 日の暮れた見通しの悪い夕方にでも歩いてみたら?

 無念だ,無念だ,という合唱曲が充満しているぜ,そこには。

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(無題) 投稿者:るい  投稿日: 7月28日(土)01時40分58秒

えーと、どちらにどちらを書いたらいいのでしょうか?→掲示板分割。
それから私は同窓生ではないんですが、よろしいんでしょうか?

葦原骸吉さんへ。
丁寧なご回答ありがとうございました。
なるほどと思いましたが、百歩譲って「恋慕う対象なくば倫理は宙に舞う」のが正しいと仮定しても、私は恋慕う対象に天皇や宗教をもってくるのはいかがなものかと思います。
実体験ではないものの、恋慕う天皇のために特攻隊という理不尽な死に方をさせられた若い人たちがいたという事実は、倫理を昂揚させるためという名目だけではとても納得できるものではないです。
また宗教にしても、「聖戦」という名の下に今現在も数え切れないほどの死者が出ており、不毛な戦いは終わる様相を見せていません。

人間は弱いですから何か「恋い慕う対象」を以て自分の規律とするということに何ら異議はありませんが、王なり神なりをどんと持ってきて、全員でこれを恋い慕う対象にしようとする考え方はやっぱり危険なものを感じます。
恋い慕う対象なんて個人個人でバラバラでいいんじゃないかと思うんですが。
その結果が今の日本の若者だというなら、それこそ比較考量してこっちの方がマシです、私には。

個人的には信者ではありませんが面白いと思っている宗教もありますし、今となっては天皇の一人や二人いてもいいかなあと思ってます。あんまりお金(税金)を使って欲しくはないですが。
ただそれは私の感情、考えであって「皆でそう思おう」という圧力があったらやっぱり反対します。

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主義ではなく趣味、は潔いのか? 投稿者:葦原骸吉  投稿日: 7月28日(土)01時36分07秒

人権侵害軍の不買君とは2年ほど前に会ったことがあるが、その時彼は「マル共連界隈とか、自分らはあくまで「趣味」として、遊びでやってんのに、本物の元活動家とかが、こんなところに今でも若い世代で自分らに興味を持ってる人間がこんなにいるのか、とか、善意の勘違いをしてやってきて大真面目な思想論議をはじめるのは無粋で困ったもんだ」とかなんとか、そういう趣旨のことを語っていました

その時、彼がそういうのをうざがる気持ちもわからんではないが、建前としてであれ左翼ポーズを使っているのにその態度は冷たくないかい? と感じた記憶があります

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だからさぁ 投稿者:AIT久我ー山支部(準)  投稿日: 7月28日(土)01時33分01秒

 あんまり。アタマで考えんなよ。ぶっ殺されたヤツの,親でも妹でも。
誰でもいいよ。案外,アンタの親戚にでもいるんじゃない?
話聞けって。殺されたヤツ。殺したヤツの。
 要は。理屈で考えンなよ。
殴れたら痛いだろ?マシな痛みもクソもあるかい?

 『痛み』を求めるヤツなんて,歴史上,痛んだことないヤツばっかり
だって。タケナカもコイズミもそうだろ?

 てめぇのほっぺた,抓ってみな?痛いだろ?

 痛い,って感じることが,マトモな『ヒト』なんだと思うよ,オイラ。

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誰が私を『殺す』のか 投稿者:AIT久我ー山支部(準)  投稿日: 7月28日(土)01時26分04秒

>>それだけでない、もっと日本の民衆の気質体質みたいなものではないかと考えてい
>>ます

 そんな「ニッポン人」なる分類は,ことごとく粉砕したいよね。奥崎と一緒に
(笑)。オレは,沖縄の民間人みたいに,『死』を主体強制されたら,まずもって,
そーゆーことやる『天皇』をぶっころそうとするぜ。

 冗談じゃねぇって。そんなものに殺されたらたまんないぜ。ぞれより何より,
あんた,殺された者達と,少なくとも向かい合って,今の結論出したのかい?
 サイパンに遊びに行ったら,バンザイクリフに行ってみ?沖縄でもいぞ。
いや,所沢でも立川でもいいけど。

 口が裂けても,ナチより皇軍がマシ,なんて言えねぇぞ。
天皇も,皇軍も,ナチも,イタリアファシストも,スペインファシストも。
みんな同じさ。奴らには,死を!だけさ。

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それを求めてしまう日本人ってなんなんだ? 投稿者:葦原骸吉  投稿日: 7月28日(土)00時59分19秒

>アイヌの異常なまでの急激な人口減少が何によってもたらされたかを調べ
>るとき,「民族浄化」が(過去に)なかったかとかそういうことは,ぼく
>は口が裂けても言わない.

これはわたしも詳しく知らんですが、あったと思います

>関東大震災.人災としてのアレは何?

>あるいは沖縄戦における「死の強制」

この二点は確かに問題視したいです
わたしはこれは日本的な世間とか同調圧力の問題と凄く関係あると思ってます
確かにこれと、責任を曖昧化させるシステムとしての天皇制ってのはどこか関係あるでしょう
ただ、上から押しつけられた要素も当然あるでしょうが、それだけでない、もっと日本の民衆の気質体質みたいなものではないかと考えていますそれは頂点にいるものを取り替えても変わらないのではないか、とも思います。

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