四トロ同窓会二次会 2001年8月30日〜31日

まじめな議論・主張・あそび・ぐち・何でも!自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」に掲載される場合もあります。
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煽り騙り 投稿者:noiz  投稿日: 8月31日(金)22時23分43秒

をやる人間はぼくは一切信用しません.
当然9.2については考えられうる一切のことを念頭に置いて行くつもりです.
言うことはそれだけっす.

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欣ではなく、欽でした 投稿者:菊  投稿日: 8月31日(金)21時24分17秒

臨夏さん、失礼。樫山先生は欣四郎ではなく、欽四郎だと思います。間違っているかもしれないのですが。

この掲示板では新参者ですが、「同窓生」としては、まっぺんさんとほぼ同じ年月の活動経験があります。しかも5年ほど専従もやっていましたので、それだけ「罪深い」わけです。

文革って、文化大革命ですか? 文革時代なら、僕なんか「文弱の徒の端くれ」なので、出身階層もあまり良くないし、「黒五類」で打倒対象ですね、きっと。「黒(紅)五類」でいいのでしたか?

おかしな話しですよね、出身階層で運命が決まるなどというのは。トロツキーは革命のテルミドール期には「俗物」と「エピゴーネン」が社会の中心にのし上がると、書いていたように記憶します。文革には複雑な要素があるのでしょうが、そういった面もあるでしょうね。そうそう、省無連。思い出してきました、だんだん。長い間獄中にいてアメリカに追放された、確か私と同い年の活動家、なんと言いましたか。忘れてしまいました。

黎さんへ
仕事中なんですね。組合をやっているとか、いわきですか?お疲れさまです。私も仕事がちょっと一息ついたので、ボランティアでやっているパソコンのアドバイスに全盲の方の所に行って来たところです。

黎さんが求めたような対話は、当時は成立しなかったと思います。それは不可能です。もちろん、対話を求めた仲間はいたでしょう。しかし、組織は企業ほどではありませんが、闘争のスケジュールに従って一定の結論にメンバーを合意させ、動かさなくてはならないわけです。そこでその合意に向かう流れを妨げるような意見は、基本的に排除、もしくは封圧されます。私はオカシイと思う面もありながら、その合意をどう取り付けるのかに腐心していましたから、よくわかります。

提案者自身が主体的にどうだったかを問題にするというやり方は、黎さんの提起を「ごまかし、封じ込める」(どれだけ意識的だったかは別にして)ためだったと思います。しかしそれは学生及び学生出身者に固有とはいえないのではないでしょうか。その学生メンバーは、組織の意向と流れをその局面では忠実によく身を挺して黎さんに対応したのだろうと思います。

学生出身者でも、人生はいろいろです。
私の後輩メンバーで、大学中退後全金田中機械に入り、田中機械の最後を看取るといって活動しながら、今も働いている男がいます(田中機械の政治的評価はさておくとして)。一方でほぼ同年代の同じ大学のメンバーは、民主党で国会議員になって「詐欺」罪で実刑判決を受けた男の同志で、参謀役でした(実刑判決を受けた元議員−名前を忘れた−も、学生時代シンパでした)。そう考えてみると、学生及び学生出身かどうかというよりも、個人個人の性格や考え方、「志」の持ち方によるのではないでしょうか。

ただ観念的に考えている人の方が運動の現場から抜けやすい、ということはいえるとは思います。しかし、それも一様ではない。この間、突然この場に登場した電人M氏などはそれこそ、「観念の固まり」みたいな人です。だけど、彼は昔も今も変わっていない。変わっていないからこそ、同じような登場のし方をして、みんなの「不信」を買う。学生時代、三里塚をやりたいといって来た時もそうでした。みんなが「あいつ、公安のスパイじゃない?」といっていたと、この間友人の同窓生がここでの騒ぎを見て、教えてくれました。笑ってしまいましたが、それでも彼はその時も今も、一生懸命「社会的な運動」をやろうとしているわけです。
そういった志こそ、誤解されるにせよ、大切にされるべきないかと思うのです。そういう気持ちを持った人たちが(昔とは違って)対話しながら、「一人一人の違いを認めた上での連帯(つながり)」を求めていくのが今なのではないでしょうか。

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「友の会」について 投稿者:いずみ  投稿日: 8月31日(金)21時05分59秒

 9・2に関することはコメントしません。

 「友の会」についてですが、別に「ここで妥結すること」には何の不満もありません。情勢としてはここでの妥結が妥当ですし、何よりも平野さんが「それでよし」としているのだから。

 この状況について、討議もなしに一方的に「勝利だ」と言われても少々鼻白むな、というのと、あと本当に平野さんがこれで喜んでるのか、少しだけ疑問だったからです。(すみませんが、後者の根拠については書けませんので、後者は「ただの当て推量」として受け取ってください)

 「勝ったときになんか総括不要。だって革命運動でも政治運動でもないんだから。」というのは全く理屈にもなっていないと考えます。
 ただ、「友の会は解散。総括は勝手にやれ。」という突然の平野さんの宣言は、ここでこうしていずみが意見表明をするチャンスを、平野さんが与えてくれたものとして感謝しています。

 もっとも、今さらいずみにそういわれたところで、それこそ鼻白むのは平野さんでしょうけど。。。

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焚火派グッズ販売中! 投稿者:ジェイムズ@焚火派東北地方委(準)  投稿日:8月31日(金)20時22分36秒

こちらには、ほぼ一年ぶりでカキコします。
これからも、宜しくお願いします。

というわけで、まっぺん@焚火派地下戦線同志も、9・2で「きりりっ!」
と締めるハチマキとてぬぐいを紹介させて下さい。

この夏の「焚火派ねぶた集会」で、同志友人の皆さんより好評を得た焚火
派グッズの販売をしております。

まず、焚火派はちまき。
表は、「焚火派」(焚火板のロゴ使用)、裏は、どこの現場でも使用でき
るように「団結」とプリントされてます。赤地、白抜き文字。

次に、焚火派てぬぐい。
「全世界の共産趣味者!観察せよ!!」
「連帯を求めて、孤立を恐れず・・・」
「一人一派でもがんばるぞ!」
「焚火派」(ロゴ使用)
と、印刷されてます。やはり、赤地、白抜き文字。
四つに折ると、それぞれの文言のはちまき、腕章として使えるすぐれもの!!!

これを、セットで、1500円で販売してます。(送料別)。
3セット以上ご注文の方は、送料サービス!
正直、儲けはほとんどありません(泣き)

購入希望の方は、私までメール下さい。
よろしく、お願いします。早い者勝ち!(笑)

なお、9・2の会場でも、とあるブースにお邪魔して販売予定です。
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Re:フリマ(*^^*) 投稿者:まっぺん  投稿日: 8月31日(金)19時30分54秒

平野さん、そうですか。「会場責任者」にそう言っていただけると心強いです。
私たちは宮崎さんに批判的であっても、すべての参加者は、この集会を
「情報・表現・言論」の自由を守るために重要な集会と考えています。
ですから「破壊」を考えているひとなどひとりもありませんから、それは信用してください。

フリマへのお誘いありがとうございます。
ほんとは「Tシャツ売りたいなぁ」とも思いますが、今回はまっぺんは
「焚火派の一兵卒」として参加します。最近「焚火派」ハチマキも入手したので
これを「きりりっ!」と締めて参りたいと思います。むしろ「売る」なら
今回は「公安調査庁スパイ工作集」の販売をお手伝いしたいと思います。

いずれロフトプラスワンにお邪魔する際には「もぐら党販売物」でお世話になりますので
よろしくおねがいします。\(^o^)/

「小倉あやまれ友の会」ですが、わたしはヤジウマ的に参加させていただいて楽しかったですよ。(^^)
小倉氏に侮辱された直接の被害者はニューロティカのひとたちと平野さんなのですから、
平野さんが「ここまで譲歩をかちとったんだから、いいや」と思うなら、それでいいと思います。
いずみさんはあんなに一生懸命、それこそ平野おじさんと共にやってきたので不満なのでしょう。
彼女の不満に対しては理解してあげてください。

ロフトプラスワンはあらゆる人に許された貴重な「自由空間」です。
これからもよろしくおねがいします。

※焚火派掲示板はLPGさんが書いていますが再掲しておきます。
ここ↓です。あちらにも顔を出してやってください。\(^o^)

http://www66.tcup.com/6631/takibiha.html

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とりあえず・・・・ 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月31日(金)19時08分22秒

 ノーコメントで焚火派のBBSへのリンクを。

http://www66.tcup.com/6631/takibiha.html

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まっぺんさん それはないです。 投稿者:平野 悠  投稿日: 8月31日(金)19時04分06秒

基本的に9/2の「会場責任」は私です。

当然実行委員会の中にも「そう言うエネルギーは大事にしたい」という意見は結構あります。

だからヤジを暴力で一切封じると言う事は絶対ありませんし突破党の用心棒班を使って実力行動をすることはありません。

会場内で暴力事件の暴発には全勢力を傾けますが「相互批判の自由」はありだと思います。

フリーマーケットはすでに30件の申し込みを越えています。
参加は早い者勝ちで、無原則的に受け入れています。(参加料は入場料のみ)
まっぺんさんも出してみたら?

そうか〜、焚き火派にも謝りに行かなければならないのですが、アドレスが見つかりません(汗)

それから「友の会」と「フジ」の密約は一切ありません。これは同席した小林会長にでもお聞き下さってもいいです。
でも、プロジューサーごときや小倉が「非を認める」よりも、フジ本体が認めた事の方が私は価値があると思っています。

だから「勝利宣言」を出したのです。これは私にとっても凄いことだと思っています。

>LPG さん
小心者でもちゃんと私の居場所ははっきりしています。
にもかかわらず、すいませんでした。

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平野さん、いらっしゃいませ。 投稿者:まっぺん  投稿日: 8月31日(金)16時57分09秒

焚火派掲示板に登場したkkasiさんは、平野さんでしたか〜 (^^)

>「個別に向かって同時に撃つ」

いやー、それだと分散してしまい、敵に各個撃破されてしまいます。
「別個にすすんでともに撃つ」のがよろしいでしょう。

ところで、宮崎氏が「ウデにおぼえ」の連中を集めて
自分を批判しようとする人々を排除しようとしているそうですが、
宮崎氏にたいして批判的であっても「個人情報保護法」に反対するひとびとが
参加するのは問題ないと、会議で決定したのじゃありませんか?

暴力ずくで反対派の言論を封じ込めてしまおうと宮崎グループは考えているようです。
私たちを中に入れない、というつもりなんでしょうか?
これって重大な「言論統制」じゃありませんか?

「9・2集会」主催者のひとりでもある平野さんは、
この件についてどうお考えですか?
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小心者KKASI へ  投稿者:LPG  投稿日: 8月31日(金)15時12分16秒

上辺だけの自己批判ですか、それとも追求のがれの言い訳ですか。
だいたい板が違うだろーよ。 弁解は焚火板でおこなえよ!

http://www66.tcup.com/6631/takibiha.html

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平野さん、 投稿者:匿名  投稿日: 8月31日(金)13時57分53秒

匿名で書き込みたいならプロクシぐらい覚えてくださいね。

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反省しています。ーあのタイトルはないよな〜 投稿者:KKASI  投稿日: 8月31日(金)13時41分22秒

最近「匿名」で書き込む(自分としては無責任ーほとんどはじめて)快感を覚え
つまらないことを書いて、ここに集まる皆さんの「逆鱗」を買ってしまい、
「反省」しています。もう絶対「恥の上塗り」はしません。

でも・・・どうして解ってしまうんだろ〜って、、。芸風かな?
やりなれないことをするのではなかったと反省。

たまには「匿名」で挑発してみたかったのも確かです。
すいません。ネットには初心者なもので。

でも、ここに集まる皆さんを私は基本的に支持しています。これは信用してください。
これからの協力をも惜しまないつもりです(そんなのいらないか?)

そして、この30年間延々と続いてきた「内ゲバー味方の中に敵を作る」事しか
やってこなかった、左翼諸党派に苛立っていました。
ここはそれを乗り越える人たちの集まり?と理解していました。
それは過去の日本の左翼運動の歴史を見ても明らかだと思います。

「個別に向かって同時に撃つ」が原則だと思います。

確かに9/2集会は宮崎は入っています。パネラーとして、そして宮崎がいなかったら
この集会は成立していなかった事も確かだと思います。
(これも宮崎が公安に情報を売るための工作だと言いたいわけでしょうか?)

6年も前の宮崎がトップ屋だった頃の公安接触事件(これをスパイと言う)を
持ち出して、集会を破滅させるのにはどうも賛成できません。
(そんな人はいないと信じます)

まっぺんさん、あまりにも無責任な書き込み、
ここに過去の私の書き込みは全面撤回します。すいません、
出来ましたら削除してください。

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今、仕事が暇です 投稿者:黎  投稿日: 8月31日(金)13時13分02秒

仕事が空いてしまったのでこの時間に書き込みをします。
私の書き込みにレスをしていただいてありがとうございます。

学生と労働者の違いは、
革命家として自己規定するのか、只の活動家としてしか考えていなかったのかの違いも
一面的には有ったと思います。
革命家として自己規定して、革命家ならこうするという行動規範に縛ら
れ、
はたから見ても無理がある活動スタイルだった人が、
学生活動家や学生出身活動家に多かったように思います。
対話ができてればという指摘は確かにそうですが、
たとえば、組織に対する膿を切開しようと問題提起すると、
膿に至る過程で提起者自身がどう動いたかの個人の問題にすりかえる体質が有り、
私は、何度かこのような体質の学生活動家に切れて、大立ち回りをしたことがあります。
対話をしようとしてそれが成立したかどうかは疑問です。

また、私は切れましたが、
女性活動家にはもっと無遠慮にこの体質が強要され、
誠実に自己を切開しようとして沈黙する姿を何度も見てきました。
これ自身差別的とも言えますが、女性差別問題へ至る温床のひとつと言えると思います。

みなさん家庭環境を書き込んでいるので私も少し・・・・。
一言で言えば貧乏人です。
地域は、石炭産業の斜陽の中でみんな貧乏でした。
地域は、創価学会・天理教・立正校正会・成長の家などの新興宗教と
共産党の草刈場でした。(共産党の支持者は充分に信仰的です)
みんな貧困と病苦(多くは大黒柱の塵肺などの職業病です)からの救済を求めていました。
時々、自分は今どこに居るんだろうと振り返る事があります。
自分はあの時のあの人達の息子で今でもいるだろうかと。

あ、仕事が入りました。
何か中途半端ですけどこの辺で。

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菊さま、はじめまして!(^^) 投稿者:臨夏  投稿日: 8月31日(金)11時50分40秒

どうも、こんにちは、わたしもつい4日前にここに来た新参者です。

フォイエルバッハは、研究というほどのものやないです(^^;
師匠についていこうとしてるだけで。
一応、専門は、歴史、東洋近現代史です。
いまは文革を勉強しようか、と思てます。

樫山欣四郎先生なら、このかたの訳の『精神現象学』もってますよ。
『フォイエルバッハ論』は、エンゲルスの、いまや悪名たかき(フォイエ
ルバッハをまっったくわかってない)論文です。
「フォイエルバッハテーゼ」は、大変おもしろいものですが、マルクスの
一種のメモ書きで、マルクス死後、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』
のなかで発表したものです。

>研究、お励み下さい。

ありがとうございます(^^)
ここは、優しいかたが多いですね@@)

菊さんも、がんばってくださいませ!

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時差を超えて 投稿者:菊  投稿日: 8月31日(金)09時51分26秒

臨夏さん、初めまして。私は朝型人間なので、時差を超えてほとんど直接対話できますね。2週間ほど前から書き込んでいる「新参者」です。

フォイエルバッハを研究されているとか。きっとおもしろいでしょうね。昔、樫山欣四郎先生(樫山文枝のお父さん)というヘーゲル研究者がいらして、そのまな弟子ふたりがマルクスとヘーゲル学徒になって、マルクス学徒は代々木だったために、いつも●■派にネクタイを引っ張られて、いじめられている光景を思い出しました。「フォイエルバッハ・テーゼ」「フォイエルバッハ論」?? 情けないのですが、マルクスの論文の名前も正確に思い出せない。

私はろくに勉強もせず、大学も中退ですが、最近、丸山真男の弟子だった70代後半の政治学者を囲んで、10人ばかりの「読書会」をやっています。これが大変におもしろい。哲学もきっと、今頃学び直したら面白いだろうと思います。

まっぺんさんも臨夏さんも、「ええとこ」「中流の上」の出身とか。私は「中農・自作農」の出です。中国共産党の分類でも「黒五類」には入らない。「紅五類」でもないけれど。
長男だったので百姓の跡取りがイヤで、東京に出てきた。オヤジは無口で典型的な百姓だけど、息子の私を「むずかしい」ことばかりいっているし、何回もパクラれたりしたので、人には言えないことばかりだと気に病んでいました。

中野重治の小説「村の家」に、釈放された主人公に向かって、自作農小地主の父親が「小塚原で、骨になって帰ってくると思っていた」となじるシーンがありますが、そんな気骨のある親ではない。小心者で、心配ばかりしている。しかし最近は、自分も「小心者だ」と、つくづく思うようになっています。その分、親にも優しくなりました。これも年月でしょうか。

研究、お励み下さい。

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ごあいさつ 投稿者:臨夏  投稿日: 8月31日(金)08時34分34秒

まっぺんさま>
>臨夏さん\(^o^) そうですか。今はフォイエルバッハ主義者(主義って言うんだろうか?)ですか。がんばってください。

これはどうも、激励ありがとうございます〜!
左翼は、わたしの感覚では、「非寛容」な人が多く、同一陣営でもないかたからこのような暖かいことばをかけられたのは初めてです(^^

一方、「大衆」たちは、無関心で、無視するばかりですしね。
というか、しょっちゅう、左翼というだけで、敵視されます。
とりわけ、革命的暴力論なんか、全く通じません。かれらは、口先、純粋な「非暴力」主義者です。

わたしは、暴力については、「社会の中心の権力=暴力を、無視するスタンスで、周辺で自治連帯をすすめていくことで、自然消滅させていくことができる、しかし、権力、資本は絶対ちょっかいだしてくるから、自衛のためにこちらも暴力は必要、先制攻撃も必要、軍も必要、」と考えています。穏健でしょ?(笑)。いつでもガンジー流が通用すればええですけどね。
アハハ、愚痴です。

しかし、フォイエルバッハ主義者、というのかどうかは、わたし自身、はっきりしてません(笑)、英語でいえば、_ist なんでしょうけどね。

>ところでちょっと第四インターについて勘違いなさっているんじゃないかと思われす。

わざわざ御教示ありがとうございます。
日本支部の「崩壊」の具合や、世界的な健在ぶりはよくわかっていませんでしたが、
大体、予想とは違ってなかったかな、と思います。

>黎さん。私はたぶん一番、黎さんに嫌われる種類の活動家だったかもしれません。
(↑まっぺんさま発言)

わたしもそっくりもぐらです(笑)
「ええしのぼん」で、リクツ、天下国家論から入り、親戚中、左翼はわたしだけです。
しかも、実践や交流せずに、理論ばかりしてたから、まだそういうとこから抜け切れてないような。。(^^

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ありがとうございました。 投稿者:菊  投稿日: 8月31日(金)07時19分21秒

まっぺんさん、ありがとうございました。今度は開きます。オカシイですね。
村岡氏のお話、「昔」とありますが、この10年以内ですか?それとも、20年以上前?自殺した仲間を軽蔑している話は知りませんでしたが、「人の弱さ」を認めないのですね。それは彼の話し方や態度にも表れています。どこまでも「とことん」「とことん」という感じ。

成田2045さん、
地域的な違いは大きいような気がします。労働者組織がしっかりあって、そこに学生がいるところと。そうでないところと。
80年代初頭の東京のように、「労働運動」「市民運動」「地域運動」が分立していたところでは、分立状況の上で、労働運動が最上位に置かれていたし、労働者のヘゲモニー(何のこっちゃですが)が強調されていました。各派が転換したのは、労働運動の遅れが明らかになり、後者にとけ込んだ、80年代後半以降のように思えます。

黎さん、補足です。
「眼前で直面する地域の問題」と「天下国家」の問題が活動家タイプの違いで属人的にしか表現されずに並列のままという状況を、議論しあい感覚の違いを認めつつ、共通認識を持っていくという組織機能が存在しなかったことが問題だと思います。
本来、組織というのは表面的には対立的に見える問題を「止揚」していく役割があると思うし、指導部というのがあるとすれば、その議論でイニシアティブを発揮する必要があると思う。しかし私も含めて、それをできた人はいなかったのです。今から考えれば、無念です。

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あの時代の左翼はガンジーが嫌いだった? 投稿者:アラブ復興車界党  投稿日:8月30日(木)22時34分57秒

「カタロニア賛歌」のG.オーウェルも1943年に書いた「スペイン戦争を回顧して」でガンジーをフランスのペタン(対独協力内閣の首班)と同列に扱って批判しています。 経済組織の変革より「回心」の重要性を説く輩として法王からヨガ行者にいたる「回心」論者に毒づいたあとの文脈ですから、彼のガンジー批判もその点から発しているのでしょう。(ハヤカワ文庫の「カタロニア賛歌」にこの小文は納められています。)
 おまけ・・・太田竜氏も栗原登一名で三一書房から出した「世界革命」でガンジーの非暴力主義は人民の実力闘争に冷や水を浴びせるものという趣旨でガンジー批判をしていました。

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お疲れさまでした>いずみちゃん 投稿者:デビットカード  投稿日: 8月30日(木)21時20分35秒

お察し申し上げますヽ(´)ノ
2ちゃんねるのごたごたといい、ちょっとネット世論全体が妙な状況になっているのは事実のようですね。
なんか弱気になっているというかなんというか・・・。
9/2には参加させていただきます。某社長もコミで(笑)

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Re:というか、単純なハナシとして 投稿者:いずみ  投稿日: 8月30日(木)19時23分36秒

>あれ?「友の会」掲示板にどなたかが書かれていたけど、あの「覚書」でフジが言っているのは「中傷と受け取られたのは残念だ」ってことだけでしょ?いったい誰が謝っているの?

 平野さんは「あれは謝罪だ」と言っているので、そうなのでしょう。うーむ(笑)

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え?開きますよ 投稿者:まっぺん  投稿日: 8月30日(木)19時14分49秒

おかしいなぁ。とりあえず2年前に村岡氏についてのまっぺんの発言を部
分的にコピペしてみます。(^^)
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組織できない人の「組織論」 投稿者:まっぺん  投稿日:11月19日(金)16時32分19秒

以下はむかし私が村岡氏と直接会って、氏より拝聴した「レーニン主義党組織論」についてのありがたいおことばです。

(1)レーニンによれば、革命の主体は「党」である。労働者はそのままの状態では階級意識をもたないが、その外部の独立した存在である「党」が労働者に階級意識を教育・宣伝することによって階級意識を持つようになる。
(2)その「党」とはなにか?「党」を形成する三つの契機がある。それは「綱領」「組織」「大衆運動」である。しかし、そのようにみっつを並置しただけでは「党」を語ったことにはならない。「党」の本体は「綱領」なのである。綱領こそが党の本体である。

簡単にいえば、以上のようなものです。これが村岡氏の「レーニン主義党組織論」だそうです。(1)は別名「外部注入論」とか言って、むかしブントが主張した「学生先駆性論」の同類でしょ?「党」と「大衆」とを比較して「党」を前面に打ち出す時にはいつも使われる理論です。そして、こういう一面的な理解をもとに「第四インターは党と大衆を同列においている。これは大衆迎合主義だぁ」と主張するわけです。
このような図式的な理解の仕方で「党」がわかったつもりになっているところに村岡氏のスターリン主義的体質を感じてしまいます。

たしかに「なにをなすべきか」を読めばそのように理解できるでしょう。しかし、「党」について理解するには帝政ロシアの非合法時代から政権奪取後の時代にいたるまでの様々な局面から「党」というものを理解していくべきじゃないでしょうか?
私の理解では「党」とは時代と状況によって自在に変化しうる要素を持っています。その“核心部分”には原則性が必要ですが、全体として見た場合、もっと情勢によって柔軟な対応をするべきものとして位置づけるべきでしょう。村岡氏が語っているのは非合法時代の極めて危険な情勢のなかでつくられていた秘密組織としてのボリシェビキの一面性しか見ていません。非合法と合法とは状況に応じて自在に使い分ける必要があります。

現実の第四インターの運動で見てみると、各国支部は時代により地域によって様々な形態による運動を展開しています。戦後まず取り組んだのが「加入戦術」でしたが、とくにパブロの提起した大胆な方針によって1950年頃には全世界で全面的な加入戦術を採用しています。次に1968年に始まった世界的な青年の急進化の波のなかでは第四インターは大きく成長しましたが、当時は各国支部のまわりに同心円的に勢力を拡大してゆく方針が一般的だったと思います。ところが80年代中頃からは他の左翼組織と合同して新しい党派を形成するような戦術もおこなわれています。他の組織との合同についていえば、今や各国支部のレベルだけでなくインターナショナル全体についても、そのような提起がされていて、事実としてトロツキスト以外の組織の世界大会への参加も増えてきています。村岡氏の硬直した頭脳からはこういう方針は単に「解党主義」にしか見えないでしょうね。

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村岡氏が人を組織できない理由 投稿者:まっぺん  投稿日:11月19日(金)16時29分03秒

村岡到については、私は彼が組織を去っていった直後のころ(新聞「稲妻」の最初の何号か)までしか知りませんので、その後かれが改心して何か素晴らしい“思想的境地”に達したのかどうか、全然わかりません。そのあたりの解説はちゅんたさんにご教授願いたいと思います。
私が知っているのは、すでに述べているように、「静岡事件」と村岡流「組織論」だけです。しかし、実はもうひとつあります。

3・26をたたかった者たちにとって忘れられない大切な人物がいます。出獄後、彼は自殺しましたが、長い牢獄生活が彼の神経をむしばみ、精神を不安定にしたのは明らかです。権力の弾圧が彼を死に追いやったのです。それを悲しむ者たちを軽蔑する村岡氏の無神経さは、到底人民のこころを理解することなどできません。ということは、人を組織する素質がないのだ、ということなのです。これは「静岡事件」にも全く共通するものです。そういう人がどんなに“素晴らしい社会主義理論”を語ったところで、私には口先だけの空しいものに聞こえるでしょうね、きっと。

http://redmole.m78.com/1999/1999-11d.html

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「言葉や感覚が合わない、通じない」というか・・・ 投稿者:成田2045  投稿日: 8月30日(木)19時08分22秒

黎さんはじめまして。
そして菊さんへ。
私は学生当時、よく労働者の皆さんに「面倒を見てもらった」と思います。他聞にもれず黎さんの言うような学生だったと思いますが。でも、菊さんのいう限りにおいては、「旧日本支部が「労働者主義」だったとは、思っていません。だって、「かけはし」と「労働者の力」を読んでみると、当時はこれらを足したような内容が「世界革命」をかざっていたのですから(と思いますが)。

ただ、学生でなくなった活動家から「労働者になる」という言葉を聞いたとき、ナンカ違和感を感じましたが。その意味では、「労働者がえらい」という感覚だったのでしょうか。

あと、学生層の変化を考えてもいいのではと思っています。つまり、出身階級の変化として。加えて、教育の果たした役割みたいなものが。今の社会状況を考えると、大学を一定の単位を取得して免許を取れば「教師」になれる(今は、少子化でそれも大変)。そんな教師をつくる教育とは、と思います。以上は感覚的な感想ですが・・・

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あれ、おかしいですね 投稿者:菊  投稿日: 8月30日(木)17時58分42秒

まっぺんさん
過去のログを参照しようとしたのですが、ページが開きません。おかしいですね。村岡さんって、悪い人ではないんだけどね。。。。

黎さん
確かに人違いのようですね。それから「自省的でなかった」のは私=自分のこと。現闘についても、70年代中盤の野武士みたいな人たちのことです。

学生活動家はきらいだったでしょうね。特に東京の学生=私のような、について、そう思っているメンバーがいるというのは、当時も感じていました。そういうタイプの人たちは「寡黙」だったし、黎さんが書き込まれているように、充分すぎる程「自制」している(自省的だったかも)という印象を持っています。名前は思い出しませんが、朝倉公民館の前の庭で見かけたあの人というように、人々の顔や歩き方を思い出します。

でも逆から見ると、学生出身メンバーも悩んでいましたね。労働者メンバーとの意識や行動のズレがあるし、言葉や感覚が合わない、通じない。日本支部は「労働者主義」だから、労働者が偉いので、その感覚になじまなくてはいけない。

一番問題だったのは、「そういう違いやズレをお互い、率直に語り合えなかったこと」だと今は思っています。
「革命や社会主義が優秀な学生さん達にとって必要なかったから」という意見には、言葉がありませんね。優秀かどうかは別にして、学生出身者だっていろいろで、様々な人生を送っています。ともかく、そういう感じ方も含めて、お互い率直に話し合い、理解し合えなかったことが問題だったと思います。

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Re:というか、単純なハナシとして、  投稿者:はたや  投稿日: 8月30日(木)17時56分19秒

>なのに今回結局謝ったのはフジだけなわけです。

あれ?「友の会」掲示板にどなたかが書かれていたけど、あの「覚書」でフジが言っているのは「中傷と受け取られたのは残念だ」ってことだけでしょ?いったい誰が謝っているの?

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というか、単純なハナシとして、 投稿者:いずみ  投稿日: 8月30日(木)17時33分52秒

 「小倉あやまれ」というのは、元々フジのプロデューサが「私が謝るこ
とで許してくれ」と言ってきたのを平野さんが「そんなもん、本人が謝る
のがスジだろう」ということで始まっているわけですよね。
 なのに今回結局謝ったのはフジだけなわけです。小倉が謝ってないのに解散。
 当初の設定を考えると、どう考えても整合性が…(笑)

 でももちろん、まっぺんさんがおっしゃるとおり、「平野さんがそれでOK」だからそれでいいのです。
 それにしても「総括不要」というのはいつものパターンだなぁ、と。(笑)

 飲みに行くこと自体は全然かまわないと思いますが、いずみ個人はいかないですねこの場合。
 というか、完全に納得できる決着なら行く来になると思うけど、いずみも。(とゲンキンなやつ)

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拝見しました>友の会掲示板 投稿者:まっぺん  投稿日: 8月30日(木)17時30分04秒

平野おじさんの「わたしの雑感」の最初のほうの書き方、なんか「カタい」ですねー。
クギさされてますね。「これ以上騒ぐんじゃないぞ!」って・・・・・(*^o^)
フジテレビから「イカン」声明をもらった事だけでよし、という事ですね。
平野さんがそう言うならしょうがない。
でもフジテレビ側の人物に「感謝」するのは納得できないなぁ。
「当然の謝罪を勝ち取ったのじゃ!\(^o^)/」でいいんじゃないですか?
フジテレビ側の人と「いっしょに飲みに行こう」なんて言われたら、まっぺんだったら断るなぁ。・・・・
(誰もおめーなんかさそわないって? そうだね^^)

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というか、もうメチャクチャです^^;;>小倉あやまれ友の会 投稿者:いずみ  投稿日: 8月30日(木)16時37分54秒

 平野さんが、ほとんど誰に対してだかわかりやすい皮肉を書きつつ、突然「友の会」解散を宣言してますよ。^^;;

http://www.loft-prj.co.jp/ayamare/keijiban/bbs.cgi

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ガンGで 投稿者:はたや  投稿日: 8月30日(木)16時18分31秒

いまや絶滅危惧種の「ガングロギャル」をまず思い浮かべてしまった(ハズカチー)^^;
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つい乗せられて当て字(^^;;) 投稿者:まっぺん  投稿日: 8月30日(木)14時28分37秒

TAMO2さんが話題にしたやつで「ガンG」というのはどうでしょう(^^)
考えてみると「TAMO2」も・・・・(^◇^)

黎さん。私はたぶん一番、黎さんに嫌われる種類の活動家だったかもしれません。中流家庭のおぼっちゃんで、さして不自由のない暮らし。ベトナム反戦の風にあたって「リクツ」で左翼運動に入っていきました。親戚中見回しても「サヨク」なひとはたったひとりもいません。政府・地方自治体に雇われたインテリ役人とか、某巨大企業のハイレベルな中間管理職とかばっかり。・・・・・

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当て字(しょーもな) 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月30日(木)12時37分42秒

 面白かったので。転載。
○クスや¥ゲルス・0ニン

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Re:四トロ話題(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日: 8月30日(木)11時07分29秒

黒パンさん、TAMO2さん、情報ありがとうございます。しかし、今の情勢、ヨーロッパでの激しいデモは、一部で異論はありますが、70年代日本の新左翼運動などとはちがったスタンスで進められているようで、ああいうのも「非暴力直接行動」と呼べるのかも知れませんね。運動全体が沈滞している現在の日本でも「暴力革命」ということばは、かなりレトロです。

ちょっと話題がそれるけど「虹色のトロツキー」でも出てきましたが、石原莞爾が満州建国大学を建設したとき、これを驚くほど自由な大学として運営し、図書館にも毛沢東やマルクスの著作(当時の日本ではすでに発禁であった)もあったそうです。そして外国からの講師として想定していた中にトロツキーとガンジーの名前もありました。政治思想も、起こした行動も、まったく反動的な石原でしたが、どこか不思議な魅力を感じさせる男です。

臨夏さん\(^o^) そうですか。今はフォイエルバッハ主義者(主義って言うんだろうか?)ですか。がんばってください。ところでちょっと第四インターについて勘違いなさっているんじゃないかと思われます。「四トロが崩壊した」というのは日本支部が組織上の問題により崩壊したのであって、全世界50数カ国の支部・シンパ組織と、それにより形成されるネットワークとしての「第四インターナショナル」は健在です。日本支部はいまだに再建されていません。また、すでに説明したように「トロツキズムだけのインターナショナル」を否定する方向にあるので、いまのあなたでも加盟できるかもしれませんよ。・・・といっても、政治的に「ある程度の合意」の範疇にないと加盟できないだろうとはおもいますけどね。

菊さん\(^o^)/ 村岡到話題ですが・・・「あの人の自分をどこまでも押し出していく「強さ」と、物事を極度に「パターン化する」思考についていけない。」彼の本を買ったのは「四トロ経験」の話題が出ていたので。彼についての「よいうわさ」って聞いたことないですね。(^^) 「元祖四トロ同窓会」でも話題にしたので見てね。
http://www60.tcup.com/6011/4toro.html?

対フジテレビ闘争とりあえずの勝利\(^o^)/ けっこうたのしいデモでしたね。ヤジウマ的には。そうすっと9・2では「対大橋巨泉闘争」はなくなったという事?
それはちと残念だなー。ヤジウマ的には・・・(^◇^)

http://www60.tcup.com/6011/4toro.html?

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私は学生活動家が嫌いでした 投稿者:黎  投稿日: 8月30日(木)10時31分38秒

>菊さん
人違いだったようですみませんでした。
ただ、私の記憶も曖昧で、アジア青年会議のキャンプだったかも知れません。
あまり議論には絡めませんが、
三里塚の現闘員が、『「自省的」でなかった』という評価には、違うんじゃないかと思います。
ABCD問題を起こした指導部は知りませんが、
下部の現闘員は充分に「自省的」で有り、時には自分自身に対し非人間的でもありました。
自己否定が論として語られる事もなかったと思います。
なぜなら、一人一人自分の欲求や感情との闘いであり、他者を云々する余裕は無かったのです。
下部の現闘員が女性に差別的だったとは思いません。「全体的に」という言い方は誤りです。
あくまでも指導部の中での事は知りませんが・・・・。

私は昔、「なぜ革命なの?」と聞くと天下国家から論じる学生活動家が嫌いでした。
私自身は、
地域の貧しさや友人の不幸や教育権力の理不尽さ等の問題意識の結論としての社会主義でした。
それらの問題意識が解決されずその渦中にいる限り、運動から離れるという発想にはなりませんでした。
「どうして、うまくいかなかったんだろう?」の疑問に対する部分的な答えとして、
「革命や社会主義が優秀な学生さん達自身にとって必要がなかったから。」を提起しておきます。

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まっぺんさんへ 投稿者:菊  投稿日: 8月30日(木)07時19分27秒

どうも、です。

日本支部の路線の話し。
私も84年頃(記憶が若干あいまいですが)、組織活動から離れました。
で、私が書いたのは、3/26から5/20にかけてのピーク時の話しと方針を曖昧にしたままのその直後の話しです。

村岡氏の本は読んでいませんが(あの人の自分をどこまでも押し出していく「強さ」と、物事を極度に「パターン化する」思考についていけない。昔の感覚なので、今はどうか知りません。今大分違っていたら、失礼!)、会議等で「極左主義的方針」を主張したのは「現地の人たち」。ある意味でそれは当然なのですが、その人達は「人間関係的に」織田進グループに繋がっていました。しかし織田氏自身は「心の底」からその方針を主張していたようには見えなかった。村岡氏は織田氏にズーと寄っていって、捨てられたというような想いを抱いてるのではないでしょうか。

そこでは、極左方針は「入れられなかった」わけではなかったと思うのです。織田氏も積極的に極左方針を主張しきったわけではない。それに対する反論もすっきりなされたわけではない。以前書いたように、統一書記局の批判も正面から検討されたわけではない。一方で、メンバーからは突き上げられる。全体として決定を下せない状態のまま、もやもやとしたまま、ずるずる時間が過ぎていった。それが最大の問題だったと思うわけです。積極的に、方針を転換すると提起され、それが支持されたわけではない。
5/20以降も同様。たいまつを持ったデモを78年後半、よくやっていたことを思い出しますが、
あれもハッキリ方針展開が明言されて、やっていたわけではない。逆にかえって、ものすごい「恐怖感」がありました。だって、あの状態では闘えない。しかし突然、「やるんだ」となったら、どうしよう!! どうなるんだ。

女性差別問題
私もよくわからないことが多いのですが、まっぺんさんがおっしゃる通り、70年代からですね。ここでは、色々な要因が複合的に絡んでいるということを言いたかったのです。きのう書いたことが全てとは思っていません。むしろ、そういう側面からのアプローチも必要ではと思ったわけです。

三里塚現地は70年代ずっとスポットを浴びていたわけではなかった。75−76年頃、たまに現地に行くと私には別世界だった。内ゲバの吹き荒れている東京と違って、「のんびり」している。霞ヶ浦干拓反対闘争をやっていた高浜入現闘の親が三里塚・朝倉現闘みたいで、「赤色労働」といって、ビニールハウス建設の職人をやっていましたね、大島君を先頭に。大島君は立川基地拡張反対運動の「砂川反戦ざんごう」からの歴戦の強者で、「野武士」みたいだった。

しかし全体的に、非常に女性差別的だったと思います。当時の環境自体も活動家の意識も。そういう中で、男以上に働く女しか認められなかった。当時で思い出すのは、千葉大のSさん。何年か前に読売新聞社かどこかから、専門の看護分野で本を出されているようですが。恐らく、内心いろいろと感じるところはあったと思います。でもそんなことは口に出せる雰囲気ではなかった。
スポットを浴びていない分「自活」的でしたが、それは「閉鎖」されていた。地域社会の風土の浸透もあったと思いますが、活動家の意識自体がどうしようもなく「自省」的ではなかった。それは極端な自己否定論者に反発するあまり、同じベクトルで逆に振り子が振れていた当時の自分のことを考えれば、明らかです。内省的に考えることは軽蔑していたのですね、私の場合など。

ついネガティブに書いてしまうのですが、私としては「どうして、うまくいかなかったんだろう?」というところに、いつも問題意識があります。回想なので、どうしても一面的になりますね。お許し下さい。今まで、20年以上も「封印」してきているので、やり取りできて考えることができれば、と思っています。

非暴力の話しは今回はパス。またしばらく、考えます。

4トロ、4ターですが、自分たちは割と4トロといっていたように思う。他党派・ノンセクトの人たちの方が、差別的なニュアンスがあるとして、気を使って「4ター」といっていた。

ぼくなんか、最初はもっとひどくて「田舎4トロ」。「おまえ、信じられない。やめとけ」と言われた(笑)。

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