四トロ同窓会二次会 2002年1月1日〜5日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もあります。
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補足 投稿者:noiz  投稿日: 1月 5日(土)14時10分12秒

きれいごと云々は,つまり権力の側・体制の側が事別けするところの「きれいなもの」「きたないもの・ひどいもの・残虐・暴力」を,そのまま自分たちのターム/概念としても使うのか否かってことです.まっぺんさんへのレスとしての意味抜きにはこれは書いていません.「内ゲバ」について何事か言えるほど経験していないというのは正直なところです.

なぜ過剰に反応したのかと言えば,神父・尼さんの「殺人」と教会財産の破壊を同列に並べたままの文章を引用して,どうだアナキストも随分「残虐」をしているじゃないかと提示されたことに対して ── 違うでしょという,それへの応答がまず一義的にあります.混乱させる書き込みと自分で規定したのは,それが「内ゲバ」論の本題からは最初からズレたものだからです.

暴力・非暴力って何さ?って話についてですが,私有財産への攻撃はすべからく暴力扱いでしょう? 非暴力直接行動も私有財産を肯定する人たちにとっては暴力である場合が多々あるわけで,タームをどのように意味させプロパガンダとしてかましていくのかということは,当然資本制社会における体制側の論理とは異なるはずです.ぼくは体制側のプロパガンダに反撃しないままの「暴力一般」批判には組みしません.私有財産制への攻撃を肯定するからです(特に大資本の私有物への攻撃).ここでいう私有とは,占有と区別された概念として使用するものです.

あらゆる抑圧を否定し階級的抑圧に対しても当然闘うという意味において,私有財産とその相続権とやらへの破壊的攻撃を肯定するという立場をぼくは取ります.きれいごとですまないとは,つまりそういうことです.資本にとっての「暴力」を否定しないという.

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追加 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月 5日(土)14時06分47秒

>>説得力がないだけ

 の前に「鬼薔薇さんの言うことに」を追加。

  ↓↓
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文体が随分と丁寧な鬼薔薇さま 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月 5日(土)14時04分42秒

>>それはわたしの発言そのものが語っているはずでございます。

 こういうのを,傲慢,というのじゃないの?

 黒パンさんが「社会運動が生み出したというなら」自己の関わり
を,云々ということに,全くお応えにならないわけですね。いや,
別にそれは,説得力がないだけのことで,別にいいんですけど。

 でもまあ,新年早々,それなりにエネルギーを使って付き合った
わけで,ま,多少脱力したかな,というのはありますがヽ(´ー`)ノ
 立ち去るとのことなので,さようなら,とだけは申し上げましょう。

 でも,何となく議論は続いているわけです。

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あけましておめでとうございます 投稿者:TAMO2  投稿日: 1月 5日(土)13時48分36秒

 本年もよろしくお願いいたします。さて、小生が時折出入りしている労働通信のサイトで、以下の
ような提案がありました。よろしければ、ご協力くださいませ。

−−−以下転載−−−

「困ったときの文例集」みたいなのが作れませんかね
 投稿日 2002年1月1日(火)18時04分 ペンネーム 管理人ラム 削除

たしかに役所相手のときは、というより一般の民間企業をはじめ、法人相手の
ときは、書類が役立つことはおっしゃるとおりです。青木雄二のマンガ「ナニワ
金融道」や「カバチたれ」などでも、敵とたたかうときはせっせとこの種の書類
を書いて内容証明郵便で送りつけるシーンがでてきますね。

しかし、こういう書類の書き方というのは素人にはわからないものです。経験の
ある労働組合の活動家とか、弁護士や司法書士がついてくれている場合は別です
が。それがない場合は、何かの事例の書類を見よう見まねでまねて、書類づくり
になれていく以外にないでしょうね。

一言さんは、このネット討論会によせられる相談にかんして、ときどき、相手に
だす書類の文例を書いて下さってますよね。ありがとうございます。おそらく、
きびしい争議を経験し、こういう書類をつくる力を身につけてこられたのだと
思います。

そこで、一言さんにご相談なんですが、労働問題で困ったときの「文例集」み
たいなものがつくれませんかね。わざわざ一からつくると大変なので、たとえ
ば、このネット討論会で作っていただいた2〜3の例だけでも結構です。それ
を「労働通信」ホームページの「職場と労働法相談コーナー」のなかに掲載さ
せていただくわけにはいきませんか。掲示板だと、せっかくの文例がいずれ消
えてしまいますので。もし、「労働通信」ページに公式に掲載するのはちょっ
と・・・という場合は、ほかのサイトでもいいです。そちらへリンクをはらせ
ていただければと思います。いずれにせよ、労働問題で困っている人にヒントに
なるような情報が提供できればと思うのです。

個別に相談する必要がある場合は、管理人までメールをください。
rodo@red.interq.or.jp

http://cgi.members.interq.or.jp/red/rodo/user-cgi-bin/minibbs.cgi

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みこと。 投稿者:いずみ  投稿日: 1月 5日(土)13時46分15秒

 別にここで議論につきあうもつきあわないも自由意志。
 つきあって欲しければそれなりの文体なり姿勢なりで接するべきでは。
 人に自分がどう思われてるのかを考えるべきでは。

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RE:内ゲバの「原理」らしきもの 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 5日(土)12時26分09秒

>AIT久我山支部(準)さま
 “あまり続けたくないネタ”に、なにか無理にお付き合い願っているの
でしょうか。でしたら実に申し訳ないこと、そろそろお開きといたしましょう。

>こういう「さまよっている」人々−内ゲバ当事者−は,嫌々,あるいは無理矢理内ゲバに
>至る党派闘争に参加したのでしょうか?そうではないでしょう。中には,「花の応援団」
>的に,気が付いたら党派闘争のただ中にいた人もいたかもしれませんけど。
> つまり,死のうが,「障害」者になろうが,彼ら−内ゲバ当事者−は全然「大衆ではな
>い」んですよ。主体的に内ゲバを担った以上,その責任は自らの中にしかない。権力のせ
>いだとか,対立党派の方がより悪かったとか,そんな言い方で決して逃れることはできな
>い。

 ご立論の趣旨鮮明ですし、そしてここから生産的な議論が発展することもなさそうに
思います。それにしても次のようなご発言は、ちょっと悲しいですね。

> 今に至る内ゲバ当事者の主張など,全くこの原理以外の何者でもないと考えます。もう
>全員,死ぬまで勝手に殺し合ってろ,としか言いようがない(但し,巻き添えだけはゴメ
>ンだ!)。

 なぜ悲しいかと申しますと、あるいはと思っていたとおりのご発言だったからです。そ
して、“ゴチャゴチャ「議論」など不要、無価値、というご意見”を感じたのが的はずれ
でなかったことを、はからずもご本人から語られてしまったからでございます。
“「鎮魂」と書きました趣旨、その一端なりとお汲み取りいただければ”との小さな望み
も無駄でしたね。残念ですが、いたしかたございません。

>んどみられませんし,あなた自身も「内ゲバ当事者」を「大衆」に対置させ,その優劣を
>論じるが如き誤謬を犯している)。

 議論継続のご意志あるのなら、このように断言される根拠をお示し願うところでござ
いますが、上のような事情であればあえてお願いするわけにもまいりませんね。

 わたしの「立場」を問うておられましたので最後に一言。それはわたしの発言そのも
のが語っているはずでございます。およそネットワーク上の、しかも匿名での発言とは、
語られた言葉、そこに表明された「考え」そのもの(のみ)が発言者の人格とわたし心
得ます。そのように覚悟して語ることだけが倫理性というものでございましょう。姓は
誰々名は誰とといった調子の「自己紹介」などどのようにも書けます。書くだけなら。
あなたの「自分語り」をわたし嘘と思いませんけど、それはあなたの立論と整合してい
るためであって、逆にあの「自分語り」を基準にご発言を読み、判断しているわけでは
ございません。せみまるさんとのことで、あの方の党派帰属それ自体には特に関心ない
と申したのも、それによってご発言の「重み」など特に変わるわけではないとの趣旨で
ございました。中身がすべてでございます。その基本をはずした場合は、不明を恥じつ
つお詫びもいたします。

 では、特になければこれまで、ということで、どうぞご関心のテーマにお移り下さい
ませ。短い時間でしたけど、お付き合いいただきありがとうございました。m(__)m

 ごきげんよう。(^^)/~

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下の続き 投稿者:黒パン  投稿日: 1月 5日(土)10時48分50秒

せみまるさん
 第四インターの国際的な「内部ゲバルト」との闘い、日本国内では1973年
の9月までの状況分析と「内ゲバ」反対は判るのですが。
『国際革命文庫』のテキストにより。
 それ以降は『世界革命』で単発の論文があるのでしょうか。

せみまるさんは「書評」で次のように語っています。

≪内ゲバは対立党派だけではなく大衆運動への敵対なのである。だから反内ゲバ闘争は徹底的に大衆的におこなうべきである。「党派対党派」という内ゲバ論理を否定し「大衆運動対内ゲバ」の闘いへと運動をすすめた時、反内ゲバ闘争は勝利する。
 この事は72年の早稲田における川口君虐殺糾弾の闘争によって証明されている。≫

 何が証明されたのか理解しかねます。国際革命文庫の
「革命的暴力と内部ゲバルト」でも川口君の件は

  ≪ただわれわれ、第四インターナショナル派だけが唯一の革命的例外である。われわれだけが公然と「内ゲバ」主義の本質を明らかにして、これとのたたかいを継続して来た。われわれだけが大衆運動のプロレタリア民主主義を擁護し発展させようとして来た。だから早大学友達のいまのたたかいに馳せ参じ、それを全国学生運動再建のたたかいへと引き継ぐべき責務をにないうる党派は、唯一わが第四インターナショナルの旗のもとに結集する部分のみであるという現実を、われわれはしっかりと受けとめ、臆することなくこの責務をひきうけるであろう。
 われわれは断固として、プロレタリア民主主義につらぬかれた全国学生運動の再建、全学連再建の課題に挑戦するであろう。われわれは断固として、真実に革命的な学生大衆運動をつくりあげるであろう。≫

 と当時の第四インター指導部が極めて党派的なアジテーションを展開しているだけで内実は
早大学生「大衆」に依拠したもので、学生大衆を指導し全学連再建をと自党派の理屈を展開し
ているだけではないのですか。他の論文で言及しているかもしれませんが、なぜ全学連が「分裂」
しているのかの情勢分析抜きに書いているので空虚なアジではないですか。
 【早大学友達のいまのたたかいに馳せ参じ、それを全国学生運動再建のたたかいへと引き継ぐべき責務をにないうる党派】
 と展開していますが大衆運動の簒奪ではないのでしょうか。私の記憶で
は学生「大衆」として個々のメンバーが参加していましたが党派として駆
けつけられた事実はないのでは。

 以下も「革命的暴力と内部ゲバルト」からの引用で、73年の早大を語っているのですが

≪多くのノンセクト主義の諸君による内ゲバの論理にもとづいた革マル派
とのゲバルトもまた、多くの労働者学生に絶望と不信をまきちらしているのだ≫

 【革マル派とのゲバルト】をノンセクトが展開した事実はなかったと思
います。どの事例を指しているのか、せみまるさんには無理かと思います。菊さんあたりが指摘できるのでは。
 襲撃される一方か、自衛的な対応は最低限あったと思いますが[防衛も内ゲバと規定するの
ならば異議はありませんが]ノンセクトが革マルのメンバーを能動的、計画的に暴力的に攻撃
した事実はありません。民青が73年当初に、ヘルメットを被ったノンセクトが一部に出た
だけで同様の論調を撒き散らし「大衆的」糾弾闘争から脱落していった事実はあります。

 勝利するしないというよりは、革マル派による学生自治会指導の名目のもと73年の早稲田祭
は当局と警察権力庇護のもと開催されるわけです。
 

参考・せみまる書評 見出し

(1)小西氏の内ゲバ批判
(2)レーニン主義と日本左翼
(3)中核派軍事論のあやまり
(4)軍事の主体は大衆である
(5)反内ゲバ闘争勝利の道
(6)第四インター派の反内ゲバ闘争
(7)宮崎スパイ問題と中核派
(8)大衆の中へ!
(9)トロツキーに学べ

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内ゲバに関して二言め 投稿者:黒パン  投稿日: 1月 5日(土)10時47分44秒

 多岐にわたって「論議」が進んでいますが、発端の「書評」自体の構成が
多岐な課題を提示しているので、せみまるさん、あるいはまっぺんさんの
応答は範囲が広がっているのは止むなしということだと感じています。
版元ドットコムは7日まで機能していないようですし、模索舎に買いに行

という機会も逸したままなので、せみまるさんテキストとウェブサイトで
の小西さんの序章と、本の目次しか見ていないというレベルで書かせても
らいます。

 この点は大まかですみませんが、党派闘争における内部ゲバルトがスターリン
に源を発しているという「内ゲバ論」に対しては、そのスターリンが党派闘争を
学んだのはボルシェビキ内の党派闘争からではないのですか、とスターリン主義
の発生にだけ根拠を求めるには検証が足りないように思います。
 一切の内部ゲバルトがボルシェビキ内に無かったのでしょうか?

 鬼薔薇さん
 「内ゲバ」を論じた中で、それを「社会運動」が生み出したと
位置付けられるならば、久我山さんが提示しているように自己との関わり
が語られるならば説得力があるのですが。

 

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えぇと 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月 5日(土)02時17分15秒

 余計混乱させるようなので,追加ですm(_ _)m。

 下の『アナ/ボルの分岐から』で述べた「「ボル」一般に内ゲバ要因を集約する表現,並びにそう解釈されるとおぼしき表現」の「訂正」とは,
 さらに下の方の『内ゲバの「原理」らしきもの』で述べたうち,
 「前衛党の指導にあり,その前衛党は一つ,その前衛党は我々,その根拠はこれとあれ,などという者同士が,その唯一絶対性を競ったら,互いに殺し合う内ゲバに行き着くのは,必然でしょう。」で表現した「党派闘争」のベクトルが,直ちに全面的にボルシェビズムのベクトルそのものである,と解釈されたことに対する訂正です。但し,まっぺんさんと僕とはこの見解では,差があるとだけは表明しておいたわけです(まっぺんさんは,スターリン主義的に歪曲された結果である,と主張してます)。
 ここでは,少なくとも,内ゲバを闘争の中軸においてきた3派(第4インター以外の革共同両派と,80年代以降は労対以外の2派に受け継がれた革労協)に,こうしたベクトルが集中して表れた,と,表現しておきます。

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アナ/ボルの分岐から 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月 5日(土)02時01分19秒

 内ゲバの本質を論じる的に捉えられたのは本意ではないのですが,これは小生の文章力に起因するということで,深謝。
 ちなみに,アナが内ゲバをしたことないとか,アナだからこれらの問題を全てクリアできるなどととは(そう解釈される余地はあったのかも知れないけど)そう思ってもいないし,そう書いてもいないつもりですが。
 反内ゲバ−非セクトという志向と,自分の「経験」の範囲でノンセクト→アナ,という志向がオーバーラップした,という意味では使ってますけど。

 要は,
  
 アナだろうとボルだろうと何だろうと,「自覚した運動主体」の側が,そうでない「大衆」との関係をどう捉えるか,そこで行使する戦術と運動全体の利益というものをどう考えるべきなのか,

 ということに集約されます。
 さらに,ここでいう「党派闘争」,とは,ロシア革命直後のSL−アナ連合軍のボルへの闘争まで遡って一般化するつもりはありません,無論,一般化しうる要素は極めて大きいと思いますが,そこまで論じるためには,僕の史的な知見は不足しています。
 ということなので,「分析」?の限定とすれば,この掲示板で論じられている70年代以降の「日本の」諸党派による一連の「内ゲバ」を指すと考えて欲しいのですが。
 以上から,「ボル」一般に内ゲバ要因を集約する表現,並びにそう解釈されるとおぼしき表現は,確かに飛躍があったとして,訂正します。

 以上を纏めて貰えれば,趣旨に賛同するしない,に限らず,「事実経過」としての合意はそう大幅な差異は発生しないと思いますけど。

 という流れを踏まえてですが,まっぺんさんの,

>>主要には、スターリンによってボリシェビキの伝統が断ち切られ、革命
>>の歴史が歪められたあとで発生したものと考えるべきです。

 とする見方は,やはりどうしてもOKとは言い切れないものがあります。
これについては,多分過去ログがあると思いますが,第4インター派の人々と一致できない一線であるように思います。これは,歴史上のあれこれの事象での評価の差異もさることながら,もっと大元となる世界観の違いなのかも「しれません」。と,極めて無責任な表現をしつつ,前回も「これからゆっくり議論しましょう」と棚上げにした過去を自ら暴露しつつ,今回も一度に解決できるほど小さい問題とは思われないので,かつ,自分の歴史的知見をより磨く時間を頂きたいと思うので,同じ手法でとりあえず中断m(_ _)m。

 さらに,NOIZさんには逆に質問です(あ。何もこういうのは,ブルジョア的(!)ディベート手法を持ち込んでいるのではないので念のため。本当に「素朴な質問」です)。

>>きれいごとですませられるなら最初から社会変革(革命でもいいっす)
>>などしなくてもとうに世界は救済されているのではないでしょうか?
>>
>>階級闘争−党派闘争−「内ゲバ」,これら各々異なるものを単線的に
>>つなげたうえでの「暴力」批判は体制に回収されるだけのような気が
>>するのですが…

 ここは非常に重要です。「きれいごとですませられない」とは具体的に何なのでしょう?
 僕が,深読みしすぎ(あるいは見当違い)かもしれないけど,内ゲバの問題をどう捉えるか,という「個々の具体例」をテーマにするとき,体制側でないとするNOIZさんの,「暴力」に対する見識や如何?

 ちなみに,僕の「個々の具体例」での立場性を予め提示しておきます。
 僕は「これからの運動」を考えたとき,「暴力一般の否定」は必ずしも無意味だとも,権力を利するとも思っていません。多分,これはNOIZさんの立場というか,考え方とは一致しないと思いますけど(一致してたらゴメンですが)。
 自分の中に,非暴力不服従主義志向は,完全ではないけれど漠として,昔も今もあります。それは,反権力のための,とか,革命のための,とか,「××のための」暴力なら構わない,という立場と,それが創ってきた歴史に対する「強烈な不信感」です。まさしく,その「××のための暴力」こそが内ゲバという表現にも向かった一因ではなかったのか,と。
 それは,文字通り先人達の血を思えばこそであり,70年代の余りに「無意味な」内ゲバの血と涙を,若干ではあっても自ら垣間見た者としての,「経験知」の所産でもあります。

 ということで,よろしくお願いします。

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補足 投稿者:noiz  投稿日: 1月 5日(土)00時55分03秒

ニ段落目の冒頭に

「内ゲバ」は差し置くとしても

を追加してお読みください.

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さらに混乱さすようなこと書きますが 投稿者:noiz  投稿日: 1月 5日(土)00時53分04秒

アナキストが「内ゲバ」をやってないということはありません.単に目につきやすいかそうでないかの違いだけです.もちろんアナといってもそれは多くの潮流を言い表わすため,それを否定して避ける人たちもいる/いたということも看過すべきではありませんが,それだけではないということです.ボルだから,アナだからという立て方は問題の本質からずれるんではないでしょうか? アナルココミュニスト−アナルコボルシェヴィキをアナキストではないとするならばこの指摘の意義は失われますが.

でもね,ロシア・ボルシェヴィキ革命進行下においてアナキストはボルに対する党派闘争をやっているわけですよ.「革命」以降にモスクワの共産党本部を爆破したのはアナキストと社会革命党左派です.これらの爆弾闘争はあまり「正史」には残されていないけど,クロンシュタット反乱やマフノヴィチナのような大衆に依拠した運動とは違って,これは明確に党派闘争と見るべきです.これらの闘争を担った人々は明確にボルシェヴィキを打倒の対象として行動したのだから.あるいは亡命後のマフノ,ヴォーリン(マフノの参謀)ともにその態度はまたボルに対する党派闘争とは無関係ではなかったかと思います.二人の亡命者の立場は違い,敵対的にすらなったわけですが…

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スペイン革命において,枢機卿などのカソリックおエライさんに対する暗殺攻撃や教会焼き討ちなどの行動はアナキストも社会主義者も分離主義者(民族主義者)もやってきたことであって,ボル(あるいはトロツキスト)以外の「革命闘争の中で、他の党派」もまた相応の行動をとってきたということは,まっぺんさんのおっしゃる通りだと思います.

だけど,

>スペイン革命では司祭のほとんどは殺された

これは明らかにデマゴギーの類いです.ドゥルティ民兵軍団の書記には元教会関係者が採用されています.傍証もなく「ほとんど」という評価を提示する前に,なぜ・どのようにカソリックの権威者たちが「残酷」な目にあわされたのかを考慮しなければ,それはただのブルジョア的人道主義に転落するだけではないでしょうか? 歴史的にカソリック(のおエライさん)は地主(とのちには資本家)と癒着して特権的な社会的地位を独占し,また抑圧者として長い間,労働者・貧農を支配してきたからこそ手痛い反撃をくらったという基本的な関係を見ないで,個々の「暴力」を一般論に還元することに何の意味があるのか皆目検討つきません.そこではまさに,力に対する力の反応という意味こそが最大限に汲み取られなくてはならない.労働者−農民が自己を獲得するための革命を肯定するのであれば.

スペイン革命時の農村地域で起きた教会焼き討ち(それはPOUM部隊が通過した後の地域でも当然のごとく行われた−スペイン共産党部隊(の幹部)はそれを認めなかった)は,貧農の実力による土地の接収→集産化革命の過程も見なければ意味は半減するでしょう.同時にまたそれは都市労働者の行動も同じことです.カソリック教会は地主・資本家と並ぶ莫大な富の強奪者だったのだから.議論に資するために引用するならば歴史的背景をもっと整理すべきです.

以上のことは,アナ擁護を目的として言うつもりはありません.体制に言われるがママの暴力論に巻き込まれることを警戒するからです.ボルだって同じことでしょう.きれいごとですませられるなら最初から社会変革(革命でもいいっす)などしなくてもとうに世界は救済されているのではないでしょうか?

革命ではなく修正をめざす闘いにおいても「暴力」はある.日本における農民の一揆,これは「打ち壊し」「焼き討ち」を必ずといっていいほど含んでいましたね? あるいは明治政変以降の新税反対や徴兵反対の一揆・反乱も.大逆事件後の「冬の時代」を実質的に終わらせる一大民衆蹶起であった米騒動では,民衆自身がブルジョアの私有財産に対する甚大な破壊・攻撃を行ったのは周知の事実です.

階級闘争−党派闘争−「内ゲバ」,これら各々異なるものを単線的につなげたうえでの「暴力」批判は体制に回収されるだけのような気がするのですが…

戦略あるいは戦術の批判をするなら,個々の具体例を提示してすべきでしょう.

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内ゲバをボリシェヴィズムのせいにするのは賛成できないなー 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月 4日(金)19時47分31秒

 ボリシェビキが多くの間違いを犯してきたことは認めなければならないと思います。しかし、それは歴史的制約の中で考えてゆくべきものだという事も押さえておくべきでしょう。反革命のすさまじい圧力の中で内戦を闘わなければならなかった事はロシア農民に大きな犠牲を強いました。農業生産は革命前よりも著しく低下し、餓死者も多数出たほどでした。こうした状態で軍隊のために穀物を徴発することが農民に対して過酷なものであったことは全く事実です。クロンシュタット反乱はこれを原因としています。しかし、それではどのような解決方法があったでしょうか? ネップがやがてこの農民の不満を解決していきましたが、トロツキーが一年も前にネップを提起していたのに党は否決した事実も知っておいてほしいと思います。
 また、革命闘争の中で、他の党派が間違いを犯さなかったとは言えません。ロシア・ボリシェビキの残虐に匹敵する残虐をスペインアナーキストもおこなった事実が過去にトロスキーさんから出されています。

 日本でおこなわれてきた「内ゲバ」は、はたして、このようなボリシェビキが経験してきた歴史的な制約に匹敵する反動の中で「やむを得ずおこなわれた」ものなのでしょうか?そうではないと思います。主要には、スターリンによってボリシェビキの伝統が断ち切られ、革命の歴史が歪められたあとで発生したものと考えるべきです。内ゲバを「ボリシェヴィズムが生み出した必然」とする考え方には賛同できません。

※参考資料(1999年10月14日のトロスキーさんの投稿)
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アナーキストは、スペイン革命では、ちゅんたさんの紹介するレーニンの残酷な指示と
まったく同じことを実際に実行していましたし(スペイン革命では司祭のほとんどは
殺された。教会もほとんど焼き打ちされ、司祭だけでなく尼僧も多数殺された)、
社会民主主義は、スターリンの犠牲者を上回る死者を出している第1次世界大戦を
支持し、指導しましたし、ローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒト暗殺の指示を
出し、多くのドイツ共産党員を虐殺しましたし…。

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過去ログ更新しました\(^o^)/ 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月 4日(金)19時12分39秒

二次会掲示板過去ログを昨年12月31日まで更新しました。
議論の資料に使ってください。「せみまる論文」も読めます。
http://redmole.m78.com/
からコンテンツをたどっていくか、ダイレクトには
ここです↓

http://redmole.m78.com/niji2001.html
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なお,以下の「内ゲバ当事者」とは 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月 4日(金)17時41分01秒

 内ゲバ当事者,といった場合,内ゲバ主義反対を主張していたにも関わらず,
一方的にテロられた第4インター派と,複数前衛党を積極的に認めていた構造
改革派の一部などは,その世界観はともかくとして,ここでの論点たる「内ゲ
バ当事者」からは除外されることはいうまでもありません。

 ↓下一つ分で2重投稿になっています。お手数ですが,削除をお願いします。

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内ゲバの「原理」らしきもの 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月 4日(金)17時32分25秒

 鬼薔薇さん,どうも。

>>他方、死者や廃疾者たち、そして「殺し」に荷担してしまった人たちは、そうした機会を
>>永遠に失って冥界に、精神の闇の中に、あるいは歪み破綻した人格のうちにさまよってい
>>るのではないでしょうか。「社会運動」はそうした犠牲をおびただしく産み出しました。

 ここでは,内ゲバで「誤爆」(これもヒドイ用語だ)された人を一切ネグって論じますが,こういう「さまよっている」人々−内ゲバ当事者−は,嫌々,あるいは無理矢理内ゲバにる党派闘争に参加したのでしょうか?そうではないでしょう。中には,「花の応援団」的に,気が付いたら党派闘争のただ中にいた人もいたかもしれませんけど。
 つまり,死のうが,「障害」者になろうが,彼ら−内ゲバ当事者−は全然「大衆ではない」んですよ。主体的に内ゲバを担った以上,その責任は自らの中にしかない。権力のせいだとか,対立党派の方がより悪かったとか,そんな言い方で決して逃れることはできない。敢えて言えばこうです。

 結局,内ゲバというのは,徹底徹尾,党派闘争の所産であり,その必然的結果なのではないですか。
 「唯一前衛党」を競って,つまりボルシェビズム原理主義の運動法則にある限り,ここまで陰惨で拡大したものになったかどうかはともかく,不可避のものと考えられます。
 もし,革マルの理論的根拠が,黒田哲学でなければ,あるいは,×月△日のゲバでバールまで持ち出さなければ,とか,そんな枝葉末節な「技術論」なんですかね?そうじゃないでしょう,全然。
 「革命」(がそもそも何?っていうこともありますが)を起こすのは大衆の自発性でなく,前衛党の指導にあり,その前衛党は一つ,その前衛党は我々,その根拠はこれとあれ,などという者同士が,その唯一絶対性を競ったら,互いに殺し合う内ゲバに行き着くのは,必然でしょう。
 こういう「世界観」には,最初から最後まで「大衆」などいないのです。自ら=革命テクノクラートが支配する世界こそが「革命後の社会」だと信じている。自らに従わない者は反革命,でしかない。多様性や相互扶助,などは最初から彼らの辞書にはない。
 「大衆」は,最初から最後まで,自ら−テクノクラートが作文するアジビラ−の方針を具現するための,将棋の駒でしかないという,決定論的な世界観なのです。

 そういう「世界観」の総括,党派闘争の基底にある原理的矛盾,あるいは歴史上におけるボルシェビキの位置づけの根本的見直し,これらを抜きにして「技術論」のあれこれを論じてみても,「内ゲバ」の総括にとって全く無意味であるし,「大衆」が社会運動から離反していったその責任と自己批判など,絶対に出てこない(実際にここの議論でもほとんどみられませんし,あなた自身も「内ゲバ当事者」を「大衆」に対置させ,その優劣を論じるが如き誤謬を犯している)。
 今に至る内ゲバ当事者の主張など,全くこの原理以外の何者でもないと考えます。もう全員,死ぬまで勝手に殺し合ってろ,としか言いようがない(但し,巻き添えだけはゴメンだ!)。

 ところで,鬼薔薇さん。僕はこれまで,こういう総括に至る私的経過なぞを明らかにしたけれど(無党派運動からアナキズム的志向へ),あなたはこの問題を,どういう立場で考えているんですか?
 別に,ここの場は,そんなもの表明するのは義務ではないんですから,無理に応えなくてもいいんですが,あなたは内ゲバの「当事者」であったのか,それとも「大衆」(無関係の人,傍観者,あるいは朝日ジャーナル的評論家?という意味も含むでしょう)であったのか,それによって,言うことの重みも変わらざるを得ない,と思います。もしできたら,お願いします。あるいは僕が見落としてたら,失礼ですが。

 それにしても個人的には,あんまり続けたくないネタですね,これってヽ(´ー`)ノ

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内ゲバ論(4) 投稿者:小西まこと  投稿日: 1月 4日(金)15時53分31秒

 皆さま、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。
 さて、新年早々、活発な議論が続いていますが、とりあえず鬼薔薇のご主張に対して若干のコメントです。
(1)革マル派の内ゲバ論の根拠について
 これについては、鬼薔薇さんのご主張については、全面的に賛成です。僕の「検証内ゲバ」でもこれを解明することに中心をおきました。
 ですが、ここでも革マル派と中核派などの、内ゲバ論の「違い」についての解明は必要だと思います。
 なるほど、革マル派の場合、「他党派の解体」ー「抹殺」の「修辞」として74年以後「権力の謀略論」つまり、中核派などの反革命規定、を打ち出しています。しかし、中核派などは、果たしてそうだったのでしょうか? やはり度重なる革マル派の大衆運動現場での敵対や内ゲバ襲撃という事態の中で、ファシストや反革命規定が出てきたと思います。
 もっとも、この過程で鬼薔薇さんの言われるように、革マル派の「思想」に取り込まれる、という事態がおきてしまったといえます。
 この問題が「日本的に特有な内ゲバ」を解明するカギかもしれません。
 ついでに言えば、革マル派の場合の内ゲバは、一握りの「特殊部隊」が担っていたのに対し、中核派の場合などは、「全党・全人民の総戦争化」として、内ゲバを「大衆化」するためにそれなりに全力を挙げていました。
(2)憎悪論について
 鬼薔薇さんは 
 
「ここで「政治言語化」と申しましたのも、「党派言語化」もしくは「派内言語化」としその根底にあるのは、黒田哲学自身の言葉でいえば「疎外」されたる者という存在意識、ニーチェが言った「ルサンチマン」、社会心理学的に申せば「孤立者の憎悪」ということかと存じます。」

と述べておられます。
 この黒田哲学に孕む問題は、もう少し糾明が必要かもしれません。
 ただ、鬼薔薇さんの別の論とあわせて検討しますと、内ゲバの「主要因」を「対立党派の憎悪」に帰着させるのは重要な解明にはならないと思います。もっとも鬼薔薇さんも、それが内ゲバの主要因とは考えておられないと思いますが。
 
鬼薔薇さんの「死者を追悼するための内ゲバの本質の解明」に賛成します。
ではまた。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/shakai.htm

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削除しました\(^o^)/ 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月 4日(金)14時17分07秒

鬼薔薇さんの二重投稿、削除しました。
なお、「せみまる論文」は過去ログからすでに消えてしまっていますね。
急ぎ過去ログを追加しますのでお待ち下さい。すいません。(^^)

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>蝉丸さま  投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 4日(金)11時44分15秒

ごていねいなコメントありがとうございました。

 あなたを「第四インターの方」とお見立てした不用意さについて、あらためてお詫び申し上げます。併せて、「トロツキー氏ものけぞる」云々なる表現(他の方からすでにご注意いただいたところですが)も取り消させていただきます。大変失礼いたしました。
 『かけはし』ご投稿の元論文につきましては、何度か当該サイトで検索を試みましたが所在判明いたしませんでした。お手数ながら検索法をご示唆いただければ幸いに存じます。議論はそれを拝読の上でとすべきところでしょうけど、せっかくのコメントですので、感想とお断りなどいくつか。 
 
 「革命モデル」は菊さんとのお話で出てきたこと、せみまるさんのお書き込みに直接関わりはございません。けれども、ご提出の「原理」につきましては基本的に同意いたしかねること、明示しておきたく思います。人口構成上「多数」なのは「労働者」であって「労働者階級」ではないと認識しておりますし、コミューン当時のフランスや17年革命当時のロシアで、労働者は決して人口統計上の「多数」ではなかったと存じます。カウツキーなど社会民主主義主流はそれを根拠にロシアにおける社会主義革命の可能性を否定し、他方イタリアのグラムシは、17年革命を「資本論に反する革命」と呼んで熱烈に支持いたしました。レーニンはそれを「資本主義の不均等発展」の枠組みで説明いたしました。
 
 「民主主義」を強調しておられますが、お書き込みの範囲で申しますと、「民主主義」を「多数決原理」と捉えておられるように読めますね。でも、そうでしょうか? レーニンは未完成の小冊子『国家と革命』で、“民主主義もひとつの矛盾である”という趣旨のことを述べておりました。ここは「階級独裁」の概念と関わって重要な点と思います。
 
 議会について言えば、マルクスが生きた時代、レーニン・トロツキー時代の西欧とロシア、大恐慌以後の先進諸国、それぞれでその社会的位置も機能も大きく異なってございます。「普選」運動の歴史的な意義を過小評価できませんし、議会選挙に適切な位置付けを与えて取り組むことの意義も疑いはございません。この点を先進国革命論として本格的に論究した試みは60年前後の構造改革理論でしょうか。今日共産党が掲げる「人民議会主義」は、かつて「反党修正主義」として組織的に排除した構造改革派のテーゼを矮小化と密輸入にみえます。同党は今年いよいよ綱領の改定に着手するとか、成り行きに注目しております。
 
 末尾の「武装」へのご言及、意外というか論脈上たいへん唐突に感じました。議会で多数を占めても結局帰趨を決めるのは「武装」の問題だとのご指摘、提示された「原理」とどう関わるのかなと思ったところでございます。
 
 感想とお断りばかりで恐縮でございますが、この種の議論がこの場にふさわしいのかどうか、また生産的な議論が可能かどうか、正直申し上げてあまり自信ございません。
 
追:『かけはし』が討論・情報紙のような間口の広い編集方針を採っておられる点、今の情勢で積極的な姿勢と評価いたします。「双方向性」がレーニンの「全国政治新聞」の役割規定(『何をなすべきか?』)であったことへの注目も正鵠を得たものと存じます。でも、せっかくのお薦めですが、投稿は遠慮させていただきます。

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削除のお願い 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 4日(金)11時41分38秒

操作ミスで二重投稿となってしまいました。お手巣ですが削除お願いいたします>管理者

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とりあえずの感想など 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 4日(金)11時40分06秒

>AIT久我山支部(準)さま
 コメントありがとうございます。あるいはご応答いただけないかとも思っておりましたので、とても嬉しゅうございました。
 
>>>ゴチャゴチャ「議論」など不要、無価値、というご意見ですね。
>
> そう言ったつもりはないんですが。

 わたしの読み違いでしたらごめんなさい。 
 
 わたしが「内ゲバ」議論に口を派差し挟みましたのは、いずみさんの次のご発言がきっかけでございました。

>4)全般に言えることですが、「内ゲバ」が日本に顕著に見られた傾向だ、としているにも
>かかわらず、じゃ、なぜそうなのか?ということについては、どの文章も明快な説を提出
>していません。

 「なぜそうなのか?」というのは本質的な問題とわたしかねがね考えてまいりました。そう、なぜ「内ゲバ」という陰惨な行動が産み出されたのか。それは社会運動自身の中から産み出されたものである以上、その「中」に探り当てねばならぬことと存じます。お言葉を返すようないい方が許されるとすれば、この「なぜ?」という深く暗い疑問こそ“議論の前提”であり“基底にあるべきもの”というのがわたしの考えでございます。その立場からいたしますと、
 
> 内ゲバなんてものは,「社会運動全体に取り返しの付かない損失を与え
>た」以外の「価値」なぞないし,それ以外に総括しようがない。

というご発言に、“ゴチャゴチャ「議論」など不要、無価値、というご意見”を感じた次第でございます。

 「内ゲバ」の及ぼした被害はさまざまな角度から語り得ると思いますが、「被害者」を考えますとき、わたし何より「内ゲバ」の死者、廃疾者たち、そして実行行為者たちを考えております。彼らもまた出自は「大衆」であったはずでございます。
 「運動からリタイアせざるを得なかった『一般学生』」が幸せだったなどとは申しません。でも、少なくとも殺し・殺されずにすんだことはまだしもではございませんか? 傷ついた心を抱えながらも別の人生を切り開くこともできたことでしょう。他方、死者や廃疾者たち、そして「殺し」に荷担してしまった人たちは、そうした機会を永遠に失って冥界に、精神の闇の中に、あるいは歪み破綻した人格のうちにさまよっているのではないでしょうか。「社会運動」はそうした犠牲をおびただしく産み出しました。それは「社会運動」の陰惨な自傷作用とも言うべく、心底恐ろしいことに思われてなりません。

 広島の原爆記念公園の石碑に刻まれた言葉、「安らかに眠ってください、過ちは再び繰り返しませんから」。「原水爆禁止」の文脈では好きな言葉ではございませんが、「内ゲバ」の犠牲者たちに対して、どうすればこうした言葉を手向けることができるのかと考えますと慄然といたします。先に小西さん宛て「続」発言(ハンドル誤記)で、「鎮魂」と書きました趣旨、その一端なりとお汲み取りいただければと思う次第でございます。

 大晦日に活けた花、定番の松・菊・千両に今年は菜の花を添えてみたら早くも黄色い花が開きました。大雪のニュースですが、やがて季節はめぐって春でございます。「社会運動」に再び春を呼ぼうとすれば、今の凍てつく季節にこそ、先の「なぜ?」に解答を見出さねばとわたし考えております。

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おめでとう!! 投稿者:Q  投稿日: 1月 3日(木)17時25分14秒

あけましておめでとうございます。
本年も皆様方にご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。

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あけましておめでとうございます 投稿者:蝉丸  投稿日: 1月 2日(水)20時54分10秒

 本年もよろしくおねがいいたします。さて、さっそくですが、わたしの評論は、「かけはし」に掲載されているわけですが、二次会掲示板にも転載してありますので鬼薔薇さんにはぜひ、もういちどよく読んでいただきたいと思います。なお、私は第四インターのメンバーではないし、過去にもそういう経験はありません。また、私の立場は私個人のものであって、第四インターに近いところもあるでしょうが、同一とはいえません。しかし、「かけはし」には多くの党外人が投稿しております。鬼薔薇さんもぜひ投稿なさったらよろしいと思います。

 鬼薔薇さんはわたしの投稿について大きな誤解をなさっておられますね。わたしは「革命モデル」を提出した覚えはありません。どこに共産党のごとき「人民戦線政府」「民主連合政府」を想定した発言があるでしょうか?私は革命の必然性についての「原理」を説明したまでです。資本主義は発達すればするほど、労働者階級を生み出し続け、自分自身の敵対者を増大させるという矛盾をマルクスが指摘しているではありませんか。また、そのためにますます富の分配の不公平さが増大し、少数の富者と多数の貧者とに収斂しているのは事実です。地球を「100人の村」にたとえていろいろな統計的数字を当てはめた説明が話題を呼んでいるそうですが、その中で「世界の富の60%を6人のひとが独占している」というのがありました。こうした「事実」が革命をみちびくのです。「資本主義が打倒される」という確信は、ブルジョアジーが少数派であるという事実と、現在では「民主主義」が「統治システムとして最も優れている」と一般的に承認されている事実によるものです。

 内ゲバ論は、「権力論」を抜きに語ることはできないと思います。この認識はわたしばかりでなく、『検証・内ゲバ』の著者すべてに共通なのではないでしょうか?「どのような権力を確立するのか?」・・・ここに一切が集約されているように思います。多数決にもとづく民主主義が人民の統治システムとして承認されている事が、「多数派」であるプロレタリアートを権力の座につける。これは革命を考えるうえでの重要な要件です。また革命的暴力を「理不尽な暴力」ではなく「正当な暴力」と主張できるのも多数者が少数者による支配を拒否し、自らを支配者の位置につけようとするからです。

 ロシア革命、およびパリコミューンの例を見る時、それを確信できるのではないでしょうか? 労働者・農民・兵士らによって自らの「議会」が形成されたものが「ソヴィエト」や「コミューン」だったはずです。人々は、この自ら創出した議会の中で大衆的に討議し、方針を決定し、武装蜂起したのです。ボリシェヴィキが権力に到達したのは、ソヴィエト議会の多数派となったからです。しかも、その時のボリシェヴィキはメンシェヴィキや他の多くの党派・分派のもっとも革命的な活動家を大量に吸収して多数派となった事もわすれるべきではありません。ボリシェヴィキが内ゲバ党派であったら、このような現象はおこらなかったでしょう。革命当時のソヴィエト議会はもっとも民主的であり、その中で「誰が労働者階級の味方か、だれが裏切り者か」が暴露されていきました。そのために、そもそも各地区・工場にソヴィエトを結成するように指令をだしたメンシェヴィキが、ブルジョア側に妥協するためにソヴィエトから退場していったのです。

 では今後、革命がおこるとするなら、どのような「革命モデル」が考えられるでしょうか? ひとつはロシア革命のように「ブルジョア議会の外部に労働者階級の民主的議会を創出する」という方法ですね。それは実現可能でしょうか?それには重要なハードルがあります。それは現在のブルジョア議会である衆参両議院を「人民の議会とは認めがたい」と大衆が考える事が必要です。それはむずかしいかもしれませんね。そうなると、やはりブルジョア議会の多数派を形成し、まずブルジョア政府を乗っ取ることも展望のひとつにすえるべきでしょう。それは共産党が目指しているものと同じなのでしょうか? 問題はブルジョア議会・ブルジョア政府がブルジョアジーの権力機関の一部として形成されている事です。チリのアジェンデ政府の悲劇を見るまでもなく、ブルジョアジーに暴力装置を委ねたままブルジョア議会の多数派をとっても、それは反革命によってひっくり返されるだろうと想像されます。結局、どのような方法をとろうとも最後は「武装」の問題に行き着くでしょう。この問題を語らずに「民主連合政府」を語る共産党、そしてヨーロッパの多くの社民党政府は事実において労働者階級を裏切っている、といえるのです。

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新年のごあいさつm(__)m 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月 2日(水)16時52分39秒

読者・投稿者のみなさん、あけましておめでとーございます。\(^o^)/
ここは「四トロ同窓会」の名称ではありますが、多種多様な思想・信念の方々に来てもらって
自由に発言し交流していくことによって、お互いに得るものがあればよいと思います。
ことしも、思う存分、ぶちかましてください。

昨年もよのなかはいろいろありました。
自分としても、いろいろやりたいこと、やれなかったこともありました。未練がいっぱい残っています。
ことしも、たぶんいろいろ後悔しつつもやれるだけの事をやっていきたいと思います。
ことしもよろしくおねがいします。

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中の中の存在 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月 1日(火)23時49分13秒

>>ゴチャゴチャ「議論」など不要、無価値、というご意見ですね。

 そう言ったつもりはないんですが。議論の前提というか基底にあるべき物がスッポ抜けてしまった「各論」というのは,どんな分野にもありますが(社会科学の「学術論文」に顕著なんでしょうけど),それではあまりに空しすぎる,という趣旨でして。

 個人的に色々言いたい「各論」はありますが,どうも場の趣旨にそぐわないし,議論の流れを変えると思うので,敢えて言えば,あのような「総論」に集約されるということです。

 もっと言えば,「大衆」のいない社会運動論ほど,読んでいて哀しいものはないと思いますが,逆に言うとその場合,立論における立場性が鮮明になっているともいえるわけです。
 農民の登場しない三里塚運動「論」,被曝労働者の登場しない反原発「論」,そしてまた,先に指摘したように運動からリタイアせざるを得なかった「一般学生」の登場しない,あるいは,運動への負の側面を矮小化した内ゲバ「論」。
 みな同じように感じます。

 そういう意味で言えば,ロシア革命を牽引したアナキストの登場しない,長らく正史とされたロシア革命史や,同様に日本では60年代頃まで多くの人に信じられていた(!)アナキストの登場しない,スペイン革命の「共和国政府」だとかも,同じと言えましょうか。

>>それを「社会運動」にとっての余所者、別の世界からやってきた悪
>>魔か宇宙大怪獣のように考えるのは、「社会運動」の立場からして
>>いかがなものでございましょう?

 というわけで,この指摘は全然逆です。中にある。だからこそ,もっと中を視よ,ということなんですけどね。
 

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なんでもいいが 投稿者:いずみ  投稿日: 1月 1日(火)19時53分50秒

 原文にあたることが容易ならまず原文にあたってから話そう。

 「かけはし」当該記事や「検証 内ゲバ」本を読まずに発言してもよいと思うわけですが、しかし、それが絡むことを論じるならまずそれらの原文にあたっていただきたいものです。

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新年早々ごめんなさい 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 1日(火)14時22分29秒

>菊さま はじめまして。

 コメントありがとうございました。
 
>と書かれていますが、今の統一書記局であれば、「そういう考え方もあるかもしれない」
>と言うかもしれません。少なくとも「無前提的に」排除しないだろうと私は考えています。

 なるほど、「統一書記局」はかつてよりかなり柔軟な姿勢になっているということですね。わたし第四インターの組織事情には暗いので(と申しますか、最近の党派事情にはほとんど通じておりません)、新しい知見でございました。ご教示にお礼申し上げます。
 旧ソ連圏の崩壊とアメリカ一極の「グローバリゼーション」、かつてトロツキーも一文を草しました「ヨーロッパ合衆国のスローガン」が、今日からは統一通貨「ユーロ」の本格導入にみるほどに進展するなか、トロツキズムが「トロツキー教条主義」を脱却していくのは必然とも思えます。
※それにしても30年ほど前機関紙「ルージュ」を携えてフランスから来日した第四インター
 の方のまぁなんともゴリだったこと! あの印象はとても強烈でございました(笑)。
 
>私はロシア革命的な革命モデルが有効性を持ち得ないというレベルも含めて革命モデルの
>再検討と再構築なしに、マルクス主義の復権もないと考えています。

 ほとんど異議ございません。と申しますか、わたし「マルクス主義」でなくても一向に構わぬとさえ思っております。ただ、わたし自身は「マルクス主義」(正しくは「マルクス・レーニン主義」)に頭をやられた身ですので、そこはそれなりに決着をつけることを必要としているにすぎません。それに、昔サルトルが言ったように、マルクス主義はやはり「現代における乗り越え不可能な哲学」だとは思っておりますし。

>また言葉をつないで、「共産党の議会主義路線と同じだ」とするのは、少々「レッテル張
>り」的ないい方ではないでしょうか。

 ここは内容上の議論を要するところと存じます。わたし、せみまるさんのお書きになった内容が、日本共産党の掲げる「人民議会主義」とどうちがうのか、まったく判断がつかなかったのでございます。「革命モデルの再検討と再構築」の必要をご指摘ですが、せみまるさんのお書き込みだけからですと、すでに「革命」など不要とも読み取れるものですから。いや、それはお前の理解力が足りないせいなので、ここがこう、あそこがこう、明らかにちがうではないかとご説明をいただければありがたく存じます。あるいはまた、ちがわないが悪いのか、ということでもかまいません。日本共産党と同じだから悪い、といった党派的な裁断をするつもりはないことを付け加えまして、この件、おあとはせみまるさんからのご意見をうけたまわることといたしましょう。
 
 最後に「内ゲバ」まわりのこと。「実感」や「経験」の意義をわたし少しも過小に評価する意思はございません。ただ、別発言でも書きましたけど、「内ゲバ」は社会運動のなかから生まれた特異細胞のような病理現象と思いますし、それを根治するには大変な努力を重ねなければならない深刻なテーマと考えております。「よくない」「迷惑」「被害」といったレベルでの素朴な実感や経験だけで克服できる性質のものなら、ここまで悪化することもなかったのではないでしょうか? わたし、それをとうてい他人事とは思えないのでございます。

 年明けから長々と失礼いたしました。またよろしくお願いいたします。
m(__)m 

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RE:新年早々 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 1日(火)13時03分53秒

>AIT久我山さま
 はじめまして。そして新年おめでとうございます。m(__)m

> 内ゲバなんてものは,「社会運動全体に取り返しの付かない損失を与え
>た」以外の「価値」なぞないし,それ以外に総括しようがない。

 ゴチャゴチャ「議論」など不要、無価値、というご意見ですね。 

> それにしても。こんなノリで2002年になっても内ゲバを語るってことが,
>如何に「大衆」的でないか,ってことですね。もうそれに尽きるワケです。

 わたし、この場は「4トロ同窓会」という看板そのとおりに了解した上で、同窓ならざる「余所者」として発言させていただいてまいりました。
 止めろ、邪魔だ、うざい! ということであればそのように仰ってください。独裁的管理者(レッドモール党書記長)たるまっぺんさんがそのご意見を尊重され、わたしのような「ノリ」はこの場にふさわしくないから遠慮せよ、とご指示あればいつなりと退席することやぶさかではございません。またそのような「書記長判断」を促すよう働きかける権利があなたにあることも、わたし了解しておりますので、どうぞご自由になさいませ。

 でもね、「内ゲバ」は、「社会運動」そのものから産まれたものではございませんか? それを「社会運動」にとっての余所者、別の世界からやってきた悪魔か宇宙大怪獣のように考えるのは、「社会運動」の立場からしていかがなものでございましょう?

 彼らは「内ゲバ党派」、わが派は「内ゲバ反対」だからちがう、
 「内ゲバ」やるのは党派、大衆はちがう、
 
 こうした「他人事」化で克服できると考えるには、ご指摘の「取り返しの付かない損失」、あまりに深刻なのではないでしょうか。

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お詫び>せみまるさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 1日(火)12時53分00秒

 あなたに宛てたわたしの発言につき、お二方から批判的なご指摘をいただきました。

> せみまるさんがいつ「自分は第四インターだ」と言いましたか?(いずみさん)

>(確かにいずみさんがいうように、せみまるさんは「自分は第4インターだ」とはいってい
>ませんし、私も日本支部の元メンバーであっても現役ではありませんが)(菊さん)

 お立場を充分確認もせずに不用意なことを申しました点、お詫びいたします。大変失礼いたしました。m(__)m
 
 ご指摘受けました点、根拠らしきものは、コメントさせていただいたご発言のはじめにございました「『かけはし』でも書きましたが」というお一言にございました。わたし『かけはし』とは第四インターナショナルの機関紙と承知しており、機関紙に書かれたとなればそれはその組織の公的方針ないしそれに準じるものと考え、潮流としての「第四インター」(正統派トロツキスト)のお立場からのものと判断した次第でございます。
 ここは「4トロ同窓会」、そしてせみまるさんはこの場での有力な発言メンバーとの印象をわたし有しておりますことも、上のような「お立場」判断の背景にございました。
 
 現メンバーでおられるかどうかは(いろいろ複雑な組織事情がおありでしょうし)、わたし関心ございませんし、詮索する意志など毛頭ございませんので念のため。わたしの関心は、あくまでこのサイバー場に表現された「考え」そのものでございます。
 
 とりあえずお詫びと言い訳のみにて失礼いたします。今後ともお付き合いいただければ、大変嬉しく存じます。
 
追:菊さん、いずみさんには、ご指摘にお礼申し上げます。 

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今年もよろしくお願いします。 投稿者:菊  投稿日: 1月 1日(火)08時48分36秒

去年は身の回りを見ても世界を見ても、厳しいことが多い年でした。そんななかで、私にとっては、何とか自分なりの指針をもう一度うち立てようとする気持ちを抱くことができた年でもありました。そんな気持ちにさせる上で大きく役立ったのが、インターネット上でのやり取りでした。まっぺんさんの掲示板、送られてくるattacニュースを始めとするメールマガジン。やりとりされる多様な考え方を参考にしながら、自分自身もいろいろと考えていくことによって、確実に自分の視野が広がり、考え方に幅が出てくると実感しています。

まっぺんさん、皆さん、ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。

さて、内ゲバ論議が継続しているようですが、私はATI久我山支部さんの実感的意見を支持します。内ゲバが日本の大衆運動に与えたダメージは本当に計り知れない、それは理論的にあれこれ言う以前の問題だと経験的に考えています。

それから、鬼薔薇さん、
>貴稿を英語かフランス語に訳して第四インターの本部へ送るだけで十分と存じます。わた
>し余所者ですので結果を心配する立場ではございませんが、ここに「マルクス主義」の片
>鱗なりと見出されることはなかろうと存じます。

と書かれていますが、今の統一書記局であれば、「そういう考え方もあるかもしれない」と言うかもしれません。少なくとも「無前提的に」排除しないだろうと私は考えています。
(確かにいずみさんがいうように、せみまるさんは「自分は第4インターだ」とはいっていませんし、私も日本支部の元メンバーであっても現役ではありませんが)

また言葉をつないで、「共産党の議会主義路線と同じだ」とするのは、少々「レッテル張り」的ないい方ではないでしょうか。私はロシア革命的な革命モデルが有効性を持ち得ないというレベルも含めて革命モデルの再検討と再構築なしに、マルクス主義の復権もないと考えています。ですから、鬼薔薇さんのご意見としてはわかりますが、「トロツキーがのけぞってしまう」というような批判は、どうにも納得できないのです。

これから、しばらく「アナログの世界」に入ります。年越しの宿題(と自分では思っている)書き込みテーマを抱えていきます。

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なんだこれは?? 投稿者:いずみ  投稿日: 1月 1日(火)04時23分12秒

>誰あろう正統トロツキストのはずの第四インターの方から聞こうとは!

 せみまるさんがいつ「自分は第四インターだ」と言いましたか?

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のんびり 投稿者:川魚  投稿日: 1月 1日(火)03時36分42秒

あけおめ!ことよろ!(^^)

今年もまたよろしく、お願いします、皆様も、それぞれの場所で頑張って下さい。
労働者の正義が実現することを祈りつつ。。

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新年早々 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月 1日(火)02時36分25秒

 新年があけました。ともかく,昨年より全てのことが少しはマシになってほしいです。

 さて,僕は「ボツ階級的」?というか,前衛でも指導部でも意識的な組織化を進めたものでもない「大衆」の1人ですし,その立場でしかない書き込みですが,

>>という事は「内ゲバ肯定論も、内ゲバ反対論も、党派の主張でしか
>>ない」という意味ですね。
>>内ゲバ反対は「トロツキストの論理であって大衆のものではない」と。
>>そうでしょうか?
>>それこそ大衆をまったく無視した内ゲバ論者の自己弁護にしかすぎま
>>せん。
>>内ゲバに反対するのは「四トロだけ」と断定するならば、なぜ
>>84年の中核派のテロに反対する声明に他の党派からも賛同者があっ
>>たのでしょうか?
>>内ゲバに反対するのは「四トロに同調しているから」なのでしょうか?
>>これまでの内ゲバが内ゲバ党派同士だけでなく、社会運動全体に巨大な
>>「階級的」損失を与えた事を
>>これまでの30年以上にわたる経験から大衆は充分に学んでいます。

 全くまっぺんさんのいうとおりで,「極めて十分に学んでいる」んじゃないでしょうか。だからこそ,「運動」なるものの全てが後退に向かったのではないのですか?
 素朴に考えて,社会の不正を許さない,何らかの意識を持った若者が,「何かをやろう」と決意したとき,権力に殴られるならともかく,同じようなことを言ったりやっている連中から,利権争いで殺される道を,一体誰が好き好んで選ぶってんです?
 運動やりかけたやつが,そのことのナンセンスさでバカらしくなってリタイアしたり,あるいは身を守るため運動を去る例が如何に膨大な数にのぼったことか。そのことが,一体どのような影響をもたらしたのか。国際的に燃えさかるWTO=グローバリゼーションへの反対行動が,ロクに起きない(正確には,起きているが,残念ながら少数に留まっている)日本の現状は,まさにそのことの所産なのではないですか?
 ここで議論している人の周りにも,そういうリタイアした「大衆」は,多数居たはずでしょう。あるいは,そういう人は元から存在しないことにしてる人も多いのかもしれませんが。

 内ゲバなんてものは,「社会運動全体に取り返しの付かない損失を与えた」以外の「価値」なぞないし,それ以外に総括しようがない。
 僕は,当時も今も,こと内ゲバ問題に関しては,第4インターの方針を原則的には支持していますが,以上のことを学んだからこそ,全ての「前衛」だの「党派」だの「指導部」だのを積極的に否定するノンセクトの運動へ,そしてアナキズム的な方向に向かったわけで(内ゲバ党派以外の党派との一致点共闘まで,否定してきたわけでも,否定しているわけでもないですが)。

 それにしても。こんなノリで2002年になっても内ゲバを語るってことが,如何に「大衆」的でないか,ってことですね。もうそれに尽きるワケです。
みんな,あの無意味な痛みは,忘れちまったんでしょうか?というか,元々痛みを感じてなかったのか,そういう痛みを感じないような特権的な「場」にいただけなのか。

 いずれにしても,今年も,痛みを知る「大衆」の1人として物を考えていきたいです。
 戦争だろうが,軍事だろうが,政治だろうが,殺されたくないし,殺さない。そういうベクトルの全てを粉砕する方向。それだけ。
 という,何というか新年の決意のようなもの,でした。

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「原点」はどこに? 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月 1日(火)01時03分52秒

>せみまるさま

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この社会が「階級社会」であって、ほんのひとにぎりの資本家階級と多数の労働者階級と、その中間の小ブルジョア階級とに分かれている事実、そして「民主主義」=多数決原理が「人類にとって公正な原理である」と信じられている事実は、社会主義がやがて勝利するだろうという確信を懐かせます。万人に認められている「民主主義」を武器として、これを徹底的に押し進めるならば、労働者階級の多数派が権力に到達するのは「原理」として否定できないからです。/だから、革命派は、この「原理」を推し進めていけばいいのです。
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 おお、おお! 資本家階級は数が少ない、労働者階級は断然数が多い、だから民主的選挙制度さえあれば「多数決原理」で必ず勝ち、「権力に到達する」!
 素朴すぎるほど素朴な質問2点。
 いつから「階級」は人口統計で計測できる数量的な概念になったのでしょう?
 いつから「社会主義」は、議会制多数派で実現可能なものとなったのでしょう?

 これを読んだらトロツキー氏は地下でのけぞってしまうことでしょう。いえ、死者を引き合いに出すまでもございません。貴稿を英語かフランス語に訳して第四インターの本部へ送るだけで十分と存じます。わたし余所者ですので結果を心配する立場ではございませんが、ここに「マルクス主義」の片鱗なりと見出されることはなかろうと存じます。
 よろしいのですよ、別に「マルクス主義」であろうとなかろうと。ただ、ひとたびは「革命的共産主義者同盟」を名乗り「プロレタリア世界革命」の旗を掲げた党派であられるのなら、「マルクス主義」を放棄するならすると、明瞭に宣言なさるのが筋ではないかと思うのみでございます。
 
 ここに表明された「社会主義」像は、ヨーロッパ社会民主主義の立場よりはるかに純粋な議会主義と申すほかございません。少なくとも西欧社民は、議会における多数派獲得(政治的民主主義)だけでは不足であり、社会的な民主主義と経済(産業)民主主義を並行して確立すべきことを定式化しております(例:SPD「ゴーデスベルク綱領」)。

 ひるがえって日本の社会運動史を考えますとき、上のテーゼは、日本共産党の掲げる「人民議会主義」と選ぶところはないように思われます。上の引用の続きです。

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そのためには、同一階級内での「意見のちがい」を「軍事的対立」ではなく、民主的議論による多数派の形成へと進めていき、全プロレタリア階級が団結・統一した時、ブルジョア階級に対して圧倒的な多数派になれるのです。「戦争」の論理でいえば、「味方は統一し、敵を分断させる」事が勝利への道です。しかし、内ゲバは「味方を分断する」事によって、敵を有利にしているだけである、という事です。
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 おお、「統一と団結」! それを妨害する者は敵を利する挑発者、左からの妨害者は「トロツキスト」、これこそ日本共産党の公式的立場でございました。
 今、それに酷似した命題を、誰あろう正統トロツキストのはずの第四インターの方から聞こうとは! 冗談でなければ何と考えればよろしいのやら、お正月早々考え込んでしまいますねぇ、これは(苦笑)。

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