四トロ同窓会二次会 2002年1月26日〜28日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もあります。
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TAMO2さん、 投稿者:臨夏  投稿日: 1月28日(月)22時46分07秒

了解です(^^;

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わたしも実は、 投稿者:臨夏  投稿日: 1月28日(月)22時45分15秒

ムスリム歴があるのです(^^;

一時、米帝に果敢に挑戦するイスラームにシンパシイを抱き、
神戸山手の、マスジド(なぜか日本では、フランス語で、モスク、いいますね)に通って、
お祈り、教典暗唱なんかしてました。

でも、そもそも、「神」の概念を持てなかったので、いまでは遠ざかっています。
やはり、唯物論のほうがしっくり来ます。
お祈りのしかたも忘れたな〜、、

このごろは、以前愛読してた「ムスリム新聞」も来てません。
そうそう、わたしのイスラミック名は、カイロのイマームに付けてもらったもので、
ハッサン、といいます。

まえいっぺんここで書いたような?

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黒パンさん、わかりました。 投稿者:菊  投稿日: 1月28日(月)17時22分16秒

確かにそうですね。
私も党派の協同での追放はありえないと思います。それは各党派の内向きの結集力を強めるだけですから。粉砕するとすれば、学生自身の力(内部に指導的部分が存在したとしても)以外には不可能だったと思います。まあ、それもやはり、そもそも無理だったかな。

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この場面ですか 投稿者:すえいどん  投稿日: 1月28日(月)17時21分35秒

 「マールトフはなお諦めず、平和的解決のための同質的な民主主義政府の形成を、すべての革命的民主主義の諸団体の協議を通じてめざすよう、大会の権威的介入を求める。そして続いて、マールトフに向けたペトログラート・ソヴェト議長トロッキーの有名な演説『……君たちの役割は終った、君たちは今から、君たちにふさわしい場所へ、歴史の屑籠に行け』が行われ、マールトフは怒って『ではわれわれは出よう』と叫んで退場する。マールトフの可決された動議も、こうして大会から消えたのである。メンシェヴィキのニコライェフスキーの回想によると、ヴィボルグからのボリシェヴィキ代議員だった若い労働者アクーロフは、出口でマールトフを押しとどめ、『少なくともマールトフはわたしたちと一緒に残るはずだ、と信じていた』と興奮して語りかけた。するとマートルフは、しばらく沈黙したのち、こういった。 『いつか君たちはわかるだろう、君たちがどんな罪を犯したかを。』」 以上中野徹三氏の「社会主義の転回」より引用。今となってはトロツキーよりもマールトフの方が正しかったような気もするのですが・・・やはり二者択一は無い?

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まっぺんさん、日本人のムスリムです 投稿者:菊  投稿日: 1月28日(月)16時52分37秒

30代の若い人なんです。敬けんなムスリムで知識欲がものすごく旺盛。私はイスラーム教のことをいろいろと教えてもらっています。

革命運動や歴史に全く知識のない若い人が「トロツキーを読みたい」といったら、何をどのように勧めるか?ということです。特にイスラムの民族問題とかの話ではないのですが。

私は手に入りやすいし、読みやすいので、「わが生涯」「レーニン」(中公文庫)「生きているトロツキイ」、そして「ロシア革命史」、あとはトロツキー研究所のWebサイトを紹介したのですが、「わが生涯」にしても結構読むの大変でしょう。あとはもっと大変ですよね。

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菊さん、わかりにくくてすみません 投稿者:黒パン  投稿日: 1月28日(月)16時19分35秒

 革マルが一時的に「撤退」したとしても、よりゲバルトを行使する存在として
早稲田に戻ってくるという前提で書いて、そこは抜かしてしまいました。
 そういう意味で「ネガティブ」にしか仮の状況想定でもイメージできません。

 私の前提にあるのは党派闘争に暴力を一度行使した「セクト」は、その体質から脱却
するにはかなりのエネルギーが必要だということです。労対派が割った時
も重傷者がでたと思います。
 早稲田で協同した闘いができたとしても、自派が「管理」している大学で「適応」できたか
も疑問があります。

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イスラム教徒に読ませるトロツキーですかぁ? 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月28日(月)16時11分45秒

ひえ〜・・・考えたこともなかったです。トロツキー研究のNo.30がユダヤ人問題特集ですが、どうかなー。
どういうものを読みたいのか、その人の問題意識によってちがってくるし。ちょっと漠然としていて想像できません。
でも、どんな宗教にかかわっていようと、共産社会の理想というのは、おそらく
常識的な宗教者たちが求める社会と、そうかわらないものじゃないかなー。
つまり「平等で公平な協働の社会」ってことです。・・・・・ということは
エゴイズムに満ちた資本主義グローバリズムに対しては共闘できる!!!\(^o^)/

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世界をゆるがした10日間より 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月28日(月)15時59分54秒

次いでトロツキーが蒼白の残忍そうな顔をして立ちあがり、冷ややかな侮蔑の調子で、そのゆたかな声をほとばしり出させた。「これら一切のいわゆる社会主義的妥協者ども、このおびえたメニシェビキー、社会革命党、ブンドども――かれらをして立ち去らしめよ! かれらはまさに、歴史の塵捨場へ一掃し去らるべき無用物なのだ!」岩波文庫上巻146ページ

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Re:業務連絡 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月28日(月)15時53分50秒

久我山さん混乱させてすいませんでした。メールでの了解のもとに削除させてもらいました。m(__)m

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黒パンさん、その通りだったのですが、 投稿者:菊  投稿日: 1月28日(月)15時52分45秒

<早大管理支配体制からの解放闘争は二重≪三重≫対峙状況>

そう、その通りでしたね。結果的にそういう「秩序」ができあがっていたのか。もっと、意図的だったのか、今ではよくわからないところがありますが。当時は「意図的な支配体制」という認識だった。「新しい動き」はともかく、封じ込めたいというレベルの現状維持意識だったかもしれないのです。

<72年末に一気に革マル糾弾を貫徹したとしても、その後の解放空間としての大学という「場」を維持していくには無理があったでしょう。12月にも書き込んだように、仮に早大で党派「支配」が崩されるとしたら、次は法政大、神奈川大と中核や解放は自覚しただろうし、内ゲバ反対派のインターが「防衛」的に維持するのは矛盾が起きただろうと思います。>
ここがよくわからないのですが、仮に、早大で崩れ、それが法政、神奈川大。。。へと波及したら?局面は変わったのでは?
インターは「防衛的に維持する」としても拠点はほとんどないし、そこでは「民主的」に学生との関係が成立しているのであれば、矛盾はさほど生じなかったという気がするのですが。

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実家にあるので 投稿者:TAMO2  投稿日: 1月28日(月)15時13分45秒

>TAMO2さん、「世界を揺るがした10日間」にそんな記述ありましたか?

 本そのものは実家に置き去りなので読み返しが出来ませんが、「自信に満ちた、どこかニヒル
で酷薄無情な印象を与える男」ってのが当時の小生のトロツキー像です。

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早大管理支配体制からの解放闘争は二重≪三重≫対峙状況  投稿者:黒パン  投稿日: 1月28日(月)13時17分05秒

 土日のトロツキストさんや菊さんが、72年末の時点で革マルを糾弾し「追放」していればというニュアンスで課題を出しています。

 土日のトロツキストさんの書き込みより
≪党派協定を結び行動隊を結成し、自治会再建に向かう活動家の防衛をしきることができなかったのか?と思ったものですから。川口君虐殺糾弾闘争を、内ゲバ主義の破産と捉えるのではなく、現在進行形の新左翼運動の帰趨をかけた共同の攻防戦としてとらることができていたのでしょうか≫

 一つには先に引用した早大アナキズム研究会のビラが、異なる指向を提示しています。
このビラは川口君虐殺後に学内で公然と撒かれた最初のビラです。

 共同の「戦線」を構築するには、70年、71年、72年の闘いの総括を抜きに各党派はできなかったと思いますが、ヘゲモニー争いではなく協同の展望を持った提起を大胆に出せば可能性はあったのでしょうか?
 「利害関係」で部分連合はかろうじてあったようですが「戦術」の域を出なかったように思います。

 もう一つは、11.13の徹夜糾弾集会で革マルの田中を救出したのは大学当局の要請を受けた機動隊だということに象徴されるように大学当局-自治会権力グループ・革マル≪法学部は民青≫との関係は闘争の間にも解体はされなかったわけです。
 学内に集団で登場せざるを得ない時期には、必ずジュラルミン楯の完全武装の機動隊が解放闘争の側の大衆的グループをサンドイッチ規制して、行く必要もない外掘公園≪四谷駅際の公園≫に1時間以上の時間をかけて、幾度となく「封じこめる」という大学当局-警察権力一体となって、革マル側の「利益」を守ることに奔走していた経過があります。
 また党派が本部キャンパスにヘルメット党派部隊として大衆的に登場する局面も何回かありましたが、カンパニア以上の意図を持った登場には建造物侵入という手段で根こそぎ弾圧を行いました。
 叛旗派が7,80人の部隊で本部キャンパスに登場した際には大量逮捕を行っています。ほとんど逮捕されています。

 革マルの「武装」展開は許容し、非武装の解放闘争側は根拠なく弾圧するという事実としての二重、三重対峙を余儀なくされたのが73年の状況です。
 72年末に一気に革マル糾弾を貫徹したとしても、その後の解放空間としての大学という「場」を維持していくには無理があったでしょう。12月にも書き込んだように、仮に早大で党派「支配」が崩されるとしたら、次は法政大、神奈川大と中核や解放は自覚しただろうし、内ゲバ反対派のインターが「防衛」的に維持するのは矛盾が起きただろうと思います。

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黒パンさん、まっぺんさん、「夢の続き」 投稿者:菊  投稿日: 1月28日(月)12時08分37秒

黒パンさん、どうもありがとうございました。確かに「過大評価」は慎むべきですね。当時を振り返ることはほとんどなかったのすが、最近立て続けだったので「夢」を見てしまったようです。

まっぺんさん、ありがとうございました。岩波の解説でも確認しました。「自己弁明」は変ですね。でも、トロツキー研究所の目録にあった「わが生涯−ある自伝的試み」と、「ある自伝的試み」が入っている方がいいですね。

つい最近、イスラーム教徒の若い人からトロツキーを読みたいので、分かり易い本を紹介してくれと言われたのです。それはもう涙・涙で、「生きていてよかった」と感激して「わが生涯」以下何冊か紹介したのですが、「わが生涯」には「これは1933年に、、」と解説を付けなければなりませんでした。
革命運動などに全く知識のない人から、「トロツキーを読みたいんだけど、何がいいですか?」と聞かれたら、まっぺんさんは何を勧めますか?

TAMO2さん、「世界を揺るがした10日間」にそんな記述ありましたか?

これは臨夏さんの何日か前の書き込みにも関連するのですが、今岩波文庫などで翻訳されているような言葉遣いや意味合いで、レーニンやトロツキーが60年代に日本の左翼陣営に広く受容されていたら、「内ゲバ」→「左翼の壊滅」という自体には至らなかっただろうと思っています。

「夢の続き」みたいな話なので、「いい加減にしろ」と言われるかもしれないのですが、本多暴力論なるものの一端を紹介して読ませてもらって思い出した昔の黒寛の文章にしても、あのレベルの文章や言葉遣いが「一流の哲学や理論」と受け止められていたのですね。

自分も「何か違うなあ」と少し思いながら、その中にいたわけですが、言葉遣いからして乱暴極まりないし、スターリン以来の完全に「換骨奪胎」されたレーニンやマルクス主義理解のままなのですね。トロツキーの文章のレベルが左翼陣営の共通理解であったなら、と思います。

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世界を揺るがした10日間でも 投稿者:TAMO2  投稿日: 1月28日(月)08時45分32秒

 トロツキーはやな奴でした。はい。

 AND。臨夏さん、ここは今流れが速いので、余り気になさらないで下さい。

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フィリピン映画『ホセ・リサール』 投稿者:神田節  投稿日: 1月28日(月)00時51分55秒

タイトル通り、ホセ・リサールの生涯を描いた映画です。
19世紀後半におけるフィリピン人民の宗主国スペインに対する闘争が舞
台になっています。
岩波ホールで上映中。2月8日(金)までなのでお早めに観て下さいな。

http://www.iwanami-hall.com/

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おえ、ええかげんにせえや、 投稿者:臨夏  投稿日: 1月28日(月)00時39分03秒

やかましいていうとるやろ。
チャチャ坊主>

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何にもわかってないチャチャ坊主クン(激藁) 投稿者:七篠  投稿日: 1月28日(月)00時12分26秒

#チャチャ坊主君とよーく同じ論理を立てる、肉体派が1人いましたね。最近はあまり姿を見かけないようですが。

 そいつとチャチャ坊主君が同一人物か別人かはともかくとして、以下の論はあまりに暴論もいいところですね。

>七篠クン、↑とまったくおなじことしている坊主クンはどよ?(ゲキワラ

 この、どうしょうもなく文脈を無視して直近の書き込みだけを参照してブチ切れる有り様が、とある肉体派さんに酷似しているというのはともかく、冷静に考えればすぐに、これが論理にも何もなっていない、ということは理解できるでしょう。

 私が戸田に突っ込んだのは、戸田が私にものすごいいちゃもんをつけたくせに、それへの反論を無視して再登場したことに対してです。

 それに対して、坊主とかいう人は、単にここでの議論に破綻したか忙しいかどちらかの理由で(両方かもしれませんが)、反論に対して再反論をしてきてない、そういう段階ですよね。
 しかもそれは、私に対して売られた喧嘩でもなんでもない。

 それに対してなぜ私が怒らなければならないのか、まったく理解に苦しみます。

##ただ、もしチャチャ坊主=肉体派さんだとすれば、この私の反論には絶対に回答がないはずですね、過去の類似のパターンからして。(藁

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>坊主クン 投稿者:チャチャ坊主  投稿日: 1月27日(日)20時37分39秒

HNも目亜土もイパーイある坊主クン。どれに送ればいいのよ?
七篠クンでいいのか?w オマエの電話など知らんよ。

逆ギレして書き逃げってことですか?ってことですか?
革マル以下とまで言われて釈明も自己批判もしないで書き逃げですか??人間やめたらどうですか??インチキ反差別の闘士クン。
釈明も自己批判もしないならネットに登場するたび、ツコーミいれてあげるよ。

>何しに来た、戸田! 投稿者:七篠  投稿日: 1月26日(土)15時21分00秒

> あれだけここで我々他を挑発する書き込みをしておいて、私からのそれへの反論を今度は一切>無視してしゃーしゃーと別書き込みか?

> そういう、公開の場でのいい加減な対応は、あなたの政治生命を必ずや短くするよ。

七篠クン、↑とまったくおなじことしている坊主クンはどよ?(ゲキワラ

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72-73年にこだわるなかで。 投稿者:黒パン  投稿日: 1月27日(日)19時58分42秒

土日のトロツキストさん、菊さん レスをざっと読ませてもらいました。土・日に賃金労働をしているので、今戻りました。

 早稲田の大衆的糾弾闘争を過大にも過小にも評価しないことが、総括作業に必要だと思います。
 革マルの活動家層の「供給」は73年は絶たれたと思いますが、72年のもともと計画的に入学させ
た部分とかオルグで確保した部分は「虎の子」のように大事にしたのか
「脱落」したようには思いませんが…
 1 警察権力の弾圧で消耗
 2 組織内部での「総括」で消耗
 3 大衆的糾弾闘争で消耗
影響度でいえば、この順だと判断します。
もちろん、3が全てにプレッシャーを与えているのは事実ですが。

 72年以降というのは三里塚を例外とすれば、国家権力→警察権力は戦略として街頭での闘争封じ込め、大学内へタコ壺的に押し込めるという現実があったと思います。
 
 爆弾等を使用したゲリラ闘争に対しては大掛かりなフレーム・アップ弾圧を駆使して押さえ込んでいたという状況です。
 故に自組織温存路線を徹底していた革マルを始めとして自治会確保に向かわざるを得ない状況に追い込まれ、71年をピークとした国家権力の暴力装置・機動隊との攻防で培われた暴力が質を問わずに大学自治会権力維持に転嫁する時期になるわけです。

 dkさんの問いに答える形で以下の「資料」を某テキストから引用しておきます。

 ≪1972年11月13日、当日まかれた早大アナキズム研究会のビラを紹介する。   

 「学内管理支配体制の再編強化を許すな!」    

早大4万の学友諸君に黙礼し訴える。川口大三郎君の死に血涙をもって哀悼する。

川口君の死が政治力学の党派的な帰結であっても、早大4万の学友諸君の人倫

に基く哀悼がなしくずし的に日本階級闘争の政治力学から、党派のヘゲモニー戦争

の渦中にひき込まれるのは不幸である。我々は早大4万の学友諸君の人倫に基く

糾弾が政府ブルジョワジー、大学当局、日共=民青の戦略戦術的がらみの中で、

ファッショ的認知をさそう大きな幻想の中で自己運動をしている事に断固たる決意

をもって言明したい。 略  当面する我々の第一の課題は、当局の強権の発動

に伴う闘う同士諸君のファッショ的永久放逐策動を粉砕することなのである、といわ

ねばならない。 早大全学4万の闘う学友諸君!今日の、個別分断された状況を

突破し、クラス、サークルの末端から闘う意志を公然と物質化し、大学当局の圧殺

策動を粉砕し、管理−抑圧体制を打倒せよ!    

それ以外に、批判的立場すら堅持することが不可能になるといったファッショ的状況

を撃破することは出来ないのだ!

学内管理支配体制打倒! 大学の知的独占解体!  夜間・休日ロックアウト粉砕! 現行カリキュラム=単位制度粉砕! ブルジョワ秩序の補完物日共=民青粉砕!    

すべてのサークルは現行カリキュラム制度の補完物の地位を打破せよ!
   

クラスの末端から闘争委員会を創出しポツダム自治会(ポツダム民主主義的団結)解体!    

個別改良主義的立場を行為主体的に超克し、自治管理闘争の深化を以て社会革命を一閃的に展開

し、早大を全人民に解放せよ!  

 早大アナキズム研究会 ≫     

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第三回ヨーロッパ反資本主義左翼会議 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月27日(日)18時06分03秒

「かけはし」1月28日号に出ている記事です。ヨーロッパの12の左翼組織が昨年12月に集合して会議をひらいたそうです。
参加団体
赤と緑の連盟(デンマーク)
社会主義連盟(イギリス)・・・これ自体、イギリスの多数の左翼組織の連帯組織です。
左翼ブロック(ポルトガル)
エスパシオ・アルテルナティボ(スペイン)
ラ・ゴーシュ(ルクセンブルク)
LCR(フランス)
ODP(連帯・革命党=トルコ)
共産主義再建党(イタリア)
社会主義党(オランダ)
社会主義党(イギリス)
スコットランド社会主義党(スコットランド)
SWP(イギリス)
連帯S(スイス、ジュネーブ)

もうひとつ、イタリアでは反グローバリゼーション集会が同日重なった右派ペルルスコーニ支持の集会を圧倒的に上回って、警察発表でも7万人を結集したとの事です。
あと、香港で開催されたアジア民衆フォーラムの報告記事が5ページに出ています。
もしも、日本で、内ゲバのない新左翼運動が建設されていたら、かつてのあの戦闘的エネルギーは
これらのどの運動にも負けない巨大なものをのこしていたかもしれません。
内ゲバについての議論は、同時に、大衆運動それ自身の再建にむけて「実践的」に発展していきたいものです。

しかし・・・・こういう元気が出る記事を、なんで新時代社はネット公開してないんかなー? (=,=")

http://www.jrcl.net/web/p01b.html

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わが生涯\(^o^)/ 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月27日(日)17時45分42秒

「わが生涯」の昔の翻訳は上巻=「自己暴露」、下巻=「革命裸像」だそうです。
むかしここでも、それからマルキョーBBSでもちょっと話題になりましたよ〜

http://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/mokuroku/A-senzen.html

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臨夏さん、「わが生涯」読んでいるんですか。周りにいたらイヤな奴だと思いませんか、 投稿者:菊  投稿日: 1月27日(日)17時05分56秒

トロツキーって。「わが生涯」はプリンキポに追放された時に書いているから、余計そういうトーンだと思うのだけれど(昔は「自己弁明」って訳されていたし)。

トロツキーみたいに、古今東西の古典に通じていて、しゃれた文章を書いて、演説もうまく(荒畑寒村は「寒村自伝」で、確か「赤の広場でのトロツキーの演説は鈴の音のようだった」と書いている)、社会的歴史的分析も明晰、おまけに女性にももてる(フリーダ・カーロの描いたトロツキーを見よ)、こんな奴が本当にまわりにいたら、イヤだよね。私なんか、絶対に近寄らない。

コーバ(スターリン)は「オレのこと、バカにしやがって。いつか、見ていろ」と思っただろう。コーバのエゴイズム、嫉妬心。

今週の老先生たちとの勉強会のテーマが「私の個人主義」(夏目漱石)。漱石をよんでいて、ふとそう思った。
漱石はいう。「個人の自由は先刻お話しした個性の発展上極めて必要なものであって、・・・・・僕は左を向く、君は右を向いても差し支えない位の自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます」「(個人主義とは)党派心がなくって、理非がある主義なのです。朋党を結び団結を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです」
これを受けて、石堂清倫氏は、遺著「20世紀の意味」で「自己主張はするが、他人の自己を否認するのは排外心である」と語る。

「エゴイズムの克服」「覇権主義からの脱却」、そしてヒューマニズム。。。
個人−集団(党組織)−社会(国家)。漱石が提起しながら、20世紀の日本が国家としても、その対抗集団としての「革命志向組織」も含めて、欠落させてきた問題がここにあるように思う。

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ごもっとも 投稿者:すえいどん  投稿日: 1月27日(日)15時49分24秒

鬼薔薇さんの以下のご指摘まことにごもっともと思います。加えて「低迷期には、太平楽な大衆に対するルサンチマンを募らせ」というのはどうでしょうか。但し、激情に身を委ねることも、革命願望に自閉することもできず、現世に復帰した者の後知恵が、はたして意味を持つのだろうかという懐疑は残ります。それこそ、傷口に塩をなすっておもしろいのか、お前はというあのやりとりですね。文句をいった方の気持ちもわからないではありません。
「60年代新左翼は、昂揚期には大衆と区別できぬ激情に身を委ね、後退期には主観的な革命願望に自閉したのではなかったでしょうか。そうした自閉的革命観念は、大衆を置き去りにすることも手段にすることも平気でできる倫理的荒廃を招き、それに居直ることも意に介さぬところへ容易に転落いたします。そのとき暴力は、政治的意識性の制御を失って自己運動いたします。それを後から理屈付けてみせたところで、それはもはや社会性(党と大衆の政治関係)を持たぬ特定党派の内部言語にすぎません。内ゲバはそのような魔性の因子が政治思想を蝕んできた悪性の現象として抉り出されねばならぬ」

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「本多暴力論」の変遷 投稿者:すえいどん  投稿日: 1月27日(日)14時17分18秒

「本多暴力論」が一番まとまっているのが「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」(著作選1巻所収)と思われますが、これは、72年、革マル派から売られた喧嘩を買ってから後、その現実を追認してかかれたもので、内ゲバの原因ではなく結果と思われます。なお、対権力ということでは同著作選1巻所収の「羽田闘争の意義とたたかいの展望」〈67年10月)は(10・8闘争につき)「このような国家の暴虐にたいし全学連が自己の正当なデモの権利の行使のためにプラカードと小石をもって警察機動隊の暴力から身を守ったとして、いったいだれがこれを非難できようか」とかいています。攻めたのではなく、守ったというのです。これに対し「プラカード保持の権利かよ。俺たちは組織された暴力だ」とブントは言っていました。こういう言説にひきずられていく経過もあったと思われます。「本多暴力論」はレーニン主義の範疇を1ミリも出るものではないわけですが、果たしてそれでよいのかという点については、本多氏自身にかなりの躊躇があったのではないかと推測します(なお白井朗氏の「民主派」本も言及しているところ)。

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70年代前半と内ゲバ(2) 投稿者:菊  投稿日: 1月27日(日)11時08分55秒

各党派は、そこでどういう役割を果たしたか?
自分たちの勢力拡大に利用するばかり。唯一第4インターは確かに、土日のトロツキストさんがいうような位置付けから宣伝していたように思いますが、「外部からのキャンペーン」にとどまっていました。

「殺すな」というスローガンと目標は当時、打ち出せなかったか?そんなことはない。確か、ベ平連のベトナム反戦スローガンで「殺すな!」という印象的なポスターがありました。それは当時でさえ、正しい位置づけで使える可能性はあったと思うのです。しかし、そうした正しい政治的感覚が学生運動に全く貫徹されない、その政治的環境・指導的党派や意識的学生部分の弱さが、革マル派の延命を許し、73年春以降の「混迷」を作り出したと思っています。

その「不徹底さ」のツケは今振り返ってみれば、決定的だったと思います。つまり「内ゲバ全面戦争」が始まるのは、73年の春以降。ここから先は、以前黒パンさんも書かれていましたので、略します。72年段階では「連合赤軍の大量リンチ事件」の影響はあったとはいえ、新左翼が大衆的な影響力と信頼を一切喪失してしまい、日本の社会運動がこれほど低迷するまでに至らず、歴史的な成長を遂げる可能性は、まだ残されていたと思います。そこでは、内ゲバ主義の元凶=革マルを大衆的に粉砕・解体できなかったことが、日本の左翼運動衰退の道を準備してしまったと思うのです。

その意味で、土日のトロツキストさんの72年の早大闘争が唯一の可能性であり、おおきな転機では、というご意見に同意します。自分が経験した分、主観主義かもしれませんが。。。

「本多暴力論」というのは始めて聞くのですが、そんなのがあったのですね。

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70年代前半と内ゲバ(1) 投稿者:菊  投稿日: 1月27日(日)11時04分22秒

鬼薔薇さん、「危険性の過小評価」の話ですが、「背教者ユリアヌス」の例は印象的です。
しかし、私の体験した70年代前半−後半と鬼薔薇さんの書かれている60年代とは大きく条件が違うように思います。確かに60年代はそのように、ドラスチックに党派の再編というか、活動家があっちからこっちへと流れ込んだこともあったでしょう。島成郎さんの話もそれを裏付けます。

しかし、70年代前半は状況が異なっていました。党派の大学拠点支配は固定化し、そこには「利権」さえ生まれていました。dkさんの書かれている「大学当局との相互依存関係」です。革マル派の支配もこれなしには理解できません。それでひとつ、思い出しました。当時の戦闘的労働運動の旗手だった動労のナッパ服の人たちに「革マル派は悪くない」というビラを撒かせたのですね。ところが、そのなかにどこかの学部の革マル活動家がいることがわかって、逆に大いに糾弾されることになってしまった。

話はそれてしまいましたが、そこではすでに支配的党派の理論が支配の源泉ではなく、彼らが築き上げた「物理的・社会的基盤」が影響力の源泉だったように思います。つまり、大学当局との関係、戦闘的労働運動、等です。

一方、それに対抗するには、どうすべきだったのか?
土日のトロツキストさんは黒パンさんの意見を前提に、党派の連合による対抗的突出を対置しています。私は黒パンさんの状況認識に少し異議を挟みましたが、革マル派の暴力支配をうち砕くには「学生自身の大衆的な反撃」しかなかったと思うし、その可能性は現実に存在していたと思うのです。

これは以前、ここでもまっぺんさんと黒パンさんのやりとりのなかで、「72−3年頃のこと」として少し書きました。72年の11月8日から73年の1月入試が始まる前までの時期に、一気呵成に完全に革マル派をその経済的・物理的基盤も含めて早稲田から追放すべきだったと思うのです。では、どのような手段をもってか?連合した党派部隊による打撃ではありません。確か11月10日前後だったと思うのですが、虐殺事件後始めて授業があった日に、同じ学年の別のクラスの人が「スロープ下で昼休み、集会をやろう。ともかく集まろう」と決死の覚悟で呼びかけに来たことを今でも鮮明に記憶しています。恐る恐る集まった50人ほどが連携をとって、糾弾運動が始まりました。中心になった人物はあごひげを生やしており、後年ポーランド連帯のワレサ議長を彷彿とさせる風貌でしたが、私もその一員として参加しましたが、この動きに最大の可能性があったと思うのです。つまり、トロツキー言うところの「スターリニスト官僚に対する反官僚政治革命・民主化運動」的モデルです。

しかし、糾弾運動は、今思えば不徹底でした。指導部となるべき何歳か年上の学生たちは、手ひどく革マルに粉砕された経験がありましたから、「君たち、怖い物知らずでやっているけど、彼らはね・・・」というばかり。

そして、私自身にも躊躇もありました。つまり、動労を指導する革命的党派のやったことなのだから、「一部の未熟部分の間違いかもしれない」。革マルが動労を登場させたことなどは、こういう意識を作り出す狙いがあったと思います。そして、「人殺しは悪だ」と声高にいうのは勝共連合でした。

そこで革マルを徹底的に糾弾しきれない余地を残してしまったのです。ヒューマニズムというと少し語弊があるようですが、当時求められていたのは「殺すな」の一点で結集して、徹底的に物理的基盤も含めて彼らを追放・解体する「反官僚民主化運動」だったと思うのです。

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RE:白鳥事件 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月27日(日)09時17分04秒

>すえいどんさま 貴重なレポートをありがとうございました。白鳥事件、つい先日、共産党の現役党員としてご参加のわかもの社さんから提供された話題でございました。
 
 50年「武装闘争」当時の共産党が、当時の中国共産党にどれほど“世話になっていた”かがうかがえます。後の文革期には「修正主義=走資派」の代名詞にされる劉少奇ですが、“アジア地域における革命の主要な形態は武装闘争である”という劉テーゼは、あの大衆不在の「武装闘争」の指導理念でございました。アジ放送「新日本放送」もそうした無責任な扇動を北京から日本へ流し続けておりました。
 
>内ゲバはいけないとして、では、相手が権力ならいいのかという原理的な問題も含め、
>50年代の武装闘争の総括は、現在の我々の課題でもあるように思えます。

 そのとおりと存じます。ただ、「相手が権力ならいいのか」どうかに一般的な解答を下すのはやさしくはございませんね。
 
 敢えて一般論を申すなら、警察官や公団職員(三里塚の場合)など個々人に対するテロにはわたし原則反対でございます。組織的な個人テロは、権力に対峙すべき民衆を置き去りにした党の「代行」という性質を強く帯び、実行主体の政治意識を歪めていくように感じるためでございます。それが党派間の「戦果」の競い合いのように行なわれるならば頽廃でございましょう。

 街頭における大衆部隊の衝突の場面であっても、特定個人(たとえば一人逃げ遅れて抵抗能力を失った機動隊員とか)に対しては、その「権力性」を象徴する武装を解除する以上の集団暴行はすべきではございません。激昂した群衆がそのように行動するときには制止するのも政治集団の意識性として必要と考えます。
 
 ※まぁ、ズボンを脱がせてしまうくらいはご愛嬌かもしれませんけど(笑)。
 
 他人事めいた言い方を敢えていたしますと、60年代新左翼は、昂揚期には大衆と区別できぬ激情に身を委ね、後退期には主観的な革命願望に自閉したのではなかったでしょうか。そうした自閉的革命観念は、大衆を置き去りにすることも手段にすることも平気でできる倫理的荒廃を招き、それに居直ることも意に介さぬところへ容易に転落いたします。そのとき暴力は、政治的意識性の制御を失って自己運動いたします。それを後から理屈付けてみせたところで、それはもはや社会性(党と大衆の政治関係)を持たぬ特定党派の内部言語にすぎません。「内ゲバ」はそのような魔性の因子が政治思想を蝕んできた悪性の現象として抉り出されねばならぬと考えるところでございます。

>なお、お馴染みの宮地健一氏のホームページの中に中野徹三氏の「流されて蜀の国へ」
>のかなり詳細な紹介があります。

 ぜひ拝読したく存じます。
 

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いまさらですが、まえふり、、 投稿者:臨夏  投稿日: 1月27日(日)03時34分45秒

菊さん>
ヒューマニズムについての、菊さんのご意見に大賛成です。
とことんヒューマニズムを解明し、かつそれに立脚することが、
問題解決の道、長いが確実な道、と思います。
内ゲバ時代のころは、まだ人間を見据える視座が確定してなく、
ゆえに思想もふらふらやったんではないでしょうか?
ふらふらな思想を、無理に強固に確立しようとしたとこが、スターリニズムを産んだの
ではないか、と愚考いたします。

また、それならば、そういう、それなりの、その時代の意義とは、なんやったんでしょう。
革命は時期尚早やったとして、ほな、その時代の人々や、ソビエト連邦は、
なにをなすべきやった、、のでしょう。
もうなされているのかな?
最近、トロツキーの自伝読んでて、「この人はなにをしたのかなあ??」と
考えてまうもんで。。

TAMO2さん>
あと、TAMO2さん関係あてへの、前衛についての書き込みのときも、
挨拶してませんでした、すみませんです!(^^;

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ヒューマニズム 投稿者:臨夏  投稿日: 1月27日(日)03時18分03秒

ひところ、構造主義なんかは、流行はじめたころは、アンチ・ヒューマニズムを売りに
してたみたいですね。
実存主義者がヒューマニズムと称していたからでしょうか。
でも、最近ではまた、「構造主義はヒューマニズム」とされてきているような。

ルネサンス以来の伝統をほこるヒューマニズムも、歴史の長さにわりには、
腰の粘りが強くないなあ、との思います。
ヒューマニズムは、まだ充分には研究されてないからでしょう。

結局わたしは、人類は、ヒューマニズムを追求していくしかない、と思てます。
そのとき、「人間」を、わたしは、「対話的存在」として、フォイエルバッハに結び付けたいです。
ベンヤミンも、フォイエルバッハいうてた、「人間学」。
これこそが、理系・文系を統合した、21世紀の学問の潮流になっていくでしょう。

「人間」を、改めて問う時代に来ました、
わたしは、歴史学をするつもりですから、霊長学をやってる友人の助けをかり、
700万年前?からの、人類史を通しで見るかたちで、人間とはなにか、に迫る予定でいます。

すみません(^^;、内ゲバとか、わからないもので、横から、関係うすいことばっかりいうてます。
ただ、内ゲバとまではいきませんが、表三郎一派の研究会でも、
たえず、まことにしょう〜〜むない陰謀、陰謀のための陰謀が次々に起こっていた歴史があります。
こらなんじゃ、早稲田の雄弁会かいな、という感じでした。

ゲバがないならないで、それなりに組織(結局は人間)はダラクするものですね(笑)

あと、わたしは、組織について、まるごと人間関係の産物として、人間の内部のものとしてとらえています。疎外された存在として、外部に置くのは、ちょっと様子見してるとこです。
「疎外」もようわからんしナア(苦笑)。

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書き逃げみたいですが(^^;) 投稿者:dk  投稿日: 1月27日(日)02時55分24秒

検証内ゲバ読みました。文章化できませんが、いずみさんの指摘は的を射ていると思います。

・早稲田の問題は、大学当局、大学自治の問題も併せて批判する必要があると考えます。

・菊さんが言うヒューマニズムは、結局、日本社会には根付かなかったのではないか、
 と思うのです。「殺すな」という素朴な、だからこそ尊い思想が、学生にも、教員に
 も、市民にも広がりを持たなかったということを真剣に捉え返さなければいけないと
 思います。

・あと、内ゲバ的手法(厳密な言葉でなくてすいません)は、今現在でも、セクト・
 ノンセクト問わず、少なくとも大学内では通用しているということを忘れないで
 欲しいと思います。
 中核も革マルも、そしてノンセクトも(もちろん、他の組織体も)日本の左翼の
 多くは、未だ内ゲバ、そして内ゲバ的手法と無縁ではないのです。

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佐藤さんのお話には共感できるところも。 投稿者:いずみ  投稿日: 1月27日(日)00時47分56秒

 今まで回答をサボっていましたがm(__)m、小西さんが、いずみの「まだ内ゲバに至る動機解明が弱い」との感想に「あれでもまだ弱いですか。」と述べられていたこと、これについてここまででもっとも「わかりやすい」問題提起を、佐藤さんが述べられたと思います。

>自分がその組織の権力をとり自己の意思で自由に操りたいという野心を持った場合、「理論」はいかようにも捏造できるし、荒唐無稽な「理論」でも組織に浸透させることができる。

 そうです。こういう面がある以上、日本型内ゲバ*全体*に対しては小西さんの批評は「弱い」と思います。

 もちろん、中核vs革マル戦争に限って見た場合は、佐藤さんご指摘の論では説明がつかないでしょう。両派のひとびとは特定の人物への忠誠を誓ってそうなっていったとは到底言えないと思いますし、やはり小西さんの分析が的確な気がします。

 結局、小西さんのロジックは、「革共同戦争という個別具体の問題について」、「その内部に結集した人に対しての呼びかけとして」、有効なものだと思います。
 その面で、直接の当事者でもなくかつ全くの無縁でもなかった、インターなりノンセクなりの活動家やシンパに対しては、必要以上にリアリティが薄れてしまう危険性はあるし、また普遍的説得力という面でも「弱」くなってしまうのかなぁ、なんて。

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佐藤さま 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛  投稿日: 1月26日(土)22時40分47秒

>>このスターリン主義的体質は左翼特有のものではなくて人間の持つ
>>性向に起因しているというのが私の意見です。上の顔色ばかりうか
>>がってる社員をサラリーマン社会では「ヒラメ」と呼びますが、党
>>組織にも(党組織だからこそ?)そういうのがいっぱいいて、力の
>>ある野心家に無批判に追従するあるいは恫喝されて追従する、そん
>>な構図がミエミエ

 そういうヒラメばかりになったとき,「組織」は一体どうなるのか?というのを,経営組織論あたりでは,まさに分析しているわけですね。
 だいぶ下に流れましたが,その視点から関係文献を引用してあります。必要でしたら,見てください。

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土日のトロツキスト様 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛  投稿日: 1月26日(土)22時34分54秒

 非常に興味深く拝見しました。

>>ユーロ・コミュニズムやイタリア共産党のように西欧ではスターリニスト
>>党でありながら必ずしも粛清や党内民主主義の圧殺が常態化はしていない。

 文献等は示せませんが,イタリアに関して「スタ党」と規定していいもの
かどうかは微妙なところだと思います(いつのイタ党かにもよりますけど)。
 また,時期にもよりましょう。イタリアに限らず,1950年代以前は結構キワ
ドイものがあったでしょうし,無論,スペインは,スペイン革命時のロシア直
輸入スターリン主義の跋扈の悲惨さは言うまでもありません(もとより,スペ
インは「西欧」では括れないのでしょうが)。

 以上はチャチャ入れでは決して無く,

>>共同体への帰属の強さ、共同体リーダーに対する従順さ、共同体外の職業
>>的民間暴力集団による紛争処理の日常化などのアジア的伝統がこれらの社
>>会で根深く存在しているというのも理由の一つ

 とする指摘に着目してのことです。今後,この部分での一層の掘り下げも
重要と思います。
 もしその結果,陰惨な内ゲバの根拠の重要な部分が,アジア(というか非
西欧)的な様式,に求められるとすれば..アジア(非西欧)の我々は,今
後どうすればよいのか,ということにもなるわけで。

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なんかおかしい内ゲバ論議 投稿者:佐藤  投稿日: 1月26日(土)22時24分14秒

黒田組織論はさておき(第四インターの批判はここに集中していたから)、本多暴力論や清水先制的
内戦戦略論を的確に批判すれば、内ゲバは無くなっていた? これってなんかおかしいと思いません
か? 論理的思考回路を通して正しいことを訴えることで内ゲバが無くなるということは、内ゲバ
が論理的思考回路を通して生じていたということになるわけですが、実態は全然違うんじゃないか
と思うのです。

ヘ理屈に近い「理論」でも人間組織では通用することが多いんですが、特にその「理論」の主唱者
が組織内で力をもち、野心がある場合ですね。自分がその組織の権力をとり自己の意思で自由に操
りたいという野心を持った場合、「理論」はいかようにも捏造できるし、荒唐無稽な「理論」でも
組織に浸透させることができる。スターリンや麻原彰晃はいい例でしょう。難クセをつけてライバルを
蹴落とすことも好んでやる、なぜならばライバルがいなくなれば、自己の意思を通しやすくなるから。

人間というのはそういう性向をもった生き物だ、私はそう思います。こういう連中の跳梁跋扈を食い
止めるためには、組織内に民主主義の作風が浸透し、「おかしいものはおかしい」と言える雰囲気
がなければなりません。それを保証するために民主主義的組織内制度が必要です。まず、分派の自由、
もちろん民主主義的中央集権制をを前提としてですが。−−−分派が発生した場合、その分派は勢力
比に応じて党指導部にメンバーを送り込むことができる。いったん党決議をしたならば行動において
従う。−−−もし行動において統一できない場合は別党化もやむおえず、多党制承認の立場から別党
として承認する。すなわち一国一党制、唯一前衛党主義はとらない(別党化したらゲバルトをかけて
潰すという愚かな思想を持たない!)等々。

ソ連邦におけるスターリン、カンボジアのポルポト、日本の内ゲバ、いずれも組織のスターリン主義
的体質が原因だと思いますが、このスターリン主義的体質は左翼特有のものではなくて人間の持つ
性向に起因しているというのが私の意見です。上の顔色ばかりうかがってる社員をサラリーマン社会
では「ヒラメ」と呼びますが、党組織にも(党組織だからこそ?)そういうのがいっぱいいて、力の
ある野心家に無批判に追従するあるいは恫喝されて追従する、そんな構図がミエミエだと思うのですが。

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読んでいて、わたしには、 投稿者:臨夏  投稿日: 1月26日(土)21時38分00秒

チャチャ坊主さんも坊主さんも、両方やかましい。
直メでやりおうて下さい。

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「暴力」の正義と倫理性 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月26日(土)21時22分32秒

>土日のトロツキストさま

>1.新左翼運動は70年代から80年代にかけて影響力を後退させるが、その主原因である
>内ゲバの泥沼化は不可避であったのか?あるいは、その新左翼運動に係わった人々の共通
>の責任としてそれを克服する道は果たしてなかったのか?

 大変むつかしい問題でございますね。解答もさることながら、問題の定立そのものがむつかしい問題と思います。タラレバならばなんとでも言えましょうけれども。
 
 結論から申せば、克服する道を見出す条件は、あったと存じます。その条件は、「新左翼」が獲得した大衆的基盤そのものに求めるべき問題であったと考えます。みずからの獲得した大衆的基盤をその条件とすることができなかった、それはなぜか、というふうにここでは問題を定立してみることといたしましょう。
 
 「内ゲバ」は何より「暴力」の問題でございます。暴力の政治性の問題でございます。
 
>本多暴力論はちょうど非暴力・ヒューマニズムと対極に立つ論理展開をしています。暴力
>は本源的に人間的であり、それを他者(とくに国家)に収奪される疎外からの回復過程と
>して革命的暴力を定立しています。
 
 わたし、政治の中で語られる「ヒューマニズム」というものをあまり信じません。「非暴力」が「ヒューマニズム」であり「暴力」はアンチ・ヒューマニズムだとも考えません。それが「西欧的価値観」ないし「特殊西欧型資本主義社会のイデオロギー」であるのかどうかは、思想史に明るくない身とて正確には申し上げられないのですが、「西欧的」政治観念の十全な開花とされるフランス革命こそ、ギロチンに象徴される暴力の永久革命的展開例でございました。そして今日、「ヒューマニズム」の語を多用しているのは革マル派の機関紙らしゅうございます。
 
 いつかも一同窓生さん宛て少し書かせていただききましたが、60年代後半の新左翼大衆運動は、この抵抗と解放の暴力を民衆が初めて本格的に手にした歴史であったと存じます。もともと典型的な民衆の武器であった火炎瓶を、50年共産党「武装闘争」以来のタブーを破ってその本来の姿に取り戻したのも、60年代新左翼の歴史的な貢献でございました。それは、自動車と清涼飲料水の普及でガソリンとビンの入手がきわめて容易になった結果という意味では、「豊かな社会」が可能にしたものだったと申してよろしいかと存じます。
 
 70年安保・沖縄闘争は、この抵抗と解放の暴力を大衆が保持し発展させ続けるかどうかの分岐点であったとわたし考えます。党派を主語とするなら、この暴力を大衆のものとして強化するか、それを大衆の手から奪って私的に占有するかの。そして、党派の手に私的に占有されたときその暴力は、いかに「革命的」と形容されようとも「正義」の基準を見失って自己運動の轍にはまってしまったと思うのでございます。
 
 上に引用させていただいた「本多暴力論」には、この分け隔てが原理的にないと感じます。「暴力は本源的に人間的」などということはありえません。それはただ、支配や抑圧と闘う武器としてのみ民衆の自己獲得過程を媒介する力となるのでございましょう。マルクスの「プロレタリアート」概念もここに根拠を置いていたとわたし考えております。
 
 70年安保・沖縄闘争の局面での大衆の暴力は、機動隊の暴力に抗して街頭デモンストレーションを貫徹するための、またバリケードを死守するための武器・武装であり、そのようなものとして強化・発展させるべきものでございました。そこに「政権奪取〜革命」を夢想する主観的願望に絡め取られたとき、政治党派は大衆とともに歩みその前衛を務めることを放棄し、結果、暴力の正義と倫理性を喪失したと思うのでございます。それを必然にするような「イズム」の問題を独自に取り出し検討することが必要と考えるゆえんでございます。

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re:内ゲバ 投稿者:土日のトロツキスト  投稿日: 1月26日(土)18時30分19秒

菊さん、鬼薔薇さんコメントありがとうございます。

「総括の視点」というほどおおげさなものではありませんが問題意識は以下のとおりです。

1.新左翼運動は70年代から80年代にかけて影響力を後退させるが、その主原因である内ゲバの泥沼化は不可避であったのか?あるいは、その新左翼運動に係わった人々の共通の責任としてそれを克服する道は果たしてなかったのか?当然「内ゲバ」反対を言ってきたからといって、この責任から免罪されるとは思いません。

私は、少なくともこの事態を改善する契機がいくつかあったかもしれないと思っています。早稲田の例を持ち出したのは、この闘争が内ゲバ的手法vs.大衆的反撃という内ゲバ史上ほとんど唯一の構造の成立ではなかったのかと思うからです。ここで成立した構造がその後の内ゲバの泥沼の帰趨を決めたのではないかとうい直観です。自衛武装と内ゲバ主義反対を唱えたインターならば、芝工大の寮で固まっていないで、より進んで、党派協定を結び行動隊を結成し、自治会再建に向かう活動家の防衛をしきることができなかったのか?と思ったものですから。川口君虐殺糾弾闘争を、内ゲバ主義の破産と捉えるのではなく、現在進行形の新左翼運動の帰趨をかけた共同の攻防戦としてとらることができていたのでしょうか?むろん実情を知らない人間の勝手な思い込みかもしれませんが。

2.もし新左翼運動の内ゲバの泥沼への転落が必然であったとしたら、それは何故でしょうか?そもそも新左翼運動は見かけの華々しさとは別に、本質的にダメだったからでしょうか?西欧型のヒューマニズムが日本には根付いていなかったからでしょうか?例外的に日本ではスターリン主義の呪縛が強かったからでしょうか?

私もこの問題に結論は持っていません。
しかし、多分イズムの問題ではないような気がします。
ユーロ・コミュニズムやイタリア共産党のように西欧ではスターリニスト党でありながら必ずしも粛清や党内民主主義の圧殺が常態化はしていない。他方、ロシア、アジアのスターリニスト党では、暗殺、粛清などの手法が広範にとられてきました。共同体への帰属の強さ、共同体リーダーに対する従順さ、共同体外の職業的民間暴力集団による紛争処理の日常化などのアジア的伝統がこれらの社会で根深く存在しているというのも理由の一つだと思います。

本多暴力論はちょうど非暴力・ヒューマニズムと対極に立つ論理展開をしています。暴力は本源的に人間的であり、それを他者(とくに国家)に収奪される疎外からの回復過程として革命的暴力を定立しています。中核派の暴動・戦争路線の定式化ですね。西欧的価値観からすればこれは非常識で、荒唐無稽かもしれませんが。こうした西欧的価値観自体が周辺諸国からの収奪によって成立する特殊歴史的な西欧型資本主義社会のイデオロギーにしか過ぎないのではないかとも考えてしまいます。アジア・アフリカの革命や独立は、その多くは銃口から生まれてきたのも事実です。映画『アルジェの戦い』の終末の『自爆闘争』を凄惨と思うか英雄的と思うかは観客の置かれた社会の支配的イデオロギーに依存するのではないでしょうか。

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過小評価の誤りについて 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 1月26日(土)15時59分38秒

>菊さま 横からで恐れ入りますが。

>黒寛組織論、清水、本多を上げておられますが、清水・本多は当時、ノンセクトでさえ
>(失礼!)、バカにしていた。理論といえるほどのものではないという共通認識はあった
>ように思います。黒寛批判はどうなのでしょうか。これはちょっと保留ですが。

 仰る「共通認識」、当時の“気分”としてはわたしも理解いたします。でも、土日のトロツキストさんのご発言は、「理論といえるほどのもの」であったかないかではなく、「理論といえるほどのものではない」ような主張が、時として悪魔的な作用を及ぼすという事情に対する過小評価の(自己批判的な)ご指摘ではないのでしょうか?
 
 ここでわたし、60年代初頭でのマル学同(中核派と革マル派への分裂前)の急速な影響拡大と全学連中執の簒奪、そして(党派闘争に初めて角材が導入された)17回大会「マル同全学連」の成立の過程を苦々しい思いで振りかえっております。
 
 60年安保闘争のなかでの「革共同全国委員会」とその学生組織「マルクス主義学生同盟」は、大衆運動に責任をとる立場にはなく、批判的批判に終始する小サークルにすぎませんでした。その掲げる理論もスローガンも、「理論といえるほどのものではない」と各派から「バカにされ」ておりました。それが安保闘争後の運動の退潮と思想的混迷のなかで、またたく間に多くの活動家を吸収し、学連反主流派(後の全自連)の拠点早稲田一文自治会を制圧し、「不抜の拠点」といたしました。けれども、当時の「つるや連合」も、後の(社学同、解放派、構改派の)「三派」も、このときの「革命的マルクス主義」のイデオロギー的な影響力に対する過小評価を真剣に自己批判することなくすごしてしまいました。構改派が中核派に替わった新「三派」となればなおさらでございます。
 
 “黒田組織論や本多暴力論、清水先制的内戦戦略論”、いずれも荒唐無稽なものと言えば言えるものかと存じます。けれども、そうした荒唐無稽な「理論」が多くの左翼活動家の頭脳に麻薬的に作用したことは、まぎれもない政治的現実でございました(これは後の連合赤軍に至るブンド系の「革命戦争」論についても同様でございます)。「バカにして」はいけなかったのでございます。「ノンセクトでさえ」ではなく、「党派でさえ」そうした過小評価に陥っていたことは、やはり痛苦な自己批判を必要とする重大な誤りであったと存じます。小西さんの著書と共著は、あらためて今その領域へ分け入ろうとする勇気ある歩みとして、あらゆる関係者に読まれるべきかと思うのですがいかがでしょう。

 大分前の小説のことで恐縮でございますが、辻邦生『背教者ユリアヌス』(中公文庫)ご存知でしょうか。読みましたときわたし、登場する「キリスト教徒」に「革命的マルクス主義」が二重写しになって仕方ございませんでした。末期の古代ローマ帝国で小ずるく立ちまわる小セクトがやがて権力を掌握し、その「神聖ローマ帝国」で、世界史上稀にみる虐殺が「神」の名のもとに正当化される陰惨な歴史を開いたのでございました。

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まっぺんさん 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛  投稿日: 1月26日(土)15時55分35秒

>>現代のトロツキストは

 という「トロツキスト」を,まっぺんさんが,と勝手に読み替えてました。
失礼しました。m(_ _)m

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何しに来た、戸田! 投稿者:七篠  投稿日: 1月26日(土)15時21分00秒

 あれだけここで我々他を挑発する書き込みをしておいて、私からのそれへの反論を今度は一切無視してしゃーしゃーと別書き込みか?

 そういう、公開の場でのいい加減な対応は、あなたの政治生命を必ずや短くするよ。

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白鳥事件 投稿者:すえいどん  投稿日: 1月26日(土)14時37分24秒

川口孝夫氏「流されて蜀の国へ」が前に話題になっていたと記憶します。久しぶりに某サイトの日共掲示板を見たら、白鳥事件で指名手配され中国に逃亡した日本共産党員三人のうち、殺害実行犯とされる佐藤博氏は八八年一月十四日に六十四歳で、短銃を渡し実行を指示したとされる宍戸均氏は同年二月二十七日に五十九歳で、北京で相次ぎ病死していたことが、判明したとのこと。「革命烈士」として葬られたようです。なお、両名の死亡自体は、残る1人の鶴田倫也氏が96年に、北京での時事通信記者とのインタビューで明らかにしていたようです。そのとき「もし、このままであれば、事実はやみからやみに葬り去られる。何も話さないのか」と問われ、「それはいつか明らかにしますよ。今はその時期ではない。」と答えたとのこと。日共北海道委員会の軍事部門幹部だった川口孝夫氏が一八年間の亡命生活を送って七三年一二月に帰国、近時の上記著書のなかで、自らの関与は否定しつつも、事件直後に複数の「関係者」から事実と経過を知ることができ、それは同事件の首謀者とされ、殺人罪で懲役二〇年の実刑判決を受けた、故・村上国治氏らによる白鳥警部殺害の共同謀議などを裏付けた一部脱党党員の検事調書での供述内容と、「基本的に一致している」とのことです。当時の軍事方針のもとでの党としての闘争であったようです。内ゲバはいけないとして、では、相手が権力ならいいのかという原理的な問題も含め、50年代の武装闘争の総括は、現在の我々の課題でもあるように思えます。なお、お馴染みの宮地健一氏のホームページの中に中野徹三氏の「流されて蜀の国へ」のかなり詳細な紹介があります。

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遠藤弁護士の死と石川さん再審請求棄却 投稿者:コマンダンテ戸田  投稿日: 1月26日(土)14時26分28秒

 冤罪事件の弁護人としても有名な遠藤誠弁護士の死亡を知りました。
 仏教社会主義革命を唱える筋金入りの反権力の士で、一方で一水会機関誌「レコンキスタ」
で名物コーナーを担当するなど、幅広い視野を持った方でした。直接お会いしたことはありま
せんが、遠藤さんの弁論を読むのが楽しみで「レコンキスタ」を買ったりしたものでした。
 ご冥福を祈ります。
 遠藤弁護士と直接接した方がいらっしゃれば、その思い出を聞かせていただきたいものです。
希有な人材だったと思います。

 それと石川さんの再審請求棄却決定も知り、この権力犯罪への怒りを新たにすると同時に、
新聞記事での扱いが非常に小さいことにも怒りを覚えています。

http://www.ne.jp/asahi/hige-toda/kadoma/

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そうかなあ、黒パンさん、記憶あいまいですが 投稿者:菊  投稿日: 1月26日(土)14時15分43秒

72−3年で、大分勢力が減ったんではないでしょうか、革マルは。そう、72年当時、文学部だけで、7−80人で集会をやっていたように思います。しかし、73年秋、74年頃はどうだったでしょうか。中心部分はもちろん残ったと思うのですが、結構やめたように思いますが。私のクラスの担当だったAさんもやめて、こっそり大学を卒業した。
早稲田以外では、ICUあたりもずいぶん動員されてきていたけど、すっかりいなくなったでしょう。まあ、これは中核・解放派との内ゲバの影響もあるのでしょうが。

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あれくせいにきいてください 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月26日(土)13時28分49秒

久我山さん。読んでのとおりです。再度しつもんされる必要もないと思いますけど?
ぼりしぇびきの一派であるスターリン派による策略がマフノを激怒させ反ぼりしぇびきへと
寝返らせたとあれくせいが主張しているということです。そう書いてあるのを紹介しただけですが?
それに納得できなければ、あとは本人に聞いてください。

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土日のトロツキストさん、総括の視点はどこにおくべきなのでしょうか? 投稿者:菊  投稿日: 1月26日(土)13時16分43秒

組織総括の最後の項目を棚上げにしたままですが、「内ゲバ」問題で少し書いてみます。

>これは、私も常々考えていたことでした。原則を主張している点では正しいが、力を持ち>得なかったことを率直に認め、問題点を総括することが必要ではないかと思います。

72年頃を巡るまっぺんさんとのやりとりでも少し書きましたが、私も全く同感です。ではどう具体的に総括すべきなのでしょうか?私は正直いって、よくわからない点が多いのですが、黒パンさんも書いていますので、72−3年頃の状況を思い出しながら少し考えてみましょう。

なぜ、力を持ち得なかったのか?
そう考えると、「内ゲバ反対論」が「あほか。民青の暴力反対と同じ」と受け止められ、必死に原則を主張する姿が「仏の4トロ」と揶揄されていた当時の状況が思い出されます。「あほか。民青と同じ」という感覚は、学生活動家及び活動家になりかかっている先鋭的部分の共通感覚だったように思います。私もそのあたり、区別できませんでしたから。これは私が学生インターになる前の感覚ですが。「光の雨」を見た後、ここに書き込んだ部分に共通する意識です。

それは一党派の力ではどうしようもない。日本の左翼・新左翼のどうしようもない限界、貧困さの表現そのものように思えます。では、そこで何を主張すべきだったのか?

>この点で日本支部の内ゲバ批判は、自衛武装論の再確認にとどまり、「テロや内ゲバが運
>動をだめにした」というヒューマニズム的直情に訴える宣伝活動しか行い得なかった問題
>点があったと思います。日本型の内ゲバの論理的支柱をなした黒田組織論や本多暴力論、
>清水先制的内戦戦略論に対するちゃんとした批判はなされてこなかったと思います。

ここからは、学生インターになってからの感覚です。
私は「逆だった」と今は、思っています。これは後知恵なのですが、ヒューマニズムにより徹底的に立脚すべきではなかったかと。ヒューマニズムさえ、主張し切れていないのですね、当時。「大衆運動を阻害する」と。それは確かにそうなのですが、そこで何が一番疎外されるか。人間=活動家そのものですよね。「命は大切だ」と、どうしてもっとすっきり言えなかったのか。私は当時、そうはいえなかった。そのあたり、ものすごくあいまいだった。

黒寛組織論、清水、本多を上げておられますが、清水・本多は当時、ノンセクトでさえ(失礼!)、バカにしていた。理論といえるほどのものではないという共通認識はあったように思います。黒寛批判はどうなのでしょうか。これはちょっと保留ですが。

これも後知恵ですが、左翼イデオロギーの系譜からすれば、新左翼(自分たちも含めて。というのはこれは曖昧で、自分たちは新左翼ではないと当時思っていたから)の底流に色濃く存在する戦前からのスターリン主義的な考え方、問題の立て方に徹底的にスポットを当てるべきだったように思います。70年代前半であってもずいぶん、そのあたりを分析している人は多いわけですね(例えば、石堂清倫、久野収、鶴見俊輔・・・・)。

>実践的に内ゲバを克服するためには、日本支部が大きく強固になるということではなく、

そうですね。これは結構、ご都合主義的に使い分けていた。「大衆的学生運動の再建」といいながら、結局「自派の組織拡大」に帰着するような考え方とやり方です。東北大の事件、その後の三里塚でもゴチャゴチャになっています。この部分は組織としての現状認識と目標、方針の立て方の問題だと思います。

>内ゲバ党派に所属する人々、その党派をとりまき許容する人々に「ひょっとしたら自分は
>間違っているのではないか」という考えにいきつくような、真摯な理論的批判を行うこと

ううーーん、これはどうかな。各派「疑心暗鬼」になって、縮こまっていこうとする時期ですよ。当時の状況ではいくらやっても、声は届かない。。。。。

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黒パンさんご指摘ありがとうございます 投稿者:土日のトロツキスト  投稿日:1月26日(土)12時16分42秒

 黒パンさん、貴重な証言ありがとうございます。ご指摘の点ですが、「あれだけ大衆的決起があったのだから、革マル派も動揺したに違いない」という私の主観的思い込みから書き込みました。事実と違っていたようです。ごめんなさい。
 さてその上で、その後の革マル派が、「未熟」さを克服しより「熟練」した方法で、内ゲバを展開していく事態はやむをえない必然だったのでしょうか?それとも大衆的糾弾によらない革マル派解体の道筋が別にあったのでしょうか?とくに、早大闘争に関係された方々のご意見をお待ちします。

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