四トロ同窓会二次会 2002年2月1日〜3日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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「検証 内ゲバ」本 投稿者:通りすがり  投稿日: 2月 3日(日)19時16分03秒

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/47-6.htm

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鬼薔薇さん教えてください。 投稿者:越貴来 翔  投稿日: 2月 3日(日)18時46分50秒

どうもていねいなレスありがとうございました。
あのう、「検証 内ゲバ」本って小西誠の「新左翼運動その再生への道」
の「第二章 検証内ゲバ」のことじゃないのですか?
この第二章は36pから67pで終りなんですが。
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いえ!ちゃんと本読んでるかたにいわれると、恥ずかしく存じます(笑) 投稿者:臨夏  投稿日: 2月 3日(日)13時29分15秒

鬼薔薇さま>
なに、教養というか、はったりです(^^;
しかし、せめて、現代マルクス主義のジェイムソンくらいは読もうと思い
ます。
実家の本棚にある分を、まず片付けなくては。
師匠の表が、以前熱烈にジェイムソン賛美していたころは、読んでたのですが、
難しかった(笑)
それで、哲学から、歴史に逃げておりました。

>でも、毛沢東って「スターリニスト」でしょうか? 
>中国革命なら王明とか李立三とかの。ほうがずうっと
>「スターリニスト」じゃないのかしら?

たしかに、毛沢東は、コミンテルン路線追随派にたいしては批判斗争しまして、
独自の中国革命路線をつくりだしましたが、
フルシチョフのスターリン批判のときには、直接、「スターリンには欠点もあったが
総じて偉大であった」のように言うてるんです。
それに、毛の党国体制、民主集中主義も、スターリンを習ってのことと考えております。

文革の発動も、自分が、死後、スターリンのように批判されることを恐れて、という
側面もあったと、よくいわれています。
党内での、整風、粛正路線も、スターリンに類似しています。

そうこうで、わたしは毛をスターリニスト、と呼びました。
しかし、このへん、わたしも安易な図式区分をしているかもしれず、
御指摘のことは、これから何年も考えていこうと思います、
とまれ、御批判ありがとうございました(^^)。

しかし、やはり、中国革命だけ見ていたのでは、わからんことが多いですね、
西洋史は苦手なのですが、トロツキーあたりを手がかりに、ロシア革命史その他も
勉強していこうと思います。
個人的課題ですが、キムイルソンについても、ちゃんと知りたいです。

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『20世紀の意味』その他 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 3日(日)12時35分37秒

>臨夏さま 石堂さんのこと、話題に取り上げていただいて嬉しく存じます。あんまりすごいご教養に圧倒されておりまして、無教養の身といたしましてはわかるところだけ低レベルのコメントさせていただきますね。

>わたしは、これ読んでレーニンが好きになりました。

 けっこうそういう方、いらっしゃるかもしれませんね。わたし、元々レーニン大好き人間でございまして(笑)、特に『帝国主義論』。ずっと前のことになりますけど、『国家と革命』は国家論より革命論の本、『帝国主義論』のほうを「国家論」として読んでみたら、とか変わった示唆を下さった方がおりまして。お話にあるルフェーブルも、『レーニン伝』を読みました。大変すばらしい本でした。中身は忘れましたけど(苦笑)。「帝国主義論」まわりで一番むつかしいのは、やはり「民族」問題のような気がいたします。

>ボルシェヴィキも、再評価しなならんようです。
>以前から好きなはずのトロツキーも、ロシア共産主義者ですし、
>毛などはスターリニストですしね。

 もうすべては歴史でございますし、「党派性」の残滓を拭って「歴史」としてきちんと定位し理解したいものと思います。せみまるさんからご教示いただいた1910年代前半のトロツキーのボルシェビキ批判を少していねいに追うと、トロツキーについてもボルシェビキについても、理解が広がりそうな予感しております。
 
 「亡命革命家」の世界をわたしたちほとんど実感できませんけれども、ヨーロッパ革命思想というのは、たぶんその雰囲気のなかで育まれたのでございましょう。マルクスの頃はドイツからフランスやイギリスやベルギーへ、レーニンの頃はロシアやポーランドその他からドイツ、フランス、イギリス、スイスへ。これまたお触れのルカーチも、ドイツへ亡命的留学をしていて、ベラ・クン革命でハンガリーへ戻ったのでしたね。この頃のヨーロッパの政治的・社会的雰囲気というもの、池田理代子『オルフェウスの窓』に描かれたような風景だったのでしょうかしら?(自問) 池田さんは『ベルバラ』が超有名ですけど、むしろこちらが彼女の本領みたいに思います。あの人も元は左翼、それも「革命的マルクス主義」だったりして(笑)。
 
 でも、毛沢東って「スターリニスト」でしょうか? 中国革命なら王明とか李立三とかのほうがずうっと「スターリニスト」じゃないのかしら? 毛沢東の革命構想は、彼らとちがって「反スタ」的だったとわたし思っております。というか、反露・反ソですけど。むしろ彼は「親米」でございましょう。延安時代にはエドガ−・スノーとかCIAのエージェントまで(きっとそれと知った上で)周りにはべらせいろいろ書かせたり。満州問題でリットン調査団を動かしたアメリカの側にも、毛沢東派の存在は意識されていたはずと思います。中国共産党の指導部で珍しく亡命や留学の経験がないのが毛沢東でございましたね。彼の「革命」観は、西欧的「レボリューション」よりも「命、革まる」ほうの伝統思想につながる面があるような気がいたしますし、その「民族」観も、西欧的尺度では計りがたいものがありそうに思うのですけど、いかがでしょう。
 
 石堂さんはヨーロッパ革命思想の研究で高名でいらっしゃいましたが、戦時中は満鉄調査部にも関わり、中国にも大変お詳しかったはずと思います。お書き込み最後の「東洋、アジアからでた社会主義」を考える上でも、もっとそのあたりのことを書き残していただきたかったと....いまさらながら惜しい方をと、残念でございます(合掌)。

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関西ブントのこと+雑談 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 3日(日)10時19分55秒

>越貴来 翔さま おはようございます。でもずいぶん夜更かしでいらっ
しゃるのですね。
 
>ところで生田さんの「検証本」てなんですか。ぜひ読んでみたいのですが。

 申し訳ございません、へんな略し方してしまいました。お手元の『検証 内ゲバ』その本のことでございます。第2章が生田あいさんの筆ですよね。その116ページ、真夜中の査問シーンに、新開さん、清田さんのお名前が出ております。
 
 そのご報告によれば新開さんはその後「逃亡」したとありますが、ご指摘の「自殺未遂」はそれと関連あるのでしょうか、そのあたりの事情はわたしまったく存じません。

>64年当時、急速にわがキャンパスでは民青が伸張し、(当時の指導部は白川真澄を始
>めとする、のち「日本のこえ」から共労党に行った部分)

 ああいう人たちまで「新左翼」になってしまうところが「新左翼」のおかしなところですよね。志賀離党を契機にした「日本のこえ」から後の「共労党」のグループ、わたしほとんど信用できませんでした。特に白川さん、そしていいだももさん、あのお二人のもっともらしい文筆には、読む前からわたし眉唾なのでございます。同じ元民青の「白川」さんでしたら自民党議員になった方のほうがまだまし(笑)。後の共労党系でももっと若い方、たとえば笠井潔(黒木龍志)さんなどはそれなりの評価もできますけど。
 雑談ついでに余計なことを申しますと、生田あいさんほどの方が(といっても直接存じ上げているわけではございませんが)、なぜまたよりによっていいだももさんなんか(失礼)と一緒にグループつくっておられるのかと思うのですけど、まあ他人さまのことをあれこれ言ってみても仕方ございませんわね(苦笑)。

 民青待ち伏せ空振りのエピソードには笑わせていただきました。学生自治会がまだ正常な運営を保っていた京都らしい風景と存じます。でも、京都の民青はそんな頃からすでにゲバっぽくなっていたのですか? 当時の東京の状況からはちょっと信じにくいことでございますが、これまた京都ならではの政治風景だったのでしょうか。

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朝(笑) 投稿者:臨夏  投稿日: 2月 3日(日)07時36分56秒

菊さん>
>ジジい

不眠なんですわ〜(笑)
分裂病(最近は統合失調症というのですか、@@))
の後遺症で、鬱病、不眠症になり、
とりわけ、不眠というより過眠で、記録とったら、一日平均12時間ねてます(笑)

40時間連続寝たりするいっぽう、週に1.2回、徹夜するのです。
あ、けふは、早寝して早起きしてます。
最近5日くらい、睡眠まともでして、そろそろ恢復につなげたいものです。

*さっきの書き込みにつなげるつもりですが、切れてしまい、
*私信オンリーになり、すみません!
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共産主義いろいろ 投稿者:臨夏  投稿日: 2月 3日(日)07時29分47秒

noizさん>
>ロシア共産主義からは生まれなかった共産主義の系譜は
>なかったことになってるんですねえ…

そうそう、最近は、「西欧共産主義」についてとんと忘れてました。
ルカーチ、コルシュなんかが有名で、以前わたしは、世界の希望を彼等にかけていたものです。
ソ連の滅亡も、単にロシア共産主義が失敗しただけ!というふうに。

日本で政治活動してると、彼等が見えにくくなるのでしょうか。
西欧共産主義は、ドイツ社会民主党の系譜でしたでしょうか?(曖昧)。
とにかく、わたしはアンチエンゲルスな以上、アンチレーニンでもありまして、
マルクスの正統は(オーソドックスはなく、、
ややこしい言葉やしちょっちコワイですね(笑))こっち!と思てたものです。

ヘ−ゲリアンマルクシズムという呼び名も、こっちのほうでしたでしょうか。
現代アメリカのマルキスト、フレデリック・ジェイムソンまでつなげてええのでしょうか。
イギリスのテリー・イーグルトンは?

しかし、鬼薔薇さんも『20世紀の意味』読んでるのですね、ええ本ですよね、
わたしは、これ読んでレーニンが好きになりました。
とくに、ネップ前後。
ソヴィエト民主主義の偉さもわかってきました。
ボルシェヴィキも、再評価しなならんようです。
以前から好きなはずのトロツキーも、ロシア共産主義者ですし、
毛などはスターリニストですしね。

彼らについては、、西欧共産主義セクトやった(苦笑)わたしは、
実践によって、レーニンを乗り越えた人達、などと解釈しておりました。
トロツキーは、世界革命による自己否定で、レーニンからは区別される、などど、
いま考えたら秘教的で、恥ずかしさ極まれりです。

石堂先生といえば、グラムシも、レーニンとは別の流れで、
西欧共産主義ですね、やはりヨーロッパには豊かな伝統があります。
師承には、現代に通用するのは、(フランスの)アンリ・ルフェーブルや、と
言われてました。
いま、机の上に、読みかけの、かれの『都市革命』があります。

もうこうなってくると、西欧共産主義かどうかも、わかりませんが、
(現代は、いろんな学問の諸潮流が復活、結集してきて、ワールドルネッサンス
に近付いていってるような。その中で、マルクスは、最大の遺産でしょうが。
レーニン、トロツキー、毛沢東なんかも)。
いまは社会主義・共産主義といえば、
アメリカ・イギリスが主流ではないでしょうか。
英米系は、ロシア共産主義の影響が一番小さかったからかな。

現代のパイロット学問のひとつの、アメリカの
マルクス主義地理学のデヴィット・ハーヴェイなんかには、
憧れて、『都市の資本論』は読んだし、雑誌でもいろいろチェックしてます。
イギリスのマルクス主義社会学も有名ですが、詳しくは知りません。

しかし、個人的にわたしは、マルクスの最良の流れは、
ロシア、西欧、共に熟知しており、最後にはマルクスをも乗り越えた、
フォイエルバッハを軸とした世界教養主義の、
表三郎、と思っております。何度も宣伝ごめんなさい。

最後に、わたしは、えらそうに西欧共産主義、などとここにいろいろ書きましたが、
実は、なんも読んでへんことを白状しておきます。
ルフェーブル読みかけてるくらいです(恥)

わたしが師承から受け継いだものは、教養主義ですね。
これだけではどうしょうもないですが、とりあえず、この基礎教養だけは、
多分、おさおさ人に負けるものではないかな、と自負しております。
これからでも、東洋、アジアからでた社会主義を作っていきたい、などと
密かにおもっております。で、毛選集も、ちょっちずつ読んでます、
批判と愛情こもごもに(笑)

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せみまるさんへ 投稿者:noiz  投稿日: 2月 3日(日)03時19分28秒

共産主義者>ボルシェヴィキ ではありませんでしたか?

ロシア・ボルシェヴィキとは関係なく出てきた共産主義の系譜はなかったことになってるんですねえ… すげいなぁ.百歩譲って過去においてはそうだったとしましょう.でも現在のこの時代において欧米で前衛党批判をあくまで堅持する無政府共産主義の再結集がはじまっていることは認識しておいても損はないと思います.スパルタシストがこれに対してオルグに頑張ろうってくらい目障りになりつつあるわど拡大しているわけですし (笑).…と我田引水的ヨタ話はともかく,他の潮流についてもなかったことにするのはどうかと思います.

評議会主義の系譜も見る影もないほど小さなものだったのでしょうかね? あるいはアウトノーメ・アウトノミアなどの「自律的左翼運動」は? そこから色濃い直接的な系譜を引いているアンチファの運動は? それはボル未満のとるにたらない潮流にすぎなかったのでしょうか? トロツキストのみが世界的潮流を形成していたのでしょうか? うっそだ〜ぁぁぁぁそんなの.今やネットに蓄積されているリソースを注意深く見ているならそんなプロパガンダは恥ずかしくて少なくともぼくは言えない.これは挑発ではなく真面目に言っています.

…つうか,反ネオナチの運動で前面に立って闘っているアンチファの人たちには申し訳なさ過ぎて「トロツキストだけ正しく発展した」なんてこと言えない! ドイツの反ナチ闘争の一つの結節点であるカオスデーなんか,およそすべてのクソマジメ主義者から嘲笑されているパンクス(文字通りただの「不良」と言われるんだなこれが)などが中心になって闘われてきたのだけど,これは「正しくない」潮流なんですかね? カオスデーはそれこそ(ナチとの衝突で)街が大変なことになるけど,少なからぬ市民がこれを支持してきたのですが.

さらに鉾先を変えてみますが,パリ五月革命をトロツキストの活躍からだけではとうてい描写できないということについては,さんざんっぱら色んな立場からのリポートが示してきたわけですが,高島論文なるものはここらへんを語らないプロパガンダなのだと,ぼくなんぞは受けとめましたが.常套でしょこんなの.どこでもやる「語らないプロパガンダ」じゃないですか.アナにしても自分たちのことしか言わないことは往々にしてあるわけで,そこからの情報だけ見てればいかに楽しいかなどと個人的嗜好もあって思うけど (苦笑),現実はそんもんじゃすまないことくらい認識してます.だって実際に色んな人がいるんだもの (笑).

さて,今度は北米.ブラックパンサーのことは置くとしても,RCPなどについても「内ゲバ主義で語るに足りない」って評価になるのでしょうか? う〜ん,昨年4月のケベック反FTAA闘争ではけっこうな役割を担ってたはずなんだけどなぁ… 誰もそんなこと言わないんだよなぁ… マオ派ってそんなにおかしいところばかりなのかなぁ…

自分とこだけ拡大して言うのは世の常だけど,現在ほど情報の囲い込みによる権威化が不可能な状況はおよそないわけで,日本のこの「趣味」による検証作業が獲得してきた蓄積から見てもそれは分かろうと言うものです.化けの皮はがれまくりだよね,情報を握ってえらそーにしてきた人たちの.そーいう意味ではインターネットによる「知の解放」ってすんばらしーなーぁぁぁぁぁぁぁとよく思います.

内ゲバだろうが外ゲバだろうがどの潮流にしたって無関係じゃなーいよ,としか思えないのですが,誰か理論的にこの誤り?をテッケツしてください.特に「我が派は常に正しい」ということの具体的な傍証があると大変理解?に役立つのですが…

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Re:関西ブントのこと 投稿者:e越貴来 翔  投稿日: 2月 3日(日)02時37分32秒

鬼薔薇さん、久しぶりですね。
趣味者として懐かしかったのは新開、清田などという名前を拝見したことです。
清田氏のアジテーションは天下一品でした。新開氏は
アジテーションはうまくなかったが、関西ブント随一の理論家だと言われていました。
ずっと昔の風の噂に新開氏が自殺を図ったが未遂に終わったとか、
そのご赤報派に行ったとか聞きましたが、いまはどうされているのでしょう。
清田氏のほうは、そのごとんと噂を聞きません。新開、清田らが
指導部だったころは塩見氏は単なる肉体派程度の評判でした。
塩見、新開氏には喫茶店でオルグされた記憶があります。
以上の3人ともパチンコフアンでした。実力のほどは知りませんが。
ところで生田さんの「検証本」てなんですか。ぜひ読んでみたいのですが。
田舎にいるとマトモな本屋がなくて、やっと都会にでて、評判になってた
小西さんの本を買ってきたけど、この「検証内ゲバ」ではないようですね。
おっしゃるとおり、確かに4トロに関して言えば、暴力的な体質はなかった
ようです。
64年当時、急速にわがキャンパスでは民青が伸張し、(当時の指導部は白川
真澄を始めとする、のち「日本のこえ」から共労党に行った部分)教養部
自治会ではついに同数まで追い詰められました。詳細は忘れましたが、
臨時の委員会を召集して、われわれ反日共系の自治委員は民主主義の
原則からいって問題のある主張を行い、殴られ役になってくれと因果を含まれました。
民青は応援団を連れてきて、暴力をふるいだすから、何発か殴られて
自治会室から逃げ出してこい、そうすれば民青が追いかけてくる。
そのときわれわれが木陰から飛び出して一気に逆転するから、と
いう作戦でした。生まれてから人を殴ったことも殴られたことも
なかったぼくとしてはいやでいやでしょうがなかった記憶があります。
当時4トロはブントと統一戦線を組んでまして、このブントの作戦に
異議を唱えませんでした。
で、結果は空振り。待てど暮らせど民青は現れず、待ち伏せしたブントら
「主流派」は蚊に食われて、顔がぼこぼこに腫れていました。
すみません、レベルの低い趣味者が割り込みまして。

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関西ブントのこと 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 3日(日)00時44分23秒

>一同窓生さま
 
>その部隊の言動たるや左翼とは言いがたい水準で、

 関西ブントと申しますと、60年安保後の全学連の解体過程でも、党派に分断された東京とちがって京都府学連はじめ大衆運動を維持しつづけたことで勇名をはせておりました。62年大菅法闘争で京大同学会が出した「全学閉鎖」戦術が、「自己権力」イメージで他党派(特に構造改革派と社青同解放派)に強くアピールしたのも印象的でございました。また、早くにお亡くなりでしたが中島(田原)さんを理論的指導者として展開された「政治過程論」も、濃淡の差はあれ各派にも影響を及ぼしたと記憶いたします。その関西ブントが、やがて塩見さん(京大出身)を議長とする赤軍派の母体となり、赤軍へ行かなかった部分も大衆運動から乖離した軍事路線の自己運動へ迷走して行った結果は、『検証』本の生田さんの報告に生々しく活写されておりますね。

 キューバから帰国後に彼女が加わったグループの「関西ブント指導部の<ヤクザっぽさ>」というのは、おそらく上のご指摘から尾を引いたものなのでしょうが、女性一人の彼女を真夜中の地下室に閉じ込めて査問したメンバーに新開さん、清田さんなど往年の府学連リーダーの名前をみるのは、なんともやりきれぬ気がいたします。※
 
 第4インターも(一時期「革共関西派」と呼ばれたように)京都をはじめ関西に強い影響力を持っていたはずですが、こうした「暴力的」体質とは縁が薄かったように思います。とすればこうした体質は、関西という地方性ではなく、関西ブント自身の政治体質に求めるべき事柄なのでございましょう。
 
※組織内女性グループの形成と、その闘いによる党派の解体という事態は、第4インターのケースと酷似しているようですが、両派女性グループのあいだには交流があったのでしょうか?

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「トロツキー研究」 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 2日(土)23時39分00秒

>せみまるさま
 ご案内ありがとうございました。さっそくサイトを拝見してまいりました。最近号(36号)掲載の資料は、1910〜11年に書かれたもので、件の14年発言は含まれていないようですが、黒パンさんご紹介のV.セルジュ著本にみえるトロツキーの言葉は、当時のボルシェビキ批判の文脈であれば、ごく自然に出てきておかしくない文言と読むことができますね。14年時期の論文については、次号での訳出・紹介を期待したく存じます。(同サイトの文献リストをみますと、柘植書房版「著作集」は1930年代の著作が主体のようで、これはまた別の編集意図にかかるものでございましょう。)
 
 その書誌的検索は別の趣味的作業にゆずるといたしまして、ここに紹介されている限りの論文を読むと、60年代末から今日に至る日本新左翼の分裂・崩壊過程が重ね合わさって、粛然たる思いにとらわれずにはおれません。分裂する諸派のなかで孤軍奮闘といった態のトロツキーその人もさることながら、帝政ロシアでの党の国内組織と在外亡命者組織との二重性、党と大衆組織との関係、それに重なる知識人層と労働者層との関係など、ドイッチャーの当該時期の記述と重ねながら読みますと、日本のこの30年を振り返るにも十分示唆的なものがあると思います。
 
 あわせて、先日購入した石堂清倫さんの遺作『20世紀の意味』を少し読みかけております。この高名な著者につきましては、わたし「構造改革派」という先入観が強くて、生前ほとんど読まずにすぎてしまったのですが(亡くなった後になってから読み始めた点、広松渉さんの著作も同じですけど)、第一章を読んだだけでも、自らの不明を恥じねばと思い知らされました。トロツキーについても、政権奪取後、特に「戦時共産主義」から「新経済政策(ネップ)」への転換の時期の政策判断を知らなければ評価できぬものが多いように思います。

 それにしても、1905年革命から17年革命のあいだのロシア社会民主労働党の党内闘争とくらべてみると、日本新左翼の党派闘争はなんと貧困で陰惨なのか、心臓が絞られるほど悲しくなってしまいます。それが世界に冠たる「経済大国」の「民主主義」と「豊かな社会」のさなかでのことなのですから、「貧しさ」もひとしおと申すべきでしょうか。個々の「理論問題」などよりも、そのベースになっている思想の生理学のようなレベルで深刻に考えねばと思います。

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う〜ん 投稿者:黒目  投稿日: 2月 2日(土)22時16分54秒

まあ、俺はボルシェビキズムに対して反対派なので(ワラ)、こお、ソ連があかんようになった事の責任のすべてをスターリンに負わせる、という論法そのものに批判的であるのです。

んで、>> 受容する者のほぼすべてに、それを受容する精神的準備がなかった
ですが、別に小西さんや生田さんだって、4トロのスローガンを受容してこの度の「検証内ゲバ」の出版にあいなった、という話では全くないわけであって。
ちょっとその辺の事情をリアルタイムで見てないので、なんともかんともなのですが、「内ゲバ反対」なるスローガンの、4トロによる専売特許化、みたいな現象があったのではないのか、と思います。
内ゲバ反対、あるいは憂慮なんて話は、高橋和巳も埴谷雄高もしてる訳で、なんか、あの辺がすっとんでしまってるあたりがめちゃめちゃ不審、つーか。

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は〜!ぼろくそですな〜(わら) 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 2日(土)22時09分39秒

日本の第四インターについての指摘はあたっている面もあると思います。
日本にはトロツキズムの伝統がなかったし、当時、われわれが理解してきた「レーニン主義」とは、スターリニズムのフィルターを通したものでありレーニンを理解する上でトロツキストの内部にもスターリン主義のカゲを払拭しきれなかったのは事実です。

戦後共産主義運動の歩み自体がスターリン主義の隊列から、しかも、その絶大な権威のもとに出発したものであってみれば、「共産主義」を追及するすべての党派・人物が、スターリニズムの影響から自由ではありえず、日本のトロツキスト勢力も、その中では「比較的ましであった」と言いうる程度であったと思います。

>その状況下で、「正しかった筈の」スローガンが、なぜ、そのような受容のされ方をされたのか、という部分が、謎なのです。

したがって、受容する者のほぼすべてに、それを受容する精神的準備がなかったのが日本の当時の共産主義運動の環境だったのではないでしょうか?

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お判りだと思いますが、ビール飲んじゃったので(ワラ 投稿者:黒目  投稿日: 2月 2日(土)22時00分16秒

ちょっと論旨が収拾つかなくなっちゃってますが(自藁
 よおするに、第4インターが「内ゲバ反対」という、文言の上では全く正当な事を主張していたにも関わらず、なぜにかくも、その事に対する左翼業界内での評価は低いのであろうか?というのが、俺が解き明かしたい謎なのです。
 まっぺんさん(だったか?)も言っておられましたが、小西さんが内ゲバについての本を書くと、それは第4インターの言っていた事と対して変わらないような言い方になってしまう。にもかかわらず、「第4インターが正しかった」という結論にはならず、かつ、かけはし論文は「トロツキー派じゃないから内ゲバやるんだ」なんてゆう、本末転倒した話になる、てあたりから、ちと考えてみたいものだ、という訳です。

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私がボロクソにいいましょう( 投稿者:黒目  投稿日: 2月 2日(土)21時42分54秒

ブラックパンサーが内ゲバを行ったのは、スターリン主義の組織であったからである、という論法でいきますと、スターリン主義の組織を出自に持つ組織はものすごくたくさんある、というか、古くからある大衆団体は基本的にスターリニズムの組織との関係があると思いますが、それらの組織も基本的に同じ問題を孕んでいる、と考えるようでしょうか?
 現実に、日本で内ゲバ党派として名前が挙げられるのは、革マル派、中核派、革労協両派、ということになると思いますが、これらの組織は、「スターリン主義の組織」からの出自の問題で、内ゲバを構造化させていったのでしょうか?

 第4インターの主張するところの「内ゲバ反対」というスローガン、これそのものは、それが主張された状況下において、全く正しい主張であった、と考えます。しかし、それに対する評価というものは、「内ゲバ反対」というスローガンを、自派の拡大に利用した、というふうに「見なされた」という展開である、と思います。
 その状況下で、「正しかった筈の」スローガンが、なぜ、そのような受容のされ方をされたのか、という部分が、謎なのです。

もう少しナニしますと、この主張は、「第4インター日本支部」の、当時の国内の運動の状況に対する「まともな判断」として出てきたものである筈なのであって、国際組織がなんと言っているか、トロツキーがなんと言っているか、というような事はそもそも関係のない話ではないのか、と思うのです。
内ゲバなんかやってるヒマあったら、他にやることあるやろ、と。これは誰にでも見抜くことの出来る真実です。
それを、トロツキーの教祖様としての言説の正しさ、あるいは国際組織の権威の正しさに動員される、という事の不快感、というのが、現時点での俺の感想としてあります。
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ぼろくそに言われてるの? 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 2日(土)20時58分11秒

黒田がトロツキストではなかったのは彼の理論からも行動からも明らかですが、
ブラックパンサーが充分にスターリニストであったのは彼らの理論からも行動からも明白です。
もしも「組織にいたことがある」というような形式的な問題を優先するなら、
唐牛の全学連は「権力の手先」だったという共産党の批判はやっぱり正しかったってことですか?
或いは、香港においてトロツキストとアナーキストは同じ組織として共闘していた事があるが、
そうするとトロツキズム=アナーキズムってことになりますか?

トロツキストはかつて社会党に加入戦術をおこなっていましたが、
社青同解放派は加入というより、むしろ社会党内部から生まれた党派と言っていいでしょう。
そうすると「社会党は内ゲバ党派である」という結論でよろしいのでしょうか?
内ゲバを批判するためにはおタカさんや福島みずほにたいして「内ゲバ主義ぃ〜!」と
非難する必要があるでしょうか?

質問:第四インターをぼろくそに言うのは「どのような各方面」の方たちでしょうか?

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私的内ゲバ体験 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月 2日(土)20時36分06秒

といっても私が内ゲバ行為をしたわけでもなく、内ゲバをかけられたわけでもありません。

「全国全共闘結成大会」、69年ごろだったと思います。正確な日時の記憶はありませんが、
場所は日比谷公園。当時ブントは中大ブントを中心とする関東勢と関西ブントに分か
れていました。中大の学生の何分の1かは活動家で、そのうち3分の1はブント活動家という
もっぱらのウワサで、「栄光の中大ブント」と呼ばれてました。

全国全共闘議長の山本義隆氏が弁舌鮮やかに基調報告をする中、会場内には両派が竹竿で武装
して登場し、各所で内ゲバを始める事態になったわけです。関西ブントの部隊は竹竿の先に
コーラビンをつけてましたが、その部隊の言動たるや左翼とは言いがたい水準で、ゲバルトの
手柄話を声高にする連中で私はビックリしました。中大ブントは常識の範囲内の連中でしたが。

結果は関西ブントの圧勝だったように思います。中大ブントは「やつら内容無いくせに
ゲバルトだけは強くて」と敗北の弁。まだ内ゲバなどという事態が珍しかった時代の話です。

それにしても「全国全共闘結成大会」の場でゲバルトとは情け無い連中だなというのが当時
の感想。解放派はブント両派の間に隊列を入れて摩擦緩和の役割をしていました。当時は
解放派もまだまだ健康な時期でしたね。ちなみに私は当時ノンセクトでし
た。

これは陽性のほうの内ゲバでしたが、こういう暴力を安易に容認する体質がやがて連合赤軍
リンチ殺人まで繋がっていった(事実、何年か後関西ブントから連合赤軍が生まれている)
と見るべきでしょう。

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ごっちゃにしてるのは誰か(とかありがちなタイトル(ワラ 投稿者:黒目  投稿日: 2月 2日(土)20時18分45秒

ごっちゃにしないで、個別に見ていこうではありませんか。
ロシア革命の過程でも、多くの党派闘争はあった訳ですが、あれといわゆる「内ゲバ」とでは、決定的に何かが異なるのでしょうか?

また、黒田派の出自を問題にする事が形式論であるならば、ブラックパンサーの出自がスターリン派であるという事も、また、内ゲバはスターリン主義に根元を求めうる事も、同様に「形式論にすぎない」と言わなければなりますまい。

つーか、俺的には、「第4インターがなぜ各方面からぼろくそに言われるのか?」というのが結構、謎なんですが、その謎をちょっくら、解き明かしてみたいものだ、とゆ〜(苦笑

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おおはずれ!\(^o^) 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 2日(土)18時42分19秒

ロシア革命についての議論は、ここで何度も繰り返されているのでここで繰り返すのはやめておきますが、全体をごっちゃにしても正しい認識を得ることはできません。もしそのような認識を正当化すれば「スターリンがいちばん正しかった」事になるでしょう。また「内ゲバ」総括も「負けたのが悪い!勝つまでとことんやるべきだた」という総括にしかならないでしょう。

革共同全国委員会が「トロツキー派」から生まれたというのは形式論にすぎません。分裂の張本人である黒田寛一が、なぜ、当時の革共同を飛び出したか、は国際革命文庫「革共同史」「三多摩社青同史」に出ています。共産党員を新宿警察に売ろうとしたスパイ未遂行為の事実を追及され、処分を受けるかわりに組織を飛び出したものです。また、黒田がぜんぜんトロツキーを学んでいない事も、彼の著作を見てもあきらかです。黒田は「反スターリン主義統一戦線」の意識によってトロツキスト組織に加盟していたと自ら告白しています。
・・・・・と徴発に乗ってみる実験用小動物・蝉丸(笑

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なにを今更(苦笑 投稿者:黒目  投稿日: 2月 2日(土)18時18分01秒

ロシア革命の過程では、多くの社会主義党派が内ゲバで潰されていると思いますが、それについてはトロツキーは手を汚していない、あるいは、あれは内ゲバとは異なる、他のなにかである、という説でしょうか?また、我が国に於いては、ブラックパンサーがスターリン主義潮流から生まれたものと分類できる程度には、トロツキー派から内ゲバ3派のうちの2派が生まれていると思いますが(ワラ
・・・とトロツキストを挑発してみる実験(笑

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鬼薔薇さん、ぜひNo.36をお読みください 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 2日(土)15時55分00秒

「トロツキー研究」の最新号はまさしくウィーンプラウダからの翻訳であり
未邦訳のものばかりです。党派闘争論を展開するトロツキーの気迫を感じられる文章がたくさんあります。
No.36とNo.37とに掲載し、あふれた分をニューズレターに掲載していくそうです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/
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RE;1914年のトロツキー 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 2日(土)14時25分20秒

>黒パンさま ヴィクトル・セルジュの記述のご紹介ありがとうございました。

> 1914年のトロツキーの「テキスト」は著作集等に「論文」として収められているのです
>か?

 わたしもぜひ知りたく思います。ウィーンに軸足をおき、ボルシェビキとメンシェビキの再統一を念じつつ、いわゆる『ウィーン・プラウダ』を主舞台に書いていた頃のものでございましょう。日本語訳があるとすれば、現代思潮社版『選集』(第1期、第2期)か柘植書房版『著作集』かどちらかになりますね。外国にはもっと完備した著作集があるのかもしれませんけれど。

 後の党内闘争で「元メンシェビキ」扱いする「古参ボルシェビキ」のキャンペーンに抗してレーニンの正統な継承者であることを主張したいトロツキー本人にとっても、その後継者にとっても、あまり都合のよいものとは思えませんので、そうした党派的観点で編集されたものには未収録の可能性もございましょう。ドイッチャー『武装せる預言者』もたしか触れていなかったように思います(執筆時に、封印された「トロツキー文庫」をまだ利用できなかったとすると、史料的制約だった可能性もございます)。
 
 「擁護」すべき「労働者国家」が消滅し、したがってそこでの「第二の補足革命」の展望も掻き消えて10年、トロツキーはすでに「歴史上の人物」として「研究」の対象になってしまったのですから、ぜひご専門の方々の手で発掘・再現されてほしいもの。「トロツキー研究所」のお仕事に期待したく存じます。ドイッチャーの上記評伝は、トロツキー暗殺から14年後の刊行でございました。第二次世界大戦が間に挟まっていたことを考えますと、“わずか14年”と感じます。

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なぜ日本でだけ?(2) 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 2日(土)14時23分59秒

●トロツキズムが反内ゲバ主義であることの意味
反内ゲバ主義を「トロツキストだけの特徴」と解釈するのは実は奇妙なことです。その源泉たるロシア革命の歴史の中で築き上げられてきたソヴィエト民主主義や党派闘争・党内闘争についての歴史的遺産を、スターリンが破壊しつくしてしまったがゆえに、トロツキストだけが引き継いできたのであり、逆に「スターリン主義」という、特殊な内ゲバ主義党派が「世界標準」になってしまったのだと理解するべきです。トロツキストが宣伝してきた「反内ゲバ主義」とは「トロツキズム」という「何か新しい思想」の結果なのではなく、「失われたソヴィエト民主主義の復活」だったと言っていいでしょう。

●ヨーロッパではなぜトロツキズムが拡大したか?
ヨーロッパでは世界大戦以前からトロツキーと少数の同調者たちによってスターリンの戦術的あやまり(第三期論、人民戦線戦術など)が指摘され、プロレタリア統一戦線など具体的な提案がされていました。またスターリンによる「国際裁判」などの反トロキャンペーンにもかかわらず、デューイ委員会などの良心的知識人の行動によってトロツキーの弁護活動も行われていました。つまりスターリンのあやまりとトロツキーの評価の正しさは当時のヨーロッパではある程度知られていた。そして戦後は、こうした成果をもとに左翼運動の中でトロツキズムは重大な一つの潮流として形成されてきました。

●日本ではなぜトロツキズムは拡大しなかったか?
逆に日本では、トロツキズムは戦前はほとんど影響力は「絶無」といっていいでしょう。記録をみれば「自己暴露」などの翻訳が知られているわけですが、スターリン主義に対抗する思想としてのトロツキズムが日本にはいってきた形跡はまったくありません。日本共産党ははじめからスターリン主義コミンテルン日本支部として形成されました。そして日本共産党は正しくも戦前、一貫して日本帝国主義の戦争に文字どおり命をかけて抵抗したわけです。戦後、この事実は日本共産党に絶大な権威を与えました。つまりトロツキズムが介入する余地はほとんど無かったわけです。スターリン主義の害悪が目に見える形で人々の前に現れないかぎり、それは無理だったといえるでしょう。

●反スターリン主義が空白を埋めた
やがて戦後、そのチャンスがおとずれます。ハンガリー動乱における日本共産党の対応の反動性や、安保闘争、三池闘争などでの全学連学生党員と党中央との対立です。それまでスターリニズムしか知らなかった学生共産主義者たちにはトロツキズムを理解する事に困難性があったと私は思います。たとえば中核派・革マル派などの反スタ派がトロツキーを批判する、その批判点の多くがスターリン主義によるトロツキー攻撃と同じものであったからです。「トロツキーには組織論がない。だからスターリンに負けた」「トロツキーはメンシェビキ派にいた」「ブレスト講和で中間主義的であった」「ソ連防衛論はスターリンへの追随・妥協だ」等々。それまでスターリン主義共産党のもとにあった学生党員たちには、むしろ反スタ主義者によるこのような主張のほうが、受け入れやすかったのではないでしょうか? こうして、本当にトロツキーを理解することができず、中間的な立場のままに、特殊な日本型スターリン主義新左翼「革共同全国委員会」が形成されていったのではないかと思います。

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なぜ日本でだけ?(1) 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 2日(土)14時13分39秒

●高島導師のお説教?
なぜ日本にだけ100名以上の死者を出す反動的な内ゲバが横行したのかについての新時代社・高島論文からの回答は「日本ではトロツキズムの運動が大きくならなかったから」という事でした。これはおそらくトロツキスト(およびそのシンパ)にとって見ればわりに納得できるのですが、そうではない人達には強い不満が残るようです。それも理解できないではない。「キミたち、トロツキズムに帰依しなさい!」という説教坊主のタワゴトに聞こえるのでしょう。

●反内ゲバ主義であったロシア共産主義の伝統
高島論文を私なりの解釈によって側面から弁明させていただきます。トロツキズムの源泉がロシア十月革命と、それをめぐるボリシェビキ・メンシェビキの党派お歴史にあることはご理解いただけると思います。そのロシア革命の歴史はどのようなものだったのでしょうか? ロシア社会民主労働党は、1904年にメンシェビキとボリシェビキとに分裂してからも、たびたび合同の大会や党協議会を開催して、統一をめぐる議論をおこなっています。その議論は非常に激しいものであったが、内ゲバによって行われたものではありません。

●世界標準となったロシア共産主義
また、これは当時の一般的な左派潮流の闘争史にも言えます。ロシア革命がやがてソヴィエトを形成し、多くの潮流の統一戦線に基づく議会組織・闘争組織として民主的に運営されていた事実をトロツキストは重視します。やがて1917年、世界で最初の労働者階級の「祖国」が誕生した時、ブルジョアジーからの憎悪にもかかわらず世界中の労働者人民からの国境を越えた祝福の声があがりました。当時、労働者階級がどんなに希望をいだいたかを我々はまず想像するべきでしょう。そのためやがてスターリンが台頭しソヴィエト権力を掌握した時、世界に形成されたほとんどの共産党がスターリニストとなってしまった。

●共産主義の国際潮流
つまり共産主義の歴史は、ロシア革命が成功した事によって、まず「ロシア共産主義」が「正統」と認知されて世界中を覆い尽くした、といえます。その他の「共産主義」潮流は絶滅した、といってもいいでしょう。しかしやがて、スターリニズムの実害が世界各国で明らかとなるにつれて、スターリンの権威の低下とともに「別の潮流」が社会的に受け入れられていくことになります。その潮流とは毛沢東思想とトロツキズムです。国際的な潮流として存在したのはこのふたつだけです。そしてそれは両方とも「ロシア共産主義」から生まれたものです。

●毛沢東思想も内ゲバ主義
毛沢東思想は中国独自の革命戦略に基づいて形成されていますが、思想的源泉がスターリン主義にあることは明らかであり、彼らがスターリンに負けないほどの内ゲバ主義者であったことも明らかです。タイ共産党、インドネシア共産党、フィリピン共産党、ポルポト派、アルバニア派など、どれも内ゲバ主義・官僚主義・権威主義の特徴を持っていたのは明らかです。

●その他の潮流は?
黒目さんがあげたブラックパンサーとはアメリカ共産党の戦闘組織であり、スターリン主義潮流から生まれたものと分類できます。また、アメリカには共産党よりもはるかに大きいトロツキスト潮流が一貫して存在してきた事が内ゲバを抑制することになったと理解していいでしょう。その他にどのような潮流をあげることができるでしょうか?

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続・続反弾圧の視点から見た1970年代  投稿者:黒パン  投稿日: 2月 2日(土)11時11分51秒

東アジア反日武装戦線は、10月14日 三井物産本館 11月25日 帝人中央研究所 12月10日 大成建設ビル 12月23日 鹿島建設資材置場と海外侵略企業をターゲットに爆破闘争を続けた。75年になっても、2月28日 間組本社、間組工場 4月19日 韓国産業経済研究所 オリエンタルメタル社4月28日 間組作業所 5月4日 間組江戸川橋鉄橋工事現場と爆破闘争を継続した。この間、国家権力はなりふり構わぬ弾圧を続けていた。 74年12月2日に再びウニタ書舗へのガサ弾圧。爆取4条の煽動罪を理由としたもので、共産同赤軍派日本委員会宣伝局発行の「赤軍」11号に掲載されている文章。 「××闘争を拡大せよ」 「××闘争は『仕掛ける 投げる』事さえできればもはや90%勝利であり」が煽動にあたるとした。 またそれを印刷した亞細亞印刷にも同様のガサ攻撃がなされた。12月11日には3度めのウニタ書舗へのガサ攻撃が行なわれ「被疑者氏名不詳、自称『狼』爆取容疑」の令状であった。(前日には大成建設が爆破されている)狼』に対しての被疑事実は「一連の爆破事件の実行」と「『腹腹時計』の出版による教唆煽動」で爆取1条および4条に関わるということであった。  
12月14日には全国一斉に「自主」出版物を扱う書店に聞き込みが行なわれ恫喝的に「任意提出」させ『赤軍』11号が持ち去られていった。 12月19日には国分寺のアヴァン書房に対し「ウニタ書舗」と同様な令状により腹腹時計』に関する納品書などの取り引き書類」を対象として捜索弾圧が行なわれた。救援連絡センター、BQはウニタ書舗や模索舎と共に「読む権利を奪わせない集会」(ウニタ押収事件をめぐって出版物流通の自由を考える)を2月1日に開催し、国家権力による弾圧の実態を明らかにし反撃の流れを構築していった。4月19日の韓産研爆破を契機に国家権力は「爆弾非常事態」宣言を発し治安警察の本質をむきだしにしてきた。 4月19日、土田警視総監は記者会見で市民に対し捜査協力要請を行なった。4月21日、浅沼警察庁長官名で、全国の警察本部に「事件の未然防止、捜査活動強化」の指示を発し、警視庁は「緊急署長会議」で非常事態宣言。4月22日、東京防犯協会連合会が警視庁で「緊急防犯協会長会議」を開きアパート、マンション19万戸の洗い出しを決定した。治安警察化の実態は土田「非常事態宣言」によれば「4万人余の警視庁全職員が捜査員であるとの自覚をもち日常業務を通じて積極的に情報収集にあたる」とし全国交通安全運動共々、公安活動への動員を図った。さらには東京都10万7千の防犯連絡所、18万3千戸のアパート、1万戸のマンションの20万人の管理人を公安活動へ動員し、情報110番などの設置による全国民の公安スパイへの動員をも進めた。主要都市400警察署に「爆弾警戒警備本部」を設置し警視庁の動きを全国化せんとした。 しかし警視庁公安部はこの頃、 狼部隊に迫る弾圧に着手していた。 】 <引用はここまで>

 1970年代は一部で象徴的に「内ゲバと爆弾の時代」とも言われました。一方では三里塚での管制塔占拠闘争もありますが…
 この板でも繰り返し議論になるように革命運動、階級闘争における武装と暴力の問題になると思います。

 <明日の夜まで仕事なのでシンポには行けそうもありませんが>

 

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続・反弾圧の視点から見た1970年代 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 2日(土)11時06分41秒

以下は私自身が数年前に書いたテキストからの引用、下記の集会には主催者として関わりました。
 
【 警察権力の「爆弾犯人」づくりの実態をあばく 10.26反弾圧集会への呼びかけ
  <文責は当時の黒ヘルゲリラ戦士公判対策委員会>   
「三菱重工」「パリ・ハーグ」の2つの「事件」を契機に[いま国家の弾圧機構はさらなる「過激派狩り」へ向けて、再び大がかりな蠢動を開始しています。いまのところ表面化している弾圧現象はごく限られたものでしかありませんが、その背後でこの国の政治警察が総力をあげて「捜査」の名の下に現在の時点でもっとも有効な弾圧のための準備をすすめていることは明らかです。  略    70年代治安戦略というべき権力の弾圧はまさに無差別テロルをその思想性とし、それを体系化したものでした。71年末から開始された権力の先制報復弾圧は、「警視総監公舎爆破未遂」「沖縄ゼネスト闘争での警官死亡」における全面フレームア プにはじまり「三里塚9.16闘争での3警官死亡」から「土田邸・日石ビル郵便局爆破」そして「西成あいりんセンター爆破」におけるフレーム・アップとして推進されてきました。フレームアップを基軸とする無差別弾圧は、他方で「朝霞基地自衛官死亡事件」「連合赤軍事件」を口実とする思想・表現のレベルでの暴圧をもたらし、さらには「71年ゲリラ闘争」に実際にかかわった部分に対してもあらゆるペテンと策略を用いた非合法報復弾圧を公然と遂行させるに至っています。その過程はまさに「改正刑法」体制の先行的既成事実化の過程として特徴づけられます。「やらなかった者」へのフレームアップは「やった者」への非合法弾圧への基盤となり、「やった者」への恣意的弾圧は、権力のフレームアップ弾圧を成立させる土壌となる、という関係。「過激派 と目された「例外的部分」に対する人権無視がそのまま、「市民社会」総体への分断支配・人権剥奪を通ずる抑圧の強化としてはねかえり、マスコミの協力の下での「市民社会」の管理と自主規制の強化が見せしめとされ「例外的部分」へのテロを公認させていくという関係。その体系的構造をぶち破っていくことがさし迫って求められています。   略   フレームアップ解体闘争が、個別裁判闘争としていかに敵を敗北の淵に追い込んでも、その成果が大衆化され普遍化されぬ限り、敵の弾圧の体系を総体的に解体することにはならず、個別領域での最終的勝利も保障されるものではありません。「市民社会」総体を対象とする敵の弾圧の体系に対して、われわれの反撃を体系化し大衆化していくことが必要です。権力が「三菱重工」で新たな謀略弾圧を準備しているとすれば、われわれもまたこの間の具体的経験を普遍化する予防反弾圧運動を広範に大衆的規模をもって展開していかねばならないと考えます。それが刑法改悪阻止という全人民的課題をめざす運動の具体的内実でもあるはずです。
    
 爆取弾圧と闘う救援会議 
当時の構成団体は、総監公舎事件被弾圧者、黒ヘルゲリラ戦士公対委、ブント各派の救対でミットの会、破防法弾圧と闘う会、破防法弾圧と闘う会(左派)、日共革左の被弾圧者として反米愛国救援会、刑事特別法研究会が参加していた。  
 

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反弾圧の視点から見た1970年代 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 2日(土)11時02分41秒

 私自身の1970年代へのこだわりで言うと、検証されるべき課題は内ゲバだけではなく、爆弾を使用した闘争も範疇にあります。

【1975年1月に警視総監に就任した第70代総監土田国保は「明るく秩序ある街づくりをすすめる都民のお手伝い役」と警察のあり方を規定した。71年7月に発表された警察庁総合対策委員会中間報告『1970年代の警察のあり方 国民と警察にかける橋』「今ここに、70年代を展望するとき、激動する社会情勢の中で国民の生活を守るについての警察の前途に立ちはだかる障害のあまりにも多いことを感ぜざるを得ない。われわれはさらに一層国民と警察とのきずなを強めることに努力する考えであるが、70年代の都市化の波は国民と警察の間を引き裂く怒濤ともなりかねない。われわれは国民と警察の間に、いかなる怒濤にも耐えうる堅牢な橋をかけたいものと思う」
 この序文の中には「70年闘争」後の治安当局の新たな危機感と同時に痛切なほど国民への媚態・願望がこめられている。そうしてこうした願望を具体化する最大の手段として打だしたのが「CR」=コミュニティ・リレーションだった。
 1955年のアメリカ・セントルイス市警の「CR」委員会にまでさかのぼる。
 CR活動は「アメリカの暴動に関する大統領諮問委員会」の委員レイモンド・M・モンボイスの著者『CRと暴動の予防』によって紹介された。
 「70年安保」対策に頭を悩ましていた日本の治安当局にとって、これは「目からウロコが落ちたような」<警視庁幹部>啓発の書であった。
 警察が市民の意識を日常的に操作し究極的には警察による社会管理体制の確立を許す可能性を持っているのである。】
 
 ここまでの引用は『内ゲバ』三一新書 <1974年刊>より

 以下は同書からのレジメ化
 交番・巡回連絡の徹底化
 71年11月、渋谷暴動・治安防犯
 幻の鉄パイプ規制法 
 74年2月、三人の犠牲者・「内ゲバ警戒取締強化期間」を設定「防圧検挙」
 鉄パイプ専従班
 73年10月、革マル派による上池袋の「中核村」を一斉襲撃、13人重軽傷
 住民の「過激派追放作戦」
 池袋署把握、250人から300人の中核派メンバーが木造アパートに下宿、名義は一人でも六畳間に四、五人が泊まり込んでいたという。
 7月4日に続く二度目の「地域ゲバ」
 10月24日夜「住民総決起大会」
 「中核村」は約三カ月で三分の二以上住居が変わり実質的に消滅アパート・ローラー作戦は71年12月に開始
 74年2月21日、警視庁で「アパート防犯会議」が開かれた ----------------------------------------------------------------------------
菊さん、セルジュの活動 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 2日(土)09時41分21秒

 二年くらい前に隣町の古書店に並んでいました。1970年に現代思潮社刊 上下巻二段組

 1890年にベルギーで生まれています。父親は反ロシア皇帝の活動に関わり亡命したロシア人です。
 学校教育は受けていないで独学で活動の道に入ります。パリを中心にアナキストとして活動。ボノ団のメンバーとされフレーム・アップで5年近くの実刑。
 1917年の夏はスペインにいます。スペインでもアナキストを中心に交流。
 この後ロシアに苦労して入ります。アナキズムからは離れるようです。1930年代に三年の刑務所幽閉の後、流刑。フランスで救出運動が起きたようです。
 ボルシェビキの体質を身をもって経験しているのでクロンシュタットでの「責任」とか非常委員会の存在に関しての批判は本質に迫っていると思います。
 引用テキストは最終章に近いので、そこに至るまでのソ連での活動はドキュメントとして記述されています。
 
 フランスに戻りますが、ナチズムが迫ってからメキシコに「亡命」貧困のうちに病死。文学者で活動家、10冊以上の著書があるようです。
 アナキスト、トロツキスト、修正マルキスト等といわれ、ヨーロッパのいくつかの地域で過ごしています。
 生まれながらにして「亡命」ロシア人であり「国」に所属していなかった。
また、アナキズムをはじめとして、それぞれの「主義」の活動に参加しているので問題点を理解している。
 故に引用テキストのような視点が形成されたと思います。
アナキズムとトロツキズムの両方の活動を経験しているので、私にとっては「読みやすい」テキストです。
 アメリカを追放され1921年に「ロシア」にわたったアナキストのベルクマンも滞在中の日記を刊行しています。日本語訳では『ボリシェビキの神話』というタイトルで1972年頃に太平出版刊。レーニンとの会見記も含まれています。

 セルジュの提起している自由と「人権」は、自己・<個>が確立していれば自ずから他者を尊重するので自明の事なのですが「党」や「組織」に絡めとられると真先に喪失してしまうものです。
 「人権」というのは言い換えると、他者の存在を認めるという根源的なことなのですが…
 ボリシェビキにおいては先ず個と乖離した「思想」ありきだったのですね。

 1914年のトロツキーの「テキスト」は著作集等に「論文」として収められているのですか?

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つーかそもそも、内ゲバって珍しい現象なの? 投稿者:黒目  投稿日: 2月 2日(土)09時06分50秒

ソ連派と中国派の内ゲバは世界中であったと思いますし、ブラックパンサーとかもよくわかんない内ゲバやってたように思うのですが。
カンボジアなんか、国で内ゲバやってた訳で。
「我々特有の現象」と見てしまうのが、果たして妥当なのかどうか?と。

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臨夏さん、あれマガジンハウス刊で大増刷です 投稿者:菊  投稿日: 2月 2日(土)07時42分34秒

あ、臨夏さん、お早いですね。ジジイになってきたのでしょうか?

私が紹介したのは結構早い時期だったのですが、あのチェーンメールはその後「天声人語」などあちこちでとりあげられ、今、日本のどこの書店でも平積みです。マガジンハウス刊ですが、ダグラス・ラミスの解説も付いているし、「立ち読み」するにはいいですね。

仕事でつきあっている人(その人にも送った)がいうには、あれをゼミで
使った大学をTVでやっていたとか。「あれは中学生か、せいぜい高校生向けだろう」と学生のレベルにあきれていましたが、その人は。

幻冬舎刊の「非戦」にも載っています。
勉強会の老先生は、「感動的な文章だが、権力の視点がない」と批評しておられました。なるほど、そういわれれば。。

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ヴィクトル・セルジュ 投稿者:菊  投稿日: 2月 2日(土)07時32分20秒

黒パンさん、この引用部分、いいですね。
トロツキーが孤立の中で、立たされていた(あるいは自ら選択していた)位置を彷彿とさせるものがある。トロツキーそのものの限界と第4インターナショナルがどうして大きな影響力を持ち得なかったのかの「内発的な」理由の一端を明らかにしているような気がする。

「一革命家の回想」は現代思潮社刊ですか?セルジュはフランス人ですよね。確か。ずっとトロツキーと一緒にやっていて、途中で別れた。「一革命家の回想」は昔読んだように思うのですが、当該部分の記憶は全くない。

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以前、菊さんが、 投稿者:臨夏  投稿日: 2月 2日(土)07時03分04秒

ここで紹介してた、屋久島の先生が書いたかして、韓国から廻ってきた
(でした??)、
「チェーンメール」、地球を人口100人の村としたら、、、
の文章、本になったみたいですね。

読売新聞の、はっきりとは忘れたんですが、1月末ごろの夕刊??に記事載ってたの見ました。
あれは、95年くらいの、日本の学者の、新聞の載ったエッセイを元に、ネットを流れるうち、4人くらいの手が加わって、元の3倍の量になっていったもののようです。

著作権問題が、やっぱり難しいとか。
お知らせまで。

///
トロ翁自伝、『わが生涯』、上巻もうすぐ読了しそうですが、
トロツキー、結構エンゲルスを、マルクスと同格に評価してますね。
わたしは、トロツキーに憧れつつも、アンチエンゲルスのマルクス原理主義者やったので、
ちょっち複雑です。
なにを信じたらええのか(笑)

このこと自体が、社会主義斗争ですね、最近こういう作業が楽しくなってきました。
わたしも段々歳食うてきてますが、トロツキーの後塵を拝しつつ、
ちょっとでも頑張ろう、という気になってます。
ここの掲示板の方々とも共同歩調をとりつつ、早う、人類前史を終わらせたいものです(^^)

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ヨーロッパには電信柱が無い 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月 2日(土)06時21分20秒

行ってみてこのことがずいぶん印象に残りました。日本の電信柱だらけの街、空をみると
電線がすぐ目に入る景観とはだいぶ違い、スッキリして気持ちが良い。全都市がそうではない
のだろうけど、社会資本が充実している一端をあらわしているんでしょうね。世界で一番
早く帝国主義になって全世界を収奪し、世界で一番早く豊かになった地域ヨーロッパ、そん
な象徴に感じたものです。

トロツキーは「ヨーロッパ社会主義合衆国」を提唱しドイツプロレタリアートに望みを
託したが一敗地にまみれます。やがて約半世紀の歳月をへて、統合議会を持ち通貨も統合された
「ヨーロッパ合衆国」(EU)が生まれるわけですが、ヨーロッパって広いように思えるけど、
日本列島を重ねてみると、寒いデンマークから暖かいスペインまで軽く届きますから一国に統合
されてもおかしくはないわけですね。「社会主義」が抜けてるだけで、トロツキーじいさんが
生きてたら何というか..

したがって支配者の側もインタナショナルだし、それと戦う側もインタナショナルが当たり
前なんですね。ビザ申請の必要はなく、それどころかパスポートのチェックすら無いわけで、政治
集会、青年キャンプなどはヨーロッパ規模で行われるのをよく耳にします。企業の会議もヨー
ロッパ規模、共通言語は英語で、イギリス英語(アメリカ人も聞き取れない)は方言扱い、ユー
ロピアンイングリッシュ(日本人には聞きやすい)が主流のようでした。

さらにヨーロッパには対ナチ・レジスタンスの経験がありトロツキストはその一翼を担っていた
わけで、スターリニストしかいなかった日本とは伝統の差も感じます。こうしたことを考えると、
第四インタナショナルがヨーロッパを中心に残ったのはうなずけるところで、以前私はこうした
伝統の無い島国日本にヨーロッパ伝統の思想・トロツキズムが根づくのは難しいのではな
いかと思ったりしたことがありました。

高島論文の「なぜ欧米で内ゲバ激発がなかったのか」あたりを読んでの感想(ただの思いつき)です。

追伸:今ヨーロッパ諸都市への旅行は一番安いものでホテル代込み5泊7日で7万円くらいから
   あります。いろいろ発見できるはず、ぜひ行ってみるといいです。国内旅行より安いです。

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すんません、高島論文、全然意味わかりません(苦笑 投稿者:黒目  投稿日: 2月 1日(金)23時18分37秒

「お前らはトロツキストじゃないからダメなんだ」っていう話である、と要約しちゃってよいのでしょうか?(ワラ

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もっと積極的に新時代社を討論に引きずりこむために 投稿者:まっぺん  投稿日: 2月 1日(金)15時41分08秒

新時代社はあさっての「内ゲバ・シンポ」の「呼びかけ人」にはなっていないわけですが
討論には参加するようです。当日、内ゲバ関係の本も販売すると思います。
それから、このシンポジウムのテーマとする「内ゲバ」問題は今回1回おこなったからといって
それで終わるものではない、と思います。現実に内ゲバを一掃した左派の広範な統一戦線が現出し
闘いを前進させていくまで、このテーマは追究されていくべきものだと思います。

で、思いついたので、ここで提案!(^^)
「かけはし」に高島論文が掲載されたわけですが、
まだ新聞の実物を見てないけど、せみまる論文よりも明らかに長い。
また内容から考えても、「評論」的な「第三者」的な書き方ではなく、
組織としての主体的な取り組みへの意欲も感じる内容だとも評価できるものです。
まっぺんはこれを機会に、もっと積極的に
「内ゲバ」をめぐる新時代社との議論を発展させていきたい、と思う。

「かけはし」サイトには掲示板がありません。
二次会掲示板は、時として、その代行的な役割をもつ場合もありますが、
新時代社の論文との関係ではまったく独立したものですね。
だから、ここで「高島論文」をあれこれ評価してみても、
高島本人が、それを読んでここに回答するかどうかはわかりません。
この問題について新時代社「読者からの通信」欄に投稿するのはどうでしょうか?
そうなれば高島からの何らかの反論は期待してもいいと思います。
「検証・内ゲバ」本、シンポジウム、「かけはし」投稿、新時代社(高島)からの反論・回答などを通じて、
また、過去の実際の事件(東北大など)の検証などを通じて、より深く、立体的に
この問題にアプローチしていければ、と思うのですが、どーでしょうか?
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2・3水道橋・専修大学へ結集せよ!\(^o^)/ 投稿者:まっぺん  投稿日: 2月1日(金)15時13分16秒

期日もせまってきたので、勝手にコピペします(^^)

2/3「検証 内ゲバ」出版記念シンポジウムのご案内
 ●集会要綱
  開 会 挨 拶       来栖宗孝(元東海大学教授)
   シンポジウム(パネラー) 加藤哲郎(一橋大学教授)
                  塩川喜信(神奈川大学教員)
                  蔵田計成(アソシエ21会員)
                  生田あい(コム・未来)
    閉会挨拶(まとめ)   栗木安延(専修大学名誉教授)
    司   会         小西 誠(軍事・社会批評家)

 ●日時 二〇〇二年二月三日(日)午後一時より
 ●場所 専修大学二〇一番教室(JR水道橋駅徒歩八分)
 ●会場費  五〇〇円
 ●主 催  二・三集会実行委員会
 ●協 賛  社会理論学会

●呼びかけ人(敬称略アイウエオ順 一月三〇日現在)
 いいだもも(批評家) 生田あい(コム・未来)  井上敏夫(徳田球一記念の会) 岩永達郎(元明治大学教授) 遠藤忠夫(ウニタ書房店主)上里佑子 尾形憲(法政大学名誉教授)  大峰林一(在沖縄社会運動家)  片岡顕二(反戦自衛官)  加藤哲郎(一橋大学教授) 蔵田計成(アソシエ21会員)栗木安延(専修大学名誉教授)  来栖宗孝(元東海大学教授)小西誠(軍事・社会批評家)小森龍邦(部落解放同盟広島県連合会委員長)近藤悠子(婦人民主クラブ)酒井和子(グループあかかぶ・元豊島区議) 佐藤備三(反戦自衛官) 仏徳二(破防法被告) 塩川喜信(神奈川大学教員)柴田友秋(農民運動家)  柴山健太郎(労働運動研究所常務理事) 常岡雅雄(「人民の力」編集長)  津村洋(「国際主義」編集会議コム・ネット会員)橋本剛(元北海学園大学教員)針生一郎(新日本文学会代表)樋口篤三(協同組合・ 労働運動家)藤尾靖之(反戦自衛官)中島誠(文藝評論家) 増山太助(社会運動家)室井健二(コム・未来)由井格(「アソシエ21」日本共産党研究会主宰者) 米沢泉美(サイバー・アクティビスト) 横堀正一(元千葉高教組委員長)渡辺一衛(「思想の 科学」研究会会員) 渡部富哉(社会運動資料センター
代表) 渡辺雄三(人民新聞) 

●連絡先 
社会批評社 東京都中野区大和町一‐一二‐一〇 電話〇三(三三一〇)〇六八一 
コム・未来 東京都中野区東中野一‐四一‐五 電話〇三(三三六五)七二〇六 
 なお、「検証 内ゲバ」は送料無料で社会批評社のサイトから購入できます。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/shakai.htm
shakai@mail3.alpha-net.ne.jp

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RE:『検証・内ゲバ』に寄せて 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 1日(金)00時34分13秒

>せみまるさま 『かけはし』での批評へご案内ありがとうございました。ご指摘の論考、さっそく読ませていただきました。

 『検証』本を契機に探求が深められ、「内ゲバ主義」との闘いの一助となることを期待するとの末尾の言葉、まったく同感でございます。また、第四インターとしての取り組みの不十分性についての自己言及も、今後に課題を残すとはいえ真摯なものと思いました。ただ、全体の中心をなす部分には、かなり不満を残します。
 
 評者・高島さんは、『検証』本がせっかく“「なぜ日本でだけ」という問題意識”を掲げながら“自ら設定した問いに答えてはいない”と、否定的な評価を下しておいでです。でも、それに対置されたご自身のお答えは、つまるところ日本の新左翼が正統「トロツキズム」を正しく継承しなかったからだということですね。それに対してヨーロッパその他諸国で日本のような「内ゲバ」が見られないのは、第四インターの指導性があるからだ、と。でも、これで「内ゲバ」を生みだした「独特の日本型の思想」に迫ったことになるのでしょうか? わたしにはとてもそうは思えません。
 
 30年にもわたる凄惨な「内ゲバ」を生み出すような「独特の日本型の思想」の「根拠」は、わが国の反体制思想、革命思想のそれこそ「日本的」体質と遺伝子の問題として探求すべき事柄ではないのでしょうか。それを特定党派(ここでは第4インター)のヘゲモニーの有無に求めてしまうのでは、やはり党派的自己正当化の言辞にすぎぬと思いますし、後段にあります“他党派を見下す思いあがった意識、「トロツキズムの正しさ」に安住していた意識”という真摯な自己切開の言葉とも整合的でないと思うところでございます。
 
 この批評のもつ基本的な(とわたし思います)欠陥は、この「根拠」に言及した部分での黒田寛一氏の文章への批判に典型的に表れていると思います。ここで黒田氏の「政治における非合理的要素」に関する叙述をかなり長く引用しておりながら、その内容に分け入った批判はついにないのですね。黒田氏のこの「非合理的要素」論、それは小西さんが着目された初期の「永遠の今」論とも深く絡み合いながら、主題となるべき「独特の日本型の思想」の大きな要素を露出していると思われるだけに残念でございました。

 ともあれ、このたびの書評もまた『検証』本を契機とする広い議論の一環でございましょう。旧第4インターの皆さんが、独自の実践経験を踏まえた検討を深められ、全体の議論の深化に貢献されますよう期待したく存じます。

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続・V.セルジュ 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 1日(金)00時23分56秒

1917年から1923年にかけての革命のロシアが一度も提起できなかったただ一つの問題は、自由の問題であり、改めてなすべきことでありながら、革命ロシアがなすことのなかったただ一つの宣言は、人権の宣言なのだ。この問題を解決せずには、あるいは解決しようと熱心に努めない限り、将来にわたって人間的に偉大なことは何一つなされないだろう。この考えを、わたしはパリ『マルクス主義の力と限界』と、ニューヨーク『パルチザン・レヴュー』掲載の「現代のマルクス主義」で公表された論文で述べた。おやじさんは、いつものきまり文句を用いて、そこに《プチ・ブルジョワの志気喪失の表れ……》しか見ようとはしなかった。
 歎かわしくもその信奉者たちからの情報だけに頼って、彼はわたしに反対する長い論争的なエッセイを書いた、それはわたしが書いたものでもなければ、わたしが繰り返し述べた考えとは少しも通じるところのないある論文の責任を、わたしに負わせたものだった。トロツキスト派出版物は、わたしの訂正を公表することを拒んだ。わたしは、迫害するものたちの内に、迫害するものに見られるのと同じ習性を見出すことになった。ここには闘争による感染の必然的な論理があった。ロシア革命も同じように、自分が打ち倒したばかりの専制制度の伝統を、自らの意に反して継続してしまったのだった。トロツキズムは、自分がそれに反対して立ち上がり、そして圧し潰されて来たスターリニズムの精神とまさに対称的な精神を持っていることを示していた……。わたしはこのことでひどく心を痛めた。何故なら、それでもなお、幾人かの人々の頑強な力によって、息を詰まらせるような伝統と縁を断ち切り、致命的なあの感染に抵抗することはできるのだ、とわたしは考えていたからだ。これこ辛い困難なことではある。だが可能でなければならないのだ。わたしはあらゆる論争を差し控えた。
 ロシアにあってわたしたち反対派の運動は、トロツキスト的ではなかった。というのは、わたしたちが明らかに指導者崇拝に対して叛逆している以上、いかなる個人にも結びつけようとはわたしたちは望まなかったからだ。われわれにとっておやじさんは、もっとも偉大な同志たち飲一人であり、その思想について自由に討論することの許される一人の年長者にすぎなかった。それから10年たったいまでは、ボリナージュ地方で数百人の党員を数えるにすぎない、ベルギーのワルター・ドーズの党のような小さな諸党が、彼を「われらが輝ける指導者」と呼び《第四インターナショナル》の集会において、彼のテーゼに自由に異議を唱える者は誰でも、ソ連で官僚体制がわれわれに対して用いたのと同じ表現で、たちまちのうちに余命され告発されているのだ。恐らくそれはさして重要なことではなかったが、しかし、このような悪循環が形造られるということは、もっとも遺憾な心理的指標、すなわち、運動内部の堕落の指標だった。わたしたち反対派は、同時に二つの相反する意味合いを持っているようにわたしには思われた。大多数のものたちにとっては、それは革命当初の民主主義への渇望を表わす、全体主義への抵抗を意味しており、他方わが古参ボリシェヴィキの若干の指導者たちには、反対に、根本的にはまったく権威主義的な、ある種の民主主義とは相容れない、原理的正当性の擁護を意味していた。こうして混じり合った二つの傾向が、1923年から28年にかけてトロツキーの強烈な個性に強力な後光を添えたのだった。ソヴィエト連邦から遠ざけられた彼が、もし革新された社会主義の、そして多様性よりはドグマチズムをむしろ怖れる、批判精神のイデオローグとなっていたとしたら、恐らく彼は新たな偉大さにまで到達していただろう。だが、彼が自らの正当性を少しでも損なおうとすれば人々は裏切りとして彼を非難したのであり、その限りで、彼は自分自身の正当性の虜となったのだ。彼は、ロシア自体では、迫害者のピストルと一般の精神的変化によって二度にわたって抹殺され絶えてしまったロシア的運動の、世界における継承者たらんと欲したのだった。】

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1914年、トロツキーのボリシェヴィズムへの洞察 投稿者:黒パン  投稿日: 2月1日(金)00時22分48秒

V.セルジュの『一革命家の回想』からの引用ですが、この引用されている
トロツキーの
テキストは周知のものなのですか?

【1937年パリ
 わたしとトロツキーとの仲違いが始まるのも、この時期からだった。わたしはトロツキストの運動から遠ざかって行った。わたしには、その運動に、ロシアにおける左翼反対派の社会主義の思想・モラル・制度を復活させようとした熱望が認められなかったからだ。わたしの知るベルギー、オランダ、フランス、スペインなどの国々で、《第四インターナショナル》の小さな諸党は、たびたびの分裂、パリでは痛ましい闘争によって悩まされながらも、ひ弱い党派的な一つの運動を形成していたが、わたしにはそこからいかなる新しい思想も生まれ得ないように思われた。《おやじさん》の威信と倦むことを知らない活動だけが、このグループの生命を支えていたが、この威信とすぐれた働きも次第に低下しつつあった。

わたしはそれをレフ・ダヴィドヴィッチに書き送った。わたしはまた、革命史の重大な問題についても、彼と不一致をきたしていた。1921年のクロンシュタットの恐ろしいエピソードの中で、ボリシェビキ中央委員会の責任が重大なものだった、と認めることを彼は拒んでいた。また、それに続いて起こった鎮圧が、不必要なほどに残忍であったこと、そして、秘密査問方式をもった《後にゲーペーウーとなった》チェカの設置が、革命指導部の側の、社会主義の精神とは相容れないひどい誤謬であったことについても、彼は認めるのを拒んでいた。

わたしは彼の内に高度な知性の閃きにまじって、すべての国で必ず復活すると彼が信じているかつてのボリシェヴィズムの、型にはまった図式主義があるのを見てとっていた。

 その再生は今世紀初めのロシア・マルクス主義の、独裁的で俊厳な伝統を放棄することによらねばならない、と考えていた。わたしはトロツキー自身に対立しつつ、確か1914年に彼が書いた、次のような、洞察力を持った驚くべき文章を思い起こしたものだ。

《ボリシェヴィズムは権力獲得のすぐれた手段ではあり得ようが、しかし、後になって、それは自らの反革命的な姿を露呈するであろう……。

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高島論文雑感 投稿者:いずみ@出向先  投稿日: 2月 1日(金)00時21分36秒

>自ら設定した問いに答えてはいない

 これはいずみが先日表明した「違和感」と同じ指摘ですね。

>なぜ欧米で内ゲバ激発がなかったのか

 ここはさー、いかにもインターらしい、つーか嫌なところですね。つーか、高島さんによる小西さんへの正当な批判をそっくりそのまま高島さんに返すしかない。
 別にトロツキズムの影響なくたって、「内ゲバ」なしで戦線考えてる潮流、世界的にあるわけでしょ。
 トロツキズムに「学ぶ」ことは必要だという一般論は当然是としても、じゃ、「なぜ日本でトロツキズムが否既製左翼の主流になれなかったのか」という素朴な疑問への回答はここには何ひとつ出ていませんね。

>内ゲバ主義と真に対決しているのか

 ここは、批判の観点が弱い。
 むしろ以前ここで誰かが書いていた、「それが論理として正しかろうが、やられたほうがこれで納得するかよ」という「素朴な間隔」に立脚すべきでは。
 もう1つ、小西さん個人へのこの文脈での批判は、小西さんが抱える「軍人であるが故の弱点」としてもっと整理したほうがよいでしょう。高島さんは、小西さんによる当時の状況認識に対して「中核派が内ゲバテロ襲撃を手控えざるを得なくなった可能性も否定できない」という形で単なる確率論的立て方しかしていないですが、これでは軍人への対抗論理になりません。

 あとはまぁざっと読んだ限りでは概ね共感できるですね。

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先日の発言要旨 投稿者:いずみ@出向先  投稿日: 2月 1日(金)00時12分43秒

 高島論文ざっと読みました。ざっとした感想書く前に、アクシデント的理由で削除になっている(過去ログで復活予定だそうです)いずみの先日の発言要旨を再掲。
 「日本の内ゲバ」一般を語る場合、政治性や理論ではなく個人・人脈・ヒエラルキーなどへの依存のようなものを原因の一つとしてとらえるべきだが、「革共同戦争」に限れば小西さんの分析のほうがしっくりくる。今回の本は、「革共同戦争」の当事者&近傍に対して「革共同戦争」の問題を明らかにする、という文脈では説得力があるが、それ以外の「内ゲバ」や、その当事者以外には説得力が薄い。

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