四トロ同窓会二次会 2002年2月4日〜6日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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>女性はアナボコ 投稿者:葉寺覚明  投稿日: 2月 6日(水)23時33分51秒

>自分の母親に対しても、そう思うのだろうか?

当然、おねいちゃんや姪っ子も含まれるでせう。肉親は嫌われ者の数字クンには貴重だろう。
元気カーイ。せいぜい仲良くしておけよ。自分のためだゾ♪

まあ、いくらこいつが階級闘争に公害企業の如く害毒をばらまくゴミであるとはいえ、妄想する
自由くらいはあるのだし、そもそもこいつが女性についてどう思おうとまったく勝手なのだが、
実に狭隘な女性観だなあ。きっと女性との接点といえばちんこしか思い浮かべることが出来ない
のだろう。みっともないったらありゃしない。きっとこいつのアタマはちんこ音頭に出てくる
AAみたいな感じにちがいない。「革命家」なのに疎外されててかわいそうかわいそう。

こういうやつにはどうせ無用の長物なのだから、あかの本なんか読まなくてもいいから、
サドの本か「トンデモ超変態系」でも読むとよろしい。でも、なにぶん精神年齢が低いから
もともとイカレタ精神が更に増幅されるかもしれない。中和してくれると助かるんだけどね

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これって、矛盾していると思うのですが 投稿者:TAMO2  投稿日: 2月 6日(水)22時35分05秒

菊さん、こんばんは。アメリカ人とかフランス人とかと話していると、意見の対立する場面での
彼らの挙作を見るたび、やっぱり日本人は #民主主義の作風の観点から# 遅れていると感じ
ます。とりあえず、これは論理矛盾じゃないですか。

>同じように考えると、日本には戦前−戦後一貫して「個人の自立」を認めるような社会環境は
>なかったのでしょうか。そうではないように思うのです。例えば、石堂清倫さんの著作を読むと、
>戦前のマルクス主義の日本での受容のされ方の限界、問題点が非常にクリアに浮き彫りになり
>ます。一言でいえば、「オレはオレ、君は君という個人の違いを認めず(排他的右へ倣え)」、
>「中身(現実)から出発するのではなく、形式(教義)を取り入れた」。

 個人の違いを認めない、つうのは相手の環境の差異を認めない、つうことで、まさに民主
主義の作風に対立していると思うし、とりもなおさず「個人の自立」を認めていないと考え
ます。最近は、アメリカ社会も危ういようですが。

 やっぱり、民族国家という枠内での発展に縛られてきたわけで、それによる民族毎に異な
る後進性ってのは認めなければ前進できないのではないのかな、と。その過去からの呪縛と、
国民国家を乗り越えるこれからの運動のあり方は、連続している問題だけど、分けなければ
ならない課題だと思うのです。

 引き継いだ民族性という問題、それを踏まえたうえでの世界大の運動の問題として。

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一同窓生さん、れんげさん。 投稿者:菊  投稿日: 2月 6日(水)21時51分09秒

一同窓生さん、加藤哲郎氏の出席には私も注目していました。元共産党系というだけでなく、私にとっては今いろいろと読んだり、見たりしている中で感覚が一番ぴたっとくる発言をしていると思っていたからです。

れんげさん、初めまして。
高島論文の該当部分、私も当時、高島氏と一緒に組織活動をしていましたから、ある意味での責任を感じている点ではあります。れんげさんの書き込みに、渦中にいてどんな思いだったのか、どうして闘えなかったのかと、私自身の当時の曖昧さを鋭く批判されているような気がしています。

70年代前半から後半についてはいろいろとここでも書いてきましたが、現場活動家としての感覚では、とても手が届かない、何とも言えず「崖っぷちに立たされている」恐ろしい日々でした。いつかここでも書いたかもしれませんが、大衆的な学生運動の復活で内ゲバ党派を粉砕しようとノンセクトの人たちとフラクションをやっている喫茶店で、神大で革マル派が何人殺されたというニュースを聞くわけです。正直いって、息を呑む思いで言葉もありませんでした。いろいろな内ゲバ事件に遭遇しましたが、これだけは鮮明に覚えています。
私は内ゲバをしていた当事者と直接話をしたことがありませんが、少なくとも70年代半ばまでは、「気が付いたら人を殺していた。殺し合いになっていた」という活動家が多かったのではないでしょうか。

そうした事態の底流には、一同窓生さんも書かれていた「暴力に対する感覚」があったと思います。私がしばらく前にここで、72年早大川口君虐殺糾弾闘争の中で、「殺すな!」を全面にどうして掲げることができなかったのだろうかと書いたことも、それに繋がります。
党派的に見れば、革マルに中核や解放派など急進派が引きずり込まれたという関係にあると思いますが、それを許容する土壌があったことは間違いありません。

一方で、第4インターという政治党派全体の方針として見れば、内ゲバがもたらす日本の左翼運動に対するダメージの深刻さに対する認識度合いが弱かったのは間違いないと思います。内ゲバがひどかったのは主に学生運動であったし、大衆運動の発展で内ゲバ党派を駆逐するという楽観的な見通しに当時の私も立っていました。そしてそのベースには、10年を待たずして日本で革命が起こるという超楽観的な情勢展望があったと思います(これは第4インターだけでなく、共産党でさえ「70年代の遅くない時期に民主連合政府を樹立する」といっていた時代でした)。

れんげさんがいわれる「人間というものを大切にしよう」と主張している組織がどうして非人間的な行為を行うのかという疑問ですが、当時、ある人間が政治活動に参加する動機と組織の活動方針が必ずしも一致するわけではなく、組織で活動していく中で最初持っていた感覚とは大きくズレが生じてしまうという現実があったと思います。70年代後半から80年代前半、私は組織の中で専従活動をやっていましたから実感するのですが、組織生活の中でひとりひとりが人間的な成長を遂げていくための活動やものさしを組織自身が持っていなかったのです。他党派はわかりません、第4インターの場合です。

政治組織に結集してくる人は社会的な不正や差別に対する憤りは人一倍です。だからといって、組織に入った途端に「自立した革命家」になれるはずはありません。間違いなく百人のメンバーがいれば百様の問題や人間的な弱みを抱えていたのだろうと思います。それを組織の中で対話しながらお互い人間的な自立を図っていく組織としての活動は、残念ながらありませんでした。そういう視点をほとんど持っていなかったといっていいだろうと思います。
女性差別事件では、男性メンバーが「オウムがえしに告発内容を認め、坊主懺悔していく」というケースがほとんどでした。これは私も同様ですが、スローガンをベルトコンベアのように展開するだけで、自分の内面的な意識や考え方を話す経験をほとんど持ってこなかった、考える訓練もされてこなかったメンバーに、自分の考えを述べろといってもできるはずはありません。女性差別事件が起こる理由のひとつも、そうした組織活動の在り方にあっただろうと考えています。

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化石レス 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月 6日(水)20時31分49秒

黒パンさん、私が加藤哲郎氏に言及したのは、加藤氏がパネラーの予定者だったからです。
それと、元中核、元ブント、元共労、と揃ったなかでは元共産党系と異色ですしね。
出席しなかったみたいですね。

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高島論文について 投稿者:れんげ  投稿日: 2月 6日(水)20時30分23秒

 一同窓生さん、私の問いに応えていただきありがとうございます。

 ここで話題の中心のひとつになっている高島論文ですが、私は以下の部分に注目しました。

 「われわれはたしかに、激化する内ゲバを機関紙を通じて強く批判し続けた。しかし全体
  としての内ゲバをやめさせるような大きな社会的運動を作り出そうとはしなかったし、
  そのような独自の運動が必要だと考えることもできなかった。われわれは、自分たちの
  原則的闘いを責任を持って展開していればいいのだという水準を超えることができな
  かった。内ゲバの激化を含む情勢全体に責任を持とうとすることが必要だという意識に
  到達することができなかったのである。」
 
 こういう反省のしかたは、高く評価します。ただ単に、我々トロツキストは一貫して内ゲバに反対しつづけたからエライ、というのではなくて、当時の状況に照らしてもこうした行動の選択はありえたのではないか、という反省のしかたです。
 ただし「われわれの闘いの不十分性」を克服する作業が、大衆運動の発展とスターリン主義との意識的闘いと言うのみで、内ゲバのよってくるところを細密に掘り下げていくほうにはいっていないのではないか、と思います。上記のような反省を私なりに言い換えれば、「なぜ、内ゲバをやめさせる闘いを、自分たちの最優先課題にしなかったのか」ということなのです。街頭で暴力の吹き荒れる空気のなかで、そのように課題を設定するのは難しかったのかもしれません。しかし「人間解放」を求めて全力で闘っていく人々が、なぜ真面目な活動家の生命すら奪う暴力の激発に対して闘おうとしなかったのか。「(内ゲバを)やりたい奴にはやらせておけ」ではないのです。「そんなことはやめろ」という運動の質をどうして持つことができなかったのかということなのです。
 「検証 内ゲバ」本の生田さんの論文には、悲しいショックを受けました。自分なりに連合赤軍事件のことにやっと目を向け、永田さんが革命左派議長から暴行を受けていたことに暗澹たる気持ちを覚えた、そのあとだったからです。のちのインターの女性差別問題ともあわせて考えてみると、人間というものを本当に大切にしよう、という姿勢がどこか根本のところで欠けていたのではなかったか。特定の集団内部での倫理的退廃というのではなく、マルクス主義という人間解放の思想を掲げながら(党派的な内容の別はあるにしても)、なぜその思想に生きようとする人間たちの集団が、そのような非人間的な行為をおしとどめることができなかったのか、ということなのです。
 もうひとつ最後に言いたいのですが、dkさんが「暴力が行使できないお前は弱虫だ」と言われ続けたことについて考えました。私は同時代ではないので推測するしかないのですが、人格的に低劣であったから暴力を用いたのではなく、逆に真剣である意味で誠実であったからこそ、目をつむって残酷な行為を遂行したという面がなかったのではないでしょうか。こんな角度からも私は内ゲバを考えてみたいと思っています。

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新時代社はダブルスタンダードだ! 投稿者:SENKI読者  投稿日: 2月 6日(水)18時16分50秒

 1つ言わせてください。
 新時代社は、「内ゲバを否定しない者を大衆戦線できっぱり拒否してきた」ということを言っていますが、ではなぜ、「市民緊急行動」の枠にSENKI派が登場しているのでしょうか。
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「今、そこにある危機」の深刻さ 投稿者:菊  投稿日: 2月 6日(水)12時49分17秒

dkさん、うーーん、何といっていいか、深刻ですね。やはり、経験の継承の「断絶」が大きいと思います。というか、内ゲバや党派的政治活動に何らかの理由で嫌気がさした人は(私のように)、「召還」(昔の言葉で、イヤな言葉ですが)してしまう。それで、経験はいとも簡単に断絶してしまう。

各党派とも私くらいの年代の人が今でも現役でやっているわけだから(指名手配者には知った−昔殴られた−人もいる)、内ゲバや暴力に対して「無感覚」な人が「学生運動の現場」に経験を伝えることになってしまうわけですね。

内ゲバや暴力の問題が議論されてきているわけですが、自分の今の感覚に一番フィットする発言を最近見つけました。「現代思想」の10月臨時増刊「これは戦争か」のなかの武藤一羊さんと市田良彦さんの対談の一説です。
------------【引用開始】
武藤 ぼく自身は絶対非暴力主義ではありませんが、二〇世紀の教訓としては、暴力的闘争の結末が見えてしまったと考えています。暴力が解決に見えて、必ず新しい次元でより大きな問題を作り出すという歴史です。市田 敵のクローンを作り出して運動がつぶされる、というのがそうですね。
武藤 当面の解決形態が、国家の獲得とか民族の独立とか、国家的集約形態になるときに民族解放闘争が武装闘争の形を取る時代が二〇世紀の前半だった。そこでは武装闘争は、国軍の創設に行くというプロセスだった。しかしこの時代は基本的に終わったと思います。その違いを押さえなくてはいけない。
市田 武装闘争、暴力闘争そのものが、国家を建設するというプログラムと不可分の関係にあった。ところがいまや、国民国家の建設自体は新しい運動の軸になり得ない。そういう路線変更と、暴力を使わないということが連動しているだろうということですね。
武藤 最終的に国家に集約されるという形ではなくなってきている。メキシコのサパテイスタの闘争も武装闘争だけれど、あれはかなり新しい形の闘争で、国家に集約することを目指していない。武装は自衛のため、蜂起はメツセージの伝達のために避けられない通路と考えているのではないでしょうか。
------------【引用終わり】

そんな意識で、かけはしの「高島」論文を読むと、トロツキズムの原則が正しいのだと、自己確認をしているだけのように思えます。原則を堅持してきたことの正しさと力及ばなかった限界の上にdkさんが直面しているような現在の状況があるわけだから、その上でもう一歩踏み出した「仮説」(例えば、武藤さんのような観点から歴史と革命運動を総括するとか)が求められているような気がします。

それからもうひとつ。ここでもよく、「日本的」とか、「ロシア的」「西欧的」という「括り方」がされていますが、これって何なのだろう?と思うのです。直近の話では、トロツキーは「西欧的」だったのでしょうか?あるいは、内ゲバは「日本的」だったのでしょうか?何かその裏には、日本やロシアは「遅れていて」、ヨーロッパは「民主的で、個人の自立を認める社会風土があるという前提があるように思います。果たして、そうでしょうか?

そう考えた時に、黒パンさんのセルジュの回想から見たトロツキーの姿は鮮烈でした。トロツキーも、「一貫していた」訳ではないと思うのです(もちろん、無原則という意味ではなく)。むしろ、その方がトロツキーの悩みや逡巡を理解する上で、とても役に立つように思います。

同じように考えると、日本には戦前−戦後一貫して「個人の自立」を認めるような社会環境はなかったのでしょうか。そうではないように思うのです。例えば、石堂清倫さんの著作を読むと、戦前のマルクス主義の日本での受容のされ方の限界、問題点が非常にクリアに浮き彫りになります。一言でいえば、「オレはオレ、君は君という個人の違いを認めず(排他的右へ倣え)」、「中身(現実)から出発するのではなく、形式(教義)を取り入れた」。

私は自分自身のトロツキズムの理解も含めて、こうした弱さが戦前戦後を通じて大きな流れとして存在しており、それが戦後の日本の左翼運動の極端なまでの「高揚」とその反動としての「衰退」を生み出したような気がしてならないのです。石堂さんのようにそうでない人もいるのですが、それは体制側でも反体制側でも大きな力になり得なかったのが現実ではなかったかと思います。

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ちと疑問 投稿者:黒目  投稿日: 2月 6日(水)12時34分46秒

沖縄「返還」を巡る八派の分裂の過程というのは、けっこおボコボコの「プロレタリア民主主義」廃れまくりの、暴力ありありの展開であった、という証言がされていると思いますが、この過程での「暴力の行使」について、第4インターは「内ゲバ反対」という事を言っていたのでしょうか?
http://redmole.m78.com/bunko/15/bunko15f.html
の革共同小史の六章では、中核派がインターとのブロックを解消して、革マルとの内ゲバにのめり込んでいく事には否定的に書かれていますが、この沖縄「返還」分裂の過程のゲバについては、特にコメントされていないように思うのですが。

あと、2.3シンポって、ガクセ〜の諸君は専修大に行くことそのものがものすごく根性いる、つーか、命なんぼあっても足らん、つーか、なのではないのかと思いますが(苦笑

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2.3シンポおよび雑感 投稿者:dk  投稿日: 2月 6日(水)11時38分04秒

私も行かなかったくせに言うのも何ですが、若者がほどんどきていなかったという
問題が、一番問題ですね。
ノンセクト/セクト問わず、大学内で活動している人たちは、往々にして相対的巨
大党派(学内主流派、別に党派問わず)に、暴力をちらつかされている。
内ゲバは、まさに「今、そこにある危機」なんです。
にもかかわらず、シンポジウムに来ない。もしくは来られない。
これは、ゆゆしき問題ではないかと思うのですが。

もっとも、観察者さんの指摘にもありましたが、内ゲバによる運動の世代間断絶は、良い面で
はなく悪い方向に出ていると思います。語り部の不在(沈黙)してしまったがために、内ゲバ
に対する嫌悪感や回避すべきだという精神の欠落した人が多数いるのです。「暴力が行使でき
ないお前は弱虫だ」と。何遍言われたかわかりません。これは、まあ某大ノンセクトのマッチョ
主義の性かも知れませんが。

平気で他党派/他団体解体路線を口にする人間がいることには反吐が出ます。
言論を暴力で屈服させてきたことこそが、多くの学生を運動から離反させたという現実が、
未だに見えないのでしょうか?

TAMO2さんの指摘にもありましたが、トロツキーが、西欧社民型(もちろん、今の社民とは
違うが)のマルクス主義だったことは事実です。それが、ロシアの現実に適用できず、レーニン
の「軍門」に下ったのも事実だと思います。
だとすれば、内ゲバが少ない理由は、トロツキズムの思想的優位性よりも、西欧社会の持つ豊か
な民主主義の歴史に求められるべきではないでしょうか。つまり、トロツキーは、その思想的酵
母の中からはぐくまれてきた「異色」のロシア・マルキストであったと。
いかにもトロツキー流な進歩主義で、ちょっくらイヤなのですが(^^;)、やはり西欧市民社会の
形式(ブルジョア)民主主義を、実質的(プロレタリア)民主主義は、越えられなかったという
理解をする必要があると思います。
ですから、小西さんが言うように、まず民主主義とは何かという部分を抜きにしての、左翼の
再生はあり得ないでしょうし、ブルジョア民主主義とセットになっている「自由」と「人権」とは
なんなのか、の理解無くして、再建もへったくれもあったものではないでしょう。

(追記)
トロツキズム再生への道は、日本においては、レーニン主義者としてのトロツキーよりも、
「反」レーニン主義者のトロツキーに求められなくてはならないと思います。

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再度、内ゲバはスターリニズムである 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 6日(水)11時31分34秒

 67〜69年、70年代初頭までの日本新左翼は非常に大きな影響力を左派大衆運動の中に及ぼしていました。現在ではとても考えられないほどの勢力です。ブント戦旗派、ML派、中核派、革マル派、社青同解放派、構造改革諸派・・・・それぞれに結集する活動家の数は一千以上〜数千にもおよび、とりわけ中核派は単独で1万人を超える動員力を持っていました。こうしたそれぞれのセクトに結集する青年が安保粉砕・日帝打倒を目指して激しい街頭闘争に決起していったのです(おっと!革マル派だけは反急進主義であることはコメントしておかないと誤解されますね)。これらを総計すれば少なくとも数万人の若き共産主義者ないし共産主義にシンパシーをいだく青年が大衆運動のまっただ中で機動隊の壁を乗り越えて明日の日本を造りかえようと行動していたのです。

 これらの組織のほとんどすべてが、「堅忍不抜の唯一絶対の革命党」をめざしていたのです。それが当時の理解水準での「レーニン主義組織論」でした。組織内に民主主義はなく、組織方針は少数の「理論家」達に独占され、下部メンバーには何の決定権もありませんでした。内部で意見対立があれば民主的討議ではなく暴力的に「解決」されます。ブントが際限なく分裂し諸派に分かれていく過程がまさしくそうでした。当時の各セクトの組織論は全部スターリンのそれでしかなかったのです。そして彼らはそれを「これこそ共産主義者の組織論である」と信じていたのです。そのような意識はまず第一に、その10年前に日本共産党から分裂し第一次ブントに結集した学生共産主義者によってもたらされたものです。彼らは「共産党スターリニズム」を批判しておきながら、スターリニズムのもつ重大な問題=党内・党外民主主義の問題についてはまったく無批判なまま、新しい組織を建設していったのです。このことは黒目さんにぜひご理解いただきたいと思います。

 黒目さんは内ゲバが反動的である事を「別にトロツキーなんか知らなくても、容易に理解出来る」と言いましたね。現在ではそうかもしれません。ところが当時はそうではなかったのです。むしろ内ゲバは「党派の強固な革命的意志」を実現し他の「誤った党派」を排除するための重要な手段でもあったのです。そうして運動のヘゲモニーを握ることは当たり前どころか「本気で革命をめざす党派の重要な責務」なのであり、内ゲバ反対を叫ぶ者は軟弱な日和見主義者と解釈されていました。黒目さんが内ゲバの問題点を「容易に理解」できているのは、内ゲバが3ケタの殺人といういたましい結果をもたらし、数万人もの戦闘的(で内ゲバ的)な左翼勢力が消滅したから可能になったのです。当時、トロツキズム「だけ」が内ゲバを批判する共産主義勢力でしたが、数百にも満たない極少勢力でした。「トロツキズムに帰依」する必要は全然ありませんが、少なくともトロツキストの「内ゲバ批判」に左翼勢力が耳を傾けていれば、現在のような大衆運動の崩壊を見ることはなかったでしょう。

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ひとこと謝罪 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 6日(水)10時09分21秒

「ボリシェビキ被害者にこだわる」という言葉はよけいでした。
もしやアナーキスト諸君を傷つけたかと反省しています。ごめんなさい。m(_'_)m

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せみまるさんへ 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 6日(水)09時48分43秒

 フランスのトロツキストの動向の書き込みありがとうございます。

なぜ、江口幹とかセルジュのテキストを引用したか。
 第四インターに関わっていた<いる>人たちならば自明である、ヨーロッパでの
トロツキズムの動向に関しては私は把握できていません。<他の人もそうではないのでしょうか>
 「内ゲバ」が起きなかったという主張が、なされてきましたがピンとくるものではありません。
そこで、トロツキズムに言及しているテキストを参考するしかないわけです。
 
 思想とか理論は
「伝統」という括りかたをされるものではないと理解しています。
その時代でそれぞれのグループの主張で影響や反発をして変容していくものです。
 江口テキストで各派の人数もそのまま引用したのも、より当時の状況を理解する
ための参考になるからです。
 本質は他者や他党派と共闘する時に開かれているのか、戦術的に開かれた組織性
というのではなく、そのグループ、党派の理念そのものが開かれていなければ、
ならないということです。その点3月22日運動の原則は、その後、国際的にも
大きな影響を与えているわけです。内ゲバが起きなかったとしたら、内ゲバ反対が
主張されていたからではなく、すでに前衛の否定という思想に影響を受けていた事
繰り返し貼り付けていますが
 1 革命的統一は政治路線やイデオロギーの周りにではなく、行動の中で、じかに形成される。
 2 あらゆる革命的行動の前提条件は、全員にとっての言論の権利である。
 大衆は、仲介者や代弁者を介してではなく、自分たち自身が直接発言できる場合にしか、行動し ない。 

 これを<プロレタリア>民主主義と位置付けるかどうかは、また議論が別ですが…

 さらにアナ・トロ共闘が成立した過程の方に関心は向くのですが
 そしてJCR<革命的共産主義青年同盟がランベール派トロツキスト学生組織と「離反」していた という捩れ構造、トロツキスト同士の方が距離があったという経緯にも。

 「思想運動」の武井は数年前に層としての学生運動論を「再」提起していたと思いますが
 この国では学生及び大学自治<会>は自派の活動家と資金供給システムとしてしか大小の
 セクトやグループに位置付けられなかった不幸があります。

 一言、加えると、セクトとは部分共闘していますよ。

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ちょっと思うところ・・・ 投稿者:TAMO2  投稿日: 2月 6日(水)09時29分07秒

 精緻な理論というよりも、受ける印象レベルとしての話です。

 トロツキーとレーニン、この偉大な二人の「センス」の比較として。
トロツキー:西欧型知識人。民主主義的作風は、所与の条件としての志向。多元主義。
レーニン :ロシア革命家型知識人。弾圧の苛烈な中、トカチョフに代表される「陰謀組織」型
      の革命を準備(津村さんに突っ込まれそう)。民主主義を社会主義に従属(「なに
      なす」「国革」という、かつての「必読文献」からの印象)。

 まあ、「なになす」と「政治的課題」の比較で事足りる印象と言えば、それまでですが。ただ、
トロツキーが負け、レーニンの自称後継者が自分の都合のよい「なになす」的運動観を共産主義
世界標準として定めた、つーのは共産主義運動の悲惨を準備したと思います。(「なになす」そ
のものは多くの示唆を与えるものだと思いますし、否定すべき本ではないと考えますが。)

 それゆえ、世界の運動圏において、社会主義の課題を達成するため、本来別の問題である民主
主義の作風が脇に追いやられたのではないか、と。

 さらに言うと、黒目さんの主張(マル共連チャットも含めて;「トロツキズムが浸透しなか
ったから、内ゲバになるのだ、という理屈はわからん」)の正当性を認めつつも、トロツキズ
ムに拘る人達にとって、「トロツキズムが浸透しなかったから、内ゲバになるのだ」という気
もちも、わかります。理屈は黒目さんが正しいと思うけど、トロツキストの気持ちもわかる、
と。

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なるほど・・・なぁ 投稿者:TAMO2  投稿日: 2月 6日(水)09時08分39秒

 一同窓生さん、小生の疑問に答えていただいたようで、ありがとうございます。

>れんげさんの疑問に一部答えますと、60-70年代は「暴力」に関して抑制する雰囲気が無かった
>ですね。極端に突き出せば突き出すほど「カッコ良い」という雰囲気があって、街頭闘争で限界
>を感じると党の武装、銃の闘争、爆弾闘争、へとエスカレートしていく一方、同じ根っこなの
>かも知れません、「内ゲバ」も運動を真剣にやっていけば当然なんだ、やられるからやるのは
>当たり前のような雰囲気がありました。当時は「赤信号みんなで渡れば怖くない」という人間
>心理が働いてたように思います。過去の問題ではなくて繰り返すこともありうる。自戒しなけれ
>ばならないですね。

P.S. 数字の人の名言の一つ(意訳)。「女性は、アナポコだ」
P.P.S ON P.S.
 自分の母親に対しても、そう思うのだろうか?

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一晩で議論が進みますね。 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 6日(水)08時55分24秒

 管理人のまっぺんさんの、苦労を察します。
 追っかけて読むだけでも時間がかかります。

 昨晩は、韓国の反徴兵運動と連帯する会の「会議」でした。
 兵役拒否者もそれを「審理」する韓国司法もこの1月から2月にかけて大きな節目を迎えています。
 http://www5.plala.or.jp/cgi-bin/bbs/petit.cgi/mogura/bbs

 連帯する会自体も、徴兵制-軍隊の課題をめぐり岐路に立っています。3月には「パンフ」発行し活動の中間総括とします。

 主催者ではありませんが「内ゲバ」停止に向けて一定の発言をしてきた埴谷雄高を偲ぶ会をの案内をさせてください。
 
 第五回 アンドロメダ忌へのご案内 <一部略>
 敬愛する埴谷雄高さんがこの世を去られてから、早くも五回目の命日を迎える仕儀とは相成りました。今回はかつてNHK教育TVで「独白『死霊』の世界」が五夜連続で放映された折に、本文朗読を担当された俳優の蟹江敬三さんにお願いして二時間近くにわたって『死霊』を読んで頂きたいと思います。
 当夜の朗読テキストは従来の『死霊』の読み方にあえて挑んで、遺された全九章を三輪与志と津田安寿子との「私達の物語」として読み直すべく試み、推敲に推敲を重ねて独自に作成しております。むろん原文そのものの抜粋=再構成で、恣意的な要約などは一切しておりません。世話人のなかの若い研究者たちによるこの作業を、さて泉下の埴谷さんは「悪意と深淵の間に彷徨いつつ 宇宙のごとく 私語する死霊達」と共に、いかにお聴きになられるのでしょうか。帝劇公演の間隙を縫って出演を快諾された蟹江敬三さんに感謝を捧げるためにも、この「獨誦実験」の一夜が満員となるようご協力のほどよろしくお願いする次第です。(なお会場の関係上すべて当日先着順のみとし、前売り予約などは致しませんのでご了解ください)

獨誦実験  『死霊』――「私達の物語」として
● 2月18日(月)午後5時半〜7時半(5時開場)
● アテネ・フランセ文化センター 4階講堂
● 『死霊』朗読  蟹江敬三
         (テキスト作成 越智隆幸・人見敏雄)
● 音楽構成    J・A・シーザー
● 参加費     2,000円
○ 終了後B1ビュッフェにて小パーティ(会費別)

http://www.ocv.ne.jp/~kameda/

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高島論文の印象 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月 6日(水)06時15分03秒

いずみさんが、

>結局、小西さんのロジックは、「革共同戦争という個別具体の問題について」、
>「その内部に結集した人に対しての呼びかけとして」、有効なものだと思います。
> その面で、直接の当事者でもなくかつ全くの無縁でもなかった、インターなりノンセク
>なりの活動家やシンパに対しては、必要以上にリアリティが薄れてしまう危険性はあるし、
>また普遍的説得力という面でも「弱」くなってしまうのかなぁ、なんて。

と指摘しているのと同じように、高島論文は、革共同3派とブント以外にはリアリティを
持たないような印象を持ちます。トロツキズムに一度は触れて放棄した中核・革マル・ブント
に対してトロツキズムの優越性を説くことは意味はあるのかも知れませんが、それ以外
の人たちにはリアリティが薄れてしまう、なんて。

黒目さんの意見は、まさに「それ以外の人たち」のひとつの意見のような気がします。それと、
れんげさんのような方、ほんとに多くの人を代表した意見だと思います。こういう方たち
への説得力は低いのでは。だからと言って、世界−日本のトロツキストが「内ゲバ」に反対
し続けたという事実と、それがトロツキー以来の歴史的連続性ゆえであることは、強調して
強調しすぎなことはないと思いますが。

結局、「内ゲバ問題」を一断面から切っても、全ては説明できない、のではないですか。理論
でスパっと解明しようとすることにそもそも無理がある、もっと人間心理や、その時代の雰囲気
の影響とか、文学的課題になるような側面もあるのだと思います。

れんげさんの疑問に一部答えますと、60-70年代は「暴力」に関して抑制する雰囲気が無かった
ですね。極端に突き出せば突き出すほど「カッコ良い」という雰囲気があって、街頭闘争で限界
を感じると党の武装、銃の闘争、爆弾闘争、へとエスカレートしていく一方、同じ根っこなの
かも知れません、「内ゲバ」も運動を真剣にやっていけば当然なんだ、やられるからやるのは
当たり前のような雰囲気がありました。当時は「赤信号みんなで渡れば怖くない」という人間
心理が働いてたように思います。過去の問題ではなくて繰り返すこともありうる。自戒しなけれ
ばならないですね。

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>>数字の人 投稿者:葉寺覚明  投稿日: 2月 6日(水)02時50分16秒

まあ、毒電波のたわごととはいえ、「反革命は死ね」と公言している以上、「死ね」と
まで言われている「反革命」が、こいつを完全せん滅する権利があることくらいは、当然
想起していることであろう。リアリストとしては、実験してみたいもんだ。

不愉快極まりないが、こいつの名言を、幾星霜生まれ変わっても忘れないようにしよう。

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>数字の人 投稿者:葉寺覚明  投稿日: 2月 6日(水)02時38分13秒

「反革命は死ね」が口癖で、異なる立場の人に「出て行きやがれ!!!!!!!」と
威勢のいいことをほざいていたサヨ界隈の名物男だったのですが、身のほど知らずにも
私たちをジェノサイド宣言し、自業自得にも袋叩きにされたときに「私は日本の掲示板が
イヤになりました」とめそめそ泣きわめいていたくせに実はいろんな掲示板に書いていた、
いかなる差別語をもっても形容しきれない、うそつきの真性ダメ人間です。

学歴とか家族構成とか生息地とかを事細かに書いてやりたい衝動に駆られるのですが、
調べようと思えば誰にでも調べられるので、とりあえず書きません。

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「哲学生」は津村さんの反論に再反論せよ! 投稿者:いずみ  投稿日: 2月 6日(水)02時21分53秒

 と、いきなり我が本家\(^o^)/津村さんの登場の直後にこんなこと書くのも何ですが、この「哲学生」なる人物の主張は、かつてネット上で「共産趣味なんかswampだ」「三里塚闘争はプチブルの運動であり徹頭徹尾ナンセンス」「最近ベトナム人と付き合っている。ベトナム人のアソコは締まりがよい」などなど、数々の挑発・教条・差別発言を繰り返しつづけた、「1917」なる人物の主張と酷似しているのだ、ということはここでぜひ指摘しておかねばならないと思います。
 まさかいくらなんでも、ここで津村さんの指摘に逃亡することはあるまいね?
 申し訳ないが、キミの社会的存在についてはかなりの部分が「運動圏」で把握・共有されている(ことはマル共連BBS過去ログにも明示されちえる)ものであり、万が一回答なき場合などは、k言論上まったく正当な指弾を、それなりの手法によって行使することになるのは当然と覚悟されたし。

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JVP粉砕宣言について 投稿者:津村 洋  投稿日: 2月 6日(水)02時02分46秒

 哲学生さんの以下の主張に反論します。
 私たちIEGのサイトをごらんいただき感謝ですが、見てもなお私たちの組織名という単純な事実ですら認識できないようでは困ります。少なくとも最近どころか60年代から左翼であるJVPが何を主張し、どうふるまっているかを具体的に提示、検証してください。とりわけ、10万人近いメンバー、シンパ、JVPとみなされた無実の人々が虐殺され、一人をのぞく全指導部が抹殺され、10年ほど前には権力によっていったん壊滅された事実を意図的に隠蔽するようでは、事実認識としてお話になりません。
 哲学生さんは、「日本の左翼に取り入ろうとしているJVPを排除し粉砕することは緊急の課題」と言いますが、事実問題として残念なことに日本の左翼のおおかたはJVPを「排除」あるいは一国主義的に「無視」しておりますから「緊急の課題」なるものはそもそも成立しません。また、JVPが日本の左翼に連帯を求めるのは当然のことであって、それに応えられない日本の左翼を問題にすべきで、「日本の左翼に取り入ろうとしている」という非難はまさに帝国主義的な排外主義的言辞です。
 問題はその程度ではすみません。
 哲学生さんは、JVPという一政党・政治組織を「粉砕する」こと、つまり粉々にうち砕き解体し、壊滅させること、いわば71年と89年を前後する時期に権力者が実行したのと同様にJVP粉砕を煽動しております。政党組織の粉砕・解体を煽動するのは、そもそも向けられた対象がJVPであるかどうかに関わらず、右翼ファシスト、スターリニストあるいは権力的意志を体現するものとみなさないわけにはいきません。でなければ内ゲバ的テロルの扇動者のなせる言説としか受け止めようがありません。以上、いずれの立場なのでしょうか?
 哲学生さんは、日本人か日本在住でしょうから、とりあえずJVP日本委員会を粉砕・壊滅させることを目的にしてるんでしょう。在日スリランカ人社会に根をはるJVP日本委員会が、日本の権力・警察・入官当局によって数多くの弾圧を受け、さらに本国から送り込まれた秘密警察の特殊部隊によって襲撃を受けてきた事実を承知ではないのですか?権力の側が実現できていないJVP壊滅の課題をあなたが引き受けるということですか?

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国際主義編集委員会のサイトを見ました。彼らは内ゲバを批判しているようですが、どうしてスリランカの反動党派とつきあっているのでしょうか。スリランカ人民解放戦線(JVP)は、最近「左翼」を装っていますが、本質的にはファシスト的なシンハリ排外主義勢力であり、ブルジョア反動政権を左から批判するのではなく、「インドとその手先の分離主義勢力に屈伏している」と右から批判している党派であり、また多くの共産主義者がこの党派に虐殺されています。国際主義編集委員会は言行を一致させなくてはなりません。日本の左翼に取り入ろうとしているJVPを排除し粉砕することは緊急の課題だと思います。

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おじゃまします 投稿者:れんげ  投稿日: 2月 6日(水)01時45分48秒

 2.3シンポに参加した者です。運動経験がほとんどないくせに、こんなとこに書くのは
ちょっとドキドキしています。私としては日本の民主主義あるいは平和運動のためにも
「内ゲバ」の問題は看過してはならないのではないか、という思いで参加いたしました。
 今は左翼的立場ではないので、この場の議論にはそぐわないのかもしれませんが、私も
かつてはトロツキズムにシンパシーを寄せておりました。ただ、当時も革命における暴力の
位置付けには苦慮しており、すっきりしないままで表層の平和的戦略・戦術論を追究していたと
思います。会場では、あえて「対権力の暴力ならよいのか」という提起をしてみたのですが
反響がなかったようですね。階級闘争という議論の土壌からはみでてしまうと、ダメなんで
しょうか。
 パネラーの塩川さんの発言のなかで、東大全共闘が民青に対してゲバ闘争をしたことが、
のちに運動の退潮のなかで内ゲバが発生していく契機となったということがありました。
いままでそんなふうに捉えたことがなかったので、あっ、という思いで聞いたのですが、
街頭での機動隊との激突が、容易に他党派への暴力行使に転化していくという側面は
なかったのでしょうか?
 と、いうこともあるんですが、やはり根本的には対権力の闘争には暴力は不可欠なのか
という問いなんです。

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2・3の感想 投稿者:葉寺覚明  投稿日: 2月 6日(水)01時38分35秒

ココで盛り上がっている2・3「検証・内ゲバ」シンポに、私も逝ってきました。
生で著者の発言が見れるとか、はたまたどんな人が来るのかとか、興味があったのです。
当日は某所で書いたようにお宝本はゲットできるわサインはもらえるわで、なかなかでした。

会場を見まわしてみると、客層は、やや古い運動家っぽい人が多いように思いました。
老けてるだけかも知れんが、おそらく、ヘルメットかぶった人以前の世代ではないでしょうか。

まーそれはともかく…、個人的には、レジュメがもう少し充実しているとよかったと思います。
また、どうも皆さん、しゃべり足りないようなので、大学の教室でもロフトでもアンケート
でも酒の席での愚痴でもいいから、感想とかいろいろ聞けたらいいと思います。

ロフトでやるかどうかはともかく、どうもこのシンポに続きがあるようにも聞こえましたし、
例えば会場を借りずとも、手紙やメール、BBSなぞで意見を募るとかは出来るわけですから、
単行本にするのがムリだとしてもHPや小冊子でまとめることは不可能ではないと思います。
なにぶん「内ゲバ」とは関係ないと思うんだが、生田娘。の手記もノーカットで読みたいし…。

あと、客席から発言していた人の観察は、人間観察趣味者として、すごく面白かったです。
キョーレツなキャラをふりまいていたなぞのサンドイッチマン(ばくしお)はともかく、
誰も聞いてもいないのに「小泉内閣に替わる〜」とか言っていた人とか、予備知識がある人
ばかりであるかのように平然と「左翼天皇制」(語源知ってる?)とか言ってのけちゃう人とか、
この人たちの「世界」がセマッチイ左翼世界であることがよく分かって、妙に納得しました。

まあ、どーせ出てくるわけはないのだが、こおゆう人たちがネットに出てきたら、そりゃあ
もおイジリ甲斐があって、さぞや楽しいだろうと思いました。

ついでに「本」の感想です。まず、脚注や参考文献欄がないのが無学な厨房のぼくとしては
残念です。せっかく戦前の日共にかなりのページを割いているのに「チャンコロ帰れ」とか
「ドエッタ」とかわめくたのしい戦後の日共についてほとんど検証されていないのが残念で
なりません。せっかくぼくが某所で一生懸命そのあたりのカキコをしているとゆうのに!

あと思い出したのが内ゲバ当事者の皆さんの独特の文体です。これは前からかなりマジに
思っていることなんですが、なんであかの論争はえげつなくておもしろいんでせうか。
単に自説を立証したいなら淡々と事実を挙げればイイのに、わざわざえげつない口調で
攻撃するところがなかなか趣味者としてはすんごく興味深いところであります。

心理学では文章読んで診断することをやるらしいから、あかについてもやりたいもんです。

それはともかく、生田あいのことを「書きすぎ」と言った人がいるらしいのですが、
その人は「従軍慰安婦問題」について、どおゆうスタンスなのかしらん。

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盗人猛々しい。PART II 投稿者:いずみ  投稿日: 2月 6日(水)01時33分40秒

 へー(ワラワラ

 「いきなり」「ビンタ」とか妄想わめいてますが、これ、2語ともウソじゃん。いい加減にせーや!

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マル青同Oさん虐殺、日向一派のロフトプラスワン襲撃事件も含めて 投稿者:いずみ  投稿日: 2月 6日(水)01時31分31秒

 ちっとも解明されてません。つーか、そんな趣味者的話題^^;;じゃなく、戦後の日共のテロ・リンチについてもですよね。

#ただ、マル青同については、「はじめから殺戮を意図した攻撃」「証拠隠滅の図り方の異質さ」の両面、さらには、当時まさに第4インターの活動家すらが「全学連が再建されるならば、それはマル青同をおいてほかにない」と雑談していたという組織がそんなことやらかした、という面において、本来、検証しないことは「許されない」とも思います

 無論、以前も書いたとおり、戦前の日共と「革共同戦争」の2点については相当に妥当な指摘・論証をしているので、本の価値はちっとも落ちないとは思いますが。

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陳情(?) 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛  投稿日: 2月 6日(水)01時27分35秒

>>日本左翼の「党派」というのは、その内部に<党>と<大衆>がワンセットでくくり込ま
>>れていること、言い換えますと、両者の関係が「閉じられて」いること、それは、諸<党>
>>による<大衆>の分断と私物化であったのではないか、ということでございます。実にこ
>>うした構造こそ、いうところの「プロレタリア民主主義」と原理的に対立するものではな
>>かったのでしょうか。レーニンの組織論というのはこのような閉鎖系ではなかったと思う
>>のでございます。

 お願いだから,もっと理解できる日本語で書いて下さい。ヽ(´ー`)ノ
 
 ※推奨する参考文献/小野田博一『論理的に説得する方法』『論理的に書く方法』
          (日本実業出版社)  

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解放派内々々ゲバについて 投稿者:いずみ  投稿日: 2月 6日(水)01時23分18秒

 は、実はいずみが2・3での質問としてパネラーに突っ込んでいます。
 そして、それに対しての回答は全くありませんでした。唯一、蔵田が「解放派はどちらかと言えばブント主義」などと言ってましたが、これは感覚的には成り立ち得るとは思いますが、少なくとも「評論家」の言としては最低最悪大失格でしょう。(ご質問があればより詳しく展開します)
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「黒田理論」の問題ですべてが説明できるのでしょうか? 投稿者:黒目  投稿日: 2月 6日(水)01時19分07秒

今、思い出しましたが、外国の内ゲバ主義としては、ペルーのセンデロ・ルミネソが、文革他党派解体路線で、他セクトを殺しまくったのですが、ペルーって、ウーゴ・ブランコのキャノン派トロツキズムのすっげ〜古くからの伝統あるんですよね(苦笑

たしかに、「中核派・解放派の革マル化」という言い方をしてきましたし、内ゲバやってる中で、「同じようなものになっていった」という事はあると思います。
しかし、例えば、90年代半ば以降の解放派の、内内ゲバが無限に、突発的に展開してしまうような状態、というのは、既に黒田理論的なるものから説明するのはキビシイのではないでしょうか?
もっと言えば、38分裂は、国内の大衆運動のすべてに、どちらにつくのかの選択をせまる、という形であった訳で、国内の大衆運動の衰退に決定的な役割を持ったと思うのですが、その過程で、インターへのテロがあり、日向派への戦争宣言があった。俺は、状況はよく知らない訳ですが、この手の恫喝政治が行われた事は、容易に想像できる訳です。
これは、中核派なり解放派なりの行為であって、革マルの影響とかで説明できる部分ではないのではないか、と思います。
中核派が何を考えてやったのか、解放派が何を考えてやったのか、という事が個別に問われてしかるべきなんであって、それが結果的に黒田主義的な「自分のとこがよかったら他はどおなってもええ」みたいな話として、共通性が発見できるにせよ、それはそれぞれ、中核派の、あるいは解放派の問題として、語られるべきなのではないでしょうか?

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ひぃっ、痛っ! 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 6日(水)00時50分34秒

いきなりビンタですか?>いずみさま 

お気に触ったのでしたらごめんなさい。でも、百万篇はどうぞお許し下さいませ。さして厚くもない顔がすりむけてしまいますから(苦笑)。

はい、ご指摘のまっぺんさんのご論文、拝読しておりません。「他党派の機関紙」ですか? もしネット上にございましたら、URLなどお教えいただければありがたく、よろしくお願いいたします。

それと、質問ばかりで恐縮ですけど、あの「数字の人」のことは、教えていただけないのでしょうか?

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加入戦術に近いですね 投稿者:小西まこと  投稿日: 2月 6日(水)00時34分21秒

蝉丸さん。確かに加入戦術に近いですね。
ただ、述べられている60年前後はともかく、60年代から70年代以降では、日本共産党に対する加入戦術は「完全に秘匿しない限り」成立しないでしょう。
 僕は完全に秘匿したわけではありません。自分自身が中核派活動家を説得する理論を作り上げるまでは、その限りで「秘匿」したにすぎません。「新左翼本」にも書きましたが、すでに80年前後から「小西一派」「大衆運動主義者」と中核派にまで言われていたのです。
 問題は内ゲバですが、これも先の本に書きましたが、「内ゲバはまちがっている、しかしそれに対してヒューマニズムや人権一般を叫んでも誰も理解しない。それを超える理論を形成しなければ」と思っていたのです。
 確か、どなたかがここでも「殺すな」ともっと徹底して訴えるべきであった、と述べられていますが、これは一つの真理であることは間違いではないと思いますが、しかし、当時の状況ではこの真理が通用しない状況であったことも確かです。
 つまり、民主主義と人権の問題、暴力・組織論の問題などをマルクス主義的に説得的に論じなければ誰も「お人好し」以外には受け止めなかったでしょう。

 ただ、いずみさんも書いてますように、この問題は当時被害を受けた第四インターの人々には受け容れられないでしょう。これは今後のあり方で示していく以外はないと思います。

若干、黒目ー蝉丸さんの論争に付言します。
かけはし論文を2/3発言を含めて好意的に読めば、日本の新左翼がトロツキズム、そのプロレタリア民主主義をしっかり学んでいれば内ゲバは発生していなかった、というのはそのプロレタリア民主主義の理論を展開しなければ理解できないと思います。
 内ゲバの根源は、「検証 内ゲバ」でも書いていますようにスターリズムですが、戦後日本だけで発生したのは日本独特の思想があるからです。その日本的根源は、鬼薔薇さんとも一致していますが、黒田組織論ー哲学です。この革マル派の内ゲバ主義に「取り込まれて」「同化して」中核派、解放派の内ゲバも行われたと思います。暴力が行使されれば、それに対して曖昧なものしかないならそれに同化するのは必然だと思います。
 解放派はスタを根源としていませんが、しかし、革マル派の暴力に対してまさに「引きずり込まれた」といえるでしょう。ここには彼らの「内ゲバ論の曖昧さ」も発生すると思います。

問題は、かけはしのプロレタリア民主主義論ですが、これは「複数主義と分派」(これは重要ですが)だけの提起では、説得力はありません。
 問題は先に述べた「殺すな」に関わる人権と自由ー民主主義とは何か、に関わることだがらです。
 恐らく、全共闘世代の皆さんは理解するでしょうが、我々の世代は「戦後民主主義を乗り越える」「ブルジョア民主主義を乗り越える」として、結局はレーニンのプロレタリア民主主義論に依拠したわけです。この内容と問題は「内ゲバ本」に書いたとおりです。
結局、ブルジョア民主主義を乗り越えるプロレタリア民主主義を理論的・実践的に形成できなかったわけです。
したがつて、かけはしの主張がトロツキーのプロレタリア民主主義を新左翼が受け容れなかった、と言っても、それは当時の思想状況の中でその内容を突っ込んで提起しない限り受け容れられないと思います。
 以上の点は、内ゲバ本でもくり返し主張しているのですが、僕の展開不足や理論不足でなかなか皆さまに伝わっていきません。

鬼薔薇さん。このプロレタリア民主主義論の問題について提起して貰えませんか?

 民主主義の問題は、特にこのマルクス主義的展開は、日本では決定的に遅れています。大藪さんが「光と陰本」でいう「日本的集団主義の問題」は、結局、この民主主義論の提起なしには一歩も前進しないと思います。
 僕の知る限り、竹内芳郎さんや柴田高好さんが国家論として70年前後に書いたものくらいでしょう。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/shakai.htm

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鬼薔薇は顔を百万篇洗ってから出直せ。 投稿者:いずみ  投稿日: 2月 6日(水)00時16分42秒

 というのはいずみの勝手な妄想なので無視していただいてかまわないが、正直な心情を吐露すればそういうことね。

>ものすごいこと仰ってません? 「第四インターナショナル」の脱トロ
ツキズム化、「トロツキスト」諸派も構成員の一部とする合同左翼ネット
ワークへの全面改装、ということですよね。

 あんた、この場でここまでさんざん語っておきながら、ここの管理者たるまっぺんさんが他党派機関誌に最近投稿した論文は読んでないわけね。(激藁)

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「内ゲバ」検証深化の契機 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 5日(火)23時56分39秒

いろいろなご議論重なり合って進んでいるため、なかなか複数のつながりを識別しながらトレースするのに苦心しております(苦笑)。

3日のシンポジウムをひとつの節目としてさらに検証が進めらるとすれば、次のご発言はその重要な契機となる問題指摘かと思いながら読ませていただきました。

●ここの議論で腑に落ちないこと 投稿者:TAMO2  投稿日: 2月 4日(月)14時34分58秒
>
> 暴力にまつわる党派への批判が議論されているのはいいと思うのですが、大衆#一般#
>の内ゲバ的暴力への感性ってのは60年代まではどうだったのでしょうか。はじめから暴
>力反対という感性が強ければ、あそこまで酷くならなかったのでは? と思います。
>
> つまり、大衆の側に左派内部の暴力一定容認、という風潮はなかったのでしょうか。こ
>の問題は、党派の問題だけではないような気がします

●いや、別にアナキズムの方がエライ、なんて話をしてるんじゃなくて(苦笑 投稿者:黒目  投稿日: 2月 5日(火)12時00分43秒
>
>「左翼大衆に受け入れられる」ということが問題にされていますが、少なくとも日本国内
>に於いては、内ゲバは、自称革命党が、宗派として純化し、大衆運動を踏みつぶす形で行
>われてきていると思います。
>つまり、問題の根元は、自称革命党が組織される具合の問題に他ならないのであって、諸
>党派が内ゲバ党派に転落していく過程こそが検証されなければ、内ゲバはなぜ発生し、構
>造化したのか、ということの謎は解くことはできないのではないのか、と考える訳です。

●ヨーロッパには××派が存在していないから「内」ゲバは起きなかった? 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 5日(火)13時50分53秒
>
> そもそも、前衛の否定や開かれた組織性では「党派」という概念自体が成立しないから
>過度な暴力は内部で生じないのでは。

 ご趣旨それぞれ異なるかと思いますけれども、共通して、日本左翼運動における「党派」というもののあり方が問題として突き出されているようにわたし思いました。より正確に言い直すなら、<党(前衛)−大衆>の関係構造ということになりましょうか。
 
 わたし自身の見方は、前にも少し書かせていただいたところでございますが、日本左翼の「党派」というのは、その内部に<党>と<大衆>がワンセットでくくり込まれていること、言い換えますと、両者の関係が「閉じられて」いること、それは、諸<党>による<大衆>の分断と私物化であったのではないか、ということでございます。実にこうした構造こそ、いうところの「プロレタリア民主主義」と原理的に対立するものではなかったのでしょうか。レーニンの組織論というのはこのような閉鎖系ではなかったと思うのでございます。
 
 他国の事情には暗いのですが、もしこうした閉鎖系の関係構造が日本に特徴的な現象だとすると、ここから「なぜ、日本で?」という検討を深めて行く糸口のひとつを見出せるかと思うのですけど。

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第四インターリニューアル+ 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 5日(火)23時53分36秒

>せみまるさま

>スターリニズムの「祖国」ソ連が消滅した現在、第四インターナショナルをトロツキスト
>だけの専有物にしておく意味はなくなりました。むしろ、この国際的ネットワークを積極
>的に闘いの武器に利用する事を考えてゆくべきであろうと思います。第四インターは権威
>主義を否定する組織であるがゆえに、それが可能であると思います。

 ものすごいこと仰ってません? 「第四インターナショナル」の脱トロツキズム化、「トロツキスト」諸派も構成員の一部とする合同左翼ネットワークへの全面改装、ということですよね。

これって、現実の第四インターで合意可能なアイデアでございましょうか? 他所の国は措いておくとして、とりあえず日本でのインター系諸グループの間だけでも合意できるものなのでしょうか。もしそうであれば、もはや「4トロ」ではないこの「新4ター」を、わたし全面的に支持いたします。

 もしまだ合意形成には至らないアイデアの段階だとしたら、合意形成のための条件としては、どのようなことどもをお考えでしょうか。
 
 もうひとつ、教えていただきたいことがございます。
 ヨーロッパではトロツキストの影響力(指導性?)で内ゲバは避けられてきたとのお説ですが、例としてあげられているのは主にフランスのケースですね。
 旧西ドイツでも新左翼の再編成が内ゲバなしで進んだと思うのですが、ドイツでもやはり第四インター系の活躍があったのでしょうか?

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「数字の人」って? 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 5日(火)23時51分46秒

どういう人のことなのでしょう?>いずみさま、TAMO2さま
すみません、お教え下さいませんか? わたしまるで疎くて^^;)

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??? 投稿者:黒目  投稿日: 2月 5日(火)23時30分42秒

>30年前にトロツキストが「内ゲバ反対」などと言っても、どの党派、左翼人士も嘲笑す
>るばかりでした。「なにを平和主義な・・・」と!
>だれも「容易に理解」しなかった結果が今日の事態を招いた事実を受け入れるべきではな
>いでしょうか?

高橋和巳が内ゲバに対して否定的な文章を書いていたと思いますが、それは特にトロツキズムを「全体として受容した」立場から書かれたものではなかったと思いますが。
彼は71年に亡くなっていますので、それ以前の状況についての話で、民青と全共闘派とのゲバについてなのですが、本質的に異なるものではなく、この延長として70年代の内ゲバはあると読んでいいと思いますが。

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内ゲバ主義はスターリニズムの産物です 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 5日(火)22時57分22秒

トロツキズムはもちろん無びゅうではないし、レーニンもふくめて「党の代行主義」を経験してきました。
代行主義が容易に官僚主義・内ゲバ主義に結びつくのは理解できると思います。
しかし、少なくとも、レーニンおよび左翼反対派は困難な情勢の中でそうした状態に踏み込んでしまった事を否定的に総括し
それを修正しようと努力してきました。(クロンシュタットの後のネップ、党内民主主義の要求など)

しかし、スターリン主義とは、この代行主義を固定化し、むしろ積極的に肯定する思想であり、
「共産主義内部の右翼思想」と規定してもいいかもしれません。
したがってスターリニズムこそ内ゲバ主義の源泉と考えています。
「自己の絶対化」があるからこそ「他党派の暴力的解体」が正当化されるのです。
これはまさしくスターリニズムそのものです。その事をはっきりと認識しなければ内ゲバは一掃できないと思います。

> 別にトロツキーなんか知らなくても、容易に理解出来る

というなら、なぜ56年の時代にそうならなかったのでしょうか?その当時、なぜ共産主義者たちは「容易に理解」しなかったのでしょうか?
まさしくその当時の共産主義者にとっては、スターリン主義によって広められた思想と世界観こそが「標準的共産主義」であり、
党派闘争のスタイルも「スターリン主義的にやるのが常識」だったからではありませんか?
もちろん内ゲバを行使する諸君は当時(現在も)その行為が「スターリン主義である」と理解してはいなかったでしょう。
30年前にトロツキストが「内ゲバ反対」などと言っても、どの党派、左翼人士も嘲笑するばかりでした。「なにを平和主義な・・・」と!
だれも「容易に理解」しなかった結果が今日の事態を招いた事実を受け入れるべきではないでしょうか?

黒目さん。議論が堂々めぐりしていると思いますが「共産主義者の内部に内ゲバ反対を主張する勢力が登場すること」が重要だったのです。
それを引き受けたのは当時、唯一トロツキストだけだったのは事実です。高島は「不十分であった」と述懐していますが。

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つーか、かなりひで〜と思うのですが(苦笑 投稿者:黒目  投稿日: 2月 5日(火)22時13分54秒

>それは「反セクト」で「ボリシェビキの被害者」にこだわるアナーキストの宿命であると>言ってしまえばそれまでなのかもしれません。
すべての矛盾を「スターリニズムの問題」に収斂させるトロツキストの宿命、つーのもあると思いますが(苦笑

 さて、我々は何を議論するべきか。
我々は、今や、56年の時点からやり直す事は出来ません。現実に、黒田主義的なるものは発生し、展開し、運動構造を規定していった。
 これの後始末をどうするのか、という事が、考えるべき事であるのは明白であると考えます。
高島論文では、「トロツキズムが全体としてではなく、裏切り史観の側面のみを学習した」ことによって、内ゲバ主義が発生した、とされています。
それでは、今、内ゲバの時代に終止符を打つために必要な事は、「トロツキズムを全体的に受け入れる」ことなのか?
俺はそうは思わないのです。内ゲバなんて行為が、クソ最低な行為である事は、別にトロツキーなんか知らなくても、容易に理解出来るし、説明できる事なのではないのか、と考える訳です。

もう一点、内ゲバ主義はスターリニズムの産物なのか、という事。スターリニズムの定義がそもそも問題になりますが、「一国一共産党主義」が問題なのであれば、中国派やソ連派はもっと内ゲバやってて然るべきでありましょうし、解放派なんかは、そもそも出自は社民ーローザであり、スターリニズムの「血脈」ではありません。つーか、解放派がなんであんなんなっちゃったのか、大衆的に説明することすら不可能な内ゲバを再生産しつづけちゃう、というのは、どこからきてるのか、というのは、かなりの大問題だと思うのですが。
 内ゲバの起源をスターリニズムに求めてしまう事は、逆にらちがあかないんじゃないか、むしろ、我が国の運動構造がどのように展開したか、という事を問わなければならないのではないか、と考えます。

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トロツキスト「加入戦術」との比較 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 5日(火)20時25分34秒

小西さんの「軍人」評価について、いずみさんを誤解していたようですね。
それから小西さんの、考え方は了解しました。その考え方は、
50年代にトロツキストが世界中でおこなった「加入戦術」にすこし似ています。
しかし、「自衛隊への工作」と「中核派への工作」とは
分けて考えるべきではないでしょうか?

自衛隊に関する限り、小西さんの考えを支持します。まったく正しいと思います。
敵の懐にいだかれている労農人民を革命側に獲得し、敵の暴力装置そのものを
解体していく行動として正しいと思います。
しかし、中核派の場合は、「敵の暴力装置」ではありません。
「革命の同志」としてともに闘ってきた仲間に対する行動として考えるべきであり、
こちらのほうはトロツキスト「加入戦術」に近い印象を受けます。

そこでトロツキストがおこなった加入戦術について考察してみます。
トロツキストは加入戦術において
基本的にはその意図・目的・思想を隠しませんでした。
社会党や共産党の党員を同志として考え共に行動するなかからオルグしていったのです。
しかしもちろん戦術的に隠す必要のある場合もありました。
たとえば共産党内部で活動していた沢村(西京二)の行動がそうです。
かれはそれでも周囲へのオルグを続け、京都府委員会でトロツキスト的主張を
党員の前に堂々と明らかにするところまで闘っていきました。
その成果は国際革命文庫「日本共産党批判」沢村論文をご覧ください・

小西さんの中核派内部での態度ですが
内ゲバが大衆運動への敵対である事を理解しながら
それを中核派内部で隠しながら行動し続けることは
後になって周囲に不信を懐かせることになるのではないでしょうか?
それは中核派の同志たちに対してとるべき態度であるとは思われません。
もちろん襲撃を受けた第四インターの側からはもっと承認できないわけですが。

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黒パンさんの視点 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 5日(火)19時02分31秒

 結局黒パンさんは、「各党派メンバーの算術的総和」でしか情勢を見ようとしていないのではないでしょうか。それでは運動を正しく評価はできないと思います。「トロツキズムの影響」というのをそうした形でしか見ないとすれば「内ゲバをなくすにはトロツキストが多数派にならなければならない(という主張自身は正しいと個人的には思っていますが)。だから、我が派を多数派にしなければならない。ついてはあらゆる手をつかって他党派を粉砕し、わが派を強大にしよう」という結論になってしまい、これでは極めてセクト主義的な方向へ党派を追いやることになるでしょう。つまり黒パンさんはトロツキズムを含めて「セクト」というもの全般に対して、初めからそのような「偏見の色めがね」で見ているのではないでしょうか? それは「反セクト」で「ボリシェビキの被害者」にこだわるアナーキストの宿命であると言ってしまえばそれまでなのかもしれません。しかし、そのような見方でしかセクトを見ないとすれば、アナーキストとコミュニストとは永久に共闘できないのではないでしょうか?

 なお、ランベール派は第四インターナショナルをパブロ主義が支配するまではフランス支部多数派でした。どちらかというと「先進国革命主義」。ランベール派は第四インターから離脱し代わってフランス支部内少数派だった現在のJCRが支部の中心になった経緯があります。そして、現在ではランベール派のセクト主義にもかかわらず、彼らをも巻き込んで多くの党派の統一戦線が成立し、いっしょに闘っている状況にあります。また、もうひとつのトロツキスト組織「労働者の闘争派」は労働運動ばかりで政治闘争はほとんどやらない党派ですが選挙における得票はJCRよりも大きいそうです。前回の大統領選挙ではここと共同して選挙戦を闘って成果をあげています。最近(3年くらい前?)ここからかなりまとまった人数が分派してJCRに合流しました。

 以上はフランスの状況です。たしかに「ヨーロッパ」を一般論でおしなべて語ってしまうのは間違いであることはわかっています。しかし、日本と比較しておおまかに語るならばおおむね、その比較はあたっていると思います。重要なのは、「スターリニズムを言葉の真の意味において打破し得たかどうか」であると思います。ヨーロッパではこれを打破できた。しかし日本では打破できなかった。日本で打破できなかったのは、「共産党を打破しよう」とした新左翼のもっとも主要な部分がほとんどスターリニズムを自己の体内に受け継いでいた事に気付いていなかったからだという事です。

 「スターリニズムの打破」とは、トロツキストの解釈では「共産党の組織内部を支配するスターリニズムの理論と組織体質を打破する事」であり、かならずしも「共産党の勢力を減ずること」ではありません。しかし、自らがスターリニズムに冒されている新左翼諸党派にとっては「共産党組織の打破・粉砕」のことであったわけです。ここに「スターリン主義解体」についての全くちがった見方が存在します。思想的影響力というものを「組織人数」によってしか理解しようとしない黒パンさんは、この日本新左翼(スターリン主義)諸党派と同じ見方をしているのではないでしょうか?

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トロツキズムの伝統 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 5日(火)16時41分30秒

せみまるさんが、こういう一般論でしか語らないレベルに対応しています。

2月4日付け せみまるさん書き込み
<すくなくともトロツキズムの伝統がしっかりしており、日本の組織のような誤りをおかすこともなかったヨーロッパでは>

 トロツキズムの伝統とは何でしょうか。ヨーロッパ一般で語るのは無理があるでしょう。
 セルジュのテキストを引用した時にセルジュはトロツキーを敬愛しているにも関わらず、
批判的な論文は掲載されず、非民主主義的な対応をされています。これも伝統ですか?

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黒パンさんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 5日(火)14時27分17秒

黒パンさんはそもそもこれまでの議論のやりとりに対してあまりにも不見識です。

>そもそも、前衛の否定や開かれた組織性では「党派」という概念自体が成立しないから
>過度な暴力は内部で生じないのでは。トロツキーの「教え」以前に。

「トロツキーの教え」って何ですか?
「トロツキー教祖のありがたい教えがあったから人々は悔悛して内ゲバをやめた」
とでも私や高島がどこかで書いているのでしょうか?
書いてあったなら指摘してください。人が書いたものはちゃんと読んでくれませんか?
「内ゲバ」について私がこれまで語って来たことをまるで無視しているんじゃ話になりません。

内ゲバはスターリニスト共産党によって持ち込まれたものであり、
それ以前に共産主義者が追究してきたプロレタリア民主主義を破壊した上で
「共産主義の標準」として持ち込まれたものです。
いいかえれば「前衛の否定や開かれた組織性」がスターリンによって破壊されていたのですよ。
なぜスターリンはあのように反対派を次々と粛正することができたのですか?
それを考えるなら、スターリン主義に対抗して意識的に追究しなければありえない
「前衛の否定や開かれた組織性」などは願望ではあっても現実的ではありません。
その意識的な追究を共産主義理論の中から「スターリン主義」を排除するという形でおこなってきたトロツキストの闘いは
「教祖のおしえを広めて歩く巡礼の一行」にすぎないのでしょうか?

「ヘゲモニーを握っていない」というのはどういう意味で使われているのでしょうか?
たとえば今焦点となっているATTACもブラジルの世界社会フォーラムも、どこかの党派が「ヘゲモニーを握っている」わけではありません。
しかし、アタック形成にあたって、その民主主義的かつ戦闘的な運動としての性格付与にたいして
ヨーロッパトロツキストはおおきな貢献をしています。ブラジル左翼内部のトロツキストもです。

逆に言えば、トロツキストの闘いは、そのような「一党独裁」的な指向を排除し
統一戦線を追及する事によって影響を与えてきたのだといえます。
「トロツキズムの影響があった」からといって「トロツキズムを人々が受け入れた」という意味にはなりません。
内ゲバ問題をめぐって「スターリン主義者とトロツキストとどちらが正しいか?」と聞かれて
「トロツキストの方が正しい」と答えた人はすべてトロツキストでなければいけないのでしょうか?
「トロツキズムが絶対正しい!我にきたれ!」というならば、それこそ裏返しのスターリニズムです。

同じ事を黒目さんと黒パンさんに何度も何度もくどくど説明するのは疲れます。
書く前に「同じ事が書かれていないか」チェックしてからにしてください。

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そのうえで高島論文の不十分な点について 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 5日(火)13時53分58秒

わたしは日本トロツキズムにもスターリン主義の影響があったのではないか、との疑問を呈しています。
漠然としか語ってはいませんが、そこの部分も切開することは重要であると思っています。
「試練派」問題をめぐってすこし考えてみたいと思います。あとで。

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ヨーロッパには××派が存在していないから「内」ゲバは起きなかった? 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 5日(火)13時50分53秒

せみまるさん、「68年5月革命」の書き込みはテキスト量が多いので読んでないのかもしれませんが要点だけ抜書きします。
1948年にカストリアディスとルフォールが当時のトロツキスト党を「前衛」を否定して離れ、その後彼らのグループが3月22日運動の学生にも影響を与えると「江口テキスト」は語っているのですが、そして3月22日運動自体も
3月22日運動の性格
1 革命的統一は政治路線やイデオロギーの周りにではなく、行動の中で、じかに形成される。
2 あらゆる革命的行動の前提条件は、全員にとっての言論の権利である。大衆は、仲介者や代弁者を介してではなく、自分たち自身が直接発言できる場合にしか、行動しない。  以下 略 

 フランスの場合は70年まで≪その後は参考テキストを持っていないので語れませんが≫
第四インター・フランス支部というものがあったとしてもヘゲモニーを握っていないわけですよね。江口テキストが違うというならば指摘してください。
 
 そもそも、前衛の否定や開かれた組織性では「党派」という概念自体が成立しないから
過度な暴力は内部で生じないのでは。トロツキーの「教え」以前に。

 黒目さんが述べているように「検証」するというならば、丁寧にトロツキストグループの役割りを展開してください。
 トロツキーが主張していたから、起きなかった、重要な役割りを担ったではトロツキストは納得しても、思想洗礼を受けていなければ、空論にしか聞こえません。
 イギリスやドイツ、イタリアの状況も機会があれば触れてみたいのですが。
 イギリスを除けば、内戦を自「国」内で経験しています。
 内戦という大きな暴力を経験していると、同じ「階級」同士では暴力を振るい難いという
 問題を提起できるのですが、イギリスが「例外」となります。
 イギリスは70年代からはナショナル・フロンとが跋扈し始めて非「白人」を襲撃するという右からの暴力が持続します。ドイツも同様ですが…

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まさにそれこそ「反スタ主義」であると思います。 投稿者:せみまる  投稿日:2月 5日(火)13時48分19秒

ブントのトロツキズム批判は「正しいことを口で言っていても武力で対抗できなければ敗北する」というものです。敗北しないためにスターリンの方法をそのまま継承・維持していったのが日本新左翼運動主流の立場です。日本新左翼の主流は「ブント」であり、次に「中核派」です。どちらも「反スタ」をいいながら(蔵田氏によれば非スタ、日向派では克スタ)その実践は極めてスターリン主義であったことは「客観的に」明らかです。

トロツキズムを重要な部分として発生した「ヨーロッパ新左翼」とスターリニズムを重要な部分として発生した「日本新左翼」とのちがいがこのような形で現れた、というのが高島論文の結論です。わたしはこの意見を支持します。

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黒目さん・・・・ちゃんと読んで下さい 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 5日(火)13時39分58秒

黒目さんの↓の疑問にも、わたしの考えを述べていますよ。すでに。そしてそれはTAMO2さんへの回答でもあります。

(1)日本では民主主義の概念がまだ未発達であった。

(2)日本では共産主義運動は「スターリン主義」運動としてしか入ってこなかったがゆえに
   共産主義を受容する側の意識も「スターリン主義的意識」でしかなかった。

(3)上記理由によりトロツキズムを宣伝する主体の側にも一部、
   スターリニズム体質が(理論ではなく体質として)残留していたのではないか?

トロツキストの解釈では、内ゲバは「新左翼内部に発生した」のではなく、共産党から飛び出した「自称革命的共産主義者」たちが共産党の体質(内ゲバ体質)をそのまま新左翼運動内部に持ち込み、発芽・開花させたものだという事です。

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いや、別にアナキズムの方がエライ、なんて話をしてるんじゃなくて(苦笑 投稿者:黒目  投稿日: 2月 5日(火)12時00分43秒

それでは、ヨーロッパに於いては、トロツキストの主体的な力によって、「内ゲバが行われない」という事が勝ち取られたのでしょうか?それは具体的にはどういう状況があった所に、どういう働きかけがなされたのでしょうか?
また、なぜ、日本に於いてはそれは力をもちえなかったのでしょうか?

「左翼大衆に受け入れられる」ということが問題にされていますが、少なくとも日本国内に於いては、内ゲバは、自称革命党が、宗派として純化し、大衆運動を踏みつぶす形で行われてきていると思います。つまり、問題の根元は、自称革命党が組織される具合の問題に他ならないのであって、諸党派が内ゲバ党派に転落していく過程こそが検証されなければ、内ゲバはなぜ発生し、構造化したのか、ということの謎は解くことはできないのではないのか、と考える訳です。
 従って、この高島論文の如き、「正しい思想」が普及されれば内ゲバは止まる、式の思考はなんら状況を解決に向かわせるものではなく、「党派的思考停止」と分別すべき類ののものである、と見る訳です。で、こういう形で7高島論文にはハゲシク反発する、つー(苦笑

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黒目さんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 5日(火)11時03分56秒

あなたの疑問には、すでにnoizさんへのレスの中で答えていますのが、再度わかりやすく解説します。

アナーキスト勢力が68年のパリで大きな役割を担っていた事は否定できませんがアナーキストには内ゲバを止める主体的な力はなかっただろうと思います。これは別に「トロツキズムの権威」を吹聴する意味で言っているのではありません。

●理由
スターリンが共産党の権力を掌握してから「唯一前衛党論」が「普遍的な共産主義の原理」として世界中に広められたのであり内ゲバ主義はこの思想を根拠として各国共産党を通じて左翼大衆に持ち込まれたものです。したがってその限りでは内ゲバは「目的を達成するためには当然」として正当化されるものだったのです。しかし、「それは本当の共産主義者の態度ではない」ことをトロツキストが宣伝し、組織化したことによってそれまでの「共産主義の常識」が覆された、という事です。つまり「共産主義の隊列の内部から」内ゲバを批判する勢力が登場する事が重要だったのです。

アナーキストからの内ゲバ批判では「ボリシェビキ批判」「共産主義批判」にしかなりません。しかし、それでは共産主義を是とする大衆への説得性を持つことはできません。トロツキズムが勢力を拡大しなければ、アナ・ボル論争も、その限りでは「アナ・スタ論争」にしかならなかったでしょう。
(注:アナーキズムの中でも「絶対自由共産主義」の潮流は究極の目的としては共産主義に近いと認識しています。)

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一同窓生さん、加藤さんより 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 5日(火)09時53分06秒

≪一同窓生  2.3の集まりに加藤哲郎さんは出席されなかったんですか?目玉かなと思ってたんですが。≫

 藤井一行さんでしょう。
http://www.fujii.edu/

http://www.fujii.edu/sakharov.html

 「パソコンが3台ほど設置され、そこに電子化された粛清関係のデータが豊富にインプットされていて」

 さりげなく書かれていますが、恐ろしい描写ですね。内ゲバ関係のデータが豊富にインプットされているのは何処のPC?

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主張そのものは数字の人ですな 投稿者:TAMO2  投稿日: 2月 5日(火)09時47分25秒

 哲学性さん、セミ・スターリン主義的な「主張」への批判はいずれ。

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日曜の感想 投稿者:いずみ@出向先  投稿日: 2月 5日(火)08時11分30秒

 いずみはギャルメイク・ギャル系ファッションで登場してみなさんの顰蹙を買いましたが(藁)これには政治的意味があって、いいだもも「ガングロ・厚底批判」論文に対するアンチだったです。意見表明のときもちゃんと冒頭に「今日はいいださんのガングロ・厚底批判論文に抗議する意味でこんなかっこうで来ました」と宣言したわけです。

※参考資料・本家の論文
http://www.ngy1.1st.ne.jp/~ieg/ieg/inter/vol3-3/ito2.htm

 そんな持ちネタはともかく(笑)、パネラーはほんとにダメダメでしたね。
 つーか、三上もそーだけど、なんで2次より前のブントの人って「1聞かれると100答える、そのうち40は自慢話、で99は答になってない」人が目立つんでしょう?と蔵田には思った。

 生田あいの体験談はそれはそれとして当然極めて重大な問題ですが、いずみはこれを内ゲバの問題としてしまうことは逆に「性暴力問題を矮小化するものだ」と思うわけです。そしてさらに、生田あいには内ゲバの加害者としての責任もあるはずなんですが、そこをしゃーしゃーと捨象して被害者だけの側面を語る、さらにそれにかこつけて、コム・未来時代には決して展開してこなかったブント「総括」をファミコンカセット抱き合わせ商法的にしゃーしゃーと発表する、こりゃいったい何なんだと。
 つーか、生田あい、打ち上げでいずみに握手求めてきて、「えー、めぐみさんでしたっけ?」(ププ
 「いずみです」「あーあー、いずみさん、ホームページ見てますよ〜(笑顔)」だって。
 ぉぃぉぃ、izumichan.com ってサイト見てるのになんで名前間違えられるんだよ(激藁)
 要するに、実は何にも知らないのにそうやって社交辞令で接近してごまかす奴なんだなこいつ、と思いました。まじでキショイ。

 もちろん、これが開かれたコト自体には莫大な意味・意義があります。
 最後の栗木さんからのまとめでは、日本社会の構造と日本の「内ゲバ」を結びつける示唆なんかもあって、これはいずみがここで表明した問題意識にもつながっていくものです。また、生田・いいだによる露骨なひきまわし政治に対して、最後の最後に本家津村さんが一発批判かましたのもよかったです。
 これを年取った世代・コア左翼?経験者以外にも広げていくためにもぜひ、今後継続して、ロフトプラスワンで開催していくことを強く強く強く強く希望しますです。

#あと、葉寺さんが純粋趣味者闘争に大勝利してました(藁) ご本人からの報告きぼん

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「軍人」云々について 投稿者:いずみ@出向先  投稿日: 2月 5日(火)07時10分01秒

 せみまるさんの認識に異論です。

 いずみが「小西さんは軍人だから」云々は、小西さんを擁護するために持ち出したものではない、ということです。(というかどこにそう読み取れる表現があったのか理解に苦しむのですが)
 小西さんも書かれていますが、叛軍闘争は、軍内部で「情勢が到来する」までは「潜んで」「大衆を裏切っているフリをして」いなければ成り立ちません。そして、そういう覚悟をしなければいけない軍内部の構造も、またそれを実行できてしまう叛軍兵士の側の意識も、ともに、大衆運動のセンスからは一見かけはなれているとも思える(極端なたとえで言えば「人が目の前で虐殺されているのに冷徹冷酷に次の手を考えている」みたいな)からです。
 これは当然ながら、叛軍活動では必要不可欠なものでもあるし、また一方でその判断が大衆の素朴な意識・権力への怒りと「遊離する」危険性を孕むむのでもあります。
 だから、そこへの批判を、大衆運動一般のセンスで(すなわち、「客観的に正しいセンスで」!)「許されない」とだけ指摘することは「批判として弱い」と思うわけです。軍人はそんなこと一般論として百も承知で言っている可能性があるからです。
 そして、ここへの批判は、まず理論面では徹頭徹尾「冷酷な立場」から加えてこそリアルになるし、それ以外の面では「おまえら軍人の判断は大衆から遊離しがちなんだからうちらの感覚には人一倍耳傾けろゴルァ」という突きつけを不断に行っていくことで弁証法的に^^;;関係性を深めることでこそ行うべきだ、と思うわけです。
 今回の高島論文は、「84年に決起すれば大きな影響があった*かもしれない*」という「大きな可能性」で語られていますが、これは、「冷徹冷酷な情勢判断」の上での行動に対しては、「有効性はあるが弱い」ということです。小西さんは、んなことは百も承知で、なお、そうでない可能性も少なくない、そしてもしそうなった場合、自分のこれまでの闘いがすべて無になってしまう、と考えたような気がするわけです。
 また、「つきつけ」として最も当然かつ正当なのは、「そんなこと言ったって被害者は納得するかよおい(怒)」という怒りの表明でしょう。これはごくごく「まっとう」な感情で、何度でも、いくらでも大きくぶつけていくべきです。

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質問 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月 5日(火)06時53分39秒

2.3の集まりに加藤哲郎さんは出席されなかったんですか?目玉かなと思ってたんですが。

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なんか数字の人っぽいね。(激謎) 投稿者:いずみ@出向先  投稿日: 2月 5日(火)06時38分26秒

 それはそーと、

>国際主義編集委員会

 ってなんですか?(ワラ

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資本主義の衰退 投稿者:哲学生  投稿日: 2月 5日(火)05時46分19秒

また、重要な点ですが、「新自由主義」という誤った規定はよく耳にしますが、「資本主義衰退」という角度からのマルクス主義的分析がどの党派にも欠けているのではないか。また、「グローバリゼーション」も誤った規定であり、カウツキーの超帝国主義論の再版にほかなりません。IMFにしろWTOにしろ、諸帝国主義国の闘争場であり(現在は米帝の圧倒的ヘゲモニー下)、「グローバル資本」を代表する機関ではないのです。

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小西まこと さま 投稿者:哲学生  投稿日: 2月 5日(火)05時28分40秒

はじめまして。
貴社から出版された『新左翼運動の再生』『内ゲバ検証』『中核派民主派宣言』『20世紀における民族と革命』を友人に送ってもらって読みました。
最近、代々木の70年代における「新日和見主義事件」についての当事者の証言がいくつか発行されました。その中で、当局のスパイがこの事件に一定の役割を果たしていたことが明らかにされています。私自身は、宮顕こそスパイだったのではないかという疑念(ほとんど確信に近い)を持っていますが、ここでは触れません。70年代に内ゲバが激化した背景において、当局のスパイがどのような役割を果たしていたのか、検証すべきときではないでしょうか。

白井氏の民族本は、中核派から非難されていますが、かなり良い本だと思います。エンゲルスの歴史なき民族論について、エンゲルスの誤りを明らかにするロスドルスキーの緻密な研究があるのにこれに触れないことを奇妙に感じました。また、差別論を深化させるにも、アパルトヘイト体制や白豪主義についての研究が必要と思います。アパルトヘイト体制や白豪主義は、白人労働者階級の要求によって成立した体制でした。一定の特殊な状況の下では、労働者階級の一部分を取り込んで資本が延命するのです。このこと(反動的労働者階級運動の形成)は差別論の深化のうえでも探究されなくてはなりませんし、パレスチナや台湾問題での親帝国主義的「労働者主義」を批判する上でも重要です。(「かけはし」「社労党」などの親帝国主義者は、帝国主義に屈伏して、台湾の「自決権」を支持しています。また一部のトロツキスト党派も、「イスラエル」において経済主義的な立場を取りシオニズムに屈伏しています。)もしも必要でしたら南アフリカのアパルトヘイト体制の成り立ちをマルクス主義的に分析した論文を差し上げますので検討して下さい。

白井氏の本で最も疑問に思ったのが、宇野理論についての評価です。個々の論点では宇野理論にも見るべきものはあるかもしれませんが、根本的な部分では宇野理論はマルクス主義の解体と俗流化にほかならず、克服の対象でしかありません。久留間鮫造先生など、宇野理論に反対してマルクス主義を擁護した人々から学ぶべきだと思います。

国際主義編集委員会のサイトを見ました。彼らは内ゲバを批判しているようですが、どうしてスリランカの反動党派とつきあっているのでしょうか。スリランカ人民解放戦線(JVP)は、最近「左翼」を装っていますが、本質的にはファシスト的なシンハリ排外主義勢力であり、ブルジョア反動政権を左から批判するのではなく、「インドとその手先の分離主義勢力に屈伏している」と右から批判している党派であり、また多くの共産主義者がこの党派に虐殺されています。国際主義編集委員会は言行を一致させなくてはなりません。日本の左翼に取り入ろうとしているJVPを排除し粉砕することは緊急の課題だと思います。

アルゼンチンにおいて前革命的情勢が生じています。また旧ソ連諸国においては資本主義復活がもたらした惨害が誰の目にもあきらかになり、労働者階級の抵抗が開始されています。階級闘争の再開が帝国主義本国に及ぶのもそれほど遠くはないと思います。しかし欧米でも大多数の左翼(「トロツキスト」も含めて)は改良主義化し、トビン税(!)ATTACを支持するなどまさに「小ブルジョア的反帝国主義と実践上で融合」(レーニン『帝国主義』)しています。主体の問題が問われる時がやってきました。一つの大きな利点は、労働者階級の運動を抑圧する官僚機構としての社会民主主義とスターリン主義が重要な勢力としては消滅したことです。日本においても共産党が大衆運動に介入する能力をほぼ失ったため、運動の前進のための障害物が取り除かれました。逆説的ですが力関係が不利になってい反革命的な今日こそ主体の問題が問われています。
ではまた

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蝉丸さんへ 投稿者:小西まこと  投稿日: 2月 5日(火)01時35分29秒

2/3シンポへのご参加お疲れさまでした。掲示板は大体見ていますが、皆さまの論戦にも加わりたいとウズウズしているのですが、しばらく時間がとれません。しかし、蝉丸さんから直接の回答を求められましたので、お答えします。
 まずは、蝉丸さん。僕はこの30年、自衛隊の中で「自衛隊兵士の組織化」ー反軍運動に全てを賭けて闘ってきたことをお含み下さい。中核系の大衆運動の場で闘ってきたのはあくまでその一部です。
 
 この我々の反軍運動の論理は、簡潔に言えば「自衛隊の中に革命党を形成し、蜂起の決定的瞬間に決起する」というものです。
 時には、一定の情勢では、「政治的に決起」することがあっても、組織や運動全体はその決定的瞬間まで「温存」しなければ成らないのです。
 この内容については「現代革命と軍隊」(現在では社会批評社刊)「自衛隊の兵士運動」(三一新書)ー小西著ーに書いています。
 つまり、この反軍運動の論理と同様、僕は七〇年代の内ゲバが始まった時期から九〇年まで、「中核派内部でその変革の為に闘う」ということを信念にしてきたわけです。
 僕は九〇年で「一定の情勢判断」として、公然と中核派と対決しましたが、あえてほかの志を同じくする人には勧めませんでした。
 これも先の論理からです。
 
 この場合、大分前に蝉丸さんが「スターリン主義に転落した中核派に変革の可能性はあるのか」というような意見を述べられていたように思いますが、僕は、中核派が「日本型スターリン主義」として「完成」したのが九〇年前後と見るわけです。ですから、このスタ的に完成した中核派と最後的対決を開始したわけです。(ちなみに、この九〇年を前後して白井氏が粛清され、清水独裁体制が完成しています)
 しかし、スタ的に完成していようが、中核派は「変革」出来ます。以前、蝉丸さんが言われたように、ソ連スタ内部ではトロツキーがそれを変革できる可能性はゼロに近いと思いますが、権力を有していない、かつ、大衆運動主義的要素を持つ中核派の場合は、現在でも「内からも外からも」変革できる可能性は充分にあります。
 恐らくこの可能性の諾否が蝉丸さんやかけはし論文との意見の違いだと思います。
 また八三年ー四年の時ですが、「新左翼本」でも書きましたが、僕を含めて「反対意見を単に持っていた」だけではないことはご承知だと思います。当時の「三里塚東京実行委員会世話人会」で中核派の政治局に申し入れをしたのです。
この申し入れを事実上拒否されたのが大きな要因の一つとして代表の浅田光輝氏が、その後事務局長の丸山照雄氏が、東京実行委員会、そして中核派から「離れていく」原因にもなったと言えます。

 長くなってしまいましたので、この辺でうち切りますが、かけはし論文が言うように「正当化している」というのは、ちょっと残念です。「内ゲバに真剣に向き合っていない」というのも残念ですね。
 中核派経験のない人には理解できないでしょうが、昨年1月白井氏の自宅が「放火未遂」にあったように、「中核派の批判」は、そして「中核派であったものが活動する」というのは、彼らと全面対決ぬきには何も語れないし、できません。
 「試練派」の経過は、いずみさんの言うとおりです。時期的にも八〇年ぐらいだったように記憶していますし、「分派」の夫婦は、その前一〇年以上日本にいなかったこともあって、僕自身も、中核派のほとんども彼らについて何も知りません。
 彼らも公然と「表」に出てきたとしたら、中核派に「殲滅」されていたと思います。当時はそういう状況です。

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RE:2.3内ゲバシンポジウム雑感 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 5日(火)00時56分36秒

>一観察者さま ご報告ありがとうございました。お蔭様で会場の雰囲気
の一端を感じ取ることができました。

>よびかけ人のひとりである米沢いずみからは、内ゲバ問題についてすでにインターネット
>上で議論が続けられている事実、そこに例えば東北内ゲバ戦において第四インター側と社
>青同解放派側の両当事者からの発言と交流が続いていることなど報告があり、インターネ
>ットも駆使しつつこの運動を進めていこうとアピール。

 ここのことでございますね(^^)v

>この他、国際主義編集委員会からの発言や戦前の共産党リンチ事件についての貴重な証言
>をはじめさまざまな意見が飛び交い、第一回のシンポジウムとしてはまずまず成功したの
>ではないか。

 ご苦労様でした>小西さん、そして関係者の皆さま

>他に参加者した方々からも意見がききたいが如何?

 わたしもぜひにとお願いいたします>ALL

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RE:マオ・キムなど 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 5日(火)00時54分59秒

>臨夏さま

>祖国を遠く離れた身、

とおっしゃると、もしかして外国からアクセスなさっているのでしょうか?

>高校世界史ないしは予備校近辺で教えられる公式的(苦笑)「半植民地」とは、
>「経済的には従属しているが、政治的には独立を保っている所」です。
>レーニンから来てるかも知れない、とは、勉強不足で知りませんでした。

 戦後の学校教科書で標準的だったのは、「半植民地」というより「新植民地(主義)」だったかもしれませんね。「政治的には『独立』を得たけれど経済的にはまだ独立できていない(従属している)」と。この用語、具島兼三郎『新植民地主義』(岩波新書)で一時期かなり普及したと存じます。これに「軍事的従属」を付け加えれば、戦後日本共産党の「対米従属」という認識と、その帰結としての「民族民主二段革命論」という綱領規定へゆきつきます。そこから、そうした状況下で一挙に「社会主義革命」などを掲げるのは「トロツキスト的冒険主義」であり「挑発」であり、幅広く民主勢力を統一すべき課題に対する破壊行為、客観的には利敵行為である云々という「排除」の主張になっていくのでもございましょう。

 実際、中国革命に対してスターリンとコミンテルンが与えたのも類似の方針で、共産党の独自行動を否定し、国民党への加入と蒋介石との妥協を強要し、結果、27年のクーデタで壊滅的な被害を招いたのでした。毛沢東はこの苦い教訓をふまえて独自のコースを模索し、進軍とも後退ともつかぬ「大長征」の末に「辺境」=延安へ行き着き、そこを「根拠地」とする新たな展開に備えましたね。彼の率いた「紅軍」は、社会的存在として客観的にみれば、数ある「軍閥」のひとつにすぎなかったかもしれません(たとえば西安で蒋介石を軟禁し国共協力を強要した張学良の軍などと比較してみても)。

 けれども詩人革命家毛沢東はこの時、独自の世界認識に到達したと思います。それは、彼の身を置いた「辺境」がただ中国の辺境というにとどまらず「世界の辺境」であり、逆説的に「世界の中心」に自らの革命が位置する、という認識でございます。この一点で毛沢東と中国共産党は、蒋介石軍を含む諸「軍閥」を思想的に凌駕し、「革命」の意味を「支那革命」から「中国革命」へと推転させたのではなかったでしょうか。武漢革命で一敗地にまみれ血にまみれた宋教仁たちのココロはそこに受け継がれたとわたしなど思うのでございます。ここになりますと、「スターリニスト」かどうかといった議論などほとんど虚しいものに感ぜられてなりません。
 
 このような見方は、何より鈴江言一『中国解放闘争史』と同『孫文伝』を読んでのことでございます。北京の下町で支那服をまとえば誰も中国人と信じて疑わなかった「王先生」こと鈴江言一は、中国共産党の秘密党員であり、満鉄調査部で無署名の部内報告書「中国無産階級運動史」をまとめました。『中国解放闘争史』は、その戦後の公刊本でございます。鈴江言一はゾルゲ事件で刑死した尾崎秀実とともに、革命中国と帝国日本を股にかけた戦時下の共産主義者の活動を示しております(これらについては、場末のアルバイト先で出遭った古参共産党員の方から教わりました。もうお亡くなりですけど)。
 
 残念ながら戦後日本共産党は、こうした流れを引き継ぐことなく小児病的「武装闘争」と戦前的陰惨さをひきずる党内闘争に血道をあげることとなりました。30年にも及ぶ「内ゲバ」もまた、そうした日本共産党の手のひらをついに抜け切れなかった結果としてみることもできるのではないでしょうか。それは余りに哀しく「日本」的でございます。

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なぜテキスト引用をしたか 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 4日(月)23時40分47秒

 せみまるさんが、ヨーロッパのトロツキズムやトロツキズム潮流と雑駁にしか語らないからです。
 「日本支部」がそうであったように、常にいくつかの派がヨーロッパでもあったと思うのですが。
 3月22日運動の「学生」が属していた第四インター系の労働者部分は、どういう
役割りを担っていたのでしょうか。五月革命が「過ぎた」後になぜ第四インター系
の「組織」に結集せずに「労働者通信」グループに結集したのかとか?

 国際主義共産党はどこに消えてしまったのか?
 内ゲバはなかったにしろランベール派よりもアナキストグループと親密だったという捩れた現象もあります。
 60年代の一時期の「活動」を眺めただけでも課題は大きいのですが…
 
 「トロツキズムの伝統」という括りかたでは楽観的な把握ではないでしょうか。

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訳の悪さで有名でしたが… 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 4日(月)23時12分54秒

 研究会に数回でましたが、南部一般の書記長をしていたSさんも常連だったようです。
元のフランス語が難解なのか、独学の訳者が「下手」なのか。

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カストリディアスは面白いっすね! 投稿者:黒目  投稿日: 2月 4日(月)22時58分40秒

俺も、周囲がマルクス主義者ばっかりだったので、「ボルの連中」と折り合いをつける為に、ちょっと読んでみたりしてました(苦笑
で、「理屈が多い奴」と規定された、つ〜(ワラ

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続・パリ五月革命の断章 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 4日(月)22時52分04秒

五月十日、しばらくしてランベール派トロツキスト学生組織はカルチェ・ラタンでとられているデモ隊の行為は冒険主義的だとして現場を離れることを決定。そのとおりに実行した。仇敵である第四インター系トロツキスト学生組織との共同闘争を嫌ったと見られているが、この行動は戦線離脱として非難される。
3月22日運動の特定の教義に誘導するというのではなく、集って来た人たちがその場で討議し、決定してゆくという開かれた姿勢だった。3月22日運動自体はアナキスト、第四インター系トロツキスト、親中国派、ノンセクトの混合体だが、どんなふうににしてそれが開かれた姿勢を保ちえたのか。これについては第四インター系のトロツキストが、次のような<日本のトロツキストからは想像もできないような>回顧的な文章を残している。
「3月22日運動の力とその特質は、一方で長期にわたる戦略についての討論と対立を奨励しながら、即時の行動の目標にもとづいた統一を形成していたことにある。運動は、現状においては、革命思想のさまざまな傾向は、絶対的な真理をではなく、作業仮設を表明しているにすぎないし、それらの真価は言葉の上でではなく、行動の中で試される、と考えていた」
 自分たちの組織を失った学生、トロツキスト、アナキスト、状況主義者らは行き場のないまま「労働者情報通信」グループに68年夏以降なだれこむこととなる。このグループが開かれた組織だったからである。このグループは企業を越えた労働者たちの連絡と情報交換の場であり、何かを指導する機関ではなかった。しかし、その性格が多かれ少なかれ前衛意識を持つ学生たちの加入によって乱されてゆく。本来の労働現場での具体的な話はもう聞きあきた、と学生たちから敬遠され、新加入者たちは観念的な政治思想の討論にふけるようになる現実の行動から切り離されているから、その討論はますます不毛さを深める。そしてついに1973年にはグループそのものが自壊することになる。グループは二年後国際ネットワーク「交流と運動」の一翼として再生される。≫

江口さんは社会状況の分析も含めて五月革命全体と現在をつなげて語っています。

 トロツキストグループ自体も模索しているように思いますし、常に前衛的な立場を否定していた部分があるように思います。

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パリ五月革命の断章 投稿者:黒パン  投稿日: 2月 4日(月)22時51分30秒

 アナキスト側にかつていた江口さんという方が、98年に「総括」しています。
江口幹『パリ68年5月 叛逆と祝祭の日々』1998年6月刊
江口幹は1960年代前半のアナキスト連盟の事務を担う。
65年から66年にかけてヨーロッパに滞在。パリで「黒と赤」「社会主義か野蛮か」「労働情報通信」グループの人々と接触。現在も交流が続いている。カストリアディスの著書の翻訳、研究会主催。
≪前史 マルクス主義側からの社会主義再構築
「社会主義か野蛮か」1948年 グループ結成 カストリアディスとルフォール<1946年にはフランスのトロツキスト党である国際主義共産党に属していた。党主流派批判をして離れる>十数人から百人の規模で推移。1965年まで機関誌『社会主義か野蛮か』40号まで発行
「労働者情報通信」<ルフォールら>は「社会主義か野蛮か」の仲たがいした分身、1958年結成
いずれも前衛の存在を否定
『労働者情報通信』は1973年まで続く、3月22日運動などの学生活動家を吸収。
アナキズム側
「赤と黒」グループ、雑誌『赤と黒』は60年代半で三千部発行。コーン・ベンディッド、デュトゥーユが属していた。
三つのグループは相互のメンバーの間で少なからぬ交流があった、マルクス主義出身者は元の仲間たちからアナキスト的偏向とののしられ、アナキスト出身者は元の仲間たちからマルクス主義への接近を非難されていた。双方とも異端であった。これらのグループが学生に影響を与えていた。もう一つの「状況主義インターナショナル」は孤立して特異な性格
68年ナンテールでの学生の動き
1967年秋、ナンテール分校に存在していたのは四つの極左グループ≪フランス共産党に極左とレッテルを貼られる≫
トロツキストのJCR<革命的共産主義青年同盟>アナキストのLEA<アナキスト学生連合>ランベール派トロツキストのCLER<革命的学生連絡委員会
>親中国派のUJCml<マルクス・レーニン主義青年共産同盟>
JCRとLEAの二派が親密な関係にあり、両者が3月22日運動の中核を担う。数的に見ると1967年秋にはトロツキスト40人、アナキスト15人、他の二派は7,8人。影響下にあるノンセクトを含めて全体で百三、四十人というところで、一万二千の学生の中では1.1パーセントの勢力。
3月22日運動の性格
1 革命的統一は政治路線やイデオロギーの周りにではなく、行動の中で、じかに形成される。
2 あらゆる革命的行動の前提条件は、全員にとっての言論の権利である。大衆は、仲介者や代弁者を介してではなく、自分たち自身が直接発言できる場合にしか、行動しない。

 略

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日: 2月 4日(月)22時31分28秒

>ヨーロッパでは、人民は民主主義を自らの力で闘い取ってきた歴史があります。
これを、日本で発生したような形態の内ゲバが、ヨーロッパで発生しなかった事の要因である、という話であれば、前面的に同意します。

1.人民が民主主義を自らの力で闘い取ってきた歴史がある
2.だからトロツキズムが定着した
3.だから内ゲバ発生しなかった

という話として整理されていると思いますが、別に1は3の直接の要因になると思いますし、トロツキズムが定着しなくても、「人民が民主主義を自らの力で闘い取ってきた歴史がある」ところでは、内ゲバ発生しない、という事が言えるのではないのでしょうか?

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果たしてそうか? 投稿者:黒目  投稿日: 2月 4日(月)22時24分16秒

「内ゲバ無い」という事と、「トロツキー派が強い」という事に、因果関係があるのか、という事がそもそも疑問です。例えば日本ではアナキズムの運動というのが極少数派としてしか存在してきていませんが、ヨーロッパではアナキストは一大勢力をなしている。
1.ヨーロッパでは内ゲバない
2.ヨーロッパではアナキズム強い
3.よって、アナキズムが強ければ内ゲバ発生しない
というのにでも、容易に置き換え可能ではありませんか。

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ホントは高島さんという人に言うべき事な訳ですが 投稿者:黒目  投稿日: 2月4日(月)22時19分31秒

せみまるさん、
>しかし、トロツキズムが防衛してきたプロレタリア民主主義(複数政党制、党内分派の自
>由など)を党派理論として維持してきた集団が、他にどれだけあったでしょうか?それを
>積極的に、まさに国際戦略としてスターリニズムに対抗して、多くの犠牲者を生み出しな>がらも闘い続けてきた勢力が他にあったでしょうか?

別に、トロツキズムで無ければ、「複数政党制、党内分派の自由」などを主張できない、というような理屈は、そもそも無いのではないか、と思います。
その価値を提示した、ということの意義は正当に評価されるべき事柄であると思いますが、同様の主張をする「党」がトロツキズムである、という必然は、どこにも無いのです。

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よって、黒目さんの徴発に再度乗るとすれば 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 4
日(月)22時01分03秒

1.ヨーロッパでは内ゲバ無い
2.ヨーロッパではトロツキズムが強い
3.よって、トロツキズムが強ければ内ゲバは発生しない

すくなくともトロツキズムの伝統がしっかりしており、日本の組織のような誤りをおかすこともなかったヨーロッパでは
上記命題は正しいし、事実であると私は思います。

●もひとつ、トロツキズムが日本に受容されなかった原因を挙げておきたいと思います。
TAMO2さんの指摘にかかわります。
ヨーロッパでは、人民は民主主義を自らの力で闘い取ってきた歴史があります。
しかし日本では終戦とともにアメリカによって与えられた事実があります。
日本は民主主義国家としては極めて若い国であり、人民の中に民主主義精神が本当に根付いていないのではないか?
スターリニズム共産党の権威が左翼大衆を未だに支配し、共産党を「乗り越えよう」とする勢力は
ブントや中核派など、どれも組織の民主主義がない事を思うと、あるいはおくれた民主主義、外部から与えられた民主主義にも原因があるかもしれません。

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なぜ知っているかといえば 投稿者:いずみ@出向先  投稿日: 2月 4日(月)21時56分11秒

 その、加盟拒否された前後、青共同(準)は試練派と機関誌上で論争しあってたんです。
 んで、当時の青共同(準)は、「インター批判」を他党派批判の中でも特に重視していたので、この件でもインターに対してボロカス書いてたので、経緯も含めて認識していたのです。

 なお、その後試練派は、なんと日向一派と論争して、んで自らの差別概念を一派に批判されて反論できずそのままフェードアウトした、という情けないエンディングを迎えています(苦笑)
 アラタイヘン「復活」後の一派には評価できる面などほとんどありませんが、その「ほとんどない」の例外がこれだと考えています。相手がどんなに小さい党派でも機関紙上で採り上げて批判した、という。
 そしてそう考えると、いずみの旧あかいし21について機関紙上で現在一切採り上げない、宮崎学との「断絶」を機関紙で一切公表しない、という一派の現状は、その「「ほとんどない」の例外」すら捨て去ってしまったことをも意味しています。

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権威主義の打破のために 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 4日(月)21時47分11秒

noizさんへのレスと、「試練派」に関係した問題について、およびTAMO2さんの問題意識についての考察です。

権威主義は打破しなければなりません。スターリニズムはその権威主義の権化たる思想でした。
そしてもちろんさまざまな立場から、それに対抗して戦った潮流の存在を否定はしません。
しかし、トロツキズムが防衛してきたプロレタリア民主主義(複数政党制、党内分派の自由など)を
党派理論として維持してきた集団が、他にどれだけあったでしょうか?それを積極的に、まさに国際戦略として
スターリニズムに対抗して、多くの犠牲者を生み出しながらも闘い続けてきた勢力が他にあったでしょうか?
共産党の「一国一前衛党主義」に対抗して「スターリニストに代わる前衛」を主張した新左翼党は無数にありましたが
「スターリニストもふくむ複数政党主義」を掲げてたたかいつづけてきた党派は、
わたしが知るかぎりではトロツキスト潮流をのぞいてただのひとつもありません。
その事実を指摘することが権威主義になるでしょうか?

しかし、別の意味でかつての日本支部にも「権威主義の問題」を指摘する必要はあります。
内ゲバが日本に拡がった原因は、トロツキズムに含まれるプロレタリア民主主義の思想を受容する意識が
左翼大衆の中に無かったからだと私は思っています。
そしてそれはトロツキズムを受け入れる側のみならず、トロツキズムを宣伝する側にも言えるのではないか?
50年代〜60年代には共産党の絶大な権威によって、スターリン主義を「左翼の標準」としていたと思われます。
トロツキズムに獲得された左翼青年もおそらく最初は共産党の中から生まれていったのでしょう。
たとえば織田進の「三多摩社青同闘争史」は織田自身の闘いの総括的文書ですが、そこで織田は
「大衆運動はでっち上げる事もできる、しかし党がなければ意味がない」という総括的結論を出しています。
この言葉から何が想定できるでしょうか?「党派の利害と大衆の利害」との二者択一を迫られた場合の
党派の対応がどうなるだろうか?という危惧を抱かせます。
また昨年亡くなった今野求には私は非常に強い官僚主義的印象を持っています。
これは個人的感想であり「それは君の思い違いである」といわれれば反論はできないが、
彼に対する感覚は「トロツキズム」とはやや違和感を覚えるものでした。

思うに、初期トロツキスト活動家たちは、共産党的感覚によって活動を開始し、トロツキズムに獲得されていく中で
理論を学んでいったのだと思いますが、活動の感覚の中にスターリニスト的要素を払拭しきれなかった疑いを捨てきれません。
また、組織内女性差別問題はまさしく組織の中に権威主義が生まれていた証拠です。
現在の日本のトロツキストたちはどうでしょうか?ひとりひとり個人的に観察すれば、
きっと政治的に問題にすべき人もいるかも知れません。
現在、第四インターの日本支部は存在しません。シンパ組織として公認されている組織、未公認であるが再建を目指す組織、個人的に活動しているトロツキストたちが存在しているだけです。
かつて第四インターだけが内ゲバに対して反対し続けていた「唯一の共産主義組織」であったという事は否定できないと思います。
しかし、それだからといって、今後内ゲバに反対して共に闘う人々に対してなにか優越する意識や権威を主張するべきではないのはもちろんです。

スターリニズムの「祖国」ソ連が消滅した現在、第四インターナショナルをトロツキストだけの専有物にしておく意味はなくなりました。
むしろ、この国際的ネットワークを積極的に闘いの武器に利用する事を考えてゆくべきであろうと思います。
第四インターは権威主義を否定する組織であるがゆえに、それが可能であると思います。

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高島論文の奇怪さについて 投稿者:黒目  投稿日: 2月 4日(月)21時44分09秒

 さらに挑発する訳ですが(笑
やはり最も異様な部分は、運動の中における「トロツキズムの含有率」の問題が、内ゲバを発生せしめた、という部分ではないでしょうか?
そもそも、なぜトロツキズムが主力であれば、内ゲバは発生しなかったのか、という部分が謎でありますし、フランスなどでは、共産党から割れた新左翼の主流はマオ派だった筈です。また、断片的な情報しか私は持っていませんが、イタリアの赤い旅団が諸々の活動家に対して「死の恫喝」を加えていた時期があります。

1.ヨーロッパでは内ゲバ無い
2.ヨーロッパではトロツキズムが強い
3.よって、トロツキズムが強ければ内ゲバは発生しない

などというのは、落語だったら面白いが、と言わなければなりますまい。

また、トロツキー主義への「帰依」の純粋性(苦笑)という基準以外に
も、「度しがたい新左翼主義的」「度しがたいブント主義」なる基準も出てきた日には。。。
ま、トロツキズム的には「ブント主義」なるものはいかなるものである、
という規定がされているのか、というあたりが、私的には注目ですが♪

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試練派の件 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月 4日(月)21時24分41秒

いずみさんの話はほんとうです。でも、そこまで知ってる人は、そうとうな通ですね。

試練派は当時の第四インタナショナル日本支部に合流を求めたと言います。しかし、当時の
日本支部指導部は拒絶したと聞きました。

試練派はトロキズムの正当性を認めたのになぜ日本支部は拒絶したのか? 私の理解は試練派
が「度しがたく新左翼主義的」であったため、というものです。この言葉を論理的に説明する
のは苦労しますが、感覚でとらえるとわかってもらえるかも知れません。

これは不正確ですが、「度しがたいブント主義」と言い換えても良いのかもしれません。
自らを新左翼ではないとしていた日本支部の根本の部分と合い入れなかったのだと思います。
それ以上細かいことは私もわかりません。

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すみません推敲の努力します… (^^;; 投稿者:noiz  投稿日: 2月 4日(月)20時21分54秒

訂正.まるっきり逆のことを書いてやんの… 気張って遠回しな表現を使うからいけないようです (苦笑).簡潔で分かりやすい表現を心掛けよう.自分では気の効いたつもりの言い回しって他者から見たら権威主義の塊かもしれない…
(訂正内容は管理者の判断で↓に組み込みました)

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続・せみまるさんへ 投稿者:noiz  投稿日: 2月 4日(月)20時15分35秒

いや,愚痴っぽいのはぼくの方ですよ :-)

さて,規模と質の問題を勘案しなければならないので,「スターリニズムを乗り越えうる国際的な運動」を形成してきたのが「トロツキストだけだった」のかどうかは,ぼくには判断できるほど知見がありません.一応,トロツキスト以外の「国際的潮流」が存在しているのはトロツキー研究所ウェブサイトのリンクなどでも確認できますが,その実勢は不勉強にして知らないのです.ですので,言わばこの一種の史観については判断保留です.

ただ,質と規模を問わないのだとして,そうした「存在そのもの」について言及しない態度について「それはもうすでにネットによって掘り崩されつつある権威主義的な張り子の虎のようなものだ」と言いたかったのです.

殊更に槍玉に上げた「五月革命の記述の仕方」についてもこの意図のもとに書いています.もちろん高島論文が「トロツキストだけ」という書き方をしていないのは分かりますが,それでも他の潮流の存在に一切言及しないからこそ,それは「語らないプロパガンダ」として読まれるだろうと特記したわけです.そしてこれだけ「情報の自由」が現実にも拡大している現代というこの時代には,それはプロパガンダとしてはなかなか通用しないのでは?(かえって損するのでは?)ということをここで再び書いておきたいと思います.ディジタル・ディバイドの問題がありますが,ネットにアクセスできる立場の人間なら,ちょっとの努力で様々に異なる内容を主張する情報が膨大に横溢している様に遭遇できるのですから.個々の情報の信頼性はともかくとして.

現代において情報をめぐる環境がこれだけ激変してきたのにも関わらず,自分のことだけしか語れないというのはイタイ特質としてやがて明らかになるでしょう(ぼくは充分明らかになっているのだと思うけど.特に「過激派」に関してはマル共連やその先行サイト・あるいは衛星的・補完的サイトなどが蓄積してきた環境を見ればそれは証明されていると思う.他者の目からの評価/批判がこれだけ自由に公開されているというインパクトは,どんな党派・政治グループにしても大きくないわけがないと思います).

情報の自由は一切の権威主義を無化する作用をもたらします(もちろん完全な自由化は難しいものでしょうけど).だからこそ営利・非営利を問わずいかに「独自の情報」を抱えてその発信主体となるかということに,ヘゲを取りたい人々はいまだに奔走するのだと思います.しかし,それはどうしようもないくらいにダメです.ダメダメな旧来型です.ここで「経営学」についての言及がけっこうなされていましたが,マーケティングの常識から言えば情報の囲い込みによる価値創出はすでに古いメソッドだと,僭越ながらぼくもここで言っておこうと思います.

私有財産制の廃絶・生産の社会化(これらの表現の仕方は色々と異なるかもしれませんが)を追求するという「社会主義」「共産主義」の立場にあるものが,情報の囲いこみなんかしてたら誰も相手にしないと思います.それより以前の問題として確実に資本のマーケティングに負けるでしょうし (ため息),組織の民主化という観点からもそれはまずい在り方です.では情報を自由にした先にさらにどうすればいいのかということは分からないから,あんまりエラソーには言いたくなかったのですが… ウヒ(^^;;;; 何だか書いてるうちに大きく脱線してしまた.

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たしか・・・ 投稿者:イレギュラーず  投稿日: 2月 4日(月)20時08分35秒

いつもしょうもないことですみません。
せみまるさん。
私も、試練派については、かつて名乗っていたグループがあったこと、皆さんがここで述べていること以上は知りませんが、旧日本支部分派が形成されていた時期に、「第四インターボルシェビキ・レーニン主義派」を名乗り、ビラも撒いたことがあったと記憶しております。ただ、唐突に登場したという印象がありましたが。

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Re:ひどいはなし(つづき) 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 4日(月)18時54分15秒

試練派がトロツキズムの正しさを認めたのなら、それを第四インターが拒否したのはなぜなのか理解に苦しみます。
しかし、もはや、「トロツキズム」はひとつである必要もないと思います。
試練派の諸君にはぜひ「第四番目の分派」を形成し、本家(?)新時代社をしのぐようなおおきな組織となって
彼らを出し抜き、日本支部を建設してもらいたいです。

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Re:ひどい話 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 4日(月)18時46分58秒

試練派については詳しくはしりませんので撤回させていただきます。

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ひどい話 投稿者:いずみ@出向先  投稿日: 2月 4日(月)17時16分30秒

 せみまるさん、こりゃひどすぎ。

>当時、中核派のなかから「試練派」なる分派が形成され、それが中核派中央によって粉砕されてしまったと聞いています。

 お決まりの殲滅宣言が出たものの、試練派はきちんと理論活動を続けて、トロツキズムこそ正しいという結論に至りましたね。
 そして、その試練派の合流要求を湯、論理的に完全に破綻した「言い訳」で拒否したのは

  第 四 イ ン タ ー 日 本 支 部

 なんですけど。

 もう1点の「小西さんは軍人だから」というのは、小西さんをその面で擁護しているわけでもないし、その根拠もまるで違います。これについては深夜に指摘させていただきます。

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小西さんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 4日(月)16時07分42秒

昨日はお疲れさまでした。シンポジウム成功おめでとうございます。さて、ちょっと議論のつづき。

 84年の中核派による第四インター襲撃に対して小西さんが批判的であったにもかかわらず一切批判をおこなわなかった事実についての議論をもうすこし深めておきたいと思います。私は「かけはし」への投稿の中で小西さんが「中核派ではこのような党の路線に対して反対を公言したものは、即除名である。つまり、この時、中核派との絶縁を賭けて、このテロルに対して反対を公言する事が適切な選択であったか」と書いている事を批判しました。同じ視点から高島論文も批判しています。「間違っていると自覚しているのに、それを公表しない」態度への批判です。それに対してはいずみさんから「小西さんは軍人だから」という擁護的意見を聞いています。軍人は自分の意見とは別に「命令には絶対服従」という「規律」というか「作風」があります。戦前の日本軍に例を求めるならば海軍非戦派の代表格であった山本五十六、米内光政、井上成美が軍の要職にあった時、日本は少なくとも対米戦争には入らなかった。しかし、やがて戦争に突入するとともに山本は真珠湾奇襲を敢行し、井上も第四艦隊を率いて南方作戦に参加した。こうした人々の傾向になぞらえて「軍人である」といずみさんは言っているのでしょうか。それに対しては二つの観点から反論します。

(1)隊友叛戦機関紙「整列ヤスメ」
 でも主張されていたように思うのですが、小西さんがみずから裁判で語った内容です。その基調は次のようなものだったのではないでしょうか?…「日本軍兵士は上官の命令のままに出征していき、戦争を戦った。しかし、やがて敗北し、その戦争はまちがったものであるとされ、自らの戦争参加も犯罪とされた。したがって、兵士は命令に対して無批判に従うのではなく、その戦争が正しいかどうかを自分自身の判断によって決断する権利をもたねばならない。」この主張は正当であると思います。それならば、第四インターに対する「戦争」を仕掛けた中核派に対して、それが間違いであると自らが判断する権利があるのみならず、「戦争」に参加する中核派の諸君に対してもその「戦争」が誤っている事を伝える事が、「反戦自衛官」であった小西さんのやるべき事だったのではないでしょうか? いや、共産主義者として同志たちに向かうべき態度だったのではないでしょうか?

(2)ロシア革命における兵士たち
 ロシアが革命前的情勢へと登り詰めていくにつれて、兵士達は自分たちで組織を作ります。兵士ソヴィエト、それに兵士委員会です。ソヴィエトの中で兵士達は討議し、戦争について、軍について、上官について話し合い、革命情勢の進展の中で兵士委員会の承認がない上官命令は拒否する権利を実力によって勝ち取りました。上官との力関係を逆転させたわけであり、軍内部の実質的な二重権力の創出です。もちろん、各部隊によってこの力関係はまちまちであり、前線と後方でもちがっていました。ロシア革命の成功の重要な要素として小西さんはこの事実をもちろん知っているでしょう。中核派の一兵士(というより士官の立場というべきでしょうが)であった小西さんが自ら疑問を抱いた組織との関係で行動をしていく場合、このロシアの革命兵士たちの行動に学ぶべきなのではないでしょうか?

 以上(1)と(2)とは共通する事項を二つの違った例から述べたものです。当時、中核派のなかから「試練派」なる分派が形成され、それが中核派中央によって粉砕されてしまったと聞いています。詳しい事実は知りませんが。小西さんが、かれらに荷担したら、それでも簡単に粉砕されたでしょうか? 小西さんが有していた大衆的知名度と影響力は、この分派に力を与えたのではないでしょうか? また、そこから新しい運動への突破口は開かれたのではないでしょうか? もちろん可能性という事にすぎませんが。

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noizさんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 4日(月)16時04分23秒

noizさん、レスありがとうございます。なんか、グチっぽくなってるみたい。

>ロシア共産主義からは生まれなかった共産主義の系譜はなかったことになってるんですねえ…

 ロシア革命の成功がロシア・マルクス主義に巨大な権威をあたえたのは事実です。そのため、それ以前にはとるに足らない勢力であったレーニンの党が、各国に「コミンテルン」支部を建設していった事で「世界党」として急速に成長していきました。「革命の成功」がそれを可能にしたわけです。そしてやがてスターリンが権力を簒奪しても、その権威はかなり長期間続き、世界の共産党勢力(スターリニスト勢力)が「標準の共産主義」として公認されていったと言えると思います。スターリンの権威が低下するまでは、トロツキーばかりじゃなく、カウツキーやブハーリンやプレハノフやロシア内外の革命家・革命運動など「モスクワ公認」以外の世界のすべての運動・組織・人物が「反革命」または「異端」視されていたのは事実と認めるべきでしょう。その中でトロツキストだけがこれをうち破る国際的運動と組織を(まだ小さいけれども)作り出してきたのも事実です。

 ただし、そこには絶対に語っておかなければならない事実があります。情勢の変化に応じてトロツキスト勢力は分裂・合同を繰り返しながら「他からも学んできた」事実です。毛沢東や多くの第三世界ゲリラ戦争に学び、ローザに学び、グラムシに学び、ベトナムに学び、環境問題やジェンダーなどの新しい問題に学びながら現在の運動につながってきた事実です。例えば統一書記局を形成してきたパブロ主義は第三世界革命に大きく比重をかけた傾向であったしアメリカやイギリスのSWPは逆に「正統派先進国革命主義」として自己を形成してきた過去があります。傾向の異なる組織の統一戦線によってトロツキストは互いに経験や理論の交流をおこなっています。また、今ブラジルで始まっている世界社会フォーラムもトロツキストが重要な役割をになっていますが、あのような戦術がむかしからトロツキズムに存在したわけではありません。世界の未来を闘いとろうと真剣に考えるならば、「自分だけが正しい。他はダメ」という立場は捨てるべきです。現在のトロツキストは30年前のトロツキストではありません。60年前のトロツキストともちがいます。

>パリ五月革命をトロツキストの活躍からだけではとうてい描写できない

 そのとおりであると思います。高島も「トロツキストだけが五月革命を担った」とは言ってないでしょう。しかし、共同の闘争を築き上げていく上で、内ゲバに対して妥協しなかったトロツキストの原則的闘いが「ある程度大きな影響力として存在したかどうか」は重要なポイントであると思います。パリ五月革命はご指摘のとおりアナーキストも重要な役割を担っていました。コーンバンディや毛沢東派の運動も大きな影響を持っていました。そして同時にトロツキストも学生運動の中に大きな勢力を築いており、その代表であったアラン・クリヴィンヌは日本でいえば全学連委員長や全共闘議長のような大衆的な知名度を持っていました。

 当時の「各党派の政治傾向」とは別に、「政治形態」としてパリ五月革命を見てみましょう。さまざまな勢力を糾合する「コミューン」組織がパリの各地区に形成されていき、それが民主的討議の場として、また闘争機関として機能していきました。これはソヴィエトに到る前段階にも思われるし、フランス革命の時にもすでに見られた現象でした。フランス人は実力によって自由と民主主義を闘い取ってきた200年以上もの歴史を持っており、その伝統が今も続いているとも言えます。では、それはトロツキストが存在しなくても維持できたでしょうか?それは疑問です。フランス共産党の存在があるからです。この党はヨーロッパ各国共産党の「ユーロ・コミュニズム」的社民化傾向への発展にもかかわらず断固としたスターリン主義党派としての立場を崩しませんでした。日本共産党によく似ています。フランス共産党の勢力が強固に存在し続けるかぎり、共産主義運動は内ゲバ主義と官僚主義を払拭できず、フランス大衆運動は「共産主義とはフランス共産党の事である」と理解し、左翼に絶望していったのではないでしょうか。

>マオ派ってそんなにおかしいところばかりなのかなぁ…

 おかしいところ「ばかり」ではありません。毛沢東は尊敬すべき革命家です。しかし、中国共産党が一党による人民の独裁を維持してきたのはスターリンから学んだからであるのは否定できません。党内民主主義・党外民主主義のない組織はレーニンの意志にも反するものです。

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ここの議論で腑に落ちないこと 投稿者:TAMO2  投稿日: 2月 4日(月)14時34分58秒

 暴力にまつわる党派への批判が議論されているのはいいと思うのですが、大衆#一般#の
内ゲバ的暴力への感性ってのは60年代まではどうだったのでしょうか。はじめから暴力反
対という感性が強ければ、あそこまで酷くならなかったのでは? と思います。

 つまり、大衆の側に左派内部の暴力一定容認、という風潮はなかったのでしょうか。この
問題は、党派の問題だけではないような気がします(あくまでも、”気”なのですが。小生
は、戦前の戦争責任については大衆の戦争責任も考えなければならない、という立場なので、
それとのアナロジーですね。)

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2.3内ゲバシンポジウム雑感 投稿者:一観察者  投稿日: 2月 4日(月)13時14分56秒

会場となった201教室にまず入って驚いたのは、「しろいなぁ〜・・・」と思ったこと。
参加者の頭が、である。
参加者のほとんどが中年以上、老人ばかりであることに
この問題に対してかつての左派運動を体験してきた人びとがいかに内ゲバ問題を
「自分の問題」として主体的に受け止めているか、思い知らされた。
と同時に、若い世代がほとんど参加していなかったことである。
運動が若い世代へと引き継がれていない事実、内ゲバが世代間の深い断絶を作り出している事実をまざまざと思い知らされた。

4人のパネラーが登壇し、来栖宗孝のあいさつと紹介のもとに
いいだもも、塩川喜信、蔵田計成、生田あいの四人が登壇し、それぞれの内ゲバについて論をのべた。
蔵田は、ちいさなレジュメを配って、それをもとに経験談的に語ったが、まったく分かっていない。
30年もたっていまだに、こんなことしかいえんのか!
蔵田が主張していたのはトロツキーに対して「批判の武器」ではなく「武器による批判」という事であった。
これはまさしく反対意見を暴力によって排除する意味に他ならず、そのような思想こそが内ゲバをここまで深刻なものにさせ
日本左派運動を退廃・堕落させたものであることにまだ気付かないのか?

パネラーによる発言はそれぞれ15分ほどでおわり、休憩のあと会場参加者からの質疑応答にはいる。
第四インター系(新時代社)からふたりが発言。
重信房子救援運動からのアピールとビラ。
よびかけ人のひとりである米沢いずみからは、内ゲバ問題についてすでにインターネット上で
議論が続けられている事実、そこに例えば東北内ゲバ戦において第四インター側と社青同解放派側の両当事者からの発言と交流が続いていることなど
報告があり、インターネットも駆使しつつこの運動を進めていこうとアピール。

「若い世代」からの発言と称して、革マルと思われる発言があった。
内容的には「内ゲバは演壇に並んでいるあなたたち古い世代の責任だ。私たちの責任ではない」とし(それは一理ある)、
そのうえで、パネラーにかこつけて共労党、四トロ、ブント、中核派などを暗に批判するという幼稚なレトリック。
とくに中核派には社会批評社刊「公安調査庁スパイ工作集」を例に出して「中核派がいかにスパイに汚染されているか」を
念入りに主張するなど、もうタマランほどのカルトぶりを路程してくれた。

それに呼応して、こいつが革マルと知ってか知らずか、「若い人の発言に感動」した別の男。
「古い世代の人々が自分の責任を自覚した事の現れが内ゲバ本の刊行と本日のシンポジウムの開催であることを評価しよう」と発言。
また「公安調査庁」本には中核と革マルとが公安スパイにすがりついて内ゲバ戦争集結のウラ取引をしたとも書いてある事実を引用しつつ
「内ゲバ党派は結局自分たちで内ゲバをやめられず、権力の力にすがってやめている。大衆運動のちからでやめさせなければだめだ」
「若い世代の方にはぜひこのような内ゲバ党派を大衆闘争から断固排除して闘うようにおねがいします」。
革マルに内ゲバ党派の排除を要請しているわけだが、なんともほがらかなやりとりであった。革マル君、これを聞いてどう思ったか?

この他、国際主義編集委員会からの発言や戦前の共産党リンチ事件についての貴重な証言をはじめ
さまざまな意見が飛び交い、第一回のシンポジウムとしてはまずまず成功したのではないか。
今後のいっそうの発展に期待する。(以上、敬称ぜんぶ略)
他に参加者した方々からも意見がききたいが如何?

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黒目さんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 2月 4日(月)11時57分15秒

いえ、「なんでもかんでもスターリンのせい、ボリシェビキは常にただしかった」という歴史観を持つことは結局、もうひとつのスターリニズムを生み出すことになるでしょう。レーニンがスターリンによって歪められただけでなく、実際の彼の言動のなかにも問題があったことは指摘していかなければならないと思います。

また、トロツキー自身もレーニンを批判しながら、のちに同じ行為をおこなっている部分もあります。たとえば1903年以降だったと思いますが、トロツキーはレーニンのやり方が「階級による独裁」ではなく「階級への独裁」になってしまうこと、最後にはそれは官僚独裁に転化してしまう危険を指摘して批判していますが、その同じトロツキーが1920年には「分派禁止決議」に反対しながらも「党の独裁」を積極的に承認しています。しかしこれらについては一般論では語ることはできません。当時の諸政党のほぼすべてが反動化していったなかで、それでもその中の良質な部分はボリシェビキへと加入していった事実をも考慮しなければならないと思います。つまり、「ボリシェビキ」という一党の中にしかプロレタリア革命をめざす勢力は存在しなくなった経過を見るべきであると思うのです。そうであればますます「党内分派の権利の保障」は絶対的に必要な措置であったといえるでしょう。

私は「トロツキーがすべて正しかった」とは毛頭思いません。彼もまたたくさんの間違いを冒してきたと思います。世界のトロツキスト勢力は、それぞれスタンスを異にしながらも、やはり「誤りも含めてすべて」を継承しようとしてきたわけではありません。ヨーロッパで内ゲバ主義が粉砕され、民主的な大衆運動が発展してきたおおきな理由のひとつには、トロツキストが過去の革命運動から学んできたプロレタリア民主主義を受け継いで闘ってきたからであると思います。もしもトロツキスト勢力がこの課題を克服しなければ、今頃ヨーロッパではスターリニストのセクト主義・官僚主義・内ゲバ主義が横行し、それにかわる「ヨーロッパ新左翼」も日本と同じ内ゲバ戦争のドロ沼に引きずり込まれていたでしょう。

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マオ・キムなど 投稿者:臨夏  投稿日: 2月 4日(月)01時06分46秒

鬼薔薇さま>
>レーニンは中国を「植民地」ではなく「半植民地」と呼んでおりました。
>「半植民地」とは何でしょう。

高校世界史ないしは予備校近辺で教えられる公式的(苦笑)「半植民地」とは、
「経済的には従属しているが、政治的には独立を保っている所」です。
レーニンから来てるかも知れない、とは、勉強不足で知りませんでした。
「帝国主義」という用語といい、案外、レーニンあたりが、日本教科書の
元ネタや、いうのはありそうですね(^^)

>「差別告発」といった自虐的思考では、
おや、「自虐的」という言葉に、過敏に反応してしまいました(笑)
戦後の、自由主義者や社会主義者の運動がまったく正しいとは
思っていませんし、小学校のころの道徳的社会科学には、ほとほとイヤ気がさして
おりましたが、

1年程まえ、「エサマン」と名乗る、あるアイヌ人のサイト、
多分、Ainu Puyaraとかいうとこで、アイヌ差別について、ある意味「過激」な議論が
たたかわされていて、びっくりし、「差別」なんて甘くみていた私が、
まだまだ当人自体差別もするし、全然卒業できてないんやなあ、、
と痛感したことがあります。

画期的なサイトなので、御紹介したいのですが、
そこでイヤな記憶ができ(笑)、そこから「逃走」してきた身であるため、
ブックマークも残しておらず、いまは残念に思います。
エサマン元気かな。
左翼社会主義者ではないやつで、北方領土のちゅうかくと思われる集りの広告に、
「こいつなんや」と聞いてきたこともありました(笑)
いまは私は、むしろ地道に、差別をとらえなおさんといかんな、思ております。

>姜在彦『金日成神話の歴史的検証』が力作と思います。
>呉善花『韓国併合への道』(文春新書)が小著ながら鮮烈、
あ、そういう本があるのですか、
祖国を遠く離れた身、存じませんでした、早速、手配してみます。
ありがとうございます。

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毛沢東私想(笑) 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 4日(月)00時27分09秒

>臨夏さま ずいぶんとすばやいレスに驚きました。
 「毛沢東思想」はキライだけど毛沢東は好き、という立場から少々。

>しかし、やはり、中国革命だけ見ていたのでは、わからんことが多いですね、

 その中国革命そのものが「わからんことが多い」ので悩みます。戦後毛沢東革命は、植民地革命のモデルのように喧伝されたのですが、レーニンは中国を「植民地」ではなく「半植民地」と呼んでおりました。「半植民地」とは何でしょう。全部は植民地化されていない、だからほんとの植民地よりかはまだマシだということでしょうか、それとも、まともな「植民地」にすらなれない、それ以下の存在ということでしょうか? 一般には前者のように受け取られてきたのですが、わたしどうも後者のように理解すべきではないかと思うのでございます。
 
 「植民地」というのはひとつの宗主国に支配される存在ですよね。そこから、その宗主国支配からの独立をめざす民族革命というコースが必然的に生まれます。でも「半植民地」にはその条件がございません。実際、あの広大な中国全土を植民地にするような帝国主義国などどこにもなかったのですから。この特殊な位置と性格は、他に適用できるようなモデルではありえないことを意味いたしましょう。
 
 現代思潮社版トロツキー選集の最初の配本が「中国革命論」だったのですが、ここでのトロツキーもレーニンが指摘した「半植民地」という特異性に着目していたとは思えません。戦後日本の中国革命理解は、1910年代の国民革命期と、1930年代後半以後の毛沢東革命に分断されていて、空白の20年代についてはたしかにトロツキーは新鮮でございましたが、毛沢東は彼の射程に入ってこないのですね。遠くメキシコにあって40年には殺されてしまったことから無理ないとも思うのですが、その後を引き継ぐ中国革命論は蓄積されたのか、わたし無学にしてハロルド・アイザックス『中国革命の悲劇』しか存じません。
 
>個人的課題ですが、キムイルソンについても、ちゃんと知りたいです。

 抗日バルチザンの伝説的な指導者「金日成」の名を騙ったのが、あのキム・イルソンという独裁者だと、60年代末に玉城素さんの著書で最初に知ったときは、ほんと目ウロコでございました。最近のものとしては、姜在彦『金日成神話の歴史的検証』が力作と思います。

 朝鮮革命の問題は、中国革命以上にこの「日本」に深く突き刺さっていて、50年武装闘争とからむ日本共産党の証拠隠滅もあり、史料追跡が大変でございましょう。60年代末、タイプ刷りの『世界革命運動情報』が関係資料を集めて特集を組んでおりましたが、「差別告発」といった自虐的思考では、こうした地道な作業はできぬと思います。その意味で、呉善花『韓国併合への道』(文春新書)が小著ながら鮮烈、あの『スカートの風』シリーズの洒脱なエッセイストがこんな手堅く刺激的な歴史本をものされるとは、という意外性も含めてお薦めでございます。
 
 あらあら、偉大的同志毛沢東がどこかへ行ってしまって(苦笑)。わたしもあの人、分類すれば「スターリニスト」にはちがいないと思っております(笑)。ただ、日本的党派サイズのレッテルから大幅にはみ出してしまうところに惹かれるのでございます。日本での最良の理解者は、やはり竹内好さんでしたでしょうか。

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2つの本 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月 4日(月)00時13分17秒

>越貴来 翔 さま

 なるほど、たしかにまぎらわしいですね(苦笑)。
 
 通りすがりさんがURLを書いてくださっているので、もうご確認かと思いますが、『新左翼運動 その再生への道』は小西さんの単著、他方、わたしが勝手に「『検証』本」と略記しましたのは、『検証 内ゲバ』という書名の共著で、小西さんはその第1章をご担当です。ご購入のものは前者だったのですね。失礼いたしました。
 
 この掲示板でも広報されてございますが、今日3日の午後東京で、この共著本をめぐるシンポジウムが開かれたはずでございます。生田さんたちのサイトには「大衆的結集を!」とか、決起集会なみの呼びかけがされておりましたけど(笑)、ご盛会だったらよろしいですね。東京は冷たい雨でしたが、ここで日和を見る方は例外でございましょう。ひとつの時代を画する集まりとなりますよう念じております。
 わたしも聴きに行きたかったのですが、家人の介護でやりくりつかず、結局あきらめてご参加の方からのご報告を心待ちにしているところでございます。
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