四トロ同窓会二次会 2002年2月7日〜9日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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思い出した 投稿者:一同窓生 投稿日: 2月 9日(土)17時55分33秒
滝口氏の講演聞いたことある。ずいぶん昔なので忘れてましたが、蘇ってきました。解放派系の労働者集会だったような記憶が..。
痩身で、淡々としてて、アジテーション風ではなく学者風の話し方だった。講演の最後では拳を振り上げて熱弁ではあったけど。話の内容はまったく覚えてません。
完全に消え去ったはずの記憶なのに、ひょんな拍子に思い出すものですね。あの人が解放6号論文の筆者だったとは。
いずみさんが言うように昔の解放派はコセコセしたところが無く鷹揚な感じで好感が持てました。大衆運動派というイメージ。いつからあんなことになってしまったのか、残念です。やっぱり「人=指導者」がキーポイントかな、トンデモ指導者が1人いるとひきずられてしまうのでは..。労対派は今は政治党派というよりは組合や組合活動家として残っているのでしょうね。
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解放派について 投稿者:れんげ 投稿日: 2月 9日(土)12時30分38秒
昨日、一気に過去ログを読み(年明け以降)、ここの流れをおおまかに掴みました。なんだか、大激流のなかに無謀にも漕ぎ出してしまった小船のようで、「しまった、また岸に戻ろうか」とも思いました(笑)。滝口論文も読んでみたのですが、もう頭のなか、爆発です。
解放派については、いちばん馴染みが少なく、私にとっては謎の多い党派でした。ブントの世界もそうでしたが、やっと最近おぼろにイメージがつかめてきました。2.3シンポで蔵田さんの話を聞いて、ああ、やっぱりブントっぽいな、と感じました(笑)
それはともかく、「有名な解放6号論文」だというのも初めて知りましたし、まだ整理ができていないのですが、印象としては一同窓生さんとほぼ同じです。内ゲバをどう克服するか、という観点からいえば、解放派の捉え方は欠かせない問題ですね。先の投稿で複数政党制と分派の自由の承認が、理論的な核心であると書きましたが、コミンテルン的な党観をもっている党派にのみ有効な議論のようです。となると「なんでああなったのかさっぱりわからん」という部分の解明が、「日本の」内ゲバの問題を切開していく鍵となるのかな、という予感がします。生命の尊厳のマルクス主義的でない承認が第一義だとは思いますが、ここのところの分析から内ゲバを防止していく、もっと強力な言葉が紡ぎだされてくるのかなという気がします。
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滝口文体 投稿者:いずみ@今日も出向先(涙) 投稿日: 2月 9日(土)11時13分19
秒
はものすごく独特なので、「読みにくい」と思う人も多いかも知れませんが、いずみは大好きです。文体も内容も。
#本家(笑)のみなさんの論文もそのあたりは同じ。独特ぶりは正反対かもしれないけど。
#で、どっちも「社民出身」だったりする。(笑)
あともう2点ほど。
>トロツキストは分裂を繰り返し少数に留まると言ってるけど、自分らもそうなってしまった。いやもっとひどい。
実際、労対・現代社の分裂よりも前に辞めた活動家のみなさん、昨今の組織状況について「なんでああなったのかさっぱりわからん」とまじめに首をかしげておられる方が多いようです。ということは、少なくとも内部当事者から見れば、現在の状況が昔と「連続したものだ」とは到底思えない、ということですよね。
ただ、細かくはどうなのかわかりませんが、労対は分裂後はずっと1潮流ですよね。ということは、一連の「騒ぎ」はやはり解放派内部に存在する*部分的な*何らかの反映であって、その悪い面が現代社2潮流にどんどん凝縮されてきたのではないか、という見方もできるのではないかとも思います。ものすごく感覚的な言い回しですが。^^;;
もう1つ、社会党と社青同の間には形式的な連関関係はまったくなかったはずです。ただ、実体的には連関があったわけで、そこに依拠して潮流形成を行う、という路線から、組織名は「社会党・社青同解放派」になったわけですが、実際に組織建設の足場になったのは社青同なので一般にはそう呼ばれる、ということではないでせうか。
#ともに、関係者のみなさんからの反論・指摘を待ちたいと思います。
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黒目さんへ 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 9日(土)10時57分31秒
さきに引用した国際革命文庫「三多摩社青同闘争史」には解放派による内ゲバ事件のことも出ていますがご存じですか? 趣味者的には有名な事件です。当時、社青同東京地本は解放派、トロツキスト、協会派の三つがおおきな勢力をもっていました。そして解放派とトロツキストは左派ブロックを組んでいた。協会派は不利な関係を逆転するために東京地本大会で陰謀を企てました。突然壇上を勝手に占拠したのです。トロツキストの制止によって、この徴発は不発に終わり、かえって協会派の立場は不利になってしまった。ここまでが第一ラウンド。ところが敗北感をもって会場から出ていく協会派を解放派が襲ったのです。出口のせまい通路の左右に百人の解放派がならび、協会派はそこを通らされました。協会派メンバーはひとりひとりに百発ずつのゲンコツの嵐のなかをくぐらされたのです。この事件を協会派は利用し、「再登録運動」の強行によって解放派とトロツキストを社青同から排除し、社青同の権力を独占するのに成功しました。この事件をどう解釈しますか? わたしは解放派が「スターリニズム」を身につけた最初の事件だと思います。
解放派はロシア革命の流れとは違う伝統的ヨーロッパ社民の中から生まれた「戦闘的社民」というのが一般的な解釈です。だからレーニンやスターリンやトロツキーではなくローザ・ルクセンブルクと結びつく。ローザは優れた革命的共産主義者でした。彼女は「労働者階級の自主性」を重視しました。そしてその観点からレーニンを批判したのは有名です。しかし、自らの組織論はなかった。というよりも、実践の中で組織建設に成功する前に殺されてしまったわけです。もしもドイツ革命がローザ等の指導によって成功していれば「ローザ組織論」はレーニンの組織論とはちがった形で形成されていたかもしれません。解放派はこのローザの物理的限界をそのまま引き継いでいたのではないでしょうか?
解放派は自らの組織論をもっていない。ということは「組織原則」もないという事です。だからスターリストからの徴発にあった時、単純にそれにのってしまい、自らも同じスターリニストの方法によって報復をしてきました。解放派の悲劇は、彼らが党派闘争をした相手はみんなスターリニストまたはその亜流であったことです。協会派の徴発に乗ってゲンコツ百発の報復をする。中核派のゲバルトに対抗してゲバルトで反撃する。革マル派の襲撃に対して地下ゲバ部隊を組織する。こうして組織原則をもたない解放派はとめどもなくスターリニズム組織論へと転落していったわけです。ついでに付け加えると、東京地本事件のあと協会派の再登録運動において解放派は協会派に対して卑屈にも「再登録」に応じようと画策し、拒否されるという屈辱を味わっています。これほどまでに彼らには組織原則がなかったという事です。彼らの名誉のために更に付け加えておきますが、織田の回想によると、当時の解放派に所属する青年達はみな気持ちのいい労働者たちであったそうです。重要なのは「個人的資質」ではなく、組織がもつ理論とその実践であるという事です。
「トロツキー研究」No.30のなかでマンデルがスパルタシストを批判しながら次のように言っています。「何十年もの間、われわれは、社会主義か野蛮かというローザ・ルクセンブルクの立場を擁護してきた」このスローガンは今でも、よく使われる「トロツキストのスローガン」です。実はローザから学んだものだったという事です。
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ザーカイさんへ 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 9日(土)10時16分00秒
>そんじゃ、*ほぼ*トロツキスト=第4インターと言っているだけじゃない(爆)
ちがいます。トロツキズムの概念はコミンテルンの4つの大会以降、スターリニズムとの闘いの中で展開され、
4番目のインターナショナルを結成するところまでは、各派が共通して(主観的には)持っているものです。
しかし、戦後、第四インターナショナルは何度も分裂し、また合流します。
しかし、第四インターナショナルに結集するトロツキストの数は、他の諸派よりも、数滴にも影響力も圧倒的におおきいといえます。
分裂の重要な原因のひとつは社会主義革命が先進諸国ではなく植民地諸国においておこった事による、と見ていいでしょう。
もちろん後進国の民族独立革命が社会主義へとむかうのは永久革命論によって解明されます。
しかし、スターリニズムが世界的標準であったために、ほとんどの革命闘争はスターリニズムの影響からまぬがれませんでした。
それらの評価をめぐって、トロツキストは分裂していきました。
現在の第四インターを担っているのは、第3回大会後におおきく分裂したキャノン派とパブロ派のうちのパブロ派をベースにしています。
しかし、第7回大会でいったん両派は合同し、これ以後「統一書記局」という名称になります。
キャノン派からランベール派、トニークリフ派などが分裂していきます。パブロ派からポサダス派などが出ていきます。
現在のキャノン派は統一書記局から分裂し、アメリカで独自の路線にもとづいて活動しています。
そのキャノン派からも3つくらいの分派が出ているそうです。
以上、(統一書記局支持の)先輩諸氏からの情報と国際革命文庫の知識によるものです。
ザーカイさん、レーニン主義は「お払い箱」にされるわけではないと思いますよ。だいじょうぶ。
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これが有名な解放6号論文ですか 投稿者:一同窓生 投稿日: 2月 9日(土)10時06分22秒
うーん、率直な印象・感想
・とりとめが無い悪文の典型ですね、でも当時は左翼の文章はこんなものだった
のかも知れない、当時はこの悪文の雰囲気が活動家に受けたのかな
・2次分裂後で3次分裂前の革共同への批判みたい、黒寛批判が主体
・トロツキズムは天上からの批判という感覚はよくわかる
突然西欧から来た第四インタナショナリズムへの反発か。それで労農派にあこがれ
たのかな
・トロツキストは分裂を繰り返し少数に留まると言ってるけど、自分らもそう
なってしまった。いやもっとひどい。
・天上の批判よりまず行動という雰囲気がある、ここは特徴。小ブル的と
言われるゆえんか
・「社民」と言われるのがいやで機先を制してるフレーズがちゃんとある
けっこう気にしてたようだ
・社青同解放派と呼ばれたけどあまり社会党解放派と呼ばれなかったのは
なぜなのかな
等々。60-70年代の解放派の雰囲気はでてるような気もしますが、末裔たちが
内ゲバ・内々ゲバをやろうとは滝口さんも考えもしなかったのでは。
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いつものザー節でスマンです 投稿者:ザーカイ 投稿日: 2月 8日(金)22時57分35秒
すばやいレスありがとうございます。
>一般的にはトロツキストを規定するのはコミンテルン第1回〜第4回までの大会文書、
>第四インターナショナル創立大会文書である「過渡的綱領」、そのほかの綱領的文書とされてい
>ます。
>以上を承認するなら「トロツキスト」と規定してもいいんじゃないでしょうか?
そんじゃ、*ほぼ*トロツキスト=第4インターと言っているだけじゃない(爆)
>高島が言ったのは「君たち、トロツキズムに帰依しなければ内ゲバから逃れられないよ」という
>ことではないでしょう。
どう読んでもそうは読めなかったですがね。高島論文は「内ゲバ」問題とトロツキズム万歳を関係付けすぎるあまりの政治的混乱論文としか思えません。
で,トロツキズムに関してはやはり日本のトロツキスト自体すごくレベルが低いと思っています。これは単に「日本の政治はレベルが低い」という「日本の政治」の中に日本トロツキズムが包括されているからですが。
私はまだ日本で本格的にトロツキズムが実践されたことがないという認識です。トロツキズムにどれだけ可能性があるかを,いまの低レベルの日本トロツキストから導き出すことは無理だと思っています。旧「第4インター」は世界のトロツキズムの翻訳・紹介業レベルでしか実践できていないんじゃないかと思うわけですね。そういうことから、いつも4トロ「かけはし」には辛い点をつけるわけですよ。
わたしは単に「出口なし」と左派が政治的虚無に陥るくらいなら、その前にまだ日本では本格的に実験されていないトロツキズムを左派が選択しても面白いんじゃないかとは思っています。
それはグラムシでもローザでもユーロコミュでもいいわけですがね。ただし、トロツキズムが広範な広がりを見せた時にトロツキズム内で「内ゲバ」が起きたら、「あれはトロツキズムではなかった」というのは無しにしてもらいたいですね。
そこまで言う理由は、せみまるさん(高嶋論文も)の論法には中核,革マルなどが互いを「反革命規定」とすることで殺しあえる独善性と非常に近いトロツキズム観に思えてならないからです。
(が、それぐらいの「信心」なくしてトロツキズムが、小粒化・多様化する日本左翼界でひとつの極になり、全体を引っ張り、拡大発展することは難しいでしょう。信念と偏狭さは紙一重ですね)
「内ゲバ」の議論から脱線しすぎましたので,この辺でまたROMに戻ります。
ps:さらに個人的はレーニン主義が「この程度」の実践でお払い箱にされるのはさみしい気もしています(苦笑)
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ありました>>共産主義=革命的マルクス主義の旗を 奪還するための闘争宣言(草案) 投稿者:黒目 投稿日: 2月 8日(金)22時23分24秒
http://genko.system.to/asia/jp/syl/krk/tkgch01a.html
今、現時点での諸問題が殆ど指摘されつくしてるものすげえ文章だ、と俺は評価してるのですが。
また、それゆえ、解放派があんなんなっちゃった、という事実の問題は、ものすごく重いと考えているのです。
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こ、これが第4インターの60年代の解放派への認識のすべて?! 投稿者:黒目 投稿日: 2月 8日(金)22時12分31秒
・・・・・なんというか(苦笑
滝口の61年の論文がどこかに公開されていたと思いますが、こんなん、全然批判したことにすらなっていないと思いますが(苦笑
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だってそれはさ(苦笑 投稿者:黒目 投稿日: 2月 8日(金)21時47分39秒
「トロツキズム」についても同様に言える事でしょう?
第4インター日本支部が、いつの時点で、今のような立場に立った、と自己規定してはるのかがよくわかんないんですが、日本トロツキスト連盟の最初の時点では、あれはドラゴンと黒寛の組織ではなかったのか?
第4インター日本支部的には、彼らは「脱落した」ということになっておりますが、客観的には第4インターをのちに名乗っていく部分は少数分派であり、主流は黒寛についていった、と見るのが、普通の「新左翼の歴史」というものでしょう?
解放派に関しても、70年代に大きく変質し、81年の分派で、最初のものとは似ても似つかないものが生み出された、その過程を見なければ、なんで解放派があんなんになっちゃったのかは全然解明されないのではないでしょうか?
「トロツキストの立場」からの内ゲバ主義批判、というのは、結局、革共同二派をしか説明できないものであり、それは「内ゲバ」という現象一般を説明するものでは全然ないのではないのか、という事を言っている訳ですが。
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国際革命文庫「三多摩社青同闘争史」より 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 8日(金)21時43分13秒
以下は織田進の解釈による60年代の解放派の規定です。しかし、現在、この規定では現代社や赤砦社を正しく認識したことにはならないでしょう。
「解放六号論文」は、六〇年安保闘争のブント的急進主義に影響された社会民主主義と規定すべき性格をもっている。まずそれは、スターリン主義を「代行主義」として批判する。つづいてその批判を「レーニン主義」にむけ、「レーニン主義」の「外部注入論」こそ、スターリン主義のほんとうの「生みの母」であると規定する。つぎに、トロツキズムもまたレーニンという同じ母から生れた、スターリニズムの双生児であるとして排除する。したがって、スターリニズムの批判はトロツキズムからではなく、レーニン以前のマルクス主義の立場からなされるべきだというのである。
ところでこういうマルクス主義、すなわちレーニン化されていないマルクス主義が生きのこったのは、日本社会党の「山川均」の思想だけであるという。だが、この山川イズム=左派社会党は、自分を「共産主義」として登場させてはいない。ここに欠陥がある。彼ら(将来の解放派)の役目は、社会党を強制して真実の共産主義の旗をかかげさせ、レーニン以降のマルクス主義の「自己疎外」を逆転させることにある。
http://redmole.m78.com/bunko/14/bunko145.html
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すえいどんさんに再掲したしたレスを黒目さんにも再々掲します。 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 8日(金)21時28分53秒
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思想を分けるのは、その思想を体現しようとする主体の「主観的認識」だけでは決定的に不足しています。その集団の思想に基づく実践からの客観的に合理的な判断が不可欠です。「自分たちはスターリニズムを克服する思想を身につけている」と考える党派がスターリニズムと同等の行為を確信をもって組織活動として実践するのであれば、彼らはスターリニストと呼ばれて当然です。「ローザ主義」を掲げる党派がローザを否定するような行為を正当化する時、彼らには「ローザ主義者」と呼ばれる資格はありません。
(日本新左翼は「トロツキズム」を克服し得たか? 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 7日(木)15時15分38秒より )
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・・・という事です。「複数政党制」を口先で唱えていても他党派を暴力的に解体しようとするのは「複数政党制の承認」と矛盾する行為ではないでしょうか? 革マル派を「反革命」と規定し、非公然内ゲバ部隊を組織し、殺人を含む内ゲバを行使する党派にはプロレタリア民主主義を口にする資格はありません。
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海外派兵 投稿者:Q 投稿日: 2月 8日(金)18時30分27秒
米支援の海自交代艦、インド洋に派遣
中谷防衛長官は8日の閣議後の記者会見で、テロ対策特別措置法に基づきインド洋で米軍後方支援などに従事している海上自衛隊の艦隊の一部を交代させるため、12、13の両日に護衛艦2隻と補給艦1隻を新たに出港させる考えを明らかにした。
派遣されるのは、護衛艦「はるな」(4950トン、京都・舞鶴基地)、同「さわかぜ」(3950トン、長崎・佐世保基地)、補給艦「ときわ」(8150トン、神奈川・横須賀基地)。
交代理由について、中谷長官は「支援活動が安全、確実に行われるため、(艦船の)修理のサイクルや要員の疲労を考えると3、4か月をめどに交代させる必要がある」と述べた。
また、中谷長官は豪政府がペルシャ湾で対イラク経済制裁活動に従事中の同国艦船への燃料補給を日本に要請してきたことについて、「昨年、要請があった。法律が適用出来るかどうか吟味して結論を出さないといけい」
と述べ、慎重に対応する考えを示した。
(2月8日・讀賣夕刊)
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社会党を革命党に、つーのは協会派ですね 投稿者:黒目 投稿日: 2月 8日(金)12時58分39秒
んで、解放派は、初期は、また今でも名目上は、「一党独裁」「一党一共産党主義」を主張していない、と思います。
つまり、
>共産主義諸党派の中ではトロツキズムだけが複数主義・民主主義を党派理論としてもっていた
というのはそもそも事実の誤認、あるいは歪曲であり、また、「一党独裁」「一党一共産党主義」を党派性として持っていなかった所からも、内ゲバは発生した、という事実を無視して、内ゲバに関する、まさに「理論的な」部分に関わる議論をしても、あまり意味のない事です。
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トロツキズムの最低限の基準とは 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 8日(金)12時17分29秒
自称「トロツキスト」組織は何百もあるそうですが、比較的大きい組織はそれほどありません。
「トロツキスト」であるためにはトロツキーの言葉を一字一句正確に実行する事ではないと思います。
トロツキーの誤りまでも継承する必要はないわけですから。
一般的にはトロツキストを規定するのはコミンテルン第1回〜第4回までの大会文書、
第四インターナショナル創立大会文書である「過渡的綱領」、そのほかの綱領的文書とされています。
以上を承認するなら「トロツキスト」と規定してもいいんじゃないでしょうか?
参考までに、↓(新時代社の規約)
http://www.jrcl.net/web/frame06e.html
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「トロツキズムでなければダメだ」と言っているのか? 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 8日(金)11時55分31秒
●れんげさんへ
>複数政党、分派の自由ということなら、もっと引き締まった議論ができるのではないですか。
>これが受け入れられるのであれば、相手がトロツキズムに「帰依」しなくても、トロツキスト
>は結構満足できてしまうのでないでしょうか。
そのとおりだと思います。現在では誰でもわかることです。高島が言ったのは
「君たち、トロツキズムに帰依しなければ内ゲバから逃れられないよ」ということではないでしょう。
高島は「なぜ当時の日本では内ゲバが流行ったか」に対する回答として、
共産主義運動の主流が一貫してスターリニズムであった事実を指摘しているのです。
共産主義諸党派の中ではトロツキズムだけが複数主義・民主主義を党派理論としてもっていたが
スターリニズムの亜流が「新左翼運動」の主流となったのが内ゲバ発展の原因だという事だと思います。
>非社会主義政党も含むものなのか
理論は、実践の中で鍛えられなければならないと思います。毛沢東が優れていたのは、経験に学んだことです。
ロシア革命において最初はソヴィエトにはカデットなどのブルジョア民主主義党派までも参加していましたが、
やがて、社会主義革命党派だけが最後までのこり、他の党派・勢力は反革命側へと移行していきました。
ところがいま、世界で興隆してきている反グローバリゼーション運動は必ずしも社会主義運動ばかりではありません。
トロツキストも、その他の勢力も運動の中で新しい経験を蓄積しています。
「非社会主義政党」でも、その目的・中身によって共闘できるし、闘いの中で学びあう事ができると思います。
●ザーカイさんへ
いろいろとレスしなければなりませんが、とりあえず思いついたのから。
>さてさてせみまるさんがいうところの日本の「トロツキスト(及び団体)」は、
>「『スターリンの手のひら』から逃れて」いるといえるんでしょうか?という疑問については
>なお、当時のトロツキストにもスターリニズムの影響があったのではないか?という疑問は提出済みです。
(投稿日: 2月 7日(木)20時36分37秒 )というわたしの意見を再々度提出しておきます。
当時の日本トロツキスト運動の問題点はいくらでも指摘できると思います。
しかし、少なくともトロツキストが内ゲバ全盛時代に寄与することはありえなかったと思います。
●黒目さんへ
>記憶があやふやなのですが、解放派って、一党独裁でしたっけ?
>党独裁を否定して階級独裁を主張、ってのが解放派の看板だったように思うのですが・・・
社青同解放派の目的は社会党を革命政党へと変革することだったと記憶しています。
しかし、彼ら(学生戦線)も内ゲバの泥沼に落ち込み、いまでもそれを続けている事実から
彼らをローザ・ルクセンブルクに結びつけて語るのは、ローザに対する冒涜であると思います。
ローザもトロツキーもレーニンの独裁的傾向を激しく批判していたと思います。
労働者階級の自主性に比重をおくローザの視点は重要です。しかし、国際的な組織運動を展開していく前に
ローザは殺されてしまいました。あまりにも早すぎる、残念な死です。
もしもローザがもっと長生きし、トロツキーと同じく国際的な組織建設に着手していたら
ヨーロッパの運動ももしかしたら、ローザ主義者が大きな運動になっていたかもしれません。
その時には高島先生は「ヨーロッパではトロツキストとローザ主義者が主流だったから内ゲバがなかった」と言ったかもしれませんね。(^^)
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混ぜっ返し(笑) 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 8日(金)08時46分30秒
つとむさんの書かれたことの非常にわかりやすい例で、実際にあった話です。
1985年、大阪の街は大いに盛り上がりました。阪神タイガースの日本一です。その時、
梅田の酒場でとある殺人事件がありました。
ファンA:俺は阪神がこんなに好きなんや!
ファンB:何ぬかしてけつかる、俺はこんなに愛しているぞ!
ファンA:何を、おれはこんなにこんなに好きなんや!
ファンB:何を、しばくぞ(←これは、挨拶みたいなものです)
ファンA:をを、そうかい、表出んかい!
で、表に出て殴りあい、そして、行き過ぎた暴力でどっちかが死にました。
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内ゲバはスターリニズムの産物? 投稿者:つとむ 投稿日: 2月 8日(金)04時08分00秒
お邪魔して論争に参加するに値する各各の文献をほとんど読んでいないので、お叱りを受ける事を覚悟で・・・やっぱりお邪魔させて下さい。もちろん内ゲバを憎み、少なからずの被害を身に覚える者としてですが。
まず、スターリニズムが内ゲバの源泉というご意見については少々違和感を覚えます。
党派闘争における暴力的手段の行使を是とする組織に、そのイデオロギー的特性にスターリニズムとの同一性を指摘し、綱領的に克服しようとする視点に異をはさむわけではありませんが、『スターリニズムが源泉』というと、「党派闘争における暴力的手段の行使が、スターリニズムの発生を期に始まった」と主張しているという印象を受けてしまいます。又、『内ゲバ』という言葉が日本で起こったそれをのみ定義しているという事であれば別ですが、この問題を『日本特有の』として、何かしら日本的土壌の特性に原因を求めようとするのであれば、それは危険な感じがします。(もし違うのであれば私の読解力の貧しさですのでお許しを)。左翼運動のみならず宗教団体や民族運動など、正義や人間の解放を目指している潮流や運動や組織が、競合する相手との争いの中で暴力的手段を行使するに至った例は世界史の中で数限りなくあったと思います。それが正しくも敵権力との激突の中で生じる革命的暴力でないときに。そして当事者達は、往々にしてその暴力的手段の行使を敵権力とのそれだと主張するのが常だったと思います。もちろん支配階級が苛烈を極めて弾圧するとき、それと対抗する相応の自衛的暴力を備えようとするのは、善悪は別としてそれ自体はむしろ自然な事だと思われます。
つまり、内ゲバやその背景にある排他的な資質は、何かしらの特定のイデオロギーや綱領が生産したものではなくて、元来、潮流や運動や組織は、その発生と同時に、排他的な、資質というか欲求というか、内的論理として持っているものだと思います。それを無自覚的に無防備に増大させたり組織戦略にしたり、またはこのことを自覚して組織の綱領として克服したりする度合いの違いが党派性というか綱領の問題に表現しているのじゃないでしょうか。
そして、まさにこのことを長い歴史的試練の中で自覚的に捉え、組織や運動の存在意義に照らして克服するために、綱領なり組織論なり統一戦線戦術なりに結実させようとしてきた内容が『民主主義』なのではないでしょうか。国家権力でなくても、何かしら他人に行使できる権力を持つものは、しばしば自らの正義を無謬性をもって語ろうとします。しかし一方の正義は必ずしも他方のそうではないことは往々にしてあるものです。その時に一々暴力的手段で一方の利害を踏みにじる事が是とされるならばまさに「野蛮」な世界そのものです。
「人間を、階級を解放する」ために行使されるべき運動の手段は。『何処までが内で何処からが外なのか』という事では無くて、可能な限り暴力的で無いものであるべきだと考えます。 自身の正義と論理が少なくとも世界史的なスパンの中で相対的なものであることを自覚するものであれば。ちょっと脱線しましたが、世界史的の中で『内ゲバ』的な論理と事象はスターリニズムの専売特許じゃないと思うし、ましてや『内ゲバ反対』的論理とその実践は何も我が愛する第4インターナショナル日本支部の独占販売品ではないと思います。
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私も訊きたい 投稿者:れんげ 投稿日: 2月 8日(金)00時31分55秒
複数政党制と分派の自由が「核心だ」と言ったのは、左翼内部での内ゲバを避けるための
「核心」だという意味であって、トロツキズムの定義の「核心」だという意味ではありません。
念のため。永続革命論とかソ連論とか、いろいろ論点はあろうかと思うのですが、自分について
言えば、当時の身近な「反スタ」的な環境に引きずられての、トロツキズム理解だったのかどうか
そこが自信ありません。せっかくなら、真性トロツキズムを自認してきた方に、いやみでなく
訊いてみたいのですが。
あと、複数政党については当然トロツキー自身は「ソヴィエト諸党」という捉え方じゃなかった
かと思うのですが、質問の趣旨は今の私たちにとって、望ましく考える複数政党制のありかたは
どう考えるのか、その意見を聞きたいという意味です。
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「全く」は言いすぎか? と、反省 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 7日(木)23時21分49秒
{せみまるさん以外の多くの人の考え}
・トロツキズムなら、大丈夫という問題か? あるいは、トロツキズム以前に(ブルジョア)
民主主義(の積極的側面)さえも作風となっていないことが問題では?
というわけで、
トロツキズムが唯一の解決ではない。
{せみまるさん}
・こと共産主義運動で、スターリン主義に対抗しえたのはトロツキズムだけなので、それを
共産主義者は消化するべきでは?
これが、今の対抗軸と思っています。
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複数政党制 投稿者:黒目 投稿日: 2月 7日(木)23時20分02秒
記憶があやふやなのですが、解放派って、一党独裁でしたっけ?
党独裁を否定して階級独裁を主張、ってのが解放派の看板だったように思うのですが・・・
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あれ!れんげさんとかぶっている(^^;) 投稿者:ザーカイ 投稿日: 2月 7日(木)23時12分26秒
でも、せみまるさんが「トロツキストは・・・」というのですから、ぜひ「トロツキストとは?」ということに答えていただきたい。
多くの人が死に、負傷し、そして多くの人の人生に大きな影響を与えた「内ゲバ」を語る中での発言ですから,れんげさんがいうような意味だけとはとても思えませんしね。
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単純な質問>せみまるさんへ 投稿者:ザーカイ 投稿日: 2月 7日(木)23時01分00秒
中々追いつけないながらもROMってました。で、どうしても聞きたい質問を書きます。
せみまるさんあたりは「トロツキズム」と簡単に言うけど,トロツキズムもいろいろ流派があるようですよね?そこでいまだによくわからないのが,トロツキストとしての最低限の共通項ってなんですか?
>そしてトロツキストの一般的な)認識です
というからにはトロツキストとそうでないものを分ける軸があると思うんです。それも明確な「綱領」のようなもので、蝉丸さんがそう思っているだけでないものとして。
ぜひ教えていただかないと,この議論を読んで関心を持ち「トロツキストになって、反スタでも第三の道でもなく、スターリニズムを克服した共産主義者になるぞ!」と思ってもなりようがないですよね。
そしてその必要充分条件を満たした日本の団体ってどこですか?
ついでにもう一つ。
せみまるさんのいうスターリニズムって何かを明確にしてくれると助かります。
あなたがトロツキストで、トロツキストを名乗る団体(「第4インター」日本支部)の人であるならば,ある種明確ですが,確か以前ココで現在(過去もか?)4トロの人ではないといっていたと思います。それゆえ確認させてください。
次は意見。
「内ゲバ」が日本の運動の負の遺産であるとは思いますが,日本新左翼党派は「内ゲバ」をしないために非トロツキズム党を結党したことはないと思います。
ですから、「内ゲバ」が「スタの影響」との見解から
>スターリン主義をうち破る方法論において「トロツキズム」を承認しなかった全ての党派は
>金斗雲に乗って遙かかなたの「第三の道に到達した」と思いこみつつ結局「スターリンの手
>のひら」から逃れてはいなかった。
と導き出すのは飛躍しすぎだと思いますよ。トロツキーの書籍に「内ゲバ」という言葉と定義が預言的にすでにあり(日本特有の現象でもあるにもかかわらずです)、「『内ゲバ』はスターリニズムの影響だ」とでも言っていれば、そう言えるかも知れませんけどね(そんなことはもちろんないでしょう)。
ちなみに日本新左翼最初の団体は共産党分派のブントとトロツキスト系でいえば太田竜などの日本トロツキスト連盟ですよね。そして「第三の道」とは島成朗の言葉からの引用でしょう。新左翼誕生当時、すでに35年以上経過した第4インターは世界的にもまだごく少数であり,スタが圧倒的だった。日本でもトロ連はごく少数の勉強会でしかありませんでしたし。
そういう情勢で,なぜブントがトロツキズムをあまり意識していなくとも驚くに当りません。ですから「第三の道」とは「到達」とかするものではなく,単に二者択一をしなかったというだけであると考えるのは妥当かと思います。
まだどこの新左翼政党も「われはわれはスターリニズムを克服した」などとは言っていませんよね?当然です。実際にいずれかの新左翼が革命を起こしてみないとそんなことは検証し得ないと思います。ですから、「『スターリンの手のひら』から逃れてはいなかった」としても、どこに恥じる理由がありましょうか?恥じ入るべきは共産主義者として自己(組織)変革を怠ってきたことであり,恥じる相手は労働者大衆に対してです(よって主体的にそれを恥じる者は大衆と区別され、前衛たらんとする者であるがゆえに、ということに成りそうですね?)さてさてせみまるさんがいうところの日本の「トロツキスト(及び団体)」は、「『スターリンの手のひら』から逃れて」いるといえるんでしょうか?わたしは日本にスターリニズムを克服したといえるような党・団体はないと思っています。
ですから日本のトロツキストがどう言う定義か知らなくとも、「スターリンの手のひら」にいると思っていますがね。
ちなみに革マル・中核派は組織の流れと現在に続く組織内学習など含め「トロツキーに学んだ党派」だと言えます。「生身はトロツキーに学んだとは言えない」ということは自由ですが,客観的には明確に「トロツキーに*学んだ*党」です。他の新左翼については全然知らないので、省略させていただきます。
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ぎょうむれんらく 投稿者:まっぺん 投稿日: 2月 7日(木)22時57分07秒
TAMO2さんメール送りましたので見てください。
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トロツキズムとは?2 投稿者:れんげ 投稿日: 2月 7日(木)22時36分39秒
先の投稿で、題名の趣旨まで展開できませんでした。ここで、いったん理論の土俵に入って
みたいと思います。私は「組織」に入っていなくても、トロツキストという自覚でおりました。
勝手な自称ですが(笑)。皆さんのような蓄積がありませんので、質問をしながら考えるという
ようなスタイルになってしまうと思いますが、お許しください。
「検証 内ゲバ」本の論者のなかでは、唯一前衛党論が内ゲバの主要因であったという見解で
ほぼ共通しているようです。トロツキズムはそれに対して、複数政党制・党内分派の自由を掲げて
いたので、内ゲバの陥穽におちいらずに済んだ、ということだろうと思います。私もここが核心
だと考えます。トロツキズムという旗印にかしずくのはいやだ、という立場の人に「トロツキズ
ム」を、といくら訴えても難しいでしょう。トロツキズムって何だ?という議論を始めると、
マルクス主義って何だ?という議論が泥沼に入ってゆくように、一筋縄にはいかなくなります。
複数政党、分派の自由ということなら、もっと引き締まった議論ができるのではないですか。
これが受け入れられるのであれば、相手がトロツキズムに「帰依」しなくても、トロツキスト
は結構満足できてしまうのでないでしょうか。
ただひとつ、私が疑問なのは、「分派の自由」のほうは当時からトロツキズムの長所として
認識というか誇りにしていたのですが、「複数政党」のほうははっきりと意識していません
でした。それがインター内部でどれだけ明確になっていたのか、知りたいのですが。党派が
複数で闘争を推し進めることが、あたりまえということになっていれば、内ゲバなんて起こり
ようがなかったと思います。また「複数政党」が複数前衛党なのか、非社会主義政党も含む
ものなのか、そのへんはどうなのでしょうか?
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つーかですね、 投稿者:黒目 投稿日: 2月 7日(木)22時16分23秒
>「スターリニズムから脱する手段を受け入れよ」
というのは、即ち、現状に対するトロツキズムの立場からの批判でなければならないのではないでしょうか。
高島論文に俺なんかが反発するのは、具体的な事例に対する具体的な批判が無いままに、「欧州の情勢」という、なんの根拠もない事例を持ち出す事によって、「トロツキズムじゃないからダメなんだ」なんて話になっている部分なのであって。
「おお!なるほど!」と膝を叩くような批判がトロツキズムから提示されれば、帰依する事もヤブサカではありません。(苦笑
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トロツキストはスターリンの手のひらから飛び出し得たのか? 投稿者:黒目 投稿日: 2月 7日(木)21時55分47秒
という事が、また新たに問題になってくると思いますが。
実際、スターリニストと全く分別のつかない類の、自称「トロツキスト」
が、実際に存在している事を、我々は既に知っている訳です。
スパとかに対して、どういう批判をされているのでしょうか?
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モンゴル=TAMO2です 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 7日(木)21時53分38秒
失礼。来週のどっちの料理ショーは、味噌煮込みうどんVS何かです(謎)。
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あれ?小生の書き込みが消えています 投稿者:モンゴル 投稿日: 2月 7日(木)21時52分23秒
まっぺんさん、エラーでしょうか?
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トロツキズムとは? 投稿者:れんげ 投稿日: 2月 7日(木)21時47分31秒
菊さん、丁寧なお答えありがとうございます。よくわかりました。
私なんぞは内ゲバの暴風が吹き荒れたあとの、廃墟に遅れてやって来たような者です。
学内で革マルの活動家と話をしたときも、80年代の前半ですが、内ゲバ自体は「昔の」こと
のような感覚があり、それほどの緊張感はありませんでした。ですのでその渦中にあった人々
に対して、怒り狂うほどの非難を投げつけるつもりはありません。自分自身がその同時代に、
もしいたら、どうしていたかは確証がありませんから。例えて言えば、戦後世代が戦中世代に
対して、なぜ戦争に対して反対しなかったのだ、と詰め寄るのは酷な部分もあるということです。
ただ、このへんは戦争体験の継承とよく似た構造があると、私は考えています。加害の行為、
あるいは傍観者だったことをも含めて、悲惨な経験を語り継ぐことがいかに難しいものであるか、
この「内ゲバ」のことを通して少し理解できたような気がします。
やっと語りはじめることができたのではないですか。
「殺すな!」ということを最前面におし立てて訴えきることに、マルクス主義の旗を守ろうと
する人々が躊躇していることに歯がゆい思いをしています。マルクス主義的に理論づけなければ
自信をもって訴えることができない、ということに対してです。これほど大衆の胸に届く言葉は
ないじゃありませんか。
それに関連して、大衆闘争のスローガンのなかに、新左翼運動の側でよく使われるのは
「阻止」という言葉です。最初のうちはよくわからなかったのですが、口先だけの「反対」に
対抗する言葉だったのですね。身をもって本当に阻止しようという決意です。それは時おり、
「ブルジョア的な」法秩序をつき破っての実力行動となるのですが、私はいちがいにそれを
否定しません。あのベトナム戦争のとき、「殺すな!」を合言葉に「阻止」闘争をすることは
正しかったのではないですか。それは自分の国土が、他国の人々を殺すための役割を果たして
いることに無関心な人々に対しての、強烈なメッセージたりえたのではないでしょうか。
ただ、それが他の闘争でも、のべつまくなしに「阻止」だらけになっていくのは理解できません。
私たちの内側に民主主義の内実を形成していくコアには、こうしたことが必要なのでは。
内ゲバはまず、生命をめぐる土壌の問題が大切だと思います。そのうえで、諸次元での考察・
対策が練られるべきです。「欧米では・・・」とか「トロツキズムでは・・・」という論議が
無意味とは思いませんが、まずここのところは押さえておきたい、という気がします。
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第三の道を「選ぶな」と言っているわけではありません 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 7日(木)21時11分51秒
彼らが選んだ(と思った)道が「実は第三の道ではなかった」事が問題なのです。
日本新左翼諸党派(内ゲバを肯定した全ての党派)は「第三の道」を選択し得なかった!
というのが私の(そしてトロツキストの一般的な)認識です。
スターリン主義をうち破る方法論において「トロツキズム」を承認しなかった全ての党派は
金斗雲に乗って遙かかなたの「第三の道に到達した」と思いこみつつ結局「スターリンの手のひら」から逃れてはいなかった。
そして頭に金冠をはめられて「反スタ」スターリニズムを演じていた、という事です。
「反スタ主義」ほど「主観」と「客観」のギャップを体現した思想は他には無いでしょう。
黒田理論は、そのもっとも典型的な例です。
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回答のあとで質問がきた? 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 7日(木)20時36分37秒
すえいどんさんの「真のトロツキスト云々」の質問にはすでに答えを出していますが?
すぐ前の書き込みの
> 思想を分けるのは、その思想を体現しようとする主体の「主観的認識」だけでは決定的に不足しています。・・・
以下のフレーズを再度読んでください。
少なくともその時点では西京二はキャノン派トロツキスト、太田竜はパブロ派トロツキストと規定できると思います。
しかし、黒田はトロツキストではありません。
彼は「トロツキストとの反スタ統一戦線」を目指して加盟したのです。彼自身、自分の著作にそう書いています。
また彼の理論は客観的にもトロツキズムではありません。
「組織に所属しているから、その組織の思想を体現している」という考え方にはドグマを感じます。
なお、「真のトロツキズム」という思考方法もドグマに向かう思想ではないでしょうか。
幾つかの共通項を共有できれば、それでいいのではないでしょうか?
しかも、それは「主観的に」ではなく客観的に判断されるものであるべきです。
なお、当時のトロツキストにもスターリニズムの影響があったのではないか?という疑問は提出済みです。
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あかん、この人ここの話の流れを全く理解していない! 投稿者:TAMO2 投稿日:2月 7日(木)17時22分31秒
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ブッシュ君の論理? 投稿者:すえいどん 投稿日: 2月 7日(木)17時06分02秒
「スターリニズムでもトロツキズムでもない第三の道」ではなく「トロツキズム」を選ぶべきであった、そうすれば内ゲバはさけられたというのが論旨ではないかと理解したのですが?ま、無理に選ぶ必要も無いわけです。ただ、1958年当時、「トロツキズム」を選ぶということは、革共同にいくことであり、他に道は無いでしょう。ブッシュ君の、爆撃に賛成しない奴はテロリストの一味という話とはちょっと違うのでは。
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ここで言う選べ、とは 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 7日(木)16時28分03秒
A,B,Cから#のみ#選べ、であって、D,E,F・・・を捨象しちゃうことです。
最近では、ブッシュ君の論理ですな。
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いや、むしろ「選べ」という態度こそ内ゲバの根源では? 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 7日(木)16時26分36秒
とかいう(笑)。<これ、いいですね!
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もちろん誰もいません 投稿者:すえいどん 投稿日: 2月 7日(木)15時59分06秒
>こんなことを言っている人はこの場には誰もいないと思いますが?
もちろん誰もいません。太田竜、黒田寛一、西京司しかいないのにトロツキズムを選べといわれても、というレトリックのつもりだったんですが・・・
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どこをどう読んだらそうなるのでしょうか。 投稿者:いずみ@出向先 投稿日:2月 7日(木)15時46分30秒
いずみは、もちろん、せみまるさんよりも黒目さんの問題意識に近い感覚を持っていますが、それでもなお、
>それらも偽者でどこかに帰依すべき真のトロツキズムがあった
こんなことを言っている人はこの場には誰もいないと思いますが?
あともう1つ、まー弱小ドマイナーで終わったところなんでどうでもいいちゃーいいんですが(藁)、本家が取り組んだトロツキズム批判の蓄積、というのも改めてどっかで公表して欲しいものですね。>本家----------------------------------------------------------------------------
失礼ながら 投稿者:すえいどん 投稿日: 2月 7日(木)15時44分22秒
失礼ながら、「大東亜戦争、こうすれば勝てた」といった類のシュミレーションを連想してしまいました。1958年のトロツキズムとは太田竜であり黒田寛一であり西京司ではなかったのでしょうか。ブントにならず、そのあたりに皆帰依すれば左翼の歴史が変わったというようなことはちょっと・・・。それとも、それらも偽者でどこかに帰依すべき真のトロツキズムがあったということでしょうか?「内ゲバに反対した唯一の党」が「戦争に反対した唯一の党」の自画自賛の二の舞にならぬことを祈ります。
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日本新左翼は「トロツキズム」を克服し得たか? 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 7日(木)15時15分38秒
日本新左翼は、共産党から離脱したブントを母胎とした様々な潮流、そこに「スターリニズム批判の視点」を与えるうえで重要な(否定的な!)役割を果たした黒田主義との合流による中核派、さらにイタリア共産党構造改革主義が左傾化した潮流、同じくローザ・山川から生まれた潮流なども参加し、総じて自分たちを「スターリニズムでもトロツキズムでもない第三の道」と認識する党派が主流であったと言えます。しかし、その主観的認識は「客観的に正しい」と言えるのだろうか?
思想を分けるのは、その思想を体現しようとする主体の「主観的認識」だけでは決定的に不足しています。その集団の思想に基づく実践からの客観的に合理的な判断が不可欠です。「自分たちはスターリニズムを克服する思想を身につけている」と考える党派がスターリニズムと同等の行為を確信をもって組織活動として実践するのであれば、彼らはスターリニストと呼ばれて当然です。「ローザ主義」を掲げる党派がローザを否定するような行為を正当化する時、彼らには「ローザ主義者」と呼ばれる資格はありません。
日本新左翼諸党派は一般に自分たちを「スターリニズムでもトロツキズムでもない第三の道である」と考えています。新左翼の多数派が持っている見解は「スターリニズムはまちがい。でもトロツキズムにはスターリニズムを克服できない」というものです。そしてその結論は「スターリニズム的方法によってスターリニズムを克服する」。これが内ゲバが肯定されてきた理由です。このような方法によってスターリン主義的「レーニン主義党組織論」を主張する党派は「スターリニズムの亜流」の位置から脱することはできません。
よって、日本新左翼運動とは「スターリニズムが自己の克服をめざした運動」であった、と言えると思います。スターリニズムが自己の誤謬の一部に気付き、それを克服しようとすることには積極的な意味があります。しかしトロツキズムに含まれる「複数政党制、党内分派の自由、(したがって)内ゲバによらない民主的党派闘争・党内闘争」の概念を拒否するかぎり、スターリニズムの地平から離陸することはできず、結局スターリニズム的方法論による「解決」手段によっておたがいに「自らを解決」してしまった。これが今日の日本左翼没落の最も重要な「主体的」理由です(経済など客観的理由ももちろんあります)。
もしも中核派がトロツキズムの概念(党内・党派闘争における民主主義)を受け入れていたら、中核派政治集会には、大衆運動諸戦線ばかりでなく共産党、社会党、あるいは革マル派、解放派、ブント諸派からの連帯メッセージを受けることができたかもしれません。杉並区議選や都議選どころか他の党派との共同候補をたてて衆参国会選挙へと打って出ることもできたでしょう。今も1万人を超える大衆的動員力を維持していたでしょう。フランスやイギリスで現在おこっている事態とはそういう事なのです。日本ではそれができなかったのは日本新左翼がスターリニズムから脱することができなかったからです。
つまり、「トロツキズムに帰依(わら)せよ!」というのは、諸思想のなかの「特殊な一思想を信じよ」と言っているのではなく、「スターリニズムから脱する手段を受け入れよ!」と言っている事なのです。日本新左翼は「トロツキズムを克服しよう」として、結局スターリニズムをも克服できなかった。トロツキストのこの一般的認識を私は支持します。
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民主主義と社会主義の関係 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 7日(木)12時19分57秒
菊さん、こんにちは。ご主張はほぼ同意します。
ベルギー人と日本人のご夫婦の問題、マルクス主義者の家庭でもよく見られる問題ですね。
これは、反体制を気取る(実際にそうであってもいい)人間が、自分が支配的な内なる世界で
行なってしまう傾向のようです。(ヨヨギが主流派の労組なんか、典型だ! 民主経営団体は、
もっと悲惨なようだ。)なぜ、そうなるのか・・・・。これは、もう、菊さんのおっしゃると
おりで、その限りにおいては洋の東西を問わないのかも知れません。
だが、西欧社会への幻想を別としても、西欧社会の多くは百年以上前に革命を経験し、自ら
の武装(=命のやり取り)を多くの市民が経験しているわけで、作風を間違えれば殺されてし
まう、っていう経験がやはり強烈にあったからこそ、ルールとしての民主主義を単なる頭の中
の知識ではなく、体に染み付かせているから、対等な場(家庭内は対等ではないですよね?菊
さんの例では)では小生を感嘆させる挙作を取れるのだと思います。
社会主義の課題に留まりませんが、民主主義の問題は。
これは、学ばなければならない。かのレーニンも、最晩年には「我々に必要なのは、良質の
ブルジョア文化である」と言っていました。それまで、ブルジョア社会の欺まん性を暴露し、
指摘しまくっていた彼が、です。
知識人に分類されるであろう(つーか、ある党派ではそう分類されていた)小生が言うのも
何ですが、知識は頭より、体でわかってナンボのもんや、と思います。
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書き足りない部分(2)−主体的な総括と絡めて 投稿者:菊 投稿日: 2月 7日(木)10時26分27秒
話が拡がってしまいました。ごめんなさい。
私はそこで自分の活動経験を重ね合わせ、なぜ日本の左翼がこれほどまでに衰退したのかを考えるわけです。私たちは明治以来の日本の文化の何を継承し、何を克服しようとしてきたのか。「一個独立」個人主義に立って、左翼運動を考えたか?残念ながら、そうではなかったように思うのです。石堂清倫氏は遺著「20世紀の意味」のなかで、1930年代ソ連経由で読んだレーニンは「カテキズム」(カトリックの教義問答集)のようになっていて、違和感を覚えたと書いています。
私は70年代はじめ、トロツキーを初めて読んだ時の感動を思い起こします。毛沢東→黒田寛一を読んできた身にとって、今まで感じることのできなかった生の歴史を分析するトロツキーの筆致に感動したわけです。では私の組織活動はどうだったか?当時の第4インターの政治方針や議論のレベルはどうだったか?お世辞にも「伏流水」の流れを受け継いでいるとは言えなかった。トロツキーの「カテキズム的理解」も多かったように思います。当時の他党派の論文と比べれば、まだマシかもしれません。しかし、50歩100歩だったと思うのです。
そのような私的な総括も合わせて大括りな歴史的な枠組みで見た場合、日本の左翼の崩壊の要因は「伏流水の流れ」を受け継げず、「中身を十分に考えず、形式を優先させ」「右へ倣え」をした結果だと考えています。ヨーロッパの左翼・あるいはトロツキストとの違いがあるとすれば、その点を認識しながら、どれだけ活動したかではないかと思っています。
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TAMO2さん、書き足りない部分がありました。(1) 投稿者:菊 投稿日: 2月 7日(木)10時25分28秒
どうも、です。
TAMO2さんの書き込みと引用部分と読んでみて、書き足りないことに気が付きました。
私も私的経験から少し、書いてみましょう。もう10年以上家族ぐるみでつきあっているベルギー人と日本人の夫婦がいます。ベルギー人ですから、日本人のように亭主関白ではなく、お互いに個人として認め合うカップルだと最初は見ていました。ところが、よくつきあってみると違ったのです。家計の管理からすべて夫がやり、家族の面倒はすべて自分が見る、その配下で妻は働くべきだというのがそのベルギー人の考え方でした。最初その夫婦の対立は「異民族対立=異文化摩擦」だと考えていたのですが、まったく違う、個人的な価値観の「対立」だったということが、最近ようやく判ってきたというわけです。
ここで、何をいいたいかというと、戦後教育の中である種刷り込まれてきた「西欧民主主義」に対するコンプレックスをベースにした物の見方・考え方に、自分たちが陥りがちであることを十分に認識した上で、異なる文化で育ってきた人同士の「対立や違い」を見分ける必要があるのではないかということなのです。歴史的な総括も同じではないかと思うのです。
さて、ようやく本題に入ります。前回の書き込みで「石堂さんのような人」と書いたのですが、それがどういう人かという肝心な点について、書き落としてしまいました。それを少し書いてみることで、考えていることをもう少しハッキリさせてみたいと思います。
石堂清倫の追悼記事で鶴見俊輔さんは、「(前略)1905年に、日本は対露戦争を負けることなく終えた。このあと百年近く、先進国としての日本という幻想の中に、政府も国民も住み続ける。夏目漱石は、その幻想の外にいて著作をつづけた稀な日本人のひとりである。その気風は、石堂清倫の中に流れ込み、日本の全体主義とソヴィエトの全体主義の激突の中におかれた1930年代の彼の思索を養いつづけた。(後略)」(朝日新聞01年9月5日夕刊)と述べています。
夏目漱石は、「絶対的権力は絶対に腐敗する」「党派心がなくて理非がある個人主義に立脚する」「自分本位の個人主義がまず確立されるべき」と一貫して主張していますが、それは明治初期の福沢諭吉の「一身独立して一国独立する」とする考え、自由民権運動における植木枝盛らの思想にも脈々と流れています。そして、大正、昭和と様々な人に受け継がれていきます。石堂清倫氏は、大正末期から現代までおよそ、80年近くにわたってそうした流れを体現してきた人だと思うのです。
しかし、最大の問題は、こうした「国家の前にまず個人の独立」という考え方が明治以降の日本において間欠的に吹き出すものの、一貫して「伏流水」としてしか存在しなかったことだと思います。つまり、日本に「民主」がなかったのではなく、民主が全面化する可能性はありながらも、それを社会的な制度や風土として「定着・浸透」することになかなか成功してこなかったのではないかと思うのです。
ではなぜ、成功してこなかったのか?ほとんど失敗したのか?それは、歴史・政治総括に関するテーマだと思います。例えば、日本国憲法が、どうして今のような扱い方をされているのか。それは、日本国民に「民主主義」に対する意識が歴史的に欠落しているからではないと思うのです。憲法草案の作成からして、当時の国際・国内政治情勢のなかでの産物ですし、その後も冷戦時代、そして冷戦崩壊後の情勢の中で、社会的な諸勢力の力学の変化のなかで、扱われ方も変ってきています。
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火花派がサイト開設 投稿者:いずみ@出向先 投稿日: 2月 7日(木)09時41分56秒
首都社研(いわゆる竹内ブント)・三支労とともに「系図が切れてるブント系潮流」を為す火花派がサイトを開設したようです。
http://www.bekkoame.ne.jp/tw/hibana
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日向一派への弾圧についての私的見解 投稿者:いずみ@出向先 投稿日: 2月 7日(木)01時33分14秒
日向一派メンバーが、「市民緊急行動」の集会会場前におけるトラブルを口実として逮捕されました。
この件について、警察、さとさと、一派の3者を非難する声明をあくまでも個人的に発表しました。お読みください。
http://www.nurs.or.jp/~izumi/senki/bbs.cgi?t=21
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