四トロ同窓会二次会 2002年2月16日〜18日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
----------------------------------------------------------------------------
“「国家」の思想” 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月18日(月)23時12分54秒

>せみまるさま コメントありがとうございました。ただ、ちょっと誤解されているところがあるようなのでその点だけ。

>私の考えでは、スターリニズムとは「国家」のありようではなく「共産主義思想のあり
>ようである」という事です。スターリニズムは、なにも国家を掌握した時にはじめて発
>揮されるものではありません。

 わたし、スターリン主義が“「国家」のありよう”だとは書いていないはずでございます。“「国家」の思想”、その特殊な類型だと申しました。ここは言葉の問題ではなく、問題の所在に対する認識のちがいを示すところと存じます。
 でも、わたしの書き方が不充分だったことはわかりました。その点のご指摘として、ありがたく受け止めておきたく思います。
 誤解のないように(というつもりで)少し言い換えますと、スターリン主義は、マルクス主義の「国家」理論を基本的なところで修正した思想、なにより「プロレタリア独裁」についてのレーニン・テーゼを肝心なところで否定した思想ということでございます。そのかぎりで、スターリン主義を「共産主義思想のありかた」「共産主義の中の一傾向」とおっしゃることに、原理的に反対ではございません。ただ、その意味内容については吟味が必要かと、お書き込み拝読して感じました。
  
>スターリニズムとは共産主義勢力の内部に発生する政治傾向であり、組織や大衆運動に
>おける政治権力掌握と保持のために発揮されるデマや内ゲバなどの精神的・肉体的な暴
>力も含む非民主的な党派闘争・党内闘争のやり方であり、また、そうした傾向によって
>護持されてきた共産主義組織の官僚的ヒエラルキーであると規定するべだと思います。

 ここに、認識の差はきわめて明瞭でございます。これだとスターリン主義は、もっぱら党内問題に帰着してしまいます。そして、それに対する対抗原理を「民主主義」だとするとき、その「民主主義」は「ブルジョア民主主義」の原則だけで足りてしまう内容であり、それへの批判的超克としてあるはずの「プロレタリア民主主義」の独自性は、どこにも契機をみいだせないことになりませんでしょうか?

 スターリン主義を「国家の思想」だといったとき、それはマルクス主義の国家理論からの決定的後退、「国家死滅」の原理の放棄だということを意味いたします。いいかえればそれはブルジョア国家理論への、いえ、それより前の国家像への後退なのだと思います。かのウィットフォーゲルが晩年に著しました『東洋的専制』という特徴づけは、そのかぎりで妥当する面を持っておりましょう(彼はそれをもってマルクス主義そのものを否定したがったわけですけど)。

 ここで「国家の思想」とは「革命の思想」にほかなりません。レーニンの『国家と革命』は、国家論というより革命論として読むべき内容だとの理解は、いつぞやここでも書かせて頂いたところですが。
 このレベルでの批判なしに、党内問題、党内民主主義の問題に「スターリン主義批判」に切り縮めるのがせみまるさんのご理解で、それでは「党内反対派」の思想なのではないか、世に言う「トロツキズム」というのは、つまるところ「反対派思想」にとどまるのではないか、と先に書いたことが、なんだか実証されてしまった気分でございます。

----------------------------------------------------------------------------
追加 投稿者:せみまる@四トロ教条主義者  投稿日: 2月18日(月)21時09分54秒

>なぜ、民主主義的な関係が構築できなかった
>=スターリン主義的な作風に支配されたか、をこそ解明するべきと思います。

まったく賛成です。実は、それを展開したいと思っているのですが、
はなしがややこしくなってなかなか投稿できなかったんです。ぜひその方向でいきましょう!\(^o^)/

----------------------------------------------------------------------------
見方のちがいではないでしょうか? 投稿者:せみまる@四トロ教条主義者  投稿日: 2月18日(月)20時29分50秒

>トロツキズムの理論云々よりは、民主主義
>のルールとか、作風とか、そういうものを軽視した左翼運動のありようを考えるべき、

これにはまったく同意しつつ、解釈のしかたちがいと答えておきましょう。
つまり「トロツキズムの論云々よりは」と表現した時点で、
「トロツキズムと民主主義とは別の概念である」かのような解釈がそこに成立しているからです。
「トロツキズム」の概念についての解釈のひとつは「民主主義の概念である」と考えています。
それは「複数政党制」と「党内分派の自由」とに集約されるでしょう。
もちろん、それは実際の運営によって判断されねばなりませし、それについてはたして
日本のトロツキスト運動がそれに充分に応えることができていたかは疑問です。

もしも日本左翼組織を「トロツキズムが支配していたら良かった」と表現するとしたら
「支配」した時点で、それは既にトロツキズと呼ばれる資格はありません。
大衆の自立した運動に依拠し、それとともに歩むことによってはじめてトロツキズムと言えます。
だから、トロツキスト的な表現=「日本新左翼はスターリニズムを中心としていたからだめだったのだ」という言い方は
「日本新左翼には(トロツキズムの概念の一部でもある)民主主義がなかったからだめだったのだ」という
非トロツキスト的表現とほぼ同義と考えていいと思います。

なお、わたしは「共産主義者」を名乗る資格はありませんので自称もしておりません。過去にも現在も。
「熱烈なふぁん」にすぎません。ふぁんは時として「本人」よりも熱狂的なのですよ\(^o^)/(わら)

----------------------------------------------------------------------------
それについては、答えが一応出た思っているのですが 投稿者:TAMO2  投稿日: 2
月18日(月)19時55分45秒

>その逆に共産主義者が「外部の大衆運動」に対する破壊者となった加害事実として
>新左翼の内ゲバを考えることについての同意を求めているのです。

 についてですが、内ゲバを考えるツールとして、トロツキズムの理論云々よりは、民主主義
のルールとか、作風とか、そういうものを軽視した左翼運動のありようを考えるべき、という
ふうに1月末の時点で話が進み出したように理解しています。なぜ、スターリニズムが結果と
して新左翼内部で、そして運動全体で「勝利」し得、そして運動を敗北させたのかを考えるの
に、スターリン主義そのものを課題にしてはどうも将来生じ得る可能性のある問題を解決出来
ないのではないか、と。(周辺領域から芋づる式に考える、その第一段階としてスターリン主
義に拘るというならばOKです。)

>内ゲバの原因が「共産主義者ではない他のところから来た」というのは
>私には内ゲバ党派の免罪につながると思うのですが・・・・・どうでしょうか?
 これは、社会が悪いから犯罪を犯したとしても、犯罪を犯した人間を免罪する理由には
ならない、ことと同じと考えます。日本社会に広く見られる民主主義の欠如、それが自称
共産主義者を捉えた、と考えていますから。なぜ、民主主義的な関係が構築できなかった
=スターリン主義的な作風に支配されたか、をこそ解明するべきと思います。

 せみまるさんとかはかつて共産主義者を自称しておられたようですが、それ故に自分に
責任のある問題としてマジメに考えすぎ、結局枠を狭くしているように思います。

----------------------------------------------------------------------------
TAMO2さんへ 投稿者:せみまる@四トロ教条主義者  投稿日: 2月18日(月)17時13分16秒

共産主義者の「内部に限定して」といっているのではありません。
その逆に共産主義者が「外部の大衆運動」に対する破壊者となった加害事実として
新左翼の内ゲバを考えることについての同意を求めているのです。

黒目さんは「内ゲバ」について、それを「共産主義者だけじゃない!」として
「宗教・民族・会社・政府・軍隊などでの内ゲバ」もある事をあげて、
「それもスターリニズムなのか?」と聞いていますね。「B=Cか?」と言う質問です。
わたしは、それらを「スターリニズム」と呼ぶべきではないと説明しているのですが
いずれにしても「スターリニズム」についての両者の主張は一致しないでしょう。
それについての議論は、これ以上無意味であると思います。

そこで次に「共産主義者による組織的犯罪事実」についての意見を求めているのです。
内ゲバの原因が「共産主義者ではない他のところから来た」というのは
私には内ゲバ党派の免罪につながると思うのですが・・・・・どうでしょうか?

----------------------------------------------------------------------------
下の長い、URLをリンクに入れました 投稿者:黒パン  投稿日: 2月18日(月)16時52分00秒

写真を見ることができます。

http://www.hani.co.kr/section-005100030/2002/02/005100030200202181428734.html

----------------------------------------------------------------------------
韓総連 25人 駐韓米国商工会議所 占拠 ≪高層ビルの事務所 投稿者:黒パン  投稿日: 2月18日(月)16時49分28秒

http://www.hani.co.kr/section-005100030/2002/02/005100030200202181428734.html
△ 18日 昼 ソウル 江南区 三成洞 貿易会館 45階 駐韓米国商工会議所事務室を 占拠した 韓総連 所属 大学生らが '戦争策動 武器押売り ブッシュ 反対'などの 文句(文具)が 使われた プラカードを 45階 ガラス窓を破ったまま 占拠 座り込みを 繰り広げている. (連合)

関連記事

18日 昼 ソウル 江南区 三成洞 貿易会館 45階 駐韓米国商工会議所 事務室に 韓総連 所属 大学生 25人が 奇襲的に 侵入, 占拠 座り込みに 突入した.
彼らは 李NALNAJ 12時50分頃 洋服なり(姿)で訪問客を 最も, エレベーターを通じて 貿易会館 45階で(に) 上がってきて 経費中の (戦闘警察) 8人を 準備した 角材で(に) 威嚇, 追い出して 勤務中だった 商工会議所 職員 10余名を 送りだした後 事務室を 占拠した.

'ブッシュ訪韓を 反対する 青年達'だと 自分らを 明らかにした 彼らは占拠後 横 1.2m,縦 2.2m 大きさの 大型ガラス窓を 壊した後 窓の外で(に) "戦争威嚇 ブッシュ訪韓 反対" "対北朝鮮 強硬政策 撤回"を 主張する 印刷物を 散布して 10m道がの プラカードを 掲げた.

彼らは 警察の 進入に 対応, 事務室 正門前に 冷蔵庫, テーブル, 本箱など 什器類で(に) バリケードを 積んで 対立中だ.

一方 警察は 1中隊 兵力と 119 消防隊を 出動させて 仮りにの 事態に対応する 一方 現場で 占拠 学生達と同じ 一行に見えた 大学生 3人を江南警察署で(に) 連行, 調査中だ.

(ソウル/連合ニュース)

----------------------------------------------------------------------------
「共産主義」内部の問題なのでしょうか? 投稿者:TAMO2  投稿日: 2月18日(月)16時48分30秒

 しばらくROMっていたら、何か凄くややこしくなっちゃってますが、1月末の段階では、
共産主義の理論云々ではなく、民主主義の作風とかの問題であり、社会#全般#の作風(風潮)
の問題である、という話になっていたと記憶しています。

 内ゲバの主要な要素にスターリニストの問題があるとはいえ、それだけで全て説明し切れる
ものではない、という黒目さん他の主張から上の段の話になっており、そうすれば共産主義に
限定しては解決が見えない、ということではなかったでしょうか。

(誤解があればご指摘を、追いきれないです。)

----------------------------------------------------------------------------
はい、了解しました(^^) 投稿者:せみまる@四トロ教条主義者  投稿日: 2月18日(月)16時23分54秒

黒目さんがスターリニズムについてのわたしの見解を「せみまるの新発明」と考えるのはまったく自由です。
その反対に黒目さんからの批判をわたしが受け入れないのも自由なわけですね。\(^o^)
というところで、この件についてはこれ以上お互いに議論しても時間の無駄でしょう。
ところで、その次の提案についてはどうですか?なにも答えをいただいていませんが?
論点をあいまいにしたまま「内ゲバ」の問題を広義に拡大して論ずるつもりなのでしょうか?

----------------------------------------------------------------------------
とほほのほ 投稿者:黒目@反トロ教条主義(ワラ  投稿日: 2月18日(月)14時18分17秒

蝉丸さん、
>スターリニズムとは共産主義勢力の内部に発生する政治傾向であり、組織や大衆運動に
>おける政治権力掌握と保持のために発揮されるデマや内ゲバなどの精神的・肉体的な暴
>力も含む非民主的な党派闘争・党内闘争のやり方であると規定するべきであると思いま
>す。
この「規定」を前提として話をされていると思いますが、この「規定」は、第4インターの、あるいは蝉丸さんの新発明であると思います。このスターリン主義という語の「新規定」は、例えば現に内ゲバやってるような人たちとは、共有されないでしょう。
こんな語の意味をずらせていくようなやり方は、組織の内部固めの為の煽りでは、一定有効かも知れませんが、外部に対しては、対話の断絶という意味を持つものではないでしょうか。
わけわかんない所がわけわかんない事を言ってる、というのであれば、別に驚きやしませんが、最も由緒正しい部分に属する第4インターというところが、こんな語の意味の拡張を勝手にするようでは、どんならんのではないですか?
 これはマジで、代々木の「プロレタリア執権」とか「強力革命」とかの新発見と同じような類の話だと思います。

----------------------------------------------------------------------------
論点をあいまいにしてはいけない 投稿者:せみまる  投稿日: 2月18日(月)14時
17分18秒

●日本大衆闘争を破滅させたのはだれか?
50年代〜70年代の日本には政府の反動的な政策に反対するおおきな大衆運動が存在しました。10万人の労学市民が国会を取り囲み、その一部は突入しました。三池炭坑の労働争議は政府の一部で自衛隊出動を本気で考えるほどの緊迫したものでした。全国の学生自治会によって文字どおり「全学連」が結成され、安保やベトナム反戦を闘いました。総評青年協が全国規模で形成され全国反戦とともに政治ストをもふくむ闘いの高揚をつくりだしました。あれらの巨大な大衆闘争はどこにいったのでしょうか?数十万と見積もってもよいほどの大衆的な反政府闘争が消え去ってしまったのです。なぜでしょうか?その重大な理由のひとつが「新左翼諸党派の内ゲバ」なのです。「共産党をのりこえる」と呼号した新左諸党派の多くが「共産主義者」だったのはまぎれもない事実です。「共産主義者」が日本大衆運動を破壊したのです!この事実から逃げるべきではありません。

●「共産主義者」の問題である事を前提にするべきである
黒目さんは>「共産主義者である」という事を前提にしなければならない議論など、まさに「神々の争い」<と言っていますね。あなたがどんな思想であろうと全然問題ではありません。また私も、「共産主義が絶対正しい神々の思想である」などとも言ってません。そもそもここは「共産主義の神々をまつる神殿」ではありません。むしろその逆なのですよ。ここは「共産主義者の犯罪を告発する法廷」なのです。いろいろな証人が内ゲバの犯罪事実を告発しています。もちろん弁護人も陪審員もいます。しかし、裁判官はいません。ここを読む多くの読者がそれぞれ判定を下せばよい事だからです。しかし、黒目さんが「宗教・民族・会社・政府」などといった「広義の内ゲバ」へと話を拡散させるとき、それは共産主義者の犯罪事実から視点をずらしてしまう事になり、彼らに責任逃れの口実を与えるものとなるのではないでしょうか。だから、黒目さんにもぜひ「共産主義者への告発」を「前提」として内ゲバ論争をおこなってほしいと思うのです。

●共同の作業として続けていきましょう
『検証・内ゲバ』が目指しているのは、まさしく「共産主義者」として闘ってきた人々が、犯罪への荷担となってしまった自らの過去を告発・検証し、次の世代によって担われる大衆運動のあり方に対して何かを残そうとする自己批判的で建設的な意図にもとづいている、と思います。過去、共産主義者であった全てのひとびと、また何らかの党派活動にかかわった全ての人々にとって、「内ゲバ」の問題は、自分自身の問題です。その人々はこう自分に語りかけるでしょう…「自分たちのせいで運動を破壊してしまった!なぜこんな結果になってしまったのだろう?」と。そして共産主義者でない者、内ゲバに荷担しなかった者たちはこう叫ぶべきです…「おまえ達のせいで日本大衆運動は破滅してしまった!なぜそんな事になったのだ?」と。こういう視点からの黒目さんのご意見をいただきたいと思っています。これからも引き続きよろしくお願いします。

----------------------------------------------------------------------------
スターリニズムについて 投稿者:せみまる  投稿日: 2月18日(月)14時15分03秒

●スターリニズムとはなにか?
一同窓生さん、鬼薔薇さん、スターリニズムについてのご意見、ありがとうございました。私の考えでは、スターリニズムとは「国家」のありようではなく「共産主義思想のありようである」という事です。スターリニズムは、なにも国家を掌握した時にはじめて発揮されるものではありません。ボリシェビキ内部での権力抗争がスターリンの勝利に帰した時、それはさまざまな形で発揮されました。陰謀、謀略とでっち上げ・偽造・デマによって、スターリンの反対者や対抗勢力になりそうな者はことごとく投獄・処刑・流刑されました。それは末端の党員や、赤軍幹部から兵士にいたるまで、ロシアの国民にいたるまで数百万に及ぶ規模です。さらにこれに海外での暗殺数千人も加わるでしょう。しかし、日本共産党は、まだ日本において一度も権力を掌握したことがないにもかかわらず、スターリニズムと呼ばれております。ソ連党と同じ傾向をはっきり持っているからです。そして特に日本共産党においては、その組織内部の非民主主義と官僚主義とが指摘されてきました。スターリニズムとは共産主義勢力の内部に発生する政治傾向であり、組織や大衆運動における政治権力掌握と保持のために発揮されるデマや内ゲバなどの精神的・肉体的な暴力も含む非民主的な党派闘争・党内闘争のやり方であり、また、そうした傾向によって護持されてきた共産主義組織の官僚的ヒエラルキーであると規定するべだと思います。

●スターリニズムはなぜ勢力を拡大したか?
スターリニズムについて語る時、ただ「スターリニズムとはこうである」と規定するだけで「なぜ拡大したのか」を語らなければ、その本質が見えてこないのではないでしょうか。たとえば菌類などいろいろな生物にはそれぞれが発生し増殖していくための環境条件があるように、スターリニズムやトロツキズムにも、増殖のための環境条件があります。スターリニズムが発生したのはロシア革命が外国干渉軍や内戦や飢饉などによって、革命前よりも経済的に疲弊し、餓死者さえ産むようになった現実の中でロシア人民の革命的情熱が後退し、意識が防衛的になったからであるとトロツキストは説明します。「一国主義」はその点でまことにスターリニストには都合がいい「戦略」です。ロシア革命が孤立し、ヨーロッパの他の諸国での革命闘争が頓挫した現実の中で、外の世界にかかずらわる事なく、国内のことだけ考えればよいからです。つまり、スターリニズムとは人々の後退的な萎縮した意識に依拠した「共産主義の中の反動的な傾向」であるという事です。だから、一国主義的孤立のなかで、平和共存体制のなかで、それは一定の「存在理由」を得てきました。また革命的闘争をある程度は支援しながらも、それが勝利して人民の意識が積極的・革命的になることを危険視する。これがスターリニズムの「本質」だと思うのです。したがってトロツキストがスターリン主義打倒のために一番効果があると考えてきたのは、革命的情勢を作り出すこと、人々の積極的で革命的な意識を作り出すことでした。意識を解放させること!これがスターリニズムを相対的に後退させる条件であると考えているのです。

●内ゲバとスターリニズム
今見てきたように、スターリニズムとは「共産主義の中の一傾向」です。だから共産主義者でなければ「スターリニスト」と呼ばれる資格はありません。したがって私は「共産主義者」またはそれに近い人々の内ゲバのみを「スターリニズム」と言っているのです。「内ゲバがスターリニズムだというなら宗教や民族や政府や軍隊での内ゲバも、世の中の内ゲバはみんなスターリニズムなのか?」という黒目さんの指摘はかなり拡大したものといえます。それはちょうど「黒目さんが男だというなら世の中の男はみんな黒目さんなのか?」という質問に等しい拡大解釈です。あとで述べますが、拡大解釈は議論をあいまいにするものとなると思います。

----------------------------------------------------------------------------
RE;個別的に具体的に詳細に見る 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月18日(月)08時41分06秒

>一同窓生さま すばやいレス、ありがとうございました。で、わたしも眠い目をこすってすばやく、いえ、あわただしく(笑)。

 個別経験の彫り返しの意義は、わたし少しも否定いたしません。それどころか、ここでのご論議には、「青葉城」にせよ「三里塚」にせよ、たいへん触発されております。それらに触れることなしには、小西さんからの宿題にレポートを出すつもりになどなれなかったことはたしかでございます。それが「30年前と同じ」では、小西先生のお点もきっと「不可」でしょうね(苦笑)。
 
 でも、と少し逆らってみたりするのですけど、「一般論、抽象論レベルではすでに60〜70年代に出尽くしたという事情」は、本当でございましょうか? たとえばご指摘にもありますように、「初歩的な多党制=複数政党制だってほとんど議論されてないわけです」よね。それどころか、周辺にころがっている「民主主義」だって、あれほど濫用された「プロレタリア/プロレタリアート」さえ、実のところ何をもってそう語っていたのか定かではないとわたし思うのです。いえ、ここのご論議で肝心の「スターリン主義」がそもそもそうでございましょう?
 
> そうした新しい個別・具体・詳細から次に見えてくるものは何かと、一般・抽象・大枠
>(大雑把じゃ困る)の方向に向かうと少しは前向きの議論ができるのではないでしょうか、

 おっしゃるところ大賛成でございます。わたしには不得手なところでもございますし、その意味でも、ご展開に期待させていただきたく思っております。
----------------------------------------------------------------------------
出版社が抜けていました 投稿者:黒パン  投稿日: 2月18日(月)08時17分24秒

 大月書店です。

 数年前から旧ソ連の秘密資料の一部が閲覧できるようになり、これからも
様々な領域での研究と「事実」の解明がすすむようです。
----------------------------------------------------------------------------
ソ連極秘資料集・続 投稿者:黒パン  投稿日: 2月18日(月)07時51分08秒

《第2部》 テロ
■第7章 敵の顔--1936年
トロツキストについてのヴィシンスキイからスターリンへの書簡 1936年3月/中央委非公開書簡「トロツキスト=ジノーヴィエフ派反革命ブロックのテロ活動について」 1936年7月/政治局決定「反革命トロツキスト=ジノーヴィエフ派分子の処遇について」 1936年9月/エジョフ任命についてのカガノーヴィチからオルジョニキーゼへの手紙 1936年9月/ソコーリニコフの追放に賛成するピャタコーフからスターリンへの電報 1936年7月/他
■第8章 潮の変わり目
1936年12月の中央委総会でのエジョフ、ブハーリン、ルイコフ、モロトフ、カガノーヴィチらの発言/1936年12月の中央委総会でのサルキーソフとブハーリンの応酬/1936年12月の中央委総会でのスターリンの発言抄録/他
■第9章 暗雲せまる
同志シェボルダーエフの解任にかんするアゾフ・黒海地方委の決議 1937年1月/党アゾフ・黒海地方委決定「党除名者の不服申し立ての審査手続きについて」 1937年2月/ポースティシェフのキエフからの解任にかんするスターリンの電報 1937年1月/他
■第10章 党規律とブハーリン失脚
ブハーリンの政治局あて声明文 1937年2月/1937年2〜3月の中央委総会でのブハーリンの発言/1937年2〜3月の中央委総会でのルイコフ、ヴォロシーロフ、アンドレーエフ、モロトフ、カリーニン、ヤゴダ、チュバーリ、ジューコフ、カガノーヴィチらの発言/1937年2〜3月の中央委総会でのブハーリンの2度目の発言/ブハーリンとルイコフの事件にかんする中央委員会小委員会の会議議事録 1937年2月/他
■第11章 1937年のあらし--党の自殺
「日本=ドイツ=トロツキストの手先による破壊・妨害・スパイ活動からの教訓」にかんする1937年2〜3月のVKP(b)中央委総会決議/政治局のヤゴダ逮捕決定 1937年3月〜4月/ルズタークとトゥハチェーフスキイの追放にかんする政治局決定 1937年5月/エジョフへのレーニン勲章授与にかんする政治局決定 1937年7月/農業裁判にかんするスターリンの書簡 1937年8月/GULAG囚人の抗議の手紙 1937年3月/他
■第12章 テロの終結--1938年
政治局決定「反ソ分子について」 1938年1月/党員追放にかんする赤軍の通達 1938年2月/エジョフのスターリンあて辞意表明書簡 1938年11月/NKVD特審部にかんするヴィシンスキイのスターリンあて書簡 1939年4月/NKVDの収容所にかんする政治局決定 1939年6月/ベリヤのモロトフあて書簡 1939年12月/他
■第13章 2人のボリシェヴィキ
ブハーリンのスターリンあて書簡 1937年12月10日/ソ連最高裁でのエジョフの最終陳述 1940年2月3日

□付録1 テロの犠牲者数
□付録2 主要人物略歴
索引
刊行年月日:2001/10/19
----------------------------------------------------------------------------
「週刊読書人」1月18日の書評で刊行を知ったのですが 投稿者:黒パン  投稿日:2月18日(月)07時50分33秒

 内田健二という大東文化大のソ連政治史の教員は本書を批判的に紹介していました。
孫引きですが、本書の要旨は
「大テロルに至る紆余曲折を考える際、基本計画や穏健派ブロックの存在を想定するのではなく、集団間の利害対立に起因したダイナミズムに注目すべき…」
 内田は本書の著者はスターリンも他の要素と同程度の重要度でしかとらえないという点で本書を批判しています。

『ソ連極秘資料集 大粛清への道−スターリンとボリシェヴィキの自壊 
1932-1939年 』
 ISBN:4-272-53038-0 本体価格:\15,000-
判型:A5 ページ:720
アーチ・ゲッティ/オレグ・ナウモフ 編、川上 洸/萩原 直 訳編/Arch Getty,Oreg V. Naumov
原著名/The Road to Terror: Stalin and the Self-Destruction of the Bolsheviks, 1932-1939初公開の極秘資料で明らかとなる大粛清の内幕
ソ連共産党は,なぜかくも多くの犠牲者をその隊列から生み出さざるをえなかったのか。鍛え上げられた,志操堅固な革命家の多くが,なぜみずからを「敵のスパイ」だと証言して,スターリンの前に首を差し出したのか。20世紀最大の謎を解く衝撃の資料集。ソ連とアメリカの最高スタッフによる厳密な校訂を経た学術的価値の高い資料集シリーズ「共産主義の記録」(Annals of Communism)の1冊。テロによる犠牲者の数についての科学的な検討を加えた論文も収録。
【目次】 
《第1部》 隊列をかためて
■第1章 新情勢――1930〜32年
党中央委・中央統制委合同総会でのブハーリンの発言 1930年12月/他
■第2章 1932年の党規律
1933年1月7〜12日の中央委総会でのスミルノーフ、ルズターク、ブハーリン、ヴォロシーロフらの発言/他
■第3章 弾圧と法的根拠
図書追放にかんする中央委員会通達 1933年6月/「党の粛清について」 1933年4月/他
■第4章 緊張激化の1935年
キーロフ暗殺にかんする中央委員会の秘密書簡 1935年1月/政治局議事録 NKVD設置令の検討をエジョフに委任 1935年3月/1935年6月6日の中央委総会でのエジョフ、エヌキーゼ、ヤゴダ、カガノーヴィチの発言/図書館から撤去さるべきトロツキイ=ジノーヴィエフ一派関連文献 1935年6月/他
■第5章 党員のふるいわけ
トロツキストにかんするイヴァーノヴォNKVDの報告 1935年12月/スタハーノフ運動反対のリーフレットにかんするNKVDの調査報告 1935年11月/他
■第6章 わかれ道
ソ連司法人民委員部の設置 1936年7月/1936年6月3日のVKP(b)中央委総会の諸文書/他

----------------------------------------------------------------------------
個別的に具体的に詳細に見る 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月18日(月)07時09分30秒

ということが大事という点ですが、補足します。菊さんもたしかそういう主旨のこと言ってましたね。昔の新左翼はその意味では対極でした。新左翼ではないと称した第四インターもその点では同じでしたね。個別・具体・詳細の対局は一般的で抽象的で大雑把ということになりますかね。要は何を言いたいのかよくわからない(代表は「解放6号論文」?失礼!)。雰囲気と気分だけはわかるけど、といったところでしょうか。

個別・具体・詳細の好例はたとえば青葉城会戦。赤の側と青の側から個別・具体が詳細に語られると、どの本にも書いていない話なので新事実が出てきて新たに考えることが出てきます。小西さんや白井さんの中核派体験、生田さんのブント体験なども封印されていた話が出てきてるわけで刺激が強いですね。その結果、考える。菊さんの四トロ体験からも、他の方にとっては、「えーそうだったの」、というところもあろうと思います。日本支部と統一書記局との温度差だとか三里塚に向かう過程の組織内温度差だとか、表にはなかなか出てこない話で、そこから新たな認識が生まれるかもしれません。

そうした新しい個別・具体・詳細から次に見えてくるものは何かと、一般・抽象・大枠(大雑把じゃ困る)の方向に向かうと少しは前向きの議論ができるのではないでしょうか、というのが私の言いたいところです。一般論、抽象論レベルではすでに60〜70年代に出尽くしたという事情もあります。鬼薔薇さんが『「民主主義」それ自体がひとつの矛盾であるという理解を内蔵しているかどうかに尽きる』と言われても、思弁的で抽象的で説得力が弱い、30年前と同じだ、という感想を持たざるをえないわけです。

マルクス主義の古典をひっくり返しても、そのままで現代の諸課題に対する答えが出てくるとは思えません。たとえばソ連邦の崩壊、たとえばインターネット(1994年ごろ?)の出現、古典の時代には無い大きな画期があっての現在ですから、古典に何かの示唆をみつけ、それ以降人類が経験した諸事象=個別・具体・詳細と照らし合わせた考証というのが良いと思いますね。むづかしいけど、井戸端会議風にでもダベるというところにこの掲示板の意義があると思うわけです。

鬼薔薇さん提案のユーゴの議論ですが、というよりはその前に「プロレリア民主主義」の中身、実は原理論だけだったのか、内実の構想があったのか(考えたのか)、空文句だったのか、というところが先だと思います。初歩的な多党制=複数政党制だってほとんど議論されてないわけですし、そのほうがこの間の内ゲバ論議の流れにそっていると思いますね。

----------------------------------------------------------------------------
民主主義のこと・番外:スターリン主義について(4) 投稿者:鬼薔薇  投稿
日: 2月18日(月)06時43分14秒

 スターリン主義が特異な革命思想として普遍性をもったと申しました。旧ソ連崩壊後もその根はなお生きております。「党組織」もまた、この普遍的イデオロギーに根拠をもっていたのであり、これに対して「党内民主主義」を対置するだけでは革命的批判たりえぬと存じます。「トロツキズム」はこの点、やはり「反対派」思想にとどまったのではないでしょうか。
 
 「トロツキズム」は本来「分派」を容認する、だから「民主的」とのご説明があり、その論拠に『ウィーン・プラウダ』期のトロツキーのボルシェビキ批判や、後の第4インタナショナルの組織方針が示されました。けれどもそれらで言われる「分派の容認」は、原理的に検討されたものというより、それぞれの時期の組織の実情、前者で言えばロシア社会民主労働党を、後者で言えば「第4インタナショナル」という国際組織を、いくつもに割れていた各派を統合〜統一しようとしたときの現実選択として採用された方針だったのではございませんか。日本で言えば、六全協後の共産党再統一や60年代半ばの「ブント再建」なども、これに類する組織再編であったと考えられます。
 
 わたし、問題を原理的に考え詰めるほどアタマ良くございませんし(笑)、それに組織など所詮は手段、革命党は革命の道具にすぎないと、ごくプラグマティックに考えるタチですので、ある条件の制約下で採られた選択というものを軽視いたしません。ただ、その前提条件が大事だと思うのでございます。その選択がもっていた現実性を捨象してあたかも普遍的な「原理」のように語り、スターリン主義組織の「非民主性」に対して「民主的」と主張してみても、党派的正当性の主張にはなっても今の議論のベースとはなりにくいように思うのですね。
 
 スターリン主義組織内部の「非民主性」というのは、その統制的「社会主義」像に規定されたものとわたし考えます。国家統制的社会像は、政府の絶対的正当性を属性といたします。一国家には一政府しかございませんから、それが絶対化されれば、その政府を担う「党」もまた「唯一」のもので十分、というか「唯一」でなければならないとする帰結に至るのは論理的にごく自然でございましょう。スターリン主義はその理論的根拠として、マルクス主義の伝統を引いて「労働者階級」の唯一性を置きました。その権力は「労働者階級」の構成する権力であり、他の諸階級に優越してそれらに「独裁」を行使するものと位置付けられました。これに反対するものは、論理必然的に「労働者階級の敵」であり、それが構成する革命権力に敵対するのですから「反革命」と規定されるのも論理必然的でございましょう。
 
 スターリン体制の重要な特徴に「階級闘争激化論」というものがございました。労働者階級の権力が強化されればされるほど、それに敵対する階級の抵抗も強まり、それとの「階級闘争」が激化するというこの特異な“理論”こそ、「国家」を「死滅」とは逆方向へ永久化するものであったと存じます。ある意味それは「永久革命」論だったとも申せましょう。毛沢東権力が「文化大革命」で採用したのもまさしくこの論理、その意味で「毛沢東思想」なるものも中国的スターリン主義だったことにまちがいはございません。この「文革」も「プロレタリア」という形容詞を冠しておりましたように、「プロレタリア(労働者)階級」という特異な概念が「権力」の主体として観念されていたことに目を止めておきたく思います。
 
 「階級」というのは「社会階級」と言われるとおり、本来は「社会的」な存在概念でございます。それに対して「権力」というのは政治的概念ですね。「(プロレタリア)階級」を政治的概念に純化してみせたところが、スターリン主義の基本的な特徴だったのではないでしょうか。そうだとすれば、スターリン主義に対する革命的批判は、この「プロレタリア階級」概念の再検討を避けられぬ課題とするはずでございます。「プロレタリア民主主義」もまた、この検討のなかではじめて定立できるテーマとわたし考えます。
 
 ここで、「政治」と「社会」との二重性の視点を導入することが必要と存じます。実はこれ、マルクスがヘーゲルから受け取り豊富化した基本視点でございました。レーニンはそれを彼なりに理解していたと存じます。今も生き残るスターリン主義の根を掘り崩す鍵をここに見定めて考えを進めてみてはと思うのでございます。

----------------------------------------------------------------------------
追記 投稿者:臨夏  投稿日: 2月18日(月)04時10分57秒

スターリン主義も、その解釈として、
歴史的経験的な概念と、
理論的思弁的な概念とを、
わけて話すべき、とまとめておきます。

----------------------------------------------------------------------------
スターリニズム雑感 投稿者:臨夏  投稿日: 2月18日(月)04時07分32秒

横から失礼します。

スターリン主義は、始めはスターリン個人の人格と密接にかかわる、
または一国社会主義路線などを直接指す概念やったわけですが、

当座の歴史事情も過ぎ去ったことですし、そこから抽出された、
もっと普遍的な、幅広い概念、としてとらえることも、また可能であると思います。
かならずしも、系譜論とかにかか煩うのでなく。

しかし、混乱の原因は、ロシア革命後の社会科学や政治が、
口では「反スタ」を怒号しながら、地道なスタ研究を怠ってきた
(、とわたしは考えています)ことにあるのではないでしょうか。
そやから、「定義」問題で、理論的基礎作りのできて無さが露呈する。

科学と政治の交流の不完全さなんかも、原因かも。
失礼しました、議論お続けください。

----------------------------------------------------------------------------
二元論 投稿者:土日のトロツキスト  投稿日: 2月18日(月)03時21分18秒

>「内ゲバ」をスターリン主義の中にいれよう、などという話には、唖然とせざるを得ないの>です。

という黒目さんに同感です。

アメリカのブラックムスリム間の内部抗争までがスターリン主義のせいにされかかったのにはもっと唖然としましたが。

かつてJRCLは新左翼に対して、新左翼中間主義というレッテルを貼ってきました。中間主義というのはトロツキズムとスターリニズムの間にあるからという理由でしたが。この唖然とする属人主義プラス二元論を『かけはし』もひきずっているのかもしれませんね。これは、ブッシュのjustice対axis of evilという二元論とあんまりかわりがない。

かつて中核派の知人が、「紙には裏と表しかない。戦争の時代には革命か反革命しかいないんだ。」といってました。「自分の中のカクマルと闘っているんだ。」ともいってました。これも同じ善悪二元論でしょうね。

私も内ゲバをスターリン主義の問題だとは思いません。ブラックムスリム間の内部抗争、紅衛兵間の内ゲバやポルポトの粛清、ベトナム共産党のカンボジア侵攻は彼らがスターリン主義を信奉していたから起こったのでしょうか?こうした政治潮流間の武力抗争は現代でも、ソマリア内戦やイスラム間対立などのように形を変えて現れていると思います。

トロツキーもスターリンも矛盾に満ちた単なる歴史上の二人の人間にすぎないのに、どうして善玉と悪玉の代表に奉られて、あらゆる政治傾向がこの二つに分類されてしまうのか?そのフェティッシュな思考回路も内ゲバの源泉ではないのかとも思います。

----------------------------------------------------------------------------
労働者自主管理 投稿者:菊  投稿日: 2月17日(日)22時31分13秒

毎月やっている勉強会で、たまたま先月ユーゴスラビアの「労働者自主管理」が話題になりました。

老先生:70年代前半にちょうどメキシコにいた時に、政治学者の国際会議がメキシコで開かれたんですよ。その時にベオグラード大学の学長と話をしたんですね。
「お国では労働者自主管理ということで、日本でも学者をはじめ、ずいぶん注目していますよ」と私がいったら、彼が「社会主義なんてとんでもない。政府にも大学にもお金がなくて必死になって自分たちでやりくりしているんですよ。それが自主管理だなんてねえ」と真顔でいうんですね。正直いって、びっくりした。振り返ってみると、日本の左翼ははやりもののように欧米から思想を担いできて、自分たちに都合のいいように利用した面があるんではないかと思いますね。菊さんのトロツキーはどうですか?
私:いやいや。
老先生のお連れ合い:そういうあなただって、40年間東大で欧米の思想かついできてこれをみろ、どうだってやってたんじゃないの。
老先生:いやいや。

----------------------------------------------------------------------------
百万倍 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月17日(日)18時30分20秒

>一同窓生さま コメントありがとうございます。

 2倍とか10倍とかなら「量」の差でしょうけど、百万倍ともなれば(いえ、100倍といたしましても)もはや「質」の差の問題、つまりまるで別物ということになりましょうね。

> 鬼薔薇さんのいう、プロレタリア民主主義が『「民主主義」それ自体がひとつの矛盾である
>という理解を内蔵しているかどうかに尽きる』というのは説得性がちょっとという感じがしま
>す。「理解を内臓」という表現にあるように極めて思弁的で抽象的なので、正しいかどうか
>というより説得性が低い(人が寄ってこない)という意味ですが。

 「理解を内蔵する」という文言でしたら、「〜を原理とする」と言い換えてもよろしいのですけど、たしかにわたしここで「思弁」を弄しております。まぁ「プロレタリア独裁国家」が「死滅する国家」という点でそれ以前のあらゆる国家と質的に異なる、というエンゲルス・レーニン説もまた「思弁」であったかとは思いますけど(笑)。

>もっと個別・具体・詳細に論じる必要があると思いますね。

 ですね。ではお任せいたしますので、ぜひご展開よろしくどうぞ。勉強させていただきます。
 
 「労働者自主管理」なら、旧ユーゴスラビアの経験とその末路を検証が必要となりましょう。あの連邦共和国の崩壊は、旧ソ連やその衛生国の解体とちがい、「スターリン主義」ではなく「社会主義」そのものの敗北であったと思われ、それだけにいっそう深刻な人類史的経験であったかと存じます。
 
 第4インターでは、旧ユーゴとあの党(共産主義者同盟)については、どのように評価されていたのでしょうか? よろしければ統一書記局の見解などご教示いただければ嬉しく存じます。

----------------------------------------------------------------------------
訂正、1000倍じゃなくて百万倍でした 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月17日(日)13時50分48秒

「プロレタリア民主主義は、あらゆるブルジョア民主主義の百万倍も民主主義的である」
というのが「プロレタリア革命と背教者カウツキー」(1917年、レーニン)のなかの
有名なフレーズでした。百万倍だって??

レーニンの著書からはこれ以上の内容は引き出せないでしょう。マルクスは行政官の交代制
くらいは言ってましたね。この点、マンデルはより内容を展開して「現代マルクス主義入門」
で下記述べてます。

「労働者国家は、議会制民主主義に基礎を置く国家よりさらに民主主義的である
 だろう。それもその国家が、直接民主主義の領域を強力に押し広げていくだろう
 という理由からである。それは、社会生活の全領域(マス・メディア、保健、
 教育、文化など)を当事者となる市民の自主管理にゆだねることによって、成立
 と同時に死にはじめる国家となるだろう」

要するに自主管理型直接民主主義をプロレタリア民主主義の内実としていますね。そして
国家の死滅。行政官僚の義務的ローテーション、印刷所・ラジオテレビ局・集会所の集団所有、
等々ふれてますが、うーん、どうかなという感じもしますね。

鬼薔薇さんのいう、プロレタリア民主主義が『「民主主義」それ自体がひとつの矛盾である
という理解を内蔵しているかどうかに尽きる』というのは説得性がちょっとという感じがしま
す。「理解を内臓」という表現にあるように極めて思弁的で抽象的なので、正しいかどうか
というより説得性が低い(人が寄ってこない)という意味ですが。

もっと個別・具体・詳細に論じる必要があると思いますね。

----------------------------------------------------------------------------
フォイエルバハ 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月17日(日)11時31分11秒

>臨夏さま 『将来哲学の根本命題』、わたしもたしか買ったはずなのですが....。
 
 『キリスト教の本質』は学生時代に読みました。でも、エンゲルス『空想から科学へ』の節穴越しでしたから、まともに著者に向き合った読み方とは申しかねます。そんな読み方だったからでしょう、内容はすっかり蒸発してしまって(苦笑)。ご案内いただいた表さんのご論稿を拝読したら、また読み直す機会を持ちたいものでございます。
 
 「フォイエルバハ」って、直訳すれば「火川さん」でしょうか? すごいお名前ですよね。
 
 わたし、余所者なのに分不相応なことを書き始めてしまいました。小西さんのせいなのですよ。あんなトンデモの宿題下さるから(笑)。いえ、挑発に乗ったわたしが軽率なのですね。自戒を込めて自己責任、自己責任。「自戒」が「自壊」になったらそれまでといたしましょう。
 
 「挑発には乗る、売られた喧嘩は買う、乗りかかった船からは降りない」って、素敵にカゲキな言葉を吐いたのは、え〜と、どなたでしたかしら。わたしにはとてもマネできませんけど。
 
 ではまた。(^^)/~

----------------------------------------------------------------------------
詳しい解説、ありがとうございます 投稿者:黒目  投稿日: 2月17日(日)11時09分39秒

 まさに、鬼薔薇さんに示してもらったような内容が、我が国の新左翼における、「スターリン主義」というものの内容であると思います。んで、一国革命ではなく世界革命路線を採用することで、既存社会主義国家で生じた諸々の矛盾が解決するかのような、語られ方をしてきてしまった、という事があると思います。中央集権党の問題、特権階層化した官僚の問題、政治的自由の問題、計画経済が生産的なものとして機能しない、という問題などなど。で、俗的に、これらの問題を「スターリン主義」と呼ぶ、という事は確かにされてきましたが、新左翼の業界用語としての「スターリン主義」という語の意味を拡張しよう、というような議論がなされた、というような話は、私はちょっと思い当たりません。
ましてや、「内ゲバ」をスターリン主義の中にいれよう、などという話には、唖然とせざるを得ないのです。

----------------------------------------------------------------------------
民主主義のこと・番外:スターリン主義について(3) 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月17日(日)01時22分41秒

「スターリン主義」とは、なによりも「国家」の思想、その特殊な一類型でございます。「国家」の問題を含まぬような一切の「スターリン主義批
判」は、マルクス主義的批判=革命的批判とは申せません。そして、こ“「国家」の思想”の帰結として「党」組織の姿があるので、決してその逆ではございません。....などと、のっけから断定的に申すのはわたしらしくないかもしれませんけど(苦笑)。
 
 “「国家」の思想”とは、良い国家権力による良い政策が良い生活を人民にもたらすとする思想でございます。これだけなら資本制国家思想にも共通ではございましょう。選挙で選ばれる政党の議員は、わが党こそ選挙民に良い生活をもたらすことを競ってアピールし、多数を獲得した政党が政権を構成いたします。ただし、資本制を前提にする以上、政治国家が直接に規定できることは限られており、たとえば商品の価格など、特定のものを除けば市場の決定に委ねられます。労働力商品の価格である賃金もまた、労働市場で決定されることを前提とし、その商品経済法則がより「公正」に貫徹されるよう一定の法的ルール(例えば労働法)が用意されるにすぎません。この法的ルールの上で、労働者は団結権、交渉権、争議権などを保証され(といってもそれ自体闘いの結果でございますが)、賃金その他の労働条件を労資交渉で決定いたします。それがたとえ「戦闘的」に行なわれたとしても、その限りでは資本制の論理次元に添ったもので、「革命的」とはなりません。そこを錯覚すれば「経済主義」となりましょう。
 
 では、社会主義革命で資本制が廃絶され、資本家という「支配階級」がいなくなったらどうなるか。そのとき国家権力は(旧支配階級の残存勢力を抑圧する以外)階級支配の道具ではなくなり、人民との矛盾は原理的に消滅するでしょうか? これに対して「しかり」と肯定的に答える立場がすなわち「スターリン主義」にほかなりません。
 
 たとえば最低賃金額を法にもとづいて決め、経営者に罰則付きで強制する最低賃金制がございますが、かつて日本共産党はこれについて「一家4人が食べられる最低賃金」という政策を掲げました。でも「一家4人が食べられる」水準ならもはや最低賃金ではなく標準賃金というべきもの、それが法=国家によって保障されるなら、団体交渉など無用となりましょう。これは統制賃金制にほかなりません。政権獲得前からこのような政策を主張する政党が権力を掌握したなら、経済・社会全体が国家によって統制される世の中となるのは必定と申すべく、このような権力は「死滅」などできぬどころか、永久に存続すべき権力であるほかございません。その権力が「死滅」すれば社会そのものが崩壊するほかないこと、旧ソ連の崩壊はそれを例証する世界史的事件でございました。「良い権力」の「良い政策」によって「良い暮し」を(自らは何もすることなく)保障されて幸せであるのが「良い人民」ということに相成ります。つまり、「国家」が主体で「人民」は客体、そのように「矛盾」なく組織され統制される社会が、スターリン主義の構想する「社会主義社会」でございます。
 
 実はこれは、スターリン主義に限られたものでもございません。ファシズムもまた「国家社会主義」を標榜し、統制経済制度を創りました。旧植民地諸国が独立して現れた戦後諸国家も、後に「開発独裁」と呼ばれる統制経済制度を採用いたしました。けれども、戦時統制経済は戦争終結とともに終り、開発独裁は経済成長を達成した後は民主制に移行するのに対し、スターリン主義の特異性は、それを永久化することを政治イデオロギーとして体系化したことにございます。このイデオロギーは、現実に政権を掌握したソ連の国内に限定されず、ひとつの「革命思想」として普遍的な性格を獲得いたしました。「民主主義の伝統」があるヨーロッパ諸国(たとえばフランスなど)で共産党が大きな影響力を持ち得たのは、このイデオロギーの普遍性を示したものといわねばなりません。スターリン主義をロシア社会の後進性の産物(「ロシアマルクス主義」)と性格付けるのは、この点で正鵠を得たものとは言えぬと存じます。
 
 いささか疲れましたので続きはまた。おやすみなさいませ>ALL

----------------------------------------------------------------------------
民主主義のこと・番外:スターリン主義について(2) 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月17日(日)00時49分28秒

 晩年のレーニンがしみじみ述懐したように、ブルジョア文化の最良の遺産を社会主義は継承しなければなりません。それを「ブルジョア的」などと蔑視したところでローザおばさまがあれほど忌み嫌った「野蛮」の左翼版にしかならぬこと、特に「内ゲバ」を考える上で看過できぬ点ではございます。『検証』本の生田レポートは、旧関西ブンド系集団における「野蛮」の相を生々しく伝えておりました。
 けれども、そうした左翼的「野蛮」にブルジョア民主主義のすでに宣言した形式原則を対置してみたところでなにか積極的な展望が拓けるでしょうか。そもそもそうした「野蛮」が生じた理由を解明できるでしょうか(ここで「トロツキズム」が身に付いていなかったから、というのはナシにしてくださいませね(笑)>せみまるさま)。そしてそれは、「スターリン主義」に対する根源的批判といえるのでしょうか。そもそも「プロレタリア民主主義」を根拠付ける道(これをわたし「展望」というのですけど)は、どこに契機をみいだせるのでしょう。“こうなればいいな”、“ああなってほしい”とかの「願望」をあれこれ語るために時間を割いているわけでなければ、これらに解答を用意せねばなりません。
 
 「議論の方法を変える必要」と申しました。それは、一連の議論の脈絡からして、「スターリン主義」を主題化する方法でなければなりません。それはまた、「民主主義」の議論に「権力」の問題を位置付け直すことでもございます。実際、「ブルジョア民主主義」を根拠付けている基本概念「人権」とは、「国権(国家権力)」に対する「人民の権利」にほかならず、それを「革命権」に結びつければ「人民の権力」のこととなるはず。「ブルジョア民主主義」と申しますけれども、(アメリカ某州憲法に明記されていると聞きます)「革命をやる権利」までも含まれでいることを、まずは念頭におきたく思います。
 
 では、「プロレタリア民主主義」は、そんな「ブルジョア民主主義」とどこで原理的に区別されるのでしょうか。それは「民主性」の度合い(100倍とか1000倍とか)などにあるのではなく、「民主主義」それ自体がひとつの矛盾であるという理解を内蔵しているかどうかに尽きるとわたし考えます。ブルジョア民主主義というのは、制度である以上にひとつの歴史的イデオロギーでございます。このイデオロギーによれば、「民主主義」は最高の価値を持つものとして人類史の未来へ永遠化されております。ここに矛盾などございません。
 
 「民主主義」を矛盾とする理解に立てば、「民主主義」は永遠なものではなく、やがて死すべきものと捉えられます。「人権」が「国権」に対するものであることからわかりますように、「民主主義」は「国家」を前提にしているのに対し、「プロレタリア革命」とは、まさしくこの「国家」の廃絶を自覚的に遂行する革命だからにほかなりません。この「国家の廃絶」を遂行する過程での過渡期における国家とは何かをめぐって、マルクス主義と無政府主義が原理的に分岐したことは教科書にあるとおりですが、この過渡期国家=プロレタリア独裁権力は、自らの死を自ら意識的に用意する特殊な「国家」(「半国家」)であり、そこに実現される「民主主義」もまた、この「国家」が死滅へ向かうにつれて、ブルジョア民主主義の遺産をより多く実現しつつ、その自己実現のあかつきに、「民主主義」であることを止める(もはや「国家」がない以上、「民主主義」もまたありえない)存在ということになる、----これがレーニンが『国家と革命』という未完のパンフレットで語った「民主主義もひとつの矛盾」という叙述の真意ではなかったのでしょうか。わたし、とりあえずこのように理解しております。
 
 もちろんこの議論、「プロレタリア独裁」肯定の立場からのものですので、アナキズム系の方々からご賛同いただけるとは思いませんが、このように考える視点から、では「スターリン主義」とは何か、という論題に立ち返りたく存じます。そこで初めて、「スターリン主義」に対する部分的、表層的、現象的、プチブル的、ないものねだり的、生理的嫌悪的、その他あれこれ的「批判」を超える革命的批判の地平をようやくにして指し覗くところへたどり着けるのではないかと、----まあ、これまた主観的願望にすぎぬといわれればたしかにそうなのではございますけど(苦笑)。

----------------------------------------------------------------------------
民主主義のこと・番外:スターリン主義について(1) 投稿者:鬼薔薇  投日: 2月17日(日)00時46分03秒

>鬼薔薇さん、ご配慮ありがとうございます。ただ、いまのままではどうにもならないと思
>うので、もうすこし続けていこうと思います。落ち着いて冷静にいきましょう。(^^)

 ごていねいにどうも>せみまるさま。
 わたしがお呼びかけしたのは「アタマを冷やして」ということだけですので、「落ちついて冷静に」と受けとめていただけた以上、後はお心ゆくまでご存分にどうぞ。(^^)
 
 さて今回のお書き込み、それ以上にわたし前向きのものと読ませていただきました。「スターリン主義」について、これまでより1歩も2歩も踏み込んで書かれていると思うためでございます。これまでのせみまるさんのご発言で「スターリン主義」は万国共通・世界普遍的なのっぺり顔だったのに対し、目鼻立ちが見え始めたと思うのですね。
 
 まず、『検証内ゲバ』から始まった論議経緯に適切なまとめをしてくださいました。
@従来の新左翼の「スターリン主義」批判は「革命路線問題」→「一国社会主義」批判のみ
A『検証』:@で欠落していた「組織論」批判をあらためて俎上に→「唯一前衛党」論批判
Bその「唯一前衛党」論批判の深化としての「民主主義」問題(小西さんご提起)
  →「党内民主主義」(「分派の自由」、「個人の権利」)、「複数政党制」、「人権」
  
 このあたりで「トロツキズム含有量」のほうへ話が逸れていったきらいございますが、そこから「スターリン主義」とは何かが焦点にのぼってきたとわたし理解しております。

 今回おまとめの結論部分。 
>「党内民主主義」の問題を正しく「スターリニズム批判」としておこなうのでなければ
>「スターリニズムを超えられない」という意識にわれわれは到達しようとしているのでは
>ないでしょうか? ----中略----とりあえず「党内民主主義」の問題も「スターリニズム
>の問題である事実」を受け入れる事が、スターリニズムを超えた民主的な大衆運動を形成
>していく事になる、と私は思います。

 せっかくでございますが、ここには大きな混乱があると存じます。「党内民主主義」は党内問題、対して「民主な大衆運動」の形成は「民主化」(あらま、民青語だわ)された「党」の機能の問題、まったく次元の違う性質の問題が、“〜事が〜事になる”と自動連結され一緒に論じられているのですね。混乱と申すゆえんでございます。

 論理の混乱だけなら整理すればよろしいことですけど、問題はもっと深刻とわたし考えます。こうした自動連結を想定するのは、視点を変えれば「大衆運動」の成否は「党」にかかっている、「党」さえなんとかすれば「大衆運動」の問題は解決する、という論理になりませんでしょうか? そうであれば、依然として「前衛主義」という枠組のなかにあるという批判は(たとえばアナ系の方々などから)避けられぬことと思います。ダメな前衛など大衆運動が見捨てるという回路、大衆運動の側の選択というものへ視野がとられていない点、決定的に不満でございます。ここでは、「党」と「大衆運動」とのあいだに形成されるべき関係の「民主性」が視野の外に置かれていると申さねばなりません。
 
 同時に、党内問題に限られた「民主主義」の内容は、きわめて手続き的、制度的な話に切り詰められてしまいます。「分派の自由」「言論の自由」「個人の権利」、いずれも軽視すべからざる大事な問題にはちがいございませんが、それだけとれば「ブルジョア民主主義」の形式原則を適用すればすむ性質のことばかりでございましょう。それに「プロレタリア」という形容詞を冠してみても、それは「左翼」という自意識の表明にすぎず、ここに固有の「プロレタリア民主主義」の内実らしいものは出てきようもないと存じます。
 
 議論の方法をどこかで変える必要を強く感じる次第でございます。

----------------------------------------------------------------------------
20周年記念事業 投稿者:アラブ復興車界党  投稿日: 2月16日(土)22時51分32秒

 議論の最中に失礼します。 山口県上関町原子力発電所の計画が明らかになって20年になります。 「上関原発を建てさせない祝島島民の会」では20周年記念事業として原発を拒否する人々の拠点として「集いの場」建設を企画し、協力を呼びかけています。 詳細は下記のホームページへ。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~jf-iwai/tudoinoba.htm

----------------------------------------------------------------------------
スターリニズムの定義 投稿者:一同窓生  投稿日: 2月16日(土)22時36分31秒

黒目さんがスターリン主義の定義を所望してましたので、世間一般の捉え方を探ってみました。
その結果、平凡社デジタル百科事典がなかなか一般的と思われますので、議論の交通整理、方向
づけになると思いコピペします。

以下「スターリン主義」の項引用

-----------------------------------------------------------------------------------------

ソビエト共産党書記長になったスターリンによってもたらされた思想・体制・政策の総称。

この呼称はトロツキーと彼の支持者が,レーニン死後のスターリン指導下のソビエト体制を批判的に論ずる時に使用したものであるが,スターリン批判(1956)以降は西側世でも否定的意味をこめて,より広義に使われるようになった。

スターリンは遅れたロシアでの社会主義建設を強行するために,急速な工業化と農業の集団化を至上目標に,農民をはじめ国民各層を力で抑えつける政策をとり,国民の強い不満をかった。そこでスターリン指導下の党は国家権力と一体化して,社会全体の改造を図り,党内反対派や農民,知識人などの人民に対するテロルを行った(大粛清)。

また,スターリンはコミンテルンやコミンフォルムなどの国際共産主義運動の思想や行動にも影響を与え,最初の社会主義国ソビエトの指導の下での各国共産党の活動を求め,自主的活動を制限した。

このようにスターリン主義とは,社会主義国家において支配政党が国家と癒着して,専制的な指導者の機構になった状態を指す。

スターリン主義は権威主義,事大主義的傾向を共産主義運動のうえに生じさせ,国内的には,人民に対するテロリズムの体制,党による強圧的な指導体制を,国際的には,ソビエトの一国社会主義によるナショナリズムをもたらした。この結果,国民の自主的活動は抑えられ,経済発展が遅れ,隣接社会主義国との関係にも緊張状態が生じた。

スターリン主義の評価については,レーニンの社会主義に対する理念や組織とどう関連するかを論議するもの,ロシアの後進性やスターリンの個人的性向や指導の特質の側面を重視する見解などがある。また,中国のようにスターリンの思想や行動の積極的側面を評価するものもあるなど,その内容の理解には多くの議論がある。

----------------------------------------------------------------------------
「常識」をくつがえす為には、相応の説明が必要では? 投稿者:黒目@反トロ教条主義(ワラ  投稿日: 2月16日(土)21時44分19秒

「信仰の自由」の領域に含まれる部分については、踏み込みたくはないのですが(ワラ
理由も理屈も到底理解しがたい事を「とりあえず受け入れる」などという事を、私は死んでもいたしません。

例えば、中核派・革マル派は「反スターリン主義」という事を言います。で、第4インターは、この2派はスターリン主義である、という。で、ここで、「スターリン主義」という言葉の指す、意味内容が、この両者の間で、異なるものを指す言葉である事がわかる訳です。
で、この出自を同じくする組織で、同一の語に対する、異なる解釈が、いつ、なにを契機に、どのようにして発生したのか、という事を説明しなければならないのではないのですか?
私には、否定すべき相手に対して貼られるレッテルとしての「スターリン主義」という言葉が存在し、その意味内容の中に、否定すべき内容、「党内民主主義がない」であるとかが、手前味噌的に付け加えられてきた結果、このような用語の混乱を発生させているようにしか見えません。そうであればこそ、
>●今や黒目さんの「常識」をくつがえす時ではないでしょうか?というような、なにをもってなにをくつがえすのか、一切不明であるとしか言いようのない、「それは宗教の勧誘か?」とでも言うべき、「説教」が語られてしまうのではないでしょうか。

また、党内民主主義の問題、これは「党の人」にとって、目の前にある大きな問題でしょう。しかし、現実に起こった内ゲバの多くは、自らの党の外部の「敵」に対しての攻撃として行われているのではないのでしょうか?運動内部の暴力の問題を、「党内民主主義の問題」に切り縮めて考え得るのは、前衛党が唯一のものである、という状況下でしか意味を持たないのではないでしょうか。その「唯一前衛党」という状態そのものも、ロシア革命の勝利によって、ボルシェビキ派の権威が増大し、他の潮流が衰退した、という特殊な、一時的な状況にすぎない訳ですが。

言うまでもないことですが、>ここで多くの人々が論じている>というのは、その立場の「正しさ」を示すものではないですね。まだ語られていない、多くの事があると思いますが。

----------------------------------------------------------------------------
いくつかの質問への回答 投稿者:せみまる  投稿日: 2月16日(土)15時59分00秒

(1)第四インターが内ゲバに反対を主張しはじめたのはいつか?につい

これはすでに答えているんですが、再度説明すると、むしろ逆なのです。トロツキストはトロツキーが生きている時から内ゲバに対して反対しています。それは1904年の論文や1831年の論文に反映されています。だから、むしろ「内ゲバ」の方があとからやってきて、共産主義者の原則を破壊したのです。それともこれは日本支部についての質問でしょうか? もしも日本支部が「ある時点までは内ゲバに反対ではなかったのではないか」と考えての質問なら、それこそ「トロツキー組織論」に対する一国主義的な理解といえるでしょう。それとも「日本のトロツキストが初めて内ゲバ反対の声明を出したのはいつか?」という質問なら、わかりません。そんな昔には私はまだトロツキーふぁんをやってませんので。「三多摩社青同闘争史」には内ゲバに関係する記述が三つほど見られます。ひとつは社青同解放派の東京地本事件、もうひとつは黒田寛一が警察に共産党員を売ろうとした事件に関する査問、そしてもうひとつはトロツキストの内ゲバです。三多摩での中核派の活動を暴力的に排除したあとで、それが組織内部で問題となり、自己批判書を中核派に提出した事件です。つまり、この当時から「内ゲバ」についての原則を認識していたと考えていいのではないでしょうか。つづきは来週書きます。(^^)

----------------------------------------------------------------------------
内ゲバとスターリニズムについて 投稿者:せみまる  投稿日: 2月16日(土)15時56分55秒

鬼薔薇さん、ご配慮ありがとうございます。ただ、いまのままではどうにもならないと思うので、もうすこし続けていこうと思います。落ち着いて冷静にいきましょう。(^^)

●まず(8)について、皮肉な言い方をやめて正論で解説します。(^^)
結論を言うとね、この議論は日本支部の破産の原因をどこに求めるか、ということなのですよ。黒目さんはそれを「トロツキー組織論そのものの破産」と関連づけようとした。だから私は「それじゃヨーロッパのトロツキストはどうなのだ?」と聞いたわけです。なぜなら、もしも日本支部の破産が「トロツキー組織論の破産」であるならば、それは全世界のトロツキスト運動に適用される問題であり、ヨーロッパではそうなってないのは「トロツキー組織論を採用しなかったからなのか?」という疑問に導かれるからです。つまり「日本支部の破産」を根拠にして「トロツキー組織論」そのものの破産と主張するのは、その組織論に基づいて形成されてきた国際的トロツキスト運動そのものの破産と断定していることになり、無理があるのです。「日本支部の破産」についての私の考えは「トロツキー組織論の正しい運用に失敗したからだ」という事です。これで了解いただけたでしょうか?

●世間一般でのスターリニズムについての認識
黒目さんは「党内民主主義がないという状態はスターリニズムの定義として非常に珍しい語の使用法」と表現し、むしろ「一国社会主義」を中心に捉えようとしていますね。はたしてそうでしょうか?この問題について論じてみましょう。少なくとも、スターリニズムの概念の中に「党内民主主義がない」事を主張するのはトロツキストだけではないし、ここで議論している多くの人々も、日本共産党やソ連共産党に対して民主主義が無いことを指摘していると思います。また世間一般では(反共的立場からの人も含めて)スターリニスト党の党内民主主義の問題は、遙か昔から指摘されてきたのではないでしょうか。それどころか、「さざなみ通信」や、新時代社のむかしの機関紙「世界革命」への投稿に見られるように、現役日本共産党員の中にさえ、党内民主主義の欠如に強く反発する人々がいます。小西さんの中核派への批判を読めば、中核派がスターリニズムについて「一国社会主義」への批判はしていたが党内民主主義への批判は欠落していた事がわかります。つまり、黒目さんの「スターリニズム」に対する認識は中核派と近い水準にあると言えるのではないでしょうか?

●今や黒目さんの「常識」をくつがえす時ではないでしょうか?
多くの「スターリニズムに反対する」党派がスターリニズム批判を「革命戦略」への批判として、つまり一国社会主義批判として捉えており、その意味では黒目さんの意識は当時の「新左翼のあいだでの常識」でした。しかし、「党内民主主義」と「複数主義」についての批判をもたない新左翼諸党派は「党の唯一絶対論」を超えられなかったために「暴力的他党派解体」路線を「我が党派が正しいのだから実行するべき」路線としておこなってきた。それが内ゲバをここまで激化させてきた原因であったと、ここで多くの人々が論じているのではないでしょうか。つまり、「党内民主主義」の問題を正しく「スターリニズム批判」としておこなうのでなければ「スターリニズムを超えられない」という意識にわれわれは到達しようとしているのではないでしょうか? 高島論文をきっかけとした「トロツキズムへの反発」はわかりますが、そうしたものは横においといて、とりあえず「党内民主主義」の問題も「スターリニズムの問題である事実」を受け入れる事が、スターリニズムを超えた民主的な大衆運動を形成していく事になる、と私は思います。

----------------------------------------------------------------------------
フォイエルバッハ追記 投稿者:臨夏  投稿日: 2月16日(土)11時22分41秒

鬼薔薇さま>
わたしが読んだ周辺のフォイエルバッハ文献、
『将来の哲学の根本命題 他二篇』/岩波文庫
書くのわすれてました。

タイトル中、「将来の哲学」、とは、いま成立しつつある、「人間学」のことでしょう。
大幅に私見を加えると、わたしの主張する、人間信仰のことかもです。

この本は、薄いし、箴言集みたいに、一遍一遍の章句が短いので、
大著『キリスト教の本質』なんかより読みやすいです。
それでも難しかったなあ〜、まだ読み直してません。

----------------------------------------------------------------------------
Reあれこれ 投稿者:イレギュラーず  投稿日: 2月16日(土)10時26分16秒

菊さん
保留した件の周辺について若干の感想です。
もちろん、「個人の自由」を縛っておいての民主主義は存在しません。またブルジョア民主主義に対置される「プロレタリア民主主義」が意味を持つのは、社会構成上の階級関係においてどうなのかということであり、必ずしも「民主主義の原則」においてではないだろうと思います。だから、社会構成上の「少数派」が「多数派」に強制する「ブルジョア民主主義」より、「プロレタリア民主主義」のほうが、1000倍もいいとレーニンはいったのでしょう。ホントかな〜

「議論の自由と行動の一致」にたいして、「議論及び行動の自由」。正直、まだ整理がつかないのですが(それだから保留したのですが)、たしかに論理的にも実践的にも菊さんが言う通りかもしれません。でも、3.26に結果した一連の流れは、数年の議論を踏まえてのことではなかったのですか。つまり「8期9中委路線」(理論誌「第四インターナショナル」にも掲載されていたと思います)とは何だったか。どのように決定されていったか。
何が主張されていたかについては、ただその言葉だけが記憶にあるだけなので申し訳ない。

その後の過程の中でも「議論及び行動の自由」(積極的か消極的かはありますが)は各自にあったのではないでしょうか。それとも、「決まったことだから、再度議論は持ち出すな、とにかく開港阻止闘争に集中しよう」だったのか。ただ、開港が日々現実日程に上りつつあった当時、これを阻止しようということに私は異論はありませんでしたし、行動提起に対して強制されたという感じはありませんでした。毎週ン万円の列車代だけはうんざりでしたが。

議論がものすごく早いので、もはや遠くから流れを無視したような話になってしまって、皆さんすみません。

----------------------------------------------------------------------------
韓総連 が「一時」占拠した李舜臣将軍の銅像 投稿者:黒パン  投稿日: 2月16日(土)07時25分21秒

『2009ロストメモリーズ』という映画がソウルで年末か年始に公開されて「論議」になったことを想起しました。
 映画では「李舜臣将軍の銅像」が敵であった「豊臣秀吉」とされたり、サッカーの韓国現役代表選手が胸に「日の丸」をつけるシーンもあるので「批判」が出たということでした。
 「民族」的象徴であり、最近も話題になった「李舜臣将軍の銅像」を利用することで、話題を呼ぶという戦術があったのでしょう。先ほど配達された朝日の外報麺にもしっかりと記事になっていました。
 ≪物語≫
 2009年、ソウルは東京、大阪に継ぐ第三の都市として繁栄を極めている。
100年の間、朝鮮半島は日本に統治され平和は保たれてきたのだ。
しかし、水面下では、朝鮮独立を叫び地下深く潜伏している武装組織と彼らを根絶しようとするJBI(特殊捜査隊)との血なまぐさい戦闘が続いていた。 ある日、武装組織は財界の大物が主催する博覧会に密かに進入。人質をとり会場占拠に成功する。緊急出動したJBIは、彼らの激しい抵抗をおさえられず、エリート出身の特殊要員で朝鮮系日本人の坂本(チャン・ドンゴン)と西郷(仲村トオル)を投入する。熾烈な戦闘の末、武装組織の鎮圧に成功する坂本と西郷。
博覧会占拠事件を捜査していた坂本は、彼らの進入の目的が不明瞭なことに疑問をもち、事件を追い始める。不思議な疑問点の連続。事件を追求するうち、坂本は武装組織が「月霊」という遺物を奪うために博覧会に進入したことや、彼らが以前から大きな犠牲を払いながら「月霊」を手に入れようとしていた事実を突き止める。 「月霊」の正体と武装組織のアジトを突き止めようと奔走する坂本。しかし、JBI本部は占拠事件を隠蔽しようと画策していた。坂本はJBI体部の不穏な動きに、事件の裏に巨大な秘密が存在していると直感。武装組織との接触に乗り出す。

----------------------------------------------------------------------------
ん? 投稿者:臨夏  投稿日: 2月16日(土)02時49分52秒

下のほうのいずみさんの、文がいやらしくみえるのでは云々〜、、は、鬼薔薇さんへの指摘でしょうか?

ちごてたら、どうもすみませんね(^^;

わたしは、鬼薔薇さんの文は好きですよ〜!
読んでて落ち着きます。
マア、私自身、どちらかといえば、バカていねい(爆)を好むたちで、それは会話によく表れますが。

別に、鬼薔薇さんと何遍か、会話が続いてるからヨイショするわけやないですよ(笑)
だれもそうは思わないと思うけど、むずむずするので念のため。

----------------------------------------------------------------------------
原点に帰れ... 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月16日(土)02時45分20秒

といった一般論は好みませんが、少しアタマを冷やしてはいただけませんか?>せみまるさま、黒目さま
 
 そもそもの議論の流れから脱線してしまっているというのが率直な感想でございます。せみまるさんの「10項目整理」で「流れ」を確認すれば、「脱線」は「高島論文」の評価にはじまるかと存じます。

>『検証・内ゲバ』で小西さんは「なぜヨーロッパでは内ゲバがなく、日本では内ゲバが横
>行したか」を探ろうとしています。それに対して「かけはし」高島論文は「ヨーロッパ新
>左翼はトロツキズムを起源とし日本新左翼はスターリニズムを起源としたからである」と
>回答しています。これはトロツキスト以外の人々にとってはセクト主義に聞こえることで
>しょう。黒目さんはこれに反発し蝉丸は擁護する立場から双方の議論がはじまったわけで
>す。つまり「日本新左翼はなぜ内ゲバ党派に転落したか」が出発点なのです。

 仰る「出発点」は、実は高島論文にあったわけではございません。『検証内ゲバ』に対するせみまるさんの最初の批判的紹介そのものが提出した論点でございました。そこに「日本的特殊要因」をみる視点こそ、一連の発言を促す大きな意義を持ったとわたし評価し、自分自身も参加してまいりました。日本社会のの民主主義の成熟度、その日欧比較、維新の「脱藩思想」と講座派マルクス主義の思想的因子、「日本的集団主義」の心理機制、「大衆」の側の責任などなど、これを軸にさまざまな論点が多くの方々から提出されたと存じます。
 
 ところがお二人のご論議は、いつしか「トロツキズム」と「スターリニズム」の濃度や含有量の測定(苦笑)で「内ゲバ」の発生を根拠付けることの是非に一点集中して、とどまるところを知らぬ自己運動にはまりこんだと感じられてなりません。正統「トロツキズム」(あるいは第4インタナショナル)の正当性を擁護なさるのは、せみまるさんの「党派性」として了解されるとしても、「反トロツキズム教条主義」という言葉が飛び出すに至っては、もはやレッテル貼りの次元ではございませんか? アタマを冷やして、と申し上げたくなる気分もご理解いただきたく思う次第でございます。
 
>蝉丸は日本新左翼の源流がスターリニズムである事の証明のために、とくに日本新左翼主
>流派を形成したブントと、同じく主流派後継セクトである中核派の組織論について語り、
>彼らの組織には民主主義がなかった事を論じました。なお、小西さんも中核派のスターリ
>ニズム批判は一国社会主義についてだけでプロレタリア民主主義についての批判が無かっ
>たことを自ら語っています。つまり内ゲバの根元である「非民主主義」がスターリニズム
>に関係している事は、もはやトロツキストだけの合意事項ではないのです。

 「関係している」ことはわたしも強く同意いたします。けれどもそこから「日本新左翼」はブンドも中核ももともと「スターリニスト」だった、だから非民主的で「内ゲバ」は必然であった、ということなら、「トロツキズム」だけが正しく、その濃度や含有量の「測定問題」に議論が落ち込むのもまた必然と申すべく、ここでいわれる「スターリニズム」は、「日本的特殊要因」を持たぬ抽象的普遍概念にすぎぬと思われますし、せみまるさんご自身が提起なさった「出発点」の意義も、重要な論点のひとつであった革マル派の独特な性格の問題も、押し流されてしまうのではないでしょうか?
 
 日本の革命思想は「スターリン主義」と「トロツキズム」のふた色で塗り分けられるものではないはずですし、このふたつもまた、「日本的」因子を免れてはいないはず。せっかくの議論です、枠を広く確保し実りある展開の軌道へ転轍されますよう、衷心より切望いたします。

----------------------------------------------------------------------------
朝鮮やヨーロッパ、、 投稿者:臨夏  投稿日: 2月16日(土)02時41分10秒

斗争してるんですね、ええですね〜。。

こういうふうにやりたいものです!
いって参加してみようかな。
ネットでも参加できるでしょうか?

まあ、運動も弾圧もないうちは、ゆっくり、理論学習できるはずですが。

//下のは、とある方にメールした一部ですが、//
//わりかしうまいこと書けたんで、//
//転載します。直接には政治とは関係ありませんが、//
//左翼唯物論文化理論のつもりです(^^;//

「歴史の受肉」ということを最近思い付きました。
煎じ詰めれば、歴史なんちゅうものは、弁証法の、
「即自、対自、即かつ対自」の3コマだけ。
しかし、それに、ユーラシア大陸や、地球や、ホモ・サピエンスや馬という、
「身体=空間」がからまって=受肉して、かくも壮大な歴史になる。。
やはり、生活の量的把握として、地理学や地学は、最大の学問です。。

----------------------------------------------------------------------------
下のURLをリンクに書き込みました 投稿者:黒パン  投稿日: 2月16日(土)01時02分41秒

「ハンギョレ」新聞<ネット版>です。

http://www.hani.co.kr/section-009000777/2002/02/009000777200202151418001.html

----------------------------------------------------------------------------
ソウル、ブッシュ訪韓反対闘争 投稿者:黒パン  投稿日: 2月16日(土)00時59分22秒

http://www.hani.co.kr/section-009000777/2002/02/009000777200202151418001.html

「15日 昼 12時に ソウル 世宗路 李舜臣将軍の銅像に 韓総連 所属 大学生が 上がり 星条旗を 燃やしながら “戦争 策動 武器押売り ブッシュ訪韓 反対”などの スローガンを叫んでいる」

三枚目の写真 キャプション
「ブッシュ 米 大統領 訪韓を 控えて 15日 昼 ソウル ケヤキカフェで開かれた、女性 150である 平和宣言で 李HYOJAI 韓国女性団体連合 顧問が宣言文を 朗読している(連合) 」

全体の記事 【韓半島 平和宣言 相次いで】

来る 19日 ブッシュ 米国 大統領の 訪韓を 控えて 韓半島 平和定着を促す 市民・社会団体等の 平和宣言が 相次いでいる.

平和を 作る 女性会, 女性民友会など 女性団体らは 15日 午前 ソウル安國洞 ケヤキカフェで 記者会見を行って韓米首脳会談に 明らかにする女性 150である 平和宣言’を 発表して “今回の 韓米首脳会談は 米国の 戦争戦略と 一方主義を 貫徹させる 不公平1 会談でなく 韓半島の平和努力を 成熟させて 南北対話の 道を開く 画期的 会談になるべきこと”だと 促した.

平和ネットワークも 政策提案書を出して “今 韓半島で 最も 重要なことは 相互間の 不信と 緊張を 育てることでなく, 対話と 妥協を通し 問題 解決の 初稼働を 踏み出すこと”とし “対話と 交渉は 後にした まだ 無礼な 捜査と 物理的な 力を 前面に押し出せば 韓半島 情勢が 統制不能の 状態で(に) 駆け上がることができることを 政府は 明確に すべきこと”と 指摘した.

600余個 社会団体で構成された戦争反対 平和実現 共同実践委員会’は来る 18日 ソウル 明洞 キリスト教女性連合 会館で 学界と 文化系・宗教界など 各界 要人 600余名が 参加した 中で2002 韓半島 平和宣言式’を開いて 対北朝鮮 敵対政策と 武器押売り 反対などの 内容を 込めた平和宣言を 発表する 予定だ.

一方, 韓総連 所属 大学生 20余名は この日 昼 12時に ソウル 世宗路李舜臣将軍の銅像に 上がり 大型 星条旗を 燃やしながら “戦争策動 武器押売り ブッシュ 訪韓 反対”等の スローガンを叫びながら 奇襲デモを 繰り広げた.

----------------------------------------------------------------------------
(無題) 投稿者:黒目@反トロ教条主義(ワラ  投稿日: 2月16日(土)00時01分00秒

(8)「正しいトロツキズム」の組織論とは?
少し前にもどりますが、黒目さんの主張には更にものすごいものがあります。「正しいトロツキー組織論の結果が日本支部の破産であるなら、トロツキー組織論を再検討するべきだ」というものです。女性差別などを行なった日本支部の破産を「正しいトロツキズム組織論」と位置づける根拠は全然理解できませんが、それを認めるとすれば、逆にヨーロッパのトロツキストは「正しくないトロツキズム組織論によって成功した」ことになりますね。黒目さんの主張をそう解釈していいのでしょうか?

これは蝉丸さんがいわれた、「解放派は組織論をもたないからあのような事になった」というのに対応するものですね。組織論を持っている組織が、ナンボほどのもんかを教えていただきたい訳です。

(9)黒目式内ゲバ論分析のまとめ
こうして黒目さんの主張を概括すると「日本新左翼はスターリニズムではない」「内ゲバはスターリニズムではない」「解放派の内ゲバもスターリニズムではない」「民族・宗教・政府・会社・軍隊などでの内ゲバはスターリニズムではないので日本新左翼の内ゲバもスターリニズムではない」「正しいトロツキズム組織論は女性差別的で組織を破産させる」「したがってヨーロッパ左翼は正しいトロツキズム組織論を適用しなかったので組織が拡大し内ゲバも防ぐことができた」…でよろしいですか?(^o^)

・・・・・こういう文章、たしかにセクトの他党派批判の文章にありがちですな(ワラ
繰り返しますが、内ゲバという現象を、「スターリニズムの問題」である、としてしまうのは、自己の立場性にあわせて、問題を切り縮めようとするものだ、という事を私は言っています。

(10)そしていきなり今までの議論をチャラにするのかな?
ちゃらにする気はありませんが。
蝉丸さんは幾つかの問いに答えていないと思います。
第4インターが「内ゲバ反対」を主張し始めたのは、いつの時点であるのか?
暴力的な激突は、革マル対つるや連合の時期からあったと思いますし、沖縄の返還VS奪還では、第4インターは渦中にいた筈です。その時期に、暴力的な激突について、第4インターはどのような立場をとったのでしょう?
これは是非、解説してほしいと思います。
また、「青葉城跡決戦」の話が紹介されていましたが、あの件とスターリニズムとの関わり合いも気になるところです。

----------------------------------------------------------------------------
一応、回答してみましょうか 投稿者:黒目@反トロ教条主義(ワラ  投稿日: 2月16日(土)00時00分50秒

(1)『検証・内ゲバ』がきっかけ
(2)高島による日本新左翼批判
きっかけはこの本ですが、この本の話を巡る議論の中で提示された高島論文の内容に私は噛み付いてきた訳ですね。
「ヨーロッパ新左翼はトロツキズムを起源とし日本新左翼はスターリニズムを起源としたからである」と回答。これは、どのような立場の人にとってどう聞こえる、というような話ではなく、情勢認識として間違っている、という事が、多くの人から指摘されたと思います。
>つまり「日本新左翼はなぜ内ゲバ党派に転落したか」が出発点なのです。
これと同時に、第4インターという党派は、なぜこのような手前味噌な認識を持って今に至るのか、また、第4インターの「内ゲバ反対論」が、なぜ、セクトのマヌーバーとしてしか受け止められなかったのか、という事も、同時に議論の俎上に上っていると思います。

(3)日本新左翼はスターリニスト
(4)新左翼は第三潮流だったのか?
(5)解放派全協はスターリン主義か?
これについて、解放派という、日本共産党からの流れではないセクトの存在、そしてそこが内ゲバ党派になっている、という事を指摘しました。つまり、蝉丸さんのいわれる所の「スターリニズム」とは、組織的流れや、思想的潮流として説明されるようなものではない、という事です。

このややこしい話は、蝉丸さんが使用される「スターリニズム」という語の定義が不明である、という事を、俺が幾度も形を変えて問うている、という事です。
「党内民主主義がない」という状態が、スターリニズムの定義として、この語を使用されているようですが、非常に珍しい語の使用法である、と思います。
私の認識では、スターリニズムとは、まず、一国社会主義路線である事であり、一国一共産党路線である事を指していると認識しています。
その他の特徴は派生的なものであり、必ずしも似た形態をとっていないものである、と考えます。従って、内ゲバにのめりこまない、明白なスターリン主義党派も現実に存在する訳です。

(6)階級的視点を欠落させた内ゲバ論へ
つまり「民族・宗教・政府・会社・軍隊などでの内ゲバはスターリニズムか?」という質問ですね。では、もういちど(2)と(3)を読んでください。われわれの議論の出発点は「日本新左翼運動はスターリニズムか?」という事だったはずです。「民族・政府・会社」などといった、およそ新左翼運動と関係ない「内ゲバ」を持ち出して議論して、それで「日本新左翼の内ゲバはスターリニズムか?」という命題への答えになるのでしょうか?例えば「民族・宗教・軍隊などでの内ゲバはスターリニズムじゃない」という結論は「新左翼の内ゲバはスターリニズムじゃない」という結論に結びつくのでしょうか?

(7)記号に置き換えれば簡単にわかるレトリック
われわれは「A(日本新左翼の内ゲバ)=B(スターリニズム)であるかどうか?」を議論しているわけですよね。ここに黒目さんは突然C(民族・宗教・政府・会社・軍隊での内ゲバ)を持出してきました。そして「C=Bだというのか?」と聞いてきたわけですね。「それならいたるところBだらけだぞー!」と。ところで、それを証明すると、「A=Bであるかどうか」の証明に何か関係するのでしょうか?もしもその関係性を証明したいなら「A=C」であることを証明しないとだめじゃないスか?(^^)

(6)(7)はレトリックの問題への置き換え、つー奴ですな(
私は、新左翼の内ゲバと、その他諸々の組織における内ゲバ同様の現象は、どこでどのように区別できるのか、という事を問うています。内ゲバがスターリニズムの産物であるならば、スターリニズムと関係が無いように見える(ワラ)諸々の組織において、なぜ、同様の現象が起きるのか。
共産主義者のやる内ゲバと、その他のものがやる内ゲバは異なるものである、というような議論は、全く「科学的」ではないと思いますが。ま、C=Bを証明していただいても結構ですがね。
------------------------------------------------------------------------