四トロ同窓会二次会 2002年3月1日〜3日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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萩原遼氏の党内における『意味』 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛  投稿日: 3月 3日(日)23時53分21秒

>>雑な感想を述べれば“調子よすぎる”という印象

 萩原さんが,断固として共産党を(自ら)止めるということをせずに,現在のような活動(無論,全ては支持できませんが)を継続していることにこそ,評価の視点を持つべきではないのですか。
 無論,総括は必要でしょうけども,どう考えても党籍離脱しないと書けないようなことを要求するのだとすれば,それは如何なものかと。
 彼が日本共産党に(自らとしては)留まっているということの意味は小さくないと考えます。

 その意味では,小西さんが『革共同』の内部に居た人間として上げた声の意味性と似ているような気もしますが。

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またこーやって流れもヘッタクレもない感想書いてる人がいますが(苦笑) 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 3日(日)22時03分31秒

 もちろん、発表された文章に対して何を論評するのも自由なので全然かまいません。

 ただものすごく「現状を踏まえてない」ところがあって気になります。

>「大衆運動への復帰」

 って、だから、中核派は「内ゲバ党派」なので、多くの大衆戦線からは参加を拒絶されているんですよ。
 そんなところでその方針を訴えるんだとすれば、それは「中核派を辞めろ」と言うに等しいことであって、この投稿の趣旨にも小西さんの思いにも反する気がします。

#いずみ個人は「どちらの方針もあり得る」とは思ってますが。

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熊谷論文:切れ切れの感想 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 3日(日)21時53分30秒

 断片的なものでございますが。

 末尾の部分、
 
>よく読んでほしい。そこにあるのは、清水丈夫の独裁的権力によってふり回され、堕落に
>向かっている中核派に対する哀切に満ちた同志的批判があるばかりである。小西は同志的
>批判によって活動家諸君の献身的で革命的な魂に訴えているのである。

 という「こころある中核派活動家諸君」への訴えこそ肝心のところ。それがもっとストレートに表現されていたらと残念でございました。と申しますのも、『前進』論文と中核派路線に対する批判が、ちょっと大味〜粗雑にすぎるのですね。
 
 たとえば「軍事主義」と「内ゲバ」は、強く相互関連しているとはいえ別物のはずなのに単純に同一視されておりますし(7)、「清水理論はスターリン主義そのもの」(2)と言った次には「清水丈夫は「現代のナロードニキ」である」(3)という断定が続いておりますが、スターリン主義であり同時にナロードニキでもあるという存在は、なかなかに像を結びにくいものがございます(苦笑)。
 
 「大衆運動の後退は社会党や共産党をも右転回させ、その結果それに変わって登場した自民党右派勢力=小泉政権に支持が集中したのである。小泉の高支持率は左翼諸党派による暴力的党派闘争の「おかげ」なのである」(2)という分析もいかがなものでございましょうか。さらにこれが30年代の「社会ファシズム論」批判からアナロジーされているのは、「ファシズム」認識としても日本の現状認識としても、失当のような気がいたします。

 「ボリシェビキ・レーニン主義に復帰しよう!」(3)と、「現実を直視せよ。事実の認識から出発せよ!」(6)と、ふたつの「呼びかけ」も、わたしが中核派だったら困ってしまいますね(苦笑)。このふたつ、現状ではとても一致するとは思えませんから。何より必要な呼びかけは、「大衆運動への復帰」ではないのでしょうか。故寺山修二の「書を捨て街に出よう」を真似ていうなら、「『前進』を捨て人民の海へ出よう」とか。
 
 総じて、「意図するところ壮なれど、鈍刀一閃空を斬る」の感、心ある中核派活動家が抱いているだろう戦闘精神に響く「訴え」としては、いささか「心」の焦点結びにくいものに思われました。
 
 妄言陳謝>執筆者

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急進主義評価について 投稿者:越貴来 翔  投稿日: 3月 3日(日)19時36分10秒

学園や街頭におけるあの頃の急進主義の評価はむつかしいですねえ。
ぼく自身、「がんばれ!」と声援を送りカンパしたのは事実ですし。
でも同時にこんなやりかたはあとに物理的にも精神的にも
廃墟しか残らないんではないかという思いもしていました(とりわけ
計画的・大規模な内ゲバが横行し、一方では連合赤軍の粛清劇が明るみにでてからは)
あえて、お答えするとすれば、ケースバイケースとしかいいいようがないと思います。
生産点での戦いと相互補完的であるかどうかというのもひとつでしょう。
マッセンストライキ路線とか反戦労働者の検挙必至の街頭武装路線はいまとなっては賛成できません。
また、その急進的な行動に展望と倫理性があるかどうかもひとつでしょう。
学園の例で言えば日大闘争はああするしかなかったと思うし、三里塚の
機動隊との激突もそうですけれど、東大闘争に関しては最後の
玉砕戦術には疑問が残りますし、さしたる必然性も大衆的支持もない各地で
行われたバリケード封鎖はいまにして思えば疑問が残るケースもあるのでないかと思います。
(もちろん当時は全面支持でした)
それからそうした過激急進路線が大衆主導か党派主導かによっても評価は変わることがあるかと思います。
ぼくの場合、幸か不幸か67年には社会人になっていましたから心情左翼として
野次馬的に応援しただけですが、もし大学にいたら棒をもち石を投げたろうか
それとも完全な秩序派になって左翼的心情はふっとんだかどちらだろうかという
気がします。自分が当事者でなかったこと、その点が鬼薔薇さんとのちがいでしょうね。
なお、「労働情報」とか「根拠地」では4トロは熱心にやっていたはずだと
思いますが・・・
長船社研や電通労研のような組織が至るところにあり、それらを政治的に表現しうる
民主非集中制の大衆政党があればという思いはいまも残っています。

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2ちゃん質問状スレですが、 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 3日(日)17時31分07秒

 いよいよもって、質問者の論理が、この板でかつて行われたものと一致してきて、もう笑うしかないですね。
 それにしても、中核派内部の人間であるかのごとく装いつつ、小西弾劾文のロジックすら取り違えているというのはあまりに滑稽。

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熊谷さんという方の「反革命規定」批判 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 3日(日)16時29分03秒

 が、まっぺんさんによって3次会のほうに上げられてます。
 これ、方々で広めた方がよさそうですね。

http://6038.teacup.com/mappen/bbs

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雑談+>わかもの社さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 3日(日)15時43分25秒

『共産主義者奔走す』、お読みになったらご感想などぜひ。内容のいちいちより、系譜を異にするグループの15年にわたる「積分」作業の試みとして。なお、「コム・未来」には社会党協会派を源とする「国際主義」グループも加わっていたこと、書き忘れておりました。
 
 内容についてはわたしいろいろ異論がございます。特に中国の「プロレタリア文化大革命」を肯定的に捉えているところなど、いいだももさん的雑炊マルクス主義という感じて、まったく同意いたしかねます。私見では、あの「文革」は、スターリンのテーゼ化した「社会主義における階級闘争激化論」の季節はずれの再現であり、老毛の権力欲の醜悪な露出にほかなりません。それを「革命」のように錯覚したのは西欧的オリエンタリズムとでも申すべく、「語録」を手にした日本のマオ派など、思想的にはもっとも非「アジア」的な文脈に身を置いていたように思われます。
 
 寺尾五郎さんの件、お立場はわかります。日本共産党が北共和国礼賛から警戒、そして否定へと転じていった軌跡の詳細は存じませんが、萩原遼さんはその転換過程末期のホープだったのでしょう。それが党主流から遠ざけられたのは、共和国指導部批判がそのまま代々木中央批判につながると思われたからかしら? 
 
 萩原さんの北鮮関連レポートいくつか拝見しておりますが、雑な感想を述べれば“調子よすぎる”という印象を否めません。そこには、日本共産党が落した暗い影がキレイさっぱりないのですね。
 朝鮮戦争期の日本共産党の「軍事方針」は、当時の在日朝鮮人部隊をもっとも過酷な戦線へ投入するものでございました。6全協以後の宮本指導部はその責任をすべて旧「所感派」に帰して何食わぬ顔をしてきたのでしょう。「金」という朝鮮名を持つ2人の中央委員を擁した党の方針と、「祖防」「民戦」という在日朝鮮人組織との関係など、おそらく基礎資料も意図的に隠滅され、闇に葬られたことと思われます。かろうじて隠滅を免れた50年期在日朝鮮人共産主義者、左翼民族主義者の闘いの資料のいくつかは、60年代末に新左翼の一部が苦心して発掘・紹介いたしました。もっとも、それを活かすことは新左翼諸党派には結局できなかったのでございますが。
 
 「朝鮮問題」は、戦後日本共産党史に潜む深い闇のひとつでございましょう。その闇の奥はピョンヤンの地下へつながっていたはずでございます。赤軍派「よど号」グループは、無自覚にその暗い空洞へ吸い込まれて行ったように感じられてなりません。新左翼が共産党を乗り越えられなかった一幕として総括を迫られるテーマかと存じます。

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「職場・生産点」のことなど 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 3日(日)12時53分59秒

>越貴来 翔さま
 コメントいただき、次第に論点がはっきりしてきたように思います。

>歴史にIFは禁物かもしれませんが、このとき放逐ないしは「乗り越えられた」旧世代や
>生産点中心の労働者グループが生産点重視の統一戦線をつくるという選択肢もありえたの
>でないかという気がします。

 正確な時期や経緯はよく存じませんが、60年代末の「六甲会議」という会合から「労活」へ、そして(いくつか分岐を経て)『労働情報』へと続く流れは、“生産点重視の統一戦線をつくる”努力であったかと存じます。第4インター系労働者グループがここにどのようにコミットしたのか(しなかったのか)、それは逆にお教えいただかねばなりませんが。
 
 ただ、この流れが「街頭急進主義」に対するアンチで形成されたのでないことはたしかと存じます。当時の「街頭急進主義」の意義を積極的に評価しつつ「労働戦線」で重ねてきた「地道な努力」を強化・発展させようという意志に支えられたものだったと思うのです。それは大変苦しい努力であったはずと思います。そこには戦後政治過程で作られた学生運動と労働運動との構造的ギャップが厳然と存在いたしましたから。このギャップに向き合う運動戦略上の観点が、そして「新左翼」の存在意義が、鋭く問われたはずでございます。
 
 ここで両者を2者択一の関係に置き、「街頭急進主義」を「プチブル急進主義」と否定して「職場・生産点」重視を「プロレタリア的」と価値付けた典型例は革マル派でございました。すでに動力車に不抜の基盤を形成していた同派からすれば無理ない面もあったかとは思います。また、国電の車両に「反戦」を大書した行動は積極的なものであったとも思います。けれども、当時「街頭急進主義」として表現された大衆的な闘いの階級的意味を否定すれば、それは情勢そのものに対して“右派”となるほかなかったのもまた事実であったことでしょう。そうした立場からの「職場・生産点」重視論が果たして真に「階級的」でありえたかどうか、ここは「階級」の実践認識に関わり、また、階級闘争における「暴力」や「民主主義」の問題をも含んで、大きな論点と存じます(やや視角はちがいますけど、関連する問題について、れんげさんと「3次会」のほうで意見交換させていただいております。やはりこちらで続けましょうか?>れんげさま)。

 「(革マルの動労に関しては評価は保留します)」と注記しておられますが、お説もまた「街頭急進主義」に対する否定的評価に立って、それへの対抗論理として「職場・生産点」重視を強調されているように読めたのですが、これは誤読でございましょうか?
 
>学生時代はともかくとして、社会にでれば、平時の組合では共産党・民青は同じ陣営であ
>り、統一戦線の対象であることはいまも変わらないと思いますが、いかがでしょうか。

 こここは同意見でございます。ただ、そのかぎりでなら、革マル派についても同じことが言えるのではないでしょうか?

 「頑固爺さん」的パーソナリティ、わたしも好きですよ(^^)。好きという以上に、そうした方々からたくさん教えを受けてまいりました。臨夏さんのお言葉を拝借すれば「お師匠さん」たち。市井で活動する無名の共産主義者で、身を引き裂かれるような思いで「内ゲバ」を見つめておりました。多くはすでに故人でございますが。
 
 「右派」もキライではありません(笑)。と申しますか、立場が「右派」というだけで嫌うことはいたしません。確信と責任をもっての選択であれば。ただし、何かを主流に見立ててそれへの「反対派」として自己を位置付ける体質はキライでございます。日本の新左翼は、結局のところ「左翼反対派」体質を脱却できなかったのではないでしょうか。「トロツキズム」の影響も、この点マイナス要因のひとつだったかもわかりませんね。

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そろそろ、正体が見えてきましたが 投稿者:小西まこと  投稿日: 3月 3日(日)12時33分19秒

大体、推測がついてきましたね。
「孤軍奮闘」しています((^o^))

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ちと、この「質問状」を検討しませんか? 投稿者:黒目  投稿日: 3月 3日(日)12時12分09秒

「小西誠への質問状」、2ちゃんねる共産板
まあ、どう考えても本筋じゃなくて、この件にかこつけて「共産趣味者」を叩こうというような類の輩であるとしか読めませんが、話の流れ上、この板での議論が云々されるような展開もありうると思います。

 つか、こいつ、これからぶち殺しにくるかも、てな組織を相手に、警察には言わない事を宣言して、安全なテロを約束しろって言ってるのかしらん?(苦笑

http://money.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1014940928/l50

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続・どうでもいいはなし 投稿者:赤い山女魚@静共闘  投稿日: 3月 3日(日)01時08分59秒

広中平祐は「微分を抽象化・積分を具体化」と表現してた。抽象化を何度も行えば、「すべては同じ」となるので、
>たしかに微分を繰り返しいったら「ゼロ」になってしまいますよね。
というのも気持ちがわからないでもない。広中の例えも多項式を念頭においている。

 ブルバキがポントリャーギンを批判したというのは初めて聞いた。ブルバキって構造主義でラッセルの思想を受けついたんでしたっけ?それでついでに反戦も受けついた人が多かったとか。グロダンディークも最初は煙たがられながら、ブルバキには入たんだったかな。

 ポントリャーギンで思い出した。こんな話を聞いたことがある。数学は定理が正しいか間違ってるかが、客観的にわかるので、イデオロギーによって歪められることが少ない。そのためソ連では、優秀な人材が数学に集まったとか。ウソかホントか知りません。
 生物学のルイセンコは有名だけど、「大陸移動説は米帝の学問」というのもあって、要するにソ連の地面は非常に安定していて動いた形跡がなかったので、ソ連の地質学者は大陸移動をなかなか受け入れなかったというだけの話し。それを日本の左翼理科教師までが真に受けてたそうです。そう言うのに比べたら、数学は自分で正しいか間違ってるか検証できる。

おまけ、数学者の報復戦争反対声明 ↓

http://homepage2.nifty.com/public-philosophy/mathmatics.htm

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鬼薔薇さんへ 投稿者:越貴来 翔  投稿日: 3月 3日(日)00時54分33秒

大教組の問題については、小史も同じような評価をしていますね。ぼくは具体的な
経緯を知らないので、評価は留保しますけど。
あとの点はおっしゃることはよくわかります。よく綱領・路線・戦略・戦術という言い方を
します。当時の状況で街頭反乱を志向ないし追随するかどうかというのは戦術レベルの
問題かもしれませんが、「反帝」か「反帝・反スタ」か「反帝・労働者国家無条件擁護・
スターリニスト官僚打倒」かという問題よりよほど重要な岐路だったような気がします。
安保よりは三池、街頭よりは生産点を重視した4トロは不人気でしたけれど、古いけれど
気骨のある頑固爺さんみたいで、ぼくは好きでした。いまとなって小史は否定的ですが、
でなければ結局第二のブントになったと思います。
さて、60年代雌伏の時代に生産点でも地道な運動がありました。独立党派化した
長船社研、ブント中心だったけど各派の統一戦線でもあった電通労研などがそうでしたし、
社青同運動や4トロの加入活動もそうだったと思います。
67年羽田闘争をきっかけにさまざまな党派が、そうした生産点の運動を学園反乱、
街頭重視路線にひきづりまわしはじめる傾向にあったのでないでしょうか。反戦
青年委員会が党派軍団化し生産点よりも街頭に活路を見出したのもそうですし、
そのもっとも悲惨な茶番というべきなのが、電通大阪におけるブントのマッセン
ストライキだったろうと思います。
それはともかくとしてこの時期各党派一斉に世代交代が起こり急進主義に走ります。
4トロもそうですし、構造改革諸派や青解が典型的ですね。歴史にIFは禁物かも
しれませんが、このとき放逐ないしは「乗り越えられた」旧世代や生産点中心の
労働者グループが生産点重視の統一戦線をつくるという選択肢もありえたので
ないかという気がします。(革マルの動労に関しては評価は保留します)
西さんや「古い」指導者はなべて街頭急進主義に批判的だったけれど、
綱領・路線主義だったが故に、そういう動きができなかったのかなあという気がします。
やっぱり人気はなくとも頑固爺さんが必要なのではないでしょうか。
学生時代はともかくとして、社会にでれば、平時の組合では共産党・民青は同じ陣営であり、
統一戦線の対象であることはいまも変わらないと思いますが、いかがでしょうか。

ブントは

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調子に乗って言うとすれば、 投稿者:わかもの社  投稿日: 3月 3日(日)00時13分11秒

これまでの左翼は、党員の増「加」とか機関紙の「減」紙とか、共闘による相「乗」効果とか
あまつすえは規律違反での「除」名とか、加減乗除にとらわれてきたが、これからは
微積分なのだ! とかいうアフォな比喩に行き着いてしまいますから、
ホント数学的比喩を使うのってこわいのです。(いずみさんはじめまして)

>AIT久我山支部(準)さん
共産党系に限らず、例えば協同組合学会所属の学者は、協同組合運動の社会的インパクトを
考量するのに熱心な一方で、内部での労働問題に無頓着な傾向があり、
他方で労働法や労働運動論系の学者は「協同組合」そのものに無関心な傾向がありますね。
それ自体はしょうがないんですが、労協すなわち労働組合と協同組合とのハイブリッドは
それだけ「盲点」になりやすいわけです。

萩原さん、党費納入をどうしているのか私も知りません。
党が受け取らないので法務局に供託しているとか(笑)?

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どんどんふくらむ「どおでもええ」(c)((c)黒目さん)話 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 3日(日)00時09分18秒

 下のは、別にブルバギの言っていたことが数学業界内で今否定されているということとは照応していません^^;;;; (ま、今から観た後付け的にはまさに旧青共同みたいなもんか(爆)。)

 んでさー、ポントリアギンの「弁解」が、「自分がやっている研究は、今のところ物理学にはちっとも役にたたない。物理学に反映されなければ実用性は皆無。よってベトナム侵略とは関係がない。」というものだったはず。
 この回答が是か否かは議論が分かれると思いますが、ただひとつ言えることは、「あんたマトモに対応してるねー^^;;」ってことですね。

 ドキュソ國貞にはまったく及びもつかないセンスです。

#今日の個人情報保護法反対集会で、ますます國貞のドキュソぶりがあぶり出されたと思われ。
##さらに、平野悠はセクハラをやめよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(怒)

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どんどんふくらむ「どおでもええ」(c)((c)黒目さん話 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 3日(日)00時02分37秒

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それにしても。 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 2日(土)23時54分33秒

 数学的比喩を使うのって恐いですよねー。
 ま、どーせ比喩として使う分には厳密性は不要ですし、大胆にいこー!
 かつて、生まれながらの「視覚障害者」数学者ポントリアギンに対し
て、「貴様の研究はベトナム侵略に荷担してるだろーが!」と過剰につっ
こんだブルバギみたいに\(^o^)/

#つーかさー、ブルバギのありかたって、「糾察する会」そのまんまだよねー^^;;

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わかもの社さん 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛  投稿日: 3月 2日(土)23時03分45秒

 ご無沙汰です。今北海道にいるんですね。

 協同組合の労働とは何ぞや?というのは,長年の問題ですね。
日共系の学者は政策的にか,意図的にこの問題をネグってますが..。

 萩原さん除名説はちょくちょく噂として出るんですが,今も党内で健在なん
ですか?健在だといいんですけど。

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RE:内ゲバと西さんのこと、雑感 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 2日(土)22時42分08秒

>越貴来 翔さま

 遅まきのレスでごめんなさい。
 
>西さんもそれがわかっていたから、そのごの全共闘流急進主義に危惧を抱きながらも
>口出ししなかったけれど、労働者本隊主義・生産点重視の観点から、大教組集会の破壊だ
>けは看過しえなかったのかなあと勝手に想像しています。

 「急進主義」戦術問題と学生運動・労働運動の構造落差の問題とが重なって、いくつかの党派を引き裂いた共通の問題だったと思うのです。構造改革派の統社同なども、年長世代を放逐して学生グループがヘゲモニーを握り急進化いたしました。後発の共労党でも似たような過程があったと思います。かたちはちがっても、中核、革マル、解放など労働戦線にそれなりの影響をもっていたところは、やはり類似の問題を抱えていたはずでございます。「労働者本隊主義・生産点重視」の問題は、『革共同小史』を拝見すると60年安保前からの論争テーマですよね。この「共通問題」に一番悩んだのが第四インターだったのかな、というのが『小史』の読後感のひとつでございました。
 
 ただ「大教祖集会」につきましては、ちょっと性質の違う問題もあったのではないでしょうか。そこでの対立というかギャップは、「労働者」対「学生」というより、むしろ「教師」対「生徒」でしょ? 当時の高校生の急進化には、政治問題・街頭闘争の波及だけでなく、抑圧的な管理教育システムに対する反乱という要素も大きく働いていたはずでございます。受験エリート校と「周辺校」化しつつあった実業高校との双方で「高校全共闘」が影響力をもったのは、そのことを示しておりましょう。大教祖の先生たちには、そうした管理教育体制に対する教師としての姿勢が問われたのではございませんか? それに対して「われわれは『労働者』だ、そのわれわれに敵対するのか!」というのでは、「打倒」の対象にされても仕方ない状況があった気がいたします。
 
※教師が「労働者」かどうか、わたし実は多いに疑問。もっともこれ、“センコとボリコは敵”というわたしの根強い偏見が濃厚に混じっておりますので、割り引いてお受け取りくださいませね(笑)。
 
 「労働者本隊主義・生産点重視」を本気で追及するなら、街頭の戦術議論などから引いて労働戦線工作に専念するという選択もあったように思うのですけど。長船社研とか電通労研とか千葉動労などの左派労働者グループはあちこちございましたから、それで孤立するということにもならなかったのではないでしょうか。現場から離れないことを基礎に、自分では角材握らずビン投げずでも、そうした急進主義の時代精神を労働現場に伝達するという役割は、けっして小さなものではなかったとも思いますし。当時の第四インター内部ではうした選択が許容されなかったという事情なら、問題はふたたび党派内議論のテーマになってしまいますけど。 

 でもね、いくら「労働者」とかいってみても、一度左翼の洗礼を受けた人間には、血の騒ぎを抑え難い季節であったことは確かでした。わたしはあなたと逆で、67年羽田を契機に零細企業の「労働者」からまた「学生」に戻りました。休学やら転部やら落第やらはさんで10年近く、まだかろうじて学籍だけは残っておりましたので。もっとも、「未組織労働者」が「未組織学生」になっただけ、現姿は「ルンペン・プロレタリア」でございましたけど(笑)。

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微積分 投稿者:わかもの社  投稿日: 3月 2日(土)14時41分36秒

私も数学は大学の教養課程レベルですが・・・
まあ「(共産趣味が各党派の自己絶対化を)いわば『微分』した」ということで
勘弁してつかあさい _(._.)_

<生田あいさん編集の『共産主義者奔走す』(論創社)
読んでみますね。以前会員になっていたアソシエ21の会合で生田さんを見かけたおぼえが
ありますが、活動遍歴についてはよく知りませんでした。
<寺尾五郎さん
実はここのところで鬼薔薇さんと私に断層があります。寺尾氏といえば私はどうしても
『38度線の北』(新日本出版社)を想起してしまうのです。実際いまこれを読んでひどい
電波本だとは思わないのですが、やっぱり寺尾さんの叙述を真に受け北朝鮮に帰国して
むごい目に遭った人のことを考えると、何とも言えなくなります
(そう、私は「萩原遼派」の共産党員でもあるのです)。これはこれで論議していきましょう。
>そちらはまだまだお寒いことでしょう
お気遣い有り難うございます。名寄やオトイネップが近所なんですが、国労闘争団の方々も
暖冬ゆえ雪下ろしや排雪等の仕事が入らなくて、一般の失業者同様、かえって困っている
とのことです。
実は私、北海道と東京の二股生活しておりまして、来週末からは東京です。
昨年7月初旬に「末期社会主義研究会」さんやAIT久我山支部(準)さんと若干の議論に
なりましたので詳しくは過去ログを参照いただきたいのですが、私は労働者協同組合の
本邦における第一人者「日本労協連(センター事業団)」を訴えておりまして、
その公判があるのです。幹部が領収書を捏造などして遊興費を作っていたことを知り、
処分を要求した私が逆に処分され、業務命令違反名目で半年間賃金を100%カットされました。
(その後「解雇」してきましたが、出資金返還がいまだにないのでこの妥当性は不明です。)
今回の公判は、6ヶ月分の給与のみが対象ですから、表面上ありふれた単純な労働事件では
あります。ただ、双方の陳述や訴訟指揮・判決で「労働者協同組合の労働者に労働者性は
あるのか?ないのか?」という命題に関する認定があるものと思いますし、私も後続の
ためにも水準の高い裁判にしようと考えています。関心のある方は是非傍聴にいらして下さい。
終了後声を掛けていただければ資料などお渡ししますし、もしお時間があれば日比谷公園で
ランチでも。

◇3月12日(火)10:00〜 東京地裁民事11部・第710号法廷
◇原告 國忠崇史 - 被告 企業組合 労協センター事業団

>焦ったり一喜一憂したりせず、効率の悪いことを承知の上でこうした試みを辛抱強く
>重ねていくほかないのでしょう。
ここには深く同意します。左翼の歴史検証にしてもそうですし、協同組合内労働者の地位に
ついてきちんと規定していく運動(「政党専従者なみ」という考え方がまだ根強いですが)
にも、同じ辛抱強さが必要ですね。マターリかつ力強く、論陣を張っていきます。

http://www.hoops.livedoor.com/~kukchung/index.htm

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差別発言 投稿者:TAMO2  投稿日: 3月 2日(土)13時46分06秒

 大阪では、アタリマエのように「アホは相手にせんとこ」と語られます(笑)。
 某K氏には、もう、そうするしかないようにも思えます。

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おほほ.....(^^) 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 2日(土)11時08分09秒

 そうですねぇ(苦笑)。
 高校数学しかやってなかったのがバレてしまてって、どうしましょ(笑)。

 格言:笑ってごまかせ、自分の失敗、
    厳しくののしれ、他人の失敗。

 この件、ごめんくださいませ。スタコラ....

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どうでも良いことだけど2 投稿者:一同窓生  投稿日: 3月 2日(土)10時48分58秒

たしかに、sinの微分はcosになって、logの微分は1/xになってと
多項式以外はややこしい。

微分=細かく分けるという意味だと通じるかな?

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どうでも良いことだけど「 投稿者:赤い山女魚@静共闘  投稿日: 3月 2日(土)03時00分57秒

 >それにしても「微分・積分」の秀逸な比喩にはびっくり。たしかに微分を繰り返しいったら
>「ゼロ」になってしまいますよね。

多項式ならそうだけど、一般的には言えないよ。

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まぁ生田に対してそんな見方しかできないというのは 投稿者:いずみ  投稿日:3月 1日(金)23時01分48秒

 眼力が足りないですね。

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微分・積分 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 1日(金)22時43分00秒

>わかもの社さま こんばんは。「さざ波通信」のご投稿、拝読いたしました。

>趣味者からすれば、今回の「前進」論文やかつてのわが党のエグ論文みたいなものに対し
>ては党派的思考の絶対化である、と、冷笑の対象になりませんか?

 なります。そして現になっております。
 それにしても「エグ論文」ね(笑)。昔よく『ハタ』の紙面を大幅に占領していた「評論員」論文とかでございますね。あれ、ミヤケンさん直々のご執筆でしたかしら。たしかに話題の『前進』論文、文体と論法とそして立ち昇る体臭がそっくりですよね。それを嗅ぎ分ける感性が健康であること、そのとおりと存じます。
 まだ「殺し」が常態化する前、中核派が革マル派を「第二民青」と呼んだことがあるのですが、それを見た知人が、「革マルは『第二社民』、中核こそ『第二民青』だろ」と笑っていたのを思い出しました。中核派って、ヤクザっぽいところが少なくてひどくマジメではございました。その「マジメ」さの質が問題なのだと思います。
 
 それにしても「微分・積分」の秀逸な比喩にはびっくり。たしかに微分を繰り返しいったら「ゼロ」になってしまいますよね。
 
>日本左翼のこれまでの経験を「積分=Integrate」せにゃならん事態が訪れているわけです。
>ただ、党派のほうがいつまでも化石状態なので、個々人でやらねばならないのですが。

 ここからが大変。実は今、『検証内ゲバ』の共著者でもおられる生田あいさん編集の『共産主義者奔走す』(論創社)という本を読んでおります。80年代中期から始まり今に至るひとつの「積分」試行の記録で、大変教訓的と存じます。
 関西ブンド系グループの生田さんたちと、旧所感派の流れを汲むらしい御党系の方々と、65年除名の「志賀一派」の流れの旧共労党系の人々で「共産主義者の建党協議会」というのを創り、それがソ連崩壊以後に分岐を遂げて99年に「共産主義協議会・未来(コム・未来)」へ至る過程をつぶさに追うことができます。この結集の特徴は、どちらかといえば旧所感派に近いと思われる古参共産党員の方々を含んでいたことで(この間にもご高齢で何人もお亡くなりだそうでございますが)、特に、古武士のような雰囲気の寺尾五郎さんお書きの部分、筋目正しい共産主義者の言説と感銘深く読みました。
 
 この「コム・未来」から一昨年また「コム・ネット」が分岐して二派並立となったようですけど、この本にまとめられたところまででも15年ほどの時間を積み重ねた「積分」作業として、中身軽くはございません。提起され議論された問題も、よくあるミニ・グループの離合集散と冷笑してはすまぬ内容をたしかに含んでいるようにわたしには思われ、「左翼再生」にご関心の向きには「他山の石」として広く読まれてよいものと存じます。それだけに、最近の分裂は他人事ながら残念に思いますけど、焦ったり一喜一憂したりせず、効率の悪いことを承知の上でこうした試みを辛抱強く重ねていくほかないのでしょう。
 
 東京はもう沈丁花が香っておりますけど、そちらはまだまだお寒いことでしょう。早朝の配達大変でしょうけど、ご健闘を祈ります。わたしはこちらで小西さんからいただいた宿題「プロレタリア民主主義」のレポートを、隣室でつらつらと書き綴っております。

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不誠実というより>國貞 投稿者:黒目  投稿日: 3月 1日(金)22時10分52秒

わけのわからない人物だ、としか思えないのですが。
まともに、國貞氏とやりとりが成立している所を、私は一度も見た事がありません。
基本的に、なにが問題になっているのか、なにを言われているのか、という事が理解できない人なのではないでしょうか?

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>鬼薔薇さん   投稿者:わかもの社  投稿日: 3月 1日(金)17時21分22秒

お久しぶりです。
>「共産趣味」って「冷ややか」ですか?(笑)
趣味者からすれば、今回の「前進」論文やかつてのわが党のエグ論文みたいなものに対しては、
党派的思考の絶対化である、と、冷笑の対象になりませんか?
私もそれは健康な精神だと思います。共産趣味は各党派のガチガチな思考を一度和らげた、
というか、いわば「微分」したとさえいえます。
しかし、ひとしきり微分を終えた時点で、もはや微分だけしてはいられない、
日本左翼のこれまでの経験を「積分=Integrate」せにゃならん事態が訪れているわけです。
ただ、党派のほうがいつまでも化石状態なので、個々人でやらねばならないのですが。

<「上げておいて落す」古典的なコントラスト・レトリック
なるほど。あまりにも生真面目に読んでいたため気づかなかったです。

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公開質問状が出ましたので答えています 投稿者:小西まこと  投稿日: 3月 1日(金)15時15分09秒

うーん、2ちゃんねるに答えるべきか、どうか迷ったのですが売られたけんかは買わなくちゃ、と思ってかきました。まっぺんさんは「2ちゃんは相手にすべきではない」という意見のようですが。
http://money.2ch.net/kyousan/#3

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ついに居直りかよ(藁) 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 1日(金)03時19分32秒

 スパイと一緒に闘えないのに準じて(同じではないが)、自己の言動に無責任な輩とは一緒に闘えない。

 その面で、

>amlという多くのギャラリーがいる場で、なんで俺が悪罵を投げつけ
>られねばならないのか。しかも、まったくの「誤解」であり、
>あなたの「妄想」において判断されたデマゴギーにおいて。

 などと言われるに至っては、もはや「盗人猛々しい」などという生ぬるいレトリックは使えない。自らがデマにデマを重ねていることを全く自覚できていないという、おそろしくひどい状況だからだ。
 黒目さんが言うとおり、このような奴がただの市民じゃなくマスコミ人だというところに、日本のメディアの恐ろしさを感じる。

 まさかとは思うが、あのメルマガをいずみが出してる、とでも思ってるのかね?
 チミがかつてこの掲示板で「尊敬している」とあげた人物が事前討議に参加してるかもしれない、とかそういうことは考えたことないのかね??
 その感性の貧しさこそ、まさにチミが死ぬ間際に後悔することにならねばよいが、と老婆心ながらおせっかいしておこうではないか。

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だって本当なんだもん。 投稿者:國貞陽一  投稿日: 3月 1日(金)03時09分42秒

いずみちゃん。

俺が不誠実だというならそれでもいいよ。
勝手にしてちょ。あなたの日々の闘いを、俺は別に否定などしない。
ただ、デマゴギーは止めてくれ、と言いたい。
amlという多くのギャラリーがいる場で、なんで俺が悪罵を投げつけ
られねばならないのか。しかも、まったくの「誤解」であり、
あなたの「妄想」において判断されたデマゴギーにおいて。

私はそのことについて腹を立てている。
しかし、闘いにおいて、私はあなたを排除することはない。
共に闘おうと呼びかけてもいる。
それで、あなたが私を排除したいと言うのなら、
排除すればいいさ。そういうものを排外主義といい、
セクト主義という。我々は、そこから自由になるために、
新左翼運動を徹底して解体すべきではないかな。

あなたはただ、他者に悪罵を投げつけることでしか
闘争を前進しえない人だ。そのことを俺は「貧しい」と思う。
ともあれ、エールを送るから、あなたとの「論争」は
(それが「論争」とするならば、だけれども)
これをもって終了したい。

俺はもうあなたに対して悪罵を投げつけないから、
あなたが俺を貶めて、自らを前進させえるのなら、
それはそれであなたの自由である。そこにあなた自身の
<自由の沃野>があるとすればね。あなたは傷つき過ぎている。
俺はあなたを見ていられないよ。

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こんなことも書いてますね。 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 1日(金)02時41分12秒

>163 :國貞陽一 :02/03/01 02:34 ID:3HfJhATt
>勝手にしやがれ!馬鹿どもが!
>俺は2・25の主催者でもないし、宮崎学氏を
>個人情報保護法反対闘争に復帰させる画策なども
>していない。2・25はただのトークイベントでは
>ないか。俺は、観客として行った。それ以上でも以下でもない。
>いずみはただちに「妄想的」デマゴギーを中止せよ!
>お前こそ、妄想の奴隷であり、言語の墓掘り人である。
>このような貧しい言葉、反吐の出る汚い言葉を使って、
>何が楽しいのか! 闘争というものは、もっと豊かなものではないか。
><他者排撃>からは何も生まれないよ。なぜそれがわからぬか。
>馬鹿馬鹿しい!!!

 言葉の墓堀人はどちらか? 
 貧しいのはどちらか?
 反吐の出る言葉を駆使しているのはどちらか?
 他者排撃をしているのはどちらか?

 この掲示板での過去ログ、そしてダメ押し的に今回の一連の件。
 もはや、國貞が闘争破壊者であるだけでなく、人間として不誠実な輩であることは自明でしょう。

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↓これ、本人?(噴飯) 投稿者:いずみ  投稿日: 3月 1日(金)02時22分20秒

トンデモ「妄想」編集者、國貞陽一の支離滅裂ぶり

http://www1.jca.apc.org/aml/200202/26663.html

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「悪法の枢軸を撃て!」 投稿者:國貞陽一  投稿日: 3月 1日(金)02時21分00秒

各位様

3・2「メディア規制三法反対緊急集会」にご参加ください。
http://www1.kcom.ne.jp/m-soken

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メディア規制三法案反対緊急集会
「“やさしい顔”の言論統制」

青少年有害社会環境対策基本法案、人権擁護法案、個人情報保護法案――これらの法案は一見すると、市民の権利を尊重した“やさしい顔”をしていますが、その内実はメディアの自律をないがしろにし、政府・官庁の支配のもとに置こうとするものです。「表現の自由」と市民の「知る権利」を守るために、メディア、市民がとるべき行動を議論します。

日時 3月2日(土) 午後1時より4時半
会場 日本プレスセンター 10階大ホール
(千代田区内幸町2−2−1)

基調講演 奥平康弘氏(東京大学名誉教授)
    
パネルディスカッション
    桂 敬一氏(東京情報大学教授)
    北村 肇氏(『サンデー毎日』編集長)
    清水英夫氏(青山学院大学名誉教授)
    田島泰彦氏(上智大学教授)
    吉田 司氏(ノンフィクション作家)
    ペンクラブより・交渉中

参加費(資料代として) 500円

主催  個人情報保護法拒否!共同アピールの会
    日本ジャーナリスト会議
    日本ペンクラブ
    日本マスコミ文化情報労組会議
    メディア総合研究所

<問い合わせ・申し込み>
メディア総合研究所
Tel: 03-3226-0621 Fax: 03-3226-0684
e-mail: m-soken@ma.kcom.ne.jp

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「個人情報保護法拒否!共同アピールの会」事務局
國貞陽一

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「別個に進んで、共に撃つべし!撃つべし!」 投稿者:國貞陽一  投稿日: 3月1日(金)02時18分44秒

国家から<個>を奪還するために!

各位様

一部で、9・2集会、ならびにその実行委、「個人情報保護法拒否!共同アピールの会」が、マスコミ権力の<既得権益>保護運動に過ぎない、という批判があります。むろん、そうあってはならないと思いますが、そのような批判はいささか的外れに過ぎないと私は思っています。なぜなら、私たちは、<国家権力による市民監視>に対して徹底した抵抗闘争を呼びかけて来たからです。マスコミ権力に対する反発が、逆にマスコミ労働者と市民運動を遠ざけてしまうことを私は危惧します。マスコミ労働者そのものが、過剰報道、報道被害を含めて自己切開し、脱構築する道をまさぐる闘いを組織する必要があります。

従って、個人情報保護法反対闘争とは、マスコミ労働者と市民との共同の闘いでなければならないと思います。

そもそもジャーナリズムとは何か。朝日新聞も読売新聞も、商業主義に陥るあまり、ニュートラルな大衆を相手に部数競争をしています。とりわけ朝日新聞は、両天秤に世論を操作し、中間主義的な「堕落メディア」として徹底的に批判されなければならないと思います。なぜなら9・2日比谷野音集会を翌日に一行たりと報道せず、法案がまさに継続審議になった瞬間に社説で展開し、さらに有事法制の必要性をどっちつかずで説く、八方美人的な日和見主義に陥っているからです。まさにそこには「商業主義的な言論空間」があるに過ぎません。しかしながら、だからといって新聞メディアが完全に腐敗しているとは思わないのです。新聞労働者と共に連帯し、メディア規制三法の闘いを私たちは押し進める意味があるでしょう。

ジャーナリズムとは、実は個的な闘争なのです。商業主義的なメディアに所属しながら、自分こそをメディアにしつつ、何事かを言う、実は孤独な闘いです。まずこのことを念頭に置かねばなりません。もちろん、自分のメディアが国家権力によって弾圧されれば、その商業主義的なメディアをも防衛する必要があります。そのことにおいて我々は躊躇すべきではありません。
つまり、世界はすべてつながっていると言うことです。自分の手足のように、自己の所属するメディアを感じられる感性がなければ、マスコミ人としては失格なのではないでしょうか。その意味において、私たちは、個人情報保護法反対闘争をメディアの脱構築として闘い抜かなければなりません。

一方、市民の側は、「表現の自由+メディア規制+監視社会」という問題を、総体として捉える視点が必要です。マスコミ権力を批判するだけでは、個人情報保護法反対闘争は市民運動として成り立ちません。私たちは、あらゆる階級対立、階層対立の限界を乗り越えて、「高く、高く、跳ぼうではないか!」という沖縄宣言に忠実でなければならないと思います。

その意味において、個人情報保護法反対闘争とは、国家から<個>を奪還するための闘いです。
私たちは<個・人>である前に、一人の人間として存在します。<個人の情報>としてひと括りにされたくはないという感情があります。その実存的な<個>を、国家権力から、あるいは商業主義的なメディアから、我々は奪還する闘いをしなければならないと思います。このことの意味が指し示している方向とは、まさにマスコミ労働者とフリーランス、市民とを結びつける絆なのです。

我々は全戦線において、想像力を逞しくし、あらゆるセクト主義、排外主義、内ゲバ主義を完全粉砕し、共に闘う地平を獲得せねばなりません。個的なる、孤独の闘争から、人民の海へ、闘いの坩堝へと、この身を投げ出さなければならないと思います。闘いとは永久に負けるものなのです。しかし、敗者の骨を拾う者がいれば、闘いは続くのです。そのような意味で、私たちは今こそ「保守本流」を目指さなければいけません。もっとも生命の根源から、その最深部から立ち上がり、孤独であることから解放され、自らを信じ、生きることの意味を問わなければいけません。私たちこそが、生命の根源につながっているという自負、世界の一部として闘う「永久革命の戦士」として、この身を投げ出さないで、どうして世界が変わるでしょう。

現・個人情報保護法案を徹底粉砕せよ!
すべてのジャーナリストはメディア規制を許すな!
住基法ネット=国民総背番号制を粉砕せよ!
国家による、いっさいの市民監視システムに抵抗しよう!
国家から<個・人>を奪い返そう!

「個人情報保護法拒否!共同アピールの会」事務局
國貞陽一
 

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趣味・観照・冷ややか? 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 1日(金)00時41分15秒

>わかもの社さま お久でございました。

 「共産趣味」って「冷ややか」ですか?(笑)
 わたし、この言葉に接したとき、なんだかとても健康な精神を観じたのですけど。つまりね、目を怒らせた「マジメ」議論が心を狭くさせていく回路を断ち切って、「笑い」を取り戻そうというような。「観照」というより「観察」を呼びかけておりましょう?

 それから、『前進』論文でご注目の「内省」というところですけど、あれって、「上げておいて落す」という古典的なコントラスト・レトリックではないかと思うのですけど?(笑)

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↓の続き 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 1日(金)00時09分11秒

 60年代末期を学園や街頭や地域で闘った主体の主力は、社会存在としてみれば「プチブル」以上でも以下でもなかったことでしょう。たとえ「労働者/サラリーマン」であっても「プチブル/市民」としてしか登場できない局面もございます。組織労働者といえども「組織」が情勢に立ち遅れている状況では、「個人」として行動選択をせまられます。そこに「弱さ」や「制約」を見出すことは正確な認識のためには必要ですけど、100年以上も前の理論概念を機械的にあてはめて価値的に裁断するのは、たとえそれが「プロレタリア」や「労働者(階級)」の名においてなされても----いえ、そうであればあるだけ----「反動的」と申すべきではないでしょうか。なぜならそれは、目の前にある階級編成の変動や政治情勢の展開の実相から目を背けた態度だからでございます。それはつまるところ実際の戦う主体の現姿を見失い、認識と方針を主観化させていくことを不可避といたします。
 
 顧みれば新旧左翼が「ボルシェビズム」から引き継いだ政治観念というのは、こうした「反動性」を免れず、結果「階級」認識を歯止めなく主観化させていったように思うのですね。かつての共産党や新左翼の「軍事主義」への傾きも、そうした主観主義の産物ではなかったでしょうか。そして、新左翼の「内ゲバ」のひとつの要因もまた、この主観化に含まれていたのではないでしょうか。70年代に全面化する「内ゲバ」の芽が、60年代末の昂揚期の行動に内在していたと考えるゆえんでございます。

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「プロレタリア」定義 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月 1日(金)00時04分49秒

 すえいどんさんとわかもの社さんのやりとりで、党派の自己相対化という視点が出されております。相対化が「絶対化」の対抗論理である以上、この視点の重要さは論をまたぬものと申せましょう。では、その相対化の契機をどこに見出すか。それはなにより民衆との関係性においてでございましょう。その点で、左翼が「絶対化」してきた民衆像、労働者(労働者階級)像に目を向けねばなりません。タイミングを逸しておりますが、先般の「プチブル」議論でのご発言を素材にさせていただきます。

>プロレタリアは賃金労働者で、プチブルは店もちの商人、土地持ちの農民、船持ちの
>漁民、などで定義はハッキリしてるんじゃないですか。(一同窓生さん)

 それほど「ハッキリ」でございましょうか? 最近やたら増えている「店持たぬ商人」(フランチャイズの「店長」とかコンビニ経営者など)、30年このかたいろいろ現れたフリーのカタカナ職(カメラマン、デザイナー、コピーライター、スタイリスト、コンパニオン、ツアー・コンダクタ、フィナンシャル・プランナー、えとせとら)、それから、雇用関係のない「客持ちホステスさん」あたりも「定義」やさしくないのではございません? 伝統的なところでは大工さん、内職の人とかも。

 どんなに正確な「定義」にも隙間はつきものですけれど、経済の消費化・サービス化で、この種の職業もどんどん増えてきております。ご指摘にある「店持ち商人」、「土地持ち農民」、「船持ち漁民」などがはっきり減っているのは事実ですが、他方「車持ち運転手」は増えておりますね(白トラ、個人タクシーなど)。伝統型の内職は減っても、「テレワーク」とかの新型が登場しておりますし、一時期の「脱サラ」、最近のヴェンチャーだのSOHOだのって、「賃金労働者」を「プチブル」にしようという話でございましょう。

 「中間身分、すなわち小工業者や小商人や手工業者や農民、彼らはみな中間身分としての自分の存在を没落から守るためにブルジョアジーと闘う。彼らは反動的である。なぜなら彼らは歴史の車輪を逆に回そうとするからである」という『共産党宣言』の有名な章句は、これらがますます二大階級へ分解するという、資本制発展期における歴史観の表明として読むべきもので、資本制が爛熟、腐敗そして老衰へと向う時代にそのまま適用することはできぬと存じます。事実は、ますます2大階級へ分化するはずのこの「中間身分」が増加しつつあるというべきでございましょう。こうした社会層を排除した「プロレタリア」定義が、実際の政治過程で登場する主体の正確な認識にどれほど役に立つのか、はなばだ疑問でございます。

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