四トロ同窓会二次会 2002年3月14日〜17日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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民主主義のこと・インテルメツォ:「プロレタリア(ー)ト」への接近(1)(2) 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月17日(日)23時47分15秒

を3次会のほうへアップさせていただきました。小西さんからいただきました宿題、ようやくにして折り返し点へたどりついたかと存じます。

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戦時下の良心的兵役拒否 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月17日(日)23時19分54秒

 今夜のNHKテレビで、イスラエルの若者の兵役拒否のルポルタージュを観ました。「国民皆兵」のイスラエルで、18歳になった青年男女69人が占領地でのパレスチナ人攻撃を拒否して兵役を拒む動き、その当該者が軍に逮捕され、軍拘置所に収監され、釈放されてはまた再収監という繰り返しのなか、予備役300人がこれに同調し、テルアビブアでは彼らを支持する集会がついに1万人を結集するまでになったとの報道でございます。
 
 まっぺんさんのお名前と似ている「マツペン」(ヒブル語で「羅針盤」の意味)という集団がイスラエルの占領政策に公然と反対の旗を掲げて30年、今首相の座についているシャロンのレバノン攻撃が行なわれたときに「ピース・ナウ」運動が公然と反対の声をあげ、67年「6日戦争」でエルサレム占領を先導した時の将軍ラビンが首相になってアラファトと「握手」した「オスロ合意」から8年、そのラビンが東方出身ユダヤ人の青年に暗殺され、「和平」に逆流する動きが強まり、労働党の弱々しい批判をものともせず国家のテロリズムでパレスチナの圧殺へひた走るシャロン政権にとって、もっとも恐るべき事態が、イスラエルの若い世代から始まりました。
 
 「土地なき民に民なき土地を!」をスローガンにした政治的シオニズムは、今その根底から吹き上げる疑問に直面していると申せましょう。それを導いたのがパレスチナ解放闘争の血の歴史であったことは申すまでもございません。その解放闘争最良の知性は、つとにパレスチナ解放とユダヤ人解放とをひとつに重ね合わせて戦略化してございます。パレスチナ解放を欠いた「ユダヤ人差別」反対論は帝国主義へ、ユダヤ人差別告発を欠いた「パレスチナ支援」論はこれまた帝国主義へ滑り落ちて行く、そのような政治的文脈のなかで、「非宗教的・民主的パレスチナ国家建設」を謳ったPLO憲章を読み直すべきときでございましょう。
 
 一切のユダヤ人差別反対、シオニズム反対!
 
参考文献:@広河隆一『ユダヤ国家とアラブゲリラ』(草思社)
     Aアブラム・レオン『ユダヤ人問題の史的展開』(湯浅赳夫訳、現代評論社)
     Bフェリシア・ランゲル『イスラエルからの証言』(広河訳、群出版)
     
註:@は、キブーツに魅せられてイスラエルに渡り「6日戦争」を現地で経験してシオニズム批判に転じた広河さんの著書の原点をなすもっとも水準の高いもの。Aは今では版元が変わっているかと思います。原題は「ユダヤ人問題の史的唯物論的解釈」、著者はナチス占領下のブリュッセルで活動し、最後はガス室へ送られたトロツキスト。同書のフランス語版からの訳が別に法政大学出版から『ユダヤ人と資本主義』という書名で出ており、こちらはロダンソンの長文の序文が貴重でございます。Bはイスラエルの人権派女性弁護士の苦闘の記録。@の著者広河さんの苦心の訳でございます。

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こんばんは 投稿者:TAMO2@反共2割  投稿日: 3月17日(日)22時35分22秒

 反共精神さん、こんばんは。

 物理学におけるド・ブロイ波というもの、あるいは相対性理論もトンデモと思われた時期があったようです。マルクスあるいはリカードは、価値の実在を労働(力)に置きました。そのための論証は膨大であり、一言で言い切れません。また、これは歴史的に論証されたものであり、純理論によるものではないです。「自然科学でないすべての科学は歴史科学である」(『経済学批判』)と彼は申しております。それは、自然科学ほどの客観性を保持できるものではない、と思います。(他の例で言えば、宗教学に様々な見方が出ることを思いをめぐらせてもらえばよろしいでしょうか。自然科学でさえ今の定説は「ト」扱いの時期がありますし、ましてや歴史科学は立場が異なるだけで「ト」になる可能性があります。)

また、近代経済学はマルクスが問題にしたことの一部を精緻化したに過ぎない、と聞いたことがあります。その限りにおいて、乗り越えられた、と。(神戸大学の置塩氏の受け売りですが。)逆に言えば、マルクス主義が人類に提示した宿題は数多くある、というこ
とでしょうか。今、世界的にはマル経の逆襲が始まっています。ある派はレギュラシオン、ある派はAnalytical Marxismとして。これらの流れは、あなたも私も大嫌いな現在のパリサイ人=日本「共産」党とは無縁と言っていい流れでしょう。

 さて、
>(1)使用価値は価格に影響を与えるのにもかかわらず、マルクスはそれをほとんど無視している。
 これは、マルクスが社会的・平均的という「ラフな」言葉で個々の取引を捨象して現象を論じるために起こる話であり、一定同意できます。ですが、1917年の革命後、社会運営に関連してその辺の「精緻な」議論はなされております。「産業連関表」は、その産物です。

>(2)市場経済において、価格は労働だけではなく生産に必要な資金よっても影響を受ける。
 これは、申し訳ないですが、誤解というか、理解不足です。二つの答え
方があります。まずは、資本論第一巻第二篇第八章あたりを読まれたらいかがでしょうか。c:固定資本、v:変動資本、m:利潤という形に価格は分解されますが、そのうち労働はv、その他の必要な資金はcに分類されます。後3行への回答もこの中に含まれます。また、原材料なども労働力を消費し、究極的にはそれに分解できるとするならば、交換価値に体現されているものは、全て労働価値であると理論上は言えるのではないでしょうか。この辺の理論は、リンク先の「マルクス経済学入門」にあります。さほど長くはないですので、お目通しされたらいいと思います。

>あとそれから、労働量という概念は、労働力のうち労働がどれくらいの時間続いたのかという
>ことといった理解でよいのでしょうか?
 正確には、「社会的・平均的」にですが、そのとおりでいいと思います。なお、労働力はポテンツであり、労働は対象(商品)に表現されたものです。

 では、今週は出張でしばらく不在となります。

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反共は反共産党 投稿者:反共精神  投稿日: 3月17日(日)22時01分28秒

みなさん、レスどうもです。

>黒目さん

>自分はどういう事がを考えていて、どういう問題意識で、そういうことを考えたのか、というよ
>うな話をしていくようではないでしょうか?

わたくしめは、経済学を学び始めたばかりでマル経も近経もあったものではないですが、やはり今の印象では、マルクス経済学は時代遅れと言った感じがします。それに加えて、わたくしめは偽善者集団である共産党が大嫌いですので(マルクス主義のインテリには偽善者が多い)、これからも共産党には批判的な立場にたつでしょう。自分のひかれる思想はリバタリアニズムです。ここのホームページは他のとちがってマルクス主義で頭がガチガチといった感じではないので、考えは違ってもまだ議論は成立するだろうという希望はあります。

>TAMO2さん

資本論はきわめて難解なので独力で読むことはほとんど不可能です。
マルクスの経済学は当時においては最新だったかもしれませんが、今となってはもう完全に他の学説によって乗り越えられたといった感じがします。以下に自分の感じた疑問点を全部ではないですが二つほどあげておきます。あと、労働価値説は認める認めないといったもんではないと思います。亡霊の存在を認める認めないといったトンデモ科学ではなくて、経済学はちゃんとした科学なのですから、現実を説明できなければ間違っているのだし、説明できるのであれば正しいということになります。

(1)使用価値は価格に影響を与えるのにもかかわらず、マルクスはそれをほとんど無視している。
(2)市場経済において、価格は労働だけではなく生産に必要な資金よっても影響を受ける。

質問がありますので、お答えいただけたらよろこびます。
マルクスは交換価値にもとづいて商品に価格がつけられると説明していますが、市場価格が近づこうとする価格には、労働賃金と平均利潤のほかに、原材料費や減価償却費が含まれるのでしょうか?含まれないのでしうか? 
あとそれから、労働量という概念は、労働力のうち労働がどれくらいの時間続いたのかということ
といった理解でよいのでしょうか?

>まっぺんさん

>価値と価格は、全然違う概念のはずです。

価値というものは現実の市場においては相対的なものであり、労働量だけで絶対的に決められるものではないと思います。それに対し、今の自分の理解ではマルクスは価格=労働賃金+平均利潤で交換価値を価格に変換させており、平均利潤の部分は資本家が労働者から泥棒した部分だと言っているんではないかと思います。マルクスのいう「価値」といった概念が現実の世界において価格といった具体的なものに繁栄されなければ、その概念は無意味なものになります。そのへんマルクスがどのように説明しているのかといったことを正確に理解したい願望があります。

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かめさんはそちらの関係のひとだったのか 投稿者:黒目  投稿日: 3月17日(日)20時48分15秒

この本を読んでみないことにはなんですが、「めし」という「原点」が、生協労働者の犠牲的労働によって供給される、てな話だと、かなりイタイと思うのですが。。
 樋口篤三氏が具体的に生協で何やったか、知らないのですが、ちょっと考えてみる価値はあるかなあ。

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樋口篤三氏の熱 投稿者:一同窓生  投稿日: 3月17日(日)09時11分42秒

左翼運動家のなかでは好きな人ですね。演説に熱を感じる。不破、志位ではこうはいかない。
「めし」を原点にするところに臨場感がある。理屈じゃなくてめしを分け合って食べることが
大事なんだ、という考えなんでしょうね。

69年の秋だったと思うけど、共労党の3分解のときに労働者派の中に樋口篤三氏の名前が
あったことを記憶している。党には極秘だが権力にはつつぬけの火遊びをやる、と赤戦派
=いいだもも氏を痛烈に批判していたのが印象に残ってます。

不破、志位などにはスターリニスト特有の「におい」があって、全然好きになれません。かつて
「運動圏」に合流してきた「新日和見主義派」にもその残滓は少し感じましたが..。とする
と、共産党を離れる時期が早ければ早いほど、「におい」は少ないという法則があるのカナ。

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悪い人じゃないんだろうけどさ 投稿者:かめさん  投稿日: 3月17日(日)00時22分25秒

むかし生活クラブ生協で生協職員が労働組合を作ったとき、樋口篤三氏は反労働者的なちょっとヒドイことしたんだよね。反省してくれているのかな。

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樋口篤三氏の本 投稿者:まっぺん  投稿日: 3月16日(土)16時21分15秒

「かけはし」最新号に樋口篤三氏の『めしと魂と相互扶助』の書評が出ています。そこから一部転載します。
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 ふたつめは、社会革命の戦略の不在のまま、極左的急進主義を繰り返し、大衆運動の衰退期にはセクト主義を顕在化させ、内ゲバ主義を生み、テロリズムに走った経過を検証している。「七〇年代初めに新左翼の信頼が、広範な社会と人びとから、一挙におちていった最大の問題は`内ゲバaであった。……革共同両派、そして革労協が『革命と反革命』などと位置付け、どう理論化しようとも、それは当事者のみに通用するものであった。……この内ゲバの思想的政治的根源には、日共マルクス主義いらいのマルクス・レーニン主義のあり方、思想を日本化しえないことと結びついた革命道徳のあり方がある」と断罪している。
 われわれはトロツキズムを学ぶことによって、内ゲバ主義と一線を画してきたが、女性差別事件を起こし、われわれ自身の思想的限界を露呈させた。彼が指摘するように、革命モラルは単なる戦術ではなく、日本の市民社会、政治社会で手きびしく拒否された新左翼が、敗北を自己批判し社会主義の再生にむけて新たに立ち向かう闘いの中で構築されるのである。近頃、新左翼運動の中で`内ゲバaをとらえ直そうという気運が広がっている。本著はその討論の材料として有効な役割を持っていると断言できる。
****

なお、同号アルゼンチン左翼統一戦線へ向けた動向についての論文も「統
一戦線」のあり方をめぐっての分析があって参考になると思います。

http://www.jrcl.net/web/frame0318j.html

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臨夏さんの投稿 投稿者:まっぺん  投稿日: 3月16日(土)11時58分59秒

反共精神さま>
わたしは、経済学については、まるで素人であり、
まったく見当違いのことを言うてるかも知れないのですが、、

まず、価値と価格は、全然違う概念のはずです。
そして、交換価値は、労働量によって、絶対的に決まる概念ではなかった
でしょうか?

あかん(^^;、、もう忘れました。
というより、昔からちゃんと勉強してない(苦笑)

詳しくは、(もう御覧になってはるかもしれませんが)、
『資本論』第一巻、第一部、第一篇、第一章=商品、、
または、
マル経の、『経済原論』各種
をお読み下さい。

頓首頓首

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とりあえず・・・ 投稿者:TAMO2@反共2割  投稿日: 3月16日(土)11時21分51秒

 反共精神さん、こんにちは。いいところに気づかれたと思いますよ。

 資本論第一巻、第一章を熟読されたらいかがでしょうか。その「背景」にあるものが、所謂労働価値を前提としていること、それが交換価値を規定していること、それがクビキというか要石であることが示されています。市場での交換の比率が何に規定され、それらがどのようにして交換価値を形成するかと。但し、そのレベルではまだ搾取などの問題は出ず、それには第二章交換過程・・・第五章労働過程と価値増殖過程まで進まないとダメですが。

 だが、労働価値説はリカードやマルクスの最大の間違いであるという説もあります。認める、認めないはご自由ですが。個人的には、かなり妥当な説であると思います。他の理論は、循環する水の上の水草のみを論じているように思います。

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反共精神さんへ 投稿者:黒目  投稿日: 3月16日(土)11時01分19秒

 やはり、自分はどういう事がを考えていて、どういう問題意識で、そういうことを
考えたのか、というような話をしていくようではないでしょうか?
 「子供なんでもダイアル相談室」じゃないんだからさ〜、「質問です」つったって、答えなきゃならん、てなもんでもないでしょう。
 あなたが面白い問題意識を持っているな、と誰かが考えたら、ある程度の議論になると思いますが。

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敵を知る 投稿者:反共精神  投稿日: 3月16日(土)01時30分33秒

はじめまして。質問があります。

交換価値が具体的にどの程度なのかは実際に市場で取引されて価格をつけられないとわかりませんよね。しかし、価格と言うものは需給の関係によって常に変動します。とすると、市場における価格はそのままの交換価値を表していないということになります。だとしたら、交換価値は何によっても正確に測られないということになり、現実的にはなんの訳にも立たない空虚な概念ということになってしまわないでしょうか?

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臨夏さんのおっしゃるとおり 投稿者:つむじ風  投稿日: 3月15日(金)13時50分31秒

トロツキーとマルクスの著作からの当て推量です。話は少しずれるんですが、レーニンとトロツキーが対立していたころ、トロツキーはレーニンのことをマキシミリアン=ロベスピエール=レーニンと攻撃したというエピソードを読んだような気がするんですが、気のせいかな(^-^)

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臨夏さんからの投稿です(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日: 3月15日(金)09時56分11秒

(まっぺんさん経由ですが、、)

その通りです、革命暦が使われてたころの事件やからですよ。
ジャコバン独裁下の国民公会が、1792年11月24日に始めて、
ボナパルトが皇帝になって3年目の1806年1月に廃止されてますね。

ロベスピエール萌え〜vv 国民公会萌え〜vv 

つむじ風さん>

あっそうか!
マルクスとかトロツキーの皮肉のほうか!
てっきり。。(^^;
わかりました〜(^^)

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革命暦 投稿者:つむじ風  投稿日: 3月15日(金)08時42分07秒

小生もうろ覚えなんですが、テルミドール反動はトロツキーがスターリン独裁確立に対してよく使っているし、「ブリュメール17?18日」はマルクスの著作だからフランス革命の時代とはずれますよね?それでヨーロッパの革命家はフランス大革命によほどの郷愁を抱いていたのかと思ったわけです。詳しい方のフォローを求む!(^-^)

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革命歴? 投稿者:すえいどん  投稿日: 3月14日(木)17時26分36秒

テルミドール反動もブリュメール18日も、その暦が使われていた時におきた事件だからじゃないんですか?うろ覚えですが。

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革命暦 投稿者:つむじ風  投稿日: 3月14日(木)15時48分15秒

テルミドール反動とかブリュメール18日とかどうして革命後のフランスの革命暦を使うんでしょうね?よほど自らをフランス革命と関連つけたかったのでしょうか。駄文失礼。

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ミヤザキを 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 3月14日(木)01時32分09秒

 国労分裂を画策した何たらユニオン,と読み替えると,全く今の国労本部と同一なわけで。

 官僚組織というのは,右だろうが左だろうが,(自称)ボルだろうが社民だろうが,すべからく同じ法則性がある,というのは別に新しい発見でもなく,やっぱ当たり前のこととして目の前に迫ってくるワケなんですね。

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反戦自衛官の声明A 投稿者:小西まこと  投稿日: 3月14日(木)00時47分26秒

このように見てみると、私たちは、この前進紙上の文章は革共同政治局が初めて30年間における自らの反戦・反軍運動の総括をしたと見ている。なんと、あわれで情けない総括であろうか。革共同自らたたかった反戦・反軍運動を否定し、現場で苦闘しながら、たたかい通した労働者・学生・民衆・兵士すべてにツバを吐きかけているのと同じである。
 小西決起以来30年の反軍運動。その間革共同政治局は何をやってきたのか。すべて小西氏にまかせきりで、その運動を学ぼうともせず、反軍戦線を党の利益のみに利用してきた。そして今「新しい反軍戦線の形成が、一定の結実を始めている」と、確信をもって記しているが、現実の革共同の反軍戦線は、崩壊寸前ではないか。党による「上意下達」的統制・規正だけを押付け、民主的な運営や自主性を剥奪した自衛隊バリの党中央の指導の歪みによって、反軍戦線はバラバラである。
 なぜ小西氏の批判を真剣に受け止めようとしないのか。小西氏は、「反階級的」「権力側」に立って批判しているのではない。まして革共同に敵対し、誹謗・中傷しているわけでもないことは誰の目にも明らかである。
 真に日本の左翼運動を見据え、「再生」の道を真剣に提示しているのである。戦争国家の道を一歩一歩あゆみだした日本。このまま行けばアメリカと同様、左翼運動が壊滅させられ、国益のために他民族・国家を虐殺・侵略することによって、権力体制が民衆から支持され、維持される。そんな国家にさせないためには、日本の左翼運動の「再生」が急務である。
 最後に、前進紙上の「徹底的断罪を」の中で、小野田兄弟・三島の名があるが、肝腎の宮崎学がないのはどういうわけなのか。宮崎自身「公安と取引をしたが、その内容は墓場まで持っていく」とまで公言しているのだ。
 「非合法・非公然体制」と自称している革共同は、宮崎によってガラス張り状態にさせられたのだ。そんな宮崎を「免罪」したいのであろうか。小西氏の資料の暴露がなければ、ガラス張りのガラスさえ割られていたのだ。政治警察・公安調査庁の手のひらに乗せられていたのはどっちであろうか。現実の革共同の組織体制は、外には「合法・公然」、内には「非公開・非公然」体制である。ここまでくれば悲劇を通り越して喜劇的である。
 こうしてみてみると、前進紙上の文章は主語が違うのではないか。「小西」という主語を「革共同政治局」もしくは「議長・清水丈夫」とすればピタリとくる文章である。
 私たちは、直ちに革共同政治局が先の論文(第2043号)を全面撤回し、真摯に反省することを要求する。
                2002年3月14日
                片岡顕二(反戦自衛官)
                佐藤備三(反戦自衛官)
                藤尾靖之(反戦自衛官)

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「前進」の「小西反革命規定」への反戦自衛官の声明@ 投稿者:小西まこと  投稿日: 3月14日(木)00時46分52秒

反戦自衛官の声明が出ましたので紹介します。
 
  革共同機関紙『前進』は小西誠氏に対する
         「反階級的転向分子規定」を直ちに撤回せよ

 前進紙上で、小西誠氏を「反階級的転向分子」(第2043号)と規定した革共同に対し、かっての「反軍兵士・小西誠」はもちろん、現在の小西氏を知るものとして、怒りをもって反論する。細部にわたる詳細な反論は、本人(小西氏)に委ねるが、ともに苦闘しながら、反戦・反軍運動をたたかった反戦自衛官として、我々はここに共同アピールを発するものである。
 そもそも小西氏を「転向分子」と規定した根拠に、90〜91年の「相互批判の闘争から逃亡し、反軍戦線指導の破産をみすえようとせず…。」としているが、91年といえば、戦後初めて自衛隊が海外派兵を強行し、それに対し「掃海艇のペルシャ湾派兵反対」の声をあげ、私たち3兵士が隊内から決起した年である。3兵士の一人藤尾は、このたたかいの中で、強制的に連れ戻された隊内で、上司に「お前は部落民だろう。だからこんなことをやるんだ」といわれ「部落差別は許さない」と宣言、病院にかつぎ込まれるまで8日間のハンストを決行したのだ。これは3兵士のそれぞれの人生をかけ、時には生命さえも賭して、たたかいとられたものである(掃海艇裁判を放棄したことは明らかだ)。
 そこには当然、小西氏の反軍戦線の指導がある。それを「破産」と規定するならば、一人の人間として、さらに「制服を着た労働者」としてたたかいとられた、私たち3兵士の決起・たたかいを全否定したのと同じ事である。しかも、これを「ある種の軍事クーデター」(『前進』)とでもいうのであろうか。
 下級兵士、士・曹の決起・反乱は、人権も人間性さえも剥奪された軍隊の中からの、自己解放・人間解放の叫びである。それと比して、幹部・将校の反乱は、時の権力者と結び、民衆を軍事的に弾圧し権力を掌握する。
 ここまで書かなければならないのかと情けなくなってくるが、この幹部・将校の反乱を軍事クーデターといい、曹・士の決起・反乱がどんなに大規模になろうが、軍事クーデターとは言わないし、軍隊の構成や社会的構図から軍事クーデターには絶対ならないのである。
 小西氏の過去・現在のたたかいや著作、反軍戦線の指導はもちろん、私たちの30年間の反軍闘争において、反軍工作の対象はあくまで「制服を着た労働者」である曹・士である。さらに前進紙上では、91年以降数年間「大衆運動の妨害物として振る舞う」といってるが、小西氏は、この間反戦共同委の代表として、「PKO派兵阻止」の最先頭にたち、小牧基地正門を「解放区」的に制圧した大衆的な実力闘争や北海道の千歳基地を包囲した大衆的な反戦闘争を指導したことは、当時を知り、現場でたたかった者の周知の事実ではないか。その後は、「自衛隊の海外派兵を阻止する」という目的をもった反戦共同委に、革共同の路線・運動を持ちこみ、革共同の代理機関と化し、人員的にも減少し、大衆運動とは名ばかりの現在の姿。その責任はもとより、結果的に「大衆運動の妨害物として振る舞った」のは革共同政治局ではなかろうか。 

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雑談・アメリカ左翼のことなど 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月14日(木)00時41分05秒

 ジョン・リードの『十日間』は、ロシア革命史の入門テキストとしてずいぶん広く読まれたと思いますが、映画『レッズ』を観るまで著者の人となりなどは理解の外でございました。エマ・ゴールドマンなども登場して、あれはほんとにアメリカ左翼人物伝みたいな作品でしたね。封切りの少し後に古参共産党員のおじさまが観て、涙ぐんでおられましたっけ。
 
 戦後のマッカーシズムについては、ローゼンバーグ夫妻が電気椅子で死刑にされた事件が子供心にも強い印象でございましたが、最後の拠点ハリウッドでのアカ狩りの生き残りが主人公になった映画は、ええと何といいましたっけ....。アメリカ映画人の世界に深い傷を残した歴史だったことを思わされました。少し前話題になったのは、エリア・カザンの「偽証・密告」事件ですね。戦後世界を魅惑した50年代ハリウッドは、そんな反共の嵐の後の世界だったのかと後でしみじみ。でも、『ピーターパン』など夢多い作品を送り出したあのディズニーが「反共協力者で仲間を次々と密告した」(つむじ風さん)とはまったく存じませんでした。
 
 アメリカ社会の反共主義の根強さは名高いものがございますが、『マンスリー・レビュー』誌に拠ったヒューバマン、スィージーなど非共産党系独立左翼もおりましたし、AFLとの合同に加わらなかった旧CIO系の港湾労働組合は西海岸で健在でしたし、60年代になると黒人労働者の左翼がオートメーションの近代工場労働者のメンタリティをもって登場いたします。その伝統はデトロイトを中心にした「レイバー・ノーツ」グループに引き継がれて今に至っているのではないでしょうか。最近翻訳が出たグレゴリー・マンツィオス編『新世紀の労働運動』(戸塚秀夫監訳、緑風出版刊)は、近年のAFL・CIOそのものの大きな変化を伝えております(この原書、マンスリー・レビュー社の出版なのですね)。アメリカ左翼がゆっくりと再生へ向かって動き始めているように感じます。それは、トロツキズム対スターリニズムとはすこし違った文脈でのことではないかと思うのですけど。
 
※そういえばこの本の監訳者戸塚さん、かつて共産党東大学生細胞でひどいリンチ査問を受けたことのある方とか(不破さんもご一緒だったかもしれません)。----などと「内ゲバ」ネタへひっぱってみたりして(笑)。

 日本共産党内の最近の読書傾向のこと、ご教示ありがとうございました
>わかもの社さま。
ご年配の方がマルクス読まなくともいいかとは思いますけど、若い人がマルクス、レーニンに無関心になったら「共産党」とは言いにくいものを感じますね。まぁ、今や新左翼も似たりよったりかもしれませんけれど。そうそう、ご近所の高齢の党員の方がスターリン全集を揃いで持っておられて、実はわたし、ひそかに狙っておりますの(笑)。

 最近読んだ広松渉『マルクスと歴史の現実』(平凡社ライブラリー)、ジョン・リードが感動した革命ドラマの表と裏とが見事に絵解きされているように思いました。ひょっとしてこれ、生田あい『誤謬』のネタ本じゃないのかしら(巻末の参考文献にはありませんけど)。
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