四トロ同窓会二次会 2002年5月26日〜28日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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定義の継ぎ足しについて 投稿者:黒目  投稿日: 5月28日(火)23時58分53秒

「スターリン主義」なる語の定義を巡って、せみまるさんと話をしてきたわけですが、例えばせみまるさんは、こう書かれています。

>ひよりんさんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 5月23日(木)14時10分32秒

「特徴」はまさに特徴です。スターリン主義の特徴のひとつは、民主主義的手続きを踏みにじって自己の主張を強引に押しつけ、それによって他者を支配するところにあります。これは形態としてはいろいろな形で表現されるでしょう。たとえば・・・

(1)極端に非民主的な方法での選挙や決議。
(2)誰もが認めるひと(例えばレーニン)の言葉などを断片的に巧妙に組み合わせて自分の主張に権威を持たせる
(3)ウソやデマによって反対派をワナにかけて失脚させる。
(4)暴力や、それを背景とした脅迫によって反対意見を屈服させる。
(5)反対者の肉体を抹殺することによって、反対意見そのものを抹殺させる。

・・・等々、いろいろあるわけです。上にあげた5つ以外にもいろいろあるでしょう。内ゲバもその手段のひとつです。これらの手段をひとつひとつ挙げて「スターリン主義と認定する」ことが必要なのでしょうか? 方法としてはそうではないと思います。スターリンはあらゆる方法を駆使して政敵を抹殺し、自分の政策を推し進めていったわけですが、そうした「手段の認定」ではなく「手段の背後」にある労働者民主主義の抹殺を「スターリンの犯罪」=「スターリン主義体質」として告発していくべきだと思います。

だから「明らかにスターリン主義の系譜にある組織が内ゲバをしなかった」というような「現象」をあげる分析の仕方ではスターリン主義の問題を論じたことにはならないと思うのです。いや、そもそも、「スターリン主義の系譜にある」から「スターリン主義者だ」という断定自体がまちがっていると思います。

>>引用ここまで。
この、1〜5までのいくつかに、少なくともボルシェビキの反対派殲滅という事例は確実にあてはまるのであり、せみまるさんの方式でいけば、ボルシェビキの反対派殲滅という事例は、「スターリン主義体質」の産物である、という事になろうかと思います。
しかるに、せみまるさんはここで、この事例は「スターリニズムの問題点ではない」と断言される。で、そうではないということの根拠として、「党の権力を簒奪する過程、その簒奪した権力によって国際的な共産主義運動を破滅においやった過程」という「新基準」が提示されるのです。
過去ログをご覧下さい。「スターリン主義」という語の意味を、スターリン首相の政策や思想、その結果として生み出した現象、そこから派生した現象などの、本家本元のスターリンとの関連で理解できるものに限定して考えるべきであり、そうでなければ、著しい用語の混乱を生む、と主張してきたのは俺ではないのですか?
せみまるさんは、どの時点で宗旨替えをされたのでしょう?
せみまるさんの論法は、「内ゲバはスターリン主義の産物である」という仮定の下に、内ゲバとして確認される事柄に対して、スターリン主義という言葉を貼り付けていく、というやりかたであります。で、その言葉の意味や定義は、その貼り付ける先の塩梅によって、修正される。俺はここで、あえてせみまるさんが「スターリン主義」というレッテルを貼り付けることが出来ないであろう事例を提示する、ということをやりました。この事例は、これまでのせみまるさんのレッテル張りの法則でいけば、「スターリン主義」の範疇に入れなければならない事例です。しかし、せみまるさんは、「スターリン主義」という言葉の定義に、「党の権力を簒奪する過程、その簒奪した権力によって国際的な共産主義運動を破滅においやった過程」なる「新基準」を継ぎ足す事によって、この事例が「スターリン主義」の範疇に入る事を回避しようというのです。
ここで明らかなのは、せみまるさんの「スターリン主義判別法」が、全くの恣意的なものであるに過ぎないということ、せみまるさんの「スターリン主義の定義」がどこまでいってもあやふやで形がはっきりしないものであるのは、このために、「定義に弾力性をもたせた」ものである、ということであると思います。

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「スターリン主義」ってのがよくわからない 投稿者:赤い山女魚@静共闘  投稿日: 5月28日(火)23時34分38秒

お 取り込み中すいません。せみまるさんのいう「スターリン主義」ってのがどうもよくわからないですが。

 内ゲバその他が、頭痛や吐き気だとすると、「スターリン主義」がウィルスに相当するとのことですが、「スターリン主義」を標榜しないばかりか、「反スタ」を標榜する党派も陥っているとなると、「諸現象の総和の言い換え」以上の内容があるのか、と思ってしまうのです。

 で、仮に顕微鏡がなくて、ウイルスそのものの姿を見る事が出来なくて「ウイルス」というのが仮説の段階であったとしても、その仮想の「ウイルス」なるものは人を介して広がっていく、乾燥してると活動が活発、とかが分かれば、人々は何らかの「実体」としてその存在を認めると思うのです。

 ところがどうもこの「スターリン主義」というのは、私にとってはまだまだ「実体」として認識できません。例えばそれは、どのように「感染」したのでしょうか?自然に発生するとしたらスターリン以前にも「スターリン主義」は存在してもよさそうなものです。スターリンの手法を意識的か、無意識的か採り入れた組織があって、それを他の組織が真似して、という具合に延々今日まで継承されてるのでしょうか?

 それから言葉の問題ですが、わたしはなるべく「固有名詞+主義」というのは使わない方が言いと思います。マルクス主義者たらんとするなら、マルクスの著書をよんで鍛錬が必要で、スターリン主義はスターリンの「ス」の字も知らないでも、油断するとなってしまうとなると、同じ、「固有名詞+主義」でも随分扱いが違ってしまう事になります。

 ついでに言うと、「内ゲバ殺人をなくすためにはスターリン主義を克服すべき」、というのはあまり意味がないんでしょうね。目的意識的な殺人なんて、やろうと思ってもなかなか出来るものではないが、スターリン主義には容易に陥るし克服するのは大変なら、「前者を引き起こさないために後者にならないようにする」、よりも、「スターリン主義に陥っても人は殺さないようにするほうがずっと実現しやすい」わけだし。

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ほう、それでは 投稿者:黒目  投稿日: 5月28日(火)22時36分46秒

「党の権力を簒奪する過程、その簒奪した権力によって国際的な共産主義運動を破滅においやった過程」という2つの要素を持たないものは、スターリニズムと呼ばないということですね?

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回答しているつもりですが 投稿者:せみまる  投稿日: 5月28日(火)22時19分57秒

それでははっきり言っておきましょう。
ボリシェヴィキの問題点は「スターリニズム」の問題点とは違うものです。
スターリニズムはスターリンが党の権力を簒奪する過程、その簒奪した権力によって国際的な共産主義運動を破滅においやった過程の考察のなかから生まれたものと解釈するべきです。内ゲバはその有力な手段です。

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国際主義なら大丈夫なのか? 投稿者:すえいどん  投稿日: 5月28日(火)21時20分14秒

いつもお世話になっている宮地健一さんのホームページ・レーニンの項から要約引用。
レーニン・スヴェルドロフは、権力奪取の7カ月後、80%・9000万農民にたいする内戦を自ら仕掛けた(1918年5月「食糧独裁令」の貧農委員会方式によって、「富農」にたいする階級闘争という内戦を勃発させ、「農村の社会主義革命」をやろうとした。結果として、激発した農民「反乱」との戦闘と白衛軍との内戦という“二正面作戦”に追いこまれた。さらに、「世界革命戦争、まず対ポーランド戦争・侵攻」のために、レーニン・トロツキーは、赤軍の正規軍化と徴兵による500万人拡大路線を採る。その非生産者500万人を養う「兵糧確保」政策にまったくの無策。とどのつまり貧農委員会方式が、わずか7カ月間で行き詰まり、転換した政策は、農民の生産意欲を無視し、踏みにじった「軍事=割当徴発」制という「食糧収奪」路線。この“三正面作戦”遂行のために、ボリシェヴィキの産業政策が武器・軍需生産強化に集中し、国民・農民向けの消費財・生活用品生産を後回しにし。食糧だけでなく、燃料・衣料・靴などを極度に欠乏させた。メドヴェージェフは、従来の外国干渉軍・白衛軍という内戦の主要原因説を否定し、この「食糧独裁令」こそが、内戦の地域・期間の拡大とその大惨禍の主要原因の一つとした。レーニン・トロツキーは、『ドイツ革命の勃発と成功近し』という、彼らの国際情勢認識と、それへの“熱烈な願望”から、先進資本主義国ドイツにおける「プロレタリア革命」の勃発を“絶対的前提”とし、かつ、それが成功するものと“仮定”し、そのためには、後進国ロシアの“ボリシェヴィキだけによる抜け駆け的な単独権力奪取クーデター”を「世界革命」の導火線とするというギャンブルを行ったのである。レーニンの単独武装蜂起・権力奪取クーデターに反対したボリシェヴィキ指導者のジノヴィエフ、カーメネフや、ソヴィエト内社会主義政党のメンシェビキ、エスエルは、『ドイツ革命の成功』というレーニンの情勢判断は、まったくの誤りだとしていた。ドイツ革命は失敗し、ハンガリー革命も鎮圧され、ポーランドにたいする「プロレタリア革命の“輸出”戦争」も、ポーランド軍によって撃退され、赤軍は惨敗した(望んだ目は出なかった)。
もちろん、このような判断には当然異論はあるでしょうが、国際主義必ずしも反内ゲバの道ではないのでは。地獄への路は善意の敷石で・・・

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このような頓知論法がなんの役にたつのか、全く謎ですが 投稿者:黒目  投稿日: 5月28日(火)21時03分29秒

1.そもそも俺は「スターリン主義」なる語の定義を問題にしているのであり、「スターリン主義の例として」、ボルシェビキの反対派殲滅の例を出しているのではありません。
2.俺は、ボルシェビキの反対派殲滅の事例が、せみまるさんの定義するところの「スターリン主義」に当てはまるのか、否か、という事を聞いているのですが、この問いに関しては、せみまるさんは奇妙な論点ずらし、すなわち、当時のボルシェビキの事情という問題を持ち出すことにより、回答されていません。
3.これが「スターリン主義」であるのか否か、という問い、これに、解放派のいつのどのゲバはスターリン主義であり、いつのゲバはスターリン主義ではない、というような細かい分別を行うことのできるせみまるさんが、端的に回答できない、というのは大変に奇妙なことであると思われます。
4.せみまるさんの説によれば、思想的系譜の流れとは関わりなく、「スターリン主義体質」なるものは「発生する」ものであり、スターリン以前の運動の中に「スターリン主義体質」が発生する、という事は、せみまるさんの話の枠組みのなかでは当然ありうる話であり、時系列と関わり無く、せみまるさんが解放派についておこなったような分別が、ボルシェビキに対しても行うことが可能であるのは当然であります。

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やまさん、ありがとうございます 投稿者:まっぺん  投稿日: 5月28日(火)20時29分11秒

えーと、「せみまるVS黒目バトル」がどーなっていくのかわかりませんが
TAMO2さんからも貴重な意見が出ています。
まちがいをおそれず、いいたい事をどんどん言ってください。
あるいは、まちがいだらけな主張が飛び交うのかもしれませんが、
そのなかで、おたがいに何か得るものがあればいいと思うので。
投稿を期待します〜〜\(^o^)

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一国社会主義と内ゲバは深い関係が. 投稿者:やまさん  投稿日: 5月28日(火)20時15分27秒

 いつもワクワクしながら皆さんの議論を見ていました.自分の意見を述べたくなったので,メールします.
 一国社会主義はそれまでの共産主義思想の中軸となる考え,「国際主義」を否定するものでした.一国社会主義の思想は,ソビエト社会主義連邦を守ることを至上命令とし,国際主義をその元に跪かせ,各国の共産主義運動を国ごとに分断しました.そのような方針は,権力を一国的に防衛しようとするスターリンによってもたらされました.世界の労働者の多くはソビエト社会主義連邦を自分たちの希望の星と思っていたに違いありません.しかし,スターリンはこのような世界の労働者の気分を,自己保身の為に利用してしまったのです.
 戦時中の日本共産党の人たちが行った反戦闘争は,素晴らしいものだったと思います.彼らは,日本民族のための戦いではなく,世界の仲間の未来の為に,闘ったのだと思います.「国際主義」は,国内ではいつでも民族的な団結を壊すような問題行動をとります.というのは,彼らは民族的な団結ではなく,人類の連帯を求めるからです.これこそが,民族主義者にとって共産主義こそが不倶戴天の敵である根本的な理由でしょう.今,共産主義を目指す人間や運動にとって「国際主義」に基づいた運動になっているかどうかが,時代の変革にとって有用な方向を向いているかどうかの判断基準になりえるように思っています.世界の共産主義者に向かって,「共に活動しよう,我々は今・・・・が重要と考えている」と呼びかけられるような思想を目指すなら,内ゲバは存在できないのではないでしょうか.
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念を押しておきましょう 投稿者:せみまる  投稿日: 5月28日(火)19時42分29秒

>スターリンにすら、やったことの事情を聞けば、数多くの理由が挙げられるでしょう。
>「目的は手段を浄化しない」なのです。

まったくその通りです。そして、そのあげられた理由に正当性があるかどうかの考察をしていかなくてはならないと思います。
黒目さんはそこの考察がすっぽり抜けているのです。
そして、その考察を初めから拒否してしまっている。
問題は「理由に正当性があるかどうか」であって、「いっさいの理由を拒否する」のでは
ただ、「自分の結論にしがみついている」だけになってしまうでしょう。
それは「議論の拒否」でもあります。

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いや、混同させてるのが黒目さんなので・・・ 投稿者:せみまる  投稿日: 5月28日(火)19時36分12秒

TAMO2さん、「その責は」私にあると言われてもこまりますよ。
私はまさにTAMO2さんが言われるようにクロンシュタットやマフノの問題をスターリン主義と別問題ととして語ってきましたが、黒目さんは下記で「スターリン主義」の例として持ち出して来ているわけですから。

とにかく、ここではっきりしたのは内戦当時の問題を、私は「スターリン主義」とは思っていませんが(ただし代行主義についての考察は必要です)、黒目さんは、これも「スターリン主義と同等である」と判断し区別していないことです。これはお互いに確認できると思います。どちらの主張を選択するかは、読むひとにまかせましょう。(^^)

黒目さん、「判断の保留」がなぜ「逃げ」になるのでしょうか? それは誘導尋問でしかありませんよ。つまり「せみまる氏はボリシェヴィキを擁護するべきである。それなのにそれを保留するのは逃げだ」とね。だから黒目さんに従えば私は「クロンシュタットは反革命だ」と言わなくてはならないことになる。黒目さんが予め期待する「反論」を主張するつもりはありません。

なお「現実に、クロンシュタットに進撃を命じられた赤軍の、少なくはない部隊が、進撃を拒否し、赤軍からクロンシュタットに転じて闘った部隊すらあったのですが」という事実を知っているからこそ、私は判断を保留しているのですよ。

なお「なんていうか」の内容は問題外ですね。よくここまで論を飛躍させるかとあきれるばかりです。あなたの反論は初めから「ボリシェヴィキは権力を簒奪した、人民の敵対者である」ことを前提としてのみ成り立つ反論ですよ。つまり、「当時の状況を考える」のではなく、「ボリシェヴィキは敵」を前提として反論をされるのでは議論が成り立つわけがありません。つまり、ここから導き出される黒目さんの結論は、「レーニンは敵なのだから、これを爆弾で襲撃した左翼エスエルは正しい」「ドイツ代表団を襲撃するのは正しい」ということになります。そういう結論でいいですね?

なお、クロンシュタットを弾圧したのはトロツキーではありません。これも過去ログで確認してください。

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便利な関西弁 投稿者:TAMO2  投稿日: 5月28日(火)18時53分08秒

 内戦をこんな譬えで言うのもなんですが、泥沼の夫婦喧嘩で、どっちがどう悪いかなんか
いえない場合「しゃあないわな」と言って、水に流したりします。三里塚じゃないけど、
ボタンの掛け違いとレーニンをはじめとする革命指導部の見込み違いが爆発した最終局面が
クロンシュタットであり、マフノです。そういうことと、スターリンが安定的な政権を築いた
上で政治的反対者に行なった非道は、基より混同すべきじゃないのでは?

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念を押しておきましょう 投稿者:黒目  投稿日: 5月28日(火)18時12分24秒

話が「古いアナボル論争」と同じところに回帰するのは、せみまるさん
が、古典的・教条的レーニン主義の枠を一歩も出ていないからに他なりません。
我が国の新左翼の内ゲバに対して、「内ゲバ反対」という立場に立つ人間
が、なぜ、クロンシュタットに関して、「判断を留保」というような立場に立てるのか?
この「判断を留保」という立場こそが「逃げ」ではないのですか?
クロンシュタットを弾圧した、レーニンとトロツキーを、なぜ、免罪しうるのか?
レーニンとトロツキーが行った事の、どの辺がどう、スターリンが行った事と異なるのか?
スターリンにすら、やったことの事情を聞けば、数多くの理由が挙げられるでしょう。
「目的は手段を浄化しない」なのです。

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確かに、人類は進歩しているかもね 投稿者:TAMO2  投稿日: 5月28日(火)18時10分05秒

 内ゲバ党派=スターリン主義は、問題設定が間違っている(その責はせみまるさんにある)と思うので、書き込まなかったのですが。でなきゃ、スターリン主義の変種と言われる毛系の私は「内ゲバ主義者」になっちゃうので(爆)。

 掲題の件、皮肉を込めて。左翼エスエルはテロ的手段でもって、農民の利益を守ろうとしました。結果、党全体が反革命の烙印を押され、悲劇のファニー・カプランをはじめとする党員の主力はほぼ皆殺し(=「赤色」テロ)の憂き目に遭いました。これは、現在の先進国では決して赦されない、個人主義を弁えない手段です。党ではなく、下手人を処罰(この場合は、ファニー・カプラン)することが前提となります。非常時だから、仕方ない、とも言えますが・・・。だが代償は大きすぎた。特に、先進的・自覚的農民への打撃は大きかった。

 そんなことよりも問題は、そんな事態になっちゃう以前に、リアリスト・レーニンが、革命後、なぜ、エクスを採用したか、記帳と統制路線に突き進んだかですが。この点は「レーニンと資本論」(不破)は、説得力のある「共産主義者的思い込み」への批判を行なっています。

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あるいは 投稿者:黒目  投稿日: 5月28日(火)17時45分02秒

現実に、クロンシュタットに進撃を命じられた赤軍の、少なくはない部隊が、進撃を拒否し、赤軍からクロンシュタットに転じて闘った部隊すらあったのですが、彼らを称して「逃げた」と言っておられるのでしょうか?

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なんというか 投稿者:黒目  投稿日: 5月28日(火)17時38分34秒

全く、なんでいまさらせみまるさんともあろう人にこんな話をしなければならないのか、理解に苦しむのですが。ネタでやってるんじゃないですよね?
「あなたは三里塚の管制塔を警備する機動隊員です。過激派が突入してきました。さあ、どうしますか?」
「あなたは日本国の首相です。北朝鮮が攻めてきました。さあ、どうしますか?」
「あなたは1960年の岸信介です。さあ、どうしますか?」

せみまるさんが1960年の岸信介ではないのと同じ程度に、俺は1921年のレーニンではないと思いますが?

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黒パンさんへ 投稿者:赤い山女魚@静共闘  投稿日: 5月28日(火)15時44分41秒

回答待ってます。あなたには回答する義務があります。

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逃げないでね\(^^) 投稿者:せみまる  投稿日: 5月28日(火)14時51分07秒

> 然にもボルシェビキに対する反対派に立って、殺されていたにきまっている

その回答のしかたは明らかに「逃げ」ですね。(^^)
私が聞いているのは「黒目さんならその時エスエル左派に対してどうするか」という質問です。それを黒目さんは答えられないということですね?
 自分が答えられない行動について他者を批判しても、それは通らないと思いますよ。あなたがエスエル左派によって爆弾で狙われている政府側の人間だったらどうしますか?

>1921年の時点でのボルシェビキの行動を「正当なものである」と考
えるのは、せみまるさんの政治的立場、党派性によるものに過ぎません。

やっぱりひとの話をなにもきいてない。私はこの事件についての最終的結論は保留しています。当時の状況を正確に知っているわけではないからです。だから「クロンシュタットは反革命」などという結論を排除している。それを「どうせボルの考えをする者はみんなボルに味方するのだろう」という偏見にもとづいて黒目さんは反論している。その反論は無効です。

前にもいったように、それは「古いアナボル論争」の範囲から一歩も出ていないのですよ。つまり、黒目さんの主張には発展を感じないんです。新しい状況が生まれてきているこの社会で新しい状況に即して考えなおしていかなければならない時に、ちょうど「古いボリシェヴィキ」的な考えから抜け出せないのと同じように「古い反ボリシェヴィキ」的思考から抜け出せなければ、新しい時代を捉えてゆく事はできないと思います。

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私なら 投稿者:黒目  投稿日: 5月28日(火)14時37分19秒

当然にもボルシェビキに対する反対派に立って、殺されていたにきまっているではありませんか(笑
トロツキーはスターリンの御世になって革命が「裏切られた」と称しますが、これはトロツキーがどの時点で失脚したかという塩梅にすぎますまい。クロンシュタット水兵にとっては21年の時点で革命は裏切られていた。

新左翼の内ゲバを扱っているわけですが、そのゲバを行使するための状況、理由などによって、正当化されうるゲバ、というのがある、という話でしょうか?
1921年の時点でのボルシェビキの行動を「正当なものである」と考えるのは、せみまるさんの政治的立場、党派性によるものに過ぎません。中国派が、中国の政権交代の度に、その評価をめぐっていろいろやってましたが、それと基本的に同質の問題である。ボルシェビキの行為であるから正しい、なんてのは、レーニン主義左翼という非常に狭い範疇での前提に過ぎないのです。

その行為者の党派性における正しさ、というのを前提とするならば、当然にも革マル派は他党派を解体して同心円型構造をつくっていくのが、主観的に「正しい方針」でありましょうし、中核派は運動を分裂させた何某は足を切断されて当然、と言うのは「正しい方針」という事になりましょう。せみまるさんにおいては、ボルシェビキが反対派を殲滅したのは当然、というのは、これと全く同列の話です。

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どうぞ唖然としてください。 投稿者:せみまる  投稿日: 5月28日(火)14時06分13秒

正直いって、私も黒目さんの反論(?)には唖然としました。

具体的状況を説明しているのに、それを無視して下記の私の説明を「ボルシェビキの反対派殲滅を正当化する文章」というだけでは反論になっていません。下記のようなボリシェヴィキが直面した状況について、黒目さんならどう対処するべきだったと思いますか?そういう立場に自分が立った時にどうするか、を前提としなければ、なんとでも言えますよ。同じ状況に立った時、黒目さんならどうするか、説明してください。

エスエル左派についての言及がないのもおかしいと思いますが、ボリシェヴィキによる非合法化を「スターリン主義」と黒目さんがいうなら、エスエル左派の爆弾テロについてはどうお考えですが? 「ボリシェヴィキは悪いけどエスエル左派は悪くない」のですか? クロンシュタット反乱が革命そのものを敗北に導くと判断したボリシェヴィキの判断については、「正しかったかまちがっていたか」の評価はいろいろ可能だと思います。しかし、そうした評価もしないでただ「クロンシュタット水兵のほうがたくさん殺された」事を理由としてボリシェヴィキを「スターリン主義」と呼ぶのはまちがっていると思います。

では「黒目さんならその場でどうしたか」説明を待っています。

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メンシェヴィズムが断罪されるべき点 投稿者:TAMO2  投稿日: 5月28日(火)13時50分23秒

 あくまで、革命理論としてですが。メンシェヴィキは、教科書的には正統なマルクス主義です。だが、教科書的ってのが癖者で、当時のマルクス主義の教科書は、封建制度をブルジョア自由主義がプロレタリアートや農民の助けを借りて打倒し、支配者となったブルジョアジーをプロレタリアが農民の助けを借りて打倒する、となっています。

 これは、封建制度のもとでのブルジョアジーの力の成長、そして、自由主義社会(あえてこの言葉を使います)におけるプロレタリアートの力の成長が前提となります。

 しかるに、かのロシアはどうだったかというと、自由主義はインテリのもの(しかも、大枠には社会主義などと未分化!)で、ブルジョアジーの基盤は脆弱でした。ロシアの産業を支配するブルジョアジーはイギリスやフランスにいたりしました。要は、社会革命を担い切るだけの力がロシア民族のブルジョアジーにはなかったということです。

 ロシア社民党メンシェヴィキ派は、そういう状況でもあるにもかかわらず、2月革命以後、ブルジョアジーに幻想を抱いて、「プロレタリアと同盟している」と思い込んでいました。ブルジョアジーは、自らの脆弱さを補うため、実際には保守反動と連携していたにもかかわらず、です。ソヴェト大衆(労働者)に権力の座につかしてもらいながら、彼らを裏切ることをブルジョア自由主義者(ブルジョアも、自由も括弧に入れるべきだが)はしたのにもかかわらず、ボリシェヴィキの暴露に反対してメンシェヴィキは活動しました。同時に、SRの主流派もです。

 これが、「プロレタリア」社会主義革命への裏切りでなくてなんなんでしょうか。党という道具は問題ではありません。ボリシェヴィキは10月の決定的な時点まで、少数派でしたから。大衆は、裏切り者を見抜いた、ということです。

 もし、このとき、ボリシェヴィキが勝利せず、レーニンがある瞬間言ったように、皆殺しになったならば、封建制度のもと、軍事独裁となったことでしょう。同時に、ストルイピン以前−−すなわち、ブルジョア社会の成長以前−−にまで政治的に後退したかも知れません。一時とはいえ、ブルジョアジーは封建制に刃を剥いたため、復活せるツァー官僚に壊滅させられたことも考えられますね。すなわち、ブルジョア革命さえ、成功しなかったと。

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なにやら唖然とせざるをえませんが 投稿者:黒目  投稿日: 5月28日(火)13時21分29秒

せみまるさんは、内ゲバという現象をどのように考えておられるのでしょうか?
2つ下にせみまるさんが書かれた、ボルシェビキの反対派殲滅を正当化する文章、これと同様の文章を、まさに内ゲバ党派が、自らの暴力を正当化する為にこしらえた論理と、一体、どのへんがどのように異なるのか?せみまるさんは下の方で「一握りのレーニン主義者」と書かれましたが、この文章は、まさにその、一握りの、ある種の「レーニン主義者」、スターリンを批判する事によってレーニンとトロツキーを「免罪しうる」と考えてる宗派的思考そのものではありませんか。

中核派に対して抗議した348名という人数が、中核派の行為の正当性を否定しうるのであれば、クロンシュタットの反乱で殺された人数はもっと多いですな。

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補足 投稿者:せみまる  投稿日: 5月28日(火)11時36分22秒

もしもトロツキーの提唱したネップ政策が一年はやく実現していたらクロンシュタット反乱はおこらなかっただろうというのは想像ではなく確証があります。当時、クロンシュタットのような軍事反乱は別としても、農民反乱があっちこっちで起こっていました。この統計リストを見たことがありますが、ネップ政策の推進とともに、農民反乱は激減していきました。

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ボルシェビキの反対派殲滅について 投稿者:せみまる  投稿日: 5月28日(火)11時04分51秒

黒目さんは過去ログを読んでくれてないようなので 繰り返しの説明がかなり多くなりますが。

●ボリシェヴィキによる他党派の非合法化

この背景には、対独戦終結に関する経緯があります。ブレストリトフスク条約を結ぶかどうかについて激しい議論がありました。トロツキーは衆知のように「講和でもなく戦争でもなく」という立場を表明し、当時、これに近い立場の人々も多かったと思います。一方、断然戦争の継続を主張したのが左翼エスエルやアナーキストの一部などでした。ボリシェヴィキの内部でもそういう意見がありました。こうした中でレーニンの必死の説得によって、ほぼ全面的にドイツの条件を受け入れての講和という線で政府の方針はまとまったわけです。実際問題として、当時、もはや戦争を継続できる力量などロシア側にはなかったからです。国内は飢餓が始まっており、まさにクロンシュタット水兵が嘆願したような農民の悲惨な状況がすでにこの時、革命政権を危機に陥れていました。当時、政治党派はボリシェヴィキと左翼エスエルだけで他は全て反革命軍側にいましたが、左翼エスエルは、自らの主張を実現させるために陰謀を働きました。つまり、ドイツ代表団を爆殺しようとしたのです。また、レーニンにたいしてもこの行動は実行されました。レーニンは重傷を負いましたが、死にませんでした。ともかくも、左翼エスエルは政府に対する敵対勢力として登場し、そのため非合法化されたわけです。つまり、この事で自動的に「一党独裁」がはじまってしまったという事です。この事実を黒目さんはどう思いますか? 無視してもいい問題と思いますか? それでも「左翼エスエルを非合法化した行為はスターリニズムだ!」と思いますか?

●クロンシュタットとマフノの反乱

次にクロンシュタットの問題です。上記に述べたようにクロンシュタット水兵たちは農民の悲惨な状況を訴えて反乱をおこしたわけです。この背景には内戦のために戦時共産主義体制を敷いていた政策に農民が耐えられなくなった事実があるでしょう。もちろん反革命軍と外国干渉軍による革命の妨害が元凶なわけですが、これに対して、革命政府はクロンシュタット水兵を「反革命」と非難し鎮圧します。鎮圧後、水兵達は残虐な仕打ちにあったといわれています。この時、トロツキーも含めて革命政府側は口をきわめてクロンシュタット水兵たちをののしっています。これに対して、現在、われわれは事後的にこれを論評することはできます。あまりにもクロンシュタット水兵がかわいそうである、と私も思います。しかし他方、どのような解決手段があったのでしょうか。彼らの反乱拠点は反革命側がそこを抑えたら首都防衛にきわめて不利となる軍事的要所でした。革命政府側は、この危険を除去しなければ革命そのものがあぶないと考えた。その結果としての反乱鎮圧です。これをどう評価するか、「革命政府がスターリニズムである証拠」と黒目さんが思うのは自由ですが、そういう評価は妥当じゃないと私は思います。これは「彼らの判断がまちがっていたかどうか」の評価とは別です。なお、トロツキーは、それ以前にすでに農民の悲惨な状況を知っていて、「ネップ」政策を強く政府にせまっていた事も覚えておいてください。トロツキーの主張は否決され、結局それが採用されたのは一年後でした。もしも一年はやくネップが推進されていたらクロンシュタット反乱はおこらなかったでしょう。

マフノについては簡単に説明します。マフノが反革命軍と手を結んだ時点では鎮圧するしかなかった思います。もちろん、そこまでマフノを追いつめる前に何らかの手だてはあった可能性があります。しかし、そこまでマフノを追いつめたきっかけを作ったのはスターリン派であった事も覚えておいてください。

●中核派の第四インターへの内ゲバ

次に黒目さんに伺います。上記と同じように、中核派が第四インターに対して暴力的に敵対しなければならなかった正当な理由があると思うなら、それをあげてください。すくなくとも、中核派自身以外には、それを正当化する意見を私はしりません。むしろ中核派に対して348名の人々が抗議していることで充分にこの事態を説明していると私は思いますが。

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なぜ、内ゲバ主義へ拘るか? 投稿者:TAMO2  投稿日: 5月28日(火)09時12分01秒

 荒鷲さん、はじめまして。おっしゃることは尤もと思いますが、掲題の件、拘る理由はいくつかあると思います。

 小生は現在36歳で、世代的には三無主義の下の「新人類世代」です。当然、左翼運動なぞもともとは軽蔑・侮蔑の対象以外の何物でもありませんでした。ですが、事情によって運動にかかわるようになり(生活防衛のため)、それなりに運動に意味・意義があると考えています。

 さて。まず、50年代〜70年代にかけて、左翼運動は今とは違って非常に大きな力をもっており、その中で闘った人はまだまだ社会の中核として、否、多くはトップとして活躍されています。それらの人がその闘いの意味、そして敗北の理由をきちんと総括したとは思えません。それは、彼らの人生の意味を問わないことにもなります。

 とはいえ、意味などどうでもいい、と言うことも出来ます。だが、意味に拘る人もいます。ここで言えば、すえいどんさんや、臨夏さん、そして主宰のまっぺんさんがそうではないでしょうか。これは、ある意味、宗教的実存への問い、個人的な問いです。

 次に。カウンタームーブメントは、社会に矛盾のある限り(そしてそれは例え共産主義社会であってもなくならないだろう)、続きます。内ゲバ思想の根源は、議論をすっ飛ばしていいますと、結局は「悪霊」「罪と罰」(ドストイエフスキー)に表現されたような病理−−ある真理を知ったとする(される)人間が、その真理ゆえに優越性を感じ、「間違ったもの」への態度をどうとるのか、そのために他者を殺してもいいのか−−という問題にあると考えます。これは、レーニン主義(トカチョフ主義と言ったほうがいいかもしれない)のみならず、カウンタームーブメントには付きまとう問題で、時代に対して超越的・普遍的な問題であると考えます。

 どうでしょうか。日本でも、まだまだ社会主義運動・共産主義運動は全くの無、というわけではありません。よって、その可能性と同じく、その病理も社会的に追及されるべきでしょう。

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(無題) 投稿者:荒鷲  投稿日: 5月27日(月)23時50分10秒

革マル派だとかなんとか言っても所詮人に迷惑をかけ散々世の中騒がせた連中にしか見えないのですが!
一般人から見れば中核もレーニン主義もいっしょくたです そんないつその主義がどのようにかわったかなどもう今や無用の長物にすぎない と思うのですが

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かめさん、それは誤解です! 投稿者:せみまる  投稿日: 5月27日(月)18時23分48秒

「またはそれに向かう危険がある思想」と表現したのは、
実際に中核派や革マル派などが簒奪した政権が成立しているわけではないからです。
もしも「簒奪した事実をもってスターリニズムと呼ぶ」ことにするならば、
どの党派も「政権をとらないかぎりスターリニズムとは呼ばれない」ことになっちゃうからです。

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Re:何時だったら引き返せたのか 投稿者:せみまる  投稿日: 5月27日(月)18時16分29秒

すごくいい問題の設定のしかたじゃないかとぼくは思います。(^^)
「引き返せなくなった」時、「スターリニズム」と呼んでもいいと思っているので。

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なぜ中核派があのような変質を 投稿者:すえいどん  投稿日: 5月27日(月)17時54分58秒

スターリニズム論がやや袋小路の感もあるので、角度を変えて。なぜ中核派があのような「スターリン主義的変質」をとげたのか?60年代の中核派が統一戦線主義(唯一前衛党主義ではなく)であったことはまちがいないところです。それがどのように変わっていったのか?その時に、より広い選択肢があり、かつ、その選択の結果が重大だったと思われる三つの事件がありました。
第1は67年10月の法大リンチ事件(三派全学連の分裂)
第2は68年6月の6.15事件(革マル・解放ブロック成立)
第3は70年8月の海老原事件(革マルに最大の政治資本を与える)
このときの中核派のなかの「二つの路線のたたかい」の結果如何では、73年の「内ゲバ」路線も違ったものになりえたように思えます(逆に73年以降は引き返すことがきわめて困難であったろうといえます。何時だったら引き返せたのかということです。)いかがなものでしょうか。

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「スターリン主義事態法」みたい 投稿者:かめさん  投稿日: 5月27日(月)17時26分23秒

>「革命を簒奪する」思想、またはそれに向かう危険がある思想、思考方法をこそ「スターリニズム」あるいは「スターリニズム的」と言うべきではないでしょうか? (せみまるさんのレス)

 で、これが、スターリン主義の定義なわけですが、その、なんだか「スターリン主義事態法」みたいで…。あの、怒んないで聞いて欲しいんですが…。
 日本の周辺で起きなくても、周辺事態だというのがありますが、スターリンの周辺(というのはもちろん地理的概念ではありませんが)で起きなくても、周辺事態だ みたいで…。
 「向かう危険があるのもスターリニズム」というのは、「武力攻撃のおそれがあるのも武力攻撃事態」みたいで…。
 その、なんというか、拡大解釈可能な概念のようで…。そのときの政治的必要性にせまられて(「他党派にうまいことレッテル貼って、批判して我が党が元気になる」という必要性です)拡大解釈していくと結局、定義Bの線までずるずる行きそうで…。恣意的なレッテル貼りにならないかと、あの、なんか、不安で…。

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(無題) 投稿者:せみまる  投稿日: 5月27日(月)16時56分19秒

「当時、4トロがなにをしたのか?」
・・・どうぞ考えてみてください。(^^)

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勿論、 投稿者:黒目  投稿日: 5月27日(月)14時35分00秒

それもひとつの了見であると思いますが、ここまでの議論では、相手の主張する内容に関わり無く、テロの行使は民主主義の圧殺であり、否定されるべきである、という前提で、せみまるさんや俺は話をしてきたと思いますが。
三里塚の「声明」は、4トロがどういう事をやった結果、テロられるに至ったかには言及していませんね。これは「当時の具体的的状況を無視した」「公平ではない立場」であるとお考えですか?

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うーむ 投稿者:黒目  投稿日: 5月27日(月)14時27分35秒

中核派による4トロ活動家へのテロの話の際に、「当時、4トロがなにをしたのか?」と言う事も含めて考えなければならない、とお考えですか?

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Re:それはつまり 投稿者:せみまる  投稿日: 5月27日(月)14時16分07秒

当時、「反対派は何をしたのか」も語ってくれませんか? また、レーニンが何をしたか、トロツキーは何をしたか、またしなかったか・・・。その上での議論であれば有効なものになると思います。

当時の具体的状況を無視して「ボリシェヴィキの弾圧」だけを切り取って糾弾するのは公平なやり方ではありません。そういうやり方では、かつて一方的に「ソ連公式見解」や「トロツキーの当時の見解」だけを唯一の根拠としてボリシェヴィキを正当化したのとちょうど同じ事を、反対側からやっている事にしかなりません。

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それはつまり、 投稿者:黒目  投稿日: 5月27日(月)14時04分49秒

ボルシェビキの反対派殲滅は、「スターリン主義体質」によるものではない、という話だと理解してよろしいですか?

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だからぁ〜 投稿者:せみまる  投稿日: 5月27日(月)13時56分30秒

そういう質問は過去の議論を繰り返すだけだと言っているのです。黒目さんはボリシェヴィキの代行主義をそのままスターリン主義につなげて考えているわけですが、トロツキストはそういう風には考えていない、といっているんですけど。「スターリン主義=レーニン主義」ではまったくなく、スターリン主義はボリシェヴィキにも存在したロシア人民の革命に対する後退的意識に依拠したものであると考えています。ただ、レーニンが革命初期にとったいくつかの戦術について間違っていなかったかどうかについての疑問はあります。

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言いたい事は山のようにありますが(苦笑 投稿者:黒目  投稿日: 5月27日(月)12時35分21秒

せみまるさんの言われるような形での、新左翼党派における「スターリン主義の発生」と同じような意味合いで、ボルシェビキの反対派殲滅が、「スターリン主義を発生させた」と言えるとお考えなのかどうか、という事について、回答をお願いしているのですが。
これは「レーニン主義=スターリン主義」なのか、否なのか、という事について、せみまるさんの立場を伺っているわけです。

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若干の整理のために 投稿者:せみまる  投稿日: 5月27日(月)11時56分48秒

●「レーニン主義」という言葉について

まず「レーニン主義」という言葉自体が、スターリンによって発明され、大いに喧伝されたものである事に注意してください。レーニンは生前、権威主義をきらい、自分が死んだら灰は撒いてくれ、と遺言したそうですが、スターリンはレーニン廟をつくって安置しました。また全国にレーニン像をたくさん造らせた。これはスターリンが自分の権威を増大させるために仕掛けたもので、自分にとって邪魔な勢力を「反レーニン主義」として排除し、レーニンの権威を裏付けとして自分の権威を高めるためにおこなったものです。

当時、トロツキーは論争上やむなく、この土俵にのっかったといえるでしょう。だから「レーニン主義を継承しているのはどちらか? スターリンか自分か」という形での論争をせざるを得なかったと思います。そして「レーニン主義」として作り上げられたこのような偶像は、結局トロツキスト勢力にも影響を与えただろうと思っています。いわゆる「レーニン主義党建設」をトロツキストも含む日本のほとんどの新左翼勢力は主張していました。しかし、その「レーニン主義」の理解の中にはスターリンの影響があったのではないか? という事です。現在、多くの旧「新左翼」の間で、この「レーニン主義」についての見直しがされています。

●代行主義とスターリニズムの境界線について

黒目さんはこのふたつを区別なく、「ボリシェヴィズムの延長上にスターリニズムがある」という主張をしています。これはかつての「アナボル論争」の基調にあるアナーキスト側の代表的な主張ですが、トロツキストはもちろん、こういう主張には反対しています。ただ、その区別について、「レーニン主義」の見直しと同様、見直されている面はあります。つまり、まず「ボリシェヴィキによる代行主義」をどのように解釈するべきなのか? また、1921年の第10回共産党大会において「分派禁止」が決議され、それに対するトロツキーの激しい抵抗があったわけですが、レーニンがこの決議をおこなった事について正しかったのかどうか、さらにクロンシュタット及びマフノへの弾圧をどう観るかについて、統一見解が存在しているようには思えません。わたしもそこについて明快な回答をもっているわけではありません。しかし、そこへのアプローチの仕方について重要なのは「当時の状況のなかでどのような選択肢があったのか」をも含めた論争をするのでなければ現実の革命についての考察とはいえないと思います。それらの考察は断片的ですが、ここでも何度か行われてきていると思います。

ところで、かつての「アナボル論争」ではクロンシュタットやマフノに対してはすべて「反革命であり弾圧するのは当然」とするのが一般的なボリシェヴィストの見解だったと思いますが、これも又、現実の状況を考えずにソ連の「公式見解」を鵜呑みにしただけのものでしかなく、いまではそういう見解を持ちうるのはごく一握りの「レーニン主義」党派だけでしょう。したがって今後の「アナボル論争」はもっとちがった形で、より発展的に行われるだろうと思います。「過去の繰り返し」ではあまり面白くない。

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すえいどんさんへ 投稿者:小西 まこと  投稿日: 5月27日(月)11時07分11秒

〉「党内」問題(団体自治)と「社会全体」問題(政治制度)の区別をしないと、議論が混乱します。

すえいどんさんは、党内と社会全体を「区別」されますが、内ゲバにおいてもスターリン主義の発生・成立次元においてもこれを区別するのは誤りだと思います。
内ゲバの発生次元でも、党内分派の禁止、つまり異論・反対論の禁止がその暴力的排除に突き進んだこと、そして、党外に出てしまった「分派」、つまり他派に転化してしまった他の政党を含めて「唯一前衛党」として排撃したのが、内ゲバであり、スターリン主義です。
従いまして、党内と党外(社会的・政治的あり方)の問題は密接に関連しています。
曖昧な記憶によれば、この党内の分派禁止や民主集中性への疑問を団体・結社内の「自治」の問題として合理化・正当化しているのが、日本共産党であったと思います。

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31万アクセスありがとー\(^o^)/ 投稿者:まっぺん  投稿日: 5月27日(月)11時05分02秒

当たったひといませんか?
景品あげます。・・・・・・ん〜・・・・何がいいかな?

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ストリングさんいらっしゃいまし〜 投稿者:まっぺん  投稿日: 5月27日(月)11時02分25秒

おおいに遊んでいってください。どーぞよろしく!\(^o^)

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日本共産党とメンシェヴィキ 投稿者:せみまる  投稿日: 5月27日(月)10時51分18秒

>どういう回路を辿って日本共産党がそういう結論に至ったのか、

・・・スターリンがそういう結論に到っていたことで、すでに下地はできあがっていたんじゃないでしょうか?
日本共産党が二段階革命論であるのは結成の当初からそうです。
ただ、いままでは「ロシア革命」のもつ国際的な権威から、それを否定はできなかった。しかし、ソ連が崩壊してしまった現在では、いいたいことを言えるようになった。そこで日本共産党の「ホンネ」が出てきたんじゃないでしょうか? あるいは「論理的帰結」というべきでしょうか。共産党の「社民化」も影響しているでしょうね。

そうするとスターリンは、結局自分自身の過去を否定している事になるんだよね〜。

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定義Aについて 投稿者:せみまる  投稿日: 5月27日(月)10時12分21秒

かめさん、了解しました。「スターリンが形成していったイデオロギー」という意味での使用は正しいと思います。しかし、「イデオロギー」という場合、下でも述べたように必ずしも「スターリンのイデオロギーをそのまま理解して継承する」ことというように理解するべきとは思いません。つまり「スターリン主義に反対する」勢力のイデオロギー構造であってもスターリン主義に冒されている場合があるという事です。「人を理解する」とき、「その人の語ること」をそのまま「その人が理解して語っている」と考えるべきであるとは思いません。つまりそのひとの「主観」がそのまま客観的にも正しい、という理解の方法を私はとらないのです。

たとえば「スターリン主義」について語るとき、なぜ現代社や赤砦社の連中の言葉をそのまま受け取って「スターリニズムと矛盾する」と考えるのでしょうか? 彼らの「スターリニズム」理解は正しいといえるのでしょうか? 彼らの「国際主義」的言辞にもかかわらず、彼らはちっとも「国際主義」ではありません。「プロレタリア統一戦線」を語っていても、ちっとも「プロ統」ではありません。「反スターリニズム」をかたっていてもスターリニズムのイデオロギーそっくりです。それは彼らが自分たちの「組織理念」を「絶対ただしい」として民主的手続きを無視して他者に強要している時点で、権力の簒奪をおこなったスターリンとそっくりだったからだと理解しています。

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商品売買と物々交換 投稿者:ストリング  投稿日: 5月27日(月)10時05分49秒

まっぺんさま、反共精神改め@ハンドルネーム未定さま、こんにちは。以前に一度書き込みした者です。

以下、「一個のダイヤモンド=100000リットルの水」を言うための回り道、資本主義的な手間ひまというか、手続き、手順の説明が「価値形態論」だとおもうので。

「一個のダイヤモンドの交換価値は100000リットルの水である」とは、まず「一個のダイヤモンドの交換価値は100000リットルの水」の使用価値で表される、あるいは相当するということで、これが「簡単な価値形態」。(「100000リットルの水の交換価値は一個のダイヤモンド」の使用価値で表される、あるいは相当するというのも同じく「簡単な価値形態」)。
「一個のダイヤモンドの交換価値は100000リットルの水」であり、100000キロの塩であり、50000キロのコーヒーであり、、、と拡大すると「拡大された価値形態」。(「100000リットルの水の交換価値は一個のダイヤモンド」であり、100000キロの塩であり、100着の上着であり、、、というのも同じく「拡大された価値形態」)。
「一般的価値形態」では、一個のダイヤモンドは塩100000キロ。100000リットルの水は塩100000キロ。50000キロのコーヒーは塩100000キロ。100着の上着は塩100000キロ、、、となり、塩が「一般的等価物」となる。
「一個のダイヤモンドの交換価値と100000リットルの水の交換価値は等しい」と言えるのは、これ以降になる。

ダイヤモンド(の所有者)と水(の所有者)とは一対一では出会えない。塩を頂点とする、底辺のない三角型モデル。「第三項(上の例では「一般的等価物」としての塩)排除」。塩とダイヤモンドとの、あるいは塩と水との「非対称性」(塩の特権的地位)。
これが単なる物々交換(ベタでナイーブな、媒介抜きの直接性)ではない「商品、貨幣、資本」の市場経済に固有の人間関係の基本=売買。

頻繁に書き込めそうもないので、ついでに書いておけば、
個々の経済人は私利私欲で行動するが、それが市場に「神の見えざる手」による調和をもたらすというのが、19世紀前半くらいまでの、いわゆる古典派経済学の静態的な均衡論。
この前提が崩れだしたのが「10年周期の世界市場恐慌」のマルクスやプルードンの時代。
マルクスの一面から宇野弘蔵への流れでは、静態的な均衡論に恐慌(=痛みを伴う構造改革)を含む景気循環の繰り返しという、擬似動態的なベクトルを導入することで、「純粋資本主義社会」(昔のサイバーパンクにありがちな道具立て「レッセフェール」のイメージだ)を論理的に想定した(マルクスはもちろん宇野でさえ、資本主義社会を究極のシステムだとか永遠のものだとか考えていたわけではないが(特殊歴史性))。

「価格」は「需給関係」の結節という事態には違いないが、「需給関係」では「価値論」にならない(「恐慌論」で、売れない商品が巷にあふれて過剰生産、というのは単に恐慌状態の叙述で、問題はその状態がなにを意味しているのかの内容だ、というのと同じ意味で)。
昔の今村仁司『現代思想の展開』あたりに簡単明瞭に書いてあるが、単なる需給関係の結節としての「価格」が、「自然価格」や「均衡価格」と考えられたり「価値」とされたり、「ひとつの社会体を発散・解体せしめず一点へと収斂させとりまとめていく力」「すなわち価値」へと、普遍的で偉そうになってゆく。
「自然」や「均衡」を言うからには、単なる需給関係の結節としての「価格」ではすまない。「価格」の背後に、社会的生産編成の問題、労働と「価値」との関係を考える必要が生まれてくる。

とりあえず「投下労働」を「常識」の線で押えた上でなら、価値と労働との関係は、
<価値と労働との関係を二商品の交換関係から論証するのではなく、労働生産過程論の場面でおこなうこと。なぜなら「労働力商品の価値=労賃に生産価格なし」だから。>
という「流通形態論」独立派の宇野の「資本論」解釈、説明方法が一番わかりやすいのでは。

長文、ごめんなさい。
それでは。

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TAMO2さんへ 投稿者:ハンドルネーム未定  投稿日: 5月27日(月)01時39分23秒

たとえば一個のダイヤモンド=100000リットルの水といったときに、「一個のダイヤモンドの交換価値は100000リットルの水である」また「100000リットルの水の交換価値は一個のダイヤモンドである」ということになります。この場合、一個のダイヤモンドの交換価値である「100000リットルの水」で、100000リットルの水の交換価値は「一個のダイヤモンド」というように、ダイヤモンドと水の交換価値が同じように表現されているわけではありません。ですから、間違えていたのかもしれないと疑問を抱きました。
しかし、100000リットルの水=100000リットルの水という等式もマルクス経済学的に理論上成り立つと考ることが可能であれば、「100000リットルの水の交換価値は100000リットルの水である」ということになるので、理屈の上では「100000リットルの水の交換価値と一個のダイヤモンドの交換価値は等しい」ということができます。この点、TAMO2さんのご批判を受けたいところです。

ところで、マルクス経済学では「交換価値」と「価値」はほぼ同義であると考えてよいのでしょうか?

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私の言った「定義A」は 投稿者:かめさん  投稿日: 5月26日(日)23時03分47秒

「すべての条件を満たすもの」という意味じゃないです。定義と特徴はちがいます。すえいどん さんが言うように、「定義」というのは、ある事象が、それに照らしその概念に該当するかどうかの判断基準です。(ただし、これ以外のことについては、すえいどんさんと私はずいぶんちがいますね)定義Aは「スターリン主義とはスターリンが権力を握ってからの(握ってゆくに従って成立した)ソ連の政治体制とそのイデオロギーをいう」だけです。あとは、「定義Aによってスターリニズムであると判断されるところのスターリニズム」の特徴のつもりです。 わかりにくかったらごめんなさいね。
 

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ボリシェビキも本来二段階革命 投稿者:アラブ復興車界党  投稿日: 5月26日(日)22時56分15秒

レーニンの四月テーゼまではそうだったと思います。(レーニン自身も)
 スターリンは「トロツキズムに毒された路線を排し、党本来の正道に帰る」と自己正統化に成功した面が有るのでは。
(古参党員たちに一定の説得力を持ったものと考えています。)

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レーニンはスターリニズムなの? 投稿者:黒目  投稿日: 5月26日(日)22時01分44秒

俺は、レーニンとトロツキーが行った、反対派の殲滅が、スターリンの登場を用意したのであると考えています。レーニンとトロツキーの路線からは、スターリン主義が発生するのは必然であった。で、せみまるさんが使われる「スターリン主義体質」的なるものは、このレーニンとトロツキーの反対派の殲滅によって、発生したと考えています。
せみまるさんはどうお考えでしょうか?

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日: 5月26日(日)21時55分17秒

日本共産党が至った結論がメンシェビキと同じだ、という事と、どういう回路を辿って日本共産党がそういう結論に至ったのか、という事は別だということをいわんとしているのですが?
むしろ、「冒険主義」とか「覇権主義」といった規定があり、また「偽左翼暴力集団」なるわけわからん規定があり、そういった、「暴力的なるもの」を図式的に排除するという作業の積み重ねの結果、「野蛮な社会主義」なる規定を登場させるに至ったのではないか、と見ているのですが。レーニン主語党派がメンシェビキと同じ結論を出すに至る回路というのは、メンシェビキそのものを参照した結果とは限らないし、ロシア革命の時点と現在の時点の間には、社民主義なり構造改革路線なり、という回路も存在しているわけです。
メンシェビキが社会民主主義と=であるかどうかというのは判断しかねますが、現状、「レーニンがこういってるからこうだ」というような言説は、意味を失って久しいと思いますが。

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ついでにこっちにもちょっと口はさんじゃいますが(^^) 投稿者:せみまる  投稿日: 5月26日(日)21時16分46秒

ロシア社会民主労働党が第二回党大会でメンシェヴィキとボリシェヴィキに分裂したわけですが、この時にはまだそんなに双方の意見のちがいはなかったことが「トロツキー研究」No.16でわかります。

しかし、メンシェヴィキはやがて「ロシア革命のブルジョア的発展」をめざし、社会主義革命を望まない立場に移行していきます。彼らは「ロシアがもっと資本主義的発展を遂げてから社会主義革命をやればいい」ていう立場ですね。だから十月革命ではメンシェヴィキは反革命側に転落した。日本共産党の人が言っているというのはまさにこの立場です。しかも、それはスターリンの「二段階革命論」にも通じる! つまりボリシェヴィキを簒奪したスターリンは革命路線としてはメンシェヴィキの路線に乗り移っているわけです。

黒目さん、「それじゃあ、メンシェヴィキはスターリニズムなの?」とか言わないよーにね。(^-^)
http://www.jrcl.net/web/frame0429h.html

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メンシェビキ 投稿者:黒目  投稿日: 5月26日(日)20時37分38秒

TAMO2さん、メンシェビキの主張については知りませんが、日本共産党がメンシェビキの主張を参照して、「民主主義の発展段階」とか「野蛮な社会主義」とかの結論に至ったのだとは、到底思えません。日本共産党がこういう主張をする論理的構造は、別の所にある筈だと思うのですが。
また、日本共産党はレーニン主義を名実ともに捨て去っているのであって、そういう相手に「それはレーニン主義じゃない」って批判しても、あんま意味ないんじゃないかと思います。本質的に、この主張が、なぜ間違っているのか、という部分を展開してもらわなあかんのではないでしょうか。

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日: 5月26日(日)20時32分01秒

この、以前の議論というのは、ボルシェビキによる、反対派の殲滅ということの評価の問題ですね?そして、今、それを「スターリン主義」と呼ぶのか否か、という事をお聞きしているのですが。
実際の所、俺はボルシェビキ型革命からは必然的にスターリン主義は登場する、という立場に立つものであり、「そうだそうだ」とか言ってたら、俺の思うような方向に議論は流れていきそうな気もするのですが(W
なおかつ、言葉の定義を問題にするのは、扱っている問題が「新左翼の内ゲバ」であり、その業界の中では、「レーニン主義」と「スターリン主義」は厳密に分けられて使用されてきたと思います。その区別を見えないかの如くに一緒くたにして断罪してみせても、それは批判としての意味を持ち得ないでしょう。

まあ、「一言居士VS三百代言」みたいな闘いに於いては、言葉の意味を取り違えたまま、雰囲気的に仲良くしたり喧嘩したりしてるのが、よく居酒屋とかでありがちですが、ああいうのは無様だと思っています。

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すえいどんさん、問題を混乱させないでくださいよ 投稿者:TAMO2  投稿日: 5月26日(日)20時15分30秒

 メンシェヴィズムの罪状と、ボリシェヴィズムの「罪状」は、異なる位相ですよ?

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黒目さん(^^) 投稿者:せみまる  投稿日: 5月26日(日)20時09分10秒

そういう議論は以前さんざんやったと思います。それを無視して繰り返すのはかまいませんが
できれば、なるべく「新しい論理展開」を期待します。
http://redmole.m78.com/1999/1999-10b.html
http://redmole.m78.com/1999/1999-10c.html
http://redmole.m78.com/1999/1999-10d.html
http://redmole.m78.com/2001/2001-12h.html

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せみまるさん・・ 投稿者:黒目  投稿日: 5月26日(日)19時50分45秒

権力を奪取し、反対派を殲滅するというのは、レーニンやトロツキーが散々やったことではないですか。
レーニンやトロツキーが「スターリン主義」だった、というような話ですか?

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補足 投稿者:せみまる  投稿日: 5月26日(日)19時28分33秒

狭間派は現在では「レーニン主義」を自称しているそうです。

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Re:論点整理 投稿者:せみまる  投稿日: 5月26日(日)19時26分06秒

「マルクスレーニン主義を自称していないひとはマルクスレーニン主義の規定にあてはまらない」という考え方は弁証法的じゃないと思います。本人が「自称しているかどうか」はそのひとの「主観」についての考察材料であって、必ずしも客観的な評価と一致するとはかぎりません。

で、「定義」ですが、何度も述べたように、「権力を簒奪しよう」とする傾向からスターリニズムは生まれています。例えば狭間派が「一国社会主義」を言っていないとしましょう。その狭間派が日本革命の指導部として権力を獲得したとしましょう。彼らが「あのまま」だったらとんでもない「恐怖政治」が実現しますが、その時、それでも彼らは「一国社会主義」をいわないでしょうか? まぁ、想像の範囲ですが、その時には「世界革命」の事業には躊躇するでしょう。それは「自分たちの権力を危機に陥れかねない」からです。

「世界革命」などは、現実にその事業に着手していない段階ではなんとでもいえるものです。彼らが「口先」で言っていることをそのまま信用して判断するべきでしょうか? それともいま現実に彼らがやっている事、それについての自己弁明についての客観的分析を判断の材料にするべきでしょうか?

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論点整理 投稿者:すえいどん  投稿日: 5月26日(日)19時06分40秒

私も、かめさん同様,せみまるさんのスターリニズム「本質論」については特に異論はありません。しかし、「定義」というのは、ある事象が、それに照らしその概念に該当するかどうかの判断基準ですよね。私も、かめさん同様,その基準が広すぎて、役に立たないし、かつせみまるさんの「本質論」とも背馳しているのではないかと感じた次第です。解放派がこぶしから刃物に転じたとして、一国社会主義建設可能論とそれが何の関係があるのでしょうか。革命家の思想の「系譜」の問題ではないといいますが、「マルクス・レーニン主義」を自称していないものにそもそもスターリニズム規定はないのではありませんか。

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かめさんへ再度詳しく 投稿者:せみまる  投稿日: 5月26日(日)18時55分04秒

かめさんの「定義A」なるものは、結局「すべての条件を満たすもの」という意味でしか提起されていないんじゃないでしょうか? スターリン主義のもっとも根幹に位置するものは「労働者権力の簒奪」という事です。本来、集団的権力として想定され獲得されてきた革命権力をスターリンは個人的に簒奪した。そしてその状態を永久に固定化させるために作り上げてきたシステムが「官僚主義」であり、「一国社会主義」などの革命路線なわけです。それならば、「革命を簒奪する」思想、またはそれに向かう危険がある思想、思考方法をこそ「スターリニズム」あるいは「スターリニズム的」と言うべきではないでしょうか?

たとえば考えてみてください。狭間派が自分以外の党派に対して「反革命」と呼ぶ時、中核派が革マル派を「ファシスト」と呼ぶ時、それは「たしかにそうである」と納得ができる規定でしょうか? ほとんど無批判に「信じる」のでもなければ、「あいてがひどい事をする」だけではこんな規定はできないはずです。つまり、このような「権利の平等に基づく社会運動の原則」に背き、「自分たちだけが正しい」事を前提とした他者への行動は権力簒奪に向かう行為であり「スターリニズム」と呼ばれるべきです。
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 @からEまで全部悪いことであるとても、全部が定義Aにあてはまるというふうにいえるんでしょうか? @からEまで全部があてはまるようなスターリン主義の定義は「スターリン主義とは、共産主義運動などのなかにある、悪い乱暴な傾向の総称である(定義B)」とでもいうしかなくなってしまいませんか?
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ちがうと思います。「全部が定義Aにあてはまる」と表現している時点で、やはりかめさんも「スターリニズム」を「さまざまな特徴のよせあつめ」としてしか提起していないんじゃないでしょうか? 重要なのはその「本質」です。上に述べている「労働者権力の簒奪」「革命の簒奪」を目指す傾向を「スターリニズム」と呼ぶべきです。「悪い(って何を基準に「悪い」と規定するのかが問題ですが)乱暴な」だけじゃ「スターリニズム」とは呼ばれないでしょう。
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定義Bだと、あれもこれもスターリン主義だと言えて便利ですが、定義が拡張されたぶん、意味も拡散してしまいます。したがって、「スターリン主義は、とても多様なので、その特徴、属性、好ましい対処の仕方などについては一概に論ずることはとても困難である」ということになってしまいませんか? 
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定義Bは「スターリニズム」の定義にはなりません。

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ふたたびかめさんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 5月26日(日)18時27分08秒

えっと・・・「スターリン主義の定義」についての質問だと思ったので
私が考える「定義」を書いてみたものです。それだけですけど。(+_+)

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すえいどんさんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 5月26日(日)18時20分18秒

社会主義をどのような思想として追究していくのか、その姿勢が問われているのだと思います。別のところでも話題になりましたが、マルクスよりも遙か以前から「人類の平等」を目指す社会についてはいろいろ追究されてきました。「コミューン」はそのひとつです。そしてそれを実際に階級的な団結によって実現しようとする運動がおもに19世紀からはじまるわけです。社会主義への道をもっとも整理して提唱したのがマルクスであったとしても、ロシアでそれを実現するためにレーニンが多大な貢献をしたのだとしても、そうしたそれぞれの「理論家・革命家」の思想の「系譜」を取りざたしなくても、社会主義の理念に照らせば、本来の社会的決定は階級的独裁を実現した労働者階級とその同盟者たる農民、つまり圧倒的多数の下層階級の人民であるはずです。したがってその具体的な政治形態として形成されてきたソヴィエトは本来、公平で平等な人民の意志の決定機関であったはずです。

以上の前提をもとに考えるなら「わが派の主張はただしい」事を前提に他を排除はできないはずです。その前に「わが派がただしいかどうか」を全人民の前にさらけ出す必要があります。つまり「何が正しいか」を決定してゆくのは人民である、という前提にたたねば社会主義建設はそもそもできません。なぜならば、たとえば計画経済を推進するにあたって、人民の要求の調整と、各工場の要求・意見などを集約していかなくては計画経済はうまく推進していかないと思うからです。そのために各工場や各地域の代表者会議が必要であり、そこでの自由な意見の交換は絶対に必要です。スターリンが作り出した経済システムはこうしたシステムに対立する中央指令型の統制経済であり、ここには多くの問題が指摘されています。また、経済的な問題のみならず政治的にも命令を主体とした官僚機構が作られ、官僚的弊害と腐敗が横行し、結果的に資本主義との競争に敗れ、崩壊していきました。

「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」…これはローザの有名なことばであり、トロツキーもほぼ同じ事を言っていますが、スターリニズムが作り出したシステムは「共産主義運動」内部のシステムであり、それまでの共産主義運動の「常識」と考えられていたものをさえ一変させたものでした。現代のわれわれも、スターリニズムと切り離された形での「共産主義」というものを想像するのは困難でしょう。スターリニズムはそういう意味で、共産主義運動について考える時、またその目的のためにたたかうとき、意識的に研究し、または排除しなければならない、「歴史的課題」なのだと思います。なお、「排除」とは他者に対するだけではなく「自分自身の中からも排除しなければならない」という意味でもあります。

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(無題) 投稿者:かめさん  投稿日: 5月26日(日)18時16分07秒

かめさんへ と題されていますが対話が成立してません。
わたしは「いろいろな断片を『スターリニズム』と呼んでいてはだめだ」と思うからこそスターリニズムの定義を話題にしているのですよ。わたしはなにもAからEのいずれかを「スターリニズムでないから『許されない行為』ではない」といっているのではないのですよ。なにを力んでいらっしゃるのでしょうか。
 せみまるさんが今回書き込んだ歴史認識にも、私が勉強した範囲では異論ありません。

 「道徳的優位性」、つまりむこうがたとえいいかげんであっても、こっちはちゃんとやろう、という発想が大切だ、とせみまるさんも思いますよね。スターリニストはしばしば、自分にとってイヤな奴には「トロツキスト」というレッテルをさしたる論証抜きで、つまり党派的恣意で貼ります。ソ連派が中国の文革を「トロツキズム」と罵倒したこともあったはず(文革がいいかどうか論じてるのではありません)。悪口言葉は、定義よりも情念が先に立つのです。しかし、こっちはそうじゃなくって、「スターリン主義」という社会科学の言葉をきちんと定義して使うことが必要だと、せみまるさんもそう思いますよね。

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せみまるさんに質問 投稿者:すえいどん  投稿日: 5月26日(日)17時26分21秒

「わが派の主張は正しいのだから、それに反対する主義主張を排除するのは正しい」という風に正当化するならば「内ゲバ」がその組織内部に「主義」として定着していると断定していいでしょう。そしてそれこそがスターリニズムであるということです。引用終り

宗教団体でも右翼団体でも同じことがあるのではないでしょうか。しかし、それを誰もスターリニズムとはいいません。少なくとも、自らをマルクス・レーニンの系譜に属すると自認する党派でないとスターリニズム(レーニン主義の疎外態と見る)と規定するわけには行かないのでは。マルクス・ローザの系譜にある解放派についてスターリニズムとするのに躊躇する所以です。彼らの用語「宗派主義」なら誰も異論のないところでしょうが。

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レーニンを否定してはいけないのか 投稿者:すえいどん  投稿日: 5月26日(日)17時10分58秒

メンシェヴィズムが何であるかはわかりかねますが、レーニンを根底から否定することがなぜ「罪状」となるのでしょうか。「ボルのクーデターによる権力簒奪に反対する」というのも、一つの政治的立場でしょう。その「言論の自由」を認めず、追放・逮捕し、組織壊滅に追い込んだことは「革命」のために必要・不可欠なことですか?その情況でやむを得なかったという説明は沢山ありますが。党外における異論・反対論(メンシェヴィズム)を暴力によって潰す・粛清と弾圧、つまり、言論の自由というブルジョア民主主義のレベルさえも獲得できていないという、このあたりにスターリニズムのスタートを見ることも十分可能と思われます。

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かめさんへ 投稿者:せみまる  投稿日: 5月26日(日)16時56分51秒

一国社会主義論について。スターリニズムの「論理」をつかまえる事が重要なんだとおもいます。そうでないと「トロツキーは世界革命、スターリンは一国社会主義、どっちを選択するかの問題にすぎない」でかたづいてしまうからです。

ロシア労働者階級が権力をうち立てた瞬間から、世界の資本主義陣営の妨害から防衛し、社会主義建設に向けて前進してゆくことが、実際に彼らの任務としてのしかかってきました。当時、レーニンを含めてロシア共産党のだれもが、そしてほとんどロシア人民のだれもが、後進資本主義国ロシアが一国で社会主義建設をできるなどとは思っていなかった。だから、ヨーロッパ革命の勝利によって、先進帝国主義諸国も労働者政権をつくることが出来れば、それらの諸国との提携によってロシア社会主義建設も進むことができると予想されていました。これは歴史的事実です。しかし、残念ながらドイツ革命の敗北によってその展望は失われ、革命ロシアはやむをえず「当面は一国で社会主義建設の道をすすむ」ことが強制されたわけです。しかし、やがてスターリンはソヴィエト権力掌握後、この晩年のレーニンの言葉をすりかえて「一国社会主義建設は可能であり、レーニンもこれを提唱していた。世界革命などという夢想を語るトロツキーは現実的ではない」という主張をします。

ではスターリンはなぜ殊更レーニンの言葉を歪曲してまで「一国社会主義」を提起したのでしょうか? それこそスターリンの権力志向と不可分のものであると思います。スターリンは権力を独占するために官僚的機構を生み出し、それは当然にもそれ以前にはボリシェヴィキ内部に存在した民主的機構を破壊し、組織を硬直したものへと変質させていきました。しかし、そうした官僚主義独裁体制を他国にも輸出できるものでしょうか? 少なくとも、他の国で革命の高揚によって、あたらしく労働者階級の政権が誕生したとしても、それではスターリンの権力のもとに従属させることはできないでしょう。最初から徹底的に官僚的に統制された軍事力のもとでの権力掌握以外にスターリン主導による「革命の輸出」はできないでしょう。つまり、彼らの官僚主義的権益に照らして考えれば「彼らの利益に奉仕する革命」以外には外部への社会主義の波及は考えられないわけです。彼らに統制できない「革命勢力・革命政権」は彼らにとって危険だからです。スペイン革命の挫折も、ドイツ革命の敗北も、中国革命の過程も、東ヨーロッパの過程もこれを示しています。

スターリン主義とは自らの政治的利益の独占を求めて成立していった独裁的「官僚体制」であり、その官僚機構の維持のために生み出されたのが「一国社会主義」路線や非民主的で陰謀的な政治技術であったと考えるべきです。だから、「内ゲバをやったかやらなかったか」とか「その組織の出自がどこであるか」の分析よりも、例えば内ゲバをやったのなら、その行動についてその組織がどのように総括するのか、つまりその行動をどのような理論付けするのかが重要であると思います。

内ゲバは許されない行為である。それは自分の思惑なり主張を相手の意志を無視して押しつける行為だから。しかし、それを「わが派の主張は正しいのだから、それに反対する主義主張を排除するのは正しい」という風に正当化するならば「内ゲバ」がその組織内部に「主義」として定着していると断定していいでしょう。そしてそれこそがスターリニズムであるということです。「協会派をゲンコツでなぐった解放派」と「たがいに反革命よばわりして殺し合う解放派」とのちがいはそこにあると思います。スターリニズムの「多様性」に目をうばわれて、いろいろな断片を「スターリニズム」と呼んでいてはだめだと思います。その「本体」を捕まえることであると思います。

http://www.trotsky-library.com/1920-3/7-com.htm
http://www.trotsky-library.com/1920-3/ikkoku.htm

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反共精神(?)さん、正しいんじゃないですか 投稿者:TAMO2  投稿日: 5月26日(日)15時54分24秒

 水は、例として出されたわけですよね。もし、そのような交換性がなければ、そもそも商品たりえないと思います。

 逆に、どこが間違いと思われたのか、興味があります。

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2ちゃんねるネタですいません 投稿者:TAMO2  投稿日: 5月26日(日)15時52分22秒

 本当に、黒目さんの書き込みにはショックでした。もし、小生への反駁をされている人が「党員」だったとすれば、かなり理論学習の出来ていない党員であると思います。

 で、これは、黒目さんの返事でもあります。

http://money.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/996749916/81-90

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「野蛮な社会主義」 投稿者:黒目  投稿日: 5月26日(日)15時06分59秒

メンシェビキがどういう主義なんかははでんでん知りませんが、日共がよおゆうてた「中国などの野蛮な社会主義」てな言い方について、はは〜ん、こういう話か、と納得したのですが。
勿論、その教授は俺らは「日共系」と見なしていた人物ですが、それがそのまま日共の見解と=であるかはわからん、というのは言うまでもありません。

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水や空気は 投稿者:つのじ  投稿日: 5月26日(日)11時08分07秒

人が生存していくのに欠かせないもので誰かが占有できるものではないので交換価値にはならないというようことをどこかで読んだ気がします。思い違いかもしれませんが、少なくとも今現在、生きていくための商品として空気は売買されていませんよね?

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コレもスゴすぎ! 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 5月26日(日)11時04分44秒

 なんつーか,これって「人間のやること」なんですかね?

http://www.h2.dion.ne.jp/~tosodan/saisinjouhou2/020524honbuyousei.htm

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お取り込み中失礼(5.27国労臨時大会) 投稿者:アラブ復興車界党  投稿日: 5月26日(日)00時12分43秒

 じっとしててもAIT久我山(準)さんが書きこむだろうけど一刻も早く。 もはや、最後の体裁と体面も捨てる日となるようです。(いかに自己を正統化するかを考える余裕も無くしたようで)

http://www.h2.dion.ne.jp/~tosodan/saisinjouhou2/rintaihousinan.htm

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