四トロ同窓会二次会 2002年6月8日〜15日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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サイバーアクティヴィストは注目要? 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月15日(土)21時33分22秒
よーわかりまへんけど・・・。
「情報ネットワーク法学会」
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いずれかの独裁を選ばなければならないのか? 投稿者:すえいどん 投稿日: 6月13日(木)11時42分41秒
ボル、軍事、いずれかの独裁を選ばなければならないのか?ということで、思い出しました。もうひとつのありえたかもしれない日本。これも、地獄かな、という気がします。
以下は原田泰「日本の失われた十年」からの引用
「一九三九年五月〜九月にかけて、日本は満州(中国東北部)の荒野ノモンハンで、
圧倒的な火器を持つソ連軍と戦った。日本軍はソ連軍の戦車に粉砕され、一万八千の
兵を失った。軍部はノモンハンの敗北を隠蔽した。もし、ノモンハンの敗北が国民の
前に明らかになっていれば、太平洋戦争は避けられたはずである。ソ連に敗北した日
本軍が、ソ連軍と同等以上の火器を持つアメリカと戦争できるはずはないという常識
が、日本に甦ったはずである。神がかり的軍人は力を失い、大正デモクラシーの伝統
を保つ政治家と開明的な軍人によって、新たな政府が成立したはずである。それは、
日本軍にとっても良かったに違いない。権威を失うのは一部の軍人だけで、軍隊その
ものが権威を失うわけではないからだ。
もちろん、復活した大正デモクラシー(新昭和デモクラシーというべきか)の政府
が、事態を解決できたかはわからない。しかし、直ぐさま戦線を縮小し、軍隊を満州
に止め、南方への侵出を取り止め、アメリカとの戦争を避ける程度のことはできただ
ろう。もちろん、欧州の戦乱が終わった後、燃え上がる中国ナショナリズムに直面し
て、日本が植民地からの名誉ある撤退ができたかどうかはわからない(あるいは、ナ
チスを倒したアメリカの軍事援助を受けた中国軍によって、満州の日本軍は簡単に粉
砕されたかもしれない)。しかし、偉大なフランス共和国ですら、第二次大戦後、植
民地からの名誉ある撤退はできなかったのだ。日本は、フランスがしたような血みど
ろのアルジェの戦いを満州で行うことになったかもしれない。アルジェリア独立に反
対するフランス軍の一部がパリでしたように、東京を関東軍のテロが襲い、政情騒然
たる事態がしばらくは続いたかもしれない。しかしそれでも、日本は、ガダルカナル
も東京大空襲も沖縄戦もヒロシマ・ナガサキも経験することはなかっただろう。真実
はすべての人にとって、もっとも望ましい解決策だと私は信じる。」
原田氏は、こちらを選択すべしといっているわけです。
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「スターリン ジョーク」などに 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月13日(木)10時27分05秒
その当時の当の「中農・貧農」(つーか、あの状況で富農などいたのか?)の小噺があるので、
帰宅後、可能ならばアップします。いずれにせよ、立場で人間の存在を全否定しかねない、レー
ニンのやり方には昔も今も反対です。
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マルクス主義の農業に対する謬見補充 投稿者:すえいどん 投稿日: 6月13日(木)10時09分36秒
マルクス主義の農業に対する謬見
1 私的所有の廃止が進歩、農地・農具も当然に。
前段、議論のあるところ
2 集団農業が個人農業に優越する(集団化が進歩)
機械制大工業の類推?原始共同体への幻想?
3 農民層はいずれ消滅〈プロレタリア化)
原理論的にはそう。しかしイギリス以外ではそうならなかった
宇野帝国主義段階論、農民層分解の停止・逆転を説明
4 農民の土地所有と穀物取引の自由から資本主義が発生する(レーニンの市場の理論)
以下、渡辺寛「レーニンの農業理論」〈御茶ノ水書房1963年)から要約引用
商品経済が時々刻々不可避的に資本主義を生み出すという誤った初期レーニンの市場の理論(二段階革命論)が戦時共産主義において復活し、「穀物売買の自由とは、資本主義に、地主と資本家の無制限の権力に・・逆戻りすることである」として、食糧徴発は、単に飢餓からの緊急避難をこえて、資本主義に反対し、社会主義を防衛するための「階級闘争」として積極的に意義づけられた。しかし、後にレーニンも認めるとおり「一個の融合している」農民を、人為的に敵味方に選別したのであり、「富農」に対する戦いではなく「穀物を持っている中農」、ひいては農村全体を敵としてしまったのである。
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ここでボ共党史を引っ張り出すのも何ですが 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月13日(木)08時54分09秒
国民文庫のソ連共産党史にもあり、そしてロシア革命史でも何度も書かれていたことは、
「ブルジョア革命は通常は #力を有する# ブルジョアジーが、農民・労働者多数の断固
とした力の行使の助けを借りて、実行されるのに、ロシアにおいてはブルジョアジーは力を
有していず、ツァーリズムとの妥協を図った。その妥協の過程で労働者・農民は血の弾圧を
受けることとなるが、それは同時にブルジョアジーの力の基盤を掘り崩すことでもあった。
要は、ブルジョアジーには革命をする力がなかったということであり、いずれにせよブルジ
ョアジーは革命の中で没落することが運命付けられていた」と。
果たして、ブルジョア革命でロシア革命をとどめることは可能であったでしょうか。
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否、人間を否定はしないですよ 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月13日(木)08時45分18秒
否定してはレーニン死後のトロツキーの左翼反対派も意味ないことになります。その意味に
おいて、トロツキーが「裏切られた革命」に述べているテルミドール反動の現象を評価しつつ、
実際に権力のトップにあったトロツキーがそれで全て自分の敗因を説明しようとしていること
に不満を小生は有しているわけです。小生が言うのは、ボリシェヴィズム(但し、初期)以外
が1917年で勝利した可能性についてです。
なお、ここで言うボリシェヴィズムにはのは、左翼エスエルとその影響下にあった大衆をも
含みます。「ボリシェヴィズムを憎みながら、農村でボリシェヴィズムを実行したのは、エス
エルの大衆たちであった。」(「ロシア革命史」)
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んで 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 6月12日(水)23時32分16秒
たぶん,(大部分の)アナキストは,そういう決定論的立場を拒否するんだろうと思います。
一体,「動かす」主体は何なのか?人間なのではないか,と。
その人間を否定する立場(左右の)を並べて,どっちに転ぶか,とするようなフレームワーク自体が,違うのではないのか?と。
何か,決定論的立場に立たない,という意味では,経営学(近代経営学)と非常に近い,という昔立てた仮説が,ますます当たってるような気がしてきました。
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そうするとTAMO2さん 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 6月12日(水)23時27分55秒
ロシアはいずれにしろ,「反動的軍事独裁政権(もちろんスターリン含む)」
に行き着かざるを得なかったわけですね。
でもコレって,究極の決定論的立場ですよね。
ま,歴史に「たられば」がない以上,今回もまた,過去ログと同じ相違点の
明確化という方向にしか向かわない,そういう議論なんですけど。
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というか、資本家はブルジョア革命さえ反故にしたでしょう 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月12日(水)22時48分05秒
掲題の件、レーニンの4月テーゼが後々正しかったことを歴史が証明していることで、証明
されていると思います。すなわち、かの革命をブルジョア革命という中間地点で「終結」させ
ることは、コンパスの針を天辺に向けてその上にボールをバランスとって安定させるようなも
のであった、と。
その歴史的な負託に応えられたものが、とどのつまりは「ボリシェヴィズム(但し、当時)」
であったということだと思います。
それ以外の選択肢は恐らく反動的軍事独裁政権に行き着くものであると、小生が予測している
のは、過去ログにある通りです。
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宮地さんのhp見ていての感想 投稿者:やまさん 投稿日: 6月12日(水)22時27分56秒
当初はボルシェビキを含めて殆どのロシアの党はは資本主義ロシアを目指していたと思います.一方トロツキーのグループは,ロシア革命は資本主義で留まることなく,プロレタリア独裁の政府を作るだろう(その方向を目指すべきだ)との立場だったと思います.複合的発展の法則に従い,ロシア革命は先進国の革命よりも容易である.が,革命後の体制の維持・建設は先進国革命が起きなければ困難で,長続きできないという立場だったと思います.
黒目さんの評価に基き内ゲバの悪の根源を追うと,レーニンよりも,無理があることを見越して頑張る方針を早くから打ち出していたトロツキーの方にあり,その路線に乗ったレーニンやボルシェビキがあほだったということになるのかも〜ネ.
プロレタリア革命の悲劇は,ブルジョア革命の反対に,いわゆる後進国でまず始まるということですね.始まった革命は進んだ資本主義の恩恵を引き継ぐことは出来ないため,すぐに先進国革命が後を追わないと,大変苦しいことになります.かなり短期間の間に先進国の一部が,ブルジョアジーからの「生産手段の没収」を実現し,先に革命を起こした「後進国」と連携しないと駄目なのでしょう.先進諸国の革命が全く見えない間は,今の中国やベトナムのように,可能な限り市場経済を取り入れながら先進国革命を待つしかないのかもしれませんね.・・でも地球は待ってくれそうに無いな〜.でも,大昔のエジプトやメソポタミアのような文明でさえ,広範な地域を砂漠化させたのだから,今の文明の横暴にも関わらずよく持っている方か.
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時期的な問題じゃないかと思います 投稿者:せみまる 投稿日: 6月12日(水)22時06分41秒
レーニンは集団農場を目的としてはいたようです。しかし、それをすぐに始めようとしたわけではありません。
また、トロツキーはトラクターの生産(工場)とそれによる農村の近代化とによる
労農の団結、産業の発展の道を提起していました。
すくなくとも、集団農場への強制による「農業プロレタリア」化というのはスターリンがやったわけですが
それまでは「状況を見ながら、ぼちぼちやろうかー」というのがボリシェヴィキの主要な方針であったと思います。
生産性が伸びていないところに集団化をいきなり導入することにメリットはなかったでしょう。
なお、市場経済の一部導入(ネップ)はたしかに一定の成果をもたらしました。農村経済は回復にむかっていったわけですから。
また、資本の一定の蓄積がなければ社会主義へと発展させるのは無理でしょう。
よくいわれるように「富の共有」ではなく「貧困の共有」にしかならないわけです。
中国はその点で非常に苦しんだと思いますね。ロシアよりもさらに社会主義への道は困難だったといえます。
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以下の 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 6月12日(水)22時03分31秒
すえいどんさんのいう「マルクス主義の」の冠で全体を規定するその真偽はともかく,少なくともロシア革命当時のレーニン・トロツキーらの「小農」理解は,100%間違いでしょう(と言い切る)。
チャーヤノフが抹殺されていく過程も含めて,この辺も過去ログにあるはず。
ちなみに,右も左もこうした「大農優越」の思想は抜きがたくありまして,これは今も全然変わりないです。
会社がやるか末端国家組織がやるかに違いだけで,農民がただの「使用人」になることには変わりはないわけです。
最近の「左の大農主義」に対する痛烈な批判の書は以下のとおり(前にも紹介済みかな)。
特にTAMO2さんにはお勧めかも?
玉真之介『農家と農地の経済学−産業化ビジョンを超えて−』農文協,1994年,2,300円
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マルクス主義の農業に対する謬見 投稿者:すえいどん 投稿日: 6月12日(水)18時13分29秒
マルクス主義の農業に対する謬見
1 私的所有の廃止が進歩、農地・農具も当然に。
2 集団農業が個人農業に優越する(集団化が進歩)
3 農民層はいずれ消滅〈プロレタリア化)
4 農民の土地所有と穀物取引の自由から資本主義が発生する(レーニンの市場の理論)
これら謬見にもとづき農業集団化も、人民公社も、ポルポトもあったと思えます。
手許に文献がないので、詳細は後日。
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それはそうなんじゃないですか? 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月12日(水)17時54分42秒
>小生産者の「市場」を認めればそこから資本主義が発生するという謬見
ただ、問題は、市場をコントロールする術は、一定あるし、それを無政府状態にしない方法は
おそらく社会主義的な政権のもとでのみでしょう。セクターとしての市場経済。
(リンク先参照ください。非常に興味深い議論がなされています。)
http://www.benricgi.com/bbs/tree/tree.cgi?id=toride&cmd=hensin&subdir=a&myoya=21&pacnt=21
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マルクス主義の弱点でありますが 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月12日(水)17時51分11秒
出典は忘れたけど(ロシアにおける資本主義の発展?)、レーニンは農民層における分解を
資料に基づいて明示してましたね。そして、「貧農に訴える」(1902年?)では、まさに
下のエスエル路線をアジっています。それは現実性のあるものだと思います。
それはさておき。以下で議論されている「農村のプロレタリア化」ですけど、それについて
はエンゲルスは急いではならない(逆に言うと、孤立した小生産者としての農民階級の廃絶を
マル=エンは志向していた)とたしなめています。同意に基づき、協同化(集団化)がよいこ
とを実例でもって示すべし、と。ぶっちゃけた言い方だと「欲に基づいて行動させよ」です。
ただ、関西弁シリーズになりますが「人間ボチボチでんな」で、そんなにプロレタリアと
農民(あるいは小生産者としてのブルジョア)の意識って、そんなに違うものですかねぇ。
何か、左翼って観念化された「プロレタリア」から出発している気がする。
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富農は存在しなかったか? 投稿者:せみまる 投稿日: 6月12日(水)17時44分30秒
> 農民層の分解など生じておらず、農民を無理やり貧農・中農・富農に分類したのは
というのは、何か当時の資料をもとにしているのでしょうか?
そうでないと「富農・中農・貧農の区別はあった」という主張と「なかった」という主張とが、ただ平行線をたどるだけになっちゃうと思います。
また、とくに1920年前後の農業政策については、トロツキーはレーニンとも対立しており、それを「ボリシェヴィキ」とひとくくりにするべきではないと思います。
参考文献として、トロツキー研究No.3「ネップと社会主義建設」とNo.4「経済的冒険主義批判」とをあげておきます。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/kikan/1.html
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農民の「農業プロレタリアート」化が諸悪の根源 投稿者:すえいどん 投稿日:6月12日(水)17時15分44秒
農民の「農業プロレタリアート」化こそが社会主義への前進であると言う牢固たる観念が諸悪の根源ではなかったかと思います。農村を知っていた毛沢東でさえ、「人民公社」の幻想のもと大飢餓〈人災以外の何物でもない)を招いています。小生産者の「市場」を認めればそこから資本主義が発生するという謬見が誤った政策をもたらしたと渡辺寛「レーニンの農業理論」も指摘しています。1919年に自作農の土地所有と穀物取引の自由を認めなかったのは、ボルシェビキの「革命観念」以外には理由はないように思われます。農民層の分解など生じておらず、農民を無理やり貧農・中農・富農に分類したのは「階級闘争」の擬制を作るためではなかったか?ということです。
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農業独裁 投稿者:せみまる 投稿日: 6月12日(水)15時36分54秒
すえいどんさん、資料ありがとうございました。(^^)
「農業独裁」をめぐる分析について、見えてきたものがあるように思います。
ひとつは、ロシア農民をどう分析するか、を重視していると思います。
すえいどんさん紹介の資料にもあるように、当時の農村政策の基本はエスエル左派の主張する「貧農の土地取得政策」であり、これをボリシェヴィキも採用していました。なぜなら、農村部はエスエルの方が支持基盤がおおきかったからです。しかし、レーニンの本当の目的は土地の国有化による農民の「農業プロレタリアート」化だったようです。つまり「国営集団農場」ですね。これはトロツキーも考えていた事のようですが、スターリンが権力を握った時に、極めて強権的に行われていきました。
ロシア農民を「富農」と「貧農」とに 階級的に区別して、貧農によって農村ソヴィエトを組織させようとするボリシェヴィキ路線と農村をそのように階級的に分化することに反対する左翼エスエルとの確執とは、この問題を考える上でかなり重要な要素といえると思います。
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三次会に資料掲示しました。 投稿者:せみまる 投稿日: 6月12日(水)11時41分24秒
稲子恒夫氏の『ロシア革命』からの抜粋です。
クロンシュタット問題は当時の食糧事情と、それに対する食料徴発が深く関係しています。
この資料をどう読むかはおまかせします。
http://www60.tcup.com/6038/mappen.html
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>そしてバリケードの向う側に位置する政治勢力とは、その外観がいかにエセ革命的言辞でかぎられていようとも・・・・ 投稿者:黒目
投稿日: 6月11日(火)21時42分23秒
むりやり話をつなげて行きたいと思いますが(w
まあ、SEX PISTOLS からアナキズムに接近したような俺のような類の人間(w)にとっては、陰鬱なボルシェビキズムを批判する立場に立つ、という事から、SRとかの方に目を向けたりしがちなんですが、崩壊以降、例えば宮地さんのような形で整理されたもんを前に、そんなんではいかんだろう、と思うわけですが、
例えば、なんらかの展開で、その政治党派がなにがしかの立場に立つ、その事の意味。
それは何らかの階級的基盤に拠ることで、そういう立場に立つ訳です。「爆弾大好き人間」があつまった結果、レーニンぶち殺し方針が出てきた、とか、そんな話ではない。
この、「ボルシェビキ反対派」は、ボルシェビキに反対した人々の政治的表現ではなかったのか?丁度、例えば俺が、自民党に反対するために社会党に投票する、しかし、社会党が俺の政治的内容を反映している訳ではない。
で、党派闘争に勝利し、反対派を殲滅した側は自賛するわけです。「プロレタリア内部の矛盾として先行する党派闘争を通じて、労働者党のあれこれの形態という仮面はひきはがされ、ブルジョア的本質とプロレタリア的本質との赤裸裸な対立が暴露される段階に到るや否や、内的な党派闘争は公然たる階級的対立へ止揚されて、もはや論争による解決という手段は軍事的対決による解決へと道を譲るのである。」
つまり、「我々=プロレタリア」であり、「彼ら=ブルジョア」である。ここで、ボルシェビキは反対派を殲滅するための、「合理的な理由」を得る訳です。
この部分の論理構造が、まさに内ゲバの論理であり、また、内ゲバをやらない党派、さらには非ボルシェビキズム党派にも、「左翼の作法」として受け継がれてしまっているのではないのか、と。
で、このボルシェビキが「ブルジョア側」であると規定して、殲滅した部分、これは農民層である訳で、この「プロレタリアートなんかほとんどいないところでのプロレタリア革命」という事の矛盾は、第三世界革命の中で、解決されていない問題として残った課題そのものである訳です。毛沢東主義というのは、ここの部分を解決しようとしたのが、毛主義の毛主義たるゆえんである訳ですが、これがまた別の袋小路へと入っていったというのは、また別の話として考えるべきですが。
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ん? 投稿者:黒目 投稿日: 6月11日(火)17時43分39秒
インター自身の説明として、悔しい野郎さんの説明のような話だいますが・・・
>沖縄ブロック
そういう文章をインター自身が書いていたと記憶するのですが。
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中核派への個人的印象 投稿者:まっぺん 投稿日: 6月11日(火)17時30分16秒
悔しい野郎さん、いらっしゃいまし\(^o^)/
えっと、当時までぼくはまだノンセクトで、
ちょこっと「情況派」のうしろにくっついてデモしてたりしたこともありましたが
印象としては、「中核派はすごいなー!」という印象を持ってます。
「社会新報」よりも「前進」の方が発行部数が多かったというのは、やっぱりすごい。
高校時代、田舎で見た隊列も白ヘル部隊、圧倒的に多かったし
東京に出てきても、どこもかしこも中核派、という印象です。
当時「反スタ理論」のことはまだよく解っていなかったので党派理論についてはなにも言えませんでした。
しかし周囲に、それなりに中核派系の友人がいて、そいつらが結構いいやつだった、という印象があります。
目をつりあげてやたらに他党派を「反革命」とののしるような今の中核派からは想像できない
「よい中核派」の印象的思い出ありますよ。(^^)
インターと中核派のブロックというのは「沖縄返還」をめぐる方針の一致によるものでしょう?
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中核派とは何か? 投稿者:悔しい野郎 投稿日: 6月11日(火)13時53分55秒
1971年春に、全国全共闘・全国反戦(八派共闘)ブロックが崩壊した時、
インターが、あえて中核派とブロックを組んだのは、
中核派を革命党派として
良質だと評価したわけではなく、
60年安保の時に代々木といっしょに
反主流派ブロックを組んだために、
大衆的支持基盤を得るきっかけを失ったこと
の反省に立って、
良くも悪しくも、
67年10・8以降の、運動の高揚の中心に
急進民主主義党派としての
中核派があったこと、
を評価して、というような内容
だったと記憶しています。
私自身が70年代初頭に池袋近辺にいた時の
感想では、誰をとっても、
生真面目な典型的な戦後民主主義者タイプで、
少なくとも
末端活動家の中には
革命家タイプのアクの強い人は
見当たりませんでした。
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ジョゼ・ボベ来日決定!\(^o^)/ 投稿者:まっぺん 投稿日: 6月11日(火)13時24分18秒
ATTACニュースレター「サンドインザホイール」(週刊)2002年5月29日号(通巻130)号 より
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ジョゼ・ボベ(フランス農民連盟)来日決定、10月29日〜11月9日
京都:6月15日(土):「グローバル化のなかの遺伝子組換え作物―資源化/資本化/商品化される生命と知」 講師:平川秀幸さん(京都女子大学教員、ATTAC京都代表)、第2部 相談会☆午後6時、ウィングス京都
首都圏:6月29日(土)「討論:トービン税とATTAC運動」☆午後6時、東京都・渋谷区勤労福祉会館2階第1洋室
関西:7月13日(土)「フランス農民連盟とラルザック農民の闘い」☆報告:上坂喜美さん+杉村昌昭さん☆午後2時スペースAK
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そう、実はそうなんですよね。 投稿者:いずみ@出向先 投稿日: 6月10日(月)20時55分00秒
たとえば、小西さんへの攻撃の回し蹴りを食らって「反革命規定」されちゃった角田さんなんかは、「中核には何の期待も持てない」という立場ですよね。
もちろん、角田さんが過去自らが中核派にいたことの結果責任総括抜きにそう公言してしまうことは大きな問題ですけど、まぁでもやっぱりいずみも心情としては黒目さんと同じで、「どこに希望が持てるんだよ」というのはあります。
ただ、全体としてそうだからこそ、そこと敵対している側には見えにくくなってることもあるのではないかと思います。現実に、趣味業界を通して知り合った元中核派のみなさんから聞く内情話というのはいろいろな意味で非常に新鮮で、やっぱり外から見てるとどうしても見えない部分というのはあるなぁ、と。
これは、学生時代、「世界革命」定期購読するような不良日共党員(笑)を寮で間近に見ていたときも思ったわけです。寮外のゴリ民だけ見てたらもう日共には憎しみしかわきようがありませんが(笑)、中にはそういう人も相当程度存在するんだなぁ、と、寮みたいな空間でのみ知りえた、というか。
もちろん革命党組織の内部事情なんて一般人民は知る必要はない、というか、そんなの知らなくても支持できるようでなければ革命党失格ではあるんですが、それはあくまでも党組織のことであって、その中で活動している人たちみんなに当てはまるわけではないというのもいえるでしょう。
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そりゃまあ、 投稿者:黒目 投稿日: 6月10日(月)20時25分18秒
最初っから「あんなん」だったら、あんなに新左翼運動と言えば中核派、てなビッグネームにはなりえなかったとは思いますが。
昔はともかく、少なくとも俺は中核派に魅力を感じた事は一回もないし、具体的な事例としての、「階級独裁と党独裁」という事の問題を考えさせられる材料として以上の意味を感じなかったですね。
小西さんが中核にこだわるのも、勿論、心情的には理解できない事はないけれども、なんで今更、、という感じをもっている、ということを取り敢えず表明しておこうかと。
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既にまっぺんさんが書いてますが 投稿者:いずみ@出向先 投稿日: 6月10日(月)19時50分17秒
70年前後の中核派は「そうじゃなかった」と言ってよいのではないでしょうか。
て、30年以上も前の話なんでアレですが。。。
勝手なこと言うようですけど、当時小西さんが「ほかよりはマシ」と判断した、ということは、小西さんのイメージする反体制運動の中で見て何らかの「マシさ」が当時あった、ということになると思うわけです。そして、小西さんの運動のイメージが十分評価に値するものであることは最近の一連の著作からも理解できるのではないかと。。。
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僕も黒目さんに一票 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月10日(月)19時37分09秒
申し訳ないけど、やっぱり中核派のセクト主義的引き回しに遭ったことがあるので・・・。
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う〜みゅ・・・・ 投稿者:黒目 投稿日: 6月10日(月)17時27分44秒
>『前進』は、反戦自衛官に一言も触れない
てっきり俺は、中核派ってそもそもそういう党だと思っていましたので、全然驚かないんですが・・・・
・・・・。昔はそうじゃなかった時代もあったのだろうか?
ちょっと、イメージ出来ないっす。
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前進が「反戦自衛官」にふれず 投稿者:小西 まこと 投稿日: 6月10日(月)12時04分00秒
例の防衛庁リスト問題で僕の所には、マスコミからの取材がいくつもの入っているのですが今週の『前進』は、反戦自衛官に一言も触れないと言うお粗末です。これはついに「反戦自衛官」離れでしょうか?
前進
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no02/f2057sm.htm#a4_2
反戦自衛官のサイトを更新しました。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/shakai.htm
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第二の立場資料集 投稿者:すえいどん 投稿日: 6月10日(月)10時13分18秒
弾圧か、簒奪かは別として、宮地健一さんのホームページはデータ豊富で参考になります。
包括的に善悪を論ずれば、それぞれの価値観の表明に終わってしまう危惧があります。
個別的な検討が必要と思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/kenichi.htm#shakai20
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第2の立場を修正しておきませふ 投稿者:黒目 投稿日: 6月 9日(日)20時27分43秒
●第二の立場
ボリシェヴィキは革命の簒奪者である。
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革命権力と内ゲバについての整理 投稿者:せみまる 投稿日: 6月 9日(日)18時54分57秒
やまさんに、ぼくのほうから説明します。黒目さんとぼくとの見解の相違は、権力をとったあとのボリシェヴィキによる「赤色テロル」をどう考えるか、ということです。それについての立場は3つに整理されていると思います。
●第一の立場
ボリシェヴィキによる他党派・勢力への弾圧は「反革命に対する革命権力の行使」であり正しい
●第二の立場
ボリシェヴィキがその権力を独占し他の勢力を弾圧したのは反動的である
●第三の立場
当時の状況をさらに検討しなければならないしボリシェヴィキの立場に同情するが、第一の立場によってすべてを説明しようとするのはまちがいである
ほんの10〜20年ほど前までの「革命的左翼」を自称する人々の基本的立場は第一の立場です。黒目さんが例にあげた織田進の「革命的暴力と内部ゲバルト」の記述も、約30年ほど前に「第一の立場」を基調として書かれたものです。また日本共産党の立場もずっとこの立場でした。最近ではそうではなくなってきているようですが。そして黒目さんや、主にアナーキズム的立場の人は、第二の立場に近いと思います。第三の立場は、社会主義について、レーニン主義について、再度考えてみる必要があるのではないか、と考え始めた多くの旧「新左翼」諸党派のなかから出ている意見です。
なお、過去のいわゆる「アナ・ボル論争」の主軸は「第一の立場vs第二の立場」といえるでしょう。やまさんの立場も「第一の立場」に分類されると思います。また、「内ゲバ」との関係で分類すれば、「第一の立場」と「第二の立場」から説明しようとすれば、それらはお互いにちょうど逆の意味で「革命側と反動側とのたたかい」ということになり、内ゲバとは無関係ということになるでしょうが、第三の立場から考える時、「内ゲバと無関係」かどうかはさらに検討の余地があると思います。
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??黒目さん??? 投稿者:やまさん 投稿日: 6月 9日(日)18時00分24秒
済みませんが,意味がわかりません.
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やまさんへ 投稿者:黒目 投稿日: 6月 9日(日)17時50分04秒
1.せみまるさんと俺の議論を踏まえた上においては、力無く笑わざるをえませんが?
2.それはこの件は「内ゲバとは関係がない」とするやまさんの党派的立場によるものであります。
3.2のような見解に立つ党派的立場は、明白に「後で振り返ってみて正しい見通しを持っていなかった」立場であると思いますが。
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再び黒目さんへ 投稿者:やまさん 投稿日: 6月 9日(日)17時29分12秒
革命権力は権力を握ると同時に、権力者の言葉をしゃべる事ができるようになるわけです。
1.おかしくも何とも無く,その通りでしょう?その権力が拠って立つべき階級から離反したり,階級そのものが疲弊していたりすると,革命権力は(他の一切の権力同じで)無理しなければならなくなってくるでしょう?革命政府がその名に置いて権力を行使することが嫌だといったら,なんもできないのではないですか.
2.内ゲバと関係ない話でしょう.
3.後で振り替ええてみて,正しい見通しを持っていたのはどの党かは検証できるでしょう.その党の思想は革命を起こすのに有効な可能性が高いでしょう.
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スルタン・ガリエフは 投稿者:アラブ復興車界党 投稿日: 6月 9日(日)16時51分48秒
植民地インター的なものを唱えた人でしたかね。 ご紹介の山内さんの本読んでいないので。
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わはは。 投稿者:黒目 投稿日: 6月 9日(日)15時18分53秒
そう、まさに「内乱鎮圧」でありましょう。ワイマール共和国の社会民主党政権がスパルタクスブントを「鎮圧」したように、また、スハルトがインドネシア共産党を「鎮圧」したように。
革命権力は権力を握ると同時に、権力者の言葉をしゃべる事ができるようになるわけです。
>スルタンガリエフ、でしたね。ムスリムのトロツキーと呼ばれた人物ですよ?
まあ、ボルシェビキの「正史」からは抹殺されている一人です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130250663/qid%3D1023602361/249-4936893-4332304
http://www.shohyo.co.jp/gendai/20-21/1998/199809.html
>正しい見通しを持った党派?
その「正しさ」を疑う作業をやっているのだと思っているのですが
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黒目さんへ 投稿者:やまさん 投稿日: 6月 9日(日)13時40分55秒
<ボルシェビキによる反対派殲滅
この時代は,ボルシェビキが政府権力を握り,反対派との間で内戦状態になったわけで,政府を守るか捨てるか(この場合,ボルシェビキやそこに結集した労働者への血の弾圧が待っている)しかなかったときの,やむをえない選択ではないのですか?労働者階級や党は,できるだけこのような状況を避けて,少ない犠牲での革命を目指すのは当たり前だとは思いますが,このような決定的な対決を避けるために何が出来たかは,簡単に答えが出るものではないと思います.でも,「反対派殲滅」ではなく,「内乱鎮圧」では無いのかな?この話といわゆる内ゲバは,次元が違うと思います.
<サルタンガリエフの民族共産主義
分からないので教えてください.民族共産主義って,そもそも共産主義の原理・原則から外れた概念と思いますが,違うのでしょうか?
<例えばファシズム、全体主義、独裁体制、というようなものに対して、我々は即座に「それは悪いものであり、敵である」というふうに回答する事が出来ます。しかし、その当時はどうであったか?
だから,こういうものを的確に判断し,階級に訴えることのできる正しい見通しを持った党派が必要なのだと思います.ナチスの台頭の局面で,この危険を早くから見破ったのはトロツキーを中心とした人々だった.スターリン下の硬直した共産党は全く誤った判断をした.・・・しかし,何故,かくも簡単に分派の禁止を始めとする党の官僚化は世界の共産党に広がったのでしょうか?やはり,世界大戦という,極度に緊張した社会の存在が原因なのかな.
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例えば、つー話ですが 投稿者:黒目 投稿日: 6月 8日(土)21時17分10秒
国際革命文庫7「革命的暴力と内部ゲバルト」
「内部ゲバルト」反対 織田進
問題の解明は、一九一七年ロシア革命とそれ以後の内戦の過程で行使された、ボルシェヴィキとメンシェヴィキ・エスエル・ブルジョア諸党派連合反革命との軍事的対決と、一九二七年以降スターリニスト官僚が、ボルシェヴィキの一世代全体を抹殺するために行使した暴力手段とを、峻別することから出発しなければならない。
前者において我々は、プロレタリア的党派とプチブル的党派との対決は、結局バリケードで向い合う暴力的解決へと発展することを見るのである。プロレタリア内部の矛盾として先行する党派闘争を通じて、労働者党のあれこれの形態という仮面はひきはがされ、ブルジョア的本質とプロレタリア的本質との赤裸裸な対立が暴露される段階に到るや否や、内的な党派闘争は公然たる階級的対立へ止揚されて、もはや論争による解決という手段は軍事的対決による解決へと道を譲るのである。
ロシア革命を闘いとったボルシェヴィキの闘争は、この意味での一つの典型である。ソヴィエト民主主義を徹底して利用し、少数派から多数派へと成長していく過程、いったんこの多数を掌握するや直ちに権力奪取へ向う過程、奪取した権力に対する態度を最終の基準として、全てのプロレタリア的、プチブル的党派がバリケードのどちら側に立つものであるかを最後的に明らかにさせること、そしてバリケードの向う側に位置する政治勢力とは、その外観がいかにエセ革命的言辞でかぎられていようとも、革命の暴力を通じて以外にはいかなる対話も彼等との間に存在し得ないことを明らかにすること。ここには、プロレタリア民主主義と党派闘争の関係の本質が事件の生きた弁証法によって明らかにされている。
http://redmole.m78.com/bunko/07/bunko07f.html
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どこからが「内ゲバ」か? 投稿者:黒目 投稿日: 6月 8日(土)21時12分26秒
例えばファシズム、全体主義、独裁体制、というようなものに対して、我々は即座に「それは悪いものであり、敵である」というふうに回答する事が出来ます。
しかし、その当時はどうであったか?
たしか、武井昭夫がインタビューで言っていた事だったと思いますが、武井は戦争中は軍国学生であったのですが、当時の、社会主義とかにふれていない学生の間の認識としては、ナチス的「国家社会主義」とソ連型「社会主義」との間の差違というのが、あんまし認識されてなかった。どっちも労働者階級による権力掌握であり、一党による独裁政治である、と。んで、「独裁体制」というもんそのものも、「ありうる合理的な政治形態」の一種として受容されていた、というような状況があった、という事を前提にしなければならないと思います。そして、現実にスターリンはヒトラーと不可侵条約を結んだ。
これは、スターリンの認識としては「内ゲバ回避」だったのではないか、と。
んで、しつこく問題にしますが、ボルシェビキによる反対派殲滅という事例も、ボルシェビキ派の陣営においては、長い間、疑う余地のない「敵階級との闘い」であり、内ゲバなどではない、と認識されてきたわけです。これは例えば第4インター日本支部の織田進さんなどが、国際革命文庫などで明快に書いておられる事です。
んで、民族主義的運動とか云々、という評価は、かなりその状況によって評価がいじられるものである、という事を抜きにして、無前提に帝国主義国家だからだめとか、そういう簡単な分別がされうるものではないと思います。現に、サルタンガリエフの民族共産主義とか、そもそも存在しなかったかのように扱われているではありませんか。
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頭に入る「日本の歴史」 投稿者:TAMO2 投稿日: 6月 8日(土)20時48分21秒
リンク先のようなものが溢れれば、教科書なんかよりもずっと頭に入りそうです。
http://www6.plala.or.jp/kenz/flash/history-souson.html
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せみまるさん,「日本の大衆に失望を与えてきた左翼勢力全体の責任」 投稿者:やまさん 投稿日: 6月 8日(土)18時43分04秒
民主商工会という自営業者・零細企業経営者の組織があります.共産党系の人たちが中心の組織ですが,サラ金で苦しんでいる自営業者の仲間の相談に乗ったり,サラ金業者との交渉をしたりして,借金に苦しむ自営業の人たちを支援しています.失業した人たちの相談も沢山来ているようです.私の地域では,労連もまた,民主商工会と一緒にサラ金で苦しむ人たちに対して応援の相談を始めようとしています.このような活動は,今の時期にはとりわけ重要だと思います.
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民族主義的運動について. 投稿者:やまさん 投稿日: 6月 8日(土)17時58分03秒
蝉丸さんの言うとおりです.私が言おうとしたのは,あくまで「帝国主義国家」での排他的な民族主義的運動(ナチスなど)でした.抑圧された民族の民族独立運動と国際共産主義の運動は共通の敵を持っていると思います.・・でも,植民地時代の中国の国民党と共産党のような場合はどうなんでしょうか?国民党は,民族解放を目指したと思いますが,蒋介石の時代には中国共産党には強い不信感を抱き,これは反共の民族解放運動に共通すると思います.このような国民党に対して,中国共産党はどうすれば良かったのでしょうか.(単純に,今まで抱えている疑問のひとつです.)
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デマウイルスに気をつけろ! 投稿者:まっぺん 投稿日: 6月 8日(土)11時16分03秒
まっぺんの知り合いからウイルスについてのメールがとどきました。
それによると「新型ウイルスが出回っているから、次の手順にしたがって
検索し、見つけたファイルを削除せよ」というものです。
ところが、それは削除してはいけないものだったようです。
こういうのをデマウイルスというのだそうです。知人もひっかかったわけ
です。
「jdbgmgr.exeを削除してください」というのはデマだそうです。消さないように!\(^^)
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国際主義と民族主義 投稿者:せみまる 投稿日: 6月 8日(土)10時09分16秒
やまさん
「民族主義運動」と「国際主義運動」とにわけるのには反対です。たとえばフランス・日本・アメリカによって長い間帝国主義支配に苦しみ続けたベトナム。インドシナ人民のたたかいは「民族独立」のたたかいであると同時に、世界中の反戦平和運動を燃え上がらせる「国際主義」の闘争でもありました。抑圧民族の民族主義運動と被抑圧民族の民族主義運動とのちがいにも着目するべきであると思います。
TAMO2さん
ファシズムについて「零落するプチブル主導の運動」というのは「理念」のうえでのことであり、ファシズムのもとにある人民大衆は獲得対象であるはずである、ということですね。まったくそのとおりであると思います。1930年代、ドイツにおいて共産党への支持が高まっていた時、スターリンの反動的戦術によって共産党に失望した大衆は、ファシストへ支持を与えた。という事は、この両勢力を支持していたのは同質の下層大衆であったといえると思います。労働者階級の自己解放闘争に絶望したとき、あるいは自己の潜在的能力に自信を持てない時、人々はファシズムを選ぶ、ということなのでしょう。小泉首相や石原都知事に期待する日本の大衆の現状は絶望的なものがありますが、日本の大衆に失望を与えてきた左翼勢力全体の責任は重いものがあります。
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