四トロ同窓会二次会 2002年7月11日〜17日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
----------------------------------------------------------------------------
「70年安保と全共闘」 投稿者:トントン  投稿日: 7月17日(水)15時55分14秒

「70年安保と全共闘」 
「田原総一朗の戦後史をたどる旅」テレビ朝日
放送日 7月28日(日) 午後4時〜5時半
「70年安保と全共闘」

●ゲスト出演
 スタジオ・ゲスト
 筑紫哲也/猪瀬直樹

 VTR出演
 吉岡 忍(作家)/今井 澄(参議院)
 立松和平(作家)/鈴木邦男(一水会)
 植垣康博
 山下洋輔(ジャズ・ピアニスト)
 松野頼三(当時防衛庁長官)
 トム・ヘイドン(シカゴ・セブン)

「怒りをうたえ」のフィルムがふんだんに使用されます。

http://http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/subpage01.html

----------------------------------------------------------------------------
ありがとうございます 投稿者:自由精神  投稿日: 7月17日(水)14時12分53秒

毎回ご丁寧な回答ありがとうございます。

>自由精神さんの文章の「賃金が支払われない残り」の個所を「賃金として支払った(あるいは支
>払う)価値量に相当する価値量を引いた残り」に変えれば、「賃金として支払った(あるいは支
>払う)価値量に相当する価値量を引いた残り」「の労働者の労働は不払い労働として資本家が搾
>取している」となり、これなら納得できる。

私の言いたいことはストリングさんが上にお書きになられたことです。舌
足らずでごめんなさい。

>「労働力と賃金は等価交換されている、しかし労働と賃金は等価交換されていない(すなわち不等
>価交換されている)」。
>もしこの「労働」が、生産過程において新しく生み出された価値の意味なら、等価も不等価も、
>そもそも「労働と賃金」は交換されないのでは。

ええと、私がいいたいことは、マル経的には、資本家が労働者から露骨に搾取していることがわかるような経済ではまずいということになります。ですから、一見賃金は「労働」と等価のものとして支払われており、労働者はそれを等価交換であると錯覚して納得することになります。しかし、実際はそれは「不等価交換」であり、「賃金」と等価で交換されているのは「労働力」になります。搾取の原因の一端は労働者の無知ということであり、もしこの搾取の実態に築けば不払い労働に反対して労働時間を減らして自由時間を増やすように運動が起こるだろうとマルクスは考えたのだと私は解釈していました。

貿易理論と労働価値説の関係についてですが、マルクス自身も、国家間の商品交換と個人間の商品交換には全く違う交換原理が働いていると考えていたのでしょうか?

議論の論点をややおかしくしてしまいましたが、よろしくお願いします。

----------------------------------------------------------------------------
労働と労働力 投稿者:ストリング  投稿日: 7月17日(水)09時35分43秒

自由精神さん、こんにちは。

昔ながらのマル経教科書ふう説明はこちらの本意でないが、行きがかり上、簡単に。構築のないところに脱構築なし、ともいうし。

「労働力と賃金は労働者と資本家の間で等価交換されていても、労働と賃金は不等価交換されているのではないでしょうか?」

●「労働力」と「労働」との区別。
すなわち「労働力=(労働する力能)商品の価値」と「労働がうみだす価値」との区別。
「資本論」なら「貨幣の資本への転化」のあたりか。「労働」の「労働力」への変更についての、エンゲルスの後年の序文つきの「賃労働と資本」のほうがてっとり早いかも。

●賃金
つぎに「賃金」。「賃金」=「労働力商品の価値」=生活費(社会的再生産費)。
めずらしくマルクスから引用(「ゴーダ綱領批判」)すれば、
<賃金は、労働の価値または価格であるようにみえても、労働力の価値または価格の偽装された形態にすぎない>
賃金は労働の価格ではない。賃金は、労働力の行使によって生み出された価値のなかからの分け前ではなく、労働力商品の価値であり、一般商品と同じく、労働力商品の「正しい」価値は、この商品の社会的生産費だ。
労働力商品の使用価値=有用性は、資本の生産過程において、過去の価値を新生産物に移転し、新しい価値を生み出すことにある。「賃金」=「労働力商品の価値」はこの使用価値=有用性とは無関係に決まる。だから論理上にかぎれば、会社が儲かろうが損しようが労働者に関係ない(たとえば出版社が原料としての紙に何を印刷しベストセラーをつくろうが、逆に売れない在庫で大損しようが、原料の紙を納めた業者は、出版社の結果と無関係にその代金を徴収するだけ、というのと同様に)。

●支払い労働と不払い労働。
あるいは必要労働と剰余労働のセットのほうが見えやすいかも。「支払い労働」は支払い「相当分」とでも考えたほうがわかりやすいか。「支払い労働」は、労働力商品の行使=労働によって新しく生み出された価値のうち、労働力商品の代価=賃金として支払った(あるいは支払う)価値量に相当する量を指す。
「不払い労働」は新しく生み出された価値のうち「賃金が支払われない残り」ではない(なぜなら、賃金は労働(あるいは労働によって新しく生み出された価値)の価値や対価ではないから)。
自由精神さんの文章の「賃金が支払われない残り」の個所を「賃金として支払った(あるいは支払う)価値量に相当する価値量を引いた残り」に変えれば、「賃金として支払った(あるいは支払う)価値量に相当する価値量を引いた残り」「の労働者の労働は不払い労働として資本家が搾取している」となり、これなら納得できる。

●「労働力と賃金は等価交換されている、しかし労働と賃金は等価交換されていない(すなわち不等価交換されている)」。もしこの「労働」が、生産過程において新しく生み出された価値の意味なら、等価も不等価も、そもそも「労働と賃金」は交換されないのでは。

「A国とB国のモデル」については、いまいちわからない。搾取一般(支払い労働と不払い労働との関係)ではなく、国際貿易上の「不等価交換論争」とか「基軸と周辺」とかのはなしかとおもったのですが。

----------------------------------------------------------------------------
貿易論以前に 投稿者:自由精神  投稿日: 7月16日(火)11時30分28秒

貿易論うんぬん以前に私が致命的な理解ミスをしているかもしれないので確認させてください。

>「価値どおり」に取り引きされても「搾取」されるというのがマルクス価値論のミソだかキモだ
>かで、労働力商品が価値以下で売買されたり、不等価交換だったりというのは搾取の原因ではな
>い。

労働力と賃金は労働者と資本家の間で等価交換されていても、労働と賃金は不等価交換されているのではないでしょうか?マルクスによれば、資本家は労働者に労働力を再生産させるだけの賃金しか渡さず、賃金が支払われない残りの労働者の労働は不払い労働として資本家が搾取しているのかと思っていました。よって、私の理解では「労働力と賃金は等価交換されている、しかし労働と賃金は等価交換されていない(すなわち不等価交換されている)」となります。

下のA国とB国のモデルにおいては、A国が労働力を再生産するのに必要な価値=A国がB国から輸入する自動車に含まれる投下労働量となります。ここでは、A国が輸出するオレンジに含まれる価値はB国から輸入する自動車に含まれる価値よりも大きく、その差をB国がA国から搾取することになる、というイメージを私はいだいていたのですが。オレンジを鉄鋼石とかにしておけばもっとイメージがわきやすかったかもしれません。

----------------------------------------------------------------------------
主体思想学会さん、 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月16日(火)10時29分16秒

 もしよろしければ、労働組合を取り巻く状況と、労働者の意識について、小生の知人
が行っている『労働通信』で書かれてはいかがでしょうか。

 サイトは、リンク先の通りです。
http://www.interq.or.jp/red/rodo/

 その掲示板
http://cgi.members.interq.or.jp/red/rodo/user-cgi-bin/minibbs.cgi

http://www.interq.or.jp/red/rodo/

----------------------------------------------------------------------------
グローバリズムがもたらしたもの 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月16日(火)09時02分00秒

 それは、持ち合い資本主義といわれる日本の閉鎖的なシステムを破壊するという進歩的側面を持ちつつも、短期的な資本投下/利潤獲得を経営の至上命題として、結果的に社会全体の安定性を破壊するリストラを強制するものでした。同じことは、ドイツにもあてはまり、こと中産階級に関してはアメリカにも当てはまるものでした。

 それへの労働者階級の利益を守る立場からの批判的視座は、古めかしいですが、雇用の確保(特に壊れそうな企業の労働者の職場確保(転職はやむなしとしても収入の激減は防ぐ))を基礎に、「なだれのような現象」を説明することしかありますまい。このなだれは、個人の「実力」(それを発揮する場所がなければ、意味がないし、往々にして特殊事情に規定される)では、どうしようもないものです。

 能力主義について。これを書いては古典的左翼の人には怒られそうですが、能力主義については、「能力を発揮できる職場は楽しい、だから、能力主義は周囲に適性を認めさせる意味において賛成」です。10年以上サラリーマンをやっていて、最高の評価から、最低の評価までいただいたことのある者の実感であり、いわゆる「差別・選別」による「他人蹴落とし」とは違う意味合いを能力主義に見出している者の実感です。

 労働者の権力獲得は、もちろん、労働組合の主体でなされることではありません。労働者の権力獲得は、政党をはじめとするほかの組織や集団、あるいは個人(の連携)を通じて行われるものです。そのために、かつての民社党、社会党、今の民主党、そして共産党があると思っています(とりあえず、色合い無視)。また労働組合だけでは社会構造の変革に限界がありますので、政党が必要かと。エンゲルスは経済闘争(労組)、政治闘争(政党)、イデ闘(労組、政党を含む広範な戦線)のどれが欠けても、労働者階級は勝利できない、と言っていますし、それを小生も承認します。

 この辺の労組と政党の距離感も、歴史的に日本はダメであったように思います。相互尊重の時期はあったのでしょうか??

----------------------------------------------------------------------------
TAMO2さま ほかみなさま 投稿者:主体思想学会  投稿日: 7月16日(火)04時06分32秒

お返事ありがとうございます。
私の書き方もまずかったのですが、3月1日の質問者は関連会社に勤めている方で、「親会社から使えない人が出向転籍してくるのは困る」という意見ですね。
それに対する電機連合の回答は、短縮していえば「こういうご時世で親会社も苦しいんだから、それはしょうがないんだよ」ということになるかと思います。

> それに、一つ申し添えるならば、「グローバルな競争」に対する世界観を彼らは持っていない
>と言わざるを得ません。それが、天変地異か何かのように彼らは触れているだけです。それへの
>批判的視座を、意見に持たせます。

問題はその「批判的視座」とはどういうものか、ということではないでしょうか。
私は若い人と話す機会が多いのですが、若い人は「有能な人間は世界を相手にビッグなビジネスができる」とグローバル大競争を肯定的に捉えている人が少なくありません。
(まあ、まだ若いから脳味噌が空中浮遊している面もあると思いますが)これをどう批判するのか。
金子勝(慶応大)流に「グローバリズムとはアメリカ中心の世界システムであり、日本はこれに対抗するためアジアの地域レベルでの経済統合を進めるべきだ」という批判をするのか。
それとも他の批判視座があるのか、という疑問です。

>労働者の権力奪取の野望を失った労組は、右翼日和見主義に堕するのは、歴史の教えるところ
>です。

うーん、「権力奪取」は政党の考えることであって、労働組合はそういうことを考えてはいけないのではないかという気もしますが。
率直に申し上げて、この部分はTAMO2さんの真意が読み取れません。

みなさまにお伺いしたいのですが、労働者の中にも最近はやりの表現で言えば「勝ち組」「負け組」がいると思いますが、双方の労働者が労働運動で団結することが可能だとお考えですか。
団結できるとするなら、その場合のよりどころは何になるでしょうか。

----------------------------------------------------------------------------
まず、気持ちの問題から入ります 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月15日(月)22時58分09秒

 木で鼻をくくったような件の回答は、労組幹部としては、下の下です。まず、当該投稿者が不安を抱えていることに共感を示すべきです。

 その上で、労働組合の第一の役割は雇用の確保ですので、「行った先で頑張れ」的な、何の意味もない(というか、アタリマエのこと)ことは書かずに、「行った先で不利益を被ることも考えられるので、労組への加入よろしく」とか、「労組がなければ、作りましょう」とか、書くのが労働組合なのではないでしょうか。

 それに、一つ申し添えるならば、「グローバルな競争」に対する世界観を彼らは持っていないと言わざるを得ません。それが、天変地異か何かのように彼らは触れているだけです。それへの批判的視座を、意見に持たせます。

 労働者の権力奪取の野望を失った労組は、右翼日和見主義に堕するのは、歴史の教えるところです。

 とにかく、電機連合は本当に労働組合か?という言動(特に動!)が多いです。趣味者として観察するには、面白いのですが。

----------------------------------------------------------------------------
TAMO2さんに質問! 投稿者:主体思想学会  投稿日: 7月15日(月)21時04分18秒

TAMO2さんのおっしゃっていることに基本的に同意した上で、その上でお尋ねしたいのですが・・・

TAMO2さんであれば、電機連合BBSの3月1日の質問に対してどうお答えになりますか?
電機連合のような答えはなさらないでしょうが、言葉づかいが違うだけで
いっていることは同じということになりませんか。
「グローバル大競争に勝ち抜ける強い会社を作ることが労働者にとっても利益。
 会社の足を引っ張る奴はさっさと放り出せ」
このシンプルな論理にどうやって対抗しますか?
みんなこの問いかけに対する答えが見つからなくて困っているのではないかと思います。
(答えが見つからないといって回答探求の努力を放棄されたらもっと困るのですが)

TAMO2さんだけでなく、他の方、特にAITさんの意見も聞いてみたい「ところ」(←「ところ」って役人用語だと思っていたのですが、電機連合の回答でも使ってましたね)ですね。

----------------------------------------------------------------------------
(無題) 投稿者:ストリング  投稿日: 7月15日(月)12時13分11秒

自由精神さん、こんにちは。

「この場合、A国を発展途上国、B国を先進国と仮定すると、A国とB国の関係は労働者と資本家の関係のようになります。すると、B国はA国から輸入している商品の価値以下のものを輸出して剰余価値をA国から搾取しているということになります。」

「国際貿易では労働の国際移動がないから労働価値説がなりたたなくなる」という、自由精神さんのはじめの質問を、たとえば大航海の時代の冒険商人とかも含むような、閉じられた諸市場圏の関係のひとつの例として読み込んでみた。そうすると資本や労働力の移動、流動化が制限された事態一般の問題として普遍化できる。
自由競争の結果が利潤率の均等化=「平均利潤」に表現されるのにたいして、競争の制限された状態は「恒常的な超過利潤」というすがたで表面化するので、資本や労働力の移動、流動化が制限された事態一般の問題は「超過利潤」をキーワードにできそうだ、というのが前回のこちらのいいたいことでした。
そこでも書いたように、「資本論」と「帝国主義論」の関係とか、あるいは昔の「低開発の開発」説のように均衡論的な原理そのものへの疑問とか、多数の論点、極端にいえば論者ごとに解釈も違うので、結局は自分で判断してゆくもの。ともかくいろいろ読んで見ることだとおもいます。

ただ今回気になったのは、上の「労働者と資本家の関係のように」「商品の価値以下のものを輸出して剰余価値をA国から搾取している」という個所。労働者と資本家の関係は、「価値どおり」に取り引きされる「労働力」商品の売買関係によって、この労働力商品の価値と、資本の生産過程で労働者の労働の行使によって生み出される価値との差が、資本家に「搾取」されるというもの。「価値どおり」に取り引きされても「搾取」されるというのがマルクス価値論のミソだかキモだかで、労働力商品が価値以下で売買されたり、不等価交換だったりというのは搾取の原因ではない。これはどのようなマルクス解釈でも共通の認識だとおもう(まあ「搾取」もいまや日常語化しているが、A国からB国への剰余価値移動の例は「搾取」ではなく、剰余価値の「収奪」のほうが適切な気がします)。

----------------------------------------------------------------------------
別の文脈 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月15日(月)09時25分21秒

 右翼日和見主義、左翼日和見主義について。

 ここで問題にしているのは、右翼日和見主義です。下部が闘いを望むのに、それを圧殺するのが右翼日和見主義。それは、組織形態(形式)は「温存」されるけど、形骸化し、闘いのエネルギーをなくし、指導部は「敵」と認識されることになる。今の連合は、そういうものであることは言うまでもないですよね。

 「政治」にうつつを抜かす暇があるなら、他にやることがあるだろう!と。

 逆に左翼日和見主義は、闘いの素地が十分ないのに、指導部や一部の人だけが、急進的に突っ走ろうとすることで、これはこれで指導部への不信感を生みますし、往々にして生活基盤を破壊します。かつてはこれに走る指導部が労組に多く、アカ=怖い=自分勝手というイメージが出来たのではないでしょうか。確かに、その反動で右翼日和見主義になっているように思えます。

----------------------------------------------------------------------------
そうなんですよ 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月15日(月)09時03分22秒

 主体思想学会さん、一般論としてはおっしゃるとおりです。それが、いらつくところでもありまして。

 ただ、電機連合がこの界隈の人たちに何をしたかをご存知になれば、また別の文脈も見えてくる、と思います。ここに出入りしている人に「犂さん」とおっしゃる方がおられますが、彼の属していた工場が閉鎖されるとき、電機連合は労組としての指導性を全く発揮せず、閉鎖されるがままにしました。

 したらば、そんな労働組合なぞ、存在意義がないのではないでしょうか。月6000円程度徴収されるであろう組合費は、無駄に思えます。

----------------------------------------------------------------------------
沖縄・炎の記録 宮嶋義勇 監督 試写会  投稿者:トントン  投稿日: 7月15日(月)08時46分02秒

沖縄・炎の記録 宮嶋義勇 監督 新たに発見 試写会

沖縄・炎の記録 沖縄人民の闘い
「進撃の論理」が東京を中心とした沖縄返還協定批准阻止の闘いを描いた
のに対し、沖縄人民の現地での闘いを、「沖縄・炎の記録」は描いている。
1971年11月10日、沖縄全県ゼネストと先進的労働者、学生の米軍基地への火炎瓶攻撃。
1972年4月28日反戦デーの闘い。
同年、5月15日の“沖縄復帰記念式典”に対する県民の闘い。最初に上陸したのは本土警視庁機動隊だったという厳しい現実が描かれている。
39分という短編であり、撮影も素人の撮ったものを使用するなどいくつかの条件的に恵まれていないとはいえ、貴重なフィルムです。
8月の、「怒りをうたえ」連続上映会後に“試写会”を行いたいと考えています。場所は、成城学園前を予定しています。
試写会の案内を希望される方は、「怒りをうたえ」上映実行委員会へメールをあらかじめ下さい。

http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/subpage03.html

----------------------------------------------------------------------------
ありがとうございます。 投稿者:自由精神  投稿日: 7月15日(月)06時57分50秒

>ストリングさん、TAMO2さん

ご回答ありがとうございます。私の貿易論にかんするマルクスの労働価値説の疑問は、例えば、A国がオレンジ2個をB国に輸出し、かわりにB国が生産した自動車1台を輸入していたとしたら、オレンジ2個と自動車一台には等しい社会的平均的労働量が含まれていえるのかどうか?というものです。
どこかのホームページには、とてもうろおぼえですが、国家間の貿易には国内の労働者と資本家のような関係が成立しているということをマルクスが述べているという記述を読んだ気がします。
この場合、A国を発展途上国、B国を先進国と仮定すると、A国とB国の関係は労働者と資本家の関係のようになります。すると、B国はA国から輸入している商品の価値以下のものを輸出して剰余価値をA国から搾取しているということになります。
しかし、現実にはA国がアメリカ、B国が日本だとすると、二国とも世界から見れば超資本家級の国家なのですから、マルクスの言っている(とおもわれる)モデルにあてはめようとすると無理があるようにも思われます。私の言っていることで意味不明な点がありましたらご指摘お願いいたします。

----------------------------------------------------------------------------
修正主義? 投稿者:主体思想学会  投稿日: 7月14日(日)23時39分43秒

電機連合の3月7日の回答は、大手の会社の<<組合員>>>の平均的な意見を述べたものだと思いますけど。
転籍・出向させられる奴は負け犬、もともと会社には要らない人間、出ていった先でせいぜい幸せになってくれ。
私の勤めている職場もそんな雰囲気。
逆に、ああいわないで、「団結して闘おう!」なんて言い出したらそれこそ組合員から浮いてしまって組織の存続が危ない。
「そういうところをきちんと指導するのが組合幹部の仕事だろう」とおっしゃるかもしれませんが、現在のいろんな諸条件を考えると組合幹部が組合員を指導するっていうのはなかなか困難なんじゃないでしょうか。
あ、こういう意見が「修正主義の血肉化」と表現されているものでしょうか?

----------------------------------------------------------------------------
おっとっと! 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月14日(日)22時12分30秒

 カウツキーの生涯をどう見るか、という問題はありますが、独立社会民主党をつくったりした
経緯を考えると彼は「背教者」というよりも、党のトップとして党員の意志総体を代表しようと
して、修正主義を血肉化しようと#社民党時代に#やってしまったように思います。ホントは、
国際主義者でいたかったんじゃないでしょうか?(甘いかな?)

----------------------------------------------------------------------------
あ、それから 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月14日(日)22時09分55秒

 小生は英語をはじめとする外国語が弱いですので、当該のQ&Aを英訳して、各国の労組に
ばら撒いてもらって、笑い者にする、ってのはどんなものでしょうか?

----------------------------------------------------------------------------
いや、マジで潰れるよ、労組 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月14日(日)22時08分26秒

 うーん、AITさんに媚びるわけじゃないけど、「統制」とか「団結」とかの労組が、ズブズブ
のダラになったときの弱さが、電機連合には極端に現れているように思うのですね、僕は。これは、
カウツキーを生んでしまったマルクス主義の(方法論の)弱点ではないか、と。

----------------------------------------------------------------------------
↓この「電機連合」の回答を翻訳して(何語でもいいのですが) 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 7月14日(日)22時03分44秒

 「一体どういう立場の人が書いた文書でしょうか?」と質問したら,
よもやどの国で「労働組合のもの」という回答が得られるでしょう?

------------------------------------------------------------------------
自由精神さんの質問、難しいなあ 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月14日(日)21時51分56秒

 「経済学的ロマン主義」「帝国主義論」なんかから、スパッと引用できるかな、と思ったのですが、どうもそうもいかないようです。すいません。

 あ、我々共通の「観察対象」電機連合が、またぞろ面白いことを書いてます。彼らは、本当に経営の実態、労働の実態を知っているのでしょうか? 一方通行帰りなし、の「子会社化」「出向」がいかに職場を破壊し、モラルを下げているかを知っていれば、3月7日付けの回答など、「どこの世界の話?」と思います。

http://www.jeiu.or.jp/sogo/index5.html

----------------------------------------------------------------------------
本当にいきなりだ(^^;; 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 7月14日(日)17時20分21秒

 かのトロツキストOB部屋でありながら,経営組織論うんたらを喋ったことが
あるとはいえ,いきなりサイアート=マーチの質問が出るとは,管理人さんも大変だ(^^;;。

 この場の中では経営組織論「原論」みたいな話は,限られるでしょうから(菊さんに任せましょう),もしそういう話希望なら,とりあえず,でかい本屋の「経営学」のコーナーに行って,経営組織論絡みの本を読んでからの方がいいんじゃないでしょうか(と,逃げるわけですが)。

 コンパクトでお奨めの本としては,金井壽宏氏の一連の著作などがお奨めです(しかし,結構経営学の入門書にも,サイモンは出ていても,サイアートの方は記述がない例が多いですな)。

----------------------------------------------------------------------------
初めまして 投稿者:舞人  投稿日: 7月14日(日)15時41分43秒

初めまして舞人といいます。いきなりなんですがR.M.サイアートと
J.M.マーチのシステムの理論について教えてください。

----------------------------------------------------------------------------
業務連絡。 投稿者:まっぺん  投稿日: 7月13日(土)22時59分00秒

森下さん。ここを読んでいたら大至急連絡ください。
いぜんのメールアドレスでは連絡できません。

----------------------------------------------------------------------------
労働価値説 投稿者:ストリング  投稿日: 7月13日(土)15時17分21秒

自由精神さん、こんにちは。

「国際貿易では労働の国際移動がないから労働価値説がなりたたなくなる
のはどうしてなんでしょうか?」

●「労働価値説」の労働のイメージについてはあとで触れるとして。
マルクス価値論で説明されるのは、全体のことなど何も考えない個別資本相互の私的な最大限利潤の獲得競争が、個別資本の産業部門間移動をとおして、その結果として社会的生産を編成するメカニズム。このメカニズムは、前提条件となる自由な資本「移動」、労働「移動」が阻害された状況下では、当然、論理的に想定された純粋モデルのようにきれいには作動しない。
キーワードは「平均利潤」にたいして「超過利潤」(費用価格にたいしての超過分ではなく、平均利潤を超える超過分)。最大限利潤をもとめての資本の部門間移動(より儲かりそうな部門をもとめて)の結果によって利潤率は平均化、均等化してゆくが、平均化、均等化してゆかない、一過的でない恒常的な超過利潤の問題。
自由な資本移動、労働移動が阻害された状態は、その原因によってさまざまだ。抽象度の違いを無視して恒常的な超過利潤をアトランダムにあげてみれば、
(1)局地的な、閉じた市場圏相互の関係。自由精神さんの「国際貿易」もこれにあたるか。
(2)いわゆる帝国主義の時代以降に顕著となってきた「独占」、独占利潤。
(3)全ての個別資本が利用できるわけではない制限された自然の利用の原理としての「地代論」。
(4)全ての個別資本が利用できるわけではない新しい生産方法による、いわゆる「特別剰余価値」。
これらのうち(3)(4)は問題なく「資本論」の一般論理で説明できる。資本間の競争によっては解消されない、限られた優等地など限定された自然的差異なら、差額地代として資本の論理(個別資本の競争の過程で均等化される)の外部へ排除すること(「虚偽の社会的価値」)によって、内部では資本の論理が貫徹される。生産方法の改革などによって、いずれどの個別資本でも同等化できるような生産条件の差異であれば、それは特別剰余価値として資本の論理の内部で処理する。
しかし(1)(2)については、原理的に説けるか、具体的な条件を導入しないと説けないのかは、マルクス以後の方法論的な論争点だ。

●労働のイメージについて(以下は私見。もちろん「マル経」の共通了解ではない)。
自由精神さんの「労働価値説がなりたたな」いというのは、たとえばこちらの五時間の成果とあちらの五時間の成果とが等価にならない、ということか。その場合、労働のイメージはどんなものなのだろう。
「鉄鋼」「カマ」「トンカチ」「血と汗と涙」「俺たち」などをキーワードとするような諸行為から、ビビビッとエネルギーか何かが飛びだして、出来たアウトプットに乗り移るとかのイメージだろうか。
しかし鳥羽一郎の演歌のような赤銅色の男の汗は、現在では、そのままでは成り立たなくなったのでは。古典的な資本主義社会では、労働とは何であるかなどは、あたりまえすぎて俎上にのぼらなかった。価値尺度の「骨髄を抜かれ」た高度大衆社会の現実によってはじめて「労働とは何か」の問題設定の土俵が与えられたのだ。根を持たないかのような諸行為までも労働とよんでしまえるような、それら諸行為を人類史のなかでまっとうに位置づけられるような労働観が求められていた。つまりこの大衆社会の、都市生活者の諸行為(吉本隆明に「贅肉」とよばれ、宇野弘蔵に「あらゆる社会に通ずるような実体的な根拠を持たない」とされた「流通」など)までも含められるような、新しい労働のイメージが必要ではないのか。

諸行為のなかから労働を認定し、抽象的労働量(時間)を尺度するのは、マルクスでもなければ、何か「自然」な基準などでもなく、資本としての貨幣だ。資本が価値秩序を作りだす。この資本による価値秩序形成のメカニズムの全体を相手にしようとするのが「資本論」だろう。

----------------------------------------------------------------------------
まっぺんさん、ありがとう 投稿者:菊  投稿日: 7月12日(金)09時48分54秒

陳独秀がトロツキストだというのは、昔は知らなかった。
まっぺんさん、ご存じでしたか?

「思想」は図書館で立ち読みしました。あの雑誌は大学の「紀要」みたいで、読みにくいこと、限りない。まあ、仕方ないけれど。

その中だったか、彭述之が陳独秀へのセクト主義を煽るようなキャンペーンを一貫して展開していたというようなことが書いてあった。その影響が30年後の70年代まで及んで、陳独秀に対して完全な無視という結果になったのかな、とも思う。

----------------------------------------------------------------------------
書き込みは自由です(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日: 7月11日(木)20時23分33秒

でも私には答える能力はたぶんないです。
あとは見ている人のなかで、わかる人は気が向いたら答えてくれるでしょう。
だから答えが返ってこなくてもがっかりしないでくださいね。
----------------------------------------------------------------------------
質問の件に関して 投稿者:自由精神  投稿日: 7月11日(木)19時41分08秒

まっぺんさん、マル経の質問をここに書くのは不適切ですか? 自由に投稿できるとあるので書き込んだのですが。

----------------------------------------------------------------------------
日本陳独秀研究会発足さる 投稿者:まっぺん  投稿日: 7月11日(木)16時57分18秒

菊さん。「労働者の力」最新号に陳独秀のみじかい記事がふたつ出ていま
す。
日本で陳独秀研究会が佐々木氏を代表として発足したというニュースと、
南京大学で没後60周年記念研究討論会が開かれたという報告が佐々木氏からされています。
会議では4月フランス大統領選挙でトロツキストが共産党の3倍の得票を獲得したことも報告されたそうです。
会議の詳細は『思想』7月号に佐々木氏が報告しているそうです。

http://www.interq.or.jp/leo/sinter/saisin.htm

----------------------------------------------------------------------------
統一マダンのおしらせ(amlより勝手に転載) 投稿者:まっぺん  投稿日: 7月11日(木)16時42分40秒

ピースアクション21の小林です。

複数のMLと個人に送ります。重複して受け取られる方、ごめんなさい。
転送歓迎です。

第9回統一マダン東京へ参加の呼びかけです。

日時:7月28日(日)午後5時〜8時(出展は午後4時から)
場所:旧真土小学校(雨天の際は同好体育館)(最寄駅:JR常磐線三河
島駅)
主催:第9回統一マダン東京実行委員会
講演:荒川区/荒川区国際交流協会/荒川区地域振興公社
連絡先:在日韓国青年同盟東京都本部(TEL:03-3835-4055)

民族の和解と祖国の統一を、また平和なアジア、差別のない社会を願って
始まった統一マダン東京も、今年で9回目を迎えます。
2000年6月、南北首脳の歴史的な出会いは、私たちすべてに大きな感
動を与え、「南北共同宣言」は半世紀にわたって積み重ねられてきた不信
と敵対の壁を崩し、
民族の和解と統一へむかう道筋を高らかに謳いあげました。
それから2年、戦争ではなく平和を、敵対ではなく和解を、分断ではなく
統一を。この願いはますます切実なものになっています。
朝鮮半島の統一は、民族だけの問題ではなく、平和なアジア、差別のない
社会とまっすぐにつながっています。
私たち実行委員会では、2000年6月の平和と統一の流れを呼び戻し、
その流れをもっと大きく確かなものにしたいと願いながら、第9回統一場
段を準備しています。
厚い暑い夏の夜空の下で、チャンゴの音が響き、民族舞踊が舞い、辛い朝
鮮料理とマッコリ(朝鮮の濁り酒)で酔う、そんなマダン(韓国語で「ひ
ろば」の意)でひとつになりましょう。

第9回統一マダン東京実行委員会
東京都千代田区外神田5−1−13 滝口第2ビル2F(韓青同内)
TEL 03-3835-4051 FAX03-3835-4055

協力要請項目

・賛同団体になる。
 団体:1口3,000円 個人2,000円
 振込先  00160-6-351003 在日韓国青年同盟(「マダン協賛金」と明記)
「ゲーム」「抽選会」での景品が出せる。
・案内チラシの配布など、宣伝ができる。
・前日、翌日のステージの組み立て、解体作業に協力できる。

詳しくは、統一マダンのWEBサイトを急遽立ち上げました。参照をお願いします。
http://members.jcom.home.ne.jp/tokyo-madan/

中国人戦争被害者の要求を支える会(アドレスが変更になりました)
http://www.suopei.org/index-j.html
許すな!憲法改悪・市民連絡会
http://www4.vc-net.ne.jp/~kenpou/
憲法調査会市民監視センター
http://homepage1.nifty.com/kenpou/

小林 新
saiyuki@jcom.home.ne.jp

----------------------------------------------------------------------------
TAMO2さん、すいません 投稿者:つのじ  投稿日: 7月11日(木)15時42分10秒

そうでした。「裏切られた革命」が文庫化されて、遂にここまでトロツキーの復権が進んだのかと感慨深い思いに駆られたのを忘れていました。
TAMO2さん、ご指摘ありがとうございます。

----------------------------------------------------------------------------
「裏切られた革命」を忘れては困りますよ 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月11日(木)15時17分48秒

 岩波文庫で一番最初のは、「裏切られた革命」ではなかったでしょうか。

----------------------------------------------------------------------------
預言者という生き方 投稿者:TAMO2  投稿日: 7月11日(木)15時16分23秒

 主体思想学会さんの書き込みをみて、常々思っていることを一つ。宗教とマルクス主義が、現象的に似ていることが多いと、折に触れ書いていますが、「革命家」ってのは宗教に譬えるならば預言者ですな。

 預言者は、非常に鋭い感性で世の中のありようを鑑み、大衆に受け入れられる、受け入れられないは別にして真理と信ずるところを訴えます。真理は往々にして、世の中の常識からは転倒した形で存在し、真理を訴えることは常識に縛られた大衆からは拒否をもって迎えられます。

 だが、時として、世の中は不安定になりその常識ではやっていけなくなるときが現れます。そのとき、真理と方向を示しえる預言者たちは大衆という力を得ます。そして、歴史を振り返りますと預言者たちは少数の人間・人格に圧縮されるもののようですね。

 そうでない時期を過ごす預言者や革命家は、自らの覚悟と納得でもって、「何もなすことなく」死んでいくしかありますまい。それゆえ、預言者や革命家への敬意は忘れずにもちたいと思います。

----------------------------------------------------------------------------
岩波文庫になったトロツキーの著作 投稿者:つのじ  投稿日: 7月11日(木)14時58分58秒

「ロシア革命史」全5巻、「わが生涯」上下、「文学と革命」上下だったと思います。
「ロシア革命史」はケレンスキー(角川版)がケーレンスキーとなっていたりして
ちょっと読むのに違和感がありました。

----------------------------------------------------------------------------
主体思想学会さん、姫岡怜治は「トロツキスト」だと言っていましたか? 投稿者:菊  投稿日: 7月11日(木)11時03分33秒

初めまして。回顧談になると、つい書き込みをしてしまいます。

相模原戦車阻止闘争の頃はべ平連でしたが、翌年から10数年第4インター日本支部に在籍(変な言い方ですが)していた者です。

姫岡さん(私は直接面識はありませんが)をはじめ、60年安保ブンドの頃の人たちのほとんどは自分たちを、「トロツキスト」とは考えていなかったと思います。

先年亡くなったブンドの島成郎さんとは晩年、個人的な行き来がありましたが、彼はトロツキスト=第4インターのことを嫌っていました(当時の経緯が絡んでいるのですが)。
現代思潮社から60年代出版されたトロツキーの著作の翻訳者の多くは、当時のブンド系・反日共系知識人ですが、彼らはトロツキストではありません。例えば、現代思潮社版「わが生涯」を詩人の栗田勇と一緒に翻訳した浜田泰三は、早稲田大の理事会の黒幕です(総長が替わって辞めたかもしれませんが)。

70年代半ばに現代思潮社のトロツキーを読んだ私は、内容的に理解することが出来ない部分が多くて、「自分の頭が悪く、トロツキーの読み方が浅いからだろう」と考えていたのです。
けれども、ここ数年発刊されている岩波文庫版を読んでみると、誤訳・翻訳者の無知やスターリン主義的なマルクス主義の理解による部分が数多く、存在していることが明らかになっています。

「なあんだ、そうだったのか」ということなのですが、考えてみれば、当時彼らは20代半ば位でトロツキーの翻訳をしているわけで、そんなに責めることはできないかもしれません。それを鵜呑みにして、トロツキーを理解しようとしていた自分のレベルも「五十歩百歩」だったというところでしょうか。

関連しますが、
先日、この欄で岩波文庫でトロツキーの著作が発売されることの是非についてのやりとりがありましたが、私は「もっと出して欲しい」という意見です。「岩波・筑摩」の出版文化をひとつの文化的価値として考えてきた私のような年代では、トロツキーの翻訳が岩波文庫になると聞いた時は、何ともいえない感慨がありました。

岩波が「穏健出版社」かどうか(昔の仲間もいるし−笑)は置くとして、トロツキーの著作が歴史的に検証された日本語で(スターリン主義的なマルクス主義用語でなく)翻訳され、岩波文庫で出されることは、日本では歴史的にほとんど抹殺されているトロツキーの思想にスポットを当てる手助けになると思っています。

その意味ではドイッチャーの「トロツキー3部作」あたりが、岩波文庫から出されるとよいと思うし、このところ、東大教授になったトロツキスト佐々木力さんが一生懸命やっているトロツキスト陳独秀の復権も意義があると思います(この間、朝日新聞夕刊の文化面に大きく出ていた)。

話があちこちにそれましたが、主体思想学会さん、
安保ブンド当時の活動家だった人で、今も様々な社会運動を中心的に担っている人はたくさんいます。

ただ私の感覚では、60年安保当時の年代の人たちは、年代にも規定されて封建的な「親分子分」感覚が強く、それが様々な組織に悪影響を及ぼしている面が否定できないと思います。第4インター日本支部の行き詰まりと崩壊の主体的な責任も、かなりの部分その年代の政治局員に帰するところが大きいと個人的には考えています。

----------------------------------------------------------------------------
そういえば 投稿者:主体思想学会  投稿日: 7月11日(木)00時51分11秒

日本の「トロツキスト」って、いったい何のために「トロツキズム」に結集していたのでしょうか?
最近、独立行政法人経済産業所長なんかになってしまった姫岡怜治などをみると(実は私は大学生のとき彼の授業を受け単位ももらっている)、彼がサヨク思想の持ち主だったというのが全く信じられんのですが。
「トロツキスト」たちはどこまで本気で「トロツキズム」を信じていたのでしょうか?
姫岡は例外で他の人はまじめに「トロツキズム」を信奉していたのか、それとも口先だけ信じているふりをしているだけだったのか・・・

ああ、そういえば、姫岡の授業内容って全く覚えていないのですが(特に個性的な内容ではなかったような気がします)、一度彼が授業中に「ボクも昔はサヨクだったんだけどねえ」と発言したのを思い出しました。それを聞いた私は「オメーさんざん他人を煽っておいていまさらその言い草はないだろう」と思いました。

----------------------------------------------------------------------------
カリスマ 投稿者:主体思想学会  投稿日: 7月11日(木)00時34分23秒

左右どちらの方向性にせよ、急激に社会変革を行おうとするときには、大衆が「この人の言うことなら信じられる」と感じられるカリスマ指導者が必要になるのではないでしょうか。
あるいは少数反対派を抹殺できる指導力のある政治指導者といってもいいでしょう。
まさに昨年の小泉純一郎がそうですね。もちろん彼のカリスマ性は大部分偽造されたものだったし、急激にメッキがはげつつあるのですけど。

よくいわれているように、支持率がせいぜい50%程度で、諸勢力と妥協しながら政権運営をしなければならない通常の政治指導者では、極端な「改革」はできないですよね。
私はその方が優れた政治形態だと思いますが、そういう意見は今ははやりませんねえ。

----------------------------------------------------------------------------
1930年代なら 投稿者:主体思想学会  投稿日: 7月11日(木)00時22分54秒

すくなくともイタリア・ドイツでは、まだスターリンが神様だったんじゃないでしょうか?
「世界恐慌に苦しむ資本主義社会 対 順調に発展するソヴェト同盟」という感じで。
ソ同盟社会の実態なんてまるで知られていないですし。
だからこそそれらの国では左翼は恐れられ、血の弾圧を受けたんですよね。

逆に、イギリス・フランスでは、トロツキーやスターリンの御威光はたいして通じなかったでしょうけど、同時にトロツキズムやボルシェヴィズムが危険視されるということもなかったのではないでしょうか。

要するに、恐れられていたのはスターリンやトロツキーの政治上の影響力であって、彼らの思想や言葉それ自体が恐れられていたのではないのではないか、ということです。

----------------------------------------------------------------------------