四トロ同窓会二次会 2002年11月4日〜6日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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「政治力学主義」 投稿者:れんげ  投稿日:11月 6日(水)23時28分58秒

内ゲバ論議のときに、ちょっとだけお邪魔して、すぐ引っ込んでしまいました。
もう忘れられていると思いますが。
昨今の北朝鮮拉致をめぐる議論のなかで、左翼勢力がおしなべて拉致疑惑に対しては及び腰だったことが述べられていたと思いますが、これこそ菊さんの言う「政治力学主義」の悪しき発露ではなかったかと思います。
「社会主義国」あるいは「労働者国家」をまずは防衛しなければという立場を優先させ、そこで行われているかもしれない重大な人権侵害にあえて目をつぶってしまった。そうした過ちを、多くの左翼はしてきてしまったのではないか。そう思えてなりません。
私は、私なりにトロツキズムの影響を受けて、「労働者国家」の実態を見てやろうとソ連を含めていくつかの社会主義国を何度か旅してきました。それらの経験を踏まえたうえで北朝鮮を訪問(95年)したのですが、ここの印象は圧倒的に違いました。
とにかく現地の民衆と触れ合うことはできません。厳格に巧妙に、外国人(我々)とはとにかく当局の知らないところでは接触できないようにされていました。
プラス愚にもつかない「首領様」の礼賛。バカバカしいとしか言いようのない金日成主席の生い立ち物語を、外国人の我々に大真面目に語る説明員の姿。
スターリン崇拝が極まった時代のソ連社会がこうだったかもしれない、と思うと背筋が本当に寒くなりました。当時のソ連において、いかに多くの人々がいわれのない罪を被せられて亡くなったことか。それがこの国(北朝鮮)の現在かもしれない。
そう想像したときの恐怖感は忘れられません。自分もまさに、そこにいるのですから。
あくまで印象ですから、それは憶測に過ぎないと言われるかもしれませんが、限られた情報のなかでは歴史的推測という方法がいちばんのように、私には思われます。
やや脱線しましたが、人間の幸福の追求という出発点が、どんな左翼にしろあったはずです。それが忘れられてしまうのは、論理の網にからめとられてしまう「知識人」の病気のようなものではないか、とつい考えてしまいます。

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イレギュラーさん、そうなんです 投稿者:平和ボケ  投稿日:11月 6日(水)23時21分30秒

菊さんもきいてください。

第4インターには、こうゆう傾向ありませんでしたか。「うちは、新左翼と違って大人の組織なんだ。」「全てを知る必要はない。」「知らなくてもいいことがある。」というような傾向が。うまく表現できませんが。このこと自身は、いい悪いではないと思うのですが。

イレギュラーずさんが、怠惰だったのでは全くありません。私でさえも、北の内情や在日の動向はある程度知っていました。しかし、それは一部の専門家だけが知ることで、政治的立場の表明や政治的方針に必要なとき明らかにされるというよになっていたのではないでしょうか。今回まっぺんさんが書いているように、インターも北に対する態度をはっきり表明してこなかったから、誰も知らず、今ビックリしているのではないかとおもいます。

私は、さまざまな人の話や文章から、80年ごろには、北は、もうどうしようもない本当にオーウエルの「1984年」そのものになってしまったと思っていました。「凍土の共和国」を読んだときは、ある意味ホッとしました。「ヤミ経済がある。ワイロが横行している。」−これを目のあたたりにする民衆は、党エリートや役人に反感を持つだろう、何かができないとしても。「ラジオが制限されている。」−だれか隠れて聞いている人がいるんだ。と思いました。
「秘密集会の夜」のときは、秘密集会ができるなんてすごいと単純に思いました。

一方、私は、反対同盟の内部事情など全く知らずに三里塚闘争に参加していました。これは、それでよかったのだと思います。分裂ー円卓会議のときは、私はいませんでした。

続いて書いています。なんせおそいので
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お砂場さん 投稿者:平和ボケ  投稿日:11月 6日(水)22時47分18秒

「二十歳の原点」がでていた時代に、「にあんちゃん」を読み聞かせていたその教師は、相当すごいとおもいます。炭鉱で働く朝鮮人の兄と主人公の話でした。

お父さんサユリストですか、私は、20歳ごろ、奈良岡朋子が好きだと言ったら「シスターコンプレックス」といわれました。だいぶ年上なので。「キューポラのある街」、川口の鋳物工の娘ジュンの思春期の話でした。ジュンの弟の友達が在日朝鮮人で、ラストシーンは彼が家族とともに北朝鮮へ還る列車を陸橋から見送るというものでした。上越線で、上野から川口、そして新潟、そこから船で共和国へ、10年余りで、9万3千人が還っていきました。この「帰還運動」については、また書きたいと思います原作者は、共産党系児童文学者の重鎮・早船ちよさんで一度話をきいたことがあります。「わたし川口の乱暴な言葉も好きなんです。ジュンの弟が空を見上げて言うでしょう「バッキャーロー、きれいな夕焼けだなー」って、あれ実際聞いた言葉なの」といってました。原作は、映画でやったあとも続き全部で5巻。過激派の学生も出てくるんですが、そんなに悪く書いてないんです。

吉永小百合、これ一本でやめとけばよかったのに・・・。これ、お父さんには、ないしょです。
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ジョニー大倉、大関優子(現カナアキコ)? 投稿者:イレギュラーず  投稿日:11月 6日(水)22時45分55秒

平和ボケさん
私は、76年頃だったか、「異邦人の河」上映運動の頃からの参加です。

「朝鮮連帯青年会議」はいわゆる大衆運動組織ではありませんでしたね。私は機関紙「架橋」も途中からの購読でした。しかし、共和国支持ではなかったような気はしましたが。それにしても北部朝鮮の内実が伝わってこなかったですね。あるいは私は怠惰だったのか(認めますが)。

今日、「論座」12月号買ってきました。金時鐘さんや梁石日さんを読んでいるところです。

ただ、同じ論座で気になったのは、「さ迷う在日朝鮮人」(李順愛さん)の次の部分です。徐勝さんの「世界」11月号の文章には手厳しいですが。
―引用開始―
今日まで、北朝鮮に変化を促すことにおいて、在日朝鮮人たちは無力であった。批判的な視点なら山ほどある。すでに60年代にはほぼ言い尽くされているといっても過言ではない。あのころ、『統一朝鮮新聞』が猛烈に展開した北批判、総連批判を超えるような質の在日朝鮮人による北批判は出てきていないからだ。その間、理解と批判の論理をみがいてきたのは、和田春樹氏をはじめとする少数の日本人研究者たちである。
―引用終わり―
とかいているところです。具体的なことは何も分からないです。

ところで、C.拉致被害者家族の日本への自由往来を
を加えてもいいと思います。

「拉致問題の責任をとって・・・」は「それはないんじゃない」と思います。これって日本人の側から要求することなのかな。金正日体制は何とかならなければなりませんが、それは朝鮮人自身が決めることでしょう。なんと表現していいか分かりませんが。

ネットで調べたら、民団新聞(2000.5.31)に在日朝鮮人「帰国」者についての要求が載っていました。参考になるかどうか。

http://www.mindan.org/shinbun/000531/topic/topic_b.htm

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すれ違い 投稿者:菊  投稿日:11月 6日(水)21時44分53秒

まっぺんさんと新時代社の人の電話での話はすれ違っているのではないでしょうか。

私はひとりひとりの人間と国家の関係の問題として、徹底的に個人の立場から考えるべきではないかと思っています。その意味で、「集団的利益のために個人を犠牲にするな」というまっぺんさんの考え方に同意します。

しかし、こういう考え方は「新左翼的」あるいは、旧日本支部(今は考え方が違っているかもしれないので)的考え方にはなじまないと思います。これは私の反省でもあるのですが、国家と国家、あるいは社会勢力と国家という枠組みでばかり捉えていて、原点であるはずの人間の存在が消し飛んでいたような考え方だったと思います。何を言いたいのか、わからないですね。昔の言葉でいえば「政治力学主義」でしょうか。余計、わからないか。

それにしても、「滝山論文」はないと思うなあ。あんまりだよ。あれだったら、誰でもいえる。「世界」への批判はともかく、結果解釈だもの。

Muuさん
「鉛の時代」見ましたよ、すごく昔。ATTACをやっているヨーロッパの私たちぐらいの年代の活動家は、70年代を「鉛の時代」と呼んでいるようですね。日本では、さしずめ爆弾と内ゲバの時期でしょうか。

平和ボケさん、
↓こういう意見もあります。この分析には在日及び朝鮮人に対する民族差別・蔑視意識の存在が抜けているように思いますが、ドイツで書いているので仕方がないかもしれません。「真相究明」についての意見は貴重ではないでしょうか。東西統一で東ドイツ秘密警察のファイル公開で、肉親や家族を引き裂く悲劇が生まれた苦い経験が踏まえられているように思います。
http://www.yorozubp.com/0211/021105.htm

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ごめんなさい、又。 投稿者:お砂場  投稿日:11月 6日(水)21時38分11秒

アジアのでは「非情城市」を観て台湾においての2・28事件や本省人、外省人という存在を知りました。「JSA」は観ていませんが、みたいですね。「K・T」も観ていないのです。韓国のでは「ブエノスアイレス」はみたんですが。
韓国は儒教の国ですよね、儒教は官尊民卑と聞いていました。で、特に朱子学の影響が大きいとか。政権が変わると前政権の汚職を徹底的に追求するのがいつも不思議でした。
日本の意識も官尊民卑ですよね、そこだけ儒教なのかな?

菊さん
本のご紹介有難うございました。
ここのところ、今までとはジャンルの違う本が増えて本棚が賑わっております。
勉強しなくちゃいけないのに、、なんか思想の本とか面白くて、、ノンフィクションとかも興味深くて、、です。
お臍はそれでですか、了解です(笑)でも、法廷で乱闘に?
こんなこというと不謹慎かもしれませんが、かっこいいですね。
学生とはいえ、いや、学生だからこそ、きちんと問題意識を持って生きていたということでしょうか。
ギリシャ時代の世界舞台説に当てはめると、皆さんの世代に比べて私などは粒の小さい学生時代を演じてしまったなあと、述壊する今日この頃です。
遅れましたが早野さんのコラム、文章に人間の体温が感じられるようでした。私もひまわりは泣きました。あの音楽と列車の情景が忘れられません。

ブナ林のサイト、感動しています。アムネスティのも何もかもあそこでクリックすれば出てくるんです。しかも日本語で。有難うございました、一日遊べますね(笑)そして、本当に遊んでます(苦笑)

平和ボケさん、キューポラのある街、川口ですよね。
吉永さん、とっても綺麗でしたね。ちなみに父がサユリストでした、です、かな?

「にあんちゃん」は、私の小学校の担任が朝自習の時間、いつも読んでくれていました。
きょうだいの話でしたよね。涙ながらに先生が読んでいたのを鮮明に覚えています。
「生きることの意味」も読んでくれましたよ。「二十歳の原点」は読め!と言っていました。
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エトセトラ 投稿者:平和ボケ  投稿日:11月 6日(水)20時58分44秒

映画の話・・・私ついていけません。しばらく前、岩波ホールに同居人といって、途中で寝てしまい、イビキをかき「同行禁止令」がでてから見てません。でもやっぱり「抗争の地・南朝鮮」・・ではないな、「キューポラのある街」「にあんちゃん」うーー古すぎる、とどめは「ブリキの太鼓」一番は「ニューシネマ・パラダイス」ですね。かわいいもんでしょ。

イレギュラーさん、そして菊さんより若いみなさん
わたし、うっかりしていました。私が言っている「青年会議」はー「徐勝君らの釈放を要求する青年会議」でした。横井グループとインターと共和国支持派がいっしょにやっていたそしきでした。「朝鮮連帯青年会議」はその後継組織です。それがいつのことなのかは、年寄りにはわかりません。徐勝さんの言葉は、哲学的で、経験とカンで生きてきた私には、ちょっとむずかしい。

「三多摩社青同の革ジャンパー」・・「宮城反戦の赤ヤッケ」・・「青学共闘の赤ヤッケ」・・・
・・次はなにか・・・「国際非暴力平和隊のよれよれスーツ」だったりして・・・・・

チョン・キョンモさん、何回もお話ききました。本物の知識人すね。歌もききました。クラシックで良くわかんなかったけど、すばらしい声のバリトンでした。

まっぺん司令官・・・早く正しい方針を・・・ダンボールといしょに私も捨てられるーーー
全部、まっぺんさんの所へ送っていいですか。ヤッケはヒヨリミールさんの提案のように、前田君のサインをつけてオークションででも高く売って、エルナーへでもカンパしてください。これでいいでしょうか。オヤジ連絡こう。
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「金正日は退陣せよ」か 投稿者:平和ボケ  投稿日:11月 6日(水)17時28分27秒

まっぺんさん

「かけはし」の人に批判された内容、私の読解力では良く分からないのですが・・・。こまかいことは、いろいろあったのですが、私が言いたかったのは、もう一歩踏み込むべきかどうかということです。つまり、北,金正日に対する態度、あるいは、金正日に何かを要求するべきかどうか、ということです。

今回の一連の問題に対するさまざまな意見、声明などを「在日のサイト」を含めて見てみたんですが,。どこがどれだか分からなくなってしまったのですが。−初心者はこれだから・・

1、「金政権打倒」、あるいは「金正日は退陣せよ」

2、「金正日は拉致問題の責任をとって退陣せよ」

というのがありました。有田さんが「意見広告」を出すということですが、やっぱり内容が問題になります。もしかしたら、2、のようになるのではと危惧します。
われわれが、だせるのは精一杯言って次の二つようなものになるのではとかんがえます。言葉が練られていないところは平にご容赦を。みなさん、どうお考えですか。

A、金正日政権は拉致家族の納得するまで真相を究明せよ。拉致家族の真相究明活動に協力せよ

B、金正日は、9・17「日朝会談」において拉致問題で謝罪した内容を共和国人民に公表せよ、労働新聞、ピョンヤン放送で明らかにせよ
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バーバラ・リー圧勝!\(^o^)/ 投稿者:まっぺん  投稿日:11月 6日(水)15時38分58秒

アメリカ中間選挙結果です。
報復戦争への上下院を通じてただひとりの反対者、バーバラ・リーさんが
対立候補をやぶって四選をはたしました。

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ぎょうむれんらく 投稿者:まっぺん  投稿日:11月 6日(水)14時32分25秒

内ゲバ研究会が本日あります。
参加希望者は小西さんまで連絡ください。

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労通BBSから転載です 投稿者:TAMO2  投稿日:11月 6日(水)11時29分34秒

韓国公務員労組に弾圧
 投稿日 2002年11月5日(火)23時38分 ペンネーム 管理人ラム 削除

韓国の労働運動を伝えるPICISから緊急メールが流れてきました。

韓国公務員労組(KGEU)が、11月4日、ソウルの大学で腐敗の追放と公共サービスの改革、公務員労組の公認などをもとめて平和的な全国集会を開催していたところ、機動隊が乱入し、参加していた組合員に対して無差別に殴る、蹴るの暴行を働き、多数を逮捕したとのことです。

以下のサイトにその生々しい写真が掲載されています。
http://picis.jinbo.net/english/publicworkers/gov_photos.htm

また、ビデオでもその現場を公表しています。言葉は韓国語ですが、生の現場をみれば通訳は要りません。
Real Player の方はこちらをクリック
 → http://real.jinbo.net:7071/ramgen/hj/2002/1104gong1.rm

Windows Media Player の方はこちらをクリック
→ mms://media.cast.or.kr/cham/hj/2002/1104gong1.wmv

http://cgi.members.interq.or.jp/red/rodo/user-cgi-bin/minibbs.cgi

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いろいろ。 投稿者:菊  投稿日:11月 6日(水)11時19分32秒

アジアの映画はないのかな。そうだ、「JSA」。普通は非人間的に描かれる北の将校がとても人間的に、南の将軍や将校がとてつもなく非人間的に描かれていました。北に対する日本のメディアや国民の声には民族的差別意識が入り込んでいるとつくづく痛感させられます。

それから日本映画ですが、「K.T」。70年代の金大中拉致事件の映画ですが、歴史的な洞察もあり、当時の金大中支援グループの様子などとてもリアルで、あんな風だったよなと思いました。当時の民主化運動をよく知っているメンバーが制作陣の中心にいるようですね。

お砂場さん
三里塚闘争を知るには、まっぺんさんの資料だけでは偏っているように思います(笑)。最近、子どもほどの年代で、野菜作りに三里塚に通っている人を偶然知って、薦めた本があります。「成田とは何か−戦後日本の悲劇」(宇沢弘文、岩波新書)「ドラム缶が鳴りやんで−元反対同盟事務局長石毛博道成田を語る」(朝日新聞成田支局、四谷ラウンド)。

最初の本は92年の円卓会議の頃のもので、今とは状況も違っていますが、経済学者の視点も交えて書かれています。後者は最後の第4章については疑問がありますが、私とほぼ同年代の若手農民が何を考えていたか、とても正直に書かれているように思います。

それから、なぜ「ヘソを掻いたか」ということですが、当時公安事件で逮捕された被告の裁判というのはめちゃくちゃで、法廷の中で被告人と傍聴者が一緒になって、廷吏と乱闘を演じることがよくありました。その際、法廷では裁判長に絶対の権限がありますから、次々と羽交い締めにされて退廷させられるわけです。

「動くな、声を発するな」という命令があって、「かゆいんだ」とTシャツをまくって、ヘソを掻いたら(非暴力抵抗なのですが−笑)、「法廷を侮辱している」と退廷させられたというわけです。

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うう・・・観てない映画もある 投稿者:まっぺん  投稿日:11月 6日(水)11時08分28秒

Muuさん。映画のはなしでもなんでもして下さい。\(^o^)
いろいろな話題で盛り上がりましょー!
連休のあいだ、コンピュータをまったくいじってなかったんですが
ずいぶん盛り上がってたんですねー。三次会の投稿の多さにもびっくりしました。

ところでご報告です。平和ボケさんに「歴史的」と持ち上げられた三次会掲載の文章ですが
すこし手直しして新時代社に送りました。そのうえで電話ですこし話しもしました。
私の視点は「集団的利益のために個人を犠牲にするな」ということで、
左翼ならそこから問題を考えてゆくべきだ、という事なのですが、
北朝鮮国家によって支配されてきた人民について具体的資料をもとに考えてみた場合、
はたして「個人の現在の意志」はそのまま「個人の自由な意志」であるかどうかという点を批判されました。
これはTAMO2さんからの批判にも共通するものであると思います。

なお、「集団的利益のために個人的利益を犠牲にする」傾向は、
日本左翼の総括としておこなわなければならないと考えています。
われわれが学んできた「レーニン主義組織論」といわれるものの中に、少なからずこうした傾向があったし
それをわれわれは受け入れてきたように思います。内ゲバは、その延長上にあったのじゃないか、とも。
また、第四インター(日本支部)においても、組織内女性差別問題を契機として展開された組織の態度は
「集団的意向によって個人を弾圧する」傾向にあったと言えます。
現在多くの左翼経験者、組織がこの問題に気付いていると思います。そしてさまざまな模索をしている。
この中で拉致問題をどう解決してゆかなければならないのか、をめぐって日本左翼が試されているような気がします。
もちろん、その「試されている」リストには新時代社も、滝山五郎氏も含まれているわけです。

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旅芸人の記録のギリシャ 投稿者:お砂場  投稿日:11月 6日(水)07時47分24秒

全ての源泉である、哲学発祥の地であるギリシャ。
オリーブの木陰、ドーリア式円柱の間から沸きあがるギリシャの精髄、そう、君こそがギリシャの精髄だよ、ハンナ。
と、ハイデガーが言ったとか言わないとかの、ギリシャですね。

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なんだか映画が観たくなりました 投稿者:Muu  投稿日:11月 6日(水)01時41分58秒

みなさんシブイ映画(笑)ご存じなんですね。
テオ・アンゲロプロスの「シテール島への船出」は、ちょっと眠くなりました・・・・。
ギリシアの複雑な政治状況を撮影の長回しで、叙情的に展開したのを覚えています。
また観ると感慨深いものなんでしょうね。
なんだかウカマウ集団も、「旅芸人の一座」など、皆さんに勧めの映画を紹介されて無性に映画を観たくなりました。たしかトロツキーは映画や映画館の役割をかなり重視していましたよね。
ところでトロツキーを取り上げた映画ってあります?
私はA・ドロン「暗殺者のメロディ」しか知りません。
(「因みに、「旅芸人の記録」と「旅芸人の一座」って同一映画ですか?原題なのかな。)
まっぺんさんへ
やはり、こういう書き込みは三次会の方が移した方が良いのでしょうか?

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おお〜「第一の敵」 投稿者:イレギュラーず  投稿日:11月 6日(水)01時19分19秒

「ただ1つのこぶしのごとく」も。

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ギリシャ映画も(1本しか見てないが) 投稿者:kt生  投稿日:11月 6日(水)00時56分58秒

私は「旅芸人の一座」を押しますな。最近「international viewpoint」
がギリシャから発送されているのを知って少し嬉しくなりました。

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反帝映画 投稿者:野次馬  投稿日:11月 6日(水)00時18分46秒

ウカマウ映画集団『第一の敵』も懐かしい。

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レスありがとうございます 投稿者:Muu  投稿日:11月 5日(火)23時09分33秒

AIT久我山支部(準) さんへ
「ブラス」もよかったですね。同時期くらいの「フルモンティ」、どちらも炭坑ストがらみの話でしたね。しかし、当時のイギリスと同じく不景気と失業の日本でどうして、「ブラス」のような映画が作られないのでしょう。人々の生活は大変なのにそうした苦況を語らない「宣戦布告」など、どうーでもいい映画ばかり・・・う〜ん残念。
菊さんへ
>仕事をしているのに、止まらなくなってしまった。
菊さん、お仕事中に挑発(笑)してごめんなさい。私も仕事中だったんです(苦笑
>トロツキーの遺言である「Life is Beautiful」を映画のタイトルにしたロベルト・ベニーニ
そっかぁ、これには気づきませんでした。でもイタリアって人々も左翼も多様で面白い国ですよね。マルチエロ・マストロヤンニ「特別な一日」も思い出しました。ほとんどの市民がファシスト記念式典に出かけ、残されたのはある主婦と反ファシストの男、その二人の特別な一日。
お砂場さんへ
「路」というトルコ映画は確か非合法で制作されたんですよね。ユルマズ・ギュネイ監督も確か投獄され、獄中より指示をだし完成させたのは驚きです。本国では1999年にやっと解禁されたとか。
女性監督で思い出しましたが、マルガレーテ・フォン・トロッタ 監督、西ドイツ映画「鉛の時代」これは見逃しています。ドイツ赤軍派(RAF=バーダー・マインホフ)を題材にした作品だったと思います。当時、朝日ジャーナル(笑)に記事が載っていて、とても観たかった覚えがあります。
私がいた82年頃の三里塚での印象
当時は北原派と熱田派の分裂間際で、集会もおかしな状態でした。
一人の発言者で一方から拍手、もう一人の発言者では、もう片方からの拍手・・・(苦笑)。
なんだかなぁ・・・と思いました。

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苦しいです。 投稿者:お砂場  投稿日:11月 5日(火)22時06分34秒

教えて頂いた所を見た後に三里塚闘争をちゃんと読みました。
読んでいて胸が苦しくなりました。
うー知りませんでした。こんなに細かくは。
あーなんかこんなことがって、しかも最近、、。
自殺された方まで、、。
成田空港をなんの思いも持たずにしゃあしゃあ使っていた自分がみっともないです。
知らないということは恥ですね。

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思い出の赤ヤッケの「由来」など 投稿者:イレギュラーず  投稿日:11月 5日(火)21時53分16秒

先日亡くなった、岩沢のじっちゃんが宮城に来るたびに「宮城反戦の赤ヤッケ」話を持ち出し、鼓舞してましたね。これが由来と聞いてます。その後、青学共闘のユニフォームになりましたが、それ以前から着て夜行に乗り込んで現地集会などに向かう労働者の姿はかっこよかった・・・

 それにしても、安物で薄い上に、2月の放水のときは「寒いのなんのって」。洗うと縮むし。
せめて、冬山用にして欲しかったな・・・などと。

5年ほどの裁判が終わって、証拠品として押収されたヤッケやメットを受け取るか否か通知が来たと思いますが、わざわざ大枚はたいて取りに行くなんてということで、結局取りに行きませんでした(たぶんカビが生えていたでしょう)が、今思えば取りに行けばよかったかな・・・

ところで、詳細は分からないですが、有田氏はNYタイムズ紙に金正日に対する意見広告をするようですね。こうした動きの中で丁寧に考えなければと思ったのは、世界11月号のソ・スンさんの文章です。単純に拉致被害者とその家族(北部朝鮮にいる方も含めて)の「側」から拉致問題や日朝正常化交渉が語られがちですが、在日韓国・朝鮮人及び韓国人をも含めたトータルな視点がやはり必要なのではないかと思います。今は、「反発」が強いでしょうが。

それと、今日実家から、シアレヒム社の鄭敬謨さん―かつて「シアレヒム」という小冊子を発刊していました―の「岐路に立つ韓国」(1980年3月刊)を持って帰って来ました。当時の様子を読み直して見たいと思いました。

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あ、間違えました。 投稿者:菊  投稿日:11月 5日(火)21時20分49秒

チョムスキーですが、武蔵野館ではなく、ユーロスペースのモーニングショーです。

まともな暴れ方は、↓にあります。
でも、これは立派すぎて、いつもはもっとブザマでした。平和ボケさんが見つけたという「赤ヤッケ」は、この写真の中でみんながユニフォームのように来ている上着です。同じ上着だと区別が付かないので、機動隊も捕まえにくいという側面もありました。
http://redmole.m78.com/sanrizukagazou.html

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失礼しました。 投稿者:お砂場  投稿日:11月 5日(火)18時47分10秒

暴れてらしたんですね。失礼しました。
正式な暴れ方、宣伝戦線でしょうか?ポスターの書き方に必ず下書きをするとありましたね、直書きをしちゃう人いつの時代にもどこにもいるんだなと苦笑しました。
私はおとなしかったので学生時代は暴れていませんでした。(笑)
傍聴席で退廷なんて武勇伝ですね。
でも、なんでお臍で???

チョムスキー9・11は渋谷のユーロスペースでもやっているみたいですね。
情報ありがとうございます。
うー頑張って今週行こうっと。

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「暴れてた」のです 投稿者:菊  投稿日:11月 5日(火)17時12分07秒

「いらっしゃった」という上等なものではなく、暴れてました。ここの管理人=まっぺんさんの仲間でした。

いろいろありますが、今でも恥ずかしいと思うのは、裁判の傍聴に行って傍聴席でヘソを掻いて、退廷させられたこと。今でもそれをあげつらう奴がいる。全くなあ。

「正式な暴れ方」は、ここのサイトの資料編をご覧下さい。マジメなアーカイブがありますよ、きっと。

久我山さん、
ありがとうございます。
そうです。思い出しました。「大地と自由」。この間、渋谷と新宿で見た2本の中国映画のタイトルも忘れてしまった。情けない、何といったかなあ。年のせいか、すぐに忘れる。

「絵の中のぼくの村」を制作したシグロが作ったチョムスキーの映画はまだ、武蔵野館でやっているかもしれませんね。まだ、見ていないのです。

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映画 投稿者:お砂場  投稿日:11月 5日(火)16時35分00秒

菊さん
昔、カゲキハでいらっしゃったんですね。でも私も左翼的な映画も好き
で、岩波はかなり本当にかなり若いころから通っていました、そして、今も通っています。
[道」というイランの映画が感動したのを覚えています。確か囚人の女性
を雪の中、連れて歩いていたんです。もう一度ビデオで見たいです。
この前もチェコのを見に行きました。(「この素晴らしき…」)
たくさん、サイト教えていただいて有難うございました。
それに女性監督のインタビューはとても面白かったです。
船橋さんは「世界ブリーフィング」なる本を読んで知りました。
有田さんのには投稿されていらしたんですね、ちゃんと見てみます。

Muuさん、今更ながらはじめまして。この前は失礼致しました。ローザルクセンブルクは知らないのですが、「1900年、」「サン・ロレンツォの夜」は見ています。あまりに小さいころだったので1900年はドミニク・サンダが綺麗なのと、映画のくせに休憩があったということしか覚えてません。確か、5時間くらいだったような。サン・ロレンツォの夜はビデオで見ました。「父・パードレヌエストロ」とかいうのもよかったような、記憶が。ブリキの太鼓とか、アンジェイ・ワイダのとかもわからないながらに見ていました。ビデオでもう一度みたいですね。
「路」というこちらはクルドの問題をテーマにしたトルコの映画もよかったです。
ケン・ローチは知らないのです。探してみます。

AIT久我山さん、(以前、ATTとか書いてすみませんでした。なおします)はじめまして。ブラス、よかったです。イギリスのでは、炭鉱が舞台の男の方がストリッパーになるのも見ました。
クライング・ゲームもよかったです。
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パルチザン 投稿者:菊  投稿日:11月 5日(火)15時38分50秒

仕事をしているのに、止まらなくなってしまった。いかん、いかん。

「1900年」も「サンロレンツォの夜」もパルチザンが大きなテーマですよね。
この間、日本に来たイタリアの女性監督が新聞のインタビューで、「今のイタリアでは本1冊、映画1本見ることがベルルスコーニに対する文化的パルチザンだ」といっていました。

すごいなあ。その気迫。

↓知り合いのイタリア政治史の研究者からのメールの一部分です。
−−−−−−−−−−−−−−【引用】
2002年4月のローマ訪問で最も印象的だったのは、共産党再建派のジェノヴァでの党大会でした。4月4日の演説でベルティノッティがスターリン主義と共産主義は両立しないと語ったことが、スターリン主義との決別として大きく取り上げられたのに始まり、4月7日のベルティノッティの2時間半に及ぶ「私はユダヤ人であり、ムスリムであり、ホモセクシュアルである」という大演説に終わるまで、ベルティノッティの独壇場の感がありました。

(中略)彼は演説の中で、近代はカール・マルクス、フロイト、アインシュタイン、ベンヤミンなど、如何にユダヤ人によっているかを語り、自分もユダヤ人であり、ムスリムであり、クリスチャンであり、パレスチナ人であり、アプオリジニであり、移民であり、ホモセクシュアルであると全ての差別され得る人々を掲げます。翌日のコリエル・デラ・セーラの一面には一コマ漫画で彼が収容所のユダヤ人やアラファトの格好をしたりする七変化の絵の下に、私はルテッリ(前回選挙の首相候補)でもファッシーノ(現左翼民主党党首)でもないと語っている姿が描かれていました。これは日本で持ち上げられるヴァイツゼッカー『荒れ野の40年』のアンチ・ヒーロー版という感じがしました。彼はイスラエルはSSと同じであると挑発した上で、被差別者の論理をお上品に人種主義反対を語る「リベラル」へ突きつけます。

(中略) それでも、イタリア左派のすごいところは、こうした左派の体たらくをあきらめずに叱咤激励する人々がいることです。3月23日のチルコ・マッシモでの集会では『息子の部屋』でカンヌ映画祭大賞を得た映画監督ナンニ・モレッティが演壇に立ち、居並ぶ左派指導者をなで切りにして、この中で我々が期待できるものがいるのだろうか?ベルルスコーニが右派を統一できたような左派を統一出来る人物はいるのか、と苛立たしげに語り多くの支持を得ました。彼は『4月』という左派が勝利する選挙の喜劇映画を撮っているのですが、劇中、テレビでベルルスコーニばかりがしゃべりまくっている討論番組を見ているモレッティが、テレビに映る当時の左翼民主党党首ダレーマに向かって、「頼むよダレーマ、何でもいいから左らしいことを少しは言えよ」と叫ぶシーンがありますが、まさに彼の叫びは今日の左派政党に投げかけられています。左翼民主党党首ファシーノは、コンフェラーティと共に彼の作品にあやかったと思える「4月」というグループを結成しましたが、ファシーノの風貌同様いまだ精彩は余りありません。
 4月25日のゼネストには、『ライフ・イズ・ビューティフル』の映画監督ロベルト・ベニーニがローマの集会に参加し、彼に気づいた群衆が「ベニーニ、俺たちの首相になってくれよ」と叫ばれ、彼は「だめだ、そうしたら批判する相手がいなくなっちゃうよ。と応えていました。実は、この二人の外国で評判を得た『息子の部屋』や『ライフ・イズ・ビューティフル』は、ハリウッド的受けを意識したために評価されたという皮肉な感じがあり、彼らの左派野党時代に撮った一連の作品(『4月』も含め)の方が遙かに良くできていて、イタリア左派知識人たち自身も混迷の内にあることを物語っています。
−−−−−−−−−−−−−−【引用終わり】
そうそう、トロツキーの遺言である「Life is Beautiful」を映画のタイトルにしたロベルト・ベニーニもいるじゃない。この映画を見て、書いた本のなかにそっと、入れ込みました。誰も意味はわからなかったと思うけど。

長くなってしまい、すみません。
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大地と自由ほか 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日:11月 5日(火)15時35分41秒

 菊さんの仰るのは「大地と自由」ですね。ビデオ屋のでかい所には、レンタルもあります(ケンローチがほとんどあるビデオ屋というヘンな店もあったな。どこだったかな)。
 ファシスト・スターリニストの圧政のもと、スペイン革命(≠市民戦争)をCNTとともに闘ったPOUMの民兵隊を舞台にした、哀しくも、明日への希望が溢れ(ないこともない)る映画です。

 よりメジャーなところでは、イギリス炭鉱労働者のブラスバンドを描いた「ブラス」ですか。これも好きですよ。日本でヤルと、山田洋次的クササを感じさせる仕上がりになったでしょうが、そうならないところがイギリスなのかな。

 ついでに、各方面からバカにされながらも主張するのが、1996年に放映された日本のテレビドラマ史上最大、不朽の名作『白線流し』です。これほど階級的な作品は、ワタクシはないと思います(『北の国から』なんて、反動そのものだぜ、と思うときもある)。   以上

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すごい〜〜〜 投稿者:Muu  投稿日:11月 5日(火)15時21分38秒

よく知ってますね。普通の方(笑)に聞くと、みんな知らないと言うのに・・・。
おばさまがうるさいのですか・・・映画は基本的に一人で観るものだと思います。(もろ偏見です。
ケン・ローチの「Bread&Rose」はレイバーネット等で宣伝していたのにかかわらず、見逃していますが、なんとか探して観に行って来ます。
(ボサノヴァが好きな私ですので、棒サイトにあるラテンギターバージョンのインターはいいですね。)
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3つとも、見ました。 投稿者:菊  投稿日:11月 5日(火)15時06分49秒

Muuさん、3つともだいぶ、古いですよね。

「1900年」は確か、「ベルディが死んだ・・」というところから始まる。上下の長い映画だった。もっと古くは「地獄に堕ちた勇者たち」。

最近の岩波ホールは60代のおばさまたちが多く、グループで来ていて映画が始まる前雑談でうるさい。映画って、静かに始まるのを待つものでしょう。だから、あまり行っていません。

ケン・ローチの「Bread&Rose」は良かった。まだ、やっているのでしょうか。ケン・ローチの映画はシンプルで好きです。日本で公開された映画はほぼ見ているように思う。オーウェルの「カタロニア讃歌」を下敷きにした映画(タイトルを忘れた)は、「インターナショナル」や「ワルシャワ労働歌」がラテン調で明るくて良かった。日本のは陰々滅々として、闘っても明るい未来がなさそうでした。スターリン主義の影響でしょうか。

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なんだか二次会と三次会の逆転 投稿者:Muu  投稿日:11月 5日(火)14時52分21秒

菊さん、岩波ホールへ通っていたのですか。
綺麗でゆったりした、良い映画館ですよね。確か私も「ローザルクセンブルク」をそこで観ました。
ところで皆さんのお薦めの「左翼」的映画あります?
私はベルトリッチの「1900年」タビアーニ兄弟「サン・ロレンツォの夜」がお勧めです。(左翼か〜?)
皆さんがどんな映画観ているか興味あるのだけど、こんな話題相手にされないかなぁ。
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映画通ではないのです。 投稿者:菊  投稿日:11月 5日(火)14時32分11秒

お砂場さん

昔「カゲキハ」だったので、映画も左翼の監督や岩波ホールで上映されるものばかりで、今も非常に偏っています。そのフランス映画もタイトルや監督は忘れてしまったのですが、フランスの左翼の監督の作品です。

ルモンド・ディプロマティークは第4インターフランス支部の学者が以前から書いているので、「世界」に毎月1つだけ翻訳されて載る時から面白く読んでいました。今の日本語電子版の翻訳はこなれていて、非常にわかりやすいですね。友人のベルギー人の翻訳家は最近、フランスで流行っているテレビ番組の内容を比喩に使った文章もきちんと内容を押さえて翻訳されていると驚いていました。
国際ニュース解説のメールマガジンで有名になって、最近何冊も本を出版している田中宇さんもこんなこと↓を書いています。おもわず、笑ってしまいました。確かに論調は頑固者の左翼ですからね。
http://tanakanews.com/b1213anthrax.htm

有田芳生さんのサイトには、最近まで時々書き込んでいたのですが、今はすっかり書かなくなってしまって、掲示板で書き込んでいるのは昔の同志である「まっぺんさん」のところだけです。有田さんや水島さんとは、ほぼ同年代ではあるのですが、学生の頃には意見は合わなかっただろうなと考えると、ちょっと不思議な気がします。まあ、有田さんとは「拉致問題」を巡っての考え方は大きく異なりますが(きょうのコラムにある国際キャンペーンは支持!)。

新聞の悪口をいいながら、矛盾するのですが、今朝の朝日新聞の早野透さんのコラムはよかった。あの人、永田町駅周辺で時々見かけるのですが、「とっちゃんこぞう」みたいな感じでとぼけているのに、いい文章を書きますね。そうそう、これはWebサイトにも載っています。船橋洋一は昔の中国のルポなど面白かったのに、今は偉そうでイヤです。
http://www.asahi.com/column/hayano/ja/index.html

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Reネット・サーフィン 投稿者:お砂場  投稿日:11月 5日(火)11時20分20秒

菊さん、こちらこそはじめまして。
ご挨拶せずに大変失礼致しました。
この掲示板に場違いかも?と思いながらも誰でも歓迎というお言葉に甘えて参加させていただいています。
ブナ林便り、早速お気に入りに追加させて頂きました、有難う御座いました。
ルモンド・ディプロマティーク日本語版もすごく嬉しいです、えーすごーいと感動しています。本当に有難うございます。
フランス映画の一こまに写っていたのを見逃さないなんて映画通でいらっしゃるんですね。
余談ですがフランス映画で「まぼろしの市街戦」?(ジュヌビエーブ・ビジョルドが出ていました。)昨日見ましたが面白かったです(^^)戦争なんて所詮、滑稽なものと風刺していました。

ここを見ていると反戦や平和へのメッセージをあらゆる角度から人々に訴えていらっしゃる皆さんの努力がよくわかります。
菊さんが以前おっしゃられていた北朝鮮や韓国のかたとの理解には個人的な交流からっていうお話、その通りだと思います。
また、偏見や差別が一番いけないんだっていうことを子供の時分から感覚的に感じさせるために思いやりを育めるような絵本も大事だなと思う昨今です。
私もWEBを新聞代わりにして見ています、有田氏、水島氏のもこれから見させて頂きます。
「ほろよい」は見てますが、、、(^^)
本当に有難う御座いました。又、教えてください。

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>平和ボケさん 投稿者:ヒヨリミール  投稿日:11月 5日(火)09時18分26秒

>ー「3・26の赤ヤッケ」ーー未使用のものーーが発見されました。
リンクの写真を見ると未だにあの赤ヤッケ,現役みたいです.
で,女性用だとサイズの問題があるかも知れないけど,時代社あたりを通じて現役の皆さんにカンパなされるというのも一案ではないかと僭越ながら愚考します.
あと,yahooあたりのオークションに出したらどんなことになるのだろうか,とも妄想します.

ああ,内容がなくてすみません.ヒヨリミール・ニキイッチ・ソシーノフでした.
http://www.jca.apc.org/~monsoon/20020417-18toho.htm

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ネット・サーフィン 投稿者:菊  投稿日:11月 5日(火)05時49分55秒

お砂場さん、はじめまして。

私はパソコンとにらめっこが仕事なので、朝起きると仕事に取りかかる前に新聞を読む感じでWebサイトに目を通します。まず、加藤哲郎さんも参照している「ブナ林便り」。父親くらいの年代の方がやっているようですが、びっくりするくらい内容量が豊富で、しかもネットサーフィンをして毎日内容を細かく更新しています。コメントも加藤氏より丁寧です。

きょうは、ジョゼ・ボベ来日についての高橋千代司氏(おお!「三里塚闘争に連帯する会」)の報告文章、それから拉致問題について加藤哲郎氏や有田芳生氏のように「毅然」とはなれない(同感!!)というコメントが目を引きました。紹介されているURLを細かく読んでいると仕事ができなくなってしまうので、ほどほどにしないといけないのですが。

あとは毎日更新される有田芳生氏のコメント、それから毎週更新される水島朝穂氏のコメント、半月1回の加藤哲郎氏のコメントを楽しみにしています。

おっと、忘れていけないのが「ルモンド・ディプロマティーク」の日本語版。7−8年前マルセイユの下町を舞台にしたフランス映画に、いつも「ルモンド・ディプロマティーク」を読んでいる左翼の退職教師が出てきました。日本語版がWebで読めると知った時は大変うれしかった。サイードの文章も時々載っていますよ。

ブナ林便り
http://members.jcom.home.ne.jp/goloh/beech%20diary.html
ルモンド・ディプロマティーク
http://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/
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まっぺんさんー歴史的論文です 投稿者:平和ボケ  投稿日:11月 5日(火)01時37分03秒

さっき、「ニュース・ステーション」に私の最も尊敬する在日朝鮮人、金時鐘氏が苦悩の表情でインタビューに答えていました。主旨は、「自分の生涯をかけて、今回の問題を考えなければならない。」ということでした。中身も少し話されましたが、明日発売の「論座」に文章がのるそうです。

私がこの同窓会に、おもいきって参加したのも今回の「日朝会談」でした。そして思い返せば、組織をやめ、家に閉じこもっていた私をおもてに引っ張り出したのが「光州蜂起」でした。

今回の「日朝会談ー拉致問題」は、左派にとっては、たぶん「70年7・7」以来の歴史的事件だと思います。

さがし出した資料のなかに、まっぺんさんなら御存知「日本・朝鮮・中国」がありました。1970年3月創刊、1,2号は編集委員会、3号から「青年アジア研究会」発行ーーまあ、「私これ読んで左翼」になったわけですが。初期には、梶村秀樹さんをはじめとする研究者、日朝協会運動の経験者なども参加しています。2号が出て、すぐ後が「70年7・7」で大混乱、やがて、ただの中核派の組織、パンフになってしまったのですが。

すこし読んでみましたが、なかに「日朝友好運動の批判的総括」がありました。自明のことではありますが、60年代までの左翼のたいどは、きわめて、ハッキリしていました。「共和国支持ー韓国軍事政権打倒」です。それ以降70年代からは、社会党ーそのまま、共産党ー自主独立、中核派ー「血債」ーなにも言わない、インターー「共和国無条件支持」−活字になったのはほとんど見たことない、それより実践的に何の役にもたってこなかった。

まっぺんさんが書いたとうり「左翼は,北に対して、拉致問題に限らず何の実践もしてこず、あっても、態度表明しかしてこなかった。」のです。30年間の空白です。まさに、今回の事態は、歴史的事件です。

まっぺんさんの文章くりかえしよみました。ゴマスリでなく、特に一・二章、感動しました。「滝山論文批判」をはるかに越えています。日本左翼30年の空白をうめる歴史的論文です。少し直してほしい所があるんだけどーーあとでまたかきます。ぜひ、投稿してください。

青年会議でやった「大論争」−−「72・7.4南北共同声明の評価をめぐって」−−「共同声明支持」か「支持はできない。共和国は防衛するが。」か、それとも「・・・・・」・・あの時が総括の基点になるのではと、考えています。名前もおぼえていませんが彼の「結局、インターも中核と同じ反スタじゃないか。」という悲痛な言葉が耳に残っています。松下さんはこの事態どう考えているんだろう、やたらと字がうまくってどっしりとした理論家Aさん、メガネをかけていかにも「実直な労働者」という感じのBさん、どちらかというと「支持派」だったハンサムなCさん・・
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加藤哲郎先生のサイト 投稿者:お砂場  投稿日:11月 4日(月)20時17分33秒

途中にごめんなさい。
菊さんもおっしゃっていらっしゃいましたが、ここいいです。
先生のサイトで紹介されていたんでZNNの日本語サイト見始めました。
チョムスキーやサイードがすぐ読めます。

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僕活動する人、君家をまもるひと 投稿者:Muu  投稿日:11月 4日(月)15時00分27秒

>対カクマル戦争ー官僚主義ーの中で圧殺されてしまったんだろうと
というのはオーバーだとしても、軍事路線のもとでは余裕はありませんよね。
ただ、平和ボケさん思っている以上に自由だと思いますよ。
もともと内部でのイデオロギー闘争が盛んじゃないため、まあ個人個人の考え方の多少の違いは問わないといった雰囲気があったようです。また非公然になればなるほど、ざっくばらんな人間関係を保っているのを伺い知れます。少なくとも私の知っている時期からは女性が反発し戦線離脱の記憶はなかったです。とはいえ、結婚していても何ヶ月も会えないことは、ざらにありましたようですね。
まぁ平和ボケさんのいう70年という時期ではないのですが。
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横井さんのこと 投稿者:平和ボケ  投稿日:11月 4日(月)12時33分37秒

「いいかげんにしろ」と声がかかるまで、続けるかもしれない

松下さんの追悼文にあるように、当時子供ができたら活動ができなくなるという風潮がある中で、横井さんは家族ぐるみの闘争スタイルを実践していました。うらやましく感じていました。3・26の少し後、私に子供ができたことを告げると、良く知っている時代社若手官僚が「いまどき子供を作るなんて反革命だよ。」と言われ、開いた口がふさがりませんでした。

70年ごろの中核派も、短い期間での組織の急成長と相次ぐ弾圧、破防法攻撃の中で「僕活動する人、君家をまもるひと。」に対する女性たちの反発を始め、さまざまな組織の矛盾が噴出しました。ーごく一部しか知りませんがーしかしそれは、対カクマル戦争ー官僚主義ーの中で圧殺されてしまったんだろうと思います。
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シンポジウムのご案内 投稿者:菊  投稿日:11月 4日(月)10時12分34秒

ちょっと話をさえぎって申し訳ない。
雲ひとつない良い天気の連休なのに、朝から晩までパソコンとにらめっこ。時々気分転換も兼ねて書き込んでいます。

普段の日は30−40通は来るメールも休みの日はほとんど来ないのですが、昨日とても興味深いシンポジウムの案内メールが来たので転載します。

愛読書だった「火山島」や「鴉の死」の作者で最年長の金石範さんがどんな発言をするか、あちこちで精力的に書いている姜尚中さんが何を考えているのか、シンポジウムの準備等を中心的に担っているらしい、若手の在日研究者が何を考えているか、とても関心があります。
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★シンポジウム★『<歴史認識>論争』(作品社)出版記念

「日朝問題」と〈歴史認識〉――真の「和解」の条件とは?

日朝首脳会談において「北朝鮮」(朝鮮民主主義人民共和国)が拉致を認
め謝罪したことは、大きな衝撃を与えています。だが今後、真に日本と
「北朝鮮」が国交を正常化するためには、一体、何をすべきなのか?歴史
的視野からこの問題を考えてみたいと思います。
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【プログラム】
問題提起――高橋哲哉

第1部★特別講演
「日朝問題」を歴史的視野から考える(仮題)
金 石範(作家)

第2部★パネル・ディスカッション
「日朝首脳会談」を超え、真の「和解」に向けて
姜 尚中(東京大学教授)
高橋哲哉(東京大学助教授)
米谷匡史(東京外国語大学教員)
丸川哲史(学習院大学助手)
洪 貴義(立教大学大学院)

【発言者】(予定)
李孝徳(静岡文化芸術大学講師)
金富子(お茶の水女子大学大学院)ほか

日時:2002年11月9日(土) 午後6時〜9時
会場:東京大学(本郷) 法文2号館・1番大教室(安田講堂に向かって
右側の建物。「文学部」教務の上)
資料代:500円

作品社編集部 内田眞人 
102−0072東京都千代田区飯田橋2−7−4 
tel 03−3262−9753 
fax 03−3262−9757 
uchida@tssplaza.co.jp

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横井の二児 投稿者:一同窓生  投稿日:11月 4日(月)09時29分38秒

かわいい女の子だった。もうお子さんがいても良いような年齢でしょう。

あれから光州蜂起を経て韓国の軍事独裁が倒され、金大中氏(良かれ悪しかれ)が大統領になるような時代の変遷がありましたね。金芝河の言った「アテネの夏」はなかば実現されました。今「プラハの春」がすぐそこに来ている実感もあります。

統一朝鮮革命、このスローガンも横井のものだったように思います。今横井がいたら何を語ったか、聞いてみたい思いもしますね。

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横井さんのこと 投稿者:平和ボケ  投稿日:11月 4日(月)05時55分13秒

「世界革命」紙、「共青同結成大会報告1975年」は、委員長以下、役員の顔写真とその下に「ひとことプロフィール」が載っていた。「副委員長・横井勝・二児のパパ」これを見た本人、「何考えてんだよー、市民主義なんだよー」とどなりちらした。

ーこれは、聞いた話ー
ある日、新時代社に電話
宇崎竜童ー本人ー「あの、反核で、チャリティーやりたいんだけど・・・」
たまたま出た横井「うちじゃやってないよ」ガチャン。
となりにいた学生「どっか他の団体紹介するとか、もっと別の言い方・・」と思ったが横井の不機嫌な顔に言えなかった。

頑固な原則主義者は、チャラチャラしたことがきらいだった。
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