四トロ同窓会二次会 2003年1月15日〜23日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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獅子の時代 投稿者:Mikio  投稿日: 1月23日(木)23時59分07秒

イレギュラーずさん>大河のタイトルはこっちです(私も見てました)脚本を山田太一さんがされていたと記憶してます。困民党に参加した旧幕臣の浪人が居たらしい・・・のがネタだと思います。
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1/18参加者の皆さんご苦労様でした 投稿者:黎  投稿日: 1月23日(木)23時43分08秒

地域での1/18企画が流れてしまったので(2月にはやりたいと思っています)
日比谷に行きたかったのですが、仕事でした。
行った人たちから、「おもしろかったぞ」と報告を受けて、
うらやましがることしきりでした。

今回もそうですが、アフガンから続く反戦行動には、
いつもの金太郎飴ではなく、
今までデモになんか行ったことのない初めての人たち出てきていること
と、
反戦を契機に戦線復帰をする人たちが増えていることです。
(昔からそのへんのフォローがうまいのは中核なんですが)

統一行動を地域でやるか中央へ出て行くかは未定ですが、
機会が有れば、皆さんとお会いすることを楽しみにしています。

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一貫して、自分で売っておいて読んでません 投稿者:イレギュラーず  投稿日:1月23日(木)20時43分30秒

またまた、勝手に、昔話。
「峠の群像」(堺屋太一)でしたっけ。小説ではなく、大河ドラマは見てました(菅原文太の出ていた)。
秩父困民党、自由民権運動に繋がる流れなど。

私が「歴史はダメ」なのは、そうした本すら読んでいないからですね。つくづく・・・

post skribo
昨日の「歌のベストデン」は「歌の大辞テン」の誤りです。

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今ごろ ですが 投稿者:平和ボケ  投稿日: 1月23日(木)20時39分10秒

「民団新聞」新年号

 団長新年辞
  1、W杯韓日共催の成功 2、日朝会談 3、ノ・ムヒョン新大統領4、参政権獲得
  5、民族系金融機関の再建

 ほかにも面白い記事が
http://www.mindan.org/shinbun/shinbun_index.php

石川一雄さん年頭あいさつ
http://www.f2.dion.ne.jp/~sayama1/
→「近況」→「新年を迎えて」

まっぺんさん
 懐かしいですね。「相模原闘争〜ノースピア」。トラックに乗った「M48戦車」、竹竿でたたきましたが、ビクともしませんでした。(当たり前か!)
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もぐら新聞を改訂\(^o^)/ 投稿者:まっぺん@管理人  投稿日: 1月23日(木)19時29分45秒

「赤色もぐら新聞」の【投稿】「ダラットへの道」に写真を追加しました。(^^)
http://redmole.m78.com/news/new011_0.html

司馬遼太郎は、昭和史はかけないと言ってましたね。
彼によれば、近代日本史は、
(1)西南戦争までの国内統一戦争、
(2)日清・日露戦争までの祖国防衛戦争、
(3)それ以後の侵略戦争
という三段階に整理し、軍事が膨張していく過程として描いているようです。
しかし、その分類の仕方では、日清・日露戦争を美化することになって
当時からあった日本の帝国主義的意図を免罪することになります。
『坂の上の雲』は非常によく出来ていて面白いし、勉強になるけど、
司馬の論調に丸め込まれて「あれは防衛戦争だったのだ」と思い込む危険を
十分に考慮しておく必要があります。

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司馬遼太郎の、 投稿者:臨夏  投稿日: 1月23日(木)09時48分12秒

戦車兵体験は、新潮文庫『歴史と視点』に稍詳しいですね。
95式か、その辺の戦車にのってたみたいです。

この人、大阪外国語大学でモンゴル語やってたから採られたんでしょうね。
外大には、いまも、なんかその辺がらみの(司馬氏個人に対するものでは
ないかもしれないが)碑があるらしく、学生の批判の対象になってました。
ノモンハン戦争には参加してないはずです。
実戦経験ないままに、本土決戦のため、内地に帰ってたとか〜、

少なくとも書いてます(^^

あと、ノモンハンについては、結構な史料しらべをしてて、書いたとしても、
「私小説」みたいな感じにはならんかったんではないか、とも思います。

ps、ティーカップのいかなる仕組みによるものか、
  また直接投稿できなくなったので、まっぺんさんを煩わしています。
  2003.01.23.am5:57
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ノモンハンについては 投稿者:まつき  投稿日: 1月23日(木)00時55分52秒

「私小説は書かない」のではなく、「書きたかったけど、書けなかった」ようです。
平和ボケさんが言うような理由で。

司馬が大正デモクラシーに批判的なのは、民衆運動に批判的というよりは、
司馬が日本の「狂い始め」を日露戦争の反講和運動(日比谷事件など)に求めるからではないでしょうか。
この反講和運動は、「バイカルまで攻めのぼれ」とか「少なくとも沿海州は」とか領土拡張主義的な主張が見られると同時に、
「国民のための政府」「国民のための軍隊」という論理が非常に強く見られます。
ですから、大正政変の際の民衆のエネルギーときわめて同質的な部分があるのです。
さらにいえば、大正期に噴出した民衆のエネルギーをとりこんで成立し得たのが日本の戦時体制でもあるわけで。

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ノモンハン 投稿者:すえいどん  投稿日: 1月23日(木)00時27分08秒

おぼろげな記憶ですが、司馬遼太郎はノモンハンの戦車兵ではなかったのか?
あまりにヒドイので「ノモンハン事件」はついに書かずというのは、私小説はかかないという話では?

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ああ、そうそう、 投稿者:臨夏  投稿日: 1月22日(水)22時44分50秒

書こう思て忘れてました、
平和ボケさんのいわはるのに近いのですが、
「故郷〜」を読んだかぎりでは、
「朝鮮語話してた」というのは、窯で、作業のやりとり用語だけが朝鮮語残ってて、
その用語が現代韓国人にも通じた、という感じでした。

しかし、パク=チョンヒ大統領と面会して、
「よか兄貴ごたるごわした(薩摩弁めちゃくちゃ、すみません(苦笑)」というのも嘘かいな?
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78年の歌と共に 投稿者:イレギュラーず  投稿日: 1月22日(水)20時12分49秒

全然関係ないけど、今飯を食べていたら
日テレ系「歌のベストテン」で78年をしてました。
久々に動画で「管制塔占拠」を見ました。チラッとですが。

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連帯もとめて ヤブ蛇おそれず 投稿者:平和ボケ  投稿日: 1月22日(水)20時00分15秒

酒呑童子さま
 グーの音もでませんが、私臨夏さんのように素直じゃないので。私は「故郷忘じがたく候」読んでいませんので、私の「陶房では明治まで朝鮮語をつかっていた」は、テレビのドキュメンタリーか、歴史に詳しい知人の話からだと思います。朝鮮語をつかっていたのは、連行されてきた朝鮮人の子孫としての自覚というよりは、陶房技術の防衛のため、という話だったと思います。いずれにしても、正確な話ではありません。

司馬遼太郎は「確信犯」
 これも知人や色川大吉さんの話ですが(と逃げを打っておく)、「司馬遼太郎は何でも知っていながら、暗い話は切り捨てて、「明るい明治」を描いてきた。」小説家としてのサービス精神をふくめて。
 *「明るい明治と暗い昭和」−敗戦体験から
 *「民衆の運動信じない」−天才史観ー大正デモクラシーには触れず。
 *あまりにヒドイので「ノモンハン事件」はついに書かず。

 みなさんが言われるとうり、司馬遼太郎のは「小説」で、けっして「歴史」ではないと思います。
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京王、西武、東武 投稿者:道草  投稿日: 1月22日(水)19時46分32秒

京王線沿いの調布市・狛江市は、百済系
西武池袋線の終点の飯能(能=ナラから?)高麗あたりは、高句麗系
東武東上線沿い(新羅→新座、志木)は、新羅系
(実際には、これほどきれいには対応してなのでしょうが。)
この配置は、半島における3国の位置関係のそのまま対応してるとこが、面白い!

    飯能           高句麗
           <=>
  調布  新座        百済 新羅

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わあ、そうなんですか〜! 投稿者:臨夏  投稿日: 1月22日(水)18時35分50秒

酒呑童子さま>
すえいどんさま>

大迫恵吉という人が、司馬小説の沈寿官なんですね?
小説とはいえ、あまりにひどい脚色ですね、ありがとうございます、勉強になりました。
知り合いに、沈寿官氏の家にいってお話してきた、いう者もおるんですが。

わたしは、司馬氏の大ファンですが、この、「史実かうそか」という点には、
いっつも悩んでまいます。
信じたら、歴史に対して悪いことしてるみたいな気持ちになるからです。
中学のころ、友人が『関ヶ原』読んでて、いろいろ教えたったら、
「なんや、三成の女の初芽いうのは嘘か」て大笑いしてたのは、まだ楽しい思いでです。

戦国時代やったらまだしも、近代史に関わると、問題も生々しくなってきそうです。
今度かまた今度か、NHKの大河ドラマ、『坂の上の雲』になるそうです(笑

だいじょぶかいな。

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あに、沈寿官のみならんや 投稿者:すえいどん  投稿日: 1月22日(水)17時48分37秒

司馬遼太郎は小説家なんですから、でたらめ(フィクション)を書くことが仕事です。
眉唾は、あに「故郷忘じがたく候」にとどまらんや。しかし、彼の小説を事実として受け止める人がやたら多いようで、本当になぜなんでしょう。14代宗家沈寿官は現存人物だったから、物議をかもしましたが、幾多の歴史上人物においても、ほぼ同様の、主観的願望に基くでたらめ(フィクション)があるように思われます。気をつけましょう(自戒です)。
とにかく小説なんですから。

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虚像−沈寿官 投稿者:酒呑童子  投稿日: 1月22日(水)13時15分47秒

 司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」はフィクション(小説)です。眉に唾をつけて読むように。
 
 薩摩焼の宗家で一子相伝だって(笑) なら大迫恵吉は15代のはずだが(爆)
 明治時代まで朝鮮語を話していただって(激)
 14代は朝鮮人だと差別され、いじめられて喧嘩にあけくれていた、だって(核)

 これらはちょっとまともに調べれば、すぐわかる嘘です。
 一子相伝なら、大迫恵吉氏は15代になるはずですが、なぜ14代なのでしょう。答えは簡単で大迫恵吉氏の父は京都帝大を出て、朝鮮総督府の役人などをし、戦後は村会議員で、焼き物とは無縁の人です。さすがに14代にはできなかったということです。
 大迫恵吉氏自身も早稲田大学を出て、鹿児島の国会議員床次氏の秘書をし、議員になる準備をしていました。鹿児島県PTA連合会会長など歴任。当然ですが、薩摩焼の「さ」の字もありません。
 床次の後継者レースから落ちこぼれてから、突如「14代沈寿官」があらわれます。それまでは誰も大迫恵吉氏が「14代宗家沈寿官」だとは知りませんでした(笑)
 
 薩摩藩時代、薩摩焼の陶工は士分扱いです。だから、東郷茂徳もでました。いまだに鹿児島は武士出身を鼻にかける人たちが多いところです。
 大迫恵吉氏が中学時代、朝鮮人だとしていじめにあい、差別され、喧嘩にあけくれていたというのは、全くのでたらめです。武士身分であることを鼻にかけ、被差別部落の人を見下していた大迫恵吉氏が、被差別部落の人から殴られたということは聞いていますが。これは、殴った同級生から直接聞いた話です。それに、大迫恵吉氏はとっても喧嘩に弱かったとも(笑)

 たしか、10年ほど前に「噂の真相」で沈寿官の虚像が特集されていた記憶があります。ほぼあたっていました。
 
 実を言うと、私も司馬遼太郎を読んで、すごい人がいると思っていたことがあります。しかし、鹿児島県の知覧にある特攻平和会館に、朝鮮人特攻隊員の慰霊碑をつくる問題で、沈寿官氏の対応に疑問を感じ、ちょっと調べたら、14代沈寿官の虚像がわかりました。
 重ねて書きますが、司馬遼太郎氏の書いているのは小説です。鵜呑みにしないように。
 しかし、司馬氏ともあろう人が、資料調べもしていなかったとは。けれど司馬氏の本が「正史」になるんだろうな。

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反戦行動、全米で100万人が参加か 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月22日(水)12時43分17秒

amlから転載します。(^^) 平和ボケさん、あったのね。ども(*^^*)

世界の環境ホット!ニュース(GEN) 号 外<転載歓迎> 2003年1月22日 別処珠樹

 反戦行動、全米で100万人が参加か

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1月18日のイラク反戦行動について、主催者の「国際アンサー」が21日、声明を発表し、大要つぎのように述べています──

米西海岸ではサンフランシスコ警察に対し嵐のような抗議が寄せられ、デモ参加者の見積もり数を訂正せざるを得なくなった。初めはばかばかしいほど少ない5万人という見積もりを発表していたが、これを3倍の15万人に訂正した。主催者の私たちは20万人と見積もっている。これは反戦運動の勝利である。ワシントンの参加者が50万人であったという点については、当局もメディアもまだ訂正を出していない。

反戦運動の盛り上がりは無視できなくなりつつある。月曜日のニューヨークタイムズによる報道は次のことを示している。ブッシュ政権の上層部は多くが反戦運動のダイナミックな盛り上がりを恐れていて、戦争を急ぐと政治体制全体が不安定になることに深い関心を抱いているということである。

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「故郷忘じがたく候」は好きですね 投稿者:菊  投稿日: 1月22日(水)07時28分15秒

臨夏さん、よく覚えていましたねえ。
あれはよいですよ。短編ですけど、司馬遼太郎のあたたかさが伝わってくる。

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中臣鎌「タリ」 投稿者:イレギュラーず  投稿日: 1月22日(水)02時12分58秒

タリ=橋、架橋もですか?

ところで、今日「県政だより2003年1月号」(宮城県)の「お知らせ」を
見てみると、こんな記述があります。

以下引用
朝鮮半島・台湾出身者の皆様へ
特別永住の方(帰化者を含む)などで、旧日本軍の軍人軍属などとして戦
死された方のご遺族や重度戦傷病者の方に弔慰金や見舞金が支給されます。
弔慰金=遺族へ260万円
見舞金=重度戦傷病者へ400万円
請求期限=平成16年3月31日
――引用終わり

またしても、分断しようと言うことですね。それにしても、これはいつからだったのでしょう。

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まっぺんさんの口調をまねてみる 投稿者:平和ボケ  投稿日: 1月21日(火)23時58分02秒

 だからー、ぼくが1月2日に書き込んだでしょ。高麗神社に行きましょうって。
だめだ、続かない・・・

 金達寿氏の「日本の中の朝鮮文化」によれば、日本の地名や文化のかなりーほとんど?が朝鮮由来と言ってもいいと。奈良・ナラ=朝鮮語で「国」、全国どこにでもある山の名前=駒ケ岳、モメン=木綿などなど

 金達寿さんの功績は、なんといっても、「渡来人」という言葉を定着させたことだと思います。それまでは「帰化人」で、「日本国に定住を許された人」という意味で、教科書などにも書かれていました。 

 秀吉の朝鮮侵略によって、連れて来られた陶工をはじめとする技術者は、強制連行です。
沈寿官さんの陶房では、明治まで朝鮮語を使っていたそうです。

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もぐら新聞をネット公開!\(^o^)/ 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月21日(火)23時32分52秒

赤色もぐら新聞主要ページをネット公開しました。
なお、印刷物としては3号までしか出ていませんが、
この間の問題
(1)スパイ宮崎を擁護する者への批判
(2)白井・角田両氏へのテロ襲撃への糾弾
(3)スリランカJVPについて
明らかにするために、急遽「赤色土竜新聞」4号・5号としてネット上でのみ公開しました。
パンフレットの形で公開するかどうかは未定です。

http://redmole.m78.com/news/contents.html
(トップページ http://redmole.m78.com からもはいっていけます)
これなんかどう?↓(@^^@)
http://redmole.m78.com/news/new005.html
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菊さんが、昔、好きや、言うてはった、 投稿者:臨夏  投稿日: 1月21日(火)21時09分25秒

司馬遼太郎の短編、「故郷忘じがたく候」の舞台、
薩摩ノ国、苗代川も、朝鮮人が、江戸期を通じて住んどったとこですね。
豊臣秀吉の朝鮮ノ陣での捕虜の子孫で、現日本人の陶工、沈寿官さんが有名ですね。

私も読みましたが、ええ話でした。
文春文庫『故郷忘じがたく候』より。

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高麗、狛江、調布.....。 投稿者:道草  投稿日: 1月21日(火)16時00分34秒

http://ns-kan.hp.infoseek.co.jp/diary/2002/0331/komanosato.htm
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~momos/komaefile/tamagawa.htm
http://member.nifty.ne.jp/k_harada/komaego/komaego.htm
http://www.ocv.ne.jp/~takebe-n/takebe/myhometown/myhometown_00_5.html
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/kantou
故ソビエト連邦の日本4カ国分割統治案がアメリカにけっぽられた(;;)<日本の戦後処理結果、アメリカの一元的保護下になることで、日本人の政治意識は骨抜きされ100年分は遅れたかも。

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Re:高麗(こま)人の国 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月21日(火)09時57分36秒

日本にも、いわゆる「在日朝鮮人社会」とは違った意味での
「高麗の里」というのがありましたね。
江戸時代以前からのものだったと思います。・・・いい加減な記憶ですけど。

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分断 投稿者:臨夏  投稿日: 1月21日(火)06時51分12秒

イレギュラーずさんご教示の、高麗人の記事、興味深かったです。

でもあえていえば、わたしは、
市民の方言を防衛するためにも、
戦後、東京人とはべつの国家を運営したかったです。

東京と同じ国やとロクなことがない。
2015年=大坂の陥落400年の年には、なんかイベントやりたいと思ています。

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昔話で 投稿者:イレギュラーず  投稿日: 1月21日(火)00時00分48秒

日本が、分断国家として戦後(太平洋戦争後ですよ!)出発してたら・・・こんなことが、昔子どもの頃言われていたような気がします。でも、ありえたのでしょうかね。今は亡き今野求さんにでもその辺を尋ねたら・・・
(歴史に疎いですね)。「〜たら」話ですみません。

私は、北日本に生活してますが、あの「吉里吉里人」には妙にワクワクしました。しかも偽書といわれる「東日流外三郡史」などは、なかなかどうしてリアリティ(思い込み?)があると昔は思いました。「つぼけ」―津軽出の元同志諸君は分かりますね?こちらには、アラハバキ神社なんかもありますし。

前置きが長くなりましたが、↓を書きたかっただけでした。
http://japanese.joins.com/html/2003/0119/20030119220854100.html

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世界は萌え萌え 投稿者:道草  投稿日: 1月20日(月)18時25分05秒

日本は...

http://search.news.yahoo.com/search/news?p=anti-war&c=news_photos

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アメリカのマスコミが報じた1.18行動参加者数 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月20日(月)10時05分23秒

アメリカ国内
[Washington]  Thousands (AP)
         Tens of thousands (Reuters)
         Tens of thousands (Washington Post) 警察10万 主催
者20万
         Thousands (New York Times)
         Tens of thousands (La. Times) 警察3万
[San Francisco] Thousands (Reuters)
[WashingtonとSan Franciscoで] 計10万 (Reuters)
[Portland Ore] Thousands (New York Times)
         Thousands (La. Times)
[Lansing MI]  several hundred (La. Times)
[Des Moines IA] More than 125 (La. Times)
[Indianapolis] 600 (La. Times)
[St. Augustine Fl] 200 (La. Times)
[Venice, Fl]  About 400 (La. Times)
[Tampa Fl]   About 500 (La. Times)
[Albuquerque NM] About 800 (La. Times)
[Lansing MI]  Several hundred (La. Times)
[Montpelier VT] About 3,000 (La. Times)
[Houston]    About 300 (La. Times)
[Orange County CA] About 300 (La. Times)
[Las Vegas]   200 (La. Times)

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イギリス [London近郊軍事基地] About 200 (Yahoo! News)
[Bradford] several thousand (Yahoo! News)

フランス  6,000(La. Times)

イタリア 2,000 (La. Times)

ドイツ  Hundreds (La. Times)

ニュージーランド  some 400 (AP)

オランダ [Volkel Air Force Base] 90 (La. Times)
[Rotterdam, Nijmegen and Leiden] Hundreds (La. Times)

スウエーデン About 5,000 (La. Times)

ノルウエー A few hundred (La. Times)

ロシア [Moscow]     Hundreds (AP)
         a few hundred (La. Times)

シリア [Damascus]    Tens of thousands (AP)
         Tens of thousands (Reuters)

エジプト [Cairo]     About 1,000 (Reuters)
         1,000 (La. Times)

レバノン [Beirut]     Thousands (Reuters)

パキスタン Hundreds (AP)
[Rawalpindi]   a few thousand (Reuters)

インド  Hundreds (La. Times)

香港  about 60 (AP)

(amlより)
http://www1.jca.apc.org/aml/200301/31780.html

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緊急声明の賛同のお願い 呼びかけ人 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月20日(月)09時36分03秒

○呼びかけ人(順不同・敬称略)
尾形憲(法政大学名誉教授)、樋口篤三(日本労働ペンクラブ会員)、生田あい(『検証 内ゲバ』PART2著者)、吉留昭弘(『検証 内ゲバ』PART2著者)、いいだもも(『検証 内ゲバ』PART2著者)、蔵田計成(『検証 内ゲバ』PART2著者)、西川享(『検証 内ゲバ』PART2著者)、渡辺一衛(思想の科学研究会会員)、すが秀実(文芸評論家)、津田道夫(評論家・「障害者の教育権を実現する会」事務局員)、来栖宗孝(著述業)、米沢泉美(トランスジェンダー)、片岡顕二(反戦自衛官)、藤尾靖之(反戦自衛官)、佐藤備三(反戦自衛官)、小西誠(社会批評社代表)、きさらぎやよい(編集者)、小林義也(ライター)、富永さとる(西東京市民)、松田健二(社会評論社)、早見慶子(イリオス代表)、noiz (Anarkiismo Informo Centro)、津村洋(『国際主義』編集会議IEG)、伊藤一(『国際主義』編集会議IEG)、山田宏(『国際主義』編集会議IEG)、中井一(大学院生)、北山峻(コム・ネット)、志摩玲介(社会主義研究者)、出口綾子(地球市民アカデミア二期生)、根田悟郎(法政大学生)、まっぺん(ネット掲示板「四トロ二次会」主宰)、井上はるお(『サイバーアクション著者』)、角田裕育(『キツネ目のスパイ宮崎学』著者)、黒目(共産趣味者)

●連絡先 東京都中野区大和町一―一二―一〇 且ミ会批評社気付
電話 〇三―三三一〇―〇六八一 ファクス 〇三―三三一〇―六五六一
shakai@mail3.alpha-net.ne.jp

以上の「共同声明」にご賛同してくださる方は、下記のようにお願いします(第一次集約を一月三一日、第二次 集約を二月一五日までに行いたいと思います)。

○ご氏名(団体の場合は団体名)
○肩書
★ご意見(コメントをお願いします)

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白井朗氏、角田富夫氏へのテロ襲撃を弾劾する緊急声明の賛同のお願い 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月20日(月)09時34分22秒

一、事実経過
 〇二年一二月一八日、埼玉県の白井朗氏宅に数人の男女が押し入り、白井氏を監禁、暴行するという事件が発生しました。白井氏は全身打撲、両腕脱臼、肋骨骨折、右足の骨損傷の重傷を負わされたため、執筆活動に重大な支障を来すこととなりました。また、同年一二月二五日には東京中野区の路上において角田富夫氏が二人組に突然襲われ、顔面を鈍器で殴打され、右目上裂傷、肋骨骨折の負傷をしました。
 両事件については現在のところまだ犯人は特定されていません。また、どこからも「犯行声明」は出されていません。しかし両氏とも、元革共同中核派に所属していたこと、また、白井氏は執筆活動によって現在も中核派を批判し続けており、一方角田氏は、公安調査庁スパイ宮崎学と中核派との関係に関し中核派を批判してきたことから、このふたつのテロ襲撃事件は関連している可能性が否定しきれません。

二、言論に対する暴力、民主主義の破壊を許しません
 私たちは、このような事件を引き起こした犯人たちに対し、強く抗議します。もちろん私たちは、白井氏・角田氏の思想・行動に必ずしも同調するものではありません。しかし、たとえどのような組織・集団に所属する人物に対しても、テロを行使する権利は誰にもありません。ましてや、現在は一市民として執筆・言論活動を行い、あるいは破防法や住基ネットなどに反対して活動する人々に対して、その言論や活動を圧殺するテロ行為は、許しがたい言論に対する暴力であり、市民運動とその発展を支える民主主義への重大な反対行為と考えます。
 たとえどのような思想・立場に立とうとも、このような卑劣な行動を計画し、実行するような組織・集団は、いかなる市民運動にも大衆的共同行動にも関わる資格はありません。このような組織・集団を私たちは到底許容できません。

三、テロ襲撃は誰を利するのでしょうか
 このテロ襲撃が誰を利するのかは、事件の直後に明らかとなっています。例をあげれば、警察は被害者・白井氏宅で当日二二時頃に不当な捜索を強行し、同年一二月二七日には元反戦自衛官でもあった小西氏の主宰する社会批評社へも不当な捜索が画策されました。これは小西氏の断固たる抗議により中止されたものの、同日、他の反戦自衛官たちの自宅にも次々と不当な捜索が強行されました。
 今回のテロ襲撃は、これらの反戦自衛官たちにはまったく関係ありません。にもかかわらず、白井・角田両氏へのテロ襲撃を口実として、警察権力はこれらの反戦自衛官たちにまで不当な介入を行い、情報収集を強行していったのです。このようなテロ襲撃は、反戦運動をはじめとする市民運動の破壊を目論む公安権力、ひいては侵略と戦争を行う勢力を利するものです。私たちは、このような権力の不当介入に強く抗議します。
 以上の趣旨から、私たちは全国のすべての心ある人々に、この「緊急声明」へ御賛同くださることを呼びかけます。
                 二〇〇三年一月一七日

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ヨーロッパ左翼運動の再生と新たな前進 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月20日(月)09時24分54秒

>>で、なんで(上)がないのでしょうか?(^-^;
「かけはし」新年号にありますよ〜。ここ↓
http://www.jrcl.net/web/frame030101f.html

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ラストの集会は人で溢れてましたね 投稿者:noiz  投稿日: 1月20日(月)03時09分35秒

赤旗持っている人けっこういたので&自分の持ち場であたふたしていたので(苦笑)、平和ボケさんにお会いすることはできませんでしたが、デモ(パレード)と集会にともに参加することができてよかったです。

写真をここに。
http://awn.ath.cx/report/20030118_tky_hibiya.html

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あふれるほどではないように見えまいしたが 投稿者:1.18集会実(・∀・)  投稿日: 1月20日(月)02時08分06秒

 主催者が用意した5000枚のプログラムは軽くはけました。小音コンサートからの参加者が
野音に全部到着する前に出発しなければならなかったので、それほど多く見えなかった方が
多かったようです。実際に7000はいたようです。

 警察の恣意的なカウントが4600で、警察発表は2000ということですが、あいかわらずですねえ。

 カンパ隊はNGOの若いボランティアの方々が多かったのです。まさに「はじまり」ですね。

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ブナ林にでてるよー。 投稿者:おすなば  投稿日: 1月19日(日)23時26分22秒

菊さん、平和ボケさんが、ブナ林便りにでてるよー。

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Re:ヨーロッパ左翼運動の再生と新たな前進(下) 投稿者:臨夏  投稿日: 1月19日(日)22時21分43秒

まっぺんさん、菊さん、だんなはん、皆様、ご苦労様です!!
遠い異国の地より、応援しております。

で、なんで(上)がないのでしょうか?(^-^;

ps,
あ、理解しました!原文が(下)なのですね、失礼しました(汗

これは、ええニュースばかりですねえ、
トロツキストこんなに増えたらええですね〜!

ついでにこれも!
http://j.people.ne.jp/2003/01/15/jp20030115_25206.html
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オジサン、流行らない赤旗かついで、ひさしぶりの日比谷へ 投稿者:平和ボケ  投稿日: 1月19日(日)21時13分35秒

 1・18、15年ぶり位(記憶が定かでない)に、日比谷公園の集会とデモに行ってきました。
 私の「全くの思いつきのよびかけ」に、二人も!参加してくれました。さらに、催促もしないのに、きちんと「これこれの事情によって行かれない。がんばって。また連絡下さい」というメールや電話が6件も!ありました。

 私の感想としては、白髪の年配の人が多いな、やはり、「アメリカの一方的な戦争」に、かつてべ平連を始めとする運動を担った人たちが、居ても立っても居られず駆けつけたのかな・・・という感じです。それにしても、日比谷野音にあふれるほど集まるとは思いませんでした。

 集会の運営や、カンパを集めていたのは、若い人たちで、菊さんと同じように「ほほえましく」感じました。オジサンたちは、大昔の経験から、もっとこうやった方がいいのにとか、カンパを集めるのに「あっちうろうろ、こっちうろうろ」では「集めてない所もでてきちゃうよ」とか、はらはらしていました。そういう意味でも、「はじまり」という感じがしました。

 かつての同志たちや、知り合いに何人も会いました。若々しい青年も、しっかり中年(白髪、中年太り)になっていました。(まっぺんさんの事ではありません!) 昔から苦労しつづけだったのかあまり変わってない人もいました。(菊さんの事ではありません!)
 私も、隊列から車道側にはみ出たときに、警察官に「だんなさん!!あぶないですよ」と言われてしまった。 「だんなさん!」か・・・
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盗聴法に反対する市民連絡会の声明 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月19日(日)19時04分56秒

角田富夫さん襲撃事件に関する声明
盗聴法に反対する市民連絡会

 私たちは盗聴法(犯罪捜査のための通信傍受法)に反対する市民のネットワークです。
 十二月二十五日、私たちのメンバーである角田富夫さんが、自宅近くの路上で何者かに襲撃され、重傷を負いました。私たちはこのような暴力を絶対に許せません。
 今回の凶行は、犯人グループが本人であることを確認してから襲ってきたこと、所持品を盗られるなどしていないことなどから、単なる物盗りや通り魔の犯行ではありません。日頃の角田さんの活動に対して、意見を異にする者による政治的目的の凶行であることは明らかです。
 私たちは、盗聴法という人権に関わる問題に取り組むグループですが、同時に平和を目指しすべての暴力に反対します。今回の凶行は、誠に許し難い卑劣な行為であるとともに、私たち平和を目指すすべての市民に対する挑戦だと考えます。このような凶行を許さないために、以下のような見解を表明します。
 1.暴力は、たとえどんな理由があろうと許されるものではありません。
 2.ことに、意見の相違を暴力で解決することは、あってはならないことです。私たちはそのような行為、考え方を容認することはできません。
 3.そして同時に、暴力によっては問題は何も解決しないこと、憎しみだけが残ることを、犯人グループに訴えたいと思います。
 4.様々な課題が山積する日本の市民運動の現状において、いまは立場の違いを乗り越え、ともに手を携えて取り組んでいく必要があります。今回の凶行は、そのような連携に水を差し、その努力を侮辱するもので、運動に対する妨害以外の何ものでもありません。
 私たちは上記のような立場から、今回の凶行を行った人々とは運動をともにすることはできません。今後も同様の凶行は断じて許されないということを、ここに表明いたします。

二〇〇二年十二月三十日

連絡先/日本消費者連盟 電話03-3711-7766、JCA-NET 電話070-5553-5495(小倉)、日本カトリック正義と平和協議会 電話03-5632-4444

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こころある人々から、次々とテロ襲撃への糾弾声明が出ています。
社会運動の大衆的拡がりを実現するためにも、テロ行為は根絶させなければならないと思います。
今後も様々な団体・個人から声明が発せられるでしょう。
ぜひ声明に支持・賛同し、広めていきましょう!\(^o^)/  まっぺん@内ゲバ研究員
http://www.jrcl.net/web/frame03120a.html

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「かけはし」のテロ糾弾声明つづき 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月19日(日)19時02分35秒

(3)われわれは、日本新左翼運動における「内ゲバ」の犯罪性を当初から指摘し、内ゲバを大衆運動の場から一掃することを一貫して主張してきた。とりわけ革マル派、中核派、解放派などによる殺人を自己目的化するまでに至った内ゲバのエスカレートが、どれだけ大衆運動の発展に打撃を与え、警察権力に弾圧の口実を与えるものであるかを厳しく批判し、内ゲバ党派を共同行動の対象とは見なさない立場を堅持してきた。
 われわれは、一九八四年、中核派の内ゲバ襲撃によって八人の同志が片足切断をふくむ重傷を負った時にも、大衆運動によって彼ら内ゲバ主義者を包囲し、糾弾する闘いを展開してきた。
 われわれは、中核派から離脱した白井、角田両氏が、かつて中核派の指導的幹部として内ゲバ襲撃のエスカレートに責任を負っていたことに対し、明確な態度表明や自己批判を行っていないことを批判する。白井氏や小西氏による中核派のスターリン主義や内ゲバ主義に対する批判は、重要で積極的な転換ではあるが、対革マル「内ゲバ戦争」との関係で、その思想的根拠に対する批判はいまだ限界を持ったものである。しかしそのことによって、今回の白井、角田両氏に対するテロ襲撃を労働者・市民運動、ならびに革命をめざす闘いに対する敵対以外のなにものでもないとして厳しく批判するわれわれの立場は、なんら変わるものではない。
 中核派は、自らが「反革命」として「粉砕」の対象に挙げていた白井、角田両氏へのテロ襲撃に自ら関与しているのかいないのか、はっきりとした形で表明すべきである。そしてもし関与していないと主張するのであれば、この暴挙に対してどのような態度をとるのか、機関紙上ではっきりと表明すべきである。
 われわれは白井、角田両氏へのテロ襲撃を断固として糾弾するとともに、この犯罪を実行した組織を大衆運動、共同行動の場から排除するために闘う。スターリン主義そのものに他ならない内ゲバ主義の一切の表現と闘い、それを一掃することに労働者・市民の未来がかかっているのである。
 同時にわれわれは、今回の事件をも契機とした警察権力による大衆闘争への弾圧・介入の拡大に対して、あらためて警戒を強めることをすべての人びとに呼びかけるものである。(二〇〇三年一月)

http://www.jrcl.net/web/frame03120a.html

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「かけはし」のテロ糾弾声明 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月19日(日)19時01分33秒

元中核派幹部・白井朗氏と角田富夫氏へのテロ襲撃を糾弾する(かけはし2003.1.20号)

(1)昨年十二月十八日、中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)の元政治局員で、一九五九年の革共同全国委員会創設以来の指導部だった白井朗氏の自宅(埼玉県春日部市)に、数名の者が押し入って白井氏を襲撃し、白井氏に全身打撲、両腕脱臼、肋骨骨折、右足骨損傷などの重傷を負わせた。
 それから一週間後の十二月二十五日には、同じく中核派の元幹部で、中核派を離脱して盗聴法や住基ネットに反対する市民運動を担っていた角田富夫氏が、自宅近くの東京都中野区の路上で襲撃され、右目上裂傷、肋骨骨折などの重傷を負うという事件が発生した。 白井朗氏は、この間、自らが指導してきた中核派のスターリン主義そのものの実態を批判する執筆活動を続けていた。中核派は二〇〇一年に開催したと称する「第六回全国大会」特別決議で白井氏を「革共同から逃亡した反革命」と規定し、その「断固たる粉砕」を呼号していた。実際、白井氏は二〇〇一年一月に何者かによって自宅に放火されるというテロ襲撃を受けている。
 角田富夫氏は、公安調査庁のスパイとして活動してきた宮崎学を中核派が利用し、自らの組織情報を握られてきた問題を、中核派が隠蔽し、あいまいなままにしてきたことについて明らかにする言論活動を行ってきた。中核派は角田氏についても、小西誠氏らとともに「政治警察・公調およびスパイ三島(弁護士の三島浩司)と同じ立場に移行」し、「革命党に敵対する反革命の共同戦線をつくる役割を果たしている」(「前進」02年3月4日号、「反軍闘争に敵対し反階級的転向分子に転落した小西誠」)と主張していた。

(2)この許すことのできない卑劣きわまる犯罪が何者によってなされたのかについては、いまだ推測の域を出ない。「犯行声明」も出されてはいない。しかしわれわれは、この白井氏、角田氏へのテロ襲撃が同一の政治的目的を持った一連の行為であると断定せざるをえない。
 国家権力・警察当局は、被害者である白井、角田両氏の自宅を不当に家宅捜索し、住所録、書籍、フロッピーなどを押収していった。また小西誠氏の声明によれば、この襲撃事件とはなんの関係もない小西誠氏が経営する(株)社会批評社や、小西氏とともに活動している反軍兵士の自宅にも家宅捜索に押しかけ、社会批評社への捜索は小西氏の抗議によって断念したものの、反軍兵士の自宅については捜索を強行して書籍を押収した、という。
 この点から見ても、今回のテロ襲撃が、労働者・市民運動に対する警察権力の介入と弾圧の口実を与える反動的な犯罪行為であることは明白である。
 十二月三十日、盗聴法に反対する市民連絡会は、同連絡会のメンバーである角田氏襲撃についての声明を出した。同声明は「今回の凶行は、誠に許し難い卑劣な行為であるとともに、私たち平和を目指すすべての市民に対する挑戦だと考えます」と述べるとともに、「今回の凶行を行った人々とは運動をともにすることをできません」とする断固たる立場を表明している。われわれは、盗聴法に反対する市民連絡会の声明を支持する。

http://www.jrcl.net/web/frame03120a.html

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ヨーロッパ左翼運動の再生と新たな前進(下) 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月19日(日)16時44分03秒

「かけはし」記事から。元気が出る記事です。が、日本との落差を感じる記事でもある。

●一度に千人が入党

昨年の大統領選挙闘争において反ルペン全国デモを組織したLCRは闘争のあと、1000人のメンバーが新しく入党してきたそうです。「日本支部」が一度に10個くらいできたようなものかな?(日本トロツキストが100人くらいとすればね。^^;;)

●帝国主義論争

ダニエル・ベンサイドは「非常に広範な左翼の間で、この二十年間、帝国主義という概念が消えてしまった。ソ連邦が崩壊するとともに、それと同時に帝国主義という考えも消えてしまった。」と言っています。レーニンの時代の古典的な意味での「帝国主義」の疑念は崩壊してきたわけですが、果たして「帝国主義」そのものが消滅したのか? 今後考えていくべき戦略との関係で分析してゆくべき問題であると言っています。

●左翼のネットワークの強化

今後ヨーロッパの幾つかの国で雑誌のネットワークをつくり、左翼の政治討論を深化させようと考えているそうです。イギリスSWPは大きな影響力をもつ組織で、この組織とさらに協力関係を強化していくと言っている。新生第四インターナショナルとして統一を目指すのかな? 15回世界大会はそろそろあるだろうし、結果を待ちましょう。

今回の「かけはし」で中国の労働運動の状況が出ています。争議は急増しています。
8Pの韓国の記事、「労働者の力」ってどういう党派かな?

http://www.jrcl.net/web/frame03120f.html

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日比谷に数千人が結集! 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月19日(日)16時16分41秒

昨日の国際的反戦共同行動に参加のみなさん、お疲れさまでした。
テレビのニュースではアメリカなど世界各国で「同時多発」に催されたデ
モ行進は報道されていましたが
日本での行動はほとんど紹介されていませんでしたね。
大衆が力を持つことを 日本のマスコミは恐れているんじゃないでしょうか?
今後も続く大衆行動に注目しましょう!\(^o^)/

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日比谷の集会とデモ 投稿者:菊  投稿日: 1月19日(日)10時44分18秒

きのうの集会とデモ。新聞発表は7000人(東京)。まあ、そんな感じではないでしょうか。

若い人や外国人の方も目に付きました。デモコースは日比谷公園から西に少し行って、新橋土橋、数寄屋橋交差点から、新橋に戻るという、休日は人のあまりいないコースだったのですが、途中のビルの窓を開けて、手書きのプラカードでデモ隊に手を振る若い女性がいました。

昔(今を去る30年ほど前)べ平連のデモの解散地点が四谷だった時に、雪印乳業の本社ビルから必ずと言っていいほど、手を振る人がいたことを思い出しました。

「デモ」ではない、「パレード」だということなので、僕はアピールするためのプラカードを作って持っていきました。ホントに我ながら情けない位やることがお手軽なのですが、イラクへの戦争はアメリカの石油利権や経済のグローバリズムと密接にリンクしているので、↓の漫画をA3にコピーして下に「奴らを通すな!」と入れ、裏は段ボールでとめました。

http://www.zmag.org/cartoons/by_artist.cfm?artist=19

「お、奴らを通すな!か。スペイン革命だな」「第7旅団の歌でも歌うか」と久しぶりにあった某サイトの管理人(笑)がいうので、「去年パレスチナのアラファト議長官邸に『人間の盾』として入った人たちに、アラファト側近が感動して言ったらしいよ」 とこの間、読んだばかりの本の話をしながら、一緒に歩きました。

今朝「ブナ林便り」をみたら、昨日のデモの様子をインターネットのムービーにアップロードしている人がいます。日本山妙法寺のうちわ太鼓を天理教(?)と勘違いしているくらいなので、きっと若い方なのでしょうね。ほほえましいというか、何というか。
http://nvc.halsnet.com/jhattori/green-net/StopWar/gather/index.htm

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今、イラクで 投稿者:AIT久我山支部(準)  投稿日: 1月19日(日)02時11分02秒

 アイランダーさんのところに詳細が出ています。注目!

http://www80.tcup.com/8003/hayapro.html

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NSSPからの手紙(2) 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月15日(水)22時20分27秒

●(NSSPの指導者がJVPメンバーのリストを保持し、警察や軍隊のオフィスに自由に出入りするライセンスをUNP政府から貰っていたということについて)――全くのウソです。事実は、警察はわれわれを親JVPと見なしていたのです! しかし警察はそれを「立証」できませんでした。なぜなら、われわれはタミール人の市民権と地域的自治を防衛していたからです。DJVはそれに反対していました。そしてDJVはタミール人のこうした権利を防衛しているという理由でわれわれを殺害したからです。

●(スリランカの各県に設置された“キリングポスト”にNSSPも参加した「人民革命軍」(PRRA)の事務所があり、そこで多くの人々が拷問を受け虐殺されたということについて)――PRRAは政府の秘密警察によって創設された組織であり、S・シルバという名の男が指導していました。われわれはこの組織を政府の道具だとして非難しました。この組織の実態を暴露した政党はわれわれだけでした。
 PRRAはわれわれを脅かし、われわれの新聞に攻撃をかけました。私はPRRAから個人的脅しを受けました。彼らは私を抹殺しようとしましたが、われわれは彼らに反対するキャンペーンを中止しませんでした。こうしたことにもかかわらず、われわれがPRRAの一員だったと主張するのはまったくとんでもないことです。

●(虐殺の主な下手人は、軍というよりはむしろPRRAだったということについて)――PRRAは一部では軍が設立したものであり、また国家機構が、プレマダサの「全政党会議」(APC)に参加するすべての野党の支援を得て設立した「オペレーション・コンバイン」(連合作戦)の一部でありました。われわれはAPCに参加しなかった唯一の政党であり、われわれは「オペレーション・コンバイン」を非難しました。

●(NSSPは、JVPの弾圧でUNPと協力したということについて)――われわれは人権侵害に反対する運動において親JVP勢力と協力しました。われわれはウィジェウエラ(JVPの創設者)やパマナヤケの殺害を批判した唯一の政党でした。
 もしわれわれが弾圧に協力したというのなら、弾圧後初めての彼らの大会での唯一のゲストスピーカーが私だったのはなぜかという簡単な質問を投げかけるだけで十分でしょう。別便で、関連する文書類を送ります。
1996年8月28日 パフ NSSP政治局

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NSSPからの手紙(1) 投稿者:まっぺん  投稿日: 1月15日(水)22時19分26秒

>NSSPからの手紙にもあるように
と書きながら、それを紹介してませんでしたね。今から7年前、ワーカーズから、スリランカのトロツキストがJVP弾圧に荷担したかのような批判が出され、それへの反論とセイロンNSSPからの手紙が「かけはし」に掲載されました。以下は、その手紙で、「かけはし」1996年9月9日号に掲載されたものです。

 同志の皆さんへ。
 JVPは皆さんが言及しているようなNSSPに対する批判を1990年には行っていましたが、彼らはその批判を撤回し、弾圧後に行われた最初の会議である1995年の彼らの党大会にわれわれを招待したのです。われわれはこうした形で招待された唯一の政党でした。私は友好的なゲストとしてこの会議で発言しました。こうしてわれわれの正当性は明白になったのです。最近では、われわれはJVPとの多くの共同行動に参加してきました。そして彼らは、われわれに共同戦線に参加するよう呼びかけました。われわれは彼らがシンハラ拝外主義者にも呼びかけたので、この呼びかけを拒否しました。
 これらすべては、われわれに対する彼らの非難がデタラメであったことを彼らがおおやけに認めたことを示しています。しかしプチブル組織である彼らは、人々をあざむいたままにしておくために、陰でこそこそと皆さんが紹介したような中傷に訴えています。
 JVPがシンハラ人仏教徒の人種差別主義グループとともにDJVを形成し、タミール人の権利を擁護するすべての人々に反対するキャンペーンを行ったというのが事実です。JVPの指導者は、権力掌握後に彼らの虐殺者となったUNP(統一国民党)の指導者であるプレマサダと、この戦線組織で共
に活動していたことを認めました。この弾圧に反対したのはわれわれだったのです。
 以下、提起された非難について一つ一つ答えていきましょう。

●(武装したNSSPの学生が大学のキャンパスでJVPメンバーを捜索していた、ということについて)――全くのウソです。われわれは親JVPの学生に対する弾圧に反対しました。しおしてわれわれは、DJVがわれわれの同志24人を殺害し、私自身もひん死の重傷を負わされたという事実にもかかわらず、反弾圧の運動を行ったのです。彼らがわれわれを襲撃したのは、タミール人の平等、自治、民族自決権の立場にわれわれが立っていたからなのです。

●(逮捕された多くの青年の中からJVPのメンバーを面割りする仕事をNSSP党員が行っていたということについて)――全くのウソです。われわれは軍事弾圧に反対するキャンペーンを行っていました。1988/89年の弾圧の後で、最初にアムネスティー・インターナショナルにその弾圧の実態報告を書いたのは私でした。そしてわれわれは、行方不明になった人々の家族たちの組織を出発させました。このキャンペーンのために。軍隊によってわれわれのメンバー2人の生命が奪われました。
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