四トロ同窓会二次会 2003年8月18日〜19日
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続き 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月19日(火)20時09分12秒
だから、前に例に出した中国労農紅軍参加者元日本兵さんの言うとおり、多くの日本人は前の
戦争がアジア解放の大義があると考えていたけど、それを 軍部をはじめとする支配者は大義
を歪曲し、欺瞞的に利用した。だから、支配者の欺瞞を批判することこそ、英霊に応える道で
はないでしょうか。それでこそ、志士らの大義は命脈を保ち得ると思います。そして、残念だ
けど、今段階では、右思想を標榜する方々でその声は、聞こえないほど小さい(´・ω・`)ショボーン。
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義様へ2 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月19日(火)19時34分23秒
小生は、道義が歪曲され、欺瞞的に利用されたと考えております。ある高名な哲学者がこんな
ことを記されております。「私は、昭和のはじめに将校らが講演で『日本は国土に比べて人口
が多すぎる、だから自ら食うために満州を支配しなければならない』と言うのを聞いた。これ
は、恐るべきことである。なぜならば、自分が生きるためには他人を追い払い、略奪するのを
是とする考えだからだ。」
彼は終戦後、この将校らの発言が、公式には残っていないけれども、日本中で喧伝されていた
ようだ、と記しております。
アジアと手を携えるという道義が、自分の国(と国民)のことしか考えないものに変質して、
それさえも道義であるとすれば、我々日本人のもっていた道義とは何であったか? と捉える
感性がなければ、アジアの民衆は納得しないでしょう。とはいえ、じゃあ日本人はいかに食べ
るべきであったか、という課題は残るわけですけど。
勿論、この刃は日本にだけでなく、オランダ・フランス・イギリス・アメリカにも向けられて
います。(マハティールは日本政府(細川政権?)がアジアに(言葉だけですが)謝罪するの
を聞いて、オランダとかは謝罪せんな〜、と言ったとか。見るべきことは見ていますよ。ご安
心を。)
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そして、指導(支配)者とは? 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月19日(火)19時23分47秒
ある種の物質的基礎・諸関係に基づいた意識にしたがって指導(支配)者は社会を導きます。
だが、この基礎の上であっても、様々な選択が可能なことまでは否定できません。先の明治〜
大正の歴史の場合、東洋の片隅で帝国列強に恐怖しつつ開国した日本の指導部が、初期におい
ては中国などが国力を付け、威信を回復しなければアジア全体の植民地支配は終わらない、と
構想してました。そして、そういう意識は多くの志士らによっても共有されています。
だが、貴腐さんがおっしゃるとおり、日本は徐々に資本主義国として成長し、後発帝国主義と
して現れます。確かに、「存在が意識を規定する」という一方通行的に見たら、日本がアジア
を蹂躙したのは必然であるように見えます。そして、それが化石的マルクス主義的見解である
と思います。
だが、実際は、指導部ってのは、下のロシア指導部的踏み外しが可能な権限(結果は問わない)
があり、様々な選択肢が転がっているわけです。孫文の例を出しましたが多くの「日本帝国主義
指導部」の中にも、孫文の同志がいたんですよ。結果的に押さえつけられたわけですけど、決し
て少数あるいはエスタブリッシュメント内弱者だけではないです。
日本が、目先の権益に汲々することなく、本気で中国や朝鮮と手を携える道を選んだら、また歴史
が変わっていたであろうと考える理由(そして、アジア主義への夢想の根拠)がここにあります。
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で、元に戻って 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月19日(火)18時58分11秒
下部構造が上部構造を規定するという命題一般は正しいけど、二つほど突っ込みを。
人間の意識が「作りえる社会」を構想し、そして作る、という意識、理性に従う社会、かような
考えが支配的であった啓蒙主義の時代、「上部構造(意識)が下部構造(存在)を規定する」と
いう意気込みがあったと思います。だが、あれやこれやの理想がその通り実現しない、様々な
制約があることが自覚されるわけです。マルクスは、経済学批判序言の有名な文言「物質的生
活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。人間の意識が彼らの
存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。」と喝破
するわけですが、だが、これは歴史的文脈で読まなければならないと思います。マルクスの言は
それまでの理想主義の意図的なひっくり返しであり、断じて「意識が存在を規定することはない」
とは申しておりません。
また、ロシア革命に関する、悲惨な例もこの辺を考えるのに良い題材であると思います。当時、
マルクス主義者の多くは「存在が意識を規定する」を一方通行的に考えていたためかどうか知り
ませんが、ボリシェヴィキはマルクスの資本論第一巻に記したことに依拠して(と思う)、
「市場があるから市場に従う意識があり、それが資本主義的矛盾を生む、ならば市場をなくして
しまえば、それに従った社会主義・共産主義的意識が発生する」と考え、市場の廃絶、私有財産
の廃止をもくろみました。だが、これが齎した結果がいかに悲惨なことかは、宮地さんのサイト
などに明らかでしょう。
レーニンは、晩年、市場における意識を「幾百億回となく刻印されたもの」であり、容易には
改められない、と記しております。そして、ネップへと移行するわけです。
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その正統とやらはエンゲルスによって否定されています(笑) 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月19日(火)18時44分24秒
貴腐さんへ。ちょっと呆れました。
掲題の根拠は、「フランスにおける階級闘争」。
奇襲の時代、無自覚な大衆の先頭にたった自覚した少数者が遂行した革命の時代は過ぎさった。社会組織の完全な改革ということになれば、大衆自身がその改革に加わり、彼ら自身が、なにが問題になっているか、なんのために彼らは肉体と生命をささげて行動するのかを、すでに理解していなければならない。
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何だか 投稿者:しまだ 投稿日: 8月19日(火)18時10分11秒
義さんのいう歴史認識とは、有罪でも無罪だという弁護士(の美学)みた
いです。
大事なのは、真実ではなくて評価の「結果」なんですね。違いますか?
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問題は、義さんの歴史認識の態度です 投稿者:しまだ 投稿日: 8月19日(火)17時56分47秒
義様、あなたは私が何を批判しているかご存じでしょう。その国の人間であるからといって、その国の歴史を道義あるものとして見たいということについて批判しているのです。
私のあなたへの批判が当たっているなら、あなたの歴史認識は聞くまでもないということを始めに申し上げているのです。
あなたが「美学」とされるあなたの歴史認識の態度は、ものごとを素直に見る者にとっては不純ではないのですか?
そういう歴史認識を聞いて何の意味があるのでしょうか。一面的で都合のよいことしか宣伝しない、うさんくさい商品の宣伝を聞かされるようなものです。
そこまでしないと、日本は評価されないのですか。日本人として悲しいです。
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日本に道義はあったか? 投稿者:まっぺん 投稿日: 8月19日(火)17時32分00秒
あまりにも論者のバランスが片寄っていて、義さんの方が大変だと思うの
ですが、イラク戦争の事についてちょっとだけ書かせてください。
イラク戦争について、アメリカに道義があったとは思わない点で、私も義さんと同意見です。でも「ゆえに敗者である日本に道義があった」とは結び付かないと思います。イラクに「道義」はあったのでしょうか? イラクへの侵略には反対しますが、クウェートを侵略したイラクにも道義はないと思います。同じく中国を侵略した日本にも道義があるとは思いません。私は自分が日本人であることを他民族への侵害正当化の理由にはしたくないと思っています。
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道義! 投稿者:義 投稿日: 8月19日(火)16時59分16秒
>しまだ様 結局議題を挙げる事なく、別の議論になってますね…いつのまにか(笑)
戦争を遂行するにあたっては、国家は国民に戦争の「道義性」を示す必要があります。
そうしなければ、軍隊の士気は落ち、また国民の大反対にあってしまう事
になり、有利に戦争を進めていく事は出来ません。勝負をするからにはそれなりの「覚悟」が必要だとも言えます。
それゆえに、日本は東亜新秩序・大東亜共栄圏・八紘一宇のお題目を掲
げ、国民と兵を納得させました。(無論これは国民と兵に「強要」した、とも言えます)
国民はその道義性を信じ、息子を兵隊に遣ることも厭わなかった。
戦後それらの国民の痛々しいまでの「挙国一致」の行動は、すべて「軍部にだまされていた」
という事になりました。
私が言いたいのは、敗戦によって、皆信じて戦っていたはずの、
戦争の「道義」まで、日本人は奪われねばならなかったのか。ということ。
勝者がすべてで、敗者には一片の正義もなかったのか。ということ。
米国にも正義はあったでしょう。原爆投下を「戦争を終わらせるための手段だった」と言って
開き直っているのですから。それをアメリカ人が信じて疑わないのならば、まだ良いが、
日本人までもがあの非人道的大量虐殺行為を「戦争を終わらしてくださった手段」と信じる
ことは出来ないのが普通ではないでしょうか。
今度のイラク戦争でも、米国に道義があったとは思えません。
ゆえに、敗者である日本の戦争にも道義はあったと、
日本人である自分はそう思う、と私は言っています。
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私的小ルポ 投稿者:noiz 投稿日: 8月19日(火)15時45分11秒
平和遺族会のような直接の遺族でもない人間が8・15に一民間宗教になぜ(疑似的な)国事行為が行われなければならないのだと、正午近くにヤスクニに抗議(まったく何とやぶれかぶれの非暴力カンパニア行動であることよ)に行ってもやはり、反撃してこないことを見越して、右翼暴力団による、ぶん殴る・蹴る・沿道の固形物をぶん投げてよこす、傘で殴る/突く(今年は雨ふってたから。ささって死んだらどうするつもりなのか…)というまさに直接的な暴力が発動されます。今のところ道具は見ていませんが、沿道のモノは手当り次第利用されている。
今年は口の中切った。ひじ付近も裂傷。両方とも暴力右翼の傘にやられました。なかには「おるぁ皇道派だからよぉー、おら何とか言えやー国賊どもがぁ」とか吠えてる人もいたけどね。
今年の8・15抗議行動の結果、負傷したのは多数。
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M2さんは、「人が弔意を表しているのを妨害するのは許し難い。」ということをあげておられますが、その「弔意」が国意に絡めとられているわけで(何せ公人が公人として参拝するわけですからね)、
>半島系の方々のシンポジウムで街宣車が周りを取り囲もうが
>辻元清美氏の事務所の前が右翼に占拠されようが
>直接的暴力を伴わない政治的な行動は他者への妨害を伴おうとも
>すべて正当であると判断していると解釈いたします。
というのは、論理の飛躍があって到底受け入れられるものではありません。そもそも比較する対称が非対称であり、双方に対して非常な非礼ではありませんか? その「半島系の方々のシンポジウム」は日本国家によって動員されたものなのですか? またここでなぜ「辻元清美氏の事務所」が比較類として持ち出されるのかが理解できません。
他の人は知りませんが、ぼくは弔意一般を否定しません。ぼくは無宗教ですが、近しい人が死ねば悲しみ、欠落感を抱きます。多くの人がそのために通過儀礼(葬式や埋葬、追忌など)を用意することも理解します。私人としてそれを行うのにそれは何の不都合もないと考えます。
しかしぼくはやはり、弔意を政治動員して国家的追悼行事のなかに組み込む構造的暴力を問題にします。ぼくが○○神社の氏子だとして、その神社で祭祀が行われるとき、公費を使って公人に参拝されたなら、やはり異様な感を持つのではないかと、やや皮相な推測を持ちます。私的な信仰の領域になぜ国家ないし公的政治権力が介入してこなければならないのか。やっかいなのは、私人の死を弔うことが、同時に「兵士としての死=公的な死」として国家がこれを補遺しようとする構造が靖国での追悼という儀礼のなかに存在しているからです。近しいものの死を悲しむ感情が、私的なものとして完遂させられない──、個の弔意が簒奪され集合的意識として措定される形態に国家が介入しているからこそ、問題にするわけです。
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ところでミギな皆様へ 投稿者:黒目 投稿日: 8月19日(火)15時29分16秒
前からいっぺん聞いてみたかったんですが、この件についてどういう感想を持たれるのでしょう?
<原爆投下機>復元されたエノラ・ゲイを公開
【ワシントン河野俊史】完全復元された広島への原爆投下機「エノラ・
ゲイ」が18日、ワシントン郊外に建設された米スミソニアン航空宇宙博物館の別館で報道関係者に公開された。1960年に解体されて以来、43年ぶりに元の姿を現したB29爆撃機は、12月15日にオープン予定の同館の中心的な展示物となる。
(中略)
95年の特別展は当初、広島や長崎の被害実態を同時に伝える「原爆展」として企画された。しかし、退役軍人団体や米議会から「米国が加害者であるかのような印象を与える」と激しい批判が起き、エノラ・ゲイの歴史と復元作業だけに焦点を当てた展示に切り替えられた経緯がある。
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もちろんこれは、「原爆投下は正しかった」(甚だしきは「原爆投下はなかった」)てなアメリカ右翼の運動の成果である訳ですが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030819-00001029-mai-int
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ちゅーか、 投稿者:黒目 投稿日: 8月19日(火)15時00分39秒
いつ頃からでしたかね、平和遺族会の隊列に右翼が襲撃加えるようになったのって。
これはかなり高齢者の運動であるわけですが、それを右翼が暴行を加えるわけですな。
戦没者遺族を襲撃する右翼って一体なんなんでしょうね。
「あれはヤクザだから」ではすまない問題であると思いますが。
死者に弔意を表する事はみなが行う訳です。そこで、「死者は国のために死んだのだ」というイデオロギー、これは私が示したように全く虚妄の作り話である訳ですが、その虚妄を受け入れる事の出来ないものは襲撃の対象となる、これが靖国神社というシステムであり、あのコスプレイヤーズもこのシステムの一部である訳です。
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M2さん 投稿者:黒目 投稿日: 8月19日(火)13時26分23秒
>直接的暴力を伴わない政治的な行動は他者への妨害を伴おうとも
>すべて正当であると判断していると解釈いたします。
私は既に、数度にわたって「直接暴力を伴った政治的な行動」の被害を被っているわけですが、今更改めて聞かれましても、全く苦笑せざるをえないのです。
実に、この10年ほどの傾向だと思いますが、「お前達は『反日』だ」などと言ってくる人に関しては、私の友人達のなかでは怪我人続出、会場破壊されまくりなんであって、これは「架空の問い」である。
また、
>半島系の方々のシンポジウムで街宣車が周りを取り囲もうが
私はここでは一貫して「日本人」としての主体を明らかにして書いてきたと思いますが、この「半島系の方々」というのはなんなのか?
私が朝鮮人の運動に責任を持てない主体である事は説明するまでもない事だと思いますが。
また、あなたが信仰する靖国神社が、遺族になんの断りもなく、多くの日本兵として死んだ植民地出身者の兵を合祀しているという事を踏まえた上でこれを言っておられるのですか?
いちいち引き合いに出してなんですが、オウム真理教が弁護士一家を殺害した際に、教祖は「ポアされてよかったね」と言ったと言われています。つまり、この弁護士一家の死を、彼らの教義の中に位置づける事で、この死を合理化したわけです。で、これは殺人であり、その殺人の責任は当然、倫理的に問われるのが普通の社会である訳ですが、その教義の中で合理化する事で、殺人という行為に対する倫理的責任というものを消し去ってしまった。
靖国神社で行われている、本人や遺族になんの了承をも得ないで「神」として祭るという行為は、このオウム真理教に於ける殺人の合理化となんらかわりはない。そもそも、「英霊として死ぬ事」自体を拒絶できなかった、という前提は自明である訳ですし、その事の責任が誰にあるかも自明である訳です。
戦死者を神として祭るという行為そのものが、その倫理的責任を消滅させるために行われている行為であり、であるからこそ、その倫理的責任を消滅させようとする政治家にとって、靖国に参拝する事が大きく位置付く訳です。
私は、その倫理的責任を消滅させようとする運動に、戦死者が利用されているという事態が全く許せない事である、と考えている訳です。
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M2様 投稿者:野次馬 投稿日: 8月19日(火)13時12分31秒
>その親族の意志とは無関係に成立する可能性は
どのような宗教であれあり得る事態ではないでしょうか。
どのような宗教であれ(靖国神社を唯一の例外として)
国(この場合は厚生省)が作成したリストをもとに
信仰の対象を選ぶところはありえないでしょう。
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M2様 投稿者:野次馬 投稿日: 8月19日(火)12時50分57秒
たしかに、靖国神社は現在は宗教法人ですが、
>宗教施設での参拝者
とありますが、靖国神社=宗教施設という理解でよろしいのですね?
それだったら、特定の宗教施設に、内閣総理大臣やら東京都知事などが公費を使って肩入れするのはどう考えても憲法違反ではありませんか?これらの違法行為に抗議するのはあまりにもあたりまえのことではありませんか?
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補足 投稿者:noiz 投稿日: 8月19日(火)12時44分29秒
このかんの書込みのなかで、他宗教の外来がありながらも、「神道の固有性」が残されたのだとして、それを伝統として数えられるとするものがありましたが(誤読でしたらすみません)、神道を一つの宗教として見ることにどだい無理がありはしないでしょうか。いや、明治以前の話ですよ。
たとえば、紀州においては神仏習合が独自の形成を遂げたことはよく知られています。伊勢信仰も一つの信仰形態をつくりあげてきましたが、紀州熊野のそれは仏教だけではなく山岳信仰をも習合しています。
また大和朝廷自身も、朝廷お抱えの神道のなかに陰陽五行などの道(タオイズム)系のものの考え方を取り入れたり(土御門家の役割を見よ)、あるいは得度して自ら出家したりするなどの、ある意味「自由」な信仰実践を行ってきた歴史があるのも皆さんよくご存知でしょう。
それが、明治政変以後に、急激に「改められた」、ということを言いたいのです。明治以来の伝統など、たかが百ン十年の話、それを伝統と解釈するかどうか、それは色んな立場や意見があるだろうなと。
また、一口に神道と言えど、その雑多性を見たうえでその歴史を把握しなければ、かくあれかしという森ばかり見て、実態としての木を見ないというオチがつくことになります。
たとえば、いわゆる皇統とは微妙な関係と齟齬を持つ伝統を誇る社さえあること。こうしたことを踏まえたうえで、いかようにして国家神道が成立し、敗戦後またもとのとおりに「神社が国家から解放された」のかを眺めてみなければ、とても「神道の伝統」についてなど言えますまい。明治以前は、神道は国家に管理されておらず、むしろ比較的自由にその宗教活動を行っていました。それが国家神道の形成過程において厳しい管理統制のもとに置かれることになったのです。つまり、敗戦によって旧来に復する皮肉の歴史が神道にはあったというわけです。(神社新報や神社本庁(庁と自称していますがこれは公的機関ではなく民間宗教団体)がこうした見方を肯定するかどうかは分かりませんが)
「神社にも色々あるんだ」という例としては、もちろん政治的には屈服した歴史を持っていますが、たとえば大国主を祭っている出雲大社。やはり独自の教義と信仰体系をつくりあげています。しかし、大国主を「だいこくさま(大黒様)」として祭り、独自の宗教組織として布教活動も行っていた出雲大社−出雲大社教会(現・出雲大社教)は、明治政府の神道系宗教施設を国家の管理統合におく政策よって、その活動を制限されています。出雲大社は神官教導職分離令によって、その布教組織を社から独立させられた。etc
まあいちいち調べていったら膨大な数の記録にあたることになるので、それは個人の手にあまるので置くとしますが、たとえばそういう例もあると引きながら、神道は雑多であったのだと主張してみる書き込みでした。
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M2様 投稿者:野次馬 投稿日: 8月19日(火)12時39分03秒
十字軍については、少なくともカトリック教会は反省しているようです。
googleでうまく検索できなかったので、これに関連した投稿をリンクしておきます。
http://www.kh.rim.or.jp/~tsunobue/note/alliance/a00124.html
http://home.att.ne.jp/wood/aztak/untiku/itan.html
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ヤスクニが伝統ねえ 投稿者:noiz 投稿日: 8月19日(火)12時31分32秒
いやはや、言われるところの皇統はいざしらず、ヤスクニの歴史は浅い。伝統等と称揚するにあたいするほどの歴史があるのか? 明治政変以後の国家神道によってつくられたものですね。野次馬さんが指摘されたとおり、ヤスクニにありようはむしろ伝来の「様々な神道」と比し、抜きん出て国家宗教的であったと言えないでしょうか?(戦後はまた別個に見ていかなければなりませんが)
神道には、社によってはそれぞれの教義というか、信仰の体系を持っていますよ。祭られている神にもよりますがね。
神道の雑多な性質を、近代天皇制による国家づくりにそぐわないとして行われたのが、「はいぶつきしゃく」であり、「じんじゃごうし」です。近代天皇制は村々の「古い信仰」を支える環境を自ら強権的に破壊しています。1900年過ぎたあたりからの、神社の数の転変を調べればそれはよく分かります。一村一社の強制などという、古来の村落自治の気風の観点からして非常に「バカ」げたことがなぜ必要だったのか。「一民間宗教としても」存在していた、雑多性を誇る神道を国家宗教として強力に統合する必要を明治以後の天皇制が必要としたからでしょう。下からよりも、整理統合された上からの信仰自治(自治というと語義矛盾ですが)を近代天皇制/国家神道が欲したからとも言えるのではないでしょうか。
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遅レス 投稿者:M2 投稿日: 8月19日(火)12時04分25秒
義さんを中心に議論が進んでいるようですね。
遅くなりましたが私の意見に対して書かれたと思う内容についての意見です。
私の意見は、宗教施設での参拝者の参拝を妨害・威嚇するような行動は
左右を問わずやめてほしいというものでした。
黒目さんの言われる敵側の論理のうち
「英霊に首を垂れないのは非国民である。」
「英霊の死を犬死にだなどというのは許せない」
「人が弔意を表しているのを妨害するのは許し難い。」
3点のうち上2点は個人の考え方の問題です。強要するつもりも全くありません。
しかし、最後の点については、これを否定されるのであれば、
例えば、半島系の方々のシンポジウムで街宣車が周りを取り囲もうが
辻元清美氏の事務所の前が右翼に占拠されようが
直接的暴力を伴わない政治的な行動は他者への妨害を伴おうとも
すべて正当であると判断していると解釈いたします。
望まない死に対する意見、これについては理解いたします。しかしながら、
あなたのおっしゃる薄汚いやり方を受け入れた遺族をなぜ妨害していいかという
理由にはとうてい至らないと思いますが。
まず、宗教の成立過程において、「もの」(目に見えるものだけでなく存在していると
信じられているものも含みます)を神とする、つまり人(生死を問わず)以外を神とする場合と
人を神とする場合とを考えますと後者を神として宗教を成立させる場合には
神となる対象、あるいはその親族の意志とは無関係に成立する可能性は
どのような宗教であれあり得る事態ではないでしょうか。
極論を申します。
現在キリスト教という世界3代宗教がございます。
この宗教の神は旧約聖書に語られる神でありこれはイエス=キリストと同義です。
唯一絶対である神のみを信仰するのであって他の偶像を礼拝してはならないと
教わります。(少なくとも、プロテスタントではそうでした。)
では、この神たるイエスは神になろうとして宗教を自ら創始したのでしょうか?
聖書を読む限り、キリストがはじめから神と同義の存在していたともうかがえます。
(でなければ、聖書中のキリストを礼拝する行為は偶像礼拝にあたります)
キリストは宗教者ですからその意志に関係なく奉られてもよいかもしれません。
では、その母、マリア様はどうでしょうか。
カトリックではマリア礼拝や聖人礼拝も行われるそうです。
(プロテスタントからすると、これなど偶像礼拝なのですが。)
マリア様はキリストを生んだことにより奉られますが、これは本人、家族が
望んだことでしょうか?
どのような宗教であれ、その神の意志とは無関係に成立することが可能と思いませんか?
>野次馬さん
(オウムを例に出すとともに)人を殺すことを賛美しそのような信仰内容は政治的な
ものであると書かれておられますがこの言い方が許されるのであれば、
キリスト教における十字軍の方々はどのように扱われるべきでしょう?
イスラム教徒に対する虐殺を行ったもっとも罪深き存在として
キリスト教では教えているんでしょうか?
そうでないならば、キリスト教は世界最大の政治的団体であり、宗教的でないとも
言えますが。
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義様、良く読んでください 投稿者:しまだ 投稿日: 8月19日(火)10時59分46秒
あなたは、我が国の歴史認識において、自分は日本人だから日本に道義があったものと思いたいと言われてる。
私はこのことを歴史認識における不純きわまりない動機といっているのです。このような動機や姿勢で歴史を認識しようとするならば、どこの国民も自国の歴史認識において自国に過ちがなかったことになるという意味でドイツ国民のヒトラー支持を取り上げているのです。そのようには読めませんか? (私の文章が悪文でしたかな?)
私は、「日本人だから日本に道義があったものと思いたい。」という歴史認識への態度が、とんでもなく不純だと言いたいのです。それがすべてです。
それはそうと、ヒトラー支持を過ちの具体例に挙げてますが、これについてあなたは何を言われてるのですか? 過ちの評価が誤りであると? 何を書こうとされているのか分かりませんね。
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>タモタモ(京大卒) 投稿者:貴腐 投稿日: 8月19日(火)10時31分37秒
基本的に下部構造が規定するから人々の意識はブルジョア的だけど、例外として革命意識を持った人々が生まれて来る。
でもそれは永遠に少数派に留まる→従って少数派による武装蜂起しかありえない、てのが正統派マルクス・レーニン主義。
国内経済を完全に手中に収めた金融資本家同士のシマ争いが帝国主義時代の戦争でしょ。
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ドイツと日本 投稿者:義 投稿日: 8月19日(火)10時19分47秒
>しまだ様
私が「反日」であるモノへの批判や、あるいは「マスコミ」「靖国神社」などの問題を取り上げても、『動機が不純』と貴殿が言われるのであれば、議論は出来ませんね、確かに。
といって、私は自分の信条を(神道について、アジア解放の理念について、野次馬様やTAMO2様からの指摘は真摯に受け止めることとして)曲げてまで、貴殿と議論する意味は全くありません。 そもそも私がこの掲示板に訪問させてもらった動機は、自分が信じているもの(大東亜戦争への評価・靖国参拝問題などの認識)に従って、ここに居られる皆様の意見を聞き、また議論する事にありました。
しかし・・・
>歴史認識における大変不純きわまりない動機
と言われては、私の歴史認識そのものを否定する発言か、と捉えてしまいます。
また、日本の戦争の何を以って「過ち」と規定されているのかもわかりません。
最初から決め付けられて議論するほど私は心が広くもてないのです(汗・すいません)
>ドイツ国民の熱狂的であったヒトラー支持について
原因をたどってゆけば、第一次大戦での戦勝国がドイツに天文学的な賠償を請求したことに端を発しています。全体主義「的」な体制という意味では、日本とドイツは似ていたかもしれません。
しかし、ヒトラーが行ったのはホロコーストで、日本という国家は「民族抹殺」を命令した事はありません。ドイツと日本の戦後処理についても、ドイツは「あの時代のナチスが負うべき責任」としてドイツ国民全体には罪が無いような説明をしています(ワイツゼッカー演説)
それに比べて我が日本は、必要以上とも思えるほど毎年「過去の戦争」に猛反省しますね。
その見習うべきドイツの教科書には日本の戦争がどのように書いてあるでしょう・・。
「日本のナショナリストや軍国主義者は黄色人種を白人の支配から解放するために戦争を遂行したと主張。この中で自分たちの利害を包み隠しているものの真実を突いた面もある。ベトナム・インドネシア・インドなど欧州諸国に支配されていた植民地諸国の国民による独立運動は日本の緒戦の勝利によって加速され〜〜」 (産経新聞『教科書が教えない歴史』より)
だからといって、日本が加害の事実を包み隠してしまえと私は主張しているのではありません。戦争なのですから、違反する兵や、独断で部隊を動かす将も居たでしょう。非難すべきところはたくさんありますし、反省してそこから学び取れる事も、未来に活かすことの出来る事も、確かにあるでしょう。
しかし、大東亜戦争には、世界史的にみて「白色人種の天下世界」に有色人種の一撃を食らわした、という側面もあるということ。それが私の信じる日本の戦争の道義です。
それが私の信条であり、この歴史認識自体が間違っているから、「何を言っても動機が不純で、主張・説明も無意味」と言われるなら、議論は出来ません。
私の歴史認識を「この問題の方が先」として、驚愕して異常なものであるかのような貴殿の記帳に私は深く落胆しました。
(すいません・・・興奮しました。非礼はお許し下さい。ただ、私の主張の「主旨」だけは汲んで頂きたく思います)
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元々マルクス主義者ではありませんが? 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月19日(火)08時54分02秒
別に、ここでマルクス主義批判をしてもいいんですけど。
その一方的な「下部構造が上部構造を決定する」の理論が本当であるとすれば、あらゆる
革命が夢想になる、という、ベルンシュタインなどの修正主義理論は実に正しいことにな
りますよ?
※これこそが、マルクス主義の矛盾の根本にある、と思っていますけどね。
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>タモタモ 投稿者:貴腐 投稿日: 8月19日(火)07時57分36秒
アジア解放の大義だの、八紘一宇だのが国益を決めうるの?
帝国主義的ブルジョアの意志ではなく。
上部構造が下部構造を規定するんだ。
はは。
もう君はマルクス主義者をやめたようだね。
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義様、この問題が先ですね。 投稿者:しまだ 投稿日: 8月18日(月)23時57分58秒
義様の希望される「日本の歴史認識に関する報道」について「朝日の反日性」を説明頂いても構いません。
しかし、私は義様が何を説明又は主張されようとも、その動機が不純であり、そのためにその説明や主張が意味の無いものであるように思われます。
といいますのは、その歴史認識に関するまっぺん氏への回答で、さいごに下記のように述べられているからです。
>私は日本人である以上、日本の戦争に道義があったと思いたい。それが私の「日本人としての美徳」です。
これだと、ドイツだけを取り上げてはドイツ国民に悪いですが、あのドイツ国民の熱狂的であったヒトラー支持について、それを「道義あること」にしてしまうからです。
義殿は、日本人としての美徳が、日本人だから日本に道義があったと思うことにあると言われていることからそう言えるでしょう。
これは歴史認識における大変不純きわまりない動機ではありませんか。あなたは大きな過ちを犯すことは無いのでしょうか? 個々人が犯す可能性があれば、国民の多数が犯すことだってあり得るわけでしょう。
どうして、そうした過ちの存在を認めないのですか? もし過ちがあれば、人は過ちの認識を通じて、程度の低い幸福から高いレベルの幸福へと移行出来るのではないですか? 肯定していたものを否定して新たな肯定を見いだしてゆくところにわれわれ人間の幸福の進歩があるのではないですか?
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(無題) 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 8月18日(月)23時00分19秒
解同にはジサクジエーンバカを輩出した前科があります。いちおう。
これが「目が三角に釣りあがった人」の末路かと思うと、うぷ
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TAMO2様 投稿者:義 投稿日: 8月18日(月)22時59分00秒
良くわかります。そして、自分が『朝日ごときを「反日」という連中』である事も。
それでも大東亜戦争は日本が戦わなければならなかったのではないでしょうか?
支那大陸では内乱が絶えなかったし、朝鮮半島は良くも悪くも日本によって統治され、
有色人種で唯一欧米に立ち向かえた国は日本しかなかったと。私は思います。
確かに、道義は揺らいでいました。石原莞爾が唱えた五族協和の理念は捻じ曲げられ、八紘一宇・亜細亜開放と題目を掲げても、米・英との戦争にはとにかく石油と物資が要るため、結局は殖民地と同じような統治をしたことも事実でしょう。
しかし、本当に中国が統一されれば、日本と結ぶ可能性はあったでしょうか。すでに租界地には列強が居座っており、その疎開地を提供したのは他ならぬ中国自身です。よく言われる4000年の歴史を持つ中華思想が、「アジア団結」の思想に変遷する可能性はあったのでしょうか・・。
それでも、貴殿の言われるように、孫文をはじめ、日本の志士達による思想があまりにも揺らいでしまったのは、日本の「堕」であったのでしょう。
(ただ、孫文と志士の繋がりについての歴史などは私は貴殿ほどあまり知っておりません)
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>30年前の新左翼や部落解放運動をやってた人のうち、目が三角に釣りあがった人 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 8月18日(月)22時51分36秒
昔、てめーで「差別落書き」を書いて「差別」をわめきたて、
デタラメ「差別論」を強要しようとした「反差別」バカがいますたね。
今回のニセモノくん見て、ふと思い出してしまいますた。
オノレの正当性をジサクジエーンに求める倒錯した「論理」。
疎外された人間のやることって、ああああ〜キモチ悪い。
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義様、それでけっこうです 投稿者:しまだ 投稿日: 8月18日(月)22時48分31秒
いやあ、この板でなんだかモテモテですね。
あれもこれもは大変ですから、本論の「靖国神社問題」優先でも構いません。
ただ、それを論じられる場合には、相手に理解されてない用語を使われる
ことに気をつけて頂ければと思います。
さて、取り上げて頂ければ、私を筆頭に多くの者が理解できるテーマか
どうか分かりませんが、(その場合、義殿にそのテーマについての説明の
労を取らせることになりかねませんが)義様のご提案でけっこうです。
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そして続けるべきは 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月18日(月)22時10分52秒
偏狭な国権主義でアジア解放の大義の本質を忘れ、空疎なスローガンに成り果てた五族協和・八紘一宇
を言いつつ、その実帝国主義列強と同じ道義のない国家に堕した日本の国益と、孫文らをはじめとする革命家を
断乎支持した国士らの見果てぬ夢としての国益を、同一視することは欺瞞であり、そしてその欺瞞をなした
者こそ、マスコミ・国民そして軍部、そして、それを正当化する戦後の所謂「右翼」と称される人たち
です(勿論、右翼の全てではありません)。
朝日ごときを「反日」という連中は、この欺瞞に属する者だと小生は思います。
また、国益というものは、見方によって多様であると思いませんか?
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義さんへ 投稿者:黒目 投稿日: 8月18日(月)22時02分29秒
言うべき事はたくさんありますが、混んでますので返事だけ。
>ただ、米国とソ連が「ファシズムを打破する民主勢力」としてしまうのには首をひねります。
これは「当時の左翼の一般認識はこういうものだった」という事を示しているのであって、私の認識とは異なります。要するにコミンテルンの規定がこうであった、という事です。私の大叔父も、出てきた物件から見るに、この線の人であったと推測できるわけです。
もののべながおきさんという、戦中に獄外で地下運動を続けた人の証言ですが、その「共にファシズムと闘っている」筈の米軍機が、ファシズム国家内で闘っている地下活動家を狙って、執拗に機銃掃射を加えてくる、これはいったい何なのか、戦後50年たっても答えが出ない問いである、という事を書いておられました。
勿論、この間のイラクにおいても、似たような事は無数に繰り返された事は、当然にも私たちの想像力の範囲内でなければならないと思います。
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事実は逆ではないでしょうか? 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月18日(月)21時58分38秒
義様、こんばんは。
>中国がもし、日本の意向(アジア諸国、つまり有色人種は白色人種の収奪を許しておいてはいけ
>ない。アジアは一つにまとまって欧米の横暴を止めよう。)を汲んで
そう、同じフレーズで「日本がもし、中国の意向(アジア諸国、つまり有色人種云々)を汲んで」
いれば、歴史は異なったものとなりました。と言いますのは、21ヶ条要求など、孫文と言う得
がたい革命家らの反対に遭いながら、日本は押し付けてきました。袁世凱が飲んだと言っても、
それは無理強いしたものに過ぎません。
孫文はこうも言っております。「日本政府は自分の都合の良いときには手を差し出そうとするが、
清を打倒する苦しい戦いの時は、手を引っ込める」と。
日本の志士の良質の部分は、孫文の同志であり、アジア主義を裏切った政府には非常に冷淡
でありました。ここに目先の国権しか見ない政府と、真の国士の分裂を小生は見ます。
アジアをどう見るかで、ずっと下に記しました日本の右思想を巡る捩れが顕著になりますし、
非和解的な対立が生じます。
※ちょっと雑談ですが、新ゴー宣3巻に出てくる、在日朝鮮人・宗斗会先生を個人的に知って
おりますが(野球談義仲間でした)、彼は上の捩れを踏まえつつ、アジア主義者の右翼の方々
と交流をもっておられました。左翼よりも仁義がある、ともおっしゃっておられました。
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しまだ様 投稿者:義 投稿日: 8月18日(月)21時57分42秒
毎度、見苦しく読みづらい記帳をしてしまって本当にすいません。
>しまだ様
>でも、あまり多いとお互いに大変です。
以後気をつけます。というか、大変ですので論点を絞ったら如何という貴殿のお申し出をありがたく承らせてください(笑)
終戦記念日の靖国神社の論題から、なぜ今いろんな諸問題をこの掲示板に投稿しているのか自分でもわからなくなってきました。。
とりあえず、「反日」という言葉の意味について。 確かに貴殿のおっしゃる通りで、反日とは?と言われたらどう返答したら良いかわかりません(汗) 決め付け的な、スゴミのある、イデオロギーに糊塗された言葉なのでは?と言われたら、確かにそうだと思います。 よって、私は「反日」を、『日本国および日本人にとって不利益・不名誉な事を行ったモノ』と規定します。
これが正しい意味なのかどうかはわかりません。
よって、朝日新聞による「中国の旅」に代表されるような、日本の歴史認識に関する報道に的を絞って、「反日か否か」という議論をしたいとおもいますが、どうでしょうか。
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見解の相違 投稿者:義 投稿日: 8月18日(月)21時38分00秒
>まっぺん様 挨拶が遅れました。はじめまして。
>実は最も「反日」なのは小泉政府であるというべきじゃありませんか?
「戦後日本政府」の舵を執ってきた政治家であると思います。で、そもそも政府というものは「国民」の代表であり、「世論」は国民の声を示すものであります。その「世論」を反映したものが報道機関であると言えると思います。そしてその世論は、テレビや新聞が「作る」ものであります。
かつて日本が戦争に突入していく時も庶民の声(この戦争は負けるのではないか…玉砕とは全滅のことではないか、などの声)は圧殺されました。多数の報道機関(特に新聞よりもテレビが大きな役割を担う)が、「日本の侵略戦争を反省しなければならない」という放送・報道をしていれば、一般大衆が「そうなのかもしれないなぁ」と思ってしまう。
政府及び政治家は国民の声を聞いてそれを反映した政策を実行するのですから、世論の動向は無視できません。 そう考えた場合、政府の政策が(特に外交方針ですが…)「世論」(と思い込んでいる)である報道機関の情報を重視して決められているのですから、その世論を「作っている」報道機関が、あまりに偏向した放送・報道をしているのならば、当然政府よりも報道機関の方が批判の対象になり得ると私は思います。
>周恩来の主張を報道した事実について
>なぜこれを「反日」というのでしょうか? 〜〜
第二次世界大戦でもっとも被害を被ったのは日本と私は思います。その理由を詳細に述べてゆけばキリがないですが、解りやすく言えば「日本に米・英・仏・露・蘭を相手に戦争をする意思があったか?」「有色人種で当時の世界列強国と肩を並べていた国は日本だけであった」という事。日本が大東亜戦争に突入するまでの経緯も省くとして、いざ米英と戦争をするとなったら、資源を求めるためにアジア地方に進出せねばならなかったのは当然です(といって、日本の統治を全て正当化するわけではありません。また、日本の統治を受けた現地の人々が日本を侵略軍と呼ぶ心情も当然。 ただし、当時から現在まで親日のアジアの国もある)。
中国がもし、日本の意向(アジア諸国、つまり有色人種は白色人種の収奪を許しておいてはいけない。アジアは一つにまとまって欧米の横暴を止めよう。)を汲んで、同じアジア民族として近代化を成し遂げていれば、あれ程までに犠牲は出なかったと推察します。これは「日本の安全保障」という、日本に都合の良い見解ですが、実際蒋介石への援助(援蒋ルート)は米・露によって続けられていたのですから、日中戦争はやめるにやめれなかったと思います。
本題の「周恩来」の言葉を報じた事の「異常性」については、昭和45年の新安保条約が延長された時期にわざわざ中国首脳の言葉を報じる必要性がどこにあるのかという事です。朝日には日本人に中国への贖罪意識を「再び」(東京裁判以後のGHQによるWGIP政策)植えつけようとする偏向した思想があったと思われるのです。
さらに日米安保の解消の主張を望んでいる中国の意向(当時日米安保が無かったら日本はどうなります?自力で自衛隊を軍隊とした場合に中国が軍国主義復活と非難するなら理解できますが)を、朝日新聞が利用したとも言えます。
前述のように、「日中戦争は日本だけの原因ではもちろんなく、むしろ日中の対立を望む米露の思惑によって泥沼化してしまった」という事実を考えるならば、日本人が必要以上に中国へ反省をする事はないはずです。
日本人としての美徳。。。松井石根大将は熱海の山に日中両軍の戦没者を祀った「興亜観音」を造り毎朝菩提を弔っていました。 百人斬りをしたとして裁かれた向井敏明氏は、遺書に「我ハ天地神明ニ誓ヒ捕虜住民ヲ殺害セルコト全然ナシ」と記したあと、「我死により日華親善の捨石ともなれば幸いです。中国の御奮闘を祈る、中国万歳」とまで書きました。同じ罪に問われた野田毅氏の遺書にも「我々の死が日中両国の提携となりひいては世界平和が到来する事を喜ぶものであります。」とあります。「我々の死を何卒犬死たらしめないよう」とも。
南京虐殺があったかどうかなど、私には解りませんが、少なくとも日本軍が「中国人民を抹殺する」という意思など無かったのではないでしょうか? 30万人という数字に疑問が残るとしながらも、大量虐殺があったのは事実、という結論には私は到達しません。つまり、日本は戦争の被害者でもあり加害者でもあるが、同時に世界の列強国も同じであるということ。私は日本人である以上、日本の戦争に道義があったと思いたい。それが私の「日本人としての美徳」です。
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義様のご回答 投稿者:しまだ 投稿日: 8月18日(月)20時43分54秒
1件だけでも良かったんですが、たくさん具体例を挙げて頂きありがとうございます。具体例は多いほど良いでしょうが、でも、あまり多いとお互いに大変です。(笑)
というのは、事実の確認や認識、それについての論評に多くのエネルギーを要するからです。そこで、どれかひとつかふたつに絞って貰いたいのですが−−−。
というのは、たとえば、事実とちがう報道をした場合に、なぜそれが「誤報」や「偏向報道」等でなく「反日報道」なのか、多くの者が理解できるように指摘して欲しいからです。その辺りの説明が無いままにたくさんの事例を挙げて頂けば頂くほど、申しわけないですが「反日性」についての貴殿の「決めつけ」を感じます。
私は「反日」という表現に、テロルも容認されるような、極刑の対象以外ではないというある種の凄み(スゴミ)を感じます。
(まず最初の事例について)出現したばかりの北朝鮮に対する理想郷的イメージは、特定のマスコミに源泉があったとも思われず、そのマスコミだけのものでもなかったと思いますが−−−。時の政府も奨励していたとも聞いてますが、一部マスコミが在日の人々に彼らの故国に帰った方が良いように報道したとしても、それがどうして「反日」なのか、良く分かりません。
まだ他にも挙げてありますが、ひとつこういうのがあると、なかなか先に進まないものです。上記を含め、どれかひとつかふたつに絞って、それが「偏向報道」等でなく、「反日報道」であることを指摘して欲しいです。
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トリビア的 「神社・神道」 投稿者:鍋山@元神主の孫 投稿日: 8月18日(月)20時38分32秒
1.神前結婚式は、明治になって、キリスト教会を真似たもの。
そもそも、披露宴はあっても、結婚式なんて庶民にはなかったんだね。神前で「指輪交換」なんて、笑っちゃうよね。さすがに、キスまでは導入されなかったが。まあ、「日本的いいかげんさ」で面白いが。
「日本文化の象徴」天皇の正装が、モーニングってのもね。
ほとんどの神社儀式は、明治になって、「寺の葬式」にかわる神社のもうけ口と権威付けのために、つくって来たんだね。
2.初詣の人出・日本一「明治神宮」は、大正時代につくられた。
若い人は案外知らないようですが、明治天皇をまつるために大正につくられたわけです。大正神宮がないのは、「差別」だよな。昭和神宮は、今後あるのか? ちなみに、天皇をまつったのが「神宮」。明治神宮の森もその時「作った」わけですよね。わずか100年の森です。日本の気候風土は恵まれているので、森が100年で充分出来ちゃう。だから「都市博跡地を森に!」というのも、バカではなかった。
神社は、寺と同じように、誰がつくるのも自由です。宗教法人になろうとすれば、それなりの資格が必要になるが。「まっぺん神社」でもつくりますか、レーニンとトロツキーの狛犬を配して・・・お供え物は? まっぺんさん、好きな食べ物 遺言しといて!
3、神道の家には、墓がない。
我が家には、墓がありません。墓は寺のものだから、出身地の神社に祭られているだけだから。
明治から戦前まで、「まじめに」神道だった家は、こういうものです。
無宗教で近くの霊園につくろうという話にはなっていますが。
トリビア「trivia」とは 「雑学・些末な」という意味 視聴率25%だってね フジテレビ
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靖国神社について 投稿者:sinken 投稿日: 8月18日(月)19時36分03秒
靖国神社を考える場合、大日本帝国をどう見るか、戦後保守政治野政治的利用という事をどう考えるかこの2点への判断賀必要だと思います。大日本帝国は、階層軍事国家だったと考えています。すなわち、武士から転進した、官僚、軍人、財閥、地主の寡頭政治が集団として、天皇の権威のなかで、権力を行使し、上意下達の政策を実行した。一方通行だったために、上をうかがいながら、下を動かす政治だったために、ナチスヒットラーのような、一元的な、全体主義が薄められていた。しかし、上をうかがい、下を動かす政治だったため、総体の方針は、無責任で、300万を超える犠牲を出した。
したがって、国民世論を切り取ると、「脱亜入欧」のいきずまりを、アジア進出で打開せよという国民世論が、関東軍を動かしたかに見える現象があるわけで、寡頭政治を救済する手品もできるわけである。戦争責任は、寡頭政治グループにあったわけで、(戦争責任という場合、欧米に対してではない。)主に、軍人の戦争犯罪を裁いた極東軍事裁判は、いくらでも、責任逃れができる手品の舞台を作ってしまった。靖国神社は、アメリカによって、1度は、排除されかかった寡頭政治グループが、保守政治の中に、復活するてこに利用されている。宗教としての神道を論じるならこの政治利用に結論を出さねばならない。この階層軍事国家的思想は、1時期は、アメリカ地震が拒否し、国民自身も同様に拒否していたため、保守の背後に隠れていたが、今、アメリカ自身のもとめにおおじて、再組織化が測られている。もちろん、天皇制階層軍事国家よりスマートであるが。
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メルマガ:珍左翼語録には 投稿者:TAMO2 投稿日: 8月18日(月)18時44分57秒
産経新聞に過去掲載された「北朝鮮マンセー」記事が紹介されておりました。
このメルマガは面白いけど、ちょっと苦い。
リンク先、2003年8月13日付をご覧下さい。
http://mini.mag2.com/pc/m/M0019278.html
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戦史研究所 投稿者:kiz@おひさしぶりです 投稿日: 8月18日(月)18時23分53秒
『トンデモ本の世界 R』で絶賛された≪戦史研究所≫の URLです。
と学会公式HP http://togakkai.hp.infoseek.co.jp/
と学会会長山本弘 ≪トンデモの部屋≫
http://homepage3.nifty.com/hirorin/tondemotop.htm
≪戦史研究所≫ http://homepage1.nifty.com/SENSHI/index.htm
御参考まで。
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本来はSRに政権担当の資格が? 投稿者:貴腐 投稿日: 8月18日(月)18時14分11秒
SRって憲法制定会議とソビエトの両方で絶対多数を占めてたんですよね?
白衛軍もクロンシュタットの水兵もSR主体かな?
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