四トロ同窓会二次会 2003年8月24日〜26日

誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。
投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もあります。
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伊達さま、すいません 投稿者:しまだ  投稿日: 8月26日(火)09時28分07秒

下記撤回です。
 >伊達さま 投稿者:しまだ  投稿日: 8月26日(火)02時10分53秒
  (本文省略)
 問題にされてることとズレたことを言ってますね。失礼ながら、粗雑性
に特徴のある方との議論ですから、少なくとも骨は折れます。(私も大き
なことは言えませんが)

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ついでに 投稿者:野次馬  投稿日: 8月26日(火)09時01分40秒

「右」の方は、大東亜戦争およびその直前の戦争については当時の呼称に
こだわるのに、

明治二十七、八年戦役=日清戦争
明治三十七、八年戦役=日露戦争

については、当時の呼称(左の方)についてあまりこだわらないのですね。
逆にいえば、歴研系にしても、

日清戦争=第一次朝鮮侵略戦争
日露戦争=第二次朝鮮侵略戦争

といってもよさそうだけれど、そういう方はいませんね。
「日清戦争」「日露戦争」あたりの、戦争呼称の「落としどころ」が、第
二次大戦東アジア太平洋戦争においても定まる日ははたしてあるのでしょ
うか?

アメリカの側から見た、War of ChinaとPacific WarとWorld Warについ
ても考える必要があるかもしれません。
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戦争の名称について 投稿者:野次馬  投稿日: 8月26日(火)07時31分31秒

>それゆえに日中15年戦争において、大日本帝国側に道義はない

林房雄は、『大東亜戦争肯定論』において、黒船来航からからポツダム宣
言受諾までを一貫した戦争であると捉える、「東亜百年戦争」という立論
をしています。

日中15年戦争という規定は、戦後日本の歴史学者が命名したものと思い
ます。これは、清朝継承国家たる、中華民国(さらにその継承国家として
の中華人民共和国)という国家に依拠する立場からすれば、理解しやすい
ものだと思います。

しかし、かつての「大日本帝国」の立場からすれば承伏できないという以
上に、かなり時間的間隔のある「満州事変」と「北支事変」を連続した事
態であると捉える、不可解な見方となりうると思います。

しかも、これらふたつの国家の「意志」の他に、現実には、仮想的な、日
本人やら中国人やらの「民族の意志」が重ね合わされます。

対案があるわけではありませんが、「十五年戦争」や「アジア・太平洋戦
争」といった、歴史学研究会なり歴史教育者協議会なりの系統の「戦後史
学」による、歴史記述についても反省的な立場に立つ必要があると、私は
考えています。

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注釈の訂正 投稿者:しまだ  投稿日: 8月26日(火)04時06分10秒

下記、「つづき」の後入れ注釈(※印)の訂正。
すいません。表現の意味不明も含め、下記に訂正します。
 「TAMO2さんは、大東亜戦争に道義があったといわれてるわけではあり
ませんが、欺瞞的『理念』によってわずかではあれ、良き副産物があった
ことも評価すべきといわれてるように思います。でも、理念の欺瞞性がは
るかに巨大なことを考えると、誤解したことによる「善行」はあまり問題
にならないと思うのですが。」に訂正。
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ちょっと、注釈が遅れました 投稿者:しまだ  投稿日: 8月26日(火)03時39分39秒

これでもダメですかね。下の文章についてですが。

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しまださん、落ち着いてくださいよ 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月26日(火)03時30
分52秒

何日か前に書いたことですが、小生は、真に受けていた人たちは、国家によって欺瞞的にその
善意を絡め取られた、という認識であり、それゆえに日中15年戦争において、大日本帝国側
に道義はない、と思っていますよ。

黒目さんへ:
善悪や好悪の念は別として、そういうものであった、ということです。なお、五段階法則が
結果として現れた国は、地球上ではまだ幸せな国ではないかと思います。

複合的発展の法則:
ある国家が、遅れているが故に最新鋭の技術、組織を導入することが出来、それを基礎に更に
新たなる技術、組織を編み出すことが可能となり、いつのまにか最先端を走っている、という
歴史=論理的な理論。必ずしもあてはまるわけではないが、中国なんかこれを狙ってますね。
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複合的発展の法則 投稿者:しまだ  投稿日: 8月26日(火)03時14分21秒

なんてのがあります。トロツキーだったように思っておりますが、遅れて
いるがゆえに進んだところを追い越す、でしたかね、そういう考えを持つ
と、目の前の不均等発展の光景は、一時的状景に過ぎない、半島や大陸の
人々と比較した長いあいだの日本の「発達状態」は、そういう視点でしか
理解出来ませんね。

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つづき 投稿者:しまだ  投稿日: 8月26日(火)02時55分14秒

(TAMO2さんの)
>「理念」についてですが、朝鮮蔑視・中国蔑視と並んで、その空虚なス
ローガンを真に受けていた人は、決して少なくなかったというのが、小生
の考えです。
 私も、これを取り上げますが、それは「誤解」でしかないのでは? 大
東亜戦争について「誤解」があったことで、この戦争に道義性がいくらか
でもあったと言えるでしょうか? 道義がないものをあるかのように思っ
ても、道義のないことに何ら変わりはないでしょう。「真に受けた者が少
なくない」ことによって、大東亜戦争の犯罪性は更に増すことになると思
うのですが。
 ※道義性があったといわれてるわけじゃないのですが、わずかではあっ
ても副産物みたいにはあったように受け取れます。私には、「人種平等」
とかの「理念」まがいのものは人々を欺瞞するためのものに過ぎないと思
います。劣等扱いに反対だからといって、平等の理念を持っているとはい
えないと思います。
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ちゅーか、 投稿者:黒目  投稿日: 8月26日(火)02時51分19秒

このレーニン、トロツキーの第三世界に対する差別的限界、って話は、すんげえ昔にドラゴン将軍が指摘していた所のものなのではないでせうか?(苦笑

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それって 投稿者:黒目  投稿日: 8月26日(火)02時46分25秒

歴史の発展段階説によるところの成長段階説の5段階分類、

伝統的社会
テイク=オフ(離陸)準備段階
テイク=オフ段階
成熟段階
高度大衆消費時代

ってやつそのものなんじゃないですか?
その事によって、「社会帝国主義」による第三世界への介入も位置付けられた、てゆー。
レーニン主義の嫡子も、帝国主義の作法はちゃんと踏まえた、って話にすぎんのではないでしょうか。

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それから書きそびれていたけど・・・ 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月26日(火)02時40分38秒

そういう国家基準の争闘戦、いろんな意味で時代おくれになっていくかも知れませんね。

ぶっ飛んだ話、世界同時革命(時差くらいの誤差は許せ)はかつては夢想でしたが、今や逆に
世界同時革命を構想#しない#ことが(革命を考えるならば)夢想の時代になったかと思います。

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総体としてどうか、ということです 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月26日(火)02時38分29秒

19〜20世紀の歴史は、日本共産党的な言い方をすると、民族自決・民族国家の成立と戦争および
革命の歴史であったと言えると思います。

そして、その枠組みは強く、冷徹な国際政治のもとでは民族国家が主体となったゲーム(下で書いた
ような意味での)が行なわれました。これは、集団戦です。カシコな日本人も、アホな日本人も、
一杯いるでしょうが、総体としてどうか、ということが試されたと考えております。

今、某所でレーニンの帝国主義論を読んでいるわけですが、少なくとも20世紀初頭においては、
政治・経済は国家という枠を基準に動いていたことがわかります。(帝論が正しいと前提して。)

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すいませんが、TAMO2さん、 投稿者:黒目  投稿日: 8月26日(火)02時31分28秒

どういう事をいわはりたいのか、よおわかりません。
人間の「優劣」という事が、民族的、国家的な枠組みで存在する、という話でしょうか?
例えば、カシコな日本人もおり、アホな日本人もいる、という事は、ちょ
っと見回せばわかる話だと思いますが。

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おっと、そう読めますね(苦笑) 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月26日(火)02時18分21秒

しまださんへ:ご無沙汰しております。

江戸時代まで、日本人は中国人や朝鮮人に少なからぬ敬意を払っていました。ところが、
日清・日露戦争、そして朝鮮併合と進むに連れて「ちゃんころ・ちょんこ」という言葉に
代表されるような意識が芽生えて来ました。夏目漱石ほどの人物でさえも、例外ではなく、
かような差別意識はかなり広く明治晩年〜大正初期に広まったと考えてよいかと思います。
これが「アジア人の中で先に独立を確保した日本民族は、他のアジア諸民族よりも優れている」
と言うイデオロギーを書いた理由であり、そして、それは確かにあったと思います。

さて、個人的考えを。
たまたま、日本は得がたい人物と状況により、開国に成功したわけですが、だからと言って
日本民族が他のアジア諸民族と比較して特段優れているとは特に思いませ
ん。「事実はともかく」ってのが しまださんに引っかかったと思われます。

ただ、「帝国主義的状況における身の振り方」とか、「資本主義的競争」というゲームを前提
すれば、前者においてはアメリカやイギリスには負けたけど、アジア民族に対しては「優れて
いる」、後者については「今のところ、世界的にも結構上?でも、そろそろ中国の諸民族に抜
かれるかも?」ってな、パワーバランスを前提とした「優劣」を見ないのも、欺瞞と思います。
エンゲルスはそういうところ、えげつないほど冷静に見ていたような・・・。まあ、結局は、
そんな民族なんて枠組み、資本の運動の前に爆砕される時代がやってくるのかも知れませんけ
ど。

蛇足。今、エンジニアの仕事をしていて、「こいつら、スゲェ」と一番思わせられたのは、
インド人です。

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いやだからさ、その道義の措定のしかたが、フィクションに依拠するのか個人に依拠するのかってことでしょう。 投稿者:noiz  投稿日: 8月26日(火)02時13分09秒

最大の争点は。

道義はもちろん集団的なものであるからこそ「道」であり「義」なわけで
すけれども、それを措定する権力主体が国家であるのか、個人であるの
か、はたまた階級によるものか、これによっていくらでも分岐はなされる
という罠。

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そうだね 投稿者:noiz  投稿日: 8月26日(火)02時11分20秒

まさに、帝国主義に違いなどあるものかというところですね。程度問題を
問題にするなら、それはまた別個の問題だけど。>私は、日本帝国主義の
やった事は欧米帝国主義のやった事、また、スターリンがやった事と同じ
である、と主張している、

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伊達さま 投稿者:しまだ  投稿日: 8月26日(火)02時10分53秒

 義さんは、無視したというより(客観的にはそうですが)、敵対する者
どうしにそれぞれ「道義」があるという考え方ですから(私からすると、
主観的真理主義=真珠湾を攻撃した日本にも攻撃するだけの道義があり、
それに怒って日本を撃滅したアメリカにも道義があるという)両方とも道
義がないという場合が考えられないのだと思います。つまり、欺瞞の道義
も真実の道義も、義さんにあってはその違いが小さいことに原因があると
思います。

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全然違うと思うけどな、 投稿者:noiz  投稿日: 8月26日(火)02時07分29秒

TAMO2さんが言ってる、帝国主義を社会帝国主義にまでおしひろげて見る
歴史の見方と、義さんの大東亜主義なるべく擁護史観は、端的にいって全
然違うものだと思いますが。傍観者の感想。

「弱いもの」から立脚して歴史の見方を変えてみるというモティーフは確
かに似たかたちでありましょう。しかし、まったく異なるのは、己が帰属
する国家にまるごと己個人を同定するかたちで見るか見ないかの違いで
は? TAMO2さんは大日本帝国や社会帝国主義からは自立された歴史観を
お持ちのようですが、義さんは大東亜戦争擁護、つまりその主体たる大日
本帝国の擁護者でしょ。まるで違うじゃないですか。

ぼくは、国権主義というドカンチの古ぼけたイデオロギーとは無縁ですか
ら、自分が住んでる「国」の国家がいかように批判されてもまったく痛痒
を感じません。いや、批判されるような性質を兼ねそなえる国家を放置し
てしまっているという力量の無さということにおいて忸怩たる思いがある
わけですが、日本国が批難されたからといって自虐を感じるほど個我のな
い人間ではありません。

だから、伊達さんが指摘されているように、大東亜戦争に道義なし!とい
う主張を認めることに何ら躊躇しないし、その承認が即ち、世界最強のア
メリカ帝国の犯罪に屈服する精神性を自らのうちに持つことにはなるとは
到底思わない。むしろそう思ってしまう精神性、こんなもんをバーターに
して議論できると思ってしまうことの方が、よほど欺瞞だと思うのです。
国家を個人に優先させない個我としてはね。

要は、国賊はどこの帝本国に行っても国賊だということです。ぼくは米帝
本国の国賊とも連帯してるし、どこの帝国国賊とも連帯しますよ。まじな
話。

などと書いてしまえば最後通牒主義的に過ぎますかね?

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日: 8月26日(火)02時00分48秒

マラヤ共産党に合流した人、いましたね。
映像であの人たちの証言を見ましたが、「日本の、アジアの解放というイ
デオロギーを信じていた。しかし、現実は解放でもなんでもなく、ただの
侵略戦争であった。敗戦の時点で、最もアジア解放を実現する為に有効な
潮流はなにか、という事を議論し、その結果、マラヤ共産党に合流した」
というものであったと記憶しています。
あれには本当にしびれるような感銘を受けたのですが、しかし、マジで
「アジアの解放」というのんを真に受けていたら、ああするのが当然であ
ったという気持ちもするのです。
で、現実に日本がやった事はなんであったのか、という事は、戦争に行っ
た人間は誰でも知っている訳です。あの戦争に関わって、かつ、あれが、
日本帝国主義の行為が「アジアの解放」であった、と主張している人間は
いるのか、という事が質問の趣旨です。

んで、義さんのいうてはるのは、日本帝国主義のなした事と、欧米帝国主
義のなした事には違いがあり、日本帝国主義のなした事には「肯定すべき
面がある」と主張されていると俺は認識してんですが、ちがいますか?>
義さん
私は、日本帝国主義のやった事は欧米帝国主義のやった事、また、スター
リンがやった事と同じである、と主張している、そこに分岐点がある、と
思っているのですが。
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私も黒目さんと同じようなことを 投稿者:しまだ  投稿日: 8月26日(火)01時51分06秒

思いました。
TAMO2さま、しばらくです。
 「他のアジア人には何をやってもいいだろう」という考えに結びつかな
ければ、「日本民族は他のアジア諸民族より優れている」ことが「欺瞞」
ではないように読めますが−−−−。
 まさか、TAMO2さんがそんなこと言われるのだろうかという思いです。 

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http://bundpro2.fc2web.com/Sehen/sub11.htm  投稿者:黒目  投稿日: 8月26日(火)01時48分25秒

ちゅ〜か、このような天皇が法秩序の源泉であるかのような「共同幻想」
を解体する事が、天皇制解体への道である、という運動を私なんかはして
きているのだと思いますが。
特に新しい話だとも思えません。

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証言としては 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月26日(火)01時40分53秒

以前書いた、中国戦線からの帰国兵(彼は、そういう思いをもっていたのは自分だけじゃないとも
言っていた)、文献としては「インドの国民軍」(中公文庫)、マラヤ共産党に関する各種文献
でしょうか。「大義のためには何をやっても許される」という考えの怖さは、例えばドストイ
エフスキーの小説なんかで暴露されているわけですけど、しかし、20世紀の戦争ってのは、一
兵卒に至るまで、そういうイデオロギーは浸透していたんじゃないでしょうか(勿論、全員では
ないでしょうけど。水木しげる先生とか)

−−−−
最後の文章の「これはまさに欧米帝国主義のイデオロギーそのもの」、まさにその通りです。
これが最高に爆発するのが、世界史的には第一次世界大戦かと。そしてそれが社会主義に密
輸入され、、第二インターは崩壊するわけですし、第二次大戦の勝者であるソヴェトにおいて
は東欧を子分にしたり、朝鮮半島の北半分を子分にしたり。で、俺も、義さんも、これを問題
にしていると思うわけです。

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まあ長々とした屁理屈だこと… 投稿者:伊達 純  投稿日: 8月26日(火)01時35分11秒

>義様
 長々とした屁理屈はいいんです。

 私の書き込みの急所は、表題にあるように、純粋に論理的には、「大東
亜戦争」に道義は無いけれども米国の「勝者の正義」もウソッパチである
という立場もアリではないのかという問いかけです。

 そのことに義様は答えておられない。

 議論しても無駄ですね。

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情報(リンク先まで) 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月26日(火)01時33分03秒

日本・天皇・社会主義・共産党・・・。ご参考まで、天皇というものの日
本での位置づけを考える
のに見るべき考察があると思いましたので。

http://bundpro2.fc2web.com/Sehen/sub11.htm

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TAMO2さん 投稿者:黒目  投稿日: 8月26日(火)01時20分42秒

>その空虚なスローガンを真に受けていた人は、決して少なくなかったというのが、
>小生の考えです。
それはなんか、資料とか証言とかある話ですか?
例えば、実際に日本が行っている侵略という行為を、こういった空虚なス
ローガンで誤魔化して納得している人間は数多くいたのは確かでしょう。
しかし、能動的に侵略に荷担した人間で、現実を見た上でその虚妄の中に
生きる事ができた人間なんか、果たしているのだろうか?
私は、しつこく人間の「意志」の問題を繰り返しておるわけですが、んな
ケッタイな意志というもんがあの状況下でありえたのかどうか、興味のあ
るところです。
また、
>「アジア人と列強は平等であるべきだ」という考え、それと「アジア人の中で先に独立
>を確保した日本民族は、他のアジア諸民族よりも優れている」という考え、これは同時
>に成り立ち得る、ということです。
これはまさに欧米帝国主義のイデオロギーそのもの、「優れている私たち
が彼らを導く」というイデオロギーの輸入以外のなにものでもないではないかと思いますが。

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お礼他 投稿者:TAMO2  投稿日: 8月26日(火)01時01分50秒

義様、ありがとうございます。大体、埋められた(一致できた)部分と、埋められそうにない部分
がはっきりしました。小生としては、また、何かあれば、ということで。

黒目さんへ:
「理念」についてですが、朝鮮蔑視・中国蔑視と並んで、その空虚なスローガンを真に受けていた
人は、決して少なくなかったというのが、小生の考えです。少し詳しく書きますと、アジア対列強
という範疇で考えると、「アジア人と列強は平等であるべきだ」という考え、それと「アジア人の
中で先に独立を確保した日本民族は、他のアジア諸民族よりも優れている」という考え、これは同時に成り
立ち得る、ということです。「優れている」事実の判断はともかく、「だ
から、他のアジア人には何をやってもいいだろう」という考えに結びつく
ならば、これが欺瞞であると小生は考えるわけですし、
その点について、義様も承認されていると思います。

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ちゅーか、 投稿者:黒目  投稿日: 8月26日(火)00時59分06秒

まさにその辺で、私は天皇裕仁を「人間としてクズ野郎である」と考え、
サヨ転向したのですが。

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つづき。 投稿者:しまだ@説教垂れたがり  投稿日: 8月26日(火)00時58分05秒

 先の大戦で、日本を含む列強のどこの国に「道義」があったのでしょ
う。
 私は日本の道義が、許されぬ帝国主義であったと思います。同じよう
に、アメリカなども同じ帝国主義であったと思います。帝国主義という許
されぬ道義で戦争したと思います。
 義さんは、「世界の歴史学者が皆」といわれてますが、「皆」は明らか
な間違いでしょう。それはそうとして、「日本軍が敗走した跡には、再び
外国の支配を許すまいという自信とその手段が残った」ようなことも、大
東亜戦争で評価すべきこととしているわけですね。それじゃ、天皇が宣戦
布告して無惨に負けたことも、「現人神」から「人間天皇」になったとい
うことで評価すべきことだとはなりませんか。
 あなたの引き合いに出される歴史学者の「評価」は、とても大東亜戦争
に道義があったといえるようなものではないように思えますが。反面教師
というのがあります。これも教師に入れなきゃいかんみたいです。

 HNの「@説教垂れたがり」は、私の書き込みがどうも若い人たちへの
説教になっているらしいので、自戒の努力のつもりで。(高校生の「正義
の戦争などない」という書込みを批判し、あれこれ述べたことが原因か
と。)
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国体? 投稿者:黒目  投稿日: 8月26日(火)00時32分29秒

>「人種平等」の理念を掲げた。
あなた、当時は日本の一部であると見なされた朝鮮人が、どのような差別
的視線に晒されたか、知らないわけじゃないでしょう?
あるいは中国人に対する視線。
あなたは「五族共和」といった空虚なスローガンをさして、「人種平等」
と言っておられるのかもしれませんが、んなら、日米安保条約についての
「パートナーシップ」はどうなります?
「人種平等」など、その当時ですら、真に受けている奴はめったにいな
い、全く実態を反映しないスローガンであり、それは例えば現在の北朝鮮
に於ける「社会主義」の如く空虚な空念仏であったのです。
んな、全く実態のない国策スローガンを、あたかも実際にあった事である
かのように捉えるのは、ちょっと実際の歴史を見なさすぎだと思いますが。

>日本はどういった行動をとればよかったのか、それがわからない。
実際に、日本は当然の結果としての敗北を迎え、考え得る限りで最悪の結
末を迎えた訳です。あなたはあの敗北という結果が、最悪のものであると
考えないのですか?

>当時の国民は国家あっての自分であり、天皇の赤子であると考えていました。
それがそもそも虚妄である事は明らかではないですか。
戦後、昭和天皇はどういう言い訳をしましたか?
「あれは悪い軍人がやった事で、自分は一貫して平和主義者であった」と
いうのが、天皇裕仁の弁解です。
そんな最悪の結末に向かう事を止めることすら出来ない元首に、なんの価
値があるのでしょうか。

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私の父は犬死にしました 投稿者:しまだ@説教垂れたがり  投稿日: 8月26日(火)00時14分36秒

 日本が降参する日の1ヶ月ぐらい前に、ビルマ沖で兵員輸送船もろとも
です。遺骨もありません。しかし、父も武力併合した朝鮮に渡り、植民者
として生活を築き、私もそこで生まれたのですから、当時の政府指導者に
同調した者として海の藻くずになったとしても仕方ないでしょう。時の政
府にポチのようについていって死んだのですから、犬死にしたことになる
と思います。それが真実なら、私はそう受け止めようと思います。大東亜
共栄圏の大義に生きたなんて、とても信じられません。
 何しろ、大日本「帝国」です。他国や他民族の所が赤く塗られていた地
図を見て、大半の国民がとても誇りに思っていたわけです。(列強の国民
が、皆そうだったと思いますが。)つまり、食べるためなら、生活のため
なら、何をやってもいい−−−−そんな「道義」が広く支配していた時代
でしょう。(南北戦争時代の「スカーレット」もそうなんですから。)
 でも、そうであったからといって、他国にもそういう国があったからと
いって、悪いことは悪いわけです。悪いと思ったからといって、自虐にな
るわけはありません。反省できないほど弱い人間にはなりたくないもので
す。
 今でさえ、外交の在り様は、自国利益優先主義でなければならないとい
うのに、先の大戦に道義があったなんて全く信じがたいことです。あった
とすれば、生活のためなら、何をやってもいいという「道義」でしょう。

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義様 投稿者:野次馬  投稿日: 8月26日(火)00時12分28秒

ご理解されている通りに、「国体」を守るというそのためだけに、最後の
半年の戦争があり、100万近い犠牲者が生じたのです。米軍の民間人を対
象とした戦略爆撃をとうてい許すことはできませんが、明治維新以来ほん
の数十年間の「悠久の伝統」を守るために、失われた多くの人々について
は、義さんにとっては、戦闘死した「英霊」に対するような感謝の念はい
だかれないのでしょうか?この方々については、靖国神社本社ではなく、
摂社の鎮霊社に祀られているとのことですが。

>悠久の歴史

以前の、靖国神社をめぐる、神道論議の場合もそうでしたが、このあたり
が見解の相違の重要ポイントだと思います。私は、明治の国体、大正の国
体、昭和10年頃までの国体、その後終戦までの国体、が徐々に変化しつ
つも連続的であることは認めます。

ただ、世界でも希なる純粋型に近い、封建制分権国家であった「江戸」日
本国が250年もの間連綿と続いていた以上、「国体の悠久の歴史」という
のは無理があるのではないでしょうか。

ということは、明治国家における天皇制度も、戦後国家における天皇制度
も、悠久の歴史の中で、大差ないというお考えでしょうか?

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国体 投稿者:義  投稿日: 8月25日(月)23時55分33秒

伊達様 はじめまして

>「大東亜戦争に道義が無かった」=「米国の「勝者の正義」を許容する
事になる。」
>ということが、私には理解できませんね。
我々が戦後、米国の核の傘に守られて、本当の意味での「自主独立」がな
おざりにされてきたのは周知の事実。しかし、私達日本人は精神まで「ア
メリカ人」になることにはできません。当時、米国には米国の正義があっ
たことでしょう。国民にとって見ればリメンバーパールハーバーを提示さ
れ、日本の真珠湾攻撃から報復感情に駆られたことでしょう。それは理解
できる。しかし、日本の国家体制をも戦後に弄った事ができたのは、彼ら
の心情の奥底には、我々が想像も着かないほどの「人種偏見」があったか
らこそでしょう。
私が「大東亜戦争にも道義があった」と言うのは、戦争した事自体が間違
っていたと思わないからです。もし、日本が欧米帝国主義に向かって戦争
を仕掛けなければどうなっていたか。私は思うのですが、大東亜戦争その
ものを全て否定したい人々は、日本はどういった行動をとればよかったの
か、それがわからない。
日本は国体を守るために、自主独立を賭けて戦争をした。そして、後付に
せよ第一次大戦後から言い続けた「人種平等」の理念を掲げた。
こうした大東亜戦争そのものを否定したのが東京裁判であり、東京裁判は
米国の勝者の論理であり、ゆえに「日本の全否定」ではないですか。
戦争は人類にとって絶対にしてはいけないこと。崇高な理念ではあるが、
人間の本能を余りに否定・無視した論理に過ぎないと私は思います。
我々は、事後法で裁いた「東京裁判」をまず、否定せねばならない。
ゆえに、「大東亜戦争に道義が無かった」=「米国の「勝者の正義」を許
容する事になる。」のです。

>米・英の尻馬に乗って、自衛隊をイラクへ派兵させることを主張
イラク派兵には、はっきり言って反対です。米英の尻馬に乗ることなど、
断じてやってはいけないと思います。戦争反対、と訴えている人々は米国
の「自由と民主主義」という大義にももっと批判をするべきです。所詮、
覚悟のない訴えに過ぎない。
日本は拉致被害者を全員取り戻せますか?北朝鮮の核にどう対応します
か?
それは日本がやらねばならない。米国に追従するだけでは無理です。米軍
撤退までシュミレーションした上で「米軍出て行け」と主張するのはわか
りますが、その後、自衛隊は絶対に正規軍にならねば自主防衛はできませ
ん。
こうした視点で、私はイラク派兵には反対です。

野次馬様
>「国防」とは、いったい何を(第一に)守ることだったのですか?
日本の国家そのものであると考えます。当時の国民は国家あっての自分で
あり、天皇の赤子であると考えていました。昭和天皇陛下もそのことはよ
くおわかりになっていたはずです。だからこそ、「よもの海 みなはらか
らと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」と、明治天皇の御製を大
東亜戦争の開戦前に詠まれています。
悠久の歴史を、それを棄てても良い、というのなら、もっと早くに終戦と
なったかもしれません。しかし、その後はどうなるのでしょう。。日本と
いう国体は、是が非でも守らねばならなかった。このことは日清・日露と
比べてみても同じだろうと私は思います。

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ドラえ者様 投稿者:野次馬  投稿日: 8月25日(月)23時53分26秒

『論語』なんて目にしなくて久しく、「十七条の憲法」がそこから引用さ
れていたなんて知りませんでした。実に日本的な決まりだなと思っていた
次第です。

私が毛嫌いしている、丸山真男しぇんしぇいは、やはりこういったいやな
ことを指摘するのに長けている方なんですね。ちょっとgoogleしてみた
ら、そんなことがわかりました。

さて、7世紀の日本と21世紀の日本とでどの程度の共通したエートスが
あるのか、まったく想像もつきませんが、引用元の文化における意味と引
用先の文化における意味が異なるということは考慮されてもよろしいので
はないでしょうか。

さらに言えば、明治以降にこの言葉が意味した内容は、比較的安定的に現
在に至っているのではないでしょうか。異なった文化風土をもった「世界
に通用する」とは思えません(たとえばイスラーム世界)が、当方には、
義さんの、この言葉にこめた「思い」はわかるような気がします。

乱文失敬。

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Re:言い訳・・・  投稿者:ドラえ者  投稿日: 8月25日(月)23時30分09秒

>義様

>聖徳太子公が言われた「和をもって尊しとなす」
「和をもって尊しとなす」はもともと『論語』にある孔子の言葉です。
聖徳太子の言葉ではありません。
聖徳太子はそれを引用しただけです。

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言い訳・・・ 投稿者:義  投稿日: 8月25日(月)23時21分51秒

>しまだ様
ぽいっすよね・・・確かに。
この文は・・・
>日本の戦争に道義があったと思いたい、それが私の「日本人としての美徳」です。
あはは(汗) ゆーてることちゃうやん!と、思いますわ、自分で。率直に、反省いたします。
私の日本人としての美徳。それをあえて言うのならば「和の精神」です。
聖徳太子公が言われた「和をもって尊しとなす」この精神、道徳観は、世界に通用する
とも本気で思っています。

>歴史認識というのは、自国人同士であっても他国人とのあいだであって
も、
>基本的なところで違いがあってはならないと。
これは・・・理想としては私も同じです。しかし、無理でしょう。
私は韓国で伊藤博文を暗殺した「安重根」が英雄とされている事に、日本人として、
少なからず反発を覚えますもの。。しかし、やっぱりそれでも構わないと思います。
韓国には韓国の歴史があり、それを否定するのも肯定するのも結局は韓国の人々です。
他国の歴史を非難したり、自国の歴史を必要以上に誇示したりすること
は、「歴史に対する姿勢」としては、間違っていると思います。
しかし私はむしろ、歴史認識が統一される事の方があってはならぬ、と考えます。

負けるとわかっていても、戦った日本人に、我々は感動します。
忠臣蔵にも、長篠合戦の武田軍にも、秀吉に反旗を翻した別所長治(マイナーですいません)最近「たそがれ清兵衛」見て感動しました。 感情論で申し訳ないですが、個人として、「日本人であること」という一本筋の通った信条はやはり捨てきれません。

ところで「説教垂れたがり」というHNにはどういう意図が?

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セキヤマ=ソーイチ様 投稿者:野次馬  投稿日: 8月25日(月)22時29分45秒

はじめまして。

鉄塔書院版プロレタリアエスペラント講座持っています。
それも、戦後の復刻版ではなくてオリジナルで。
(残念ながらそろいではなくて1,2巻と5巻の三冊だけ。)
購入したのは15年ほど前、渋谷古書センターで。かなり安かった記憶があります。
MAMO(乳房)で始まる冒頭が、吉本隆明の「うみー!」を連想させて痛快ですね。
通読はしていません。(ずっと前に復刻版でパラパラとは読んだことはあります。)
もし、ドカンチだったらお許し下さい。

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了解する前に義さんへ 投稿者:しまだ@説教垂れたがり  投稿日: 8月25日(月)22時00分37秒

 私は思うのですが、歴史認識というのは、自国人同士であっても他国人とのあいだであっても、基本的なところで違いがあってはならないと。違うということは、大きな不幸を意味すると思います。
 他国とのあいだでは、そうしたことが目に見えない原因となって戦争にだってなりかねません。(もちろん、自国人のあいだで大きな違いがあっていいわけはありませんが。)
 たとえば日米間の戦争について、自分は日本人だから、アメリカ人だから、ということで、それぞれが自国の側に道義があったと思いたいという、そんなことをお互いの「美徳」にしたらどういうことになるでしょうか。
 「美徳」になどしなくても、両国間の認識上の対立は出やすいと思いますよ。実際、それは原爆投下問題等々で生じているのではないでしょうか。その上に、義さんの「美徳」が実行されれば、ますます対立が大きくなり、しかも非和解的なところまで行くのではないでしょうか。何しろ、「美徳」になっているわけですから。
 義さんが、きょう言われてる「歴史を客観的に観よう、眺めようという姿勢」と前に書かれた下記の「美徳」とは正反対に思えますが、義さんがそれを「書き方のせい」といわれるならそういうことに致しましょう。(下記が、義さんが「美徳」とされたことです。) 
 >私は日本人である以上、日本の戦争に道義があったと思いたい、それが私の「日本人としての美徳」です。
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純粋に論理的なことですが。 投稿者:伊達 純  投稿日: 8月25日(月)20時15分56秒

>義様
> そして、大東亜戦争に道義が無かったというのなら、それは米国
> の「勝者の正義」を許容する事になる。

 「大東亜戦争に道義が無かった」=「米国の「勝者の正義」を許容する事になる。」ということが、私には理解できませんね。

 「大東亜戦争」に道義は無いけれども、米国の「勝者の正義」もウソッパチであるという立場もアリだと思うのですが。

 米・英などによる対イラク戦争についても同様のことが言えますよね。フセイン政権に道義は無いけれども、対イラク戦争は国際法違反であり、米・英による「勝者の正義」であり、ウソッパチであるという立場はありえます。

 逆に、「大東亜戦争」を行なった日本を米国が裁いたのは国際法違反であることを主張している人たちは、今回の米・英などによる対イラク戦争が国連安保理の決議無しで行なわれた国際法に違反するものであること、米・英などによるイラク復興は「勝者の正義」であり撤退すべきであることを主張しているのでしょうか?

 むしろ米・英の尻馬に乗って、自衛隊をイラクへ派兵させることを主張しているのではないでしょうか?

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義様 投稿者:野次馬  投稿日: 8月25日(月)19時02分26秒

>「国防」を第一義とした戦争

ここに限って質問します。
「国防」とは、いったい何を(第一に)守ることだったのですか?
小林よしのり氏の「戦争論」には、あたかも親兄弟や子どもたちを守るか
のように書かれていますが、それは「先の大戦において」本当のことだったのですか?

ヒント:
1 ポツダム宣言を受諾するにあたって「時の日本国」が最も心配した事柄。
2 教育勅語の有名な一節。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ。」この「公」のこと。

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再々 投稿者:義  投稿日: 8月25日(月)17時57分01秒

>しまだ様
去ってしまったと思われるような文章ですいませんでした(汗)

>日本人だから、日本びいきで歴史を観るみたいなこと私は「日本びいきで歴史を観る」とは言ってません。私の文章のせいが多分にあると思いますが、とにかくそういう意図で「歴史観は個人の自由」と申し上げた訳ではないのです。歴史を客観的に観よう、眺めようという姿勢を私は保っているつもりです。

何度も言いましたが、戦争には道義が必要であると言う事。そして、大東亜戦争には国民がその道義を信じて戦った、わが子をこの戦争の大義に寄与した。それらを全て「国民を騙した方便」で、「侵略の正当化」というのならば、世界の歴史家は、何故に大東亜戦争が世界史にもたらした意義を指摘しているのか。(前投稿「歴史観と歴史にたいする姿勢」をご面倒ですがもう一度ご覧下さい)
そして、大東亜戦争に道義が無かったというのなら、それは米国の「勝者の正義」を許容する事になる。 有条件降伏であるにもかかわらず、日本の政治機構を変え、日本の戦争を全て否定し(戦後に流されたラジオ『真相はかうだ!』など。)東京裁判によって「勝者の裁き」を実行し、連合国は報復感情を満たした。日本の戦後統治は明らかな国際法違反でしょう。こういった私の視点全てが、しまだ様には「日本人だから日本びいきで言っている狂言である」と捉えられているのですか? こうした視点は、「不純」ですか?
 私はその上で、自分が日本人である事の意味は何なのか、という事を考える。だから、大東亜戦争を「聖戦」と純粋に信じて戦った人々の意思を尊重したい。「無駄死にではありません、あなた方は可哀想な被害者ではありません」そう思いたい。この心情こそ、私が言わんとした「個々人の歴史観」であるということです。この心情を不純であると言われようと、私は一向に構いません。  すいません、一度議論を終わらせておきながらこのようにまた記帳してしまいまして・・・(汗)

>TAMO2様
>「明治維新〜太平洋戦争における日本指導部の断絶をどう捉えるか」
 私は、完全なる「断絶」があったとは思いません。道義に対する認識に差異はあるかもしれませんが、大東亜戦争も日清・日露も、日本の国家防衛がその念頭にあったのは同じだろうと思うからです。しかも対米英戦までの経緯を探ってみれば、日本がいかに危機に直面していたかがわかる。その事実だけでも「国防」を第一義とした戦争であった事が容易に想像できるからです。
 さらに、欧米の収奪植民地主義は、いくら国家の為とはいえ、「自主独立」を念頭におくのであれば、全く必要のないものであったと思われます。それを考えれば日本の植民統治がいかに律儀で、哀れなほどに人道的統治をしたかがうかがえます。ゆえに「永久統治」すると言う観念が無かったため、ころころと統治政策を変え、現地の人々に疑問と恨みを抱かせてしまっている。その辺は大いに問題ありと私も思います。計画制の無さ、というところに。 私は「司馬史観」というものに詳しくはありません。が、司馬さんの意図と関係なく、司馬さんの歴史観を利用して、「戦争=絶対悪」の論調を展開し続けているマスコミには憤慨するものであります。(『歴史と視点』‐私の雑記帖‐は読みましたが)

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ちょっとこっち方面も復活? 投稿者:セキヤマ=ソーイチ  投稿日: 8月25日(月)11時52分30秒

してみよーと思ったりして(苦笑

旧(別HNは「プロエス講座派」です.
今日わごアイサツかたがた...

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誤報した当人の弁 投稿者:野次馬  投稿日: 8月25日(月)10時49分07秒

当時記者だった山本稔という、誤報した当人の弁です。

http://www.zusi.net/hare/omoide/syuzai.htm

これによれば「誤報」であることはまぎれもない事実ですが、要は、著者
が「侵略」と書いた部分を、文部省が直接にではなく、文部省の意を体し
た教科書出版社が、「進出」と直したということのようです。
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誤報について 投稿者:野次馬  投稿日: 8月25日(月)06時22分43秒

この件については、本多勝一の有名な文章がありましたね。

「右」の方たちの「鬼の首でもとった」かのような言論の洪水に対して、おおむね「左」の人たちは、「いまさら何を言っているんだ」というような冷淡な反応をしていたと思います。

その理由は以下のような単純な構図によるものです。

・「先の大戦」のうち、前半段階、いわゆる「日中戦争」だけが進行していた段階について、文部省(「時の権力」)側としては、どうしても侵略戦争とは書かせたくない。教科書執筆者の多く(戦後日本の平均的な歴史学者たち)は、侵略戦争と記述するという一点だけはゆずれない。(背後に、平泉澄の皇国史観に対する怨念ありか?)

・この攻防戦は、昔々の民主党が『憂うべき教科書の問題』というパンフレットを発行したあたりから連綿と続く歴史をもつ。その中で最も有名なのが、家永教科書裁判。

・つまり、一回性の事実としては、たとえ「誤報」であったとしても、数十年にわたる、文部省と歴史学者の攻防戦としては、文部省は持続して中国に対する「侵略」(ないしそれと類似した記述)を「進出」(ないしそれと類似した記述)と書き換えるように要求し続けてきたことはあまりにも明白な事実である。

なお、日中戦争については、常識的には理解不可能ともいえる、「中国による日本に対する侵略戦争」という考え方もあるようです。

これについては、オン・デマンド出版による、次の本があります。

※『軍事史からみた「南京事件」の真実』別宮暖朗著

この本を読むと、文部省の見解(「侵略」を「進出」にせよ!)にも一定の道理があることがわかります。日中戦争を日本の侵略と記すことは、(ある見解によれば)一般に偽文書といわれている「田中メモランダム」に記されているような、侵略に向けた系統的な「構想・展望と具体的計画」が存在することを認めることになる、というような考えのようです。つまり「結果的に侵略してしまった」だけでは「侵略戦争」とは言えないということです。
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なるほど(続き) 投稿者:野次馬  投稿日: 8月25日(月)05時07分41秒

いや、大陸国家と海洋国家(島国?)とでは、歴史観に違いがあるということかな?
やはり、まだKYさんの考えをきちんと理解していないですね。←(これは自己省察)

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義さんに考えの近いKYさんへ 投稿者:しまだ@説教垂れたがり  投稿日: 8月24日(日)23時28分25秒

KYさんの歴史認識は義さんに近いと思うのですが、まちがいだったらごめんなさい。
義さんのいわれたことについて聞いていいですか。
 義さんは、日本人だから、日本びいきで歴史を観るみたいなことをいわれたんですが、こういうのって、見方が不純ではないですかね。
 で、こういったら、歴史観は個人の自由だから、その自由を否定するようなことをいうなら議論は出来ないといわれたんです。
 歴史の見方が不純だというと、その人の歴史観の自由を認めないことになりますか。
どうも、すいません。どうしてなんだろう、と思ううちにご本人が去られてしまいましたので、お聞きしてみようと思いました。

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なるほど 投稿者:野次馬  投稿日: 8月24日(日)21時59分06秒

KYさんの議論についてROMしていました。少しわかりつつあります。

>「いかに史実を時の権力に有利に扱うか」という価値観に基づいている
>それに歴史認識はそれぞれの国で異なって当然です。

つまり、このあたりが、KYさんの歴史観の基本をなす部分ということですね。

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反日について考えたこと 投稿者:猛獣文士  投稿日: 8月24日(日)21時55分34秒

KYさん、はじめまして

教科書問題が発生した1982年ころ、そのニュースを聞いた私は、怒りを抑えきれなくなり、酒を飲んでも酔えなくなるほどでした。仕事上の知人に怒りをぶつけるほどでした。

それまで、いろいろな運動が暴力的に圧殺されてきているのを体感していた私は、今度もまたやられてしまうのだろうかと悲観し、それゆえにやり場のない怒りを制御することができずに、もてあましていたわけです。

しかし、中国や韓国の抗議を日本側が受け入れ、教科書検定の基準に近隣諸国に対する配慮というような項目が付け加えられたときには、改めて日本と中国の外交関係の存在というものの重みを認識し、また、日本という国もメチャメチャなことばかりしているわけではないと思いました。

その事件の裏に、KYさんが指摘するような事実があったことは知りませんでしたので、今後はそのこともこの事件の評価の一要因に付け加えようと思います。

さて、反日ということについて、考えたことを述べます。反日を歴史的に形成された日本に対する悪い感情という程度に意義付けると、反日というのは好悪にかかわらずアジア諸国に現に存在したもので、今後もある程度は存在し続けるものだと思います。KYさんは、そのようなアジア諸国(主に中国、韓国、朝鮮ですが)の傾向を理解しようとする日本人の態度をも反日と定義しているよう(例えば朝日新聞)ですが、これはなかなかどすの利いた恫喝の効果を持つと思います。しかし、そのような意義付けはフェアでないし、間違いだと思います。

詳しく述べられませんが、次のような点を考えると、分かりやすいかと思います。

第一に、反日は多分に日本自身によって種をまかれて、醸成されたものである点。中国に例をとれば、現代中国を作り上げるのに重要な役割を演じた孫文、周恩来、蒋介石、魯迅などはみな日本に留学したり亡命したりしていますので、もともとから反日ではなかったし、日本に多く期待していた部分もある。魯迅などの文集をよめば、魯迅がかなり後のほうになっても、日本を弁護するようなことを言っていたことが分かると思います。しかし、結局、最終的にはこれらの人物はすべて反日になったといえると思います。単純に言えば、その原因は日本側にあったと考えています。

第二に、日本人に対して、このようなアジア諸国の反日に理解を示すことを「反日」と呼び、「自虐」と呼んで、脅かして、かりにすべての日本人が反「反日」になったとしても、問題は解決しないどころか、どうしようもなく悪化すること。なぜそうなのかは簡単にはいえませんが、このことは火を見るよりも明らかな事実です。

ではどうすればいいかなどという結論を簡単に示すことはできませんが、上の二点は自信を持っていえることですので、KYさんもいろいろな問題を考えるときに、そのことを少し念頭においてくれれば、うれしいと思います。

KYさんとまじめな議論ができたことは大変うれしく思います。
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広島へ 投稿者:焚火派新潟県本部  投稿日: 8月24日(日)20時47分21秒

公開質問状サイト
http://csx.jp/~antiwar/

これを「打撃主義」というなら、イデ闘ですな! とことんやってやるわ! よく読んで回
答願いますわ! 「解決済み」とはよくいうわな!

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猛獣文士さんへ 投稿者:KY  投稿日: 8月24日(日)15時10分22秒

 はじめまして。
 早速ですが、「進出。進駐・侵略」の3つの言葉が同一文中にあった
ら、やはり不自然でしょう。それに、日本の軍事行動だけが「侵略」で他国の同様の行為が「進出」「進駐」というのはアンバランスではないですか?「きわどい検定」というのも当時の文部省を買いかぶりすぎ、てもんでしょう。くどいようですが「改善意見」に強制力はなかったのですから。強制力の無いものを「書き換えあった」と決め付けるのはいかがなものかとは思いますが。ついでに言えば、81年度に東南アジア諸国から抗議があった、という話は聞きませんが・・・まあ、誤報事件以前から「教科書がどう変わった」と毎年マスコミは騒ぎましたが、不思議なことにどこの出版社の教科書か、一覧表には記載されてなかったことを覚えています。そんないい加減な記事で「文部省による歴史改ざん」を印象付けようとしたら、それこそ恐ろしいのですが。
 あと、「便所雑誌」というのは「噂の真相(どこが)」の事です。あの雑誌の記事を真に受ける人の心理が理解できません。最近は拉致被害者の会を貶めようと躍起になってデマを書き連ねています。自分に気に入らない相手を貶めるならば、裏の取れないデマを事実であるかのごとく報道する朝日のその姿勢がこの雑誌と同じだと思えるのです。
 最後に、日中韓のそれぞれの歴史認識が狭まることは無いでしょう。大陸の歴史観は「いかに史実を時の権力に有利に扱うか」という価値観に基づいているのですから。それに歴史認識はそれぞれの国で異なって当然です。それを特定の国に合わせるって、それってファシズムじゃないですか?あなたは自分の価値観を他人に合わせろ、と言われたら無条件で従いますか?

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いわゆる『大誤報事件』について 投稿者:猛獣文士  投稿日: 8月24日(日)08時02分45秒

酒井さん、
ありがとうございます。よく分かりました。

要するに、

・1982年に中国・韓国が抗議した侵略を進出に書き換えさせた教科書検定があったということが誤報だった。

不勉強なもので、これ自体はじめて知りました。

・1981年にきわどい検定意見があった。

「南方に進出・仏領インドシナに進駐・東南アジアに侵略」は用語が不揃いだからそろえろ。

何でそろえる必要があるのか変な意見だとは思います。

・誤報事件が国際問題になったのに、朝日新聞はいろいろ言い訳して態度が悪かった。

というようなことですか。考えさせられますね。

KYさん
便所雑誌とは何のことでしょうか。

家永裁判で検定制度が問題になっていたと思いますが。
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KYさんのお話は 投稿者:酒井徹  投稿日: 8月24日(日)07時24分32秒

8月18日(月)15時06分38秒にまっぺんさんが二次会に書き込まれた
「朝日新聞の『反日性』について」という文章の中の、
「いわゆる『大誤報事件』について」という部分に対する反論ではないかと思います。

>82年の教科書検定において文部省記者クラブの記者が、初めから「進
出」となっていた教科書を「文部省側が『侵略』を『進出』へと書き直させた」と思いこみ、各社一斉に報道したものです。

>しかし、こうした「誤報」があったのには理由があります。それは前年
の81年に「侵略」を「進出」に書き換えさせた事実があるからです。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/sakai/sakaitop.html

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