四トロ同窓会二次会 2005年6月8日〜13日
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フェミニズム 投稿者: 改憲派 投稿日: 6月13日(月)09時55分58秒
そもそもこの運動の始まりというのは、女性が生活のために企業で働かないといけない状況下で、男女間のアンフェアーな雇用や賃金体系に直面し、それを改善させようとするところからきていますよね。それはまったく正当であると私は思いますがね。
「女だから〜」とほざくオヤジがいる以上、そういうオヤジが懐古趣味で守りたいと思うところの「家庭」はますます崩壊していくでしょう。
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お返事 投稿者: 改憲派 投稿日: 6月13日(月)09時47分40秒
私が誤解してしまったのは、三浦さんのカキコにおける
しかし、同時に、性産業に利用される子供たちの悲劇は、現在の消費資本主義社会で「自由」の名の下で精神を荒廃させ、売春に走る子供達の問題より小さいわけでは決してない。
の「しかし」以下の論理展開でした。いずれにせよ、誤読しましたことはお詫びします。
>『よき家庭、よき家族、荒れていない家族』は肯定されるわけでしょう?
しますよ。
しかし何を「よき」の基準にするかは人によってまちまちでしょうけど。
>『荒れている』家族と、この絵本で主張されているようなジェンダーフリー的な家族とは、もし
>かしたら紙一重かもしれないと思いませんか?
なんで?
そもそも昔の結婚観がくずれてきているのはその社会に住む人間の環境や価値観が変わってきているからですよね。しかし、そういう現象を一概に「荒れている」とするのはどうですかね。
日本で晩婚化や未婚者の増加という現象が起きているのは古い「家庭像」の「理想」の押し付けへの反発ということもあるでしょうね。
援助交際に関して言えば、それを道徳的に悪であるとは私は絶対に言いません。
正直言えば私にも18歳以下の女子高生とセックスしたいという気持ちはありますからねえ。
もちろんムショにしょっぴかれるリスクを犯してまでそういうことをしませんが。
あえて反対するとすれば、性病の蔓延の危険性からですね。それから、援助交際にはまる人がエンコウを契機に暴力団につけこまれたりする可能性もありますしね。
最後に、何かの本を読んだことを「前提」にして主張をされるよりも、その本を「使って」主張をするというスタイルをとられたほうがいいように思います。
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書き方が悪いのかもしれませんが 投稿者: 三浦小太郎 投稿日: 6月13日(月)09時15分42秒
書き方が悪いのかもしれませんけど、多分改憲派さんも、この絵本そのものは読んでいないでしょう?ここで
この同じ絵本の後半部では、戦場に借り出される子供の兵士、性産業の現場で人身売買まがいの目にあっている少年少女の問題などが取り上げられている。
私は絵本の評価を離れ、このような人権侵害を告発し、改善しようという点においては、いつでもジェンダーフリー論者と連携する意志がある。
と書きましたように、この絵本では明確にチャイルドポルノであれ売春であれ批判し子供たちを守る事を主張してるし、その点では私は全面的に賛成なんですよ。そして、これはもう確かに一日も早く解体したほうがいいような家庭が一杯ある事は事実。
ただ、改憲派さんが
「いっちゃあ何だが、家庭内暴力だとか体罰とか考えると、
家庭が子供を荒廃させる側面もあるつーことを見逃してはいけないと思うね。
援助交際とかしている人をみるとしばしば彼らの「家族」が荒れている場合が多いわけだ。」
とおっしゃるなら、逆に、『よき家庭、よき家族、荒れていない家族』は肯定されるわけでしょう?そして、『荒れている』家族と、この絵本で主張されているようなジェンダーフリー的な家族とは、もしかしたら紙一重かもしれないと思いませんか?確かにもう暴力沙汰が繰り返されているような家庭(私も数例観てきましたけど、半端じゃないですよねあの愛憎の絡み合いは)を無理して維持せよとは言わない。しかし同時に「離婚に関しては『人の気持ちは変わる物だから、我慢して楽しくない夫婦を続けるよりも、別れた方が両者にとっても子供にとってもいいと考えるようになった』『結婚制度に縛られずに、自分の気持ちを大事にして性を楽しむ』『ぼく個人の考えでは、愛する恋人一人とだけしかセックスしちゃいけないという考えはゆらいできていると思う』と言った価値観がもしもジェンダーフリー的な一つの理想像であるならば、その様な家庭は、それこそ逆の意味で『荒廃』すると思うんですよ。
私が言いたかったのは、家族というのは軽々しく捨てたり解体できる価値ではないですよということ。それを『自由』の名のもとに解体する事は、人間を自由にすることよりも、むしろ権力、資本主義、またそのほかのイデオロギーによって個人の内面が支配されることに繋がりかねないのですよということです。プラトンの共和国であれ、またあらゆる革命政権であれ(最も無残なのはポルポトですが)子供たちを家庭から切り離して純粋教育を行う事を、家族のエゴではなく真理と思想のもとでの教育が出来ると考えた。その結果は、イデオロギーだけで人間関係を結べないロボットを作り出すのです。
これは資本主義でも同様で、例えば今の日本では、スピーデイに仕事をこなせるかどうか、もっといえばお金をもうける能力だけで人間の価値を決めちゃう所がある。しかし、仕事は遅いし、現代の企業には向かないけれども、人間としては大変礼儀正しくて他者に誠実だったり、一人の父として、母として立派だという庶民はいくらでもいるわけです。こういう人達の価値を本当に理解するのは家庭や地域社会の価値観なんですね。その意味で、資本主義による人間精神の疎外からの防波堤としても、家族というものは決して軽視できる物ではない、と私は考えるわけですよ。まあ、これは個人的な体験もあるんですけどね、色々と(笑)もう私のような学校でも仕事でも落ちこぼれの人間というのは、家族や友人関係の中で自分を肯定してもらえないと救われようがないの。
ちょっと話をフェミニズムに移しますが、フェミニズムというのは元々、大雑把に分ければ(1)近代社会を男性的価値観に支配されてきたものと捕らえ、その行き詰まりを女性的価値観(女性原理)の復活によって乗り越える(この視点から戦争、乱開発、民族排外主義などを否定してゆく)思想と、(2)男女の性差そのものや、女性原理、男性原理などと言う区分事態を否定する、人間を性差で区別することそれ自体を悪しき人類の歴史と見なし、男性原理、女性原理といった区分そのものの差別性を撃つ の二つの方向性があるんでしょう?(違うのかな)男女の機会均等とか、セクハラ、レイプからの防御とかは、それはそれでものすごく大切な問題ですけど、多分思想的にはこの(1)(2)の点でフェミニズムは分裂してるんではないかと。伊達さんの引用するファンタジーもののヒロインと言うのは、基本的に(1)の存在なんですよ。男に負けない元気さや勇気、行動力と言うのが(2)の要素を含むように見えるけど、逆に、男性には決して出来ない優しさや母性的側面で勝利する、というのが根本的な構図で、だからこそ男女共に感情移入できるんです。
以前バルタック星人さんが引用していたのは、(2)の中でも最も過激な一部の説で、これはいくらなんでも少数派です。ただ、過激な少数派と言うのはやっぱり目立つからね、取り上げられやすいんでしょう。
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>そもそも血縁関係がなければ愛情が無いというのも哀しい状況だと思うが。 投稿者: 伊達 純 投稿日:
6月13日(月)06時45分17秒
イタいなぁ(苦笑)。いや、真鯛を僭称する人物だの、左翼の敵を自称する人物だの、tpknだのの書くことは、彼ら自身のイタさをさらしているだけだが、この指摘は、私も含めて左翼のイタいところでもあると思うのですよ。かつて誰かが言っていたのが、「左翼は少なし仁」! ほんらい社会主義を言っている左翼こそが、血縁関係を超えた豊かな人間関係を築くことができていなければならないのに! 血縁関係を超えたところで、どのような豊かな人間関係がつくることができているのかが問われているように思いますね。
> 家庭が子供を荒廃させる側面もあるつーことを見逃してはいけ
> ないと思うね。
『エーミールと探偵たち』『飛ぶ教室』を書いたエーリッヒ・ケストナーは、離婚した家庭の子どもは不幸なのかもしれないが、両親が離婚しないことで不幸になる子どももたくさんいるというようなことを書いていたことを思い出した。
基本的に政治的な見解が異なっていても礼儀正しく、こちらのスタンスを尊重してくれている三浦小太郎さんに、あまりキツイことは書きたくないと自己規制していましたが、この間、むしろ改憲派さんが、率直に、しかも的確に三浦さんを批判しているように思います。そのことに対して、私も率直に、賛意、敬意を表したいと思います。>改憲派さん
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ううん%# 投稿者: 野次馬の視線 投稿日: 6月13日(月)06時04分46秒
引用
この外交的(?)事件の、三年後の「感慨」でしたか?
http://www.satohs.jp/html/demand_of_21_items_for_china.html
そして、この事件の、一年前の。
http://www.tabiken.com/history/doc/G/G213R200.HTM
ついでに、前の方の件については、こんなサイトも。
http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/99/goiken9912m.html
後者についても関連(?)サイトをひとつ。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/jinmei/zhou_en-lai.html
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Re:坪内祐三『靖国』 投稿者: まこと 投稿日: 6月13日(月)05時33分5秒
私も本棚から坪内祐三著「靖国」(新潮文庫)を取り出してみたのですが、改めて読み直してみると、文庫版の「あとがき」の頁にもこの周恩来の日記が引用されていますね。
以下は同書の342頁からの引用です。
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(引用者注記・周日記の引用に続いて)当時、周青年をはじめとする中国の近代化(すなわち革命)を夢見て日本で学ぶ中国人留学生の溜まり場に、神田今川小路の中華料理店「維新號」(いまある「維新號」のルーツ)があった。明治三十二年創業のその「維新號」の名前の由来について、『十九歳の東京日記』は、「創業当初、付近に下宿していた中国人留学生たちによって名づけられた。日本の明治維新に学んで祖国を再建したいという願いを込め、自分たちの集まる飯店を「維新號」と呼んだ」と注釈している。
大正七(一九一八)年、五月一日の靖国神社の春季例大祭の夜に、境内に足を運んだ十九歳の周恩来青年が「催した」、「はなはだ大きな感慨」とは、一体どのようなものだったのだろう、中国の革命をこころざしていた、その青年にとって。そういう周青年の「感慨」に感情移入することのできる人物は、はたして、今の中国に存在するのだろうか。(引用終了)
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坪内氏はこのように書いていますが、私は当時の周恩来が抱いた「感慨」に思いを馳せようと志向する日本人が今の日本にどの程度存在するのだろうか−とも感じたりします。
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家族 投稿者: 改憲派 投稿日: 6月13日(月)04時42分22秒
いっちゃあ何だが、家庭内暴力だとか体罰とか考えると、
家庭が子供を荒廃させる側面もあるつーことを見逃してはいけないと思うね。
援助交際とかしている人をみるとしばしば彼らの「家族」が荒れている場合が多いわけだ。
そもそも血縁関係がなければ愛情が無いというのも哀しい状況だと思うが。
というわけで、三浦さんの主張は説得力なし。 ------------------------------------------------------------------------
ああ、ジェンダーフリーとマルクス主義の対立・・・・ 投稿者: TAMO2 投稿日: 6月12日(日)16時44分13秒
三浦さんの書き込みに直反応。「家族、私有財産、および国家の起源」の単婚からコピペ
しておきます。意外と、三浦さんの文章をマルクス主義から補強しているように思います。
おまけ。是とされる図式に内面まで強制されるとき、そこでは全体主義の恐怖が社会を
支配する、ということでしょうね。でも、そういう社会はある意味「楽」であり、大衆
にとって初期には魅惑的であった、ということも忘れてはならない、と思います。まあ、
我が日本民族はそんなものに引き連られ切るほど、胡散臭いものを受容するほど、疲弊
してはいないようですが、ちょっと危ないかなと感じる今日このごろ。
とりあえず、これだけ。
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ところで、性愛はその本性上排他的――たとえ現在この排他性が徹底的に実現されてい
るのは女についてだけであるにせよ――であるから、性愛のうえにきずかれる婚姻は、
その本性上、一夫一婦制である。バコーフェンが、群婚から一夫一婦制への進歩は主と
して女のしわざだとみなしたとき、彼の見解かいかにただしかったかを、われわれはす
でに見てきた。ただ対偶婚からさらに単婚へとすすんだことだけが、男の力に帰すべき
ことである。そして、このことは、歴史的に見て、本質上、女の地位を悪化させ男の不
貞を容易にすることであった。いまさらに、女に男のこのような習慣的な不貞をあまん
じてしのはせていた経済的な考慮――彼女自身の生活の心配、それにもまして子の将来
にたいする心配――がなくなるなら、それによって達せられる女の平等の地位は、これ
までの全経験から見て、女を多夫的〔polyandrisch〕にするようにはたらくよりも、は
るかにつよく男を真に単婚的にするようにはたらくであろう。
しかし、単婚から断然とりのぞかれるであろうものは、それが所有関係から発生した
という事情がそれに刻印したいっさいの性格である。それは、第一に男の優越、第二に
離婚の不能である。夫婦間での男の優越は、男の経済的な優越の単純な結果であって、
後者がなくなればこれもおのずからなくなる。離婚の不能は、なかばは、単婚を成立さ
せた経済事情の結果であり、なかばは、この経済事情と単婚との関連がまだただしく理
解されないで宗教的に誇張されていた時代の伝統である。それはすでに今日でも、幾千
回となくやぶられている。愛にもとづく婚姻だけが道徳的であるなら、同じく愛の存続
する婚姻だけが道徳的である。しかし、個人的性愛の発作の持続期間は、個々人によっ
て非常に相違する。とくに男のばあいにそうである。そして、愛着がまったくなくなる
か、あるいは新しい情熱的な恋愛によって駆逐されたばあいには、離婚は当事者の双方
にとっても社会にとっても善行である。ただ、離婚訴訟などという無益なぬかるみをわ
たらずにすむようにしてくれさえすれば。
こうして、きたるべき資本主義的生産の一掃後における両性関係の秩序について今日
われわれが推測できることは、主として消極的な性質のものであって、おおむね、とり
のぞかれる面だけにかぎられている。しかし、なにがつけくわえられるであろうか?
それは、新しい世代、すなわち、その生涯を通じて金銭その他の社会的権力手段で女の
肉体提供を買うばあいに一度も出あったことのない男たちと、真の恋愛以外のならんか
の考慮から男に身をまかせたり、あるいは経済的結果をおそれて愛人に身をまかせるの
をこばんだりするばあいに一度も出あったことのない女たちとの世代が成長したときに、
おのずから決定されるであろう。この人々がいよいよあらわれてきたときには、彼らは、
未来の世代のなすべき事からについて今日の人間がどう考えているかには、まったく頓
着しないであろう。彼らは彼ら自身の慣行を、そしてそれに応じた、各個人の実践にか
んする彼らの世論を、みずからつくりだすであろう。 ――それでおしまいである。
それはさておき、モルガンにもどろう。われわれはだいぶ彼からかけはなれてしまっ
た。文明期のあいだに発展した社会諸制度の歴史的研究は、彼の著書の範囲をこえてい
る。したがって、この期間における単婚の運命については、彼はごく簡単にあつかって
いるにすぎない。彼もまた、単嫡家族の発展を進歩と、また両性の完全な同権への接近
とみなしているが、しかしこの目標がすでに達せられたとは考えていない。しかし、彼
は言う。「家族が四つの形態を順次に経過して、いま第五の形態にあるという事実が承
認されるならば、この形態が将来永続できるかどうか、という疑問がおこってくる。こ
れにたいしてあたえることのできる唯一の答えは、これまでと同じようにこの形態も社
会の前進につれて前進し、社会の変化に応じて変化するにちがいない、ということであ
る。それは社会制度の産物であり、この社会制度の文化水準を反映するであろう。単婚
家族は、文明の開始以来改善してきたのだし、そして近代におけるこの改善はきわめて
いちじるしいものがあったのだから、すくなくともそれは、両性の平等がついに達成さ
れるまでひきつづき改善してゆく能力をもつものと推定してさしつかえない。遠い将来
において、単婚家族が社会の要求をみたすことができなくなったばあい、そのつぎにあ
らわれるものがどんな性質のものであるかを、予言することは不可能である。 ------------------------------------------------------------------------
坪内祐三『靖国』 投稿者: 野次馬の視線 投稿日: 6月12日(日)10時40分54秒
で描かれているような靖国神社の世界ですね。これがかなり後の時代まで続く。たとえば、安岡章太郎『サアカスの馬』や日影丈吉『吉備津の釜』に出てくる見せ物の世界ですね。それが、満州事変以降、中国への出兵が拡大されるにつれて大変貌を遂げるようになっていくわけです。決定的なのは、例年の合祀祭(正式名称は失念)をNHKラジオ放送するようになったことですね。「御羽車がしずしずと……」という奴。そしてついに1938年に陸軍大将の鈴木孝雄が宮司に就任。完全な軍事施設になってしまいます。終戦後にGHQを目眩ましするために、軍事色を取り去るのに、東大宗教学科助教授岸本英夫の助けを借りたのは有名な話。
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「靖国神社」問題、少し視点を変えて・・・ 投稿者: まこと 投稿日: 6月12日(日)10時24分16秒
以下はとある人物が大正7年(1918年)に書いた日記からの引用です。
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四月三十日(戊午三月二十日丁未)(火曜日) 気候:夜、雨。
【治事】
午前、授業のあと、青年会に行き、帰ってきて読書。
午後、授業のあと、急いで帰ってきて、また読書。
夜、九段に靖国神社の大祭を見に行くが、雨に降られたのでやめて、青年会に行って新聞を読み、伯鳴の部屋に行き、しばらく話す。
(略)
五月一日(戊午三月二十一日戊申)(水曜日) 気候:雨、のち晴れ。
【治事】
朝、読書。
昼飯のあと、半時間、昼寝。
夜、九段をぶらぶらしていると、靖国神社の大祭に出会い、それを見てはなはだ大きな感慨を催す。
(略)
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さて、これは誰の日記でしょうか?
実は、これは後に中華人民共和国の総理の椅子に就く「周恩来」が19歳の時に来日した際に書き記した日記の一部なのですね。彼はこの後祖国に帰り、五四運動など革命闘争に人生を捧げることになるわけですが。
ちなみに、上記日記文中に出てくる「靖国神社の大祭」について、1918年4月30日の「東京朝日新聞」は次のように伝えています。以下、参考までに紹介します。
「九段の賑ひ ▽靖国神社例祭 ▽本日勅使参加 靖国神社の春季例大祭は廿九日から三日間執り行はれると云ふので昨日の九段はお午頃から参拝に人達で雑踏を極めて居た、例に拠つて神門前の広場を曲馬其他の見世物小屋や露店が一杯に巣をくつて早くも参詣者の足を止めて居る神殿では此日午後三時から賀茂宮以下の神宮陸海軍の祭典委員等列席厳かに祓所の儀本殿の儀を行つたが今三十日は午前九時に勅使午後二時東宮御使の御参向あり本日田尻市長も十五区長を従へ自動車を連らね市民を代表して参拝する筈である又余興の大角力、能楽、琵琶、剣舞等は何れも三十日境内で演ずることになつて居る」
なお、この日記に関する私見・解説は「敢えて」省きます。
受け止め方は皆さん方にお任せ、ということで・・・。
(上記日記、新聞記事はいずれも【矢吹晋編・鈴木博訳「周恩来『十九歳の東京日記』」(小学館文庫)より引用】
<本投稿はアフガン板・四トロ二次会板に掲載> ------------------------------------------------------------------------
JUDGMENT 投稿者: KY 投稿日: 6月12日(日)10時07分21秒
よく「日本は東京裁判を受諾した」とのたまうおめでたい人がいるが、「ジャッジメント」は本来「判決」と訳すべき類の物ではないか?「判決」とはすなわち「懲役○年」など「量刑」のことであり
「日本が侵略戦争を企図して軍部が共同謀議をした」というとう極東軍事法廷の下した「罪状」を受諾したわけではない。この手の誤訳はわざと行われることが多いので全く困ったもんだ。いわゆる「戦犯」も昭和33年に全員釈放されており,国会決議とあわせて名実ともに日本に戦犯は存在しなくなった。それ以前にいわゆるABCあわせて1000人以上が処刑されているのに(しかも冤罪が多い),「未だに本は戦争責任を果たしていない」なんてどの面下げて言えるんだ?しかもそれだけでは飽き足らず、従軍慰安婦だの南京大虐殺だの捏造冤罪の尻馬に乗って自国を貶める行為など、その精神構造は永遠に理解不能だ。首相の靖国参拝は止めろと進言する(自民党も含めた)政治家の言動もナチスまがいの中国に擦り寄るという点では全く理解できない。
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なにが言いたいのか不明瞭 投稿者: 改憲派 投稿日: 6月12日(日)09時45分45秒
三浦さんが何を主張したいのかさっぱり不明瞭ですが・・・
いくらジェンダーフリーを言っている人でも青少年の売春や幼児ポルノには絶対反対でしょう。
結論への論旨の持っていき方が間違っていると思いますが。 ------------------------------------------------------------------------
ジェンダーフリー批判もう一つ 投稿者: 三浦小太郎 投稿日: 6月12日(日)09時34分23秒
ジェンダーフリー批判をしつこくやっていた数年前に書いた文章です。
『ジェンダー・フリーの絵本』シリーズ?『いろんな国、いろんな生き方』(大月書店)では、前半部では女性が働きやすい国としてスウエーデンを例に挙げ、両親は共働きだが残業はなく(ここでスウエーデン人男性は、日本人男性のように長時間労働したら離婚する事になるよ、とまで言う)性についてもオープンであり、男女平等も進んで女性も経済的に力を付けてきたから離婚も多くなっている、と高く評価される。離婚に関しては「人の気持ちは変わる物だから、我慢して楽しくない夫婦を続けるよりも、別れた方が両者にとっても子供にとってもいいと考えるようになった」とスウエーデン女性に語らせている。
また、同書では性について、自由に語り受け入れる事が素晴らしいとされ「結婚制度に縛られずに、自分の気持ちを大事にして性を楽しむ事」それは「誰とでもセックスすると言う事とは違う」し「多くの人は愛する人とだけセックスしている」とスウエーデン女性が語る。これだけでも結構危ない発言だと思うが、続いて今度は男性が「ぼく個人の考えでは、愛する恋人一人とだけしかセックスしちゃいけないという考えはゆらいできていると思う」と駄目押しの発言が出てくる。
こういう文章を読むと本当に思うのだが、基本的にジェンダーフリー論者は、歴史とか伝統とか義務に伴う責任とかいう以前に「人情」と言うものが分かっていないのではないか。ここで主張されているのは、滑稽なまでの「理論」だけの世界である。誰しも覚えのある事と思うが、恋愛、家族、友情と言った関係は、根本的に感情の問題であり、理論によって成り立つものではない、深く「エロス」的な世界である。
どんなフリーセックスの時代であろうと、多くの人は愛する異性との関係を大切にするだろう。そして、この男性のいう「愛する恋人一人としか」関係を持ってはいけない、という考えが「ゆらぐ」事は、嫉妬というこれまた深くエロス的な感情から解放される時にしかありえない。そして、嫉妬なき愛とは、あえて言えば既に愛情ではない。
実際のスウエーデンがここまで極端な国かどうかは分からないが(そして、子供向けの本でここまで自由恋愛とやらを讃えるのならば、スウエーデンにおける堕胎の実態まで語ってみてはいかがかと思う)少なくともここで描かれている世界は人間が将来目指すべき者では全くない。家族・家庭を防衛する、というのは決して一部ジェンダーフリー論者が言うような保守的・国家主義的な思考ではなく、むしろいかなる「理性」の顔をかぶったイデオロギーにも、一人一人の生活者としての内面を支配させてはならないという、権力支配に抗する精神なのだ。
資本主義社会は、良かれ悪しかれ人間を「労働力」か「消費者」として画一的に見なす(だからこそ女性の社会進出を資本主義社会は基本的に尊重する。労働者も消費者も増えるのだから)。そして、人間には仕事の出来る人とできない人があり、お金を儲ける能力を持った人と、その方面には向かない人もいて、それは人間の価値の小さな一つの面に過ぎない、ということを資本主義は中々認めようとしないのだ。急速化する消費資本主義から庶民の精神を防衛するための重要な拠点のひとつも、また家族という共同体の意義であるはずだ。
ジェンダーフリー論者は、おそらく主観的には「自由」「個性」の尊重者であり、国家権力や全体主義による抑圧を憎む人たちであろうと思う。しかし、最も恐ろしいのは、そのような善意の人々が、自分たちの理想の実現のために、恐怖支配を逆に生み出してしまうという歴史の悲劇に盲目になることなのだ。
この同じ絵本の後半部では、戦場に借り出される子供の兵士、性産業の現場で人身売買まがいの目にあっている少年少女の問題などが取り上げられている。
私は絵本の評価を離れ、このような人権侵害を告発し、改善しようという点においては、いつでもジェンダーフリー論者と連携する意志がある。しかし、同時に、性産業に利用される子供たちの悲劇は、現在の消費資本主義社会で「自由」の名の下で精神を荒廃させ、売春に走る子供達の問題より小さいわけでは決してない。確かに何らの政治意識もなく(またはテロリストに洗脳されたり国家に命令されて)戦場に向かう少年少女の姿は痛ましい。しかし、映画やアニメならば、私達はそのような少年少女の姿に喝采を送るではないか。戦争映画を批判せよというのではなく、人間はそういう理性では割り切れない両義性をもつ存在なのだ。そして、題名の「いろんな国、いろんな生き方」が、様々な生き方を尊重せよ、価値観を認めよということならば、この本で力説されているような「自由」を絶対価値とする思想が、各地域の伝統文化や家族共同体に対し(勿論そこには人間性への抑圧もある事は確かだが)時として暴力的な破壊行為をもたらすことも認識しなければならないはずだ。
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Re: 中村覚之助ですか? 投稿者: とみた 投稿日: 6月11日(土)13時24分40秒
> 下にリンクしたサイトから最小限必要なところだけ引用しておきます。
那智勝浦町が主張するまでもなく……。ただ、協会は10年前くらいまで知らなかった。
神話のやたがらすは百済を象徴化したものだったのかもしれないな、とふと思った。 ------------------------------------------------------------------------
>パルタック星人さん 投稿者: 伊達 純 投稿日: 6月11日(土)10時21分2秒
あなたがは親フェミニズムであることは理解しました。そしてフェミニズムに関係する文献やサイトに目を通していることも。ただ、具体的に誰が、ということまではともかく、どういうフェミニズムの潮流(ラディカル・フェミニズムということなのでしょうが)、フェミニストのグループがそうなのかということを書いた方がいいのではないでしょうか。特に以下の部分は、
> 人によって、女性であることに肯定的意義を見出す人もいるが、
> フェミニストには割合、否定的な意義しか見出せない人が多いと
> 思う。
ラディカル・フェミニストという潮流だけではなく、フェミニスト総体が「女性であることに」「否定的な意義しか見出せない人が多い」という書き方になっています。末尾が「思う」となっていることと言い、フェミニズムに対する偏見を助長するような書き込みだと思ったので、指摘させていただきました。
「バルタック星人」ではなく「パルタック星人」であるという指摘がありました。失礼しました。>パルタック星人さん
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フェミニズムのこころとは 投稿者: パルタック星人 投稿日: 6月11日(土)07時04分40秒
私はフェミニズムを論理的に限界を指摘しても、こころの部分では対立したことはない。バックラッシュなんかとは対立しかできない。私が憎んでいるのは石原、松沢のような差別者だ。
「男性の方が抑圧されている」という論理に賛成したことは何度もある。しかし、それは枝葉の部分であって、根本部分ではない。論理的理論的誤りは指摘しても、フェミニストを重要な同盟者と考えていることには変わりはない。
バックラッシュとの対立は非和解的なものだが、方法論やアプローチの仕方に現実性が薄いとか批判しても、フェミニストとの対立というのは深部においてはない。基本的にフェミニストは左翼の敵対者ではありようがないし。
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震災については 投稿者: パルタック星人 投稿日: 6月11日(土)06時54分47秒
かつて私もしまったと思ったことがある。
当時、行政の冷淡さが大学自治会でも問題にされていたので、村山内閣と神戸市は悪であるという認識だけが先行し、せっかく復興への意見を求められて意見を書く用紙が送られて来たのに、市長が被災者と一緒に体育館で寝るべきだというような無内容なことしか書かなかった。被災者ほったあらかしでルミナリエ建設などの無駄遣いばかりが目につき、反発しかなかった。
でも、せっかくわざわざ向こうから意見を求めに来たのだから、「市長も体育館で寝ろ」なんてことだけ書かずに、もっとちゃんと復興についてのあり方を考えたら良かったと後から思った。その点では今、心が痛むものがある。
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伊達さん 投稿者: パルタック星人 投稿日: 6月11日(土)06時46分58秒
> ラジカルフェミニズムというようなものになってくると、もはや
> 自分が女性であることが苦痛でたまらなくなり、自分が男性で生
> まれていればと思って性ホルモンや性転換しかねないタイプが出
> てくると思う。
> さらに、一歩進んで夫とのセックスに苦痛を感じる人、「なんで
> 女ばっかりが生理だの、妊娠だの、出産だの、中絶だの、肉体的
> に大変な苦痛を背負わねばならないのか」という疑問をもつ人も
> いる。こういう人は性そのものをなくしたいと考えていると思う。
> 人によって、女性であることに肯定的意義を見出す人もいるが、
> フェミニストには割合、否定的な意義しか見出せない人が多いと
> 思う。
全てあなたの思い込みでしょ? 何でこんな思い込みを書けるの?
ただの思い込みではありません。ラジカルフェミニズムのサイトや本で性そのものの否定を書いた文章は見たことがある。私の頭だけで書いた文章ではない。これでも大学1年のときからフェミニズムの講義は受けているし、論文も書きました。滅茶苦茶なものだったが、上野千鶴子の本を参考にしました。あるサイトで「女というぬいぐるみをかぶっているような」「・・(性犯罪の増加などに触れて)だから自殺が減らないんだよ」と女性であること自体の苦痛を訴える投稿者の文も見た。私のスタンスを誤解してないか?私は女性にも色々なタイプがあるから一緒くたにせず、個々の事情をくむべきとはいいたいのだ。ただ単にフェミニズム憎悪のために分断すること目的としているだけでレスしてるんじゃない。私が本当にしたいことが分かってない。女性を一緒くたに「女性」とする思想に疑問を投げかけてはきたが、私は一貫して反フェミニストではないからな。そこは誤解しないで下さい。私のスタンスや本心が全然分かってないように思う。あくまでラジカルフェミニズムには、現実性が乏しいように思ったので(現実に性・妊娠・子宮そのものへの疑問をグループは存在する)、私のスタンスは親フェミニズムなのです。そこは誤解のないようにお願いしますよ。私のスタンスにちょっと勘違いしてるんじゃないですか?それこそ思い込みだと思いますよ。決して、↓のような投稿は自分の思い込みだけで書いたものではなく、自分がフェミニスト文献を見てきた上での感想なのですよ。
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そういえば… 投稿者: イレギュラーず 投稿日: 6月10日(金)18時35分37秒
「フェミニズム」以前の…
野草社や「別冊宝島」(旧JICC出版)のシリーズやらなんたら…を思い出す。って、結局旧インター日本支部の「女性差別問題」から全然前にも進んでいないし、もしかしたら後退してるかもと自身については思う。
パルタック星人さんが「否定的に」いうように、一々他人に決めつけられ、何か自分が変といわれまた同性との分断も経験する…
以上のような、破り捨てたメモの切れ端のように、書くしかない自分の今。 ------------------------------------------------------------------------
>パルタック星人さん 投稿者: 伊達 純 投稿日: 6月10日(金)17時59分57秒
> ラジカルフェミニズムというようなものになってくると、もはや
> 自分が女性であることが苦痛でたまらなくなり、自分が男性で生
> まれていればと思って性ホルモンや性転換しかねないタイプが出
> てくると思う。
> さらに、一歩進んで夫とのセックスに苦痛を感じる人、「なんで
> 女ばっかりが生理だの、妊娠だの、出産だの、中絶だの、肉体的
> に大変な苦痛を背負わねばならないのか」という疑問をもつ人も
> いる。こういう人は性そのものをなくしたいと考えていると思う。
> 人によって、女性であることに肯定的意義を見出す人もいるが、
> フェミニストには割合、否定的な意義しか見出せない人が多いと
> 思う。
全てあなたの思い込みでしょ? 何でこんな思い込みを書けるの? 私にはわからないなぁ。上野千鶴子さんなどは、「否定的な意義しか見出せない」どころではないと思うけど?
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フェミニズム 投稿者: パルタック星人 投稿日: 6月10日(金)15時00分42秒
>そもそもフェミニズムというのは、どうしても生活するために家庭外で働かざるをえない女性
>が、不公平な報酬のあり方に直面し、それに抗議するということをから始まったと思う。この
>ような原初的なフェミニズムの主張はまったくもって正しい。
男性はそのふるまい・中身によって差別される。女性は生まれながらの外見によって差別される。「あいつだから」ではなく、「女だから」。こういう中で自分自身の人生の目標を「女だから」という理由だけで妨害されることなく実現したいと考える人々が本来のフェミニストではないかと思う。
>しかし、そこへ男からまったく相手にされなかったがために男に対する異常な憎しみをもった
>、まさに「ブサイク」という形容がふさわしい大学教授たちが、自分の憎悪をもっともらしく
>理論付けをしようと試みたところからフェミニズムの失敗が始まったと思う。
ラジカルフェミニズムというようなものになってくると、もはや自分が女性であることが苦痛でたまらなくなり、自分が男性で生まれていればと思って性ホルモンや性転換しかねないタイプが出てくると思う。自分が女性である限り、「家事・セックス」といった限定的な役割に閉じ込められてしまうと。よって、自分の中の一切の女性性を否定する人がいる。
さらに、一歩進んで夫とのセックスに苦痛を感じる人、「なんで女ばっかりが生理だの、妊娠だの、出産だの、中絶だの、肉体的に大変な苦痛を背負わねばならないのか」という疑問をもつ人もいる。こういう人は性そのものをなくしたいと考えていると思う。ただし、少数派の女性であるフェミニスト(ほとんどの女性は保守的で遊ぶのが好きなノンポリに思う)の中でも、少数派だと思う。むしろ、ほとんどの女性は自分が妊娠して始めて、喜びと同時に、女性としてのできることの限界も感じると思う。しかし、逆にそこから「女性である自分から見た」社会観も人によって色々と変わってくると思う。
性転換・性ホルモン注射までする人は逆に常に意識しなければならないほど、自分が男性または女性であることが人一倍耐えられないくらい重い訳だ。特に女性は幼いうちから否応なく「女だ」という目で見られる訳で、そのことについての意味付けに異様にこだわる人、あまりこだわらない人が男性以上に出てくる。
心の中が男と一緒でも女の見かけをしているだけで「女」と認識され、レイプや凶悪犯罪・暴力の危険に男性よりはるかに高い割合で晒される。女性の見かけをしているというのは危険なことだ。人によって、女性であることに肯定的意義を見出す人もいるが、フェミニストには割合、否定的な意義しか見出せない人が多いと思う。
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国産 投稿者: 鍋山 投稿日: 6月 9日(木)17時53分35秒
フランスの状況はよくわからないが〜
国産四トロ三派の一つ「MELT」最新号から
機関紙である『ニュースレター』も、すっかり「評論誌」のようになってしまったが、
時々面白い記事もある。
最後の、【すべての戦争犠牲者を慰霊する国民的モニュメント(記念碑)の創造】には、賛成できないが・・・
【中国の反日デモと韓国の対日批判】
日本近代史の負債に向き合う新たな戦没者慰霊碑の創造を
=「脱亜入欧」から脱却する、日本民衆の能動的メッセージ=
(インターナショナル第154号:2005年4月掲載)
http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/jap/jap31.htm
▼戦後日本の何が問題なのか
「小泉政権の政治的命脈は尽きた。しかもそれは政権の一枚看板である『構造改革』の行き詰まりを契機としてではなく、政局とは無縁と見なされている外交的破綻を契機にして明らかになった」。
・・・
戦後日本の保守政治家が、口先では謝罪を繰り返しながら過去の侵略戦争を一向に反省しないのは、もちろん東西冷戦という特殊な国際情勢の下で「戦争の遂行とその惨憺たる結末に大いに責任のある高級官僚や政治家たちが、国家元首たる天皇がその地位に居座ったのに倣って〃国家の指導者としての責任〃を免れた」(同前)ことに起因する日本保守勢力の歴史的負債が、今も清算されていないことの証しである。
だがその保守と対決した戦後革新も「アジアに対する優越感」を共有し、竹島や尖閣諸島については今も「日本固有の領土」と言ってはばからない。それは戦後革新勢力もまた一握りの軍指導者に戦争責任のすべてを押しつけ、対米戦での無残な敗北と広島・長崎の被爆に代表される「庶民の被害」を強調する反面、中国とアジア諸国で旧帝国陸軍の大半が壊滅した「アジアでの敗戦」と「日本による加害」を過小評価した敗戦処理を保守勢力と共に受け入れた結果である。そのうえ近代日本が引きずっていた家父長的な社会的倫理規範を省みることなく「一知半解なアメリカ的個人主義」に乗り移り、「平和国家としての再生」という虚構の上に安住し、保守勢力と共に経済的繁栄を謳歌してきたと言うのは言い過ぎだろうか。
・・・
▼日中国交回復の誤算と無自覚
・・・日中国交回復当時、両国政府が依拠した「虚構」・・・
1972年、日本との国交回復を決めるにあたって中国が直面した最大の難関は、かつての侵略者・日本との友好を、侵略の被害者である中国が賠償請求権を放棄してまで実現する理由を、他ならぬ中国民衆に納得させることであった。
「日本の中国侵略は一部の軍国主義勢力によるものであり、日本の大多数の国民は中国国民と同じ戦争の被害者である」という中国側の見解はこのために考え出されたのだが、これは「虚構」である。それは個々の日本兵による数々の蛮行の背後に、当時の日本社会に蔓延していた中国蔑視があったことだけでも明らかである。つまり日中国交回復は、この「虚構」を両国政府が共有することではじめて実現されたのだ。
中国政府が「首相と官房長官と外相は靖国を参拝しない紳士協定」の存在まで持ち出して靖国参拝中止を要求するのは、A級戦犯という「軍国主義勢力の頭目」を合祀する靖国参拝が、「日本人も同じ戦争の被害者だ」と言う虚構を否定することに他ならないからなのである。日中両国が共有すべきこの虚構が崩壊すれば、後述するような中国進出日系企業の「非現地主義」も助長した若い世代の反日感情は、日本による中国侵略という歴史的現実と結びつくことで更に鼓舞され、文字通り押し止どめ難い不満のマグマとなる可能性があるからなのである。
ところが中国の誤算はこの虚構が持つもうひとつの側面、つまり戦後日本がアジア侵略という近代史の負債と真摯に向き合うことを阻害する要因になったことである。
なぜならこの虚構は戦後日本社会の内面、とりわけアジア侵略に自ら手を染めた後で戦後日本の復興を担い、72年には日中国交回復を決断もした田中角栄ら「戦中世代」に付きまとってきた「侵略への後ろめたさ」にある種の免罪を与え、「皇軍による戦争犯罪」に対する謙虚な自省の契機をむしろ後退させることになったとも言えるからである。
結果として、「戦中世代の後ろめたさ」のために元々「日本近代史の負債から目を背ける」傾向のあった戦後日本の歴史教育は、この免罪を得て「近代史の負債を忘却する」傾向をさらに強め、ついに今年は「慰安婦」という記述がすべての教科書から消えてしまうに至ったのである。
しかも小泉やこの政権の閣僚たちに代表される「戦後世代」の世襲議員たちは、いわば「後ろめたさを忘れたい」戦中世代を親に持ち、日本近代史の負債をほとんど教えない歴史教育を通じて「加害の現実感」からさえ切り離されてしまったのだ。そしてまさにそのことが、靖国参拝に対する中韓両国政府との認識の落差を不断に拡大している。それは日中友好が危うい虚構の上にかろうじて成立してきたことに対する日本政治の、いや正確にはアメリカの庇護に隠れて戦争責任に〃ほおかむり〃してきた「日本社会の」無自覚を象徴している。
▼戦後補償を切り捨てた日韓条約
〈 略 〉
▼日系企業の非現地化とアジア蔑視
〈 略 〉
▼「失われた半世紀」を取り戻す
・・・すべての戦争犠牲者を慰霊する国民的モニュメント(記念碑)の創造・・・
【これも興味深い】
「たしなみの宗教」から「救いの宗教」へ
豊かさが生み出す不安と宗教の役割
―ローマ法王の死と日本政府の宗教無策―
(インターナショナル第154号:2005年4月掲載)
http://www014.upp.so-net.ne.jp/tor-ks/edu/edu13.htm ------------------------------------------------------------------------
『アヴァロンの霧』、上野千鶴子さん、坂口安吾の天皇制論 投稿者: 伊達 純 投稿日: 6月
9日(木)15時17分44秒
> いちおう、『指輪物語』『アヴァロンの霧』『ピッピ』に関して
> は、と読んだ範囲内での限定ですが
ををっ! 『アヴァロンの霧』も読んでおられるのですか! 従来のアーサー王の物語では邪悪な魔女として描かれることの多かったモーゲン・ル・フェイが、繊細で魅力的な女性として描かれていましたよね。
> そこで紹介されているヒロインというのは、フェミニズムやジェ
> ンダーフリーと言う読み方も出来るでしょうけど、私の感覚では
> 大変伝統的な「女性の抑圧された日常からの解放の夢」としての
> 『魔女』や「王様をやり込める賢い庶民女性」「女戦士、女英雄」
> 像の反映だと思いますよ。
ああいったヒロインたちが実際にいたら、と思いません? そして社会の抑圧が無くなったら、そういう魅力的な女性たちがもっとたくさんあらわれると思いますよ?
> 上野千鶴子氏は、初期の作品は今でも中々興味深いと思いますよ。
> 確か『スカートの下の劇場』辺りは面白かったような、自らフェ
> ミニズムを否定するかのような記述すら見受けられた気もする。
上野千鶴子さんは自分が女性であることを大事にしておられると思いますよ。ですから改憲派氏の書きようは、上野さんに関しては不当であると思っています(ただし田島陽子さんに関しては、私も「ちょっとなぁ…」と思ってしまうのですが)。実際、自称「封建主義者」の呉智英氏は、上野さんのことを「いい女」だと書いていたと記憶しています。私も彼女の本をきちんと読んだ訳ではないのですが。
それから天皇制については、坂口安吾が次のように書いていたことを紹介します。
> たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕の命令に服してく
> れという。すると国民は泣いて、ほかならぬ陛下の命令だから、
> 忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘を
> つけ! 嘘をつけ!
> 我ら国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹
> 槍をしごいて戦争に立ちむかい、土人形のごとくにバタバタ死ぬ
> のが厭でたまらなかったのではないか。戦争の終わることを最も
> 切に欲していた。そのくせ、それが言えないのだ。
…(中略)…
> 天皇制が存続し、かかる歴史的カラクリが日本の観念にからみ
> 残って作用するかぎり、日本に人間の、人性の正しい開花はのぞ
> むことができないのだ。人間の正しい光は永遠にとざされ、真の
> 人間的幸福も、人間的苦悩も、すべて人間の真実なる姿は日本を
> 訪れる時がないだろう。
『続堕落論』(坂口安吾 『堕落論』 (角川文庫)所収 P.104〜105) ------------------------------------------------------------------------
フランス第四インター派の支持率がトップ? 投稿者: まっぺん 投稿日: 6月 9日(木)14時30分56秒
フランスの国民投票で、EU憲法拒否後、第四インターフランス支部のLCR(革命的共産主義者同盟)の支持率がどの政党よりも高いという報道がされています。かけはし6月13日号は特集を組んでいます。
欧州憲法否決−−仏ではシラク大統領の支持率が24〜26%と就任以来最低レベルを記録。一方、憲法に反対した社会党のファビウス元首相(支持率29%)、右派「フランスのための運動」のドビリエ党首(22%)、極左「革命的共産主義者同盟」のブザンスノ代表(30%)が支持率を大きく伸ばしている。(毎日、6月9日朝刊)。
(かけはしサイトより)http://www.jrcl.net/ ------------------------------------------------------------------------
林房雄著作集より 投稿者: 野次馬の視線 投稿日: 6月 9日(木)10時20分3秒
戦後すぐに刊行予定であった『日本よ美しくあれ』(後に翼書院版著作集2に収録)に「敗北」という一文があります。敗戦直後の話で、「アメリカ憲兵が八幡宮の前でアメリカ兵を叱っていた」光景を見てショックを受けた友人の話を中心としたエッセイです。その友人は、こう語ります。「戦争の進行と共に、中国のあらゆる場所で、日本人の暴行や犯罪は頻発したが、きわめて秘密に処理された。特にそれが軍人官吏の犯行である場合には、同じ日本人たる我々自身も知らされなかった。知らされない側の我々も、それを当然の処置と思いこんで、あえて詮索しようとしなかったのだ。日本の敗北はここからはじまったのだ。ここに敗戦の根本原因があるのだ。」
林房雄は晩年に左右両方から金をもらったということで三島由紀夫に批判されていますが、「自虐史観反対」を唱えている方々に読んでいただきたい一文です。
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林房雄『大東亜戦争肯定論』には 投稿者: 三浦小太郎 投稿日: 6月 9日(木)09時34分21秒
林房雄『大東亜戦争肯定論』(夏目書房)今読むと中々面白いですよ。当時は理解されにくかったでしょうけど、自由主義史観系列の本を読むのならこちらをむしろお勧めしたいくらい。昭和天皇陛下の戦争責任論について、一つの典型的な主張がなされています。部分引用は誤解を招くので本当は本書に当たって欲しいのですが、一応・・
「(東京裁判において、昭和天皇陛下に責任なしという保守派学者の意見に抗して)かかる恥知らずの『裁判』に対しては、私は全被告と共に、全日本国民と共に叫びたい。我々は有罪である。天皇と共に有罪である」
「自分は絶対に闘わなかった、ただの戦争被害者だと自信する人は、勿論この抗議に加わらなくてもいい。あの戦争の後に産まれた若い世代にも責任はない。だが、私は私なりに戦った。天皇もまた天皇として戦った。日本国民は天皇と共に戦い、天皇は国民と共に戦ったのだ。『太平洋戦争』だけではない。日清、日露、日支戦争を含む、『東亜百年戦争』を、明治、大正、昭和の3天皇は宣戦の詔勅に署名し、自ら大元帥の軍曹と資格において戦った。『東京裁判』用語とはまったく別の意味で、『戦争責任』は天皇にも皇族にもある。これは弁護の余地も弁護の必要もない事実だ」(118ページ)
林房雄と私では大分意見は違いますが、本書を1963年から65年に賭けてこつこつと連載した事は文筆家として立派なことだと思います。最近の歴史論争で私が不満なのは、どうも資料の羅列と言うと失礼ですが、その時代を生きた人々への思いや愛情が感じられないものが何か多い気がするんですよね。事実や資料を並べれば物が分かるのではなくて、その背後の人間の息遣いを感じるのが大切なはずだと思います。まあお前もそうだよ、と言われればおしまいですが。本書は少なくともアジア各民族への想いだとか、自分の半生の体験に根ざした知識人としての覚悟とかが伝わってきて、そこは立場を超えて胸を打つものがあるはずです。
登呂月さまへ、もし未読でしたら、とりあえず松田道雄『ロシアの革命』(講談社)をご一読される事をお勧めします。文庫版で入手可能と思いますよ。それで一応流れを掴んでおくと、トロッキーやレーニンの著作を読みやすいと思います。今は色々と資料が発掘されて本書の記述には古いところもあるんですが、文章も読みやすく著者の視点がよきリベラリストとしてのバランスが取れています。
伊達様
そこで紹介されているヒロインというのは、フェミニズムやジェンダーフリーと言う読み方も出来るでしょうけど、私の感覚では大変伝統的な「女性の抑圧された日常からの解放の夢」としての『魔女』や「王様をやり込める賢い庶民女性」「女戦士、女英雄」像の反映だと思いますよ。(いちおう、『指輪物語』『アヴァロンの霧』『ピッピ』に関しては、と読んだ範囲内での限定ですが)グリム童話にも、その様なヒロインは一杯出てきます。元々ファンタジーと言うのは(実はSFもそうだと思うんだけど)民話や神話などの伝統文化に根ざしているからこそ面白いんだと思う。
上野千鶴子氏は、初期の作品は今でも中々興味深いと思いますよ。そんなに読んだわけではないけれども、処女作「セクシイ・ギャルの大研究」(カッパブックス、光文社)、特にエピローグの『女社会は至福の千年王国か』は、その後のフェミニズムの混迷をむしろ予見していた。最近作はほとんど読んでいないのでコメントできませんが、ある時期からちょっと『戦略』に走りすぎたのではないかと。確か『スカートの下の劇場』辺りは面白かったような、自らフェミニズムを否定するかのような記述すら見受けられた気もする。
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興味深い右翼サイト、ハケーン 投稿者: 野次馬の視線 投稿日: 6月 8日(水)23時57分17秒
護國團の石井さんの関係者らしいですが、終戦半年前の昭和天皇の戦争責任を問い、共産党のビラ入れ逮捕に抗議するというスタンスをとっています。靖国神社年表がとても役にたつ。昭和天皇の靖国神社参拝できなくて残念という意味の御製が掲載されていたりして。(既出だったらご免なさい。)
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/index.html ------------------------------------------------------------------------
ありがとうございます 投稿者: 登呂月 投稿日: 6月 8日(水)22時42分43秒
引用
TAMO2さん、詳しく教えていただいてありがとうございました。
でもその後モスクワ市ソヴィエトの議長にまでカーメネフは
なったんですよね…。また調べても分からないことがあれば
訊かせて頂くかもしれません、その時はすみませんがよろしくお願いします。
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失礼しました。 投稿者: 北@仙台 投稿日: 6月 8日(水)22時01分59秒
>うちのカミさんが「まさしくそれ」
ってファッションや容姿のことじゃないんです。
男にも言えることなんですが、精神年齢が低いと言うか、
(いや、低くはないのですが・・・)
わざとそれを見せて、「若者」に迎合しようとする
オーラが出始めると・・・・もう勘弁してくれと(笑)
うちの職場の相方なんですが。ま、女子大学の宿命かな ------------------------------------------------------------------------
う! ぐさっっっっ 投稿者: まっぺん 投稿日: 6月 8日(水)21時05分25秒
北さん。
> 僕は年甲斐もなくカワイコブリッコの年配の女性がキショイ
うちのカミさんが「まさしくそれ」なんだわ・・・・・・・ ------------------------------------------------------------------------
これかと 投稿者: TAMO2 投稿日: 6月 8日(水)20時57分6秒
引用
登呂月さん、はじめまして。リンク先のことですね。武装蜂起の計画について、二人は
漏洩しました。で、いつ蜂起するか、新聞を通じて討議されるという非常に面白いこと
となりました。
蛇足ですが、こういうのをクーデターと言うのはかなり苦しいと思います。
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18日、ペトログラード各地に展開する部隊の代表からなる「守備部隊会議」の第1回
会議が開かれ、ほとんどの部隊が軍事革命委員会支持を表明した。ここでは、各部隊が勝
手に動かないことが要請された。この前日に開かれた軍事革命委員会会議では、七月事件
の際にボリシェヴィキと対峙した第176聯隊がボリシェヴィキ化したことが報告され
た。しかし『ノーヴァヤ・ジーズニ』紙に蜂起反対派のカーメネフの文章が掲載され、蜂
起が「全ロシア・ソヴィエト大会」の数日前(それは間違いだったが)であることまでが
暴露されてしまった。
http://www.kaho.biz/russia/g.html
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質問です 投稿者: 登呂月 投稿日: 6月 8日(水)20時28分43秒
はじめまして、今トロツキーを勉強している学生です。
永続革命論の復刊版を見つけたので今読んでいるのですが、
いきなり「十月の教訓」の序文で詰まってしまいました…。
「レーニンの遺書は、ジノヴィエフとカーメネフについて、
「彼等の十月におけるエピソードは偶然ではなかった」と
いっている」とあるのですがジノヴィエフとカーメネフの
エピソードって何ですか?当方初学者ゆえジノヴィエフと
カーメネフといえば十月革命では武力蜂起時期尚早論を
唱えたことくらいしか思い当たらないのですがこちらの
トロツキストの方々にご教授いただければ幸いです。 ------------------------------------------------------------------------