四トロ同窓会二次会 2006年1月11日〜19日

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ありゃ? 投稿者:セクトNo7@前世がマル青同 投稿日: 1月19日(木)07時34分6秒

>いやいやいや。マイホームパパしてたっていーーんですってば。それは大なり小なり、似たような話はみんなあるわけで

書き方が悪かったようですね。マイホームパパも「所謂、小ブル」も否定する気はありませんし、私がそれと別だとは思いますせん。ただ、過去をなかったことのように言う連中がいましたので、「そりゃ無かろうよ。」と思っただけです。過去があって現在があるのだから、そこまで「無かったように清算することもあるまいよ。」と思ったのです。個人の自由と言ったら、それまでなんですがね。
どんな自分であっても肯定してほしいと思ったのです。余計な「お世話」と言うなら、そのとおりなんですがね。
気分を害したらごめんなさい。

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個人ルートよりも 投稿者:久我山村民@泥酔 投稿日: 1月19日(木)02時44分20秒

本は、一般ルートでちゃんと買いますよ。ご安心を。

 いやいやいや。マイホームパパしてたっていーーんですってば。それは大なり
小なり、似たような話はみんなあるわけで(貴殿になければ恐縮です)。
 それを言ったら「小ブル自由主義の突破を!」とかホザイていやがった、某××
××の「バカ」と同じなんだって。「小ブルの何処が悪い?」・・つーか「小ブル
ってそもそも何よ?」って話なんだって。

 「小ブル」?そういえばこれ、便利な言葉だよな。
 こーゆー言葉を使って内部ゲバルトをしていながら、いま「温々と」生きている
「バカ」はともかく、ま、仕方ない部分もありますよ、我々レベルの「小ブル」
は、基本的に。あくまで、その中から何が生まれるのか(創っていくのか?)つー
話で。

 ちなみに、南米の左翼政権は、「水道の民営化」から生まれたようです。「小ブ
ル」も怒ったわけですよ、さすがにこれにはね。

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久我山同志へ 投稿者:セクトNo7@前世がマル青同 投稿日: 1月18日(水)12時44分44秒

中津川フォークジャンボリーのレコードを聞いたことがあります。あの時「帰れ!」コールがなかったのは、岡林信康・三上寛・加川良だったと思います。岡林はカリスマ性の故、三上はおっかなかったから、加川は「気にすることじゃありません」(伝道)と言いつつ「今すぐアメリカを攻めましょう」という過激ではない過激さが支持を集めたと思います。
久我山同志の「青くなってしり込みなさい」という表現は、嫌いじゃありませんでしたが、そういう態度も何回か(何十回も 汗)してきたと思います。だから生きてこれたと言うのも同感します。

ただし、いつも思うんですが友部さんが「乾杯」で語っているように、「やすこさんだけには触りがたる」安っぽいヒューマニズムには組したくないと思います。
たしかに、突撃命令を出した人間はいたし、突撃した人間もいます。いつの現場にでもね。
突撃命令を出して今は(何食わぬ顔で)マイホームパパをしているやつは軽蔑に値しますが、突撃した兵士には「ご苦労さんでした。」と言うしかないと思います。いるんだよね。昔若かったからと過去を清算するやつが、過去を総括してこそ現在を肯定できるだろうにさ。

管制塔基金の4ヶ月の記録買ってくださいね。

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セクトNo.7さん 投稿者:友部正人ふぁん(久我山分室) 投稿日: 1月17日(火)23時10分28秒

>青くなって尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい

 これをやって説教されたけど、そのお陰で、今日も大したことはし
てないながら、志を少しだけ守りながら生きながらえてきた、という
側面はなくはなかったですね、私自身(複雑な物言いですが、私個人
とそうでないものの両方ともに、ね)。

 あのとき威勢よく命令したり、忠実に命令に従って「兵隊」になっ
ていた連中、今頃どうしてるんかなーー。何もしてないんだろうけど。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051027-00000137-mai-soci

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ちなみに仙台でも 投稿者:北@仙台 投稿日: 1月17日(火)11時28分57秒

http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2006/01/20060117t13038.htm
仙台市、ホームレスに退去命令 榴岡公園の12物件
(1/16 23:47)

 仙台市は16日、宮城野区の榴岡公園内で生活しているホームレスのテントなど12物件に対し、都市公園法に基づき、「不法占用物件の除却(撤去)」を命じた。3月19日までに撤去されなかった場合、市は行政代執行法に基づいて強制撤去に乗り出す。市公園課によると、同法に基づくホームレステントの撤去命令は、2004年12月の名古屋市に次いで全国2例目となる。

 榴岡公園で現在生活しているホームレスは、30ム60代の計12人で全員男性。市はこの日、現地に職員を派遣し、ホームレスにテントやテーブルを撤去するよう命じる命令書を手渡した。居住者不在のテントには命令書を配布した。

 榴岡公園のホームレスをめぐっては、昨年3月に公園内にホームレスの緊急一時宿泊施設(シェルター)の路上生活者支援センターを開所。周辺の住民に対し、市は「支援センター設置から1年後には、公園を不法占拠するホームレスをゼロにする」と説明していた。

 市公園課は「支援センターへの入所などを促すが、従わない場合は強制撤去せざるを得ない」と話している。ただ、命令に不服がある場合は、行政不服審査法に基づいて60日以内に異議申し立てができる。

 市は、ホームレスを退去させ、新年度に榴岡公園の再整備に着手する計画。再びテントが設置されるのを防ぐため、ホームレスが集中している緑地内の園路をアスファルトで舗装し、見通しを良くするために樹木の伐採や移植を行う。

2006年01月16日月曜日

ホームレスに仙台市退去命令 支援者ら市の対応疑問視(1/16 23:37)
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/news/2006/01/20060117t13034.htm
撤去命令が出された榴岡公園のホームレスのテント
 仙台市宮城野区の榴岡公園内で生活しているホームレスのテントなど12物件に、市が16日、都市公園法に基づく撤去命令を出した。ホームレスの支援団体からは「官民が自立を促そうと取り組んでいる最中の強制撤去命令は残念」と、対応を疑問視する声が上がっている。

 市社会課によると、市内のホームレスは、昨年12月時点で約150人。前年同月比で100人程度減少している。

 市民団体がアパートを貸すなどして就労支援を行っているほか、市健康福祉局の職員も榴岡公園などを巡回。個別に生活相談に乗るなどして、路上生活から自立するよう促している。

 榴岡公園内に昨年3月開所した市路上生活者支援センターには昨年12月末までに、延べ116人が入所。退所者88人のうち77人が自立または自立に向けた生活を送ったり、帰郷したりしているという。

 同公園内のホームレスもセンターへの入所を促すなどした結果、ピーク時(2003年1月)の37人から12人にまで減っていた。
 自立支援が軌道に乗りつつある中での撤去命令について、支援団体のメンバーは批判的だ。

 NPO法人「仙台夜回りグループ」の今井誠二理事長は「センターは自立支援ではなく、ホームレスの一掃が目的だったと言わざるを得ない」と厳しく指摘。別の団体の幹部も「最後の一人が自立するまで、猶予期間を設定できなかったのか」と残念がる。

 市社会課は「ホームレスのほぼ全員が公園からの退去の必要性を理解している。強制執行の前に、自主的に退去してもらえるよう説得したい」と話している。

2006年01月16日月曜日

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〔緊急〕 大阪市で野宿者の強制排除(転送歓迎) 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月17日(火)10時57分14秒

釜パト支援へのご協力をおねがいします。以下抜粋
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 大阪市で野宿者の強制排除が現実のものになろうとしています。最短で1月20日にも強制排除が実施される可能性があります。野宿者の強制排除は、人殺しの正当化にほかなりません。この異常な競争社会。豊かなものがますます豊かに、貧しい人々はますます貧困に追い詰められる社会。その最大の犠牲者の一人である野宿者に対する、「行政はあなたを見放します。死んでも仕方がありません」という死刑宣告です。このままでは、私たちの社会にまたひとつ「殺しの理屈」が埋め込まれる。
 どうか、あなたの場所から、抗議の声をあげてください。野宿者に連帯の手を伸ばしてください。釜ヶ崎パトロールの会のブログに詳しい報告や抗議の声をアップしています。ぜひご覧になってください。
http://kamapat.seesaa.net/

 2005年1月24日、名古屋・白川公園での代執行のために行政側が作成したマニュアルを、以下で公開しています。
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa.html

 行政代執行とは、警察との緊密な連携のもと、多数の市職員による部隊を緻密に編成して行われる組織的暴力行為であり、「軍事行動」であることがよくわかります。これは名古屋市のマニュアルですが、大阪市が靱・大阪城公園代執行のために作成しているものもこれと同様か、より内容的にひどいものでしょう。もともとシェルターと排除をセットにする施策自体、長居公園など大阪市の先行例から名古屋市が学んだものです。
 以下、ざっと紹介していきます。

『白川公園内の小屋等の撤去(行政代執行)に伴う予想事案等と措置要領』
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_01.jpg
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_02.jpg
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_03.jpg
 ここでは、抵抗する当事者・支援者を、どういう口実で排除・逮捕するかを綿密に検討しています。1枚目の「(警察の役割の)実態は全面的支援」3枚目の「名古屋市(は)全面的に警察をたよる」という書き込みに、行政と警察の関係性が集約されています。抗議ビラまきから座り込みに至るまで、「予想される事案」ごとに分類し、「擬律判断」と「措置要領」を定めています。

4枚目以降の『2 実施体制』をみていきましょう。
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_04.jpg
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_05.jpg
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_06.jpg
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_07.jpg
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_08.jpg
 「現場本部」のもと、「総務隊」「保安隊」「第1〜3作業隊」「保管隊」などに分かれ、さらに細かく数人ごとの班(小隊)ごとに部隊を編成していることがわかります。

『3 情報連絡系統表 (ア)連絡体制表』
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_09.jpg
 この組織図をみれば、シェルターが野宿者排除のシステムの不可欠な一部であることがよくわかります。「シェルター」「警察署」「消防署」と並んでいるのが印象的です。
 『11 行政代執行実施に係る対応方針』では、具体的な現場方針が示されています。
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_21.jpg

『(イ)代執行に際して』
 職員に対し「何ら臆することなく指示された業務に従事する」こととし、強制排除に疑問をもたず、規律に服すことを求めています。そのうえで「暴言や嘲笑、威嚇的な態度は厳に慎むように」とも言っていますが、これは代執行の場面でなくとも、野宿者に対して行政職員が日常的に行っている対応でもあります。そして実力排除の際は「変に躊躇したりすると怪我やトラブルの元」と、再度命令への服従と断固たる実行を強調しています。

 『(ウ)代執行着手時について』では、代執行中のさまざま
な状況別に対応が定められています。

『相手が自傷行為に及んだ場合』
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_24.jpg
 計画発案者が、仲間が抗議して「焼身自殺」する可能性や、「自傷行為」に及ぶ可能性まで考慮しており、そのうえで代執行に臨んでいることがわかります。これが、「殺人行政」でなくてなんでしょうか。

 『生活物品がないために「今晩どうすればいいんだ」とわめきちらし、収拾がつかない場合』
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_25.jpg
 仲間の生活の場を破壊し、奪い去ることの犯罪性にまったく無頓着な、この侮蔑的表現には絶句せざるをえません。

『(オ)不測の事態の対応について』
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_26.jpg
 職員が仲間に暴力を振るった(と抗議された)場合、「むやみに反論することなく」対応し、名前を名乗るよう言われたら「何ら反応することなく」現場から逃げていくように、と指示してもいます。

『(カ)一般利用者への対応について』
『(キ)報道関係の対応について』
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_28.jpg
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_29.jpg
 強制排除の過程を報道されると自分たちに都合が悪いことをよく理解しており、市民やマスコミを撤去現場に近寄らせないよう規制する体制を敷いていることがわかります。

『(ク)事業執務について』
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_30.jpg
 休憩時であっても部隊行動を貫徹すること、職員が「負傷」した場合でも、班長に申し出、許可を得てから現場を離れるよう定めています。軍隊そのものです。

『(コ)保管・返却方法について』
http://page.freett.com/kamapat/shirakawa_32.jpg
 撤去された物品の返還要求があった際、破損や紛失があれば「状況や原因も含めわからない」と言い逃れをおこない、弁償も拒否せよ、と指導しています。2003年5月に大阪市が行ったJR大阪駅前での荷物撤去事件を思い起こさせます。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9279/anti-eviction_030603.html

 ・・・これで、唐突にマニュアルは終わっています。
 この終わり方自体、仲間の生活(靱公園では、10年近くにわたってテントで暮らしてきた仲間もいます)を暴力で断ち切る、代執行にふさわしい形式なのかもしれません。

 くりかえしになりますが、代執行とは、行政によって企画・実行される組織的暴力行為です。マニュアル内では動員される職員に「こちらから手を出すな」と繰り返していますが、報道統制や事後の責任回避策を入念に準備している事実に、その犯罪性を行政側がよく自覚していることが見て取れます。
 白川では、たった7名の仲間のテントを撤去するのに、600名以上の市職員・ガードマンが動員されました。靱・大阪城では、大阪市によってそれ以上の体制が組まれるであろうことは確実です。
 この文章を読んでいる人の中にも、当日動員されるであろう数百名のうちに入る人がいるかと思います。私たちは、あなた(たち)に呼びかけます。このような「軍務」を、どうか拒否してください。
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以上転載

問合せ先:釜ヶ崎パトロールの会 tel/fax:06-6374-2233
e-mail/kamapat@infoseek.jp

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加川良ね 投稿者:セクトNo7@前世がマル青同 投稿日: 1月17日(火)01時16分10秒

久我山同志、ご意見同意します。
でも、その後に加川良は高田渡さんと疎遠になって、ロック歌手やってると聞いています。でも、少し気障っぽくて、鼻持ちならないところはありました。人のことは言えないけれどね。

私は北さんみたいにかっこよく言えないんで、情けないんですが、やっぱ覚悟は厳しいかなと思うのです。でも、後ろから撃たれるのは可能性として30パーセントから40パーセントはあるんじゃないかと思ってまして、その面では党派というものを信用はしていません。「たまんない」というよりも、そんなやつらを後ろにしてしまった自分の不明を恥じ入るのみかな。

戦前だったら、爆弾三銃士(だったかな?)でしょうね。似合ってるでしょう。

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守るべきものは何か? 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月16日(月)16時21分30秒

TAMO2さん、すえいどんさん、ちくさんの書き込みから思い出した事。亡父は学徒動員で出陣し、ソ連抑留の後帰って来た経験の持ち主で、同じく伯父は出征前に終戦になったので、戦前と戦後の移り変わりをよく知っています。その父と伯父から聞いた話。

戦時中にはいろいろ戦争に協力する団体がありましたが、国防婦人会なる団体がよくご近所を回っていろいろ宣伝していたそうです。もちろん戦争に非協力的と見られる家があれば集団で押し掛けていって説教する。こういう団体は終戦と共に尽く消え去っていきましたが、今度は「民主的な」団体がいろいろ結成され、戦争に協力的だったと見られる家の玄関前で抗議したり、スローガンを叫んでご近所を回ったりして、しばらくは喧しかったそうです。そしてその団体の積極的人物は国防婦人会でも中心的な人たちだったそうな。その方々にとって「守るべきもの」っていったい何だったんだろうか? 間違いを認めてやり直すのはいいけど、他者を追及する事に伴う心の痛みってないんだろうか?

追伸

保守派だった父と私はイデオロギー的に対立していたわけですが、父はこの話をしたあと「お前がもし戦前に生まれていたら最も過激な国防右翼になっていただろうよ」と。もしかしたらそうなっていったかも知れない。それは否定しない。

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犠牲になることはいとわないけど・・・ 投稿者:北@仙台 投稿日: 1月16日(月)15時50分44秒

人々が圧制を包囲する過程で、権力の圧倒的な暴力により血にまみれることは
まったくいとわないけど、陣地のなかで後ろから撃たれるのはやだね。

>死んでバカだといわれることもあるでしょうね

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守るべきものを持たない人 投稿者:ちく 投稿日: 1月16日(月)14時35分43秒

守るべきものを持たない人はいくらでも尻込みなさい。
尻込みしても生きていられるとは限らない。
死んでバカだといわれることもあるでしょうね。

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日本人的責任感について 投稿者:すえいどん 投稿日: 1月16日(月)14時30分14秒

これはもう、内ゲバのみならず、敗戦直後からのことでは。蒙昧なる参謀本部(獄中組)のもと、「聖戦」から転換してきた兵士を集めた革命運動。・・・・戦後マルクス主義の60年の実践は、日本軍の大東亜戦争とその敗北の過程を、国内思想戦という舞台で、強迫反復的に繰り返したようにも思えます。

別の板に書いたことを転載
>ある理念に生きようと思ったものにとって、その理念が“崩壊した”状況が瓦礫と見えても、その理念の外側にいたものにとっては、昨日と今日に何の違いもないのではありませんか。どこにも瓦礫などないと。戦後マルクス主義の60年の実践は、日本軍の大東亜戦争とその敗北の過程を、国内思想戦という舞台で、強迫反復的に繰り返したようにも思えます。瓦礫だからこそ「アプリオリに掲げる」以外にどんな途も残されていない、というのも、いささか強迫反復の感も

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逃げるが価値・・いや勝ち♪ 投稿者:久我山村民 投稿日: 1月16日(月)02時09分39秒

《「教訓」 作詞・作曲 加川良》

命はひとつ 人生は一回 だから命をすてないようにね
(略)
命を捨てて男になれと いわれた時には震えましょうよね
そうよ アタシャ 女で結構 女の腐ったので構いませんよ
青くなって尻込みなさい 逃げなさい 隠れなさい
死んで神様といわれるよりも 生きてバカだといわれましょうよね
(後略)
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E5%8A%A0%E5%B7%9D%E8%89%AF%E3%80%80%E6%95%99%E8%A8%93&src=top&ei=UTF-8&u=ch.kitaguni.tv/u/1023/%25BB%25FE%25BB%25F6%25A1%25F5%25BC%25D2%25B2%25F1%25CC%25E4%25C2%25EA/0000034094.html&w=%22%E5%8A%A0%E5%B7%9D+%E8%89%AF%22+%E6%95%99%E8%A8%93&d=CdV-uw0DMGRr&icp=1&.intl=jp

 テイコクシュギ戦争も、内ゲバも、およそ幹部が生き残って兵隊に「突撃ー!」
というときの「兵隊」の立場であればすべて、の時に、この歌を想い出して、皆さん
逃げるとしましょうか。
 但し逃げるんならちゃんと生き延びて、自分は決して「突撃!」と命令しないように
ね(笑)。

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日本人的責任感について 投稿者:TAMO2 投稿日: 1月15日(日)23時08分18秒

内ゲバについて議論が再燃しているようですね。小生もかつて議論に参加していたことが
ありますが、荷が重過ぎて論争の舞台からは逃げています。ただ、それでも「特に日本で戦
前〜戦後を貫いて内ゲバが中々克服されないのはなぜか」については時折考えたりしており
ます。

 最近、とある戦略本を読んでいるのですが、その本では太平洋戦争における日本軍のダメ
さ加減が軍事的観点から物凄く手厳しく指摘されております。そしてそのダメさは日本左翼
にもそっくりそのまま当てはまる点があると思います。そしてその土壌の上に、内ゲバとい
うものも族生したのかなと思います。あくまで一つの試論です。

【下の頑張リズムへの転嫁(精神主義の跋扈)】
 大本営の指令がいかに無茶苦茶なものであっても、現場の部隊がその命令に責任をもって
しまい、死に物狂いの取り組みでもってコトを成功させてしまう、ということが戦争初期に
はあったようです。(これまた皆様お嫌いと思われる山本七平氏の体験談に詳しい。たとえ
ば、『一下級将校の見た帝国陸軍』。これは、『安田講堂 1968−69』でも引用され
ている本です。)

 ところが、上は「を、やればできるやんけ」と言うべきレベルの暢気さで、その(異常な)
状態が常態化します。命掛けの行為は下に、手柄は上に。実に日本的ですな。

 こんなことが続けば、下はささくれ立ち、イライラから殺気立ってしまいます。それに
耐えられない場合は、戦線離脱するでしょう。勿論軍隊ではそうはいかないでしょうし、
同じく革命組織の非公然軍事部門の人もそうでしょう。こういう環境では、恐らく、暴力
への感覚は鈍るでしょうね。推定ですが。

【その頑張リズムはどんな理不尽な命令であっても組織人として責任を果たそうとする】
 日本では、企業や業界において大不祥事が発生すれば、必ずと言っていいほどキーマンが
自殺します(あるいは、自殺とされて殺されます。今世間をお騒がせしている偽装建築も例
外ではないと思います。)

 で、左翼党派。理想としての民主集中制がいかなるものかは知りませんが(笑)、現実の
マルクス=レーニン主義の組織原則として民主集中制は、上意下達の機構でした。それは、
現場の声よりも組織上部の声(判断)が優先される、軍事機構的なものでした。そういう中
では上の声は絶対的です。理不尽な命令であっても軍隊における「天皇の命令」のごとく、
降りかかってきます。周囲から「あんたの党の上の言うことはおかしい」と言われても、党
の上の声は絶対です。それに、内ゲバについては、余りにも正当化しちゃいたくなる理由も
一杯あったわけですしね、党派によっては。例えば、小生は『検証 内ゲバ』を読んで正直、
革マルに憎悪を、中核派に同情をしました。

 そういう次第で、一つのテーゼ。
【日本人的責任感が内ゲバを継続させた】

 しかし、傍と思います。日本人には戦術はあっても、戦略がないと良く言われます。経済
運動においては、バブル前後の狂騒がそれを裏付けていると小生は思います。内ゲバを巡る
話を読む限りは、中にあっても多くの人はその異常に気づいていたようですが、しかし、そ
の党派人としての責任感から、それは言い出せなかったように感じます。要は、目の前の
戦術としての行動が、大枠でどのような意味を持つか、考えることさえ許されなかったのか
も知れないし、そもそもそんな戦略などなかったのかもしれません。

 で、一つ思うのです。

【逃げることはいけないことなのか?】
 国土が狭く、逃げてもすぐに追い詰められる風土を有してしまった日本では、逃げること
は卑怯であり、未来のないことであるとされてしまっています。しかし、これは、今の日本
の左翼を巡る状況においては真理でしょうか? かつて「ダメなものはダメ」と叫んだ政治
家がいました。オルターナティブ流行りの時期もありましたが、下手なオルターナティブよ
りも偉大な中国が生み出した「三十六計」の結語の通り、「逃げるが勝ち」という局面もあ
ります。

 アカンときは一旦退くことも、古来世界では尊重される戦略です。

 ちょっと混乱した文章になってしまいましたが、内ゲバの問題は、転向の問題と同じく、
恐らく全ての日本人の持つ弱点の問題です。

 なお、共産趣味というものについても一言。小生は、趣味者であり、周囲にあった(ある)
マルクス主義運動を観察したり一部参加したりすることによって、得がたい貴重な経験と知見
を得ることが出来ましたが、こういう立ち位地について「面白おかしく観察しやがって」とい
うご意見を何度か頂戴しております。で、その批判の仕方ってのも実に日本人的だな、と思う
次第です。それは「やるからにはズブズブに責任を負って深入りしろ」というわけですが、別
に小生はマルクス主義者じゃないし、革命なんぞに身を投じる気もなく、(そういう事態があ
ればそれなりに恥ずかしくない行為をする準備はしておきたいが)一線を画しておきたく思う
わけですけど、そういう態度は平均的日本人マルクス主義者には「いつでも逃げられる態勢を
持つ、卑怯な態度」と見えるのでしょう。小生も日本人ですからその感情は分からないでもな
い、だけど、そんなことを言っていたら大抵の人が逃げてしまうよ、と思うのも道理があると
考えております。余り立場性とか、ギチギチ言わないほうがよろしい。命掛けの刃は、外部
ではなく自分にのみ向けておいて欲しいものです。

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>まっぺん党首閣下 投稿者:めるへん祭実行委(正統) 投稿日: 1月14日(土)23時24分7秒

コミケ闘争そーかつとか、色々出てくるかと存じます。
bokassa@infoseek.jpまでOFFの部分、ぜひご連絡を。
更なる勝利への地平を!!

#旗旗舎御中とのやり取りの部分もあるかと。

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内ゲバ問題について 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月14日(土)13時25分20秒

「内ゲバ研究会」掲示板に総括的に紹介してきました。(^^)
http://6540.teacup.com/uchigeba/bbs

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第四インターは新左翼ではない!(爆 投稿者:セクトNo7@前世がマル青同 投稿日: 1月14日(土)12時40分36秒

標題のとおりこれがインターのプライドだった。第一インターから始まる正統派歴史の後継者として、その力量の成果としてではなく血脈に求める馬鹿者はいた。
ようは人は何処に所属しようと、みんな違うのです。
以前、東京のデモで電車での移動の際に、切符を買って入り口から入らず出口から入ろうとして鉢合わせした外国人に抗議されていた馬鹿がいた。日本人はヘルメットを被っている「怖い過激派」とは目線を合わせようとさえしないが、この外国人にはスゲー共感を覚えた。
こうした馬鹿と一緒の隊列にいるのが恥ずかしくなったのを覚えている。
その後言った言葉が「目的は行為を正当化する」みたいな話で、「こりゃだめだ。」と思ったことがある。

自分たちが多数派の大学での行為と、少数派の大学での行為は、何処の党派も同じ傾向と思う。特に私のいた大学では、インター史上でも「とんでも」なやつが君臨していたが。ただ、インターは主流派になれなかったから、被害は最低限度に収まったのだけれど?

ただし、中には本当に尊敬に値する方もいたので、これだけは言っておく。ようは人そのものが問題なのであって、中核派や解放派は常に組織とメンバーの問題を、自己否定と組織の問題としてシビアーに見ていたのに、インターはめちゃくちゃルーズだったということではないのかな。

kamakazuさん、そっちには書き込まないけれど、私のインター雑感です。
それから、内ゲバ行為と内ゲバ主義とは似ているようで、まったく異なることと考えます。もちろん内ゲバ行為の中に、内ゲバ主義への芽があるのは事実ですが。
内ゲバの件に関しては私も偉そうなことは言えないのかもしれないが、なにせゲバ戦デビューが歴史的に名高い?解放派とインターとの「青葉城址会戦」。ゲバになることも知らないで動員されたノンセクトの私(青解心情シンパ)が、解放派とゲバ戦やるってなんのこっちゃ?なんだよな。

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Re: 厳しいけど 投稿者:草加耕助 投稿日: 1月14日(土)09時39分57秒

>軽蔑に値するヤツもいる。また東北Y大学における内ゲバの話も聞いている。

そのことにつながる話だと思うけど、kamakazuさんが自身のブログで書いておられます。
http://ch.kitaguni.tv/u/7801/%b4%b6%c1%db/0000311343.html

http://hatahata.mods.jp/modules/wordpress/index.php?p=272

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厳しいけど 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月13日(金)11時40分42秒

ちょっとバランスを取るためにも、付け加えさせてください。(=^^=)

「党」って何でしょう? それは「組織・綱領・大衆運動だ」とレーニンが言っているのはご存じと思います。レーニン主義を絶対正しいと考えていた30年ほど前にはどの党派も「組織と綱領」を「大衆」に押しつけるために活動してきた。つまり党がまず上にあり、その下に大衆がいるわけです。第四インターもそうでした。一応「内ゲバ反対」というお行儀の良さはあったが、その本質的理解に欠けていた事が組織内女性差別問題の処理過程に現れています。官僚主義的なヤツもいっぱいいたし、軽蔑に値するヤツもいる。また東北Y大学における内ゲバの話も聞いている。

改めて「党」とは何でしょう? 組織体制、党員、党理論、そのどれにアッテンボローさんは「シンパシー」を感じていますか? ぼくは中核派の「どこ」を批判しているんだろう? そう考えてみると、党員に対して悪い感情をもってはいないんですよ。党理論(綱領、戦術など)についていろいろ批判はあります。例えば「カクマルセンメツ」などといったものには違和感はあるし、党派理論としては多いに違うものを感じていますが、一番違和感をもつのは「組織体制」じゃないかと思う。例えば組織体制が官僚主義から解放され、自由な議論ができるような党員本位の体制にあれば、組織の自浄作用がきっと働くでしょう。またそのような組織なら大衆的に受け入れられていくんじゃないだろうか。

戦後左翼運動の中で「共産主義の党」を目指す運動が最も成功したのは69年〜70年代初頭の中核派だけです。当時の青年前衛の優秀な部分を中核派は多数獲得していた。しかしそれは客観情勢をも要因としながら官僚主義と内ゲバの泥沼の中で、崩壊していった。日本左翼運動は基本的に「絶滅した」とぼくは考えています。新しく作らなきゃだめだと思う。中核派も組織体制を解体・再編成し民主的な新しい組織として再出発するなら多いに歓迎します。その時、おそらく内部の有能な活動家たちはもっと能力を発揮し、大衆運動の拡大に寄与するでしょう。また、そのような体制を作る事ができたなら、ブラジルPTのように、イギリスレスペクトのように、左翼結集の新しい結集軸を創り出す可能性が生まれると思います。

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悲しいけれど 投稿者:アッテンボロー 投稿日: 1月13日(金)09時45分50秒

まっぺんさんのご意見、色々と厳しいですね。残念ですが、中核派が運動の実践の中でわだかまりを解いてくれるのを待つしかないでしょうね。

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守る会の宣伝ですいませんが  投稿者:三浦小太郎 投稿日: 1月13日(金)07時04分31秒

政治犯強制収容所・脱北女性の人身売買・強制堕胎・・・
北朝鮮に人権査察を!脱北者に保護を!北朝鮮人権法案早期制定を!
脱北者証言集会のお知らせ

 北朝鮮を巡る様々な人権問題のうち、今回の守る会証言集会では、女性の人権侵害を中心に取り上げます。脱北女性は中国でも人身売買や強制売春などの被害に晒され、また北朝鮮に強制送還されれば、様々な拷問や堕胎や幼児の殺害などの悲劇に直面しなければなりません。
今回、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会では、脱北女性並びに救援団体の証言を通じて、北朝鮮女性の人権侵害の実態を明らかにし、緊急の人権・人道問題として事態の改善と救済を訴えます。
そして、12月のソウルにおける北朝鮮人権問題国際会議の韓国側執行委員長を勤め、自らも政治犯収容所の体験者である姜チョルファン氏が来日し、北朝鮮の人権改善、収容所の廃絶、そして政治の民主化を訴えます。また、脱北者のほかにも、脱北難民保護運動本部の金尚哲代表、トリハナ宣教会のチョン・ギオン代表など、日韓の人権団体活動家が多数発言する予定です。
皆様方のご参加を是非よろしくお願いいたします。

(証言予定の脱北者プロフィール)
脱北女性 朴ウンミ 1976年3月生まれ。1997年10月、当時北朝鮮国内の飢餓から逃れるため、1回目の脱北。中国の延吉市内で工場、食堂などを転々として働く。2003年3月、中国国内での脱北者集中取締りによって逮捕され、北朝鮮に強制送還される。
清津集結所という脱北者収容施設に入れられ、そこで様々な悲惨な事件を目の当たりにした。食事は僅かなトウモロコシだけ、栄養失調や伝染病で死んでいく人々、そして、脱北女性から生まれた赤子たちは、直ちにビニール袋に入れられ殺されてゆく。
彼女は運良くその集結所を釈放された後、再度脱北成功、現在韓国在住

脱北女性 李明子 1980年生まれ
1999年脱北、しかし、国境を超えた直後、脱北を案内してくれた案内人に、そのまま初老(40代)の男性宅へ連れて行かれ、結婚生活に入る。自分自身、どんな経緯でいくらで身売りされたのかも分からない。しかし、脱北女性ではこのようなケースは日常茶飯事だという。
男性は優しい人だったが、いつ中国公安に逮捕されるか分からない不安と緊張の毎日だった。約1年後、中国の集中取締りで逮捕され、北朝鮮に強制送還される。2ヵ月後釈放。その後再度脱北に成功、現在韓国在住。

政治犯収容所体験者 姜チョルファン
北朝鮮民主化運動本部代表。北朝鮮帰国者の子供として生まれるが、家族連座制により本人は理由も分からず、一家全員がヨドック政治犯収容所に収容され苦難の青年時代をすごす。脱北後、北朝鮮の人権侵害を告発し民主化を求める運動を展開、朝鮮日報記者としても脱北者の取材などで活躍中。著書「平壌の水槽」(ポプラ社)昨年6月、ワシントンでブッシュ大統領と会見、政治犯収容所を頂点とする北朝鮮の人権問題を訴えた。

大阪集会 2月4日(土) 大阪社会福祉会館 5階ホール
大阪市中央区谷町7−4−5 電話06−6762−5681
地下鉄谷町線谷町6丁目駅4番出口下車徒歩約5分
東京集会 2月5日(日) 食糧会館大会議室
          東京都千代田区麹町3−3−6 電話03−3222−9621
          地下鉄有楽町線麹町駅1番出口下車徒歩3分
(両日とも午後1時開場 1時半開会 参加費1000円)
主催:北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
(連絡先)山田文明 TEL/FAX 0729-24-2523
三浦小太郎 TEL/FAX 03-3681-9309/9310
E-mail:miurakotarou@hotmail.com

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アッテンボローさんへ 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月12日(木)13時17分17秒

> まっぺんさんが第四インターファンクラブとして赤色土竜党を運営されているのと
> 同様、私も党を離れた今でも中核派が大好きです。出来ましたら今現在も敵対者に
> 対して暴力行使するかのような認識はぬぐい去っていただければと思います。

●中核派は信用できない

気分を害するような事を書きますがお許しください。僕たちは(シンパシーを持つ)党派を越えて「共通の闘争課題」に巡り会い、そこでお互いの深い信頼関係に基づいて闘いました。そして同じ素晴らしい喜びを体験しました。ではお互いのこのような信頼と共闘の関係を現実のインターと中核派の間に結ぶ事は可能でしょうか? 私は「現在のままでは絶対不可能である」と断言します。また中核派がこれからは暴力を行使しないとも思いません。それは何故でしょうか?

●小泉首相の靖国参拝

現在の日本の方向についてちょっと考えてみましょう。小泉首相は毎年必ず靖国神社に参拝し、それに対するアジア諸国からの抗議を「内政問題」「信条の自由」などといいながら、一方では「アジア諸国の相互の信頼と友好関係」を云々しています。このような小泉・日本政府の方針が、日本との経済関係強化による利益の享受を求めるアジアの資本家やその政府には受け入れられても、直接の被害を被ってきた人民には受け入れられない事を私たちは知っていますね。本当に相互の信頼関係を結ぶにはどうすればいいと思いますか? 簡単な事です。過去の犯罪的行為を心から謝罪し二度と繰り返さないと誓う事です。

●日本軍国主義の再建

ところが小泉首相のもとで、日本はテロ対策法やイラク特措法を制定し、自衛隊を戦地に派遣し、なし崩し的に海外派兵の合法化を進めています。また防衛庁を「防衛省=国防省」へと昇格させる案も浮上しており、九条改憲と相まってこれは自衛隊の国軍化の策動に他なりません。靖国参拝は過去の戦犯を英雄視する行為であり、過去を悔い改めていない事を何よりも証明するものです。過去を反省しない者はやがて未来において同じ事を再度やる可能性を否定しない、という事実を小泉政府は証明しつつあります。

●大衆にウソをつく組織

過去を反省しない者はまた同じ事を繰り返す。中核派も小泉をそう批判しているんじゃありませんか?「帝国主義的侵略」と「内ゲバ」と、次元も規模も違いますが同じじゃありませんか? 日本政府は繰り返すが中核派は繰り返さないと、なぜ言えるのでしょうか? 白井・角田両氏への襲撃の下手人が100パーセント中核派であることは誰の目にも明らかであるにもかかわらず、中核派は現在もノーコメントを貫いています。大衆にウソをつく組織を大衆は信頼できるでしょうか? さきほどの言葉を繰り返しましょう。「本当に相互の信頼関係を結ぶにはどうすればいいと思いますか? 簡単な事です。過去の犯罪的行為を心から謝罪し二度と繰り返さないと誓う事です」。中核派は未だに謝罪も反省もしていません。「カクマルセンメツ」を取り消さないのは小泉の靖国参拝と同じ態度です。

●反省したらそれを実行

三里塚反対同盟分裂の経緯についてはリアルには知りませんが、その頃同時に進行した二つの事件、組織内女性差別問題と中核派からの襲撃とはインターを大きく揺さぶるものでした。そしてその後の方針をめぐる対立から組織は四分五裂、そして国際組織からの除名という経過を辿ります。新時代社について言うならば、少なくとも女性差別問題については組織を挙げて取り組み(といっても、その前には差別的居直りが続き、その結果女性の大半がやめていったのですが)自己批判文書を公表しています。あとはその自己批判を本当に実行していくのかどうか、それが今後の組織の信頼を取り戻すための鍵です。

●組織への忠誠を誓う

「組織」と「個人」は違います。個人が内ゲバを行うには躊躇があるでしょう。「こんなモンで殴ったら痛いだろうなぁ」とか思ってしまう。内ゲバを実行するには、自分を殺し、組織に忠誠を誓う必要があります。組織が「絶対に正しい」という確信がなければできるものではありません。「中核派が絶対正しい」と確信し忠誠を誓っているからこそ、どんな非人道的な行為でも「組織の目的」のために実行できるのです。幸いにも中核派にはまだ個人の判断力をちゃんと持った人も多くいると思いますが、そのような「絶対的確信」のもとに「非公然活動」も敢えて実行するメンバーがまだ中核派内部には存在している事実は見過ごしてはならないと思います。

●組織と個人

私はノンセクトの高校生時代から多くの中核派メンバーと親しく交流する機会がありました。また私の高校の後輩たちの中にも中核派に加盟した者が何人もいます。彼らの多くは真面目で、自分を活動家として鍛え、本当にこころから社会のためにつくそうとしていました。人間性に溢れていた。その点について疑いはありません。むしろ四トロ派の方が(たぶんブント諸派も)結構いいかげんなヤツがいたと思います。個人の資質は一部は組織によって作られる部分もありますが、組織とは分けて考える部分もあります。組織の機構としての「中央集権」については意見の分かれるところですが、少なくとも民主主義がなくては個人独裁になってしまう。今の新時代社にもまだまだ官僚的な臭いを感じていますが、どの組織においても組織のあり方は根本的に問われなければならないと思います。

●過去の幻影

長々と書いてしまいました。気を悪くしたらごめんなさい。僕が初めてであった頃の反体制運動の中で、中核派は当時「過激派のチャンピオン」でした、左翼各派が大きな動員力を持っていた中でも中核派はそれより1桁多かった。当時の『前進』の購読者数は約6万。最大10万部が読まれたそうです。これは社会党機関紙よりも多かった。全国の政治状況を知るために他の党派も買って読んだ。もしも内ゲバや組織の官僚的機構の弊害がなければ日本大衆運動は中核派に牽引されて発展していたかもしれません。杉並区だけでなく国会に二桁の議員を擁する大勢力であったかもしれない。そのような大きな可能性を潰してしまったのは、中核派はもちろん、左翼運動総体の責任と感じています。多分ぼくにもその責任の一部はある。

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なんで分かってくれないんだ というなら 投稿者:noiz 投稿日: 1月12日(木)13時13分41秒

まず少なくとも「内ゲバ」に関する自己批判と総括を呈示するべきでしょう。ところが年頭教書(笑)によれば、いまだに「カクマル完全打倒」を叫んでいる(「頭目処刑」の文言を外すなど、「若手」に配慮したトーンの低下は見られますが)。党利として「停戦」はしているものの、いつまた党派闘争におけるゲバ路線に転じるか分かったもんじゃない。

つまり(内ゲバの総括とやりませんという)言質とその実践がない限り、「信用」の担保はどこにもないわけです。セクトNo7さんの意見に同意します。

それに、「想像を絶する嫌い方」をしている人間がいるとすれば、それは恐怖支配の被害者でしょう。「被害者」を持つ「大衆」の憎悪はなまなかのものではないはずです。

「何で分かってくれないの」と言われても、なぜ政治組織に結集している自分の歴史的な政治的立場が分からないのか、と逆に思います。だから「内ゲバ」を知らない中核派や他の歴史的ゲバ党派の若手活動家諸君はある意味気の毒かもしれませんが、現状のままではやはり恐怖支配に遭遇してしまった「大衆」の憎悪に晒され続けるでしょう。

でもねー、白井氏や角田氏がゲバかけられたのってそんな昔のこっちゃないですよ。しかも角田氏の場合、実行部隊には「若手」が含まれていたということですから。角田氏はオーケー、でも小西氏はやらない、そういうバインドもえげつなくていやですね。

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確かに世代は違うが 投稿者:セクトNo7@前世がマル青同 投稿日: 1月12日(木)12時56分26秒

83年の反対同盟の分裂の時期に「ぶっ殺す」と殲滅宣言した方に、「署名をお願いします。」と言うんだから、同じ党派とは思えません。だとしたら「パラチェン」したと宣言すれば良いのにと思います。しないのは共産党と同じく党中央の絶対的な(わかりますよね)
おいらは無学だから不破も黒田も清水も読んだことないけれど、60年以上生きていてよく間違いをおかさなかったと思います。

アッテンボローさん
中核の中で育ったからの世界観は良くわかりますが、もう少し他者からの視点で見ることをお勧めします。少なくても一坪とABCD問題はまったく別のお話です。あーいった問題をすりかえる高等戦術は解放派とかインターには無理なように思います。常套手段として用いるのは革マルですよ。
とりあえず、あなたの板に書き込むと迷惑になると思うから、こっちに書いときます。

草加ちゃん、そんな英雄主義はやめとき!
頭に血が上った同志たちが復讐戦完遂を叫んで逆効果になりかねないよ。(W
どっちにしても、過去の清算をしない限りは、何を言おうと何をしようと党派は信用されないでしょうね。それが仮にも前衛を名のる党派の十字架です。

私がインターの連中とも酒が飲めるのは、ABCD問題を隠しもせず、その後の大衆的な指弾を甘んじて受け入れたからでしょう。そして自分の責任で分裂してしまったけれど。(この辺は詳しくないのですが)
少なくても内ゲバは当時を知っている者(生きた者)にとっては、依然として過去の問題ではなく現在的問題です。んーん?草加ちゃんとも世代的落差がーーーーーーーー

口が悪いのは今年も健在です。

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アッテンボローさん 投稿者:草加耕助 投稿日: 1月12日(木)04時21分58秒

>中核派は素直でない一面がありますから、中々難しい問題であるとは思いますが。

ごめん。少しだけ笑ってしまいました(~~)/
アッテンボローさんのサイトにも書きましたが、戦旗・共産同もかつて二次ブント諸派との内ゲバに連戦連勝してしまったがゆえに、ブント系からは蛇蝎か悪魔のごとく思われておりました。

私は戦旗がそういう路線を精算して、インターらと連合を組んでからの結集です。かなりたってから、ブント系の党派やノンセクトから、想像を絶する嫌われ方をしているのを目の当たりにして驚きましたし、同時に唾を吐きかけんばかりのその無礼な態度に腹もたてました(一部の人とは身近に接しているうちに仲良くなれましたが)。

現在、論争に応じてくださっている中核派の現役の方は、やはり中核が「路線転換」してからの結集で、内ゲバばっかりしていたころの学生戦線の状況などを直接にはご存じないようです。つまり当時の私と同じような立場の方なんだと思います。で、この方がおっしゃっている「中核派は路線を転換したのに、いまだに怖い内ゲバ集団のように言うの不当であり、対立セクトを排除するための党利党略で、縄張り争いだ」という考えは、実は当時の私が考えていたことそのまんまなのです。

今でこそ、内ゲバの被害者に謝罪したわけでもなく、当時を自己批判したわけでもなく、あれはあれで正しかったとか言ってたんですから、まあ「やられた方」から見れば、そう思われても仕方ないなとか、謙虚な実践で示していくしかないなとはわかるのですが、当時は悔しい思い、不当に扱われたという被害者意識ばかりが先立っていました。「なんでわかってくれないんだ!」みたいな。

そういうふうに考えますと、ひょっとして、中核の路線転換は(少なくとも転換後に結集した人の意識の中では)本物かもしれないと、淡い期待を抱かせたりします。でも、被害者への謝罪などをしない、戦旗と同じ態度でいくなら、大衆的に結論が下されるのは、今からでも10年くらいかかると思います。なんなら我が身を少しづつ「危険」にさらして、大衆的な実験材料になってもいいけど。

http://hatahata.mods.jp/

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保険ですよ 投稿者:主義者Y 投稿日: 1月12日(木)00時51分40秒

>アッテンボローさん
たしかに杞憂かもしれませんが、こうやって多くの人々が注目しているということが、いちばんの安全策だと思います。

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ご心配有り難うございます 投稿者:アッテンボロー 投稿日: 1月11日(水)22時45分27秒

まっぺんさん、草加さんと私の身を案じてくださって誠に有り難うございます。しかしながら少々大げさではないかと思います。確かに私のブログで中核派の現役らしき人と元活動家の方とが私を批判されていますが、現在の処身辺に不審なことは何もありません。そして中核派は今現在革命軍戦略を放棄したと思われる状況にありますので、多分私のような末端の元活動家に対して実力行使をするような可能性はないと思っています。
 まっぺんさんが第四インターファンクラブとして赤色土竜党を運営されているのと同様、私も党を離れた今でも中核派が大好きです。出来ましたら今現在も敵対者に対して暴力行使するかのような認識はぬぐい去っていただければと思います。
 可能であるのなら、私個人としては三里塚を中心に新左翼の統一戦線が再び形成されるべきだと思っています。中核派は素直でない一面がありますから、中々難しい問題であるとは思いますが。

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赤色土竜党管制塔被告カンパ活動最終集計(1/11現在) 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月11日(水)17時15分28秒

遅くなりました。以下のとおりです。

●収入
Tシャツ屋への送金、
 もぐら社への送金、
 模索舎9〜10月合計 178,790円

●支出
 マグカップ100個代金 73,500円(送料他諸経費はカンパへ)

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収入−支出=     105,290円

これに少し足して11万円を第二次分カンパにしました。
ご協力ありがとうございました。
※11・11当日の売上金は全て旅費カンパにしたので別会計です。

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草加さん・アッテンボローさん防衛! 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月11日(水)10時01分45秒

みなさんおはようございます。
ここでは「内ゲバ主義について」「大衆運動と党派の関係」といった「学術的論考(w)」がすすめられていますが、管制塔被告連帯運動に強力にかかわってきた元中核派アッテンボローさん、そして同じくこの運動の頼もしい同志である草加さん、お二人のブログにおいて、現役・シンパの中核派諸君との論争が起こっています。草加さんは次のように書いています。
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●はじめに

これは、元中核派活動家のアッテンボローさんのサイトへの投稿文です。最初は「元反戦高協」さんへのレスとして書いたものです。あらかじめその草稿を何人かの方にお見せして意見をいただいたところ、私の「身の危険」を案じて公表を控えるように忠告していただく方も多かったです。「君がそこまでの危険をおかしても、おそらく相手はその真意を理解して耳を傾けてくれることはないだろう」と。
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なぜ草加さんは「身の危険」を案じられているのでしょうか? いわずもがな。中核派が現在も内ゲバ主義を捨てていない事、過去の白井氏への襲撃と同じく草加さんやアッテンボローさんだって狙われてもおかしくない事を周囲の人々が感じているからです。それは「全くの杞憂で、中核派はそんなことなんかするはずがない」でしょうか? ぼくはお二人の勇気ある発言に敬服します。どのような内容であろうと、発言の自由を暴力によって冒されるべきではない。またその態度はきっと党派自身にとってもプラスになるはずである。それが内ゲバ反対の原点だと思います。そこに踏まえて下記ブログを注目しましょう。また、不測の事態が起こった時、お二人を防衛するためにあらゆる手段を講じる事をここで約束しておきます。
http://hatahata.mods.jp/modules/wordpress/index.php?p=266
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2006/01/post_202b.html

※希流さん。白井氏については、彼の著書「民主化宣言」を読んだ事がある、という以上のことは知りません。彼の著書は小西さんが社長となっている社会批評社から出されていますが、小西さんも白井氏の意見を全面的に支持するという事ではないと思います。

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