四トロ同窓会二次会 2007年1月10日〜13日
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成る程、私も少し勉強してみますが 投稿者:三浦小太郎 投稿日: 1月13日(土)10時03分56秒   引用 編集済

成る程、私もまことさんやnoizさんのご指摘を少し学んでみますが、ロシア革命当時のロシア難民が漏らした言葉「情けないことだ。日本人よ、革命を起こしてはならぬ。いや、革命を起こすような政治をしてはならぬ。」(石光真清「誰のために」)を一応「ブルジョアジーの思惑」が何であれ正しい言葉だと言う立場に私は立ちますので、そこは皆さんと根本的に立場が違う所でしょうね。

ただ、私の考える近代国家の原則からしたら、国家が福祉国家的側面を全く失ったら、これはもう国家としてもたないです。これは逆説的かもしれませんが、ある意味まことさんやnoizさんとちょっとですが一致する所ではあるんですよ。グローバル経済は私は肯定しますが、だからこそ国家の役割は再評価されるべきだと言う立場なんです。まあ、これは論じ始めるときりがないので、ここでは立場表明だけにしておきます。

私がむしろ危惧するのは、正直経済面よりも精神面なんです。高度資本主義がやっぱりかなり大きな精神的被害を日本にもたらしたことは認めるんです。いや、私はホリエモンとかは全然抵抗感無いんですよ。もう別世界の人だし、江戸時代の紀伊国屋文左衛門みたいなものかと(半分本気)。むしろ一般庶民の中で、人間の疎外と、異質な他者への敵意がちょっと広がっているように思うときがあります。ただ、それと同時に、脱北者の人を快く雇って、仕事を一から教えてくれる会社や商店にも出会うわけ。ですから、「日本もちょっとおかしくなってきている」と「いや、こういう日本はまだ捨てたもんじゃない」の往復運動をしているようなものですね。

そして、脱北者の人たちは、比較的生活保護とかは優先的にもらえているんですよ。まあ、他に生活の基盤は何もないし、それが無ければ当面やって行けないケースが多いから。ただ、これがあまり無原則に、例えば若い人でも長期間保護が続いたら、やっぱり問題になるし、国民からの反感も買うだろうなと思います。本当は、ああいう苦しい国で生きてきたんだから、少しゆっくり休ませてあげたいんだけど、やはり厳しい言い方をせざるを得ないことも多いです。そして、不十分とはいえこういう処置が取られているのは、今の日本国家自体に、まあ嫌々やっているのかもしれないけど(笑)ある種の開かれた面や寛容性が生まれているんじゃないかとも思う。

あと、勿論、まことさんもNOIZさんも、そういう人じゃないことはわかっていますが、一歩誤ると、高度資本主義批判が、日本社会の旧自民党的体質の正当化になりかねないと言う危惧はありませんか?今なら国民新党あたりに行っている流れ。彼らの政策のほうが、多分、「日本人の」社会的弱者には自民党よりは今後優しいと思うんですよ。ただ、あれを認めてしまったら、私はかって自分がいやでいやで脱出したかった日本の閉鎖的な社会を認めざるを得なくなるんですね。そして、外国人受け入れとかはひょっとすると今より後退する様にも思う(勿論勘違いかもしれませんが)それに、外交的には全く積極性を失うのではないかと(今も誉められたもんじゃないけど、さらに、国内問題だけに眼をむけ、外交は損得だけでやるようになるんではないかと)。

この高度資本主義社会というのは、私は日本国民の比較的多数が、やはり求めて実現したもので、アメリカの陰謀でも自民党の悪政の産物でもないと思います。これをどう未来に向けてベクトルを切るかで、その具体的な方向性は私にも全く見えてはいないんですけどね。

まあ、簡単にかみ合う議論が出来るようなテーマでもないのですが、本当に久しぶりにここ数日はのんびり出来たもので、少し書き込ませていただきました。

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徒然なるままに 投稿者:まこと 投稿日: 1月13日(土)07時26分18秒   引用 編集済

noizさんや三浦さんの投稿に多少関連しますが、所謂「資本主義国」における近代的な社会保険制度がゴリゴリの反共主義者だったビスマルクによって整備され、「総力戦体制」とともに社会保険・公的年金制度が拡充され、また時を合わせて併せて労働者の保護法制が整備された−等の歴史的事実からも明らかなように、労働者の経済力の向上の背景には無産労働者を「国民」として統合して「国家」をより強くしたい、労働者が「革命」を志向しないように「アメ」を与えようとのブルジョワジー等の思惑があったわけですよね。

ケインズ主義的な「福祉国家」も、こうしたスキームの延長線上にあったのだと思います。米国のルーズベルトの政治などはその典型ですよね。

三浦さんは、「高度資本主義というのは、少なくともレイシズムよりは遥かに人間にとって有益である」と言われます。しかしながら、労働者などにとって「有益」であると評価するのであれば、果たして今の「国家」体制とは労働者などに「アメ」(*労働再分配率のアップ・社会保障制度の拡充などを通じた「格差」是正)をしゃぶらせて「国民」として統合することを要請している体制なのか、という点が考慮されるべきだと私は思うんですね。

この点、私は経済のグローバル化が叫ばれる状況下では、「国家」の「夜警国家」的側面が伸張することはあっても、「福祉国家」的側面は必ずしも「国家」体制の維持にとって必要条件とはされていないし、この状況が続く限り今後も「福祉国家」的側面は後退するのではないかという気がしています。

>翻って考えるに、「高度資本主義というのは、少なくともレイシズムよりは遥かに人間にとって有益である」(三浦さん)といえる状況は、すでに過去のものになりつつあるように思うのです。今あるのは、その「(底辺にとっても)有益である」部分が、支配的な大資本の意向によってギリギリと搾られる過程に突入しているのが現状ではないでしょうか。富の集中の具合も見ても、世界的に高度資本主義は平等には向かっているとは思えないのです。もちろん「平等」をどうはかるのかという問題がありますが、圧倒的少数に圧倒的な社会的富が集中する状況は誰にも否定できないのではないでしょうか。

というnoizさんの指摘に、私も基本的に同感です。

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自律的、もしくは対抗的な相互扶助は可能なのか 投稿者:noiz 投稿日: 1月13日(土)02時10分7秒   引用 編集済

庵主の「問題ない」判断も示されているので、ここで続けます。

「北の国から@遺言」を見ていないので、「純」の回転(回帰?)がどのようであったかは分からないのですが、結局圧倒的多数の「負け組」は今追い詰められつつあるという感があるのです(自分自身含め)。

口では簡単に言えるし書いてしまえるけど、実践として本当に自律的ないし対抗的な相互扶助が可能なのかどうかは、我が身をふりかえってもやはりなかなか言い出しにくいことではあります。そのことを率直に認めつつ何とかしたいなと思っています。

たとえば東京の彷徨うノンセクトのある部分(こういう自己言及ってダメか?笑い)は、昨年の「プレカリアートのメーデー」弾圧の「やり返し」として、8月5日にメーデーデモのやり直しに取り組んだわけですが、デモのアフターとして車座の討論会を持ちました。その提起のなかでゲストとしてNPOもやい(「生活困窮者」への福祉受給サポートや交流の場の提供を行っている)の方の発言に、「(生活困窮者には)溜が必要だ」という指摘がありました。生活保護の獲得が困難になりつつある今、その可能性も追及しつつ、事態がそこまでに至る前の、あるいは至った後でも、どうしたらいいかと知恵を出しあったり、悩みを語り合えるような、あいるは実際の支援も相互に見出せるような場が、本当に必要だと。

たとえばフリーター・パートなどの非正規雇用者や、あるいはニートとレッテルをはられるような追い詰められた人々、足許を見られて買い叩かれる「外国人」労働者には、今はまだ労働関連法によって何とか闘うことは可能です。クッションとなる集団として(一般・合同系の)労働組合に結集することも検討できるでしょう。でも、それだけでなくて、たとえ争議当該になれなくても、労組に結集できなくても、それでも自分の抱える問題を話し合えるような場があちこちにできれば、既成の労働運動などとの交流によって何とか「溜り」を生成・回復していけるのではないかと…

翻って考えるに、「高度資本主義というのは、少なくともレイシズムよりは遥かに人間にとって有益である」(三浦さん)といえる状況は、すでに過去のものになりつつあるように思うのです。今あるのは、その「(底辺にとっても)有益である」部分が、支配的な大資本の意向によってギリギリと搾られる過程に突入しているのが現状ではないでしょうか。富の集中の具合も見ても、世界的に高度資本主義は平等には向かっているとは思えないのです。もちろん「平等」をどうはかるのかという問題がありますが、圧倒的少数に圧倒的な社会的富が集中する状況は誰にも否定できないのではないでしょうか。

※イレギュラーずさん、私もギリシビキたらんと思ってるのですが、現実はキビシーです。事実としてはキビシビキ?笑

追記:春闘をにらむ07年度版連合白書では、労働者への賃金配分比率の低下が指摘されています。ウェブダイジェストでは分かりやすくグラフ化されいますね。
http://www.jtuc-rengo.or.jp/shuppan/roudou/2007hakusho_digest.html

他方、経団連会長は春闘に際して「(日本は)世界経済の構造変化の真っただ中にあり、競争力強化が最重要課題だ。賃金水準を一律に引き上げる余地はない」だそうです。
http://www.jil.go.jp/kokunai/mm/roushi/20070112.htm

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追記 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 1月12日(金)22時47分2秒   引用

私は、マル共板で「小林よしのり氏ネタ禁止」を要求しまくった人間であった。
「歴史認識」とかで「炎上」(「ネット右翼」同様、当時はそういう用語は用いられなかった
と記憶している)しかねない、そういう「ネタ」であったのが、その理由であった。
事実、同板にて、ほとんど「歴史認識」云々でしか、同氏は言及されることはなかった。

んで。かつて戸田氏は、いつぞやの「ゴーマニズム」を「気に食わなくても読むべき」とか、
書いておられた。私は、その件については、肯定的な視線でもって、戸田氏を見ていた。

んで。宮崎学氏はというと、彼は「サイバースペースからの挑戦状」や「突破者」という
書物を通じ、不滅の功績を残した御仁であった。おれはそう規定しておる。

とはいえ、それらの件と「宮崎スパイ問題」やらとは、まったく別のことナノデアル。

http://go.to/maoist/

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「北の国から@遺言」を思い出す… 投稿者:イレギュラーず 投稿日: 1月12日(金)20時48分0秒   引用

>「ですから、賃金・福祉(労働への支払いではない給付=生活給なども含む)などがものすごい勢いで切り縮められる現状にあって、「自分たちの側から自分たちを防衛する」ための、ある共同性が今ほど問われている時はないと思うのです。その共同性は追い詰められたものの相互扶助を具有するはずのものでしょう。「オルタナティヴ」とは本来、こうしたもののなかにしか存在しないはずだと思っています。」(noizさん書き込み)

社会的に必要な労働が、社会的にも報われない今の社会にあって、掲題のTVドラマでは、でもなおかつ「純」が逃げ回った「生活の臍」に戻ってきた。

こういう生活の場をどのように新たに「再建」していけるのだろうかと考えました。でも、相互扶助=ギリスビの世界は厳しいですよ、正直。私?最近ギリシビキになりつつある?(大笑)

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場違いな場合の対処方法 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月12日(金)19時12分30秒   引用 編集済

時間を改めるか、三次会の方に書いていただけると有難く思います。
今のところはここで書いてもぜんぜん問題になるほどの事はないのでご心配には及びません。
でも、三浦さんの投稿は思想的立場の違いを超えて好評ですよ。
これからもご贔屓にどうぞ。(=^^=)/

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場違いのようなので 投稿者:三浦小太郎 投稿日: 1月12日(金)18時32分45秒   引用 編集済

場違いのようなので、あまり書かないほうがいいのですが、少しだけ補足します

「ですから、賃金・福祉(労働への支払いではない給付=生活給なども含む)などがものすごい勢いで切り縮められる現状にあって、「自分たちの側から自分たちを防衛する」ための、ある共同性が今ほど問われている時はないと思うのです。その共同性は追い詰められたものの相互扶助を具有するはずのものでしょう。「オルタナティヴ」とは本来、こうしたもののなかにしか存在しないはずだと思っています。」(noizさん書き込み)

これは確かにそういう面はあるでしょうね。この「相互扶助」と言うもののがうまく出来なくなったのは、私は、それは自民党の政治のせいもあるでしょうけど、何か根本的なところで日本社会が失ってしまったものがあるからだと思うんですよ。戦後民主主義がいかん、とはいいません。あえて言えば、明治維新がいかんね(笑)多分、相互扶助システムの維持と近代化、さらなる高度資本主義化というのは、私は絶対に両立できなくてはいけないと思うんですが、必ずしもそうならなかったことが明治以降の歴史ですね。

ただ、

「東京・新宿北部(百人町とか大久保のあたり、その昔、社会主義者村があったというところですね…笑)での「共生」などは、実に注目に値すべき「共同体」のあり方の実際として見ることもできると思っています。」(同)

この例以外にも、随分と可能性や未来は見えているんじゃないですか?繰り返しますが、70年代までの日本は、これほどの外国人労働者と共生する社会が出来るなんて想像できなかったと思う。これは失礼ですが左派の人たちもそうだったと思いますよ。この意味で、私は高度資本主義というのは、少なくともレイシズムよりは遥かに人間にとって有益である、と思っているんですよ。まあこの辺が右と左のどうしても相容れないところなんでしょうが・・この流れが無ければ、おそらく脱北者の定着、就職、それどころかアパート探しももっと苦労していると思う。

同時に、高度資本主義って、やはり共同体や庶民大衆の生を精神的に破壊していきますよね。私は経済的圧迫よりも、疎外感の増大や、人間同士の関係を希薄化、もしくは破壊していくのが、資本主義とスターリン主義の根本的な悪だと思っています。だからと言って、十九世紀ロシアの農村共同体とか、あるいは江戸時代の文化伝統なんて今更復活しようと言っても無理だしね。ただ、そういう前近代的なものの中に宝物のような価値観はきっとあるはずで、それはまだ組みつくされていないと思うんですよ。それを高度資本主義の中でどう生かすか、再生させるか(が、私の立場で)その価値観を民衆の社会変革運動の中でどう生かすかが、多分皆さんの立場なんでしょうね。

新しい共同体が出来ても、その中での個は絶対的に尊重されるべきだ、というnoizさんの主張は真っ当と言うか、当然でしょう。同時に、私は共同体や相互扶助のシステムは、適う限り、「政治イデオロギー(右でも左でも)」からは遠くなくてはいけない、と考えています。あらゆる観念から遠く、あらゆる政治勢力にも利用されてはならないと言うこと。(勿論、A伊助さんの言うような形で、行政的な改良とかに関わるのは当然ですよ。これはイデオロギーじゃないから)このことはまたいつか、きちんと展開できるだけの整理が自分の中で出来たら書いてみたいとは思うんですが。

日本社会も、単一民族とか言い出したのはむしろ戦後の悪い傾向で、元々アジア民族の吹き溜まりだったわけなんだから(私は多分韓国系だな、元を辿れば)そこを歴史の原点にすれば、脱北者の受け入れぐらい出来ないはずはないしねえ。私は正直、日本語だけは学んでもらわないといけないと思ってますよ。でも、日本語さえある程度自由に読み書きが出来れば、もっと国籍取得の幅も緩くすべきなんです。今の入管法だと、3年、5年と、たとえ脱北者で、元帰国者でもまたなくちゃいけない。これはせっかく数十年を経て苦難を乗り越えて帰ってきた人たちに余りにも冷たい。勿論、日本国籍はいらないという人はそれでいいんですけど、私の接した範囲では欲しがっている傾向あるし。

政治難民の問題や、日本社会のまだまだ強い閉鎖性など、問題があることは分かっています。しかし、まあこの脱北者受け入れを契機に、日本社会をもう少し開いた社会にしていくことは、単純に国益を考えても適うことだと思ってますので、また、時々報告など致します。

私のこの書き込みも、3次会に移した方が良くないですか?いや、前に2次会に書いちゃったんで今さらと思って書き込みましたが・・異様に場違いになっているので・・
しばらくまた書き込めないと思いますが、時々拝見させていただいております。

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戸田さんの支離滅裂さ 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月12日(金)12時15分35秒   引用 編集済

●戸田さんは『サイバーアクション』著者全員に挑戦状を叩きつけた

戸田さんに申し上げます。戸田さんは『サイバーアクション』の著者のひとりである井上氏と「補章」に対して、宮崎排除が本当の「政治的目的」と決めつけ、それを許した著者・編集者らにも責任があると追及しています。もちろん、誰が考えても分かるように、「補章」の著者が独断で章立てを決定する事などできるはずもなく、著者グループあるいは編集者との合意のうえでこれらの目次や章立てなどが決められるわけです。これは出版上の常識と言ってもいいでしょう。とすると、戸田さんはは明らかに、『サイバーアクション』著者全員に対して挑戦状を叩きつけたことになるのです。それを否定なさいますか?

●戸田さんの「大胆な推断」は社会批評社と著者全員を非難するもの

また戸田さんは、「補章」が「宮崎追及のための戸田追及」目的であると推理するために、当時の宮崎問題の経緯や『サイバーアクション』や『きつね目のスパイ』本などの出版期日を時系列でならべ、これらによって自分の「推理の正しさ」(実はいずみさんが述懐しているように戸田さんの妄想)を主張してみせるわけです。そのようにいずみさんも含めた当時の社会批評社出版物全体の流れから「宮崎追及の陰謀」を「大胆に推断して見せた」のなら、明らかに戸田さんご自身が、当時の社会批評社・著者ぐるみで「陰謀を企てた」と非難しているに等しいではありませんか。

●戸田さんは自分の「推断」から生まれた結論の責任をひとに転嫁する

そのような「大胆な推断」を立てた一方で戸田さんは、私に対して、自分は『サイバーアクション』全体を批判しているのではない。「補章」のみを問題にしているのだ。まっぺんの批判は「デマ宣伝以外の何者でもありません」「訂正をお願いする次第です」と反論してきましたね。おやおや、「補章」のみどころか、当時出版された社会批評社の3冊の本の経過を全部「宮崎問題」とリンクさせ「出版社ぐるみの陰謀」であるかのように騒ぎ立てたのはどちらだったでしょうか? またいずみさんに対しても「2001年7月出版の『サイバーアクション』に当初から深く全面的に関わっていたのだ」と断言していますね。ここでも「補章」ではなく『サイバーアクション』と書いているじゃありませんか。それにしても、いずみさんは「当初から深く全面的に」関わっていて、井上氏の「補章」はあとから付け足したのですか? 矛盾した「推理」ですね。

●戸田さんの勝手な「推断」とまっぺんへの「デマ」非難の矛盾

これでもまだ「デマを飛ばしているのはまっぺんだ!」とおっしゃるのですか? もはや戸田さんは「補章」のみどころか『サイバーアクション』全体、それどころか社会批評社と当時の3冊の著作と著者の全体を丸ごと「反宮崎の陰謀」と決めつけ、非難している事になるのですよ。つまり「誤読」は私ではなく、書いた戸田さん本人だったのですよ。ご自分の語っている事が、どんな意味をもつのか、それについてよく考えなかったのですか? それについて責任を取る用意はあるのですか? 「大胆な推断」を撤回し、私に対する「デマ」非難を謝罪する用意はあるのですか? もしあくまでも『サイバーアクション』ではなく「補章」と井上氏だけに対する批判だと言い張るなら、あなたの「大胆な推論」を全て撤回しなければつじつまが合いませんよ。

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結局 投稿者:久我山代行主義解体組合(準) 投稿日: 1月12日(金)11時55分3秒   引用

テロルも議会も代行主義なのだ、などといずみさんのすばらしい文章を
読みながら考えている。

 すべての局面における代行主義の克服を!
(で、どうやって?:汗)

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いずみさんごめんなさい 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月12日(金)11時40分38秒   引用

私の早とちりで、てっきりいずみさんがそのように言ったのかと勘違いしてました。

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ホントは共同体話を続けたいとは思いつつ 投稿者:よねざわいずみ 投稿日: 1月12日(金)01時14分35秒   引用

かなり歴史の結節点ぽくなってきたのでここは両輪並行ですかね…なんていいつつ実際には共同体話の限界と展望みたいなので書ければよいのですが、まだ書けるまでにはまとまってませんm(__)m

でその前に「身に降りかかった火の粉を振り払う」投稿1つ。

なんかまっぴょんさん飛ばしてるよ!(^^;;)

なにって、なんか読みすごしてしまってましたけど、「井口秀介=米沢いずみ」とか書いてるし!!(^^;;;;)

いや、まっぺんさんは「サイバーアクション」が出たときから既に「(井口秀介は)誰だかは一目瞭然」みたいな話を書かれてましたが、ホントにどうでもいい類の話ですけど、この「井口秀介」さんは、三流週刊誌や三流月刊誌に、ときたま、J-POP業界の裏ネタを執筆していたライターさんです。名前の由来は、ビーイング総帥の長戸大幸が現在東京で仕事をするときの偽名「井口」(長戸大幸はB'zが売れてWANDSが売れてT-BOLANが売れてZARDが売れて大黒摩季が売れて、という形であまりに芸能界でやりすぎたためバーニンググループの逆鱗に触れ、芸能界追放のところ、廣済堂グループが仲介して「東京では活動しない」という条件で大阪に逃れ、そこで売り出したのが倉木麻衣とか愛内里菜とかガネクロとかですが、一方で東京にも会社は残ってて、そこにたまに戻ってきて暗躍するときの名前が「井口」)、またその長戸大幸の弟で元北島健二・織田哲郎とWHYを組んでいた、現在レイズイングループの総帥長戸秀介の「秀介」から取られているようです。(何が「ようです」だよ)

というわけで、あくまでも現在のよねざわいずみ(戸籍名は米澤泉美)の前身でありその経歴の一部を構成する米沢泉美の初書籍執筆は「キツネ目のスパイ宮崎学」、2冊めは「トランスジェンダリズム宣言」、この2冊のみということでお間違いなきよう!!! 笑 >まっぴょんさん

#実は、性別問題でも運動論でもないまったく別の方面で3冊めを書いてみたい欲求が出てきてるのですが…小西さーん、ここ読んでらっしゃいますかー!?(ってここで相談してどうする)

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「防衛委(極右)」になった人間がいるの 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 1月11日(木)18時58分13秒   引用 編集済

あまり書く気しないんだけど、いちおう。

> この矮小化によって、戸田の掲示板を注意深く見ていた一部の人以外はこの事件によって
>生まれた「新生事物」に全く気づくことなく(四トロ同窓会やマル共連のネット先進分子達
>も!)、ネット右翼・荒らしの跳梁跋扈を許し、これに萎縮して、ネットの健全な発展に大き
>な遅れを取ってしまったのである。

http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=826;id=01

これ、誤り。歴史の偽造。あるのは、

と 田 の 「 芸 風 」 は 受 け 入 れ ら れ な か っ た

…とゆう現実。まあ、「ネット右翼〜」とか書いている時点でドカンチだけどね。

なにしろ、「ネット右翼」云々以前に、マル共板で左右罵倒合戦されたらいやだから、
「よそでやれ」「よそでやれ」って言いまくったの、おれだもん。

つーか、あまり「議論」とかが増えると、そのぶんだけ、ツバを吐いているつーことなの。
つまり、コドモダッテと田はここ、2ちゃん、マル共板でもツバ…つーかザーメン。

オマケ。これ↓、マル共板見て書いたのがバレバレ。なにが「画期的新手法」だよ(わら)

>共産趣味的に一言で言えば、「このHPは戸田が断固として革命的独裁を行う」(笑)
>ということですね。チャンチャン!

http://www.hige-toda.com/____1/index_keijiban_ru-ru.htm

以下、同日19:20ころ加筆。なお、上記については改変せず。

議員サマなら当然、サンケイ新聞VS代々木スタ法廷ガチンコのことくらい知ってるよねー。
「鮮烈市民派」は誇大広告じゃないのかね。「賤劣屍民派」とでも改称したらどうかね。

http://go.to/maoist/

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宮学スパイ問題の現段階 投稿者:はるおちゃん 投稿日: 1月11日(木)18時44分56秒   引用

今問題なのは宮学自身は東日本の大衆運動圏から一応離れたと思っていたが、その浸食がまたジワジワとは
じまっているからだ。ハッキリいうと村岡と左派系出版社とコレコンだ。昨年9月に川上徹さんの同時代社
から宮学が出版したのはご存じでしょう。同じくスパイ小野田襄二は白順社から『革命的左翼という擬制』
を出した。

そして村岡到だ。彼は自分の編集するオルタ・フォーラムQの機関誌「QUEST」や「カオスとロゴス」に小野
田本の書評やら解説を書いているだけではない。ロゴス社発行の「もうひとつの世界へ」では2回にわたっ
て小野田襄二本人を登場させている(!)。最近の村岡とJR総連との蜜月を指摘するひとは多かったが、小
野田の件はほとんど触れられてこなかった。こんな感じで小野田、宮学との関係がいつまでたっても消えな
いということになっている。

だから宮学については、川上徹やまた川上さんはコレコンなのだからコレコンメンバーに防波堤になっても
らわないと困るし、出版については、NR出版会や流対協の核心的部分が自覚的になってもらわないと困る。
村岡についてはもうどうしようもないだろうと思ってるけど……。理論サロンサークルと出版社だ。出版関
係については当初から危ういなということはわかっていたし、だからいくつかの出版社とも話した。しかし
まさか村岡が濃い関係になるとはねえ。まあ「糾察する会」がすぐまた動く必要はないと思うが……。

小野田−宮学系公調スパイ醸成のスパイラルは今だ終わってないということです。

また、いくつかの出版物における鈴木邦男のカンチにもモノ申さないといけないだろうと思う。

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戸田流の文句のツケ方に苦言を呈する 投稿者:はるおちゃん 投稿日: 1月11日(木)18時39分23秒   引用

井上はるおです。電話も止まってて、ネット環境からも離れざるをえなかったので、戸田板
騒動について全くわからなかったよ。一昨日ある手段で聞いたので、ネットにつながった今
日驚いて飛んできますた。

何をいまさらという感じであるが、ざっと反論読んだ。あまりにたくさん書いてあったので
つい笑ったよ。つっこみどころ満載であるが今は控える。なぜかというと、基本的なお約束
としてまずは出版社を通していただきたいからだ。既知の間柄ならともかく、直接文句言う
のはお約束に反します。ネットに何書こうとかまわないし、他の媒体でも同じく反論すれば
いいだろう。しかし問題はこれだ↓

> 何か情報をご存じの方は戸田までメールでお知らせ下さい。
> 公開的情報であれば掲示板に直接どうぞ。

何考えて出版物の著者の個人情報をあさっているのだ? それで人定できたら直接文句言う
つもりか? んなこと許されるわけないだろう。それは出版物の著者が著名人であって、誰
もが知るような人物であってもなされるべきではない。本の内容に限定されてるんだからな
おさらだろう。週刊誌のライターの個人情報あさって直接文句いうことも聞いたことないだ
ろ?

また「公開的情報」なるものを誰が規定するのだ? 井上はるおの公開的情報なのか、井上
はるお本人にまで踏み込む公開的情報なのか? 後者だったらおまい人権問題だぞ。議員は
エラいから何やってもいいと思ってるのか? ふんぞり帰っていばってる議員は保守系だけ
じゃないとはわかってるがな。あんまり権力的にならないようにしておけ。議員センセがエラそ
うされると腹たつわ。

とりわけ戸田サン、あなたは今もって宮学シンパなのだ。だからこちらもおいそれとお会い
するつもりは絶対にないし、簡単に素性をあかすつもりもない。スパイとそのシンパ(ある
いは信者)には断固とした対処をさせていただく、とりわけ宮学は納得行く事情説明をした
わけではないし、わびたわけでもない。ただ中核派だけの問題だったら彼らにまかせておけ
ばよかったであろう。しかし宮学はそういう行為が露呈してもなお大衆運動圏にかかわろう
としたし、当時の電脳突破党党員への仁義にもとっていたから問題にしたのだ。戸田サン、
あなたがプレミア党員だとしても一般党員を甘くみないで欲しいということだ。彼はそれら
メンバーの個人情報を大量に持っている。正直に個人名などを申告したひとも多いだろうしな。

そういえば宮学の野音事件の直後のことだ某所での宮学のイベントのおり、見た目ヤクザ二
名に絡まれたひとがいるんだよねー。その二人組は東京のキツネ目組の面々でさえ知らない
連中だったねえw 権力機動隊の襲撃や右翼の襲撃ならたくさん受けたが、何者かわからない
連中に襲われてひでえ怪我したこともあるしねえ。今度なにかあったら大衆的に反撃に出る
ことを宣言しておくよ。

戸田サン、あなたや宮学がいまさらそーゆーことするとは思わないが、油断しないようにし
ておくよ。事実オレにそういうことがあったわけだし、ライターへの恫喝や襲撃もたまにあ
るしなw さらにそういう(スパイ問題も含めて!)危険性のある人間にオレの人定情報漏ら
すヤシはいないだろう。関生労組やあなたは権力に弾圧されているのは問題だし、オレも共
同声明に賛同した(口答であったので名前が載ってるかどうかはわからない)。

しかしここで重要なのは戸田が弾圧を受けていても、今もって宮学を信頼しているというこ
とは宮学へペラペラ話すかもしれないということだ。宮学と権力の回路がまだ続いているな
らば、そこに筒抜けになるということだ。これがわからないモノはいないだろう。つまり戸
田への情報提供者は自覚的にスパイ行為を働いていることになる。だからこそ人定情報を漏
らすヤシはいないだろうということだ。だからソレ撤回しておけ。つーかさっきも書いたよ
うに明らかにスジが違うのだ。

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「開かれた自由な共同体のありかたの思考と実践」 投稿者:noiz 投稿日: 1月10日(水)19時21分50秒   引用 編集済

「日本にはクッションとなるべき中間団体がもはや存在しない」ということがありますよね。地域共同体然り、所与の血縁共同体、労組等の任意の集団然り、いやもちろんこれらがたくさん存在しているのは分かっていますが、そこにあるのは集団のなかにおける自律性(自由な関係)の不在であると。

ですから、賃金・福祉(労働への支払いではない給付=生活給なども含む)などがものすごい勢いで切り縮められる現状にあって、「自分たちの側から自分たちを防衛する」ための、ある共同性が今ほど問われている時はないと思うのです。その共同性は追い詰められたものの相互扶助を具有するはずのものでしょう。「オルタナティヴ」とは本来、こうしたもののなかにしか存在しないはずだと思っています。

もちろん理念としてオルタナティヴを語ることを私は否定しません。どしどしやるべき。でも、それと同時に、「今自分がいるこの社会のただなかで、自分たちの社会をつくる」ことを目指す実践もまた当然のように必要なのだと考えます。その意味では、中小商店を組織してきた共産党を決して侮ることはできないし、各種協同組合運動も、「革命」的に評価していく作業も必要になるだろうと思っています。(「敵」側の生協・農協への攻撃はこれから一段と激化すると思いますが…)

三浦さんの指摘を読んでふと思ったのですが、中国「残留孤児」の帰還者とその家族が、この日本では生活が困難であるということが一頃マスコミのレベルでも扱われていましたよね(センセーショナリズムとしては「帰還者二世の暴走族化」とか)。そうしたことなどもつらつら考えるに、(地域・血縁などの)所与の共同性ではなく、庶民ひとりひとりが動くという意味での一定の自律性をもった新たな共同性が、いかにこの「くに」では育まれるのが困難であるのか、ということを痛感します。「安全・安心な街づくり」による異物排除がふきあれるこの社会で、社会とはいったい何かを問うことさえもまた、要請されているのではないかと…。

とウダウダいうものの、東京・新宿北部(百人町とか大久保のあたり、その昔、社会主義者村があったというところですね…笑)での「共生」などは、実に注目に値すべき「共同体」のあり方の実際として見ることもできると思っています。こう書くと2chのある板とかでは「プギャー」と言われるのでしょうが、何もこうした場は何も大久保などに限られたものではないと思います。そういう意味では日本社会のなかにはまだまだ「捨てたもんじゃない」ものがあると、希望をもって何とかやり過ごしております(笑)。

で、その共同体のなかに「スパイ」がいたらどうするか? あー考えたくね〜(苦笑   でも、スパイは遠ざけるしかないという結論しかないかな。村二部くらいあれば最低限は生きていけるはずだしね。だから「村八分」ということも、なかなかバカにしたもんでもないなと思っているところです。現実的にはその二部のなかには「スパイのおともだちを排除しない」ということもあるのかも、とか。というと、どっかから糾弾とんでくるかな?笑

追記:新たな共同体を創出したとして、でも個人(私人というべきか)の絶対領域が確保されないといやだ!とも言っておきます。はい。資本主義だろうが社会主義だろうが、どんな体制下にあっても全体主義に抗する「余白」がなければ、人間の精神は死んでしまうと思っております。これをブルジョア・アトミズムというならばいえ!笑

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dk様 投稿者:A.伊助 投稿日: 1月10日(水)17時52分34秒   引用

(見物していると書いた直後なんですが軽くレスだけ返させてください、すみません)

>情報を警察に売りながら、むしろ我々をスパイだと決めつけ、あいつらスパイだ気をつけろ、と吹聴して回る宮崎一派と戦うのは本当にしんどいわけですよ。
孤立無援の中、闘い、そして運動の全体総括で(もちろん宮崎一派は逃亡していて(w))、他の団体からこちらが頭を下げられるわけですよ。「すまん、スパイはあいつらの方だった」と。その時は、もう運動が敗北した後なわけです。

>あなた本当に運動とかやったことあるんですか?

「運動」ですか? ボクは一時代も前に 皆さんから見たら ほんのちょっと関わった程度です、すみません。

で、こんなにリアルに説明されると、グゥの音も出ない。
批判も指弾も当然と思います。

それでも・・・
「それを主目的にした運動」をしてはいけない ということと
彼は指弾しても彼の支持者をパージしてはいけない、という考えは、
どういうわけだか 変わりません。
運動もやっていない私ですし、「この界隈」には全く影響力の無い
「ちょっと邪魔だけど無害な存在」ですから、カンベンしといてください。

安倍は能ナシだけど小泉より数段ヤバイと感じているのですが、
宮崎指弾運動が、安倍政権指弾運動より大きくならないことを祈ります。

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戸田さんはまたも宮崎を担ぎ出す積もりなのか! 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月10日(水)13時29分32秒   引用

●反宮崎派を正々堂々とオモテから反論できないインチキぶり

 戸田さんが井上はるお氏の戸田叩きの目的を「『反宮崎』、そのための『宮崎支持者の戸田の信用失墜』、という不純な政治目的」「ナゾが解けた!それは反宮崎闘争のためだった」と仰っている事から、逆に戸田さんの今回の異常なまでの井上叩きの「真の目的」が、実は「市民運動界隈への宮崎復帰」を目論むものであったと私は疑っています。その「宮崎問題」については社会批評社から、題名もそのものズバリの『キツネ目のスパイ宮崎学』、他に『公安調査庁スパイ工作集』という本が出ており、この中で宮崎の行動が暴露されているにもかかわらず、戸田さんは、なぜ『サイバーアクション』の、それも井上氏の「補章」部分に「だけ」こだわるのでしょうか?
 そんなに宮崎を擁護したいのなら、なぜ「宮崎叩きのウラの目的を持った井上」などという回りくどい「陰謀論」ではなく、オモテから正々堂々と叩いているこれらの本を直接に相手にしないのでしょうか? その理由は明らかでしょう。そちらを相手にしたのではあまりにも不利だからです。正々堂々と真正面から宮崎の犯罪を暴露し、完膚無きまでに論破しつくしているこれらの本に対抗する手だてがないからです。また、それをやれば「自分は『井上だけ』を相手にしているのだ」というインチキが暴露されるからです。

●もはや『サイバーアクション』だけではすまなくなっている

 こういう方法はね、戸田さん。右翼が印象操作のためによく使う手段ですよ。これまで従軍慰安婦や南京虐殺や百人斬りなどについての明らかな証拠や証言に対して、右翼がどんなにインチキな手法を用いて「イカガワシい偽証」と断罪し、白を黒と言いくるめてきたか、戸田さんならよくご存じのハズです。あのようなインチキな手法をつかった印象操作は、左翼である戸田さんが使ってはいけない。こういう手法は「良い子がつかってはいけない」手段なのです。だから戸田さん。「それは反宮崎闘争のためだった」と、宮崎を持ち出すつもりなら、同じ社会批評社から出版された上記二冊のスパイ批判本を真正面から取り上げて反論しないかぎり、この問題は収まりませんよ。
 しかも戸田さんは私に「補章だけを問題にしているのだ。『サイバーアクション』全体を非難しているのではない」とおっしゃったけど、『キツネ目のスパイ宮崎学』の著者をご覧なさい。井口秀介(=米沢いずみ)、井上はるお、津村洋、小西誠。全員が『サイバーアクション』の著者・編集者なのです。つまり戸田さんは『サイバーアクション』の著者・編集者全員にケンカを売っているのですよ。それにお気づきにならないのですか?
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/51-4.htm
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/46-8.htm

●前代未聞の迷文「良い子はまねしちゃいけません」の傲慢と悪質ぶり

 『キツネ目のスパイ宮崎学』にはいずみさんをはじめとして実に具体的な証拠が挙げられています。またそうした数々の証拠をもとに富永さとる氏によって見事にスパイの正体が暴露され、その危険性が論証され尽くしています。そうした事実に対して戸田さんはどう答えているでしょうか? 呆れた事に、殆どまったく、何も答えていませんね。それらの論客の業績を全部まるごと無視して、答えられたのは、以下のたったの二行。

>この問題に対する戸田の立場は、一言で言って「良い子(=普通の人)は
>決してマネをしてはいけません、という類の問題である」という事に尽きる。

 これに「尽きる」そうです。またも「印象操作」でしかありませんね。「良い子はまねをしてはいけません」という時、それに対置する言葉はなんでしょうか?「悪い子はやってもよい」または「オトナはやってもよい」という事になるのではありませんか? この場合「悪い子」では敵方の事になるでしょう。そうすると「(善悪をよくわきまえた)オトナはやってもよい」という意味に他なりません。
 そう!まさしく「そういう意味で」この言葉は使われているのです。一般市民(=普通の人)に対して「善悪の重みをまだ理解できない、ひ弱な正義」とでも位置づけ、こども扱いしているのに他なりません。そして宮崎は自分を「オトナ」と位置づけている。だから「こども」に対して「保護者」よろしく振る舞い、「そういう事はこどもは知らなくていいの。オトナにまかせなさい」と情報を独占し、市民の知らないところでウラ取引してもよい、と考えているのに他なりません。このような子供だまし感覚をなんとも思わない、宮崎の傲慢さと悪質ぶりになぜ気づかないのでしょうか?

●市民の知らない所で暗躍する特権を認める組織は裏切られる

 宮崎が中核派に近づき、その情報を公安に売ったのは本人も認める事実です。またその詳細については「本当の真実は決して表に出ることのない部類の話」だの「墓場まで持っていく」などとして、遂に明らかにしませんでした。「良い子がマネしちゃいけない」などと言いながら市民の知らないところで暗躍する事は、市民運動自体にとって危険であるばかりでなく、運動の原則にも反するものでしょう。市民運動の原則とは、必要な情報が参加者に共有化され、その情報をもとに議論し結論を下す。そして参加者によって選出された代表者が全員の合意した結論に沿って執行する、というものでなくてはなりません。
 つまり参加者の利益は運動体全体の利益に合致するものでなくてはならないのですが、「全体の利益である」かどうかの判断もまた全体で討議されるべきもので、一部の人間が「これはみんなの利益になるんやから」と勝手な判断を下すべき性質のものではないのです。宮崎が暗躍するためにはこの「原則」を踏みにじる事が必要になる。戸田さん。これは「組織のあり方」の問題ですよ。宮崎のような存在、その行動様式を受け入れるのは、組織や団体内部に非民主的な一部の特権を認める事に他なりません。宮崎は中核派を始めとした団体に近づき、そのような「特権」を利用して公安と取引をしたのです。その「取引の内容がみんなのためだからええじゃないか」というのが宮崎の言い分です。つまり「みんなの利益になるかどうか」の判断は宮崎ひとりが勝手に下しているのです。

●中核派は他人事ですか?「仲間でなければ売ってもよい」のですね?

 その結果はどうなったでしょうか? 宮崎は明らかに「中核派の信頼を裏切り、彼らの情報を権力に売った」のです。この事実をどう受け止めるのでしょうか? 戸田さんは次のようにおっしゃってますね。

>「情報を流された」としても、宮崎学から様々な援助を受けていた(らしい)
>中核派と宮崎学の間で話を付けるしかないこと

 「中核派と宮崎学の間の問題」であって、自分には関係ないと思っている。つまり多くの党派や団体がある中で、戸田さんは「仲間じゃなければ公安に売られてもいい」とお考えなわけですね。しかし、運動とはそういうものではないでしょう。たくさんの団体・組織がこの社会のあり方に抗議の声をあげながら行動を起こしています。その人たちはさまざまな意見や主張の違いがあっても、同じ権力に立ち向かう「同志」なのではありませんか? いま考えが違っていてもいつか同じ組織に参加するかも知れません。反権力の闘いに立つ者に対して「いま考えが違うから」と言って、公安に情報を売るのは、「自分の仲間を売る」事に等しい卑劣な所業です。その痛みもなく、「ひとごと」と済ませるとは驚くべき「反権力」感覚ですね。
 それから戸田さんは「損得勘定」で宮崎を評価しているようにも見えますね。宮崎はいろいろな「援助」を中核派に与えた。だから情報を売ってもいいだろう、という論理なわけですね? おなじように宮崎評価の根拠として、彼がいままで市民運動にいろいろな実績を挙げてきた事実を紹介していますね。だけど戸田さん。考えてみてください。それなりの「実績」を挙げなければ市民運動の「中枢」にまで到達するのは難しいのですよ。そして、「中枢」にこそ公安が欲しがる情報があるのではないのですか? こういう問題を損得勘定で判断するのだとしたら、今後、戸田さんご自身も連帯労組や関西生コン労組との関係において同じような「損得勘定の判断に基づいて、時には公安に情報を売る可能性があると判断しても良いのでしょうか?

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ちょっと報告 投稿者:三浦小太郎 投稿日: 1月10日(水)11時28分55秒   引用

これ、今の議論とはあまり絡まないので、3次会のほうに移しても構いません

もうかなり前の気もしますが、「脱北者受け入れを左派も取り組んで欲しい」という趣旨の書き込みをしたと思います。一応、責任もありますし、現状を簡単に報告しておきます。

今、私自身正確なところは分からないのですが、100数十人の脱北者(ほぼ全員が、帰国運動で北に渡った帰国者かその子孫、日本人妻の方々です)が、日本に今定住するようになりました。今後も、この数は増加してゆく傾向です。おそらく噂話として「中国に脱出しさえすれば日本にいける」という話は広がりつつあるようですし、何よりも、今日本にいる脱北者の方々が、家族、友人を呼ぼうとしています。

あまり詳しくは書きませんが、日本政府も、外務省も、勿論言いたいことは色々ありますけど、帰国者の場合、日本に受け入れることは事実上行うようになりました。来てからの生活も色々トラブルはあるし、支援体制は不十分ですけれども、それでも、例えば10年前を思えば、考えられなかった事態です。色々起きている矛盾を解決していかなくてはなりませんが、それでも、前進は前進。この流れは素直に私は評価していますし、ほんの僅かですが、この流れに関われたのは本当に幸運だったと思います。

そして、いずみさんやA 伊助さんのおっしゃる「共同体」と言うことに少し関わることかもしれませんが、この脱北者達が一番悩むのが、実はこの問題なんですね。彼らが旅立ったのは、殆ど1960年代初頭の日本です。そこでは、いい意味でも悪い意味でも、家族共同体や地域共同体がまだ生きていた。勿論それが差別の逆に温床になったとか排他性が強かったとか、それはまた別の問題ですよ。しかし、彼らが口をそろえて言うのは、「日本がすごく変わった、なんだか、人と人との関係が薄くなった、家族の間で酷い事件が増えたのをテレビで観て驚いた、人間が冷たくなった気がする」という言葉。これ、決してわがままで言っているんじゃないんです。彼らなりの実感なんですね。そして、北朝鮮は確かに貧しく抑圧された国だったけど、そこでは自分達が生き残る為には、家族や地域がかなり助け合ってきたんですね。ですから、人間関係もかなり濃厚です。

正直、私は家族共同体とか地域共同体とか、もうこういう字を見るだけでいやだったタイプの人間ですよ(笑)生まれた東京の下町がいやでしょうがなくて、何よりも変な人間関係がいやだった。多分それは私個人じゃなくて、日本全体がそう思った時期があって、人間関係を出来るだけ希薄にする、お互いが干渉しあわないようにする、あえて言えば「自分は自分、人は人、家族も他人のはじまり」と言う生き方のほうが、戦前の人間関係よりは人間を自由にする、と言う方向で来たと思うんですよ。それはそれで、確かにいい面もあった。ただ、こういう脱北者の方々と少数ですが接していると、ああ、こういう濃密な人間関係とか家族主義というのは、これはこれで価値があるものだな、少なくとも、それを求めている人にとって、今の日本って物凄く孤独に感じるだろうなと思います。実は差別やシステムよりも、ここが脱北者受け入れの中心問題かもしれないあと思い始めているんですけどね。

そして、皆さんから観たら今の日本は差別主義や朝鮮人蔑視が盛んになりつつあると思っている方もいるでしょうが、現場の社会では必ずしもそうでもないです。この人は北から逃げてきた人です、と紹介しても、アパートも何件か回れば貸してくれるところはあるし、色々問題は起きているけれど、就職にしても、事情は分かった上で雇ってくれる人もいる。(現実は多分半分くらいは職につけていないけど・・)これは正直に言って、八十年代。外国人労働者を、たとえ企業の都合の為とは言えある程度日本で働いたり、それこど伊助さんのいう研修制度とか、それなりに企業や社会の側も開かれた面があるからですね。そして、これまで私は批判的だったけど、左派の方々の朝鮮人差別への告発や反対運動のいい効果でもあります。そこは正直に感謝したいと思いますよ。

かっての家族共同体や地域共同体のような排他的なものではなくて、別の形での「開かれた自由な共同体のありかたの思考と実践」というものが、もしかしたらこれからの重要な課題なのかもしれませんね。

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A.伊助氏は何をよんでいるのだ? 投稿者:dk 投稿日: 1月10日(水)11時26分19秒   引用

>しかし、宮崎スパイ問題とは、単に中核派だけの問題ではなく、被害者はここ
>にもいます。

とこちらは書いているのだが?
その被害内容をこの場で明らかにせよとでも、申されるのか?
そして、そのこと(スパイ・運動破壊)を宮崎とその取り巻きは認めていませんが?

おそれるも何も、上記事実から体感・経験として、宮崎はまだスパイをやっていると考えている、ということです。自己批判などしておらずと書いているように、宮崎スパイは、未だ全容が明らかにされていません。

そんなのもこちらが書いた文章から読み取れないのですか?
スパイ支持者も含めた運動なんぞ、中核ならできるかも知れませんが、弱小団体には無理です。

事実の公開ができないように追い込むのもスパイの仕事でしょう。

情報を警察に売りながら、むしろ我々をスパイだと決めつけ、あいつらスパイだ気をつけろ、と吹聴して回る宮崎一派と戦うのは本当にしんどいわけですよ。
孤立無援の中、闘い、そして運動の全体総括で(もちろん宮崎一派は逃亡していて(w))、他の団体からこちらが頭を下げられるわけですよ。「すまん、スパイはあいつらの方だった」と。その時は、もう運動が敗北した後なわけです。

あなた本当に運動とかやったことあるんですか?


かつて宮崎問題で中核批判したのは、上記のような経緯があるからで、ようは
「中核しか宮崎問題を切開しても、ダメージに耐えきれる団体はない」
と考えていたということです。

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目から鱗が 投稿者:セクトNo7@自己批判(w 投稿日: 1月10日(水)11時18分42秒   引用

長いこと(それほどじゃないけれど)業界に慣れをてしまうと、ふと原初の根っこを忘れてしまうことがある。そんな奴が政治ゴロに転化したり、人の揚げ足取りしかできない俗物になるんだと思う。《今でも俗物だろう》との声には、スルーしときます。(汗

イヤー、いずみさんの
>これからの左派がやるべきことは、この「共同体」の再創出なのではないか。
そして、その最も有効な「共同体」の1つとして、今の息苦しさに直結したテーマを扱う、労働組合的なモノがあるのではないか。(労組以外でも、環境NGOとかがあるけれど)

この前段の部分からにここまでにおいて異議ありません。A.伊助さん同様に、いつに無く分かりやすい内容であったし、しかも気高く未来へのパトスを失わない内容だったとも思います。正直、いずみさんを(攻撃的な方と)誤解していたように思いますので、ここで自己批判しときます。でも、いつもこんな分かりやすく愛に裏打ちされた投稿だったら、世の左翼オヤジ連中はそんなに引かないと思うけれどな。(ボソボソ)

正直、あなたが難しい言葉で投稿をすると後光がさして、どう答えたらいいのか(意味不明なので)分かんなくなります。これは冗談だけれど、あんまり難しい用語とか横文字は避けるべきじゃないのかな。老婆心ながら損をしているような気がしますよ。

A.伊助さん
おそらく私たちが言う共同体とは、大資本に下で収奪されている中小零細の資本家(爆)とも手を携えていく、ともに食っていける社会の基礎になるものじゃないかと思います。そしてそれは日常の接点と理解から始まるものだと思います。どうすれば互いに食えるのか話し合う予知はいくらでもありうると思う。(以上、あくまでも理想論です。)

>皆が皆、関生みたいになれればいいが、資質とかの問題ではなく、単純に割り切れない
利害対立が確実に存在する、と毎日、再認識させられています。

関生の運動は大手から収奪されている中小生コン業者と連携する運動だったと思うのですが、だからこそあのめちゃくちゃな弾圧があったと認識しています。
大手企業の労組なんて所詮は本工主義なだけ、そんな労働運動では無い新たな運動を模索すべきでしょう。
太平洋戦争・60年安保・全共闘と時代の節目はあったけど、日本人は天皇・民主主義・大衆社会と衣とシャッポを被り直して「あなた任せの」無責任姿勢を一貫として続けて来たように思います。今の日本で、安倍から小沢にシャッポを被りなおそうとも、いつでも風見鶏のごとく向きを変えるのが(日本の)大衆なんだと思う。だからこそ大衆に(その一員として)絶えず「徹底して民衆の側に立つこと」を目的とする勢力が必要なんだと思います。
政治を選挙の投票だけで変えるだけの団結は、所詮政治家の変わり身で離合集散を繰り返すだけでしょう。彼らに対しての強制力を持つ運動が、かれらの変わり身を抑止する力になるように思います。もちろん、その間の手段のして小沢一郎に投票することも、現実の政治の上ではあり得ることなんだと思う。

戸田氏は左派として一貫としていることは十分承知しているが、彼が宮崎とともに登場することを許容するほどの寛容さは私には無いな。かと言って、戸田氏本人を排除する理由にもなら無いと思いつつ、なぜこの時期に、なぜ数年も前のことを蒸し返したのか、ということには説明責任を果たしてくれるまで納得できないな。

また、あちこちに飛びましてお目目汚しかと思うのですが、いずみさんの昨日の投稿は久々に心が洗われる内容でした。いつのまにか気恥ずかしくなって言えなくなってるんですよね。で、腹いせに酒飲んでインターと「めざせロドスへ!」なんちゃってるんだから、我ながらーーーーー

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いずみ様 投稿者:A.伊助 投稿日: 1月10日(水)01時32分25秒   引用

(連続した投稿お許しください。この後、しばらく見物にまわりますから)

 まさかこのようなレスが付くとは思いもしませんでした。
 決してボクの「レベル」を哀れんでのことではない・・と素直に解釈するのなら、
 これほど"愛に満ちたレス"をいただいたのは、この10年で初めてです(苦笑)
 しかも、ボクにわかる表現ばかりで書いていただき、ありがとうございます。

>しかし、今(も昔も)、生活が苦しいのは誰が悪いのか?
>それ、政治がメインですか??
>私は違うと思います。それ以上に、経済と文化なのだと思います。

>今の世の中のひどい話や仕組みのかなりの部分は、この「共同体」の喪失によるのでは
>ないか、と私は思うのです。
>これからの左派がやるべきことは、この「共同体」の再創出なのではないか。

 驚嘆、まさに同感です。
 このような主張に1ミリの批判もありません。まるで いずみさんの発言とは思えない
と感じました(失礼!)

 でも・・それでも、現状の社会で生活していく限り、政治から隔離した生活社会を作る
ことは極めて難しい。 (いや、たぶん今の日本では不可能でしょう・・)
 その共同体が=「一挙かつ全体」=にそうならない限り、結局 最後は、国政の主導権
争いになるしか道はない、とボクは思います。

 それから、労働組合の件で、ちょっとピントの外れた意見なのですが・・。
 私は仕事柄、「給与の支払いのため財産を食いつぶし最後は倒産した零細企業経営者」の
例をいくつか見てきました。変な表現で言えば、家財は経営者より被雇用者の方が多かった。
そこでは「労働運動?いったい何それ?」と感じました。
 3K(死語)を敬遠して好条件の現場労働を嫌がる若い連中に変わり外国人の技術研修生
(という名の安い労働力)を雇用する製造業の現場を見てきました。
 雇用機会の面では政治の不条理を感じますが、比較的悪条件で働く研修生を批判の矢面に
立たせるのも酷だと感じました。
 逆に、技術研修生雇用に味を占め、雇用中の正社員の条件ダウンを図るケースも見ました。
 明らかに人件費のコストダウンだけのために為され、二次的利益まで得ようとする例は、
経営者も悪と感じましたし、2,3年で一財産作れると喜ぶ研修生の姿は、雇用調整にあって
実質的にクビに追い込まれた地元の日本人労働者から見ると、邪魔な存在に見えました。
 経営者とか被雇用者といった立場だけでは語れない、様々なケースがありました。
 これに輸出入関税や業界内分業の工程間での利害対立なども含めると、ワタシのCPUでは
何がどうなっているのかを理解するのに100年もかかりそうだった(苦笑)。
 もちろんそこでは 製造業関係の大手労働組合支部など、あまり役にも立たなかった。
 一定規模以上の経営者は 「会社がつぶれるか、複数の首切りか、給料ダウンか、好きな
 ほうを選べ」と 投げやりな交渉が 一時期、まるでブームのようでした。
 組合が自ら「会社つぶすのが本意ではない」という選択をしても、それを非難できるほど
私はサヨクではなかったということです。(今は 底を脱していますが)

 皆が皆、関生みたいになれればいいが、資質とかの問題ではなく、単純に割り切れない
利害対立が確実に存在する、と毎日、再認識させられています。
 消費ではなく、対在する生産という面から見て、この矛盾は悲観しようと思えば死にたく
なるくらい理解不能であり、「治療方法」など見つからない。
 これは資本主義の宿命だ社会主義にするしかない・・と「逃げ」に帰結してしまう(笑)。

 そういう日常から逃げないで実質的には解雇に追い込まれた人も含めて根本原因をどうにか
しようと思うと、やはり例えば市民運動やその活動などでは効果などなく、施策・行政やそれ
への強力な影響力を行使できる政治家が仕組みを根本から変えるしかないのではないか・・と
思ってしまうわけです。でも、その道は、全くサヨクとは違う道なのかもしれませんね。

  (ピントずれました、すみません。 しばらくは見てるだけにしますね)

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コドモダッテ戸田ぶさよしたん… 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 1月10日(水)00時39分39秒   引用

これ↓、おれも含まれるよなあ…。スゲー。

> この矮小化によって、戸田の掲示板を注意深く見ていた一部の人以外はこの事件によって
>生まれた「新生事物」に全く気づくことなく(四トロ同窓会やマル共連のネット先進分子達
>も!)、ネット右翼・荒らしの跳梁跋扈を許し、これに萎縮して、ネットの健全な発展に大き
>な遅れを取ってしまったのである。

http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=826;id=01

このひと、あほか。「ネット右翼」がいくら増えても、と田が2chやらで叩かれても、
議員クビになっても、少なくともおれに害も責任も、手を差し伸べる義理すらにゃい。

よく戸田は「戸田にメール」などとほざいているが、戸田板ならともかく、ココでは逆である。
「忙しい」中、わざわざ弐次会・参次会に出向いた戸田こそ、こっちに直接言うべきなのである。

おれのメアド:hjkm-lj@infoseek.jp

http://go.to/maoist/

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