四トロ同窓会三次会 2002年3月14日〜31日

書き込み自由です。二次会に飽きた方はどうぞこちらへ\(^o^)
----------------------------------------------------------------------------
「民主主義」について・6:見失われた「階級」(1) 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月23日(土)17時43分02秒

「権力闘争の時代」を呼号した新左翼政治党派がまさしくその「権力」問題で限界を露呈したことは、それが掲げるマルクス主義の根幹にあるべき「階級」認識の混迷を意味いたします。言いかえれば新左翼党派は「階級」を見失ったのでございました。それを端的に現わしたのが70年以後の「差別」問題にほかなりません。
 
 1970年夏、在日華僑青年同盟(華青闘)が放った「日本新左翼もまた帝国主義である」との“告発”は、「日本人」たる自覚なしに日本語で語られてきた「世界革命」や「プロレタリア階級」の政治文化的含意を問い直すものとして新左翼各派を激しく揺さぶりました。折しも入管行政では韓国からの流入労働者に対する強制送還が浮上し、また被差別部落をめぐる「差別糾弾」が(共産党との確執を含めて)激化し、あるいは広島・長崎の被爆者差別が社会化し、さらには女性たちが「リブ」として独自の闘いを始めたときでございました。在日、部落、被爆者、障害者、女性、さらにアイヌなど(さらに時を経ては「従軍慰安婦」問題もこの文脈に繰り込まれます)、戦後日本が隠然と含んできた「民族」「差別」の問題がいっせいに噴出する状況が現出したわけでございます。早大「文革」派出身の津村喬さんなどをイデオローグとする「差別告発」論がきらびやかに登場してノンセクト活動家を捉えていった過程には、左翼政治党派の「政治」観念に対する不満と不信が色濃く反映していたと存じます。
  
 新左翼諸派もこれへの対応を迫られ、「反帝」「世界革命」「プロレタリア階級」などの党派言説との整合性も吟味せぬまま、あわただしく「差別告発」の戦列になだれこみました(そこに「血債の思想」という論理を持ち込んだのは中核派の独自性でしたが)。その「差別告発」は、あたかも「被差別者」の代理人を競うがごとく「差別者」を摘発し、その持つ「差別意識」を抉り出し「糾弾」するという風景で、「差別意識」の表現たる「差別語」の摘出というパターンに収斂してまいります。けれどもいったん成立したこの「差別告発」パターンは、左翼を離れて自己運動を遂げ、「差別語狩り」の論理はたちまちマスコミの「禁止用語リスト」として体制に吸収されて言論統制装置のひとつとなり、また「女性の自立」論は、90年代には新保守主義の文脈に捕らえ込まれてまいります。
 
 この「差別告発」現象の政治傾向の心理的特性は、「わが内なる差別」という言い方が直裁に示すように、「日本人」「差別者」の強い内向性でございました。「世界革命」の現実性を感受する言葉であった「第三世界」さえも、沖縄=国内植民地=「第四世界」なる奇怪な位置付けで「国内化」されてしまいました。それは「国境を超える革命」からの後退にほかなりません。「差別(語)糾弾」は、味方の中に「敵」を見出し「自己批判」を迫る儀式のように蔓延いたしました。それは、かつての共産党内の「査問」と同種の心理機制を増殖させたと申せましょう。その過程で少なからぬ活動家が「自己批判」という名の「自己否定」を迫られ運動から放逐されていったことを忘れることはできません。この時期、共産党・民青と革マル派がこの「差別告発」現象の外に身を置いていた理由の一端は、両派が元来「“内なる敵”との闘争」の心理機制を内在させていたためでもございましょうか。
 
 それは、党派組織の「内ゲバ」類似現象として振り返るべき、社会運動の自傷行為であったと申せましょう。建前の理屈建てはともかく、行動としても心理過程としてもこの時期の「差別糾弾」現象は、党派の「内ゲバ」と相接した、その反面の過程として押さえておきたく思うところでございます。それは「(誤った)思想(=観念)」を直接に否定しようとするものであり、「(誤った)思想(=観念)」の持主の存在(肉体)そのものを抹殺するところへと容易に“発展”するメカニズムを内在させております。他方にそれは、「(正しい)思想(=観念)」で結合した人間たちの観念共同体を生み出します。ここでは、対他的にも自己内でも、観念や認識の差異を相対化し、対話を通じて共通のものを編み出していくという(「民主主義」の基本となる)契機が切り捨てられていること、あらためて申すまでもなかろうかと存じます。「戦後民主主義の虚偽」を打破しようとした新左翼は、敵を(そして味方を)見失い、自らの民主的規範を作り出すことに失敗したと申さねばなりません。この点の再検討こそ「内ゲバ」と「民主主義」との結節点ではないのでしょうか。

----------------------------------------------------------------------------
そ言えば、。 投稿者:アイランダー  投稿日: 3月23日(土)00時24分23秒

平野悠氏、沖縄に住むって宣言してたな、。
なんか、共同農場作って、「都会で疲れた人たちを癒す」ってな事を、、。
宮崎学さんとかも呼んだりするのかな、、。

まっ、別に断わる理由も権限も私にゃーないんだけどね、、。

あまり、近ずかないでおこ!
だって、疲れた都会人と付き合うと疲れそうだもん。

----------------------------------------------------------------------------
模索舎にて 投稿者:れんげ  投稿日: 3月22日(金)20時07分10秒

先日久しぶりに新宿の模索舎をぶらついておりましたら、
30代くらいの夫婦(と思われる)がいました。

妻「あれっ、これヘルメットに貼るシールなの?」
夫「ん、ああ第4インターだね」
妻「第4インターって何?」
・・・・(この間、聞き取れず)・・・
妻「じゃあ、これ着けてると、変なヒトに狙われるの?」
夫(苦笑)

ほのぼのとした、いい会話でした。

----------------------------------------------------------------------------
アタックニュースレターより 投稿者:まっぴょん  投稿日: 3月21日(木)19時53分16秒

ATTACニュースレター「サンドインザホイール」(週刊)
2002年3月13日号(通巻119)号から、おもしろいのを紹介します。

なお、noizさんも紹介していたバルセロナ50万人デモの記事もありました。
それから金融取引への課税の提唱者であったジェームズ・トービン氏(8
4歳)が3月11に死去したそうです。
エール大学経済学部名誉教授、ケネディー政権の最高顧問、1981年にノーベル経済学賞を受賞。

よくわかる(?)アルゼンチン経済の話
How to explain the Argentina economical situation to children By Billy

ボクは緑のビー玉を10個持ってたよ。ボクはそれをジョーに預けたの。ジョーは近所
の大きなお家に住んでて、ジョーのお家なら、ビー玉をしまっておく所があるから、
なくなる心配がないんだ。
ジョーのママは、子どもは緑のビー玉で遊ばずに、茶色いのに交換しましょうねって
言うんだ。それで、ビー玉の公式レートっていうのがあって、おばさんはボクに茶色
のビー玉を14個くれたよ。
ママにそのことを話したら、よその子とも遊びたかったら緑のビー玉がなくっちゃ、
と言って、ボクをお店に連れて行ったの。その店のおじさんは、緑のビー玉に換えて
あげると言って、緑のビー玉を7個くれた。
そのあとボクはママについて来てもらって、ジョーの家に行って、ボクの緑のビー玉
を返してって言ったけど、ジョーは、別の子に貸してしまったから返せないって言う
んだ。ジョーのおばあちゃんは、緑のビー玉を借りたら、茶色いビー玉を同じ数だけ
返さないといけないよと言ってたっけ。茶色いビー玉を10個返しなさいと言うことな
んだね。
ジョーからビー玉を借りた子は、ボクの緑のビー玉をお店に持っていって、うまく話
をして、茶色いビー玉17個と換えてきたんだ。そのうち10個をジョーのママに返し
て、残った7つを近所の女の子に見せていたよ。
よく考えてみたら、お店のおじさんは、その子たちが持っていた緑のビー玉10個と、
僕が持っていた茶色のビー玉14個を、緑のビー玉7個と茶色のビー玉17個に換えたん
だから、緑が3個増えて、茶色が3個減ったことになるね。
ああ、わからなくなっちゃった。
- なんでジョーのママやおばあちゃんまで出てきたんだろう?
- ジョーのママは茶色のビー玉を10個返してもらって、ボクには14個くれたという
ことは、4個はどこにあったんだろう?
- ジョーのおばあちゃんがあげたんだと思うけど、おばあちゃんはどうしてそれを
買うお金を持っていたんだろう?
- ビー玉を7個儲けた子たちは、何にもせずに儲けたんじゃないの!
- お店のおじさんは、どういうわけか、3 つの茶色のビー玉を緑のビー玉に換えて、
得をしたんだね。こういうのって、錬金術って言うんだね!
- ボクは緑のビー玉を3個、損しちゃった。
- ジョーのママは4個の茶色いビー玉を損しちゃった、それとも損したのはジョーの
おばあちゃんかな?
それからしばらくして、ジョーのおばあちゃんは、損を取り戻すために税金をかけ
たんだ。それでジョーのママに貸していたお金もチャラにしたんだって。・・・あと
から聞いた話なんだけど、ジョーのママとお店のおじさんは仲良しだったんだって。
それで、みんな得して、ボクだけ損したってわけ。

----------------------------------------------------------------------------
民主主義のこと・インテルメツォ:「プロレタリア(ー)ト」への接近(2) 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月17日(日)23時46分07秒

 (1)で並べ立てましたような問題関心から、当面の課題を引き出すなら、大きくふたつになろうかと存じます。ひとつは実体として観測できる「労働者」の現実の姿を正確に捉えること、第2に、その存在を規定する資本制の現段階を世界編成のレベルで捉える方法を明確にすること。前者は「階級」の原理規定よりも実体認識にかかわり、後者は「帝国主義論」の現代的再把握ということになりましょう。前者については旧構造改革派の系譜を引くと思われる社労同系サイトに、また後者については大方の党派が沈黙する中で旧ブント系サイトに、意欲的と評し得るものがございました。残念ながらいずれも方法的意識が十分でないように見受けられます。その方法的意識こそ「権力」の問題、言いかえれば「政治」の問題とわたし思うのでございます。
 
 具体的に述べましょう。熟練工をモデルとする「生産労働者」が少数になり、同じく雇用契約のもとにあるとはいえ自らを「労働者」というより「サラリーマン」と意識する高学歴層から非正規労働者まで含むサービス業従事者が過半を占めている「労働者」の実態に照らして「プロレタリアート」を造形する場合、その「連帯」の契機は経済的動機よりも社会的・政治的動機が大きな要素を占めることは理の当然と申すべく、ここで「社会」と「政治」の二重性をどのように理論的に編み上げるかが課題となります。また「帝国主義論」の現代的把握を構想するとき、経済(論)と政治(論)の有機的構成の方法が問われます。それを回避するとき、「経済」主体を*そのまま*「政治」主体に見立てて「正邪」を語るという市民主義的(ないし情報左翼的)偏向は、避けられぬところでございましょう。
 
 両者に共通する「政治」の契機は、「国家」把握の問題にほかなりません。そして(1)で少し触れましたように、資本制の現段階は、60年代このかたの多国籍企業にみるとおりこの「国家」を乗り越えており、特に80年代後半以後あらわになった金融資本の跳梁は、もはや国家の統制権能が及ばぬ独自性を獲得する自己運動になってございます。そのような「国民国家」の衰退現象は、たとえば「唯一の超大国」アメリカで、最高のブルジョア的知性の「政治離れ」として明瞭でございましょう。その最大の契機は、はやはりベトナム戦争でございました。あれ以後、牧場主のカーター、カウボーイ役者のレーガンなど、およそ知的エリートとは程遠い人格が大統領の座を占めてまいりました。ベトナム反戦闘争期の「良心的兵役拒否」者だったというクリントンはわずかな例外と申すべきでございましょう。
 
 バルカン戦争に始まりユーゴスラビア解体で終った20世紀は、「民族の世紀」でございました。国際関係における「民主主義」の原則を代表するものは「民族自決権」の承認にほかなりません。後発帝国主義国アメリカはこの原則を世界に押し付ける役割をもって世界帝国へのし上がりました。けれどもこの「民族自決権」こそ、民族紛争を解決するどころかますます複雑・深刻にした要因であったこと、今では明らかと存じます。20世紀マルクス主義はこの「民族」問題についにマルクス主義的な回答を見出せぬまま、自ら「民族化」してしまって解体いたしました。あたかもそれに対する懲罰のように、さまざまな宗教的原理主義が噴出しております。イスラム原理主義はもとより、ユダヤ原理主義、ヒンドゥ原理主義、etc.。この日本においてもまた「ニッポン原理主義」が陰湿に蠢いていること、あらためて申すまでもないかと存じます。他方、現代資本制の世界支配=金融グローバリズムが産む悲惨と非道に対しては、多くの宗教組織が地道な活動を展開してもおります。
 
 「テロにも戦争にも反対」は、市民主義的大衆運動のスローガンとしては当然のものとも申せましょう。けれども「世界革命」をめざすマルクス主義のスローガンとしてはいかがなものでございましょうか。コム両派の間では、荒川亘さんという方が疑問を提出しておられるのを読みました。革共同全国委員会両派の機関紙が「9.11テロ」賛美の論調を競っているのも、この疑問の戯画的表現とみなせば、嘲笑してすむこととも思われません。
 
 世界史の今日「プロレタリア(ート)」とは何かとの問いは、およそ以上のような状況のもとでマルクス主義に解答を迫っていると思われる次第でございます。

----------------------------------------------------------------------------
民主主義のこと・インテルメツォ:「プロレタリア(ート)」への接近(1) 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 3月17日(日)23時44分55秒

 「プロレタリア民主主義」について提起せよとの小西さんの宿題にお答えすべく始めたこのシリーズ、その前提となる「プロレタリア」ってそもそも(きょうび)何なのかを確かめるのが先決であろうと考え、あえて形容詞(プロレタリア)抜きの「民主主義」のことを書き連ねている次第でございます。この間、ネット上の党派文献のいくつかが目に触れ、またまっぺんさんご紹介の第4インター世界大会議案にも触発されるところ多々ございました。シリーズ中途でございますが、「階級」のこと、「統一戦線」のこと、そして「党」のこと、などなど感想を書き留めておきたく思います。
 
 わたしの基本的な認識と課題意識を並べておくなら、粗々下記のようになりましょうか。

《階級と大衆運動》
@「プロレタリア階級」とは*社会的*存在であり、今日それは、かつて産業資本主義期〜古典的帝国主義期に想定されたような単一な存在ではなく、資本制支配の現段階に規定されて多重的・重層的な構成をもっていること(古典的「階級」の解体)。
Aまた資本制の現段階は、「総資本」対「総労働」という単一的な階級対立を複合的なものにしていること。またそれらは各「国」という枠を越えて特殊今日的な性格のグローバルな対立を産んでいること(伝統的「国家」の衰弱)。
B「階級」の解体と「国家」の衰弱が交差するところで「民族」が独自の吸引力を生み出していること。
C以上のことから、大衆運動の「統一戦線」は、多様な契機をもち多重的・複合的な編成をもって構想されるべきこと(ATTACなどもそのひとつ)。
《党の問題》
@「階級」の多重性・複合性を反映して、政治集団=党も(たとえ「マルクス主義の立場」をとるにしても)単一=唯一ではありえず、さまざまな諸傾向をそれぞれにもつ「部分党」としてしか実践的には登場できないこと(その意味で「唯一前衛党」は非現実的)。
Aこれら「部分党」は、大衆運動の多重性・複合性を越える包括的な世界認識の形成へ向けて競合と協働の関係を作り出すことが求められる。
Bこの「党」と「党」の関係が生産的に取り結ばれるには、現実の大衆運動の実践を媒介にしなければならないが、他方この「党」と「党」の競合と協働の関係を、大衆運動の「統一戦線」から原則的に区別すること。
Cこうした競合と協働の関係は、「マルクス主義の立場」に限定せずに構想することができる(第4インター「統一書記局」の提起の意義はこのあたりかしら?)。
《マルクス主義の問題》
@20世紀には「マルクス主義」そのものが思想的に分裂してきた。西欧社会主義〜社会民主主義とボルシェビズム、スターリン主義とトロツキズム、20世紀後半では毛沢東主義を含むAALA革命思想、日本で言えば旧労農派〜左派社会党系と旧講座派〜日本共産党系、戦後日本共産党から分岐した新左翼各派など。
A「プロレタリアートの世界観」としてのマルクス主義の思想的再構築は、マルクス主義を掲げる諸潮流共通の課題であり、独自の理論的作業を必要とする。

 いささか風呂敷を広げてしまいましたが、以上のことどもからどのような課題を定立するかは別稿といたしまして、この風呂敷にはいくつか大穴が空いていること、その穴の暗さにこそ大きな問題が潜んでいることを自戒しておきたく思います。
 それは何より「民族」の問題でございます。でも、「権力」や「国家」と無関係に「民主主義」をずるのは本来の意味で「ブルジョア的」と申さねばなりません。この「国家」なるものは、「民族」を抜きに実体として議論することかなわぬ存在でございます。散見した党派文書で意欲的と思われるものも、この「民族」の問題に面と向かってはいないように思われました。闇はなお深いというべきでございましょうか。

----------------------------------------------------------------------------
Re:反戦自衛官声明 投稿者:まっぴょん  投稿日: 3月14日(木)18時22分35秒

あ!そうでしたね〜。
いちおう長い引用文はなるべく三次会のほうに書いて、その通知を二次会でしてほしい、という事でしたっけ。
ただ、そう決めた時期は、あまりにも長い文章がつぎつぎと書き込まれていたんですが
今は比較的落ち着いてきたので、いいことにしましょう。ね!\(^o^)
また混んできたらアナウンスします。

----------------------------------------------------------------------------
反戦自衛官声明 投稿者:すえいどん  投稿日: 3月14日(木)15時26分19秒

反戦自衛官声明が二次会の方にのっていますが、二次会と三次会の使い分けはどうすることになっていたんでしたっけ?で、反戦自衛官声明ですが、ここまでいわれたら中核派もなんか言わざるを得ないんでしょうね。なかなか、作文がむずかしそう。むかし、日共が宮本議長勇退で中で暗闘を重ねていた頃を思い出します。

----------------------------------------------------------------------------