四トロ同窓会三次会 2002年11月6日〜8日

書き込み自由です。二次会に飽きた方はどうぞこちらへ\(^o^)
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 11月 8日(金) 〜 9日(土) 途中までの投稿を消してしまいました。すいません(管理人)

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なんだかね。 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)21時04分33秒

国家の死滅が戦争の終焉を意味する、という前提で、国家の死滅という概念は語られるんじゃないんですか?そうでなければ、なぜ、なんのために、国家の死滅などを目指すのでしょう?
で、国家が死滅すれば、犯罪も無くなるという説をしまださんが唱えられている訳ですが、そのへんの仕組みを御説明願いたい、と言っておるのですが。

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ひとつ抜けてました 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)20時45分13秒

 黒目さんに、黒目さんの目指される軍隊のない世界では、侵略の自由があるのですかと聞くのが抜けてました。

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軍隊のない世界 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)20時40分08秒

黒目さんへ
 黒目さんは警察はあっても、軍隊のない世界を考えておられるんですね。
 軍隊のない世界では、侵略みたいなことは無いのですか。
 (なんか、アベコベになって来た感じ)

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結局こうやって 投稿者:はたや  投稿日:11月 8日(金)20時27分37秒

アホひトリは自分自身を貶めていくのだな(w

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警察のない社会 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)20時20分24秒

犯罪が発生しないからです。
 
同様に考えて、軍隊のない社会(世界)は、
侵略のない世界なんでしょうね。

それとも、侵略はあるが、それに対抗する必要のない侵略しかないんでしょうか。

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しまださんへ 投稿者:青い鳥  投稿日:11月 8日(金)20時13分35秒

黒目さんは、「警察権力」とはいっていません。「行政機構」らしいです。「警察、自衛隊は、国家権力」なんて、あまり「過激」な言葉を使わないで下さいね。そういう言葉を使うと「市民運動」は発展しませんよ。黒目と同じように、「左翼」、「戦後左翼運動の総括を求めるものであります」・・・(注:この書き込みは、冗談ですので本気にしないで下さいね

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それはそうと 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)19時55分22秒

 誰ですか、警察を気にして「本名を出さない」なんて言ってるのは。
 どうやら日本の警察はいわれているように「民主警察」であって、何をどこで語ろうと、言論の自由ということで守ってはくれても、名前などをリストアップすることもないようです。
 でも、自衛隊だけはやはり、用心しないといけないらしいです。

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いや、だから 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)19時46分36秒

その「警察のない社会」というのでは、犯罪は発生しないのですか?
あるいは犯罪の自由がある訳ですか?

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あ、すいません。 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)19時38分50秒

 黒目さんの考えでは、警察権力は、国家権力と無関係に存在できるんでしたね。
 つまり、強制執行があったとしても、問題とすべきような強制ではないということでしたね。
 矛盾したことを言ってるというのは取り消します。すいません。

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黒目君へ 投稿者:青い鳥  投稿日:11月 8日(金)19時30分19秒

まっぺん君。再登場をお許し下さい。
多分、黒目は「窃盗」、「ひったくり」などから「市民社会」を守るという意味で「警察」を語っているのでしょう。警察を「行政機構」と書いているのもその現われです。「国家」と「警察」は関係なんて、なかなかいい意見ですね。「自衛隊」は「国民」の安全を守るために存在するというのと同じ発想ですね。「国家」そのものを問う運動が激しくなれば、警察も武器を向上させるし、それでも抑えきれない時は「自衛隊」も出てきますよ。そう、「市民」に銃口を向ける存在として。

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苦笑するのもいいけど 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)19時28分03秒

 黒目さん、「あらゆる強制を廃絶する」といいながら、犯罪者を取り締まる警察だけは残すというのは矛盾してるんじゃないですか。
 なんか、最初言ってることと実際にやったことに大きな差のある、誰かさんのハッタリみたいですよ。

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横レス失礼します 投稿者:はたや  投稿日:11月 8日(金)18時52分52秒

>そんなこといえば、日本には「国家警察」という名のものはなく、「県
警」や、「都警」ともいうべき「警視庁」しかないんじゃないですかね。
日本国家とは関係ないんすか。そりゃまあ、おめでたいことで−−−。

敗戦直後に導入された自治体警察制度をぶち壊して国家警察による一元支配体制に置き換えた張本人が後藤田正晴ですね。

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)18時45分06秒

それはまた、ユートピア的な(苦笑
犯罪というものが起こらない社会というのは、人類が未だかつて経験のした事のない社会である訳ですが、それは一体、如何なる過程を経て、人類はそのような境地に達する事ができるようになるのでしょうか。

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ああ、それから 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)18時39分24秒

 イスラム教徒もいろいろあるようですが、自称共産主義者にもいろいろあります。
 これは、絶対的確信をもって申し上げますが、警察権力の廃絶こそ国家死滅の象徴であります。
 従いまして、黒目さんのいわれるような、正当性があるかどうか疑問のある、警察力ていど(?)の強制も消滅します。
 国家権力の死滅ですから、多数決の民主主義も消滅します。
 黒目さんとしては、永久に、犯罪者を取り締まる「強制」だけは残したいのですね。そうなると、「あらゆる強制を廃絶する」などというのは、いかがかと。

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)18時31分24秒

はあ、まあたしかに1922年にはまだ生まれてませんでしたが(苦笑
で、しまださんの説によると、国家と警察は不可分である。
で、しまださんは、国家が廃絶される可能性は未来永劫ない、と考えておられるのか、
あるいは、「犯罪の無い社会」というものがやってくる、と考えておられるのか、
どちらでしょう?
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参りましたね 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)18時22分50秒

 関係ないけど、黒目さんてずいぶん若そうですね。
 「ツアーの官憲」も知らないし、大杉栄を葬った大日本帝国の「官憲」さえ知らないようだから。
 でも、ナチのゲシュタポなら知ってると思うけど、ビデオや映画などに良く出てくるから。
 ところで、警察は、出入国、納税、裁判判決の執行などなど、「公務執行」部隊として、まさに国家とは暴力装置である(=マルクス)ことを実証してくれる「国家」の中心的柱ですぞ。
 警察権力なくして国家の存在などあり得ましょうか。黒目さんの願望とは反対に、警察権力はむしろ国家たることの象徴、証左です。「州警察」というから、国家を前提にせず、「国家警察」というから国家を前提にするなどどというのは、ただのお名前遊びに過ぎません。
 そんなこといえば、日本には「国家警察」という名のものはなく、「県警」や、「都警」ともいうべき「警視庁」しかないんじゃないですかね。日本国家とは関係ないんすか。そりゃまあ、おめでたいことで−−−。

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赤い余談さんへ 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)17時46分54秒

挨拶もせず、失礼しておりました。
 自衛権ありの主張は、戦争する時のための主張だという引用文を紹介されてましたね。
 そういう場合もあるし、そう言えない場合もありますよ。
 そういう(自らの武力行使の合法化)場合のみを引用されたわけですから、仮に武力侵略があった場合に、それに武力で対抗しても合法化になるような引用だと思ったのです。
 
 それから、政治と国家権力を一緒にするのは良くないとか。
 小泉という男が現在の国家(権力)のカオであることは同意して頂けますね。しかし、でも、ハッタリ屋でもある彼は、政治家とも言われる。ま、同一ではないけど、大きな交点、重なり部分があることも同意して頂けるのではないでしょうか。
 両者が、警察力や軍事力として内外において強制力として働くものであることを言いたかったのです。というのは、たとえ、多数決の民主主義といわれる「政治」であっても、強制力の行使と決して無縁なものではないと言いたかったからです。
 というのも、国家権力といえば、民主主義的政治と一線を画すものであるかのように黒目さんが考えているようだったからです。

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若干訂正。 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)17時09分51秒

○ 郡市警察、州警察
米国では警察行政は基本的には各市が行うこととなっている。しかし、地理的な条件や財政的な問題から「郡」で組織する場合もあり、そこで、これらを区別する為、市警察は「City Police」といい、郡警察を「CountySheriff」と言っている。一方、米国は車社会で、高速道路は極めて発達していることから、高速道路での取り締まりや事故、災害対応を個々の郡市警察が行っていたのでは効率が悪いことから、高速道路においては州が警察機能を持っている。これを州警察「Highway Patrol」又は単に「Patrol」という。

・・・・ま、国家警察としてFBIというのもあるわけですが。

*もちろんこれはアメリカ万歳ゆうてるんやなくて、国家を前提としていない警察なんか、普通にある、という事を示しているのです。念のため。

http://web.pref.hyogo.jp/syoubou/nagao/4_3.html

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はあ。 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)16時56分27秒

アメリカの州警察は地方自治体警察だったと思いますが。
また、ソビエト権力というのも、当初は国家権力と=のものとして構想されてはいないと思いますが。
というか、社会主義→共産主義という流れを主張する世界革命派の人は、究極的には国家の廃絶を目指していたと思いますが、その状態では警察もなくなるのですか?

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これはあまりにどうかと 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)16時51分23秒

黒目さん、下記の主張は撤回した方がいいのでは。↓
>私は「犯罪がない社会」が到来すると考える程には楽天的ではありませんし、警察機能が廃絶された社会というのを夢みているわけでもありません。別に警察という行政機構は国家を前提としなければならないなどという話はどこにもないと考えているだけの話です。

 「国家を前提としない警察」があるなんてのは、大変な新学説ですよ。

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全くどうかと思いますね。(苦笑 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)16時27分16秒

>2回目ですか? 
2回目です。前は「詐術である」と書いています。
で、そのような詐術は別にしまださんの発明ではなく、「自称社会主義国家」がこれまでやってきた事であるし、その正当性が確認できない軍事力の行使も然りである。
で、20世紀をまるまる使って、その二枚舌性、詐欺性が明らかになった方式をもう一度ためそうそするほどには民衆は楽天的ではないと思います。
「正当性をどうやって判断するのか」とは、即ち、「正当性は無い」という事を婉曲に言っているに過ぎません(苦笑

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ちょっと、これはどうかと 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)16時12分32秒

黒目さん
 「強制をやめさせる強制」も必要だと私がいうと、黒目さんは「そのやめさせる強制の正当性」はどうやって判断するかと。
 黒目さんは、強制をやめさせる強制も必要かどうかという議論に対して、その強制の正当性をどう判断するかという議論にすり替える。
 こういうのって、あり?

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それはしまださんの責任ではなく、間接民主制の欠陥では? 投稿者:TAMO2  投稿日:11月 8日(金)15時05分21秒

 黒目さんの文章についてです。

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ひとこと 投稿者:いずみ  投稿日:11月 8日(金)15時02分47秒

>だけど、相手が武器を持っていたら、軍が出て来るのですよ

ここの部分をもっともっと、現代的に、厳密に検証しなければならないのだ、ということを小西誠さんが述べていますね。
通り一遍の「対抗のために軍備が必要」というのは陳腐だと率直に思うのですが。

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ホホウ 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)14時46分21秒

とうとう、言ってくれるじゃないですか。↓
>しまださんの言われる権力は、俺が指摘したように当初から二枚舌的であり詐欺的である。
 「二枚舌的であり、詐欺的である。」とは2回目ですか? そりゃ知らなんだ。ハテ、いつだったかいな。
 しかし、このことばはそっくり黒目さんにお返ししましょう。
 そりゃそうと、黒目さんは、軍隊は要らないけど、警察は要るんですか? そして、警察の強制は、軍隊のそれと違って問題にはならんのですか?
 「あらゆる戦争とあらゆる強制を廃絶するため」に政治に関わる方としては、ずいぶん警察には甘いんですね。警察が軍隊と違うのは、相手が丸腰だからピストルぐらいで済むというだけじゃないですか。そして、丸腰だから、相手も応戦しないのでドンパチもほとんど起こらず、“平和”ですね。
 まあ、あなたのいう反戦平和というのは、この程度の平和をいうのでしょうね。だけど、相手が武器を持っていたら、軍が出て来るのですよ。それなりに当然のことでしょう。一体、どんな違いがあるのでしょう。

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)13時18分15秒

なにやら、「反戦」問題からずらされてるように思いますが(苦笑

私はそもそも国会決議如きで再軍備をする事が倫理的に免罪されるような事があるとは思いません。国会決議により、再軍備することが免罪されるようになりうると主張するしまださんには、どのような国会決議をどのように挙げれば良いのかを出してみてもらいたいものだと思った訳ですが、たとえしまださんが言われるような反省云々を記入した決議を挙げたとて、再軍備が免罪されることには全然ならないし、またアジア諸国は日本がまさに再軍備をしている事を以て、「全然反省してないじゃないか」と怒り続けてきたと思いますが。

で、私は「犯罪がない社会」が到来すると考える程には楽天的ではありませんし、警察機能が廃絶された社会というのを夢みているわけでもありません。別に警察という行政機構は国家を前提としなければならないなどという話はどこにもないと考えているだけの話です。で、しまださんは軍事力の行使を強制力一般に解消しようとしておるように見えますが、そういういちいち軍事力を行使しなきゃならんようなアホな世界をやめにするという事を言っているのです。

なんか、しまださんのいうとるのんは、プラハに攻め込んだワルシャワ条約機構軍みたいな理屈に見えますが。
強制をやめさせる強制、その強制の正当性はどこで確認されるのでしょうか。
しまださんの言われる権力は、俺が指摘したように当初から二枚舌的であり詐欺的である。そのような権力による強制が正当性を持つものであると、はたして確認しうるのでしょうか。

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厭戦にこだわる 投稿者:野次馬  投稿日:11月 8日(金)12時54分49秒

次の一説は、黒田寛一とおぼしき人がごく最近書いたとされる詩の1行ということですが、

>緊急事態目前に起たざるは<ネグリ智慧(ヂヱ)>を着たるゆゑなるや

「反戦」という「督戦」の論理の典型的な一例だと思います。
厭戦では、確かにせまりくる暴力団とは戦えないでしょう。
しかし、暴力団と戦うつもりだったのが、
自らが暴力団そのものになってしまったという、
「新左翼」の歴史に対して無反省なままでは、
現下に登場している「有事法制」攻撃を抑止し、
部分的にでも回避することはできないと思います。

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黒目さんへ 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)12時44分01秒

黒目さんへ
 あなたは「あらゆる強制を廃絶するため」にも「政治」に関わっているとおっしゃってる。
 そこで質問。だいたい、「強制」って奴は、口で言ってやめるもんじゃないですね。やめさせるには強制も必要だと思いませんか? (強制をやめさせる強制の政治、というのがあるんじゃないですか。そういう政治の強制、つまりそのための権力だけが必要で認められると思うんですが。)

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黒目さんへ 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)12時19分03秒

「村山50年決議」
 黒目さんは「この一片の決議」で、戦争責任問題と補償問題の幕引きを図るものだから反対したといわれている。
 だが、私に対しては決議を「どう評価するか」と。決議の文面が問題だったんじゃないですか。決議が文章である以上、短すぎるかどうか別としても、「一片のもの」であるのは当然でしょう。
 文面に立ち入らないということは、概ね問題無しと評価していることになりますね。
さて、「他国も侵略をやった」みたいなことを挿入して自国の罪を軽くしようとしているとか、そんな問題もあります。だが、一ばんの問題は、アジア諸国への植民地的侵略によって与えた苦痛や多くの人々の戦争犠牲もさることながら、それを敢えて行わせた国益第一主義です。
 個人レベルでは(前述したように)、スカーレット・オハラの「生きてゆくためなら、ウソもつきだまし、人をも殺す」という、あの「たくましい」「感動的セリフ」といわれているものです。これをまちがった考えとしないかぎり、又同じようなことをやります。
 大東亜“共栄”圏などといっていたのですから、他国を隷属下に置き、他国民を侵害することなど悪いことだと考えていたわけです。もちろん、戦争して命が失われるという「犠牲」のあることも分かっていました。それを敢えてやらしたポリシーがあったわけです。これを摘出し、告発することによってはじめて反省したといえるでしょう。
 わが国に侵害されたアジア諸国も、わが国が国益優先主義を排斥すれば、その時はじめてアジアでの「共栄」を信じてくれるでしょう。
 でも、市場原理社会では、人々は困ったら何をやってもいいみたいに思うでしょう。法律学も認めているように資本制社会は「個人本位社会」ですから、基本的にはインモーラルな社会です。国益主義の排斥にはなかなか賛同しないでしょう。つまり、市場原理と侵略戦争は運命共同体というわけです。

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なるほろ(w 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)12時03分29秒

国家に対してなら、アレルギーもトラウマもありますよ(w

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ふふふふ、ふん 投稿者:赤い余談  投稿日:11月 8日(金)11時39分01秒

しまださん。

あなたが使用する「政治」という語は「国家(ないし「国家権力)」という語に
置き換えた方が概ね話しは通じると思うのです・・・・・が。
言葉は誤解を生まないように使った方がいいよ。

あと「引用」は「引用」。
参考にしてちょ、っていう趣旨。

んで、私としては「国家」の枠に、はまり「たがっている」主張には
特に面白味を感じないので、現段階では「厭戦」気分も手伝って「不参戦」です(笑)。はい。
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>強制力のない政治はあり得ないでしょう。 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)11時35分59秒

ならば、この生ぬるい戦後民主主義をことさら否定する必要もないでしょ
う。
私はあらゆる戦争を廃絶する為に政治に関わり、あらゆる強制を廃絶するために政治に関わったのです。
戦後民主主義な腐れ政治屋よりも社会主義的革命的腐れ政治屋の方がましであると考える理由はどこにもありません。
私は基本的にレーニンという人は嫌いなのですが、ロシア革命はロシア民衆の「もう戦争いやや!」という意志によって成立したのではないのか?
で、その戦争いややゆうて逃げてきた民衆をもう一度、新しい権力が戦争に狩り出すのは詐術ではないのか?
しまださんは権力獲得の為に戦争に反対し、私は戦争を廃絶する為に戦争に反対する、
その相違であると思います。
私は常に民衆の立場にしか立ちませんし、腐れ政治屋の立場には理解を示しません。

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黒目さんへ 投稿者:しまだ  投稿日:11月 8日(金)10時36分08秒

【政治にアレルギーがあると思った理由】
>俺はその権力がどのような主義であろうと、軍という事柄の質は同じであると考えます。
 ↑これが黒目さんの考えでしょう。「軍という事柄の性質」というのはちょっと意味不明な表現だと思いますが。
 ある主義主張を持った政権が強制力を行使する−−−外国に対してだけでなく、国内においてもあります。その強制力の行使には政権の主義主張とは関係のない共通の「性質」がある。その共通の性質というのがあるため、一切の軍事的行動をあなたは受け入れらないというわけです。
 裁判の執行だろうが、外国軍隊との交戦だろうが、政治の一部じゃないですか。強制力行使を含めて政治権力であり、国家権力であるわけでしょう。強制力行使も主義主張の一部じゃないですか。
 黒目さんは、武力行使に何か問題を感じた時、それをその行使権力の主義主張との関連で見ないで、武力行動に固有の問題として見ているわけです。しかし、それは、主義主張と武力行動の関連が黒目さんに分からないだけのことじゃないですか。
 それを否定されるなら、「権力がどのような主義であろうと、軍という事柄の性質は同じである」という黒目さんの考えの根拠を示してもらえますか。
 強制力のない政治はあり得ないでしょう。その強制力にアレルギーを感じるのは私は黒目さんが政治世界にアレルギーがある証拠だと思ったのです。何かトラウマがあるのでは−−−とも考えています。

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いろいろ 投稿者:TAMO2  投稿日:11月 8日(金)09時00分30秒

しまださんと、黒目さんの意見の相違は、「マルキストとアナキストの伝統的な権力
(そして、権力奪取と行使)対処の問題」に帰着すると思います。

−−−−−
確かに、個人の意見に「最大限綱領と最小限綱領」ってのはないですね。言いたかった
のは、[当面のことと、来るべき?権力奪取時のこと]および、[個人として出来るこ
とと、組織(党)として出来ること]がごっちゃになっているということです。

−−−−−
「赤い余談(懐)さんの書き込み」は、文章引用だけであり、彼の意見ではないと思います。

−−−−−
ちなみに、長い付き合いのかたはお分かりでしょうが、小生は「明文改憲派」です(爆)。

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)08時59分16秒

ま〜、こういった構造の中で、俺自身は「なにがしイズムの徒」である事をやめ、ただの戦争反対主義者、天皇制反対主義者、と名乗るようになりました。
で、現実の運動構造の中では、そういった「革命主義」は極少数派として残存しているに過ぎないのではないかと思います。
つまり、今や、そういった「革命路線」に動員されないままに戦争に反対する事が、遂に可能になった!(w

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私、コンジョ無しですけど(笑 投稿者:Muu  投稿日:11月 8日(金)08時55分51秒

黒目さんの仰ること、全く同感です。
>これは左翼がこういった詐欺的論理、自民党政権の再軍備はいかんが革命政権の再軍備はOKというような民衆に対する詐術を使い続けた事の結果であるかと思います。
特に上述の引用は、左翼、特に新左翼の欺瞞的方針であり大いに反省すべきところですね。
(黒目さん、私があなたに同意したからって、あまり反発しないで下さいね。)

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反戦・厭戦 投稿者:黒目  投稿日:11月 8日(金)08時35分06秒

まず、反戦・厭戦という区別ですが、これは左翼の秘教的な分類であり、普通の世間一般では反戦と厭戦に区別などない。
左翼にとってのみ、反戦という語が、自らの「革命路線」の中に位置づけられた「戦争反対」という戦略を指す語として、特殊な意味を持たされている語である訳です。
で、今、もはや左翼の「革命路線」は民衆からキャンセルされ、誰も見向きもしないものに成り果てている訳ですが、これは左翼がこういった詐欺的論理、自民党政権の再軍備はいかんが革命政権の再軍備はOKというような民衆に対する詐術を使い続けた事の結果であるかと思います。
民衆にとっては戦争で死ぬのんがいややから戦争反対なんであって、戦争に反対するために獲得した新しい権力がまた戦争やる、などというのは裏切りでしかない。あらかじめ裏切る事を約束してるようなもんに、一体、誰が支持をあたえるのか、とゆ〜。

ま、甚だしきは「反戦」という語が、「厭戦」よりも勇ましい、こわもて風の語であり、ちゃらちゃらした「市民的」なのはコンジョ無しなのでいかん、などというしょーもないあれで、「反戦でないといかん」などというムキもありますが(苦笑

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ちょっと、余談ですが。 投稿者:Muu  投稿日:11月 8日(金)03時16分47秒

>反戦より厭戦の方が確か
私も同意します。
どうしても、反戦の場合、根拠を求められがちでが現在のように価値観が多様化した今では、反戦という根拠付けが苦しくなります。その点、厭戦の場合は個人的体験に基づく「好き嫌い」という人間性にとって本源的な感情に根ざしたものです。だからこそ「偏狭」でもありますが「確か」であり、揺るぎないものとなるのでしょう。
問題は世代の推移で、野次馬さんが指摘するように戦争を直接ないし間接的にも「体験」する世代が時代とともに少なくなる事です。(そのため「沈黙の艦隊」や「宣戦布告」の方が「現実的」と思う人が多くなる原因とも思いますが・・)
今後、厭戦意識による戦争策動にたいする抵抗力として現実的に後退することを、どのようにして抗うかが重要な課題に成ることは間違いないと思われます。

但し、しまださんの厭戦はダメも当然です。
もともとの厭戦は先に述べた通り「好き嫌い」のような個人的体験に根ざしたもので、どうしても「言語」を通じての体感の共有を前提にした説得には限界があります。
厭戦の「感情」による根拠は強力で「確かさ」でもありすが、同時に「感情」を共有しないものにとって全く効力を持ち得ません。そのことを考えますと私には、例え自ら厭戦意識を持っていても、場合によっては、「共有感情」に依拠しない「論理」という説得方法で出来る限り追求し対応することが、まず必要な事だと考えます。
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しまだ様 投稿者:野次馬  投稿日:11月 7日(木)23時40分53秒

>(厭戦の否定)厭戦を「否定」しますね。厭戦者は、暴力団には入らないでしょうが、暴力団とは闘わないでしょうから。

この暴力団とは、自国軍のことですか外国軍のことですか、それともまったく別の勢力のことですか?意味がよくわかりません。厭戦の「否定」というのは、文字どおりに解釈すると、督戦となりますが、それでよろしいのですか?

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反戦より厭戦の方が確か 投稿者:野次馬  投稿日:11月 7日(木)22時59分31秒

黒目さんの書いているように、

>左翼はこの民衆的な厭戦・反戦の意識を御都合主義的に動員して、自らの「革命路線」にむりやりくっつけてきた

のであり、結局のところ、スターリン主義教育でしかなかった戦後「平和教育」なるもののから展開される平和主義(cf.なつかしき「平和勢力」対「戦争勢力」)は、むしろ「反戦」という言葉との間に親和性があるのではないでしょうか?
 もちろん、「厭戦」が運動の行動原理になるはずもないですが、少なくともある世代以上の人たちに対しては、現下の有事立法についても、条文から簡単に読み取れる基本的な諸「権利の侵害」よりは、「厭戦」意識にストレートに届くような「きなくささ」の強調の方が実感的説得力があると見ています。

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というか、 投稿者:黒目  投稿日:11月 7日(木)22時38分04秒

>あなた方も私も政治の世界にいる以上、非政治的であることは出来ないのですよ。
云々
というのが、憲法9条における「自衛権」という話に対するしまださんの回答なんだね(笑
これはまさに無反省な解釈改憲政治屋の論理と、全く、一分もあますところなくぴったり重なる論理ですね。しまださんは「反省する解釈改憲政治屋」という事になりますか(苦笑

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いや、没論理に対するアレルギーです(w 投稿者:黒目  投稿日:11月 7日(木)22時21分55秒

しまださん、私はあなたのいう、「自衛権まで放棄したわけではない」というのんが、まさにあなたのいう「解釈改憲政治屋」が解釈改憲をする為に生み出した概念であるという事を説明したと思います。で、しまださんの言われる「薄汚さ」とは、彼らの解釈改憲はけしからんが、あなたの解釈改憲はよろしい、というような類の話でしょうか?
民衆にとっては誰が行った解釈改憲であろうと同じであると思いますが。
私が書いた「薄汚い」というのは、冷戦時代のアメリカ合衆国が、ソ連が、薄汚い事をする国であり、私は日本がああいった薄汚い国になる事を望まない、と言っているのですが、しまださんは日本がああいった具合の薄汚い国になるべきである、と言っておられる、と、そういうことでしょうか?

で、村山政権の国会決議ですが、しまださんが挙げられた点、「前から良くないと分かっていたことを悪いと」云々、これはどういう事をいっておられるのか理解しかねます。
村山政権はこの決議を挙げる事で、戦争責任問題の、戦後補償問題の、幕引きをはかろうとしたのであって、我々はこの一片の決議をもって戦争責任問題を終わらせようとする事に対して異論を表明していたと記憶していますが。少なくとも「前から悪いとわかっていた事を」云々てな論点は、初見ですね。また、この文言そのものについて、どの部分においてそんな読み方が問題になるのかどうか。「はじめから悪いとわかっていた」とどこにどう書いてあるのか。
ガキのいたずらを叱っているんじゃないんだから、戦争という大きな現象が、どこかの誰かが「最初から悪いとわかってた」あるいは「悪いと思わなかった」というような「反省」が国家総体として可能になる状態というのは、ほとんどひとりの個人がその国家を体現できるような状態でなければありえないと思いますが。

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いや、はや 投稿者:しまだ  投稿日:11月 7日(木)21時45分16秒

 黒目さん、「赤い余談」さんもそのようだけど、あなた方はかなりの「政治アレルギー」ですね。
 あなた方も私も政治の世界にいる以上、非政治的であることは出来ないのですよ。たとえ、政治が「薄汚い」ものであってもです。(軍事は政治の一部ですから)
 だって、多数決の民主主義も強制であり、国家権力たり得るのです。軍事力も警察力も本質的には同じですから、これらが政治の一部であり、したがって国家権力の一部である以上、あなた方は民主主義からも離脱しようとしているわけです。つまりは、社会からの離脱、逃避ですね。
 それから、「村山50年決議」はどうかという質問ですが、武力に訴える前から良くないと分かっていたことを悪いと認めているだけじゃないですか。そういう総括(反省)しか出来ない者は必ず同じ過ちを犯すでしょう。過ちの総括というのは、そんなもんじゃないでしょう。動機となったことで、良いことだと思っていたことが、実は悪いことだったと気付くことでしょう。行動する前から悪いと思うことをいくら悪いと認めても、それは反省なんかにはならんのです。
 私はすでに述べているので、あなた(あなた方)の総括を聞かせて下さい。

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情報のみ 投稿者:赤い余談  投稿日:11月 7日(木)16時05分10秒

浦部法穂『全訂憲法学教室』(2002年、日本評論社)414頁より。

もともと、国際法上、「自衛権」ということがとくに問題とされるようになったのは、国際的な「戦争違法化」論のなかにおいてである。つまり、とりわけ第1次大戦後、戦争禁止の国際世論が高まったが、にもかかわらず、自衛のための戦争や武力行使は禁止されないのだという形で、戦争禁止の留保として「自衛権」というものが語られるようになったのである(中略)。「自衛権」は、そもそも、戦争や武力行使を合法化するための観念であった。

同416頁より。

要するに、「自衛権」があるかないかという形で議論を立てた場合、「自衛権」がないという
主張は、少なくとも一般の理解を得にくいものとなり、だからといって「自衛権」の存在を
前提とする場合には、いかに「武力なき自衛権」ということを強調したとしても、それは
十分な説得力をもたず、結局は、軍備保有の正当化の口実を与える結果となるのである。
そういう意味で、私は、「自衛権」があるかないかを議論することじたいが、
すでに、「敵」の土俵に乗せられていることだと思う。
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さてさて。 投稿者:黒目  投稿日:11月 7日(木)14時37分53秒

現行憲法はどのような読み方をしても「交戦権」そのものを持たないとしており、ここで「自衛権ならある」と称するのは「解釈改憲政治屋」の立場であるとしか見えません。
で、「どんな政権の下でも」というのは、日本社会主義人民共和国であればどうなのか、という意味でしょうか?俺はその権力がどのような主義であろうと、軍という事柄の質は同じであると考えます。我々は冷戦時代というものを知っており、あれが同じように薄汚い国家同士の陣取り合戦にすぎなかったという事も知っています。また、ああいった形ではない「社会主義国家」の姿もまだ見えてはいないと思います。

で、一つづつ。
>(議会主義的議決による総括)議会主義的でも、議決できればそれでも良いからです。
村山政権の「戦後50年国会決議」というものがありました。
あれを巡る顛末は、結局のところ、議会で議決されるような「反省」「謝罪」などがいかに空虚なものであるかを示す事になったかと思いますが、しまださんはあれをどう評価されるのでしょうか。あるいはどのような決議であれば、「総括」であるとみなしうるものであるとされるのでしょうか。

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黒目さんへ 投稿者:しまだ  投稿日:11月 7日(木)13時42分01秒

質問します
 質問@:現行憲法で、自衛権(武力侵害に対する武力での排除権)がありますか?
 質問A:どんな政権の下でも、自衛権は要りませんか?

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注釈 投稿者:しまだ  投稿日:11月 7日(木)13時20分23秒

 下記の(民社、公明、社会、共産も)は、自衛隊違憲から合憲に変節して行った政党とその順番です。他の( )の見出しとは違います。
 
 共産も、というのは、不破哲三が井上ひさしとの共著で出した「新共産党宣言」の中で
現行憲法でも、自衛の軍事力を持てると言っているからです。

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厭戦はダメです 投稿者:しまだ  投稿日:11月 7日(木)13時08分22秒

黒目どの
(議会主義的議決による総括)議会主義的でも、議決できればそれでも良いからです。
(無反省・解釈改憲政治屋の一掃)これは資本主義政治屋(及び左翼協力者)の一掃を意味しますので、資本制社会そのものの廃絶と連動することになります。
(国家の死滅)あなたは、直接共産主義者のようですね。社会が共同体的に成熟できるまでは犯罪者の取り締まりや裁判など、多数決に基づく権力機関が必要です。民主主義の実施も国家権力です。民主主義の多数決が死滅して(不要となって)はじめて国家は死滅します。国家権力は強制力です。今の時代に、何の強制力も必要ないと考えているのですか?
(厭戦の否定)厭戦を「否定」しますね。厭戦者は、暴力団には入らないでしょうが、暴力団とは闘わないでしょうから。
(左翼の無反省)いわゆる「革新勢力」を支配していたものは、武器を取ったこと自体、血を流し、命を危険にさらすこと自体への反対であった(=厭戦)。これは、血を流し命を失うことがあっても武器を取ったということについて反省が無いことを意味する。無反省の厭戦=平和主義は、他国の侵害を排除出来ないため、ついには無反省なまま再軍備を支持するようになる。(民社、公明、社民、そして共産も)
(左翼の仕事)現行憲法は、自衛権も放棄していることを明言する。そしてそれは、他国はどうあれ、自国が狂気の国であったことの結果であるとする。そして国益主義こそ愚かな戦争の元凶であることを国民の共通認識になるようにする。無反省政治家を一掃し、労働者・民衆の政権を樹立する。共存・共栄外交を展開し、これに反対する勢力や国を制圧するための警察力や軍事力を持つ。

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というか 投稿者:黒目  投稿日:11月 7日(木)11時35分30秒

しまださんの元の文章が、「総括」について、
*国会及び全国市町村議会において、その旨の決議を行えればいいでしょう。
*上記の論理からして、「再軍備」の条件は事実上、解釈改憲政治屋(無反省政治屋)の一掃、したがって、資本制社会の廃止となります。
という、2つの事を書いておられるので、そのへんは応答もぐちゃぐちゃですね。
「総括」ということであれば、そういった議会での決議を上げていく過程が「総括」なのか、あるいは政治屋を一掃する過程が「総括」なのか、という。

で、俺は再軍備反対派なので、「総括すれば再軍備OK」というような事をあっさり言われた日には、「総括ってなによ?」と突っ込まざるをえない。てな塩梅です。

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日:11月 7日(木)09時06分55秒

どの部分ですか?>最大限綱領と最小限綱領並列
そおゆう分け方した事無いのでよくわかんないですが・・・

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黒目さん、それはかなり困難だと思いますよ 投稿者:TAMO2  投稿日:11月 7日(木)08時59分09秒

 しまださんへのレスについてです。最大限綱領と最小限綱領として分けるべきことが
並列されていますし。

 ただ、思うのですが、そういう「混乱」が生じているのは、日本と、日本左翼を取り
巻く状況が激変し、両方の「先送り」「欺瞞」が整理し切れない形で噴出してきたため
と思います。

 じっくりやりましょう。

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で、 投稿者:黒目  投稿日:11月 7日(木)02時28分22秒

しまださんの問題の立て方として、「日本国家はどういうあり方をすべきか」という事が前提となっていると思います。
俺は「日本在住の民衆はどのように考え、どのように行動すべきか」という風に立てています。
まあ、左翼の運動の歴史をみますと、「なんとか闘争」の類に左翼はおおむね敗北し、政府自民党が提示した案にそって世の中が展開してきているわけですが、そうであれば、世の中は昔に比べてよっぽど無茶苦茶になっているか、左翼がよっぽど無理難題ばっかり言ってきたかのどっちかだという事になるかと思いますが、まあ、どっちにしろ、我々的な主張が、政府の主張として取り入れられた事はかつて無い訳です。
では、我々の言っている事は、革命の日までことごとく空証文なのか?
俺は、左翼のなす諸々の行為が、世の中があっちのほうへと転がっていく事に対して、一定の規定力を持ってきたと思います。で、これらの主張は、政府の中には蓄積されない訳ですが、民衆の中に蓄積されなければならないのではないか、と考えるのです。
であるからして、俺は、「日本国家がどうすべきか」という革命の日まで棚上げになるような話はせずに、「民衆はどうするべきか」という事を中心に置くのです。

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>>しまださん 投稿者:黒目  投稿日:11月 7日(木)02時17分14秒

「総括」という言葉を「山に埋めちゃう」という言葉の意味として使っていた人がいましたが(w)、「国家」における「総括」というのがでんでんイメージできないのでこういう事を問いかける訳です。
 んで、(1)を見せてもらうと、しまださんの定義においては議会主義的な「議決」を以て、「国家の総括」を表象しうるという結論かと思います。しかし、しまださんは追記で「解釈改憲政治屋(無反省政治屋)の一掃、したがって、資本制社会の廃止となります。」と書かれます。どう「したがって」なのかがちょっと理解できないのですが、これは社会主義革命を指しておられると思います。では、この議会主義的な「議決」と、一部の政治屋を一掃する社会主義革命とは、どのように整合するのか?その議決を行う主体がすでに社会主義革命を経た国家でなければならない、という意味であると読んでよろしいでしょうか?
(2)については、さよう、たしかに武装していないようなものは、国家ではない。
で、しまださんは「日本国家は総括を経た上で武装国家になるべきである」と主張されている訳ですが、社会主義的指向の最終的な目標は国家の死滅であった筈です。
俺は、この「武装していない国家」、厭戦国家という奇妙な存在は、国家の死滅へ向けた過渡期の存在であるのではないかと、積極的に評価しています。無論、実体は非武装国家などではない訳ですが、この国家の基本的な条件を法制度上で欠いた存在というのは、むしろ評価すべきである。しまださんは「厭戦」という事自体を否定されるのでしょうか?
また、(1)にも関わりますが、「国益主義、国益優先主義を排する」国家、これもまた、「非武装国家」と同様に国家としての基本的な条件を欠いた形であると思います。
(3)については、「左翼の無反省」とされていますが、それはどの左翼のどういった形態を指しておられるのでしょうか。左翼はどのようなあり方をすべきだったのか、という事を提示して欲しいと思います。

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野次馬さんへの忘れたころのレス 投稿者:猛獣文士  投稿日:11月 7日(木)00時40分14秒

 この掲示板はお客が多いので、ぼおっとしていると、あっという間に話が飛んでいます。
司馬遼太郎の件ですが、司馬遼太郎は明治維新を肯定評価して、統帥権を振り回す馬鹿者(陸軍参謀とか?)が昭和期にミスリードして破滅への道を突っ走ったという史観だと思います。
 私は、伝統的なアジア人として、福沢諭吉の「脱亜入欧」論から、日本は王道を踏み外しているという考えに安住しています。ところが、福沢諭吉から否定すると、明治維新そのものを否定することになります。それで、西郷隆盛くらいまでは、可能性があったと立論してみたいなどと考えたりすることもあります。西郷は少なくとも脱亜ではないから。

 外交理念の話は、大体理念などというのは矛盾した概念の集合です。自由平等などというが、自由と平等は矛盾した概念だそうです。矛盾した概念を両方追及するからこそ、バランスの取れた理念が意味を持つのでは。

ところで、40歳以下の最近の若者には厭戦気分がないのでしょうか。勇ましいというか、恐ろしいというか、そんな感じです。戦争にいってもいいのでしょうか。

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黒目どの 投稿者:しまだ  投稿日:11月 6日(水)22時24分05秒

>「どの国家はどうするべきか」てな塩梅ではなく、「民衆はどうであるのか」

 どの国家はどうするべきか−−−どの国家? 意味が良く分からんのですが。 
  
 民衆はどうであるのか−−−どうであるのか? これも良く分からんですね。

 言い換えてみてもらえませんか?  

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黒目どの 投稿者:しまだ  投稿日:11月 6日(水)21時53分18秒

 黒目どのから、どんな総括なら日本は再軍備出来るのか、その主張は既存の主張に対してどういう位置づけになるのか、それが「問われて然るべき」といわれております。
 しかし、やはり、小泉なんか関係ないといわれれば何も言うことはないとなりますが−−−。
 でも、それはあなたの総括についての理解がミジュク(失礼!)だと考えて、あなたからの質問にお答えすることにしましょう。といってもやはり、再軍備についての条件は、まさに小泉などわが国の政権担当者に大きく関わっていますが。
(1) 再軍備の条件は、政治・外交において、国益主義、国益優先主義を排することです。
 そのために、国会及び全国市町村議会において、その旨の決議を行えればいいでしょう。
 しかし、なかなか出来ないでしょう。たとえば、多くの外交官が、外交のポリシーは国益第一だといってはばからないのですから。
 国益主義は、不当な武力まで行使するとは思われないかもしれませんが、他国を省みないということが強制力をも肯定することになります。
(2) 国家権力を是認しながら、対外的に非暴力というのは思想矛盾です。しかし、現行憲法では、少なくとも事実上、わが国に自衛権はありません。
 これを明言出来なかったことに左翼の誤りがあります。それは安易な無抵抗主義的な平和主義にとりつかれ、大戦についての総括(反省)の必要性を没却したからです。
 しかし、敵からの武装解除の時に、自らも武器を取ったことを後悔してそれを放り出し、一時的にせよ自衛力の無い状態は生じます。
 したがって、自衛力を持てない状態は、後悔だけで無反省なままであることに原因があると思えば良いでしょう。
(3) 無反省の現実は、議会主義クーデター的解釈改憲とその推進者たる自民党支配に現れています。
 これを可能にしたのは、左翼側の無反省的な平和主義です。その無反省的な在り方が自衛隊合憲論を生んだといえます。(以上)

(追記)上記の論理からして、「再軍備」の条件は事実上、解釈改憲政治屋(無反省政治屋)の一掃、したがって、資本制社会の廃止となります。もちろん、ひとつかふたつの子を○○様と呼ばねばならないような条文も廃止されます。

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若干話をもどしますが 投稿者:黒目  投稿日:11月 6日(水)13時41分00秒

しまださん、
清水幾太郎という人がいます。
で、この人は60年安保闘争の闘う知識人から、核武装肯定へと転じた人である訳ですが、この人のむつかしい社会学はよおわかりませんが、核武装問題の取り扱いの困難さを示す人ではあるかと思います。
60年安保は、当時の全学連主流派の規定にかかわらず、民族自立的闘争であったと言っていいかと思いますが、この人の「日本よ国家たれ」的なところを軸とした転回、こういった形を批判していく過程が、80年代、90年代の左翼の作業としてあったと思います。
その辺で、天皇制を直接の課題とした闘いも生まれてきたのであり、戦争という事を考えるのに、「どの国家はどうするべきか」てな塩梅ではなく、「民衆はどうであるのか」という部分を考えていくという方向へときていると思います。野次馬さんがいわはるところの「軍は民衆を守るのか」というあたりはこの辺の話ですね。
そのあたりを、こお、60年時点から問い返すというような事をやってもらうと、大変に有意義なのではないかと思いますが。

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野次馬さんへ 投稿者:Muu  投稿日:11月 6日(水)10時32分00秒

野次馬さんご意見ありがとうございました。
あなたの仰ることは了解いたしました。
>厭戦意識が今もって可能性をもっていると思うからです。
拘っておられるのは、きっとこの事なんですね
重要性は理解しています。

ただ、黒目さんは正論と呼べるものを述べたでしょうか。少なくとも私には、相手のレスの批判しか見受けれません。言葉が悪いですが、「冷やかし」と申し上げたのです。
そして私は黒目さんのレスから拝見して「左翼は批判ばかりしている」という非難の声が重なります。
野次馬さんの仰るとおり、反戦運動も解放運動・反差別運動も一筋縄ではいかない事も十分に承知しています。だからこそ、相手のレスの批判に終始するよりも、ご自分の意見で語ることが必要に思えます。少なくともこうじさんはご自分の意見をはっきりと伝えて頂きました。それに対し、私は稚拙で大雑把なところは見受けられますが、私なりに考え、意見を述べてさせて頂きました。
それでは、黒目さんはどうでしょう、私に対する批判ばかり投げかけ、ご自分の解答はまるでありません。それでは左翼は足の引っ張り合いに終始します。
お時間が許す限りで構いませんので、ご意見お願いいたします。
(私も少し、仕事に集中いたします。)
お砂場さん
文章力が乏しいのか誤解を受けてばかりいます。
少しでもご理解して頂だき、ありがとうございました。
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>野次馬さん 投稿者:黒目  投稿日:11月 6日(水)10時25分57秒

戦争体験のある層の厭戦意識の可能性は勿論おおいにありますし、この戦争体験の継承が新たな世代の層を形成してきていると思います。
んで、左翼はこの民衆的な厭戦・反戦の意識を御都合主義的に動員して、自らの「革命路線」にむりやりくっつけてきた、というのんが、戦後左翼思想史なのではないか、と思っています。
んで、俺はここへきて「そういうのんはなかった事にする」というのにも反対しますし、何十年も前の話をそのまま引っ張り出してくる事にも反対します。
まさに左翼が戦後、言ってきた事を総括していかな、にっちもさっちもいかんとこまで追い込まれてきてるのではないか、と。
一方で敵側はもっと着実にちゃんとやってきてるのであり、大勲位は総評社会党ブロックを解体し、小沢は国際貢献論で厭戦意識そのものの解体をはかりました。で、今日の有事法制が上程されてしまうとこまで追い込まれてきている。
ワシらはどこからきて、どこへ行くのかゆう事を踏まえない議論しても、それは全然説得力を持ち得ないのではないのか、と思います。

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(無題) 投稿者:お砂場  投稿日:11月 6日(水)10時09分01秒

Muuさんへ
横レスごめんなさい。
>経済状態や官僚性などの内的矛盾を改善しなかったので、破綻したのです。
これはまさに今の日本にも近いものがありますね。
竹中案がアメリカ寄りと穿ってみています、どう考えてもウォール街あたりで囁かれているメガバンク破綻のシナリオでの公的資金導入で潤うのは前回同様、ハゲタカファンドです。要の経済の破綻云々という不安材料と北朝鮮の脅威とがここの所、混沌とした社会不安を誘引するのではと危惧しています。

私は左派ではないけど軍備関係においてのMuuさんの、おっしゃりたいことわかりますよ。

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日:11月 6日(水)10時03分22秒

というか、Muuさんが、俺の提示した「これまで日本が戦争準備をする事を止めてきたのが左翼じゃないか」というのんに反論する番じゃないかと思いますが。
で、どのツラさげて、これまで戦争準備をしてこなかった事に対して「無策」「主体性のない御都合主義」などと言えるのか、という話ですが?

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Muuさんへ 投稿者:野次馬  投稿日:11月 6日(水)10時02分15秒

>私に対するレスに対する、ご批判なのでしょうか?
それとも黒目さんの意見を代弁されているのでしょうか?

わかりづらい感想を述べてすみません。

基本的にはMuuさんの論理展開手法への賛意と、
黒目さんの、正論に対する[とまどい]をともなった感想を述べた次第です。

基本的には、主体の責任を捨象した1950年代的
反戦運動では駄目だと思っています。しかし、
それでは、日本の現状において何に依拠できるのか、と考えてしまうのです。

まだ元気で生き残っている疎開世代からはじまり
現在40歳ぐらいのところまでの中高年層
つまり直接の戦争体験を耳にしたことのある年齢層の厭戦意識が
今もって可能性をもっていると思うからです。

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他の部分もつっこんどきましょうか? 投稿者:黒目  投稿日:11月 6日(水)09時58分01秒

>東西冷戦で軍事力競争についていけなくなったから崩壊したのです。

軍事拡張に明け暮れて、経済状態や官僚性などの内的矛盾を改善しなかったので、破綻したのです。
----
>西側がソ連包囲網を敷いたから崩壊したのです。

それこそ、政治バランス維持と経済破壊に繋がらないように、他国へのソビエト侵略危機を別な他国(西側)が対抗した良い例ではないでしょうか?当時の日本は少なくとも一国でソビエトに対抗できうる軍事力は無かったですよ。

・・・・ここまで
これはソ連に関しての記述ですが、ソ連はアメリカとの軍拡チキンレースに敗れて解体したのであって、一国で自壊したのではありません。
また、
>政治バランス維持と経済破壊に繋がらないように、他国へのソビエト侵略危機を別な他国(西側)が対抗した良い例
とは、具体的には日本においては日米安保体制の事を指すと思いますが、Muuさんはこの日米軍事同盟、「奴ら」の言い方では「パートナーシップ」、これを是とされるのですか?
まさにアメリカの核の傘に入り、沖縄を犠牲に差し出した上での「平和」である、という批判は、まああなたがおつきあいがあったというようなところもしていたと思いますが。

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黒目さんのお手並みを拝見致します 投稿者:Muu  投稿日:11月 6日(水)09時57分09秒

>あなたのそれが本当にこうじさんへの回答になっているとお考えですか?
では、あなたがこのような事を言い放つならば、
代わりに、こうじさんや「軍備拡張派」の反論のお手本を見せて頂けるのですね。
あなたなら有効な反論ができるということなので、拝見致します。

こうじさんへの反論レスお願いしますよ。

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(無題) 投稿者:黒目  投稿日:11月 6日(水)09時44分51秒

どのように受け止められようと結構ですが、あなたのそれが本当にこうじさんへの回答になっているとお考えですか?当然にも「軍備拡張派」の人はこういう風に反論すると思いますが、あなたはそれに応対できますか?

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あなたの感慨はわかりましたが 投稿者:Muu  投稿日:11月 6日(水)09時36分56秒

お笑いのところ失礼ですが、
>あえてこういうつっこみいれ続ける訳ですが
あなたのレスは、まるで「突っ込み」に成っていません。
本文を無視した、ただの「冷やかし」です。

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あははのは。 投稿者:黒目  投稿日:11月 6日(水)09時17分11秒

さよう、人々を守る防衛体制が必要であると言ってきたのは政府・自民党ですね?
で、あなたはそれに対して
>百歩譲って、人々の暮らしを守る為の防衛体制ならば、バブル時期に企業の無駄な投資を助長せずに、有事に向けた軍産共同体の強化や法整備に図るべきだったのではないでしょうか?
>少なくとも経済的に「豊な」バブル時に有事立法を施行できなかった無策の政治勢力が、不況とテロの不安材料を利用して立法化を進める政府の、主体性のないご都合主義に信頼が置けますか?
という。
「戦争脅威のなかでも武力放棄」を主張するMuuさんが、バブル期に戦争準備してこなかったのは「無策」であるという。
まあ、この手のその場の成り行きで、政府の批判を行き会ったりばったりにしていけばよいてな指向は常にあったわけですが、そんなんが左派を衰退させてきたのは明白であると考えるが為に、あえてこういうつっこみいれ続ける訳ですが。
ていうか、こんなん、こうじさんの議論に対して、全然回答できてないのんであって、嗚呼、たよんない話であるなあ、という感慨がある訳です。(w

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野次馬さんへ 投稿者:Muu  投稿日:11月 6日(水)08時55分58秒

ご意見伺いました。
あなたの仰る事は私も同意致します。
そこで、
ごめんなさい、私に対するレスに対する、ご批判なのでしょうか?
それとも黒目さんの意見を代弁されているのでしょうか?
できれば、レス内容のどの件か仰って下さい。

もしくはこの場をまとめて下さったのですか?
申し訳無いのですが、その点をお教え下さい。

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私にはあなたの見当違いな表明は必要ありません 投稿者:Muu  投稿日:11月6日(水)08時38分04秒

黒目さんへ
私の立場は前レス「戦争脅威のなかでも武力放棄」です。これはバブル期でも同じです。
しかし、あなたは私の質問に対する解答をせずに、レスの文脈を無視し何が表明ですか?
誰が私の本意として、バブル期に軍拡や立法化が必要としているなどと言いました?
---「人々を守る防衛体制が必要ならば」と前置きしているのがわかりませんか?---

>民衆的力量が後退してきた結果である。違いますか?
因みに、有事法制は「粉砕」したと言ったのは何処に消えました?

あなたの言う「民衆的力量」意味を解釈するのが困難ですが、一応「民衆の支持」と解釈するとします。
>バブル期にそういった路線を許さなかったのは、そういうものを許さない民衆的な力量が生きていたからであり、現在、そういうのが出てきたのは、民衆的力量が後退してきた結果である。違いますか?
-----
そこで改めて問います。あなたは私に何を問いかけているのです?
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Muuさんへ 投稿者:野次馬  投稿日:11月 6日(水)07時56分31秒

>軍事拡張に明け暮れて、経済状態や官僚性などの内的矛盾を改善しなかったので、破綻したのです。

このくだり、そのまま1930年代の大日本帝国にもあてはまりますね。論点の中心は、有事法制の整備などを含む、軍事体勢の整備、すなわち「軍拡」は果たして国防の役にたつのか?ということだと思います。さらに言えば、2002年時点での、有事立法に反対する市民派の論理は、「軍隊は国を守るというが、人を守ったためしがない」という決めつけだと思います。これは、具体的には、1945年6月沖縄、8月「満州国」における、元革新派青年将校をはじめとした職業軍人たちがいざとなったときにとった所業が典拠になっているものと思います。農民の疲弊を旗印にして226蜂起をした皇道派の残党の誰が自国民防衛のために英雄的闘いをしたでしょうか。米帝が日帝におしつけた「第九条」を日本国民が受容し続けている背景はこんなところではないのでしょうか。右翼が言うような軍事力によって国民を守るなどという言葉は信用できないという共通了解です。黒目さんが、1960年代から1970年代にかけての左翼陣営内における、議論の推移を展開される、その内容は同時代に生きていた当方としてはよくわかるのですが、現在必要なのは、むしろ自国軍が自国民を必ずしも守るものではない、ということではないでしょうか?

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