四トロ同窓会三次会 2003年1月16日〜31日

書き込み自由です。二次会に飽きた方はどうぞこちらへ\(^o^)
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足を骨折しても歩け! 投稿者:(´Д`;)  投稿日: 1月31日(金)23時09分01秒

 打ちのめされる事ってのがどんな事かはまだ想像もつきませんが、
テストが失敗したい気まずい雰囲気の反省を踏まえて、
電波を駆使した所感を晒しますので、燃料になれれば幸いですw

理想の共産主義者が、件の葉寺さんのご指摘どおりに
 ・弁証法的唯物論の態度を実践し(矛盾を止揚し)
 ・資本主義の遺産を批判的に継承する
ならば、私は、しまださんの主張は(表現の問題はさておき)
意図されてるであろうところに共感できるところがあるかと思います。
 つーのは、共産主義政党は広い視野と広範な視点を以って
“最も深く最も広い認識”を実現させる手段(であるべき)だと思うです。
で、もし市民運動がその運動に特化/偏重した認識で行動するなら、その運動の
解決自体が別の問題を深刻化させる虞もありうるかと思うです。
それを逆にいえば、一切の社会問題を顧慮して行う市民運動家が
存在すれば、それは実質上の共産主義者なのではないかと思います。
(この意味での共産主義者が今現在の日本で、盲信を許さず懐疑を棄てない
ならば社会主義経済を肯定するのか否かはまた別の問題ですが)

だから、足の骨折患者に歩く事を強要するような懸念は、それが
「足の骨折患者の苦境を配慮しない場合」は「非難すべき問題」ですが、
足の骨折患者の状況や苦しみを理解した上で「歩くべきだ」と判断するなら、
(月並みな表現では、自分がその状況でもそうすべきだと思うなら)
やっぱり歩かせるべきなんだと思うです。

 認識と配慮の深さが問題なのであって、やっぱり
要求内容のキツサは問題ではない(といえるくらいに深い認識と配慮が
共産主義者には要求されるべきなんだ)と思うです。

 IT化の乗り遅れは、共産主義が謳う弁証法的な柔軟さが
絵に描いた餅だと暴いてるわけですが、柔軟さを失わせているのは、
ひょっとすると党なんじゃないか?と。思ったりする今日この頃。

 共産主義者で在るべきだろうが、党員であるべきなのかは疑問だ、と。
共産主義者的な態度は大切だが、党をも懐疑の対象に置け、足を骨折しても歩け!
つーか、民主集中制が機能する組織なら権力が乗っ取(以下略w
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弾丸 投稿者:(´Д`;)  投稿日: 1月28日(火)22時47分36秒

まー確かに現代にマルクスやレーニンやトロツキーが居たら、
電脳/ネットワークに対するラッダイト運動ではなく、
むしろ逆にそれを駆使する戦略を打ち立てるだろうとは思います。

けれど、貧弱どころか強力すぎるその弾丸を
縦横無尽に扱い、連射に耐えるような砲台が
現代に現われない事が不幸だとは限りませんですよ。

誰よりも階級を理解してくださって、ご丁寧にも
階級の為に人民を虐殺してくださる(スタ様や毛主席みたいな)砲台なら
む し ろ 要 ら な い と思いますし。

共産主義思想は強力ですから、薬に例えるならば、劇薬。
必要ないなら、それに越した事無いじゃないですか!

だから、気に病む事は無いんじゃないですか?
(と慰める様な口調で塩を塗り傷口の位置を確かめるテスト

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あら?TAMO2さん 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月28日(火)15時22分51秒

よくわからないけど・・・・そうですか。また来てくださいね(^^)

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ちょっと思うところがあって・・・ 投稿者:TAMO2  投稿日: 1月27日(月)11時59分33秒

 葉寺さんが社会批評社に書かれたことに関して、ちょっと打ちひしがれることがあり
ましたので、しばらく共産趣味界隈から引っ込んでおきます。(決して、葉寺さんが
どうしたこうした、と言う問題ではありません。)

 自分自身への言葉:君たちの弾丸は、貧弱だねえ。

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トロツキーとレーニン 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月25日(土)11時30分33秒

いま、ピエール・ブルーエの「トロツキー」を読み始めたところです。ぶ厚い3巻本で、最後までメゲないで読みきれるかな〜?(^^;;;)そこに出てきた事実。

トロツキーは地下活動によっておよそ200人の労働者を組織し「南部ロシア労働者同盟」をつくり宣伝・扇動をおこなった事により、その首謀者として19歳で逮捕され、監獄におくられた。ところが当時の監獄は比較的自由で勉強ができ、1年間そこでマルクス主義文献や歴史の本を読みあさり、さらに差し入れてもらった英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語の聖書を比較しながら読み通して四カ国語と聖書の知識を身につけた。やがて判決がおりてシベリア送りとなり、シベリアの流刑囚の村へ送られたが、そこでも学びつつ囚人や労働者たちを組織し「シベリア同盟」の活動にかかわり、当局の弾圧をかわすために「文学批評」の体裁をとって政治的評論を出しつづけた。これらの論文によってアンチ・ドオト(当時のトロツキーの筆名)の名声は遠くモスクワ・ペテルブルクをはじめ国外の亡命者にまで知れ渡った。また、トロツキーもシベリアでレーニンの文書や「イスクラ」を入手し、レーニンの組織論が自分の考えに近い事を知った。・・・・・ここからシベリア脱出がはじまります。

すでにシベリアからロンドンまでのネットワークが出来ていて、周到な準備のもとにトロツキーはたくさんの秘密連絡員の協力によって脱出したようです。脱出にあたって用意された無署名の偽造パスポートに彼は「トロツキー」と署名した。これがリョーバが「トロツキー」を名乗った始まりです。「監獄の監視員の一人の名前である」という彼の同僚の唯一の証言は確認されたものではありません。また、面白いのは、トロツキーが荷馬車の干し草の下に隠れて脱出し、それから列車を次々と乗り換えてウィーン・ベルン・パリ・ロンドンへと向かう途中、手配した人々は必ずしもレーニンの「ロシア社会民主党」ばかりでなく、ナロードニキの人々も加わっていた。つまり、ロシア帝政の弾圧下では組織の別を超えて地下活動も含めた協力関係があったということになる。1902年10月の深夜、トロツキーはレーニンをたたき起こして出会う。この時トロツキーはまだ23歳。この時からレーニンは彼をイスクラの重要な論文執筆者として抜擢し、次々と論文を書かせた。また亡命ロシア人たちの間でナロードニキをはじめとする論敵との論戦をたたかわせた。ロンドンで、パリで、スイスで、トロツキーは講演し、それは大成功を収めた。

さて、何をいいたかったかというと、次の事です。トロツキーはレーニンとともにパリにいたとき、クループスカヤやセドーヴァと一緒にオペラ・コミックを観にいった、とブルーエは書いています。昨年、ちょっと出た話しでしたが、これはパリでの事であったという事です。これ、面白い本です。各巻約1万円とお高いですが、古本屋で半額で入手した。(^^)

※ピエール・ブルーエには会った事があります。
「トロツキーTシャツ(1990年版)」をプレゼントし握手してもらった(^^)
http://redmole.m78.com/sendensensen/senden09-6.html

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ペトリさんの声明に応えて・・・(^^) 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月24日(金)13時01分07秒

http://www.hsnt.or.jp/~bbs-free/bbs2/mkres2.cgi?petri
●墨田ペトリ堂(437) 題名:声明

    当サイト管理人は「共産趣味者」として政治活動をする事にかねてから反対してきました。
    然し乍ら、そうは思わない人もいるようです。
    めんどくさいので放置してきましたが、いい加減頭に来たので
    赤色土竜党へのリンクを外す事にしました。
    このサイトは向こうのリンク集に入っていますが、それを「外せ」とか
    そういう要求はしません。
    これから作業に入ります。

Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; Windows 98) Opera 6.03 [ja] 投稿日 : 1月21日<火>21時18分

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だそうです。まぁ、ひとそれぞれということで、お互いにがんばりましょ
う。\(^o^)
因みに、私の「共産趣味者」観は↓です。
http://redmole.m78.com/news/new004.html

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とりあえず全文を 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月23日(木)09時59分26秒

しまださんへ。
とりあえず、下記論文の全文をアップしました。
これは、「かけはし」が7年前に「ワーカーズ」グループ(社労党から分派)との間でセイロンの
問題を議論した時の一連のやりとり 
http://redmole.m78.com/news/new021.html の中の論文です。
これらを読むと、だいたいの事情がわかると思います。
私がこの論文を転載した理由は、昨年の二人の元中核派幹部に対するテロ襲撃への反対声明の中で
セイロンJVPからの声明もあったので、それを採用するのには反対だからです。
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しまださん、ご無沙汰です(^^) 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月20日(月)13時19分43秒

えっと・・・「不能かどうか」議論には、あまり興味はないのでパスします。そのうえで、「党のもんだい」にしぼって、もう少し議論してみたいと思います。それに先だって、「かけはし」論文をもうすこし引用しておきます。いずれこの論文全体を他の場所で公開するために準備しています。読めばわかるとおり、高島義一が「党の無謬論」を批判するために語ったものです。高島義一は、現在の日本トロツキスト運動の中心的論客といっていいでしょう。念のため。いま、仕事で忙しいので、とりあえず引用だけ。(^^) (以下引用)

「無謬の党」という観念論

 阿部さんはまた、情勢の転換点で革命勢力が直面する危機、という私の主張に対して「スターリンらの誤りをきちんと総括し、同じ誤りに容易に陥らない政治的成長を獲得しているからこそ、革命勢力は革命勢力の名に値するのです」(同前)と述べ、「全くナンセンス」と批判しています。これは、ほとんど「前衛党=無謬(むびゅう)論」とも言うべき珍説です。
 前回で指摘したボルシェビキの例を含めて、革命的マルクス主義者の政党やそう自称する多くのグループの闘いの歴史は、誤りと動揺と敗北の歴史だったと言っても過言ではありません。そうしたひとつの例が、LSSPの堕落でした。
 われわれは、レーニンやボルシェビキの闘いの歴史的連続性を引き継ぎ、相互に誤りや逸脱を検証しながら最も勝利に結びつきうる方針をかちとるためにこそ、インターナショナルに結集しています。しかし誤りに陥らないことを、あらかじめ保証されているわけではありません。資本主義の危機の深さや広さ、あるいはそれぞれの大衆闘争の持続性や可能性について、情勢の読み間違いやそれにもとづく戦術的誤りを、完全に回避することは不可能です。主体の弱さがあれば戦略的誤りと堕落に帰結することさえありえます。
 大衆闘争と結びつき、労働者大衆の中に深く分け入り、その運動に責任を持とうとすればするほど、労働者大衆の自然発生的な意識の高揚と衰退に革命党自身が大きく影響されます。問題はその中で、LSSP多数派の堕落に抗して同志バラ・タンポらの革命的少数派が闘ったように、真に勝利しうる路線を獲得するために闘いぬくことであり、誤りが犯された場合はそれを公然と認め、適切に自己批判し、修正しうる党の民主主義的機能を作り出すことなのです。
 あらかじめ「誤りを犯さない党」を建設するなどというのは机上の空論であって、大衆運動と切断された観念のレベルで「正しい綱領」を求めようとする無益な夢想の類にほかなりません。
 私はこの「前衛党=無謬論」を「僕だけは日和らないぞ」という阿部さんの個人的決意表明なのだろうと理解しています。ここで私は、阿部さんがかつて「真の革命党」と信じて疑わなかった社労党からなぜ決別しなければならなかったのかということを、真剣に総括することを望みたいと思います。
 スリランカに即して言えば、私たちが自らの問題として考えているLSSP多数派の六〇年代初頭の堕落の問題にとどまらず、あなたたちが支援しているJVPが繰り返した冒険主義的武装闘争路線や内ゲバ主義やシンハラ民族主義問題を、真剣に考えるべきだと思います。

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Re:今さらですが 投稿者:しまだ  投稿日: 1月20日(月)02時44分37秒

 しばらく離れていましたが、又復帰させてもらいました。若い頃の「レッテル貼り合戦」のクセが出たり、2chにいっときハマってた時の雰囲気と勘違いして不毛なやり取りを行い申しわけありませんでした。私に関係することが出たように思い、書込みさせてもらいました。

 まっぴょんさんはボルシェビキを含む社会主義の党の歴史が、「誤りと動揺と敗北の歴史」であったということから、「少なくとも、いずみさんの言葉は、必ずしも『反党派的立場』を表明するものとは言えないという事になりますね。」といわれてます。

 これは、過去の社会主義諸党の歴史はあまりにも「誤りと動揺と敗北の歴史」であった、従っていずみさんはそうしたことを無反省なままに「党派的立場」を取ることへの強い疑念を表明したのであって、決して党派的立場を取ること自体を非難したのではない、という意味でしょうか。
 そういう意味かどうか確かめずに話を進めますが、もし、そうだとしますと、私が党派的立場を取ることについて何故“無反省なまま”に語っていると思われたのでしょうか?
 この質問が私の“妄想”から出ているとしたら、ごめんなさい。

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>少なくとも、いずみさんの言葉は、必ずしも「反党派的立場」を表明するものとは言えないという事になりますね。 投稿者:葉寺覚明  投稿日: 1月20日(月)00時15分22秒

表題の部分。

少なくとも、いずみさんの「大衆を裏切らない党があったのか?」てなカキコは、当該の言辞それ自体だけでは、のちに彼女自身がいかなる言辞を弄したとしても、それだけでは必ずしも「反党派的立場」を表明するものとは、当時は断ずることはかなり無理がある状況にあった、いう事になりますね。

…のほうが、より正確かと思われますとかなんとか書いてみるテスト

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いまさらですが・・・ 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月19日(日)16時56分00秒

「大衆を裏切らない党があったのか?」に近い発言を「かけはし」高島論文の中に見つけました。
JVPとNSSPの問題に関連して「かけはし」バックナンバーを読んでいて見つけたものです。

>> 前回で指摘したボルシェビキの例を含めて、革命的マルクス主義者の政党や
>>そう自称する多くのグループの闘いの歴史は、誤りと動揺と敗北の歴史だった
>>と言っても過言ではありません。
(1996年9月9日号)

少なくとも、いずみさんの言葉は、必ずしも「反党派的立場」を表明する
ものとは言えないという事になりますね。

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業務連絡 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月16日(木)16時42分07秒

二次会、三次会の過去ログを統合しました。
各々、1月15日までの過去ログ更新しました。

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