四トロ同窓会三次会 2003年6月18日〜23日

書き込み自由です。二次会に飽きた方はどうぞこちらへ\(^o^)
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アホも極めりゃ・・・ 投稿者:便所の住人(旧HM=赤い彗星)  投稿日: 6月23日(月)09時57分46秒

・・・メシの種にもなり得る一芸かもしれんしね・・・(お笑い路線とか)

そりゃまあ、政治的ヘゲモニーに絡め取られるだけだとか、無力かつ意識
的な論理構築の努力が見えない規範性を絶叫するだけでもって結局は自分
自身が【善人】である為の免罪符を安易かつ汲々として求めてるだけなん
て反省もなく、更には「凡百の市民主義的な「暴力反対」論」に埋没する
事で身を粉にして後世の堆肥となるとか、それが「天然」になるまで一生
涯押し通す【愚直】さすら縁が無い我が身からすれば、アホを笑えない売
れてない芸人みたいなもんですから・・・(まぁ他人はさておくとしても)

でもまぁ、たとえ儚くとも夢を提供してこそ、芸は芸たり得るのであっ
て、ただ反吐を吐くがごとく自分の内面を晒すだけの芸は売れないと思
う・・・

豆腐を作る事が嫌いな豆腐屋にはロクな豆腐は作れないだけでなく、そん
な豆腐屋に限って「最近は客の質が落ちた」だのと、客や周囲より自分だ
けが偉いなどとほざくものですし・・・

仮にウソ臭い利他心なんぞヌキにしても、そん豆腐屋にはなりたない
な・・・
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↓さっきの書き込み 投稿者:どん底  投稿日: 6月22日(日)17時15分33秒

>論点がずれてたら失礼。

というか、論点そのものが見えない可能性大ですね(^^;
便所の住人さんに何か言えた立場ではないな(←内輪話)

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>鬼薔薇さん 投稿者:どん底  投稿日: 6月22日(日)15時53分13秒

>戦後「平和と民主主義」というのはこの国民体験を対象化し「止揚」することなく水
>面下に押し込め「被害意識」に変形したものだったと思います。60年代末の闘い
>は、この押し込められたものが表面化する契機を生んだのですね。

>新左翼の街頭闘争はそのように、埋めこまれた民衆の「国民体験」を浮上させ、それ
>と触れあったのでした。東京の王子野戦病院をめぐる闘争でも似たシーンがございま
>した。満州開拓から引揚げ戦後入植した三里塚の農民ともまた。

「大東亜戦争」という巨大な暴力行使が「上から」の武装解除によって停
止されたのが敗戦ですね。ゲバ民粛清後の共産党から酒席武勇談が飛び出
すのと同様、国民的な暴力批判を欠いたところに佐世保や三里塚に観察さ
れた捻れた「触れ合い」が生まれたと…。それを「戦時において浮上する
が、平時への移行に伴い再び水面下に沈み込んで行くもの」と理解してよ
いとすれば、この理解は我々に「戦時」や「平時」と見える事態を言い換
えたトートロジーのような気もします。

別投稿で「戦時から平時への移行」という言葉をいささか修辞的に用いま
したが、実際には「平時」といっても敵が一服しているわけではないわけ
です。新左翼のそのあたりの情勢認識はどうなっていたのでしょうか?

例えば共産党はデタントをアメリカ帝国主義の「各個撃破政策」という文
脈で捉え、沖縄返還を「(日本)全土核基地化」と捉えていたと思いま
す。もっとも、そのように捉えていたにしても「革命は大衆的前衛党の建
設なくして不可能」という立場ですから、革命との関係で言えば「全土核
基地化との闘い」も将来の革命主体の獲得の場という位置にあったわけ
で、共産党にとってはあくまでも「平時」の闘いと認識されていたはずで
す。しかし、「全土核基地化」という認識は全く的を外していました。単
なる「煽り」だったのか認識違いだったのかは分かりませんが、未だに沖
縄が差別的に基地の重圧下に封じ込められているのが現実ですから。よも
や「全土核基地化阻止に成功した」なんて言えないでしょう。「各個撃破
政策」もその後の米中関係の展開を見れば底の浅い認識という感は否めま
せん。「平時」と見えて、実は「戦場」が移動しただけであった可能性も
あります。

論点がずれてたら失礼。

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二つの国の「左傾盲動分子」>鬼薔薇さん 投稿者:どん底  投稿日: 6月22日(日)00時30分46秒

コメントありがとうございます。

>>これは72年の「ゲバ民」粛清が徹頭徹尾「上から」のものであったこともあって、
>>暴力批判は全く形式的なところでしか成されていなかったということです。
>
>「形式的」といえばたしかに。でもその「形式的」な「暴力批判」、その「形式」性そ
>ものが、独自の政治的イデオロギー性に貫かれていたはず。そこを掘り返すことこそ
>本来の批判かと思います。

ご指摘の問題も念頭に置きつつ、ゲバ民粛清の意味と時代性について少し
考えてみました。

関係者をして晴天の霹靂と言わしめたゲバ民粛清=「新日和見主義」批判
は、連合赤軍が瓦解し、凄惨な「総括」が白日の下に晒された2ヶ月後
(72年5月)に発動されています。国際的に見れば、この72年という
時期はデタント=緊張緩和進行のさなかでありました。沖縄返還もアメリ
カのアジア派遣軍縮小計画の一環でしたし、ニクソン・田中の訪中もこの
年です。お隣りの朝鮮半島でも南北宥和の動きが出ていた時期です。

この時期、朝鮮半島で興味深い展開がありました。68年には金日成によ
って韓国に送り込まれた「英雄たち」が大統領官邸を襲撃する(未遂)と
いう青瓦台事件が発生しているわけですが、72年にはこの「英雄的行
為」が金日成によって「左傾盲動分子の独断専行」との烙印を押されてい
ます。まさに北朝鮮版「新日和見主義批判」なわけですが、この烙印が押
された時期は日本で「新日和見主義」摘発が開始された時期と数日と隔た
っていません。この符丁ぶりは偶然であるにしても、当時の「全体状況」
を考える上で注目すべきことだと思います。

実は、68年の青瓦台事件と72年の「左傾盲動分子の独断専行」規定と
の間にもう一つ特筆すべき中間項があります。労働党は70年11月に約
10年ぶりの党大会を開催しているわけですが、その要点をまとめると以
下の通りです。

労働党第5回大会。「開発途上国から社会主義工業国への転換を終えた」
と報告。教育・科学・技術・文化の発展を今後の課題と強調。中央委員7
3.5%、同候補87.2%を新人に入替。書記局・政治局も含めパルチ
ザン派軍人の脱落、行政・技術テクノクラート等の文民登用が顕著にな
る。金日成は前大会以降死亡した「革命の同志」への追悼の辞を読み上げ
た。この大会で金日成は人民民主主義革命論を提起。南との統一交渉条件
を「社会主義政権」樹立後から「人民民主主義政権」あるいは「愛国政
権」樹立後に修正。

国家の経済的規定の転換は、同時に「戦時」から「平時」への転換でもあ
ったわけです(ちなみに「軍人よりもテクノクラートを」という路線はこ
の頃から始まる日本人拉致の背景と見て大過ないでしょう)。労働党はこ
の大会を機に支配の仕組みを党の武装による支配から国家機構を通じた支
配へと移行させて行きます。これが68年と72年を結ぶ中間項です。

「新日和見主義批判」に話を戻します。日本共産党はゲバ民粛清を経て
「大衆的前衛党」路線を加速させてゆくのですが、この路線は、端的に言
えば国家や社会の隅々に多くの党員を配置し、「陣地戦」と「選挙戦」に
よって平和的に国家権力を奪取するという路線です。そこから自然と導か
れる学生党員固有の任務は「勉学によって大衆の信頼を得ること」「社会
のしかるべき部署に党の地歩を築くため勉学に励むこと」といった趣旨の
ものになるわけです。民青の集会で講演した宮本顕治氏が「分派主義者た
ちの自己批判文は誤字だらけだった」と笑い飛ばしてみせたのもこの文脈
におけるパフォーマンスでしょう。

北朝鮮がそうであったように、ゲバ民粛清も「戦時」から「平時」へ向け
た上からの武装解除でありました。それが「軍人よりテクノクラートを」
路線と類似の選択であったことは見易いことだと思います。暴力のイデオ
ロギー批判という点で言えば、人民の手に渡りかねない武装を解除し、国
家法秩序の網の目に党員を埋め込むことで党自体と人民への中央集権支配
の安全を保証する=これすなわち「非暴力平和革命」…てなところでしょ
うか? これも北朝鮮が「党の武装による支配」から「国家機構を通じた
支配」に移行したことと重なるようです。

                 * * *

北朝鮮と日本における同じ時期の同じような「左傾盲動分子の独断専
行」。両者を「戦時から平時への移行期」という共通項によって並列的に
取り上げました。新左翼には共産党のような国家浸透路線など最初から選
択外ですから、「平時」移行期に革命の展望がポシャってしまったのも当
然という気がします。川上氏などもそういう気分に浸っていたところを後
からバッサリやられたわけです。まぁ、その他の「健全な」共産党員はた
とえ虚像であっても追いかけていく理想を持っていただけマシだったと言
えなくもありません。それほどに新左翼の内ゲバは凄惨なものでした。

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「暴力」のダブル・スタンダード>どん底さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 6月21日(土)11時23分34秒

>学内で徹底して非暴力を謳う年長党員の中には、かつて新左翼との間で展開された
>「武勇談」を得々と口にする者もいました。

同様の事例、他所でも聞いたことがあるのですけど、そういう年長党員っ
て「ゲバ民」の生き残りだったのでしょうね。「新日和見主義」的偏向と
断乎闘って党の統一と団結を守った“良い「ゲバ民」”とか?(笑)

それにしても、酒場で語られる「武勇談」って、戦場体験者の話と良く似
ておりますね。敗戦後社会運動の男性指導者たちの多くが(当然ながら)
軍隊帰りで、昼間の会議では「平和と民主主義」、夜の酒場では軍歌と
「武勇談」という二重性は、さしてめずらしいものではございませんでし
た。これを当人たちの価値意識の二重基準と欺瞞というふうに言ってみて
も、「言行不一致」みたいな個人倫理次元での話にしかなりません。むし
ろ問題は、昼間=表の「平和と民主主義」そのものの表層性と欺瞞にある
ようにわたし思います。

>これは72年の「ゲバ民」粛清が徹頭徹尾「上から」のものであったこともあって、
>暴力批判は全く形式的なところでしか成されていなかったということです。

「形式的」といえばたしかに。でもその「形式的」な「暴力批判」、その
「形式」性そものが、独自の政治的イデオロギー性に貫かれていたはず。
そこを掘り返すことこそ本来の批判かと思います。

戦争体験に戻りますと、大東亜戦争(とあえて表記いたしますが)は、本
格的な総力戦でしたし、その体験は「国民的」なものでございました。戦
後「平和と民主主義」というのはこの国民体験を対象化し「止揚」するこ
となく水面下に押し込め「被害意識」に変形したものだったと思います。
60年代末の闘いは、この押し込められたものが表面化する契機を生んだ
のですね。

空母エンタプライズの寄港に反対して闘われた佐世保現地闘争では、機動
隊に追われた学生を住民が公然と支持したことで知られておりますが、そ
の住民たちによみがえった「戦争」の記憶というのは、お仕着せの「平和
と民主主義」意識ではなく、“自分たちが闘って負けたアメリカとお前た
ちは今闘っているのか!”というものであったこと、亡くなった石田郁夫
さんのルポルタージュなどが伝えておりました。新左翼の街頭闘争はその
ように、埋めこまれた民衆の「国民体験」を浮上させ、それと触れあった
のでした。東京の王子野戦病院をめぐる闘争でも似たシーンがございまし
た。満州開拓から引揚げ戦後入植した三里塚の農民ともまた。

新左翼の政治思想は、自らの闘いがもったこのような歴史的位置を自覚・
対象化し得えなかった点に本質的な限界を晒したと、今になっては言える
と思うのです。その「限界」を超える方途を探ることは、「内ゲバ」とい
う事象を超えることと深く結びついていると思いますし、「暴力」のダブ
ル・スタンダードは、そこで「止揚」されるべきテーマではないかと愚考
する次第でございます。それは、凡百の市民主義的な「暴力反対」論の及
ぶところではございません。
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どん底さん、ありがとうございます 投稿者:まっぴょん  投稿日: 6月21日(土)10時22分46秒

やっと実りある議論へと方向が変わってきたように思います。

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追い撃ちではないけれど(笑)>越貴来 翔さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 6月21日(土)00時04分12秒

タッチの差っていうタイムスタンプでしたね。

>ぼくは無責任なギャラリーでいたいので、発言を取り消し、引っ込みます。
>どうもすみませんでした(ちょっとびびった)。

取り消すのも引っ込むのももちろんご自由。謝ることなどございませんのに(苦笑)。

>でもギャラリーというのはしばしば無責任で残酷な野次を飛ばすものだと思いますから
>評価をギャラリーに委ねるなんておっしゃらないほうがいいと思います。

ご忠告どうも。m(__)m 
でも、“無責任で残酷な野次”くらいにびびっていては、発言などかないません(^^)。

>屁え、そうなんですか。実があれば屁じゃなくて糞ですもんね。

ん〜ん、これは少々匂いました(笑)。

では、お気が向きましたら、いつなりとまたご発言をどうぞ。
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お疲れ様でした>どん底さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 6月20日(金)23時26分00秒

「総括的感想」拝読し、ほんの感想めいたことですが。

>内ゲバとそれを支えてきた思想を「宿痾」と規定し(鬼薔薇さん)

「宿痾」とはわたしのオリジナルではございません。名付け親(?)はい
いだももさんあたりではないでしょうか。いささか文学趣味的な傾きも感
じますが、社会病理的な現象との捉え方はうまく表現されていると思いま
した。そもそもそうした捉え方自体に異論もありそうですけど。それと、
わたしの受け止め方ですとそれは、“支えてきた思想”というよりもう少
し体質的な次元のことと思うのです。このあたりはもっと詰めてみないと
言葉が滑ってしまいかねぬところかと思いますけど。

>内ゲバがいかに非人間的に見えようとも、いかに悪鬼の所業に見えよう
とも、これは人間が、特殊ではあるが不可避でもある環境下において顕在
化させるすぐれて人間的な問題なんだということ
>内ゲバ問題の糸を手繰り寄せるならば、その先には我々が「非人間的」
と切り捨て隠蔽してきた、その実すぐれて人間的な未開の地が変革の対象
として姿を現すのではないかということ

いつでしたか「社会批評社フォーラム」で、「神」にも「悪魔」にもなれ
るのが「人間」、とか書きましたのと関心軸の重なるところ多いものを感
じます。いつかどん底さんお触れだったかと思いますけど、「近代的人間
観」というものの問題でしょうね。革マル主義の背骨をなす「プロレタリ
ア的人間の論理」にせよ、連合赤軍の「銃による共産主義化」にせよ、北
朝鮮の「主体思想」にせよ、この「人間」観の暗部が露呈した点で共通の
構造を示しているように感じます。

ただ、「内ゲバ」というのは、一義的にはやはり政治事象と思いますの
で、「近代的人間観」そのものを探るより、政治事象としての地平を深堀
していった果てに「近代的人間観」の暗部を探り当てるような方法をとる
べきテーマかと思っております。そこで社会病理の普遍的な地平が見える
ようになるのではないかと。わたしむしろ維新以来の日本の「近代」とい
うもののほうに関心が向くのですけど。この「近代」という用語そのもの
が維新以来の「日本」の形成過程を刻み込んでいるのでしょう(柳父章
『翻訳語成立事情』)。

話を左翼の「内ゲバ」に戻せば、60年代末の闘争がいかなる壁にぶつか
ったのかが焦点のひとつと考えられます。日本の左翼運動は、そこで本当
に「国家」というものの壁にぶつかったのだと思うのですね。ここで「国
家」と申しますのは、「社会」の上に君臨する支配・抑圧の装置というよ
りも、「社会」全体を(外界に向けて)総括する統合力という意味でござ
います(レーニンでいえば、『国家と革命』に描かれる国家というより、
『帝国主義論』に形象化されたそれかもわかりません)。政治過程として
は「沖縄」がその焦点でございました。その壁を突破できなかった「70
年安保・沖縄決戦」の敗北以後30余年、左翼のみならず社会のあらゆる
過程に自閉と内向の蔓延をみてきた思いがいたします。

このあたりは、また機会を改めまして。
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>Giyaさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 6月20日(金)23時25分14秒

>私が「個人プレイ」と言ったのは、蔵田さんがSENKIに送った回答文のことです。

もちろんそのように受け止めましたよ(苦笑)。ちゃんと伝わっておりますのでご心配なく。
わたし最初から、「回答文」の内容そのものは蔵田さん個人のものと理解しておりますし、その主張内容自体には「最初から言及していない」と書いたのですけど?

伝わらなかったのは「事実」より「理解」でございましょう。「関係的位置」と申した(わたしには肝腎の)点を受け止めていただけなかったのはたいへん残念に思いました。でもこういうのって、文章読解力とかの次元のことではなく、事象に対する構えみたいなもののちがいからくるのでしょうから、「議論」では片付かぬものを否応なく引きずったり生み出したりしてしまいます。「話せばわかる」とはいきにくいのも仕方ないですね。

では。

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鬼薔薇さま 投稿者:越貴来 翔  投稿日: 6月20日(金)22時14分31秒

>評価はどうぞいかようにも。それはギャラリーの特権でございましょう。もっとも、いったんそれを公の場で語れば、ギャラリーもまたお立ち台で他者からの評価に身を晒すことになる――つまりもはやギャラリーではなくなってしまうわけですけど。

わかりました。ぼくは無責任なギャラリーでいたいので、発言を取り消し、引っ込みます。
どうもすみませんでした(ちょっとびびった)。対まっぺん第三次論争はないとの
ことですので、対Giya論戦を楽しみにしてご奮闘を期待します。ぼくは引っ込みますが、
でもギャラリーというのはしばしば無責任で残酷な野次を飛ばすものだと思いますから
評価をギャラリーに委ねるなんておっしゃらないほうがいいと思います。

>まっぺんさんの最後のお言葉はいわば“最後っ屁”。実りのなさをそれ
ぞれ自覚して「やめた」と言ったのがあちらが後だったので、先に言った
わたしはそのおならを黙って浴びるほかない位置に立っているわけでござ
います。ま、かわいい音でしたし、方角ちがいのため臭くもありませんで
したけど(笑)。

屁え、そうなんですか。実があれば屁じゃなくて糞ですもんね。

>あなたも、ご自身の主張と言葉を研ぎ澄まされますよう。

ありがとうございます。今後心いたしますが、自分の主張というのがこの歳になっても
持てず、茶々をいれるぐらいしかできない自分を恥じています。それじゃ退場いたします。

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「暴力/非暴力二元論」の補足 投稿者:どん底  投稿日: 6月20日(金)21時35分53秒

>「暴力でなければ何を言ってもいい」などという「暴力/非暴力二元論」では内ゲバ
>を根底から批判するのは無理だと思います。

私が80年前後に所属していた共産党学生党組織は、72年の「ゲバ民」
粛清を経て明らかに「暴力/非暴力二元論」の立場でした。「内ゲバ党
派」をその暴力性ゆえに弾劾しつつも、それはヘゲモニックな政治性に負
うところが大きかったと言えます。当時私の前に新左翼はほぼ姿を消して
いましたが、「勝共連合の学生が誰それの胸ぐらを掴んだ」という、「政
治的要素」を取り除けばどこにでも有りそうなトラブルが重大かつ決定的
な暴力事件として各自治会(民青系)で弾劾され、同組織の封じ込めに活
用されたわけです。これが新左翼対策の流用であったことは想像に難くあ
りません。私自身も暴力糾弾の念の入れようには違和感がありましたが、
「平和で民主的な学園」の確立にとって反共勢力封じ込めは当然との考え
からそれに協力したわけです。

一方、学内で徹底して非暴力を謳う年長党員の中には、かつて新左翼との
間で展開された「武勇談」を得々と口にする者もいました。これは72年
の「ゲバ民」粛清が徹頭徹尾「上から」のものであったこともあって、暴
力批判は全く形式的なところでしか成されていなかったということです。
おまけに私の世代の学生党員は、党が「ゲバ民」をコントロールしていた
ことすら知りませんでした。酒席で聞かされる「武勇談」に困惑しながら
も“過剰防衛な個人プレー”程度に受け取っていたわけです。「あっては
ならない暴力」は官製党史から葬られ、「無かった」ものとされていまし
た(これは官製党史にしか目の行かなかった私自身の至らなさでもあった
わけですが)。

で、ここで言いたいことは、表層的な「暴力/非暴力二元論」は容易に特
定党派のヘゲモニーの道具に利用されてしまうということです。また、二
元論者の主観的意図を越えて暴力一般を絶対否定するような流れに飲み込
まれてしまう恐れも無いとは言えないでしょう。
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内ゲバ論議:私の総括的感想(2) 投稿者:どん底  投稿日: 6月20日(金)21時34分02秒

:革命は、支配階級が他のどんな仕方によっても打倒されえないことからだけ必要な
:のではなく、打倒する階級が、革命においてはじめて、すべての古い身の汚れをぬ
:ぐい落として、社会の新しい基礎をつくる力を身に付けるところへ達しうるからこ
:そ必要なのでもある。(『ドイツイデオロギー』合同出版 P79)P79):謝

もちろん、今やこれには注釈が必要です。かつて連合赤軍は「古い身の汚
れ」を仲間の中に潜む敵性と幻視し、何とかそれを拭い落とそう、削ぎ落
とそうとする中で奈落へと転落していったのですから。しかし、「古い身
の汚れ」は皮肉にも「汚れ」と闘う思想そのものの中にこそ潜んでいまし
た。先鋭的に闘えば闘うほどそれは毒素となって若き革命家の精神と肉体
を蝕んでいったわけです。

この血染めの教訓を思うとき、批判対象に敵性の付着を見出すことに力を
注ぐような批判スタイルや、「古い身の汚れ」を他者のみに見出し「汚
い! あっちへ行け!」と弾劾・排斥するような「党派性」はたとえ善意
からのものであれ批判しないわけにはいきません。連合赤軍や中核派など
が象徴するように、そのようなスタイルには後戻りや自己修正を困難にす
るような罠も仕掛けられているのです。(1)無定見から飛び出す偶発的
な暴力は自己反省に向かうことも可能ですが、(2)党派性の高揚のもと
で体系的に繰り出される他者人格絶対否定の言説は、たとえ当人がその行
き過ぎを察知するに至ったとしても反省には転じ難い性質のものです。い
ずれに内ゲバ性が潜んでいるか敢えて選択するならば、私は迷わず(2)
を挙げます。この(2)も最悪の場合、(3)誤謬を隠蔽するためにわざ
わざ党派性を「演出」することで更なる暴走に及びます。暴走は「結果」
ではなく、それ自体が「保身のかたち」と言うべきかもしれません。出発
点において無意識の内に当人を突き動かしていた党派性が、保身によって
意識的に「演出」される党派性に変わった時点から腐敗が始まるのではな
いでしょうか?(1や2はまだ善人、党派指導者が3に至ればもはや打倒
されるべき悪党でしょう>TAMO2さん)。内ゲバを思想問題として捉える
ならば、それは「言説段階」においても批判されねばなりません。「暴力
でなければ何を言ってもいい」などという「暴力/非暴力二元論」では内
ゲバを根底から批判するのは無理だと思います。

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内ゲバ論議:私の総括的感想(1) 投稿者:どん底  投稿日: 6月20日(金)21時33分25秒

この間、そこここの掲示板で展開された内ゲバをめぐる議論、蔵田氏をめ
ぐる議論について私なりの総括的感想を書かせて頂きます。

内ゲバ問題は左翼の問題であると同時に、その起動因子というものを考え
ると鬼薔薇さんご指摘のように(広義の)革命思想一般が抱える問題だと
思います。また、革命というものは過去の歴史においてもそうであったよ
うに、社会の基本構造が人間に非和解的な敵対要素を持ち続ける限りいつ
までも人間の課題であり続けます。ここから言えることは、革命思想一般
が抱える問題は、(階級社会の)人間一般がある歴史局面において不可避
的に身を置くところの特殊状態(革命闘争)において普遍的に受け取る性
質の問題ではないのか、ということです。

私の気負いかもしれませんが、これは直観的に言って次のことを意味する
と考えます。内ゲバ問題の糸を手繰り寄せるならば、その先には我々が
「非人間的」と切り捨て隠蔽してきた、その実すぐれて人間的な未開の地
が変革の対象として姿を現すのではないかということ。それは同時に、人
間を社会諸関係のアンサンブルと規定するところの「社会」に新たな光を
当てることになるのではないかということ。幾多の内ゲバ犠牲者は、新し
い社会の担い手がそこに辿り着くためにどうしても渡らねばならない深い
河を、その死の間際からずっと指し続けているのではないでしょうか?
私にはそう思えてなりまぜん。彼らを安らかな眠りに導くためには、その
死の重さに相応しい餞別が必要でしょう。そして、それを手に入れ彼らに
手向けるのは、やはり左翼自身でなければならないと思います。

そのように考えた時、自分を「ニセ左翼」だと嘲るようなまっぺんさんの
姿勢にいささか場違いなものを感じます。正直に申し上げれば、という
か、言うまでもなくと書くべきか、私も自分が左翼だと胸を張れたタマで
はないし(左翼幻想?)、他人を罵倒することもあります。しかしこの
間、研究会諸氏の論文や2次会の過去ログ(とりわけ鬼薔薇さんのご発
言)などを読み込むにつけそのような引けた姿勢や感情的な姿勢で内ゲバ
を語ってはならないと思うようになりました。

繰り返しますが、内ゲバがいかに非人間的に見えようとも、いかに悪鬼の
所業に見えようとも、これは人間が、特殊ではあるが不可避でもある環境
下において顕在化させるすぐれて人間的な問題なんだということです(>
火魔人さん)。それを踏まえつつも、内ゲバとそれを支えてきた思想を
「宿痾」と規定し(鬼薔薇さん)、かつ克服の対象と見据えることの「歴
史的意味」を噛み締めたいと思います。私は未だその答えを得てはいませ
んが、マルクスの次の一節を想起せざるを得ません。

(続く)

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どもならんな(^^ 投稿者:臨夏  投稿日: 6月20日(金)19時43分14秒

というわけで、いずみさん、失礼しました。

つのじさんも、まあ、なんかええ記事書いてくださいな。

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私がいつ 投稿者:いずみ  投稿日: 6月20日(金)18時56分38秒

「まっぺんさんとの交流をひけらか」したのか、例示してみたまえ。

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いずみのようなきもいのと会うと祟りがある 投稿者:つのじ  投稿日: 6月20日(金)18時51分09秒

まっぺんさんとの交流をひけらかすような馬鹿とはあいたくないね。

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なんで九州まで行かなくちゃいけないんでしょうか、私が。(笑) 投稿者:いずみ 投稿日: 6月20日(金)17時23分38秒

あいにく、当面九州に行く予定ないんですわ。

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つのじさん、見てますか〜! 投稿者:臨夏  投稿日: 6月20日(金)17時06分29秒

二次会に書き込めないのがもどかしい。

まっぺんさん>
ずぼらな依頼ですが、この書き込みを発見してくれはったら、
ママ、二次会に転載していただけますか?
そのまえにつのじさんからのレスがあったばあいにはかまいませんです。

つのじさん>

もうやめましょうよ。
どつぼにはまってますよ。

念のため、わたしは、貴兄をファシストとは思っておりません。

いっそ、いずみさんと、じかに会うて、「直接対決」してはいかがでしょう。
(いずみさんは、そういう時間を、なんか、とりはる方とお見受けしたので、
勝手に言うております。ご容赦。)

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さらに言い方をかえれば 投稿者:まっぴょん  投稿日: 6月20日(金)16時48分22秒

蔵田氏は前田氏の具体的表記を一般的・抽象的な言い方にしたとも言えま
す。そうことによって「佐藤×SENKI」問題は「白井×中核派」問題にも
適用できると主張しているわけです。この議論の本旨は「言い換えたかど
うか」などといった下らないことではなく、「批判者がわの発言内容に対
して内ゲバ襲撃の責任を問うべきなのかどうか」です。蔵田氏の主張の根
幹はここにあるのであり、まっぺんが批判するのもそこです。これが蔵田
論文の、そして蔵田批判の「キモ」=「本質問題」なんですよ。

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そもそも「言い換えた」のは・・・ 投稿者:まっぴょん  投稿日: 6月20日(金)16時30分20秒

蔵田氏の言ったことをまっぺんが言い換えたのではなく、前田氏が言った
ことを蔵田氏が言い換えているんですよ。まっぺんはそれを前田論文が批
判する小林氏の言葉に還元しただけです。蔵田氏は言い換えたうえで「批
判が反批判を誘発する」だの「逆規定する」だのと、責任をもっぱら「フ
ァシスト佐藤」へと持っていこうとしている。これは佐藤氏へのSENKIの
内ゲバを擁護する立場から書いたためにこんな表現になったことは明らか
です。

なお、「批判が反批判を誘発する」という「客観的事実」はあります。そ
れに同意するのか批判するのか、という点で蔵田氏は「場合によっては同
意する」立場を明らかにしているわけです。

例えば小西氏による中核派・清水丈夫への批判は機関紙「前進」紙上での
「反革命小西打倒」論文掲載を“誘発”しました。しかし、小西氏が何か
節度をわきまえない罵倒として中核派批判を一度でもした事があるでしょ
うか? 小西論文のどれをみても実に誠実な批判であり、まっぺんには中
核派への強い連帯感というか、同志的愛情を感じます。むしろ組織を私物
化しているシミタケの危機意識があの論文を書かせたものではないでしょ
うか?

とすれば党派の内ゲバを導き出すのは「罵倒」などという表現上の問題で
はなく、組織を存立・維持・発展させていく上での運動方針とか組織のあ
り方についてのちがいから来るものであるとするべきです。その上で、そ
のような暴力的手段によって対立意見を粉砕するような方法についての責
任は、「その方法を選択した主体が全て担う」べきであり、蔵田氏のよう
に「逆規定」だの「誘発」だのというのは、まったくの責任転嫁です。政
治党派がとるべき態度ではありません。これは佐藤氏の思想に賛同するか
どうかとはまったく別問題です。
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書けば書くほど・・・・ 投稿者:まっぴょん  投稿日: 6月20日(金)16時02分33秒

>>本人がそう書いているでしょ?
>なんて言うのなら蔵田氏の文言を都合よくつまみ食いしてはいけませんね。

「論」というものがわかって書いてるんでしょうか?
「蔵田文書は前田文書への回答である」というのは、本人が「回答として
書いている」意外になにか別の「客観的事実」でも必要なんでしょうか?
前田文書には「批判者と反批判者」などと書いてないのに、それに対する
「回答である」と蔵田氏が言うからには、それは「佐藤氏とSENKI派のこ
とである」のは明々白々ですよ。それを否定して「それはまっぺんの勝手
な言い換えだ」などとまだ言いつづけるのかな?
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そろそろ後戻りしとかないと、 投稿者:どん底  投稿日: 6月20日(金)14時28分52秒

制動が効かなくなると思いますが?(^_^;>まっぺんさん。

>どん底さんはねぇ。相手が言っている事の「本質」を理解するべきだと思うなぁ。先
>日も言ったでしょ?蔵田文書は「前田公開質問状への回答なんですよ」って。本人が
>そう書いているでしょ?

最初に「結論ありき」の人に説明することの空しさを思いつつも、蔵田回
答文の党派的歪曲に対する一定の歯止めとなることを期待してレスしてお
きます。

それにしても、

>本人がそう書いているでしょ?

なんて言うのなら蔵田氏の文言を都合よくつまみ食いしてはいけませんね。

公開されている蔵田氏の「回答文」、
http://www.bund.org/opinion/1106-5.htm
のタイトルを一見すれば分かるように、それは個別事象への態度表明とい
う形式を取りながらも、「内ゲバ廃絶のための私の提案」にまで踏み込ん
だ文書です。内容も事実タイトル通りになっております。「回答文だか
ら」という理由であらゆる行間に「佐藤氏とSENKI」を読み込むのは幼
稚、幼稚でないとすれば悪意、他にはちょっと思い浮かびません。

今議論になっている部分も具体的事象(佐藤氏とSENKI問題)を考察する
前に予め「批判者と反批判者の関係性」について氏の一般的理解を示して
いる部分です。それは第三者(蔵田氏)が紛争問題に「介入」する際に要
請される慎重さでもあります。なぜなら、予め一般的理解を示しておくこ
とにより、佐藤氏の論理でもなければSENKの論理でもない、蔵田氏が蔵田
氏の論理で火中の栗を拾うのであって、一方の側に政治的に与するもので
はない、オレの腹の内はこうだ、そういう前振りでもあるわけです。

まぁ、筆者の意図を云々するのはあくまでも「解釈」の域を出ないわけで
すから、私のこの解釈を「本質」と言い立てるつもりはありません。しか
し、まっぺんさんのうがった「本質」論よりも蔵田氏の一連の主張との整
合性を確保できる常識的な読み方だと思います。

まっぺんさんの議論のいい加減さは、

>蔵田さんの言葉はあちらこちらで矛盾に満ちています。自分で言ったことをすぐその
>後で否定するような言い方をし、表現も難解です。

などと指摘していながら、

>しかしよく読めばその本質がわかってきます。

「よく読めば」だけで矛盾を切り捨てて蔵田氏の文章を単色に塗りつぶ
し、その着色に沿って蔵田氏の人格絶対否定にまで持って行こうというの
ですから、やはり「初めに結論ありき」でしかないわけです。「初めに結
論ありき」「結論に合わせて相手を描き出す」こういう作法を大衆フィル
ターでは「因縁づけ」と言います。

>しかしよく読めばその本質がわかってきます。

「いろいろ矛盾はあるが、よく見ればその本質はK−K連合だ」ってな議
論とどこが違うのか、きちんと説明できますか?

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鬼薔薇さま 投稿者:Giya  投稿日: 6月20日(金)12時02分39秒

たとえ話では伝わらなかったようなので、もう一度書きます。

私が「個人プレイ」と言ったのは、蔵田さんがSENKIに送った回答文
のことです。
なんらこの回答文は、研究会からSENKIへの公式回答という性格を帯
びたものではなく、蔵田さん個人が書いたものです。

以上が事実です。これさえも誤読されるかもしれないと恐れますが、これ
以上長く書いてもしかたがないでしょう。

今後、鬼薔薇さんとネット上などで交流できることを私は望んでいます
が、この間のやりとりの感想を書いておきます。

あなたは、人の書き込みを読み飛ばします。自分にとって都合の悪いとこ
ろは飛ばし、都合のいいところは強引に拡大解釈します。
こちらはただ事実が分かればいいと思って、知っている限りのことをさら
け出しているのですから、それをやられると足払いをかけられたような不
快感を感じます。
SENKI派にもよく、これをやられました。

それでも私はあなたに「党派根性」なるものを感じるものではありませ
ん。あなたの場合は自分の利害を通すためにそれを行っているのではな
く、ただ、自分の小さな間違いを認めたくないという一心でそれを行って
いるのですから、ほほえましい限りです。

ネットの掲示板に書き込む文章は、完成された論文などではなく、要する
に公開された場で行われる会話です。間違いは、その後の書き込みで訂正
すればすむことではないでしょうか? 私やまっぺんさんがそうしている
ように。そのことがなにかしら「負けた」ということにはならないと思う
し、時間を浪費することも少なくなると思います。

研究会へのエールありがとうございます。
鬼薔薇さんも、がんばってください。

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そんなことをするからつけあがるんだと思います 投稿者:いずみ  投稿日: 6月20日(金)09時50分03秒

どっかのファシスト未満が、私が相手をしてくれると思ってよく破綻した
論理をここに書いてますよね?

それと一緒で、さとさとは「かまってほしいクン」。無視するのが一番で
す。「考えるだけ時間の無駄」というレベルではなく、「考えた結果さら
に無駄な時間が増えてしまう」のです。

#そして、それとは関係なく、日向一派によるさとさとへの暴行・言論弾
圧は糾弾されなければならないです

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佐藤悟志・ファシスト? 投稿者:猛獣文士  投稿日: 6月20日(金)09時10分15秒

佐藤悟志「不正義の平和よりも正義の戦争を」

http://renk-tokyo.org:8080/modules/news/article.php?storyid=57

これはひどい。言葉を失う議論ですが。何なのでしょう?
誰か解説してくれませんか。

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>黒目さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 6月19日(木)23時40分13秒

>なにかの思想潮流を起源に持つ行為が「感染していく」という見方には甚だ懐疑的で
>す。「革マル的」な党派性が中核や解放派に「感染」した、しかしそれはその相手の
>側に「内ゲバ主義に感染」するような質の基盤がなければ、成り立たない話である。

ご指摘のとおりでございましょう。仰る「質の基盤」こそ力を込めて探査
するに値する“深い”問題と存じます。なお確かとは語りにくいままあえ
て抽象的に申すなら、それは自閉的な共同性の意識といったところではな
いかと、わたし考えてまいりました。その自閉性は、〈世界〉に対する劣
性の意識に根を持っているのではないかと。この点の関心は元々は日本共
産党の分派処遇のことだったのですが、新左翼の場合、運動の昂揚局面で
はなく後退局面で「内ゲバ」が激化したのもその証左のように思います。
ただ、革マル派の場合は、情勢と独自に「他党派解体」路線でテロ・リン
チ体質を露呈させていた点、その特異性の現れのひとつかと思いますが。

>俺の頃には中核も革労協も、大衆運動に対する抑圧性という事においては、革マルと
>ほとんど区別がつかないような塩梅であったのです。

わたしの時代経験では、60年代後半と70年以後とがくっきりしたコン
トラストをもっておりました。特に社青同解放派の場合、あの突き抜ける
ような大衆運動主義から自滅的な内々ゲバ、内々々ゲバへ身を揉みこんで
行った過程は、想像を絶するものがございました。そこにはどうも強い
「哲学」志向がマイナスに作用していたのではないかと(およそ哲学性な
ど無縁のブランキストだったブント系と対比して)思ったりもするのです
けど。

もうひとつ、「内ゲバ」との相関で検討せねばならぬと思うのは、70年
の「7.7華青闘事件」以後の「差別告発」症候群でございます。あの時
期、革マル派と民青がこの症候群と無縁であったのは、60年代に進んだ
社会変動への政治的感性の落差であったかと思いますが、「差別」の問題
を主題化した新左翼各派はそこで、感性だけでは超えられぬ問題に阻まれ
たように思います。

「内ゲバ」と「差別告発」症候群とに共通する主体的要因を、退潮期に於
ける「革命主義」の政治心理として取り出せるなら、問題は「敵」認識の
現実的な崩壊〜喪失とその観念化というふうに捉えられるかと思います。
そのためにも、1970年前後という時期を、日本の支配構造の変容過程
として捉え直してみることが必要となりましょう。それはまた、「戦争責
任」や「戦後責任」の問題にも通底しているはずと思うのですが、主体的
要因と客体的要素とが混交している領域へ切り込むには、方法的な準備が
足りぬと痛感いたします。90年代後半の加藤・高橋論争[*]あたりにな
ると、新左翼残党はすでに「市民主義」との区別をほとんど喪っていたよ
うで、これまた問題追求を難しくしている要因と思えます。

[*] 加藤典洋『敗戦後論』、高橋哲哉『戦後責任論』など。

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>越貴来 翔さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 6月19日(木)22時07分21秒

「党派根性」はどちらか、ご意見は面白く読ませていただきました。評価
はどうぞいかようにも。それはギャラリーの特権でございましょう。もっ
とも、いったんそれを公の場で語れば、ギャラリーもまたお立ち台で他者
からの評価に身を晒すことになる――つまりもはやギャラリーではなくな
ってしまうわけですけど。

>反論にはちゃんと答えて欲しいですね。

当事者が「やめた」と言ったものをまた続けさせたいのですか? あまり
良いご趣味とも思えませんけど(苦笑)。

まっぺんさんの最後のお言葉はいわば“最後っ屁”。実りのなさをそれぞ
れ自覚して「やめた」と言ったのがあちらが後だったので、先に言ったわ
たしはそのおならを黙って浴びるほかない位置に立っているわけでござい
ます。ま、かわいい音でしたし、方角ちがいのため臭くもありませんでし
たけど(笑)。

わたしがそれに「ちゃんと答え」たりしたら、まっぺんさんもまた黙って
はおれなくなりましょう? 「最終回答」と言いつつすぐまた続けたまっ
ぺんさんの「未練がましさ」を繰り返させるようなことは控えるのが、実
りなき議論の果てのせめてもの矜持と心得ております。

あなたも、ご自身の主張と言葉を研ぎ澄まされますよう。

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>Giyaさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 6月19日(木)22時06分38秒

「事実経過」をめぐるわたしの疑問に時間を割いてお答えいただいたこと
には感謝しております。でも、このたび再掲されたものは「事実経過」で
ないばかりかご質問でもなく、反語表現によるご主張と読めました。それ
にお応えすると、ちょうど終ったばかりの議論をまた蒸し返すことになり
そうで、コメントをためらった次第でございます。

>3月5日の決定を蔵田さんがSENKIに伝えた可能性はあるでしょ
う。でも、そう
>だとしたらなぜ、回答文までが研究会の公的なものになるのでしょう
か?

上の文に、「いや、なるわけない」という意味が込められてはおりません
か? それに、「回答文までが研究会の公的なものになる」などと、わた
し一度も主張していないのにこのように書かれたのも、ひとつの(傾向的
な)「主張」と読めた次第です。「そうだとしたら」という仮定でのお話
ではなく、事実「そうだ」ったのかどうかをわたし確かめたかったのです
ね。すでにそれは確認できたと思っております。その点、あなたからの情
報提供は貴重なものでございました。

>その場合、分かりやすく言えば、メッセンジャーとしての役割を担った蔵田さんが、
>託されたこと以上の個人プレイをしたということにしかならないのではないでしょう
>か?

比喩ではないと思いますので、「託された」との表現は文字どおり受けと
ってかまわぬかと思います。その「託された」ことこそ、蔵田さんの対
SENKI 対応が「公的」な性格を帯びていたことを意味するものにほかなり
ません。それを再確認できたこと、あらためてお礼申し上げます。なお、
仰る「個人プレイ」については、わたし最初から言及しておりません。

以上、終った議論を蒸し返す趣旨ではなく補足説明ですので、その点ご了
解くださいませ。誤解なきようにとかなり気を遣って書いたつもりではご
ざいますが。あなたと認識のズレがあるとすれば、蔵田「回答文」の主張
内容とその関係的位置との区別の問題かと思います。それを繰り返すとま
た長くなりますので、恐縮ですが10日付の投稿「関係的位置」(2分載)
をご再読いただけたらありがたく存じます。

ただ考えてみますと、あなたがたと蔵田さんとの齟齬は、実はあの「回答
文」などより「緊急声明」をめぐる問題によるところが大きかったわけで
すね(それについて明快な説明と態度表明をされたのは小西さんでし
た)。ネット上でみていただけのわたしたちには看取しようもない過程だ
ったわけですけど、事後情報を素に観客的に申せば、歴史を塗り替えるテ
ーマを掲げた研究活動がささやかな実践行動で分裂に至ったのは、やはり
残念に感じます。どうぞ、その限界を超えるに足る積極的な問題探求と理
論構築に力を注がれますよう。

では。

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60年代 投稿者:スパルタクス  投稿日: 6月19日(木)21時18分08秒

ノンセクとアナーキストが最大だったら、日本も少しは変わったかも知れ
ませんね。日本の新左翼トロツキストは議会に1議席も取れなかった。東
チモールですら、あそこの四トロは1議席取ってるし、スリランカなんか
は頑張ってますからね。日本のトロツキストは一体何だったんだ・・・っ
て、部外者の言う事ではないですが。
しかし、今の日本の労組は最悪だ。

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文章読解力訓練テキスト 投稿者:まっぴょん  投稿日: 6月19日(木)12時54分29秒

●例題1

前田:「再び佐藤悟志氏がSENKI派メンバーに暴行をうけた」というのはウソだ。『検証内ゲバPART2』はファシスト佐藤を擁護している。出版社・編著者はこの事をどう思うのか?

蔵田:前田氏に答える。批判者の批判内容・質が反批判者を逆規定し暴力を誘発する。協働性と目的意識性をもたない批判と反批判は、不毛であるばかりか、次なる内ゲバの引き金を準備するに等しい。

まっぺん:蔵田氏の「関係性の貧困」とは「批判者と反批判者」いいかえれば「批判して内ゲバ襲撃を受けた者」と「批判され内ゲバ襲撃をおこなった者」との関係性の事である。「批判が反批判者を逆規定する」という発想は内ゲバ実行者側の立場に立った態度である。

どん底:まっぺんは「批判者と反批判者」の関係が「被襲撃者と襲撃者」の関係であるかのような勝手な読み替えをやり、蔵田氏が主張していないことを「主張しているのである」と決め付けている。

●例題2

前田:一個100円のりんごを3個買ったら代金はいくらか?

蔵田:前田氏にこたえる。100×5=500である。

まっぺん:蔵田氏の「100」とはりんごの単価、「×5」とは個数のことであるが個数計算がまちがっている。

どん底:まっぺんは「100×5=500」がりんごの単価と個数の関係であるかのような勝手な読み替えをやり、蔵田氏が主張していないことを「主張しているのである」と決め付けている。
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相変わらず「衒学趣味」などん底さんへ 投稿者:まっぴょん  投稿日: 6月19日
(木)11時17分02秒

>これも書かれたことをそのまま受け取らないまっぺんスタイルですね。

どん底さんはねぇ。相手が言っている事の「本質」を理解するべきだと思
うなぁ。先日も言ったでしょ?蔵田文書は「前田公開質問状への回答なん
ですよ」って。本人がそう書いているでしょ? それなら、「批判者と反
批判者」とは前田氏が言う「佐藤とSENKI」との事なのは当然じゃないで
すか? それなら「批判して暴行された者と批判され暴行した者」という
のは事実でしょ?それでもまっぺんの「勝手な言い換え」なんでしょう
か? それなら前田文書が「佐藤とSENKI」じゃない意味で「批判者と反
批判者」という言葉を使った箇所を指摘してください。そうした証拠も指
摘できずに「言い換えた」などと言い続けるのはどん底さんの「文書読解
力の無さ」を証明するだけでしかありません。

それと「反批判の内容と質は反批判者自身の質によっても規定されるとハ
ッキリ書いています。それは当たり前のことだから「言うまでもない」と
断っているのです」と蔵田さんを弁護していますが、蔵田さんの言葉はあ
ちらこちらで矛盾に満ちています。自分で言ったことをすぐその後で否定
するような言い方をし、表現も難解です。しかしよく読めばその本質がわ
かってきます。このフレーズの本質は「批判者の批判内容と質が反批判者
を逆規定する」「誘発する」という事でありその発想です。要するに暴力
行為が発生した時に、「その責任はだれにあるのか」が問われるのです。
蔵田氏は「暴力行為実行者」ではなく「それを誘発した発言」に責任があ
ると言っているのです。これが蔵田文書の本旨であり、それはどん底さん
と同じでありまっぺんと違う部分です。それが分かりませんか?そういう
理解は「まっぺんの勝手な作り話」ですか? なお私は「批判者の批判内
容と質」の具体的内容についてはここで触れてませんが、触れる必要があ
るならそうしますよ。

>これは蔵田氏がどういう切り口からアプローチしようとしているかの問題であって、
>批判はその切り口を踏まえて行なうか、あるいはその切り口自体を批判するか、対話
>を前提とするならそのいずれかである必要があります(私の蔵田批判の批判は前者に
>おいて行なっています)。しかし「蔵田排撃」を前提とするまっぺんさんの批判はい
>ずれでもないのですよ。

まったく同じ説明を私はすでにしています。そのうえでまっぺんは「後者
である」ことも説明済みです。あなたも人の書いているものを読まない人
ですね〜。

なお、「肉体的暴力と精神的暴力」という言葉をもってまっぺんを「言語
上の内ゲバ主義者」と規定しているように見えますが、ただの「罵倒」だ
けでは「内ゲバ」にあたるとは思いません。いいだもも氏の「罵詈雑言も
またその人の言葉として受け止めるべきだ」という主張を聞いて深く同意
したので。

しかし、たとえば「殺すぞ」とか「暗いところでは気を付けろよ」みたい
な、身体生命の危険を予想させるような言葉は「内ゲバ」の一種であると
思います。それから差別的な言葉は使うべきではないと考えています。そ
ういう脅迫や差別的な言葉をわたしがどこかで使っていますか? 私は蔵
田氏を「内ゲバ擁護論者」「知的エリート主義」と非難しましたが、それ
は蔵田論文の分析結果から導き出されたものです。

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なんだかね(w 投稿者:黒目  投稿日: 6月19日(木)08時54分26秒

「理論の革マル」も看板倒れやね(w
自らに「思想的優位性」がある、と主張するなら、優位なとこを見せてみな、って言ってるんですが(w
冬剣さんの言っておられるのは「言ってもおまえにはわからん」という事のみなわけで。
「言えないんだろう、やーいやーい」とでも言うとよいのでしょうか?(w

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(無題) 投稿者:冬剣  投稿日: 6月19日(木)01時59分45秒

>信仰の体系の内部においてしか、そういった無前提な切り捨ては通用しないですよ(w

私が何を「切り捨て」たと仰るのかがよくわからないのですが、あなたのここでの言説も
負けずと独我的なものであることにかわりはないでしょう。

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(無題) 投稿者:アルファA  投稿日: 6月19日(木)01時09分40秒

>粛清をしなかった共産・社会主義者をおしえてほしいのだけれども

たとえば、三浦つとむとか。

世界でこれまで社会主義者・共産主義者が何人いたと思っているの?
してない人のほうが圧倒的におおいですけどね。

したくてもできなかっただけだと言われればそうかもしれませんが。

>まだナチスのほうがましだよ現在のロケット技術はほとんどナチスが
>開発したもだ。たくさんの人間を粛清したが人類に多大な恩恵ももたらした

ICBMも「人類に多大な恩恵」をもたらしたんだ。

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六全共は正しかったと思います 投稿者:スパルタクス  投稿日: 6月19日(木)00時43分41秒

日本共産党の対応の冷たさが問題ですが、六全共の方針自体は正しいもの
であったと思います。あれがなかったら、今の共産党はなかっただろうと
思います。新左翼はハンガリー動乱の労働者の血のうめきにトロツキズム
に目覚めたと言っているが、多分嘘だろう。彼等の原点は日共所感派のゲ
リラ闘争と六全共の合法路線への反発であって、実際は思想的にトロツキ
ーより毛沢東に近いはずだ。革共同と共産同には結成当初からスパイが潜
入してたはずです。レッドパージ・非合法路線の時代に日共はスパイにメ
チャメチャされたのではと思ってます。ただ、第四インターが内ゲバに正
しい態度を取れたのは、指導部が他よりまともだったからに思います。最
初の時点であまりスパイがなかったんじゃないかと思います。他はいいよ
うに食い尽くされていったように見えます。
私は既存の党派にはほとんど関わっていません。大学時代に「ピースクラ
ブ」という党派を結成して、仲間を集めようとしたが、一人も集まらず、
就職活動もあるし、準備会のまま一人で解散したただの歴史マニアです。
党派の歴史もほとんどここのHPで勉強させて頂きました。えらそうな事
を言ってすみませんでした。

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最も目立ったあるいは最も過激な党派には 投稿者:スパルタクス  投稿日: 6月18日(水)23時56分32秒

最も大量のスパイ・撹乱分子が潜入しているはずだ。まだ新左翼が存在し
なかった戦前の共産党員の方が、事の本質が見えるかも知れない。中核派
の行動に戦前の武装共産党やレッドパージの時代の山村工作隊を思い出し
た党員も多いのではないか?

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革マル論理に深みはない。 投稿者:スパルタクス  投稿日: 6月18日(水)23時51分21秒

具体的な話をした方が前向きかと思います。
革マル派の内ゲバに対する認識とは、「革命的暴力とは何か?」であると
考えてよいと思いますが、あれは「自分たちのふるう暴力は革命的暴力で
あり、相手のふるう暴力は反革命テロルだ」という内容である。
こんなこと、子供でもいわんと思いますが、これのどこらへんに「深み」
があるのか、御教示願いたいと思います。

革マル論理に深みなどというものはないと思います。仏教やらなんやらを
持ち出しても、怪しげなもったいぶって結局は何の内容もない。「革命的
暴力とは何か」日本の”治安”を守るために行使するのだ。反対運動がこ
こまで相互交流なくズタズタに分裂・混乱した原因、革共同・共産同・社
青同分裂の原因。得をしたのは誰か?宮崎学くらいなら、少しは分かるか
も知れない。すでに1948年から1955年に起きた出来事に、196
8年から1975年までに起きた出来事が予言されている。歴史が拡大再
生産されたんだ。

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