四トロ同窓会三次会 2004年6月20日〜30日

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自己否定論(未完)を読んで 投稿者:浜  投稿日: 6月30日(水)21時41分35秒

 鍋山さんと私はおそらく世代が違うと思うのですが、この「華僑青年闘
争委員会の告発」については、故Y某や太田昌国さんの話など直接聞いた
経験を持ちます。被抑圧人民の立場に立つという姿勢をあらためて実践的
に提起するきっかけを生み出しました。しかし、わたしは、自己否定から
導き出された「血済の思想」には、否定的側面の感もあります。その中に
は、鍋山さんが書いた「「朴君を囲む会」では、私らは例によって
(笑)、権威である佐藤勝巳先生に異論をとなえたことと、解放派系の若
手に排除されました」のような傾向を生んでいたからです。私の在日の友
人もかなり間違ったことをいっても支援者から批判が帰らないかえって居
心地が悪い思いをしたと自らの経験を語っていました。

 佐藤勝巳は、さておき、玉城素は、慎重で冷静な社会分析ができる研究
者です。現在は、「現代コリア」4〜7・8で「暗黒の金正日独裁10年
の総括」が特集されています。以前、「風の会」の集まりで見たことがあ
ります。あの頃書いたものにどれだけのアイデンティティーがあるのでし
ょうか?

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ナツイ面々、私の場合は 投稿者:一同窓生  投稿日: 6月30日(水)21時39分42秒

高崎宗司>梶村秀樹>>>>佐藤勝巳>>>西岡力

高崎さんは講演をお願いしたうえに帰りの電車で近しくお話をしたし共通の友人もいた。梶村さんにも
講演をお願いしたがあまり近しくお話いただけなかった。佐藤勝巳は名前を聞いただけで会ったことは
ない。西岡も元共産党員ですかー(おっと、玉城素でしたか、事後修正)。

私の前回の投稿は、「佐藤勝巳・1000万円使途不明」の報道に接して感想を書いたもので、正確さ
については自信がありませんでしたが、話のスジについては確信みたいなものがありました。それが、
鍋山さん紹介の「佐藤勝巳、北朝鮮を語る(第1回)〜(第5回)」で確認できました。鍋山さん、
ありがとうございました。佐藤勝巳は大衆運動家という感じで理論的な側面は雑駁ですね。それはそれで
悪いわけではない、理論的な人ほど現実感のない場合もあるわけですから、大衆運動家の直感的行動も
重要だ。

私が前回書いたのは、スターリニズム批判が顕在化していない時代に「帰国運動」に没入した佐藤勝巳の
世代と、最初からスターリン批判、トロツキズム、がオルターナティブとしてあった全共闘世代では、時代
状況がずいぶん違うという認識についてなわけです。もっとも全共闘世代にもスターリン主義者が大勢いた
わけですから一概には言えないかも知れませんが,,でも時代状況っていうのは青年への影響が大きいから
労働者国家だから信じる、というムードが無かったのは間違いないですね。

議論としては「スターリニズム」でバッサリ着るのではなくて、虚心坦懐、個別・具体を見ていって、
自らの考えを点検していくのが良いと思います。左翼全般苦手な手法かも知れませんが、真実はステロタ
イプ化されていなくて多面的だと思うからです。でも大筋としての「佐藤勝巳論」は正しい方向だとは
思いますが、、、、。
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『自己否定論』についての覚書〜マルクス主義の拒否 (まるで未完) 投稿者:鍋山  投稿日: 6月30日(水)20時42分12秒

70年前後の『(民族的)自己否定論』については、代々木の人は知らないし、全共
闘の年寄りも80年代以降の若者も理解しがたいようです。

『自己否定』という言葉は、もともと全共闘運動の中から出てきた言葉らしいが。

有名な(代々木以外で)70年7.7集会「華僑青年闘争委員会の告発」を前後する
時代を席巻した「思想的立場」です。

『(民族的)自己否定論』の起源は、現・現代コリア研究所理事長(佐藤は研究所
長)玉城素が1967年に書いた『民族的責任の思想』だといわれています。
なぜか、この本はウチに残っている。(苦笑)

太田昌国 シリーズ《60年代の思想》を読むE
「帝国主義と民族の問題」を捉える方法を先駆的に示す玉城素の『民族的責任の思
想』 御茶の水書房・1976年発行(現在絶版)   
http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2000/60.html

「 ふたつめには、それを解明する理論装置が提供されたことにある。世界的な規模
の問題は別に譲るとして、ここでは、私たちの足元である東アジアの問題としてふり
かえる。一九六五年、在日朝鮮人歴史研究者、朴慶植が『朝鮮人強制連行の記録』を
刊行した(未来社)。その二年後の一九六七年、日本人歴史研究者、玉城素は『民族
的責任の思想:日本民族の朝鮮人体験』を出版した(御茶の水書房)。 」

玉城素(たまきもとい) 1926年生まれ。 戦後共産党宮城県幹部。50年代に
離党(?)。その後、「コリア評論」(南北に中立的立場)などでの著筆活動。

この『自己否定論』を、70年前後主導したのが佐藤勝巳ではなかったかと思う。記
憶に頼っているのではっきりしたことではない。
これに、「7・7」で混乱していた当時の主流派であり多数派の中核派が飛びつき
「血済の思想」として定式化・固定化する。多くの新左翼・ノンセクトも、この「民
族的責任論」〜「日本人総懺悔論」に覆われていく。

やがて、この論理は、後継の部落解放運動、障害者解放運動などの「差別糾弾闘争」
を席巻していくことになる。
新左翼運動だけでなく、社会党・総評から文化人にいたるまで。

第四インターは、「7.7告発」に対して、『被抑圧民族無条件防衛』という立場を
掲げ、中核派らの『(民族的)自己否定論』を一国主義として批判し、一定のノンセ
クトなどの支持を得ながら、「日韓連帯運動」「民団民主化運動支援」を闘っていっ
た。

第四インター系の「日韓連帯集会」に、まだ学生であった佐藤勝巳の子分・西岡力
(現・救う会副会長)が来たことがある。彼の発言は、「韓国の問題に、日本人は関
わるべきではない」というものであった。

佐藤勝巳は、たぶん70年以降、韓国朴軍事独裁政権や民主化闘争について発言しな
くなり、「日立糾弾闘争」などの在日の権利擁護闘争などに関わるだけであった。
そこでの発言も、当初は「(民族的)自己否定」を日本人に強いるものであった。

同じ「日本朝鮮研究所」出身でも、梶村秀樹さんは「マルクス主義」も踏まえ、様々
な運動に積極的に精力的に奮闘していた。
梶村秀樹さんを若くして失ったことは残念でならない。

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あんまり詮索はしないけど 投稿者:鍋山  投稿日: 6月30日(水)20時39分49秒

浜さん

和田春樹さんと近しいんだ。
私も、70年代後半には、「日韓連帯闘争」で同席して、
「韓国民主化闘争」に和田さんの専門であった「ナロードニキ」を重ねて、
楽しい議論をしたことあるの。(笑)

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浜さんへ 投稿者:ふむふむ  投稿日: 6月30日(水)07時52分10秒

私もしょせん「一知半解」です。私は「在日」運動家や、セクト問わずの
日本人関係者を知っていますが、「在日」左翼から言わせれば、萩原某で
あれ李某であれ何であれ、「私のところに○○年前に訪ねて来たが、アイ
ツもあんまりモノを知らないね」ということですから。ちょっと学術的す
ぎますが、故朴慶植先生あたりが「第一人者」だったのではないでしょう
か。今「在日」左翼は、「『在日』史」の「収集」「分析」と「編集作
業」や新世紀の「在日」理論を構築中です。その成果がまもなく陽の目を
見るはずです。

もし深くご興味をお持ちなら、当掲示板管理人のまっぺんさんを通して連
絡を下さい。紹介できる方や組織を知っていますので。

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鍋山さんへ 投稿者:浜  投稿日: 6月29日(火)22時21分30秒

 有難うございます。大変参考になります。和田春樹さんは、佐藤勝巳を
媒介にするにせよ何故、「転向」したのかを考え抜く必要性を力説してい
ました。また、意識的に内海愛子もこの間、宮田節子との会話を行い、そ
れなりの総括をしているかに見えます。

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ふむふむさんへ 投稿者:浜  投稿日: 6月29日(火)22時14分44秒

 プロレタリア国際主義の屈折―朝鮮人共産主義者金斗鎔の半生―を少し
読みはじめました。大変な労作ですね。じっくり読ませてもらいます。
 以前読んでいた記憶があり、探したところ右派メディアのもので、「北
朝鮮利権の真相」宝島社所収−日本共産党はなぜ‘史実‘を隠すのか−黒
坂真がありますが、限定的に読むにせよ今回のものと重なりあうもがあり
ます。つまりふむふむさんの指摘する「戦前、戦後初期の日本共産党の対
朝鮮民族観には、「自分達の日本革命」の為の「利用」や「利用価値」が
絶えず纏わり付いていましたから。この点は「在日」の「恨み」の残存が
状況証拠になります」という内容と。
 
 追記、さっそくのレスもらい書籍を調べましたら新刊「在日、激動の百
年」朝日新聞社があり、100年間の激動の歴史を在日朝鮮・韓国人の歴史
を当人たちを含め、日本の多くの人々が知らないのが日本社会の実情であ
ろうという趣旨を在日作家が述べていました。
 こうしたことを謙虚に受け止め、理解の糸口にして、他民族との共存を
本当に考えていかねばならないと思います。
 ちなみに、『さざなみ通信』は常に拝見しております。

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浜さん 投稿者:鍋山  投稿日: 6月29日(火)21時47分3秒

70年代後半から80年代、日本朝鮮研究所「朝鮮研究」〜現代コリア研究所「現代
コリア」の変遷過程については、当時、何の接触も興味もなかったのでわかりません。
http://www.modern-korea.net/outline/outline.html

この辺のことは、昨年、和田センセのところで研究会が開かれ、この掲示板でも話題
になりました。

連続研究会 「検証 日朝関係」
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kyoukaiken2.html
第3回 日本朝鮮研究所を考える  12月12日
      報告者  和田春樹
      証言者  宮田節子(元所員)  内海愛子(元所員)

和田センセがこの内容を公表してくれると、「朝鮮研究」〜「現代コリア」の変遷が
内海さんらの証言によってわかるのだが。

「非文化人は平日昼間は聞きにいけないので、報告集をだしてください。」とメール
したんですが・・・
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ははぁ〜、浜さんは 投稿者:ふむふむ  投稿日: 6月29日(火)09時08分48秒

佐藤が帰国事業を一生懸命やっていたという事実から、彼の過去に国際主
義の立場が維持されていた時代があったと好意的にお考えですね?違いま
すか?

それはないですよ。
戦前、戦後初期の日本共産党の対朝鮮民族観には、「自分達の日本革命」
の為の「利用」や「利用価値」が絶えず纏わり付いていましたから。この
点は「在日」の「恨み」の残存が状況証拠になります。
『さざ波』の「北朝鮮問題」欄で紹介された鄭栄桓君の論文(↓)を見て
みてください。日本の運動にとって「国際主義」はずうっと「躓きの石」
だったみたいですから。日本人にも「在日」にも。

     プロレタリア国際主義の屈折

   ―朝鮮人共産主義者金斗鎔の半生―

http://members.jcom.home.ne.jp/katoa/03chun.html

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浜さん 投稿者:ふむふむ  投稿日: 6月29日(火)08時36分9秒

>という転落の回路の中に右派との媒介が、強く働いたとも考えて良いのでしょうか?

自覚的であろうが無かろうが、民族「主義」は、即時的乃至は潜在的に
「右」でしょう。
民族主義が健全であることの方が、長い歴史過程の中では一時的、特殊的
な一時代にしかすぎないのではないかと思います。「乖離」については、
当方は情報や知識無しです。

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追記 投稿者:浜  投稿日: 6月29日(火)06時47分40秒

 ふむふむさん、鍋山さん   
                         
>佐藤勝巳は、「共産党から転向した」というよりは、「朝鮮人以上に、
朝鮮のことをよ く知っている朝鮮問題の専門家」として、はじめ北朝
鮮・総連を批判し、「日立」後は 韓国・民団から大韓キリスト教会をも
批判し、反共主義者というよりは「純粋排主者」 に転落していったとい
うことだろうと思います。(鍋山さん)

という転落の回路の中に右派との媒介が、強く働いたとも考えて良いので
しょうか?
また、同じ日本朝鮮研究所であった佐藤勝巳と内海愛子、宮田節子との乖
離は、どのように見られますか?私自身が展開できるほどこのあたり知識
がありません。編集済

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1点だけ 投稿者:ふむふむ  投稿日: 6月28日(月)23時17分10秒

>彼の「共産党籍離脱」も、ただの「党費未納」による「自然離脱」だったようです。

大方の「党費未納」による「自然離脱」は、党中央が言うところの「不確
信」が前提的に存在します。これは「統計的事実」です。その「不確信」
や「葛藤」は、必ずしも「路線」問題を原因にしてはいませんが、彼の地
位、活動歴(活動場面)などからは「北」問題が大きなウエイトを占めて
いたと考えるのが合理的な推測です(実際、その根拠となる現実=帰国事
業での「在日」の末路や金体制の問題、「干渉」問題などがあったのです
から)。

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佐藤勝巳を「共産党歴」から評価するのは無理がある 投稿者:鍋山  投稿日: 6月28日(月)22時13分43秒

ふむふむさん、浜さん、一同窓生さんの評価に基本的に同意しますが、

佐藤勝巳が自覚的に「共産主義者」であったのは、川崎の港湾職場でレッドパージに
あい、体を壊して郷里の新潟にもどり、「日朝協会新潟事務局長」として、「帰還運
動の日本側現地責任者」であったころのことにすぎないのではないか。

「潔癖で実直」であった彼にとって、「帰還運動」の中で繰り広げられる北朝鮮・共
産党の「ウソや賄賂の横行にウンザリした」というのが半分。

その後、彼は東京に出てきて「日本朝鮮研究所」に入ったわけですが。
共産党の「自主独立路線」の中で、相次ぐ分派闘争で、「日ソ協会」、「日中友好協
会」が分裂していくわけです。(不思議と「日朝協会」は、今日まで残っている)

こうした事態にやはりウンザリした彼は、「朝鮮問題の専門家」になることを決意し
たのではないかと思う。彼の「共産党籍離脱」も、ただの「党費未納」による「自然
離脱」だったようです。

70年前後、「入管闘争」(入管法阻止・入管体制粉砕)の中で、彼は「新左翼」の
講師として呼ばれて大活躍して「権威」となります。
私も、何回か講演を聴いていますし、「日本朝鮮研究所」の月間誌「朝鮮研究」も購
読していました。

「朝鮮研究」を思い起こしてみると(全部捨てちゃった!)、
よく考えてみると、佐藤勝巳が書いていたのは「巻頭言とあとがき」だけで、本来の
「研究ー共和国・南朝鮮情勢や経済分析、植民地支配・強制連行」などを書いていた
のは、若手の梶村秀樹さんや内海愛子さんなど(あと4.5人。名前忘れた、失
礼。)であった。

梶村さん、内海さんなど若手は、その後、さまざまな運動に地道に取り組んで行く訳
ですが、佐藤はただの「朝鮮問題の権威」としてふんぞり返っていたという印象で
す。あっ、これは私の見方です。
「日立糾弾闘争」にはじまる「民族差別と闘う連絡会議」において、教員や公務員を
中心として多くの若者が影響されています。(今でも、引きずっている人がいる・・・)

佐藤勝巳は、「共産党から転向した」というよりは、「朝鮮人以上に、朝鮮のことを
よく知っている朝鮮問題の専門家」として、はじめ北朝鮮・総連を批判し、「日立」後
は韓国・民団から大韓キリスト教会をも批判し、反共主義者というよりは「純粋排外主
義者」に転落していったということだろうと思います。編集済

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トドメ! 投稿者:ふむふむ  投稿日: 6月27日(日)15時40分37秒

浜さん、研究熱心ですね。

代々木の「自主独立路線」なるものが単なる「民族主義」の別称でしかな
いことは、既に何人かの研究者も取り上げているように『65年史』『7
0年史』『80年史』(いわゆる『日本共産党の○○年』)における在日
朝鮮人日本共産党員に関する記述の変遷(というより抹消・隠蔽)からも
明白です(「綱領」「規約」からの「裏づけ」は我々のオリジナルです
が)。多くの著名な朝鮮人党員の名が日本の運動史から消されていきまし
た。

代々木は、自らの「自主独立」路線について、「50年問題」でのソ連党
などからの「干渉」の被害の総括に立った結果であるかのごとく説明して
いますが、それならば在日朝鮮人問題が「総括」の対象から除外されてい
ることも問題にされなければなりません。しかしそうなってはいません。
つまり大国主義による「干渉の清算」といってもご都合主義でしかなかっ
たのです。朝鮮人党員を「内政不干渉である」というコミンフォルムのお
題目で党内から排除したのも立派な「干渉」であったわけですから。

実は、日本でのスターリニズム批判は、トロツキー派の専売特許ではない
のです。少なくとも1955年には、共産党民族対策部の「方針」批判派
の在日党員が「コミンフォルム批判」というかたちで反スタの声を上げて
いたのでした。当時でも「在日」の日本定住を予知していた朝鮮人党員は
多く存在していたからです。

なお、いわゆる「民族自決権」や「内政不干渉原則」は、マルクス、エン
ゲルス、レーニン、ルクセンブルグなどによっても絶対的なものではあり
ませんでした。
それらは、帝国主義下での抑圧-被抑圧という関係の存在いかんによっ
て、擁護され、または拒絶されるという性格の問題でした。
金正日独裁の蛮行を「民族自決権」を援用して等閑視(事実上の容認)す
る態度などは、マルクスに厳しく指弾されるはずの愚行です。

我々代々木内の反スタ派は、北朝鮮問題などで今後も現指導部を厳しく批
判し、在日左翼などとも共同して代々木のスタ民族主義路線への圧力を加
えていくつもりなので、ご助力、共同など、どうぞよろしくお願い致しま
す。

20世紀の歴史には、まだまだ埋もれたままで未総括の部分があるんです
よね(笑)

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再佐藤勝巳の変遷をたどる 投稿者:浜  投稿日: 6月27日(日)05時40分10秒

有難うございます。ふむふむさんの意見に同意します。幾重にも佐藤勝巳
評が出ていますが、根幹的には、そこに帰結するものかと、私も思いまし
た。大変参考になりました。

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2つのナンセンス 投稿者:ふむふむ  投稿日: 6月26日(土)23時12分40秒

>日本再軍備核保有論者にまでの転換した佐藤勝巳に別の回路はなかった
のでしょうか。

「一国社会主義」と「武装自衛した社会主義」という社会主義にあるまじ
き2つの形容矛盾(ナンセンス)を保持し続ける限り、ブレジネフであろ
うと佐藤であろうと同じ道を辿るのではないでしょうか。

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補足 投稿者:ふむふむ  投稿日: 6月26日(土)23時01分30秒

『日本共産党資料館』(↓)の「綱領・規約・宣言」スレで戦後初期(第
4、5、6回党大会)の「綱領」「規約」を見ると、在日外国人参政権要
求の取り下げや「55年方針」での在日朝鮮人の党から排除への流れが確
認できる。

http://www.jcp-archives.net/

なお、佐藤達の「良心の呵責」の原因である金日成、韓徳洙等の「帰国事
業」の策謀?も共産党民対内部での金天海、金斗鎔グループ対金日成・韓
徳洙ラインの確執が大きく影響をしているようである。

在日朝鮮人の党内からの放逐にせよ「祖国建設」方針にせよ、「スターリ
ン(主義)の権威」への拝跪の帰結であろう。

>1968年の北朝鮮が武装部隊を韓国に派遣したことにより日本共産党
は、これまで北朝鮮を絶賛していた評価を転換し、労働党との友好をや
め、対立関係に入り、1970年代には公然と北朝鮮を批判し始めました
としています。佐藤勝巳もまた、この1968年問題で、北朝鮮に疑問を
抱くようになったとされています。(浜さん)

佐藤は、「帰国事業」の結末の薄々の察知を通して、既に68年以前から
葛藤を抱えていたハズでしょう。ただ、党の「55年方針」や「内政不干
渉方針」という一国主義・民族主義の立場(つまりはスターリン主義)へ
の根本的疑問を持てなかったという彼の制約こそが、後の右翼民族主義へ
の転回を招いたのだと考えます。 

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佐藤勝巳の変遷をたどる 投稿者:浜  投稿日: 6月26日(土)20時53分11秒

太田昌国さんの「『拉致』異論」は、佐藤勝巳の変遷を媒介にした箇所が
りますが、私が、最も佐藤勝巳が北朝鮮の評価で揺れていた文章を知るも
のとして、「新しいバランス感覚」があります。これは、1977年8・
13事件いわゆる上野・池之端事件の裁判証言記録にあてた文章でした
が、金嬉老事件裁判にかかわった矛盾とこれまでの行動の結果と志の乖離
が率直に語られていました。そして、この裁判の北朝鮮の現実への判断資
料として、「わが体験的朝鮮問題」が揚げられていました。また現在、
「現代コリア」をともに主催する玉城素の「朝鮮民主主義人民共和国の神
話と現実」もまた同時期に出版され、北朝鮮の否定的側面が赤裸々に提起
されていました。また和田春樹氏の「われわれの過去の意味ある総括のた
めに」(インパクション138号 2003年10月)では、1968年
の北朝鮮が武装部隊を韓国に派遣したことにより日本共産党は、これまで
北朝鮮を絶賛していた評価を転換し、労働党との友好をやめ、対立関係に
入り、1970年代には公然と北朝鮮を批判し始めましたとしています。
佐藤勝巳もまた、この1968年問題で、北朝鮮に疑問を抱くようになっ
たとされています。皆さんが指摘される「転向」や変遷についてのご意
見、大変参考になりましたが、今では、日本再軍備核保有論者まで転換し
た佐藤勝巳に別の回路はなかったのでしょうか。

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オールド左翼晩節を汚す 投稿者:ふむふむ  投稿日: 6月26日(土)18時04分23秒

問題の根源にスターリン指導下のコミンフォルム方針がある。
代々木の戦後『綱領』『規約』における「参政権要求」や「入党資格」の
推移をご参照あれ。
それらは、スターリニズム「一国社会主義」論という愚論の革命運動版の
形成過程であり、「帰国運動」賞賛に繋がる「55年方針」と表裏である。

清算すべき20世紀の負の遺産は、ことほど左様に根深く広がっているのである。

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朴鐘碩(パクチョンソク) さんは お元気なようです 投稿者:鍋山  投稿日: 6月26日(土)12時42分1秒

同窓生さん しばらくです

「朴君を囲む会」では、私らは例によって(笑)、権威である佐藤勝巳先
生に異論をとなえたことと、解放派系の若手に排除されました。
あっ、異論つったって大した事じゃなかったんですが(中身を覚えていな
いほど、汗)、佐藤はまだ自己否定派で「日本人は口を出すな」っていう
のね。「朝鮮問題30年の権威」は口を出していいらしい?(笑)。解放
派は、黙って従っていた・・・

「外国人への差別を許すな・川崎連絡会議」
http://plaza28.mbn.or.jp/%7Erenraku/activity03.html
http://plaza28.mbn.or.jp/%7Erenraku/activity.html

佐藤勝巳告発、「救う会」の混乱について、二次会に書きました。

今や、何の鋭さもない、ただの「排外主義デマゴギー」になってしまいました。

佐藤勝巳、北朝鮮を語る(第1回)〜(第5回)
http://www.janjan.jp/government/0405/list.php
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やるな、松井秀。。。 投稿者:伊達 純  投稿日: 6月26日(土)12時03分36秒

松井秀が日本球界に緊急提言!「課徴金制度」導入を

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>日立パク・チョンセキ氏の闘い 投稿者:野次馬の視線  投稿日: 6月26日(土)11時48分1秒

懐かしいですね。「朴君を囲む会」でしたっけ。某所の連続シンポのある
回で、佐藤克巳さんの話を聞いたことがあります。当時は、その後こうい
った方になるなどとはまったく予測もできませんでしたけれど。

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佐藤勝巳、使途不明1000万円 投稿者:一同窓生  投稿日: 6月26日(土)09時41分49秒

浜本達吉氏が3通の文書で訴え、刑事告訴も考えているようです。佐藤勝巳本人も認めて(居直って?)
おり、確かな事実のようす(「週刊新潮」今週号)。関連して、ふだんから考えていたことをチョピっと。

あの世代の人たちと私の世代=団塊の世代というか全共闘世代というかの意識の最大の違いはスターリニ
ズムに対する認識の違いだと思う。認識といっても小ムズカシイものではなくて、感覚とか印象含めた理屈、
歴史観、トータルなものですね。

敗戦=朝鮮解放とともに在日朝鮮人の帰国運動が始まるわけですが、その熱狂は当時の資料を読むと
そうとうなものだ。佐藤勝巳も何の疑いもなく「地上の楽園」を信じて帰国運動に身を投じたのでしょう。
この経験を持つ佐藤勝巳は、私が政治意識をもった60年代後半には日本朝鮮研究所で「日本朝鮮研究」
を発行するなど「朝鮮問題の輝けるリーダー」になっていた。しかし、彼の発言の節々には在日朝鮮人韓国
人運動に対する批判的視点が目立ってきていた。日立パク・チョンセキ氏の闘いが勝利したころだったけど、
新に始まっていたシン・キョンファン氏の在留権闘争に対しては抑制的対応に変わっていた。

おそらくは「帰国運動」の体験を通じて在日朝鮮人・韓国人運動や共和国そのものへの疑念が出始めていたの
だろう。我々の世代はハンガリー革命、スターリン批判を経ており、決定的にはソ連邦のチェコ侵略を見て
しまっていた。スターリニズムというものの本質を身にしみて感じた世代であり、もはや我が世代にはソ連邦や
日本共産党の権威は存在しなかった。ましてや家父長的な共和国など論外だった。スターリニズム本流の共産党
・民青を見て「あいつら何考えてんダロ」という印象しか持たなかった。

結局「帰国運動」の裏切り・悲惨な失敗が日本再軍備核保有論者という現在の佐藤勝巳を作り上げた。いままた
使途不明金、オールド左翼晩節を汚すの図か...
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はじめまして 投稿者:ガンノスケ  投稿日: 6月22日(火)19時42分8秒

皆さん、はじめまして、ガンノスケといいます。
ところで、セ、パ両リーグ合併問題の話題で盛り上がっているようですね。
政治的問題(選挙、年金、イラク、日朝etc)の問題から目をそらさせた
いという、どっかの意図が透けて見えるような気が、俺もします。また、
ナベツネ、エビザワ(NHK)といった、「何何天皇」といった存在がはび
こりやすい社会風土にも問題が多々あるんじゃないかなぁと思っています。

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いやいや 投稿者:久我山猛虎実行委(準)  投稿日: 6月22日(火)00時27分15秒

>年金より野球が大変だぞぉうと

 十分あり得るでしょう(W)
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あのさぁーあ 投稿者:黒虎  投稿日: 6月21日(月)23時44分32秒

この球団合併問題も官邸サイドの選挙対策だったりして?年金より野球が
大変だぞぉうと国民の目を逸らす。んなわけないか抱。

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「古田君はバカではないか」 投稿者:久我山猛虎実行委(準)  投稿日: 6月21日(月)01時27分0秒

 といった真性バカ(元日本共産党員)を打倒するため、本日東京ドーム現地において
戦闘的反讀賣のシュプレヒコール(笑)をあげ続けましたが、その効果が少しはあったよ
うです(笑)。

 皆様、真性バカが主宰する日テレ=全国ネットにおいて、「我々はフジサンケイグルー
プ=古田体制を打倒するが、まずは古田との交渉に応じろ!」「ナベツネ!貴様は労組無
視の不当労働行為野郎だ!」「KOKO!ナベツネ!」などの怒りの声は届いたでしょうか?

 ちなみに、大阪出身をいいながら讀賣帝国主義の先兵である、キヨハラ・モトキらにも
我々の怒りの声は貫徹され、このモトキと共謀する昨日の走塁妨害野郎・ニシ、及び讀賣
に身も心も捧げた昨日の二塁塁審(本日三塁塁審)レイシスト・コバヤシらにも完膚無き
「インチキ野郎!」「ナベツネの男芸者!(ママ)」「ファシスト!」「シバクぞ!ぶっ
殺すぞ!」等の怒りの鉄槌が間断なく浴びせられたことは言うまでもない!
 ちなみに本日の最後の惨めな打者は、インチキ野郎・ニシでありました。因果応報。

 それにしても阪神ファンは、なんでこんなにガラが悪いんだろう(笑)
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食塩=純粋塩化ナトリウムというほどのヴァカ 投稿者:TAMO2  投稿日: 6月20日(日)18時12分27秒

掲題、温泉問題関連。食塩の流通を純粋塩化ナトリウム以外、基本的に使用することを約20年
禁じたため、日本の醤油とかは激マズになりましたとさ。そして、脳卒中や高血圧が激増しまし
たとさ。

ヌル目で柔らかい水質が道後温泉のウリなのに、刺激性の塩素を入れてどうする。

まぁ、野球の問題もそうですが、現場を全く知らないアホが、エラソーな顔を晒しているのが、
日本の悲劇ですな。
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【いずみさん】を、この投稿で誘い出せるか? 【湯々しき事態・温泉がなくなる!!】 投稿者:鍋山  投稿日: 6月20日(日)15時21分41秒

全国の温泉愛好者のみなさん!
中高年の本物の温泉を求める同志諸君!

今、四千年(?)の温泉文化が存亡の危機にある!

一昨年、宮崎日向市「日向サンパーク」において、「レジオネラ菌」によ
って7人が死亡するという事件が起こった。循環風呂にもかかわらず、ろ
過、消毒も不十分で、何よりほとんど掃除をしていなかった。「殺人事
件」と言わなければならない。
支配人など現場担当者は起訴されたが、第三セクター代表や日向市長は不起訴。
あわてた、事なかれ主義のお役所(厚生省〜自治体)によって、全ての温
泉に【塩素消毒】が行なわれようとしている。
「塩素消毒」したら、温泉じゃなくてプールだろ!

あろうことか、「掛け流し温泉」にまで塩素を入れろとは、何を考えているのか!

すでに、愛媛の道後温泉、兵庫の有馬温泉が「掛け流し」であるにもかかわらず、塩
素を入れている。
西日本は全滅、全国都道府県の3分の2が、「塩素消毒」の軍門に下ったようである。

「名湯秘湯が消える」 TBS  http://www.tbs.co.jp/houtoku/
「現在31の都道府県がレジオネラ属菌対策の条例を義務づけていて、さらに今年度
中に9つの府県でも制定予定である、と日本地図が出る。
その地図を見たところ、残っているのは、青森県、福島県、群馬県、埼玉県、山梨
県、長野県、石川県しかないようだ。」(栃木もまだだったような・・・)

私のよく行く、長野、群馬、栃木はまだ無事のようであるが・・・

私は、「温泉原理主義」ではない。
やれ、成分・PHがどうの、ラジウムが、炭酸が、マイナスイオンが〜、リュウマチに
良い、美肌効果がある、ガンが治る、といったものに、ほとんど興味はない。
また、「掛け流しだけが本物」という立場にも立たない。

まあ、いろいろ違う泉質に入るのは楽しみにしているだけだが、
一律に塩素消毒してプールにしてどうすんねん。

「レジオネラ菌」は、ごく普通に土や水の中に生息している菌で、大量繁殖して、な
おかつ、体の弱っている人がやられる。お湯の入れ替えと浴槽の掃除によって十分に
防げるものである。

『温泉をプールにするな!一律塩素消毒反対!温泉文化を守れ!』
って、呼びかければ、日比谷野音くらい一杯になると思うが・・・

塩素使用は温泉の“プール化”につながる
http://nori.web.infoseek.co.jp/blog/archives/000055.html
愛媛新聞ニュース-道後温泉の塩素消毒「酸性化 効能奪う」 専門家ら批判
有馬温泉も“塩素汚染”

源泉かけながしネット
http://www.kakenagashi.net/
http://www.kakenagashi.net/archives/000021.html

レジオネラニュース
http://www.aquas.co.jp/doc/_search/news_search.php

旅館・公衆浴場等におけるレジオネラ症防止対策についてのホームページ
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/legionella/index.html

環境省の新しい動き 温泉施設の表示問題
http://www.kakenagashi.net/archives/000122.html

【温泉豆知識】

「温泉法」は、いい加減なものというか、業者保護のために、地下から出れば大抵温
泉として通用する。

「地中から湧出する温水、鉱水、および水蒸気、その他のガスで、温泉源での温度が
25℃以上のものか鉱水1Kg中に定められた量以上の物質が含まれているもの(温泉
法)」http://www.geocities.jp/gauss0jp/onsenhou.htm

「源泉掛け流し」〜「引泉循環方式」まで
http://www.kakenagashi.net/archives/000003.html
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松下竜一さんのこと(1) 投稿者:鍋山  投稿日: 6月20日(日)15時20分37秒

私のような「党派落ちこぼれ」にとっては、吉川勇一さんなどと並んで、
心の・・・ちょっと違うな、気持ちの拠りどころの一人でした。

はじめて松下さんを知ったのは、この柘植書房の本だった。

『もぐら道三〇〇〇日 三里塚管制塔被告 獄中の詩』
平田誠剛著/松下竜一氏序文
「 七八年三・二六成田空港管制塔を占拠し、八年にわたる獄中生活の中でつづった三
里塚戦士の泣き笑いの手記。豊前の松下竜一(草の根通信)との心あたたまる交歓を
底流に、三里塚での闘い、そこに生き続ける者たち、また逝った者たちへの限りない
想いをつづる。」

松下さんらの発行する「草の根通信」に、獄中の平田君の手紙が紹介されたことがきっかけで、
獄中での不健康な生活によって「痔」になった平田君と、ベテラン痔持ちの松下さんによる
「ともだ痔談義」が「草の根通信」に連載され、読者のヒンシュクをかった。(笑)
手元にこの本は無いですねえ。誰か、この序文を投稿して!

その後、『松下竜一その仕事』全30巻も刊行され、図書館で借りてほとんど読んだ。 

【図書館の話】
松下竜一さんの本は、多くの人に読み継がれているという。
狭い図書館なので、全集物は、1巻だけ書棚に置いて、2巻以下は書庫へ
入れ、リクエストがあれば引っ張り出すようにしている。一度、松下さん
の全仕事も、書庫に入れたが、リクエストが多く、全巻書棚に出したという。

図書館は、今、中高年であふれているが、松下さんの「暗闇の思想」や
「ビンボー三部作」が、老後の生活の一つのあり方として多くの共感を集めている。
さらに、NHKが、松下さん、洋子さんの暮らしを紹介したこともあって、
近年、自宅を訪ねる人も多かったと聞く。

「底抜けビンボー暮らし」 筑摩書房 1996年
「本日もビンボーなり」 松下竜一 築摩書房 1998年
「ビンボーひまあり」  筑摩書房  2000年
http://www2.saganet.ne.jp/nakaji/book2/matsushita.htm
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松下竜一さんのこと(2) 投稿者:鍋山  投稿日: 6月20日(日)15時19分42秒

『松下竜一その仕事』 全30巻 河出書房新社
http://www.kawade.co.jp/search/index.htm

1巻 豆腐屋の四季 
貧しさの底でひたぶるに生きる素朴な豆腐屋青年像。全共闘の時代に対極的な生活を
描いて熱狂的に迎えられた松下文学の原点。松下文学の根幹である、生活者の視点が
ビビッドに描かれている。松下竜一その仕事、注目の第一巻!

2巻 潮風の町
「鉛筆人形」「虹の通信」「絵を切る日々」「迷い子」「流れ星」「絵を」など、妻
や子供たちとのつましくたしかな日常をみつめ、童話的な空想をしのびこませた小さ
な物語たち――『豆腐屋の四季』に続くみずみずしい初期作品集。

3巻 いのちきしてます
〈いのちきをする〉とは、かつがつに生活するという意の方言――豊前火力発電所建
設に反対する地域に根ざした環境権裁判を起こし、ミニコミ「草の根通信」を発行す
る〈松下センセ〉の、底ぬけに明るく、おかしくも真剣な奮闘記。

4巻 ウドンゲの花
“日々のなんでもない出来事、書きとめねばたちまち泡のように消えてしまう心の波
紋、それでいてその積み重ねこそが生きることの懐かしさかもしれぬ、そんなひそや
かな日録”(「あとがき」より)として書かれた珠玉のコラム集。

5巻 小さな手の哀しみ
大分県中津で、火力発電所建設に反対する豊前環境権裁判を闘う著者と仲間たち。そ
れを支えるミニコミ『草の根通信』連載の、「一見軽薄に過ぎるとはいえ、これが一
地方作家の哀切にして真実なる『私記』である」(前口上より)

6巻 あぶらげと恋文
「二十代前半の日記をおおうのは苦しみと哀しみの記述が大半」だが「そこに見られ
る感情の波動の大きさこそがまぎれもなく青春期の特質なのだ」と著者自身がふりか
える、『豆腐屋の四季』に先立つ若き日(1958年?60年)の記。

7巻 右眼にホロリ
ミニコミ誌「草の根通信」連載の〈松下センセの哀切にして滑稽なる生活記〉第3冊
め――身辺のことを淡々とつづりながらも〈かつて存在しなかった形の「たたかう文
学者」〉(落合恵子)であり続ける著者の面目躍如たる奮闘記。

8巻 母よ生きるべし
六十三歳で末期の肺ガンと診断された洋子の母。残された命はわずか半年という信じ
られない医師からの宣告。母には告知せずに徹底的に家族全員で寄り添っていこうと
決める。奇蹟を願ってかなわなかった一年半の懸命の看病記。

9巻 ありふれた老い
八十五歳で倒れた“平凡なる庶民を絵に描いたような父”――在宅、老人ホームの
ショートステイ、入院と二年にわたる介護の日々と、無口で頑固だった父の“憶い
出”、父をめぐる“家族の風景”をつづった松下家“老人問題”の記。

10巻 底ぬけビンボー暮らし
ミニコミ「草の根通信」連載随筆、待望の最新版。『豆腐屋の四季』から20年、第一
期全10巻の掉尾を飾る松下家の風景。1990年の年収120万――ところがどっこい“貧
乏”ならぬ“明るいビンボー”を楽しむ松下センセの奮闘記。

11巻 風成の女たち
大分県臼杵湾のセメント工場進出にともなう埋め立てに反対して、企業や行政と激し
く闘った小さな漁村、風成の女たちの海を守る闘いの記録。松下氏にとって記念すべ
きルポタージュ第一作。(第二期)ノンフィクション。

12巻 暗闇の思想を
1972年に始まった周防灘総合開発、豊前火力発電所建設反対運動のドキュメント。自
らが運動の渦中に立ち、その行動を記録していく。発電所建設に反対する論理を求め
ての記録。

13巻 五分の虫一寸の魂
裁判所が認知しない〈環境権〉を掲げて、豊前平野の市民七人が裁判を展開。弁護士
にも頼れない素人集団のおかしくも哀しい失敗の数々は、そのユニークさから評判と
なった。虚と実をないまぜてのユーモラスな法廷奮闘記。

14巻 檜の山のうたびと
歌人仲間から贈られた『定本・伊藤保歌集』を手がかりに、熊本の菊地恵桐園で生涯
を終えたハンセン病のアララギ歌人伊藤保の生きた軌跡をたどった評伝。
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松下竜一さんのこと(3) 投稿者:鍋山  投稿日: 6月20日(日)15時17分58秒

15巻 砦に拠る
下筌ダム建設反対の鬼と化し、ダムサイト予定地に壮大な蜂ノ巣城を築いた室原知幸
氏――国家と拮抗してついに屈することのなかった彼の強靱な意志と陰翳に富んだ人
間像を描いた長篇ノンフィクションの雄篇。

16巻 疾風の人
観光客で賑わう大分県中津市の福沢諭吉邸の隣に、ひっそりとして寂しい増田宋太郎
の邸跡の公園がある。諭吉への対抗意識を抱きながら、幕末維新を疾風のように駆け
抜けた草奔の人・増田宋太郎の評伝。

17巻 ルイズ 父に貰いし名は
大杉栄と伊藤野枝の四女である、伊藤ルイさんの半生を辿るノンフィクション。それ
はそのまま〈昭和〉を辿ることでもあった。第四回講談社ノンフィクション賞を受賞。

18巻 久さん伝
〈久さん〉の愛称で仲間に慕われたアナキスト和田久太郎。大杉栄と行動を共にし、
大杉の仇を討とうとして戒厳令司令官陸軍大将福田雅太郎を狙撃して失敗。獄中で縊
死をとげる。哀切な思いを込めて描く〈久さん〉の評伝。

19巻 憶ひ続けむ
和歌をたしなむ一人の平凡な母は、しかし二人の息子の戦死を知ってから、(是れに
増す悲しき事の何かあらむ亡き児二人を返へせ此手に)と痛哭の歌を読み始める。無
数にいたであろう母を記録したノンフィクションの傑作。

20巻 記憶の闇
1974年に発生した甲山事件の犯人として刑事裁判の被告とされている山田悦子さんに
寄り添い、第1審判決を前にしての、これが冤罪であることを告発しマスコミを騒然
とさせた作品。1、2審の無罪を経て1999年9月29日完全無罪判決が出た。

21巻 私兵特攻
1945年8月15日正午に日本の敗戦が決まったが、それを承知で第5航空艦隊司令長官宇
垣纒は慧星11機を率いて大分飛行場から沖縄へ出撃した。歴史の秘話「最後の特攻
隊」を追うノンフィクション。

22巻 狼煙を見よ
三菱重工業本社をはじめ一連の企業爆破事件を起こして逮捕された「東アジア反日武
装戦線《狼》部隊」――何故彼らはそのような行動に走ったか、主犯とされる大道寺
将司の軌跡を追うノンフィクション。

23巻 怒りていう、逃亡には非ず
刑事犯として長い獄中生活をおくっていた泉水博は、突然日本赤軍のハイジャックに
よる人質交換要員の一人として指名される。中東で日本赤軍コマンドに転じた彼の数
奇な運命の流転を追ったノンフィクション。

24巻 汝を子に迎えん
行きずりに三人を惨殺し、自らを死刑にしてくれ、とうそぶく若者――その心の傷の
深さにたじろぎながら、光の中へ導こうと格闘する一女性を描くノンフィクション。
ついに彼女は殺人犯である彼を養子に迎える。

25巻 5000匹のホタル
今もなお多くの少年少女たちに読み継がれているこの小説は、初めて中学生に向けて
書かれた長編小説。大分市にある聾児施設と、竹田市の〈ホタルのおじさん〉との交
流実話にもとづいて、耳の聴こえない子供たちの実態を描出。

26巻 まけるな六平
第三期、未来を創る物語の第二弾。大分県中津市――福沢諭吉の旧邸がある福山公園
に集う少年たちの物語。この公園の近くに居住する作者の中学時代の思い出を、児童
小説として再現している。

27巻 ケンとカンともうひとり
もうひとつの小さな命の誕生を待つ幼い兄弟、ケンとカンを中心とした物語――1978
年妹杏子誕生。小学生上級向け小説ではあるが、大人たちにも是非読んでほしい、生
命の不思議さを問う小説。

28巻 あしたの海
福岡県豊前市の明神海岸を埋めて建設される火力発電所の反対運動を始めてから出
遇った梶原得三郎さん――氏は逮捕され獄中へ。そして海は開発の美名のもとに殺さ
れる。梶原さんの娘さんの眼を通して書かれた中学生向け小説。

29巻 小さなさかなや奮戦記
著者の親友梶原得三郎氏と和喜子夫妻がいとなむ小さなさかな屋を舞台に、そこに出
入りする人々が様々な出来事を繰り広げる顛末を描いた市井の物語。

30巻 どろんこサブウ
埋立ての進む東京湾の一角に谷津干潟はある。ゴミに埋もれて滅ぼされようとしてい
たこの干潟を、たった一人で黙々とゴミを拾いつづけて、ついに守り抜いたサブウこ
と森田三郎さんを描いた、愛と感動の児童向けノンフィクション。
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