四トロ同窓会三次会 2004年9月24日〜29日
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結局のところ 投稿者:SRA 投稿日: 9月29日(水)14時08分2秒
あなたがたのゴタクというものは、実は闘うことへの恐怖の表明にすぎないのではないかと
思うんですが気のせいでしょか?
要するに他人がしていることへの非難や小言だけでしょ。「じゃあどうすりゃいい?」という
問いには固く口を閉ざす。恥ずかしくないかい?
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なんか無内容化してきたなぁ 投稿者:SRA 投稿日: 9月29日(水)13時56分36秒
>もっとも、ボリシェビキが政権執った、独裁に成功したからって、大衆がボリシェビキを支持していたことの
>証明にもなりませんがね。
だからその通りだと何度も言ってるんでけどね。だからこその独裁なんだと。
ここで問題になているのは「大衆」一般についてではなくて、「蜂起参加
者」の意識についてでしょう?
何度も同じこと説明してるんですけどねー。わざとですか?
>ボリシェビキは、スターリンを民族問題のエキスパートとして選んだ。
いよいよもって「選んだ」ことぐらいにしかその「責任」の根拠を見い出しえなくなったということですか?
しかし、それを言えばキリがないでしょう、ということぐらい気づいて下さいね。
>どこかで読んだ話なんですが、毛沢東が中国語をローマ字に代えようとしたら「やめとけ」と言われた
>そうです。SRA氏よりよっぽど民族問題・言語問題に精通してますね、スターリン(笑)
あなたよりもね(笑)
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あなた自身はチェチェン問題をどのように解決するべきとお考えですか? 投稿者:SRA 投稿日: 9月29日(水)13時34分54秒
>レーニンが倒れた1922年の時点で、ボルシェビキズムは「終わった」という説ですかね?
思想としてのボルシェビズムが「終わった」のではなく、党とソビエトの
スターリン主義的変容が「始まった」
ということです。
>そんなとんでもないガラクタ残して倒れたレーニンも無責任なやっちゃって話?
スターリン主義はレーニンが「残した」ものではなく、党という革命の主
体とそれに代表されるソビエト権力を
一手に獲得したスターリンが、革命の困難性に屈服するなかで生起せしめ
た特殊歴史的な疎外態です。
>つーか、そんな「5年しか持たなかった」ようなもんを参照してどおなるというのかと思いますが(W
年数は問題ではありません。そういうことをいったら二月革命もパリコミ
ューンも参照することになんの意味もない
ものであるということになってしまうでしょう。
>まあ、アルメニアの民族運動なんかはボルシェビキはずっっと弾圧しっぱなしだし、
当時の「アルメニアの民族運動」なるものが、隣国イランにおいて軍を展
開し、革命の圧殺を目論む英帝と一体のもの
であったことは「弾圧」されるに正当な理由であったと思いますが。
>1918年の時点からウクライナ革命軍は蜂起してたし
その蜂起にいかなる展望があったというのですか?アナキスト流の無方針
な内戦が結果的に人民を苦しめることに
なったということは歴史の事実であると思いますが。
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一点のみ 投稿者:dk 投稿日: 9月29日(水)12時06分21秒
ロシア革命のは、そのうち。
ただ、エマ=ゴールドマン、SR左派問題について
> つまり、それらのような政治的悪意に満ちた実例をいくら持ち出されたところで、蜂起に参加した党指導下
> の人民がプロレタリア独裁に反対していたなどということの証明になどならないということです。
^^;
こんな都合のよい大衆理解と大衆不信。スターリン主義者ぐらいしか今時しないでしょうね。
そもそも論争をしようという人の態度じゃない。
右翼・反動の言うことだから無視。ボリシェビキに敵対しているグループの言うことだから論外。
革命党派は誤謬なんですね。いやはや不破もびっくりですな(笑)
もっとも、ボリシェビキが政権執った、独裁に成功したからって、大衆がボリシェビキを支持していたことの
証明にもなりませんがね。
−−−
スターリンってレーニンに言われて『マルクス主義と民族問題』という著書(スターリン初の著作)
をものしてたと思うんだけど。民族人民委員(民族問題担当)だし。
ボリシェビキは、スターリンを民族問題のエキスパートとして選んだ。そのことにレーニンもボリシェビキも
責任はない、全てスターリンによる歪曲だと言い切るわけですね。こんな都合の良い議論はないですわ。
どこかで読んだ話なんですが、毛沢東が中国語をローマ字に代えようとしたら「やめとけ」と言われた
そうです。SRA氏よりよっぽど民族問題・言語問題に精通してますね、スターリン(笑)
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ではなんですか、 投稿者:黒目 投稿日: 9月29日(水)10時41分20秒
レーニンが倒れた1922年の時点で、ボルシェビキズムは「終わった」という説ですかね?
そんなとんでもないガラクタ残して倒れたレーニンも無責任なやっちゃって話?
つーか、そんな「5年しか持たなかった」ようなもんを参照してどおなる
というのかと思いますが(W
まあ、アルメニアの民族運動なんかはボルシェビキはずっっと弾圧しっぱ
なしだし、
1918年の時点からウクライナ革命軍は蜂起してたし(まあ、SRA氏の
式だと、民族運動じゃないから反革命だとかそおゆう事になるのかもしれ
ませんが(W)、レーニンはこの辺ではまだまだ生きているわけですが。
というか、ロシア革命を「レーニンが生きていた時のボルシェビキ」とい
うひとつの視点からしか見ないSRA氏の把握こそが、無茶苦茶に大雑把な
んですが(W
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それはスターリン主義の犯罪です 投稿者:SRA 投稿日: 9月29日(水)08時28分16秒
あなたの言うような各事象は、勝ち取られた過渡期における労働者権力がスタ−リン主義によって
歪められた結果生じた不幸です。
スターリン主義=ボリシェビズムなどという大雑把な理解では民族問題を正しく理解することなど
できませんよ。民族自決権を最後まで守ろうとしたレーニンの闘いについては御存じないですか?
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既に 投稿者:黒目 投稿日: 9月29日(水)07時20分37秒
ボルシェビキが「民族主義的偏向」と称して、民族解放闘争を抑圧してき
た歴史を指摘しておるわけですが。
別に共産主義者が「あらゆる帝国主義に対する闘いを支持」してきたわけ
では全くない、という事実も、既に見てきた通りです。
つーかSRA氏によって裏書きされているわけですが(W
つーかSRA氏は今まで言ってきた事が整合性あると自分で思っているわけ?
それはちょっっとアレなんじゃないか?(W
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何度も言ってることなんですが 投稿者:SRA 投稿日: 9月29日(水)07時08分40秒
1.共産主義者はあらゆる帝国主義の暴虐に反対する。
2.であるがゆえに、共産主義者はあらゆる民族解放闘争を支持する。
と、このように整合します。
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だからそういう 投稿者:黒目 投稿日: 9月29日(水)07時00分5秒
チェチェンの道理と、SRA式のボルシェビキズムとがどのように整合する
のか、と繰り返し聞いておるわけですが。
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つとむさんへ 投稿者:SRA 投稿日: 9月29日(水)06時38分42秒
テロとは「大量殺戮だ」と言って、それを非難することはたやすいことですね。
しかし、考えてみてください。あなたがもしチェチェンに生まれ育ったとして、突如銃をもった他民族に
家を襲撃され、眼前で妻が強姦され、子供の腹は引き裂かれ、親類や友人、隣人までもが見境なく殺
される光景を目の当たりにしたとしたら、あなたはそれを黙って許すのですか?
チェチェン人は10年以上に渡ってそうしたリアリズムのなかに居るです。当然にもチェチェン人は
その国家犯罪からの救済を、声を最大限にして世界に訴えてきた。しかし、我々の世界はそれを黙殺した。
であるならば、チェチェン人であるあなたは、いかなる手段によって家族、友人、そして自らを救うこと
ができると考えるでしょうか?
敵は剥き出しの暴力そのものです。圧倒的な重火器、爆撃機、戦車で武装した訓練された軍隊です。
あらゆる命乞いも通用しない敵から身を守り、さらに敵の邪悪な意志を打ち砕くことができるのは、
悲しいかなやはり暴力による以外にはないというのがチェチェン人のおかれた現実というものです。
しかし、あなたはといえば、銃などには触ったこともない上に、運良く銃が与えられたとしても古びた
カラシニコフ一丁であるとしたら、どのような戦いかたをしますか?
正面から戦車に肉弾戦を挑みますか?音速で飛ぶ戦闘機めがけて機銃掃射の雨のなか空にライフルを
乱射しますか?。
圧倒的物量を誇る正規軍に対して非力な非正規軍が唯一拮抗しうる戦いかたはゲリラ=テロによるほか
はないということはもはや常識ではないでしょうか。それが戦争である以上、テロによって引き起こさ
れる現実も目も背けたくなる残酷さを伴うものであるということは、当然結果しうる現象であるとしか
いいようがないということです。
しかしだからといって、あなたは、次々と家族、友人が殺されてゆくなかにあっても、それが「空想的」
な手段であると知りながら、ただただ「国際社会に訴え」つづけるだけにとどめることができますか?
手段としてのテロがプーチンを追い詰めていることは明らかな事実です。いかなる弾圧によってもテロ
を「根絶できない」ということは今やあらゆるロシア人の知るところです。
チェチェン人は世界中の誰によってでもなく、自らテロという手段を選ぶことによって勝利しようとして
いるのです。
いくらあなたがチェチェン人に「テロはやめろ」と大上段からお説教したとしても、彼らにとっては
「ただ黙って殺されていろ」というようにしか聞こえないということです。
今頃になってそんな寝言を言う日本人のセンス!平和ボケもここに極まれりというほかはありませんね。
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ロシア革命史を何万回検証しようと… 投稿者:つとむ 投稿日: 9月29日(水)01時14分38秒
オセチアの子供達を大量殺戮して威張っている「正義」を、「レーニン主
義」だの「ボルシェビキ主義」だのを引き合いに出して鼓吹し、「党の指
導性」を説く方々が創る「革命党」であれば、僕はこれから喜んで彼らの
反革命の側に立とうと思う。
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一体誰が右よりか 投稿者:スパルタコス(丸人) 投稿日: 9月28日(火)22時25分57秒
分からなくなってきた。ある所で右寄りの印象を持つ人がまた別の所で
は、はるかに左寄りだったりするという。
SRAという人も最初の印象より意外と知識があるという事は分かりまし
た。高度なレスの展開を見るのは、見るだけでも大変です。チェチェンに
ついては、ロシアにはチェチェン以外にもタタール、チェルケスなど多く
のイスラム教徒の民族がいるのだから、イスラム教徒だから楯突いている
訳でないのは言うまでもない事で、何故チェチェンなのか、もっと深い研
究をしたいと思います。
分離独立運動は難しい問題を突きつけます。仮にチェチェン、ウイグル、
チベット、クルド、アチェー、パプアが独立したら、ロシア、中国、トル
コ、イラン、インドネシアといった国は国が分裂する訳です。これは大変
な事な訳です。国が分裂して喜ぶ国はどこにもない。多分、ブッシュがロ
シアやトルコ、イラク、インドネシアのトップだったとしても、プーチン
やフセイン、メガワティと同じ事をやっていたでしょう。国家というもの
は、基本的に社会主義、「労働者・農民が主人」を掲げていても、実態は
巨大な利権集団ですから、一つの国家が一つの国家から独立するというの
は半端な事やないと思います。それは厳しい命懸けの問題です。「独立す
るなら死ね」これがある所のほとんどの国家の基本でしょう。別にロシア
人全てがソ連崩壊に納得した訳ではなく、ボスニアでもコソボでもアフガ
ンでもイラク(フセインは反米英親露中仏独)でも、ソ連・ロシア側が追
い込まれ米軍が駐留していった。ロシアとしては何としても、ここで巻き
返して旧ソ連の勢力圏を取り戻す必要がある。チェチェンからまで撤退し
たら、ある意味終わりだと考えているからこの戦争は凄まじい訳だ。プー
チンはやはりビタ一文チェチェンに譲歩する気はないようですね。
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それって・・・ 投稿者:黒目 投稿日: 9月27日(月)15時43分58秒
チュチェ思想やん(w
>これまでのどのような社会とも異なる、人間の目的意識性に立脚する社
会を構築しようと目論む者こそ共産主義者なのであり、それへ向う闘いも
マルクスの学説的な裏打ちに基づく目的意識性に貫かれていなくてはなら
ないのです。
>
マルクスを将軍様に置き換えれば(w
スルタン・ガリエフは本買わなくても多少は情報ありますが、
http://www.tabiken.com/history/doc/J/J360R100.HTM
レーニンは24年まで生きていましたが、ボルシェビキの方針なり政治的
責任なりというものは、レーニンという個人の生物的生死によって左右さ
れるもんやったんか・・・・・
まあ、チュチェ思想なら、その「目的意識」の生物的源泉の生死は重大問
題だけどね(W
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dkさんへ4 投稿者:SRA 投稿日: 9月27日(月)14時53分12秒
>SR右派とSR左派を区別しない暴論にしか見えませんね。
今ここで問題にしているのは、それまでSRを支持してきた農民層の意識についてであり、SR左派なるもの
が蜂起直前のソビエト大会においてSR代議員の都市部における場所的な内部的動揺の結果生じたものである
ということに鑑みれば、それがただちに農民全体の意識に反映したはずだなどと考えるほうが不自然という
ものでしょう。もちろんレーニン自身がそれを強弁して憲法制定議会を解散させたことについて、私は反対
するものではないということはすでに述べました。
>山内の「スルタンガリエフの夢」で展開されていることは、(宗教的)民族解放と社会主義革命をつなげようと
>したスルタンガリエフが、ボリシェビキの支持を得られず粛正されていく悲劇についてです。
もとよりボリシェビキが無謬であるなどというつもりは毛頭ありませんが、スルタンガリエフの粛清について、
すでにその時レーニンが自らの健康問題からその責任を問われるべき立場には居なかったということはいえる
でしょう。民族問題についての理論的深化は大いに歓迎されるべき事象であると考えますし、あなたが山内某
のような反共宣伝にそれを利用しないというのであれば、ここでの議論も非常に実りの多いものになるであろう
と期待しています。
>あなたの見解としては正しいのですが、
>「じゃあボリシェビキはどーだったんだよ」
>に全く解答していないことになりますよね。
宮地氏のサイトに詳しいと思いますが、22年に最初の発作を迎えて以降、レーニンが事実上政治指導から
身を引かざるを得なくなってから、スターリンが権力の纂奪へ向う過程については同じボリシェビキの行い
であったとしても厳密に区別して分析されるべきであると考えます。スターリン主義の発生の原因については
私自身、正直に言って確たる結論を得るには至っていないので、その点皆さんの御意見を拝聴したいと考えて
います。
>そして、反動が書いてる文章なんぞ読まないなどという立場は、明らかに歴史に対する冒涜であり、
>マルクス主義者の態度として正しいのですか?
ですから「読まない」などといつ私が言いましたか?とりあえずAmazonで注文はしましたので御心配には
及びません。スルタンガリエフについては読後にまたということでお願いします。
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dkさんへ3 投稿者:SRA 投稿日: 9月27日(月)14時52分40秒
>脈絡外とこれを読んでしまうのはさっぱりわかりませんね。
>労働者に支持されたまでだろうが、と言っているだけです。
整理させていただきますと、あなたはまず、
>少なくとも民衆の中に「臨時政府を打倒しない限り、戦争は終わらない」という意識があり、
>そこに確かな政治的方針を提起できたからボリシェビキが勝利できたわけでは?
>どちらに重きを置くかですが、マルキシストなら後者じゃないとまずいんじゃないの?
と、仰った。つまり、革命が生起したのは当時のロシア大衆のなかに「政府を打倒」すべしという意識がに
すでに蔓延していたがゆえに、党がそれをスローガンとして提起するのみで革命は勝利することができたと
いう見方をなさった。それ対して私は、
>「せっかくツァーリが倒れて誕生した政府なのだから、打倒するのでなくその枠内で戦争終結に
>向うよう努力すべきなのでは」と大多数の人民は考えていたはずです。「十月」以前においては
>ボリシェビキ党内の大勢もそう考えていたぐらいですから、レーニンの提起がどれほど人々の
>度胆を抜くものであったかが想像できるでしょう。
と、私の知るところの当時の客観情勢について述べ、あなたの見解が事実と異なるのではないかということ、
つまり、レーニンが帰国して十月に至るまで、多くの大衆だけでなくボリシェビキ党内においても蜂起=政府
の打倒に反対する者が多数存在していたというのが実際ではないか、と主張しました。
それに対するあなたの答えは、
>当時のロシアにどれほどの「労働者」がいたか理解されてますか?
>だからこそ4月テーゼであり、労農独裁なんでしょうが。
というものであった。脈絡を遮断して、当時のロシアが非常に遅れた帝国主義であり、その数において農民
が労働者を大きく上回っていたという事実、であるがゆえの労農独裁という特殊な契機の必要性について
突如分かっているふうなことを言い始めた。
あなたは「政府の打倒」という意識がすでに大衆に蔓延していて、ボリシェビキはそれに追随したにすぎないと
主張なさる一方で、農民の多くはSRを支持していたということ、つまり「政府の打倒」などというレーニンの
方針を支持するものではなかったという、あなたの意見とは相矛盾する歴史的事実を論議の過程で思いだして
しまったがゆえに、自らそれを分かっているふうに脈絡なく持ち出すことでその早合点を誤魔化そうとしてした
にすぎない、ということですね。
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dkさんへ2 投稿者:SRA 投稿日: 9月27日(月)14時51分48秒
>自然発生的な意識を重視する、と言っているまででそれこそがマルクス主義者的立場なんじゃない?
ですから、大衆の「自然発生的意識を重視する」だけでは「マルクス主義的立場」であるとは言えない
ということです。
これまでのどのような社会とも異なる、人間の目的意識性に立脚する社会を構築しようと目論む者こそ
共産主義者なのであり、それへ向う闘いもマルクスの学説的な裏打ちに基づく目的意識性に貫かれて
いなくてはならないのです。
ブルジョアイデオロギーの枷から自由でない労働者大衆は、いるがままでは、自らが実は資本の奴隷
そのものであるということすら理解することができないのであり、ましてプロレタリア革命こそが全人民
解放の唯一の水路であるなどということを知り、かつその方法に思いいたることはできないという現実を
まず我々は認めなくてはならないのです。
職業的イデオローグ、職業的扇動者を有する前衛党というものを媒介することなしに労働者大衆は革命の
主体として立ち現れることはできないのであり、その点を一切曖昧にしなかったレーニンであったればこそ
唯一、革命に勝利することができたということなのです。
>ボリシェビキが無ければ、他の党が代行するなり、他党内部にそういう集団が形成されるなり、あるいは
>別党が結成されたと考えるまでです。
では、1917年当時のロシアにおいてボリシェビキ以外のどの「他の党が代行する」ことができたとお考
えなのですか?
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dkさんへ 投稿者:SRA 投稿日: 9月27日(月)14時50分16秒
>>「十月」に向ってボリシェビキは、既成の国家機構の粉砕と、独裁機構との置き換えの必要性を文字
>>どおり提起していたのであり、ボリシェビキを支持し、その指導と計画のもとに一斉武装蜂起に参加
>>した労働者人民はそれをもろとも支持していたと考えるのが当然ではないでしょうか。
>エマ=ゴールドマンなどのアナキストグループはなぜ支持したのですか?SR左派は?
>ボリシェビキ支持ではありましたが、臨時政府をボリシェビキ独裁にするつもりはなく、
>人民の支配を目指して参加していたのであり、その点はおかしいのでは?
エマ・ゴールドマンなどがいう人物が、革命にいかなる貢献をしたというのですか?彼女らは
単に情勢の激動に逡巡し、革命の周囲をただうろついていただけの政治屋にすぎないのであって、いわんや
蜂起の参加者であるはずもなく、その「支持」なるものは「ただ言うだけ」以上のものではないのであって
検討にすら値しないことは明らか、とでも言っておけばよいしょう。
SR左派とて自らのセクト的利害に固執するあまりプロレタリア独裁に対して結果的にあくまで反対する動揺
分子以上のものではなかったことは歴史の証明するところですね。
つまり、それらのような政治的悪意に満ちた実例をいくら持ち出されたところで、蜂起に参加した党指導下
の人民がプロレタリア独裁に反対していたなどということの証明になどならないということです。
あなたの議論は「『禿げた』とは頭の毛が抜け落ちたことであるならば、毛が一本だけでも抜けたらそれを
『禿げた』と言うのか?」というようなチャイルディッシュなお喋りと同様のものですね。
>>7月弾圧によってフィンランドに逃れたレーニンが、何故そこで「国家と革命」を急遽執筆する必要に
>>迫られたのかということを考えてみてください。
> 研究者の中でも、最もアナキスト的な文献という評価があったと思いますが。
>国家の廃絶について語った文献だと思っておりましたが。
>だからこそアナキスト達も合流できたんでしょう。
もはや笑うしかないとはこのことですね。あなたによると「国家と革命」は共産主義者のアナキストとの和解の
書だというわけなんですね。レーニンはアナキストと合流するために急遽亡命先で「国家と革命」を執筆した(!)
と仰るわけですね。このような珍説を奉じる御仁と「革命論議」を交わしていたのかと思うと脱力を禁じえませんが、
行きがかり上放置もできないので、以下「国革」から若干引用して論駁させていただきます。
「マルクスは、無政府主義者に反対して、つぎのような、このうえなく鋭い、また、このうえなく明瞭な問題提起を
選んでいる。労働者は、資本家の束縛を断ち切るさい、『武器を棄てる』べきか、それとも、彼らの反抗を打ち砕く
ためにそれを彼らにむかってもちいるべきか、と。ところで、一階級が他の階級にむけて系統的に武器をもちいること、
それは国家の過渡的形態でなくてなんであろうか?」(第四章2)
この一文からも明らかなように、「国革」のもっとも重要な論旨のひとつは、十把一絡に国家を廃絶しろという無政
府主義者の主張を粉砕し、国家の過渡的形態としての武装したプロレタリア独裁の必要性をこそ広く人民に知らしめ
なければならない、ということにあったのであり、決してアナキスト流の無責任な反権威主義にボリシェビキを同化
せしめようとしたなどということではない、ということです。
一度でも「国革」を通読したことがあるならば、そのような荒唐無稽な解釈などなし得ないであろうことは明らかで
あり、白を黒と言い含めんがごときその厚顔は日共不破をも上回るものであると言わざるを得ません。
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なんだかねえ。 投稿者:黒目 投稿日: 9月26日(日)14時05分4秒
民族共産主義者の闘いも、アナキストの闘いも、一時的には「共産主義者
に賛美」され、そのうちぶち殺されたという歴史が既にある、と指摘して
んですけどね(w
別に山内がどう転んだからといって、スルタン・ガリエフという存在が消
えて無くなるわけでもなんでもないんですが。
そんなに同じネタで何度も騙されるアホはいないと思われ。
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つづき 投稿者:dk 投稿日: 9月26日(日)11時03分46秒
"dkさんへ(続き)" SRA wrote:
> プロレタリア革命は共産主義者の党によって指導されることなくしてはありえない。
> 民族解放闘争は、例えそれが共産主義者によって指導されていなかったとしても、共産主義者はそれを
> 支持する。
> これ以上単純明解な議論はないでしょう。
>
> >私が言った山内の「スルタンガリエフの夢」ぐらい読んでから出直してきて下さい。
>
> その山内なる人物が、MRTAによる日本大使館占拠に対して、皆殺しをもってのぞんだフジモリを評して
> 「将の将たる器」と賞賛したり、日帝の有事法制策動にもろ手をあげて賛成するド反動だということは、
> もはや業界では常識だと思っていましたが・・・。あまりそういうシロモノに依拠されるのもどうかと
> 思いますよ。まあヒマができたら読んではみましょう。
これが完全に矛盾していること、理解しているでしょうか?
山内の「スルタンガリエフの夢」で展開されていることは、(宗教的)民族解放と社会主義革命をつなげようと
したスルタンガリエフが、ボリシェビキの支持を得られず粛正されていく悲劇についてです。
つまり、あなたが言っている
> 民族解放闘争は、例えそれが共産主義者によって指導されていなかったとしても、共産主義者はそれを
> 支持する。
は、あなたの見解としては正しいのですが、
「じゃあボリシェビキはどーだったんだよ」
に全く解答していないことになりますよね。
また同時に「レーニン最後の闘争」で描かれている問題はいかがお考えですか?
メンシェビキに指導されているという一点を持ってグルジアにおける民族解放闘争・社会主義革命に
水をぶっかけたのは、まさしくボリシェビキではなかったのですか?
そして、反動が書いてる文章なんぞ読まないなどという立場は、明らかに歴史に対する冒涜であり、
マルクス主義者の態度として正しいのですか?
> >どこぞの新左翼内部での議論をそのまま引き写されてるのかも知れませんが、いい加減な印象と
> >解釈なんかクソ食らえです。
>
> その言葉そのままお返しいたします。
私の立場を書いておきましょう。
ロシア革命に関しては、私は独学です。新左翼団体内部で論争したことなぞありません。
(おまけ)
> ボリシェビキの方針は、地方の農民層に理解されていなかったですからね。
> 都市ではボリシェビキの圧勝で、メンシェビキもそれなり。
これの間違いぐらい指摘して下さいよ^^;
自分で訂正です。メンシェビキが勝利でしたね・・・。
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Re: dkさんへ 投稿者:dk 投稿日: 9月26日(日)11時02分10秒
"dkさんへ" SRA wrote:
> 「倒してしまう」ことを目論むならば、「倒したものを何と取り替えるか」という問題意識
> をともなって当然であると思いませんか?
> 「十月」に向ってボリシェビキは、既成の国家機構の粉砕と、独裁機構との置き換えの必要性を文字
> どおり提起していたのであり、ボリシェビキを支持し、その指導と計画のもとに一斉武装蜂起に参加
> した労働者人民はそれをもろとも支持していたと考えるのが当然ではないでしょうか。
エマ=ゴールドマンなどのアナキストグループはなぜ支持したのですか?SR左派は?
ボリシェビキ支持ではありましたが、臨時政府をボリシェビキ独裁にするつもりはなく、
人民の支配を目指して参加していたのであり、その点はおかしいのでは?
> 7月弾圧によってフィンランドに逃れたレーニンが、何故そこで「国家と革命」を急遽執筆する必要に
> 迫られたのかということを考えてみてください。
研究者の中でも、最もアナキスト的な文献という評価があったと思いますが。
国家の廃絶について語った文献だと思っておりましたが。
だからこそアナキスト達も合流できたんでしょう。
> あなたは、「武装蜂起はボリシェビキの目的意識性に媒介されたものなどではなく、『臨時政府を打倒
> しない限り、戦争は終わらない』という民衆一般の自然発生的な意識の結果である」と主張なさいました。
これは誤読でしょう。
自然発生的な意識を重視する、と言っているまででそれこそがマルクス主義者的立場なんじゃない?
と言っているのです。
基盤がないところで空文句をいくら言っても無駄だと言っているのです。
党なりグループ、あるいは個人の「指導」や「方針」なく運動なり革命が成立しないということは当然ですが、
それにもましてそれを支持する大衆の意識が無ければ「指導」「方針」は成立しない、と述べているまで。
あなたはボリシェビキなどの党がなかったら、といってますが、それは間違いである、と述べているだけです。
ボリシェビキが無ければ、他の党が代行するなり、他党内部にそういう集団が形成されるなり、あるいは
別党が結成されたと考えるまでです。
つまりレーニンがいなければ、別の「レーニン」が出てきたはずだと考える思考法こそが唯物史観じゃないの?
とお伺いしているまでです。
> それに対するあなたの答えは「当時のロシアにどれほどの「労働者」がいたか理解されてますか?だから
> こそ4月テーゼであり、労農独裁なんでしょうが」などという脈絡外の「解説」であるにすぎなかった。
脈絡外とこれを読んでしまうのはさっぱりわかりませんね。
労働者に支持されたまでだろうが、と言っているだけです。
ボリシェビキはあくまでも労働者の党でしかなく、そのために農民の支持がなかなか得られず、最後まで
それに苦しめられたのではないのですか?
> しかしながら、その事実は、あなたの主張する「民衆はいな
> がらにして臨時政府=SRケレンスキー政権の打倒を目指していた」などという見方がいかに荒唐無稽なもの
> であるかを示しているにすぎません。つまり、いくらそのような「解説」をしたり顔でなさっても全然反論に
> なっていないということです。
SR右派とSR左派を区別しない暴論にしか見えませんね。
> >革命成功の理由は、厭戦気分の兵士(農民)の組織化に成功したから
>
> 当然ながら「革命成功の理由」がそれだけにあるはずもないですね。
そんなことぐらい分かってますが(笑)
> >その指揮はペトログラードではトロツキー、モスクワではブハーリンが執ったわけでしょ。
>
> だから何だというのでしょうか?その時点で彼らがボリシェビキでなかったとでも?
彼らのような立場は、ボリシェビキでも左派であり、ボリシェビキ党員総体の意志だったか疑問なだけですよ。
そして、彼ら2人はソビエト議長職だったのであり、民衆に支持されていたのだということを指摘したまでです。
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dkさんへ(続き) 投稿者:SRA 投稿日: 9月26日(日)06時07分7秒
>数が正確な指示数を現していないということぐらいご存じですよね?
当時のレーニンが「名簿は分裂前のものであるから正確でない」と主張することの政治的意義については
十二分に理解しています。そのような口実(あえて口実と言います)をもって憲法制定議会を解散させた
ことはSRに政権のヘゲモニーを奪われないためには絶対必要な処置であったし、革命の観点からして全く
正しい方針であったということができるでしょう。
しかしながら、やはり憲法制定議会における得票は当時におけるロシア民衆の意識を反映したものである
ということもまた事実であり、「統一名簿問題」における政治的技術とは別個理解されなくてはならない
問題であると考えます。
>党が指導しているロシア革命は良い。
>党が指導していないチェチェンは悪い。
>なら論理通るんですが...これまでの議論ではそうならないはずですよね。
プロレタリア革命は共産主義者の党によって指導されることなくしてはありえない。
民族解放闘争は、例えそれが共産主義者によって指導されていなかったとしても、共産主義者はそれを
支持する。
これ以上単純明解な議論はないでしょう。
>私が言った山内の「スルタンガリエフの夢」ぐらい読んでから出直してきて下さい。
その山内なる人物が、MRTAによる日本大使館占拠に対して、皆殺しをもってのぞんだフジモリを評して
「将の将たる器」と賞賛したり、日帝の有事法制策動にもろ手をあげて賛成するド反動だということは、
もはや業界では常識だと思っていましたが・・・。あまりそういうシロモノに依拠されるのもどうかと
思いますよ。まあヒマができたら読んではみましょう。
>本腰入れてロシア革命史論争するなら受けて立ちますが、いい加減なこと言わないで下さい。
>どこぞの新左翼内部での議論をそのまま引き写されてるのかも知れませんが、いい加減な印象と
>解釈なんかクソ食らえです。
その言葉そのままお返しいたします。
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dkさんへ 投稿者:SRA 投稿日: 9月26日(日)05時58分37秒
>ええ、だから簒奪なんでしょうが(w
> 臨時政府の打倒を望んでいたが、別にプロ独(というかボリシェビキ一党独裁)を望んでは
>いなかったんじゃぁ・・・。
「倒してしまう」ことを目論むならば、「倒したものを何と取り替えるか」という問題意識
をともなって当然であると思いませんか?
「十月」に向ってボリシェビキは、既成の国家機構の粉砕と、独裁機構との置き換えの必要性を文字
どおり提起していたのであり、ボリシェビキを支持し、その指導と計画のもとに一斉武装蜂起に参加
した労働者人民はそれをもろとも支持していたと考えるのが当然ではないでしょうか。
あなたの意見に従うと、「蜂起参加者は、ただ臨時政府の打倒のみを目指してそれに参加したのであり、
ボリシェビキがまさか独裁を指向しているなどとは(わざわざそれを宣伝しているのも関わらず)つゆ
とも知らなかったはずだ」ということになってしまいます。
ひとことで言って、あなたの意見は、人民を無知蒙昧扱いするものであり、非常にムリヤリな思いこみ
の域を出ないものだということがいえるでしょう。
7月弾圧によってフィンランドに逃れたレーニンが、何故そこで「国家と革命」を急遽執筆する必要に
迫られたのかということを考えてみてください。
>>>少なくとも民衆の中に「臨時政府を打倒しない限り、戦争は終わらない」という意識があり
>>どれほどの「民衆の中に」そのような「意識が」あったかということが問題ですね。
>>ボリシェビキとそれに組織されたあくまで部分的な労働者の蜂起として「臨時政府
>>の打倒」は勝ち取られたのであり、とてもではないがそれが全「民衆」の意識であったなどと
>>は言いえないというのが実際ではなかったでしょうか。
>あぁ。
>当時のロシアにどれほどの「労働者」がいたか理解されてますか?
>だからこそ4月テーゼであり、労農独裁なんでしょうが。
あなたは、「武装蜂起はボリシェビキの目的意識性に媒介されたものなどではなく、『臨時政府を打倒
しない限り、戦争は終わらない』という民衆一般の自然発生的な意識の結果である」と主張なさいました。
それに対して私は、「そのような自然発生的意識などが人民全体を支配していたなどという事実はなく、
現実はむしろ『臨時政府の打倒を望まない』意見が大勢であった。ボリシェビキの宣伝・扇動をもって
はじめて部分的な人民がそれに共鳴し、武装蜂起=臨時政府の打倒が結果したのである」と反論しました。
それに対するあなたの答えは「当時のロシアにどれほどの「労働者」がいたか理解されてますか?だから
こそ4月テーゼであり、労農独裁なんでしょうが」などという脈絡外の「解説」であるにすぎなかった。
あなたに解説してもらうまでもなく、そのような各事象は承知のうえなのですが、だから何だというのでしょう?
当時のロシアが、労働者より農民の数がはるかに上回る遅れた帝国主義であったゆえに、SRは選挙において
多数を占めることができたということは事実です。しかしながら、その事実は、あなたの主張する「民衆はいな
がらにして臨時政府=SRケレンスキー政権の打倒を目指していた」などという見方がいかに荒唐無稽なもの
であるかを示しているにすぎません。つまり、いくらそのような「解説」をしたり顔でなさっても全然反論に
なっていないということです。
>革命成功の理由は、厭戦気分の兵士(農民)の組織化に成功したから
当然ながら「革命成功の理由」がそれだけにあるはずもないですね。
>その指揮はペトログラードではトロツキー、モスクワではブハーリンが執ったわけでしょ。
だから何だというのでしょうか?その時点で彼らがボリシェビキでなかったとでも?
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黒目さんへ 投稿者:SRA 投稿日: 9月26日(日)05時57分31秒
>その自然発生がどおたらというのとチェチェンのイスラム教徒の闘いは、どのように整合するのか
共産主義者は自然発生性そのものに罪があるなどとは考えません。「それでは足りないのだ」と
考えるにすぎないということです。
「整合する」も何も、共産主義者は帝国主義の抑圧に抗して闘っているあらゆる人民の闘いを賛美する
立場にあるにすぎない、ということですよ。チェチェン武装勢力はイスラム教徒であるがゆえにロシア
に楯突いているわけではありません。ロシア軍によって家族を、友人を殺され続けているがゆえに
彼らは自らの命をかけて闘っているのです。あらゆる民族解放闘争を宗教の違いなどに還元しよう
とする見方は、まさに帝国主義者のデマに毒された謬見そのものであると考えます。
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【北朝鮮帰還事業】 【55年段階から日本政府が工作】 1. 投稿者:鍋山 投稿日: 9月26日(日)00時39分47秒
【歴史をくつがえす発見です】
「55年段階から日朝の折衝が行われていた!」
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「北朝鮮帰還事業で新資料 政府や日赤の積極関与明らかに」 (朝日新聞
04.09.16)
在日朝鮮人9万人余が北朝鮮に渡った帰還事業(59〜84年)に先立
ち、日本政
府や有力政治家、日本赤十字が55年から赤十字国際委(本部・ジュネー
ブ)に積極的に働きかけていたことを示す秘密文書が、オーストラリア国
立大学のテッサ・モーリス・スズキ教授(日本史)の調査で明らかになっ
た。大量帰還をめざして日本の政治・行政が早い段階から主体的に関与し
ていたことが、文書で裏付けられた。
帰還事業は、帰った人が行方不明になったり「脱北」したりした実態が
後にわか
り、実施の経緯について議論がある。
文書は、赤十字国際委が秘密扱いを解き今年公開した。帰還事業は一般
に、58年の在日関係者の運動や北朝鮮政府の呼びかけなどで機運が高ま
り、それを受けて59年2月に日本政府が実施を閣議了解したと説明され
る。公開された文書は56年7月に国際委が帰還実現へのあっせんを提案
する以前のもので、この時期に日本の政治・行政が積極的に行動したこと
を示す資料はほとんど知られていない。
55年12月の国際委への書簡で島津忠承・日赤社長は「帰還が韓国と
の間に問題を起こさないなら、そしてそれが北朝鮮の赤十字でなく国際委
の手で遂行されるなら、日本側は全く異論はなく、むしろ期待を寄せるも
のである」と述べ、国際委の関与による大量帰還の実現を要望した。追伸
には「この書簡は日本の外務省と法務省の有力当局者の完全な了承を得て
いる」と書いていた。
56年1月の国際委への書簡で日赤の井上益太郎外事部長は、与党に帰
還支援を始める兆しがあり、「芦田均元首相や岡崎勝男元外相が(略)在
日朝鮮人の帰還を支援する政策を具体化すると、非公式に私たちに伝えて
きた」と記し、国際委の協力決断を促していた。
56年春に国際委が日本に送った特使のメモには、重光葵外相が「とり
わけ日本で悲惨な生活を送る女性や子供たちが早く自分の国へ帰るよう希
望する」と特使に述べたと記されていた。
また、島津社長は57年2月の書簡で、同封の文書が政府の同意を得て
いる事実は公表しないでほしいと要望していた。背景には、韓国を刺激し
たくないという政府の意向などがあったと見られる。
モーリス・スズキ教授は「日本政府が早くから大量帰還政策を秘密裏に
進め、日赤がその『国益』を代行した構図が見えてきた。北朝鮮政府や朝
鮮総連だけでなく日本政府や日赤にも、帰還事業について説明責任があ
る」と語っている。
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【北朝鮮帰還事業】 【55年段階から日本政府が工作】 2. 投稿者:鍋山 投稿日: 9月26日(日)00時36分19秒
【これまで言われてきた「帰還運動の発端」】
1957.8.15
「朝鮮解放13周年記念 在日朝鮮人中央慶祝大会」
突如として総連が、「在日朝鮮人の集団的な帰国を運動方針」を打ち出
す。
(それまで、総連は「長期在日を前提とする生活権確保闘争」を方針とし
ていた。)
〔サクラとして〜〕8月11日に、総連の下部組織・女性同盟川崎支部副分
会長から金
日成首相に、帰国を希望するという手紙。
〔金日成から歓迎の表明〕
1958.9.8 「北朝鮮創建10周年記念慶祝大会」
金日成声明
「無権利と民族的差別と生活難にあえぐ在日同胞は、最近朝鮮民主主義
人民共和国に帰国する希望を表明してきました。朝鮮人民は、日本で生き
る道を失い、祖国のふところに帰ろうとするかれらの念願を熱烈に歓迎し
ます。共和国政府は、在日同胞が祖国に帰り、新しい生活をいとなめるよ
うすべての条件を保障するでありましょう。われわれはこれを民族的義務
と考えています」。
〔背景として〕
・北朝鮮の労働力不足〜1958年、朝鮮戦争に参戦した中国人民志願軍が30万人撤退。
・総連の分派闘争と官僚統制による組織率の低下を食い止め、「日韓会談」に対抗する一大運動としての「帰国運動」。
〔これを受けて「人道的観点から」の日本政府の受け入れ。もちろん「厄介払い」と
いう側面があった。〕
11.17 在日朝鮮人帰国協力会、日本自由民主党衆議院議員岩本信行らを中心に結成
1959.2.13 日本政府閣議決定「在日朝鮮人中北朝鮮帰還希望者の取扱いに
関する閣議了解」
【55年段階から日朝の折衝が行われていた】
これまで言われてきた「帰国運動の発端」から、2〜3年も前から!
朝鮮戦争休戦(1953.7)から、わずか2年後!
【日本政府の思惑として、これまで言われてきた「厄介払い」だけでなく、「治安対
策」という側面が強いのではないか。日本政府から金日成へ、カネが渡された可能性まで想像される。】
【55年、日本共産党から3千人から1万人を超えるといわれる朝鮮人が
一斉離党し、総連結成に参加しているのだから。】
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【北朝鮮帰還事業】 【55年段階から日本政府が工作】 3. 投稿者:鍋山 投稿日: 9月26日(日)00時34分3秒
【北朝鮮帰還運動について、ウヨクが「総連・社共・左翼マスコミが騙し
た」と言っている事に対する議論が行われています】
★社会主義者さんの「アフガン・イラク・北朝鮮と日本掲示板」
http://8330.teacup.com/netkikaku2/bbs
議論の成果として「北朝鮮帰還事業」についての資料が、HPにアップされました。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2807/nk01.htm
《掲示板の論点7》 帰還事業 参考資料
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2807/ronten7.htm
・読売も産経も「提灯記事」を書いていた。
・多くの地方自治体が「推進決議」をあげていた。
・民団の一部が反対しただけで、右から左まで全ての政治勢力が推進した。
したがって、「総連・社共・左翼マスコミが騙した」というのは一面的で、
事実は「日本全体の合意の中で行われた。」ということです。
・ネットで読めるものでは、金英達さん(元RENK代表・故人)のこの論考が、
もっとも的確でまとまっていると思います。
『北朝鮮への帰国事業について』 金英達(キム ヨンダル)
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/renk_archive/renk03yd1.htm
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いえいえ 投稿者:「へら」 投稿日: 9月25日(土)23時11分0秒
日本平和進軍、イオンド大学はすでに工作員として2ちゃんでは証明済みのはず。
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おヒマなかた、意見ください・・・・ 投稿者:邪魔だったら消してください。すみません。 投稿日: 9月25日(土)19時00分56秒
世論対策で2chに工作員を使ってる政治団体★
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1095982763/l50
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まあ、無政府主義者の次に粛正されてますからね 投稿者:黒目 投稿日: 9月24日(金)19時48分38秒
ムスリム共産主義者って。
まあ、いまは無政府主義者と自然発生主義者を粛正する段階なんじゃないかと(w
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Re: 自然発生性の限界について 投稿者:dk 投稿日: 9月24日(金)19時15分6秒
黒目さんの問いにまず答えてそのあとでご回答下さい。
"自然発生性の限界について" SRA wrote:
> しかし、あるがままの人民が直ちに「臨時政府の打倒とプロ独を望んでいた」などとは到底
> 言えないということもまた事実だとは思いませんか?
ええ、だから簒奪なんでしょうが(w
臨時政府の打倒を望んでいたが、別にプロ独(というかボリシェビキ一党独裁)を望んでは
いなかったんじゃぁ・・・。
> >少なくとも民衆の中に「臨時政府を打倒しない限り、戦争は終わらない」という意識があり
>
> どれほどの「民衆の中に」そのような「意識が」あったかということが問題ですね。
> ボリシェビキとそれに組織されたあくまで部分的な労働者の蜂起として「臨時政府
> の打倒」は勝ち取られたのであり、とてもではないがそれが全「民衆」の意識であったなどと
> は言いえないというのが実際ではなかったでしょうか。
あぁ。
当時のロシアにどれほどの「労働者」がいたか理解されてますか?
だからこそ4月テーゼであり、労農独裁なんでしょうが。
革命成功の理由は、厭戦気分の兵士(農民)の組織化に成功したからでしょう。
その指揮はペトログラードではトロツキー、モスクワではブハーリンが執ったわけでしょ。
> その後の憲法制定議会における得票にもその事実は示されています。
^^;
ボリシェビキの方針は、地方の農民層に理解されていなかったですからね。
都市ではボリシェビキの圧勝で、メンシェビキもそれなり。
農村部は右派エスエルが多くて、左派エスエルは少数。これは、選挙人名簿が、分裂前の
名簿だったからですね。
確かに、ボリシェビキ・左派エスエルブロックは議席数が少ない<指示されていなかった>のは
事実ですが、数が正確な指示数を現していないということぐらいご存じですよね?
で?あなたの仮定に従うと、大衆なり民衆は頭が悪いから党が指示すればよろしいと言うことでしょうか?
左派エスエルすら弾圧して運動をつぶせばよろしいということでしょうか?
一度、左翼エスエル戦闘史ぐらいお読みになられたら?
> 「せっかくツァーリが倒れて誕生した政府なのだから、打倒するのでなくその枠内で戦争終結に
> 向うよう努力すべきなのでは」と大多数の人民は考えていたはずです。
努力しないから、たおしちまえ!ってなったわけですよね。
> 民衆がいながらにして「臨時政府を打倒しない限り、戦争は終わらない」と考えていたと仰る
> ならばそれこそ「7月の段階でボリシェビキは勝利した」はずではないですか?
> ボリシェビキによる武装デモ方針とそれへの政府の弾圧を目の当たりにしてこそ民衆は政府の
> 正体がレーニンの言う通りであると知ったのではないでしょうか。
でしょうねぇ。
だから党が指導し、大衆は従うべきだと。
つまり、あなたの言いたいことが
党が指導しているロシア革命は良い。
党が指導していないチェチェンは悪い。
なら論理通るんですが...これまでの議論ではそうならないはずですよね。
私が言った山内の「スルタンガリエフの夢」ぐらい読んでから出直してきて下さい。
本腰入れてロシア革命史論争するなら受けて立ちますが、いい加減なこと言わないで下さい。
どこぞの新左翼内部での議論をそのまま引き写されてるのかも知れませんが、いい加減な印象と
解釈なんかクソ食らえです。
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あの〜 投稿者:黒目 投稿日: 9月24日(金)17時59分6秒
別にボルシェビキ党が指導しているところでもなんでもないところで、チ
ェチェンのイスラム教徒が闘ってるわけですよね?んで、その闘いを賛美
するSRA氏というものがある。
んで、その自然発生がどおたらというのとチェチェンのイスラム教徒の闘
いは、どのように整合するのか、ときいとるんですが、トンヅラですか?
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自然発生性の限界について 投稿者:SRA 投稿日: 9月24日(金)17時39分27秒
>てか明示しているのに<言論統制!>ってなじるのは、国家権力や右翼でもなければやめ
>るほうがイイ(・∀・)のでは?
いや、ですからあくまで笑いの範疇でそれを指摘したまでですよ。イヤミが過ぎたかなあ。
>いや、その時に大衆の中に素地があったかどうかを見るべきだと言うことです。
「素地」?どうとでもとれる物言いですね。確かに人民に依拠することなく革命に勝利できる
はずもなく、そういう意味においては革命の「素地」があったことは否定しません。
しかし、あるがままの人民が直ちに「臨時政府の打倒とプロ独を望んでいた」などとは到底
言えないということもまた事実だとは思いませんか?
>少なくとも民衆の中に「臨時政府を打倒しない限り、戦争は終わらない」という意識があり
どれほどの「民衆の中に」そのような「意識が」あったかということが問題ですね。
ボリシェビキとそれに組織されたあくまで部分的な労働者の蜂起として「臨時政府
の打倒」は勝ち取られたのであり、とてもではないがそれが全「民衆」の意識であったなどと
は言いえないというのが実際ではなかったでしょうか。
その後の憲法制定議会における得票にもその事実は示されています。
「せっかくツァーリが倒れて誕生した政府なのだから、打倒するのでなくその枠内で戦争終結に
向うよう努力すべきなのでは」と大多数の人民は考えていたはずです。「十月」以前においては
ボリシェビキ党内の大勢もそう考えていたぐらいですから、レーニンの提起がそれほど人々の
度胆を抜くものであったかが想像できるでしょう。
>これは幻想だって。
>4月テーゼを人民がたちどころに理解し、党が理解できてたら7月の段階でボリシェビキは
>勝利したでしょう。
民衆がいながらにして「臨時政府を打倒しない限り、戦争は終わらない」と考えていたと仰る
ならばそれこそ「7月の段階でボリシェビキは勝利した」はずではないですか?
ボリシェビキによる武装デモ方針とそれへの政府の弾圧を目の当たりにしてこそ民衆は政府の
正体がレーニンの言う通りであると知ったのではないでしょうか。
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Re: オイオイ言論統制かよ(笑) 投稿者:dk 投稿日: 9月24日(金)16時00分58秒
始めに揶揄(流して下さい)
レーニン主義者が、レーニン主義的手法(レーニンが聞いたら怒るだろうが)取られると
キレルっていうのは、、、別にSRAさんだけじゃないですが。
てか明示しているのに<言論統制!>ってなじるのは、国家権力や右翼でもなければやめ
るほうがイイ(・∀・)のでは?
"オイオイ言論統制かよ(笑)" SRA wrote:
> 「臨時政府を武器もち打倒する」という方針が最初から大衆の「自然発生的要求」だったと
> 仰るわけですか?
いや、その時に大衆の中に素地があったかどうかを見るべきだと言うことです。
少なくとも民衆の中に「臨時政府を打倒しない限り、戦争は終わらない」という意識があり、
そこに確かな政治的方針を提起できたからボリシェビキが勝利できたわけでは?
どちらに重きを置くかですが、マルキシストなら後者じゃないとまずいんじゃないの?
※武装路線が現実化するには、クロンシュタットグループがでかかったと思いますが。
で、彼らがボリシェビキの指導に従ってたとでも?彼らの思想とボリシェビキが共鳴して
始めて成功したんじゃ...
> 四月テーゼを党になかに、次いで人民のなかに宣伝・扇動することによってはじめて「十月」
> が可能となったのであり、まさにその過程は共産主義者の目的意識性なしには一ミリも前に
> 進むことは明らかです。
いやぁ4月テーゼって最後まで理解されなかった(もちろんレーニンと下部活動家は別)と
思いますよ。トロツキスト(笑)としては。
> その「もう一度」ではなく、「二月」と「十月」の狭間における大衆の意識について言って
> いるのですが。
そもそも、大衆の意識に追いつかなかったのがレーニン以外のボリシェビキ指導部ですよね。
レーニンの目的意識というのなら分かるんですけど...
てか、レーニンってたいていのばあいボリシェビキ内少数派ですよね(w
トロツキーと連合することで始めて勝利したと思います。
大衆に扇動したのはトロツキー達のグループであって、、、レーニンは地上に出られなかった
わけでしょう?(一緒に潜ってたジノビエフなんか革命直前まで理解しないわけじゃん)
>
> >革命的祖国敗北主義は、チィンメンワルト会議だからもっと前では?
> しかし、ながら革命的祖国敗北主義を全ロシアに蔓延させたのも彼本人であって、彼の帰国と
> ともに党が、そして人民がたちどころにその意義を理解して「十月」を準備したということ
> でしょう。
これは幻想だって。
4月テーゼを人民がたちどころに理解し、党が理解できてたら7月の段階でボリシェビキは勝利したでしょう。
> トロツキーの手前味噌にもおおいに問題があるとは思いますが、まあそれはその通りでしょう。
別にだれだれストなんていう気はありませんが、あなたのロシア革命理解の根拠はどこにあるのですか?
※
私はアナキストでもマルキストでもありませんが、大衆の自然発生性に賭けてきたのであなたから見たら
党の指導性を理解しないアナキストに写るかも知れませんね。どちらかというとトロツキストに近い思想
形成はしていますが... 世界的には不思議なことにトロツキストとアナキストはクロンシュタットと
いうつまずきはありますが、仲が良いですけどね。これは大衆と党のウエイトが前者にかたむいているグ
ループだからでしょうね。
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あほか! 投稿者:北方@削除人 投稿日: 9月24日(金)15時15分59秒
よく読め!削除基準では
1)無題・無名のもの(もしくは本文と関係なく意味不明なもの)
と書いている、わざわざヘッダまで転載してやったのに…
ついでに言っておくが、下記投稿は
6)削除に対する問い合わせ、抗議など
にも抵触する。以後気をつけられたい
尚、訂正はページ下の管理者メニューボタンをクリックして訂正すること。
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オイオイ言論統制かよ(笑) 投稿者:SRA 投稿日: 9月24日(金)15時07分1秒
>官吏人様
私の各々皆様へのレスが「もしくは本文と関係なく意味不明なもの」であると
判断されたわけですね。すばらしい「独裁」ぶりに感服いたします。
>dkさん
>大衆の自然発生的要求に対して、それを最も明確な政治方針として位置づけた
「臨時政府を武器もち打倒する」という方針が最初から大衆の「自然発生的要求」だったと
仰るわけですか?そのような自動論の根拠がどこにあるのか不思議でなりません。
四月テーゼを党になかに、次いで人民のなかに宣伝・扇動することによってはじめて「十月」
が可能となったのであり、まさにその過程は共産主義者の目的意識性なしには一ミリも前に
進まなかったことは明らかです。
>必然的にもう一度の革命(永続する革命)になるだろうという予言をしたのはトロツキー
>では無かったですか?それを誤りとして後に退けたのは、スターリンですよね。
その「もう一度」ではなく、「二月」と「十月」の狭間における大衆の意識について言って
いるのですが。
>革命的祖国敗北主義は、チィンメンワルト会議だからもっと前では?
チィンメンワルト左派のヨーロッパ各地における不様な敗北はなによりレーニンを消耗させて
いたのは間違いないでしょう。唯一スウェーデンにおける勝利=祖国防衛主義との分離のみが
かろうじてレーニンに革命の展望を与えていたと言えるレベルだったと推測できます。
「二月」が勃発する直前の情況は、レーニンにとってはチューリッヒ、ペトログラード間の脈管
すら危ぶまれるほどの閉塞情況であったわけであって、その半年後には革命的祖国敗北主義が
全ロシアを席巻することになるなどということはおよびもつかないことであったというのが
彼の正直なところだったのではないでしょうか。
しかし、ながら革命的祖国敗北主義を全ロシアに蔓延させたのも彼本人であって、彼の帰国と
ともに党が、そして人民がたちどころにその意義を理解して「十月」を準備したということ
でしょう。
>レーニン以外のボリシェビキ指導部がいかにダメだったかはそれこそ『10月の教訓』あたりで
>暴露されてると思いますが。
トロツキーの手前味噌にもおおいに問題があるとは思いますが、まあそれ
はその通りでしょう。
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参戦?しますか 投稿者:dk 投稿日: 9月24日(金)13時58分11秒
SRAさんへ
> あなたはロシア革命が「大衆」の自然発生的要求によって、ボリシェビキはそれに
> 引きずられる形で生起したものであると主張なさるわけですね。
一般的にはそういう理解だと思いますが。
大衆の自然発生的要求に対して、それを最も明確な政治方針として位置づけたのが、
ボリシェビキであった(もしくは+左派エスエル)ということでしょう。
> いくら党というものの革命における価値を過小評価なさりたいとはいえ、それではあまりに主観主義
> にすぎるというものでしょう。
ロシア革命が、大衆によって党が乗り越えられ、それを的確に分析し、適切に「指導」したのが
ボリシェビキだったのでは?
> 二月以降、ロシアにおいてさらにもう一度の革命が必要であるなどとは大半の「大衆」は考えては
> いなかったはずです。
???
必然的にもう一度の革命(永続する革命)になるだろうという予言をしたのはトロツキーでは無かったですか?
それを誤りとして後に退けたのは、スターリンですよね。
> レーニンによって革命的祖国敗北主義が人民のなかに提起されたことをもってはじめて情勢は動いたと
> みるのが当然ではないでしょうか。
革命的祖国敗北主義は、チィンメンワルト会議だからもっと前では?
> 確かに少数ではあったもののレーニン的組織論によって武装された、
> いかなる弾圧にも屈しない前衛としてそこに存在していたことは紛れも無い事実です。
> 「思想集団に過ぎ」ないなどという評価は歴史の偽造です。
レーニン以外のボリシェビキ指導部がいかにダメだったかはそれこそ『10月の教訓』あたりで
暴露されてると思いますが。
メジラオンツィグループがボリシェビキに合流したからこその革命なのでは?
トロツキスト的立場から書いてみました(笑)
※チェチェンなどのイスラムは、ボリシェビキによって徹底的に弾圧され
たのではないですか?
イスラム革命と社会主義革命をつなげようと言う試みは、レーニンによ
ってすら認められなかったのでは?
山内とかの論文を読めば分かると思いますが。
そういえば、レーニンにはチェチェンの血が入ってるはずですね・・・
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具体的に 投稿者:喜多方 投稿日: 9月24日(金)12時58分13秒
>反革命との闘いをスターリンによる思想の歪曲に結び付けようとする右
翼的常套句は聞き飽きています。
一連の論争を踏まえて、「反革命との闘い」とは、どれを指すのですか?
貴方が重要だと思うものをいくつかあげてください。
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