四トロ同窓会三次会 2004年12月24日〜31日
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いや、レーニン主義の「主義」としての是非の問題じゃないと思うんですよね 投稿者:黒目@マツケンサンバみた
投稿日:12月31日(金)23時12分44秒
まあ、レーニン主義で「市民運動」なるものが位置付くのか、という問題もありますが(W、それはそれぞれの党派によるレーニン主義の解釈だと思いますが。
この間の事態とは、この40年ほどの間に積み重ねられてきた「市民運動の論理」、自立した市民としての政治行動、という線が、解体されてきた過程であると考えます。
で、ひとつには、東さんの指摘する、「方向を失ったレーニン主義者の市民運動へのなだれ込み」という現象が90年前後に生じ、その後は市民運動の党派系列化という現象が進んでいった。
もちろん、党派の人は仕事をよくこなしますので、仕事をこなす事自体はなんら非難されるような事柄ではない。俺らのようなぼんくら学生上がりとはその辺は質的に異なります。まさに党派的「効率のよさ」がそこにはある。まわりは楽です。で、気がつけば、「自立した市民の運動」が絶滅危惧種となってきている。
もちろんこれは、党派によっていろいろでありまして、自ら市民運動化しようとしたところもあり、あるいは、自らの論理を市民運動に持ち込んだところもある、という事です。
そしてこれはもちろん、その党派の側の責任にのみ帰する事柄でもない。我々は党派運動に寄りかからない、自立した運動を生成しなければならず、そしてまたそれはでんでんできてへんやんけ、というのが現状であります。
「市民隊列」で歩いている人をよく見たら、みんな党派の人と学生運動OBばっかりで「ニセ市民隊列やね」とかよく冗談言っていましたが、まったく冗談じゃなくなってきたなと。
で、平行する話ですが、党派というもん、あれって、なんでタダの「活動家集団」じゃダメなのか?という問いをよく党派の人に投げるのですが、大体、相手がキレて終わってしまうのですが(W、
たとえば、まあいちいち例にだして申し訳ないですが(W)第4インターで言うと、全人民がトロツキーの主義を受容してトロツキー主義の革命が起こる、てなこた原理的にありえへんわけで、そこでトロツキー主義の線を打ち出す事にどれだけの意味があるのか、というのが甚だ謎なわけです。
前にもここでまっぺんさんとさんざんやらかしましたが、別に「内ゲバ反対」という論理は、トロツキーの主義を介在しなければ出てこないものでもなんでもなく、そしてそこで内ゲバ反対をいう事が、端から見てても正しい方針であったからというて、それがトロツキーの主義の正しさを示すものでもなんでもないわけです。「死ぬのはイヤだ恐い、内ゲバ反対」というのよりも、「トロツキズムの原則の立場から内ゲバ反対」という事の方が、より上等でより正しい、てなこた無いわけです。
ほんなら別にトロツキーの話いらんやん、と。またその主義で結集した党とかいらんやん、と。
もちろん、その事によって、トロツキーの言説の価値が減ずるもんでもなんでもないわけであってさ。
とまあ、そおゆう事を考えているわけですよ。
追記
具体的には「WPN問題」と言われているところの問題、これは実は、この党派と市民運動という構造の問題が集中的に現れた問題なんじゃないか、と思っています。
チャンスというところの「若い人たち」のところに問題が集中的に現れたように見えましたが、実は若い奴を使って腹話術やってる奴の問題だと考えた方がいいんじゃないか、と。「若い奴が世間を知らない事が問題だ」なんて話になったような気がしますが、若い奴が世間知らないのはいまに始まった問題じゃないわけでさ。そんなん、結論としてありえへんやん、と思うわけです。
追記
そもそもその党派がいなけりゃ運動なんか全然ない地域、というもんを考えると、一概にも言えないよなあ、と、いま思いました。
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党と大衆運動について 投稿者:まっぴょん 投稿日:12月31日(金)16時32分4秒
黒目さんが言うところの「レーニン主義」とは、かなり広い意味におけるレーニンの主義・主張全般を指しているように思いますが、僕はレーニンの業績全般を否定はしません。ぼくの個人的基準において取捨選択したレーニンの肯定的部分を仮に「レーニン主義」と呼ぶとすれば、党派運動に対しては、黒目さんが言うところの「2.市民運動の中にレーニン主義の論理を持ち込む」方針を支持する立場です。なぜ「論理を持ち込む」事を支持するのかは、以下、先日の草加耕助さんへのレスも含んで説明します。
(1)大衆運動の「発展」とは
ぼくは「大衆運動の発展のために」党は必要だと言いました。それに対して草加さんから「大衆運動発展のためだけなら、党なんて必要ない(つーかむしろ害悪)」という反論が帰ってきました。ここには「大衆運動の発展」についての理解の違いがあると言っていいでしょう。「大衆運動」の「量的拡大」だけをもって「発展」と言うなら、確かに党なんて必要ありません。しかしどのような大衆運動でも「拡大すればいい」のでしょうか? おそらくここで議論している我々は反動的な「大衆運動」に対しては反対するでしょう。例えば日露戦争終了後、日本国民の戦勝気分は大陸征服をめざす熱狂的な「大衆運動」を引き起こしましたが、我々はあんな運動を肯定できるはずがありません。また現在も靖国神社を祀り、愛国意識・国防意識を高めようとする「国民運動」が存在しますが、これにも反対ですよね。つまり左翼にとって「運動の発展」とは「量」はもちろん、その中身=「質」が重要であることです。「大衆運動」はそれに方向性が与えられて初めて意味を持つものです。一定の「綱領」を持った「党」の必要性は、「大衆運動の方向性」に影響を与えていくうえで必要なのです。いいかえれば「大衆運動の左翼的発展」のために党は必要なのです。
(2)「レーニン主義を持ち込むな」?
そこで現在、世界で沸き起こっている大衆運動を見てみましょう。典型的なのは「反戦運動」であり、もうひとつは「反グローバリゼーション運動」です。前者と後者は渾然一体となっていますが、それでもかなり明確な違いを見ることができます。とりわけ日本では反グロ運動は左翼の位置に立っていますが、反戦運動はかなり一般的な「平和意識」を前提として担われており、どこやらのお食事問題に見られるように、警察権力に対する全く無防備な意識も見られるほどの水準でしかありません。現在の日本の反戦運動の水準はここまで低水準なのです。30〜40年前のベトナム反戦運動とは、同じ市民運動であっても参加者の意識の違いを強く感ぜざるをえません。黒目さんは「大衆運動にレーニン主義を持ち込む」と表現しましたが、大衆運動は様々な意識が流入してくる種々雑多な集合の場であり、ほっといても常に大衆運動には「××主義」が持ち込まれているのです。それが「組織的・集団的に」か「個人的に」か、或いは「意識的に」か「無意識に」かに関わらずどんな「主義主張」であっても持ち込まれるのです。その中で「レーニン主義」だけを持ち込むな、という事にどんな意味があるのでしょうか? 問題は「持ち込むな」ではなく「何を持ち込むべきか」「何を拒否すべきか」なのではないでしょうか? ぼくは「内ゲバ主義を持ち込むな」を前提としてレーニン主義であろうが何であろうが多いに持ち込んだらいいと思いますけど。
(3)階級史観はまだ有効であると思う
歴史的事件を演出した大衆運動はいくつもありますが、それを我々はどう理解するべきなのでしょうか? ロシア革命から70年後、ソビエトは最終的に破産しましたが、それでも十月革命の経験からは沢山の肯定的教訓を引き出せると思います。あの革命は「自立した大衆運動」によって起こされたものであり、且つ、そこには多くの「左翼党派」が関わっていました。また大衆は積極的にボリシェヴィキを押し上げ、彼らを政権の地位につけました。党と大衆運動との関係は、少なくとも革命初期には肯定的に捉える事が可能です。ぼくが「大衆運動の左翼的発展」のために党が必要だと思うのは、現在もこの世界を「階級史観」に基づいて解釈しているからであり、階級的和解は絶対にありえないだろうと確信しているからです。資本主義グローバリゼーションのために絶対的貧困と不幸が拡がり続けるこの社会を変革するには、階級的変革=ブルジョアジーによる市場独占を終わらせる以外に方法が無く、その事を大衆が自ら理解し行動していく必要がある。そう考えた時、(ぼくの願望としては)最終的に左翼的発展を遂げた大衆運動には効率よく敵と戦い、目標を獲得するための「組織」が必要となる、という事です。「大衆運動が党を必要とする」ようになるだろう、と僕は思っています。
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レーニン主義反省問題 投稿者:黒目 投稿日:12月30日(木)23時16分57秒
レーニン主義なりマルクス主義なりのその「主義」の是非以前の問題やと思うんですが、運動つーのは「労働運動」と「学生運動」の2本立てであると想定されてきたわけでありますが、そこに「市民運動」というカテゴリーが登場した。
この「市民運動」の位置付けを巡る議論なのではないのかな、と。
まあ、「党派運動」というもんがあったわけですが、その党派運動が市民運動を名乗り始めたら、党派運動が市民運動の最大大手になってしまった、という状況が90年代以降の状況であるか、と。
んで、市民運動を大衆的運動として運営していく作法というもんは、声なき声の会以来、べ平連なりなんなりで蓄積あったわけですが、そおゆうもんが全部すっとばされているという状況なわけで。
で、党派運動的には、
1.レーニン主義放棄して市民化する
2.市民運動の中にレーニン主義の論理を持ち込む
というどっちかの選択肢をそれぞれの党派が選択したわけでありますが、そこで「自立した大衆運動としての市民運動」という存在様式が死滅してゆく、とゆー、そおゆう塩梅なのではないか、と・・・いまオモタ。
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得んのう 投稿者:へら 投稿日:12月29日(水)23時37分11秒
.>前。援農で一生懸命やったつもりが駄目だったかもしれないな〜。私も同様でした。
援農は実質的に農業を手伝うというより体験学習的なところがありましたね。
ロボット。中核派の天神峰現闘闘本部の要塞化で溶接の仕事を手伝った時
数百の機動隊に囲まれ俺はいったい何をやっているんだろう、明日会社なんだがと、
頭が空白になったときがありました。
まださせられ感があった分カルトよりましだったかと。
森達也の「A」とか見ると。
党派でいえば「動員」という言葉であっちにいかされこっちにいかされは嫌でしたな。運動にとり
「効率」的だったのだろうけれど。
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戦争を未然に防ぐ為に 投稿者:jh 投稿日:12月29日(水)17時35分45秒
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/8-15.htm
http://esashib.hp.infoseek.co.jp/tuzimoto04b.htm
まず、我々がしなければならないのは、情報を集め、戦争を未然に防ぐ為に、
あらゆる外交努力をしなければなりません。世界の情報公開を進め、
不平等をなくし、人権を確立し、民主主義の普及に務めるべきです。
それが、戦争を防ぎ、平和な社会を築く為の、唯一の道です。
ところが、我が国は何をやっているのでしょう。
そうした努力を怠り、自ら侵略戦争を糊塗し、戦争指導者を免罪し、
歴史を隠蔽し、法を踏みにじり、人権を蔑ろにしています。
そのようにして、片方では国際貢献だといい、海外派兵を進めようとします。
我々が、海外に出て行き、殺しに行くのは、常に、名も無く、権力もなく、
利権もない、庶民であり、とくに、自分を確立して居ない、騙されやすい若者だと言う事です。
国内において考えれば、先の戦争で死んだ、戦没者と同じ人々です。
これが、戦争というものです。戦争が悪である理由です。やってはならない理由です。
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ロボットつーか 投稿者:黒目 投稿日:12月29日(水)01時06分10秒
なんか、全党をロボット化しようというような党もあるこたありますが
(W、そおゆうんじゃなくて、なんつーかさ、最も古典的ないいだももで
すらレーニンもう終わったなどと口走る今日においてですな、まだ「党に
よる指導」てな様式が生きているという事は、それはそおゆう必然がある
からこそ生きている様式なんであるとゆうか。
なんというかな、「会社で働く」のと「自営業で働く」のの違い、という
感じに近いんじゃないかと。会社で働くのって、効率いいんですけど、ず
っと同じ会社で生きてきた人というのは独特の様式を、肯定的にも否定的
にも持つというような事がありましょう。そんな感じなのではないかと思
うんですが。
たしかに党組織とかこさえて運動したら、ひっしこいて運動しやなあかん
から効率いいだろうなと思うこた思うんですが(W
まっぺんさんの「でけえ党方針」というのが出されていますが、俺らの立
っているところは、そんな地平に全然いきつけへんところのさ、なんとい
うか、「共闘関係の作法ゆうもんをちゃんとしましょう」とかさ、そおゆ
うレベルの問題なんじゃないかと思ってるんですけどね。
東さんの「反省したレーニン主義者」というのは、なんか膝をぽーんて叩
きましたが(w
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>空気 投稿者:イレギュラーず 投稿日:12月29日(水)00時34分5秒
へらさん
三里塚援農の心得ですか?それは、都会でしか生活したことのない人たち
に対して「意味」のあることでしょうね。「学ぶ」以前。援農で一生懸命
やったつもりが駄目だったかもしれないな〜。私も同様でした。
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空気 投稿者:へら 投稿日:12月28日(火)23時20分43秒
>ロボットちゃうねんから(って「パラチェン問題」以降は大きなことは
言えないか!)
ブントすか。私は戦旗両川のほうに一時いたのですが。
同時期にテーゼの高橋よしあき氏もいたのでパンク方面を。スターリンとか。
三里塚団地闘争の東峰会館にはマンガは当時の若者らしくプチフラワー、
アスカ等ころがっていましたな。
80年代。都心でプールバーとかいっているのと、三里塚援農とかのギャ
ップはなんだったのか。
相原コージ的問題。
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いいださんて 投稿者:一同窓生 投稿日:12月28日(火)20時27分24秒
「もももやじ」ってアダナだって聞いたことあるのですが、これ全国共通な話で
しょうかね。それともローカル?
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新資料紹介 投稿者:まっぴょん 投稿日:12月28日(火)12時30分45秒
議論はともかく、いいだもも氏が「レーニン、毛(もう)終わった」とい
う本を出版しました。これがまためちゃくちゃ分厚い!まだ入手したばか
りなのでずえんずえん読んでませんが、マルクス以来の共産主義の歴史を
跡づけ、組織論についてかなり突っ込んだものになっている事が目次から
わかります。1275ページ・五千円。広辞苑みたいな厚さにたじろいで
ますが、11月人権ホットラインの講座でお会いした時、「ぼくの遺書だ
から必ず読んでね」と言われた事もあり、がんばって読みたいと思います。\(^o^)
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=31476131
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「その先は言わないで!」by異能戦士 投稿者:草加耕助@懐かしの80年代左翼 投稿日:12月28日(火)08時06分59秒
>印象で語ってしまうのですが、党から指導がくるタイプの運動の人にとって、
>どこからも指導がこないで、勝手に動いているような運動ってのがブキミな
>もんに見えているんじゃないだろうか、という事を考えているんですが。
うっ。ちょっと党派活動家に対する差別入ってる?(w
ロボットちゃうねんから(って「パラチェン問題」以降は大きなことは言
えないか!)
まあ「不気味」というよりは、「こいつら何をしたいのか」が見えない、
行き当たりばったりにいろいろ言ってるように見えるというのはあった。
そういう「したいこと」がある人々からは、「行き当たりばったり」な人
ってのは、むしろ「運動の発展」の桎梏に見えるのでは?
「したいこと」が看板に書いてある同士なら、お互いに妥協や連合の余地
もあるのだが、アメーバみたいでしかも自分達の「したいこと」に文句つ
けてくる輩は「無責任野党」みたいに見えるんよ。んで、逆にアメーバか
ら見れば、相手は自分の「したいこと」を押し付けてくるような官僚的存
在に見えるわけで。まあ、共産党にとっての「トロツキスト」みたいなも
んかなあと。
(ここで言う「したいこと」というのは、党的なかっちりしたものだけで
なく、漠然とした運動の方向性みたいなものを含む広い意味ね)
>「現在の方針も過ちかもしれないが」とか「これからも多くの過ちを犯
すかもしれない」とか言い出しちゃって。。。
>ってのはオモロイですね。
座談会なら非常に良い提起だったんだろうけど、政治集会でのアジ演説す
からね。ここで「よしっ!」とか「そうだ!」とか叫んでいいもんかわか
らなくて会場が静まってしまうという(w
>俺、いしいひさいちの安下宿共闘会議の
>「我々は〜なるべく闘うぞ!」「なるべく闘うぞ!」っていうの、大好
きなんですが。
戦旗派社学同の初代委員長もあの漫画が大好きで「面白い!」って地区ま
で来て言いまわっていましたが、確かに面白い。(いしいひさいちは解放
派だったそうですが)
私は漫画はギャグ漫画専門でしたが、回りでも小林よしのりが好きな人が
多かったですね。もともと左翼にはファンが多かったように思うけどな
あ。特に「東大一直線」と「異能戦士」。私も「異能戦士」は好きだった
けど、まさか後年にこんなことになろうとは!
あと個人的には「ハイスクール奇面組」とかも好きで、「我々は社会の歯
車にはなれないが、社会を味付けする調味料になろうではないか」という
「落ちこぼれ宣言」には結構感動し、自分の行動指針になってたりして
(苦笑
音楽は頭脳警察とか岡林とかいう方向に行く人と、中島みゆきとかいう方
向(笑)に行く人に別れたな。
こうして見ると、三浦さんやまっぺんさんみたいな「カッコイイ」人はい
ないみたいだなあ。「党」という看板をはずせば、安下宿共闘会議とかわ
らない実態で活動してたかもしれん。
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また黒目さんから「80年代の香り」とか言われそうですが(w 投稿者:草加耕助@懐かしの80年代左翼 投稿日:12月28日(火)07時24分41秒
>それはそれで「きれいな結論」なんだけど
っていうのは、私はまっぺんさんの書き込みに感じました。結論はまとま
ってますが、具体的なイメージになると、WPNが政党化したようなもの
か、緑の会議が過激化したようなものしか思い浮かばない。せいぜいがべ
平連かな。そういうのが「党」である必要があるのかなと思いますし、そ
れが発展してたとえば政権に参画しても、ドイツの緑の党みたいに「それ
で何が変わったの?」つーことにしかならないんじゃないかと。
そもそも「大衆運動発展のため」だけなら、党なんて必要ない(つーかむ
しろ害悪)のでは?まっぺんさんの言うようなものなら「市民運動のナシ
ョナルセンター」で充分ちゃうのと思います。
党が必要なのは、やはり権力問題、つまり権力を「打倒する」なり「奪取
する」あるいは「廃絶する」まで展望してのことだと思います。私が党の
必要性を認めるのはこの一点です。まっぺんさんの主張はレーニン「何を
なすべきか」で出てくる「経済主義者」の主張みたいと思いますし、その
限りでやはり「古い」と思う。
まっぺんさんの主張は(権力の打倒→奪取→廃絶のために党が必要という
立場に立てば)いわゆる「存在が意識を規定する」という古い命題がある
わけですが、自然発生的には「社会的国家」「福祉国家」「大きな政府」
を要求する方向しか生まれてこないんで、言い訳しないで最初から「国家
の死滅」「賃金制度の廃止」etcを掲げ、それを大衆の生活的な実存の外
部から注入(宣伝・扇動・運動・組織化)していくしかないというレーニ
ンの主張への反論に未だ成功していないと思います。まあ「正しい党の主
張」を大衆に押し付けていくというスターリン主義的な歪曲への批判には
なっていますが。
私が考えているのは、まっぺんさんの「口できれい事言ってても、いざ権
力を握った時にほんとに大衆のためにちゃんとやれるんかい?」という問
題意識とは似ているけどすこし違って、党であれ、市民運動であれ、ノン
セクトであれ、あるいは久我山さんの言う「七人の侍型実行委員会」であ
れ、力をつけて影響力を持った時に、その影響力に見合った規模での「大
衆への押し付け」に陥るパターンと原因があるんではということであり、
黒目さんの言う「気色悪さ」の解明ということですね。「反スタスターリ
ン主義」というわけわからん言葉があるように、このへんの解明ぬきに、
いくら組織論の青写真をくり広げても、絶対に同じことの繰り返しに(い
ずれは)なると思うわけです。
この問題意識は10代の頃から持ちつづけていて、一応はちゃんと答えてく
れた戦旗の「スタ克論」に魅力を感じたことは前に書きました。2chの
戦旗スレではこのスタ克論を「反スタと労働者国家擁護の中間」みたいに
理解しているかつての同士の書き込みがあって、ちょっと驚いたりしまし
たが、ともあれ、この「スタ克論」というキカイダーの「良心回路」のご
とき「自己批判回路」を持っているはずの戦旗が「?」な状態にある以
上、ある意味この問題では自分が全面依拠してきた「スタ克論」をも「単
なる一つの主張」として相対化し、もう一度考え直さなあかんなあと思っ
ているわけです(来年の課題?)
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いやだから 投稿者:反『革命』久我山支部 投稿日:12月28日(火)01時15分54秒
「伊達さん革命的祖国敗北主義」?でいうとるんですが。
なんで活動すること=左翼なんでしょうか。伊達さんは素晴らしい運動を
現に作られてるし、左翼じゃないもなにもナイと思うんですよ。
サヨクなんぞでなくとも、素晴らしい運動をやってる人は大勢いるわけで。
岡林の替え歌はシャレですって、シャレ。
その辺(!)の地域争議の、その辺のおばちゃんの、権力を許さない、不
当な権力者を認めない、その心意気。それで十分なんじゃないのかと。
あまりにもいろんな事を教えられました。
少なくともどこぞの「党官僚」やら「インチキ労組専従」の何百倍も。
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ひとつ考えていること(補足) 投稿者:伊達 純 投稿日:12月28日(火)01時06分13秒
> それはそれで「きれいな結論」なんだけど(w、チャンスの奴ら
> とかの示す嫌悪感とかどーよ?というさ。
うん、だから、ああいった人たちも「官僚」であると黒目さん言ってい
なかったっけ? つまり同類だということ。
それから過剰に自分たちは「フツー」であると思っているから、そうで
はない人たちに対する差別意識があるのではないか、その差別意識という
点で左翼党派の人たちと結託しているのではないか、と。
あるいは東一邦さんが書いておられたことだけれども、「原発を原子力
発電所のこととは知らなかった」という人のことを「こういう『普通の主
婦』が立ちあがることが、原発を止める」「市民運動のニューウェイブ」
などと持ち上げる。そして、そういった人たちを「囲い込」んで、それを
背景に、自分たちの思う通りにことを運ぼうとする。そういう場面も見ま
したね。
『論座』3月号の小論と関連ある議論について(4)
「連帯とネットワーク」 東 一邦
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/ronsou12Higashi-RentaitoNetwork.htm
さらには、「思い通りになる人間」ではないけれども、運動の中で、そ
れなりに権威となっている人、実績のある人に対しては別の訳でね。
例えば、伊達 純という人間がいて、性格的に問題のあるヤツである、
と。排除されるのも「ま、しゃーないやな」と自分でも思う訳。ところが
私に対してだけではなくて、他の人に対してもやっているということにな
ると、さすがにちょっとおかしいということになるじゃない。ひとりやふ
たりに対してだけじゃないんだよな。
それから攻撃の仕方が異常。ウソを言って、自分の責任を逃れ、他人に
責任をなすりつけ、攻撃するということまでやっている。いちおう運動を
一緒に担っているということで、外在的に論ずることは避けたいし、個人
名や党派名は書かないけれども、かなり頭にきています。こんな連中の言
うところの「平和」「民主主義」「革命」「共産主義」っていったい何な
んだ、と。
私は、自分が無謬であるとは思わないけれども、自分たちが真理の所有
者で、指導する側であると思っている連中の方が明らかに間違っていたり
すると、何だかなあとは思いますね
> ♪私たちの望むものはぁ〜 左翼のための私ではなくぅ〜
> 私たちの望むものはぁ〜 私のための左翼なのだぁ〜 ♪
「左翼のための私」とは思わないけれども、「私のための左翼」とも思
いませんね。
> そんな「左翼」は、ためらいなくとっとと辞めてしまって良いと
> 思いますが
「左翼」をやめても、活動をやめる訳にはいかないところが何とも…。
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そんな「左翼」は、ためらいなくとっとと辞めてしまって良いと思いますが 投稿者:反『革命』久我山支部 投稿日:12月28日(火)00時42分20秒
♪私たちの望むものはぁ〜 左翼のための私ではなくぅ〜
私たちの望むものはぁ〜 私のための左翼なのだぁ〜 ♪
コレに尽きると思われ。
>逆に、自分たちの思い通りにならない人間がイニシアティブを握ったり
>すると、排除さえしようとする。
いや、本当に吐き気がしますな。酒の飲み過ぎだからでなく。(^_^;;)
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う〜む 投稿者:黒目 投稿日:12月27日(月)23時43分44秒
それはそれで「きれいな結論」なんだけど(w、チャンスの奴らとかの示
す嫌悪感とかどーよ?というさ。
あの辺のんと党派連中のんとの間の、俺らみたいなんに対する嫌悪を共有
することによって生まれる結託が、wpn問題なんじゃないか、てな事を考
えてんです。
追記
あるいは「市民運動の」ね。
某高名な市民運動家が・・まあおよそとんでもねー事を言ってまわってい
たのを俺は知っているんですが・・・・弾圧絡みで・・・まあ、時期がき
たら書きますが。
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ひとつ考えていること 投稿者:伊達 純 投稿日:12月27日(月)23時26分38秒
黒目さんの言うところの「異様な嫌悪感」の原因として考えられるの
が、左翼党派の人間(=前衛)は真理の所有者であり、「どこからも指導
がこないで、勝手に動いている」(「自然発生的」「即自的」とも言う)
人間たちは、真理の所有者である自分たち前衛から指導されるべきである
と考えているんじゃないかなあということ。この間、広島で運動に関わっ
ていて、それをつよく感じた。会議で、自分たちの思い通りにならない人
間の言うことは、一応聞くけれども、「はい、聞きましたよ」と「アリバ
イ」的に聞くだけ。会議以外のところで、予め方向性が決められているよ
うな気がする。逆に、自分たちの思い通りにならない人間がイニシアティ
ブを握ったりすると、排除さえしようとする。
私は、自分のことを左翼だと思っていたけれども、最近、左翼をやめた
くなったのは、そういう訳。
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つーか、ナニが核心であるのかという事をうまく取り出せないのですが(W 投稿者:黒目 投稿日:12月27日(月)22時25分19秒
草加さんの
>「我々は多くの過ちも犯してきた」まではいいとして「現在の方針も過
ちかもしれないが」とか「これからも多くの過ちを犯すかもしれない」と
か言い出しちゃって。。。
ってのはオモロイですね。
俺、いしいひさいちの安下宿共闘会議の
「我々は〜なるべく闘うぞ!」「なるべく闘うぞ!」っていうの、大好き
なんですが。
なんかさ、やっている事の「正しさ」を担保するものとして用意される
「世界観」みてえなさ、そおゆうアホな構造を相対化したいなというアレ
なのです。
印象で語ってしまうのですが、党から指導がくるタイプの運動の人にとっ
て、どこからも指導がこないで、勝手に動いているような運動ってのがブ
キミなもんに見えているんじゃないだろうか、という事を考えているんで
すが。
俺らに常に示される、異様な嫌悪感とかの正体を、ちと分析してみたいな
という話なんですが。まあ、「空気問題」なんですが、その「空気」はな
んに由来するもんなのであろうか、と
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空気乱した張本人は私ですヾ(^o^;) 投稿者:まっぴょん@乱鬼龍ファン 投稿日:12月27日(月)11時44分22秒
すんませんねー、黒目さん。
まぁ、管理人がツリー式掲示板を管理する余力と自信がないためでもありますが、
ときどき「茶々」が入るのも(程度の問題ではあるけれど)ご愛嬌という事でご勘弁。
●で、茶々の方から
三浦小太郎さん、あなたもカザルスふぁんでしたか〜!同志よ!\(^o^)
/
演奏技術とか純粋な音楽解釈の問題(いわゆる抽象的な「芸術性」という
ヤツ)で考えれば、ロストロポーヴィッチとかビルスマーとか昨今流行り
のヨーヨーマとかいろいろいるわけですけど、やはり精神の深みを音楽を
通して汲み取る事では、あの時代を背負ってきたカザルスに勝さる人はい
ません。彼の弾くバッハには打たれますね。それから、村治佳織さんって
そんな人でしたか〜!情報どうもありがとうございました。\(^o^)
●「正しい党」のおはなし
次に本論ですが。結局「口できれい事言ってても、いざ権力を握った時に
ほんとに大衆のためにちゃんとやれるんかい?」というのが、論点だろう
と思います。「我が党がいっちゃん正しい」論を中心にシンパを増やし、
党勢を拡大して運動発展させ、ゆくゆくは革命に持ち込もうという路線
は、戦後の共産主義運動全体としてすでに破産した、と位置づけていいと
思いますね。共産党の官僚主義的ひきまわしに比べれば「四トロの組織内
民主主義は遙かにマシだぞ」という自負はありましたが、それでも左翼運
動全体の中で見れば、同じ「党中心主義」路線を歩んでいたと思います。
ぼくは大衆運動発展のためには「党」は必要だと思っています。過去に
も、その理由を書いてきたと思う。しかし、「今ある党派の中のどれかが
発展して大衆的党派ができる」とは思っていません。識字率がほぼ100
パーセントに近く情報も発達している現代日本の社会状況において100
年前のロシアをモデルに「外部注入論」的に党組織を造るという組織論で
は、また官僚主義が生まれてくるだろう。大衆の党であるためには大衆運
動の中から生まれてくる必要がある。したがって、例えばここに「党」と
いうものがあったとして、それに対して大衆が疑念を持って近づけないの
であれば、その「党」は大衆と共に進む党にはなれないわけです。大衆が
自由に出入りし屈託なく批判し文句をいい、党の決定に対して外部から影
響を与える事ができるのでなければ「党」として必要性を感じない。
というわけで四トロ系の人々には、まぁ「将来出来る党」を構成するカケ
ラの一部になるように努力してくれれば・・・というのが一ファンの気持
ちです。
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いろいろ問題の核心の周辺をぐるぐるしているわけですが 投稿者:草加耕助@懐かしの80年代左翼 投稿日:12月27日(月)05時00分15秒
で、結局どうすりゃいいんだー!という。安易な結論を他人に求めてみる
(テスト。
なんというか、わたし的には思考を進めれば進めるほど、今のSENKI派の
「権力奪取を目指さない運動」とか「左翼以外の様々な思想の人達との対
話」とかオルタナティブとしての「環境革命」とかに近くなっていってし
まう。
ま、こういうのは「いろいろやってみる」中でしか答えは見えてこないの
かなと思っているわけですが、いずれ「現場復帰」した時にSENKIと接触
するんが、自分のスタンスが決まっていない今は気が重い。理屈部門でち
ゃんと反論できひんのが癪にさわるというか。Giyaさんみたく「理屈は良
かったが現実は違った」なら、それはそれですっきりするんだが。。
>サヨクの世間の狭さ
ちょこっと烽火派と仲が良かった時、彼らの学内集会に大衆団体名で連帯
アピールに行ったことがありました。その時の連帯アピールが「7団体6
名の結集」による連帯のアピールだったという(w
あと、活動やめて随分とたってから偶然に知り合った元ノンセクトの方と
飲んでたら、当時のお互いの「左翼関係の知り合い」がほぼ全員共通して
いたという。
http://hatahata.mods.jp/archives/2004/06/post_26.html
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黒目さん、そうですよん 投稿者:TAMO2 投稿日:12月26日(日)23時19分47秒
ええっと、今の日本人にとっても「党」とは、パブリックなものとしてイ
メージされていないのでは、
と小生は言いたいわけで。んで、これがまた共産主義者の党とかにも反映
しているんじゃねえか、と。
で、「山本七平」で「空気」で、「超OK」ってのは、まさに日本社会の
「空気」への皮肉で書いたつもりであります。
よって、黒目さんの書き込みに同意。
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氷川清話 投稿者:黒目 投稿日:12月26日(日)22時35分15秒
これ、文脈がよくわかんないんですけど、党批判の文意じゃないの??
まあ、当時の「党」という概念が今の「党」のようなもんであったのかど
うかがそもそも謎ですが、現代的な「党」概念でいけば、それは世界観を
共有し、社会に、パブリックな領域に働きかけていこうとする集団性、と
いう事になりましょう。で、そういうもんであるから、逆規定されて、党
というものが公のもんであると仮定されておるわけです。
せやし、党の指導部の○○さんと××さんが仲悪くて、喧嘩して、組織が
ばーんと大きく割れたりする。党が公のもんやったら、そんな話になるわ
けないやんけ、よおするにお前ら、ワタクシの部分で動いてるんとちゃう
ん?
という話かと思いました。
まあ、現代的にも、なんで割れたのがでんでんわからんようなもんがいっ
ぱいあるわけですが(W
空気の研究の方はさらにわからんのですが(w、まあそおゆう「空気を読
む芸」だけが発達するような状況がさー、ねちょねちょしてて気色悪いな
あ、という話をしてんだと思うんですが。
空気読んでる奴と、空気全く読まないで「ボクの話」の演説始める奴の2
種類しかいなかったりして(w
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カザルスは戦時中ナチスに対し 投稿者:三浦小太郎 投稿日:12月26日(日)19時33分7秒
皆さんもご存知でしょうが、カザルスはスペイン内戦の共和国側の敗北後
フランスに亡命、ファシストの支配する国では演奏はしないと宣言してス
ペインへの帰国も演奏会も拒否。そして第2次大戦勃発。フランスはナチ
スに敗北、占領される。ここでナチス軍人がカザルスの亡命先の家を訪れ
た時の会話。簡潔ですけど迫力がありますな。
「貴方は何故ドイツでの演奏を断られるのですか」
『スペインでの演奏をお断りするのと同じ理由です』
「ああ、貴方は誤解をされていますね。ヒトラー総統は偉大な人物で芸術
と芸術家を尊重なさいます。」
『それは貴方方の意見であって、私には私の意見があるのです。』
最後までいかなる形でもファシズムに協力する事を拒んだカザルスは、第
2次大戦の終結が、連合軍によるフランコ政権の打倒をもたらすと信じて
いたのですが、英米の世論はむしろフランコに同情的でした。『ファシズ
ムの根はどこにあろうと刈り取るという連合軍側の言葉は一体どこに行っ
てしまったのか』こうして戦後、カザルスはスペインに民主主義が復活す
るまではフランコを認める国際社会では原則的にチェロの公開演奏を拒否
するという抗議を貫いたのでしたね(こういうのは学校で教えとけよな。
クラシック好きのある青年が全然知らんかったぞ)
あ、ついでに。村治佳織さんという日本の女性ギタリストが、今年の夏
「トランスフォーメーション』というアルバムを出したんですけど、内容
はビートルズのカバーのほかに、武満徹の『広島という名の少年』という
曲とか、ギリシャの作曲家で、軍事独裁政権に断固抵抗したテオドラキス
の曲(しかも『エピタフ(墓碑銘)』という曲集から選んでいる)を入れ
たり、ステイング(元ポリス)の平和と死への抗議のメッセージソング
『フラジャイル』を、そのステイングのバックバンドのギタリストとの共
演で録音してアルバムを閉めるなど、結構クラシッツクギタリストとは思
えないメッセージアルバムを創ってます。この人美人なせいか何かアイド
ルっぽく売られていて可哀想であるが、中々骨のある作りですよ。しかし
黒田恭一とか言う解説者がなーんにもこのアルバムコンセプトをわかって
おらんらしく全くこのアルバムのテーマに触れておらん。私に依頼が来れ
ばその辺をきちんと解説してあげたのであるが(来る筈も無いが)、もっ
たいない事であった。この板の皆さんは是非応援してあげて欲しい。
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「悪党」リンクで思ったこと 投稿者:TAMO2 投稿日:12月26日(日)19時18分56秒
ワシら悪《わる》の結社ですが、傾奇(かぶき)者度はまだまだですな。
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来年はトリ年に因んで 投稿者:まっぴょん 投稿日:12月26日(日)16時14分14秒
こんなサイト見つけました。
http://www.runde.jp/peace/index.html
「これから短いカタルーニャの民謡《鳥の歌》を弾きます。
私の故郷のカタルーニャでは、鳥たちは
平和(ピース)、平和(ピース)、平和(ピース)!と鳴きながら飛んで
いるのです」
(パブロ・カザルス 1971年10月24日 国連平和コンサートにて)
I will play a short piece of the Catalunyan folklore.
This piece is called "THE SONG OF THE BIRDS"
The birds in the sky …in the space…sings…"PEACE! PEACE!
PEACE! "
今回の年賀状のテーマはこれで (・∀・)イク!!
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山本七平!(^◇^) 投稿者:まっぴょん@悪七兵衛景清 投稿日:12月26日(日)14時40分10秒
山本七平は二次会過去ログで「なおちゃん」が紹介してましたね。
「にせユダヤ人と日本人」買って読んだけど、抱腹絶倒!山本のインチキ度満開でつ。
http://redmole.ktplan.net/1999/1999-09a.html
しかし、ニセユダヤ人「イザヤ・ベンダサン」=山本七平が振りまいたデマを
いまだに信じている人がいるというのは恐ろしい。
曰く「日本人は水と安全をタダだと思っている」
曰く「多数決において全員一致は無効である」
※曰く「日本刀は3人斬ったらきれなくなる」・・・・これは別の著作ですが。
http://www.geocities.jp/yu77799/nihontou.html
ちょっと話がそれるけど、中世では「悪」は必ずしも悪い意味ばかりじゃなく
強いという意味もあり、「悪党」にも反権力武装集団のイメージがありますね〜(^^)
http://www.asahi-net.or.jp/~XF6T-HRD/kage1.htm
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「空気」と「党派」 投稿者:TAMO2@プロスタ出自 投稿日:12月26日(日)11時28分35秒
外部から見たらどうしようもない「あかんたれ」でも、空気を読めば超O
K。山本七平って、どうですかね? 浅見定雄さん読んでから、眉唾と思
いまともに読んでいないわけですがww。
小生の尊敬する勝海舟の氷川清話をコピペ。日本においては「党」とつけば「徒党」「悪党」の
イメージで、係わってはいけないというイメージが醸成されているように思われます。
しかし、近代個人主義を是とする今、私としての「党」なしで、どれだけ有効なことが出来るのかと
も思う。
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人を集めて党を作るのは、一つの私ではないかと、おれは早くより疑っているよ。人は皆さま
ざまにその長ずるところ、信ずるところを行なえばよいのさ。社会はおお
きいから、あらゆる
ものを包容して毫も不都合はない。
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よゐこ 投稿者:へら 投稿日:12月26日(日)01時28分41秒
これまでの運動系というと、日本共産党に代表されるような大学出のイン
テリの運動というのを連想する。
行き場所がない系は、まあ俺もそうなんだが歴史にどれだけコミットでき
るのかと思う。
まあ酒瓶抱えてのたれ死にで終わってもそれはそれでと。
青山正明の人生すらわかる気がするから。
>そこでだな、そおゆう学級委員系の人とも共有できるような枠組みの運
動をやね、やらなあかんのんとちゃうん!
それは政治家としての役割だろう。本来の意味での。
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まあ、「学級委員」系の人はほっといても運動やるからいいか、と思ってるんやけど
(W 投稿者:黒目 投稿日:12月26日(日)01時16分51秒
そこでだな、そおゆう学級委員系の人とも共有できるような枠組みの運動
をやね、やらなあかんのんとちゃうん!と俺は思っちゃったわけですよ!
それでいらん苦労を抱えているような気もするんですが(W
まあなんしか、ああゆう形態とは別系統の動きは作っていかないと、行き
場所がないよ、という人がぎょーさんおるからなあ、という思いで動いて
るんですが(W
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私は現役サヨクではないが 投稿者:へら 投稿日:12月26日(日)01時06分59秒
>学級委員とかやっててその延長の良い子の道を究めた形態としてのサヨ
クになるタイプの2つに分かれるやん?その辺の問題が根元にあるような
気がするのことよ。
それだ!
「ナウなヤング」という用語を提出したのはそれを言いたかったのかな。
私が迎合といったのは自分が「運動」という言葉に違和感があるというこ
とに、これはサヨク経験者としてはいってはいかんことかと想った感覚に
対してで。。同世代の現役の人たちにわるいよなあって。
泥酔モード。
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わはは 投稿者:黒目 投稿日:12月26日(日)00時59分34秒
http://www.falgitanos.com/の人が三上寛と最近一緒にやったとかで。
「斜めに動くダルマ」みたいな感じでものすごい事になっとったとかゆう
噂話をこの間聞いたな
「なうなヤングに迎合」というかさー。なんかどこにも存在してない「ナ
ウなヤング」の像を仮定して、その架空の「ナウなヤング」に、超主観主
義的に迎合してみせる、てな感じがおぞましいんじゃないの?
世間の「ナウなヤング」って、もうちょっとフツーやで(w
せやし、世間にはぐれてサヨクになるタイプと、学級委員とかやっててそ
の延長の良い子の道を究めた形態としてのサヨクになるタイプの2つに分
かれるやん?その辺の問題が根元にあるような気がするのことよ。
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世代といってもいろいろなトライブがあり 投稿者:へら 投稿日:12月26日(日)00時49分31秒
ああ、パンタはソロでコマーシャルやアイドルやってましたな。
ブント系だとヴギウギが女子差別だとかで嫌われていた。
しかしあそこまで屈折した地平を獲得した割には今の若いのは君の行く道はーとか平気でリメイクする
嘆かわしい
ミチロウときたか。結局三上寛なんだが
サヨク業界について。確かに時代時代に飛び抜けた人材はでてはいるが、のこりの99パーセントは凡庸な人々。
これはサヨク業界だけではなくいかなる業界にも当てはまる、北朝鮮であれ芸能界であれ。
右であれ左であれ「運動」という言葉が持つなにか漆黒があるなあ。世間においては。
ひょっとしたら運動という言葉を使うセンスそのものがとわれるのか。
こう言うおれがナウなヤングに迎合しているのか。
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あそおか 投稿者:黒目 投稿日:12月26日(日)00時43分31秒
俺が初めてパンタの記事&曲に遭遇したのは80年代前半だかで(遠藤ミ
チロウがフルチンで歌ってた時代)、バラードとか歌ってて、「ブーゲン
ビリア」とかさ。なんかよおわからんかったんよね、最初(W
後に頭脳警察のがcdで再発されてびっくらこくんですが。
追記
関西ローカルな話なんですが、やはりおれらがおれらだけで運動やってた
んやったらそれまでやろう、というナニで、俺とかは大枠の、まああんま
り俺らなんかとは似ていないような人たちも多く来ているような枠組みの
会議や集会にいって、おれらのゆうてる内容を出したりとかしてるんです
よね。まあそおゆう苦労が「運動」なんとちゃうんか、というアレなんで
すけど、・・・・まあなかなかナニがアレやね、という(W
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カルトセクトヴギウギと素人のど自慢 投稿者:へら 投稿日:12月26日(日)00時37分54秒
>そういうのって、スターリン主義的な問題なのか、あるいは「日本的問
題」なのか?
極私的には抵抗する者のセンスを信じたいが。
いやパンタもバーストに登場しているし
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姿なき司祭 投稿者:黒目 投稿日:12月26日(日)00時28分48秒
すげー印象での話とゆーか、人の論点の切り張り的な話なんですが、
例えば、現在の日本では、自衛隊の派兵に反対しちゃいけません、という
法律はないわけです。三権分立のナニにより、そんなアホな法律を国会は
立法できないし、裁判所はそれが有罪だと判決を下せない。しかし行政で
ある警察は戦争に反対する奴を逮捕し、裁こうとするわけですな。
それとものすごく同様に、たとえば「知っている状況」で言えば、某大学
には「○○派のやる事に反対してはいけません」という規定など、どこを
どうさがしても無く、かつ、それを行うと死んじゃう、というような状況
があったりした。そこでは「法の改定」は行われておらず、かつ、支配者
は自らの意図を貫徹する事ができる。
そういうのって、スターリン主義的な問題なのか、あるいは「日本的問
題」なのか?
例えば丸山真男なんてひとは、東京裁判の証言なんかがある中で、
「然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起こしながら、我こそが戦争
を起こしたという意識が、これまでのところどこにも見あたらないのであ
る。何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突
入したというこの事態は何を意味するか。」
というような事を書いています。
その辺の話をちゃんとしやなあかんかなあというアレなんですけどね。
別に、新しいファシズムの新方式が発明されたわけでもなんでもなく、古
いもんがまた引っ張り出されてきているだけなんだから、こっちも古いも
んをひっくりかえしてみる価値はあるんじゃないかしらん、と。
ていうか、なんでエヴァゲリオン世代が頭脳警察知ってるねん(w
追記
つーか、サヨクの世間の狭さっちゅーか(w、なんかおれらの「世間」と
いうとサヨクの世間やったりするんですが(w、というか仕事とか近所づ
きあいとかそおゆうのんはそもそも日本的にぬらぬらして気色悪いもんだ
という前提でおるからかもしれませんが、なんかサヨ的な世間も、実に日
本的でぬらぬらして、まわりがどんな事を言っているか顔色をみて、敬語
を使い分けたりして(w、そおいう状況が支配しているのって、心の底か
ら不愉快なんですよね(W
つーか、それが我が国のサヨクがまともに反撃を組めない理由の根もとな
のではないかと考える次第であります。
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ブギウギ 投稿者:へら 投稿日:12月26日(日)00時04分36秒
>確かに、「セクトヴギ」の昔から、
パンタすか
今は赤い鳥が小田和正の番組で歌っている。
スターリン型はわかりやすく反攻しがいはあるが日本的という支配形態は…
手のひらへ太陽をー。君の行く道は。民青。しゃべり場。若い広場。ナウ
なヤング。クラス委員。気持ち悪い。
すまんエヴァンゲリオン世代で
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イマイチ、論点の軸をうまく提示できないのですが 投稿者:黒目 投稿日:12月25日(土)23時30分34秒
話の根もとはとゆいますと、最近考えている事なのですが、ひとつには、
現在の日本の支配の様式をどのように考えるのかとゆー事、つまり「日本
型ファシズムリターンズ」はどういうもんとして行われれようとしている
のか、とゆー事をちゃんと言語化していかなければなるまいと思っている
のです。
キーワード的な事を考えているのですが、ひとつはスターリン主義型支配
との類似。もうひとつは丸山真男なんですよね(w
で、そのスターリン主義型支配との類似のところなのですが、おれらなん
かは、そおゆうのんを既に経験したりしているわけで。学校やなんかのセ
クトの支配であるとか、あるいはもっと薄い形でのサヨ業界政治とかやな
んかでさ。
んで、もうひとつの、俺がここでしようとしていた話なんですが、このな
んとゆーかさ、サヨ業界の薄気味の悪いぬらぬらした、これはなに?とい
うのを、ちゃんと言語化したいなあ、と。
確かに、「セクトヴギ」の昔から、こういうのって「セクト問題」に切り
縮められてきたというところはありますね。それがもう一つの袋小路をつ
くってしまったのではないか、というのは、確かにそのとおりかもしれま
せん。
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スタイリッシュ 投稿者:へら 投稿日:12月24日(金)23時48分8秒
>第四号、五号はどうしちゃったんですか?・・・・ざんねん!!!
侍ですかね。ロシア構成主義はかっこいい。今でも宣伝の技術としてはクール。
さて仏教徒ですが、レノン=ヨーコにめりくり
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あ、TAMO2さん> 投稿者:臨夏 投稿日:12月24日(金)22時32分26秒
>アルチュセールやストロース、サルトルらを俎上に上げ
クロード・レヴィ=ストロースは、
レヴィ=ストロースで、一つの苗字ですよ。
フランス貴族の、領地を示すかなんかの問題ではなかったでしょうか。
他にも、
メルロ=ポンティ、トゥールーズ=ロートレック(やったかな??)など。
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Re:さぁ、あなたも一緒に「バカ」になろう!(笑) 投稿者:まっぴょん 投稿日:12月24日(金)18時43分27秒
うっかりしている間に第四号を買いそびれてました。
それにしても、1〜3号の装丁はかっこいいのに、
第四号、五号はどうしちゃったんですか?・・・・ざんねん!!!
・・・中身より「格好」を問題にしてしまうヾ(^o^;)
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七人の侍+実行委員会組織論 投稿者:久我山無政府道場(笑) 投稿日:12月24日(金)12時47分35秒
人は目的を以て集まり組織を形成するが、目的を達成した段階
で解散し、また別の目的が出てきた段階で別な組織をつくってい
く。限りなき離合集散。そして組織単位は、常に大きくしない
(スモールイズビューティフル?)
個人も組織も放っておけば必ず腐敗し官僚化する。「民主的」
にチェックするったって限界がある。官僚化を防ぐ対策の極北と
もいうべきか。
要するに、農民を解放した七人の侍は、「農民解放実行委員会」
を恒常化することなく、ましてやそこの官僚(「専従」とか:笑)
になることなく、さっさと「後はあんたらで勝手にやってね」と去
っていく。これですな。
すべからくいうと、「全ての法人組織・政党・党派等々は、実行
委員会に改装せよ!」
(実行委員会という名のノンセクトセクトがどっかにあった、とか
いう突っ込みはこの際やめといてください(苦笑)
とはいえ、実際、そんなことばかりやってられるわけもないか
ら、どうしましょうか、なるべく、ネットワーク型の組織にでも
しちまうか、とかいう話なんでしょうけども。
しかし、それでテイコクシュギとどうやって闘うのか、キュー
バをどう防衛するんだ!という突っ込みも大いに出てきそうです
な〜。ぐるぐる。
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>いやだから 投稿者:イレギュラーず 投稿日:12月24日(金)10時49分12秒
銀英伝ファンとしては(苦笑)
「どのように権力を縛るか」という話でもあるのではないかと(「支配-
非支配」の関係において)、ヤン・ウェンリーも言っていたのではなかったか?・・・
で、民主主義も国家形態だと「誰か」がいっていたのではないかな?いか
にして階級なき社会にいたろうとするかで、アナキストと「マルキスト」
の古典的論争が展開されたのではなかったか?
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いやだから 投稿者:久我山無政府道場(笑) 投稿日:12月24日(金)10時15分55秒
>なんで「権力」を持つとこうなるのか?
人間も組織も何でもそうなんだってば。
。。と、『アナキスト』らしくたまには言ってみたりする(笑)。
なので、突然「経営学」(経営組織論)が登場したりするわけです(ひたすら概出)。
完全無欠で誤謬なき人間、という見方でいえば、新古典派経済学のいうホモ・
エコノミクスも、古典的サヨク(新旧問わず)の人間観もカワランのかと。
要はそういう「決定論的」な見方自体からの離脱なのかと。実態からの出発と
いうのはそういうものなのかと。
>アクティブな活動家が50人クラス
↑まさに「こういう輩」に苦悩した経験のアル私としては、そんな感じですかね〜。
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もちろん「党派」批判にしてはいかんわけです 投稿者:草加耕助@懐かしの80年代左翼 投稿日:12月24日(金)05時25分22秒
>もちろん、これはセクトに限った話ではない事は前提ですが。
↑これは強調したいです。私の現役時代に活動していた地域はやたらノン
セクトが強くてね。ノンセクトも50人とか100人とかの集団になってくる
と、セクトとそんなに変わらない。つーかセクトよりもたちが悪い。
活動をはじめる前の私のノンセクトに対するイメージは「内部にいろんな
考えの人がいて、各自が(上からの指令でなく)自由な立場で行動してい
る緩やかな連合体」だった。もちろんそういうノンセクト団体もあった
し、彼らとは思想や行動を離れても通用するような友情も芽生えた。
でも、上記のような「一枚岩で大集団のノンセクト」達は(詳細や個別名
の開示は遠慮させてもらいたいが)はっきしいって「!?」な人たちだった。
「カテキズム解体」も「反内ゲバ主義」もいいんですが、それを「党派VS
ノンセクト(あるいは大衆)」という文脈で語るのではいかん!と思うわ
けです。これはそんなわかりやすい、底の浅いもんではないよと。
なんというか、「普通の会話」が成立するノンセクト団体というのは、実
態が個人だったり、あるいは学内では右翼や共産党に苛めぬかれて悲哀を
味わっている少数派の人、つまり権力を持たない、ある意味で虐げられた
人達ばかりだったわけです。
ところがアクティブな活動家が50人クラスで、自治会などの地域権力を持
っているノンセクトとは、ほとんど会話が成立しない。党派の立場からの
色眼鏡もあるんでしょうが、彼らの言動には、黒目さんの「カテキズム批
判」や、まっぺんさんの「内ゲバ主義批判」がどんぴしゃ当てはまるもの
も多かったと思う。
だからこそね、私はこの界隈の問題についてはすご〜く深刻に捉えている
わけです。
「党派」だとか「レーニン主義」だとか、いろいろな論者が原因としてあ
げるものがこの世からなくなれば、カテキズムなり、それをストレートに
他者に強制していく内ゲバ主義なんてもんもなくなるのかと言えば、非常
に悲観的に考えざるを得ない。
そうゆう団体なり運動を個別的に解体しても、モグラ叩きかイタチごっこ
か知りませんが、やはりしかたない。問題の解決にはならないのかなあと
思うわけです。
なんで「権力」を持つとこうなるのか?左翼的思想に問題があるのか?そ
れとも所詮ホモサピエンスとは、大は「国家」から小は「セクト」まで、
何らかの共同体という「群れ」と「縄張り」を形成して他の群れと争う習
性をもった「進化した猿」にすぎないのか・・・。
2CHの戦旗スレでも書いたことですが、インターの「わかりやすくて正し
い方針」の一つである「反内ゲバ主義」に対しての一番の不満は「じゃ
あ、あんたらが将来スターリン主義や内ゲバ主義にならない保障はどこに
あんのよ」ということです。
ノンセクトでさえ「守るべき利害」の前では内ゲバ主義化する。ましてや
インターはれっきとした全国組織。「そうなりません」とか「気をつけま
す」では信用できない。
自分達の「外」に「内ゲバ主義者」という悪者を設定して、それを非難す
るのも必要でしょうが、運動や左翼の内部問題として、自分達の問題とし
て、このことについて悩んでいないんじゃないかということがあります。
>自分のところだけが唯一正しくて、それは自分の信仰の体系の正しさに
よるものだ、みたいな
でもねー、80年代初頭の政治集会での基調報告だったと思うんだけど、
「我々は多くの過ちも犯してきた」まではいいとして「現在の方針も過ち
かもしれないが」とか「これからも多くの過ちを犯すかもしれない」とか
言い出しちゃって。。。
空気入らないんだよね(笑
「間違っているかもしれませんが、イラク戦争に反対しています」とか?(爆)
旧戦旗派で活動をはじめる前に言われたことの一つに、「『正しさ』とは
相対的にしか存在し得ない」というのがあってね。まあ当たり前でもある
んだけど、「左翼のくせに」そんなことを言うところが気に入ったわけで
す。上のインターへの不満でもお察しの通り、だから私の党派への結集軸
は「スタ克」だったわけです。
こういうマルクスやレーニンも含めて「正しさ」を相対的にみる発想が、
パラチェンをスムーズになさしめたことの遠因の一つかなと思います。
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