四トロ同窓会三次会 2005年1月7日〜11日

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メシアニズムそのものは 投稿者:三浦小太郎  投稿日: 1月11日(火)10時25分39秒

これは右の側から見ても、ロシア革命はある意味メシアニズムそのものの一面を有していたんじゃないでしょうか。

私がメシアニズムというのは(1)矛盾に満ちた現実の全否定によって一挙に理想社会に到達しようとする政治・宗教運動。中世の千年王国運動に始まる(2)絶対的、宗教的な理想を政治の現場で実現しようとするため、異論や社会の矛盾を排除する極端な独裁制やある種の神権政治に道を開く。(3)これは、世界が根源的な矛盾に直面した時(まさに第1次世界大戦という「世界戦争」と、それへの回答としての「世界革命」概念の勃発、旧伝統社会価値観の崩壊と、それまで封殺されてきた民衆の最も根源的なラデイカリズムの噴出)、しばしば左右を問わず過激な革命思想として生まれる。そして、その根源には、民衆のあらゆる権力機構への「否」という意識を、「党」もしくは「宗教的指導者」が、自らの権力こそが「破壊」を通じて民衆の意識を体言するものである、という形で、本来最も非政治的・反政治的、近代的な政治概念そのものを否定しているはずの民衆意識を「収奪」し、「新たなる権力」に従属させていく。「革命運動」が同時に「革命専制権力」を生じさせる(4)その結果旧体制以上に、「革命的」であると共に「専制的」な「私たちの指導に従わぬものは反民衆・反革命である」という抑圧機構に変貌していってしまう、という傾向を、皆さんはメシアニズムと呼ぶんでしょうか?この理解でいいとすれば私としてはよく分かるんですけど。この意味では、ファシズムもある種メシアニズムの典型なんで。

もし、そうであるとすれば、今議論されているのは、古くて新しい「革命か抵抗か(反抗か)」という課題ではないでしょうか、現代社会において、「絶対善」を実現する事を目指すのか、「悪」に抵抗するかを目指すのかという。私は今右であれ左であれ運動というのは、このいずれかを選択するかが大切なんではないかと思いますけど。前者であれば、名前はどう変えようと前衛党は必要でしょう。後者ならば、党派が入ろうが入らなかろうが、党派的な運動には本質的になりようがないですよね。

あと、リゾーム型、などという難しいことばは知らなくても、それこそ額に汗して働く全ての人々の生は、本質的にリゾーム型というか、ある種の「相互扶助と緩やかな連携」で成立しているはずだと思いますよ。これは人間の生活というのはもうはるか昔からそうだったと思うんですよ。むしろ、そのような生活の本質的なあり方を、いかに運動体の中で生かしていくか、また運動の側がこのような、最も非政治的な形で現れる人間の生のありようを決して軽んじることなく向き合っていくかという事が、多分スターリニズム批判,ファシズム批判の根底にあるべき姿勢だと思います。今働いている民衆の意識を引きずりまわし、上から命令するような運動なんか拒否する、という「久我山」さんのおっしゃりたい事は全く正当なスタ批判と思いますが、本来の左翼思想・運動というのは、そういう民衆の言葉にならない、思想化されない生のあり方が権力機構によって抑圧・迫害される事に抗議することから始まっているんであって、政治権力やあらゆる外部からのイデオロギー注入を拒否し、むしろ民衆の権力への「否」の意志を持って、権力機構を解体することが原点だと思うんですよ。(本当は右翼もそういう面、近代的・資本主義的価値観への根本的な「否」の精神を失ってはいけないんですけどね・・・まあそれはそれとして)

まあついでにいいますと、「北朝鮮帰国事業」あれもある種のメシアニズムと言うか、まさに千年王国運動だったと思いますね。ああいうのはやっぱり害悪のほうが大きいな。そして、また無理な展開しますけど、もしも左派の方々が北朝鮮問題を考える時は、現実の色々な政策への批判や提言以上に、何故反スタ、反権力の思想を有していたにもかかわらず、「家族で静かに充実した生を送りたい」と言う思いで生きていた横田さんたちの、まさに民衆の根源的な生をスターリン主義国家が踏みにじったこと、また、今現在、「国家」から逃れて中朝国境をさまよっている人々に対し、左派の動きが(例外はありますよ)何故やや鈍かったかという事が重要だと思うんですよ。そこにはやはり、未だに右も左も、広い意味での「党派概念」から脱却できていない一面があると思います。

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伊達さんと黒目さんの提起は 投稿者:草加耕助@今日から正月休み  投稿日: 1月11日(火)04時35分8秒

わりと重要だと思いますね。

>つまり世の中を変革するということに展望があって運動に参加したと言うよりは、
>世の中が悪くなることに抵抗することが動機になっているということです。
(by伊達さん)

しかしまあそれは、誰でもそうなんじゃないですか?左翼というのは、不正や暴虐を見て許せないというところから誰でもはじまっているわけで。

>「戦争を止めるには世界を獲得するしかないんだ」って形で整理していくのが
>「党派(的)運動」のひとつの様式なのではないか
(by黒目さん)

ひとつの様式というより、それが党派の仕事と自覚していた。「自然発生的な善意に方向性を与え、力にたばねて変革につなげる」という”プロの仕事”。つまり「革命が必要」となっていくわけですが。

しかし変革の青写真を提示してそれへの結集をもとめたとたんに「メシアニズム」とか言われてしまうんではちょっと窮屈かな。そのへんはもう少し整理しないと。私は単に「ボルシェビキズム」への批判・疑問でいいと思うんですが。

たしかに現状に抵抗するだけなら党はいらない(あってもいいけど)と思いますね。党が運動を「所有」する形になったらかえって党は害悪だとも思いますし。

三里塚でも反対同盟の権威があれほど高くなくて、党派主導の運動だったらと思うと、非常に否定的な観測をせざるを得ないわけで。同時に党派の力があったからこそ、あそこまでやれたとも思うわけですが。日本における党派運動の意義なり限界なりを考える上で、三里塚の今日までの総括は非常に重要な気がします。

今のところ、みんながかかわっていただけに、誰も総括できない。3・8分裂の傷が大きすぎて「わしらの方針は正しかった。他が間違っていた」的な方向でしか思考が働かない。中核も戦旗もインターも、そしてそのOB達も。党派に属してなかった人も(掲示板などでの印象では)今のところは党派的総括の引力圏内にいるように思えます。

しかしまあ何と言うか確かに「抵抗」だけでは駄目だという思考はやはり私にもあるわけです。取り組んでいる運動の対象が悲惨なものであればあるほど、法律に反対しているだけなのはもう嫌だ!むなしい。一刻も早く法律を作る側に立たなくてはという思いが。

そしてそのためにはやはり党が必要なんだろうと思います。三里塚でも釜ガ崎でも日本原でも感じたそのむなしさを「党建設」や「運動の発展」を通じた「革命の前進」によって昇華・代償させていくのが党派活動家なわけです。そのためには「多少のこと」はやる覚悟があったわけです。

この下のほうでインターOBの方が言っていたことを少し代弁しますと、抵抗の運動というのは勝たない以上は負けだ。そして大局的にはいつかは負ける。いつかは消える。高揚の後には「決意を固めた少数」によるサークル運動しか残らない。
これに対して変革の(党派)運動というのは、大局的には負けない以上は勝ち続けているのであり、たとえ1ミリづつでも前進し続けていれば、いつかは勝てる。だからとにかく「人」をこちらに獲得しなくては運動の高揚も無駄に終わってしまう・・・と(極端な表現にしましたが)思ってましたね。

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んだからそれ、前に展開したじゃないですか 投稿者:黒目@踊り念仏  投稿日: 1月10日(月)22時12分8秒

ロシア革命の過程は、ロシア大衆の運動をボルシェビキというメシアニズム運動が簒奪した過程である、というのが私の基本認識です。
で、そうであったから、スターリニズムが発生した。
「スターリニズムに転落しないタイプのボルシェビキズム」という形の運動は、いまだに発明されていないと存じます。

んでね、我々は本来、例えば「戦争を止めたい」とか「天皇制を廃止したい」とか、そおゆう話で運動してんであって、世界なんか獲得したくないわけですが、「戦争を止めるには世界を獲得するしかないんだ」って形で整理していくのが「党派(的)運動」のひとつの様式なのではないか、という話をしとったわけで、そおゆう「世界獲得方針」というのがメシアニズムの特性なんではないか(世界を獲得することが救いである、てな塩梅)つー理屈であります。

下でも坊主の様式として左翼の様式を整理しようという試みがありましたが、左翼の方針は宗教的「救い」に似てくるのであって、そしてまた気が付いたらほとんど同じものになってたりするのであって、その辺を自覚的に相対化していかなマジでしゃれならんと思います。

追記
もちろん、ボルシェビキ派の運動の系統に属する人々による、スターリン主義発生に対する取り組みは様々な形で取り組まれているのは知っているわけですが、
それは基本的にレーニンの定義した形からどのように離れるか、どのように再解釈を加えるか、という形でしか行われていないのではないか?
レーニンが書いた事を素直にそのまま実行に移せば、それは甚だスタ的香りのするものが出来上がるという事は、例を挙げるまでもないかと存じます。
で、党内民主主義であるとか分派の自由であるとか、その他諸々の再解釈があるわけですが、それって「民主主義の運動」の内容を混ぜて、薄めていくような作業なんじゃないの?と思うわけです。で、それが「薄めていく」事でしかない結果、レーニンそのものが、あるいはボルシェビキズムそのものが、相対化されて検証される契機が結局、失われてしまっているのではないのか。
例えば戦旗派転向などは、「なにもかもをごっそりと捨て去る」というような形で起こっているわけですが、その中で、そもそも資本主義を批判する為にマルクス主義が導入された筈だったであるにも関わらず、「マルクス主義が間違っているのだから資本主義を否定するのも不当である」というような結論に至っている。これってわけわからん話であって、そもそも資本主義を批判しようとしていたんやったら、別の方法で資本主義を批判する道を探るという方向に行くのんがあたりまえなんとちゃうん?と思うわけであります。
つまり、
「私は資本主義に反対するからマルクス主義者なのだ」というのではなく、
「私はマルクス主義者だから資本主義に反対なのだ」という構造ですね。

まあ、党派の人と話してて、その人の基層のとこでボルシェビキズムへの篤い信仰がごろっと残っているのを発見したりして驚いたりするわけですが、21世紀の今日に至るまで、なんでそんな事になってんのか?という問題意識であるわけですが

もういっちょ追記
もちろん、メシアニズム的体系と化していくのはマルクス主義の専売でもなんでもなく、アナキズムだって常にそういう可能性を持っており、またそおゆうもんもたくさんあるわけで。まあ、マルクス主義と違って「勝利的展開の経験」が極端に少ない結果、及ぼしている害悪も少ないだけなんじゃないかという気もしますが(w

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裏救世主…トカユッテミル(^^;) 投稿者:伊達 純  投稿日: 1月10日(月)21時32分35秒

>時代の空気
 黒目氏と私は、運動に参加するようになったのが天皇代替わりの頃という点で共通していますが(年齢は私の方がやや上)、その頃と60年代終わりから70年代初めにかけての頃とでは全然空気が違うと思います。特にPKO法が成立してから自衛隊が海外派兵されるようになり、憲法改悪が射程に入ってきたことを実感したことから私は運動に参加したということがあります。つまり世の中を変革するということに展望があって運動に参加したと言うよりは、世の中が悪くなることに抵抗することが動機になっているということです。

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飯屋にずむ・・・トカユッテミル 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月10日(月)21時13分47秒

メシヤニズムの話なんかしてませんけどねー。まぁあくまでも過去の「党派運動」のように勝手に解釈されるのは自由ですが、そうなると、僕がひとつの例として書いた「ロシア十月革命」にまで登り詰めたロシア大衆の運動も「メシアニズム」という事になるんですか? それと、ポルトアレグレやシアトルで成立している闘いに匹敵するものを日本の大衆運動が作り出せていない事をもって「自信をもった運動がない」と言っているんですが。

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なんかそりゃ全然インチキなんじゃないですか?(苦笑 投稿者:黒目  投稿日: 1月10日(月)20時01分2秒

「世界党」的メシアニズムによってではなく、ポルトアレグレなりシアトルなりの闘いは成り立っているんであって、それをまたメシアニズムの方向へと回収しようというような試みは、真に反動的なおぞましいものでしかないと思いますが。
これは趣味の話をしているんではなく、運動の話をしているのです。

追記
つーか、「世界獲得系」メシアニズム運動による運動圏の「所有」という事態を脱して、ああいう運動が成り立ってきているのであって、我が国的にはそのような地平をどのように実現するか、という問題意識で、私なんかはこおゆう話をたらたらたらたらしてるんであってさ。まっぺんさんのいわはる「自信をもった」というのは、この話の流れからして、当然にも「メシアニズム的確信」から生じる「自信」の話をしているんであって、この両者はなんの関係もないものですね。

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見にくいですか? 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月10日(月)16時21分18秒

そうですか。惜しいけどなぁ・・・・ゲバラ・・おぉぉ〜い、ゲバラぁ・・・・・
もうちょっと薄くしてみて、ダメなら戻しましょう。

ところで「蒼氓の叛旗」」。ぼくの記憶ちがいかなぁ。
ちょっと我が家の「倉庫」探してきますね。

久我山さん。「自信を持った」というのは「党派」の事じゃなくて運動の事ですよ。約5年前、大衆的デモがWTO会議を粉砕した時、それから第一回の世界社会フォーラムが開催された時、僕は非常に励まされましたよ。正直。資本主義の悪辣な意図を大衆的な力で粉砕できるのだとね。「自信をもった」というのはそういう事です。いま小泉政府は日本の反戦運動なんか鼻くそほどにも気にしてない。これを打開したいですよー。

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遠い目 投稿者:セクトNo.7@天邪鬼  投稿日: 1月10日(月)15時44分49秒

>「ああいう自信」をもった運動にまた出会いたいもんです。
同感です。たぶん、70年代前期の赤軍建設から崩壊みたいな時代を経験した世代に、共通の感じ方じゃないんでしょうか?伊達さんや久我山同志の投稿を否定するわけじゃないけれど、良い悪いじゃなくて時代の空気みたいなもんがそう感じさせるのかな?それとも趣味者の性?
でも、そんな運動ができたら、また「フザケロ!」と言い出すでしょうけれど、我が天邪鬼の性でしょうがないのかな?(藁

草加さん、私は「四トロファン」じゃありません。ただ、運動圏での付き合いが並より深かったもので気になるのです。まっぺんさんと「一緒にしないで!」
まっぺんさん、二次会見づらい感じがします。長文の投稿は特に、私だけなのかもしれないですけれど?

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Re2>蒼氓の叛旗 投稿者:異窓生  投稿日: 1月10日(月)00時18分17秒

しつこくてすいません。(^^;)

>たしかに「パンフ」というより「本」です。だけど、でかいですよ。
>サイズはA3かB4だった。なお、叛旗派はブント神奈川県委員会の
>多数派が分派したものだったと記憶しています。

う〜みゅ・・・
気になったので、調べてみました。(^^;)
http://bunga-shinsendo.com/mokuroku/newleft.htm
によれば「重版B1972年850円四六判340頁」とありまして、
四六判と言えば確か127x188mmだし、私のうすら記憶でもそれくらい
の大きさだったような・・・。
それと、叛旗派って神奈川にどこか拠点ありましたっけ?

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世界は一分間に33回の早さで廻っています 投稿者:黒目@踊り念仏  投稿日: 1月 9日(日)23時49分37秒

実際に我々は、別に世界はハルク・ホーガンみたいなおっさんが一生懸命回したりしているんじゃない事を知っているわけですが。

三浦さんと被るわけですが、
当然にもマルクスは、労働者階級が「解放される事」が即ち「世界を獲得する事」である、とゆーような意味合いで、普通に読めばそういう話として書いていた筈なんですが、それを実態的に「世界を所有する」事である、というふうに「読み違える」奴が出てきたというのが、世界をややこしくしている根もとなんとちゃうんか、と。

で、実際にボルシェビキは「国家を所有する」に至り、それが「勝利」の形である、と理解された、そこから90年代に至るまでの勘違いが続いてきたのではないのか。
「世界を獲得しよう」てなタイプの運動が、それぞれの現場を「所有する」という方向で動いたのは、この勘違いの帰結であるのではないか、と。

そおゆう時代は終わるのかなあと思っていたんですが、いまだに「世界獲得系」の変な運動への欲望は残っている感じっすね。

で、運動構造について、リゾーム構造の優位性とかピラミッド型の優位性とかいう問題じゃなくて、ピラミッドを維持していく事の為に、「世界獲得」的なフカシが導入されるという話なのじゃないでしょうか?
運動の効率的問題で言えば、ピラミッド型つーか、ボルシェビキ型党組織は効率高い。リゾームだのモル状闘争だのゆうてるのんとは問題にならんぐらいに効率高い。そういったボルシェビキ型組織が批判され、新たな組織論が模索されているというのは、ボルシェビキ型組織を作る事によって生じる害悪を、結局のところ回避する手段が見つからなかった、という話なんじゃないでしょうか。

続き
「百人千人規模で認識を共有するなどという事がありうるか?」
やはりそおゆうのって、宗教化した構造の中でしか本来ありえへんと思うんですよ。あと、情報の遮断。リンクされてた2ちゃん共産党板って、いまは名物的人士怪獣大進撃状態なわけですが、なんかああいう形でのコミュニケーションの手段が増大してしまうと、これまでみたく均質化した組織なんか作られへんようになってくるんとちゃうかと思います。
で、宗教化、あるいは「イデオロギー注入」的な在り方ですが、
マルクス主義党派のひとつのお約束として、近代個人主義批判というのがあったと思います。近代的な自立した自由な個人には、イデオロギー注入できないわけです。
それやったら、歴史の発展であるとか人類の進歩であるとか、そおゆうのんはどうなってしまうのか?
そしてまた、ポルポトなり金正日なり、あるいはレーニンなりトロツキーなり毛沢東なりといった人々は、明確に「自由な個人」として存在してきた。
というか、古代より、専制君主自身は、「自由な個人」であった。
専制君主、あるいは「指導的同志」以外の人間は「自由な個人」として存在しえないのか?
百人千人単位の認識共有共同体の中では、自由な個人としての思考・認識というものがもし存在したならば、それは組織内の「異物」となるでしょうし、あるいは「分派の自由」という中間的様式の中では、際限のない分派分立という事態に陥るでしょう。

さらに追記
大阪府警みっちゃん問題その後。
全然関係ないデモで、ビデオ撮影してたら、公安が
「ビデオ取ってネットで公開するようなのが、お前たちの正義か!」とかゆってたそうです(w
1.みっちゃんの行動が正義か?
2.だいたい、k君を「住所を貸してた罪」で令状逮捕するというような無茶苦茶な行為が、正義か?
3.そもそもビデオ取られて困るような事してるのか?
ツッコミどころ満載ですね。

さらに追記
叛旗の新聞が出る前に、何冊かパンフレットが出てたと思うんですが、それじゃないかしらん?>>蒼氓の叛旗

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私は『「ああいう自信」をもった運動にまた出会いたいもんです』とは 投稿者:反『革命』久我山支部  投稿日: 1月 9日(日)19時24分58秒

 全く、全然、思わないんですよね。

 というか、そんな「自信を持った」ヤツラが、縛れる農村で草を刈るばぁさんや、
潰れそうな鉄工所で汗を流すオヤジの気持ちなんぞ、本当に分かるものか、という
気がする。つーか、分かってないのに分かったフリをしてこその「自信」でしかな
いでしょう、そんなものは。

 私?当然分かるはずはない。だから当然、「自信」なんぞ全然ありません。

 しかしながら、少しは分かろうとして色々と喘ぎ、彼らの話を聞き、彼らの汗が
少しは報われる社会であって欲しいと願い、そのために「自分が自分のために」や
れることが何なのかを考えようとはしていますが。

 う〜む。やっぱ、ここが党派(現役で所属・活動という意味ではなく、党派経
験をポジティブに捉え、今も生きているの意。「党派的無党派」を含む)なのか、
そうでないかの違いの要諦、とも思いますな〜。

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三多摩地区委員会では? 投稿者:野次馬の視線  投稿日: 1月 9日(日)17時03分13秒

神津陽さんご自身の記述では下のようになっています。

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/ty3my/hajimeni.htm

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れす 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月 9日(日)13時12分9秒

●格安サイトめっけ!V(-_^)ブイッ

まことさんご指導ありがとうございます。後で見てみます。ところで昨日見つけたんですが「エックスサーバ」という、月額1050円で1ギガバイトもくれるところがありました。なんかオイシすぎてアヤシイような・・・・・どう思いますか?
http://www.xserver.ne.jp/

●壁紙の件

草加さんども!\(^o^) 確かにちょっと見にくいですね。あれでもかなり薄くしたんですが。いろいろいぢってみます。

●蒼氓の叛旗

えっと今手許にないので記憶だけで。たしかに「パンフ」というより「本」です。だけど、でかいですよ。サイズはA3かB4だった。なお、叛旗派はブント神奈川県委員会の多数派が分派したものだったと記憶しています。その少しあと上京してきたぼくは「なぁ〜んとなく」大学内にいた情況派といっしょに活動していました。

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Re>蒼氓の叛旗 投稿者:異窓生  投稿日: 1月 9日(日)12時19分23秒

まっぴょんさん wrote

>叛旗派(神津洋)が出版したブント神奈川県委員会のパンフです。
>持ってます。\(^o^)/

神津陽(洋ではなく)の『蒼氓の叛旗』は、私も昔目を通したことがありますが、
これってパンフというより、普通の本(現代思潮社刊)ではなかったでしょうか?
彼は確か中大ブントだったはずですよね。私もまた叛旗関係者ではないので知らな
いのですが、タイトル本を執筆当時、あるいはその前、彼はブント神奈川県委員会
だったのでしょうかね?

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釜パト動画分室の映像の件 投稿者:草加耕助  投稿日: 1月 9日(日)07時39分54秒

事後報告(それもかなり事後)で申し訳ありませんが、釜パト動画分室の画像をいくつかこちらに転載させていただき、英文ページに残っていた動画をリンク・表示させていただいております。前々から紹介したいと思っていたのですが、動画分室にある動画がすべて壊れて表示できなくなっておりましたのでこういう形にしてしまいました。これを投稿してから遅れ馳せながらメールで承諾を要請しようと思っています。m(-_-)m スマヌ

ところでうちのページに見慣れないURLから半日で150件もアクセスがきてたんで何事かと思いましたら、誰かがこの動画を「動画アップロード掲示板」なるものに投稿してたようです。投稿:大阪府警のあぶない刑事

んでこの映像を見た人からのコメント欄なんですが「反戦」と聞くだけで脊髄反射的に揶揄する人もいたりして、なかなかに笑わせてくれるものばかりでした。ともあれこれでみっちゃんと梶本さんは更に有名になったことだけは間違いない。柱|皿 ̄)q゙ウシシシシ

まっぺんさま>
「ゲバラ壁紙」を取り上げて新しく加工までされたようでびっくりです。
さすがでつね。=*^-^*=
雰囲気はとてもいいですが、投稿のタイトルも赤色なんで、そのへんがやはり見にくくなるかな。タイトル色を変えられないんでしょうか?
それとサイトもお褒めいただき、ありがとうございます。以前はまっぺんさんと同じく、Mac版のPageMillでサイトを作ってましたが、作りこんでいるうちに面倒になってMovableTypeに乗り換えてブログにしました。これで内容に集中できると思ったんですが、今度はサイトの中身そっちのけでMTのカスタマイズ地獄にのめり込み中です。非常にまずいことに面白いんだわ、これが(苦笑

セクトNo.7さま>
>インターネタが多く「本当かよ?」と思う部分も多々ありました

2chの戦旗派スレは、どういうわけか「元戦旗」に占拠されてますので情報も正確なのですが、インタースレは「アンチ4トロ」またはそもそも反左翼的な人の書き込みが多く、いい加減な噂も多いようです。まあ、ある意味で非常に「2chらしい」スレとして育っているんではないでしょうか。4トロファンの方々はこの手の「噂」に振り回される必要もないでしょう。

修行僧>
私的に解釈すれば「自己完結することも可能」という意味になるかな。
党派とノンセクトの違いという側面から言えば「教団と修行僧」の違いというより「大乗仏教と小乗(上座)仏教」の違いというほうが、私としては座りがいいかな。

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過去ログのサーバの件(まっぺんさんへ) 投稿者:まこと@元アカ(汗)収集趣味者  投稿日: 1月 9日(日)05時20分14秒

二次会にアクセスしたら、背景の雰囲気が一変していてびっくり!
ゲバラの壁紙、いい感じを醸し出していますね〜。

市民運動と党のあり方を巡る皆さんの議論、興味深く拝見しています。勉強になります。

さて、ここからが本題なのですが、二次会でまっぺんさんが書かれていた過去ログ用の無料サーバの件です。
私は二年前ほど前まで、無料サーバのアカウントを取得しまくるという妙な趣味を持っていたのですが(w、国内の無料サービスで安心かつ安定的に使えるのはYahoo!ジオシティーズやinfoseek isweb辺りの大手サービスいうのが私の印象でした。でも、この二つのサービスは無料だと50MBまでしかサポートしていませんしね・・・。

ktplanを含め、国内のサービスで100MBまでサポートしているのはホームページシステム(HPSystem)という所のサービスの再販が多いようですが、この系統はどこもあまりサポートが良く無く、サービス提供側が「倉庫利用」をしていると判断すると即アカウントを削除するというのが私の印象です。おそらく今回削除されたのも、過去ログ専用スペースとして利用していたことが「倉庫利用」と判断されたのでは無いでしょうか。

結局、多少お金を出してでも有料サービスを使ったほうがサービス側に「ゴルァ」できていいんじゃないかな、とも思ったりします。某「ナウでヤングな」レンタルサーバ会社のお陰もあってレンタルサーバ業界もここ二年ほど「価格破壊」が進んでいますし。で、ここ↓はどうでしょう?
http://www.sakura.ne.jp/rs/index.shtml

初期費用1000円&年会費1500円(計2500円)で300MB、CGIもPHPもOKという按配です。この会社は「業界」では「老舗」ですから、あまり無碍な事もしないんじゃないかなという気はします。

一応、国内の無料サービスのリンク集のURL↓も張っておきます。
http://tadamono.to/homepage2.html
http://watch.blogtribe.org/

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市民運動と党 投稿者:一同窓生  投稿日: 1月 9日(日)01時04分40秒

レーニン型の「職革の党」とはいかないまでも、専従を多数かかえ綱領ないしは行動綱領を持つピラミッド型
の組織=「党」と単一課題で結集する市民運動とは組織原理上明確に区別されるべきものでしょう。市民運動
は個別課題=個別大衆運動の目的が解決すれば、その集団は解散しますから。黒目さんが、「全共闘の経験とか
べ平連の経験」を「相対化して「経験化」される作業」と言ってるのは、リゾーム型組織、インタネットプロ
バイダ型組織の総括なんでしょうかね。

まずは人類史上もう少し大きい規模でリゾーム型組織が効を奏した例があるのか知りたいですね。現段階では
私はピラミッド型以上の効果的な組織原理はないという考えですが...と思いつつ意外に党内分派はリゾーム型
であるような気がしてきた。第4インターの組織原理には各分派の数に応じた指導部の選出というのがあったし、
自民党の分派がそうですね(分派の力=数に応じた党ポストの配分、閣僚の配分)。考える題材ではあります。

それと「例えば「トロツキー共有できない私」は、第4インター派に結集し得ないわけであって、それは世間を
狭くする事なんじゃないか,,,」という御説ですが、それを自覚してか統一書記局は「トロツキー」を前提と
しない動きになってるようですね。私もトロツキズムの承認ではなくて、ロシア革命のヒーローとしてのトロツキー
の確認だけで良いような気がします。ロシア革命の英雄・赤軍の指導者、悪人スターリンとの戦いに敗れシベ
リアへ流刑、そしてヨーロッパへ逃れ第4インターナショナルの創設、そしてメキシコの地で悪人スターリンの
放った刺客の手で落命。熱い。こんな絵に書いたようなヒーロー伝説が他にありましょうか。

いや、ありましたね、源義経。平家に滅ぼされた源義朝の一子、鞍馬山で修行をし奥州平泉で成長する、やがて、
ひよどりごえの逆落とし、壇ノ浦・屋島で大活躍(トロツキーといい勝負)。そして頼朝に追われ奥州平泉で
藤原泰衡の裏切りにあい落命(ここもトロツキーに似ている)。今もかわらぬ日本のヒーロー。したがってまた
NHK大河ドラマが始まる(明日から)、熱い。

安東仁兵衛@現代の理論なんてナツイですが、ちょっとソッチまでは手がまわりません。広く深く人類史に学ぶ
ことを提案して、まずは寝ます。

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これチャチャじゃないですよ 投稿者:三浦小太郎  投稿日: 1月 8日(土)22時44分9秒

ふむふむさんのご指摘の件ですが、私が一応この文章を右の中で勉強した時はこういう風に解釈するべきだって話になったのですが・・・

この宣言は左右の思想的差異や、現在の共産主義体制の問題を超えて、最も美しい政治マニフェストの一つである。それは、ここで、財産であれ、名誉であれ、社会的地位であれ、全ての『所有』を否定する(打ち捨てる)ことが解放と革命への道であることがうたわれているからである。

『鎖のほかに失うものをもたない』というのは専制支配の政治的抑圧からの解放、または初期資本主義体制の奴隷的搾取の打倒を指すだけではない(それはそれこそマルクスが批判しているルイ・ブラン的な社民主義的改革によってもなしうるであろう)人間が近代資本主義国家権力によって、賃金、財産、社会的地位、社会的補償、また国政参加権などの近代的政治権利などを補償され、それらを『所有』することによって自らを何者かであろうと確信する偽のアイデンテイテイを抱く事、そのことによって真の『生』から切り離され、歴史的共同体からも、真の個人的自我からも疎外されて生きるしかない事を、マルクスは『鎖』と表現したのだ。正確に言えば、プロレタリアもブルジョアも『所有』概念に縛られる限り資本主義幻想以外の何者も得る事はできない。世界を獲得する、というのは、資本主義的所有幻想を放棄した時にのみ、自らが出会う真の自己の実存の事である。この精神は、私たち民族主義の側に立つものも、近代資本主義が我々から何を奪い何を与えたかを考える上で決して軽視する事の出来ない問題を含んでいる。

ま、お笑いください。5,6年前はこんなメモ取りながら読んでました。

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Re:「ああいう自信」をもった運動にまた出会いたいもんです 投稿者:ふむふむ  投稿日: 1月 8日(土)21時06分23秒

まったく同感です。
できれば、「出会う」のではなく、自分達の手で創り出したいものです。
問題は、「プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかにうしなうなにものもない」の意味するところと「先進」諸国の現実ですね。
たしかエンゲルスが、プロレタリアの持ち家についての否定的見解を述べていたと思いますが、あの「失うものは鉄鎖のみ」とは、2様の理解が(つまりは誤読が)可能ですね。
「失うものは鉄鎖のみ」というのは、プロレタリアは「何ももってない」ということなのか、「色々もってはいても(持つ可能性を否定できないとしても)失うのは鉄鎖のみ」ということなのか、昔何回か議論しました。「窮乏化」論の理解に関係する問題ですよね。

皆さんは、どうお考えになりますでしょうか?

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蒼氓の叛旗 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月 8日(土)20時57分45秒

叛旗派(神津洋)が出版したブント神奈川県委員会のパンフです。
持ってます。\(^o^)/

ところで、ちょっと脱線。インドネシア沖の津波に対して、個人が3億ドルとか10億ドルとか寄付した「美談」が伝えられたようですが、「お前らそんなに搾り取ってたのか!」という怒りがこみ上げてきました。とくに「たった3億しか寄付しなかった」ビル・ゲイツ!

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翻せ、叛旗! 投稿者:伊達 純  投稿日: 1月 8日(土)20時33分55秒

 1998年12月のことだったと思うけれども、アメリカがイラクを空爆した際、私は街頭宣伝で、「空爆されたイラクの人たちも、私たちと同じ普通に暮らしている人間なのです」というようなことを喋った。後で、大学で日の丸降ろしをやった友人に、自分が街頭宣伝で喋った中身について訊いてみた。すると友人は、「90点だった」と言った。「残り10点は、どこがいけなかったんだい?」と訊くと、「イラクの人たちと日本の人間とが同じである訳がない」と言う訳です。私は「帝国主義本国人は、帝国主義に叛旗を翻すことによって、はじめて『普通の人間』になれる訳か?」と言うと、彼は、「お、誰が言ったんだ、その台詞? ローザか?」と訊きかえしました。「お前が言っていることから導き出された言葉だよ」と呆れて言い返しましたが。

 日本帝国主義は、現在、新自由主義経済のグローバリゼーションによって、自国の民衆すら苦しめているのではないのか。何よりも、自分が仕合せに生きて行くことができないような日本の世の中の仕組みに対して日本の民衆よ、翻せ、叛旗!

言い訳)
 「叛旗」というブントがあったそうですが、何の関係もありません、念のため。

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おお!まにゅふぇすと\(^o^)/ 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月 8日(土)17時17分51秒

「プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかにうしなうなにものもない。彼らの得るものは全世界である」。初めて「共産党宣言」読んだ時は、なんて独善的で断定的な文章だろうと思ったけど、こういうフレーズが出てくるとかっこえー!!!!とシビレたもんです。(^◇^)
http://redmole.m78.com/bunko/kisobunken/sengen4.html
しかしこういう自信にあふれた文章を左翼は書けなくなったよなぁ・・・遠い目。僕がまだノンセクトだった時分、赤軍派が結成されたんですが、彼らは「明日の地球を回すのはオレたちだ!」と言っていた。「正しいか間違ってるか」以前に、当時の左翼の自信のほどがうかがわれますねー。「ああいう左翼」はもう沢山だけど「ああいう自信」をもった運動にまた出会いたいもんです。

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「世界を獲得」だって? 投稿者:久我山無政府道場(笑)  投稿日: 1月 8日(土)14時22分16秒

 そういう論者は、寅さんにでもドヤシつけて貰いましょう(笑)
 
 そういえば、「世界を獲得」とか何とか元々言っていそうだった
殺人集団・毛沢東主義カルト「マル青同」OB諸君(現在の自称
「がんばろう!日本」<爆笑>)が、どっかの駅前で「民主党とと
もに創憲(改憲)を」という趣旨のビラを配っておりました(笑)。
 仕事直後で酔っぱらっていたら、ぶん殴っていたかもしれない。
くわばらくわばら。(笑)

 ちなみに、日本で最強の「党派以上の(自称)無党派」といえば。。
(以下省略)

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世界は私たちと共にある 投稿者:伊達 純  投稿日: 1月 8日(土)11時57分56秒

 そもそも世界は獲得されるようなものなのか。

 世界は私たちと共にあるものではないのか。

 多くの人たちは、世界を獲得しようなどとは考えていない。

 ただ、この世で最低限、仕合せに生きて行けることだけを願っている筈だ。

 しかし多くの人たちが、その最低限の仕合せから疎外されている。

 もし私たちが立ち上がらなければならないとすれば、自分たちを含めた多くの人たちが、最低限、仕合せに生きて行くことができないような世の中の仕組みとなっていることに対する怒りからだ。

 もし多くの人たちが立ち上がるとすれば、自分たちが、最低限、仕合せに生きて行けるような世の中にすることを求めるためだ。

 そのことを確認しておきたい。

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Re:旗旗サイト(@^^@) 投稿者:まっぴょん  投稿日: 1月 8日(土)11時36分4秒

草加さんのサイト、プロフェッショナルな作りでかっこいいですよねー。
ゲバラ張り紙、ちょっとアレンジして二次会掲示板背景に使ってみましたが、どーでしょうか? 投稿文章が見にくいかな?

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世界を獲得? 投稿者:伊達 純  投稿日: 1月 8日(土)11時21分1秒

 そもそも「フツー」じゃない人間が、「普通の人」を措定して語ることそのものに無理があるような気もするんですがw、普通の人は、世界を獲得しようなんて考えていないんじゃないかな。広島では、現在、老朽化した広島市民球場に代わる新球場建設が問題となっていますが、その議論(現在の場所に建てかえをするのか、広島駅近くの貨物ヤード跡地にするのか、ドーム球場にするのか、オープン型球場にするのか等)に「応援団も参加させろ」と私設応援団のオッサンが主張しているのが広島ローカルのテレビで放映されました。普通の人の考えていることって、その程度のことだと思う訳ですよ。逆に自分たちの暮らしが直接に脅かされる、例えば自分たちの農地に空港を建設するなんてことを頭越しに決められるということになった時に、最もラディカルになるというのも、こういう人たちなんじゃないかとも思います。

 「世界を獲得する」なんて甘言に惑わされて運動を始めたなんて小僧は、簡単に挫折するし、挫折したら、とんでもない反動になるんじゃないかな。

 私はと言いますと、「世界を獲得する」ために運動を始めた訳ではありません、念のため。私は、天皇代替わりの頃、友人が、大学で日の丸降ろしをやって不当逮捕された頃から運動に参加するようになりました。以降、反PKO、反派兵、反戦、反基地運動に持続的に参加してきました。1992年のPKO法の成立が大きなきっかけでした。その中でSENKIの人たちとのつき合いがありました。しかしSENKIの人たちが私をオルグする際には、「世界を獲得する」云々は言っていなかったなあ。

 左翼は(と自分のことを左翼だと思っている人間が他人事のように書いているが)、本当に「世界を獲得する」なんて甘言で人をオルグしていたのか??? もしそうだったら、低俗なアクションマンガか何かで、左翼、反体制派のことを世界転覆を企む悪の秘密結社の如く描いているが、それには一定程度の信憑性があることになってしまうじゃないかw。

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私の解釈じゃないのですが 投稿者:セクトNo.7  投稿日: 1月 8日(土)10時15分31秒

ノンセクトの意味ですが
>ノンセクトも党派に入る前段階としてのノンセクトを主張していた人もいたし
と、書いたのは本当にそう言ったやつもいただけであって、本当にノンセクトは千差万別でした。ノンポリに毛が生えた連中から、党派崩れや吉本信者までいました。集団化したノンセクトの代表例としては法政大学全共闘だと思いますが、ありゃ党派以上でした。昔の話しですが、ブント西田戦旗を追っかけていとことありました。

私は安下宿共闘よろしく「できる限り闘う象!」をもっとうに、「世界は我が内にあり!」などどホザイテみんなを煙に巻いていました。ホント、不真面目の権化でしたわ。

それからノンセクトのなかには単独の戦線だけを持っていたのではなく、いくつかの戦線に両足をかけていた人もいました。ただ、障害者グループはほとんど単独だったかな?多分介護の問題もあったからだろうけれど(党派も同じかな?)かかりきりだったような記憶がしています。だから中核と解放派は障害者運動に影響力をもち得たのだと思うし、インターは障害者運動にこれといった影響力はなかったのと思います。「インターのXXさんは、選挙が近づくとやってくる」と障害者グループが言ってました。

草加さん
ホームページ拝見しました。リンクの2チャンネル今朝まで見たんですが、インターネタが多く「本当かよ?」と思う部分も多々ありました。事実はイレギュラーずさんにでも尋ねるしかないんだろうけれど、「言えるわけねえだろ!ボケ」と言われるのがオチだろうね。

http://hatahata.mods.jp/
http://money3.2ch.net/kyousan/

しさびさの2チャンネルは、やっぱ食通気味になります。

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「修行僧」説、書いたのは誰だったかな 投稿者:一同窓生  投稿日: 1月 8日(土)03時42分3秒

けっこう著名人だったと思います。立花隆? いや違うな、も少しマイナーだけど著名人。「修行僧」
=「キマジメ」=「浮世離れ」というのが私の受け取り方でしたが、筆者の文意としては「ノンセクト
ラジカルズ」を従来の左翼党派とは違う存在だと、好意的に紹介するものでした。セクトNo7さんの解釈
とはちょっと違います。が、「世界党」はウリでしたからプライドにしていたメンバーも多かったのも
事実です。が、意外に統一書記局との一体感がなかったりもする。

党の場合、細胞−地区委員会−中央委員会−政治局というようなピラミッド構造があってカネと人(組織)
でガチっと固める、よく見ると普通の会社も同じで、課−部ー事業部ー取締役会みたいな、そして黒目
さんが言うように人事異動も頻繁にある。人間社会では現実的な組織形式なんでしょう。インターも
「我が社」と呼んでましたし。党の「綱領」「行動綱領」は会社で言えば「約款」かな。もちろん厳密
には政治組織と利益目的の会社は色々違うんですが。

黒目さんの「百人とか千人とかの単位」の「理論方針共有」への見解はちょっと無理がありますね。
私としては2万人を超える集団というのは難しいとは思うのですが、「百人とか千人とかの単位」くらい
は屁のカッパだと思うのです(→革共同各派の経験から推察)。人間はサルから進化し、言語を操る
ことにより地球を制覇したわけで、言語が聞こえる範囲の人数なら十分統率可能と思います(Eメールは
ダメよ、肉声が聞こえる範囲)。日本には2万人集まれる会場・広場は意外に少ない?

「最低限の方針共有」というのは業界用語では「行動綱領の共有」として良いでしょう。「行動綱領」
から出発という例はけっこうあるのでは。そうすると「最低限の方針共有した活動家集団」は「党」
とさして変わらないと思います。違うのはレーニン型の「職革の党」あるいは「職革をかかえるの党」か、
そうでないのかというあたりになるのでは。

夜もふけました、つづきはまたいづれ。

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まあそもそも世界を獲得なんかしたくないわけですが(w 投稿者:黒目@修行僧つーより自分で得度したニセ坊主  投稿日: 1月 7日(金)23時45分33秒

なんかさ、実際的な問題として「・・・・○○派に結集したら、世界を獲得できる、と?」というソボクな疑問はそもそもあるわけで、まあ実際にその地平において実証的にその路線が潰えてきた過程が90年代であったわけですが。
しかし、そういうのの総括ってホントなされていないっすよね。
現役セクトのエライさんも、酒飲んだらそんな話ばっかりしてるしさ〜。(しかも「悪趣味な冗談」としてではなく!)
「修行僧」に対して、「教団化」というような事かもしんないですが、それだと「世界獲得」という教義をそもそも信仰していない俺なんかは、修行僧でも信者さんでもないですね。

ソンダク、亡くなったんですか。まだそんな歳じゃないと思っていたよ。
なんか、業界の長老連中のインタビューとかしてまわった方がいいかなと思っていて、全然動けていないんですが。そういう運動を呼びかけるようかなあ。

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ちょっとすいません 投稿者:三浦小太郎  投稿日: 1月 7日(金)19時16分33秒

ちょっと関係ない話ですみませんが・・
いや、知らなかった。スーザン・ソンダク女史、年末にお亡くなりだったのですね。ニューズウイーク今日読んで知りました。
71歳か・・この人の文章や発言には「知識人の使命は、いつでも自由に語り続けることである、そのために必要なのは、公正な視点と何よりも勇気である」という真理を教え続けてくれた方でした。彼女のアートへの評価等はとても興味深かった。
偉大な人が亡くなっていくなあ・・・合掌。

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少し翻訳 投稿者:セクトNo.7@飲み過ぎ状態  投稿日: 1月 7日(金)00時07分46秒

一同窓生さんの「修行僧」という表現は、多分「君達は世界を獲得したくないのかね?」という意味と似ているんじゃないでしょうか?世界党派としての第四インターのプライドは昔は結構なもんでした。(ま、世界党派ですから当然なんですけれど)これ70年代の話し

多分その程度のお話し=認識なんだと思います。
ノンセクトも党派に入る前段階としてのノンセクトを主張していた人もいたし、色々様々だったのは一同窓生さん、ご理解くださいね。

黒目さん、言い言葉だね
「世の中狭くする」いいね。これは同意します。

もう、うてん

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そおか、党派メンバーのが普通の人っぽいのか(W 投稿者:黒目@修行僧つーより自分で得度したニセ坊主(w  投稿日: 1月 6日(木)23時39分13秒

まあ、俺らのが浮世離れしてんであって、世間ではセクトメンバーみたいなタイプの方が一般的なのかもしんないといまオモタわけですが(W。
ちなみに俺らは党派の人を「会社の人」と呼んでいました。もちろん「新時代社」とか「戦旗社」とかの「社」なんですが、「人事異動」とか「中間管理職の悲哀」とか、大変そうだなあ、とゆう。まあ、そう思ったら、現代の労働者階級の一般的存在様式なわけですが(W
「ノンセクト」つっても、専門店型もありーの、社会主義総路線型もありーの、なんですが、俺なんかは自分のやれる事だけやっとったらええわ、というダメ型ですね(W。いろんな事を呼びかけられても、シノギもあるしよお関わりきらんで、というのんで結果的に専門店、みたいなさ。

俺はそもそも、百人とか千人とかの単位の人間が、同じ理論同じ方針を共有して同じ事考える、なんちゅーことは原理的にありえへんやろ、という地平で、理論方針共有型の党派という存在様式に懐疑的なんですが、
一同窓生さんのいわはるような在り方だと、ある種の人材・人脈プールですよね?
それやったら別に最低限の方針共有した活動家集団でなにが足らんの?というのがまたわからんかったりします。

大衆運動との関わりとゆー事で言えば、「大衆運動はいつかは終わる」とかゆっちゃったら、市民運動なんか持続的に存続しえない、ゆう事になりませんか?
逆に、例えば「トロツキー共有できない私」
は、第4インター派に結集し得ないわけであって、それは世間を狭くする事なんじゃないか、と思うわけです。

あとさ、理論的整理問題ですが、我が国の全共闘の経験とかべ平連の経験とかすら、こお、相対化して「経験化」される作業がほとんど為されていないというのはキビシー状況ですね。マル共連とかの方がこういう作業ちゃんとやってんじゃないかという気もします。
安東仁兵衛@現代の理論がどっかで書いていた事やったと思いますが(別の人やったかも・・・)、構造改革派立ち上げる時の話として、いいだももなんかの認識は、グラムシという「新理論」を輸入して、それを担いでまわる事で新機軸を打ち出す、みたいな話であった、というような。これって、欧米から新理論が輸入される場合のひとつのパターンですよね。で、その割には、その新理論によって、60年代70年代の自分たち自身の経験が相対化客観化される事が著しく少ない、とゆう。
俺なんかは「やっぱりリアリティ無い話はあかんなあ」というので終わらせてしまいがちなんですが(W

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