四トロ同窓会三次会 2005年5月23日〜24日

  ★二次会に飽きた方はどうぞ。節度を持って友好的に投稿してください。  
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  ★明らかな嫌がらせと判断されるマルチポストや短時間の連続投稿は    
   当掲示板への敵対とみなして削除を始めとする強制的処置をとります。  
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    削除は複数の削除ボランティアによって行われています。[2004/06/11記]

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真鯛は 投稿者: DK  投稿日: 5月24日(火)19時49分24秒

自分から書き込まない宣言しているはず
真鯛自身が、そのことに関する説明と撤回をしない限り、真鯛の書き込みはアラシだし、真鯛の発言に対応したり、真鯛に関する論評はアラシ助長行為

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根本的に 投稿者: dk  投稿日: 5月24日(火)19時43分0秒

ここの掲示板は、議論厨、ディベート厨には向かないですよ笑
TCUPは議論厨が、荒らしやすい構造の掲示板なので、ここ以外でやるほうが良いかと思いますが

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たまねぎ 投稿者: セクトNo7  投稿日: 5月24日(火)14時57分33秒

tpknさん、何処かでお会いしませんでしたか?最近健忘症気味なんですが?
 
言い得て妙な比喩と思う。剥いても剥いてもいつまでも実態が出てこないで、正体を暴こうとすれば皮を剥きつづけなければならない。そしてやっと最後の皮を剥いたら、出てきたのは自分の顔だったりする。これがヨーロッパの王制度と様相が違う、日本の天皇制の深部だったりすると思う。だから、
>「天皇的なるもの」を全否定することは、自らの文化的背景とか立ち位置そのものを危うくするのではないかと。
という見解はある意味理解できる。「危うくする」とまでは思わないが。
確かに天皇ヒロヒトは現在の日本人の中では、かなり日本国憲法を愛し民主主義の信奉者であるようには思うが。(別に大した根拠は無いです。)

それと、真鯛さんがどんな仕事をしているのか、それが良心的なのかあくどいのか、正直わからないし興味も無いことです。ただし、彼がこの間この板でやってきたことは『揚げ足取り』『難癖』であり、その根拠は『世間の常識』なるものだった。このことは他者との意見の交換・論争の域を越えており、嵐に過ぎないと思う。もっとも、これも主観と言われればそれまでだが、最近お見えの方と常連の伊達さんとじゃ「真鯛観察」はどちらが正鵠を得ているのか?
どちらにしても、最近の真鯛投稿は床屋政談の域を出ていなかった思うよ。

こっらー!改憲派(一月に一回は言わないと健康に悪い? w)
天皇一族を批判するときに、その容姿を持って云々するとは、これは誰が見ても差別というものだ。この尻馬に乗ったバル星人くんも同罪と思う。おそらくその見解には、大多数が同意するとしてもだ。天皇制批判の根っこは容姿とか万世一系のいかがしさを指摘することではなく、我々日本人の血の中に染み込んでいる膿を出すことだと思う。(かなり抽象的な言い方ですが)
矮小な天皇制批判はかえって本質を覆い隠すことになると思う。

改憲派は自らの差別発言を撤回し、自己批判せよ!(爆

(追記)
かつて中野重治が「雨の降る品川駅」という詩の中で天皇ヒロヒトの容姿を描いていたが、その形容のし方について後に反省していたと思う。もっとも、そのことだけではなく、革命における日本人と朝鮮人の描き方で、何回も書きなおしているのですが。詩としては傑作の部類と思います。

天皇の死=大喪の礼、紀宮の結婚という「誰もが反対しにくい」ことによって、国民を動員していく凶器としての天皇制を見据えるときは、もう少し腰を据えた議論が必要でしょう。ただし、歴史のお勉強が待っているので、どなたか先生が必要なんでしょうが。
でも、大喪の礼のときもビデオ屋は混雑していたが、今度の結婚も同様なんでしょう。それが庶民というものだと思います。

少し暇なんで、余計なカキコですが
どちらが全体主義かよりも、少なくても掲示板という共有の空間を、もう少し有効に活用しましょうよ。主催者の「まっぺん書記長」も草葉の陰でそう願っていると思います。(w

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過去ログを読み直せとしか言えませんな(苦笑) 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月24日(火)14時39分50秒

> つまり、あなたは自分の想定した「中身」と一致しないもの、
> よくわからないもの、理解の範疇を超えたものを、許容するの
> ではなく、すべて切り捨てる体質があるということです。しか
> も、その「中身」というものの正体は、いつまでたっても明ら
> かにされない。あたりまえです。あなたが「中身」と言ってい
> るものは、あなたの気分にすぎないからです。

 他者から自分の価値観を押し付けられるということがなかったら、私は、自分の想定した「中身」と一致しないもの、よくわからないもの、理解の範疇を超えたものを許容しますよ。

 だいたい過去ログを読み直してみるんですな。まず真鯛のことを全体主義者であると言うべきだろう。

 改憲派氏が、子どもには学校に行かない自由があることを主張したのに対し、真鯛は、子どもを学校へ行かせるのは当たり前だと主張した。この時点で、真鯛が全体主義者であることは確定と言っていいだろう。

 それから、子どもを学校へ行かせるのは当たり前だという主張の根拠は、真鯛の主観であって、それ以外に自説を補強する根拠はないのである。中身がないと言わずして何なのか。tpkn氏も、「客観的な「判定」などない」(投稿日: 5月22日(日)16時21分19秒)と書いただろう。

 改憲派氏は、

> 結局、真鯛さんの「主観」で評価しているのなら、そういう
> 「主観」で他人の価値基準にまで踏み込むことにはもっと謙虚に
> なってはいかがでしょうか。

> もちろん、真鯛さんがご自身の主観的な価値基準で真鯛さんの
> お子さんを教育されることに私は口を挟むつもりはありません。
「同意します」(投稿日: 5月22日(日)23時27分44秒)

> それすら、アホ臭いというようでは最初から議論するおつもりは
> なかったとみなして、私のほうからレスを打ち切りたいと思い
> ます。
「これで最後」(投稿日: 5月23日(月)00時36分7秒)

 セクトNo7さんも

> 改憲派へ忠告する。
> 素直に疑問を出すのは悪いことじゃないのだが、嵐投稿へのレス
> は掲示板にとっては嵐の加担行為と思う。「当たり前」というこ
> とを疑うことから思想の深化が始まると思うのだが、自らの脳内
> 細胞を自分の力で作ったと思うようなトンチキにかかわるのはや
> めな。
「勉強ためになってますか?イレギュラーずさん」(投稿日: 5月22日(日)23時45分15秒)

と書いている(ここで「嵐投稿」と書いているのは、真鯛の投稿であることは明白だろう)。以上から、真鯛なる人物こそ全体主義者であり、中身がないことがわかるだろう。だからtpkn氏が

> 真鯛さんだって《自分の専門や関心領域で良質な仕事をしている
> 人》かもしれないでしょう?

と書いたのに対し、私は、

>  残念ながら、この間、真鯛なる人物は、その片鱗すらも見せて
> はくれませんでした。

と書いた訳だ。そして、ここで言うところの中身とは、自説を主張する際、自説を補強する根拠を自らの主観以外に示すことができるということだろう。

 また、中身について言うと、真鯛が「ワイかて若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」と言ったのに対して、「それは骨の髄まで天皇制や戦争がイヤだというまでになっていなかっただけのこと。要するに上っ面をなぞっただけのことだ」(「革新、進歩思想、左翼思想がダメだからと言って、」 投稿日: 5月23日(月)09時39分8秒)ということを書いた。つまり真鯛の場合、自分の言行を規定する思想とでもいうべきものが無かった。あったとしても希薄だった。それが真鯛の中身のなさということであり、この場合の中身とは、自らの言行を規定する思想とでもいうべきもののことだろう。

 最後に、他人が、自分の子どもが学校に行かない権利を行使した際、それを認めることに対して真鯛がどうこう言わず、それを認めた上で、自分は子どもを学校に行かせると言うのであれば、私も真鯛のことをどうこう言いはしないだろう。

 あるいは、他人が「日の丸」「君が代」「天皇制」を拒否することに対して真鯛が云々することがなければ、真鯛個人が「日の丸」「君が代」「天皇制」を礼賛しようと何ら構わない。そういうことである。

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日本人の死生観 投稿者: パルタック星人  投稿日: 5月24日(火)11時11分2秒

大和の天皇制以前の1万年続いた縄文文化の死生観を探求することは、自然との共生などを考える上でも大切かも知れません。
日本人の死生観に大きな影響を与えた事柄として、次の4つの事柄を挙げたいと思います。
1.農耕文化の伝来
2.仏教の伝来
3.徴兵の廃止・健児の設置
4.東京招魂社の建立・徴兵制復活

この中で3の徴兵制の廃止・健児の設置は、侍にっぽんの文化を作り出す大きな転機になったと思います。日本はこれによって、1や2の時代に濃厚であった中国・朝鮮の文化的影響から抜け出し、独自の死生観を作り出すことに成功したと思います。
4の時代はレコンキスタの時代であり、都を京都から東京に変えることで、天皇を東大寺や延暦寺から引き離しました。更に東京招魂社を建立し、廃仏毀釈をすることで、長い間神仏を敬い、畏れてきた日本人に仏に対する神の優位を見せ付け、仏教を鎮護国家の宗教から引き摺り下ろし、天皇を敬虔な仏教徒から軍神へと位置づけ直しました。朝鮮や中国でも仏教の寺はある。神社は日本にしかない。まさに天皇を仏教から切り離すことで、下級志士達は天皇と国民意識を脱亜させたといえるのではないでしょうか?薩長の下級志士達も、さすがに皇室ゆかりの東大寺・延暦寺焼き討ちまではしませんでしたが。

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和風文化な顔です 投稿者: パルタック星人  投稿日: 5月24日(火)10時46分30秒

>つーか象徴名乗るくらいなら皇室はもっと美男美女をそろえてくれよ。
>ああいう不細工な人たちに海外にいかれると日本の恥だ。

いえ、あの顔立ちだから、貴重なのです。皇室の人があの顔立ちではなく、美智子さんの方の顔を受け継いで美男美女になるくらいなら、廃止してもいいなと思いました。美智子さんではなく、今の天皇の顔を受け継いでいるから皇室は貴重なんです。あの顔が純和風なのです。もっといえば、弥生=大和、百済、任那の顔です。関西のお公家さんの顔です。だからいいんです。南九州は弥生=大和直系よりは美男美女かも知れないが、皇室はあの顔であってこそ、和風なものを感じるのです。

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細木・石原の間違い 投稿者: パルタック星人  投稿日: 5月24日(火)10時12分5秒

私は改憲派さんが「つくる会」の教科書不採択運動を批判したことが正しいのではないかと思うようになった。私が小渕や石原・文部官僚を間違っていると思うのは、日の君に反対する教師を処分するからであって、アンチテーゼを作り出すテーゼの存在自体は議論の叩き台として認めていいと思う。「つくる会」の教科書を不採択運動を直接するよりは、「何故つくる会の教科書が悪いのか」を掘り下げて考察を深めることの方が大事ではないかと思うようになった。大切なのは議論をして、葛藤の中で自分なりの考えを成長させることではないか。自分の考えをしっかりもった人は強制的に処分せず、それなりに尊敬すべきではないかと思われる。処分の文化から議論の文化への移行が戦中体制からの脱却を意味するのではないか?と思ってます。
逆に今、細木や政府・右派マスコミが性教育断固反対を掲げているのは間違っていると思う。いくら、今更教育勅語や憲法改正をやった所で、それで価値観が戦前・戦中に戻る訳ではない。教科書をまともにすれば、日本が良くなると考える右派のおめでたさが問題だと思う。彼らは教科書や学校教育ごときで人間性が良くなると思っているようだが、教育を戦中風にしても、今のハミケツジーパンファッションや風俗やアダルトビデオも禁止して、社会全体を北・朝鮮みたいな雰囲気にでもしない限り、面従腹背の安録山のような悪党ばかりが栄えることになるだろう。自民党にはミサイル産業の利権のために北の脅威を煽りながら、裏で北を支援する統一教会と結託する安録山のような奴は多いのだが。
世の中変わってんだよ。今の子供や大人の価値観や置かれている状況は戦前・戦中と同じじゃない。臭いモノには蓋という形で性教育だけ禁止しても、何が解決するというのだ?
愛国心は計器で測定するものじゃない。気持ちだけで十分だ。愛国心があるかないかの判断をする役人自体がまともなのかが問題だ。その役人の判断が正しいと言えるのか?うん小役人が愛国心があるとぬかすなら、卒業式を監視する前に税金を節約することを考えるべきだろう。

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Re:コケオドシ 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月24日(火)03時51分6秒

> 私は「決めつけた」のではなく、理由を挙げて説明しております。

 んなことを言い始めたら、サヨクだって、理由をあげて説明したけれども、tpkn氏からは全体主義と見えるのではないかということになりはすまいか?

 どれだけもっともらしい理由をつけようと、価値観の多様性を認めていないと言う点で、むしろtpkn氏こそ全体主義者。

> あなたが説明もなくただ正しいと主張することに異論を唱える
> ことが、なぜ「全体主義的」なのかもさっぱり不明です。

 ちなみに私は、tpkn氏の言うところの「政体としてどうあるべきか」という点でも天皇制に反対という点で、tpkn氏の言うことも認めておりますが? つまり価値観の多様性を認めているという点で、全体主義的ではありえない。つまり

> あなたは自分の想定した「中身」と一致しないもの、よく
> わからないもの、理解の範疇を超えたものを、許容するの
> ではなく、すべて切り捨てる体質があるということです。

ということでもないということになりますな。

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全体主義ねぇ 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月24日(火)03時01分58秒

> いえ、どこからどうみても完璧な全体主義者です。

 ほうほう、それでは

> あなたはいったい、私の提出している論点がなぜ「反対のための
> 反対」で、それは通常の批判とどこがどう違うのか、説明する
> ことはできないでしょう。

と書かれている訳ですから、私の何処が全体主義なのかを説明しなければなりませんな。

 逆に私は、あなたの方こそ全体主義的であることを指摘できますよ。何せ、あなたは、天皇制に反対する理由として

> 政体としてどうあるべきかという問題に限定して考えたほうが
> いいのではないかということですね。

と決めつけられた訳ですからね、天皇制に反対するのに「政体としてどうあるべきかという問題に限定して考え」る必要は全然ないとする私に対して。

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レスいろいろ 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月24日(火)02時37分7秒

> え? 匿名でやりとりする掲示板で、その人の仕事ぶりがわかる
> のですか?
> 私、過去ログ読んでませんので真鯛さんがどういう主張をして
> きた人なのかよく知りませんが、それでもわかるのは掲示板上に
> 書かれたことの是非だけであって、仕事ぶりではないと思います
> が…。

 匿名でやりとりする掲示板であっても、わかることがあります。

 tpknさん、改憲派氏、左翼の敵氏、みな、それなりに現実生活が反映された書き込みをしておられると思います。

 ところが真鯛なる人物の書き込みには、中身がほとんどない。これは私だけが言っていることではありません。

 それから、たまねぎのアナロジーについてですが、私も、たまねぎを食ってます。天皇制のアナロジーとするのは、たまねぎに失礼です。私は、自分のルーツという点でも、それから人の上に人をつくらずという民主主義の原則から言っても、人の上に人をつくる制度である天皇制に反対です。

> どうも左翼の人々が全体主義的な体質を持っているのが非常に
> 気になるというか、そういうのって個人主義の立場から考えたら
> どうなの?っていう疑問があるわけです。やっぱり全体主義は嫌
> なのです。

 私も、かなり個人主義的な立場なので、これについては「よし!」な訳ですが。

> 「天皇的なるもの」を全否定することは、自らの文化的背景とか
> 立ち位置そのものを危うくするのではないかと。

 はぁ? 個人主義の立場から言ったら、「天皇的なるもの」は全否定しても全然おかしくないのではありませんか?

 それから反対のための反対、議論のための議論、ためにする批判という点で、左翼の悪いところをtpknさんも持っておられると思うのですが。

> 尻馬に飛び乗りたい気分。

 他人に向かって尻馬に乗ることを云々した真鯛が言うことではないな。

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いいんじゃないっすか 投稿者: 改憲派  投稿日: 5月24日(火)02時36分3秒

>そりゃ自分の部屋のドアに「HIROSHI」とか書いたファンシーなコルクボードみたいのがぶらさ
>がってんのと同じ状態では?

まあ表札ならそれでもいいんでは。

>バソリーが好きなのにブラック・メタル知らないっつーんですよ(ワラ

まあいいんじゃないっすか。エンペラー知っててもブラック知らない人もいるようですし。
スレイヤーはブラックというよりもスラッシュですね。バソリ−はいまではブラックやめてバイキングメタルだかなんだかよくわからない分野に進化しているようです。

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tpknさん、noizさんに脱帽 投稿者: 真鯛  投稿日: 5月24日(火)02時09分20秒

お二方の理路整然とした思慮深い書き込みは、大変勉強になった。特に、ダテちんに辛抱強くレスするtpknさんには感動さえ覚えた。尻馬に飛び乗りたい気分。
それに比べて“良質の仕事”を判断規準にし(そもそも“良質”か否かなんちゅうのは、改憲派さん風にゆうと「誰が判定するの?」)、更には「真鯛が良質の仕事をしているはずがない」とダテちんは大暴走を加速するばかり‥‥
追記・改憲派さんの“品性のない下らない”には驚いた!ご自身はまるで日の丸のように品があり、君が代のように素晴らしいお方なんでしょうね‥‥

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ほんじゃあ 投稿者: 改憲派  投稿日: 5月24日(火)01時56分57秒

>表札みたいなもんでは?

ほんならアホで下品な日本人が履いて捨てるほどいるのにそういう連中と同じ表札使いたくないじゃん。自分で自分自身の表札を持てばいいのでは?

>蛇が悪魔的なのはキリスト教世界の特徴ですよ。

知ってますよ。俺ブラックメタルのファンだし、ジーザスクライスト嫌いだしね。

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よくわからんね 投稿者: 改憲派  投稿日: 5月24日(火)01時35分43秒

>いや、それこそフェチであって、旗が一緒だからといって「一緒くた」じゃないんだっつー
>ことが大事なのでは? 

じゃあ、国旗ってなんのためにあるの?

俺は神社結構好きだよ。日本語の「カミ」という言葉はアイヌ語の蛇を意味する言葉に由来すると神道の本に書いてあった。しかも神社の注連縄は蛇を象徴しているらしい。そういう悪魔的な雰囲気がけっこういいね。

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> tpkn、改憲派氏 投稿者: 左翼の敵  投稿日: 5月24日(火)01時27分51秒

左翼の独善性は、根が深いですよ。
私は今、ポリ公(クソ警察官、普通の警察官は尊敬しています)と水面下でケンカしていますが
自分を客観視することは絶対に忘れないんですね。

水面下のケンカを表に出すのは簡単です。そうすればまず間違いなく勝てる。
しかし、それをやってしまうと、日本社会では私の評判を落とすことになるわけです。
評判を落とすことになるのは、私が正当なことを言おうが外道なことを言おうが同じです。
ケンカしているという事実のみが、日本社会の評判を決めてしまうところがある。

だから、いつ表に出すか、周囲の人が理解してくれるタイミングはいつかに関して、考えながらケンカしているわけです。

自分が正しいからといって、それが常に理解されるとは限らない。
そういう視点は、左翼には往々にして賭けています罠。

反戦平和を唱えるのはいい。しかし運動が盛り上がらないのは、運動主体そのものに
世間は不信感を持っている。だから強く主張するほど人は離れていく。

その解決策を探すことが、左翼が取り組むべき最大の問題ですよ。
改憲反対とか、JR西日本批判よりもね。

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そうだねえ 投稿者: 改憲派  投稿日: 5月24日(火)01時00分17秒

>それが実践できないのは、むしろ左翼に多いかと…。

そうだねえ。俺もそういう点で指摘をしているんだがなかなかわかってもらえないんだよね。

っていうか、天皇を尊敬もしていないなら天皇制を擁護するのもやめちゃいなよ。意味ないじゃん。日の丸だって変態左翼の日本人見てりゃァ、ああいうのと同じ旗の下で一緒くたにされたくないと思うでしょう。

>もっとでっかいものを背負わされているわけですね。

俺からすればあの人たちは背負わなくてもいいものを背負っている気がするね。
つーか象徴名乗るくらいなら皇室はもっと美男美女をそろえてくれよ。
ああいう不細工な人たちに海外にいかれると日本の恥だ。マサ子様とキコ様はまだましにしてもあの天皇の娘と長男はなんだありゃって感じだね。そう思われたくなかったらさっさと皇室なんて引退するんだね。予測としては愛子ちゃんもあの天皇の娘と同じような顔つきに将来なるだろうね。

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レス>tpknさん 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月24日(火)00時57分46秒

> 真鯛さんだって《自分の専門や関心領域で良質な仕事をしている
> 人》かもしれないでしょう?

 残念ながら、この間、真鯛なる人物は、その片鱗すらも見せてはくれませんでした。

> こうやって並べて見るとわかると思いますが、天皇云々という
> 議論と、「良質な仕事」とは本来関係ないものであり、比べる
> 次元にはないのです。

 関係があるとするならば、時間は誰にとっても有限であるということではないかと。

> これは、鋭い指摘だと思います。「無意識のうちに強制、強迫」
> というのは、私がフェティッシュと言っていることとだいたい
> 同じなのではないかと想像します。

> いえ、それこそ全体主義や差別を招くもっとも危険な考え方です。
> 「自分に理解できない、よくわからない」という理由で、何かを
> 排除したり否定したりすべきではないでしょう。私はいわゆる
> 政治制度としての象徴天皇制には反対というか、共和制がよいの
> ではないかと考えていますが、それでも天皇的なものをすべて
> 否定するのは絶対に不可能だと思っています。つまり、政体と
> してどうあるべきかという問題に限定して考えたほうがいいの
> ではないかということですね。

 私は、別に天皇制に反対するのに、「政体としてどうあるべきかという問題に限定して考え」る必要は全然ないと思っています。ちなみに私は「政体としてどうあるべきか」という点でも、天皇制に反対です。

 それから天皇制が、たまねぎのようなものであるということは、中身がないということであると私は理解しました。そのような中身がないものは政体に不要ということです。

> それが実践できないのは、むしろ左翼に多いかと…。

 この間、この掲示板で一番、他人の価値観に介入してきたのは真鯛なる人物ではないかと…。

 何かアプリオリにアンチ左翼というモティーフがtpknさんの内面にはあるように思えるのですが? ちょうど

>>> だいたい日の丸、君が代が政府に強制されてると感じてるのは
>>> 貴方がた特有の思考でしょ?白地に赤丸を何故にそこまで
>>> 憎悪するのか? それこそ無意識のうちに強制、強迫されて
>>> へんか? 
>>> 貴方がたの思考こそ自発的とは思えない。
>>
>> ということを書いたからです。

> これは、鋭い指摘だと思います。「無意識のうちに強制、強迫」
> というのは、私がフェティッシュと言っていることとだいたい
> 同じなのではないかと想像します。

とtpknさんが書かれたように。

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個人的には 投稿者: 改憲派  投稿日: 5月24日(火)00時47分18秒

私は自分の親父を天皇オジサンよりも1,000倍は尊敬していますし、私の美人の上司を皇后オバサンの10,000倍は崇拝しています。もうフェチの領域でしょう。

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もちろん条件付でね 投稿者: 改憲派  投稿日: 5月24日(火)00時44分3秒

>強力なカリスマや知性を持った卓越した人物なら崇めてもよい

そりゃあ、ヒトラーやスターリンみたいなものは論外ですよ。
崇拝するって言っても節度みたいなものはやはり必要です。

「崇拝したいなら崇拝してもよいが、他人の価値観や行為には介入しない」
という前提のもとにということじゃあないっすかね。

で、tpknさんは「天皇陛下」と呼ばれているオジサンを尊敬しているのですか?

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天皇、日の丸 投稿者: 改憲派  投稿日: 5月23日(月)23時31分52秒

「天皇制」という制度があるのかどうかという問題を度外視すると、天皇制の廃止をWW2の責任問題に託けて主張するよりも、まず最初に「天皇を本当に尊敬する意味があるのか?」という根本問題からはじめてはどうでしょうか?なんのカリスマ性も知性も芸術性も感じさせることの出来ない平凡なオジサンを「バンザーイ、バンザーイ」と崇めたてたところで空しさだけが残るのではないか。

まあ、私とてまれに日の丸を見てジ〜ンとくることもあります。しかし、品性のない下らない日本人に出くわすと我にかえって、「あ、やっぱ、くだらないな」と思いなおすのであります。

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7月…セクトNo7さん 投稿者: イレギュラーず  投稿日: 5月23日(月)19時42分28秒

「パッチギ」DVD&VHS発売、同時レンタル開始らしい。それまで待たれよ。って分からないかもよ。

以下のようなカナ転写のHPを見つけたので、現物に当たれれば、当たってみます。
>原詩は次のようなものである。(歌詞は<リムジン川>を収めた「ウリ・ノレ100曲集」在日本朝鮮青年同盟中央常任委員会文化教養部編集 朝鮮青年社 1962 119ページから朝鮮語をカナ表記した。 ただし<>内は「チョ・チョンミ独唱曲集」のカセットの歌詞による。)

1 . リムジンガン マルグンムルン フルロフルロ ネリゴ
  ムルセドゥル<ムッセドゥル> チャユロヒ<チャユロイ>
  ノムナドゥルミョ ナルゴンマン
  ネゴヒャン ナムチョクタン カグポド<カゴパド> モッカニ
  リムジンガン フルマ ウォナンシッコ フルヌニャ

2 . カンコンノ カルバテソン カルセマン スルピ ウルゴ
  メマルン トゥルパネソン プルプリルル ケゴンマン
  ヒョプトンポル イサッマダ ムルキョル ウエ チュムチュニ
  リムジンガン フルムル カルジ モッタリ

以上を、あのラジオ局のシーンで歌っているのかを聞けばいいのですね?

ちなみに学習の成果(大笑)
上の「リムジン川」は「リムジン江」の誤植でしょうね。チョソン・マルにも「川」という漢字と読みはあるけれど、それではなく「江」(カン−カムでもカングでもなく平音)を使うとソンセンニムは言っておりました。では、アンニョン ケーシップシオ!!(御免!ハングルフォントないので)

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>tpknさん 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月23日(月)19時31分17秒

> 同じことだと思います。その考え方からすれば、「大多数の庶民」
> は「上っ面すらなぞらない蒙昧の民」ということになってしまう
> からです。

 それは違うのではないでしょうか。「大多数の庶民」の中には、様々な内面の葛藤の中で、「日の丸」「君が代」「天皇制」に表立って対決するということをしない人もいるかも知れませんね。あるいは、そういうことに全く関心がないけれども、自分の専門や関心領域で良質な仕事をしている人だっている。そういう人の方が、「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」などということを平気で言ってのける人間より、「上っ面すらなぞらない」どころではない、はるかに中身があると思っていますよ、私は。と言うか、そういう人は、「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」などということを言ったりしないし、言う必要もないし、ここまでつまらない投稿をインターネット掲示板に続けて書き込んで他人に議論をふっかけたりはしませんよね。

> 簡単にいえば、ファシズムや全体主義は天皇やひのきみが
> なくても起こることであり、日本においてはそれがたまたま
> 「その名のもとに」行われたにすぎないからです。

 日本においては戦争は、「日の丸」「君が代」「天皇制」のもとで起きましたよね。そして戦争の原因の、少なくともひとつではありましたよね。戦争の原因のひとつに反対し抜いていくことは、戦争を防ぐことの、少なくとも道のひとつではありませんかね?

 それから、もちろん私は、「日の丸」「君が代」「天皇制」だけを対象化している訳ではありません。他には、戦争、核兵器、原発、劣化ウラン弾、新自由主義的な経済のグローバリゼーションなども対象化しています。

 この間の議論で「日の丸」「君が代」「天皇制」が話題となっているのは、真鯛なる人物が、

> ワイかて若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかっ
> たが今では思想的に社会復帰してまっせ
「>当たり前を疑うことから思想は深化する」(投稿日: 5月23日(月)09時10分53秒)

と書いたり、

> だいたい日の丸、君が代が政府に強制されてると感じてるのは貴
> 方がた特有の思考でしょ?白地に赤丸を何故にそこまで憎悪す
> るのか? それこそ無意識のうちに強制、強迫されてへんか? 
> 貴方がたの思考こそ自発的とは思えない。

ということを書いたからです。

> たまねぎというのは、要するに皮をむいてもむいてもどこが本質
> なのかよくわからないもののたとえです。あるいは、全体として
> 本質となるものというべきでしょうか。つまり、一皮向けば何か
> が表れるという構造になっていないものがいろいろとあり、天皇
> もそうしたもののひとつではないかと、私は考えるようになった
> のであります。

 天皇制が、どこが本質なのかよくわからないたまねぎのようなものであるとして、だからこそ廃止すべきだという論理も成り立ちますよ?

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議論のための議論、言葉の遊びになっていませんか?>tpknさん 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月23日(月)15時32分28秒

> しかし、真鯛さんに向けた言葉が大多数の庶民(サヨク風に言え
> ば人民)に向けたときに無効となるなら、なぜそれを真鯛さんに
> 問わなければいけないのか、という問題が出てきてしまいます。
> なぜなら真鯛さんの言う「社会復帰」とは、そういう人民の大多
> 数の考えと自分の考えが合致したことを指すからです。

 そもそも私が「上っ面をなぞったに過ぎなかったのではないか」と書いたのは、真鯛なる人物が「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」と書いた、その「若い頃」の「天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかった」ということに対してです。「大多数の庶民」は、そういうことをしないでしょう。だから無効です。

 実際の大多数の庶民の考えていることというのは、私も示したように、実に多様である訳です。それを「社会復帰」したなどと簡単に言ってしまえるものなのか。私だったら、とてもじゃないけれども、そんなことは言えないですね。逆に真鯛なる人物が「社会復帰」したなどと簡単に言ってしまえることが、「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかった」のは「上っ面をなぞったに過ぎな」かったことを示していることになると思います。

> 天皇制を認めること、日の丸や君が代を認めることについて
> 「上っ面をなぞる」という見方が妥当なのか、そして、そもそも
> それはいったい本題なのかどうか。それは、右翼とは逆の立場
> からの天皇制に対するフェティシズムではないのか、という疑問
> があります。

 これについても同様です。「天皇制を認めること、日の丸や君が代を認めること」そのもののことを「上っ面をなぞ」るというふうに書いた訳ではありません。真鯛なる人物は、「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」と言ってのけた訳ですが、そのように言ってしまえるのは「上っ面をなぞったに過ぎな」かったからではないかということです。

 それからtpknさんは、この間の議論を御存知ないようですから、あらためて書きますが、私の両親、母方の祖父母、叔母、叔父、みな被爆者です。私は被爆二世ということになります。祖父は、幼い頃の火傷の痕に原爆の放射線があたり、片足を切断せざるをえませんでした。幼少時の私は片足が不自由な祖父を見て育ちました。私の伯母は、爆風で飛び散ったガラスの破片が顔に刺さり、灰やススを浴びたせいで、戦後も顔に痕が残りました。後に私の母に求婚してきた男性がいたのですが、祖母は、母の姉である伯母が結婚していないことを理由に断りました。その直後、伯母は自らの命を断ちました。私の長兄は早産で亡くなりました。とりあげた産婆さんは被爆の影響を示唆するような証言をしていたということです。私が小学生に入学した頃、同じ年頃の被爆二世の男の子が白血病で亡くなるということが起きました。他人事とは思えませんでした。

 このようなこと、つまり広島への原爆投下が起きたのは、日本が戦争をしたからです。戦争は天皇の名のもとに、そして「日の丸」「君が代」のもとで行なわれました。それに対して当時の日本の民衆は、反対できなくされていました。反対すれば、「アカ」「非国民」のレッテルが貼られ、逮捕・投獄され、拷問され、殺されることさえあったからです。そういう訳で私は、どうしても「日の丸」「君が代」「天皇制」を拒否してしまうのです。「天皇制に対するフェティシズムではないのか」などということを簡単に言って欲しくはありません。

> たまねぎだと言う人が現れたとき、「君はまだちゃんと皮を
> むいていないのだ。皮をむいていけばタネがあるのだ」という
> ことになれば、信念対立は解消されないままとなってしまうの
> ではないでしょうか。

 私だったら、たまねぎだという人間があらわれたら、ある程度は議論しますが、最終的には「あ、そう」ですませますね。

 御自身も書いておられるように例えが悪いですよ。と言うか、議論のための議論、言葉の遊びになっていませんか?

 それから通常、左翼の人(と自分の左翼を棚にあげて言うけれども)というのは確信を持ってやっている訳だけど、私の場合、確信はないんですね。せいぜい精神的な領域における言論などの自由、法的・政治的領域における平等・民主主義、経済的領域における相互扶助・社会主義(この辺りはルドルフ・シュタイナーの社会有機体三層構造論の影響を受けているけれども)、基本的人権が守られるということ、自然環境と共生する社会を目ざすということ、単に戦争という直接的暴力の不在としての消極的平和ではなく、人権侵害、環境破壊、飢餓や貧困、貧富の格差といった構造的暴力のない積極的平和をめざすといったところでしょうか。めざす方向性については揺るぎがありませんが、それへの道筋、方法や戦略という点で、確たるものがないということです。

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「庶民」像が一人歩くとき 投稿者: noiz  投稿日: 5月23日(月)15時05分9秒

今日仕事で出かけた某所から職場に戻る道すがら、某駅前で「右翼・民族派」(※)の小振りな街宣車がご丁寧にも四台登場。曰く、「赤い悪魔、中国共産党はぁ 日本からぁ で〜ていけ〜」「で〜ていけ〜」

騒音防止条例にひっかかってるような気がするくらいのでかい音でがなりあげていましたが、某番所の警官たちは「またかよ」というようなウンザリ顔で鷹揚に構えていました。予定調和かよ、と 笑

※街宣車族を「民族派」とするのかどうかはさておき…

しかし信号待ちしていた街往く人のほぼ大多数が、失笑するか、冷めた目で見ていました。「庶民の機微」とは、極端を嫌うところにも、その特徴として認められるのではないかと、凡庸にもふとそこで思ったわけです。要は、生活の場で一人の生活者としてある(あらざるをえない)人すべてにとって、「反社会的なも」のとは、左右問わず極端さにあると捉えているのではないか、と。ぼくにしても、自分の思想・行動を棚に上げながら、「あーららら、こんなんじゃ大方には受け入れられないよね」と思いニヤニヤしてしまいました(同時に“左翼”のデモもまたそう思われることしばしばだろうなぁとか)。しかし果たして「職業革命家」あたりはそういう「庶民」感情など知りもせずに生きていけるのでしょうか。それとも自分のうちなる庶民性を無視して思想を語り革命を語るのでしょうか。自分には床屋政談性はないと済ませられるのでしょうか。

何がいいたいかといえば、「庶民」を他者として異化して析出し、ナニカジブントハコトナルモノとして見据え、分離と結合(同化)の対象として愛でる、その態度がちょっと気持ち悪いかなということです。単なるギローン対象の素材として庶民を一個の貫徹した他者存在として描出するのは、まあウルトラな「自分(は誰かとは違うと思いたい)主義」としか見えないわけで。(でもこれって「自分は一般市民だ」というのと表裏をなしていると思うんですよね──人を一つの局面でしか捉えようとしない傾向において。前にもここで(二次会だったかな?)「一般市民を僭称する掲示板プレイヤー from 2ch」の自己認識の独りよがりな傾向についてはいい腐しましたが)

しかし結局、ナニカ語ったとしても、「俺」も、「お前」も、ただの庶民でもある。「一般市民」(ワラ)を僭称する人も、「革命家」も、一個の人間には違いない。皆──色んな性格・場を持っているという──その基底的事実から歩くしかないのに、いきなり他者として「庶民は〜」と語られても、おやおや、にやにや。ってゆーか自分は〈今や自分も大向こうと一緒だ〉〈お前ら(左翼)は「一般市民」とは違う〉といってしまえる口ぶりそのものが、あるいは「庶民」の語られ方の政治性が、生活者の局層から見れば「?」でありえましょう。右翼左翼言ってるあんたもまたうさん臭いといえばいえるんだよ、という。ギローンのために使われる「一般性」の無理さを、誰もが見逃さない。ご用心ご用心ってことでw

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>tpknさん 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月23日(月)11時17分23秒

> 現在の日本の「庶民」も同様です。つまり、皇室報道に一喜一憂
> し、サッカーの試合では日の丸をふり君が代を歌ってる人々の
> ほとんどは戦争反対であり、日本はアジアに対して申し訳ない
> ことをした、という認識があり、軍国主義など嫌っているわけ
> です。

 この点については判断を留保します。そこまで言い切る自信は私にはありません。ちなみに私はサッカーの天皇杯決勝を観戦したり(私はサンフレッチェ広島のファンなもので、そして私が首都圏に在住していた際、サンフレッチェは3度、天皇杯決勝まで勝ち進んだ)、国際試合を観戦したり(クロアチア、イランVS日本)しましたが、「日の丸」が掲揚され、「君が代」が演奏されても起立は拒否でした。

> それについて「骨の髄まで天皇制や戦争がイヤだというまでに
> なっていなかっただけのこと。要するに上っ面をなぞっただけ」
> という評価になるのであれば、その思想は「庶民の機微」を無視
> しております。

 きちんとお読みになればわかると思いますが、「骨の髄まで天皇制や戦争がイヤだというまでになっていなかっただけのこと」というのは、「皇室報道に一喜一憂し、サッカーの試合では日の丸をふり君が代を歌ってる」しかし「戦争反対であり、日本はアジアに対して申し訳ないことをした、という認識があり、軍国主義など嫌っている」人々のことを指して言っている訳ではありません。かつては「天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」と言ってはばからない真鯛なる人物へ向けて書いたものです。

 「庶民の機微」とは、「骨の髄まで天皇制や戦争がイヤだというまでになっていない」「皇室報道に一喜一憂し、サッカーの試合では日の丸をふり君が代を歌ってる」人々の中にあると思うし、そういう人たちの「「上っ面」の下に揺るぎない「真実」があるかといえば、必ずしもそうではない」とも思いますが、かつて「君が代」をうたわず、「天皇制」や戦争に反対したけれども現在は社会復帰していると言いきってはばからない人間が、そういった人たちとイコールかと言うと、またそうではないのではないか、と。

> 左翼思想はこれまで多くのたまねぎを果物だと言い張って
> きましたから、「どのように目指すか」という点が問題で
> あるのなら、まずは目の前のものがたまねぎなのか果物
> なのか、そこを正確に認識すべきということでは?

 これは何を目ざすかということをまず問えということでしょうか? それについては私は揺るぎがありませんな。目ざしているものが「たまねぎか果物か」ということで言えば、どちらでもありません。それを果物だと言う人もいれば、たまねぎだと言う人もいるでしょう。

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テメエの主観だけでモノを言うんじゃねぇよw 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月23日(月)10時46分40秒

 それからテメェの主観だけでモノを言ってんじゃねぇよとも言っておこう。

 自分の思うところを率直に述べることはよいことだ。

 問題は、自分の思うところを他人にまで押しつけることだろう。

 学校に行きたくないという子どもがいたっていいじゃないか。

 学校に行きたくないという子どもに対して、「行かなくてもいいよ」という親がいたっていいじゃないか。

 それを他人がどうこう言うことが僭越だと改憲派氏も言っている筈だ。

> そうゆう揚げ足の取りかたしますか?

 あげ足とりじゃないだろ、この場合?

> そんなもんアホ臭て調べるつもりもないが、不登校生が成人し
> 「あの時、両親が積極的に登校を促さなかったので義務教育を
> 受ける機会を逸した」などとフザケたことを訴えたら案外イケ
> るかもな。

 この場合、その子どもの責任。

 この間の議論では、概ね改憲派氏の方を支持する。

>  成人しても「学校行かなくていいよ」、「子供を学校に行かせ
> たければ行かせればいい」、「“当たり前”って誰が決めた?」、
> 「普通って何が普通?」、「人を殺してなぜいけない?」的な
> 思考を持続する妖怪の増殖‥‥‥

 「学校に行く/行かない」という命題と「人を殺してなぜいけない?」というそれを同列に論ずるところがそもそもの間違い。「人および市民の権利宣言(フランス人権宣言)」の第四条には「自由は、他人を害しないすべてをなし得ることに存する」とある。ある子どもが学校に行かないことが他人を害することかね? 違うだろう? 対して人を殺すことは…、言うまでもないだろう。

 あるいは自分にとって「当たり前」のことを当たり前であると言うのは別に構わないのだが、そして自分が多数者側であると思い込むのも構わないのだが、だからと言って自分が「当たり前」だと思い込んでいることを他人に押し付けてよいと言う訳ではないということも知っておいた方が良いだろう。以前にも書いただろう。ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』で次のように書いている。

> 強制的な権力は、それが世論に従って行使される場合にも、世論
> に反対して行使される場合と同様に、あるいは、それ以上に有害
> である。かりに一人を除く全人類が同一の意見をもち、ただ一人
> が反対の意見を抱いていると仮定しても、人類がその一人を沈黙
> させることの不当であろうことは、かりにその一人が全人類を沈
> 黙させうる権力をもっていて、それをあえてするのが不当である
> のと異ならない。…もしもその意見が正しいものであるならば、
> 人類は誤謬を棄てて真理をとる機会をうばわれる。また、たとえ
> その意見が誤っているとしても、かれらは、これとほとんど同様
> に重大な利益−真理と誤謬の対決によって生ずる、真理をいっそ
> う明白に認識する…という利益−を失うのである。

 要するに多数者側が、自分たちの方が多数だからと言って、自分たちの意見を少数意見の側に押しつけてはいけませんよということだ。

 こういったことは、左翼思想云々のことではない。リベラルな思想が根づいていない日本においては広い意味で左翼思想かも知れないが、自由で民主的な社会では言わば当たり前のことだ。

 真鯛なる人物には、そういう基本的なところを見直してから出直せと言いたいですな。

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革新、進歩思想、左翼思想がダメだからと言って、 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月23日(月)09時39分8秒

即「日の丸」「君が代」「天皇制」礼賛になる訳がなかろ?

 うちのおふくろなんか共産党はやめたけど、だからと言って「日の丸」「君が代」「天皇制」礼賛にはなってない、どころか絶対拒否だぜ?w

 若い頃、天皇制反対、戦争反対、「君が代」をうたわなかったけど、現在は社会復帰?

 それは骨の髄まで天皇制や戦争がイヤだというまでになっていなかっただけのこと。要するに上っ面をなぞっただけのことだ。そして、そういう人間には、骨の髄まで「日の丸」「君が代」「天皇制」や戦争がイヤだという人間の気持ちは絶対にわからんだろうな。あるいは、亡くなったうちの母方の祖母は、「日の丸」「君が代」「天皇制」に反対することなど思いもよらない人だったが(何せ年齢を偽ってまで皇居の掃除に行くような人だから)、戦争で息子(私の伯父)が戦死した際、「生きて返して欲しかった」とつぶやき、貰った勲章を大事にしまっておくこともせず、幼少時の私のおもちゃにしてしまったというエピソードから、「日の丸」「君が代」「天皇制」に支配されきっている訳ではないという庶民の機微を読み取るというようなことも出来ないだろうな。

 確かに左翼思想にも問題があるけれども、経済的に公平・公正な社会、世界をめざすという点では妥当だと思う。問題は、どのようにめざすかという点だろう。その点で、この掲示板の主催者であるまっぺんさんは第四インターのファンを名乗っておられるけれども、その第四インターと、例えばアナキストの系譜にあたる黒目さんとは、若干(どころか、かなり?)異なる。本来、この掲示板は、そういう点を議論している場の筈である。

 真鯛なる人物には、「君が代」、「天皇制」、そして戦争についての自分の向き合い方が上っ面をなぞったに過ぎなかったのではないかということを疑うところから始めた方がよいのではないかということを言っておく。

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>当たり前を疑うことから思想は深化する 投稿者: 真鯛  投稿日: 5月23日(月)09時10分53秒

さすがセクちゃん、エエことゆうやん。
しかし、そんな聡明なセクちゃん、いやここに集う聡明な皆様(Dちん除く)は疑う範囲が狭〜い。
革新、進歩とゆわれ数十年、左翼思想こそを疑ってみて下さい。
貴方々ほどではないが、ワイかて若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ。
左翼思想を疑い、前世紀の遺物として、20世紀特有の伝染病として今世紀になる前に総括しとくべきやで。

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>議論に欠かせない、って‥‥ 投稿者: 真鯛  投稿日: 5月23日(月)08時43分14秒

誰が決めたの?
議論なんちゅうもんは所詮主観のぶつけ合いでしょうが。 それを客観やら判例やら言い出して議論に座布団敷いた時点で‥‥言わずもがなや。
それに気付かんと、似た者同士の狭〜い、狭〜いとこで、アイツは話しにならんよとゆうてれば改憲派さんもそれまでの御人よ。

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7月…セクトNo7さん 投稿者: イレギュラーず  投稿日: 5月23日(月)19時42分28秒

「パッチギ」DVD&VHS発売、同時レンタル開始らしい。それまで待たれよ。って分からないかもよ。

以下のようなカナ転写のHPを見つけたので、現物に当たれれば、当たってみます。
>原詩は次のようなものである。(歌詞は<リムジン川>を収めた「ウリ・ノレ100曲集」在日本朝鮮青年同盟中央常任委員会文化教養部編集 朝鮮青年社 1962 119ページから朝鮮語をカナ表記した。 ただし<>内は「チョ・チョンミ独唱曲集」のカセットの歌詞による。)

1 . リムジンガン マルグンムルン フルロフルロ ネリゴ
  ムルセドゥル<ムッセドゥル> チャユロヒ<チャユロイ>
  ノムナドゥルミョ ナルゴンマン
  ネゴヒャン ナムチョクタン カグポド<カゴパド> モッカニ
  リムジンガン フルマ ウォナンシッコ フルヌニャ

2 . カンコンノ カルバテソン カルセマン スルピ ウルゴ
  メマルン トゥルパネソン プルプリルル ケゴンマン
  ヒョプトンポル イサッマダ ムルキョル ウエ チュムチュニ
  リムジンガン フルムル カルジ モッタリ

以上を、あのラジオ局のシーンで歌っているのかを聞けばいいのですね?

ちなみに学習の成果(大笑)
上の「リムジン川」は「リムジン江」の誤植でしょうね。チョソン・マルにも「川」という漢字と読みはあるけれど、それではなく「江」(カン−カムでもカングでもなく平音)を使うとソンセンニムは言っておりました。では、アンニョン ケーシップシオ!!(御免!ハングルフォントないので)

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>tpknさん 投稿者: 伊達 純  投稿日: 5月23日(月)19時31分17秒

> 同じことだと思います。その考え方からすれば、「大多数の庶民」
> は「上っ面すらなぞらない蒙昧の民」ということになってしまう
> からです。

 それは違うのではないでしょうか。「大多数の庶民」の中には、様々な内面の葛藤の中で、「日の丸」「君が代」「天皇制」に表立って対決するということをしない人もいるかも知れませんね。あるいは、そういうことに全く関心がないけれども、自分の専門や関心領域で良質な仕事をしている人だっている。そういう人の方が、「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」などということを平気で言ってのける人間より、「上っ面すらなぞらない」どころではない、はるかに中身があると思っていますよ、私は。と言うか、そういう人は、「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」などということを言ったりしないし、言う必要もないし、ここまでつまらない投稿をインターネット掲示板に続けて書き込んで他人に議論をふっかけたりはしませんよね。

> 簡単にいえば、ファシズムや全体主義は天皇やひのきみが
> なくても起こることであり、日本においてはそれがたまたま
> 「その名のもとに」行われたにすぎないからです。

 日本においては戦争は、「日の丸」「君が代」「天皇制」のもとで起きましたよね。そして戦争の原因の、少なくともひとつではありましたよね。戦争の原因のひとつに反対し抜いていくことは、戦争を防ぐことの、少なくとも道のひとつではありませんかね?

 それから、もちろん私は、「日の丸」「君が代」「天皇制」だけを対象化している訳ではありません。他には、戦争、核兵器、原発、劣化ウラン弾、新自由主義的な経済のグローバリゼーションなども対象化しています。

 この間の議論で「日の丸」「君が代」「天皇制」が話題となっているのは、真鯛なる人物が、

> ワイかて若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかっ
> たが今では思想的に社会復帰してまっせ
「>当たり前を疑うことから思想は深化する」(投稿日: 5月23日(月)09時10分53秒)

と書いたり、

> だいたい日の丸、君が代が政府に強制されてると感じてるのは貴
> 方がた特有の思考でしょ?白地に赤丸を何故にそこまで憎悪す
> るのか? それこそ無意識のうちに強制、強迫されてへんか? 
> 貴方がたの思考こそ自発的とは思えない。

ということを書いたからです。

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ふたたび「上っ面」について 投稿者: tpkn  投稿日: 5月23日(月)19時04分11秒

伊達さん

> そもそも私が「上っ面をなぞったに過ぎなかったのではないか」と書いたのは、真鯛なる人物が「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかったが今では思想的に社会復帰してまっせ」と書いた、その「若い頃」の「天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかった」ということに対してです。「大多数の庶民」は、そういうことをしないでしょう。だから無効です。

同じことだと思います。その考え方からすれば、「大多数の庶民」は「上っ面すらなぞらない蒙昧の民」ということになってしまうからです。

> 実際の大多数の庶民の考えていることというのは、私も示したように、実に多様である訳です。それを「社会復帰」したなどと簡単に言ってしまえるものなのか。私だったら、とてもじゃないけれども、そんなことは言えないですね。逆に真鯛なる人物が「社会復帰」したなどと簡単に言ってしまえることが、「若い頃は、天皇制や戦争には反対、君が代も歌わんかった」のは「上っ面をなぞったに過ぎな」かったことを示していることになると思います。

「庶民」の考えていることは多様ではありますが、それでも「多数」はいるわけですね。その多数に対してどのようなスタンスをとるか、それが「社会復帰」「上っ面をなぞったに過ぎなかった」という言葉の対立に表れているのではないか、ということです。

> このようなこと、つまり広島への原爆投下が起きたのは、日本が戦争をしたからです。戦争は天皇の名のもとに、そして「日の丸」「君が代」のもとで行なわれました。それに対して当時の日本の民衆は、反対できなくされていました。反対すれば、「アカ」「非国民」のレッテルが貼られ、逮捕・投獄され、拷問され、殺されることさえあったからです。そういう訳で私は、どうしても「日の丸」「君が代」「天皇制」を拒否してしまうのです。「天皇制に対するフェティシズムではないのか」などということを簡単に言って欲しくはありません。

伊達さん個人の事情や、それに至る背景はよくわかります。というか、私の思想的背景というのは『はだしのゲン』だけですので(笑)、たとえば被爆者の心情として反天皇や反ひのきみが生まれることも理屈としてわかります。しかし、戦争の原因を天皇やひのきみに集約させ、それに象徴させるのであれば、やはりフェティッシュと言わざるをえないのではないかとも思います。簡単にいえば、ファシズムや全体主義は天皇やひのきみがなくても起こることであり、日本においてはそれがたまたま「その名のもとに」行われたにすぎないからです。天皇的なるものに悪の原因を求めていくと、必然的に、さまざまな否定しきれないもの(文化・風土・伝統など)を無理矢理に否定せざるをえなくなるわけですが、過去の左翼運動の過ちはそこに原因があるのではないかという気がするのです。

> 私だったら、たまねぎだという人間があらわれたら、ある程度は議論しますが、最終的には「あ、そう」ですませますね。
>
> 御自身も書いておられるように例えが悪いですよ。と言うか、議論のための議論、言葉の遊びになっていませんか?

たまねぎというのは、要するに皮をむいてもむいてもどこが本質なのかよくわからないもののたとえです。あるいは、全体として本質となるものというべきでしょうか。つまり、一皮向けば何かが表れるという構造になっていないものがいろいろとあり、天皇もそうしたもののひとつではないかと、私は考えるようになったのであります。

> それから通常、左翼の人(と自分の左翼を棚にあげて言うけれども)というのは確信を持ってやっている訳だけど、私の場合、確信はないんですね。せいぜい精神的な領域における言論などの自由、法的・政治的領域における平等・民主主義、経済的領域における相互扶助・社会主義(この辺りはルドルフ・シュタイナーの社会有機体三層構造論の影響を受けているけれども)、基本的人権が守られるということ、自然環境と共生する社会を目ざすということ、単に戦争という直接的暴力の不在としての消極的平和ではなく、人権侵害、環境破壊、飢餓や貧困、貧富の格差といった構造的暴力のない積極的平和をめざすといったところでしょうか。めざす方向性については揺るぎがありませんが、それへの道筋、方法や戦略という点で、確たるものがないということです。

全く同感です。

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庶民 投稿者: tpkn  投稿日: 5月23日(月)18時38分16秒

noizさん

> 「一般市民」(ワラ)を僭称する人も、「革命家」も、一個の人間には違いない。皆──色んな性格・場を持っているという──その基底的事実から歩くしかないのに、

同感です。ただし、noizさんの話で問題となっているのは「いきなり他者として存在として描出」ということではなくて、「庶民」や「一般性」の僭称・詐称ではないのかなあ。ネットウヨの口癖が「一般庶民」「普通の市民」というようなものであることなどがその典型ですが、これは「普通の庶民」と自分を無批判に同一視するところに問題がある。ただし、「普通だから正しいのだ」というのと「これが普通だ」と指摘することは、似ているようで違います。

左翼が「労働者」や「人民」というときとは、自分が前衛であるという意識があるから、「他者存在として描出」と言ってしまえるのかもしれません。つまり、「庶民」と無批判にひとくくりにする場合にも、「一個の貫徹した他者存在として描出」する場合と、「他者を認識できない」場合の二種類があるということです(…って、もしかして同じコト言ってますか?)。

そして、「庶民」について語る場合に、そのいずれでもない語り方も、またあるわけですね。

個人個人は多様ですが、庶民(people)は確実にそこに存在しておりますし、「普通」もまたしかりです。論じるとしたら、「それは普通なのかそうでないのか」「その普通は妥当か不当か」という話であるべきであって、「普通」そのものを否定してしまうと悪循環に陥るのではないかと。

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