四トロ同窓会三次会 2005年9月1日〜4日

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ようやく…>猛獣文士さま  投稿者: 鬼薔薇  投稿日: 9月 4日(日)23時13分21秒

>在日中国人にとって、戦後の日本の「理想」であったとされる「平和と民主主義」は自身の立場から見ても到底それを享受して謳歌すべきものでないことは、自明のものだったわけであり、そういう価値観を私が共有すると考える鬼薔薇さんは、この辺りの事情に暗いと思わざるを得ませんね。

あなたが上の「価値観」を共有しておられるかどうかは、わたし判断を留保してまいりました。

>>ポスト戦後世代(具体的にいえば70年代以後に自己形成した年代)にとって、わたしやあなたが共有していた(かと想像される)「戦後」的価値基準は、もはや生命力を持ってはいなかったと想定されます。
(「戦後的パターン」の価値崩壊>猛獣文士さま  投稿日: 8月29日(月))

>>この「平和」も「民主主義」も、政治的にはあくまで「日本(人)」内部のものに制約されていたことに留意すべきでございましょう[*]。その「日本」とは、北は千島列島・南サハリンから朝鮮半島、南は琉球列島から台湾に至るかつての支配領域を、果物の皮のように一枚剥き捨てた「新生日本」であり、「日本人」観念はここに純化を遂げました。
(手短かに>猛獣文士さま 投稿日: 9月 2日(金))

このたびのご発言でようやくホンネが語られたように思います。と同時に、そのホンネが(上のわたしの判断留保も一顧だにされぬように)「対話」の拒絶に彩られていることは残念に思いました。前回わたしの意思表明と対話契機の提示を意味不明とされた理由もそのためでしょうか。ま、わたしの希望は希望であり、乞い願うものでもございませんが(苦笑)。

>なんらかの理由で一旦社会的に受け容れられた思想というものは、決定的にそれに置き換わる思想が現れないかぎり、形を変え、無意識の世界に入り込んで何世代もの間、行き続けるものです。

一般論としては否定しうべくもない正論と見えますが、これが“中国に対する蔑視や敵対感情が、戦前・戦中・戦後を通じて継承されてきている”とのお説の背景説明だといたしますと、それはあなたの「中国」像そのものが歴史を超えて変わらぬ価値像として定立されている印象を拭えませんね。わたし、日中関係もそこでの相手像もそれなりの変遷を遂げてきていると思いますし、そこにこそ「革命」の意味があったと考え、その意味で前回、

>>日本における“中国に対する蔑視や敵対感情”はそのような単線的・連続的なものではなく、時代ごとに意味内容が分節化されていると思いますし、それに即した批判的分析が必要と存じます(その一端は先に〔先月29日〕少し語ったつもりですが)。

と書いたのですが、それもまた受け容れられるところではない、その理由の一端を見た思いがするこのたびのご発言でございました。

顧みますと、あなたと臨夏さんとの対話への「横入り」から始まったのがこの間のやりとりでしたね。その臨夏さんともの対話復活のご様子、そちらでの「興味」が深められますよう。

長々失礼いたしました。m(..)m

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民主主義とは何か  投稿者: 臨夏  投稿日: 9月 4日(日)22時55分12秒

そうそう、表の学説に、こういうのもありました。
対等な地平で対話したら、二者は同一化するのでなく、ますます差異を増大させる=個性化、多様化する。
で、いままでの近代社会は、「あるべきわれら」を求めた、
これからのわしらの民主主義は、「さまざなな私たち」を実現していく、と。

宣伝になって恐縮ですが、表の思想の一端を窺う本としては、

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/250-5250675-3084214

があります。
宣伝抜きで、上記二書『答えが出るまで考え抜く技術』『日記の魔力』は、簡単に読める割には、
内容が深く、座右の書にしております。
御免。

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anti-fascist様  投稿者: 臨夏  投稿日: 9月 4日(日)22時49分21秒

こんばんは、台湾の労働党のサイトですね。
こいう党があるとは知りませんでした。
それこそ、むじなさんが言うてはった、
まだ残ってる国民党関係の反共条項にひっかからへんのかな。

ご教示おおきにさまです、
でもとりあえずは、関与しないで、自分の学業の方を重視しておきます。

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臨夏 様  投稿者: anti-fascist  投稿日: 9月 4日(日)21時59分6秒

http://lsc.net.tw/~labor_apol-mp/

http://lsc.net.tw/~labor_apol-mp/

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猛獣文士さん>  投稿者: 臨夏  投稿日: 9月 4日(日)20時07分5秒

>民主主義とは何か、その限界は何かということも、少し考えたほうがいいのではないでしょうか。

それもたしかですね。
わたしは、表三郎という者の門下生でしたから、そこで、マルクスやヘーゲルの、民主主義の原論みたいなのを聞いてました。民主主義というのも、政治上のひとつの技術、みたいなもんに収まらず、結構、「人間の本質」から始めて、論理的にも民主主義を構築できることを学びました。そこから、民主主義への期待も持っていくようになりました。

いまは、表の議論は、もう大分忘れてしまいましたが、
表の思想のエッセンスの「対話」という部分はある程度理解した思てます。
わたし流に解釈したら、人間関係を、上下の命令/服従関係から、
すべて「対等の地平の上の対話」としていく、ということでしょうか。
これは、なんぼでもやる事ありますわ。

表は、バフチンなどから「対話」を学んだようですが、マルクスの中にそれを見いだそうとして、
挫折して、マルクス主義を捨てたようです。
そして、フォイエルバッハや、フッサールの研究に転換したということです。
民主主義が、極楽を約束するのか、いやそれは民主主義の範疇を越えるのか、という問題には、即答できないです。
ただ、わたしは、民主主義の向こうに「社会主義」がある、と思てますから、極楽イメージもちらついてきますね(笑

いまできる民主主義(なんぼでもある)を、とりあえずやろう、と言う事ですね。
それは「対話」であるからには、実際の言語活動面からでも、「人の意見をじっくり聞く」ようにもしてたつもりです(汗
また、外語を学び、外国に行く、というのもそうです。

猛獣文士さんには、まえ、「台湾に来たのはたまたま」と申しましたが、やはり、戦争や搾取を媒介に、
「アジアとの対話」ということは、頭にあったから(具体的には北京語学習)、台湾へ行くチャンスにも
飛びついたわけですよ。欧米なら、行かんかったかも知れません。

>>学生のころは、2020年ごろ世界革命!と思てたのにな(笑
>そんなこと、何時ごろのどういう学生が考えていたのか、本当に興味深いですよ、臨夏さんは。

わははは、やはりおかしいですか(苦笑
大坂・京都では、表三郎という予備校講師がおって、学生らに、ふいていたのですよ(^^
当時、表を囲む学生らのあいだでは、結構通念化してました。

*このくらいの個人情報は、流れてかまわないのでw

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臨夏さん  投稿者: 猛獣文士  投稿日: 9月 4日(日)19時11分14秒

>とかいうて、これは「慰み」にもならないか(^^;

慰みを求めているわけではなく、事実を正しく評価してその後のことは、事実に基づいて考えようということですから。

>いま生きているわたしがしようと思うのは、現に「古い戦後民主主義」は贋物やったんやし、これからは右派とも対話しつつ、「新しい民主主義」を作ることですが、その「新旧」の焦点のひとつが、

戦後民主主義が贋作だったとは、どういう意味ですかね。贋作があるためには本物がなければならない。本物の民主主義とはなんでしょうか。すべての人間の矛盾を解消し、苦悩を解決する楽園を実現することでしょうか。そういう要求をするならば、これは民主主義の範疇を超えた概念ということになるでしょう。民主主義とは何か、その限界は何かということも、少し考えたほうがいいのではないでしょうか。

>学生のころは、2020年ごろ世界革命!と思てたのにな(笑

そんなこと、何時ごろのどういう学生が考えていたのか、本当に興味深いですよ、臨夏さんは。

>むじなへ

台湾への贖罪といって、いったい君は台湾に対して何をしているというんだろうね。そういうことをしているようには見えないんだけど。ビンナン語とハッカ語を話しているから、贖罪ということなのかな。確かに、台湾に長期滞在して、日本語と英語だけで通している日本人のビジネスマンもいるかもしれないけれども、そういうのに比較して自分が頑張っていると強調するにしては、むじなの自画自賛の中身が大きすぎるような気がするな(笑。

追加:

>鬼薔薇さん

柳本 通彦
「台湾革命―緊迫!台湾海峡の21世紀」集英社新書

ひょっとして、橋本さんというのは、この人のことでしょうか。

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戦後民主主義の裏表  投稿者: 臨夏  投稿日: 9月 4日(日)17時58分20秒

わたしも、戦後民主主義にどっぷり漬かって成長してきて、
やがて成人するころ、(社会党に)ころりと裏切られたという経験を持っています。
しかし、いまの日本社会の右傾化を見ると、こういう右翼的心性は、
たとえば学校で「日教組教師のセッキョウ」に抑えられていただけであり、
村山以前の「平和と民主主義言説」など、機械的に言うてただけのもんやないか?とも思えてきますね。

しかしその分析自身、わたしが、「いまの右傾化」が、新しい歴史の道筋を作るものでない、
「もともとこんなもんやったんや」と自分を慰めるための虚像かも知れへんと思てます。

とかいうて、これは「慰み」にもならないか(^^;

こういう、「心性」の歴史的変化とか、当人でも忘れたり改竄したりしてまうし、
あとの時代の人たちは、「残ったモノ」から歴史を読み取るみたいな、苦労をするのかな、とも思います。
いま生きているわたしがしようと思うのは、現に「古い戦後民主主義」は贋物やったんやし、
これからは右派とも対話しつつ、「新しい民主主義」を作ることですが、その「新旧」の焦点のひとつが、

アジアとの関係の歴史的反省であることから、もうこれは日本の枠を越えて、外に出る/外からの人を受け入れる、
という国際的交流・対話・連帯の作業が中心になるのではないか、と考えてます。
まあ月並みで手前ミソ(手前は台湾のこと知らない!というのも事実ですが)な感想になります。

連帯は、観念ではできない、具体的・生活的なものである以上、むじなさんの大力説明のように、
「言語」なんかが、第一に大事になるのではないかな。
インターネットというものが、それの一番始めの基礎的インフラやと思います。
それでいて、外語話し、外国で暮らすということは、問題の解決でなく、やっと来た出発点なんですからね。
わたしが、自分自身を見て、思うことです。

高望みさんも別のとこで書いてはりましたが、安保闘争のころ、学生が「連帯!」と叫んでいたけど、
リアルタイムで「連帯」できてたのは、東京都内明大あたりの狭い学生街の中だけで、ちょっと遠くの学生とは、
交流すらできていなかった、と言うてはったのも、こういうことですね。
ここでは、具体的に対話できなかった為に、連帯が観念で終わってしもてたわけです。
それは、いまのネットと携帯の普及で、かなり補われていくでしょう。

さて、次は、外国=地球間交流なわけですが、結構、先は長いかな(^^;
学生のころは、2020年ごろ世界革命!と思てたのにな(笑

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猛獣文士の独善  投稿者: むじな  投稿日: 9月 4日(日)17時34分0秒

>むじな氏は「中国を正しく理解し、中国と日本の近代におけるかかわりを正しく理解し、それ
>に対して前向きに対処していくという」日本人に課せられた(と私が感じてきた)責務

爆笑!
日本が侵略して責任がある地域や民族は、中国だけではない。
私はむしろ台湾にこそ侵略植民地支配の原罪とそれに対する贖罪が必要だと考えている
のであって、中国至上主義の立場のあなたはそれ自体として大国主義でしかない。

>台湾を媒介にすることで上手に投げ捨てて

投げ捨てているんじゃなくて、台湾のほうが優先されるべき課題だということ。
50年も植民地支配しておきながら、そっちを無視して、中国だけに特化すべき
だという猛獣文士の主張こそ、日本人の戦争責任を真面目に考えていない
証拠、というか、中国人の一人よがりでしかない。

猛獣文士に聞く。日本って中国だけを侵略したんですか?あなた、いっていることが
めちゃくちゃ東南アジアの人たちに失礼だよ!

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鬼薔薇さんへ  投稿者: 猛獣文士  投稿日: 9月 4日(日)15時50分44秒

鬼薔薇さんは、やはり相当、誤解をしているようなので、もう少し解説させてもらいます。

鬼薔薇さんは戦後の価値観が「平和と民主主義」であって、1970年代にそれが崩壊したと言っておりましたが、それはかなり皮相な、表面的な理解だと思います。近代の日本で確かな価値観の崩壊は1945年8月の日本の敗戦で発生したといえるようです。立川談志という古典落語はあまりうまくない(この点については異論があるかもしれませんが)落語家の書いた本を、以前にも私の掲示板で引用したことがあるのですが、彼はそのようなことを書いていました。要約すれば、江戸時代に成立した講談や落語といった大衆芸能が、なぜ、その生命力を失っているかといえば、江戸時代から昭和の敗戦前までの日本では忠君愛国という価値観が共有されており、そのような価値観をベースにして成立した古典落語などが実感を持って大衆的に受け入れられていたのだが、敗戦後その価値観が崩壊したために、古典落語には未来がないというものでした。

忠君愛国の価値観が崩壊した後の戦後の日本を支配していた価値観は「平和と民主主義」だったのかというと、この価値観もどきの概念は鬼薔薇さんが指摘したように反動、軍国主義、独裁などという日本の戦争を断罪した概念の反対物として提唱されたものですが、私もそのような対立構造はある意味では作り物だったわけだとも思います(私は、日本の戦争行為を断罪すること自体は、絶対に必要だと考えますが)。だから、「平和と民主主義」という価値観は表向きの衣装として着飾るものであったとしても、衣装を着る中身は別の本音だったということではないでしょうか。田原総一郎は、戦後の日本を支配していた価値観は「国益」だと述べていました。私も、そんなところが本音の価値観であったのではないのかなと思います。だから、朝鮮戦争を「天佑」と評する首相のトンデモ発言が疑問視されずに受け容れられ、在日朝鮮人や中国人を市民社会から排除する「民主主義」を矛盾を感じずに謳歌することができた日本人像が一貫してそこにあったのではないでしょうか。

>その「まし」なる価値意識の尺度はやはり「戦後民主主義」のそれにほかならぬと思えるのですけど?

在日中国人にとって、戦後の日本の「理想」であったとされる「平和と民主主義」は自身の立場から見ても到底それを享受して謳歌すべきものでないことは、自明のものだったわけであり、そういう価値観を私が共有すると考える鬼薔薇さんは、この辺りの事情に暗いと思わざるを得ませんね。しかし、そういう決して自らとは相容れない価値観を共有していた日本人の中でも、社会党はましなほうだったといっているだけです。

>あなたも過去形で語っておられるように、社会党は過去の存在ですよね。なぜ過去になったのか、あの党が体現していた価値意識が国民的に崩壊したからではないのですか? “強制連行や従軍慰安婦の掘り起こしを行なっている人々の活動”がありながら“新自由主義史観が発生して、そういう運動のせっかくの成果を破壊していく”ことになったのも、そもそも「自由主義史観」なる虚説が“発生し”一定の市民権を得たのも、あらまし同じ事情でございましょう。

私は、もともとそのような性質が内在していた日本の押さえられていた側面が、表に出てきたのではないかと考えていますが。なんらかの理由で一旦社会的に受け容れられた思想というものは、決定的にそれに置き換わる思想が現れないかぎり、形を変え、無意識の世界に入り込んで何世代もの間、行き続けるものです。

>繰り返しになりますが、旧日本社会党こそ戦後的「平和」や「民主主義」の最大・最良の体現者にほかなりません。その社会党ですら、という意味を込めて問題の摘出を試みようとした言説が、何か不公平でバランスを欠くというふうにしか読まれぬのであれば、発言趣旨そのものが受け止められなかったと思うよりございませんね。残念ですけど(^^;

ここでの議論の食い違いは、上の私の考え方を参照すれば、理解してもらえるはずですが。

>>村山内閣でなければ、村山談話のような程度の戦後総括ですら、できなかったと思いますが。

>その村山談話は今日小泉首相によって繰り返されておりますけど(苦笑)。

私は、小泉首相が村山談話を確認することについては、評価しています。小泉首相、あるいは彼の後を継ぐリーダーがどこまでそういう姿勢を貫けるかについては、疑っていますが。

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三浦さんの本  投稿者: まこと@休憩中  投稿日: 9月 4日(日)12時50分43秒

三浦さんは本を出される予定などは無いのでしょうか。
というより、「三浦小太郎の本を出すぞ!」という気概のある版元って、無いものでしょうか?

TAMO2さんのご意見とも被りますが、三浦さんのような「右翼論客」による、「マンガ嫌韓流」(私も一応買った・汗)を読んで溜飲を下げているような層に対する右翼的視点からの「串刺し」批評を読んでみたいな、と密かに期待しているのですが、私・・・。

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困惑と苦笑>猛獣文士さま  投稿者: 鬼薔薇  投稿日: 9月 4日(日)12時24分54秒

ご紹介の手記、拝読いたしました。

>平和と民主主義という価値観を私が共有した経験は、少なくとも1960年代後半以降はありません。(前回ご発言)

>60年代後半以前といいますと、私は日本軍国主義の残照と挽歌の楽園に住んでいる、政治にあまり興味のない少年でした。(今回ご発言)

つまりあなたは“平和と民主主義という価値観を共有した経験”は一度もなかったということですね。でも、“私としては社会党は現在の民主党よりはずっとましだったと思いますが。”といった比較をなさるとき、その「まし」なる価値意識の尺度はやはり「戦後民主主義」のそれにほかならぬと思えるのですけど?

あなたも過去形で語っておられるように、社会党は過去の存在ですよね。なぜ過去になったのか、あの党が体現していた価値意識が国民的に崩壊したからではないのですか? “強制連行や従軍慰安婦の掘り起こしを行なっている人々の活動”がありながら“新自由主義史観が発生して、そういう運動のせっかくの成果を破壊していく”ことになったのも、そもそも「自由主義史観」なる虚説が“発生し”一定の市民権を得たのも、あらまし同じ事情でございましょう。

>政治家のトンデモ発言ならば、保守系の政治家のほうに枚挙に暇がないはずです。どうしてそういうものを語らずに、社会党の問題発言ばかりを強調するのでしょうか。

繰り返しになりますが、旧日本社会党こそ戦後的「平和」や「民主主義」の最大・最良の体現者にほかなりません。その社会党ですら、という意味を込めて問題の摘出を試みようとした言説が、何か不公平でバランスを欠くというふうにしか読まれぬのであれば、発言趣旨そのものが受け止められなかったと思うよりございませんね。残念ですけど(^^;

>村山内閣でなければ、村山談話のような程度の戦後総括ですら、できなかったと思いますが。

その村山談話は今日小泉首相によって繰り返されておりますけど(苦笑)。

>私には時代的に切れたという鬼薔薇さんの言葉が、どうも、空々しく聞こえるのですが。

こうした「印象」に対しては言葉を重ねての「反論」もむつかしそうですから、時代状況や歴史認識のズレと受け止めておきましょう。関連して前回のご発言に追加的なコメントをさせていただくなら、

>中国に対する蔑視や敵対感情が、戦前・戦中・戦後を通じて継承されてきている

というふうにはわたし認識しておりません。日本における“中国に対する蔑視や敵対感情”はそのような単線的・連続的なものではなく、時代ごとに意味内容が分節化されていると思いますし、それに即した批判的分析が必要と存じます(その一端は先に〔先月29日〕少し語ったつもりですが)。

>この段落は、意味が明瞭でなく、理解しにくいですね。

“戦後日本の「平和と民主主義」価値観における「中国」理解・「台湾」理解の是非など、「自由」への道を拓くような対話ができたら”と意思表示し、続きうべき対話の契機に“その主題が端緒的に提示されている”と思われたあなたのご発言をお示ししたのがそんなに意味不明でした?(苦笑)

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「鏡」なんだよなあ  投稿者: TAMO2  投稿日: 9月 4日(日)10時57分6秒

「ぶどうちゃん」と「通りすがり」さん。実は、同じエトス。一国主義。ま、
他者の視点を内在させようとしている点で、自虐派のほうがマシだがw。

で、その鏡像関係を明示している、と思ったのが、以下の本。立ち読みですが。
購入予定。
http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_detail?isbn=4093874565

ついでに言うと、「あたらしい歴史教科書」なんて、その進歩主義、資本の文明化作用
を髣髴とさせる論理、そういうのもあって「アカ(崩れ)らしい歴史教科書」とでも
名前を変えたらいい。

その位相から、例えばここでの右翼論客である三浦小太郎氏に代表されるような、
古来の右派が今の表層的な「右傾化」に危機感をもっておられることは、余りにも
正しい。

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ひとこと  投稿者: 臨夏  投稿日: 9月 4日(日)10時41分25秒

なるほど、改憲派氏の投稿は、結構ええ事言うてはりますね。
「結構」などと、失礼かな。
わたしとの論議は、まともなのはなかったように思うけど、
いずれ、お胸を拝借して、大いに語りたいと思うお人であります。

*その時はよろしく(^^
>改憲派さま

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私の平和運動の原点。  投稿者: 通りすがり  投稿日: 9月 4日(日)10時29分28秒

 皆さん、初めまして。
 私たちの平和運動は、先輩たちが経験をした戦争を侵略戦争と一方的に呼ぶ勢力によって、
捻じ曲げられ、正しい歴史認識を阻害されてきました。
彼らは、戦争が悲惨であることを言い募れば平和が訪れると考える大馬鹿者です。
戦争反対と言って平和が訪れるなら、犯罪反対と言って安全が得られるように簡単なはずです。
防衛のために軍需産業を含む全産業が、昨今の情勢にかんがみていかに重要になっているか
好き嫌いや、情緒に関わらず、真正面から取り組まなくてはなりません。
 戦争を知らない世代の2世・3世の世代が、先輩たちの戦争や被爆の実相を聞いても、
『うるさい。』『もう聞き飽きた。』『耳にタコができるぐらいに聞いたのでもういい。』
『古臭いことを言うな。』と言って聞く気にならないでしょう。
それは、この世代は、戦争や被爆の実相をこれでもか、これでもかと言う程を教えられたからです。
『情緒的な戦争否定論者』は簡単に『情緒的な戦争推進論者』となる、この単なる戦争否定の
教育が間違っていることを知るべきです。
日本側の正当性を一切無視するのではなく、双方の情勢を正しく認識することから平和への
正しいプロセスが生まれるのです。
歪曲した自虐史観の押し付けが「平和教育」だとするなら、あまりにも子供たちを馬鹿にした
教育であるとしか言えないでしょう。
しかも、このような情勢であるにも関わらず、民主党の青木愛衆議院議員や山花いくお衆議院議員が
憲法調査会で憲法の分かり易さを求めた憲法改良に反対する馬鹿がいます。
 私も、『新人類』の世代として後輩たちに戦争や被爆の実相を正しく伝えてこなかったことに
責任を感じています。
 日本共産党を含む左翼勢力がレーニンの立場に立ち返えろうが、不破議長や志位委員長、
土井たか子前党首の言うこと聞いていれば、いまでも北朝鮮の拉致事件は「まぼろし」でした。
とりあえずは、戦争時の混乱の元となっている日本国憲法第9条の改良賛成を取り組んで
いきたい考えています。
ネット左翼の方がいくら叫んでも、戦争に備えることの重要性が低くなるわけではありません。

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レーニンが反平和主義なのは  投稿者: TAMO2  投稿日: 9月 4日(日)10時00分45秒

『社会主義と戦争』という大月書店の本を読めば自明。

端的に表現されている箇所を挙げるならば、例えば
・恒久的な民主主義的講和をのぞむ者は、政府とブルジョアジーにたいする内戦に
 賛成しなければならない。(p111)
・内戦もやはり戦争である。階級闘争をみとめる者は、内戦をみとめざるをえない。
 (p161)
・われわれとブルジョア平和主義者との相違は、われわれが戦争と国の内部の階級
 闘争との不可避的なつながりを理解していることであり、階級を絶滅し社会主義
 を建設しなければ戦争をなくしえないということを理解していることであり、ま
 た内戦すなわち抑圧階級にたいする被抑圧階級の戦争、奴隷主にたいする奴隷の
 戦争、地主にたいする農奴的農民の戦争、ブルジョアジーにたいする賃金労働者
 の戦争の正当性、進歩性、必然性を完全にみとめていることである。(p88)

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レーニズムとはレーニン死後にスターリン派が作ったカリカチュアであり、スターリン
生存中に作られたスターリニズムとは、その点で差異を認める。レーニズムとは、
死者が生者を捉える(抑圧する)ために作られたもの。まあ、レーニンに罪なし、
とはいえませんが。

内戦に勝つためには、赤軍もチェカーも必要であった、と思われる。それは、理想
との関連ではなく、権力維持の観点から。

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今『暴力論』(ソレル)をようやく借りてきて、読んでいるけど気になった表現を
一つ。p32より

「恐怖時代(註:フランス革命のこと)の間に、最も多くの血を流した人間は、彼
らの夢みていた黄金時代をその同胞に共有させたいという最も強烈な希望をもち、
かつ人間の悲惨事に対して最も大きな同情をもつ人々であった――オプティミスト
であり、理想主義者であり、そして多感である彼らは、公共の福祉を大いに渇望す
ればするだけ、それだけますます過酷な態度をとったのであった。
------
この理想主義の「悲惨」は、倫理に内在するのか、システムに内在するのか?

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平和主義の末路  投稿者: 改憲派  投稿日: 9月 4日(日)09時44分13秒

レーニンと平和主義を抱き合わせで主張すれば、
誰も聞きたくない。なぜならロシア共産主義の真実をいまは皆知っているからねえ。
スターリンに煽られた平和主義運動を思い出すんじゃないかな、まともな人は。
クギをさしておくけど、俺はレーニズムもスターリニズムをさして質的に変わらないものであると
考えている。

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レーニン????  投稿者: 改憲派  投稿日: 9月 4日(日)09時40分57秒

レーニンのどこが平和主義者なんだか・・・・
彼がロシアをWW1から手を引かせようとしたのは、
あくまで反体制の立場から主張していたに過ぎない。
後、レーニンは部下に赤軍やチェーカーを創設させ、
のちのち世界でも有数の軍事大国、警察国家の基盤をつくった。
レーニンは反帝国主義であっても反戦主義者ではなかった。

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私の平和運動の原点。  投稿者: ぶどうちゃん  投稿日: 9月 4日(日)01時32分59秒

 皆さん、初めまして。
 私の平和運動は、先輩たちが経験をした侵略戦争を2度と繰り広げてはいけないことと戦争のために軍需産業を含む全産業に従事させられた労働者が長時間・過密労働や強制労働をさせられたことからはじまりました。つまり、戦争による人間同士の殺し合いや資源の略奪、人権侵害、労働者への無権利が決して許されないことです。
 戦争を知らない世代の2世・3世の世代が、先輩たちの戦争や被爆の実相を聞いても、『うるさい。』『もう聞き飽きた。』『耳にタコができるぐらいに聞いたのでもういい。』『古臭いことを言うな。』と言って聞く気にならないようでした。この世代には、戦争や被爆の実相を伝えることをしませんでした。そんな人たちが、社会人になると新入社員に対して『社員教育』と証した上官による部下へのしごきにも似たいじめをしてきたのです。しかも、民主党の青木愛衆議院議員や山花いくお衆議院議員が憲法調査会で憲法の生活感の無さをを理由に憲法改悪の議論を進めています。
 私も、『新人類』の世代として後輩たちに戦争や被爆の実相を伝えてこなかったことに責任を感じています。
 日本共産党を含む左翼勢力がレーニンの立場に立ち返るよりも、不破議長や志位委員長、土井たか子前党首の言うこと聞いていればいいと言ったレベルの低い反戦運動になっています。とりあえずは、戦争の歯止めになっている日本国憲法第9条の改悪反対を取り組んで生きたい考えています。ネット右翼の方がいくら叫んでも、戦争の悲惨さを人民大衆に語っていくしかありません。

http://budou10.hp.infoseek.co.jp/

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>鬼薔薇さま  投稿者: 猛獣文士  投稿日: 9月 4日(日)00時36分26秒

>>平和と民主主義という価値観を私が共有した経験は、少なくとも1960年代後半以降はありません。

>了解いたしました。では、60年代後半以前には?
>ご関心の「中国」理解を中心にされても結構ですので、ご説明いただければと存じます。

60年代後半以前といいますと、私は日本軍国主義の残照と挽歌の楽園に住んでいる、政治にあまり興味のない少年でした。詳しいことは、こんな手記を読んでいただけるでしょうか。

http://home.a00.itscom.net/konansft/zenrin/introducemyself.htm

http://home.a00.itscom.net/konansft/zenrin/agehaikei.htm

中国に対する私のかかわり方や考え方も、書いてあると思います。

>『台湾革命』の著者・橋本通彦さんのこと、そのすぐ前に触れたと思いますけど?

読んでいません。読む暇もないかもしれません。

>>自虐的かつ陰惨な懲罰とは具体的に何を指しているのでしょうか。

>以前にこの場で話題となった「内ゲバ」を申しております。今の対話の主題とは縁遠いと思いますが、わたしには深刻な問題ですのでちょっと添え書きしたにすぎません。

内ゲバと価値観の崩壊をそういう風に結びつけて考えているというわけですね。私の感覚とは違いますが、そういう見方もできるのでしょうか。

>>このような立場を、戦後のパターンから自由であるからであるといわんばかりの鬼薔薇さんは、実際には何を言いたいのでしょうか。

>わたし、“戦後のパターンから自由”だと申したのではなく、そのような「パターン」から時代的に“切れた”地点から自己形成せざるを得なかった世代だろうと申したのでございます。それがそのまま「自由」である保障はもちろんございませんが。

私は70年代以降も、政治的な推移、歴史観の問題、戦後処理の問題に対するさまざまな取り組みや運動などをずっと見てきたし、積極的には参加しなかったのですが、強制連行や従軍慰安婦の掘り起こしを行なっている人々の活動を評価してきました。そして、新自由主義史観が発生して、そういう運動のせっかくの成果を破壊していくのも見てきました。私には時代的に切れたという鬼薔薇さんの言葉が、どうも、空々しく聞こえるのですが。

>>私は、私のむじな氏らへの興味が重要な視点を欠落しているものであると読めるのですが、鬼薔薇さんのその後の説明はそういう私の解釈からくる疑問に正面から取り組んでいるものではありません。

>そういう「取組み」は、あなたの「興味」や「疑問」をもっとうかがった上での主題かと思います。

しかし、最初に私にある視点が欠落しているというような言い方をしたのは鬼薔薇さんではありませんか。

>ただ、むじな言説の解釈をめぐってあなたと争うつもりもございません。あなたとむじなさん、あなたとわたし、それぞれ別の「対話」関係でございましょう。わたしあなたとは、戦後日本の「平和と民主主義」価値観における「中国」理解・「台湾」理解の是非など、「自由」への道を拓くような対話ができたらと念じております。下記にその主題が端緒的に提示されていると思いました。

むじな氏とは対話していません。無駄だと思っています。この段落は、意味が明瞭でなく、理解しにくいですね。

>>私が、かつての日本人はなんらかの形で中国を「持ち上げる」ところがあったというのも、もちろん、中国を正しく理解し、中国と日本の近代におけるかかわりを正しく理解し、それに対して前向きに対処していくという姿勢を持っていたというのではなく、さまざまな状況に主体的に対応することができず、即時的で行き当たりばったりの試行錯誤を繰り返していたといっているわけです。

>試行錯誤というより、戦後的「平和と民主主義」自身に理由をもった必然ではなかったでしょうか。その点で故・竹内好の所説は示唆的と思い、ちょっと引いた次第でございます。

「戦後民主主義」という風に分類学的な用語をかぶせてしまえばなんとなく理解したように思えるというのも、危険なことだと思います。戦後民主主義だから、こういう中国理解が必然だったというような因果論は、説得力に欠けています。竹内好については、三浦さんにも前に解説をしてもらいましたが、竹内が問題を解決しているとはどうも思えませんが。彼がそれなりに良心的に問題の本質に迫ろうと努力したというのならば、それはそうなのでしょうが。実は、私が竹内好という名前を始めて聞いたのは、1970年代にある台湾の留学生が竹内を公に激しく批判したのを聞いたときでした。どうも、その印象が先入観になっているのでしょうか。

>>鬼薔薇さんは旧社会党を何度も繰り返して批判していますが、戦後の日本社会の欺瞞性を社会党にだけ押し付けて、現在の状況を肯定しようというようにも見え、

>今は亡き組織への党派的批判ではなく、そこに集約的な表現をみた戦後日本の「平和」「民主主義」意識の批判とご理解くださいませ。でも、それがなぜ“現在の状況を肯定しようというようにも見え”るのでしょう? 具体的にご指摘いただければと存じます。

吉田茂氏は、朝鮮戦争を「天佑」と評したそうです。政治家のトンデモ発言ならば、保守系の政治家のほうに枚挙に暇がないはずです。どうしてそういうものを語らずに、社会党の問題発言ばかりを強調するのでしょうか。村山内閣でなければ、村山談話のような程度の戦後総括ですら、できなかったと思いますが。

完全な政党というのは、どこにもないと思いますが、私としては社会党は現在の民主党よりはずっとましだったと思いますが。

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「誤解」>猛獣文士さま  投稿者: 鬼薔薇  投稿日: 9月 3日(土)23時04分48秒

互いの見解を確認し補い合いながら段々「正解」へ接近できることを期待しつつ……。

>平和と民主主義という価値観を私が共有した経験は、少なくとも1960年代後半以降はありません。

了解いたしました。では、60年代後半以前には?
ご関心の「中国」理解を中心にされても結構ですので、ご説明いただければと存じます。

>(ここで橋本さんというのは誰のことなのか分かりませんが)、

『台湾革命』の著者・橋本通彦さんのこと、そのすぐ前に触れたと思いますけど?

>自虐的かつ陰惨な懲罰とは具体的に何を指しているのでしょうか。

以前にこの場で話題となった「内ゲバ」を申しております。今の対話の主題とは縁遠いと思いますが、わたしには深刻な問題ですのでちょっと添え書きしたにすぎません。

>このような立場を、戦後のパターンから自由であるからであるといわんばかりの鬼薔薇さんは、実際には何を言いたいのでしょうか。

わたし、“戦後のパターンから自由”だと申したのではなく、そのような「パターン」から時代的に“切れた”地点から自己形成せざるを得なかった世代だろうと申したのでございます。それがそのまま「自由」である保障はもちろんございませんが。

>私は、私のむじな氏らへの興味が重要な視点を欠落しているものであると読めるのですが、鬼薔薇さんのその後の説明はそういう私の解釈からくる疑問に正面から取り組んでいるものではありません。

そういう「取組み」は、あなたの「興味」や「疑問」をもっとうかがった上での主題かと思います。ただ、むじな言説の解釈をめぐってあなたと争うつもりもございません。あなたとむじなさん、あなたとわたし、それぞれ別の「対話」関係でございましょう。わたしあなたとは、戦後日本の「平和と民主主義」価値観における「中国」理解・「台湾」理解の是非など、「自由」への道を拓くような対話ができたらと念じております。下記にその主題が端緒的に提示されていると思いました。

>私が、かつての日本人はなんらかの形で中国を「持ち上げる」ところがあったというのも、もちろん、中国を正しく理解し、中国と日本の近代におけるかかわりを正しく理解し、それに対して前向きに対処していくという姿勢を持っていたというのではなく、さまざまな状況に主体的に対応することができず、即時的で行き当たりばったりの試行錯誤を繰り返していたといっているわけです。

試行錯誤というより、戦後的「平和と民主主義」自身に理由をもった必然ではなかったでしょうか。その点で故・竹内好の所説は示唆的と思い、ちょっと引いた次第でございます。

>鬼薔薇さんは旧社会党を何度も繰り返して批判していますが、戦後の日本社会の欺瞞性を社会党にだけ押し付けて、現在の状況を肯定しようというようにも見え、

今は亡き組織への党派的批判ではなく、そこに集約的な表現をみた戦後日本の「平和」「民主主義」意識の批判とご理解くださいませ。でも、それがなぜ“現在の状況を肯定しようというようにも見え”るのでしょう? 具体的にご指摘いただければと存じます。

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Re:無宗教施設だった東京招魂社>野次馬の視線さま  投稿者: 鬼薔薇  投稿日: 9月 3日(土)23時03分27秒

過日ご紹介いただいた高橋哲哉『靖国問題』で、最終章の「無宗教の国立戦没者追悼施設」構想に対する批判を、わたし優れた指摘として読みました。

ずっと以前に下宿していたところの大家さんが海軍将校の未亡人で、あるとき靖国神社国家護持の署名に協力を求められてお断りしたのですが、「神道という特定の宗教」を指摘したわたしに対してその大家さんはいかにも不思議な顔つきで、“靖国神社は英霊を祀るところであって「宗教」ではありませんよ”と応えました。認識として大家さんのほうが正しかったのだと思います。

高橋書の当該箇所は、小泉内閣が官房長官の私的諮問機関として設けた「追悼懇(追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会)」の報告書を素材として展開されるその批判的分析は、千鳥ヶ淵墓苑のみならず、沖縄の「平和の礎」ですら“第二の靖国”へと変質を遂げうる筋道を、それこそ「論理的に明らかにする」(「はじめに」)ことにおいて、靖国神社の“宗教的”外観に惑わされた凡百の「靖国批判」を串刺しにする内容といってよろしいかと存じます。

宗教法人(「神社」)という装いを剥ぎ取ったところに現れる「靖国」の正体――議論の水準はそこにこそ定位されるべきでございましょう。

上記書のご紹介に重ねて御礼申し上げます。m(..)m

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鬼薔薇さんへ  投稿者: 猛獣文士  投稿日: 9月 3日(土)19時42分27秒

問題を整理しましょう。鬼薔薇さんは、どうも私のことを誤解しているようですが、平和と民主主義という価値観を私が共有した経験は、少なくとも1960年代後半以降はありません。私が、かつての日本人はなんらかの形で中国を「持ち上げる」ところがあったというのも、もちろん、中国を正しく理解し、中国と日本の近代におけるかかわりを正しく理解し、それに対して前向きに対処していくという姿勢を持っていたというのではなく、さまざまな状況に主体的に対応することができず、即時的で行き当たりばったりの試行錯誤を繰り返していたといっているわけです。持ち上げる意識の皮を一枚むけば、中国に対する蔑視や敵対感情が、戦前・戦中・戦後を通じて継承されてきているという意味もあります。

鬼薔薇さんは、私の単なる経験と観察について、私の説明を聞く前に、戦後史の政治状況と価値観を持ち出して解説をしてくれています。

>むじなさんにせよ臨夏さんにせよ、あるいは橋本さんにせよ、こうした戦後的「パターン」からは切れたところで自己形成の道を歩んでこられたと思いますし、その道行きもそれぞれ固有のものでしょう。そこになおひとつの「タイプ」を想定してその対象化をはかるのか、個々人の固有性に着目した対話を試みるか、それはあなたの選択にかかることとなりましょうが、わたしにも興味深いところではございます。

と書いてある意味について(ここで橋本さんというのは誰のことなのか分かりませんが)、私は、私のむじな氏らへの興味が重要な視点を欠落しているものであると読めるのですが、鬼薔薇さんのその後の説明はそういう私の解釈からくる疑問に正面から取り組んでいるものではありません。

むじな氏は「中国を正しく理解し、中国と日本の近代におけるかかわりを正しく理解し、それに対して前向きに対処していくという」日本人に課せられた(と私が感じてきた)責務を台湾を媒介にすることで上手に投げ捨てて、「平和と民主主義」という欺瞞的(と鬼薔薇さんが指摘する)な日本の戦後の「民主主義」をさらに制度的な意味での議会制民主主義の問題に転換し、その「立場」から中国批判の論陣を張っているのですが、このような立場を、戦後のパターンから自由であるからであるといわんばかりの鬼薔薇さんは、実際には何を言いたいのでしょうか。

>わたしたち「左翼」もまた60年代末に至るまで、その冷厳な事実にほとんど無自覚でおり、その懲罰は自虐的かつ陰惨なものになったのですが。

自虐的かつ陰惨な懲罰とは具体的に何を指しているのでしょうか。一見、新自由主義史観を支持しているように見えますが、もちろんそういう意味ではないですよね。しかし、どういう意味なのでしょうか。

ところで、鬼薔薇さんは旧社会党を何度も繰り返して批判していますが、戦後の日本社会の欺瞞性を社会党にだけ押し付けて、現在の状況を肯定しようというようにも見え、さすがに総括に失敗してきたと自ら認めているように全体で何を言いたいのか理解しにくい文章が続いています。

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混合宗教施設だった東京招魂社  投稿者: 野次馬の視線  投稿日: 9月 3日(土)14時19分45秒

出典がわからないのですが、司馬遼太郎が「この国のかたち」のどこかで書いていた記憶があります。

>大村益次郎の発案により東京招魂社は、仏教・神道・儒教のいずれでもなく、神官を当初置いていませんでした。

「招魂」という概念が儒教に基づくというのは有名な話です。

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ご苦労様でした。  投稿者: 暇人  投稿日: 9月 3日(土)14時01分35秒

 野次馬の視線さん
 別に議論する気はありません。
研究・解説にご精進されんことを。

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出雲大社  投稿者: 野次馬の視線  投稿日: 9月 3日(土)13時46分56秒

出雲大社と、その信仰団体の出雲大社教は、明治15年から昭和26年まで、70年近く分離させられています。

http://www.izumooyashiro.or.jp/hitobito/taisyakyo/

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『神宮史概説』より引用  投稿者: 野次馬の視線  投稿日: 9月 3日(土)13時37分48秒

直対応するつもりはありませんが、反応はしておきます。
(以下、神社本庁の正式刊行物からの引用です。)

p148〜149
「さて、そのあと明治四年(1871)は、神宮にとって、大改革が行はれた年である。(中略)その朱印地を上地せしめられ、それとともに、神宮の御常供田も上地、そこでのお田植、抜穂等の神事も廃止、祭典御料の供米もすべて商人よりの供給によることとされた。また二見の御塩田も上地、そこでの旧来の法を守っての御塩焼のことも中絶することとなったのである。」
p157
「明治二十二年(1889)六月、明治四年(1871)に上地された神宮御常供田再興のため、旧神田の地、(中略)、を買収し、御饌田として整備、復旧させた。」

この18年間を長いと見るか短いと見るか、結果的に復興できたからよしとすべきか、伝統(保守)主義者の方には是非考えてほしいところです。京都の上賀茂・下鴨の祭りも長いこと途絶させられました。さらにひどいことに、上賀茂社の社叢は、戦後、占領軍とそれに呼応する日本人によってゴルフ場と化したままもとにもどっていません。

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だから?  投稿者: 暇人  投稿日: 9月 3日(土)12時43分6秒

 野次馬の視線さんの言いたいことは、漫才をやっているのは=<<狗>>さん、ということでよろしいでしょうか。
 私は、靖国神社に対しては、自宅の近所に存在する神社と変わりありませんが。
どちらかというと、出雲大社、伊勢神宮には色々な興味を引かれることはありますが(W

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手短かに>猛獣文士さま  投稿者: 鬼薔薇  投稿日: 9月 2日(金)23時37分54秒

>鬼薔薇さんは、戦後世代を支配してきて、現在、崩壊してしまった価値観があると考えているようですが、それはどのようなものなのでしょうか。

「戦後的パターン」という用語法あたりからでしょうか、話が少しづつズレてきているようにも感じますが、なるべく議論の脈絡をはずさぬようにお答えしておきます。

“崩壊してしまった価値観”というものをあえてキーワード化すれば、端的に「平和と民主主義」ということになりましょうか。これは戦後日本の保守と革新が共有してきたものという含みで申しております。この「平和と民主主義」には、「貧と飢えからの解放」と「科学的精神」というプラスシンボルが堅く結びついておりました。対する悪の代名詞は「封建制」と「非科学的迷信」。「革新」側は「保守」=「反動」=「軍国主義復活」というふうに相手を染め上げて「平和と民主主義」を自らの専売特許のように語っておりましたが、それは錯誤というより欺瞞であったと申せましょう。

この「平和」も「民主主義」も、政治的にはあくまで「日本(人)」内部のものに制約されていたことに留意すべきでございましょう[*]。その「日本」とは、北は千島列島・南サハリンから朝鮮半島、南は琉球列島から台湾に至るかつての支配領域を、果物の皮のように一枚剥き捨てた「新生日本」であり、「日本人」観念はここに純化を遂げました。わたしたち「左翼」もまた60年代末に至るまで、その冷厳な事実にほとんど無自覚でおり、その懲罰は自虐的かつ陰惨なものになったのですが。

その「平和と民主主義」の頂点が60年安保であったとわたし思います。その翌年、原水爆禁止運動が(ソ連核実験を直接の契機に)分裂いたします。それは戦後的「平和」意識の国民的集約軸が解体したことを意味いたします。以後、東京オリンピックと日韓条約締結に至る過程で、「貧と飢えからの解放」と「科学的精神」は「生産性向上」と「経済成長」に吸い上げられ、「民主主義」は体制秩序に組み込まれます。その秩序意識の膜を下から突き破るように、林房雄の「大東亜戦争肯定論」が衝撃的に登場いたしました。

>失われていく価値観と、新しく生まれている価値観をもう少し分かりやすく説明してもらいたいものです。

“新しく生まれている価値観”といったものにわたし特には言及していないかと思います。このレベルで申せば、そうしたものは無かったと言わざるを得ませんね。そうしたものをポジティブに形成することに日本社会は失敗したと存じます。肯定的に語れるものといえば、私生活民主主義だけではなったでしょうか。「消費社会」を支えた「私生活民主主義」こそ、戦後日本が後に残した唯一の“新しい価値観”といってよろしいものかと。それを「享楽主義」だ「エゴイズム」だ、単なる「欲望」の発露だと倫理主義的に論難し「ブルジョア的〜プチブル的」と切り捨てたところに、「左翼」や「進歩派」の本当のダメさ加減があったかと存じます(ご参照:加藤典洋『日本の無思想』平凡社新書)。

「手短か」のつもりが長くなってしまって(^^)ヾ

[*] 「アメリカ帝国主義は日中人民共通の敵」と公言した最大野党の書記長はまた、「核兵器など沖縄かタイへでも持っていけ」と公言した人物でもございました。右翼テロに倒れたその書記長の衣鉢を継いだ党の党首が首相の座についたときの「被爆者援護法」は、援護の対象を「日本国籍所有者」に限定しておりました。

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同一人であろうがなかろうが  投稿者: 野次馬の視線  投稿日: 9月 2日(金)19時57分10秒

<<狗>>投稿は、極右から見た「常識人の靖国認識」についての「歪んだ映像」に他ならない。何を見えすいた漫才をやっているんだ、ということ。

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どうでもいいけどさ  投稿者: 改憲派  投稿日: 9月 2日(金)15時49分12秒

靖国神社の信者ではない私にとっては英霊というのは他人の信仰の対象なんであるが、
戦争で死ぬってことはどんな立場であろうと悲惨なことではないかな。
死ぬのが恐いというのは自分自身の自然な感情に問いかけてみればすぐわかるはず。
自分からすすんで死を選択せざるをえない状況っていうのはやはり異常なんだよ。

よぼよぼの戦場に行くこともないジジイやババアどもが戦死を賛美したってしらじらしいよ。
遺族が心の慰みに英霊を奉っているのはまだ同情の余地があるにしても。
いずれにせよ自分の宗教を他人に押し付けるのはやめてほしいねえ。

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<<狗、暇人>>  投稿者: 野次馬の視線  投稿日: 9月 2日(金)15時38分56秒

ひとつの、いわゆる、マッチポンプって奴ですか?

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ヒンドゥー・ナショナリズムの限界  投稿者:  投稿日: 9月 1日(木)23時21分26秒

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-03-17/2005-03-17faq.html

アジアの各地で
かけがえの無い家族を殺し廻った靖国の英霊たちは
池田小事件の犯人宅間守以下の犯罪者である。
家族を殺された被害者にとって
靖国の英霊たちは宗教も政治も歴史も関係ない、
ただの殺人犯罪者である。
侵略・強盗の許すべからざる殺人者である。
誤魔化さないでもらいたい。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/takmar.html
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/gyakusatu.html

大義なき経済人よ、再び民を滅ぼす勿れ!

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鬼薔薇さんへ  投稿者: 猛獣文士  投稿日: 9月 1日(木)22時52分42秒

見解を十分に整理する余裕がないのですが、あまり間延びすると話が蒸発しそうなので、ちょっとだけ質問します。

鬼薔薇さんは、戦後世代を支配してきて、現在、崩壊してしまった価値観があると考えているようですが、それはどのようなものなのでしょうか。保守と革新、進歩と反動の対立の構図というのは、価値観そのものではないと思いますが。確かに、物理的な事実として、人間は時間の経過と共に世代交代するものであり、古い世代が新しい世代に取り替えられていくものですが、世代が代わるたびに価値観が取り替えられるというわけではありません。

失われていく価値観と、新しく生まれている価値観をもう少し分かりやすく説明してもらいたいものです。

詳しい議論は、週末にでも継続したいと思います。

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