四トロ同窓会三次会 2005年10月11日〜12日
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真性ムスリムのホームページより 投稿者: 改憲派 投稿日:10月12日(水)05時06分27秒
ムスリムがイエスが十字架にかかってないと信じていると言っているんだから、むじな流アラビア
語解釈じゃなくて彼らの信仰を尊重してやれよ。
以下引用。
(引用開始)
ムスリムはイエスが十字架にかけらていないと信じている。イエスの敵は彼を十字架にかけようとしたが、神が彼を救い、神の元に召し上げた。イエスの外見が他の男に似せられた。
イエスの敵はこの男を捉え、彼をイエスと思い込んで、十字架にかけたのである。 神は仰せられた。
...「わたしたちは神の使徒、マリアの子、メシアイエスを殺したぞ。」と彼らは言った。だが彼らはイエスを殺したのでもなく、十字架にかけたのでもない。ただ彼の外見が別の男に与えられた(彼らはこの男を殺したのである)。
...(クルアーン 4:157)
(引用終了)
http://www.islam-guide.com/jp/frm-ch3-10.htm
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改憲派、頭ダイジョウブか? 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)05時02分42秒
>だから俺はずっと前にムハンマドがキリスト教異端からしいれた知識だと言っているでは
ないかね。
グノーシスってキリスト教異端ではなくて、別の体系をもった宗教なの。
たまたまイエスを持ち出しているものを「キリスト教系グノーシス」という分類で
呼ぶからといって、それが「異端」だと思っているとしたら、君は宗教史に
ついて無知だということだ。
おそらくトマス福音書も読んだこともないんだろうね。
>とか「自己崩壊したのは、無知な改憲派のほう 投稿者: むじな 投稿日:10月 9日(日)16時20分26秒 」で述べていたよな。グノーシスはキリスト教じゃないんだよな?????
どうも君は論理が粗雑だね。
グノーシスはキリスト教じゃない。なぜなら、聖書を唯一の聖典としていなかった
から。
ところが、君はモルモンの例で「イエスを持ち出せば、聖書を使わなくても、
キリスト教だ」と定義したわけだ。
それなら、グノーシスですらキリスト教の一派になってしまうじゃないか、
と私が君に反論しているわけだ。
グノーシスは宗教史では、キリスト教とは別宗教とする見解が定説。
君は「イエス」を持ち出せば盲目的にキリスト教だと信じ込んでいるようだが、
それは単なる無知だということを私が反論しているわけ。
>じゃあ自己崩壊してきているのはむじな氏のほうだな(藁)
私は一貫してグノーシスはキリスト教じゃないといっている。
君が、モルモンをキリスト教だなんてトン稚気なことをいっているから、
こちらは、「イエスを信仰すればキリスト教になるなら、グノーシスだって
そうなってしまうね」と皮肉を使って反論しているわけ。
それをどこをどう読めば「むじなはグノーシスをキリスト教だといってみたり、
いわなかったりする」と読めるのだろうか?
ここまでくれば、君が錯乱しているということだね。
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人の意見を曲解するなよ 投稿者: 改憲派 投稿日:10月12日(水)04時58分40秒
>三位一体がキリスト教の必然だ
誰がそんなこと言った?クリスチャンではない俺からすればエホバの証人もキリスト教に分類
されてもかまわないと言っているではないか。エホバの証人は三位一体を否定しているだろうが。
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三位一体はキリスト教の必然ではない 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)04時56分25秒
君が引用した
http://homepage3.nifty.com/mirandaris/religio.html#islam3-3
に次のような記述がある。
、『新約聖書』からは必ずしも「三位一体の教義」は導かれない、ということは心すべきである。この考えは、西暦325年の「ニカイア公会議」におけるアタナシウス派(三位一体を主張)のアリウス派(キリストは人間であって神ではないと主張した)に対する勝利によって、カトリック教会において、そして後のプロテスタント諸派において確立したのであって、キリスト教(カトリック教会)は、三位一体の教義に反する解釈を異端としてすべて弾圧し追放したのである。
つまり、三位一体がキリスト教の必然だという君の主張は誤りである。
しかも、「追放」された側の教派もその後も中東で連綿と存在しつづけた。
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おいおい 投稿者: 改憲派 投稿日:10月12日(水)04時53分18秒
>キリスト教系グノーシス諸文書を見ると、そういうのもあるので、嘘ではない。
だから俺はずっと前にムハンマドがキリスト教異端からしいれた知識だと言っているでは
ないかね。
>イエスを崇拝すればキリスト教なら、グノーシスや天理教だってキリスト教になるわけ?
とか「自己崩壊したのは、無知な改憲派のほう 投稿者: むじな 投稿日:10月 9日(日)16時20分26秒 」で述べていたよな。グノーシスはキリスト教じゃないんだよな?????
じゃあ自己崩壊してきているのはむじな氏のほうだな(藁)
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聖典解釈って、かなり面倒な作業なんだよ 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)04時48分5秒
>只かれらにそう見えたまでである。
これは、ヨハネ福音書あるいはグノーシスのトマス福音書などの記述との
並行的読解が必要。
ここで「見えた」といっているのは、イエスが「見ないで信じるものは幸いである」
といっていることにかこつけた表現。
>本当にこのことに就いて議論する者は、それに疑問を抱いている。かれらはそれに就いて
>(確かな)知識はなく、只臆測するだけである。確実にかれを殺したというわけではなく。
つまり、磔刑の事実が確実だったのではないといっているに過ぎず、少なくとも信者には
そう見えたという留保をつけているだけで、全否定しているわけではない。
そもそも聖書やクルアーンの解釈については、文章を漠然とながめているだけでは
正しい解釈にはならない。
詳しくはアラビア語および各国語で出ている詳しい注釈本を、アラビア語の原文と
つき合わせて、前後の文脈と聖書の記述とつき合わしながら読んでくれ。
まして、異教徒であり、キリスト教信仰内容も知らないような君には、理解など
不可能。
そもそも君には神や聖霊の導きはないのだから。
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あんた、それでクルアーンが解釈できたと思ったら、思い上がりもはなはだしいんだよ! 投稿者: むじな
投稿日:10月12日(水)04時42分46秒
>〔原英文〕
クルアーンの原文は、アラビア語であって、英文ではありません。
>聖なるクルアーンは、『スーラ4の157―婦人章(アン・ニサーア)157節』におい
>て、イエスは磔刑に処されなかったと述べています:
これのアラビア語原文を読みましたか?
英語に直訳するとたしかに「磔刑の事実」そのものを否定したようにしか読めませんが、
アラビア語で読むと、ぜんぜん印象が変わるのです。
しかも前の156と後の158を読むと、「磔刑」の「意味」を否定したのであって、
事実そのものを否定したのではないことがわかる。
158では、イエスが預言者としてアッラーにとって特別な存在だったことを
述べている。
実際、私が手元に持っているサウジ・イスラム基金が発行した韓国語訳および
解説付きの注釈本によれば、157の段は、磔刑によってイエスが人間の原罪を
贖ったとか、神性を持っている証拠としている後年キリスト教で発展した
見解について否定しただけであって、磔刑の事実そのものは必ずしも否定して
おらず、そもそもそういう事実があったかどうかに重きをおかない、としています。
さらに注釈では、原始キリスト教の学派の中には、磔刑の事実は強調されず、
磔刑の意味を原罪の贖いという教義をもたなかったものもあることも指摘している。
まあ、これは同時代のキリスト教系グノーシス諸文書を見ると、そういうのも
あるので、嘘ではない。
結局、前後の文脈を読めばわかるように、この段は、キリスト教の主流が、
イエスの磔刑にイエスの神性を見るという考えに反論しただけであって、
その過程で事実をも否定したように見えるが、実際にはそういう事実が
あったかどうかは、そもそも関心がない、というだけだということがわかる。
あんたさあ、経典の解釈ってのは、法律条文解釈とも似ていて、学者や信者でもない
人間が文章を素直に読んだら、そのとおりだと思っているとしたら、ぜんぜんアホ
なのよ。
法律だって判例や歴史的解釈も必要なんだから、文学的修辞に満ちている経典と
なればなおさら。
あんたみたいな素人が理解できるんなら、そもそも神学者なんて必要ないんだからね。
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読んだの?むじな氏のしったかぶりが判明した 投稿者: 改憲派 投稿日:10月12日(水)04時23分49秒
婦人章より引用
>イエスが十字架にかけられて迫害されたことそのものは認めている。
157.「わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子マスィーフ(メシア)、イーサーを殺したぞ」という言葉のために(心を封じられた)。だがかれらがかれ(イーサー)を殺したのでもなく、またかれを十字架にかけたのでもない。只かれらにそう見えたまでである。本当にこのことに就いて議論する者は、それに疑問を抱いている。かれらはそれに就いて(確かな)知識はなく、只臆測するだけである。確実にかれを殺したというわけではなく。
158.いや、アッラーはかれを、御側に召されたのである。アッラーは偉力ならびなく英明であられる。
159.啓典の民の中、かれの死ぬ前にしっかりかれを信じる者は一人もいなかった。審判の日において、かれはかれらにとって(不利な)証人となろう。
160.あるユダヤ人の不義な行いのために、(もともと)合法であったよい(食べ)ものを、われはかれらに禁じた。(これは)かれらが多くの者を、アッラーの道から妨げたためであり、
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/koran_frame.html
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華人は侵略者なの 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)04時22分4秒
>華僑や華人は罪人で暴動の全責任があると決めつけ、
だったら、朝鮮や満洲にいた日本内地人には、罪がなかったことになるのかね?
本来、南洋にいてはならない華僑華人が、原住民のマレー系の土地を占領し、
経済的利益を独占し、労働市場を奪い、マレー系を野蛮人と馬鹿にしてきた。
南洋にいてはならない「招かざる客」の華人の存在そのものが原罪なの。
それは、アルジェリアにいたフランス人、朝鮮にいた日本人、南アにいるボーア人
と同じ立場。帝国主義を利用した植民者。
おまえは華人が侵略、植民者だと思っていないところに、重大な過ちがある。
華人の話ばかり一方的に聞かずに、原住民の話を聞いてみろ!華人は侵略者だと
答えるぞ。
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むじな氏はコーランを読んでいないことが確定した 投稿者: 改憲派 投稿日:10月12日(水)04時19分53秒
聖なるクルアーンは、『スーラ4の157―婦人章(アン・ニサーア)157節』において、イエスは磔刑に処されなかったと述べています:
「わたしたちは、アッラーの使徒、マルヤムの子マスィーフ(メシア)・イーサーを殺したぞ。」と言った。
だがかれらがかれ(イーサー)を殺したのでもなく、またかれを十字架にかけたのでもない……。
〔原英文〕:そしてかれら(ユダヤ人たち)が自慢するには――
「われわれはアッラーの使徒、マリアの子、メシア・イエスを殺した」。
だがかれら(ユダヤ人たち)はかれを殺さなかったし、かれを磔刑に処したということもなかった……。
キリスト教徒たちはまた、イエスが、かれらの罪を贖うために、十字架上で彼の命を犠牲に捧げた、と信じています。そしてこのことが、私たちムスリムとキリスト教徒たちのあいだのもう一つの意見の相違点なのです。私たちは、誰であっても、自分が犯した罪に対し責任を負うことを信じています。『スーラ74の38―包る者章(アル・ムッダッスィル)38節』においては:
それぞれの魂は、その行ったことに対し、(アッラーに)担保を提供している。
〔原英文〕:すべての魂は、その行いに対し、担保に(保持)されるであろう。
十字架上でのかれの死を信じることは、事実上、預言者としてのかれの信用を下落させることです。ユダヤ教徒たちは、十字架上でイエスを殺害したことに固執し、結果として、イエスの預言者としての資格(主張)が嘘偽りであるように描きました。キリスト教徒たちは、また、かれらの罪の贖いにとって不可欠なイエスの磔刑を信じ、結果として、イエスが呪いを受けたことを受け入れざるを得ないのです。
http://homepage3.nifty.com/mirandaris/religio.html#islam3-3
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マレーシアはムスリムが多いから華人の話になったの 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)04時17分52秒
>何で華僑華人がこの議論の経路で裁判されなければならないのか、まったく追いかけられないですよね。
マレーシアとインドネシアの原住民は、ムスリムが多いから。
そこで改憲派が「ムスリムの非寛容性」の例として、マレーシアなどの華人「迫害」を
持ち出したのがコトの始まりだ。
ところが、ブルネイでは華人「迫害」などないわけだから、華人が「迫害」されたのは
ムスリムのせいではない。
それよりも問題は、マレーシアとインドネシアの華人の形成史にある。
マレーシアでは英国が、インドネシアではオランダが、それぞれ華人の後ろ盾に
なって、華人は帝国主義者の追随者、支持者としてマレーシアとインドネシアに
入植し、そして経済的利益を独占した。また、華人はマレー人を蔑視し、中華文化を
頑なに守った。
それは原住民からみれば侵略だよ。それについて反省しようともせずに、華人は
悪くないの一点張りの猛獣文士と改憲派は、単なるレイシスト。話にならない。
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改憲派は単なるアメリカニズム 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)03時51分27秒
>人間の態度の問題を言っているのだ。人間の本性に従って素直に生きたいように生きることが
>可能になる態度の問題について主張しているのである。
だったら、日本なんて失格だな。どうして君は日本なんて窮屈な社会に住んでいるのか
わからんね。
こんなのは、欧米先進国で、第二次大戦後になって自由主義と個人主義が徹底した
結果実現した「思想」に過ぎないんであって、それを絶対基準のように考えている
君は単なるアメリカニズム、西洋かぶれというだけ。
日本だって、地方に行けば、君の「わがまま」が通用する社会ではないの。
神道や仏教はおせっかいで、他人に儀式や内面を強要するように出来ているんだからね。
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アラビア語も知らない人間が文句いっても仕方なんだが 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)03時48分6秒
たとえば落語に崇徳院というのがあるが、そこの出だしのほうに、
「これ、これ、まだせがれは死んだわけじゃないよ」
「それは、はかが行かねえ」
「なにいってんだ。はかなんぞいかれてたまるか」
というくだりがありますが、これなんて訳されても、解説調にしないと意味が不明で、
解説されても面白くもなんともない。
クルアーンの修辞にもそれに類したものがたくさん出てくる。だからこそアラビア語
原文で読まなければわからない。
聖書の原文にも多義性があるが、あれはその言語で書かれたものが、聖典なんだから、
原文の多義性は問題はなくなる。
しかし、クルアーンの場合は、原文の多義性に教義が依存しているために、翻訳で
読んだら、それは教義を理解したことにはならない。
まあ、嘘だと思うんなら、一度アラビア語という言語を勉強してみてくれ。
君が「常識」で知っている日本語、英語、中国語とは、およそ構造が異なった
言語なんだからな。
てか、むしろ日本語のほうが特殊なんだけどね。
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多義性や修辞は、翻訳できない 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)03時19分12秒
>イスラムのことは興味はあるが、詳しくはない。
だったら、自分の「常識」の範囲での予断を言うのはやめたら?
>イスラムを信ずるものはコーランはアラビア語で読まなければならないということも知って
>いるが、しかし、コーランを翻訳で読んだ人はその内容をまったく理解できないというの
>は、どうなんだろう。その部分が宗教の儀式的な規定に過ぎないと考えず、これがアラビア
>語の言語特性によるというのであれば、コーランに限らず、アラビア語という言語は根本的
>に翻訳不能な言語ということになるのだけれども、およそ人間が社会的に使用している言語
>で、そのような言語が存在するのだろうか。
あなたは、掛詞などというものが、翻訳不可能だということも知らないのかね?
クルアーンのアラビア語には、アラビア語の特性に依拠した韻、掛詞、修辞、多義表現
が多用されていて、翻訳することは不可能。
実際、私がドバイなどで見たクルアーンの英語による解説書は、原文一行に対して、
多義表現や掛詞などの意味のすべてを説明するために、2ページは費やしていた。
高度な文学作品は往々にして、そうした「翻訳不可能」「一義的に翻訳すると、
原文の多義性と面白みが失われる」ものがたくさんある。
フィネガンスウェイクを挙げたが、日本でも近松の作品には、そうしたものが
多い。「曽根崎心中」の第三幕の出だしも、一義的に翻訳は困難だ。
猛獣文士は、文学の素養もなく、中国語もろくにできない、単なる頭でっかちの
経済屋だから、文学の多義性、修辞みたいなものが一切理解できていない
だけだろう。
>アラビア語しか話せないアラブ人と英語しか話せないアメリカ人は意思疎通の手段を持たな
>いという意味にも取れるが、どうなのかな。
英語しか話せないアメリカ人には、アラビア語の多義性、修辞に根ざした表現は
絶対に理解できない。
大体、おまえさ、駄洒落を駆使した落語や漫才を、英語に訳して、面白いと思う?
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単なる妬みかよ(わら) 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)02時13分3秒
>まあ、過去に本を出版したり、影響力のある「メディア」に論文を発表したり、
なんだ、単なるやっかみでからんでいるだけかよ(わら)。
「おれは知識があるつもり」、だけどその知識はすべて中途半端で本物ではない人間が、
ちゃんとした哲学と論理と知識をもっている人間を妬んでいるのがありありですな(わら)
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改憲派の無知 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)02時11分32秒
>つうかよう、イエスがただの預言者だったらキリスト教なんか成立するかよ。
原始キリスト教はそうだった。
しかもアリウス派、ユニタリアンは、イエスがただの預言者で人間であるとしている。
>むじな氏は原語でコーランを読んだらしいが、むじな氏はムスリムがイエスは十字架にかかって
>いないと主張しており、
していない。事実を歪曲するな。
イスラームは、イエスが十字架にかかって復活して人間の贖罪を引き受けたという
贖罪・復活論を否定しているだけ。
イエスが十字架にかけられて迫害されたことそのものは認めている。
>十字架にかかったと書いてある聖書のほうがオリジナルを書き換えてい
>ると主張しているのを知っているのか???
間違ったことをいわれて「知っているか」なんて偉そうにいわれてもね。
あんたの完敗なんだよ。
>原点もくそもイスラムとキリスト教は根本から
>異なる宗教というべきだろう。
「同じ宗教」なんて誰もいっていないが?あんたって思い込みと誤読が激しいね。
わたしはイスラームとキリスト教は同じアッラーを信仰しているという点で接点が
あり、理解しあえる、といっているだけ。
誰も同じ宗教だなんていっていない。
それから、あなたは対立を否定しているくせに、どうして「違い」をことさら強調
したがるのか?それこそ押し付けと戦争の元凶でしょう。あなたの思考そのものが
テロリストと同類。
人間が違って当然。しかし違いは違いとして、似ている部分を見つけあってこそ、
対立や戦争を回避できる。
あなたは違いを強調してばかりいる。それこそ狂っている。
それから違いというなら、私みたいなプロテスタントからみれば、イスラームと
プロテスタントの違いよりも、プロテスタントとカトリックの違いのほうが大きい。大体、プロテスタントは偶像崇拝を禁止し、マリアを崇拝しない。この点ではイスラームと
近いものがある。
しかしカトリックはイエスよりもマリアのほうが偉いし、偶像を崇拝している。
私からみて、カトリックのほうが違和感があるんだわ。
>だいたいキリスト教徒の多くはムハンマドが預言者だとは認めてないだろうが。
当たり前。
原始キリスト教、アリウス派、ユニタリアンは、イエスが最終的な預言者だとしていた。
ただ、イエスが神の別の格だとした三位一体、二性論は、アリウス派が教義論争に
敗れてからうまれたものであって、本来のキリスト教ではない。
あなたはセクトからも指摘されていたが、どうもキリスト教本来の教義を知らないで、
本来と現在の姿をごっちゃにして議論しているから、わけわかんなくなっているんだよ。
>エホバの証人はイエスは神ではないと言っているから三位一体を否定しているが自分たちは
>クリスチャンだと宣言している。
だったら、オウムも仏教徒と宣言し、国家神道も神道だったんだから、そのテロリズムは、
仏教や神道が好きだというあなたも責任を負うべきだね!
>しかし、むじな氏はエホバは正統な聖書の訳を使ってないから
>キリスト教ではないという。
聖書を使わないものは、別の宗教。だから、イスラームやマルキオンやグノーシスは
別の宗教だとされている。これは定義の問題であって、君の屁理屈とは関係ない。
>そんなこと言ったら、聖書のいくつかの写本が残っており、現在の聖書がオリジナルかどうか
>もわからんのだから世界にはクリスチャンなんかいないことになるわなあ。
それは単なる君の屁理屈であって、世界のキリスト教徒は現存する聖書を唯一の
聖典と奉じしているの。
キリスト教徒ではない君に、キリスト教の範囲についてあれこれ議論する資格はない。
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自分の立場に固執して相手の言い分を認めない人間は、テロリスト 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)01時58分51秒
>華僑・華人の一員である私としては、根本的に立場を共有することができないでしょうね。
この発言そのものが、君が単なるファシストであることを示すものである。
自分の立場ばかり固執して、他人の立場を尊重できず、「共有できない」などと非寛容な
姿勢を示す君は、テロリストと同じ。
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自分の立場が尊重してほしければ相手の気持ちを忖度すべきでは? 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)01時57分17秒
>華僑・華人の一員である私としては、根本的に立場を共有することができないでしょうね。
自分の立場性ばかり固執して、マレー人など相手の気持ちを理解忖度しようとしない
独善が、あなたの悪いところなんだが?
あなたが華人の一員という立場が尊重されるべきなら、マレー人にはマレー人の言い分が
あることをどうして認めようとしない?
自分の立場や我儘ばかり主張して、相手の立場をいっさい否定する君は、それこそ
単なる言論テロリストというべきでしょう。
ナチスや日本の右翼と同じ。
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猛獣文士は単なる狂信者 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)01時54分43秒
>そこで中国政府に対する新疆地区のイスラム教徒の武力による攻撃は許容されるという落ちをつけているので、
前提条件を無視して「断章取義」しても意味がない。
中国政府が、あまりにも非寛容で独裁だからこそ、それに対する抵抗は武力に
走らざるを得ない、といっているのだけ。
武力が駄目だというなら、だったら、中国について「米国に対抗するための国防力が
必要」などといっている君は、単なるペテン師、ヤクザだということになるんだけどね。
君は単に中国のやることなすことがすべて正しいなどといっている狂信者。
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猛獣文士もレイシストだから仕方ないんだけど 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)01時52分16秒
ま、猛獣文士は華人となると、すべて善人で、悪いのは「野蛮なマレー人や日本人」だと
他人のせいにするばかりで、自己反省のかけらもないレイシストだから、言っても無駄
なんだが?
華人に反省すべき点がなにもないなどと主張する猛獣文士は、キチガイである。
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華人こそがレイシストなんだが? 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)01時50分54秒
>むじな氏の議論にはレイシスト的に華僑を攻撃し侮辱している議論も含まれているんですが
君こそ華人が、レイシストであることを正視しようとしていない。
華人の多くは、マレー人やタイ人やフィリピン人を「野蛮人」とみなして、通婚すら
拒否していることを知らないのかい?
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真面目な仏教徒や神道信者が、ポルノを見ると思いますか? 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)01時49分20秒
改憲派は、いつもイスラームを論難するときに、「真面目なムスリムが、ポルノや飲酒を
許容するか」などと問い詰めるくせに、自分が贔屓にしている神道や仏教で、真面目な
神主や坊主が、飲酒やポルノやソープに行くことを許容するかという問題について
検討しないのは、アホである。
いっとくが、仏教では、豚肉どころか肉食は忌避される。おまえみたいに豚肉を
ばくばく食いたい人間は、真面目な仏教徒からみたら「非人」扱いされるんだよ。
そもそもエタ非人なるものが、うまれたのは、仏教の「穢れ」の思想からきている
ことも知らないのか?
それから神道だって、十分におせっかいだ。キリスト教徒で厄年なんてどうでもいい
人間にまで、「罰があたる」などといって、厄年のお祓いを強要したがるんだからね。
おまえはたまたま田舎を知らないだけだろう。日本の田舎のほうがよっぽど窮屈で
閉鎖的で非寛容なんだよ!
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仏教は、豚肉どころか肉食を禁止しているし、神道はお祓いを強要するんだけど? 投稿者: むじな
投稿日:10月12日(水)01時43分57秒
>しかし、お節介野郎で政治力を介して人の生き方にあれこれ口出ししたり規制してくる
>集団に対し
>ては非寛容にならざるを得ない。当たり前だ、「人に迷惑をかけない限り自分の好きな
>生き方をす
>ることを尊重する」という原則が崩されるからである。
改憲派のスタンスがわかりました。要するに、基本的に欧米帝国主義が生んだ欧米的
近代主義・個人主義・自由主義を絶対視して、その域内から一歩も出ようとしないだけ
ということですね。
>日本では、靖国狂信者や一部の狂信的愛国者を除いてその原則を守っているし、教会もモスクも
>小規模だから影響力も小さい。
じゃなくて、日本にいるムスリムは、普通の大人しいスンナ派ばかりだからな。
>しかし、教会にしてもモスクにしても全世界にその影響力を拡大させ、その宗教の生き方を浸透
>させることをその「教義」に掲げている。
キリスト教はおせっかいで布教に熱心だが、イスラームは残念ながら君が思っているように
布教熱心ではない。
第一、わたしはマスジドに出入りしていて、一度も改宗を迫られたことはない。
>イスラムで言えば「ウンマ」という言葉が表している。
「ウンマ」という言葉の意味がわかっていないのでは?
ウンマというのは、すでにムスリムになっている人間どうしの静態的で既存の関係を
共同体として言い表したもので、異教徒に積極的に布教するという含意はまったく
ない。
あんた、知らないくせに、テキトーに知っている言葉を乱用しているだけ!
>イスラムが布教をしないというのはウソである。キリスト教とイスラムほど布教に熱心な宗教は
> ない。
キリスト教は布教熱心だが、イスラームは熱心ではない。
>ただ日本では例外的にそういう布教活動が活発にならないでいるだけだ
違うね。私は、トロントでもベイルートでもバアルベックでもドバイでもマスジドを
訪れて、ムスリムとも親交を結んだが、一度も改宗を迫られたことはない。
イスラームのいいところは、「あなたがキリスト教だろうがそれはあなたの自由。
ただ、イスラームのことを理解してほしい。そのためには異教徒でもマスジドを
訪問するのは歓迎」という姿勢を貫いているところだ。
あなたは、ムスリムと接したこともないくせに、誤った思い込みで、物事を騙っている
だけだ。
>しかも、キリスト教とイスラムほど政治に関心をも
>ち、政治と宗教を一体化させようとする集団はない。
わかっていないね。まったく逆だよ。
本当の敬虔なムスリムは、「あの世」を信じているから、現世の政治なんて興味がない
んだよ。
ムスリムのほとんどは、政治に無関心。無関心だからこそ、中東には独裁政権が多い。
というのも「政治なんてどうでもいい」と考えているからだ。
>だいたい彼らの頭には「政教分離」という言
>葉などないし、
これまたおまえの勝手な思い込み。
アマルは政教分離だし、ヒズボラだって他人の信仰に干渉しない主義だよ。
>リベラルじゃないやつは明確に政教合致を目指すのである。
これは同語反復に過ぎない。そんなこといえば、日本だって創価学会、神社本庁、
オウム真理教など、神道や仏教系でリベラルじゃないものは、明確に政教合致を
目指しているからね。別にムスリムだけの傾向じゃないの。
創価学会なんて、ひどいもんだよ。あれこそテロリストだよ。
創価学会のことを問題だと思わないで、日本とは関係ないイスラームを攻撃している
おまえは、ひょっとしたら創価学会・自民党の手先なんじゃないの?
どうりで「改憲派」を名乗っているわけだ(わら)。
>なんだかむじな氏の言い分を聞いているとムスリムは酒を飲むし風俗店にも行くし豚肉も
>食うみたいな風に聞こえる。
実際ほとんどのムスリムはそうしている。
イスラームのうち厳格なものは、豚肉と酒と欲情を禁止している。
しかし、それなら神道や仏教で厳格なものは、肉食、酒、欲情を禁止しているよ。
天照大神を熱心に信仰している人間が、ソープに行くと思う?肉食をすると思う?
うちの出身地は、一向宗が盛んだったところで、葬式の後は精進料理という特別な
ところだった。私は仏教なら精進料理が当然だと思っていた。
だから、大阪や東京で知人の葬式に出たあと、にぎり寿司が出たときは、食べられ
なかった。「死者に対して罰があたる」と思っていたものだ。
君が「寛容だ」と思っている神道と仏教だって、戒律の厳しいところは、魚や肉さえ
満足に食べられない。豆腐加工食品ばかり食べている。
「リベラルではない」ものは、君が好きな神道だって単なる天皇万歳だし、仏教だって
豚肉どころかいっさいの肉食を否定していて、しかもそれを門徒にも強要している。
君はたまたま「リベラル」な都会に生まれたから、日本の田舎がイスラーム原理主義
以上にいかに窮屈かを知らないだけ。だからこそ能天気に「神道は寛容だ」なんて
思っているだけ。
そういえば、私の田舎は神道も戒律が厳しいところで「厄年のお祓い」を強要される。
私も来年はそうなので、母親が「お祓いをしないなんて、罰があたる」とうるさい。
大体わたしはキリスト教徒なんだから、そんなものは関係ないのに、それを強要して
くる。
日本の神道や仏教だって、非寛容で、キチガイじみた迷信が横行して、他人にそれを
強要する地方はたくさんある。
改憲派は実は日本の田舎を知らないだけだ。
>しかし、ムスリムを真面目に知っている奴ならそれとは全く反対のケースも知っているはずだ。
神道や仏教を真面目に信仰している人間は、相手がキリスト教徒だろうと、厄年の
お祓いを強要するし、「いうこと聞かないと勘当、神の罰があたる」などと脅迫
までするんですが?
>だからこそ俺は警戒感を持たざるをえないのである。俺は最初からこういうことを主張
>しているの
に、
だったら、君が好きだという神道や仏教だって、他人への強要と戒律の厳しさを見れば
ひどいもんだよ。
大体、葬式の後に精進料理で、寿司がまったく食べられない戒律なんて、豚だけが
駄目なイスラーム原理主義よりもよっぽど狭量だよ。
そんなことも知らないで、「日本の宗教は寛容だ」などと勘違いしているおまえは
たんなる馬鹿だ。
>原理主義はイスラムじゃないとかほざいて問題を軽視する愚か者がいるのだ。時が遅くなって
>は本当に遅いから俺は主張している。
葬式の後に精進料理を強要し、厄年のお祓いを強要する仏教・神道原理主義の存在は?
>スーダンを見てみろよ。なぜスーダンが内戦になったかと
>言えば、コーランから導き出したシャリーアで権力が政治を行おうとしたためである。
スーダンの原因は、ヌビア人が多く、貧富の格差がひどいことに原因がある。
>スーダンのムスリムがイスラムではないという連中はアホである。
一向宗は仏教ではないの?
厄年のお祓いなるものを強要し、数千万人のアジア人の生命を奪った神道は、キチガイ
ではないの?
>俺はイスラムを差別しろとか非合法化せよと言っているのではない。
>人間の態度の問題を言っているのだ。人間の本性に従って素直に生きたいように生きることが
>可能になる態度の問題について主張しているのである。
それをいうなら、神道や仏教だって同罪、。
君こそ日本人じゃないから、日本の宗教の閉鎖性、窮屈さを知らないだけだろう。
能天気すぎ。
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翻訳不可能なものなんてたくさんあるんだが 投稿者: むじな 投稿日:10月12日(水)01時19分45秒
>むじな氏の反論が、イスラムを教義上で批判するのならばアラビア語を少しくらいはかじるべ
>きだという程度の批判ならば、まったくそうだなと思えたのですが、彼の議論のコーランの翻
>訳が無効なのはアラビア語の言語の特性に根ざしているというあたりから、どうもおかしいな
>と感じるようになったわけです。
アラビア語を知らないものが、日本語と中国語の常識だけで類推して「おかしい」など
といっているのは、それこそ傲慢です。
クルアーンのアラビア語は、古典アラビア語といって、アラビア語特有の修辞表現を
駆使した、きわめて難解、かつ奥行きの深い文体なのです。
現代アラビア語文語であるフスハーで、普通に新聞評論の類を読むとは異なる、独特の
理解が求められるのです。
古典アラビア語の世界は、日本語と中国語しか知らない猛獣文士の想像と予想を
上回る「わけわかんない」世界が広がっているのです。
アラビア語の動詞活用に、第二形というのがあって、文法的には「拡大形」と説明
されていますが、それがなんだかわかりますか。
たとえば、リビアの正式国名は、共和国(ジュムフリーヤー)の拡大形である、
ジャマヒリーヤーというものですが、「共和国」という概念を「拡大」する、
とは、君はどういうことかわかりますか?
それも知らないで、「アラビア語がわからなければコーランがわからないとは、
おかしい」という主張は、それこそ蟷螂の斧、井の中の蛙ですよ。
あなたに必要なのは「知らないこと、勉強したこともないこと」に対する謙虚な
姿勢です。
なまじ私よりも歳を食っていて経験もあると自惚れているから、知らないことに
対する盲点が見えないだけです。
>アラビア語が翻訳できないのならば、アラビア語を知らない人は最初どうやってアラビア語
>を勉強したのかなというような疑問ですね。
勉強することと、翻訳が可能かどうかとは別の次元の話です。
そんなこともわかっていないとは、君は言葉に対するセンスがゼロだというだけのこと。
たとえば、中国語の相声。これは中国語で直接聞くから面白いのであって、翻訳した
のでは、なにが面白いんだかわからない。掛詞や言葉遊び、韻の類は翻訳できません
からね。
翻訳不可能な文学作品としては、有名なものに、ジェームズジョイスのフィネガンス
ウェイクがあります。あれは英語だけでなくさまざまな言語の掛詞を多様したもので、
翻訳が不可能です。
日本語訳として柳瀬尚紀氏のものが出ていますが、あれは浄瑠璃と落語をモデルにした
新たな創作というべきもので、純粋な翻訳というのとわけが違います。
よしもと新喜劇、日本語の駄洒落を中国語に訳せないことも明白です。
猛獣文士が、「翻訳不可能なものがある」ことを知らないとしたら、君の中国語能力と
言葉に関するセンスがしょせんはその程度だということです。
また、あらゆる語学を学ぶときの心構えとして、無私無心になって幼児のような心で、
精進あるのみ、なんです。
君のように、日本語の世界の論理だけで考えているのは、それこそ傲慢です。
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だからですね 投稿者: 猛獣文士 投稿日:10月11日(火)23時42分3秒
私がROMしていたときに、改憲派氏が唐突にイスラム批判・非難をはじめたので(実は、三浦さんのイスタンブール訪問の印象に対する反論だったらしい)驚いたのですが、その批判の内容は私から見るとイスラムに対する偏見があふれているものに見えたわけです。それに対するむじな氏の反論は最初のうちは共感できるものだったのだけど、アラビア語を知らなければイスラムを語る資格がないという断定あたりで、改憲派氏が、コーランの翻訳を読んだってある程度の理解はできるのではないかと反論したのに対するむじな氏のつっぱりが、少々無理のあるものに見えたんですよね。なお、その前の三浦氏の反応は穏やかではあるが、改憲派氏のイスラム非難の観念性を的確に指摘しているように見えましたが。
むじな氏の反論が、イスラムを教義上で批判するのならばアラビア語を少しくらいはかじるべきだという程度の批判ならば、まったくそうだなと思えたのですが、彼の議論のコーランの翻訳が無効なのはアラビア語の言語の特性に根ざしているというあたりから、どうもおかしいなと感じるようになったわけです。アラビア語が翻訳できないのならば、アラビア語を知らない人は最初どうやってアラビア語を勉強したのかなというような疑問ですね。
それから、どうしてそうなったのか、あまりに大量投稿なので確認していませんが、話は東南アジア、つまりインドネシアとマレーシアの華僑・華人の話題に移り、改憲派氏が華僑は無罪だといったということに対して、むじな氏が反論していたのですが、何で華僑華人がこの議論の経路で裁判されなければならないのか、まったく追いかけられないですよね。こんな風に突然、罪人にされて裁かれるのではたまったものではない。これに対する改憲派氏の反論は常識的で合理的なものであったのではないですか。だから、はじめに議論が吹っ飛んで、こういう議論に行き着いたところで、むじな氏が改憲派氏を論破したという話は出てこないと思っているわけですよね。
臨夏さんがむじな氏が正しく改憲派氏が間違っていると断定したのは、どういう意味なんでしょうか。私には尻馬に乗っているとしか思えませんが。むじな氏の議論にはレイシスト的に華僑を攻撃し侮辱している議論も含まれているんですが。臨夏さんの割り込みのタイミングを見る限り、こういう暴論に臨夏さんも組しているとしか思えませんが。
最後に、三浦さんがまとめたんですが、そこで中国政府に対する新疆地区のイスラム教徒の武力による攻撃は許容されるという落ちをつけているので、どうしてこういう風に話がまとまるのかな、三人寄ればなんとやらというけれども、三人寄れば中国攻撃でまとまるんかいな。というのが、私の印象なんですよ。
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あのだね 投稿者: 改憲派 投稿日:10月11日(火)09時01分34秒
俺はイスラムにしてもキリスト教にしてどちらも同程度に批判している。
今回は話題がイスラムだからイスラムだけ攻撃しているように見えるだけだ。
俺は「Mind Your Own Business」の原則を守るいかなる思想信条にも寛容である。
だから相手がイスラムだろうが教会だろうがオウム真理教だろうがその原則を守る限り尊重する。
しかし、お節介野郎で政治力を介して人の生き方にあれこれ口出ししたり規制してくる集団に対し
ては非寛容にならざるを得ない。当たり前だ、「人に迷惑をかけない限り自分の好きな生き方をす
ることを尊重する」という原則が崩されるからである。
日本では、靖国狂信者や一部の狂信的愛国者を除いてその原則を守っているし、教会もモスクも
小規模だから影響力も小さい。
しかし、教会にしてもモスクにしても全世界にその影響力を拡大させ、その宗教の生き方を浸透
させることをその「教義」に掲げている。イスラムで言えば「ウンマ」という言葉が表している。
イスラムが布教をしないというのはウソである。キリスト教とイスラムほど布教に熱心な宗教は
ない。ただ日本では例外的にそういう布教活動が活発にならないでいるだけだ(しかし日本の
ムスリムはここ近年確実に増加している)。しかも、キリスト教とイスラムほど政治に関心をも
ち、政治と宗教を一体化させようとする集団はない。だいたい彼らの頭には「政教分離」という言
葉などないし、リベラルじゃないやつは明確に政教合致を目指すのである。
なんだかむじな氏の言い分を聞いているとムスリムは酒を飲むし風俗店にも行くし豚肉も
食うみたいな風に聞こえる。俺は酒もソープランドも豚肉も好きだからそれは結構なことだ。
しかし、ムスリムを真面目に知っている奴ならそれとは全く反対のケースも知っているはずだ。
だからこそ俺は警戒感を持たざるをえないのである。俺は最初からこういうことを主張しているの
に、原理主義はイスラムじゃないとかほざいて問題を軽視する愚か者がいるのだ。時が遅くなって
は本当に遅いから俺は主張している。スーダンを見てみろよ。なぜスーダンが内戦になったかと
言えば、コーランから導き出したシャリーアで権力が政治を行おうとしたためである。
スーダンのムスリムがイスラムではないという連中はアホである。
俺はイスラムを差別しろとか非合法化せよと言っているのではない。
人間の態度の問題を言っているのだ。人間の本性に従って素直に生きたいように生きることが
可能になる態度の問題について主張しているのである。
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や、猛獣文士さん> 投稿者: 臨夏 投稿日:10月11日(火)08時38分49秒
いつシリウマに乗りましたか(笑
これでも、むじなさんについては、批判すべきところはきちんと批判しているつもりでいますよ。
ただ、むじなさんが馬耳東風なんで、わたしの力は及ばないですね。
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こんにちは、 投稿者: 猛獣文士 投稿日:10月11日(火)08時19分39秒
>イスラエルやアメリカに対するテロは悪くて、中国に対するテロは正当だと
これは、むじなに対するものではなく、三浦さんに対する評価だけど。むじなの部分はここ、
>単なる人種主義者としての反中国の人もいるみたいだし。
イスラムのことは興味はあるが、詳しくはない。最初に改憲派がイスラムを表層的に論難したときは、私も違和感を感じたよね。むじなの反論を読んでいたら、どうもだんだん脱線してきて、疑問を感じるようになった。イスラムを信ずるものはコーランはアラビア語で読まなければならないということも知っているが、しかし、コーランを翻訳で読んだ人はその内容をまったく理解できないというのは、どうなんだろう。その部分が宗教の儀式的な規定に過ぎないと考えず、これがアラビア語の言語特性によるというのであれば、コーランに限らず、アラビア語という言語は根本的に翻訳不能な言語ということになるのだけれども、およそ人間が社会的に使用している言語で、そのような言語が存在するのだろうか。
アラビア語しか話せないアラブ人と英語しか話せないアメリカ人は意思疎通の手段を持たないという意味にも取れるが、どうなのかな。
それから、むじなの華僑・華人・中国人に対するレイシスト的な攻撃ぶりには閉口する。こういうおかしな議論を展開するむじなと、いつもその尻馬に乗りたがる臨夏さん(付け足しで名前を挙げて失礼)とは、華僑・華人の一員である私としては、根本的に立場を共有することができないでしょうね。
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めえるあれでよろしいか 投稿者: 臨夏 投稿日:10月11日(火)07時25分1秒
むじなさん>
貴ブログの一番下のほうにあった、プロフィール欄に書いてあったメアドにメールしました。
改憲派さん>
別にだれも、貴兄のことを、むじな氏が書くようなめちゃくちゃな御仁や、とは思てないしええでしょう。
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こっちも悪のり(笑 投稿者: 臨夏 投稿日:10月11日(火)07時00分55秒
>だいたいキリスト教徒の多くはムハンマドが預言者だとは認めてないだろうが。
そら、そんなん認めたら、キリスト教の根本否定ですがな(笑
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ぷぷ 投稿者: 改憲派 投稿日:10月11日(火)06時59分4秒
>改憲派とは違って、イスラームこそがキリスト教の本来の姿と近い、原点を保存している
>ものだと思うんだよ。
つうかよう、イエスがただの預言者だったらキリスト教なんか成立するかよ。
むじな氏は原語でコーランを読んだらしいが、むじな氏はムスリムがイエスは十字架にかかって
いないと主張しており、十字架にかかったと書いてある聖書のほうがオリジナルを書き換えてい
ると主張しているのを知っているのか???原点もくそもイスラムとキリスト教は根本から
異なる宗教というべきだろう。
だいたいキリスト教徒の多くはムハンマドが預言者だとは認めてないだろうが。
エホバの証人はイエスは神ではないと言っているから三位一体を否定しているが自分たちは
クリスチャンだと宣言している。しかし、むじな氏はエホバは正統な聖書の訳を使ってないから
キリスト教ではないという。
そんなこと言ったら、聖書のいくつかの写本が残っており、現在の聖書がオリジナルかどうか
もわからんのだから世界にはクリスチャンなんかいないことになるわなあ。
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多重投稿すみません〜! 投稿者: 臨夏 投稿日:10月11日(火)06時55分48秒
あるたいやー>
>これらはもともと違う民族だったが、近くにいたことによってお互いに似通った。
>とくに言葉。そしてアルタイ諸語とされるものを形成するにいたった。
はあはあ、なるほど、そういうことですか〜!
こういうのは、最近の研究の動向でしょうか?
まあ、わたしも無知ですが、昔いろいろ読んだ本には、こうは書いてませんでした。
アルタイヤーを、アーリア人のような存在とみるのは否定してるような書きぶりではありましたが。
最近、なんか匈奴を書いた文章には、「匈奴はトルコやモンゴルという民族実体ではなく、遊牧や戦争の利益のため、
単于のもとに結集したものや」、みたいに書かれてますね、
同じことを言うているのでしょうか。
追記:
改憲派さん、ちょっとよくない(^^;
やはり、あなた論破されたんですよ。
まあ、改憲派さんをこういうふう追い込んだのはむじなさんなんやけどね。
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はあ? 投稿者: 改憲派 投稿日:10月11日(火)06時49分5秒
>言うてはるのは、むじなさんは正しい思います。
原理主義者はイスラムだとかイスラムじゃないとか時と場合によって使い分け、
華僑や華人は罪人で暴動の全責任があると決めつけ、
翻訳で聖書や仏典を読んでも(解釈で読んでも)OKなのに、翻訳のコーランは解釈だから
だめだとか教義だからだめだと時と場合で滅茶苦茶な屁理屈で論難し
(しかも聖書に関してはむじな氏は口語訳を使っている)、
といった具合にむじな氏の主張は酔ったおっさんの戯言になっているのに、
俺が論破されてますか???
まあ、過去に本を出版したり、影響力のある「メディア」に論文を発表したり、
将来アカポス取れそうな人には媚売っといたほうが、自分に将来見返りがありそうだ
と考える大衆の弱い心の表れでしょうな。俺はそういうやつは過去にたくさん見てきたよ。
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やあ、おおきにさんです(^^ 投稿者: 臨夏 投稿日:10月11日(火)06時46分59秒
あと、ひとつ質問を忘れてました、
むじなさんの説明によれば、「イスラーム原理主義」は、キチガイやそうですが、
何年か前に、読んだ本、なにかのブックレットか岩波新書やと思いますが、なんか忘れた本には、
「イスラーム原理主義というのは、西洋由来の悪い言い方、当人たちは、『イスラーム復興運動』と言うている」
とか書いてありましたんや。
この、イスラーム原理主義と、イスラーム復興運動は、等式で結ばれるもんでおまっしゃろか?
復興運動のほうは、キチガイではないんでしょうか。
また、両者とも、大衆の実態と、どのくらい密であり、疎であるんでしょうか。
なんせ、日本でイスラーム本を、拾い読みしてるだけでして、
ニュースとかは、ほんま信用でけんし、現地に何年か住まんとわからんことばかりです(笑
しかし、わたしも、この大投稿に引きずられてもうて、寝逃しましたが、
むじなさんは、3日3晩くらい、ずーーーっっと起きているのか(笑
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やや西だけどね 投稿者: むじな 投稿日:10月11日(火)06時10分55秒
>トルコ民族の本拠地は、むしろ、モンゴル高原でしょう。
モンゴル高原よりやや西側だろう。
モンゴル高原をはさんで、西から東へ、トルコ、モンゴル、ツングースの本拠地が
近くに並んでいた。
これらはもともと違う民族だったが、近くにいたことによってお互いに似通った。
とくに言葉。そしてアルタイ諸語とされるものを形成するにいたった。
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だったらメールくれ 投稿者: むじな 投稿日:10月11日(火)06時08分53秒
>むじなさんは、やはり、こういうところで、それこそ非寛容なんや思いますよ。
非寛容なんじゃなくて、刺激的だといってほしいな(わら)。
>イスラームについては、またこれアラビア語もできない(し、残念ながらする気もない)の
>ですが、
私もアラビア語についてはまだまだ初心者だよ。絵本の類しか読めない。
>どうです、むじな大師、大安森林公園の横のマスジドでも、いっぺん一緒にいきませんか(笑
えーよ。一度、ブログのほうのメアドにメールくれ。
>(あ、でも、むじなさんご自身は、キリスト者であれば、マスジドに行く意味はないのか)
マスジドはよく見学に行っているよ。東京でも、トロントやモントリオールでも
ベイルートやバアルベックでも行った。
こちらがキリスト教徒であることを明らかにすると、むしろ歓迎してくれる。
だって同じ唯一神を信仰しているわけだから。
イエスに関する細かな位置づけや典礼は違うが、そんなものはたいした問題
じゃない。
というか、イスラームの礼拝の仕方や教義の根幹は、むしろ実は原始キリスト教
時代の姿でもあるわけだからね。もともとキリスト教は礼拝は土下座してやって
いたんだし、イエス預言者・人格論、徹底した偶像排除をやっていたんだし。
それに、今回ヨルダンで聖地のネボ山も見たが、やはりあの土地と風土こそが、
キリスト教の原点でもあることを実感したよ。
だから私は米国の馬鹿なキリスト教福音派とか、キリスト教について勘違いしている
改憲派とは違って、イスラームこそがキリスト教の本来の姿と近い、原点を保存している
ものだと思うんだよ。
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まあキリスト教徒のほうが親近感は持っているんだけどね 投稿者: むじな 投稿日:10月11日(火)06時00分43秒
>改憲派氏のシニカルを気取った、ちょっとした悪のりが
シニカルではなくて、日本人や米国人によるある単なる無知と偏見の類。
そりゃ、私もレバノンでは、どちらかというとキリスト教徒とキリスト教地区の
ほうに親近感は持っていますけどね。ブシャッレとかアンナーヤとかアンテリヤース
とかジュニエとか、そういうところばかり行ってましたから。
ただ、ムスリムってそんなに恐れるほどのものでもないっていうのが実際に多数の
ムスリムとも接して、友人も作ってみての感想。
レバノンのスンナ派はわりと大人しい感じが多い。シーア派はいろんな意味で個性的
であった。
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追記:三浦小太郎さま 投稿者: 臨夏 投稿日:10月11日(火)05時22分15秒
パルタック星人氏も言うてはりましたが、
トルコ民族の本拠地は、むしろ、モンゴル高原でしょう。
いまでも、トルコ共和国の建国記念日なんかは、その地で第1次突厥帝国が成立した年やと聞きますよ、
紀元後552年で合うてるかな?
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むじなさん、おかえりやっしゃ 投稿者: 臨夏 投稿日:10月11日(火)05時04分0秒
わ〜、、過去ログ、130本くらい読みました。
あいかわらずの大力投稿に、まじで脅威を感じます(笑
碩士とらはったんですか?おめでとうございます。
さて、過去ログの感想ですが、
改憲派氏のシニカルを気取った、ちょっとした悪のりが、徹底粉砕されてしもた、いう感じです。
言うてはるのは、むじなさんは正しい思います。
でも、過去ログを、後のほう=むじなさんの方、から読み出したんで、どんなグロテスクな元の文があるのか、、
と思てたんですが、たいしたことないやないですか。
むじなさんは、やはり、こういうところで、それこそ非寛容なんや思いますよ。
三浦小太郎さんみたいな優しい人にまで噛み付くとは。
イスラームについては、またこれアラビア語もできない(し、残念ながらする気もない)のですが、
興味と共感を持っています。
多分まえにも書いた思いますが、神戸山手のマスジドに通い、カイロのイマームについて、お祈りを習てました。
♪ビスミッラ〜ヒッ!
しか覚えてませんが(苦笑。
名前ももろて、ハッサン、いいます。
しかし、わたし自身が、根深い無神論者なんで、神さんを信じれんと、ちょっと申しわけない気になったんで、離れました。
しかしまた、「ムスリムは、そんな偏狭な精神ではない」とも聞き、またマスジドに行ってみようかな?とも思てます。
どうです、むじな大師、大安森林公園の横のマスジドでも、いっぺん一緒にいきませんか(笑
これは本気ですが、いま、日本から、貴兄の著書三冊送ってもらうとこでして、
これらを読んでからお会いできれば一番ええのですが、船便で、着くのは一月以上かかるようです。
貴兄に全て任せます。レスも、不必要と思えば、スルーしてください。
(あ、でも、むじなさんご自身は、キリスト者であれば、マスジドに行く意味はないのか)
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レバノンの特殊性 投稿者: むじな 投稿日:10月11日(火)01時57分38秒
>千夜一夜物語、確かに、私は岩波文庫版(マルドリュス版)で読みまして、
正しくは千一夜物語です。
それからマドリュス版は、フランス文学という位置づけで見れば、きわめて秀逸な
作品です。
>これはオリエンタリズムの限りの作品(でも正直そこが好き)ですが、平凡社東洋文庫です
>か、きちんとアラビア原文から訳したものを読むべきなんでしょうね。
もっとも、千一夜のアラビア語原文ってなんじゃらほい、という話もある。
>むしろ、パレスチナ独立とイスラエルとの平和共存を国際社会が(日本も全力で)推し進
>め、
パレスチナもちゃんと民主的選挙が行われた点では評価すべきだろう。
>暴力によらずとも社会改革とシリア撤退を実現したレバノンのような例をさらに評価するこ
>となどから、中東、そして中央アジアの民主化(それも一方的な押し付けではなく)を推進していく、
ただ、私はベイルート滞在中にちょうどメイ・シディアックの爆弾負傷事件がおこって、
それに対する抗議デモを何度か目にしました。
でも、レバノンって、中東ではなんだか特殊なんだよな。シディアック自身が
マロン派だったように、キリスト教徒のプレゼンスもきわめて大きいし、大体
街中ではアザーンよりも教会の鐘がよく聞こえるという土地柄ですから。
文化的にリベラルなのはシリアもそうだが、政治的にも自由なのはレバノンだけ
でしょう、アラブでは。
そういう意味では、レバノンはあの気候条件と歴史的背景からああなっただけのこと
でしょう。
パレスチナでも選挙が行われたのも、結局は地中海沿岸、とくにレバント地域しか
そういうことができないのかも知れないと思う。
少なくとも私は湾岸にはレバノンみたいな市民のデモによる平和的革命、なんて
期待していないから。
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あああ勘違い 投稿者: むじな 投稿日:10月11日(火)01時50分12秒
>イスラエルやアメリカに対するテロは悪くて、中国に対するテロは正当だと
すくなくとも、おれはそんなこと言っていないぞ。
ヒズボラを支持しているんだし。
おれは、イスラエルも米国も中国も、横暴な覇権主義国家という意味で、弱小
民族から制裁を受けるべきだといっているんだからね。
大体レバノンやアラブ・キリスト教やイスラームが好きだといっているのに、イスラエル
を擁護するわけないじゃないか。
イスラエルはレバノンとアラブにとって敵なんだから。
猛獣文士は、教養というものがないようだね。
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イスラエルやアメリカに対するテロは悪くて、中国に対するテロは正当だと 投稿者: 猛獣文士 投稿日:10月11日(火)00時53分20秒
まあ、そういうイデオロギーの人なんでしょうね。単なる人種主義者としての反中国の人もいるみたいだし。
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