四トロ同窓会三次会 2006年10月16日〜31日
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さて、暴力を原則にしたといえば 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月31日(火)22時03分25秒

勿論、明文化されているわけではありませんが、私の頭に浮かぶ最大手の組織は、今、
様々な批判が浴びせられている部落解放同盟です。

彼らはヤクザに蚕食・あるいは共犯的に行政を脅すことで食い物にしてきました。反
内ゲバ党派理論に従うならば、彼らはどの党派よりも排除されるべきだと私は思います。
また、かつての暴力(50年問題)に基本的に頬っかむりを決め込んでいる日本共産党も
また、同様の扱いを受けるべきだと思います。

しかし、この「暴力」組織に結集し、利権とは無縁に闘う大衆も多数います。排除は、
そういう大衆をも排除することを意味します。

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四トロ も 後退したと書くべきでした 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月31日(火)21時59分0秒

一番に問題にしたかったことは、(新)左翼全般の後退でした。思い出すのは、立花隆氏
の『日本共産党の研究』です。この本で、戦前日本共産党を壊滅するのに特高が用いた
手段と理論について触れられていた記憶があります。あけすけに特高OBは言います。

「左翼を潰すには、多少の暴力とスパイを使って疑心暗鬼と内部暴力を誘発すれば十分
さ。」

戦後(新)左翼も、全く同様の手段で潰されたのではないでしょうか。革マル、中核な
どの党派が、暴力を原則に高めるようになったのは、何故でしょうか? そここそが
問われなければなりません。そして、そのような暴力が惹起したとき、有効な手立ては
何か、が問われなければなりません。

最近、反暴力が左翼ではやっています。しかし、暴力に対抗するのに非暴力を用いる
覚悟は、自らの消滅=死を賭けなければなりません。ちなみに、トロツキーは、ガン
ジーの非暴力直接行動を否定しました。

歴史的にはマルクス主義者は「暴力は革命の助産婦」など、現実に起きてきた歴史を
直視し、暴力を肯定しました。

後追い理論になりますが、暴力は断固として一切排除したほうが良い選択肢であったと
思います。しかし、なぜ、当時出来なかったか。そして今、その覚悟があるのか。それ
が問われると思います。
(続く)

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なぜ後退したか 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月30日(月)13時17分2秒   編集済

(4)についてですが、四トロ派は「中核派の暴力によって縮小したのではない」と説明したのです。また、84年(一年間違えてた^^;)の全国襲撃以後は襲撃できなくなった事実からも、「内ゲバによる反撃」ではなく大衆的反撃による「反内ゲバ闘争」という第四インター派の対応の正しさを裏付けていると思います。なお、このような大衆的反内ゲバ闘争は、その後も白井・角田両氏への襲撃を糾弾する署名運動や、内ゲバ主義者の集会参加拒否などの形で大衆自身の手で続けられており、彼らを自己批判させる所まではいきませんが、少なくとも「現在はできない」ところまでは追いつめています。

四トロ派は最盛時千五百〜二千名くらいだったと思いますが、現在は百か二百程度でしょう。つまり約10分の一くらいになったことになります。直接的には組織の差別的あり方が原因ですが、客観的にも、大衆運動の後退に比例して党派の組織率が縮小しています。中核派も、最盛時には数千〜1万の隊列を誇っていましたが、現在は最大数百。つまり10分の一程度である事は四トロと変わらないのです。客観的には大衆運動の後退が党派の後退にも反映されていると言っていいと思います。

なお、今いろいろ噂されている中核派内部の状況ですが、極めて険悪な形で分裂が進行しているようです。四トロ派が分裂した時にも分派間に感情的な対立はあったようですが、それでもテロのような方法で分裂しなかったからこそ、大衆運動では協力してやってこれたのだと思います。分派しても相手を信頼し共闘できるかどうかは重要です。内ゲバで分派した相手と共闘できるでしょうか? 共闘できなければ大衆運動の統一とは逆方向へとモメントが働きます。大衆運動への貢献こそが党派の使命であるはずですが・・・。

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過去と現在と未来の責任は? 投稿者:セクトNo7 投稿日:10月29日(日)23時34分8秒   編集済

>1970年代後半からの大衆レベルにおける政治的アパシーは、そういうところに原因があるのではないでしょうか?

その通りでしょうね。で、一部地域での中核の一人勝ち。何せ中核以外の党派は存在すらまともには許され無かったんだから。大多数の無関心と左翼拒否感のお膳立てをしたのは内ゲバなんだと思う。

前も書いたことあるけれど、前衛名乗るなら過去と現在の結果についての責任があると思うのだが、落とし前はまだついてはいない。つけれないだろうと思うけれど同情はしない。政治党派としての責任取れない程度のものは、淘汰されるべきだと思っている。

ぴよ丸号さんご指摘の時代にいた者として、中核が御免しない限り私も時代も許さないと思っている。

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誤解があってはいけないので 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月28日(土)17時49分23秒   編集済

私も中核派の暴力を目の当たりにしたり、その圧力を感じたことがあるので(1)〜(3)には異論がありません。(メンシェヴィキ擁護の論を書きたい気持ちはありますが、ここでは止めておきます。中核派擁護と逆のベクトルになることは言うまでもないからです。)

ただ、(4)については、「そんなこと言っても日本においては純正トロツキストは極小勢力に後退せざるを得なかった事実がある」と、皮肉を込めて答えたく思います。それは、だから純正トロツキストが“駄目”とか、劣るとかという見地から言うのではなくて、現実に起因する暴力に対する無力感、そしてそれは私自身が中核派の暴力から仲間をかつて守れなかった無力感から発せられる言葉です。

内ゲバ主義に型に嵌められた中核派が、まっぴょんさんが(1)で指摘されている革マルと全く同じことをやっていた事例を私は知っています。私の身の回りの場合、ノンセクトと言われる部分はそういうのに嫌気が差して、かなりの部分が運動から身を引きました。正直に書くと、私もそういう一人と思います。で、結局、運動を支配したのは、中核派のわけです。私らのようなノンセクトはともかく、党派がそういう選択をする勇気は、政治的な責務を果たす上で本当に誠実な態度たりえるのか、という問いかけを出さざるを得ません。

結局、政治に関する暴力は、どう転んでもかなりの確率で政治的自由を圧殺し、そして、それへの対抗可能性は、非常に限られていて、有効な手立ては まっぴょんさんの文章にもかかわらず、なさそうだと今の所言わざるを得ません。

1970年代後半からの大衆レベルにおける政治的アパシーは、そういうところに原因があるのではないでしょうか? 50年問題期の共産党、戦後の革マルみたいな鬼っ子が出れば、政治的行為は彼らに回収される、と。

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中核派の内ゲバ肯定論を批判する 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月28日(土)16時52分31秒

(1)内ゲバの元凶は革マル派である

 日本に内ゲバを蔓延させ、しかも質的にも最悪のものにしたのは間違いなく革マル派です。おそらく現役革マル派を除いて、日本左翼運動に少しでも関わった者にとってこれは共通の「常識」といっていいでしょう。国際革命文庫『革命的暴力と内部ゲバルト』のあとがきにも、この認識は第四インター日本支部中央政治局名で明記されています。
 日本における内ゲバには様々なレベルがあり、少々あたまをこづく程度なら、第四インターも「罪状」を披瀝できる沢山のメンバーがいることでしょう。また、私が一時的に所属したブントでも、「のどかな内ゲバ」を経験した事があります。当時は竹竿で転がされて「もう来るな!」と罵倒を浴びただけで済む、平和なものでした。

 しかし、革マル派はこの内ゲバをより「組織的・計画的・徹底的」に運用していきました。様々な闘争現場で闘っている「革マル派ではない」他党派やノンセクトの活動家たちを暴力的に排除する、という行動を展開していったのです。これは革マル派が「指導部を奪取すれば大衆運動を支配できる」という考え方によるものであり、大衆を上から支配しようとするスターリニズムそのものに他なりませんが、このような方法は他党派に「対抗手段」を講じさせる結果をもたらしました。そして党派によっては内ゲバのための地下軍事組織まで創る状態を引き起こし、そのため内ゲバはますます陰湿で残忍なものへとエスカレートしていきました。これが革マル派の「組織論」であり、また彼らの「組織論」が導き出した結果でした。
 革マル派の「党派闘争」」とは「絶対正しい革マル派の利益」のための「他党派解体」を最優先するものであり、他党派であっても権力と闘っている活動家を排除することによって、結局は敵権力の利益に荷担する結果をもたらしていくものでした。

(2)内ゲバはレーニン主義だろうか

 このような革マル派の「党派闘争論」はレーニン主義とは無関係です。なぜなら、レーニンは敵に荷担するような党派闘争などしてこなかったからです。十月革命を契機にメンシェヴィキ派は反革命側へと転落していきましたが、革命前の時代ではそうとはいえません。メンシェヴィキとボリシェヴィキとが別れた1902年以降でも、両派が対権力闘争においてさまざまな協力関係にあった事はご存じだと思います。在外の亡命者グループによる国際的ルートや在外の新聞・パンフの印刷体制は、両者を始めとする様々な人々の協力によって建設され、そこから国内へ持ち込まれていきました。現在の革マル派と中核派とのあいだでこのような「協力関係」は絶対に成り立ちません。当時のボリシェヴィキが、お互いに意見を述べあえる自由な作風を尊重していた事もトロツキー研究所により明らかにされています。

 では、「反革命への転落が決定された革マル派」に対抗して内ゲバ戦争をするのは「レーニン主義」なのでしょうか? それもちがうのではないでしょうか? 十月革命後、ボリシェヴィキとメンシェヴィキやエスエル左派、クロンシュタット水兵、マフノ等との闘争については今でも論争が続いていますが、擁護する側の意見は「銃殺」云々も含めて「反革命との闘いだから」という理由によって正当化されます。これを日本の内ゲバ戦争に当てはめて考えるべきでしょうか? それには無理があるんじゃないでしょうか。なぜなら、権力を奪取したあとの闘争は、革命ロシアの将来的展望をめぐる「権力抗争」なのであって、権力の前で利敵行為を繰り返す日本の「内ゲバ」」とは異質のものだからです。従ってボリシェヴィキの闘争についてどう評価するかは「政府権力の問題」「社会主義政府の政策の問題」として考えていくべきであって、大衆闘争と無関係に敵前で繰り返される「対カクマル戦」肯定の理由にはならないと思います。

(3)被害者であればゆるされるのか

 中核派は革マル派に対して「被害者であるから許される」と主張します。私は「防衛のための抵抗」はやむを得ないものと認めます。しかし、どこまでを「防衛」というのでしょうか? 「被害者」であれば、どんなことでも、敵を襲撃に行く「先制的内戦」でも、敵のせん滅でも、「防衛」として許されるのでしょうか? なにかおかしくはありませんか? なぜなら「被害者だから何でも許される」なら、内ゲバ戦はエスカレートを必然とし、結局双方を「被害者」だけでなく「加害者」にもしていくからです。革マル派によれば「最初に殺されたのは我々の側だ」「我々が一番多く死んでいる最大の被害者だ」。多くの内ゲバ主義者が「自分は被害者だ」と本気で思っているのです。また「せん滅」宣言された側が黙ってやられるはずがありません。こうして「被害者」同士が互いに相手の「解体」「せん滅」を目標にするなら、これはもう一方が消滅するまで終わらない「永久戦争」となるは必定です。「加害者である自分」を置き去りにした「被害者だから許される」などという手前勝手な理屈は決して大衆から受け入れられる事はないでしょう。
 なお、「永久戦争」を承認する立場は「いずれまた再開する」事を自ら公言したに等しく、「今は内ゲバをやっていないから」という言い訳がデタラメである事を自ら告白したも同然です。

 「自分の被害者意識が絶対正しい」と言うのは、その外側にいる他の人々にとっては意見の押しつけでしかありません。「自分の認識が絶対正しい」「防衛のためにどんな手段でも対抗する」。こういう主張って、何かに似てますね。そう。黒田寛一『革命的マルクス主義とは何か』です。黒田の論理によれば、スターリン主義は絶対的な悪であるから、スターリンの卑劣な政治に対抗するためにはスターリンの方法を使う事も許されるわけです。革マル派との内ゲバ戦に巻き込まれた党派は、実は革マル派が内ゲバの根拠としている「彼らの政治学」にも取り込まれてしまっているのです。そして、それを生み出したものこそ黒田「反スターリン主義」なのだという事です。中核派、革マル派双方が受け継いだ「反スターリン主義」とは、究極のところスターリン主義に他なりません。仮にこのような熾烈な内ゲバ戦によって「カクマルがせん滅された」としましょう。残ったのは「どんな中核派」ですか? 「革マル派と同じ政治哲学と内ゲバ技術で武装された中核派」ではありませんか? つまり消滅した革マル派に替わって「もうひとつの革マル派」が出現したにすぎないのです。

(4)内ゲバ反対では組織が潰れるか

 この疑問に答えるのに最も適しているのが第四インターの歴史ではないでしょうか。スターリンとの党内闘争に敗れ、反対派のほとんどが処刑・流刑されてしまったあと、1938年に第四インターナショナル創立大会を開いた時には僅か数名の参加者があっただけでした。その後もトロツキストは迫害を受け続け、トロツキーは最後には暗殺されました。肉体の抹殺こそが究極的なスターリンの「党派闘争」であったわけです。「反対派を抹殺するには本人の肉体を、特に指導者を抹殺すればよい」。革マル派はまさしくスターリンのこの方法を本多延嘉暗殺として適用しました。同じく中核派も革マル派活動家を次々と殺害し、動労松崎をターゲットの筆頭に挙げていました。しかしこのような方法では運動を消滅させる事はできません。それは第四インターがその後世界中で組織を拡大し、世界の反権力運動の中で重要な役割を担っている事実によって証明されています。ただ、それが今後権力を奪取するかどうかは、第四インターが大衆の利益を本当に体現できるのかどうかにかかっていると言えるでしょう。

 83年、中核派は全国の第四インター派の活動家8名を襲撃し重傷を負わせましたが、それによって組織が崩壊する事はありませんでした。当時、むしろ組織内女性差別問題が活動家に打撃を与えていました。人類を解放するはずの組織の幹部が差別抑圧に手を染めていた事実、しかも組織はそれを改善してゆく見込みもなく「男主義」を温存したままで乗り切ろうとしたのですから。ひとりひとりの活動家にとって自分の「生き方」が強く問われたのです。絶望した活動家たちが次々と組織を去って行きました。しかし、僅かに組織は残り、再建のために活動を続けています。
 中核派は8名を襲撃したあと、襲撃を継続する事はできませんでした。なぜでしょうか? それは第四インターの反撃の方法が「内ゲバによる反撃」ではなかったからです。今後も襲撃はできないでしょう。第四インターによる反撃は「大衆的な反内ゲバ闘争」という方法でおこなわれたからです。内ゲバは大衆的にはできません。党派だけの闘争です。党派の数においては劣勢にある第四インター派は「党派対大衆」としてこの闘争を闘う事で、中核派の内ゲバを撃退したのです。内ゲバで対抗しない限り、党派が内ゲバによって潰される事はありません。

http://redmole.info/bunko/07/bunko079.html

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やっぱりね(=^^=) 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月28日(土)14時18分24秒

あまりにもステレオタイプな「戦争反対!」さんの反応に呆れておりました。あれじゃ中核派も迷惑でしょう。でも、「釣ってしまった」と書いたのは「戦争反対!」さんのことじゃありませんよ。「戦争放棄派」さんのことです。「すさまじい対Y戦を闘いぬいた」と肯定的に評価したのは彼ですから。僕は資料提供しただけでひっこんだんですが、あのあとの過剰反応もいかにもうちわだいこ氏らしいね。

それとは別に、ぴよ丸号さんに反論しますのでまっててね。(o^^o)

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あのうちわだいこ氏ですか・・・ 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月28日(土)11時48分28秒

左翼業界で相手にしてはいけないネットワーカー筆頭の人ですね。了解しました。

とはいえ、内ゲバ問題について、中核と革マルを一括りにしている議論が嫌だ、という
私の感情もあります。とりあえず、以下の投稿は置いておきます。

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一つだけ 投稿者:一つだけ 投稿日:10月28日(土)11時44分37秒

>マル共連で、中核シンパさんを釣った格好になってしまいました。(=^^=)

 「戦争反対派」は、その内容からみて「うちはだいこ」=「反戦反ファシズム日本国憲法擁護連合」ですよ。
 「まっぺんが、除名された人なんかに接近して、囲い込んでいるのは事実でしょう」などというのは、中核派の認識というより、「反戦反ファシズム日本国憲法擁護連合」個人の妄想と考えたほうが正確でしょうし。
 彼は、まっぺん氏のコミケ参加、グッズ販売を「四トロの資金源」と妄想したりしていることで知られていますが、こういうものなどが果たしてまともに相手にするべき性質なのかどうか…。

 かの人物のことは、2ちゃんねる共産党板とか戸田ひさよし「自由・論争」板、イスクラなどに目を通している人ならば、中核派とは無関係の、むしろ中核派に対する「ほめ殺し」をしている、中核派にとって迷惑な人物であることを、誰でも知っています。
 彼はたしかに「中核派応援団」を自称し、最近では「ナガサキ集会に行った」だの「百万人署名に参加した」だの「11・5全国労働者総決起集会に誘われている」だの「京大熊野寮にも出入りしている」だのと言うようになっていますが、虚言癖がきわめて多い人物ですし、彼の「反戦・反ボナパルティズム・反石原都政・AbEnd・日本国憲法擁護連合掲示板」という、非常に長い名称の掲示板には中核派のメンバーやシンパは誰一人、書き込みに来ていませんので、彼を安易に「中核派」と同一視するべきじゃないと思いますよ、ぴよ丸号さん!

 彼の動機のなかには、共産趣味界隈に対する深い憎悪があり、しばしばマル共連に対する誹謗中傷を繰り返していることも、忘れてはならないと思います。

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マル共連の書き込みを読んで 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月28日(土)11時17分12秒   編集済

こんにちは。

マル共連の流れをざっと追ってみましたが、まっぺんさんは戦争反対派さんたち中核派について少し酷かな、と正直思いました。

レーニンの『なになす』などに反発し、労働者の主体性を前に押し出した(と私が理解している)『我々の政治的課題』に依拠した純正トロツキストと、レーニンに軸足を置きつつも、トロツキーを批判的に包摂しようとした革共同中核派(や革マル派)の組織論的対立が垣間見えて、申し訳ないですが岡目八目的に楽しめました。結論から言うと、両者の論法は平行線を進まざるを得ないと思います。

これを解きほぐすには長い時間と重厚な論理、ひいては実践が必要だと思います。じっくりやりたいものです。

まず、新左翼党派の内ゲバの問題についてですが、内ゲバ研の出版物を読むと、革マル派が圧倒的に悪いと私は断定します。あの流れにおいては、中核派は基本的には被害者として登場します。もし、対Y戦(あえて、この言葉を使用)について、四トロなどに代表される内ゲバ反対論にしたがって行為していたら、これは軍事的に中核派が消滅することを意味するでしょう。そして、中核派について、そういうことを言うのは政治的には「中核派よ、消滅しろ」ということに等しいことです。(中核派による四トロなどへの襲撃については、共通する所はあるとは言え、別の問題としておきます。)

党派間の暴力が圧倒的に悪質なのは、まさにこの点にあると考えます。暴力に関するある考えを受容することは、自らの死に繋がるということです。ここにおいて、内ゲバ主義者に対峙するには、死を否定するならば、内ゲバ主義者に照応した暴力主義者に転化せざるを得ません。中核派は、その泥沼に嵌ったというのが私の理解です。
(脱線ですが、北朝鮮や中国の軍事的膨張に対峙することに反対し、護憲を訴える人は、最悪の場合は日本人の大量死の可能性があること/ないことに言及しないと誠実な議論とは言えません。)

さて、以下は主に革マルを念頭に置いて書きます。レーニン主義者が内ゲバ主義者的な考えに到るには、レーニンその人の遺した言葉に依拠できます。そして、それは恐らく、若い日のトロツキーならば激怒したであろう言葉です。

ロシア10月革命直後、ボリシェヴィキの弾圧に抗議し、自由と民主主義を訴えるメンシェヴィキについて、レーニンはこう言い放ちました。

「もちろん諸君は批判を出版するあらゆる自由をもっている。ならば諸君、われわれが君たちを壁の前に整列させて銃殺できる程度には寛容であって欲しい!」

この言葉はどういう状況で言われたのか、まっぺんさんたちに説明するまでもないでしょう。状況は革命と反革命がまさに暴力でもって対峙するときであり、言論行為は既に軍事・暴力と結びついていたときのものです。そういう状況になってしまうこと自身が、「ああ、ロシアだ!」と元文学青年としては嘆息せざるを得ないのですが、しかし、ロシアの歴史は人類の歴史の残酷さを剥きだしにしているがゆえに、教訓に富んだものです。(今ある、チェチェン問題にしても。)

さて、その「状況」を判断する主体がここにおいてさえ問われるべきであった、メンシェヴィキが自由と民主主義について問うたことはそういうことであったのではないか、と私は今考えます。マルクス主義思想がロシア的「剥き身」の文脈に置き換えられるとき、暴力こそが真理を担保するのみならず、真理そのものとなります。レーニンその人は状況において、真理そのものとして振舞わざるを得なくなりました(例え、党内で常に反対を受けていたという現実があったにせよ。)

ボリシェヴィキがロシアの状況に十全に対応したが故にスラブ的であったのに対し、メンシェヴィキは西欧的でした。西欧は民主主義の歴史が蓄積され、ロシア的な「剥き身」の段階は過ぎていました。(“ブルジョア的”という言葉で否定できない重みがあると考えます。)軍事やら内ゲバの問題は、民主主義がその社会においてどの程度貫徹されているか、担保されているかという問題と相関があると思います。

さて、そのようなスラブ的思想に刻印されたレーニン主義が、日本で受容され、日本共産党が生まれました。言うまでもなく、この党は今に到るまで、非常に残酷な民主集中制(=指導部批判は許さない)を採用しています。彼らの欺瞞(偽善というべきか?)から、各種党派が生まれます。その中で、非常に頭脳は良いが、実の所観念論者である黒田寛一氏に率いられた集団が、革マルであると考えます。彼らはレーニン主義とされるものに忠実たらんとしたが故に、それのもつ危険性を拡大しました。それがあの「自分たちは正しいものである、それに異を唱えるものを処罰することは正義である」という悪魔の考え(悪魔に失礼かも?)でもって、新左翼においては党派的暴力を最初に積極的に「活用」したと考えます。内ゲバという場を最初に作ったのは革マルであり、第一に糾弾されるべきは彼らであると思います。

さて、続きも書きたいし、また、上のテーマについても書き足らないこと、言葉足らずなところもありますが、時間が来ました。また、いずれ。

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誰が日本のスターリニスト・GPUか 投稿者:パルタ 投稿日:10月28日(土)11時14分23秒

いくら「反革命との死闘のために止むを得なかった」と肯定しても、80年代以後の中核派は日本のGPUでしかないのではないの?反スタを掲げても、恫喝は人民戦線・POUM指導部を弾圧・虐殺したコミンテルン以外の何者でもないように見えるのだが、中核派から見れば見方は違って敵対党派がスターリニストなのか・・。

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意図したわけじゃないけど… 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月27日(金)15時31分21秒

マル共連で、中核シンパさんを釣った格好になってしまいました。(=^^=)

「すさまじい対Y戦を闘いぬいた中核派は、左翼の歴史において前向きに評価すべきだと思います。」などという内ゲバ肯定論を和気藹々とした雰囲気の中で堂々と語るのは、市民運動にとっても、中核派の今後にとっても、まったくマイナスなのに。こういう支持者に囲まれていては、自己批判も路線変更もできないだろうね。
http://marukyo.cosm.co.jp/forum/index.cgi?id=7&stat

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Re:ネット投票 投稿者:伊達 純 投稿日:10月26日(木)10時58分56秒   編集済

私が投票した際の数値は‘Should the US "cut and run" from Iraq?’という問いに対して

Yes : 62%
No : 32%
Don't know : 6%
Number of pollers : 9093

でした。

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ネット投票 投稿者:アラブ復興車界党 投稿日:10月25日(水)19時52分51秒

アルジャジーラ英語版のHPで「アメリカはイラクから逃げ出すべきか否か」のアンケートが行われています。 「逃げ出すべき」に投票して圧力をかけましょう。
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/E4D19123-9DD3-11D1-B44E-006097071264.htm

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Re: 「トキ」は 投稿者:牛山 投稿日:10月25日(水)01時08分13秒

情報ありがとうございます。
復刊決まったとのこと、嬉しいです。

http://www.geocities.jp/ushi_web/

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「トキ」は 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月25日(水)00時31分29秒

絶版でしたが、復刊希望投票多数により、復刊が決まったそうです。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=15058
ぼくは↓の。上の方のを持ってます。
http://www.lcv.ne.jp/~shipi/ytoki.htm

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Re: 拝見しました(o^^o) 投稿者:牛山 投稿日:10月24日(火)22時57分24秒

まっぴょん様

ご覧下さいましてありがとうございます。
矢口高雄氏の「トキ」ですか、知りませんでした。機会があればぜひ読んでみたいです。

http://www.geocities.jp/ushi_web/

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拝見しました(o^^o) 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月24日(火)12時05分6秒

牛山さん、いらっしゃいませ。拝見いたしました。
紹介文、いいでつねー!気に入っちゃった。>「半日武相戦線」結成。
矢口高雄氏の作品では「トキ」が気に入っています。滅び行く鳥と、それに関わる人間のものがたり。

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風刺漫画 投稿者:牛山 投稿日:10月24日(火)11時07分48秒

牛山と申します。
風刺漫画を描いて掲載しております。
ご覧になっていただければ幸いです。
http://www.geocities.jp/ushi_web/

http://www.geocities.jp/ushi_web/

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裁判は続いているようですよ。 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月20日(金)19時02分37秒

統一協会被害者家族のホームページがあります。
http://www12.ocn.ne.jp/~kazoku/tk-info.htm
それから紀藤弁護士のサイトも。
http://homepage1.nifty.com/kito/uc.jouhou.htm

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情報求む! 投稿者:パルタ 投稿日:10月20日(金)15時24分13秒

統一教会への制裁はまだか?
財務省が統一教会を制裁団体に加えたという情報はどこかにないのか?この動向は注視していきたい。

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あ、ご丁寧にありがとうございます 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月20日(金)08時55分11秒

ここは雑談板ですので、「とことん決着つける」必要もありませんが、
さらにお返事をいただくのは嬉しく思います。無理せずにどうぞ。気長にお待ちします。

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すみません・・・・・・・ 投稿者:出口のない空 投稿日:10月20日(金)00時29分4秒

まっぴょん様
 丁寧なお返事、ありがとうございます。
 さて、私事で大変恐縮なのですが、ちょっと仕事が立て込んでいまして、お返事を書くことが出来かねる状況です。
 すみませんが、今暫く時間を頂戴したいと思います。
 来週半ばには、お返事できると思いますので、宜しくお願いします。
 では。

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1969年5月13日東大教養学部900番教室・超満員 投稿者:gk 投稿日:10月19日(木)23時54分33秒

きみもまたおぼえておけ、
2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。

、、、私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、中年男が汗まみれで抱き合う昭和武士道のメルクマール。
http://zenkyoto68.tripod.com/misima00.htm
情交の後、三島は福島次郎に問いかける、
「私にもしいざということがあったら、駆けつけてくれるか」
 「はい、行きます!その時には、電話か電報を下さい」、
三島は強く頷く。
 福島はだが、間をおいてこう言った。
 「行くのは、行きます。しかし……その、いざということが、どういう内容のいざなのか、はっきりわかってから行きます」
三島はそのとき、
「風船がはじけたように、急にしぼんでしまったよう」な感じになり、「日本刀を袋に納い、
鉢巻をはずし、そこらをごそごそ」「片付けている様子だったが、いつの間にか、バスルームへ姿を消した。」
『剣と寒紅』福島次郎著
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/isihara.htm
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
 共に起つて義のために共に死ぬのだ。
 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。檄文・三島由紀夫
http://sintarou.e-city.tv/hokanshoko/m07.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
・亀頭にたばこを押しつける皇軍大尉、お灸をする皇軍大尉
・陰茎の根元をきつく縛って押え射精できないようにしておいて亀頭だけを磨刮する皇軍の憲兵大尉
憲兵大尉は終戦後、昭和12年から16年までの期間に犯した罪状で米軍から戦犯として指名され謹慎していましたが、
しばらくして戦犯指名から解除され、その後、防衛大学の教師として採用されました。年齢は50歳近くになっていたと思います。

2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。
2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。

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嫌われ松子のグローバリズム 投稿者:パルタ 投稿日:10月19日(木)11時53分0秒

私には教師から娼婦に転落して死亡する松子が、お上を信じて転落していく日本国民の姿に見える。グローバリズムの論理は教育や医療、社会保障と言った私達の生活・命にまで関わるものにも情容赦なく入り込んでくるだろう。
看護師の人がいるおかげで私達は多くの耐え難い地獄のような肉体的苦痛や死から免れることができる。医療関係を目指す多くの人々がいることは有難いことだし、この人達によって私達の生活は支えられている。しかし、この分野の労働は過酷であり、過労死寸前の職場も多いだろう。
今の日本は人の心が随分暴力的で荒廃してきているように思う。↓

ライブドアニュース
自宅前でわいせつ被害直後 助け求めた男にも襲われる

 約70メートル追いかけて痴漢を見失ったところで今度は、一緒に捕まえてくれるはずの男が看護師に襲いかかり、無言のまま両肩をつかむといきなりキス。右手で胸を触ってきた。看護師が突き飛ばすと走って逃げたという。
 最初の男は35〜40歳で小太り。第2の男は50歳前後でグレーのスーツ姿のサラリーマンふう。生田署は強制わいせつ容疑で捜査中だが、看護師は「もう他人を信用できない。怖くて自宅周辺をひとりで歩けない」と憤っているという。
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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2596368/detail?rd
↑自宅周辺ですら歩けないなら、どこにも行けません。事実なら非常に恐い話である。

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謎がとけそうです。 投稿者:natunohi69 投稿日:10月19日(木)11時35分13秒   編集済

『三多摩社青同闘争史』でおおむね、私の謎は解けそうです。ありがとうございます。くだんの方々は遅くとも70年代前半には、武闘路線からエコロジー路線に完全に転換して、もっぱら都市部における「清掃」と辺境(?)における有機栽培など「安全な食品作り」に専念されているようでした。

太田竜将軍は・・・面白かったです。法政のプロ軍そのものも・・・面白かったです。実力闘争の局面を含めもろもろ大変お世話になったので、面白かったなんて言ったら「死刑」を宣告されそうですが。実際、活動からリタイアして3年くらいは、鉄パイプで殴り殺される夢を見ました。その件はいずれまた。

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太田竜は 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月19日(木)10時01分8秒   編集済

関係者の話やご本人の遍歴から想像するとかなりユニークな人のようですね。僕は一度も会った事はありませんが、かつては第四インター日本支部の指導者として国際会議にも出席し世界の活動家たちと英語で革命議論を交わした人が、いまではユダヤの陰謀を暴き宇宙人と交信する神秘な世界に逝っちゃったとゆー。

軍事の話ですが、50〜70年代の第四インターをおもいっきり単純に分類すると、「先進国革命派」と「植民地革命派」に分けられます。前者にはフランスのランベール派、アメリカやイギリスのSWP(社労党)、ヒーリー派、スパルタシスト等、後者にはパブロ派、ポサダス派などがあります。先進国革命派は都市労働者の組織化が中心で、植民地革命派はゲリラ闘争が中心。ラテンアメリカなどで武装闘争に参加しているところもありました。だから元四トロで軍事部門を持つとすれば、そうしたパブロ派かポサダス派の流れという事になりますが、日本では現新時代社の流れにある酒井与七かBL派の太田竜以外には植民地革命派に分類されるところはないと思います。

それで僕の知る限りでは(知らないのかもしれませんが)新時代社系統では射撃や爆弾までやってはいないので(とゆーか、そのような唯武器主義におちいった赤軍派を批判している)、やっぱり太田竜の指導の元にあった人たちじゃないでしょうかねー。太田竜は四トロと絶縁してから、植民地革命主義を更に発展させ「辺境最深部に向って退却せよ!」という方向に行きましたから、離島や僻地を根拠地にしているのであれば、太田竜の関係だと思います。ただ、彼らはどこまで太田竜についていったのか、ユダヤ陰謀論にまでつき合って「UFO党」に参加しているのか、それとも辺境革命で留まったのか分かりませんけど。

昨日紹介した『国際革命文庫』は全部で20巻あるんですが、その中に『三多摩社青同闘争史』というのがあります。太田竜や黒田寛一の面白いエピソードなども出てきます。読み物としても面白いのでお薦め。著者の織田進は太田竜から直接薫陶を受けた人で、彼の「毒気」に当てられたのか、ご本人もすごい「毒気」の持ち主です。(^◇^) 僕が学生インターに加盟した時には四トロの幹部にいましたね。今は新時代社から分裂して「労働者の力」派のほうにいるみたいですが。
http://redmole.info/bunko/14/bunko14f.html

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早速ありがとうございます。 投稿者:natunohi69 投稿日:10月18日(水)21時21分51秒   編集済

まっぴょん様、早速の丁寧なお答えありがとうございます。連赤についての見解はじっくり読ませていただきます。

武装蜂起準備委員会は69年当時、法政大のプロ軍団にもありました。実態としてどの程度のことをやっていたのかは、よくわかりませんが、正規の団員は、簡単な小型爆発物の製造マニュアルくらいは持っていました。それで、通常のデモの時は「プロレタリア軍団」の黒ヘルで、年に1〜2回ハレの日に「武装蜂起準備委員会(AIPC)」のヘルをかぶるという・・・
第4インターを名乗る組織は、内部に「武装蜂起準備委員会」を作らなきゃいけない、という規定があったのですかね。一応プロ軍も「第4インターBL派」と自称していましたから。

軍事の話は、次のような経緯で聞いたのです。私は1952年生まれですが、今から5〜6年前、ある縁で首都圏の某所にある、私より10年くらい年長の人々が20〜30人で共同生活をするコミューンのようなところにおじゃまをしたことがあるのです。その人々は主に清掃業で収入を得ているのですが、一方で日本全国の離島や僻地でできる農産物を直接取り寄せて販売もしたりしている。で、そこのリーダーに「この人々はどういう人たちですか」と聞いたら、若い頃、第4インターの軍事部門にいた人たちで、付き合いのある農場や牧場は元々彼等の射撃訓練場や爆破訓練場を兼ねていたという。ビックリしましたが、向こうもそれ以上、詳しいことは話さないし、こちらもそれ以上聞ける雰囲気ではなかったのでそれまでのことでしたが。彼の話が本当だとすれば、その第4インターはまっぴょん様たちの第4インターともプロ軍とも違う「第4インター」だったのでしょうね。

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血沸き肉躍る時代だったね〜 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月18日(水)15時42分37秒

> 確か本名の栗原登一名義で翻訳してましたっけ(?)

いえ。B5判くらいの小パンフで、「太田竜」でした。そのころ、まだ本名は知りませんでした。

> 連合赤軍に関するミニブーム

連合赤軍事件については、『国際革命文庫』の中の「革命的暴力と内部ゲバルト」に第四インターの批判論文が出ています。かなりこっぴどく批判した上で、次のようにも書いてます。

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日本共産党は、連合赤軍を“毛沢東盲従分子”として指弾し、ブルジョア世論におもねりながら、ソ連共産党と口裏を合わせ、革命中国に引き寄せられていく日本人民の流れに棹をさす口実にしようとしている。
 だがこれは狂気の沙汰である。このデマゴギーは、やがて重く罰せられるであろう。
 毛沢東は、現存する最も偉大な革命家の一人である。彼の思想と指導にどれ程の誤りがあろうと、われわれが毛沢東から学びとるものはあまりにも多い。連合赤軍の破滅は、毛沢東への追従の故ではなく、その反対である。京浜安保共闘の指導者達は、毛沢東方才を口で叫びながら、毛沢東のたたかいも思想も、ほんの少しでも理解しなかった。毛沢東は徹底的な大衆路線主義者であった。彼らは、毛沢東に学んだ故にではなく、毛沢東に逆らったために破滅したのである。

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http://redmole.info/bunko/07/bunko07f.html

> 第4インターでも一部でかなり本格的な軍事訓練

って、いつの事だろ? 僕が学生インターに「入社」したのは72年でしたが、それより少し前まで「武装蜂起準備委員会」なんていう「おトロしい名前」の組織をつくっていたらしいので、そこでの話かも知れませんね。69年〜70年ころまでは街頭でもなかなか派手な闘争がいっぱいありましたからねー。(=^^=)

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おそるおそる、お聞きします 投稿者:natunohi69 投稿日:10月18日(水)14時19分5秒   編集済

「過渡的綱領」確か本名の栗原登一名義で翻訳してましたっけ(?)。私は現代思潮社版で読みましたが。
私は69年の1年間しか、活動に関わらなかったので太田竜将軍には「中ソ対立に対する正しい見解」と、「正しいビラの撒き方」(?)の2回だけ法政の構内の一室で約20人くらいで教わったと記憶しています。

で、本題なのですが、山本直樹『レッド』の連載開始など、今またちょっとした連合赤軍に関するミニブームが起きているようですが、何かそれに関して皆様思われることがあるかどうか?(下へスクロールすると、?柴野春彦氏や?山田孝氏の似顔絵(?)が出て参ります。)
http://www.e-1day.jp/evening/magazine/

あと、これは、もし可能なら、ですが第4インターでも一部でかなり本格的な軍事訓練を行なったとも聞いておりますが、それについて時効として語れる部分があれば経験者の実感を教えていただければ、と思います。

私は当時高校生だったのとシンパで終わったので簡単な火炎瓶の投擲のまねごとと、時限発火装置の初歩的な作り方しか学びませんでした。

赤軍派については確か、日比谷野音の全国全共闘結成大会でブント主流派と内ゲバするのを呆然と眺めていたのと、ある日プロ軍高評でデモに出る直前、上部から赤軍派の高校生とゲバルトするように言われたのを下部同士で話をつけてナアナアにした記憶しかございません。

今、私が敬愛する若松孝二監督が『実録・連合赤軍』を撮るというので改めて、軍事の問題が気にかかっているのです。部外者の興味本位といわれれば、それまでですし、話題が話題なので無かったことにしていただいても結構ですが。
http://www.wakamatsukoji.org/

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いらっしゃいませ〜(=^^=)/ 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月18日(水)10時58分40秒   編集済

プロ軍高評!!!!! おおおおお、懐かしい言葉のひびきじゃ!
高校生のころ、我が田舎にはプロ軍の労働者がいて、
非常に味のあるガリ版刷りのビラをもらった事があります。あれでガリ版印刷に目覚めた。
あの独特のガリ切り文字の「あじわい」・・・今の人には分からないだろうねー。

僕が初めてトロツキーの文献に接したのは、実はプロ軍(レボルト社だったっけ?)発行、
太田竜翻訳による「過渡的綱領」でした。いまでも我が家のどこかにあるぞ、たぶん。
ここは「旧四トロオンリー」じゃないので、どなたでも歓迎です。なんでも書いてください。
http://redmole.info/sendensensen/senden0.html
http://redmole.info/sendensensen/senden02.html

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はじめまして 投稿者:natunohi69 投稿日:10月18日(水)08時04分33秒   編集済

natunohi69と申します。私は四トロは四トロでも、高校生の時に法大に出入りして、プロ軍高評のシンパとして少しだけ活動していたもので、本来はこちら様へ顔を出せた筋合いではないんですが。このところ、『イブニング』で山本直樹が『レッド』を新連載したり、若松孝二監督が『実録・連合赤軍』をクランク・インしたりと、なぜか連合赤軍がらみの企画が続いていますが、こちらの皆様は、そういう傾向をどう思われるのでしょうか?よろしければ、お聞かせ下さい。

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たしかに「テロ」という言葉は 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月17日(火)12時57分4秒

非常にネガティブな意味内容を持つものです。であるからこそ、
出口のない空さんが安易に三里塚闘争を「テロ」と呼ぶのは極めて不見識です。

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「テロ」 投稿者:まこと 投稿日:10月17日(火)06時24分10秒   編集済

余談ですが、現在、「テロ」という言葉には非常にネガティブな意味が込められていますので、海外では「テロ」「テロリスト」という言葉を出来る限り使わないようにする動きもありますね。

例えば、BBCなどでは日本では「9.11同時多発テロ」だとか「自爆テロ」と呼ばれている事件に対しても「attack(攻撃) 」という言葉が用いられることが多いです。

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【補足】頷ける点について 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月16日(月)12時11分21秒   編集済

> 戦争に対する内的な親和性と言うか、プロ的なものを感じ、非常に違和感を覚えました。
> "反権力闘争の為の闘争"と言うような感じがあります。

出口のない空さんの上記ご指摘については、心当たりもあり、「日本左翼の限界」のようなものを私も感じております。まず「戦争用語」については、三里塚闘争がこれほど激化し、実際に戦略・作戦を立てて闘う所まで進展してしまったのですから、ある意味やむを得ないものではあります。これは小さな規模ではありますが事実として農民と政府との「戦争」だったのですから。

しかし、同時に、それを支援してきた各セクトの多くがそれぞれ革命運動の推進者でもあり、戦争用語が使用されてきた事実もあります。また特に「"反権力闘争の為の闘争"と言うような感じ」については全くご指摘の通りであると思います。それぞれのセクトにはそれぞれ独自の「革命路線」があり、その路線の中にどう三里塚闘争を位置づけるかによって、それぞれ独特の呼び方をしてきました。例えば、三里塚闘争を「日本の反戦闘争の拠点」と位置づけるセクトは、「軍事空港反対」というスローガンを立てております。有事の際にはどの空港も軍事目的に使用される可能性はありますが、成田空港は殊更「軍事」目的で計画されたのではなく、日本経済の成長に伴って手狭になった羽田に代わる国際空港建設が必要となった事によるもので、このスローガンは間違った方向へ闘いを誘導する危険があると感じます。さらに甚だしいものは、三里塚闘争に「革マルせん滅」などという内ゲバ的スローガンまで持ち込む党派もあります。革マル派は三里塚闘争に敵対的行動をとったため反対同盟から絶縁されましたが、そうだからといって、このようなスローガンは立てるべきではありません。

私が所属した第四インター派においても、やはり全国闘争の戦略的位置づけとして三里塚闘争を扱い、全国地域住民闘争の総決起というような展望を描いておりました。しかし、三里塚闘争それ自身は「反権力」の位置にあったとしても、それをセクトが自らの「反権力闘争のための闘争」として利用するのはセクトの引き回しになります。そうした「セクトの事情」は三里塚農民の主体的な意志に優先させるべきではありません。

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テロの語源は「恐怖」です 投稿者:まっぴょん 投稿日:10月16日(月)10時30分3秒   編集済

私は自分勝手に「テロ」の定義をしているのではありません。(以下参照)
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テロは、ドイツ語「Terror(テロル)」、英語「テロリズム(terrorism)」の略。
「テロ(テロル・テロリズム)」は、ラテン語で「恐怖」を意味する「terror」「terreo」の語根である。
更に遡ると、「震える」を意味する印欧語「*ter-」の語根に由来する。ただし、テロが政治的目的のための暴力手段を意味するようになったのは、1793年6〜1794年7月、フランス革命の「ロベスピエールの恐怖政治(regime de la Terreur)」以降のことなので、テロの直接的な語源はフランス語の「Terreur(テルール)」となる。(以上「語源由来辞典」より)
http://gogen-allguide.com/te/terrorism.html
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●証明の要求(1)東峰十字路事件は「殺人目的」だったのか?

> 三里塚闘争では、殺人は目的ではなかった。と言われるのなら、
> なぜ3人の警察官は殺されたのでしょうか。

私はテロについて、相手に殺人等の恐怖を与える事を「目的としている」と説明したはずです。あなたは「殺人目的」と「結果として死者が出てしまった事実」とを混同しています。また「なぜ殺されたのか」の質問には当時の東峰十字路の状況を説明済みですが、その説明を無視して「テロ」とレッテルを貼るなら、あの事件は「殺人を目的としたものだ」と証明してください。その証明がなければ、あれを「テロ」と断定はできないはずです。なお、私は「死者が出ることは致し方ない」などとは申しておりません。相手の主張を勝手にねつ造するのはどうかお止めください。警官の死の責任は「政府にある」と言っているのです。空港事業のためには「死者が出ても仕方ない」という態度で強制代執行や成田立法などの強硬姿勢を通してきたのは政府の側なのです。

> 3人の警察官は殺してはいけなかった。と、戦略的観点から私は、思っています。

私もそう思います。警官であろうと命の重さは同じです。

●証明の要求(2)「3・26闘争はテロ」なのか?

さらにあなたの論法がデタラメなのは、3・26管制塔占拠闘争がテロではない事を私が説明したにもかかわらず、「しかし東峰十字路は…」とつなげて、全く別の理由によって3・26闘争を「テロ」と規定している事です。これについて指摘すると、あなたは「すべてが三里塚闘争の一環である」という形での反論を試みていますね。しかしそれでは全く反論にはなっていません。なぜなら、あなたは最初に、「成田の管制塔、テロで壊されたおかげで、開港時には新しい機材が導入された」と主張しているからです。これは「東峰十字路」とはまったく無関係に「管制塔破壊がそれ自身テロである」と主張している事に他なりません。したがって「3・26闘争がそれ自身テロである」事を東峰十字路事件とは無関係に証明する義務があります。証明をおねがいします。

●証明の要求(3)暴力はすべて「テロ」なのか?

> 「テロ」、「実力闘争」、「戦争」、何であれ、目的を達成する為の手段でしかない
> ものを、いかに区別しているのか、それぞれの定義を教えてくださいマセマセ。

人に定義を問う前に、まずあなたが三里塚闘争を「テロ」と定義したのですから、その理由をお聞かせください。その方が先ではありませんか? 私はすでにあなたの「テロ」規定がまちがっている事を指摘しておりますから、それに対する反論をお聞かせいただきたく思います。また、上記あなたの説明では「テロ」「実力闘争」「戦争」をぜんぶ一緒にして言い逃れようとしているようにしか聞こえません。「暴力一般」を全て「テロ」と規定してしまうのは、あまりにも粗雑な論理であると思います。またそれなら、反対派だけではなく警察の行為も「テロ」と断定するのでしょうか? この質問への答えもまだ聞いておりません。(なお、私は警察官の職務一般を「テロ」と規定はしませんが、抵抗できない逮捕者に対する個別の暴行や、農村を徘徊して農民や援農者に対する暴行をおこなった事実があり、これは「テロ」と考えております。)

●三里塚闘争では国民の支持を得られなかったのか?

三里塚闘争がどの程度の支持を得られたかは、どうやって計測できるのでしょうか? 国民投票でもやったらよかったでしょうか? そもそもどんな闘いであれ、「支持者と不支持者」とにきっぱり分類されるわけではありません。「無関心」と「関心」とに別れ、その関心層の中では支持者は大変多い事を知るべきです。残念ながら多くの人々は、自分に災難が降りかからない限りそれほど関心を持たないものであり、三里塚の農民の多くも空港問題が持ち上がるまでは地元の自民党支持者が多数で、まさか「過激派と一緒に闘う」などとは思っていなかったでしょう。また「闘争では国民の支持を得られなかった」というなら、「闘争しなければ国民の支持を得られた」のでしょうか? それを比較するための参考にしてほしいのですが、管制塔占拠・破壊によって開港が延期された時、マスコミは一斉に、強硬な開港姿勢が招いたのであると、政府を批判しました。そして運輸省(現国土交通省)もはじめて三里塚まで足を運んだのです。また彼らの側から「ボタンの掛け違い」を謝罪し、この責任が政府の側にある事を認め、二度と強制代執行をしないと約束しました。

●閑話休題

> ところで、三里塚闘争で戦ったと自負している方々は、
> 農家の方々はどのように土づくりを行ってらっしゃったか、ご存じですか?

あなたはきっと三里塚の闘いをよくご存じないのでしょう。40年にわたる闘いの中で支援者たちはただ機動隊との衝突「だけ」をやっていたのではありません。恐らくそういう人は極めて少ないと思います。多くの学生や青年たちが農民の闘いと生活を支えるために農作業を手伝いに行っていました。これを「援農」と言います。その人数は闘争に参加した人の数よりも遙かに多いでしょう。それぞれの個人的事情によって時期の長短はありますが、長期間住み着いて援農に従事し、そこで生活していた人もいます。アルバイトで貯めたお金を持って田舎から三里塚に来て援農生活を続け、お金がなくなるとまたアルバイトのために一時帰郷する生活を何年も続けていた人もいます。農家の人と結婚し農民として頑張っている人もいます。多くの人たちが三里塚で闘いと生活を共にしながら、そこから学んでいきました。私も何度か援農に行きました。三里塚の闘いは家族ぐるみ、地域ぐるみの、生活と密着した闘いなのです。どうか、それらの事実について少しでも知ってほしいと思います。

なお、3・26闘争に至る農民や関係者の証言集を私のサイトに掲載していますのでぜひお読みください。三里塚の闘いは決して「テロ」呼ばわりされるようなものではありません。
http://redmole.info/sanrizuka.html

●見落としておりました。

> 管制塔破壊の時、農家の方も管制塔に上っていたのでしょうか?

いえ。第四インター、青年先鋒隊、戦旗派の三派それぞれから選抜された17名の青年たちによって決行されました。彼らに対する1億円の損害賠償請求に対する昨年の我々の基金活動の記録を参考にしてください。本も出版されました。
http://jioos.podzone.net/
http://redmole.info/

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では、逃げて屈服せよということですね 投稿者:ぴよ丸号 投稿日:10月16日(月)08時13分3秒

実力闘争・暴力闘争を担ったことがあるものとしては、出口のない空さんのご発言は、
そのようなものと断じざるを得ません。

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すみません・・・・・・ 投稿者:出口のない空 投稿日:10月16日(月)02時04分16秒

↓にある「収容」は「収用」の誤りです。

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戦略無き計画の無謀さ 投稿者:出口のない空 投稿日:10月16日(月)02時00分6秒

まっぴょん様、セクトNo7様
 丁寧な返信ありがとうございます。

まっぴょん様
 私が聞きたかったのは、
 「テロ」であれ、「実力闘争」であれ、「戦争」であれ、これ以外に「実力行使」であれ、これ以外にどのような単語を用いたところで、所詮は、目的達成の為の手段でしかないのでは?
と言うことです。
 テロだから悪く、実力闘争だから悪くない、戦争だから悪い。
などと言うことを聞きたかったのではありません。

 それにテロの定義付けをなされたのはまっぴょんさんですよ。
>テロとは、相手に「恐怖」を与えて、相手の行為を中止させる事です。最も効果的なのは「死の恐怖」であるわけで、そのため往々にして殺人が目的となっています。しかし、テロでは本来の目的を遂げる事はできません。

と。

>往々にして殺人が目的となっています。
 これこそ、内ゲバのことですよね。(「ウジ虫ども殲滅」とは立花隆さんの本からの知識でした)
 三里塚闘争では、殺人は目的ではなかった。と言われるのなら、なぜ3人の警察官は殺されたのでしょうか。
 あくまでも、権力の被害者である農家を守るためには、3人の警察官は殺してはいけなかった。
と、戦略的観点から私は、思っています。
 警察がどれほどの暴力を振るおうとも、ささやかな装備で、開拓地を守ろうとする姿が、開拓に際しての農家の方々の努力の足跡が国内に伝えられたなら・・・・・・・。

 3人の殺された警察官は、殺すことが目的ではなかった実力闘争の犠牲者であり、
>第二次決戦の前日までに多くの支援者が駒井野砦の建設に従事したあと、翌日の決戦に備えて東峰部落周辺に宿泊しておりました。したがって決戦当日は当然、東峰部落周辺からその道を通って大挙して駒井野に向かう事が予想されるもので、警備当局はここを遮断するべく途中の東峰十字路に検問のために警官を配置したわけです。しかしこれは余りにも無謀な配置といわねばなりません。何十人、何百人もの反対闘争支援者が勇んで進撃してくるであろう道路の途中に配置したのが僅か三人だけとは。
>まさかその三人を初めから犠牲にしようなどとは思っていなかったでしょうが、これは明らかに警察側の失態です。或いは警察は、反対派を過小評価していたのでしょうか。

と、警察側の杜撰さを指摘するのなら、実力闘争をする側の犠牲となられた方々が、犠牲となってしまったのは、実力闘争を企てた側の杜撰な作戦による犠牲者とも言えるのではと思います。

 私の書いた
「戦争は良くないけど、テロは良い」
は、結局”目的実現の為なら、死者が出るのも厭わない”
と言う考え方が根底にあるなら、「テロ」も「実力闘争」も「戦争」も、同じではないか。だから、
「テロを肯定するのなら、戦争も肯定すべきではないのか」
と言うことなわけです。
 勿論、まっぴょん様が「実力闘争」で”死者が出ることは致し方ない”と肯定するなら「テロ」も「戦争」も肯定すべきではないのか。
 と言うことになりますが・・・・・・・。
 まぁ、冒頭に記しましたが「テロ」、「実力闘争」、「戦争」、何であれ、目的を達成する為の手段でしかないものを、いかに区別しているのか、それぞれの定義を教えてくださいマセマセ。

 それから、
>3・26戦闘と東峰十字路事件
 これらのうちいずれかは、三里塚闘争とは違うものなのでしょうか?
 確かに、前者は死者は出てませんよね。なかなか用意周到な作戦行動だったと思います。
 でも、後者は死者が出ましたよね。
 違いと言えば、その点ですよね。
 でも、これらは私が見るには、
>成田空港への開港阻止闘争→廃港運動に至る闘争
 上記にある、同じ闘争の中での出来事と理解しています。
 勿論、希流様が書かれたように、千葉県の土地収用委員等に対する諸々も含めてです。
 それを、管制塔破壊と警察官殺害を別にすることこそ、「印象操作」との感は拭えません。

 それから、「印象操作」との単語が出てきましたので申し添えますが、
「決戦」、「戦士」などとの単語や、「敵を過小評価すれば味方に損害が出るのは戦闘の常識」、などとの文節がいとも簡単出でてくる、これが
>私は戦争には反対ですが
と書いている方から出てくることに、市井の人々からは感じることの少ない、戦争に対する内的な親和性と言うか、プロ的なものを感じ、非常に違和感を覚えました。

 それから、もう一つ、
 私が、来月もまた成田空港を利用できるのは、三里塚闘争では国民の支持を得られなかったから・・・・・・・・・これに尽きるように思います。

閑話休題
 ところで、三里塚闘争で戦ったと自負している方々は、農家の方々はどのように土づくりを行ってらっしゃったか、ご存じですか?

セクトNo7様
 私は、無抵抗主義者ではありません。
 平和と言う瞬間の維持には、私権や時として命を犠牲にすることもあり得る。
と言う立場です。

 三里塚闘争については、ある日委員会の決定一つで、それまでの努力、苦労を反古にされた農家の方々の苦しみを、闘争に参加した方の何割が理解していたのか?と言う疑問もあります。
 印象操作された結果かとも思いますが、"反権力闘争の為の闘争"と言うような感じがあります。
 農家の方々がどれほどの苦労をして開拓してきたのかと言う、現地の歴史を遍く伝えられなかったのか?
 と、こんな想いで、国が定めた計画の杜撰さについて、そして空港を利用していることについて、
「そうですね。(略)農家の方々がどんな思いで開拓してきたのか、作物が穫れるように土づくりをしてきたのか、そのことを考えると、辛いものを感じます。」
と、書きました。
 立花隆さんの本の中に、三里塚でのことに関し「農家の方が更に先鋭的、攻撃的であった」と言うような記述がありましたが、そこに至るまでの農家の方々の苦労の歴史をもっともっと遍く国民に伝える手段はなかったのか?
 そうすれば、警察、反対派のいずれの死傷者も出さなくとも済んだのではないのか?
 時系列的には、無理な話なのかも知れませんが・・・・・・・・・。

 さて、お名前の由来、見に行きましたが、??????でした。
>あっちの掲示板の席帝さん
 最初、”席亭”と読んでいました。
 左翼の方が「帝(みかど)」を名乗るとは、なかなかブラックですね。
 今後は、セクトNo7様の「専権事項」には、触れないよう注意したいと思います。(汗)
 それから、私は「かれ」ではありません。

希流様
 私の書いた「テロ」との単語に始まったこの件ですが、これを仮に「実力闘争」と書いていたなら、このような反応は起きなかったのでしょうか?

まっぴょん様、セクトNo7様、希流様
>国家権力の行使する暴力について
私の考え方がお知りになりたいようですね。

 三里塚闘争に関しては、見事に国家権力の行使する暴力に踊らされてしまい、暴力で立ち向かってしまい、国民の支持を失ってしまった。
と言うのが、率直な感想です。

 既述ですが、強制収容が検討されるまでに、農家の方々を守る側が何らかの手を打てなかったことが、互いに犠牲者を出してしまった。と、思っています。

 因みに、転び公安 と言うのは嫌ですね。
と言っても、非公然部隊 と言うのも嫌です。
なんと言っても、またサリンを撒かれるのはごめんです。

で、結局、鶏が先か卵が先か で、迷っています。

 ところで、これは本当に不勉強で申し訳ないのですが、
 管制塔破壊の時、農家の方も管制塔に上っていたのでしょうか?

 最後に、かの闘争で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、傷付かれた方々が、今は健やかにお過ごしなされていますこと、祈念しておりますこと書き添えさせていただきます。

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